2019/10/6, Sun.

 ここにあるものと、ありえたもの、その
 揺らぎに身体ごと奪われる
 だれかがいつか忘れていった声に
 ふるえる瞬間がある
 蛍光色でさけぶ
 汚れたアルファベット
 下が透けて見えるわけじゃない、ただ
 なんども消すことで、たしかに、ほんの少し
 分厚くなった
 (岡本啓『グラフィティ』思潮社、二〇一四年、34; 「グラフィティ」)

     *

 もう一度
 倉庫にひきかえした
 朝が皮膚をしめつける
 見て、ほら、グラフィティが壁にあかるい
 靴底でふみしめる
 シモバシラ
 ちいさな地球のおと
 一晩かけてゆっくり地面をもちあげた
 そのちからに触れたくて
 おもわず掘りおこす
 やわらかなひかりを反射する
 つめたいかけら
 ここからは
 遠くのビルの広告までよく見える
 とけていく
 水と土のついた手を
 少し待って
 遠くからでも見えてほしくて
 つよく頬骨にこすりつけた
 (40~41; 「グラフィティ」)

     *

 おまえの、まだどんな意味にもとどかない声
 雨脚のようにとおくへ
 いちもくさんに駆けていく声を
 見おくろうとするこの肺が
 一息ごと、しみるなら
 とっさにおわなくては
 コンクリートの汚れた塀に、すり切れた風に
 頬を、手を、何度もこすりつけながら
 あんなスプレーの殴り書きにさえ
 夜ふけにだれかがかぶせた
 粗い血潮のような、王冠のほこらしさがあるのだから
 (84~85; 「発声練習」)


 九時頃になって意識を取り戻した。八時にアラームが鳴ったはずなのだがそれを止めた記憶がなかったところ、しかし見れば棚の奥に入れておいたはずの携帯が机上の、ティッシュ箱の上に置かれていたので、記憶に残っていなくともどうやら一度起きて止め、それからまた寝床に戻ったらしい。カーテンを開けた窓から覗く空は一面真っ白で、入ってくる空気もなかなか身に涼しい。床を抜けて階を上がり、テーブルの端の雑多な物どもを整理している母親に挨拶をして、食事は何かあるのかと訊けば素麺を煮込んだと言う。洗面所に入って顔を洗い、櫛付きドライヤーで頭をちょっと梳かして、それから台所でガス台の前に立って鍋の素麺を火に掛ける。このあいだこちらがウォークマンに入れてやったEvery Little Thingの音楽が、カウンターの上から流れ出している。首を曲げたり肩を回してほぐしたりしながら素麺が温まるのを待って、丼によそって卓に行けば、新聞は一面に香港のマスク禁令を取り上げていて、抗議活動は継続中、しかし一部が過激化して緊張はますます高まっているようで、どうも嫌な雰囲気になりつつあるのではないか。二面の関連記事も読みながら素麺を啜ったあと、書評面も瞥見すれば、宮下志朗と言ったか、西洋中世思想の研究者がいると思うけれど、確かその人が村上春樹が訳したスタン・ゲッツの、あれは評伝なのか小説なのか知らないが、その本の評文を書いていたが仔細には読まず、水を汲んできて抗鬱薬を飲めば食器を洗って、"ルビーの指環"を口ずさみながら風呂も洗う。そうして出てくると下階に戻り、コンピューターを点けてログインし、画面下端に揃っているブラウザとEvernoteWinampのアイコンをそれぞれクリックしておいて、ソフトの起動を待つあいだに急須と湯呑みを持って上へ、そう言えば書き忘れたが食器を洗おうと台所に入った際に、流し台の上の戸棚を母親が整理しようとしていたらしくて、そこの扉がひらいているのに思い切り頭をぶつけて痛い思いをした。痛え、と言って思わず動作を停めて、衝撃を受けた右側頭部を押さえながらじりじりする痛みに耐えていると、母親はごめんと言って、笑いながら、星が出た? と聞く。漫画などによくある表現を指しているのだろうが、それを現実に適応するとはこれも妙な言葉遣いだ。それで下階から持ってきた茶葉を流しに捨てようとしたその時にも再度、学習能力なくまたひらいていた扉に頭をぶつけてしまったのだが、この時はそれほどの衝撃ではなかった。そうして緑茶を用意して下階に下り、LINEにログインすれば(……)が、今日録る"(……)"の新しいギター音源を昨日(……)が上げていたのを早速ミックスして投稿していたので、朝から勤勉なことで素晴らしいと受けてダウンロードした。やはり人間を救うのは勤勉さであると続けて大仰なことを言っておき、傍らEvernoteで前日の記録を付け、この日の記事も作成していると、それで新しいギターのバージョンはどうかと訊かれたので、その時は例によって寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流して冒頭の"HABANA EXPRESS"を歌っていたのだが、それでは今から聞いてみようというわけで、歌い終えると"(……)"を掛けて、ヘッドフォンを点けて聴取した。左のギターが歪みを強めたハードな音色になっていて厚みが出たし、右のギターもコーラスが掛かって異なるトーンで、フレーズはまだ改良の余地があるかと思うがなかなか良い味付けになっているのではないかと思われた。ピアノソロの裏に敷かれたバッキングが、特に伸びやかで気持ち良かった。一つ気になったのはちょうど二番に入るところのギターで、ジャーン、とコードを鳴らしたのが途中でぷつりと切られているのだが、これは自然に伸ばしてフェードアウトした方が良いのではないかと思いつつも、しかしすぐにコードが変わってしまうからそのぶつかり合いを考慮して切ったのだろうと推して訊けば、やはりそうだと(……)は言う。そのあたりはまた調整だなと落として歌唱に戻り、"渚のカンパリソーダ"、"ルビーの指環"、それにライブ音源から"I Call Your Name"を歌う。しかし寺尾聰とは、二九の若者にしては随分と年寄りじみた音楽を嗜むものだが、これが好みは人によってあるとしても歌謡曲の枠内でなかなか上質であることは間違いない。歌を終えると一〇時過ぎからこの日の日記を書きはじめたが、一一時二分の電車で発たねばならないのであまり余裕もなく、指を素早く動かしていると今しがた上階が騒がしくなって、母親が今、テーブルを片付けていて、汚いけれど、などと言い訳がましく高い声で言っているのは、誰だか知らないが客が訪問してきたらしく、家のなかにあげたということは親戚だろうか。今日は掃除機も掛けてないのよ、ちょっとのんびりしちゃって、などと言っている。声を聞くに、どうも(……)さんではないか? 既に死んだ母方の祖母の弟だが、この人も最近いくらか惚けてきているようで、先日父親が(……)のおばさんの葬式で会った際には、話している最中に、ところでおたくはどちらでしたっけ? などと尋ねられたということだ。
