2019/10/4, Fri.

 私は『邂逅』を、かならずしも「文学的に」読んだわけではない。シベリヤから帰って三年目の私は、およそ文学的にものを読める状態ではなかった。私にとって、自由と混乱とは完全に同義であり、混乱を混乱のままでささえる思想をさがし求めていた。たぶんそれが〈愛〉というものなのだろう。だが、愛という言葉ひとつを口にするためにも、じつに多くのまわり道をしなければならない。それが椎名氏のいう「自由」ということなのであろう。
 (柴崎聰編『石原吉郎セレクション』岩波現代文庫、二〇一六年、188; 「『邂逅』について」)

     *

 帰国後しばしば私は、シベリアで信仰が救いになったかとたずねられた。実は、信仰というものがそのような、危機に即応するようなかたちで人間を救うものではないことを痛切に教えられた場所こそシベリアであったと、すくなくとも私にかぎっていえそうな気がする。
 (200; 「聖書とことば」)

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 私は強制収容所で、多くのカトリックギリシア正教の聖職者に会ったが聖職者といえども危機に対しては、他の囚人とおなじ態度でのぞまざるをえないさまをしばしば目撃した。人間には、救済「されてしまった」という安堵は永遠になく、つねに新しく不安と危機に対処しなければならないことを、私は痛感した。
 (201; 「聖書とことば」)

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 話をすこし戻しますと、こういった混乱状態のなかで詩を書き出したとき、私は詩によって一体なにを伝達しようと願っているのかということを、しばしば考えました。つまり、その時期の私には、詩という表現形式へ追いつめられたものが、他者へ伝達されることに大きな不安があったわけです。つまりその時期の私にとって、詩を書くということは、先ほどお話しした、牢獄の壁に姓名、名前を書きのこすという行為とほとんどおなじであったと思います。たまたまそれを読んだ別の日本人がいたにしても、その名前が担った運命の重さというものは全く伝わらないかもしれない。というより伝わらないのが本当です。にも拘らず人は、さいごに辛うじて残せるものとして、その名前を書きのこす。あるいは人に伝える。これが、伝達ということの、いわば原点であると私は思います。
 そしてこれを受け取る者は、名前の内容は分らないけれど、ひとつの重たい事実として、記憶に刻みこんでどこかへ行く。私にとって、詩を書くという行為は、その時期には、ほとんどそのような行為であったと思います。
 (211~212; 「詩と信仰と断念と」)


 明晰夢を見た覚えがある。設定としては高校三年生の卒業前なのだが、自分の認識としては今の年齢のままと言うか、要は「強くてニューゲーム」ではないけれど、高校三年生時点の自分の肉体に今の自分の精神が宿っていて、それに気づいているのはこちら自身のみ、というような状況があって、そうした夢を見ながらこれは夢だと気づいており、これは面白い、起きたら是非とも日記に書かなくてはと思ったのだったが、起きてから時間も経った今から考えると別にそれほど面白くはない。その夢が破れてカーテンを開けると、雲のまったくない澄み切った秋晴れとは行かないが、太陽を押し留めるほどの勢力も雲にはなくて、空気に陽の色が宿り、本体は南の空で光を四方に広げ、膨張している。その光を受けながらふたたび眠りに入って、するとまた明晰夢が続いて、という形で何度も短く夢を見ては覚めてを繰り返したのだが、それらの詳細はもはや失われてしまった。一〇時半頃に意識が定かになり、それから少々経って起き上がると上階に行き、母親に挨拶をして洗面所に入って顔を洗うとともに髪を梳かした。髪もそろそろ切りたいほど伸びてきていて、もさもさとして野暮ったい。
 食事は前日の炒め物と米のみを卓に運んで取っていると、母親が大根や人参の漬物と煮昆布を持ってきてくれたのでそれも頂く。食後、抗鬱薬を飲み、皿を洗って風呂に行き、寺尾聰 "HABANA EXPRESS"や"渚のカンパリソーダ"を口ずさみながら浴槽を洗って、出てくると下階に帰った。あと、時間が前後するけれど食後には梨も食った。父親がどこかで買ってきたらしいもので、母親は、あんなにお土産を買ってこなくても良いのに、勿体ないよ、もっと考えて買えば良いのにとぶつぶつ漏らして、この梨はどこで買ってきたものなのかどこかの土産なのか知らないが、のどぐろ入りの蒲鉾とかあたりめとかが調理台の上にはあって、これは多分先日自治会の旅行で新潟に行ってきた時の土産なのだろう。梨は甘く瑞々しく、美味いものだった。
 急須と湯呑みを持って上に行き、流し台に茶葉を空けて、排水溝の物受けに溜まった茶葉を生ゴミの袋に始末する。物受けを持って流し台の縁にがんがん打ちつけて茶葉を落とそうとするのだが、なかなか出てこないので結局手指を使って搔き出した。そうして茶を注ぐと自室に帰り、コンピューターを起動させ、日記の記録を付けると、前日の夜のことを書きはじめる。途中でYoutube寺尾聰『Re-Cool Reflections』の音源を流して歌う。茶を飲んでいると暑くて汗が湧くので、窓を閉めてエアコンを入れた。途中で茶をおかわりしに行くと、台所には烏賊の匂いが漂っている。先ほどのあたりめを大根と一緒に煮物にしたのだと言う。茶をまた三杯分用意して自室に帰り、日記を書き続けるあいだ、LINE上でTが、MUさんに対する誕生日プレゼントとして、『ハイキュー!!』という作品のジャージを皆で贈るのはどうかと提案しており、『ハイキュー!!』というものをこちらは全然知らないが、異存はないぞと受けた。この作品に出てくる学校のジャージが市販されていて、簡単にコスプレ出来るからしてみたいというような発言を、以前MUさんがしていたらしい。
 "ルビーの指環"を歌い終わって、母親が仕事に出掛けた頃、音楽を止めた。と言うのは、今日はAmazonで注文した谷川俊太郎祝婚歌』が届くことになっていて、自室で音楽を流しているとインターフォンが聞こえない可能性があるからだ。母親の上階にいるうちに荷物が届いてくれれば手っ取り早かったのだが、そうは行かなかったようなので、音楽を消して入口の扉も開けて上階の音や気配を聞き取りやすいようにしながら、ここまで綴って一時前である。
 インターネット上に一〇月三日の記事を放流したのち、Mさんのブログ。三日分を読んで最新記事まで追いつく。続けて過去の日記。一年前の日記は箇条書きではあるが、そこそこ書いていて、さらに一年以前の日記も読み返しているようで、二〇一七年一〇月四日の記述が引かれており、なかなか上手く書けていると評しているのが次の描写である。「裏路地を行きながら見上げた夜空に、コーヒーに垂らしたミルクのように、微妙に揺らいだ乳色の筋のただ一つのみ流れているのは、そこに雲があるのではなくて、ほとんど隈なく敷かれた雲の幽かな切れ目のほうであり、中秋の名月とは言うものの生憎の空模様に、さすがの月も自己の存在を示す頼りをほかには何も持てなかったのだ」(2017/10/4, Wed.)。今読んでみても、確かになかなか良く流れているのではないかと思う。
 続けてfuzkueの「読書日記」を読んだのち、Sさんのブログ。八月一六日の記事に書かれていた溝口健二の映画の要約が面白く、そうか、恋愛ってそういうものなのか、と思った。

