2019/9/12, Thu.

 第二の層の考察の最後に、鳴海英吉『ナホトカ集結地にて』との比較について考えておきたい。というのも、内村剛介が石原論『失語と断念』のなかで、まさしく石原の「脱走」と鳴海の「列」を並べて、鳴海の作品こそは「ホント」、石原の作品は「ウソ」と裁断しているからである。鳴海の「列」は以下のような作品である(引用は全行)。

  列

 ふりむくな と言われ
 おれは思わず ふりかえってみた

 砲撃でくずれ果てた町があった
 まず くすみ切って煙が上っていた
 くねった電柱があって黒い燃えカスだった
 黄色のズボンを下げた兵士が
 むき出した二本の足をかかえていた
 桃色のきれと 血を啜う黒い蠅が見え
 死んで捨てられた もの たちが見えた

 兵士の口のまわりには
 米粒が蛆色をして乾き 干し上り
 めくれあがった背中の大きな傷口に
 もぞもぞと動いている蠅
 おれは断定した
 あいつも飢えていたのだ
 おまえもおれも乾ききっていたのだ

 くだかれたコンクリートのさけ目だけが
 さらさらと白い粉末のようなものを流し
 果てしなく 乾いて そのまま流れつづける
 あれは女ではない
 おまえのかかえ上げたものは
 砲撃で焼かれつづけたさけ目[﹅3]
 しわしわと 死んでも立っているものを
 美しいと おれは凝視しつづけていた

 ふりかえるな 列を乱すものは射殺する
 おれは罵倒するソ聯兵の叫びが
 こんなにも無意味だと知ったとき
 おれの眉毛が 突然せせら笑う
 いつもお前の言い分は 列を乱すなである
 おれの眉毛の上に 八月のような
 熱い銃口があった
 整列せよ まっすぐ黙ってあるけ

 すこし場面が分かりにくいかもしれないが、「おれ」は「ふりむくな」と言われて思わず振り返ったとき、ソ連兵のひとりが女性の死体を抱え上げて、いわゆる死姦をしている、そのおぞましい場面を目にするのである。こういう事態をまえにして、しかもそれを捕囚たちに目撃されて、ソ連兵たちのなかにもいささか動揺が走っていたかのようだ。(……)
 (細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、213~216)


