2019/9/2, Mon.

 宮本 ハーバーマスなんかにとって、民主主義というのは熟議民主主義ですよね。これはやっぱり西洋独自のものだと言う。ほかの文化とか、ほかの地域ではちょっと無理なんじゃないかとは断定しないけれど、要するに、西洋的民主主義というのは西洋だけに育まれるものであると言う。やはりその主張にはギリシャの、特にソフィスト以来の連綿とした議論中心というか、議論ができるという一つの歴史的な土壌があると思います。ヨーロッパの中世でもアリストテレスのいろんなものを引きずったトマス・アクィナスも、公共善を議論で構築するという政治理論を作っていますし、そこに投票制度なんかも取り入れたりしています。
 やはりギリシャ語を見ていると、確かにおしゃべりの言語だと思うんですね。非常に論理的で、一方ではこう、他方ではこうと、二分法の分割でどんどん話が進んでいく。日本語というのは綴り方教室とかいろんなものがあっても、本来的に議論するような言語なのか。ロゴスという言葉には言語という意味と理性という意味があって、ヨーロッパでは理性と言語をパラレルにずっと連関してきたと思います。
 どこか日本語の中では、日本は日本の論理があって、儒教とか中国の影響を受けて、それなりの論理を構築してきたと思うんですが、西欧で言う民主主義的な、熟議的なことは可能なのか、ということですね。つまり、熟議をしあえる市民みたいなのが生み出されるのかという問題があるんですね。わたしが田舎に行って、いろんな村を回り、おじさんたちと話しをしていてもいわゆる世間中心の語りがほとんどでがっくりくるんです。
 宇野 重要な点をいくつもご指摘になられました。最初にまずハーバーマスについて触れると、結局ハーバーマスというのは西洋中心主義的であって、彼の理想とするコミュニケーション的理性に基づく熟議民主主義も、あくまで西洋中心的なものなのかというご指摘です。これに対し、本人はそうではないと答えると思います。コミュニケーションに参与する可能性は西洋語だけではなくて、すべての言語において開かれていて、参加することができるはずです。ハーバーマスはそう答えるでしょう。しかし、本当にそうかという問題はどうしても残ります。
 先ほどチョムスキーの話が出ました。チョムスキーの言語理論と彼の民主主義に対するコミットメントがどう関係するのかというのは、いまひとつ私も明確な考えがありません。あるいは両者はつながっているのかもしれませんし、逆にそれぞれ独立しているのかもしれません。というわけで、チョムスキーについては何も言えないのですが、思いついたのはむしろロールズです。ロールズはそれこそハーバーマスからも非常に強い影響を受けながら政治理論を展開しているわけです。
 ロールズの『正義論』で私が面白い点というのは、彼の考えている正義の二原理はあくまで論理的な演繹の産物でありながら、どこか西洋的なところがあることです。実際、平等な自由という第一原理と、公正な機会の均等の下における格差原理という第二原理について、彼は後年、『政治的リベラリズム』という本で、これは西洋の政治社会において歴史的に形成されたコンセンサスであると認めています。もちろん、『正義論』の段階においては、そうは言っていません。あの原理は別に西洋的なものではなくて、原初状態において無知のベールにかけられた人間が、ある種限定された条件の下で合理的に思考すれば、必ず行き着くはずのものだとしています。特定の西洋の言語に依存しなくても、一定の前提から論理的なプロセスを経ていけば、必ず誰もが同意できる正義の二原理に到達するはずだというのが、『正義論』の主張でした。しかし、本当にそうなのか。そこが興味深いところですね。
 (東大EMP/中島隆博編『東大エグゼクティブ・マネジメント 世界の語り方2 言語と倫理』東京大学出版会、二〇一八年、59~61; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)

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 宇野 先ほどの話の続きからそちらに持っていきたいんですけど、ロールズとかハーバーマスの思考は実は西洋的なのかもしれませんが、彼らはあくまで西洋的ではなく、むしろ普遍的に正当化できると思っているはずです。チョムスキーにしても、自らの思考を狭いアメリカ的な文脈を超えて論理化できるからこそ、それによって現実のアメリカを批判できると考えている。西洋的な歴史やその価値観と無批判に一体化するのは駄目であって、それをあくまで普遍的な論理で説明しようという願望が、西洋の知識人には非常に強いと思います。それがうまくいっているかどうかはともかくとして。
 返す刀で、日本ではどうでしょうか。一つには、ここには言葉の混乱がどうしてもあります。今、民主主義とおっしゃられたけど、デモクラシーを民主主義と訳した瞬間に、やはりずれてしまいます。つまり、主義じゃないですから。
 横山 違いますよね。
 宇野 民衆(デーモス)の力(クラトス)ですから、民衆が実際に発言して、それが力を持つという、それが正しいかどうかは別にして、そのような現実を示す言葉です。政治を決定するにあたって、少数者が決定するか、多数者が影響力を持つかという、そういう現実を説明する概念として生まれたわけであって、理想でもなければ主義でもない。
 西洋語においては、デモクラシーというのは、必ずしもずっといい意味では使われたわけではありません。ペリクレスの時代にこそ輝いたものの、その後アテナイのデモクラシーは衆愚政治に堕落し、それ以降も、トクヴィルが『アメリカのデモクラシー』を書くくらいまで、デモクラシーというと、ともかく数だけが多い、しかし貧しい人々が自分たちの利害をゴリ押しするというイメージがありました。公共の利益(レース・プブリカ)が支配する共和制がつねに良い政治体制として理解されたのに対し、単に多数者の利害が支配するデモクラシーは良くないとされたわけです。ところが、そのデモクラシーが日本語に導入されたときに、主義と訳されてしまったのです。ある種の新しい「主義」の一つと捉えられたのですね。これが単に日本だけではなく、今では、近代アジアの諸言語にも影響力を及ぼしています。難しいところですね。
 (63~65; 酒井邦嘉宇野重規・宮本久雄・小野塚知二・横山禎徳・中島隆博「言語の語り方」)