溝口健二近松物語」の登場人物の二人は、大変な恋愛モードの只中にいるのだが、一緒にいるときに必ずしも幸福そうではなくて、むしろ今の事態に恐れ慄いてその不安に耐えきれなくて、とくに男の方はせめて相手だけでも助けたいと思って、突如として一人で逃走をこころみて果たせず泥にまれてまた性懲りも無く二人抱き合うみたいなことをくりかえすばかりで、外部的な力によって引き離されることには絶対に抵抗するしどこまでも逃げるし、そこまで行くなら心中しかないでしょというレベルはお話の前半くらいで軽く越えてしまって、死ぬことさえ拒否、地獄だろうが何だろうがどこまでも行くのみの体制で進みまくるのだが、しかしくりかえすが二人一緒にいるときが最上の幸福ではない。それはむしろ興ざめで只の「日常的」な時間でしかない。目の前のこの相手はなんと凡庸でどこにでもいる只の男だろう、こいつはどれだけありふれたただの女に過ぎないのか、お互いはきっと相手のことをそう思っている。それをまざまざと感じる。馬鹿馬鹿しい、ムダだ、滑稽だとさえ思う。にもかかわらず、相手がいないときには、その相手のことばかりで頭がいっぱいになる。昼も夜も、寝ても覚めてもそれだけになる。会わない時間が信じられない。世界のすべてを喪ってもかまわないから、あの人に会いたいと思う(「天気の子」にもしかしたら含まれていたのかもしれない、そうであってほしかった狂気)。その病気に罹っている。恋愛は端的に病気であり、治癒の対象ではあるのだが、それを発病することを生きるよろこびのように感じる部分がどこか人間のなかにあるのはなぜなのか。(……)
 (「at-oyr」; 「恋愛論と紛失論」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/08/16/000000

 そうして二時までSさんのブログを読んでから上階に行き、洗濯物を取り込む。その頃には空には雲が蔓延って空気は脱色されているが、右手を額に翳して見上げれば西の空の、もうだいぶ林の樹冠に近いところで雲の向こうから太陽は白光を放ってはいる。見下ろせば畑の斜面には緑のなかに彼岸花の紅色がいくつも群れて、梅の木の葉は萎えたように力なく垂れ下がり、梢が軽くなっている。洗濯物を室内に入れると、まずタオルを畳んで洗面所に持っていき、足拭きマットも浴室の入口の前に敷いておき、それから肌着や靴下や両親の寝間着を畳んでソファの背の上に並べておいて、次にアイロン掛けだというわけでアイロンのスイッチを入れ、器具が温まるのを待つあいだに玄関を抜けた。谷川俊太郎祝婚歌』が、直接手渡しかあるいはポストに投函しておくという風に知らされていたので、知らないうちに配達員がやって来ていて既にポストに入っているのではないかと疑ったのだ。しかしサンダル履きで階段を下り、ポストをひらいてみるとなかは空っぽ、仕方なくまた待つことにして屋内に帰り、炬燵テーブルの縁にしゃがみこんで、父親のズボンを一つとハンカチを二枚、処理した。そうして下階に戻ってくるとここまで書き足して二時半前。
 二時半から英語。Paul Bloomfield, "What ‘Justice’ Really Means"(https://www.nytimes.com/2018/10/10/opinion/justice-moral-epistemic-principles.html)。語彙は以下に。

・take a beating: 敗北する; 大損害を受ける
・bear witness of: 証言する
・feat: 妙技; 特別な技能
・apotheosis: 頂点、極致; 典型、見本
・unduly: 不当に
・thumb on the scale: こっそりと自分に有利にすること
・desert: 功罪
・vigilantly: 油断なく、用心深く
・bond: 契約; 拘束
・common denominator: 公分母、共通点
・imposter: 詐欺師
・circumspect: 慎重な、用心深い

 さらに間髪入れず続けて日本語のインターネット記事を読むことにして、最初に、「週刊読書人」のウェブサイト上に掲載されている過去の記事をなるべく毎日一つずつ読んでいくことに決めているので、「東浩紀氏インタビュー(聞き手=坂上秋成) 哲学的態度=観光客の態度」(https://dokushojin.com/article.html?i=1253)を読んだ。気になったところを下に。

坂上 その中でとりわけ聞いておきたいのがドストエフスキーを論じた部分です。「子どもたちに囲まれた不能の父が観光客の主体になる」という書き方をされていますが、不能の父というのは無力な父とは別なわけですよね。そして無力でないのはなぜかと言ったら、子どもたちに世界を託すことが出来るからだと。

東 これは簡単な話で、要は、父といってもだいたい子供からは馬鹿にされるしいいことない、でも父になるしかないでしょってことですよ。ヨーロッパ的な父、特に哲学の概念として話題になるような「父」は、非常に強い家長的存在でしょう。でも現実に父親になるというのは、そんなことではない。