 日記を終えると一〇時四二分で、電車まではあと二〇分、駅まで歩くのに一〇分は欲しいからもう一〇分経てば家を発たねばならず、記事を投稿している猶予はないなと便所に行って排便し、歯磨きをしている余裕もないと室に戻ると服を着替えた。グラフィティ的な絵柄の白いTシャツに、下はガンクラブチェックのパンツ、上はさらにグレンチェックのブルゾンを羽織って、チェック同士の組み合わせは柄に柄で、さらになかのTシャツもモザイク画めいた模様が入っているから、柄が三つ揃ってうるさいかとも思ったが、しかし着替え直している時間もない。ブルゾンとパンツのチェックの合わせは、(……)の(……)で試着した際に店員には、個人的には無しですかねと言われたのだったが、ロシアで最初にこの組み合わせを着てみた時以来、意外と悪くないとこちらは思っていて、グレンチェックとガンクラブチェックという同系統の柄でありながらまったく同じでなくて僅かな差異が入りこんでいるのも好印象で、さらにその下にTシャツを合わせることで、チェック柄同士が似非セットアップめいてフォーマルに整ったなかにカジュアルさも混ざって固くなりすぎず、これは結構我ながら、高度なファッションをこなしているのではないかと思われた。着替えると時間が少々余ったので、ブログに記事を投稿したが、引用部に引用用のタグを付したり名前を検閲したりしていてただ投稿するのにも数分は掛かるそのあいだ、上階ではもう客が帰るようで慌ただしい動きが生まれている。投稿を終えてコンピューターを落とし、荷物を持って部屋を出て、階段下の袋に入ったロシア土産のクッキーの最後の一つを、これは(……)にあげるものだが、忘れずに取って上がれば人がおらず、炬燵テーブルの上に茶の用意が成されていて、仏間では線香を上げたらしくその匂いが漂っている。靴下を履いてハンカチを持つと玄関を抜けて、まだそのあたりにいるかと思ったところが人影はなく、母親も客人も姿が見えず、下の方に行っているのかと家の横を下って行って角から顔を出してみてもやはりおらず、玄関の戸を開け放したままで一体どこへ行っているのかと家の前に戻ってあたりを見回したが見つからないのでもう行こうと歩き出したところに、自分の名前をどこからか呼ばれて、振り返れば東の道の先に母親の小さな姿があって、開けたままで良いと届いてくるので声を張って了承を返して西へ向かった。鵯が林の木々から声を降らしているなかを足早に行くと、路面には濡れ痕が残ってアスファルトの細かな凹凸が薄陽を受けて、白くじらじらと、音を立てるようにして光を蠢かせる。(……)さんが家の前にいたので、ああどうも、こんにちはと通りすがりに挨拶し、坂に入ると時間がちょっと押していたから大股に上がっていくなかに、虫の音が林の奥で鳴っているのに耳が寄って、一瞬蟬かと聞き違ったのだが改めて聞いてみれば勿論違って、今年の蟬はさすがにもう絶滅したようだ。出口付近で息を強く吐き、出た横断歩道に東の方から老人がやって来るその姿の、どうやら先ほどまで我が家で茶を飲んでいた(……)さんとその奥さんらしかったが、待って挨拶するのも面倒だし、向こうがこちらをわかるとも思えないので先に渡り、駅に入ってホームの先に歩くと薄陽があって当然汗が湧くが、しかしその搔き方がもはや秋のものだった。ホーム上には声のやたらと大きなおばさんがあって、電話で誰かと話していて、ホテルだからジーンズは駄目って言われているんだけど、でも普段着で、もしあれだったら向こうに着替え室も取ってあるから……面倒って、丸めとけば良いじゃない、そんなの、とか何とか言っていた。
 電車に乗ると手帳は取らず、扉際で外を眺めれば、陽が出てきたから雲がいくらか割れたのかと思ったところが空は白さがところどころで蟠りながら埋められていて、雲間というほどのものもなく青さも見えず、ただ少々薄らいだ箇所があるようで太陽がそこから白さを、雲のものよりももっと純な白さを垂れている。(……)に着くと乗換え、発車まで間がなかったのですぐ前の口から入って、車両を渡って二号車まで行き、いつものように三人掛けに就くと手帳にメモを取る。揺らされて、字を乱されながら記述を続けて、現在時に追いついた頃には既に(……)に至っていたので、メモを取るというのもなかなか時間が掛かるものだ。そこから手帳を、今度は読みはじめた。(……)に着く直前に、目の前をふと見やると立っている女性の、黒のレース模様のスカートを、襞のない、すっとまっすぐ落ちるタイプのものを着ており、しかし靴はスニーカーで、黒の側面に白いNの字が大きくはいっているこれはどうやらNikeNew Balanceらしく、あまりスカートと相応しないように思われた。手帳から読んだ内容を頭のなかで復唱しようと目を閉じるとしかし睡気が湧いてきて、思考が逸れてなかなか学習が進まない。(……)あたりでぱちぱちと窓を打つらしき音が聞こえて、雨かと見れば果たして外を歩く人は傘を差している。
 手帳とバッグをまとめて一手に掴んで(……)で降り、階段を下りて山手線のホームへ上がった。(……)まで一〇分と言う。ホームドアに近づくと雨粒が、空気に乗って散ってくるが、大したことはなさそうだった。山手に乗ってからも扉際で立ったままメモを取り、(……)で降りるとしかし、ホームから見える外の、ビルの立ち並ぶ街並みを背景にした空気は結構濡れているようだった。首を傾けて白い空を見つめながら階段を下りていき、千代田線の改札を抜けて地下鉄へ、やって来た電車は確か(……)行きで、乗るとまた多分扉際でメモを取っていたと思う。(……)に着く前から電車は地上に出て、深い緑色に染まった川やその傍の土手が過ぎていき、着くと降りて案内表示を見るが、目指すスタジオは北口だと思っていたところが東口と西口しかない。それでどちらに行けば良いのかわからないので、(……)に電話を掛けた。出た彼女は今電車だと言って声を潜めるのでごめんと謝り、東口と西口のどちらに行けば良いのかわからなくてと、何だか意想外に甘えたようなと言うか、子供っぽいような声になってしまったようだったがそう伝えると、メールを送ると言うから切って、(……)が駅構内の本屋にいると言っていたのでしかし本屋などあるのかと案内表示を見ていると、やって来た電車から降りた一人の女性の、長い黒髪で長めのコートを着ている姿が、どうも(……)らしい。それで見つめているとあちらもこちらの方を振り向いて気づき、ちょうど良かったと破顔してみせた。東口に(……)がいると言う。それで一緒に並んで歩きながら駅内を抜け、改札の手前まで来ると(……)が、いる、と言うので見たが目が悪くて人々の姿が確かな形を結ばない。あの紺色のシャツの、と言うのでそれが(……)とわかった。改札を抜けて近づき、挨拶をして立ち話をしながらほかの面子を待つ。(……)は紺色一色の無地のシャツに、下はモスグリーンの、こちらも何も模様の入っていないズボンを履いていて、このズボンは以前にも見かけたような覚えがある。確か神代植物公園に行った日もこのズボンを履いていたのではなかったか。そう言うこちらもあの日は今日と同じブルゾンを羽織っていて、しかしその下の装いは今日と違って、シャツはバスのなかで(……)さんに可愛いと言われた記憶があるから白の麻のボタンの色がそれぞれ違っているものだったはず、ズボンは真っ黒なさらりとしたやつだったのは(……)くんも同様の黒のを履いていたので覚えている。あの日は五月だったか六月だったか、初夏頃でしかし、ブルゾンを羽織っていると暑くて途中で脱いで園を回ったものだ。(……)の服装は、先ほど長いコートと書いたがこのおそらく薄手の秋用らしいコートが、一体何色と形容すれば良いのか甚だ言いづらいもので、いずれ色としては淡いものだが、まあ桜色寄りと言うのだろうかしかしピンクと言っては強すぎて、薄紅と言うのも違い、茶色と言うか土のような色が僅か混ざっている気味もあって、灰色と茶色と桃色とがバランス良く配合されたような風味で、今検索してみたところ、梅鼠という名の色が多分近いのではないか。その下には黄色と言うか明るい黄土色のような色の、あれもワンピースと言うのか知れないがそんなような服を着ていて、羽織りとして深い青の、(……)のシャツと似たような色のカーディガンがあった。