 六時台に一度目覚めたのだが、さすがに三時間の睡眠では短いと判断してふたたび眠りに入った。次に目覚めたのが何時だったかは覚えていないが、おそらく八時台のうちだったと思う。カーテンを開けて日光を取り入れ、そうすると暑いので一方で扇風機のスイッチを入れ、緩い風と光を浴びながら寝床に留まり続けた。そうして九時四〇分頃に起床し、コンピューターに近寄ってスイッチを押し、LINEやTwitterを確認した。それから上階に行き、台所で掃除機を掛けていた母親に挨拶して、洗面所に入って顔を洗った。食事は、祭りで貰ってきた揚げ物の類があると言う。母親が冷凍庫から取り出したそれを受け取り、ビニールパックのなかから大皿に全部取り出し、電子レンジに収めて三分間の加熱を設定した。そのまま台所で、冷蔵庫で冷やされた水をコップに注いで飲んでいると、母親が今日は何かあるのかと訊くので、(……)に行くと告げた。インターネットで知り合った人が(……)を散策したいと言うので付き合うのだと説明する。それから米や即席の味噌汁も用意して、卓に就いて新聞をめくりながら食事を始めた。アメリカ合衆国テキサス州で銃乱射事件があったと言う。犯人は三〇代の白人男性で、駆けつけた警察官と銃撃戦になり射殺されたとのことである。そのほか、デモ隊がふたたび空港を占拠したという香港情勢についての記事も読みながら、唐揚げや海老フライやハムなどの肉をおかずに米を食った。外は晴れており、光が空中に浸透していて、このなかで町を歩き回るのは大層暑そうだなと思われた。味噌汁も飲んでしまうとちょっと椅子に留まって休んでから水を汲んできて、抗鬱薬を飲み、そうして台所に食器を運んでいって洗い物をした。それから風呂場に行って風呂桶も洗う。昨日洗うのを忘れたので念入りに擦っておき、作業を終えて出てくると下階に戻ってきて、コンピューターの前に就いてFISHMANSCorduroy's Mood』を流しはじめた。歌を歌いながらTwitterを眺めたりする一方、今日会う(……)さんと(……)さんにSkypeで、こちらは一三時ぴったりに(……)に着くので改札の外で待ち合わせをしましょうとメッセージを送っておいた。まもなく(……)さんから少し遅れるから(……)で三人で食事をしないかとの返信が入ったので、モスバーガーか喫茶店しかないですよと答えたところ、喫茶店に行こうということになったので了承した。その後、FISHMANS『Oh! Mountain』とともに一一時から日記を書きはじめて、今日の分を先にここまで記して一一時一四分である。
 それから多分八月三〇日の記事を書き進めたのだったと思う。途中で歯磨きをして、服も着替えた。上階に行って、ボタンがそれぞれ色違いでカラフルになっている白い麻のシャツを身に纏い、下はオレンジのズボンだったか、それともガンクラブ・チェックのパンツだったかどちらだったか忘れてしまった。そうして日記の続きを進め、一二時四三分頃中断し、クラッチバッグを持って上階に上がった。母親は既に出掛けていた。引出しからハンカチを取り、玄関を抜けて出発した。空気に熱が籠っていて暑いが、林から漏れ出てくる蟬の声は確実に薄くなっていた。道を進んで行くと、(……)さんが自宅横の林のなかに登って、大きな鋏を使って草刈りをしていた。(……)さんと(……)さんの宅の合間に立った百日紅は、泡のように白い花を膨らませている。
 最寄り駅に着くとホームの先に向かい、手帳を取り出して電車を待った。乗ると、扉際に立つ。こちらの向かいの扉際には、「THRASHER」という文字の入った白いTシャツの女性が立っており、彼女はマスクをつけて顔を半分隠していたはずなのだが、そのマスクの色が何だったか忘れてしまった。黒だっただろうか? 何か特殊な色だったような気がするのだが。青梅駅に着くと降り、観光客らしき若者たちが通る横を抜けて、改札に向かった。
 改札を出たところに(……)さんと(……)さんが揃って立っており、こちらに背を向けていたので、音もなく近づいていき、彼女らが振り向いたところで挨拶をして二人とそれぞれ握手を交わした。(……)さんからは随分髪が伸びましたねと言われた。(……)さんは赤い髪留めをつけた少女の顔が大きく描かれた白いTシャツを来ており、下は何とピンク掛かったような紫色のズボンだった。やや大きめの、たっぷりとしたものである。(……)さんは青いデニムのショートスカートに、上はいくらかふわりとしたような感触の白いブラウスを身に着けていた。
 それで、事前に話していた通り、とりあえず喫茶店に行くことになった。駅前の通りにある「(……)」という店である。駅舎を出て、液体的な陽射しのなかを歩いていき、ビルの二階にある店に入る。一番奥の方のテーブル席に腰を下ろした。(……)さんがソファに座ったこちらの右隣、(……)さんはその向かいの椅子である。注文は、こちらはアイスココアを頼み、(……)さんと(……)さんはセルフドリンクサービスと、それぞれベリーと抹茶のパフェを頼んでいた。
 店内には古き良き時代のと言うか、かなり古色蒼然としたような感じのジャズが掛かっており、入口近くにはレコードを展示した棚も設えられていた。昨日は何をされていたんですかと(……)さんが訊いてきたので、目黒に行って空間展示というものを見てきたのだと言い、企画の趣旨を説明した。面白そう、という反応を(……)さんは示した。――その後、目黒のサンマルク・カフェに行ったり、(……)に移ってホームセンターに行ったり。あと、ブロードウェイに行って、(……)ってあるでしょう。――漫画とかの。――そうそう、でも普通の本も扱っていて、しかも結構良い本があって、ホロコースト関連のものがたくさんあって、また本が自己増殖してしまいましたよ。一〇冊も。
 (……)さんは今回試験監督のアルバイトに合わせて来京したのだったが、その会場というのは厚木の高校だったらしい。それで、ああ、厚木ですか、と漏らすと、知っていますかと訊かれたので、いや、マッカーサーが降り立ったところだというくらいしか知らないですけどねと笑った。大学入試における英語の試験が変わると言われて、賛否両論で世論が姦しいと思うが、その導入に向けた事前実験のようなものだったようだ。
 (……)さんは先般会った際にこちらがプレゼントした『岩田宏詩集』を読んだと言った。「モスクワの雪とエジプトの砂」が良かったと口にするので、「ショパン」のなかの一章だなとこちらは思い出し、「死んだ人は生き返らない、死んだ人は……」ですね、と受けた。あと、「この世界では 手よりも足よりも先に 心が踊りはじめる習わしだ」というような一節もありましたねと思い起こして述べた。
 この日は合わせて三回も喫茶店に入ったのだが、最初のこの喫茶店ではほかに何を話しただろうか? やはり当日、記憶が新鮮なうちに詳細にメモに取っておかないと忘れてしまうものだ。ほかには確か、ロシア旅行の話などもしたのだった。しかしそれについては大方日記に既に書いた事柄で、新たな情報はないと思うのでここでは繰り返さない。あとそうだ、(……)さんが、『岩田宏詩集』をあげたお返しに、図書カードをくれたので、これでまた本が増殖してしまうなあとこちらは笑った。先般会った際にはこちらは、ジャズを聞いてみたいという(……)さんに、Bill Evasn Trioの例の一九六一年六月二五日のライブを勧めたのだが、それはそれで大きく間違いではないとも思うものの、やはりあのアルバムはScott LaFaroの暴れぶりが初心者には決して優しくはない。(……)さんも実際、ピアノはとても綺麗だと思ったんですけど、それ以上わからなくて、と漏らし、ジャズってどう聞けば良いんですかと問うので、ジャズの基本構造はまずテーマがあって、あとはそのテーマのコード進行を繰り返すその上に乗ってアドリブが披露されるので、まずはどこからどこまでがテーマで、ワンコーラスがどれだけの長さで、というのを把握しなくてはならないのだと説明した。それで、今度また音源を紹介しますよとこちらは言ったのだったが、実際、この日帰ったあと、Thelonious Monk『Solo Monk』に収録されている"Dinah (take 2)"と、こちらはジャズではないけれど、Joni Mitchell『Blue』の冒頭、"All I Want"のリンクをSkype上に貼りつけておいたのだった。Monkはこの日行った寿司屋で、"Dinah"ではなくて"Reflections"だったか"Ruby, My Dear"だったか忘れたけれど、ともかくまあこれはおそらくMonkだろうなというピアノが流れたので思い出し、Joni Mitchellの方も、その後に行ったエクセルシオール・カフェで"All I Want"のカバーが流れたので、今日流れていたやつですと言って紹介したのだった。
 それで喫茶店をあとにしたのは三時頃だっただろうか、それとももう少し前だっただろうか。ともかく、席を立って伝票を持って入口近くのレジに行き、個別会計を頼んでこちらは四〇〇円を支払った。書き忘れていたが、給仕をしてくれ、またここで会計もしてくれた若い女性店員が、過去に塾にいた生徒のように見えたのだが、気のせいだろうか。それで店を出ると、(……)市街を少しだけ回ることにした。駅の方に戻り、東に向かう細道に入って寂れた店々のあいだを抜け、(……)の方に入って木々の下を通っていき、裏道の果てに着くと表の通りに出た。そこから通りを南に渡り、駅の方へと戻って行くのだが、我が町(……)は見るものと言ってほとんど(……)くらいのもので、それも以前よりだいぶ数が少なくなってしまったので今はもう見どころなど無きに等しい。その旨告げながら歩いていくあいだ、通りに面した店もシャッターを閉めているものが結構見られる。CDショップ「(……)」もその一つである。その前に差し掛かると、ここが「(……)」というCD屋で、中学の頃にはこちらも随分世話になって、ハードロックのCDを買い漁ったりしたものですと説明した。ハードロックを聞いていたんですかと(……)さんが問うので、こちらの音楽遍歴は、小学校六年か中学生になった頃に兄が聞いていたMr. Children及びB'zから始まったのだと話した。その後、B'zが洋楽のハードロックバンドをパクっているという情報をインターネットでキャッチして、それなら聞いてみるかというわけでAerosmithとかVan Halenとかに手を出したのが始まりだった。中学の時分は周りの連中は当然流行りのJ-POPくらいしか聞いていないから、七〇年代だの八〇年代の洋楽など聞いていたのはまあほとんどこちらくらいで――ほかには(……)という仲間も一人いたが――それがいわゆる「中二病」的な屈折した優越感をこちらに与えていたのはまあ認めるに吝かではないところだ。ジャズを聞きはじめたのはいつからなんですかと(……)さんが続けて問うたので、ジャズは大学に入ってからですねと返答した。父親が、まあ大したコレクションではないしさほど聞いていたわけでもないのだろうが、ジャズのCDをいくらか持っていて、そこから入ったのだった。
 我が(……)は昭和の雰囲気を残した町並みというものを一応売りにしていて、そんなものを売りにしたところで人は寄らないだろうとこちらは思うのだけれど、(……)とかいう施設もあって、しかしこの日は月曜日で休館のようだった。(……)とやらもあるが、このうちのどちらもこちらは地元にいながら入ったことがないし、特段の興味もない。その前を通って駅の方に戻り、(……)という町には何もないことがわかったところで、それでは(……)の書店に行きましょうと駅に入った。ホームに出て停まっていた電車のなかの、二号車の三人掛けに腰を下ろしながら、いつもここに座っているんですよとこちらは言った。席順はこちらが右端、左隣が(……)さん、その向こうが(……)さんである。
 発車してちょっと経ってから、こちらは(……)さんの青い小さなバッグあるいはポーチに付属していた飾りに目を留めて、手に取った。白と言うか透明色めいたもので、アメーバか単細胞生物のようにしか見えなかったのだが、訊けば花だと言う。Marimekkoというブランドのものらしく、(……)さんは、(……)さんはお洒落さんなんだから知ってるでしょ、と言ったのだが、初めて耳にするものだった。(……)さんはその場でスマートフォンで画像検索をし、出てきた画像を見てみると、確かに飾りと同じような形の花々のデザインが色々と見られた。フィンランドの企業らしく、青いポーチ自体もそのブランドのものだった。
 (……)さんは眠そうにしていて、いくらか目を閉じてもいたようだ。それで会話は主にこちらと(……)さんのあいだで展開された。ある時、(……)さんが、出会い厨みたいな人がいて、と突然口にした。Twitterのフォロワーに、東京に来るなら会えないだろうかとダイレクト・メッセージを送ってきた人がいると言う。それだけならまだ問題なさそうだが、普段のやりとりが特にないところに、いきなり送られてきたらしい。前回、七月に彼女が来京した際にも会えないかと送られてきたと言い、(……)さんと(……)さんと会うから駄目だと返したところ、その後連絡は絶えていたのだが、今回また来たという話だ。つまり、日常の交流がないうちに、(……)さんが来京する時期だけを狙って会いたいと送って来ているわけで、それを指して(……)さんは出会い厨みたいと言ったのだったが、確かにそれは何だか危なさそうだなとこちらも同意して、普通に色々と話して仲良くなってから会おうというならまだしも、そのステップを飛ばしていきなり会いたいというのは信頼できませんよねと言った。東京ってそういう人はいっぱいいるんですかと(……)さんは言うので、別に東京に限らないと思うが、気をつけた方が良いですよとこちらは忠告した。
 それから、その話と繋がっていたのだったか否か、(……)さんは惚れやすいという話も持ち上がった。スタバの店員にも惚れているくらいですからねとこちらが言うと、(……)さんはそういうのないんですか、喫茶店に行ってあの娘可愛いな、みたいな、と訊かれたので、そういうことはあまりないが、でもまあ可愛い女の子といちゃいちゃはしたいですよねと受けると、(……)さんは大笑いして、素直過ぎます、と突っ込んだ。しかし、大抵の男性はやはり、どちらかと言えば、もし可愛い女の子といちゃいちゃ出来るのならばいちゃいちゃしたいのではないだろうか。それはそうかもしれませんけど、そんなに素直に、と(……)さんは笑った。その後、まあいちゃいちゃは一時措いておいても、信頼し合えるパートナー的な人は欲しいような気はしますけどねと以前から折に触れて言っていることをここでも漏らすと、サルトルボーヴォワールみたいな? という反応があった。契約結婚である。まああの二人は自由恋愛ですからね、サルトルはほかの女性とも関係を持っていましたし、でも本人たちが良ければそれもまあ良いんじゃないですか、とこちらは述べた。サルトルボーヴォワールの関係については、ちょうど一年ほど前に朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』を読んでいくらか垣間見たことがある。そこでサルトルは、ボーヴォワールのほかにも女性と肉体関係を持っていながら、その詳細を当のボーヴォワール自身に手紙で書いて送っているのだ。その一方で、ボーヴォワールに対しても愛しているとか何とかたびたび睦言を差し向けていて、それを読んだ時にはさすがに、こいつデリカシーというものが欠落しているのかと言うか、端的に言ってどうかしているのではないかと思ったものだが、面白いので以下に書抜きを引いておこう。

