2019/8/31, Sat.

 宇野 この問題を考える際、先ほどの小野塚先生の力の問題というところから入るのがわかりやすいかなと思います。私は政治学が専門ですが、入門的な政治学の講義の初回に言うのは、いつも暴力と権力はどう違うかということです。基本的な発想として、暴力(フォース)というのはむき出しの物理的な力です。これに対して、権力(パワー)というのはどう違うのか。確かに強い人間がいて、弱い人間をグイッと抑えつければ、その瞬間は服従させることができるでしょう。しかし、それでは安定した秩序は作れません。秩序を一定の期間以上維持しようとすれば、いくら力のある人間でも、すべての人を強制することはできないわけです。すべての人を力ずくによって抑えることができない以上、秩序を維持するためには、むき出しの暴力以上の存在が必要です。それが正当性(レジティマシー)の問題です。
 むき出しの暴力と、いわゆる政治権力はどう違うかという、そこに正当性の問題が加わるかどうかです。
 中島 丸山眞男的ですね。
 宇野 丸山だけではなくて、政治学の教科書には必ずそう書いてあります。言語を通じて人を説得するというプロセスがない限り、むき出しの暴力だけでは政治の秩序は作れない。そこにどうしても正当性、すなわち相手に納得した上で服従してもらうという側面が出てくる。すべての場合に力で強制していたら、そんな非効率的な政治権力は、とてもじゃないけど続きやしない。
 中島 コストが高すぎますね。
 宇野 高すぎます。すべてを暴力でやるのはとても無理なわけであって、人々がこれに従うのが正しいのだと思わせてこそ、初めて政治権力というのは維持されるわけです。そこに何らかの正当性が加わらなければならない。そして、その正当性を生み出すのは言語です。政治学では必ずそういう話から始めます。
 小野塚 それは要するに、権力というふうにおっしゃっているけれど、権威的支配と言っているのと同じことですか。人々から権威を調達しているんだ、と。それが一番安定的な支配の在り方だよ、と。
 宇野 権力(パワー)と権威(オーソリティ)の違いというのも、これまた政治学の始めでやるんですけれども、ある意味で言うと、権力というのは、最終的には暴力に支えられています。先ほど述べたように、権力は暴力にプラスして正当性が加わるわけですが、いずれにせよ、必ず暴力というのを内包している。これに対して権威は、暴力を行使した瞬間、失われてしまいます。つまり、宗教が最たるものでしょうけれども、「お前、信じろ」と言って強制した瞬間、もはやそれは権威を失ってしまうわけです。権威というのは暴力を行使してはいけない。
 小野塚 思わず信じたくなるようにならなきゃいけないわけですよね。
 宇野 したがって、最終的に暴力に担保されなくても、人々におのずと従わせる何かを持っているものが権威であって、その点で最終的には物理的暴力に支えられている権力とは違います。このことを、政治学の講義の最初で説明するわけです。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、47~49; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)

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 宇野 ただ、面白いなと思うのは、先ほどのポスト・トゥルースじゃないですけれど、アーレントが政治と真理という問題について、深く考察している点です。政治というのは意見(ドクサ)の世界のものです。これに対して、真理は哲学、学知(エピステーメー)の世界のものであって、両者は本来相反すると彼女は言います。つまり、政治の世界というのは必ずしも一つの真理が支配するものではありません。人々の意見というのは多様で、どれか一つだけが絶対的に正しいわけではない。むしろ複数の声が響き合うことが政治の領域を形成するのだとアーレントは言います。これに対し、唯一の真理が絶対的に支配するのは反政治的なわけです。
 これはもちろんプラトン的な、哲人王の批判であり、それこそ20世紀における、ある種の真理を独占する前衛党に対する批判にまで及ぶものです。彼女はやはり、意見の世界こそが政治のすまう世界だと言います。ただ、その上でアーレントの議論が興味深いのは、みんな意見があるとすれば、とにかく言った者勝ちで、それこそ今のポスト・トゥルースでもいいのではないかということになりそうですが、それもいけないと言っていることです。
 アーレントは単一の真理が支配してはいけないという一方で、この世の中には事実というものがあって、その事実を否定することはあってはならないと主張します。たとえば、ある人が存在したのに、それをもともと存在しなかったと言い張ることは、事実の否定です。事実は時間の中で確定してきたものであり、その実在こそが世界のリアリティを作っている。これを全部否定してしまって、言葉で何とでもなるとした瞬間、政治は自壊するというのです。
 (50~51; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)


