2019/9/15, Sun.

 ひとつの情念が、いまも私をとらえる。それは寂寥である。孤独ではない。やがては思想化されることを避けられない孤独ではなく、実は思想そのもののひとつのやすらぎであるような寂寥である。私自身の失語状態が進行の限界に達したとき、私ははじめてこの荒涼とした寂寥に行きあたった。衰弱と荒廃の果てに、ある種の奇妙な安堵がおとずれることを、私ははじめて経験した。そのときの私にはすでに、持続すべきどのような意志もなかった。一日が一日であることのほか、私はなにも望まなかった。一時間の労働ののち一〇分だけ与えられる休憩のあいだ、ほとんど身うごきもせず、河のほとりへうずくまるのが私の習慣となった。そしてそのようなとき私は、あるゆるやかなものの流れに全身を浸しているような自分を感じた。/〔……〕私の生涯のすべては、その河のほとりで一時間ごとに一〇分ずつ、猿のようにすわりこんでいた私自身の姿に要約される。のちになって私は、その河がアンガラ河の一支流であり、タイシェットの北方三〇キロの地点であることを知った。原点。私にかんするかぎり、それはついに地理的な一点である。しかし、その原点があることによって、不意に私は存在しているのである。まったく唐突に。私はこの原点から、どんな未来も、結論も引き出すことを私に禁ずる。失語の果てに原点が存在したということ、それがすべてだからだ。
 (Ⅱ、三四; 「沈黙するための言葉」)

 このような一節に記されていることは、日常 - 非日常、加害 - 被害という対立をもはや大きく超え出ているだろう。ここでは「告発しない意志」などとわざわざ書き留める必要はない。このエッセイの元来の主題は、強制収容所で言葉が喪失されてゆく「失語」の過程と、「脱走」で描かれている一発の銃声によって呼び起こされた「沈黙」である。あたかも自然過程のように生じてゆく「失語」と、意志的に選び取られた「沈黙」の対比であり、石原の詩はすべて「沈黙するための言葉」である、ということになる。しかし、そういうエッセイの主題的な道筋と、ここで石原の描いている「寂寥」という「原点」は、必ずしも整合していない。こういう箇所は、石原の詩学にとって重要な「沈黙」よりもいっそう突出した印象がある。石原のあの黙想的な論理がことごとく消失する一点。言ってみれば、石原のシベリアとはここだ[﹅12]、と思わせるところがあるのだ。
 (細見和之石原吉郎 シベリア抑留詩人の生と詩』中央公論新社、二〇一五年、273~275)

     *

 四月三〇日朝、私たちはカラガンダ郊外の第二刑務所に徒歩で送られた。刑務所は、私たちがいた捕虜収容所と一三分所のほぼ中間の位置にあった。ふた月まえ、私が目撃したとおなじ状態で、ひとりずつ衛兵所を通って構外へ出た。白く凍てついていたはずの草原[ステップ]は、かがやくばかりの緑に変っていた。五月をあすに待ちかねた乾いた風が、吹きつつかつ匂った。そのときまで私は、ただ比喩としてしか、風を知らなかった。だがこのとき、風は完璧に私を比喩とした。このとき風は実体であり、私はただ、風がなにごとかを語るための手段にすぎなかったのである。
 (Ⅱ、一九七; 「望郷と海」)

 風こそが「実体」であり、「私」が風の「比喩」と化してしまうこと――。それは不幸な自己喪失に違いない。しかし、同時にこの一節には、なにか恍惚としたものが感じられる。前節で見た「寂寥」と通じるような、石原が自己への固執から解き放たれる、忘我の瞬間のようなものが感じ取られる。自分という強固な実体から解き放たれる、それは限りない幸福のひとときでもあったに違いないのだ。とはいえ、石原がこの一節に続けて書きとめているのは、当時彼が身を切るようにしておぼえた「忘れられる」という恐怖である。