坂上 もっと俗的な存在というイメージでしょうか。

東 世俗的というか、現実として、父というのは情けないものですよ。べつに生物学的な父でなくても象徴的にも、父なんてのはたいてい弟子たちに馬鹿にされ捨てられて終わるものです。それがイヤならば弟子を作らないしかない。でもそれは空しいしそれではシニシズムから抜けられないよ、というのがぼくの本のメッセージです。じつはこの議論はジェンダーは関係ないので父じゃなくて「親」にしたくて、入稿の直前まで迷ったのだけど、どうも「不能の親」だと表現がしっくり来なかったんですよね。あと、これも本には書いていないんですが、ぼくの考えでは生きることそのものが「観光」なんです。ぼくたちはこの現実に観光客のようにやってくる。たまたまある時代ある場所に生まれ落ち、ツアー客がツアーバスで見知らぬ他人と同席するように、見知らぬ同時代人と一緒に生きていく。ツアーは1年で終わることもあれば80年続くこともあるけど、いつかは終わり、元の世界に戻っていく。そしてそんな観光地=この現実に対して、ぼくたちはほとんど何もできない、何も変えられないし、ほとんどのことは理解できない。でもちょっとだけ関わることができる。人生ってそんなもんだと思いますね。

坂上 「観光客の哲学」は普遍性を持っていると東さんは考えているわけですよね。

東 当然です。そもそも哲学的な態度とは観光客の態度のはずだ、というのがぼくの考えです。ぼくがなぜこの本でヘーゲルを批判しているかといえば、彼こそが、哲学を国家にとって「役立つもの」にしようとした張本人だからです。あともうひとつ、今日はぜんぜん話題にのぼりませんでしたが、ゲンロン0はポストモダニズムのアップデートです。ポストモダニズムはいまでは古い思想だと思われていますが、実際には二〇一〇年代のいまこそ社会のポストモダン化が徹底した時代であり、したがってその読み直しには大きな可能性があると思います。たとえば、普遍性について、近代においては、家族、社会、国民、そして人類全体へといったように、全体性の拡大としてしかイメージされてこなかった。しかしそういう拡大は必ず全体から排除されたものを生み出すので、自己矛盾を孕むことになる。リベラリズムの限界はまさにここにあったわけですが、ポストモダニズムはまさにそこで、充実した全体性とは違う穴の開いた全体性があるといったことを論じてきた。そのような思想はいままでは言葉遊びだと思われていたけど、トランプの時代のいまこそ、もっと実践的かつ具体的に論じられるべきではないか。国民という充実した全体性に対して、ウィトゲンシュタイン的な家族的類似性で組織される、穴だらけの全体性として人類を考える。それはかつては「リゾーム」なんて呼ばれていたのだけど、あまりにも曖昧なのでそれをアップデートする必要がある。これも本のなかに書いてあります。

 次に、Kieran Devlin「ファンカルチャーは批評のあり方をどう変えたか?」(https://i-d.vice.com/jp/article/9kxbx8/how-stan-culture-has-changed-the-critics-role)。同様に引用を以下に。

変わりゆく批評において起きている、もうひとつの重要な変化。それは今や、アートそのものを批評するのではなく、アーティスト自身の背景にフォーカスすることが強く求められているということだ。

作品のリリース数が増加の一途をたどる現在、アルバム、映画、書籍、展覧会の発表のさいは、メディアやライトなファン層の注目を確実に集める必要がある。そのために、PRや代理店、マネジメントを駆使し、作品の背景にある物語を打ち出す。そうなると、それが感動的な物語をよろこんで受け入れる準備ができているファンベースを反映したものになるのは当然だろう。しかし歴史的には、物語の考察ではなく、作品を作品としてしっかり考察することこそが、ジャーナリストの責任だった。

「Pitchfork」に掲載されたリゾのアルバムレビューは、ボディポジティブ、メンタルヘルスの回復など、アルバムを取り巻く物語に敏感に反応している。ただ物語に言及しているわけではなく、むしろ支持している。ただ、収録曲が少々均質で、ベースラインやビート、ハーモニーには、リゾが実生活で実現してきた勝利の数々に似た迫力や喜びが欠けている、という指摘もあった。

それがリゾのファンに、リゾの物語への攻撃ととられた。彼らは物語のなかにいないライターによる、リゾの名誉を毀損しようとする意図を感じ取ったのだ。「Pitchfork」によせられた批判では、このレビューがアルバムを「理解」していないとする意見がみられた。作品自体の質と、作品にまつわる物語やパーソナリティが、切り離されづらくなっているのだ。

 その後、「普天間軍用地料、地主半数超100万未満 政府が答弁書」(https://ryukyushimpo.jp/news/prentry-245595.html)、「「たったの62人」大富豪が全世界の半分の富を持つ、あまりにも異常な世界の現実」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/47989)、木澤佐登志「欧米を揺るがす「インテレクチュアル・ダークウェブ」のヤバい存在感」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/59351)の三つの記事を立て続けに読み、時刻は三時半過ぎ。上階へ行き、母親の負担を微小ながら減らすために味噌汁でも作るかということで、冷蔵庫を探ると葱と舞茸があったのでこれで良かろうと調理台の前に立った。小鍋に水を汲んで火に掛けているあいだに、牛乳パックの上で葱を斜めに輪切りにしていく。切っているうちに湯が沸いたので、葱を投入し、粉の出汁を振るとともに醤油をちょっと垂らして、それから舞茸も細かく切って加えた。しばらく煮たあと、パックから押し出して投入するチューブ型の、お玉の上で溶かす必要のない味噌を適当に、目分量で入れて完成、早速椀によそり、その他半球形のゴマチーズのパンを一つに、ゆで卵と朝に食った梨の残りを持って卓に就いた。パンを千切って口に運びながら、どうも風がないなと見た。ベランダに続くガラス戸は開けてあるのだが、そこに掛かったレースのカーテンも少しも揺らぐ様子がない。空気が停止しており、そのなかでアオマツムシか、透き通った金属の球を擦り合わせるような鳴き声が立つものの、あたりは実に静かだった。味噌汁はまあまあの味。食事を終えると台所に立って手早く食器を片付け、肌着を脱いでボディシートを一枚取り、腋の下や背や腹を拭いた。そうして肌着を身に戻さず、上半身裸のまま下階に帰ってくると、勤勉なことにまたもや日記に手を付けて、ここまで綴れば四時九分。荷物はまだやって来ない。
 歯ブラシを持ってきて口に突っ込み、口内をごしごしと掃除しながらまたインターネット記事を読もうというわけで、今福龍太・中村隆之・松田紀子「ポスト・トゥルースに抗して 〈パルティータ〉版『クレオール主義』(水声社)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=1310)をひらいた。今福龍太という批評家も以前から読みたいと思っているのだが、まだ触れたことはない。こちらが彼の名前を本格的に意識したのは、二〇一七年に『ヘンリー・ソロー 野生の学舎』が読売文学賞を取った時で、この著作については当時、ソローが好きなUさんにこういうものがあるらしいですよと情報を知らせたはずだ。確か彼はその後、啓発的だったというような評価を下していたような記憶がある。それ以来こちらもこの本は読みたい読みたいと思って図書館にもあるのだが結局手を出せていないわけだ。以下、鼎談から引用。