 一二時半まで糞寝坊である。上階に行っても身体の重さが取れていなかったため、ソファに寝転んでしばし休んだ。食事はカレーだと言う。しばらくして、NHK連続テレビ小説なつぞら』が始まった頃合いで起き上がって台所に入り、カレーを火に掛けるとともにマルゲリータ・ピザを電子レンジに入れて温めた。それぞれを持って卓に就くと、テレビに時折り目を向けながらカレーをスプーンで掬い、口に運んだ。母親が何事か話していたと思うが、良くも聞いていなかったし、覚えてもいない。食後、抗鬱薬を服用し、食器を洗ってそのまま風呂も洗うと自室に帰った。コンピューターを点けてFISHMANSCorduroy's Mood』をこの日も流し出し、歌を歌うと早々と日記に取り掛かった。一時三六分から三時五六分まで二時間二〇分を掛けて、九月一〇日の記事を完成させた。T田とNさんの二人と通話をした日で、思いの外に書くことがたくさんあって、予想外に時間が掛かった。それから完成させた記事をインターネット上に投稿しておくと、『Art Pepper Meets The Rhythm Section』の流れるなかでベッドに乗り、柔軟運動を始めた。前日の日記に書き忘れたと思うが、昨日から、大層久しぶりのことで柔軟などの軽い運動を始めているのだ。果たして習慣として続くかどうか知れないが、やはり下半身などある程度ほぐしておいた方が肉体の疲れ方も違うだろう。もう長いこと、まったく運動をしていなかったこともあって脚の筋は凝り固まっていた。その後、ヨガで言うところの「船のポーズ」を行って腹筋を軽く刺激し、それで運動を終えると牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を読みはじめた。牧野信一の小説は確かに結構変な感触はあるのだが、今のところは物凄いな、というような大きな感慨を覚えた箇所はない。それを読み進めているうちに例によって眠気に苛まれて、読書を出来たのは五時頃までで、それから三〇分ほどのあいだは横になって目を瞑っていた。そうして五時半を過ぎたところで上階へ、しかしすぐには食事の支度に掛かれず、またソファに転がって休む。そのうちに母親がじゃあやって、と言うので立ち上がり、台所に入ってまず、ゆで卵を二つ剝き、スライサーで細く切断してボウルに入ったキャベツと混ぜた。サラダを作るのだったが、キャベツの量が少なかったので追加して千切りにし、笊に上げて塩を振っておくとあとのことは母親に任せて、麻婆豆腐を作り出した。麻婆豆腐と言っても豆腐が一パックしかなかったので、モヤシとピーマンを嵩増しとして入れることにして、素も量の少ないものだったので麻婆風炒め物といった感じである。モヤシとピーマン、それに冷凍の小間切れ肉をフライパンに投入して炒めたあと、麻婆豆腐の素をパウチから絞り出し、豆腐も加えて搔き混ぜた。もう一方の焜炉では前夜の味噌汁をちょっと嵩増ししてエノキダケを加えた汁物が熱されていた。料理が出来るとまだ六時一〇分だったが、もう食事を取ってしまうことにして、丼によそった米の上に麻婆豆腐風の炒め物を乗せ、汁物をよそり、マヨネーズや辛子で和えられたキャベツのサラダを皿に盛り、さらに照焼きチキンのピザを一切れ温めた。そうして卓に就いて食事、新聞からアメリカの政治情勢の報を瞥見しながらものを食べ、完食すると抗鬱薬を飲んで食器を洗った。そうして自室に帰ってきて、Milt Jackson Quintet featuring Ray Brown『That's The Way It Is』を流しながらふたたび日記に取り組んだ。一時間ほど掛けて前日の記事を仕上げることが出来、これで負債は無事完済されたというわけだった。インターネット上に記事を投稿すると、そのままnoteでフォロー攻勢を仕掛け、フォローしすぎて制限が掛かるまで適当に目についた人々をフォローしまくってこちらの存在を知らせておいた。こちらの記事に金を払ってくれる人を見つけるには、ともかくやはりこちらという存在、こちらの文章の存在を広く周知していかなければならない。さしあたり手当り次第にフォローして、ともかくもこういう人間がいてこういうことをやっていますよということを知らせていかなければならないわけだ。それから風呂に行った。湯を浴びてパンツ一丁で戻ってくると、九時過ぎから過去の日記を読み返すことにした。久しぶりのことである。過去の日記も出来れば一日一記事ずつ読み返してブログに投稿していきたい。ブログを覗くと、最も古いものは二〇一六年の六月一九日まで投稿されていたので、六月一八日土曜日のものを読んだ。以下の描写がなかなか良かった。

 眠っているあいだに頭蓋内の部品の位置が誤ってずらされたような、配線が組み替えられたような軽い頭痛(……)

 もう四時前なので、道には林や家から伸びる、薄く青みがかったような蔭が敷かれている。そのなかを渡っている分には過ごしやすかったが、坂に入って上がっていき、木の下から抜けて通りに出ると、顔に触れるだけで呼吸がしにくくなって心臓の動悸も速まるような陽射しである。駅のホームにも西陽は容易に流れこんで足もとに水溜まりのような薄金色が広がり、屋根はさしたる役を果たしていなかった。草木の緑は映え、線路のレールはおのれを溶かさんばかりに白く発光して空間に皺を付けている、その明るみのなかで、風に飛ばされてきた砂の一粒としか見えないような細かな虫が、かわるがわる宙に軌跡を刻んでいった。