 駅のすぐ傍に飯屋がいくつかあって、バーガー・キング、ケンタッキー・フライド・チキン、日高屋とあるらしく、歌を歌いに来た(……)は喉には油が良いらしいと言って、ケンタッキーかなと傾くが、バーガーにせよラーメンにせよどれも油っこい品物ではあるからどれでも良いのではないか。(……)はそのうちに店を見に行って、そのあいだ(……)とこちらは向かい合って立ち話をしていたが、どのようなことを話したのかは覚えていない。雨は止んでいるようだった。(……)はすぐ戻ってきて、そのうちに(……)と(……)くんもやって来たので、改札を抜けてきた(……)にこちらは近づいて、クッキーをバッグから取り出して持ち、握手を誘うかのようにそれを差し出したがギターケースを背負った(……)はほかに鞄の類を持っておらず、入らないと笑うのでひとまずまだこちらが保持しておくことにした。(……)の服装はいつもながらの、あれはTシャツと言って良いのだろうか灰色のチュニックみたいな感じの服に、下は何だったか良く覚えていないが多分黒いズボンだったのではないか。靴は明るめの褐色の、汚れも傷もついていないようで良さそうな品で、そのことをあとでスタジオに入った際に向けると、会社用のものだからなと言っていた。(……)くんも下は黒のパンツだったのを覚えているが、上は定かな記憶がない。確かストライプのシャツだったか? 我々が立ったその傍には女性の数人の一団がやはり集まっており、年齢層は広いように見えたが皆一律に、髪を後ろで一つに結わえて丸く留めていたのは何だろうか、何か演劇とかの仲間なのだろうか。
 時刻は一時、昼食を取りながらスタジオ前に話をする段で、(……)によれば、近くにイトーヨーカドーがあると言う。そこにフードコートがあるからそこでも良いし、先ほど(……)が見回ってきたすぐ傍の飲食店のどれかに入っても良いと選択肢が提示され、手近で良かろうと店の並ぶ通路に入ったが、ケンタッキー・フライド・チキンも日高屋も五人入れそうなほど席は空いておらず、そこに何と言ったか店名を忘れたがカフェのような店があって、その外に三人掛けの白いテーブルがいくつか並んで誰も座っていなかったので、ここを陣取れば良いのではないかということになった。それで皆々それぞれ荷物を置き、それではこちらは残ると宣言して椅子に就き、(……)、と呼びかけて注文を頼もうとしたところが、呼びかけられた(……)はお前も残れとの意図だと思ったらしく席に座ったので、注文は代わりに(……)がしてきてくれることになったが結局カレーをセットではなくて単品でと伝えに行くために(……)もあとから席を立っていた。(……)がそのうちに、木目調の盆とスプーンを持ってきてくれ、まもなく三人分のカレーが届いた。四二〇円と言うのでこちらは五〇〇円玉を取り出して(……)に渡し、釣りは良いと言ったところがあると言って八〇円を出してくれたのでそれではと受け取った。それでこちらと(……)と(……)の三人は早速カレーを食べはじめる。四二〇円と廉価のわりにはなかなか美味いもので、辛味もほとんどなかったが、(……)はちょっと辛いと言っていた。(……)くんはカフェラテにBLTトースト、(……)はケーキにアボカドバーガーを頼んでいたが、トーストとバーガーが来るのがやたら遅く、特に(……)の品はかなり遅れて届いた。周囲にはジャズが流れており、耳を寄せてみるとモダンとかハードバップとか言うよりは、それよりもちょっと前の、スウィングとまで言うと違うような気もするがその風味も混ざっているような古風で洒脱なものだった。それで今日の朝に(……)が上げた最新の"(……)"の音源のことを話したり、(……)のボーカルのことを話したりしているうちに、表の通りから祭りのような太鼓の音が聞こえてきて、じきに強まって笛の音も重ねられて囃子になって、洒脱なジャズと土臭いような祭囃子が偶然にも同じ空間に居合わせて混ざり合うこの街というものの雑多さはなかなか面白いなと思った。
 それで一時四〇分頃になったところでそろそろ発とうという空気になり、こちらはカレーの皿を、この皿が深い青一色のもので(……)など届くと即座に綺麗だと漏らしていて確かに鮮やかなものだったのだが、それを返却棚に返しに行ったついでにトイレに寄り、放尿する頭上からはやはりジャズが、外よりも当然明瞭に聞こえてきて、やはりちょっと古風な気味の混ざったものだなと聞き分けた。席に戻ると皆立っており、スタジオに向けて出発した。建物の外に出て横断歩道を渡り、先に行く(……)と(……)くんについてこちらと(……)と(……)の三人が歩いていると、(……)の持った紙袋からビニール袋が一つ落ち、書き忘れていたけれど彼女は油を摂取するためだと言ってカレーを食べたあとにケンタッキー・フライド・チキンも一本買ってきていて、ビニールは多分その袋だったと思うのだが目の前にすっと落ちたものだからこちらは反射的に脚をひらいてしゃがみ込み、拾ってしまったのに、回収要員になっているぞみたいなことを言って(……)が笑った。ビニール袋を(……)に返して表の歩道を進んで行き、途中で裏に入り、何本か抜けながら行くあいだ、(……)が(……)に、(……)の日記は本当に長いみたいなことを言っていたのか否か、良くも覚えていないが、こちらは彼が言っていることを受けて、この世には書く対象にならない物事など一つとてないし書く対象にならない瞬間もたった一秒とて存在しないと例の「信仰」を頭のなかで繰り返していて、それを実践するためにあたりに目を走らせて何か自分の興味を惹く、何かしらの印象を与える事物がないかと探っていたが、色々目にしてはいるけれどそうは言ってもやはりそれらをすべて書くのは勿論不可能で、と言ってどんな事物でも適切な文脈のなかに入れば、適した偶然の導きが訪れれば言葉に成るのだと、上の「信仰」はそれくらいの意味に取ってもらいたい。(……)はこちらの日記の冒頭に付されている引用を最近読んでいると、前よりも例えば詩に対する感覚が磨かれたようで、例えば谷川俊太郎など読んでいても以前はこいつ、何を言っているんだと訝っていたようなところが、それはそれとして受け止められるようになったというようなことを言った。あとは小説作品のなかに比喩が勿論色々と使われるが、大胆な比喩を目にすると(……)は以前は気取りやがってなどと思っていたところが、自分で先日流星観測の日のことを文章に認めてみてわかったのは、そうした凝った比喩も、自分の受けた感覚や印象を何とか上手く、一般的な言葉でなく十全に表現しようという苦心の証なのだということだと話した。体験を元にしている場合はそうだな、ただいわゆるフィクション的な小説作品などの場合は、言語そのものに引っ張られるということもあるだろうとこちらが受けると(……)はそれはどういうことかと訝るので、体験的に考えて作者自身がそうは感じられないとしても、言語的に考えて意味の組み合わせとして斬新なものを選ぶというようなそういうことだと言い加えた。その頃には何か目の前に、巨大な体育館のような施設が現れていて、あれは何かと訊けば(……)は、どこに書いてあったのか(……)、と言った。