2019/9/25, Wed.

 [一九五〇年]十月のなかば、私は所内の軽作業にまわされていた他の数人とともに、ハバロフスク郊外のコルホーズの収穫にかり出された。ウクライナから強制移住させられた女と子供ばかりのコルホーズで、ドイツ軍の占領地域に残ったという理由で、男はぜんぶ強制労働に送られたということであった。だが小声で語る女たちの身の上ばなしに、ほとんど私は無関心であった。他人の不幸を理解することが、私にはできなくなっていた。周囲が例外なく悲惨であった時期に、悲惨そのものをはかる尺度を、すでにうしなっていたのである。このことは、つぎの小さな出来事がはっきり示している。
 正午の休憩にはいって、女たちはいくつかのグループに分れ、車座になって食事の支度をはじめた。私たちはすこしはなれた場所から、女たちのすることをだまって見ていた。小人数の〈出かせぎ〉には昼食は携行せず、帰営後支給されることになっていたからである。食事の支度を終った女たちは、手をあげて私たちを招いた。「おいで、ヤポンスキイ。おひるだよ。」
 それは私たちにとって、予想もしなかった招待であった。そのようにして、他人の食事に自分が招かれているということは、ほとんど信じられないことだったからである。私は反射的にかたわらの警備兵を見あげた。このようなかたちでの一般市民との接触は、むろん禁止されている。警備兵は、女たちの声が聞こえなかったかのように、わざとそっぽを向いていた。「いきたければいけ」という意味である。
 私たちは半信半疑で一人ずつ立ちあがって、それぞれのグループに小さくなって割りこんだ。われがちにいくつかのパンの塊が私の手に押しつけられた。一杯にスープを盛ったアルミの椀が手わたされた。わずかの肉と脂で、馬鈴薯とにんじんを煮こんだだけのスープだったが、私には気が遠くなるほどの食事であった。またたくまに空になった椀に、さらにスープが注がれた。息もつがずにスープを飲む私を見て、女たちは急にだまりこんでしまった。私は思わず顔をあげた。女たちのなかには、食事をやめてうつむく者もいた。私はかたわらの老婆の顔を見た。老婆は私がスープを飲むさまをずっと見まもっていたらしく、涙でいっぱいの目で、何度もうなずいてみせた。そのときの奇妙な違和感を、いまでも私は忘れることができない。
 そのとき私は、まちがいなく幸福の絶頂にいたのであり、およそいたましい目つきで見られるわけがなかったからである。女たちの沈黙と涙を理解するためには、なお私には時間が必要であった。
 (柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、40~41; 「強制された日常から」)

     *

 「おなじ釜のめしを食った」といった言葉が、無造作に私たちを近づけたかにみえた。おなじ釜のめしをどのような苦痛をもって分けあったかということは、ついに不問に附されたのである。たがいに生命をおかしあったという事実の確認を、一挙に省略したかたちで成立したこの結びつきは、自分自身を一方的に、無媒介に被害の側へ置くことによって、かろうじて成立しえた連帯であった。それは、われわれは相互に加害者であったかもしれないが、全体として結局被害者なのであり、理不尽な管理下での犠牲者なのだ、という発想から出発している。それはまぎれもない平均的、集団的発想であり、隣人から隣人へと問われて行かなければならないはずの、バム地帯での責任をただ「忘れる」ことでなれあって行くことでしかない。私たちは無媒介[﹅3]に許しても、許されてもならないはずであった。
 私が媒介というのは、一人が一人にたいする責任のことである。一人の人間にたいする罪は、一つの集団にたいする罪よりはるかに重い。大量殺戮[ジェノサイド]のもっとも大きな罪は、そのなかの一人の重みを抹殺したことにある。そしてその罪は、ジェノサイドを告発する側も、まったくおなじ次元で犯しているのである。戦争のもっとも大きな罪は、一人の運命にたいする罪である。およそその一点から出発しないかぎり、私たちの問題はついに拡散をまぬかれない。
 私たちはこの時期に、あらためてひとりひとりの問い[﹅2]とならなければならないはずであった。肉体的には、私たちは、ほとんどおなじ条件で、いわば集団として恢復した。しかし精神としては、私たちはひとりひとりで恢復しなければならない。なぜなら、集団のなかには問いつめるべき自我[﹅9]が存在しないからである。そしてこの、問いつめるべき自我の欠如が、私たちを一方的な被害者の集団にしたのである。
 人間の堕落は、ただその精神にのみかかわる問題である。肉体は正確に反応し、適応するだけであって、そのこと自体は堕落ではない。堕落はただ精神の痛みの問題であり、私たちが人間として堕落したのは、一人の精神の深さにおいて堕落したのであって、もし堕落への責任を受けとめるなら、それは一人の深さで受けとめるしかないのである。私たちはさいごまで、一人の精神の深さにおいて、一人の悲惨、一人の責任を問わなければならないはずであった。だが、精神の密室でそれが問われるとき、私たちは自己にたいして恣意に寛容であることができる。なぜか。私たちはこのようにして、ついに〈権威〉の問題につきあたる。
 緩和されたとはいえ、私たちはなお拘禁状態にあり、外側から加えられる拘束にたいしては、いぜん集団として対応せざるをえなかったことが、単独な場での追求を保留させたということもできる。だがもっとも大きな問題は、私たちにのがれがたく責任を問う真の主体である権威が、ひとりひとりの内部で完全に欠落していたことであり、この欠落が私たちを、焦点をうしなったまま、集団的発想へ逃避させたのである。
 (45~47; 「強制された日常から」)