松田 「亡命者」という概念は、後の「難破者」というテーマにも繋がってくるのでしょうか。

今福 まさしくそうです。サイードに示唆されながらずっと「亡命者」の問題を考えてきて、最近ではそれを家郷や言語から切り離された「難破者」と言い換えながらさらに深めようとしているところです。サイードは元々、「亡命者」のモラルの問題をアドルノの思想から受け継ぎました。アドルノは「自分の家にいながらアットホームと感じないこと、これが現代世界に生きる我々のモラルの基本である」と言った。つまり自分の国で市民権を持って生きている人間だとしても、そこでぬくぬくとくつろいで(アットホーム)生きているわけにはいかない。どこにいてもアットホームではないと感じることから人間のモラルが生まれる。それが現代社会であるとアドルノは言ったわけです。亡命者や難民、あるいは国内におけるマイノリティにたいする共感や理解は、家でぬくぬく暮らしていたのでは決して生まれない。サイードは亡命者としての大きな政治的な葛藤を通してこうした倫理的地点にたどり着いた。あえて言えば、この亡命者の深い悲嘆に立ったオプティミズムから、僕は大きな勇気を与えられました。サイードはこんなことも言っています。社会における想像力や寛容さの供給量は本質的に少ない。影響力のある人間が誰かを敵対視し、「奴らは敵だ」と言いつづければそれはたやすく事実化してしまう。だから耐えざる努力によって、想像力や寛容さの社会的供給量を高めていかなければならない。これは、グリッサンの言う美的・詩的要求としての「高度必需」の考えにとても近いと思います。(……)

今福 ホワイトやグリッサンに学んだのであれば、歴史が時の連続体としてそこに自明に存在しているかのように語ることだけは避けたいと思ってきました。『クレオール主義』という本に対しては、初版刊行以後、それが非歴史的・非政治的であり、現実政治の状況にたいしてオプティミスティックすぎるという批判が多方面からありました。八〇年代後半から「ポジショナリティ」という言葉が盛んに使われるようになったわけですね。言説の発信主体が、どの時代にどういう歴史状況、民族性、ジェンダー偏制の中で存在し発話しているかを立論の根拠として厳しく問う。そこでは、歴史的・社会的マイノリティとしての自分のポジョションを明確に引き受けることで、ある言説の正統性が保証された。そんな言説の歴史化や、ポジショナリティの規定の窮屈さに逆らって、サイードのいう「亡命者」として、僕は越境的・対位法的に考えようとした。『クレオール主義』の成立の最後の段階における重要なアクターとなったトリン・ミンハも、同じような意識を共有していたと思います。彼女は母国ヴェトナムのことを語るという自らの正統的なポジションから飛びだして、あえてアフリカについて代弁・表象しようとした。しかし、なぜアジアの人間がアフリカのことを語るのか。ポジショナリティの理論が依拠するアイデンティティ政治学からでは、そうした越境は説明することが困難なのです。

中村 お話をうかがっていて、『クレオール主義』に流れる思想の一貫性が、はっきりと示された感じがします。つまり「亡命者」という精神的境位に自分を置くということ。そして、絶えずポジショナリティをずらしていく。そこから批評行為を立ち上げていくのが、今福さんのスタイルである。本を読んでいても強く感じることですけれども、文化的な正統性や本質性と戦っていく。僕にとって『クレオール主義』は、「文化の政治」を実践する本という位置づけにあります。当時は、学問も強い制度を持ち、権威的であった。そういうアカデミズムのあり方と格闘しながら、これまでになかった新しいものを立ち上げていく。それが今福さんのお仕事であった。

中村 最後に、今福さんが言及されていた「ポスト・トゥルース」の話をしたいのですが、ここ数年で、「フィクションと現実」という問題系が随分進んだという気がしています。つまり一九七〇年代までは、フィクションはフィクションであり、事実は事実であるという明確な二分法があった。だから事実として認められるものが歴史要素になり、それ以外は物語であるとされた。そのことを、ヘイドン・ホワイトは七八年に出した本で批判したわけです。今はバーチャルな世界が一般化してきて、「現実」と「フィクション」の関係がよくわからなくなってきている。そうなったとき、どういう言葉を紡いでいけばいいのか。これは、僕にも切実な課題です。今福さんもグリッサンも、あえて「現実」と「フィクション」を混ぜ合わせて書いていく。そのほうが読み物として面白いし、そうした書き方にこそ大きな可能性を感じます。しかし、現在は、そういう時代の反作用であるかのように、嘘であろうがなんであろうが、言ったもの勝ちだ、という風潮が強まっている。嘘をついたとして、それが一年後に真実ではないと判明しても、もう手遅れです。あまりにも情報量が多く、人は極度に忘れやすくなってしまっている。だから権力者も、嘘を言うことに悪びれない。戦略的に嘘をつく。そういうあり方に対して、どうやって抗っていけばいいのか。自分の中に答えがあるわけではありませんが……。

今福 重要な問題ですね。昨年、OED(オックスフォード英語辞典)が「今年の一語」に「ポスト・トゥルース」を選んで話題になりましたけれど、前年と比べて二千倍の使用頻度になったそうです。おそらくブレグジットトランプ大統領の誕生が、その背景にある。OEDでは「ポスト・トゥルース」は次のように定義されています。「客観的な事実よりも、感情や敵意を煽るだけの公的な虚言の方が、世論の形成により影響を持つような状況」。「ポスト・ファクチュアル・デモクラシー」といえば、まさにトランプ的なものであり、「事実無根の民主主義」のことです。事実ではない、あるいは実現不可能なことを、大衆受けする主張として掲げて、選挙に勝利したり大衆の支持を得たりする。どんな虚言を弄しても、それが検証・批判されることなく、いつの間にか既成事実化されてしまう。そういうごまかしですね。いまの日本も同じ状況にあります。この問題について考えるとき、やはりヘイドン・ホワイトの議論を参照すべきでしょう。ホワイトが教えてくれたことは何だったのか。事実や実体、あるいは歴史的過去、そういうものは、つねに政治的で詩学的なプロセスを含んだ表象であるということです。我々はこうした議論から、事実や真実というもの自体の「不透明な厚み」について学んだ。それは、真実や事実は存在しないという議論ではまったくない。 