 校舎を抱く裏山の木々が、葉の底まで密に浸潤して空間に溢れださんばかりに鮮やかな、濃い緑色を水のように湛えており、接した空も清澄な青一色に染め抜かれていた。

 自然や風景の描写という点に関しては、今よりもやはりこの頃の方がよほど自分は頑張っていたのではないかと思う。今は風景などを目にしても、そこから細かな情報を得られないと言うか、あまり具体性を帯びた文言や上手い比喩などが思いつかないと言うか、一言で言って昔よりも認識の解像度が下がったのではないかというような気がする。その代わりによりささやかなものも、簡易な文章で取り上げられるようになって、より冗長に書けるようになった気もするが。
 続いて、Mさんのブログを一日分読んだあと、この日の記述に取り掛かった。Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』の流れるなか打鍵を進めて、九時五〇分である。このアルバムはやはり六曲目、ショスタコーヴィチ弦楽四重奏第八番の第二楽章がとても素晴らしい。
 それから二年前の日記、二〇一七年九月一二日火曜日の記事を読んでいると、突然Skypeの方で着信が掛かってきたので、何ですか、と言いながら応答した。グループにはYさん、HKさん、HN.Sさんの三人がいた。HKさんとは初顔合わせだったので、どうも、Fと申しますと挨拶をした。HKさんは大学生だと言っていただろうか? バルザックなどのフランス文学を好むらしかった。それなので、フランス文学と言うとこちらはプルーストなんかを読みましたねと言うと、HKさんはプルーストは原文が難しいんですよねえと受けたので、でも今二人、新たに訳していますよね、岩波文庫光文社古典新訳文庫で、吉川一義高遠弘美ですか、と言った。こちらについて話していたところだと言うので、どんな風に話していたんですかと訊くと、二万字の日記を書くとか、と言うので、確かに、九月一〇日の日記は引用も含めてですけど二万五〇〇〇字くらいかなと告げた。
 HKさんはそのうちにちょっと退席しますと言って通話から離脱した。それで残ったYさん、HN.Sさんと三人で他愛もない話をして、一〇時半頃に解散となった。こちらはそれから二〇一七年九月一二日の記事を読んだあと、ベッドには移らずコンピューター前の椅子に就いたまま、牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を読みはじめた。Tと通話することになっていた。歯磨き中だから少し待ってくれと言うので了承し、本を読んで相手の準備が整うのを待つことにしたのだった。しばらくしてTは歯磨きを終えたようだったが、今度はSkypeのアプリを入れるからちょっと待ってくれと言う。それで引き続き読書をして待っていたところが、いつまで経ってもその後の進展が知らされて来ない。零時に至ったところで、どうなってる? とこちらからLINE上でメッセージを送ったが、既読がつかないので、これは大方、Skypeのダウンロードを待っているあいだに眠ってしまったというところだろうなと推測した。今夜は通話はもうないだろうということで、階上に行き、カップ蕎麦「緑のたぬき」を用意して食うことにした。湯を注いで自室に持ち帰ってくるとそれを食べ、あるいはこちらの方が先だったかもしれないが、Jへの返信を綴った。返事が遅れて申し訳ない、最近は日記と仕事に追われていたのだと冒頭に釈明を綴り、相手が専攻しているという"Industrial Engineering"について手短に教えてくれと頼み、会合の時日については一〇月に会うのはどうかと提案しておいた。場所は、相手が確か上野に滞在すると言っていたはずなので、未だそこにいるなら上野で会っても良い、国立西洋美術館があるからそこに行くのはどうか、あるいは立川まで来てもらって昭和記念公園でも散歩するのはどうかと案を出しておいた。返信を完成させて送ると一時二〇分だった。それから今夜もTwitterで話し相手を募集したのだが、すると昨夜もお話ししてくれたERさんがふたたびメッセージを送ってきてくれたので、今宵もお付き合い頂いてありがとうございますと礼を言った。Twitter上で少々やりとりしてからSkypeの方に移り、こちらは隣の兄の部屋に移動して通話を始めた。ERさんは、こちらがもっと年輩の男性だと思っていたと言う。ツイートなどの雰囲気が落着いていたのでと言うので、まあ文章が歳を取ってるとはよく言われますねと苦笑した。二九歳だと明かすと彼女は驚き、自分はそれよりも一回りほど年上だと言った。それはこちらにとっても少々意外だった。特に彼女が何歳くらいだと想定していたわけではないが、それほど歳が離れているとは予想していなかったのだ。
 話は読書好きの常で、文学との出会いや好きな作品や互いの書いている文章などの主題に沿って展開された。昨日の日記にも書いたことだが、ERさんは澁澤龍彦との出会いが決定的だったと言う。本人曰く、彼女の趣味嗜好は「かなりマイノリティな方」だと言い、幼い頃あるいは若い頃にはそれについて自分は「頭がおかしいんじゃないか」と思い悩んだ時期もあったのだが、ある時、澁澤龍彦の著作に出会ったところ、自分の好きなことが大っぴらに書かれている、それで自分を肯定されたような気持ちになって救われた、とのことだった。これもまた文学という営みが一人の迷える人間を拾い上げたことの一例だろう。それで澁澤はその作品を全部読みたいというほどに惚れ込んだ。そのほか、昨日も話に出たが江戸川乱歩三島由紀夫などが彼女は好きで、特に乱歩の「芋虫」という短篇は、恋愛小説としてベストに挙がると言う。