 八時に仕掛けたアラームに先立って、目を覚ましていた。昨晩の、寝入る前の頭の固さがいくらか名残っていた。薄布団の下でもぞもぞと身を折り曲げながらカーテンを開けると、大陸じみて広く蔓延りなかは青褪めた雲の端に太陽が掛かって、抑えられた光がそれでも瞳に明るい。八時に至って携帯が鳴り出すのを待ってから、起き上がってコンピューターの前に立つと、四時間半も眠っていないわりに、睡気の残滓の香らない、乾いて軽い朝だった。Twitterをちょっと覗いてからすぐに上階に行き、母親に挨拶をして食べ物は何かあるのかと尋ねれば米は炊いたと返るので、芸もなく、今日も卵とハムを焼くことにした。いつもの四枚入り一パックのハムを使うのではなくて、発泡スチロールのトレイに何枚も重ねて保存されたものの方が期限が先だからと、母親がそこから四枚取り出したのを受け取って、油を引いたフライパンに敷いたその上から卵を二つ割り落とす。フライパンを傾けて白身を広げ、いくらも加熱せず黄身が固まらないうちに丼に盛った米の上に取り出し、卓に就いて食事を始めた。NHK連続テレビ小説なつぞら』の方には目を向けず、新聞の一面に視線を落としながら、丼に醤油を垂らし、液状の卵をぐちゃぐちゃと搔き混ぜ、米と絡めて食べる。英国で最高裁が、ボリス・ジョンソンの決定した議会閉会は違法行為だとの判決を下したと言う。食べながら、一二時には出ると母親に告げた。吉祥寺SOMETIMEで昼間から大西順子のライブを観たあと、夕刻には労働を控えている。母親も今日は料理教室か何かで午前から出掛ける用があって、それだから出る前に洗濯物を入れて行ってと言うので了承した。丼の飯を平らげると、水を汲んできて抗鬱剤を服用し、食器を洗ってさっさと下階に戻るとコンピューターの前に立ち、Evernoteをひらいて前日の記録を付けたあと、八時四〇分頃から早速日記を書きはじめた。そうして前日の記事を仕上げる頃には一時間余りが過ぎて、一〇時を目前にしていた。どうもまずいな、と思った。文章にこだわりすぎている。毎日のものにあまりこだわれば終いには書けなくなる、それが最も危惧されるところだ。推敲などと身の丈に合わない業に時間と労を費やすのはこの一日分に留めて、今日からはまた楽に、気負わず軽く書き継ぐべきだろう。目指すべきは彫琢の鬼と化した古井由吉の厳密さではなく、推敲など廃して一筆書きに流れる小島信夫の自然さのはずなのだ。cero "POLY LIFE MULTI SOUL"を流して口ずさみつつ、前日の記事をインターネットに投稿したあと、FISHMANSCorduroy's Mood』を共連れてここまで綴ると、一〇時半に至っている。しかしそれから、ちょっと適当に書きすぎたなと虫が疼いて、また結局文を直して、一一時に近づいた。背後の寝床の枕の上に、窓に切り取られた陽射しが斜めに掛かって薄明るい矩形を宿していた。
 階を上がる。肌着を脱ぐと、制汗剤の染み込んだボディシートを一枚取って、汗の臭いの籠る腋の下を念入りに拭き、それから洗面所に入って髪を梳かす。さらに、上半身を晒したままの格好で風呂を洗い、そのあとベランダに行って吊るされたものに触れると、洗濯物は既に早くも水気を散らして乾いている。ベランダに立っているあいだ、注ぐ陽が身を包み込んで肌にまつわり、折角拭き取った汗がまた滲み出してきた。
 下階に帰ると歯を磨きながら、Saul Isaacson, "Noam Chomsky: Hopes and Anxieties in the Age of Trump"(https://www.foreignpolicyjournal.com/2018/08/17/noam-chomsky-hopes-and-anxieties-in-the-age-of-trump/)を読む。傍ら流す音楽は、例によってFISHMANSCorduroy's Mood』である。歯磨きを終えると淡い青のワイシャツに深い紺色のスラックスを着込み、引き続き英文を読んで、仕舞えると一一時四〇分過ぎ、電車は一二時一二分で猶予があったがもう出ることにして、荷物を収めたクラッチバッグを持って階を上がり、仏間で黒の靴下を履いた。玄関を抜けるとツクツクホウシの鳴きが林から響き出て、陽射しは清かに通って路面に敷かれ、道の奥から来た車の鼻面に光は白く凝縮されて、夏に戻ったかのような正午だった。歩いていくと一軒の庭先、門の外に立った低木に、若緑を既に過ぎて黄色く丸く膨らんだ実の連なっているのを、柿ではないかと目に留めた。角の小公園に生えた桜の葉っぱが幾枚も十字路に散らばって、粉のように微小な羽虫が風に乗って周りを何匹も流れていくのに、大きさはよほど違うが来たる時季の蜻蛉を重ねて見るようで、陽射しは夏だが乾いた空気は既に秋だなと幾許かの季節感も滲む。坂道を上る途中で、店は予約でいっぱいではないだろうなと、今更その可能性に思い至った。電話を一本掛けて訊いてみれば良いだけの話だが、何となくその気にならず、空いていなかったらそれはそれで一興だ、喫茶店で本でも読めば良いと捨て置いた。
 駅舎内の階段を下りていくあいだ風が流れて、線路を挟んだ先の桜の、黄色くなりかけた葉がこともなく、実に容易に落ちていく。ホームに入ると、陽射しが渡っているのでまだ先には出ずに屋根の下に留まって、携帯を取り出してメモを取る。ワイシャツの裏の背を、汗の玉が転がって撫でる。線路の周りの草は先端まで、まだまだ明るい緑に染まっており、オレンジ掛かった色の蝶がその上を漂っては翻っていた。
 電車に乗って青梅まで行くと、向かいの東京行きの先頭車両に乗り換えて、発車と同時に古井由吉『ゆらぐ玉の緒』を読み出した。いつもは手帳を眺める車中だが、今日は少しでもこの老作家の小説を読み進めておきたいとそちらに興が向いたのだった。河辺に至ると白いスーツケースを伴って、八分丈ほどのジーンズをぴったりと履いた若い女性が乗ってくる。席に就くと、黄色い卵の挟まれたコンビニのサンドウィッチを取り出し、少しずつ口に運んでいた。人々の腹が空いてくる昼時である。その後、本に目を落としていると、プラスチックの擦れるような音が耳に届いて、視線を上げれば女性の手もとにピンク色のパッケージのようなものがあり、そこから何かを取って口に入れ、続けてペットボトルの飲み物を飲んでもいたので、あれは何かの薬かもしれないと見た。
 雲は薄く平らかに浮かんで太陽を妨げるものもなく、陽射しは窓を貫いて床には淡い光の四角がひらき、席に並んだ乗客の影がそのなかに立つ。拝島で客が増えて、座席の隙間が減った。なかで体格の良い、肩の厚い女性が一人、オロナミンCを飲んでいた。結構、電車内で飲み食いする人の目につく時間だ。中神あたりで、勤めの同僚か若い男女の二人連れが乗ってきて、いくらか気怠げな声音をしている女性の方が隣に就いた。黒いロングスカート姿で、レース風の編み模様が表面にあしらわれたヒールを履いていた。女性はじきに俯いて、長い黒髪で顔を隠して休みはじめ、男性の方も、いつか目を閉じていた。立川を過ぎれば電車は高架に上り、広くなった青空に雲は低く伸べられて、床に宿った光の四角は幾分傾きを強くして、目を振れば遠くの銀の手摺りが純白を吸い込むように収束させては線条を放射状に撒いているその脇に、ベビーカーが置かれて赤ん坊が声を上げていた。
 目的の吉祥寺が近くなると、傾き気味だった姿勢を正して背を伸ばし、腰の置きどころを直して椅子に深く座った。それから両腕を前に伸ばして、筋のこわばりをほぐしたあと、本を目に近く、高く持って文字を追う。「人違い」の一篇を読み終えたところでちょうど駅に着いた。隣の女性を起こさないようにゆっくり静かに腰を上げ、降りると手帳に時間を記録し、ホームを去って改札を抜けると、出口へ向かうこちらの横を、三人の少女が連れ立って燥ぎながら駆けていく。私服に包まれた身体は細くかつ薄く、中学生か、行ってもせいぜい高校生ほどと見えた。時刻は午後一時過ぎだが、学校は引けたのだろうか。
 北口を出て通りを渡ると、道の左右で旗を立てて、社会福祉団体の類らしく南房総市への義援金を募集している。顔触れを見れば大抵が高年の年寄りのなかに、若者が二、三人、立ち混ざっている。サンロードに入り、頭上から洒脱なジャズが落ちてくるなかを歩いていると、店の並びのなかにふっと小さな古書店が現れて、こんなところにあったのかと目に留まった。紳士服店の角で折れれば、目的のジャズクラブ、SOMETIMEはすぐそこである。入口にいた女性二人のあとについて地下への階段を下りていくと、店に入らないうちに早くも、満席との声がなかから聞こえた。それでも一応番を待ってから戸口をくぐって、満席ですかと店員に訊いてみると、当然肯定が返ったので、わかりましたと受けて階段を引き返した。予感が当たったなと心中苦笑したが、と言うよりも、大西順子ほどの演者なのだから、賑わいを当然のことと予想して予約を取っておいてしかるべきだったのだ。