そんなものがこんなところにあるのだなと見て過ぎてまもなく、スタジオはどうやらこのあたりらしいぞと一向が立ち止まって周囲を見ていると、建物の側面階段、歩けばカンカン甲高い音が鳴りそうなその階段の蔭で煙草を吸っていた男性が出てきて、挨拶を交わせば彼がスタジオの職員だった。それでどうぞと言うので、数階はあったけれど何となく小屋のようなビルの入口の扉を開けると、なかにもう一つ引き戸があって、やや重たいそれを引くとそこがもうスタジオで、奥にドラムセットが鎮座し、それほど広くないなか壁際にアンプが置かれて配線がいくつも交錯し、入口を入ってすぐ左手にはコンピューターが乗ったデスクがある。それほど広くはなく、合わせて六人入れば結構いっぱいで、椅子を所狭しと置いてそれぞれの位置に就いた。秘密基地のようだなという印象を持った。入口の頭上の天井際には横に渡された一段棚の上に本が並べられていて、こちらは目が悪いので背表紙の文字が良くも見えないがそのなかに『海辺のカフカ』があったらしく、(……)が知っているかと訊いてきたので勿論名前は知っているが読んだことはないと答えれば、ああ、そうか、前に書いていたなというような返答があって、それは二〇一五年だか一四年だかの末に(……)さんと会った帰りの車のなかで、カフカが好きだと言ったところに村上春樹、と返された時のことを言っているのだった。先日(……)さんと会った日の日記に、過去のその会見時の日記を引いておいたので読んだのだろう。
 録音を担当してくれるスタジオの男性は(……)と名乗った。長髪を後ろでくくって垂れ下げていて、つば無しの、と言うか円周状に縁のついたああいう型の帽子を何と言うのかわからないのだが、録音の際にはその帽子を被った上からヘッドフォンをつけているのを物珍しく見たが、あとで(……)が、耳が痛くなるからかと訊いていたと思うけれど、そういうわけではないらしい、と言ってどのような答えを返していたかそこまでは聞かなかった。ベースとギターから録るということになり、(……)くんと(……)の二人がそれぞれに準備を進めるなかで、(……)は歌唱に備えてコートを脱いで伸びをしたり開脚して身体をほぐしたりしている。あれは何をしていた時だったか、会話も楽器の音もなくなって無音が室内に満ちたそのなかで、(……)、とこちらは呼びかけ、もしかして、耳飾りしてる? と訊けば、(……)はちょっと遅れて、ああ、と言って髪を分け、耳を見せた。実は先ほどカフェの外の席でカレーを食っている時から、(……)が首を傾け頬杖を突いた時か何かに、耳元で微か光るものがあるのに目を留めていて、その後は長い黒髪に隠されて目に現れなかったのだが、大半の時間は見えないにもかかわらず、イヤリングか何かつけて飾っているのだなと好ましく思っており、良いじゃんとその旨告げると、こちらはあまりそうやって女性の服装や容姿を褒める人種でないから、妙な空気が流れたが、こちらも以前から、耳飾りというものをつけてみたいと思っているのだ、でもよくわからないから、と言って落とした。それを受けて(……)は、ギターやベースの演奏や(……)がデータで持参した"(……)"のオケを聞けるヘッドフォンをつける際に、そのイヤリングが邪魔になったらしく、つけてみなと言ってこちらに渡してきたので、シリコン製だと言う留め具をひらいて不器用に苦戦しながら、一つ右耳につけてみたが、(……)は似合うと言ってくれたもののどんな風になっているのか自分では見えず、感触も軽くてこんなものではすぐに落ちてしまいそうではないかと頼りなく思った。本当に耳を飾りたければ穴を開けてピアスを刺せば良いのだろうが、痛い思いをする気はないし、そこまでして洒落っ気を見せたいわけでもない。
 それでじきに楽器の準備が整うと、一度オケに合わせてベースとギターを一緒に録ってみようということになった。一応それぞれの配置をここで改めて書いておくと、室の、仮に左手の壁ということにしておくが、その中央にあるトイレに通じる扉の前に陣取ったこちらの視点から見て、すぐ右に(……)がギターを持って座り、正面の向かいには(……)くんがベースを抱き、その傍らにはコンピューターのモニターが置かれていて、(……)さんがデスクで施す操作がそこでも見られるようになっている。こちらの左隣には(……)が就き、そのさらに左方の向こうには(……)がいて、こちらの脇、二人の背後には壁際にキーボードが置かれているという形だった。各楽器の近くにはヘッドフォンが設置されていて、それで演者が弾く音や、録音した音を合わせてコンピューターで流す音源を聞くことが出来るのだった。
 そうして一回、ギターとベースを録ってみたのだが、当然最初から完璧に行くわけはなく、歌がないとなかなかきついなと(……)が漏らすのを受けて、仮歌を入れて、その歌ありの音源に合わせてもう一度録ってみようかという提案が(……)さんから成された。その案に賛同して(……)が、あまり力を出さずに緩い歌を録って、それを加えてオケ音源、オケ音源と言うのはつまり打ち込まれたキーボードとドラムのことだが、それに合わせて再度楽器が録音され、その後、ベースの細かいところを調整していくことになった。(……)くんは、冒頭の高音部で和音を奏でる部分や、2Aの柔軟に動き回る部分などを改善点に挙げて、そこだけ何度か録り直していたと思う。それから(……)のギターを、曲の前からある程度の長さで区切りながら録音していったのだが、彼のギターはIbanezが作ったDragonforceのハーマン・リ・モデルで、比較的最近の新調したばかりのはずのところが、オクターブ・チューニングの調整の仕方がわからないと言って、調律がもう結構ずれてきているようで、高音部に上がるにつれて音程が狂ってくる代物と化しており、そのせいで単音フレーズなどいくらか指の力を強めて押弦したりチョーキング気味にしたりして音程を調節しなければならなかった。フレーズも固まりきっていないと言うか、覚えきっていないようで、(……)は結構ミスをして録り直していたが、何とか曲の最後まで録り終えたところで時刻は四時過ぎ、スタジオに入ったのが二時で六時まで四時間確保してあったから、楽器に二時間、余った二時間でボーカルと、ちょうど半々くらいになっていて順調である。それで一度、休憩を挟もうということになった。(……)さんは外に煙草を吸いに行ったので、彼とちょっと話を交わしてみるかというわけでこちらも追って戸口をくぐり、ビル側面の階段下で一服していた彼に、お疲れさまです、ありがとうございますと声を掛けて、根気がないと出来ない仕事ですね、と笑った。近づいてきた(……)さんに、どんな音楽が好きなんですかと尋ねると、ちょっと間があってから、まあ何でも聞きますね、という返答があったので、逃げたと言うか、多分色々と好きなものはあるのだと思うが、こちらの音楽的教養も知れていないし、まだ初対面の人間相手に立ち入った話をするのを避けたのだろうと思う。彼は普段はベースを弾いていて、バンドかと訊けば色々なところでサポートをしているとのことだった。返す刀で(……)さんは、どういう集まりなのかと我々のことを訊いてきたので、(……)くんは本当は違うけれど、高校の時から一緒にやっているような奴らで、バンドというかグループみたいな、と説明すると、こちらがドラムなのかと続けて尋ねるので違うと言えば、そうなんですか? と意外そうな返答があって、もう一人男がいたでしょう彼がドラムだったのだと受けて、僕はギターを昔はやっていましたけれど、今はもう弾きませんと言って、だからまあ、僕はただ曲を聞いて偉そうに適当なことを言うっていう、そういう一番楽な役目なんですと笑うと、一番大事なポジションじゃないですかと(……)さんは受けた。そうこうしているうちに(……)と(……)くんも外に出てきて、すると(……)さんは、やっぱりあのギターは、調整に出さないと駄目ですね、と笑った。単音フレーズや高音部もそうだが、全体的に聞いていてもやはりばちっと嵌まる感じがしない、コードは間違っていないのだろうがぴったり来ないと感覚的な言を述べてみせた。それに我々一同同意しているうちに当の(……)も出てきて、またちょっと話してからなかに戻り、後半のボーカル録音と相成った。