ここにおれがいる。ここにおれがいることを、日に一度、かならず思い出してくれ。おれがここで死んだら、おれが死んだ地点を、はっきりと地図に書きしるしてくれ。地をかきむしるほどの希求に、私はうなされつづけた(七万の日本人が、その地点を確認されぬまま死亡した)。もし忘れ去るなら、かならず思い出させてやる。望郷に代る怨郷の想いは、いわばこのようにして起った。
 (Ⅱ、一九七 - 一九八)

 ここにはもはや「告発しない意志」というような、ある種の取りすました態度、あるいは気負った態度が存在する余地はない。「望郷」の思いを「怨郷」へと変貌させて、ふたたび生霊のごとく、故国の日本人を見据えている石原がいる。「肉親へあてた手紙」に描かれていた親族との場面で、石原が発してもよかったような強い直接的な言葉がここには書きつけられている。(……)
 (278~280)


 前日は午前から出かける用事があったので八時にアラームを仕掛けていたが、その設定を解除していなかったのでこの朝も八時に目覚ましの音が鳴り響き、それに応じて珍しく起床することに成功した。コンピューターに寄ってスイッチを押し、Twitterなどを覗いてから上階に向かった。母親は卓に就いて食事を取り終えたところのようだった。食事は前日に作った滑茸とシーチキンのスパゲッティの残りだと言う。それで冷蔵庫のなかから白い大鍋を取り出し、スパゲッティを大皿に盛って電子レンジに突っ込むとともに、そのほかモロヘイヤとミョウガの汁物を椀によそった。そうして卓に就き、スパゲッティが温められているあいだに既にスープを飲みはじめ、電子レンジが音を立てると席を立ってもう一品を持ってきた。醤油を少々垂らして箸で麺を取り、啜る。テーブルの上には母親宛ての葉書があり、見れば渡辺香津美村治佳織のコンサートの優待券だった。立川のホールで九月二八日に行われるらしい。母親はお前も行く、と訊いてくる。何でも開演が午後四時からなので、コンサートを見たあとに立川の連中とどこかで飯でも食おうかということを考えているらしかったので、良いのではないかとこちらは受けた。
 ものを食べ終えると抗鬱薬を飲み、食器を洗った。そのまま風呂も洗おうかと思ったが、今ちょうど洗濯をしている最中だったのであとに回すことにして、脱水途中で取り出されたこちらのシャツ――昨日着た、濃青の麻のもの――を受け取り、裏返してベランダに吊るしておいた。そうして階段を下りて自室に戻ると、前日の記事の記録を付け、この日の記事を作成したあとに、朝も早くから勤勉に短歌を作りはじめた。SIRUP『SIRUP EP』を背景に、『大岡信詩集』をお供にして歌をいくつも作った。

鉛色の夢を魔銃に装填し君の頭を撃ち抜く夜明け
慟哭に首を括って去る君のその心臓の痛みを知る夜
傷口を小窓となして息を吸う外の景色は終末めいて
よく熟れた地球の果肉を削り取り宇宙は廻る僕の足下
永久[とこしえ]の月の記憶を身に宿しあなたを待とうビッグバンまで
この宇宙[そら]の開闢以来どれだけの星が私を残して去った?
悠久の荒地を渡る子守唄処女懐胎の赤子はいずこ
ひたぶるに嘘の短歌を垂れ流す機械となろうその日も越えて
導きに従い黄泉の海を往く彼岸の浜は白く輝き
たった一度の虹との出会いを胸に秘め根元を探し世界を渡る
この朝も滅びの朝も聖書でも夜明けはいつも言葉を奪う
夕暮れに笛を吹く子の頬を染める千年前と同じ光が
始まりで俺を巡って吹く風は来世に至りあなたを包む