 思わぬ時間が生まれたものだった。サンロードに引き返して、ひとまず先の古書店に入った。法政大学出版局・叢書ウニベルシタスの著作など棚にいくらか並んでいたが、値段は全体的に高めにつけられていたので、すぐに出た。空いた時間で行きつけの古本屋に行くか、という気になっていた。それでサンロードを抜け、義援金を求めて呼びかけているあいだをふたたび通って駅へ渡ると、通りの縁には交通整理員が立っている。この暑いなかで制服を着込んだ高年の女性で、バスが来たのに応じて、腰につけた拡声器を通して、危ないですよ、入らないでください、と通行人に声を送っていた。
 三鷹の水中書店に行くか、荻窪ささま書店に行くかと迷っていた。改札を抜けて階段を上がりつつ、本好きにとっての魔境にも等しいささまに行くとまた金を際限もなく使ってしまうだろうからと、まだしも規模の小さい水中書店の方に行くことに決めた。もっとも、金が掛かるのはまだ良い。辛いのは嵩んだ荷物を運ぶことで、帰ったあとの自室の狭さを考えてみても、そろそろ本を置く空きも乏しい。それでホームに上がるとちょうど来た電車に乗りこみ、窓の外に連なる街並みの、その果てに塗られた薄白い雲を扉際から見つめて一駅、三鷹で降りて駅舎を出ると、駅前に立ち並ぶ銀杏の木々はまだ青々と緑を葉の内に籠めて、風にも揺れずに静まっている。東西に長く伸びる通りの途中、横断歩道でもないところで渡ったその前に、ちゃんぽん屋が立っていた。こんなところにこんなものがあったのかと見たが、あるいは新しく出来た店かもしれない。
 高いビルの作り出す影が道路に広く掛かって、水中書店はそのなかに入りこんでいた。店外の一〇〇円均一の棚をさっと見分したあと、なかに入って海外文学の作品から吟味を始め、どれくらいの時間が掛かったものか、ほとんど隈なく見て回った。頭上から流れる音楽は初め、女声の混じったアンビエント風のものが聞かれていたが、そのうちに穏和なギターのジャズに変わった。最初に食指が動いたのはみすず書房の、マックス・ブロート/辻瑆・林部圭一・坂本明美訳『フランツ・カフカ』だったと思う。五〇〇円の安さで売られていた。作家の唯一無二の親友ブロートのカフカ観は、彼を宗教的な側面から英雄視しすぎたものと聞いたことがある。今やほとんど顧みられることもない、古臭いものでしかないのかもしれないが、カフカ関連の著作は大方何でも読んでみるべきだろうというわけで、目をつけておいた。次に目についたのは、エドワード・サイード四方田犬彦訳『パレスチナへ帰る』である。サイードとの出会いは大学時代に、ちくま学芸文庫の『ペンと剣』に『文化と抵抗』を買ったのが初め、それ以来関心のある人で、著作もなるべくすべて読んでみたいというわけで折に見かければ集めている。訳者の四方田犬彦に関しては、『見ることの塩――パレスチナボスニア紀行』という本も棚に見られ、パレスチナ関連の文献なのでこれも読むべきだろうが、最後部の頁をひらいても何故かこれには値段の表示がついておらず、荷物も多くなるので今回は見送った。
 思想の区画の棚の上に、徳永恂『ヴェニスのゲットーにて 反ユダヤ主義思想史への旅』という本が置かれてあった。書架に組み込まれず、上に取り出されているものだから、誰かが買おうと思って一旦取り分けておいたものかと疑ったが、店内を一通り回って戻ってきてもまだそこに置かれたままだったので、そういうわけでもないらしい。ゲットーだとか収容所だとか、ホロコーストに通ずる類の文献には興味が働く。それでこちらが貰ってしまおうというわけでこれも手もとに加えて、最後に文庫の区画から、プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を取った。レーヴィという作家も、邦訳されている作はすべて読んでみようと思っている。
 気づけば店内には、音楽以外に赤子の声が響いていた。ベビーカーに子を載せた女性が漫画の棚の前あたりに留まって、赤ん坊が折々泣き叫ぶのに何か絵本でも読んであやしていたようだった。四冊を持って会計に行くと、レジカウンターの上には大量の本が積み上げられて、書物の帝国といった威容で場を大方占領しており、辛うじて空いたスペースには金受けが置かれているから、こちらの持ってきた品を置く余地もない。本を差し出しながら凄いですねと言うと、文学が色々と入ったところなので、と店主は受けた。本の山の頂上付近には確かに、井上究一郎の『幾夜寝覚』などが見られた。これも確か蓮實重彦の文章で知って以来、昔から読んでみたい著作で、二巻とも揃えて積んである『井上究一郎文集』のなかに入っていたと思うが、取り掛かるのはいつになることか。
 四冊で二七五〇円になった。今日は雑談を交わす気分でなく、お互いに話題を切り出さず、またお願いしますとだけ言い合って茶色の紙袋を受け取った。会計の少し前から店を去る際に掛けて流れていたのはギターによる"All The Things You Are"で、丸みを帯びた柔らかなトーンでの静かな演奏は、あれはJim Hallだったかもしれないなと振り返りながら道に出た。
 労働に向かうまで、まだまだ時間が余っていた。それだから喫茶店にでも入って本を読めば良いものを、四冊買っても何だか満足感が薄かったようで、欲望に任せてささま書店にも行こうという頭になっていた。通りを引き返して駅まで戻ると、駅前広場で女性が一人、ポケットティッシュを配っている。ジムの宣伝らしい。先ほど往路には男性が無愛想に配っていたのを素通りしたのだったが、今度は若い女性からにこやかな、満面の笑みを向けられたので、思わず受け取ってしまった。駅に入り改札をくぐって、東京行きに乗り込むと携帯を取り出して日記用のメモを取る。荻窪までは数駅、いくらも掛からない。降りてエスカレーターを歩き、改札を抜けると、二月にMさんとここで会ったなと思い起こされ、外へ続くエスカレーターを上りながらその前の晩に会ったSさんの印象を話し合ったと、そんな細かな記憶まで蘇ってきた。駅舎を出ると通りを渡り、商店街には入らずに線路沿いの道を東へ向かう。風は折々あるものの、汗を止めることは出来ない。
 ささま書店に到着すると、ここでも店外の棚を手早く見て回り、それからなかへ入って日本文学や海外文学のあたりからじっくりと吟味を始めた。文庫の棚を見上げている最中、朝にちょっとものを食ってから今まで飲まず食わずだったものだから、そろそろエネルギーが枯渇してきたらしく、くらくらと眩暈の気配が兆さないでもなかったので、せめて水分だけは取ろうと一度店を出て、自販機に寄って一〇〇円のカルピスを買い、その場で何口か、ごくごくと急いで飲むと、戻ってふたたび探索に入った。欲しいものはいくらもあった。みすず書房のロバート・ジェラテリー『ヒトラーを支持したドイツ国民』というのは、先日「ほしいものリスト」に追加したばかりの著作である。これは三〇〇〇円だった。三〇〇〇円と言えば新刊書店ならばさほど高価とも思えないが、古書店で一冊に三〇〇〇円は結構高く感じられ、分厚いので荷物としても嵩むことを考慮して、この日は見送ることにした。思想の棚にはサイードの『文化と帝国主義』が上下巻とも揃えられてあり、これも前から欲しい著作で、二冊で四〇〇〇円は安いのだろうけれど、安々と踏み切るには躊躇する価格だ。焦ることはあるまい、サイードの著作は既にたくさん家にあるのだから、まずはそちらを読んでからだと考えて、しかし『故国喪失についての省察 1』の方は一五〇〇円だったので購うことにした。そんな風にして結構厳選して、金井美恵子の小説や、ディディエ・エリボンの『ミシェル・フーコー伝』なども落として、六冊を選び取って会計へ向かった。五七二四円である。女性店員が三冊を取って小さな紙の袋に入れたところで、こちらに入れましょうか、袋があるのでと、床に置いていた水中書店の紙袋を持ち上げた。結構大きな袋で、既に四冊が入っていてもまだまだ余裕があったのだ。それで残りの三冊をそちらに収め、紙に包まれた上にさらにビニール袋に入れられた三冊を受け取って、店員に礼を掛けて退店した。
 二つの古本屋で買った書物の一覧を、以下に記しておく。