 ボーカル録音のブースは室の奥、ドラムセットの横から繋がっており、こちらはそちらに行ってみなかったのでなかの様子は知れない。(……)がそこに一人入って、彼女の声はマイクを通して我々のいる方にも響き、またヘッドフォンからも聞こえてくる。最初に一度、とりあえず通して歌ったのを録ってみようということで一度歌ってもらったのだが、まだやはり身体も喉もほぐれていないようで、音程にせよ声の響きにせよリズムにせよ窮屈な感じが隠せず、伸び伸びとしておらず、ほとんど萎縮しているようにも聞こえたのでもしかして緊張しているのか、ビビっているのかとこちらは疑ったのだが、帰りの電車のなかで訊いてみると別にビビっていたわけではないと、マイクは友達、マイク前はホームだから、とそういう返答があった。(……)にもどうか、と訊いてみると、やっぱりこなれていないねという返答があったので同意した。この日、カフェの外で飯を待っているあいだに話した時に、(……)に向けて使った言葉をここにも適用すれば、まさしく詰屈している、という感じだった。その言葉が出たのは、日記の推敲について話していた時で、推敲して言葉を固めることでかえって文章が詰屈してしまったようだとこちらが言ったところ、(……)はその言葉は聞き慣れなかったようで聞き返してきたのだった。こちらも古井由吉が使っているのしか多分見たことがないと思う。
 そう言えば書き忘れていたが、スタジオに入ってまだまもない頃に、二人が楽器の準備をしているあいだにやることがないものだから手帳にメモ書きしていると、(……)が囁き声で(……)に対して何かを言い、何かと訊いてみれば、(……)さん、書記みたい、とのことだった。(……)はそれに対して、実際、議事録を書くからな、とこの日記のことを指して言った。あと、ボーカルを録っているあいだのことだが、こちらの右隣に就いた(……)くんが、目が合った際に何やら首を突き出して顔を寄せてくるので、こちらも顔を前に出して合わせながら、何だこれはと笑って、ちょうど歌が途切れている時だったので、(……)くんが変なんだけどとブースの(……)に聞こえるように言うと、今日、体調が良くないから、と答えがあった。確かに(……)くんは時折り引っ掛かるような咳を漏らしていて、あとでファミリー・レストランで訊いたところでは風邪を引いているらしい。それでいて翌日は夜勤だとかいう話だから難儀なものだ。(……)はその後、でも、いつもわりとおかしいから、と付け加えていた。さらに思い出したが、(……)くんは、カフェで食事を取っているあいだも、右隣に就いたこちらの太腿を急に掴んで来たりして、夜のファミレスでも何度か同じ振舞いを取られてくすぐったかったのだが、それを指してこちらは手帳に、「攻撃」されたとメモしておいた。しかし、こうして書いてみると何だかこれは、同性愛者のカップルがいちゃついているみたいではないか?
 それでボーカル録音の話に戻ると、これもある程度の長さに区切って録って、皆で聞いては改善点を上げて、それを意識してまた歌ってもらう、という形で進めて行った。(……)さんは基本的には我々の話し合いに口を出さず、自分はただ録音をするだけだという風に仕事に徹しており、それでいて我々の質問に答えたり、要望を聞いたりと甲斐甲斐しく、控えめで堅実なプロの業務を見せていた。それで言えば、(……)や(……)があとで言っていたことだが、(……)さんは楽器の録音をしているあいだに、その時はまだ歌詞も貰っていなかったのに、1Aとか2Bとか大サビ前とか我々が言うのに対して即座に対応して、迷いもせずに正しい箇所から音源を流していた。おそらく最初に通しでギターとベースを録音した際に、曲の構成を把握したのだろうと(……)は推測を述べ、あれはプロだなと思ったと評価していた。
 (……)は歌を重ねるごとに、身体も温まって調子が出てきたようで、声の張りも良くなり音程もリズムも合ってきて、彼女自身が言うところではいつもそういう風に段々と持ち上がってくるらしい。こちらは珍しく、率先して色々と意見を口にしたようである。そんなに良い耳を持っているわけでもなし、大して鋭い助言も出来ないのだが、それでも自分が感じたことを、それがほかの者の印象と背反していても率直に口に出していたようで、そういう自由を許す気楽な雰囲気が醸成されていたということだろう。個々の論点はそんなに細かく覚えていないが、全体的に(……)は走り気味であること、しかし走っているなかにも一部後ろに傾いてもたついているようなところもあってリズムのずれが複雑なこと、歌の終わりの伸ばし方をきちんと個々の部分ごとに決めて意識していった方が良いこと、そのあたりは総意として合意されたと思う。あとこちらが特に気になったのは、「ん」の発音をする時に音程がいつも甘くなると言うか、妙な発音の仕方になって音程も応じてずれているような、その点と、低音部の不安定さくらいだろうか。「ん」に関してはその場で指摘し、低音に関してはあとでファミレスにいる時に、鍛えた方が良いぞとアドバイスをしておいた。
 それで五時半に至った頃、(……)さんがスタジオ前の通りに到着したと言うので(……)が迎えに行った。入ってきた(……)さんは、黒い服を着ており、その服の前のひらきの赤い留め具が、ダッフルコートに特有の留め具があると思うあれを何と言うのか知らないのだが、それとはちょっと違っていると思うけれど似たような感じのもので、何となくそのデザインが中国風に感じられるのだった。上着はベージュっぽい色の、コートと言うか羽織りと言うかそんな様子で、下半身に何を履いていたのかは良く覚えていない。靴はこれもクリームっぽい色のヒールで、ちなみに(……)の方は艶々と光を跳ね返す真っ黒の、ローファーと言って良いのだろうか多分違うと思うが、そんなような種類の靴を履いていた。