 (……)彼女は、からだつきからもほぼわかるように、ブーブーなら「大恋愛家」とでも呼びそうな女だ。それに、ベッドでの彼女は魅力的だった。茶色の髪の女――いやむしろ黒ヘヤーの女[﹅6]と言った方がいいが――と寝るのは初めてだ。悪魔のようなプロヴァンス女、匂いに満ち、奇妙に毛深く、腰のくぼみに小さな毛並があり、からだは真っ白、ぼくよりもはるかに白いからだをしている。はじめ、この多少強烈な肉感性と、髭をよく剃っていない男のあごのようにチクチクする足は、少しぼくを驚かし、半ば嫌悪感を催させた。しかし慣れてしまうと、反対にかなり刺激的だ。彼女は、水滴のような形の尻をしていて、たるんではいないが、上よりも下の方がより重く、より広がっている。胸には小さな吹出物がいくつか(これはあなたにもよく知っているはず。栄養の悪い、あまり身だしなみに気をつけていない女子学生の小さな吹出物、それはむしろ優しい気持を誘う)。とてもきれいな足、筋肉質の、完全に平らな腹、肥満の影はひとかけらもない。全体的にみてしなやかで魅力的なからだだ。葦笛のような舌はとどまるところを知らず伸びてきて扁桃腺を愛撫し、口はジェジェのと同じくらい快い。概して、牢獄の扉のように仏頂面をした人間でも満足しうる程度の満足を得た。(……)
 (朝吹三吉・二宮フサ・海老坂武訳『女たちへの手紙 サルトル書簡集Ⅰ』人文書院、一九八五年、198~199; ボーヴォワール宛; 1938年7月14日; マルチーヌ・ブルダンの描写)