・マックス・ブロート/辻瑆・林部圭一・坂本明美訳『フランツ・カフカ
エドワード・サイード四方田犬彦訳『パレスチナへ帰る』
・徳永恂『ヴェニスのゲットーにて 反ユダヤ主義思想史への旅』
プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』
浅田彰『ヘルメスの音楽』
・芝健介『ホロコースト
・ノルベルト・フライ/芝健介訳『総統国家 ナチスの支配 1933―1945年』
・P・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』
エドワード・W・サイード大橋洋一・近藤弘幸・和田唯・三原芳秋共訳『故国喪失についての省察 1』
・高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学 『判決』と『変身』を中心に』

 汗を肌に溜めながら駅へと戻る途中、立ち止まってビニール袋の方も紙袋にまとめて収めてしまい、嵩んだそれをバッグとともに提げながら線路沿いを歩いた。駅に入ってホームに出れば、西から注ぐ陽射しがホームの端に帯なして溜まり、ガラスめいて透明な液体質の光に身体が浸される。携帯を取り出してメモを取り、電車に乗ってからも続けて、三鷹で特快に乗り換えた。その後、立川で青梅行きに再度乗り換え、引き続きメモを取りながら揺られて拝島に掛かると、西南に傾いた太陽が建物の合間から姿を見せて光を送り、視界が折々橙に染まり、車のガラスや建物の側面が焼けつくように輝いている。
 しばらくして西の光が来なくなったので、陽はもう沈んだのかと見れば、雲が引き伸ばされて広く横に掛かったその後ろに入ったところらしく、雲は裏から照らされて一様に青灰色を、遠くの淡い山影と同じ色を全面に溜め、その下端から南の山に向かって光が洩れていた。携帯にメモを取り終えると手帳を眺め、青梅に着いてもすぐには降りない。車両の端の優先席には皺ばんだ顔に灰髪の老婆が就いていて、瞑目していると降りるのと聞こえたので目を開けてみれば、息子だろうか男性が腕を取って引き連れていくところだった。降りるの、と言った時の不安の滲むような声色に、あるいはいくらか惚けているのかもしれないなと見た。
 ちょっと経って手帳を切りの良いところまで読んでから電車を降り、重い紙袋を支えながら改札へ向かい、駅を出ると職場に入った。室長がデスクに就いていたが、本が一〇冊も入った重い紙袋に関しては、見えなかったのか何も触れられなかった。奥のスペースに荷物を置いておき、財布だけ持ってまた外に出て、コンビニへ行くと甘ったるいような旋律がBGMとして掛かっている。ツナマヨネーズのおにぎりと、チキンカツの挟まれたサンドウィッチを購入し、店員に礼を言って退店して、戻る道々あのメロディーは何だったかと考えて、Stevie Wonderの"My Cherie Amour"が出てきたがこの曲はあそこまで甘くはなかったと払ってすぐに、そうか、Bee Geesだと思い当たった。"How Deep Is Your Love"である。
 職場の奥で食事を取って、準備を済ませて六時から授業に入った。この日の相手は、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)に、(……)くん(中三・英語)。前者二人はここのところ、ほとんど毎週当たっている。授業はいくらか散漫だった。まず、(……)くんは相変わらず宿題をやって来ていない。(……)くんも同様で、彼は授業中も最初のうちは、睡気にやられてふにゃふにゃしており、のちにはこの二人は友達同士なので雑談を旺盛に繰り広げもして、その雰囲気にやられたのか(……)くんも何となく滞りがちで、途中で机に突っ伏しながら問題を進めるような始末だった。雑談の合間に、(……)くんは、学校に行っていないのだと明かしてみせた。そのあたり、他人に言うことに抵抗はないのかと、こちらは少々意外に思ったのだが、毎週授業で当たって相応に馴れてきたということなのかもしれない。その後さらに、心理カウンセリングを受けているということも何かの折にふっと言って、何故かとこちらが問えば、精神を病んでいるからだと冗談めかして返してきた。しかしいわゆる精神疾患という風には見受けられない。何らかの学習障害があるらしいということは以前室長に聞いていたが、それはもしかすると、読み書きなどの障害というより、アスペルガー症候群ADHDの類なのかもしれない。
 声のあまり上手く出ない勤務だった。授業中もそうだが、生徒たちを迎え見送る際の挨拶が細く掠れて、力がなかったようだ。ここのところ、秋草の花粉にやられているのか、鼻水が鼻腔の奥に引っ掛かる日が多いそのためかもしれない。退勤して駅に入り改札を抜けたところで、間の抜けたことに買った本を職場に置き忘れてきたことに気がついた。それで駅員のいる窓口に寄って、職場に忘れ物をしてしまったので出たいのだと申し出て、機械でSUICAの処理をしてもらって道を戻った。こちらの姿を見ておかえりと言う室長に、忘れ物をしてしまいましたと照れ笑いを返して奥のスペースに行くと、忘れていたのは紙袋だけでなく、何と手帳も机の上に出しっぱなしだった。随分と迂闊なことだ。生徒たちの散漫さを、意に介さずに粛々と働いているつもりでも、知らず引きずられていたかと思った。それで荷物を整えて再度退勤し、ふたたび駅に入るとベンチに就いて、余っていたカルピスを飲み干してしまい、古井由吉『ゆらぐ玉の緒』を読んでいると、入線してきた電車が耳を聾さんばかりのけたたましい警笛を轟かせて、あたりの人が皆一斉に何事かと視線を向ければ、どうやら中学生がホームの端を歩いていたか、警告を受けたものらしい。サッカークラブか何かの集まりなのだろう、同じ紺色の運動着を着て、いつもこの時間に駅に来る集団である。子供らは人々の注目を集めても懲りず、うるさいうるさいと燥いだ声を上げ、なかの一人などは警笛を向けられた仲間に向かって、そのまま死ねば良かったのに、と酷い冗談を言っていた。
 奥多摩行きに乗り込み、三人掛けに座って引き続き本を読むあいだ、アオマツムシの声が車両の壁を挟んで多少減じても、なおも盛んに響き通ってきて、線路の周りの草にいるものか、小学校の校庭の木々にいるものか、あるいはそこもさらに越えて闇に浸された丘の方からも鳴いてくるのか、外で野もせに鳴きしきっているのが知られる。最寄り駅に着いて降り、ホームを行けばこちらの脇で電車が発って、動物の鳴き叫びじみた線路の軋みを残して去っていく。そのあとから階段を上り、駅舎を抜けて坂道に入れば、秋虫の鳴きが幾分穏やかな風だった。車内でガラスを通して聞いた際の方が、かえって広く膨らんで響いたようだ。
 帰り着いた玄関には、見慣れないオレンジ色のスニーカーがあった。立川のいとこのYが来ているからで、と言うのは、彼はこの春から近間の中学校で体育の教師をしているところ、翌日が運動会で朝が早いから、立川までわざわざ帰るのではなく手近の我が家に泊まらせてほしいと、そういう願いだったのだ。居間に入ると母親と並んで卓に就いているYがいたので、よう、ともおお、ともつかぬ声を出し、続けてお疲れさまですと労働者ぶった。自室に帰って服を取り替え、食事に向かえば、Yが来るからといくらか豪華に調えられた食卓だった。と言っても唐揚げや、コンビニのアメリカンドッグやメンチカツのレベルではある。鶏肉をつまみにして米を食っていると、既に帰っていた父親も風呂から上がってきて、Yと二人で酒を飲みはじめた。こちらはボウルの生野菜を取り皿に盛り、黙々とものを食って大した会話は交わさなかった。辛うじて目立った話題と言えば生徒の話で、Yの勤めている中学校からもこちらの勤務先に通っている子供がいくらかいるところ、なかで(……)さんの名前が出た。Yは彼女と最近仲良くしていると言う。あの子は良い子だと頻りに褒めてみせるのだが、こちらはまだ一度しか当たったことがないので、仔細な人間性を掴めておらず、下の名前も思い出せないほどだった。
 テレビはクイズ番組、放送開始から五〇年にもなるという『ザ・タイムショック』を映して、父親とYは出題される問題に応じて熱心に声を上げて答えていた。途中でYに、立川図書館の利用カードを持っているかと訊いた。すると大学四年生の時に作った覚えがあると言うから、まだ最近のことで、好都合な話だ。良ければ貸してもらいたいと打診すると、全然良いよと軽い返答があったので、どうやら立川図書館の輝かしい蔵書をまた利用できることになりそうだった。一〇時に至ればテレビは『クローズアップ現代+』に移り、ジェフ・クーンズの、風船を膨らませて作った人形を模したような銀色の兎の像が、オークションで一〇〇億円ほどで落札されたと伝える。ジャン=ミシェル・バスキアの絵も、一つで一二三億円だかの値がついたものがあるらしく、バスキアの方はまだしも納得の行くような気がするが、往々「キッチュ」と言われるクーンズの、玩具じみた作品にそれほどの高値がつくのはこちらには理解できない領域の話だ。
 食後、風呂に行き、上がると挨拶もせずさっさと下階に帰ってしまったが、Yも翌日が早いので酒盛りはまもなくおひらきとなったらしく、隣の兄の部屋に下りてきて眠りはじめた。こちらは一一時から、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』の書抜きをしたあと、宮台真司苅部直渡辺靖「分断化された社会はどこに向かうのか」(https://dokushojin.com/article.html?i=479)を読んで零時を迎えた。以下、非常に長くなるが引用を並べる。