 以上の一三首を拵えると一時間二〇分ほど経って、時刻は一〇時二〇分頃に至っていた。それから音楽をBorodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』に移して日記を書きはじめ、前日の記事より先にここまでを一〇分少々で記している。午前中から勤勉なことで、父親は畑で耕運機を操っている。
 一一時五〇分になると前日の日記を中断して、上階に行った。母親が既に盆の上に食事をほとんど用意してくれていた。そのメニューは何だったか? まず、野菜と煮込んだくたくたの素麺が鍋にあり、これはあとでよそることになった。米もまだよそっていなかったので、椀に盛ったはずだ。何かをおかずにその米を食ったはずなのだが、それが思い出せない。肉だったのか? 魚だったのか? 炒め物の類だったのか? 惣菜だったのか? ここまで思い出せないのも珍しいことだ。そんなに印象に残らない味だったのだろうか? 僅か九時間ほど前に食ったものだと言うのに! しかし、九時間も経てば思い出せなくなるのも道理ではないだろうか? 中皿に煮豆の類がちょっと盛られていたのは覚えている。こちらは煮豆はあまり好きではないので、最後に残していっぺんにさっさと食ったのだ。そのほか、中皿にはあと二品、何かが乗っていたと思うのだが、そしてそれをおかずにして米を食ったはずなのだが、それが何だったのか忘れてしまった。しかしそんなことはどうでも良い! 母親は天気が良いから外で皆で食事を取ろうと言ったが、陽射しが暑そうだったのでこちらは断った。父親の食膳を下へ持って行ってくれと言うので、盆を持って玄関に行き、一度台の上に食事を置いてからサンダルを引っ張り出し、それを履いて扉を開けておいてからまた盆を持って外に出た。そうして家の横を下っていき、父親が相変わらず白いタオルを頭に巻きながら作業を続けている畑から見て階段の上、木製のテーブルの上に膳を置いた。テーブルの縁には何やらオレンジ色の小さな棘のようなものが生えていた。茸の類なのかと思ったが、手近にあった雑巾で擦ってみても固くて全然取れないので放っておき、それで室内に戻った。居間の食卓に就いて新聞をめくりながら一人ものを食うと、食器を洗っておいて下階に帰った。
 母親が布団を干してくれたのは昼食前だったと思う。ベランダの柵に干された布団のその上に置かれた枕とクッションを取って、シーツの取り去られたベッドに乗り、クッションに身体を預けて読書を始めたのが一二時四〇分過ぎだった。牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』だが、五時間も眠っていなかったので薄々そうなるのではないかと思っていた通り、まもなく目が閉じた。それで三時頃まで休むことになった。後半では姿勢が崩れて、完全に臥位になり、横を向いて猫のように身体を丸めていた。ようやく起きると母親が洗ったシーツを部屋まで持ってきてくれていたので、ベッドにマットを敷き、その上にさらにシーツをばさりと広げて整えた。それからベランダの布団を取り込み、ついでに母親たちの布団も彼らの寝室の方に入れておいた。あと、廊下に掛かっていた冬用のコートも陽と風に当てるためにベランダに出しておいたのだが、それも元の場所に戻しておいた。そうして日記にふたたび取り掛かったのが三時半過ぎである。Brad Mehldau『After Bach』、Dollar Brand『African Piano』を背景に四時間。四時間もぶっ続けで、と言っても時折りTwitterを覗いたりもしていたが、ともかくそんなに書き物に邁進出来るとは我ながらびっくりする。これだけで今日は五時間半以上も文を書いていることになる。しかしそれでも前日の記事はまだまだ終わらない。体感では七割に至ったか至らないかといった感じだった。