 八時台を迎えて覚醒した。隣の部屋ではT田も既に起きていたようで、まもなく薄青いシャツと白のハーフ・パンツを着込んだ姿が戸口に現れた。こちらはベッドに寝そべったまま彼の挨拶を受け、部屋に入ってきたT田が、何か文芸的な本を、と言うので一旦起き上がり、文芸的な本……と困惑しつつしばらく考えたあと、まあ宮沢賢治あたりで良いんじゃないかと言ってちくま文庫の『宮沢賢治全集1』を積み本の上から取って差し出した。そうしてこちらはベッドに戻り、まだ眠いと漏らして横になり、T田が静かに黙って宮沢賢治を読んでいるあいだしばらくごろごろとしていた。九時に至ると、それでは飯を食いに行くかというわけで起き上がり、部屋を抜けて階段を上がった。母親に挨拶し、洗面所でそれぞれ顔を洗ったあと、台所で料理を前にした。ガーリック・ライスとかいう代物があった。余った米をガーリック風味に炒めたものらしい。それを二皿、電子レンジに収めて温め、そのほか野菜のスープを火に掛けて、二人分よそった。さらにパックに入ったトマトやモヤシなどのサラダを卓に運び、取り皿も二つ持ってきて、そうして食事を始めた。食事中は台所に立った母親がお喋りを発揮してカウンター越しにT田に色々と話しかけ、質問を送っていたが、その詳細については特別覚えていない。
 食べ終えると使った食器を台所に運び、洗い物は母親に任せて二人で自室に帰った。T田が、彼がCD-Rに焼いてこちらにくれたフォーレ弦楽四重奏を聞こうと言うので、プレイヤーからQuatuor Parrenin『Faure: Integrale Musique de Chambre』(Disc 5)を流した。音楽を流しながら同時にアクセスしたウィキペディアの記事によると、一九二四年に作られたこの弦楽四重奏曲フォーレの最後の作品であるそうだ。ウィキペディア記事には哲学者のジャンケレヴィッチの評言などが引かれていて、そこでジャンケレヴィッチがフォーレについての著作をものしていることを初めて知ったのだったが、こちら個人の聴取によると、旋律や和音の構成に深淵そうな、内省的な感触があり、なかなか掴みどころがなく雲のように曖昧だと感じられた。そうした色合いがドビュッシーなんかと似ているのではないかと思われて――と言って、ドビュッシーなどほとんどまったく聞いたことがないので、単なる素人の不正確なイメージに過ぎないのだが――、T田に、これは印象派的というものなのかと尋ねると、印象派とはちょっと違うだろうなという答えがあった。フォーレは世代としてはドビュッシーの一世代あるいは二世代ほど前の作曲家なのだと言う。それでやはり一九世紀的な一種の堅苦しさが残っているが、時折り、先進的な和音の使い方などがあったりして、そのあたりは二〇世紀の次の世代の音楽を思わせるというのがT田の評価だった。三楽章すべてを聞いてみて、最後の第三楽章にはまだしもわかりやすいメロディーもあったが、全体的にはなかなか一筋縄ではいかなさそうな音楽だと思われた。
 それから次に、クラシック寄りのジャズを聞いてみようというわけで、Fabian Almazan『Rhizome』の第一曲 "Rhizome" を流した。優美で整然とした弦楽が織り込まれている楽曲で、改めて耳を傾けてじっと聞いてみるとやはり素晴らしかった。T田もこれは素晴らしいとの評価を下してくれたが、こちらがよりお勧めしたかったのは次の二曲目、"Jambo"だったので、そのままアルバムを変えずに音楽を続け、少々不安感を煽るような動機の繰り返しと、静と動との対比が巧みな二曲目にも耳を寄せた。終わったあとに音源を送ろうかと言うと肯定の返事があったので、その場で音楽データの入っているフォルダをひらき、ZIPファイルに圧縮してLINE上にアップロードしておいた。T田がこの人、ショスタコーヴィチとか好きだろうなと漏らしたので、ファースト・アルバム『Personalities』の冒頭が確かショスタコーヴィチの曲のアレンジだったはずだと思い出し、それも次に流した。少々電子めいた音も混ぜて、破壊的な展開を演出した音源である。それを聞いたあと、次に前夜話題に出たRobert Glasperを聞いてみようというわけで、『Black Radio』から"Afro Blue feat. Erykah Badu"を掛けた。久しぶりに聞いたが、リズムがさすがの正確さ及びタイトさで、非常に質が高く、T田も聞き終えたあと、ドラムが滅茶苦茶上手いなと感嘆していた。このアルバムのこの音源のドラムはChris Daveだっただろうか? それともほかのプレイヤーだっただろうか? と疑問に思ったが、今ウィキペディア記事を調べてみたところ、このアルバムはまだ全篇Chris Daveがドラムを叩いているようだ。