 それで(……)さんも観客に加わって最後までボーカルと録り終えると時間は六時前で、ほとんど予定通りにぴったり終えられたことになる。それから(……)さんが音源を書き出してくれるのをちょっと待って、それが収められたUSBを(……)は返却されて受け取った。それから会計のために、この、今更ながら名前を記していなかったが(……)というこのスタジオのオーナーであるところの(……)さんという人が今から来ると(……)さんが言うので、彼が電話で連絡をして(……)さんが来るあいだ少々待った。それで(……)さんが来ると(……)が代表して会計をするのだが、二二〇〇〇円ほどというのが我々にも筒抜けだった。金を払い終えると直後に(……)さんの携帯に電話が掛かってきて、予約の電話らしく受けた(……)さんはしばらくコンピューターに向かいながら話し合っていて、そのあいだ遠慮なく雑談をしながら一同待っていたあの時間は何だったのか良くわからないのだが、(……)は元々、録音のあとに音源の一部だけ、音程やリズムを直してもらうとどうなるのか、試してもらいたいという心づもりでいたらしく、そのあたりのことを訊こうと思っていたのかもしれないが、(……)さんも忙しそうだったのでそのチャンスはないなと判断したのかもしれない。あるいは単純に、まだお礼と挨拶が済んでいなかったので電話が終わるまで待つという空気だったのかもしれない。(……)がトイレから戻ってきて、そろそろ行こうと口にして、帰りの準備を始めたとほとんど同時に(……)さんの電話が終わったので、皆でありがとうございましたと礼を言い、挨拶を済ませてスタジオから出ると、また煙草を吸っていた(……)さんにも(……)が声を掛けて、皆でありがとうございましたとこちらにも礼を言った。
 それで駅の方まで既に宵に入った道を戻っていく。見上げれば空は黒いが、雲が液体の広がりめいた不定形の染みを細かく付しているそのなかに、どちらを向いても月の姿も、その痕跡もなくて、数日前に三日月を見たのは、これから大きくなっていくものだと思っていたが、暦など見つけないから月の変化も知悉しておらず、反対に新月に向かっていくところだったかと訝ったものの、今調べてみるとやはり現在は望に向かって膨らんでいく途中であり、昨晩は午後六時一二分が南中と言うからスタジオを出たのはちょうどその頃なのにこの時月が見えなかったのは不思議だが、ビルの蔭に隠されていたのだろうか。(……)はだいぶ疲労困憊といった様子だった。(……)も結構疲れているようだった。飯を食う段だが、特に目的地も定められないまま裏路地を抜けて行くあいだ、(……)がカラオケに行きたいと口にしたのでこちらはそれを前の(……)くんに伝えて、イトーヨーカドーにフードコートがあるらしいからそこで飯を食ってからカラオケに繰り出せば良いのではないかと思って、イトーヨーカドーの入口まで来たところで後ろの二人にそう言うと、カラオケは行かないよと(……)が笑った。だいぶ疲労してしまったのでカラオケに行って歌ったり、(……)のアドバイスを受け止めたりするほどの元気が今はないと言う。それで、じゃあ飯だなと受けて、イトーヨーカドーに入って婦人用の帽子などが売っている横を通り抜けながら、(……)と(……)も、一回目の録音が終わってお疲れさま会だねと言ってフードコートを目指したところが、フロアごとの店舗種類案内を見て、どうもこのイトーヨーカドーにはフードコートがないらしいぞと判明した。それなので(……)がスマートフォンで近くの店を調べて、ガストがあるから、六人で大所帯でもあるしファミレスに行くかと相成って、イトーヨーカドーを抜ける際、(……)は本当に疲れたようで早く座りたい様子だった。それで駅の、あれもコンコースと言うのかそれにしては短い気がするが、駅舎のなかを通って反対側に向かうあいだ、通路の入口に若い男が、柵か車止めか何かに腰掛けて、耳にはイヤフォンを差しながら誰かを待っているのか佇んでいたが、その顔が随分と気力のないようなものだったので過ぎてから振り向いて観察していると、(……)がどうしたのと訊いてきたので、いや別に、何でもないと答えながらも続けて、あまりにも空虚な顔をしていたから、と笑った。通路の途中には和菓子の店があって、フルーツ大福の広告が出ていて、それはちょっと食べてみたいなと思った。駅の反対側に出ると、こちらの方が居酒屋など並んでいるような雰囲気で、すぐ傍にはVeloceもあったがガストに行こうということでガード沿いを歩いていき、ファミリー・レストランに到着した。入口横の外に面したところに二人掛けのテーブル席が揃って三つ空いていたので、もうここで良いではないかと漏らしたが、店員は名前を書いてお待ち下さいと言う。(……)。(……)は早速、待合席に座っていた。こちらもその隣に腰掛けようと入口の扉の傍に向かうと、自動ドアの縁の細長いゴムみたいな素材がちょっと剝がれていて、ドアの隙間から吹き込んでくる風を受けてそれがびよびよと細かく揺れ動いていたので、何だこれ面白いなと言って手に触れたりした。それから(……)の隣の椅子にゆっくりと腰を下ろしたところが、同時に自動ドアの向こうに高年の女性が現れたのが見えたので即座に立ち上がり、邪魔にならないように店のなかの方に入ると、(……)も席を譲るつもりらしくこちらについてきた。目の前を、無愛想でやる気なさげな、ほとんど嫌々働いているような様子の中年の女性店員が通っていく。しかし、我々のテーブルの注文を取ってくれたのも彼女だったが、その際は、相変わらず無表情ではあったけれどそれほど嫌そうな雰囲気でもなかった。それでじきに、テーブルが片付けられたようでソファと椅子の席に通されて、椅子側には(……)、(……)さん、(……)が就き、ソファ席には(……)、こちら、(……)くんが座った。こちらの位置から見ると右が(……)、左が(……)くん、正面が(……)さんでその左が(……)、右の窓際が(……)である。(……)くんのベースは左方、我々の隣の席に、客が来るまで借りようということで立て掛けられ、(……)のエフェクターケースや(……)さんの差し入れが入った袋は、ソファの背後、段の上に置かれた。メニューをひらきながら肉でも食うかと口にしたものの、そう言いながらも頁をめくってみると、一日分の野菜が入っているというタン麺に惹かれたのでそれに決定し、そのほかアボカドと海老の、コブサラダドレッシングの掛かったサラダを一人注文することにした。(……)はプルコギピザ、(……)さんはマルゲリータピザ、(……)はワイルド何とかみたいな名前の、ハンバーグなど数種の肉料理が載ったプレートを頼み、(……)くんは風邪を引いているということで雑炊にして、(……)はエネルギーを使ったから肉だと言ってチキングリルを注文した。
 (……)が水を取ってくるように頼まれた。どうもファミレスなどでは彼がそうした役を引き受けることが多いらしい。しかし六人分では一人では持てなかろうとこちらも席を立ったが、あまりこういう役目をこなしたことがないし、手も大きくないのでグラス三つをきちんと持てるだろうかと不安を零しながらドリンクバーに行き、氷を入れてくれと(……)が言うので銀色のシャベルのような器具で四角い氷を掬ってグラスに入れていき、それを受け取った(……)が水を注ぐ。それでまごまごしながら三つのコップを何とか手に持ち、指の力が保つか危うかったが席に戻って、ゆっくり置いて任務を成功させると、こちらが不安を漏らしていたのだと(……)が明かし、それを受けて何とか落とさずに持って来られたと言えば(……)が頑張ったね、と褒めてくれた。
 それから(……)か誰かが言い出して、スタジオの代金を精算しようということになったので、こちらは財布からありったけの万札を取り出して、あるぞ、あるぞと(……)に見せびらかして笑わせた。(……)は二〇〇〇円を出すと言うので、こちらはそれでは三〇〇〇円を出そうとテーブル上に札を置いた。もっと出した方が良いとも思われたのだが、まあスタジオの機材を何も使っていないので、このくらいで許してほしい。(……)と(……)くんはさすが一人前の労働者、それぞれ一万円ずつを出すことになって、それに対して(……)は良いよと遠慮して自分で全額払うつもりだったと明かしたのだが、しかし我々の方は押して、(……)が恐縮するのに、その代わりにここの代金を全額払ってもらえば良いではないか、会計を個別ではなくまとめてお願いしますとも言われていたものだから、とこちらが提案し、そのような案に落着いた。(……)は、このお金はちゃんと取っておいて、活動資金にしますと言っていた。
