2019/8/22, Thu.

 霧のある夜がとりわけて
 自由だとはいわぬ
 君らにどこで行き遭おうと
 君らと僕らのけじめはないし
 告発の十字砲火で
 みごとに均らされたこの町では
 人があるけば
 どこでも大通りだが
 まれには まともな傷口が
 それでも肩ごしにのぞくとなると
 霧のある夜と ない夜とでは
 うしろめたさも
 ちがうというものだ
 重心ばかりをてっぺんにおしあげた
 お祭りさわぎの魔女狩りの町では
 やつさえいっぱしの
 ジャコバン党だが
 どこでうちおろす石槌でも
 火花の色がおんなじなら
 誰が投げ出す金貨にしても
 おもてと裏がおんなじなら
 鞭と拍車が狎れあう町へ
 霧よ ためらわずに
 おりてこい!
 (『石原吉郎詩集』思潮社(現代詩文庫26)、一九六九年、28~29; 「霧と町」; 『サンチョ・パンサの帰郷』)

     *

 いつ行きついたのか
 歩行するものの次元が
 そこで尽き やがて
 とまどい うずくまる――
 意志よりも重い意志が
 遮断機よりも無表情に
 だまって断ちおとした未来
 その赤ちゃけた切口に
 たとえばどんな
 決断の光栄があるか
 またたくまに
 風となった意志
 たんぽぽを抜き
 おれは踵[くびす]をめぐらそう
 もはやおれを防ぐものはなく
 おれが防ぐものが
 あるばかりだ
 そこに立ちどまって
 みせるな
 カンテラよりも
 おろかなやつでさえ
 おれを笑うことを知っている
 重たく蹴おとした意志の
 むこうにあるものはいつも
 明るく透明であるほかに
 なんのすべをも知らぬ
 能なしの夜明けだけだ
 (37~38; 「絶壁より」; 『サンチョ・パンサの帰郷』)