 (……)さんによると、ボーヴォワールの方もある映画監督に惚れ込んでいて、サルトルはそれに不満だったと言う。そういうような問題がありながらも、互いに愛し合ったと言うか、別れることなくずっと一緒にいて添い遂げたのだから、それはそれで尊い関係だったんじゃないですかねとこちらは応じた。特殊で、珍しい関係であることは確かだろう。
 あと確か、翌日(……)さんと(……)さんが一緒に美術展に行くことになっている(……)さん――本名は(……)さんというらしく、どちらにしてもイニシャルは(……)さんだ――に会いたいですかと(……)さんに訊かれた瞬間もあったはずだ。あちらが会ってくれると言うのなら、勿論お会いするに吝かではないというようなことをこちらは答えた。
 そのような話をしながら(……)まで揺られ、乗っているこの電車は東京行きだったので三・四番線ホームに降りると階段を上った。階段を上りながら(……)さんに、さっきの「出会い厨」の話って日記に書いても良いですかと尋ねた。(……)さんは良いと言うのだが、もし本人が読んだら、これって俺のことじゃん、とかならないですかねと言ってこちらは笑った。改札を抜けると北口広場へ向かい、通路に入って進んで行き、高島屋へと至る。入館してエスカレーターに乗り、淳久堂書店に踏み入ると、まずは文芸の棚を見に行った。(……)さんが翌日会う(……)さんに何か本を贈るつもりだと言うので、詩集が良いんじゃないですかと電車のなかで話していたのだが、それもあって最初に詩の棚の前に立った。こちらは、吉増剛造でも贈れば良いんじゃないですかと冗談を言ったり、長田宏も結構読みやすいですよとこちらは冗談ではなくて真意で勧めたりしたが、(……)さんは茨木のり子と迷った末、最終的に現代詩文庫の『石垣りん詩集』に決定していた。こちらは並んでいた作品のなかでは、中尾太一という人の詩集が気になった。現代詩文庫版もあり、それに収録されていない、おそらく最新の詩集もあったのだが、それは書肆子午線から出ているものだった。書肆子午線はわりあいに信頼のおける出版社であるような気がする。
 それから、(……)さんが『石垣りん詩集』を買って戻ってきたあと、日本の文芸を見ましょうかと言って一つ隣の通路に移った。(……)さんはどこかに行ってしまっていた。古井由吉を勧めたりしていると彼も戻って来たので、次に海外文学を見ることにして通路を進み、壁際に至った。こちらは(……)さんから図書カードを頂いたので、それを使って『プリーモ・レーヴィ全詩集』を買ってしまおうかと考えていた。棚を見分しているうちに尿意が湧いていることに気づいたので、トイレに行ってきますねと言って一旦場を離れ、便所に行って放尿したあと戻ってくると、(……)さんも(……)さんも辺りにいなくなっていた。それで文庫の区画の方に移ってみるとそちらに姿があったのでふたたび合流し、様々な本たちを見分した。クリストファー・R・ブラウニング『増補 普通の人びと ホロコーストと第101警察予備大隊』がちくま学芸文庫の欄に表紙を見せて置かれていたので、これも買ってしまおうかと思ったのだが、昨日も一〇冊も書物が自己増殖してしまっているのだからまあ落着こうと一旦見送った。その後、九月五日に地元の図書館に行ったところ、この本が新着図書として入荷されていたのでありがたいことである。その後、河出文庫の棚の前に三人で集まった。こちらは保坂和志の『カンバセイション・ピース』に目をつけて、これもなかなか面白いですよと(……)さんに勧めて、物語性はないですけどね、物語よりもある時間や空間の感覚とか雰囲気とかを書くのに長けている作家ですと紹介した。そのほか、柴崎友香に関しても、『ビリジアン』や『寝ても覚めても』を紹介し、『ビリジアン』については、これを読んだ一時期、軽くて淡い文体が羨ましくなって真似していたことがあると述べ――二〇一四年のことだと思う――、『寝ても覚めても』は読んだ当時、こちらはこの作品を「恋愛小説の皮を被ったアンチ恋愛小説」などと評していたと話した。(……)さんは『ビリジアン』には恋愛要素はないんですかと訊くので、そちらは恋愛的な要素は特にないですねと答えると、じゃあこちらにしますと決めたのだったが、その選択はちょっと意外と言えば意外に思われた。(……)さんは何となく、むしろ恋愛要素のある小説の方が好みであるようなイメージをこちらは持っていたらしい。(……)さんは文庫クセジュの方を見分してきたらしく、『心霊主義』という本など、三冊くらいを保持していた。
 レジに行く前に(……)さんから頂いた図書カードの封を開けさせてもらうと、三〇〇〇円分のものだった。こちらがプレゼントした『岩田宏詩集』は一〇〇〇円少々だったはずなので、これでは多く貰いすぎているような気がするが、まことにありがたいことである。『プリーモ・レーヴィ全詩集』がちょうど三〇〇〇円くらいだったので、都合が良い。図書カードは東山魁夷の鮮やかかつ深みのある緑色の絵がプリントされたもので、この緑色が綺麗で、と(……)さんは言った。それでそれぞれ会計を済ませて自分の欲しい本を購入すると、時刻は何時だったのだろうか? 四時半くらいだったのだろうか? もう少しあとだったかもしれない。いずれにせよ、まだ食事には早いというわけで喫茶店にでも行って時間を潰そうということに合意したのだが、淳久堂のなかにはカフェ・ド・クリエがある。こちらは一度も入ったことがなかったが、そこにも喫茶店がありますよと示すと、そこで良いのではないかとなったので、入店した。ソファと椅子の二人掛けの席が二つ並んで空いていたので、ここを繋げて三人座れるようにしてしまおうということで卓を寄せた。そうしてこちらが席に残ると申し出て、先に二人に注文を済ませてもらい、そのあとからこちらも立って、確かオレンジジュースを買ったのではなかったか。
 この喫茶店では、(……)さんの話をした。先般(……)さんは彼女と会って、目黒の庭園美術館に行き、林のあいだを一緒に歩いたと言う。(……)さんは動物が大好きで、(……)さん曰く、そうした動物好きの趣味とか精神性のような部分が彼自身に似ているとのことだ。僕を女性にして、年齢を二〇歳くらい若くした感じ、と彼は言ったのだが、(……)さんは二六歳なので二〇歳若くすると六歳になってしまう。と言うのは、(……)さんは子供のような心を持ち続けているからということで、しかし実年齢はこちらよりも上だと言う。(……)さんが、美人なんですよねと訊くと、(……)さんがうんと肯定するので、すかさずこちらは、マジで! 会いてえ! と軽薄ぶって口にすると、(……)さんに、最低、最低です、と軽蔑されてしまったので大笑いした。素直過ぎます、会いてえ、って、と(……)さんは突っ込んだ。
 その(……)さんは乖離を患っているらしい。解離性障害なんですか、と(……)さんに訊くと、離人症かな、という言が返る。離人症とはどのようなものなのか(……)さんは知らなかったので、いくらか説明した。と言っても、人によって言うことが様々で症状は非常に多様なのだが、よく言われるのは世界にヴェールが掛かったようで触れられる感じがしないとか、自分と世界とのあいだに距離があって疎遠だというような感覚である。夢を見ているような感じだね、と(……)さんは言うのだが、彼自身もいくらか離人めいた傾向があるようだ。ほかには、自分の後ろにもう一人の自分が分離的に存在していて、その自分が常に自分を客観視していたり、ロボットを操るように動かしている、というような感覚の証言もよく聞かれると思う。昨年中は離人症のスレをこちらはよく眺めていたのだが、掲示板を見ていると感情が感じられないという訴えも結構あって、当時はこちらも感情や欲求や感受性といった精神機能が消失したものだから、これは離人症というものではないかと疑ったものだった。しかし、あれが結局離人症状だったのか、鬱病の一部だったのか、それともそれ以外の何かだったのか、真実はわからない。総じて離人症というのは、現実感喪失症候群という別名でも言われるように、正常な現実感覚が失われてしまうというところを共通の基底としているようだ。そうした乖離自体は、病的なものでなければ健康人にも折りに見られるもので、例えば読書に熱中してしまって気づかないうちに多量の時間が過ぎていた、などというのがその一例である。
 話しているうちに、今ここでSkypeのグループで通話してみたら面白いのではないかということになり、(……)さんがスマートフォンSkypeにアクセスして通話を始めると、初めに(……)さんが現れた――と言うか、(……)さんが直接着信を掛けて呼び出したのだったか? その後、(……)さんや(……)さんも集まってくると、(……)さんがビデオ通話モードに切り替えて、自分の顔や向かいに座っていた我々の様子を映し出した。最初は手の指を二本伸ばして、片手は目元に、片手は口元に横に当てて顔を隠していたのだが、段々面倒臭くなって手を外し、顔貌をグループの人々に晒した。それで、作家のポーズ、などと言って頬杖を突き、俯き気味に目線を下げて陰鬱ぶった。すると(……)さんが、知性が溢れ出ている……などということをチャット上で発言してくれた。(……)さんも顔を映されて俯きながら恥ずかしそうにしていたが、積極的に隠そうとはしていなかったと思う。(……)さんのスマートフォンでも通話にアクセスしていた。それでこちらが俯くと、(……)さんの携帯のカメラが捉えたこちらの姿がちょうど手元の目線の下にある(……)さんの携帯の画面に映し出される、というような状態になっていたのだが、それを利用してこちらは自分の頭頂部を映し出し、禿げていないか確認して、まだ大丈夫そうだななどと呟いて笑いを取った。しかし、こちらの家計は父親も祖父も禿げていたので、こちらにもそのうちに運命が訪れるに違いない。あとは、耳寄りな情報を一つ、などと口にして、(……)さんは良い匂いがしますとグループの人々に報告したのだが、こういう発言ももしかするとポリティカル・コレクトネス的に危ういのだろうか? 彼女は自身が言うところでは、梨の匂いの香水をつけているらしかった。
 (……)さんたち相手側の発言がうまく聞こえなかったし、(……)さんにイヤフォンを借りてもやはりあまりよく聞こえなかったので、いきなり掛けちゃってすみません、(……)さんが通話しようって言うから! などと口にして(……)さんに責任転嫁し、通話は適当なところで切り上げた。切り上げる際にも、いきなり通話しちゃってすみませんね、(……)さんが勝手にやったんですよ! ともう一度冗談を言って終えた。それでそろそろ飯を食べに行こうということになったのだが、通話を終えた(……)さんがスマートフォンを見ながら何やら勿体ぶった様子を取っており、驚愕の事実だ、などと口にしている。こちらと(……)さんは一体何なのだろうと思って訊いたのだが、彼はますます勿体ぶって、いや、これは……いや、あとで教えるよ、などと言う。しかし(……)さんが、気になるから今言ってくださいと要求した。こちらは、もしかしてSkypeのグループのなかに知り合いでもいたのではないか、こちらが顔を晒したことでそれが発覚したのではないかなどというありそうもない可能性を考え、ついに身バレの時が来たかなどと思ったのだったが、そうではなかった。(……)さんが(……)さんに送ってきた画像を見ると、(……)さんのメッセージがそこには記されており、以前から伝えようと思っていたのですが、実は(……)さんとお付き合いさせてもらっています、との内容が書かれてあった。(……)さんというのは、ハンドルネームの苗字も添えると(……)さんという人で、最初にTwitterでこちらも交流を持ち、その後Skypeグループのメンバーにもなった人である。彼と(……)さんは二人とも関西住まいなので、以前実際に顔を合わせたということは聞いていたのだが、まさか付き合っているとは予想だにせず、確かにこれは驚愕の事実だった。Skypeのグループのおかげでそのような関係になれたわけなので、グループを作った(……)さんと(……)さんには感謝しており、いつか伝えなければならないとは思っていました、というようなことも書かれていたと思う。めでたいことじゃないですか、と言祝いだのだが、こちらがその次に即座に考えたのはこの事実を日記に記して衆目に晒しても――ほかのSkypeグループのメンバーも読む可能性のある場所に晒しても――良いのだろうかということで、自分の都合を真っ先に考えるあたりこちらはなかなかの鬼畜野郎であると言うか、人間的にあまり褒められたものではないかもしれない。根っからの日記作家ということで許してほしいが、それで(……)さん経由で(……)さんに伺いを立てるメッセージを送ってもらい、またのちのち帰宅後には直接(……)さんともやりとりをして書き記す許可を得たので、こうして無事記録することが出来たわけである。
 驚愕の事実を知らされたあと、それでは飯に行こうというわけで、カフェを出てエスカレーターに乗り、上層階を目指した。どうせ高島屋にいるのだから建物を移動せず、この上にある店のどれかで良いだろうという話だったのだ。(……)さんはしかし、控えめながら寿司を食いたいような雰囲気を醸し出していた。前日にも鎌倉で(……)さんと寿司を食ったはずにもかかわらず、である。それで九階に上がり、店舗案内を見て、ひとまず寿司屋がどんなものか見に行きますかとこちらが提案し、歩き出した。フロアを移動して寿司屋の前に来て、メニューを見ると、かなり値の張る店だったので、これはさすがになあというわけで、ほかの店にしましょうということになったのだが、結局(……)さんが、寿司が良いみたいなことを言い出した。それならLUMINEの上にもう少し安い店があるから、そこに行きましょうかと提案すると、そうしようということで合意されたので、エスカレーターを下り、ビルの外に出た。左に折れて来た道を戻っても良かったのだが、どうせなので別の道から行ってみようかということで、右に向かい、オリオン書房の入ったビルの前を曲がって――(……)さんは書店があると聞くと、しばしそちらに寄りたいような様子を見せていたが、いや、やっぱりいいやと言って振り切っていた――、モノレール駅の下をくぐり抜け、駅前に至った。(……)さんは通路を通りながら、記念にと言って写真を撮っていた。それで群衆のあいだを分け入って駅舎に入り、さらにLUMINEの入口をくぐってエスカレーターに乗って上層階に向かった。八階まで来ると「(……)」の店舗の前に行き、メニューを少々見てからここにしましょうと合意されたので、なかに入った。店員に三本指を示して人数を告げたが、今ちょうど三人以上の席が埋まっていて、ちょっと待つことになるとのことだった。了承し、入口脇にある用紙に名前を記入してから通路向かいの座席に腰を下ろした。(……)さんはトイレに行った。そのあいだに(……)さんと話をしていると、彼女は、私も(……)さんともっと文学的な話がしたいんですけど、素養がなくて、というようなことを言ったのだが、金原ひとみ『アッシュベイビー』が好きだったり、『族長の秋』をわりあいに楽しんで読める時点で素養はばりばりにあるのではないだろうか。また、(……)さんがトイレに行っているあいだに二人で並んで写真を撮った。そうして(……)さんが戻ってきてからは、こちらはロシア土産のクッキーを取り出した。実のところ、初めに(……)で寄った喫茶店「(……)」でも取り出していたのだが、その時は一つしかないこれを二人のどちらが貰うか決まらずに、仕舞っておいたのだった。それをふたたび取り出し、折角なので(……)さんがいらなければ(……)さんにあげちゃいますよと伺いを立てると、(……)さんもそれで良いと言うので、それでクッキーは(……)さんの所有物となった。
 寿司屋に入るまでは結構時間が掛かったが、通されるとテーブル席に入り、ここでもこちらの隣に(……)さん、向かいに(……)さんという位置取りになった。こちらは「(……)」だったか、そのような名前の握りのセットを注文した。(……)さんはエンガワ三貫にサーモン一貫。(……)さんは河童巻の細切りととろうずらとやはりサーモンだった。「(……)」には干瓢巻が四つのほか、八貫のネタが乗っていて、それらの内訳は、卵、穴子、海老、カンパチ、鮪二種にコハダといった具合だったが、残りの一貫が何だったのかは忘れてしまった。(……)さんはさらにのちほど追加でパイナップルシャーベットをデザートとして食べていた。飲み物にはこちらはあがりを頂き、(……)さんと(……)さんはお冷を頼んだのだが、店員側が間違えたようで茶が二つ来てしまったので、(……)さんはそれを甘受して水を(……)さんに譲り、自身は緑茶を飲んでいた。前日にも鎌倉で寿司を食った二人だが、(……)さんが言うにはこの店の方がエンガワが美味かったらしい。
 隣の(……)さんに最近読んだ本を尋ねてみると、岩田宏のほかにはプリーモ・レーヴィの『これが人間か』も読んだと言う。一番印象的だったのはどこかと尋ねると、アンリが印象的だったという返答があった。どうせなのでそのアンリという人物の人間性を描写した一節を下に引いておこう。