 七時四〇分に至って食事に行った。この夕食はまだ食べたばかりなので比較的よく覚えている。米、餡の掛かってちょっと粘りのついた野菜炒め、鯖の煮付け、雪花菜にトマトなどを混ぜたサラダ、それに味の薄くて塩気の全然ない枝豆である。テレビは『ダーウィンが来た!』を映しており、ハチドリの生態を紹介していて、酒を飲んでいる父親は例によっていちいちうん、うん、と頷いて感心したようにしていた。ものを食い終わったあと、まだ何か食いたかったので、コンビニの冷凍の手羽中を食べないかと母親に訊くと、食べたらと言うので立ち上がり、冷凍庫から鶏肉のパックを取り出して三つを皿に盛り、電子レンジで温めた。それを卓に持っていくと、こっちの分もやってよと言うので、食べるのかと受けてもう三個を同じように温め、卓に差し出した。そうして手羽中をおかずにしておかわりした白米を食ったあと、食器を洗って、アイロン掛けを始めた。父親の就いている炬燵テーブルの端に台を乗せ、昨日着たこちら自身のシャツとハンカチの皺を伸ばしていく。テレビはこの時は『ポツンと一軒家』に移っていた。目的の一軒家に辿り着くまでの聞き込みの途中で、案内人の細君が魚の造型を取ったサンダルを履いているとか、案内人が助っ人を呼んで戻ってくるとその車のタイヤがパンクしていて大笑いしたとか、探索―到着という物語の進行の上では何の寄与にもならないどころか、むしろ余計なものとも思われるほとんど意味のない事実が時折り織り込まれていて、その無意味さがかえって印象に残った。
 それから風呂に行った。湯浴みをして汗を流し、腋の下を擦り洗って汗の匂いを取り除いておくと、上がってパンツ一丁で部屋に戻った。階段の途中から先ほどアイロンを掛けたシャツを取って自室の収納に吊るしておき、ゴミ箱を持って上階に引き返してゴミを合流させた。そうしてねぐらに帰ると『SIRUP EP』を流して歌を歌い、その後、FISHMANS『Neo Yankees' Holiday』とともに九時一八分からこの日の日記を書きはじめたのだが、途中で一〇時前から一〇時半頃までインターネットに浮気した。その次に今度はLINEでT田からメッセージが届いた。こちらが貸している梶井基次郎檸檬』を今日は集中的に読み進めたと言って、気になった文の書抜きを送ってきた。随分とたくさんあった。そのなかに、「雪後」という作品のなかの一節、「ある日、空は早春を告げ知らせるような大雪を降らした。/窓の戸を繰ると、あらたかな日の光が部屋一杯に射し込んだ。まぶしい世界だ。厚く雪を被った百姓家の茅屋根からは蒸気が濛々とあがっていた。生まれたばかりの仔雲! 深い青空に鮮やかに白く、それは美しい運動を起していた」という記述があり、このなかの「生まれたばかりの仔雲!」という詠嘆など、こちらが読んだ際には見落としていたようだけれど、なかなか良いではないかと思った。生まれたばかりの雲を子供に喩えるという発想自体はあるいはありふれたものかもしれないが、「仔」という字を用いることで動物の赤子のイメージがそこに重ね合わされるのがこちらの心に引っ掛かったようだ。T田は、お前も日々の書抜きをブログに公開したらどうかと言った。以前は一日の記事の最後にその日に書き抜いた文章を付していたのだけれど、やたら長いそんなものは誰も読みはしないだろうし、自分で読み返すのにも負担が大きすぎるので、今のように一日の記事の冒頭に少しずつ引用しておく方式に変えたのだった。それで冒頭にあるものがそれだと言うと、しかしあれは興味深いけれど、書抜きと言うには長過ぎないかと言うので、あれは全部本を読んだ時に書き抜いた文章だと伝えると、T田は大層驚いたようだった。
 それから、今日記はどこまで読んだかと尋ねると、九月七日までとあり、どこか面白いところはあったかと続けて訊けば、七日の冒頭に引かれている引用が興味深かったと言う。しかし思考の整理に時間が掛かるし、今から風呂に入ると言うので、続く話はのちほどということになった。こちらは前日の日記を綴りながらT田を待っていると、零時ももう近くなった頃合いで、「つまり、言葉の星座としての石原の作品は、そこでそれぞれの語が新しい意味を獲得する意味生成の現場であるとともに、おのおのの語がその根源的な意味を回復する関係の現場でもあるのだ。/この意味を理解できれば面白そうなんだけど、細見氏はこの書き抜き部分において考察結果のような内容を並べてくれている一方で、具体的な説明を述べていないので、私には理解できない」と送られてきて、続けて、「他の部分に、石原作品においては語が「新しい意味を獲得」していることについての説明と、「その根源的な意味を回復」していることについての説明、それと「根源的な意味」の具体例は書いてあるの?/俺は評論というものをほとんど読んだことがなくてその界隈の常識を知らないんだけど、評論って難解であっていいものなの?」との問いも届いた。ここからの対話は整理して綴るのが面倒臭いし、それ自体もなかなか有意義だったように思うので、LINEのチャット画面からそのまま引用して並べる。