宮台 厳密には、金持ち白人が共和党候補に入れ、貧乏人とマイノリティが民主党に入れる構図は変わらなかったけど、ラストベルトを中心に没落労働者層がトランプに入れて結果が動いた。そこもローティに引きつければ「人権のユニバーサリズム」も「うまく回る近代国民国家」も幻想です。全ての等価交換は、起点での巨大な<贈与=剥奪>を前提する。この思考をフィジオクラシーと言います。ウォラーステインの世界システム論が典型です。「うまく行く国民国家」はフィジオクラティックな前提の上にある。ユニバーサリズムとフィジオクラシーが両立しないのは当たり前。分厚い中間層が続くはずもない。だから中間層の再生可能性もない。そこで既得権益をシェアできたはずの没落中産階級が「座席数の急減」で「誰かを叩き出すゲーム」を始めた。そこに出てくるのがセクシズムやレイシズム。差別主義に“戻った”のではない。誰かを叩き出す段になって仲間だと思えない奴を名指すのは当たり前。ローティによれば「誰と誰は平等だ」という言葉は無意味。性別・民族・宗教の異なる連中とフュージョンして遊ぶ感情教育がなければ、イザというとき性別・民族・宗教の違いでいつでも「叩き出し」が始まる。これまで既得権を得ていた白人が六割以上いるから、「誰と誰は平等」という言葉に過剰な意味を見出す文化左翼がのさばる間は、ヘイト現象こそが自然である、と。