 イギリス人から来る物品の取り引きはアンリの独占だ。ここまでは組織を作ることだ。だが彼がイギリス人に食いこむ手段は同情なのだ。アンリの体つきや顔だちは繊細で、ソドマの描いた聖セバスティアヌスのように、かすかに倒錯的なところがある。瞳は黒くうるみ、まだひげはなく、動作には生来のしどけない優雅さがある(それでも必要な時には猫のように駆け、跳ぶことができる。彼の胃の消化力はエリアスにわずかに及ばないほどのものだ)。こうした自然のたまものをアンリは十分にこころえていて、実験装置を操る科学者のように、冷たい手つきで利用する。その結果たるや驚くべきものだ。実質的には一つの発見だ。同情とは反省を経ない本能的な感情だから、うまく吹きこめば、私たちに命令を下す野獣たちの未開な心にも根づく、ということをアンリは発見した。何の理由もないのに私たちを遠慮会釈なく殴り、倒れたら踏みつけるようなあの連中の心にも根づくのだ。彼はこの発見が実際にもたらす大きな利益を見逃さずに、その上に個人的産業を築き上げた。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、125; 「溺れるものと救われるもの」)

 そのほか、終盤の、爆撃によって収容所から囚人やSSがいなくなったあと、レーヴィが残った病人たちと生き残ろうと奮闘しているところも印象深かったと言う。これは九月四日に話した(……)さんもやはり同様に、印象深かったとして挙げていた部分だが、こちらはその章のなかでは「ラーゲルは死ぬやいなや、すぐに腐敗し始めたようだった」という一文から始まる一連の描写が、ほとんど黙示録的な空気感を如実に纏っていると言うか、この世の終わりのような感じがして素晴らしいと思うので、これも下に引いておこう。「燃えてまだ煙をあげているバラックの残骸のまわりでは、病人たちが群れをなして地面に腹ばいになり、最後の熱を吸いとろうとしていた」という一文に記録された行為の絶望的な具体性。

 ラーゲルは死ぬやいなや、すぐに腐敗し始めたようだった。水も電気もなかった。壊れた窓や扉は風にバタバタと鳴り、屋根からはずれたトタン板はキーキーと軋り、火事の灰は高く遠く舞っていた。それに爆弾の仕事に人間の手が加わっていた。何とか動けるだけの、ぼろをまとった、今にも倒れそうな、骸骨のような病人たちが、うじ虫の侵略部隊のように、凍った硬い地面をところかまわずはいまわっていた。彼らは食べ物や薪を求めて、空のバラックをすべて探っていた。そして昨日まで一般の囚人[ヘフトリング]は出入りできなかった、グロテスクな飾りつけのある憎らしい棟長[ブロックエルテスター]の部屋を、狂ったような怒りをこめて荒らしていた。もう自分の内臓を管理できないので、いたるところに糞便をまき散らし、今では収容所全体の唯一の水源である、貴重な雪を汚していた。
 燃えてまだ煙をあげているバラックの残骸のまわりでは、病人たちが群れをなして地面に腹ばいになり、最後の熱を吸いとろうとしていた。またどこからかじゃがいもを見つけてきて、凶暴な目つきであたりを見回しながら、火事のおき火で焼いている病人たちもいた。何人か、たき火を起こせるだけの力があるものがいて、ありあわせの容器で雪を解かしていた。
 (204~205; 「十日間の物語」)