 ――まあ文芸評論というのは、わりあいに難解で抽象的な表現が使われるものだな。この箇所は俺も具体的に[﹅4]、きちんと理解できているわけではない。ただ前半部分で言われていることはまあ何となくわからんでもない。
 ――「位置」という語のもとに詩の言葉が連鎖させられることで、つまりそれまでになかったような語句の関係性として布置されることで、通常の、日常的に、あるいは歴史的に使われてきた「位置」という言葉がその狭い意味から解放されて、大きな射程を持つようになっている、というようなことではないだろうか。
 ――「位置」という言葉の「原初的な意味」とか「根源的な意味」とかはよくわからんな。
 ――まあでも、結構詩の言葉を言葉というものが持つ本来の意味とかを表現するものとして言うような評言はわりとあるような気がする。

 ――言葉が狭い意味から解放されて、ということのまとめとなっている前半部分については、細見氏が「石原作品の語を辞書通りの意味で読もうとするとうまく意味を取れないから、石原さんは語に独自の新しい意味を付けたのだろう。その『新しい意味』が具体的に何であるかは石原さん本人じゃないから知りませんが」ということをカッコつけて書いているだけのように見えてしまってならないのです…

 ――我々の言葉っていうのは伝達の手段でしょう? しかしその観点からすると詩の言葉というのはほとんど用をなさないわけだよ。非常に難解で多義的で、文脈の連鎖も日常的な言葉のそれとはまったく違っている。そこでは言葉は手段ではなくて、それ自体が言わば目的と化しているわけだ。しかしそこにある種の感動を与えるようなものが時に生成する。そういう時に伝達されているはずの「言葉にならないような意味」というのを「根源的な意味」とか言っている、という風に考えてみても良いのかもしれない。
 ――言葉というものが日常性に摩耗させられる前の意味、と言うか。イメージとしてはそんな感じかな。谷川俊太郎も、「人間がまったく先入観とか知識とか、もしかしたら言語もなしに一人で地球上に立った時の感情」とか言っている。
 ――仮に「新しい意味」というものがあったとして、そんなものは石原吉郎自身も具体的に何であるか、知らなかったと思うね。一つに定められるようなものではないと言うか。
 ――詩の言葉の意味を具体的に一つに定める必要はないわけだよ。そこから喚起されるイメージとか、連想的な概念とか、そういったものをすべて含めて「意味」と称する、と言うか。
 ――かと言ってでたらめに読むことも出来ないわけだが。

 ――「根源的な意味」が「人間がまったく先入観とか知識とか、もしかしたら言語もなしに一人で地球上に立った時の感情」に近い物だとすると、わかりそうな気がする。
 > 詩の言葉の意味を具体的に一つに定める必要はないわけだよ。そこから喚起されるイメージとか、連想的な概念とか、そういったものをすべて含めて「意味」と称する、と言うか。
 ――わかったかもしれん。作者自身も把握していないかもしれない「新しい意味」を含みうる語で構成された詩というのは、日常の言語よりも、色々な情景や心情を楽器だけで表現しようとしている音楽に近いんじゃないか。
 ――音楽を聴くように読めと言ったのはそういうことか?