 一〇時半起床。睡眠時間は八時間。悪くはないが、もう少し早く起きられたはずだとも思う。上階に行き、洗面所で顔を洗って、整髪スプレーを後頭部に振り掛けて手櫛で寝癖を押さえておくと、台所に出て冷蔵庫を開けた。前夜の残り物――豚汁と鰆か何かの煮魚――があったのでそれらを取り出し、それぞれ火に掛けたり電子レンジに入れたりして温めた。そうして食卓に就き、食事を始めながら新聞に目を落とす。一面には日韓外相会談の模様が伝えられていた。国際面からはインド関連の記事を読んだ。インドでは未だカースト制度が根強く残存しており、身分を跨いだ結婚などは歓迎されない傾向にあると言う。上層の国民のなかには、カーストはインドの秩序を保つのに必要な制度だとの意見も見られるとのことだった。
 食事を終えて抗鬱薬を飲み、台所で食器を洗うとそのままいつも通り風呂に行った。ブラシを上下に動かしてごしごしと浴槽の壁を洗い、出てくると下階に下りた。この日は昨日に比べると肉体の重さはましだが、それでもやはりすぐに日記に取り掛かる気力が湧かなかった。それなので例によってベッドに寝転びながら書見をすることにして、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』を持って寝床に移った。そうしてこれも例によって、読んでいるうちに姿勢が水平に崩れていって、いつの間にか眠りのなかに入っていた。また時間を無駄にしてしまったわけだ。二時前までそうして過ごしてから、食事を取りに上階に行った。上がって行くと母親が、ブロックを動かすのを手伝ってくれと言う。何のことかよくわからなかったが了承しておき、食事にはピザがあると言うので、冷蔵庫からそれを取り出して、二切れをアルミホイルに載せてオーブン・トースターに入れた。そのほか、やはり前夜の残り物であるポテトサラダとゆで卵である。サラダや卵を食っているあいだにピザが焼けたので、それも持ってきて、廉価なものではあるが香ばしくチーズの溶けた料理にかぶりついた。食べてしまうと、台所で父親の飲んだ炭酸水のペットボトル二つから包装を剝ぎ、それではブロックとやらを運ぼうかと言いながらクロックスを突っかけて玄関を抜け、まず物置きにペットボトルを置いておいた。そうして母親を待ったが、出てきた母親はまず家の前に出ていたバイク――動かなくなったので先ほど馴染みの自転車屋に来てもらってバッテリーを取り替えたらしい――に乗りだした。後ろに乗せてやろうかと言いながら笑うが、こちらは断って先に家の横に向かうと、母親は試運転をすると言ってちょっとそのへんを走りに出て行った。こちらが山積みになった軍手のなかから比較的綺麗なものを取り分けて手につけていると彼女は戻ってきたので、バイクを所定の位置に収めるのを手伝った。それから、元々隣家のあった敷地に積まれているコンクリート・ブロックを移動させに掛かった。これはどこから来たものなのかと訊いても、母親にもわからないと言う。父親がどこかから引っ張り出してきたものなのだろう。それがここに置いてあると、隣家の人が土地を見に来た時など、我が家のものがその敷地に置いてあって決まりが悪いから移動させるのだと言った。それで、ほとんど離れていないが近くの草が茂っているあたりに木組みの台を置き、その上にコンクリート・ブロックを並べて載せていった。それが終わると今度は何に使ったのか良くわからない木材の断片なども移動させた。終えると母親が、お父さんが草を刈ったから下を見てみなと言うので、家の南側に足を進める。草は確かに旺盛に繁茂しているなとこちらも思っていたのだったが、先日の火曜日の休みの時に父親がそれを刈ったらしく、畑の周りはいくらか軽い装いになっていた。今は父親が何も言わずともそれをやってくれるから良いが、彼が動けなくなったりした時に、こちらや母親が独力でやらなければいけなくなることを考えると、途方に暮れる。それから母親は、家の南側の壁の前にネットが張られているのだが、そこに伸びて来ている朝顔に注意を促した。誰かから貰った八重咲きの珍しいものだと言い、確かに細かな花弁が集合しているようだった。その花の近くに小さなバッタが止まっていたので、軍手を嵌めた手でもって掴もうとしてみたが、バッタは飛び跳ねて逃げてしまうのだった。
 室内に戻ってくると冷蔵庫から冷やされた水を取り出し、一杯コップに汲んで飲むと下階に戻った。そうして自室に入り、日記を書かねばなるまいと決意を固めてコンピューターの前に就き、キーボードを打ちはじめた。前日の記事は数文足しただけですぐに終わったが、出来ればあとでまた書物の感想を記したいところだ。それからこの日の記事をここまで綴って三時を越えた。
 歯磨きをしながらMさんのブログにアクセスし、読みはじめたのだが、階段下の室にいた母親が呼んで、いくらも読まないうちにコンピューターの前を離れることになった。パソコンがうまく起動しないのだと言う。それでその後、服を着替えたりしながら、強制的にシャットダウンしたり、セーフモードで起動させてみたりと試したが、マウスの電池が切れたのかポインターがまったく動かなくなったこともあり、根本的な解決はなされなかった。そうこうしているうちに、Mさんのブログを一日分も読むことが出来ないまま、出勤の時間が迫ったのでコンピューターをスリープ・モードに移行して部屋を出た。