 そのほか、(……)さんは先般の来京時にクリスチャン・ボルタンスキーの展示を見て以来、ホロコーストにもいくらか関心が出てきたようで、ヒトラーの伝記も読んだと言った。写真で辿るヒトラー、みたいなタイトルのやつだったと思う。あとは『アウシュヴィッツの巻物』という本も読みたいと言うので、こちらはそんなものが出ているのかと驚き、それは僕も是非読みたいですねと言を合わせた。ちょうど前日にも(……)で本を買い込んだところだったので、昨日、(……)ブロードウェイに行ったらホロコーストナチス関連の文献がたくさんあって、また本が自己増殖してしまいましたよとふたたび話した。
 (……)さんは何時頃発てば良いのかと訊くと、一一時頃まではいられると思いますとの返答があったので、また喫茶店に行って話をしようということになった。それで席を立ち、入口付近のレジカウンターで個別会計をして退店すると、こちらの希望でトイレに行った。出てくると(……)さんが書店があるのを見留めて――オリオン書房である――ちょっと寄って行こうということになった。書店のなかには可愛らしいぬいぐるみが売られている一角があり、(……)さんと(……)さんがそこを見ているあいだに、こちらは近くの美術の棚に寄って見分したのだが、なかなかに興味深い本が揃っていた。我々が行ったクリスチャン・ボルタンスキーの展覧会「Lifetime」の図録が見つかったので、(……)さんに手渡し、そう言えばロシアでプーシキン美術館に行ってルイ・ヴィトン財団の集めた作品の展覧会を見たのだが、そこでボルタンスキーの「アニミタス」のバージョン違いの映像が展示されていたと話した。「アニミタス(白)」というのは我々が見た展覧会に展示されていた映像作品で、真っ白で雪以外には何物も存在しない雪原に鈴をつけた無数の細い棒が立てられ、その鈴が風に触れられて立てるきらきらと金属的で清冽な音がひたすら響き続けるという作品なのだが、それの、雪原ではなくて不毛の荒野めいた場所を舞台にしたバージョンがあったのだった。そのほか書棚にあって記憶に残っているのはピカソの伝記などである。一巻だけでも馬鹿でかいものが三巻も並んで置かれており、なかの一つを取ってみると一五〇〇〇円もした。驚愕である。三つで四五〇〇〇円もの金額になる。谷川俊太郎の推薦文が帯として付されていて、面白そうではあるが、とてもではないが手が出ない。また、岡上淑子の写真集もいくつかあり、日本の美術の区画にも面白そうな論考が色々と見られた。
 そのうちに、それでは喫茶店に行きましょうということになり、エスカレーターに乗った。下層階に下りて行き、BEAMSの店舗を抜けて外に出て、(……)に向かった。入店すると、カウンターの向かいにある革張りの椅子の席が全部空いていたので、ここに並んで座れば良いんじゃないですかと提案し、そういうことになった。例によってこちらが席に残って二人に先に注文をしてもらい、そのあいだこちらは手帳を眺めていた。(……)さんはカウンターから戻ってくるとこちらの手帳に目を付けて、読みたそうにしてみせたので見ますかと手渡し、こちらは席を立ってカウンターに注文しに行った。いつも通りのアイスココアである。戻ってくると、(……)さんに、描写と物語についていくらか感想を記した箇所を示した。大澤聡『教養主義リハビリテーション』からの引用に対して付したものである。それで、いささか単純化した構図ではあるが、例の、「物語」と「小説」を対立的に捉えて、「小説」というのは描写のリアリティを追求するものだというような話を披露した。細かな詳細を改めて綴るのは面倒臭いので、以下に七月一五日の日記に記した感想文を引いておく。

 八時から二時間半ほどを掛けて、この本を一気に読み通してしまったのだが、大澤の一人語りの形式で書かれている最後の文章の冒頭付近には、描写こそが近代小説の存在意義だったのだという小説観が提示されている。勿論、Mさんが最近ブログで指摘していたように、「物語」に対抗して至極単純に「描写」を持ち上げるような単純な図式には注意を払わなければならないわけだが、それでもここで語られている、「小説の風景描写や対物描写がまどろっこしくて邪魔だと考える読者はいまでは少なくありません」(182)という受容状況にはやはり残念な思いを抱くものだ。ここを読んでこちらの脳内には、そもそも何故物語だけでは駄目なのだろうか、何故小説に描写的な細部が必要なのかという素朴な問いが改めて浮かび上がって来たのだが、それに対する自分なりの解答を出すとしたら、やはりそこにある種の「リアリティ」――これもまた曖昧で、問題孕みな概念ではあるが――のようなものの感触が表現されるからではないかと思う。勿論、この言明は、自然主義的な「リアリズム」を単純に称揚するものではない。それどころかここで言う「リアリティ」は、いわゆる写実主義的な「リアリズム」とは反対方向に離れた場所に成立するものでさえあるかもしれない。それを「差異」の感触と言ってみても良いのではないか。差異は細部にこそ宿る。そして、我々は差異との接触によってこそ自己としての、主体としての変容を誘発されるのではないか。おそらくそれは同時に、この世界の複雑性をまざまざと教えられるという体験でもあるだろう(再度強調しておくが、「この世界」という語を使ったからといってやはり、この世の様相をそのまま[﹅4]写し出すとされている――言語においてそんなことはそもそも不可能なのだが――写実主義的な「リアルさ」を念頭に置いているわけではない)。小説を要約的な物語にのみ還元し、物語という器を構築する細部を蔑ろにする読み方は、世界の複雑性を縮約し、差異との遭遇を――従って自身の変容を――回避するものだ。そこにあるのは、既に知っていることをただ貧しく反復する態度にほかならない。何しろ、物語とは誰もが既に知っている[﹅7]「型」なのだから。物語のみにあまりに引きずられた読み方は言わば、読書と言うよりは、情報処理に過ぎないのだ。

 さらに、同じ話題について(……)さんが中国人の生徒を相手に講釈していた記述に関してもこの時の会話のなかで触れたのだが、その箇所もここに引用させてもらおう。

 きみが(……)さんとの思い出の場所でもある病院で一晩を過ごしたこと、そしてその病院に向かう途中で当の本人とばったり出くわしたこと、これらの出来事はまるでよくできたドラマのようです。再開した(……)さんとそこでふたたび交流がはじまることになれば、あるいはよりいっそうドラマティックな展開だったといえるかもしれません。けれども、きみたちはそうはならなかった。きみはこんなふうに書いています。

(…)私はすごくドキドキ、はらはらしていました。見間違いましたかと思っていました。しかし、本物の(……)さんでした。私に向かって歩いて来ました。夢ではないんですかと思っていました。しかし、(……)さんが声をかけてくれました。別れた二年目で、その日にその場所で初めて合って話しました。(……)さんがすごくきれいになっていました。ものすごくきれいになっていました。
 しかし、彼女と出会ってかえって落ち着いていました。それでいいと思いました。それに彼女ともう一度恋をすることはまったく考えていなかった。むしろ、その瞬間にある女の子の顔を浮かべました。その女の子のことは一応内緒にします。とにかく、私はもうはや(……)さんがすきじゃないことをはっきりしました。