今福 事実や真実といわれているものは、様々な揺れと厚みを持って構築されているという、まさにそういう「事実」を学んだわけです。それが、我々がものを考えるための重要な根拠となった。ファクトというものが持つ様々な変容可能性、あるいはそのレトリカルな存在のあり方を、きちんと認知できるかどうかが重要だったわけです。そのことによって、事実というものの力が衰えたのではありません。むしろ事実というものに、より強い力が与えられたのだと思います。「ポスト・トゥルース」の現象を見ていて情けないと思うのは、我々の社会が学びとったはずのことが、まったくなかったかの状態に差し戻されてしまったということです。客観的な事実、唯一の事実なるものを捏造し、その痩せ細った事実への感覚が、さらに嘘を自分にとっての事実であると開き直る態度を助長する。だから「ポスト・トゥルース」というのは、「事実なんていうものはない」という時代が到来したということではなくて、あらゆる人間が「これが自分にとっての絶対的な事実である」と主張し合っている状態を示しているだけのことです。完全にホワイトの議論以前に戻ってしまった。結果として事実が痩せ細れば、欺瞞がはびこる。事実ではないものが、嘘やごまかしとしてたくさん出てくるのは、我々の、事実や真実というものの不透明さや厚みへの信頼が失われてしまったからなのです。私たちの思想には、根拠が必要です。それは決して実証的な事実を根拠にするという意味ではない。事実が持っているポエティックな側面と政治的な側面を深く認知し、それを議論の根拠にしなければいけない。「ポスト・ファクチュアル・デモクラシー」には根拠がありません。トランプ政治や安倍政治が持っている無根拠さに、我々は耐えられない。(……)