 ――その通りだ。
 ――「意味」っていう言葉のまさしく意味の射程が詩においては散文のそれよりも広いんだ。

 ――意味の「射程が広い」とは、「より抽象化されている」というようなことか?
 ――例えば、音楽で怒りを表す主題というのは「怒り」を抽象化したものだ
 ――ごめん、例えが適当すぎたかもしれん

 ――と言うよりは、より多義的で多様で重層化されている、というような感じかな。抽象化して一つの概念に統合されていると言うよりは、具体的な意味やイメージが複数並立的に並び、あるいは渦巻きあってひしめいていると言うか。
 ――まあ詩の読み方、解釈の仕方、受け止め方なんて俺もよくわからんわけだが。

 ――「具体的な」意味やイメージが並立、と言われると俺には再びわからなくなってしまうなぁ。
 ――まだ抽象化の路線を引きずるのだけど、例えば「声」の辞書的な意味そのものを述べたいわけではなくて、「声」の辞書的な意味を含む概念を述べようとしたいところなのだが、「音」まで広い概念ではなくて、適切な言葉が日本語に存在しないので、自分の想定する概念に最も近い「声」という言葉を用いた、ってわけではないのか。

 ――うーん。
 ――並立、と言ったのは、ある詩からAという意味もしくはイメージ、Bという意味、Cという意味が引き出せるとして、そのなかのどれかにその詩の真の意味があるのではなくて、その複数性そのものがその詩の意味だ、というような意味合いで使ったつもりかな。

 ――あ、そういうことか。

 ――その複数の重なり合いからまた新たな意味が生成されるということもあるかもしれない。そのようにして絶えない意味の連鎖を生み出していく、というのがもしかしたら理想的な詩なのかも……? とこれは単なる思いつきだが。

 ――大衆感覚の及ばない領域だな…

 ――まあ難解な考察とかは良いとして、単純に、「このフレーズいいな」って思ったのを覚えてしまって持ち運べるというのも詩の魅力の一つだろうな。音楽を聞くように読めといったのは、そういう意味でもある。
 ――好きなフレーズは口ずさめるようになるでしょう? それと同じことだ。
 ――それがどんな意味の射程を持っているか、何につながっているかなんてのはまああとで良い。自分が覚えてしまえるほどにその言葉から何らかの強い印象を得たというその事実にこそ意味がある。
 ――そのようにして持ち運んでいた言葉が、ある時具体的な状況のなかにあって何かピンと来るかもしれない。あるいは俺のように短歌に仕立てたりして、また別の言葉の生成を生むかもしれない。

 ――うん、そういうことだと思っとく。
 ――説明できない前衛音楽でも、何となく面白みを感じる時は感じるんで。
 ――作者が他人である以上は、作者と寸分たがわぬ意図や気分を感じることは無理だ。

 ――それは勿論そうだ。と言うか、「作者と寸分たがわぬ意図や気分」を感じることが文学の理想だったとしたら、それほどつまらないこともないのではないか。

 ――具体的な描写というのはそれを目指しているのでは?