 それで食事。こちらの品が最初に届いたのだったと思う。箸を取って、アボカドと海老のサラダから手を付けて、そればかり先に口に運んで丼のタン麺を放置していると隣の(……)くんが、伸びちゃうよと言ってくるので、笑って頷きながら、俺、一つずつ食っちゃうんだよね、良く言うじゃん、少しずつ食べなさいって、と受けると、でも野菜から食べるのは理に適っているけどね、と(……)くんは言う。食事の最初に野菜を腹に入れておくと、食物繊維か何かの関係なのだろうか、血糖値の上昇を抑えることになるという情報はこちらも知っていた。そういうわけで野菜を食い、それからタン麺に取り掛かって、これも一日分の野菜が入っているわけだからそれらに蓋をされて麺が埋もれているのを、ほじくり出すようにして引き出して啜ると、なかなか美味いものだった。
 それで何か雑談を交わしたりしていたと思うのだが、そのうちに(……)が隣の(……)さんに、彼は、と言うかこちら以外のメンバーは皆、(……)さんの下の名前を取って(……)と彼女を呼ぶのだが、(……)はさ、じゃあpixivとかにたまに絵を上げていて、即売会とかはやったことがないの、と話を振りはじめた。(……)さんは同人誌を売ったりとかはしたことがないらしく、今のところ、インターネット上で、Twitterなどで活動をしているのみのようだ。(……)(……)はさらに(……)さんに、絵は二次創作だよね、何だっけ、『ハイキュー!!』とか、みたいな感じで振り出して、(……)の口から『ハイキュー!!』の語が漏れたのを聞きつけてこちらは、あ、こいつ、探りはじめやがったなと感知して(……)の方に意味深な視線を差し向けると、彼女も察したらしくちょっと笑いを漏らしていた。と言うのはつまり、一三日に(……)さんの誕生日祝いを企画しているところ、サプライズで『ハイキュー!!』という作品のジャージをプレゼントしようかと皆で言っていたのだが、(……)さんがどのキャラクターが、あるいはどの学校が好きなのかがわからないので、それを上手く聞き出すようにとの任務が(……)に与えられていたのだ。それでしかし、すぐに直接訊くと怪しいから話は自然な流れに沿ってちょっと迂回も挟んで、『ハイキュー!!』のほかに『テニスの王子様』も話題に上がって、どうも(……)さんは元々演劇が好きな人だから、『ハイキュー!!』にせよ『テニスの王子様』にせよ、舞台の方から興味を持って入ったようなことを言っていたと思う。こちらも、いわゆる「テニミュ」という催しがあることくらいは聞いたことがあるが、詳しいことは無論知らない。(……)さんはしかし、熱狂的なファンということでもないらしく、ミュージカルなどを見るとボールが実際にはないところで効果音とともに腕を振ったりするわけだが、順当なファンだったら自分の好きなキャラクターが言わば実写で目の前で動いているのを格好良いと思うはずのところ、それがシュールで笑ってしまうと言っていた。『ハイキュー!!』の方もミュージカルではなく、つまりは歌は歌わないようだが、演劇になってもいるらしい。それでそのうちに、(……)も話に加わって質問を始めて、いよいよいわゆる「推しキャラ」の話題の方に近づいていって、『テニスの王子様』では(……)さんは、確か立海と言っていたように思うが、真田何とかいうキャラクターのいる学校が強いて言えば好きだと言って、しかし全体的に彼女は「推し」というものがあまりないのだと、良く世のファンは「推し」を決められるものだと、そういうことを漏らしていて、これは多分(……)にしても予想外だったのではないかと思うが、『ハイキュー!!』に関して言えば、わりと好きかなというキャラクターを並べてみると、それが大体二年生になるのだと(……)さんは話していた。だから、このキャラクターとか、ほかにも「推し」と一口に言っても「学校推し」というものもあるらしくて、「推し」の世界もなかなか奥が深いものだが、それで言うと(……)さんにはこの学校が「推し」だというものも、『テニスの王子様』では強いて言えば立海がそうだったわけだが、『ハイキュー!!』に関してはないらしく、だから我々の方としてはどの学校のジャージを贈れば良いのか結局わからないわけだったのだ。
 そういう話の途中で(……)さんの口から「氷帝」の語が漏れたのをこちらは、それなら知っているぞと拾って、跡部様の学校だろうと口にして、そのあとにももう一度、ミュージカルの話をしている時に、跡部様はさ、ミュージカルでもきちんと、俺の美技に酔いな、って言うの、と訊いてみると、「俺様の美技に酔いな」、と(……)さんは言ったので「様」が抜けていたかとこちらは受けたが、ミュージカルでもやはり当然その決め台詞は披露されると言い、さらには「俺様の美技に酔いなブギウギ」みたいなタイトルの持ち曲まであるのだということだった。こちらは何でか知らず、帝王キャラでそう呼ばれているということが薄い記憶で頭のなかに根付いていたのだろうか、「跡部様」という風に自ずと「様」を付けて彼の名を口にしていたのだが、(……)さんによればそれも面白いエピソードがあるらしく、あまり仔細には覚えていないが、ミュージカルか何かの場でスタッフのカメラマンだかが観客の一人に、ここの席は跡部の近くになります、みたいなことを言ったところ、そのファンから「様を付けろよ!」と叱責されたというそういう出来事があったと言い、この挿話は、こちらは当該作をきちんと見たことはないけれど、大友克洋AKIRA』のなかの非常に有名な、「さんを付けろよデコ助野郎!」というあの台詞を思い起こさせる(https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=NakLHMLFme0)。ともかくそれで、ファンのあいだでは跡部の名を呼ぶ時に「跡部様」と様付けするのが暗黙のルールになっているらしく、こちらも知らずそれに従っていたわけだが、それを受けて(……)は、(……)さんにも「様」を付けさせる跡部様凄いな、私は普通に「跡部」って呼んじゃいそうだった、と笑っていた。
 そうした話はそのうちに落着したが、ほかにアニメ関連の話題としては、どういう文脈で繋がっていたのか覚えていないが、(……)が『涼宮ハルヒの憂鬱』の名を口にして、ハルヒ役の声優である平野綾の名も言い出した時があって、彼女は何かスキャンダルのようなことがあって確か一時期業界から離れていたようなので、それでアニメ声優としての仕事は最近もあまりやっておらず、今は舞台の方に主に取り組んでいるという話だったが、何故平野綾のことが語られたのだったか? 思い出せない。ともかくそれを受けてこちらは、『涼宮ハルヒの憂鬱』なら大学の時に見たなと明かした。パニック障害で休学中は暇だったので、アニメを多少見ていたと言い、全部見たのと(……)が訊くのには、いや、全部見たかどうかもう覚えていないが、覚えているのは、Youtubeニコニコ動画かに、『涼宮ハルヒ』の映像に合わせてthe pillowsの"Tiny Boat"という曲を載せた動画があって、それでその曲を初めて知ったのだがそれが好きだったのは覚えている、と話した。今検索して出てきたのはこれで、多分当時こちらが見ていたのもこれだと思う(https://www.nicovideo.jp/watch/sm69864)。