 そうして四時半、寺尾聰 "ルビーの指環"を流しつつ服を着替えて、廊下の鏡の前に立ってネクタイも締め、首周りを狭くした。それで余った時間は二〇分、その猶予で何をするかと迷った挙句、普通に本を読もうということで、辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』をひらいた。カフカという人は記述や、記述の元となるイメージの全体図を予め頭のなかに作り上げてからそれを文章化するというプロセスを踏んでいる作家では明らかになく、書きながら考える、と言うか、考え吟味するというほどの頭の働きもなしに、ほとんど思いつきのようにして情報を付加していって、あとで無理が出てきても強引な後付けを施して、その無理をまさしく無理矢理に道理として通してしまうような人だと思う。要は頭よりも筆あるいは手の方が先行していて、強烈な力で飼い主をあらぬ方向に引っ張っていく犬のような言語の自律性に従うタイプということだが、そのあたりを具体的なテクスト、具体的な文言に即してもう少し分析できないものかと考えている。
 カフカを読んで五時に至ると荷物を持って上階に行き、真っ黒な長靴下を履いて玄関を抜けた。ポストに入っているのは夕刊のみで、やはり本は届いていない。道に出ると途上の空に月が細く、あたりに漂う雲と同じ希薄な白さで既に浮かんでおり、道の先には誰かが何かを撒いたのか、鴉が四匹も降りて周囲をつつきまわっていた。歩いていくと、さほど近づかないうちにもうこちらの存在を嗅ぎつけて鳥たちは順番に飛んで逃げていった。通りながら地面を見回してみたが、特に餌らしきものは落ちてはいない。もう少し進むとSさんが、宅の向かいの道の端の、木の下の葉を履いているので、こんにちはと、足を停めて挨拶すると、ちょっと遅れてぎこちないような答えが返った。続けてKさんも、宅の脇でしゃがみこんで草を取っているので、やはり足を一瞬停めて挨拶し、会釈も送って過ぎれば柿が、Yさんの宅の前、門のところに生えているものだが、無数につけた実をもうだいぶ色濃くして、なかによほど熟して赤味がかっているものも見られる。坂に入って足を緩めながら、しかしあの柿は、いつからあそこにあったのだろうなと訝った。いつからも何も、そんなにすぐに大きく伸びて実をつけるものでもあるまいし、例年あったはずなのだが、今年になるまで見かけた記憶がなく、日記に書いた覚えもない。今までずっと見逃していたとするならば、よほど注意散漫だが、ほかの道では柿の木に目を留めることもあったのだから、ここで見ないのは不思議である。
 坂は小暗く、既に街灯が点けられていて、足もとには黒ずんだ濡れ痕が残り、左右の端に散らばった葉の、やはり段々多くなってきているらしいその下は特に湿って、雨が降ったのはいつだったかと思ったけれど、毎日細密な日記を記しているのに、あるいはむしろそのためか、直近の天気も思い出せない。出口が近づくと、風が身に触れた。道に沿って吹いているようで、絶えず身体の前面に寄ってくる感触の、包むというほどでないが柔らかい。
 駅に着くとちょうど奥多摩行きがやって来たところで、降りてきた人らとすれ違いながら通路を行き、ホームに下りればベンチに就いて手帳をひらいた。この日は既に書いてあることを読むのでなく、日記のためにとにかく頻繁にメモを取っておくことが肝要だと心掛けて、道中のことを簡易に記録しはじめた。歩いてくるとやはり汗が肌を包んでおり、と言って五時にもなればわりあい涼しいのでそれ以上盛ることもない。西空には雲が千切れて橙色を宿しているが、ペンを走らせているあいだにも暮れが進んで、次に目を上げた時には赤味も薄れており、あたりの空気には暗色が忍び寄っている。五時半が近づけば、五分経っただけでも空気の色が変わっていく。
 電車到着のアナウンスが入っても書き続け、停まる間際に立って手近の口から入り、電車のなかでは揺れで字が乱れるからペンは仕舞って文を読み、青梅に着いて駅を抜けると、南の正面に月が、先ほどよりも白味を強めてはっきりと刻まれて、雲が払われてすっきりと広がる空の青さは和紙のように淡く、西の際は純白が漏れ出てその上に僅かに残った雲は残光を受けて煤煙めいて沈んでいる。
 職場に入り、すぐさま準備を始めたが、大してやることもないのですぐに終わってそのあとは、また手帳にメモを取ったものの、最寄り駅で既に結構書いていたらそれもすぐに終わって、暇になったのをばれないように授業のことを考えている風に装って教科書などひらいていると、(……)先生がやって来た。こちらは鬱病で一年間休職、あちらも就活で、こちらが復帰したこの春から今まで仕事にはほとんど入れていなくて、一緒になる機会もなかったので、顔を見るのは実に久方ぶりである。彼が近くにやって来ると立ち上がって、お久しぶりですと挨拶し、復帰したのだと伝えていると、相手の顔が以前よりも、やはり一年半も立てば男子変わるものか、大人びて見えたので、大人っぽくなった、と思わず手を差し向けてしまったが、もう大学四年にもなる相手に向かって大人っぽくなった、もなかったかもしれない。
 授業は一コマ、相手は(……)くん(中三・英語)に(……)さん(中三・英語)の二人のみで楽な仕事である。(……)さんは、こちらが休職する前にもいた生徒で、彼女の方もその後塾を辞めていたようだが、最近また戻ってきたらしく、まず最初に、その旨訊いて、辞める前に当たったと思うけれど、改めて、と名を名乗って挨拶した。あちらも礼儀は正しい女子である。しかし、こちらの些細な行動に対してもたびたびありがとうございますと言葉を送ってくれて、確かに非常に礼儀正しくはあるのだが、何となく不思議な雰囲気やリズムを持っているような感じもして、しかしその不思議さが一体どういう不思議さなのか、まだ明晰に捉えられないでいる。ともかく今日は、テストも一週間後に迫っているので当然その対策をして、扱ったのは関係代名詞、本当はもっとたくさん復習したかったのだが、室長の要望でアンケートを書く時間などもあって一頁しか扱えなかった。
 (……)くんはテストはもう終えたので、テスト範囲の次の単元を予習。長文読解のところだったので教科書を持ってきて一緒に訳を確認したのち、問題に取り組んでもらった。二人相手で余裕があるからそういうことが出来るのだが、授業は全体としてわりあい上手く行ったのではないか。
 八時前に退勤すると、駅前の路上には乾いて萎えたような薄色の葉っぱが散らばっているのが目について、季節の進みを感じさせる。駅に入ってホームに出ると、例によって二八〇ミリリットルのコーラを買って飲んだのだが、勤務のあとはこうしてコーラを飲むのが習いになっているのは、糖分摂取の観点からあまりよろしくないのではなかろうか? しかし今日も飲んで、飲んでいるあいだは手帳を読み、というところで突如として往路のことで書き忘れがあったのに気がついたが、それは駅を出るために通路を辿っている時のことで、青梅駅の通路には時折り音楽が流れているのだけれど、今日聞いた哀愁的なメロディは、無論以前にも聞いたことがあるものの日記にそれを記すのは初めてなのだが、フランコ・ゼフィレッリ監督の一九六八年の映画『ロミオとジュリエット』の劇中歌として使われていたものだと思う。確か、ジュリエットの宅で催されたパーティーの佳境で一人の男によって歌われるものではなかったかと思うのだが、今、ウィキペディア記事を見てみたところ、この映画の音楽を担当していたのはNino Rotaであることが判明した。そして続けて検索して、この曲が"What Is The Youth"という歌であることを簡単に突き止めたのだが、これは劇中で歌われるだけではなくて、どうも映画全体のテーマソングだったようだ。劇中で歌われているのはこの動画の場面である(https://www.youtube.com/watch?v=EuVu9bb0gHQ)。ところで、この映画のジュリエット役を担っているのは、オリヴィア・ハッセーという人で、当時一七歳くらいなのだが、これが凄く美少女である。映画なんて見つけていなかったし、今もそうだが、『ロミオとジュリエット』を図書館で借りてきて見た当時、いつのことだったか定かでないが、その時には、美少女というのはこういうものか、と、本物の美少女というものを見せられた気がして感銘を受けた覚えがある。
 帰りの駅での話に戻ると、手帳を読んでいるうちに目の前の電車が発っていき、線路が露わになるわけだが、あたりには風が吹いて、身には寄ってこないが結構走っているようで、その線路の周りに生えた草葉の、まるで夏のように未だ青々と色を湛えて伸びているのが大きく震える。奥多摩行きが着くと立って、いつもの通り三人掛けの席に入り、ここで手帳を読むのを止めて、また日記のためのメモを取っていると、外で一斉に虫が鳴き出し、電車の壁を通して減じられてもなおその盛んさと広がりが迫ってくるのに、まるで切ないような、何かに耐えかねるような鳴きぶりではないかと、これも手帳に記録した。
 最寄り駅に着いて降りた瞬間から、ホームの上には風が通っていて、一定でなく方向が乱れて、歩くあいだ前から寄せてくるかと思えば後ろからうねる。まっすぐ正面、西の空には月が掛かっており、階段通路の途中でまじまじと目を向ければ、ありきたりなイメージだが、まさしくバナナの房を思わせる形に湾曲した三日の月である。駅を抜けて、車の来ない隙を見て通りを渡って坂に入れば、ここでも風が下りの先から浮かび上がってきて、結構厚いが重みはなくて、肌に滑らかに触れて軽く、道端の木々に葉鳴りを起こして、秋虫の音を包み込んでその背景を成す。進めば消えたが、通ったあとに少し名残っているようで、林の一番外側の葉が音もなく揺れて、その無音の動態を見ていると不思議な気分が催された。闇を籠めた林のなかでは虫が鳴きしきっていて、夏の蟬時雨にも負けぬ勢力で、蟋蟀やらアオマツムシやらの類ではなくて、秋の夜を彩る特殊な蟬の一種であるかのようだ。