だから僕自身トランプ当選の可能性が高いと思ったし、トランプ勝利を待望しました。待望の理由は、(1)野放図なグローバル化がもたらすものへの気付き、(2)正しいだけで楽しくないリベラルの愚昧への気付き、(3)対米追従を前提に座席争いするヘタレ官僚による引き回し(TPP、辺野古移転、原発再稼働…)への気付きに繋がるから。(2)と(3)は後で触れますが、(1)のグローバル化の野放図を放置してきた責任はリベラルにあります。三十年前のリベラル・コミュニタリアン論争で「正義」と「善悪」の差異が主題化されます。「善悪」は各人各様でも「正義」は“誰からも”支持され得る。さて“誰からも”とはどの範囲かと。九三年に論争が決着。所詮は国民国家内の話だとなりました。日本のリベラルは国民国家内でさえなく、九条護持を掲げて平和主義を気取りつつ、安全保障を米国に依存して負担を沖縄に押しつけた。「見たいものしか見ない」御都合主義の典型です。リベラリズムユニバーサリズムどころか所詮はコミュニタリアニズムの変種に過ぎない。これが論争が与えた気付きです。ならば問題を覆い隠すユニバーサリズムを諦め、コミュニタリアニズムとコスモポリタニズムの両立可能性という細い道を歩むべきです。九三年以降のロールズが言う「重なり合う合意」とはそういうもの。鈴木邦男氏が言う「右翼国際主義」が典型です。その場合、コミューナルな範囲は沖縄差別問題が示すように国民国家より小さい。ヒラリーが勝ってたら、九三年に思想としては敗北したリベラル・ユニバーサリズムがゾンビのように延命し、“茹で蛙”よろしく留め置かれた我々は、どこかで巨大な揺り戻しを経験したはず。野放図なグローバル化にどう制約をかけて、コミューナルなコスモポリタン化というグローバル化の新たなステージに向かうべきか。それを考える機会を提供してくれたトランプ当選は歓迎されるべきです。

宮台 もう方向性は示されました。(2)の「正しいだけで楽しくないリベラル」が関連します。世界中でリベラルや左翼が退潮する理由がそれ。「正義」の軸と「享楽」の軸があります。昨今のリベラルは「正しいけど、楽しくない」。河野太郎と洋平の区別も付かずに河野談話問題で太郎を批判するウヨ豚が、勘違いを否定されて直ちに「それでも太郎は気にくわねえ」と居直るように、「享楽」に向けた疑似共同性の樹立が賭けられている以上、「正しくない」との批判は痛くも痒くもない。「正義」と「享楽」の一致が稀という問題を伝統的に主題化してきたのは大衆社会論です。中間層が空洞化して、分断された個人が、これから貧困化していくという不安に苛まれる場合、「正義」と「享楽」が分離して「享楽」へとコミットするようになると。「権威主義的パーソナリティ」を論じたフロムが、絶対的貧困度とは別に見出した全体主義化の集合的な主観的条件です。ならば、中間層の分解過程では自動的にリベラルよりウヨクが有利になる。この流れの中で「正しさ」に粘着すると、「正しさ」を口実にマウンティングしたいだけの浅ましい輩に見えます。それに気が付かずに「正しくない」と批判し続けるのは、ユニバーサリズムも所詮「仲間内の平等」に過ぎないという(1)の問題を横に置いても、能天気過ぎます。戦後の効果研究が示した通り「正義」と「享楽」の一致条件は分厚い中間層が支えるソーシャル・キャピタル(人間関係資本)。仲間に自分が埋め込まれているという感覚があれば、仲間を傷つける奴に憤ることが「正義」かつ「享楽」になる。

夏の参院選で解散したSEALDsの奥田愛基氏にも申し上げて来たけど、人が「正しさ」から離れているのは、こうした一致条件を無視して「正しさ」をベースにマウンティングするばかりで「享楽」の輪を少しも拡げられないリベラルのせい。リベラルに必要なのは「正義」と「享楽」の一致だけど、既に申し上げた理由で一致条件を中間層の復活には探れない。ならばテクノロジーを駆使して工夫するべきです。ただし「正しいけど、楽しくもある」じゃ駄目で「楽しいけど、正しくもある」が必要です。鬱屈した人は「享楽」が欲しいのだから「同じ楽しむなら、正しい方がいいぜ、続くし」と巻き込むのがいい。(……)