 続いてちょっと毛色を変えて、ラテン方面のものを掛けるかというわけで、Ryan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』より最終曲の"Madalena"を流した。これは元々確かElis Reginaが歌っていた曲のカバーで、作曲者はIvan Linsだったような気がするのだが、記憶が朧気なので間違っているかもしれない。この音源もJorge RoederとEric Doobによるリズムが細かく動いて通り一遍でなく、凄まじい躍動感を生み出している好演である。そうして次に、Brad Mehldauのソロピアノがやはりとても素晴らしいぞというわけで、『Live In Tokyo』から"From This Moment On"を流した。この曲の演奏は本当に凄まじい。T田も終わったあと、気違いだなと漏らしていたので、まあやはり天才だろうな、三〇年に一人くらいのレベルではないかとこちらも応じた。今まで聞いたなかで何か欲しい音源はあるかと尋ねると、それでは今聞いたBrad Mehldauをとの返答があったので、ディスク一とディスク二を揃ってふたたび圧縮し、これもLINEに上げておいた。そして最後に、John Coltraneはどのくらい天才なのかとT田が尋ねるので、まあ彼は天才というよりは努力の人だからなとこちらは答え、その努力ぶりを示すためにMiles Davisの『Relaxin'』の"If I Were Bell"での演奏と、『Giant Steps』のタイトル曲と、『My Favorite Things』の同じく表題曲とを搔い摘んで流した。五六年、五九年、六一年――のつもりだったが、今調べてみると、『My Favorite Things』の録音は六〇年の一〇月だった――という順番である。五六年のまだ訥々として、もごもごと不鮮明に喋っているような演奏から、僅か三年で"Giant Steps"の饒舌さに至るのも凄いが、そこからさらに一年半経った"My Favorite Things"の時点では、いわゆるシーツ・オブ・サウンドがもう出来上がっている。五六年から僅か四、五年で人間はここまで来ることが出来るのだと、John Coltraneを聞く時はいつもそういうことを考え、彼がこなしたであろうとてつもない努力の跡をそこに辿るような思いがする。
 Coltraneを流している最中に、母親が氷の入れたカルピスを一杯ずつ、盆に乗せて持ってきた。お昼も食べていけばと言うのだが、T田はそろそろ発たねばならなかった。元々、一一時二分の電車で発つつもりが、聞かせたい音楽がまだまだあるということで次の三二分に遅らせてもらっていたのだ。しかし母親が青梅まで送っていこうかと言うので、そうしてもらうことにして、カルピスを飲み干すと部屋を出た。上階に上がり、テーブルに就いていた母親にもう行けると訊くと、肯定が返ったので、それでは行こうと言って玄関を抜けた。こちらは肌着のシャツにハーフ・パンツという部屋着のままだった。T田はトイレに入っていた父親に対して、また母親にも対していたと思うが、お邪魔しましたと礼を言っていた。そうして階段を下りて家の前に出ると、液体的な陽射しが肌に染み込んで暑い。母親に車を出してもらい、後部座席に二人並んで腰掛けて、出発した。
 青梅駅まではさして時間は掛からない。市街を走っていき、駅前の電話ボックスの付近に到着すると、車を降りた。そうして駅舎の入り口をくぐり、改札の前に立って、T田にありがとうと告げ、手を上げて、改札を抜けていく彼と別れを交わした。それから車に戻ってふたたび発車して、駅横の細道に入った。シルバー人材センターか何かが運営している小店に寄って野菜を買うつもりだと言う。まもなく通りの途中にあるその店に着き、草の生えた敷地に車は停まり、母親は降りてこちらは車内に残って目を閉じた。前日は朝の一〇時から夜の一一時近くまで、半日以上も外出していたこともあり、またそれでいて眠るのも遅くなったので、やはり結構疲れが溶けずに蟠っており、眠気があるようだった。母親はまもなく、緑色の菜っ葉の入った袋を手に戻ってきた。そうしてふたたび発車。表通りに出て西へ方向を変え、図書館へと向かう。揺られているあいだこちらはたびたび目を閉じていたが、そうすると目を開けている時よりもかえって身体に伝わる揺れがよく感じられて、気持ち悪くなりそうな感じがした。青梅図書館に着くと、母親が降りていった車のなかで一人目を閉ざして待ったが、車内に熱が籠って息苦しいようだったので、途中で扉を開けた。そうすると新鮮な風が入ってきて幾分ましになったが、じきに隣に別の車がやって来たので、扉を閉じねばならなくなった。まもなく母親は戻ってきた。そうして出発し、西へ向かって帰宅した。