 坂を抜けてすぐの小公園に生えた桜の木の、街灯の白い光の暈に入って枝先の黄色を露わにしているのが、随分裸になっているなと停まってしばし見上げた。幹に近いところにはもはや葉はなく、梢の方にはまだ残っているがよほど薄く、貧相なように枝を晒している。そこから少々歩いて家の前まで来て、風はまだ吹いているかと首を傾け耳を張れば、小川のせせらぎめいて淡いものの、やはり林の高みから葉擦れの響きがあって、闇に紛れて見えないが、梢は揺らいでいることだろうと思いながら玄関の鍵を開けた。
 居間に入り、母親に挨拶をして、ネクタイを外しワイシャツを脱いで洗面所に持って行こうとすると、階段横の腰壁の上に小包があるのに気づいて、本が来たかと声を上げた。ワイシャツを籠に入れてきてから早速鋏で切り開き、なかから出てきた箱入りの谷川俊太郎祝婚歌』を持って自室に下りる。コンピューターを点けて待つあいだ、品を確認してみると、箱の帯の裏側に目次代わりに選集された詩人たちの名が一覧されているのだが、そのなかに「ダリーオ」とあって、ルベン・ダリーオではないかと思った。『族長の秋』のなかに名前が出てくる、ガルシア=マルケスの好きな詩人である。おそらく『族長の秋』でも読まなければ、大抵の人は知ることのない名前だろう。随分とマイナーなところの詩人も読んでいるもので、さすがは谷川俊太郎である。
 服を脱いでスラックスを廊下に吊るしておき、コンピューターに寄って日記用のメモを取ると、上階に行ったが、食事ではなくて先に風呂に入ることにした。浴室に踏み入ると窓を開け、蓋をめくって湯に立ち入り、身を包まれながら静止していると、しかし風というほどのものはなくとも空気は流れてくるらしく、水面は緩くうねって停まることがない。当然の話で、こちらの心臓の拍動からだって、幽かな波が生まれているのだ。浸かりながら、風呂に入っているあいだのことをもっと詳細に書きたいなと考えるのだが、しかし動きがなくて、情報も限られているから印象に残ることがなくて、密度を高めるのは難しいのだ。入浴中の時間を緻密に書いた作家というのは、あまりいないのではないだろうか。
 出ると母親は食事を取り終えてソファに就き、炬燵テーブルの上に脚を伸ばしながらリモコンを持ってテレビをザッピングしている。こちらは食事を用意、鯖のソテーに米、自分で作っておいた葱と舞茸の味噌汁に、マヨネーズを掛けて電子レンジで蒸したエリンギである。卓に就くと夕刊を引き寄せ、あまり興味深い記事がなくて社会面に辿り着きながらものを食ったが、テレビでは出川哲朗の生い立ちを紹介していて、さして興味があるわけでないのにそちらにも目が向く。蔦金商事とかいう会社の坊っちゃんだったらしく、幼少期、家にはお手伝いさんが何人もいて、そのなかの一人を専属として当ててもらっていたと言う。何だか忘れたが親戚血族を遡ると、衆議院議員もやったことがある名士がいると言い、その息子は八幡製鉄所の初代社長だとか何とか。それを見ながら一方では社会面に目を落として、目黒の女児虐待死事件、船戸結愛という子をシャワーを浴びせて殴って敗血症で死なせた例の事件だが、その事件の、養父の方の裁判員裁判があったという報を読んだ。弁護側も被告の躾は「独善的」だと厳しい言葉を送ったらしい。
 食後、抗鬱薬を飲んで皿を洗い、茶を用意していると、風呂に入る前の母親が、Every Little Thingのアルバムをウォークマンに入れてくれと言う。面倒臭いので首を振って断っていたのだが、今日中にいれてとあくまで強く押すので仕方がないなと折れて、茶を室に運んだあとまた上に行ってCDとウォークマンを持ってきて、ウォークマン用のUSBケーブルを久しぶりに引っ張り出して、SonyのX-Applicationをひらいたところが、これが何だか良くわからないがスクリプトエラーというものを絶えず吐き出し、処理を続けますかとの問いが出るのにひたすらいいえ、いいえ、と答えても一向に収まらない。これでは駄目ではないかと思い、母親にはエラーが出て駄目だったと伝えれば良いかとも思ったのだが、まあでも頼まれたからと律儀なもので一応動作出来るか試して、絶えずウィンドウが湧くがその隙を突いて必要な項目をクリックすれば、一応作業は進められるようだったので、まずはCDのデータをソフトに取り込んだ。何故なのかわからないが、そのようにソフトが何らかの作業を動作しているあいだはエラーは出てこないのだった。一方で寺尾聰『Re-Cool Reflections』の音源をYoutubeで掛けて、また歌を歌いながら取り込みを待ち、終えるとさらにキーボードのNのキーとクリックを駆使してエラーの隙を縫って、ウォークマンに音源を移すことに成功した。仕事を終えるとアプリケーションは閉じて、CDとウォークマンを上に持っていっておき、"ルビーの指環"を歌ったあと、さらにMr. Childrenに流れて"PRISM"、"NOT FOUND"、"マシンガンをぶっ放せ"と歌い、もう一〇時も過ぎていたから音量を下げたけれど引き続きRichie Kotzenに移行して、"Losin' My Mind"、"Fantasy"、"World Affair"、"Wave Of Emotion"、"Stoned"と歌って終いにした。Richie Kotzenはギターもともかく、そのソウルフルな歌唱の力は実に羨ましい。そうして音楽をインストに変えて日記を始めようというわけで、例によって世紀の名盤であるSonny Rollins『Saxophone Colossus』を流して、一〇時半からここまで茶のおかわりもせずに一気に打鍵すると、二時間近くが経って既に零時二〇分を過ぎた。
 一つ書き忘れていたのは二一日のことで、何でも兄夫婦が来るのだが、その日は色々手続きもあるし、会いたい友達もあって都心の方に行かねばならないので、Mちゃんを一日面倒を見ていてくれないかと頼まれたと母親は言った。それでその日は休みにしたらしい。こちらも仕事が入らなければ夜まで一緒にいるだろうし、仕事があっても夕方からなのでそれまでのあいだはいくらか世話をすることになるだろう。
 茶をおかわりしようと上階に上がると、父親が炬燵テーブルに就いて食事を取っていたが、おかえりと掛けても反応がなく、見れば背を丸め顔を伏せてぐったりと項垂れたようになっているので、寝てんの、何やってんのと続けて掛けながら、まさか死んでいるのではなかろうなと不穏な疑いが一瞬過ぎったものの、直後に、ん? と顔を上げたので安堵した。どうも微睡んでいたようなのだが、酒を飲んだためだろうか、しかし珍しくテレビは点いておらず室内はやたら静かだったし、酒を飲んだら燥いでいるのが常の父親なのにその様子もない。不可解に思いながらも茶葉を台所に開け、便所に行って放尿し、戻って電気ポットから急須に湯を注ぎ、茶葉がひらくのをちょっと待つあいだに伸びをして背をほぐしていると、右方の父親が何を食っているのかものを咀嚼する音がくちゃくちゃと、やたらに立つ。いつもはそんなこともないのに今日は随分妙な食い方をしているなと耳をやりながらまた不可解に思ったあと、ポットの湯が少なかったから薬缶を持って台所に行けば、位置関係がカウンターを通して正面に父親の姿を見る角度になって、それでわかったがどうやらあたりめを食っているらしい。硬いのをほぐすためにやたら咀嚼をしていたようだ。こちらは急須と湯呑みを持って下階に戻ると、早速今のことを書いておこうというわけで、先ほど現在時に追いついたばかりなのにまたキーボードに触れてここまで打鍵した。俺はまだまだ書けるな、と思った。書くことが尽きることはない、まだこの日記は面白く、豊かになる余地がある。
 書抜きに掛かった。 栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』である。BGMとして聞いたのは、Conrad Herwig『Another Kind Of Blue: The Latin Side Of Miles Davis』。なかなか上質なライブで、きちんと耳を寄せてはいないが、特に"All Blues"でのトロンボーンのソロなどなかなか凄いのではないかと思われた。書抜きしたあとは、何故かここ数日の自分の日記を読み返してしまい、そうして一時半前になると、読書を始めた。辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みながら歯磨きをする。実はカップラーメンを食いたかったのだが、そっと廊下に出てみると、階段の上から明かりが漏れていて、テレビの音もせず動きの気配もないが父親がまだ上階にいるらしいのでひとまず諦めた。テーブルの前に立ったまま、閉じたコンピューターの上に本を載せて読み進める。
 腹が減って仕方がなかった。内臓が動く音がぐるぐると腹から立つ。しかしそのうちに、二時半頃だったが、ようやく父親が階段を下りてきて寝室に下がったので、それから三〇分、彼が寝入ってからと思ってちょっと待って、三時直前に上へ行った。食卓灯を灯し、玄関の戸棚から「カップスター」の塩味を取り出して、電気ポットで湯を注ぐ。熱い容器を持って忍び足で階段を下り、廊下を渡り、自室に帰ると音を立てないようゆっくりと静かに扉を閉めて、三分待つと、カフカを読みながら麺を啜った。スープも飲み干してしまうと容器をゴミ箱に突っ込み、引き続き立ったまま書見に邁進する。Kは気持ちが高ぶった時や、何か物思いや思案を巡らせる際に、「行ったり来たり」、うろうろと歩き回るのが癖のようで、七二頁までのところ少なくとも五回、「行ったり来たり」する姿を披露している。