渡辺 トランプの場合、発言の七五パーセントぐらいが、事実に基づかないという調査もある。だけど彼のコアな支持者からすると、そんなことにはあまり拘泥しない。そこにカリカリするのはリベラルであって、トランピストが求めているのはそういうことではない。ポリティカル・コレクトネスに反することをズケズケと言う。そこにトランプの誠実さを見出し、なおかつそれだけの度胸を兼ね備えたタフガイであると見なす。エリート・メディアがトランプを叩けば叩くほど心情的にトランプにシンクロしてゆく。そうした歪んだコミュニタリアンまがいのネットワークができてしまうのが、今の時代のややこしいところです。フェイクニュースも厭わないフェイクコミュニテイというか……。

ただ、やはりもう一度考えてみたいんですが、新自由主義に象徴される今日のグローバル化した社会の中では、ミドルクラスが瓦解し、格差が拡大し、取り残され、忘れられてしまう人たちがどうしても出てくる。そういう人びとに対して、もう一回社会の中に然るべき尊厳と居場所を与えることは可能なのか。たとえば富裕層の累進課税率を高くして、再配分する。結果としてミドルクラスが育っていけば、購買力もつき、消費も盛んになるのでビジネスのマーケットも広がる。治安も改善するかもしれない。中長期的にはいろんな恩恵がある。そのことに富裕層の人も気づくはずだと思いますが、この時代においては説得力がない。

トランプがやろうとしているのは、まさにレーガノミクスの再来、トリクルダウンです。しかし理論通りにはトリクルダウンはしない。上は上で溜め込んでしまうし、タックスヘイブンを介して税逃れもできる。レーガン時代からアメリカの格差社会は顕著になりました。そうなると、トランプノミクスによって、この傾向が繰り返されることになる。つまりミドルクラスはますます縮小する。さらにロボットやAIが進化すれば、持てる者はさらに高度な生産手段を持ち、低学歴・低スキルの労働者たちはますます太刀打ちできなくなる。おまけに再分配も敬遠されるとなると、末恐ろしい世の中になる気がします。

宮台 繰り返すと近代は資本主義・主権国家・民主政のトリアーデですが、資本主義のグローバル化が中間層を貧困化させて社会が空洞化すると、Brexitが象徴するように選挙や国民投票が「資本と主権とどちらが重要かを、民主で決める」図式に陥る結果、主権が選ばれて排外主義化する。するとグローバル化する新興国に抜かれて貧困化がさらに進み、ますます排外主義的に主権化し、経済的に沈下する。トリクルダウン策を採らなくても必然的に悪循環が回ります。必要なのは主権を制約してグローバル化を制御するグローバル・ガバナンスだけど、EUのドイツ民間銀行一人勝ちの帰結や、TPPの米国富裕層一人勝ちの図柄が、希望を挫きました。トランプ選出は気付きの機会だけど、トランプ自体はコミューナルなグローバル化に向かう政策を持たない。

でも、世界の貿易量が減り、グローバル化が新フェーズに入りつつある事情を見逃せない。賃金や土地が上がった中国が消費社会化で内需が膨らんだ結果、中間生産財から最終生産財までを中国国内で作るようになり、中間生産財輸出型ビジネスモデルが終わりつつあります。インドやミャンマーが中国の道を追走できるわけではありません。テクノロジーの高度化が、コスト面で資本をワザワザ他国に持ち出す必要を免じるだけでなく、物やサービスの安価さよりも微細なサービスの質で勝負をするゲームをもたらすからです。長い目で見れば地産地消型のローカル経済を回すグローバルなIT産業を前提としてグローバル化を回すという新フェーズに入ります。六〇万都市の米国ポートランドが象徴的ですが、今は胡散臭くてもクリエーティブ・シティの方向に向かうしかない。共同体を空洞化させる旧式のグローバル化にブレーキをかけ、新式のグローバル化のスロットルを踏む政策的選択肢が採用される必要があります。テクノロジーの発達をコミューナルなものの刷新に結びつけられない限り、民主政が妥当な政治的決定を出力し続けることは今後不可能です。

人文系の学者が不得意なテクノロジーの要素に注目するべきです。トランプ支持のオルタナ右翼は馬鹿だけど、中には「新反動主義者」と呼ばれるシリコンヴァレーの有力テクノロジストが含まれていて馬鹿じゃない。ピーター・ティールのような人たちです。彼らは「制度による社会変革」を信用せずに「技術による社会変革」に思いを託します。結局は他人を傷つけずに幸せになれれば――「享楽」できれば――良いのです。かつては制度的再配分しかありませんでしたが、今は<世界体験>をテクノロジーで制御できます。我々には<世界>(現実界)が直接与えられることはなく、我々が手にするのは<世界体験>(想像界)で、それは言語プログラム(象徴界)に媒介されています。<世界〉を<世界体験>に媒介する関数が言語プログラムとしての社会。この媒介を言語が作り出すテクノロジーが支援する割合が膨らみつつあります。ポケモンGOのような拡張現実が示すのは、かつて物の配分が可能にした幸せという<世界体験>へのアクセスが、情報の配分で平等化される可能性です。制度と違って技術は個人ごとにカスタマイズ可能だから多様な幸いを保障できます。元々はマルクーゼが五十年前に示した、テクノロジーが高度化すれば人間は理性的な存在である必要を免除されるとする思考です。このビジョンを小説化したJ・G・バラードの原作を映画化したのが『クラッシュ』と『ハイ・ライズ』。映画を観ると現実的だと思えます。このビジョンをコミューナルなコスモポリタニズムと結びつく形に展開できれば、支配・被支配関係の非倫理性をある程度退けつつ地域社会の持続可能性を確保できます。

苅部 宮台さんは『まちづくりの哲学』(蓑原敦との共著、ミネルヴァ書房)の中で、「顔が見える我々の再設定」ということをおっしゃっていましたよね。そういう試みを通じて、経済的に下層へ落ち込んでいるような人たちを、地域のつながりの中に引き止め、政治的な判断力を養っていく。それは有効な選択だと思いますね。