 時刻は三時半直前だった。母親がまた送っていってくれることになっていた。それで彼女の支度を待ちながらソファに座って手帳に目を落とした。しばらくすると出発することになったので、手帳をクラッチバッグに仕舞い、玄関に行って靴を履いた。そうして外に出て、母親の車の脇に立って彼女が車を出してくれるのを待つ。そのあいだ、隣のTさんの宅に生えた百日紅の、枝先を楚々と彩る薄紅色に目を寄せていた。
 車に乗るとAir Supplyが掛かっており、透明感のある男性の歌声が、I can live forever if you say you'll be there, tooなどと歌っている。母親はバイクを整備しに来てくれた自転車屋の老人の話をした。胃にポリープか何か見つかって、何か月かに一度だか検査に行っているのだと言う。それに答えて母親も、色々なところが痛くって、言わないだけでもうがたが来ているんだよ、とか話したということだった。駅前ロータリーに入ってバスを待っている人々の群れを見た母親は、本当、中高年ばっかりだね、と言い、まあ人のこと言えないけど、自分も中高年だからと漏らした。職場のすぐ脇に停めてもらい、礼を言って降りた。
 職場に入って座席表を見ると、前日、今日は二コマの勤務で良いですかと言われて了承したはずが、一コマのままになっていた。さらに、室長のデスクの上にある翌日の座席表を見てみても、一コマ勤務のはずが二コマの仕事になっていた。今日は室長が不在だったので真意がわからない。それで準備中、(……)先生に話しかけて、こういう訳だが何も聞いていないですよねと確認すると、予想通り特に何も聞いていないとのことだった。まあ別に大丈夫なんで、良いんですけどねと笑っていると、でも一応メールを送ってみてくれと言われたので、さっと文を作成し、室長に送りつけた。室長からはのちのちこちらの携帯に直接連絡があって、すみません、よろしくお願いしますとの返答だった。
 そういうわけで今日は一コマのみの勤務となった。相手は二人、(……)くん(中一・英語)と、(……)さん(中三・国語)。特段の問題はない。(……)くんは夏期講習用のテキストを忘れてきていたので、学校準拠のワークを使って、予習をすることにした。そろそろ夏休みも終わりで学校の開始が近いので丁度良いと言えば丁度良かった。今日扱ったのは、How much ~?の表現などである。彼は授業中の取り組み方は特別問題ないと思うのだが、宿題や単語テストの勉強をして来ないのがちょっと気になる。(……)さんは物語文の読解。人物の心情について何点か問い、それについてノートに記してもらった。授業中にはまたクッキーを配った。
 そうして退勤した。屋内にいるあいだに激しめの雨が通って町は上から下まで水に塗れていた。少し前から、久しぶりにモスバーガーを食べたいような気持ちが湧いていなくもない。駅前に店があるのだ。あるいはまた、コンビニでポテトチップスでも買って帰りたいような気もしており、寄り道の誘惑を感じながらも、最終的には何だか面倒臭いというわけでモスバーガーの前は素通りし、コンビニの方には行かないでまっすぐ駅に入る。改札を抜けて通路を行っていると、前から(……)先生がやって来て、こちらを認めた彼女は「あ」の形に口をひらきながら驚き顔でイヤフォンを外した。お疲れさまですと挨拶を交わして過ぎ、階段を上ってホームに出ると自販機に寄って財布を取り出し、一三〇円分の硬貨四枚を機械に挿入して、二八〇ミリリットルのコカ・コーラを買った。わざわざ硬貨を出さずとも、SUICAを使って購入した方が簡便なのだが、何故かどうもそうする気にならない。
 そうして木製のベンチに就くと、クラッチバッグから手帳を取り出してひらき、黒々と深い色の炭酸飲料を空の胃に流し込みながら記されてある文字を追った。書かれてあることを一項目ずつ、目を閉じて頭のなかで再生できるようになるまで繰り返し読んでいった。待ち時間は三〇分ほどあったと思うが、そうしているうちに時間は支障なく流れ、奥多摩行きが到着すると車内に移って脚を組み、同じことを続けた。プリーモ・レーヴィ『溺れるものと救われるもの』から引いた情報などを復習して、到着を待ち、最寄り駅に着くと降りてホームを辿った。空は宵闇のなかに冷めた青さで暮れきって、その色に包まれて雲がどす黒く魚影のように蟠っていた。雨は止んでいたが、横断歩道を渡って坂道に入ると、路面は全面、木の下までじめじめと濡れそぼっており、天蓋が閉じたその下を通っていくと枝葉から落ちる雫の音があたりに響いて、まだ雨が降り続いているかのようになり、実際頭や肩口にぽたぽたと落ちるものがあって濡れるのだった。樹冠の方では蟬の声が泡立っていた。
 帰宅するとワイシャツを脱いで丸め、洗面所の籠のなかに入れておき、自室に帰った。服を脱いで肌着とパンツの姿になると、出かける前に読んでいたMさんのブログの続きを読んだ。八月一〇日と八月一一日の記事である。「弟が広島で引いたおみくじを見せてくれたのだが、「吉凶未分」という結果で、こんなものを見たのは初めてである。まだ「ことのはじめ」の段階であるので、今後吉と出るか凶と出るかわからないみたいな趣旨の文章が、ひらがなオンリーの古文めいた文体で書き記されていたのに、すでに十年も穀潰しをやっているにもかかわらずまだ「ことのはじめ」かよと、母とそろって爆笑した」との記述に、こちらも爆笑した。同じ一一日の記事の終いにある、「「K」は伊勢にあるセブンイレブンの店長をしているという話をMちゃんから聞いたことがあったのでそれをTに伝えた上で、でもあいつ副業もしとるからなと続けると、なにやっとんの? と当然はTはいう。そこで、いやアゴの中でセミの幼虫飼っとんねん、幼虫が成虫になるまでの七年アゴの中で育ててとる、今年はちょうど脱皮する年やからまたあたらしい幼虫仕入れやなあかん、ほやしセブンで雇っとるバイトの子らにたのんで山の中でセミの幼虫探させとるわ、などとクソくだらないことをいって、おたがい腹が痛くなるほどゲラゲラ笑うのだが、こうして書いてみると全然おもしろくない、しかし夜中のテンションということもあってわれわれはこういういちいちに死ぬほど、本当に死ぬほど笑うのだった」という馬鹿馬鹿しい発言にも同じく笑った。