 少し抽象的な話をしましょう。難しいかもしれないので、ゆっくり読んでください。(……)くん、きみは「小説」の対義語は何だと思いますか? この質問に対する答えは色々あるでしょう。ぼくの答えははっきりしています。「小説」の対義語は「物語」です。「物語」というのは、要するに、ありきたりなストーリー、ありきたりな展開、ありきたりな登場人物、ありきたりな出来事によって成立しているお話だと思ってください(きみがどうしても好きになれない東野圭吾も、この定義にしたがえば、「小説家」ではなく「物語作家」だといえるでしょう)。紋切り型のエピソードを、手垢のついた登場人物たちが演じる――それが「物語」です。そして小説は、そんな「物語」をはっきりと否定するものです。
 ひとまずこの定義を受け入れた上で、ふたたびきみと(……)さんの再開の場面に戻ってみましょう。大学進学をきっかけに別れたかつての恋人と、ひさしぶりの故郷で、それもその恋人とキスをした思い出の病院に向かう途中、きみは再会することになりました。なるほど、これはほとんど奇跡のような出来事だと思います。こんな偶然は滅多にありません。これがごくごく普通の「物語」なら、きみはこの偶然を運命と解釈するでしょうし、その解釈に背中を押されるかたちで、おそらくはかつての恋人との関係の修復を必死で試みることでしょう。でも、奇跡的な再会を果たしたきみの頭の中によぎったのは別の女の子の顔だった――ぼくはこのときのきみの感情をとてもリアルだなと思います。それと同時に、きみの中にある小説家としてのたしかな資質を感じます。
 ほとんどの人間は「物語」に対する免疫を持っていません。くだらないドラマやくだらない映画で大泣きしたり大笑いしたりする周囲の人間に対して、なんともいえない居心地の悪さ、苛立ち、あるいは孤独をおぼえたことが、きみにもきっとあることでしょう。「物語」に対する免疫を持っていない人間は、現実生活でまさしく「物語」的な出来事、場面、状況に遭遇したとき、当人の真実の気持ちを差し置いて、自分自身ありきたりな「物語」的な人物としてふるまってしまうものです。繰り返しになりますが、もしきみが物語に対する免疫を持っていない人間であれば、(……)さんと再会した瞬間、きみは自分自身の真実の気持ち(もうひとりの女性に対する気持ち)をないものとし、かつての恋人との再会という状況から連想される「物語」の登場人物としてふるまってしまったことでしょう(つまり、彼女との復縁を望んだでしょう)。でも、きみはそうはならなかった。きみはありきたりの「物語」に負けず、きみの中にある真実の気持ちを冷静に認識することができた。そこにぼくは、たしかな小説家の姿を見るのです。
 おおげさに聞こえますか? けれども、ぼくは常日頃からだいたいこんなふうに、物事というものを見る癖がついているのです。
 もう一点、おまけで言及しておきましょう。ぼくが面白いと思ったのは、きみが再会した(……)さんのことを「すごくきれい」「ものすごくきれい」と表現していることです。たとえばこれが、「想像していたよりもきれいではなかった」であったり、「記憶の中で美化されていた(……)さんにくらべるとまったくもって美人じゃなかった」であったりすれば、ぼくは、これは「物語」だなぁと思います。なぜなら、きみもよく知るとおり、「美化された過去」と「現在」がぶつかり、その結果、憧れの対象であった人物に幻滅するというような展開は、すでに使い古されたストーリー、展開、状況、筋書き、すなわち、「物語」であるからです。でも、繰り返しになりますが、きみは(……)さんのことを「すごくきれい」「ものすごくきれい」だと思った。そしてそれにもかかわらず、彼女と復縁したいとは考えなかった、それどころか別の女性のことを考えた――ぼくはきみのこの思考の筋道に、なにかとてもリアルなものを感じるのです。ここには「物語」のように、だれでも理解できる明解な感情の経路がありません。むしろ、第三者が読めば、「すごくきれい」「ものすごくきれい」だと思ったのに、どうしてほかの女の子のことをそこで考えるの? となるのではないでしょうか。そしてこれこそが「小説」的なものなのです、リアルなものなのです。しつこく繰り返しますが、現実は「物語」のように明解ではありません。簡単でも、明瞭でも、だれにでもわかるほど筋道の通っているものでもありません。現実というのはきわめて繊細で、複雑で、脈絡がぐちゃぐちゃであったり、まったくもって論理的でなかったり、時に意味不明だったり、あるいは必然性(理由)に欠けたりするものなのです。そしてそのような現実のありかたを、それらとは無縁の「物語」に対する解毒剤として打ち込むものこそが、ほかでもない「小説」なのであり、そのような「物語」的見方に立つことなく、現実をあくまでも現実のまま直視する人間こそが「小説家」なのです。

 まあ概ねこういうような話をしたわけだ。小説というジャンルの文章表現を読む際に楽しみ方は人によって色々とあると思うが、こちらが読んでいた面白いと思うのは、やはり上にも書いたように紋切型から脱した細部の「差異」の感覚に触れられる瞬間である。それについて、この夜の席では最近読んで感銘を受けたプリーモ・レーヴィ『これが人間か』の一描写を例に挙げた。以下のようなものである。

 (……)それから私たちは無蓋バスに乗せられ、カルピ駅に運ばれた。そこには汽車と護送隊が待ち構えていた。そこで私たちは初めて殴られることになった。それはひどく目新しい、常軌を逸した行為だったので、肉体的にも精神的にも苦痛を感じなかったほどだ。ただ深い驚きだけが湧いてきた。どうして人を殴れるのだろうか、怒りにかられたわけでもないのに?
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、12; 「旅」)