 家に着いて、母親の借りた本の入った手提げ袋と菜っ葉の入った袋を持ってなかに入り、荷物を居間に置いておくとこちらは下階に下った。本を読みながら休もうと思ってベッドに移ったのだが、本をひらかないうちに眠りに落ちてしまい、結局四時まで横になり続けた。その時間になると何とか起き上がって上階に行き、素麺があると言うので遅めの食事を取ることにした。麺つゆを椀に注ぎ、水でいくらか薄めたあとから冷凍保存されていた葱を散らし、山葵も添えて卓に向かった。そのほかおかずとしては、前夜の残り物である炒めた茄子と鶏肉のソテーがあった。それらを食べ終えると、母親が料理を手伝ってくれと言うので、皿を洗ったあと、胡瓜を千切りにして水菜の浸けられた洗い桶に加えていった。さらにボウルに入った茹で鶏肉を手で千切っていき、脂っぽくなった手指を流水で洗うと、洗い桶から笊に野菜を取った。鶏肉の水気はキッチンペーパーを当てて取り、笊の野菜の方は傾けながら手で押さえて水気を絞り出して、そうしてからボウルに両方を合流させて、棒々鶏の素を掛けた。そうして菜箸で搔き混ぜて味が全体に渡ると、ラップを掛けて冷蔵庫に保存しておき、こちらは下階に帰った。
 今日と明日は非常に小規模なものだが地元の神社の祭りで、地元の人々が参加する催しに父親も加わって歌を歌うと言う。母親も、演者に花を渡す人がいないからと言われて、その役を務めてくれないかと頼まれたようで、両親は六時頃か七時頃かに出掛けていったようだ。お前も行けばと誘われたが、我が父親が下手くそな歌唱を人々の前で披露しているところなど見たくもないし、ほかの演者にしたって皆素人なのだから興味などまったくない。そういうわけで断り、部屋に戻って五時四〇分頃からふたたび読書を始めようとしたのだが、またもやいくらも読まないうちに――と言って栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』は残り三頁ほどしか残っていなかったので、読了することはしたのだが――意識を失った。気づくと八時になっていた。そこから読書ノートにメモを取り、八時半前になるとコンピューター前に移ってインターネットを回り、それから夕食を取るために階を上がった。両親はまだ帰っていなかった。薄褐色に染まった鶏釜飯、素麺の残り、棒々鶏をそれぞれ用意して卓に就き、一人黙々と、テレビの音もないなか、新聞も読まずにただものを食べた。そうして食後、皿を洗うと入浴に行き、湯のなかで身体を休めて上がってくると、下階に帰った。
 TwitterでKさん、Hさんとダイレクト・メッセージを交わしていた。主題は勿論、読書会の件についてで、やりとりの結果、課題書は牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』(岩波文庫)、日時は九月二一日の土曜日の午後二時から、場所は新宿と決まった。その後、FISHMANSCorduroy's Mood』を流しだし、"あの娘が眠ってる"など歌う一方で日記を書きはじめた。音楽は続いて同じFISHMANSの『Oh! Mountain』に繋げて、この日の日記を進めたが、ここまで書くと既に零時に至って九月に突入している。前日の記事をまだほとんど書いておらず、まずいなと言わざるを得ないのだが、しかしこれ以上コンピューターの前に腰を下ろして身体を固めながら打鍵を続ける気力がなく、ベッドに寝転がりたい欲求が湧いている。
 そういうわけで書き物は中断してベッドに移り、ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』を読みはじめたが、例によって途中で意識を曖昧に落としていたようである。一時四七分まで読んだところで本を閉じ、明かりを落として就床した。今のところ、この本に関して特段に印象深い瞬間には出会えていない。


・作文
 22:19 - 24:01 = 1時間42分

・読書
 17:43 - 20:25 = (大方眠っていたので、実質)42分
 24:07 - 25:47 = 1時間40分
 計: 2時間22分

  • 栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』: 296 - 299(読了)
  • ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 7 - 31

・睡眠
 ? - 9:00 = ?
 12:00 - 16:00 = 4時間
 計: 4時間 + ?

・音楽