 彼女はこちらの日記を読んでくれたと言い、諸所の文章表現が素敵で、読み応えのある日記だという評価を下してくれた。ERさんは日記文学の類が好きだということで、二階堂奥歯の『八本脚の蜘蛛』とか、アナイス・ニンの日記とかを読んだことがあるらしかった。こちらの日記は日記というジャンルの文章のなかでもやや特殊な方に当たると思うが、それでも日記文学好きには受けるのではないかとのことだった。しかし僕は作品が書けないんですよ、日記しか書けないんですねと呟くと、私小説みたいなものを書いてみたらどうかと提案されたので、まああの日記がもう一種の私小説なのかもしれないですけどねとこちらは受けた。
 ERさんにも、どんな小説を書くんですかと訊いてみると、彼女は「誤解を生む言い方をすると」自分はエロいことが大好きなのだと言い、官能的な小説を書きたいのだと言った。しかしただ官能的なだけではなくて、官能と恐怖という要素は表裏一体だと思うから、その二つの要素を同時に感じさせるような作品を書きたいと言う。それを聞いてこちらの念頭に浮かんだのは古井由吉だったので、その名前を口にしてみると彼女も知っていて、最新作である『この道』を買って積んであると言う。Hさんがよく古井由吉を評して、この爺、くっそエロいなと思うと言っていたものだが、男女の関係を書いた時に香るような官能を感じさせる文章と言うと、やはり古井由吉は相当なものだろう。恐怖という要素も、普通のホラーとは種類が違うと思うが、特に初期の方の作品――もう読んだのが随分前なので記憶があやふやだが、「杳子」とか「妻隠」とか「聖」などだろうか――にはおどろおどろしい不穏さのような雰囲気が濃く含まれているように思う。
 そのほか途中で詩の話になって、ERさんは詩が全然書けないしわからないと言う。こちらも同様なのだが、しかし八作くらい適当に作ったものがあると言うと、それは読めるのかと訊くのでブログのURLを貼った。良いじゃん、と彼女は言ってくれた。続けて、マヤコフスキーを連想したと言うので、マヤコフスキーですかとこちらは驚き、それは全然意識してなかったなあと漏らしたが、マヤコフスキーを訳している小笠原豊樹岩田宏の方はわりとパクっている。もしかしたらそれでマヤコフスキーに通じたのかもしれないが、より直接的にパクっているのは石原吉郎だと言って、戦後にシベリアに抑留された、ソ連強制収容所に入れられていた人で、と紹介した。本当に渋いところを選ぶね、とERさんは言った。
 翻訳物でお勧めなどはあるかと訊くので、最近読んだもので言うと、プリーモ・レーヴィの『これが人間か』が素晴らしかったと、こちらは紹介した。ERさんはレーヴィの名前は初耳のようだった。――アウシュヴィッツ強制収容所に……また収容所なんですけど(とこちらは笑う)、入れられていた人で、その体験録とかを書いていますね。そのほかこちらは読んだことがないが、『天使の蝶』などの幻想方面の作品も書いているので、もしかしたら彼女の好みに合うかもしれない。ERさんは最近だと、デイヴィッド・ピース『Xと云う患者 龍之介幻想』という小説を読んでこれが面白かったと話した。初めて耳にする作家と作品の名前だったが、芥川龍之介の生涯を作品のなかに取り込んで書いたものらしい。その場で検索してAmazonのページを見たが、その紹介文を読んでみるとなかなかに面白そうな作品だった。デイヴィッド・ピースという人は、主にミステリー方面の作家のようで、ミステリーはこちらの観測範囲外なので知らなかったのもむべなるかなという感じだが、しかし面白そうな試みをやっている人が本当に色々な場所にいるものだ。そう思ってその場で日記に名前をメモしておいた。
 そんな話をしているうちに時刻は三時半前に至っていた。ごめんねえ、大丈夫なの、とERさんは訊くので、まあいつも夜更ししているので僕は大丈夫ですけど、でもさすがにそろそろ寝ましょうかということで、礼を言い合って通話を終えた。チャット上でも改めて、ありがとうございました、良い眠りを、とメッセージを送っておき、そうしてこちらは自室に戻ってコンピューターをシャットダウンさせるとベッドに乗り、四時まで三〇分だけ読書をしようということで、牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』を読んだ。そうして四時に至って就床。


・作文
 13:36 - 15:56 = 2時間20分
 18:38 - 19:44 = 1時間6分
 21:25 - 21:51 = 26分
 計: 3時間52分

・読書
 16:21 - 17:00 = 39分
 21:04 - 21:24 = 21分
 21:53 - 21:58 = 5分
 22:30 - 22:33 = 3分
 22:35 - 24:11 = 1時間36分
 27:34 - 27:58 = 24分
 計: 3時間8分

  • 牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』: 118 - 195
  • 2016/6/18, Sat.
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-09-10「凍てついた炎のような目できみがながめるものに私はなりたい」
  • 2017/9/12, Tue.

・睡眠
 4:20 - 12:30 = 8時間10分

・音楽