 Kはもう返事をしなかった。こんな下っぱの連中――彼ら自身がそう認めているのだ――とおしゃべりして、これ以上頭を混乱させる必要はないではないか、と彼は思った。(……)彼は部屋の中のあいた場所を二度三度行ったりきたりした。(……)
 (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ筑摩書房、一九六〇年、8; 「審判」)

 Kは監督の顔を見つめた。(……)逮捕の理由や令状の出所については、何も聞けないというわけなのか? 彼は一種の興奮状態におちいり、行ったりきたり歩いて――これはだれも妨害しなかった――、カフスをおし入れてみたり、胸のところにさわったり、髪をなおすようになでたりし、三人の男たちのところを通り過ぎながら、「無意味なことだ」と言った(……)
 (11)

 (……)もの思いにふけって、控室を自分の部屋ででもあるかのように、大きな足音をたてながら行ったり来たりしていたK(……)
 (17)

 (……)Kは今目にした情景で、その暴行ぶりが証明されたと思い、立ちあがって部屋の中を行ったり来たりしはじめた。学生のほうを横目で眺めながら、どうやったらできるだけ早くこの男を追っぱらってしまえるだろうかと、その算段を考えめぐらしていた。(……)
 (36)

 グルーバッハ夫人はただうなずいた。しかしこの黙りこくって途方にくれている様子は、はたの目からは強情そのもののように見え、Kの気持をいやが上にもたかぶらせるのだった。彼は部屋の窓とドアのあいだを行ったり来たりしはじめた(……)
 (48)

 あとは、以前も触れたことだが、「審判」の登場人物たちはたびたび、ほとんど無意味とも思えるような、しかし完全に意味がないわけでもなさそうな、余剰的な「仕草」を見せる。確かに現実に人間はこうした動作を行うもので、例えばこちらも過去には電車のなかで、自覚しているのかいないのか、無意味に足をぱたぱたと動かす人を見て、そうした主体的な意図に還元されない意味のない行動こそが、目の前の人間が機械ではなく本当に意識を持って実在しているのだということを実感させる、という感慨を抱いたことがあるが、しかしカフカの小説における余分な「仕草」は、そのような現実感を与えるものとしては機能していないような気がする。先にはそれによって、彼の世界は現実的と言うよりも、リアリズム的な現実感とは幾分位相をずらしたような「ちぐはぐな」印象を与える、という風に考えたのだが、しかしここにはそれにも留まらない射程がまだ隠れていそうな気がする。
 例によって睡気は身に寄ってこず、読書に耽りこんだまま徹夜をしてしまおうかとも思ったのだが、眠れないとしてもやはり一応床に就くだけは就くことにして、四時半に至ると書見を切り上げて明かりを消し、寝床に入った。仰向けになって両腕を身体の横にだらりと垂らし、そのままじっと動かないでいると、身体の表面が細かくぷつぷつと泡立つような疲労感に包まれて、やはり長く起きればそれなりに肉体は呻くらしい。それでもじきに、そうした感覚もなくなってよほど軽く滑らかな身になった。眠りを待っていると、窓外から突然、何かの叫びが立つ。最初は赤ん坊の悲鳴かと思ったのだが、すぐに人間のものではないとわかり、それでは何の動物かと言ってしかし判然とせず、実に形容しにくい音声で、発情した猫を思わせもするが今は季節でないだろうし、猫とは少々異なってもいて、鳥のようにも思えたがそんな声など今まで一度も聞いたことがないし、鳥にしては飛び立ったり移動したりする気配もない。何の動物だろうかと考え巡らせているうちに、しかし声は小さくなっていき、収まってその後現れなかった。それからまもなく、寝についたようだ。


・作文
 11:34 - 12:57 = 1時間23分
 14:17 - 14:26 = 9分
 15:56 - 16:09 = 13分
 22:29 - 24:25 = 1時間56分
 24:31 - 24:38 = 7分
 計: 3時間48分

・読書
 13:14 - 13:32 = 18分
 13:33 - 14:01 = 28分
 14:30 - 14:49 = 19分
 14:50 - 15:35 = 45分
 16:12 - 16:30 = 18分
 16:41 - 17:02 = 21分
 24:48 - 25:11 = 23分
 25:26 - 28:26 = 3時間
 計: 5時間52分

・睡眠
 ? - 10:30 = ?

・音楽