 それから続けて、Sさんのブログも、七月序盤のものを三日分読んだ。「ふだんコーヒーをそれほど飲むわけではないが、図書館の帰り道にある喫茶店にはよく立寄る。日々の生活において、きちんと淹れてあるコーヒーを飲む機会はその店を訪れたときだけだ。注文はいつもその日のサービス価格になっているレギュラーコーヒーをお願いする。今日はバリ・アラビカという豆。飲んでみたら、これが実に美味しい。美味しいコーヒーを飲んだとき特有の、深みとさっぱりが絶妙に交じり合って体内の鼻腔口腔を抜けて脳内にまで駆け上がってくる快楽に浸りながら、はーっと力が抜けてうっとりする。覚醒的だが刺激によって目覚めさせるのではなく倦怠感や疲労感そのものを中和させてしまっているような感じがする。美味い酒もそうだが、美味いコーヒーも飲みながら本を読んだりスマホを見たりできず、それを飲むことしかできなくなる」との記述があった。端正である。俺はコーヒーを飲んでも、いやそればかりでなく何か美味い飯を食っても、こんな風に感じ、陶酔したり、こんな風に文章化したりすることは絶対に出来ないぞと思った。三〇を目前にしてもコーヒーも酒も飲みつけないお子様のこちらであるが――一応、パニック障害だったという理由があるにはあるのだが――、それで損をしているような気持ちになるようなことがないでもない。酒もコーヒーも非常にバラエティ豊かで奥が深いものなのだろうから――と言うか食文化全般がそうであるに違いないのだが――、それをいくらかでもわかった方が人生が豊かになるのではないか、と思わないでもないのだ。と、そうは言いながらも、しかしそれでは実際に酒やコーヒーを嗜む習慣を自分が身につけるかと言ったら、そんな自分の姿も想像できないのだが。結局のところ、そこまでの興味や欲望はないということなのだろう。スーパーで三袋ワンセットで売っている安っぽいうどんを、玉ねぎと卵と一緒に煮込んで食えば満足できる廉価な舌の主である。
 他人のブログを読み終えると食事を取りに上階に行った。メニューは白米に焼き茄子、豚肉と胡瓜を和えたサラダにエノキダケのスープ。テレビはおよそどうでも良いような番組をやっていたので、興味を引かれずあまり目も向けなかった。それでは代わりに新聞を読むかと言ってそういうわけでもない。テレビが掛かっていては文に集中することも出来ない。それで、タブレットを弄っている母親と向かい合いながら、大して発言もせず黙々とものを口に運んだ。茄子がとろけるように柔らかくて美味だった。
 ものを食べ終えると薬を服用し、台所で食器をさっさと洗って風呂に行った。上がってくるとパンツ一丁で自室に戻り、扇風機の風を背後から浴びながら日記を書きはじめたのが八時一一分だった。Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』を流してみると、一曲目の、ボロディン弦楽四重奏第二番第一楽章が非常に優美で素晴らしかったので、この音源をCD-Rに焼いてプレゼントしてくれたT田にその旨LINEで送った。そうしてやり取りを交わしながらこの日の日記を進めて、現在は九時半前に至っている。音楽はその後、Fabian Almazan『Rhizome』に繋げている。
 その後、T田とLINEで会話しながら前日の記事を作成して、一一時に至った。ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』の感想とも分析ともつかない文章を綴るのに時間が掛かったのだった。それを含んだ前日の記事をインターネットに投稿すると、今度はヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』の書抜きを始めた。二箇所を抜いてこの本の書抜きは終了、それからまた零時頃までT田とやりとりを交わした。八月三〇日は元々レコーディング・スタジオに入る予定だったところが、デング熱に掛かったT谷の都合などで日にちをずらすことになった。T田とTはそれでも独自に集まるらしいので、こちらもその会合に参加しようかと思っており、その旨伝えたところ、良いんじゃないかとの返答があった。それでTにも了承を求めるメッセージを送っておき、それからプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』のメモを手帳に取りはじめたのだったが、文字を記していたはずがいつの間にかコンピューターをひらいて自分の日記を読み返したりしている有り様である。それで無駄な時間を使いながら一時まで作業を進めたあと、コンピューターを閉じ、ベッドに移って読書を始めた。栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。そうして二時半直前まで読んで就床した。

 プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』。レーヴィは入所後一週間で、身体を綺麗に保っておく気力を失ってしまった。そうした彼に対して、シュタインラウフという規律正しい元軍人の友人が投げかけた言葉が引かれている。

 今も心が痛むのだが、私は彼の正しく明快な言葉を忘れてしまった。第一次世界大戦の鉄十字章受勲者、オーストリア・ハンガリー帝国軍の元軍曹、シュタインラウフの言葉づかいを忘れてしまった。私の心は痛む。なぜなら、良き兵士がおぼつかないイタリア語で語ってくれた明快な演説を、私の半信半疑の言葉に翻訳しなければならないからだ。だが当時もその後も、その演説の内容は忘れなかった。こんな具合だった。ラーゲルとは人間を動物に変える巨大な機械だ。だからこそ、我々は動物になってはいけない。ここでも生きのびることはできる、だから生きのびる意志を持たねばならない。証拠を持ち帰り、語るためだ。そして生きのびるには、少なくとも文明の形式、枠組、残骸だけでも残すことが大切だ。我々は奴隷で、いかなる権利も奪われ、意のままに危害を加えられ、確実な死にさらされている。だがそれでも一つだけ能力が残っている。だから全力を尽くしてそれを守らねばならない。なぜなら最後のものだからだ。それはつまり同意を拒否する能力のことだ。そこで、我々はもちろん石けんがなく、水がよごれていても、顔を洗い、上着でぬぐわねばならない。また規則に従うためではなく、人間固有の特質と尊厳を守るために、靴に墨を塗らねばならない。そして木靴を引きずるのではなく、体をまっすぐ伸ばして歩かねばならない。プロシア流の規律に敬意を表するのではなく、生き続けるため、死の意志に屈しないためだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、46~47)