 この箇所の、殴られても「肉体的にも精神的にも苦痛を感じなかった」という一点にこちらは「差異」の感触、言わば「リアリティ」を感じるわけだが、それはこの記述が、普通の、当然あると思われる物事の秩序とは逆行しているからである。人に殴られたら、どんな場合でも何らかの痛みや苦しみを感じるのが大抵の場合の物事の道理だろう。ここではそうした通常の論理から外れた現象が生じているわけだが、そこに「それはひどく目新しい、常軌を逸した行為だったので」という根拠が付け加えられて、一つの説得力を持った状態で提示されている。このように、通常あるべき物事の形から外れていながらも、同時に説得的な意味の秩序が形作られている時に、自分は「リアリティ」のようなものを感じる、というようなことを話したのだ。無論、紋切型からただ脱することを目的化してそこから外れすぎてしまっても、端的に意味不明になってしまうわけで、二者択一ではなくてそのあいだのどこかうまい点を探って心を砕くのが作家というものの仕事だろう。こうしたことを少々単純化して言い換えると、物事や世界の様相の複雑性を出来る限り殺さずに、しかし何か説得力のある一つの形として提示する、というのが作家の役割の内の一つではないか、ということだ。
 まあ大体においてそのような話を披露したわけだが、そうすると(……)さんは、参考になりますと言って自らの手帳に何やら書き込みを取っていた。それを横から覗き込もうとすると、やだー、と言われて隠されてしまったので笑う。よく自分の手帳とか、他人に見せられますねと(……)さんは言うのだが、こちらが手帳に記しているのは個人的な雑感の類よりは知識や情報に類するものが多いし、一部日記の断片を記していることもあるけれど、それもどうせのちに公開して衆目に晒す内容なので、他人に見られたとしても問題はないのだ。(……)さんはその後、(……)さんは人のことをサイコパスだとか何とか言ってステレオタイプに嵌めがちですよねと言う。サイコパスという言葉も最近では意味が広くなりすぎたでしょう、とこちらは受け、元々は外見上善良かつ社交的で、仕事においても有能であり、人から好まれそうな条件を備えているが、その実道徳心が欠如していて、自分の利益のために他人を蹴落としても何の良心の呵責も覚えないとか、そういう人のことを言うはずでしょうと説明し、でも今では何か、単なる一般からずれた変な人、というくらいの意味になっているでしょうと指摘した。そうすると(……)さんが、ソシオパス、という言葉を呟いて、ソシオパスっていうのはどういう意味なのかなと漏らしたので、それを受けて(……)さんが携帯で検索すると、他者に対する共感が欠如している人のことだと言う。それでこちらは思い出したのだが、スキゾイドパーソナリティ障害というものがあるのだと二人に告げた。ウィキペディアに診断基準が載っており、統合失調症を疑った当時にインターネットを徘徊しているとその記事に行き当たったのだが、その診断基準がことごとく自分に当て嵌まるのだと言って笑う。すると(……)さんはこれも携帯で調べてくれたので、ウィキペディア記事を閲覧しながらそれぞれの診断基準の項目を読み上げ、これはまあまあ当て嵌まるとか、これは完全に僕ですねなどと言って笑った。しかしこのスキゾイドパーソナリティ障害というのは、それ自体で他人に迷惑を掛けるようなものではないので、自分自身が困っていなければ病院に行く必要はないとも記事には記されている。それを読むと、しかし(……)さんは、いや僕は困っている、と漏らしたので、そうしたら心理カウンセラーか誰かに診察してもらわないといけませんねとこちらは受けた。
 そのうちに(……)さんは携帯を充電してくると言って席を離れ、別の席の方に行ったので、そのあいだは(……)さんと二人で会話を続けた。ここで彼女の出自に関する話を聞かせてもらった。(……)さんの父君は在日韓国人の三世だと言い、教員をしているのだが出自のせいで出世出来ないのだと言う。それで父君は何十年か前に裁判を起こしたらしいのだが、それもうまく行かなかったようだ。父親の前では政治や選挙の話は出来ない、と(……)さんは漏らす。今の日韓関係については心穏やかではいられないでしょうねえ、と言いたかったのだが、この時この「心穏やかでない」という表現がどうしても出てこなくて、苦しいでしょうねえとか、困っているでしょうねえ、みたいな妙な言い方になってしまった。今の日韓関係はやばいですよ、このままだと、いわゆるヘイトクライムですよね、それが起きかねない、と言うか既に起きているのかもしれない、韓国に旅行に行った日本人女性が乱暴されたという事件もあったし、在日韓国人の人とか旅行に来ている韓国人に対する犯罪が起こりかねないですよ、とこちらは言って危機感を共有した。周りの人は(……)さんの出自について知っているんですか、と訊くと、親しい人は知っていると言う。小学校中学校あたりではそれについて言うと、驚きが返ってきていたのだが、しかし大学くらいになると、明かしたとしてもふーん、そうなんだ、くらいの距離感になってきたとのことである。しかしそれでも、例えば英語の授業などで行ったことのある観光地を紹介しなさいという課題が出された際に、韓国を紹介しようとすると、韓国ぅ? みたいな反応が散見されるので、迂闊には言えないですよねと(……)さんは漏らした。今の情勢だと言いにくいですよねとこちらも頷く。
 そのようにして話を聞いたあと、出自というと若干デリケートな問題なので、このことについて日記に書いていいですかねと訊きながら、そればかり気にしていて、屑みたいなやつなんですけど、とこちらは大笑いした。自由に書いてくれて良いと(……)さんは言ってくれた。(……)さんが日記そのものですから、と言うので、なるほど、僕の存在自体が日記であると、とこちらは受けて笑い、確かにペルソナということを考えた場合、まあ人間には無数の側面があるだけで正面に当たる本当のペルソナなんてものはないのかもしれませんけど――というこの考え方は(……)さんがたびたび表明しているものだ――強いて言えば僕の場合、日記に書かれている自分が本体のようなところがあるかもしれませんね、と述べた。
 そのほか、(……)さんが大好きな金原ひとみ『アッシュベイビー』についてこちらが以前書いた感想記事に携帯でアクセスしてもらい、それを借りて閲覧し、読み返しながら、まあまあだなと自己評価したり、ここはそこそこの観察だなどと言って自画自賛したりした。主人公アヤは性に奔放で、たびたび色々な人たちと行為に及んでいるのだが、彼女が恋慕する男村野との行為までは「気持ちいい」という言葉を発していないという観察だとか、彼女が自らの太腿に作った傷を抉られることが性交の代理と言うか、むしろ真の性交であってそこでは象徴的な位相と現実的な位相が逆転しているようだとか、そのあたりの考察はそこそこ面白いのではないか。
 そのように話していると、一〇時半前に至る頃だったと思うが、(……)さんが戻ってきて、そろそろ帰ろうと口にした。そう言いながらそれからまたちょっとのあいだ話したのだが、(……)さんは、二人で秘密の会話をしてたんでしょ、と言って何やらその内容を知りたがった。特別に秘密の会話などしていなかったのだが――強いて言えば(……)さんの出自の問題がそれに当たるので、それに関しては(……)さんに告げても良いのかこちらには判断がつかず、黙っていることにしたが――こちらも乗って、そうです、秘密の話をしていました、と適当なことを言った。すると(……)さんは、えー、教えてよ、と言ってやたら知りたがるので、こちらは、そんなに僕の好みの女性のタイプが知りたいんですか、などと冗談を言って、僕の好きな女の子は電話に出る時に声が高くならない人です、などと笑ったのだったが、(……)さんは、それはどうでも良い、とすげなく払った。
 そうして一〇時四〇分かそこらで帰ろうということになって退店した。駅に向かう途中、(……)さんが、三人で写真を撮るのを忘れていたと言うので、LUMINEの一階の花屋か何か、ガラス窓のなかに植物がいくつも置かれているそれを背景にして、三人で並んで写真を撮影した。それからエスカレーターを上がって駅舎のなかに入り、改札を抜け、(……)さんと(……)さんが乗る三番線ホームに下りる入口の脇で立ち止まった。そうして向かい合い、ありがとうございましたと最後の挨拶を交わした。まず(……)さんと握手しながら、まあ我々は別に会おうと思えば会えますからねと散文的に口にしたので、別れの感傷とか湿っぽさのようなものは生じなかった。彼は思いの外に手が大きく、指も一本一本がこちらのものより太くて、比べるとこちらの手指がやたらと華奢なように見えた。続いて(……)さんに手を差し出すと、ハグが良いですと言われる。え? と受け、ハグ? と困惑するが、もう一度同じ言を繰り返されたのを受けて、両手を広げると、(……)さんはこちらの身体に寄ってきて腕のなかに入ったので、手を彼女の背に回して抱き合った。(……)さんは頭をこちらの右肩のあたりに寄せていた。女性とそんなに密着した経験などないので、離れたあと、恥ずかしいと照れたようにこちらが笑うと、横にいた(……)さんは、微笑ましいねと穏やかな表情を浮かべていた。
 それで、お二人、行ってください、と言ってホームに下りるように促した。(……)さんは、こちらの思い上がりでなければ本当に寂しそうな表情を浮かべており、見間違いか目の錯覚か思い込みでなければ、瞳がいくらか水っぽくなっているように見えないでもなかった。それでエスカレーターを下りていく二人に手を振ったあと、こちらは一番線ホームに下りて(……)行きに乗った。扉際で発車を待っているとカップルがやって来て、別れを交わしはじめた。男性の方は灰髪で、もう結構な歳のように思われたのだが、女性はもっと若く、色の薄い金髪で黒い服を着ており、いわゆるバンギャル的な雰囲気だった。しかしその実、結構歳が行っていたのかもしれない。彼らはありがとうと言い合い、女性の方が電車に乗り込み、発車すると見えなくなるまで互いに手を振り合っていた。
 (……)に着くまでの車内では携帯電話でこの日のことをメモした。(……)に着いてからも同様である。そうして零時九分だかに発車する(……)行きの最終電車に乗って最寄り駅に至り、聖なる静寂に満ちた駅舎を抜けて帰路に就いた。帰り着くと着替えて風呂に入り、自室に戻ってきてSkypeにアクセスすると(……)さんがオンラインだったので、一時半前に、こんばんはと声を掛けた。返答が戻ってくると、(……)さん、聞きましたよと告げて、(……)さんとお付き合いされているそうじゃないですかと差し向け、おめでとうございますと言祝いだ。二人が一度会ったのは知っていたが、その際に付き合うことになったのかと訊くと、それ以前にメッセージのやりとりが頻繁に続いていて、通話も何度もしていたので、「お会いする前からなにかおかしかったと思います」との返答が返ってきたので笑った。その後も二人は何度か会ったと思うのだが、別れたあとも、(……)さんはきっとまた会うのだろうというような予感を覚えており、「何度でも二人で会いたいと感じるのはなにかおかしくないか」と考え、それほどに会いたくなるのだったら、正式に付き合うべきではないかということで交際に至ったと言う。素敵な話である。
 (……)さんからこちらの写真を貰ったと(……)さんは言い、ダンディーな顔だと褒めてくれた。それに応じて(……)さんと(……)さんのお顔も見てみたいですねと言うと、(……)さんは醜形恐怖症なので顔を写した写真はないが、自分のものならと彼は言っていくつか写真を送ってきてくれた。それに映った(……)さんの様子は、爽やかで優しげな青年といった感じだった。(……)さんに関しては、背を曲げて真下を向き、顔が映らないように撮られた写真が一枚送られてきたが、それを見て、穏やかそうですねとこちらは感想を述べた。これは何のポーズなんですか? と(……)さんの格好について訊くと、恥ずかしがり屋さんなので、このようなポーズを取ったのだろうという返答が来たので、奥ゆかしいですね、と言い、手弱女振りというやつですねと続けると、さすがの表現です、とお褒めの言葉を預かった。
 そのようなやりとりをチャットで交わすあいだ、一方でプリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』の書抜きを進めていたのだった。そうして三時に至ったところで、三時なのでそろそろ眠りましょうかと言って、礼を述べて(……)さんとの会話を終了した。それからベッドに移り、ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』を四〇分ほど読み進めて、四時前に達したところで就床した。長い一日だった。


・作文
 11:01 - 12:43 = 1時間42分

・読書
 25:49 - 26:59 = 1時間10分
 27:10 - 27:50 = 40分
 計: 1時間50分

  • プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、書抜き
  • ハン・ガン/斎藤真理子訳『すべての、白いものたちの』: 85 - 91

・睡眠
 3:40 - 9:40 = 6時間

・音楽