宮台 素朴だけど「仲間になる」のは大事です。進化生物学や分子考古学が示す通り、『宇宙大作戦』のスポック博士的にはノイズでしかない感情をヒトが持ち続けて来たのは、自発性(損得勘定)を超えた内発性(内から湧く力)がなければ、言語が支える社会の存続に必要な動機付けを調達できないからです。知れば為す(孫子)つまり合理的ならそれを人は意志するという立場が「主知主義」で、不条理ゆえに我信ず(テルトゥリアヌス)つまり端的な不合理を人は意志するという立場が「主意主義」ですが、比較認知科学が示す通り「他人のために命を投げ出す」という貢献性や利他性を支える“不合理な”感情の言語以前的な遺伝基盤を考えれば「主意主義」に軍配が挙がります。そこでもテクノロジーが役立つ。テクノロジーが支える関係が感情的な絆をもたらす可能性。「インターネットでの性別・年齢・収入を捨象した不完全情報のコミュニケーションが、昔あり得なかった匿名的関係をもたらしたものの、所詮は損得勘定優位で絆には程遠い」というのは確かだけど、感情の働きを踏まえたテクノロジーが未発達な現段階の話てす。ギテンズが二十年前に述べた通り、家族は大切でも、昔ながらの血縁主義的家族や安定した二世代少子家族を維持するのは不可能だから、「疑似家族」でしかないものも“一定の機能”を備えたら家族として認めるべきで、さもないと社会が続かない。その“一定の機能”をテクノロジーが支援できます。そうした機能主義的思考、「機能の言葉」が必要です。「家族」の項に「恋愛関係」や「友人関係」や「共同体」を入れても同じ。かつてのミドルクラスが戻らない以上、それが支えた共同性やソーシャル・キャピタルも戻らないけど、テクノロジーを踏まえた「機能の言葉」が希望を与えます。ただ「それは真の家族ではない」と「真実の言葉」に粘着するイメージ保守が邪魔する。

宮台 欧米の公は、内集団(所属集団)と外集団(非所属集団)を含んだ包括集団(市民社会)の原則だけど、日本の公は、滅私奉公の公で、所詮は内集団(所属集団)の原則に過ぎません。だから家庭生活が公になったりします(笑)。さて、なぜ社会で実体験を積むことが良いのか? 人は記憶の動物です。昔あったはずのプラットフォームを取り戻そうとするのは自然です。でもプラットフォームの前提が崩れれば取り戻しは現実化できない。家族も地域も崩れて来たけど、「機能が同じだから、これを家族として新たに認めよ」と迫ったところで疑似家族・疑似地域への同意は得られません。ならば、家族的だ、地域的だとかつての境界線を参照せず、別の境界線を持つ「仲間」を自在に作り出すことも大切です。ならはSEALDsがやろうとしたことには意味があったと思います。彼らが組織した国会前デモに参加した人には各人の動機があったけど、多くの人が言っていたのは、大学や会社では出会えない人と出会えるのが楽しかった。これは重要です。今まで仲間になれないと思っていた人と仲間になれるとわかる。そういう機会を作ってくれたのは誰だろうと考えて、社会的な想像力を開いていくことがあり得ます。その意味でSEALDsは一定の成果を残しました。安保法制を止められたかはさして重要ではない。どんな政治的なコミュニケーションをして、どう楽しさを持ち帰れるかを、示しました。

渡辺 トランプの集会に来ていた青年たちにインタビューしたテレビ番組をアメリカで観たのですが、「なぜここに来てるのですか?」と聞かれて、「女の子に会えるから」と答えている人がいましたよ(笑)。

宮台 大事です。それをリベラルが理解していない。関連しますが、今回LGBTの十五パーセントがトランプに入れている。ゲイに限ればかなりの割合がトランプに投票しました。「LGBTと言えば権利獲得」という先入観がリベラルにありますが、思い込みです。日本でもゲイバーに女連れで遊びにいくと「マ◯コ臭い」と嫌がられるでしょ(笑)。どこの国にもミソジニスト(女嫌い)のゲイが多数います。その現実を知らないから「LGBTと言えば権利獲得」と誤解する。権利獲得は大切でも、性愛の幸せは権利獲得では得られない。性愛こそ「正しさ」より「享楽」だからです。権利獲得で幸せになれると考える輩はゲイ界隈で嫌がられます。

宮台 天皇を御意思なき存在に留めることが「聖なる力」を奪いますが、政治的発言の失敗も「聖なる力」を奪います。木村草太氏が言う通り、明治はじめに井上毅伊藤博文の戦いがありました。井上は天皇をドイツのカイゼルのような元首にしようとした。伊藤は天皇は人形でいいと考えた。結果的に「人形でいい派」が今日までメインストリームであり続けています。「田吾作による天皇利用」のためです。でも我々は近代社会を営んでいるはずです。ならば天皇も意思する存在であるのを無視しちゃいけない。天皇は意思も価値観もお持ちだけど、日本人のために極力表に出さないようにしておられる。そのお気持ちに応えなければいけない。コール&レスポンスが必要です。さもないと「ならば言いたいことを言わせてもらう」「天皇をやめるわ」という話になりかねない。実際「天皇をやめる」と宣言されたら、制度ではどうしようもありません。天皇「制」と呼ばれていますが、憲法第一章を熟読すれば分かる通り、制度ではなく、陛下がそのようにして下さっているという事実性です。近代憲法に聖なる存在の事実性が書き留められるのは奇妙ですが、さもないと日本人は立憲主義的な近代社会の体裁を保てないんです。

 そうして次に、栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』のうち、書抜き候補の箇所を確認しながら気になった文言を手帳に写していった。黙々と作業を進めて一時半を過ぎたあと、コンピューターを停止させ、ベッドに移って読書に入ると、カーテンの向こうのひらいた窓から流れ込んでくる夜気が、思いの外に涼しく脚に触れる。肌寒さを嫌って薄布団を身に引き寄せているうちに、いつものことで意識が消えて、正気を取り戻した頃には何と、午前五時をだいぶ越えていた。朝空は既に白みはじめて、カーテンを閉ざしていても淡白な明るみが部屋に入りこんでくるなかで、構わず横たわって眠りに入った。


・作文
 8:38 - 9:56 = 1時間18分
 10:13 - 10:57 = 44分
 計: 2時間2分

・読書
 11:06 - 11:42 = 36分
 12:17 - 13:10 = 53分
 19:55 - 20:19 = 24分
 23:00 - 23:26 = 26分
 23:27 - 24:00 = 33分
 24:10 - 25:36 = 1時間26分
 25:39 - ? = ?
 計: 4時間18分 + ?

・睡眠
 3:30 - 8:00 = 4時間30分

・音楽