 収容所の劣悪な環境に敗北しまいと努力するシュタインラウフの不屈の抵抗心は感銘を与えるものだ。しかし、この演説はレーヴィの耳には「ひどく奇妙に響いた」と言う。シュタインラウフの思想は彼を納得させず、むしろ彼に違和感を与え、レーヴィにとって理解できたのはその一部分だけだった。「シュタインラウフの賢さと徳性は、確かに彼にとっては良いものだ。しかし私には十分とはいえない」。レーヴィの考えは混乱をきたしており、彼は生き延びるために確実に依拠すべき明快な原則を打ち立てられずにいる。そもそも絶滅収容所という「錯綜した死者の世界」のただなかで、そのような明確な原則を確固として成立させることが本当に出来るのか、成立させられたとしてそれが本当に上手く機能するのか、という根本的な問題点にレーヴィの疑念は向かうのだ。「ある思想体系を練り上げ実行することが本当に必要なのだろうか? 思想体系を持たないという自覚を得ることのほうが、ずっと有益ではないだろうか?」という疑問の言葉で、この「通過儀礼」という章は締め括られている。確かに、自らの存在を支える足場として固く保たれていたはずの原則が、圧倒的な暴力によって絶えず掘り崩され、無化されてしまうのがラーゲルという環境の忌まわしい力ではないだろうか。
 そこにおいてレーヴィの支えとなったものがもしあったとするならば、それは常にその正当性を毀損される恐れに直面し続ける一般的な原理原則ではなくて、文学という人類の歴史的遺産に媒介された個々の具体的な「体験」だったのではないか、とこちらは考えたいと思う。以前引用した部分だが、例えばそれは「オデュッセウスの歌」の章に描かれているもので、過去の文学作品が現在の彼の状況と不意打ちのようにして接続され、他者との深く真摯なコミュニケーションを引き起こすような体験である。レーヴィはそこから何か自分に役立つような一般的な「思想」を導き出そうとはしない。しかし、「オデュッセウスの歌」の章におけるダンテ『神曲』を仲介役としたピコロとの交わりは、この作品のなかでも最も感動的なハイライトと目されるべき場面であり、収容所の非人間的な環境のなかでも失われないこの上なく人間的な輝きを皓々と放っている。
 聖書との関わりについても、それは同様である。レーヴィや仲間の囚人たちは、夜、互いに自らの身の上話を語り合う。それらは、「みな聖書の物語のように簡潔で分かりにくい。だがこうした話が集まれば、新しい聖書の物語になるのではないだろうか?」(80) この文章に註を付けてレーヴィは、「著者は、かつての迫害と、今日の、いまだかつてなかった、最も血なまぐさい迫害との間に、悲劇的な連続性を見て取っている」(265)と述べている。同様に、別の註では、「昔の聖書につながるような「新しい聖書」の状態が生起したことに、著者や仲間たちは、束の間だが、大きな慰めを得た」(266)と述懐されている。自分たちの苦難が過去の書物のなかに既に記されているという歴史的接続性、文学という人類の伝統のなかに生きているという意識がレーヴィを支えていたのだ。このように、文学作品が体験的に光を放つ瞬間を知っていたという意味で、レーヴィは紛れもなく文学者であり、小説家だった――いや、と言うよりはむしろ、収容所におけるこのような「輝き」の体験を通して、レーヴィは文学者に、小説家になった[﹅3]とおそらくは言えるのだろう。
 シュタインラウフの「思想」は彼の「戦い」の根幹である。彼にとって汚れ水で身体を洗うことは、生存を賭けた闘争であり、収容所という死の環境に対する真っ向からの反抗である。しかし、レーヴィの「文学的体験」はそれとは趣をいくらか異にしているように思われる。それは、正面からぶつかり合う「反抗」の手段となるものではなくて、横から、あるいは斜めから射し入る光芒のようにして、レーヴィの生に不意に闖入してきて彼の存在を、人間性を根底から下支えするようなものだった。前にも記したように、そうした体験が生じたからと言って、別に何か状況が変わっているわけではない。事態が一つでも良くなっているわけではない。しかし文学は、勝者と敗者を決定せずにはいられない「戦い」の論理とは違った回路でもって、それとは違った次元において、人間の生を力強く肯定するものである。レーヴィの記述はそうしたことを告げているように思われる。
 「思想」を闘争の武器としたシュタインラウフと、文学によって自己のアイデンティティを回復したレーヴィとのあいだにも、一つの共通点がある。収容所における自らの体験を、外の世界[﹅4]に持ち帰り、他人に語らなければならないと決意していることである。シュタインラウフは、生き延びねばならないのは、「証拠を持ち帰り、語るためだ」と断言している。レーヴィもまた、この著作の序文において、「「他人」に語りたい、「他人」に知らせたいというこの欲求は、解放の前も、解放の後も、生きるための必要事項をないがしろにさせんばかりに激しく、私たちの心の中で燃えていた」(6)と述べている。アウシュヴィッツの絶望的な状況のなかでも彼らがそうした人間的な欲求を失わず、反対に激しく燃え立たせ、おそらくは使命感と呼ぶべき感情にまで高めたであろうこと、そしてそれが『これが人間か』というテクストの形で実際に具現化されたという現実には、一抹の救いのようなものを見る思いがする。


・作文
 14:35 - 15:02 = 27分
 20:11 - 22:57 = 2時間46分
 計: 3時間13分

・読書
 11:36 - 13:58 = (1時間半引いて)52分
 15:10 - 15:21 = 11分
 19:06 - 19:26 = 20分
 23:20 - 23:38 = 18分
 24:08 - 25:03 = 55分
 25:18 - 26:27 = 1時間9分
 計: 2時間45分

  • 栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』: 65 - 90
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-08-10「神殿の落書きも千年後には装飾となる歴史の粗忽」; 2019-08-11「言霊を耳飾りとする子らのささやき声はかくも美し」
  • 「at-oyr」: 2019-07-06「バリ・アラビカ」; 2019-07-07「バンド」; 2019-07-08「暫定」
  • ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、書抜き
  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』、メモ

・睡眠
 2:30 - 10:30 = 8時間

・音楽

  • FISHMANS『Oh! Mountain』
  • Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』
  • Fabian Almazan『Rhizome』
  • Pablo Casals『A Concert At The White House』