 ――うーん。これが微妙なところだな。

 ――「寸分たがわぬ」は無理な想定で誰もがやっているとは思うけど

 ――確かに、正確な伝達を心がける新聞記事のような文章だったら、それはそうかもな。

 ――まぁ、それは文学ではないね。

 ――そうだね。
 ――作者と読者の差異、そのずれから新たなものが生まれていくように思うんだよな。

 ――読者が作者の真意より自分の解釈の方を気に入っているというケースもあるしね。

 というような感じだ。T田とのやりとりを交わしながら同時に、Twitter上で話し相手を求めるツイートをしていたのだが、それに答えてKJさんがダイレクト・メッセージでのやりとりなら可能です、とリプライを寄越してくれていた。それなので、T田との対話が終わった午前一時から、今度は彼とDMで会話を始めた。KJさんは二一日の課題書である牧野信一をもう読み終わったらしかった。もう一冊の課題書である町屋良平の方も以前、読み終えたとツイートしていたと思う。読むのがなかなか速いものだ。牧野信一は何だか記述が粗いと言うか、変で奇妙と言うか、描写の順番などがいびつな感じがするという点で互いに一致した。こちらは正直、読んでいて強い印象を受けた箇所がそれほどなく、古井由吉大江健三郎が揃って推していたから期待をしていたわりには、ううむ、というような印象だったのだが、KJさんも概ね同じような評価であるらしかった。ただ一箇所こちらが印象的だったと言うか、笑ったのは、「天狗洞食客記」という篇の途中で、一つ大々的な脱線と言うか迂回のような記述がある箇所で、その唐突さと、整然と文脈を作り上げる意志の不在の様相に、こいつ適当に書いているんじゃないかと思わず笑ってしまい、その気まぐれさにヴァルザーのような気味を少々感じた、ということはあった。
 KJは筋を楽しむ方ですか、と尋ねると、「一概にそうと断言はしませんが」という慎重な留保を置いたあと、多分それ以外の要素を楽しむタイプだろうと彼は答えた。筋立てを覚えるのが苦手であるらしい。こちらもわりとそうで、物語はあまり気にならないと言うか、よほど紋切型のありきたりな展開ででもなければ、どのような物語であろうとわりあいに受け入れることが出来るタイプだと思う。それよりも、細部の言葉遣いなどに惹かれる傾向があるようだ。KJさんは、自分は物語上の矛盾などに気づきにくいので、自分でも矛盾がすぐにわかる作品は相当まずいのだと思う、と言った。今までにそういう作品は何かありましたかと尋ねると、書物になったプロの小説ではないが、インターネット上の詩や小説などではあったとの返答があった。また、書物になっている作品でも、水嶋ヒロのものは「なんじゃこりゃ」という感じだったと言うので、水嶋ヒロまで読んでいるとか、幅広すぎでしょうとこちらは笑った。彼はまた、自分でも詩と小説を書くという話で、詩の方では日本現代詩人会のホームページで佳作として取り上げられてもいると言う。それでいてまだ詩の方は書きはじめて一年くらいだと言うので、凄いではないですかとこちらは称賛した。
 そのあたりで二時に至ったので、こちらはそろそろ牧野信一の続きを読みますと言い、ありがとうございました、当日はよろしくお願い致しますと挨拶して会話を終了した。KJさんとやりとりを交わしながらまた短歌を作っていたので、以下に掲げる。

精密な機械仕掛けの鰓呼吸泡が言葉を生むと夢見て
銀河中の宇宙塵を食べ尽くしまっさらな闇の繭に抱かれる
夢に出た無色の孔雀を追い求め大気圏まで落ちて燃え尽きる
名月や匙で掬って飲めそうな黄金色の光清かに
青風にシャツも手帳も染め抜かれ若葉のように恍惚として
心臓を掴まれるような不安とは古い友だち愛するほどに
導きの井戸を覗けば果ての島落ちた涙が君の瞳に
神界の炎と氷を織り混ぜて衣を編んで亡き人に送る

 そうして二時一〇分過ぎからベッドに移って読書を始めたが、例によっていくらも読み進まないうちに意識が弱くなって、気づくと何と時計は午前五時を指していた。そのまま明かりを落として眠りに就いた。


・作文
 10:20 - 11:50 = 1時間30分
 15:33 - 19:39 = 4時間6分
 21:18 - 24:18 = 3時間

・読書
 26:13 - ? = ?

  • 牧野信一『ゼーロン・淡雪 他十一篇』: 239 - 251

・睡眠
 3:20 - 8:00 = 4時間40分

・音楽

  • SIRUP『SIRUP EP』
  • Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』
  • Brad Mehldau『After Bach』
  • Dollar Brand『African Piano』
  • FISHMANS『Neo Yankees' Holiday』