 音楽関連の話としてはまず、左隣の(……)くんに話を向けて、このあいだ(……)と、吉祥寺のジャズクラブみたいな店に行ったのだ、鈴木勲というベーシストがいて、御年八六歳で日本のジャズベース界の重鎮なのだがその人のバンドがやっていたので、当然良かった、とても八六歳のプレイとは思えなかった、と話した。それで次に、反対方向の隣に座っている(……)の、この時彼女は向かいの(……)と今日のスタジオの話などをしていたと思うのだがその方に指を差し向けて、(……)も最近黒人音楽とかを勉強しているらしくてさ、ジャズを勉強したら観に行ってみたいって言っていたから、今度俺ら三人で行こうよ、と誘うと、(……)くんは良いねと了承してくれて、続けてこちらは、テーブル上で手のひらを回して、本当は皆で行きたいところなんだけど、それほど広い店じゃないから、六人は多分入れないと思うんだよね、だからとりあえず三人で、と事情を説明し、ボーカルもあるってこと? と(……)くんが訊くのに、そうそう、それだから生のジャズ・ボーカルってものを(……)に聞いてもらって、何かの参考になれば良いなと思って、と言った。黒人のボーカルは凄いからね、と(……)くんが続けるのに、さすがに黒人はいないけどねとこちらは笑い、でも日本人の女性のボーカルが、結構一月に何回か出ているから、そのうち行こうと落とした。
 それから今度は(……)くんの方が、昨日実は(……)くんと(……)と三人で会ってて、と明かす。何でも、東京佼成ウインドオーケストラというもののコンサートを観に行ったらしく、その演奏がなかなか前衛的と言うか、特殊な和音の使い方をしていたと彼は言い、曰く、左右で和音が分かれていて、片方が消えて片方が残り、またそのうちに片方が重なって消えて、とそのような構成を成していたところ、どうも一方はメジャーなのに対してもう一方はマイナーの響きを重ねたりしていたのではないかと分析を語る。それはすると、現代音楽みたいな、とこちらが言うと、ほかにも、全員でホールストーン・スケールだけを奏でたりするところがあったり、と言うので、結構前衛的なんだなとこちらは受けて、そう言えばと(……)さんと話していた(……)の方に手を差し向けて、(……)が今、現代音楽の選集を作っているらしいじゃんと(……)くんに言うとそれを聞きつけて拾った(……)が、もうあれはほとんど出来ているんだけど、細かな調整みたいなところで止まっていると言う。(……)
 そのほかこちらは(……)、と右隣に呼びかけて、低音のトレーニングってしてる、と問いかけた時間があった。特にそういったことはやっていないと言う。それで、低音部を鍛えると良いぞとこちらが勧めたのは、最近こちらも良く歌を歌っていて、しかも寺尾聰のような良く響くチェストボイスの歌手の歌を歌っているからわかるのだが、低音部の発声がほぐれると、声が全体的に安定して、波及的に高音の方も出しやすくなるのだ。おそらく声帯が柔らかくなって伸びやすくなるのだろう、だから低音部を安定的にふくよかに出せるようになると、声の土台みたいなものが出来て安定した歌い方になる、と述べると(……)も同意して、吹奏楽などでもトーンを安定させたいという人はまず低音を練習する、と補足してくれた。そういうわけでウォーミングアップに低音の発声を取り入れてみると良いのではないかと提案して、(……)は確かそれを携帯か紙か何かにメモしていたと思う。実際、今日録音した"(……)"においても、結構低い音が出てくるのだが、その付近の音程などはまだまだ(……)は不安定なのだ。だから、響きと膨らみのある低音を出せるようになるとそのあたりも解決するかもしれないと言ったところ、低音と言ってどのくらいから低音と言うのかと(……)は訊くので、自分が出せる最低限の音が何かはわかるかと訊き返し、F#くらいだと確か彼女は言っていたか、まあそのあたりからちょっと上までの領域を磨くというような意識で良いのではないかとこちらは落とした。
 そのうちにこちらはまた(……)に対して、最近どう、と実にざっくりとした問いを投げかけ、音楽史の勉強しているって言ってたねと続けて思い出して訊くと、そうなのだと(……)はそのことについて短く話して、しかしそれだけで終わってしまったので苦笑していれば、これは(……)の文業の話を受けてのことだったと思うが、そう言えばあと一つ、新しく始めたことがあって、(……)くんの文章を読んで自分も文章を書きはじめた、と言った。日記では多分ない。小説でも当然ないので、言わば随筆と言うか、まあその時の気持ちなどを残しておくのが良いなと思って、印象に残ったことを書き留めているのだと言う。こちらを起点にしてのことだと思うが、段々と皆が文章というものを記すようになってきているようで、これは良い傾向である。
 そこから各々の近況を聞くような流れになって、次に話を向けられたのは(……)だったかそれとも(……)さんだったか。(……)に対しては(……)が積極的に、最近興味深かったことはと訊いていて、(……)が返答に困ると、じゃあ単純に、最近楽しかったことはと質問は変わったが、それに対しても(……)は、そもそも人生をあまり楽しいと思って生きていないなどとニヒリストを気取って、えー、と(……)は苦笑し、こちらは、まあそうだよなあと漏らすと隣の(……)くんから、同意しちゃって良いんですかと来たのでうーん、と笑いながら考えて、でも俺は、最近は楽しいとか楽しくないとかの区別がなくなってきたような気がするね、と言えば(……)は今度は、でも楽しくないわけじゃないでしょと(……)に向けていて、そのあとの流れは忘れたのだが、あとで(……)から聞いたところでは(……)は、何でも楽しもうという風になってきてはいるかもしれないと言っていたらしく、その点は(……)の成長ぶりと言うか、丸くなったと言うかそういったところが垣間見えて、(……)はそれに安心したようだった。
 それで多分その次に、(……)はターンエンドだと言って、(……)さんに話者が移ったと思うのだが、何か質問を、と(……)がこちらに求めて来たので、うーん、と目を瞑ってちょっと考えて、じゃあ、(……)さんの業務内容を説明してください、と何故かちょっと形式張って求めた。(……)
 その次に(……)だっただろうか、彼への質問は、俺は良く話しているから訊きたいことなどあまりないぞと言うと、(……)が(……)さんに、(……)くんに訊きたいことはあると尋ねて、(……)さんが固まって黙っているその隙を突いてこちらが、ないって、(……)のことは全然気にならないって、と冗談を放つと、一同笑ってくれた。それで(……)は何を話したのだったか、あるいは何も話さなかったのだったか、ここでもしかすると二次創作小説を書くつもりだということが明かされたのだったかもしれない。そうして(……)くんには(……)が、レコーディング、どうでしたか、と訊いて、それに対して(……)くんは、良かったです、と一言だけ答えてあとを続けないのに、終わっちゃったよ、とこちらが笑えば、(……)くんはいつも物事の感想に関してはこんな感じだ、アニメとかだと考察が長々と始まるから違うけれど、と(……)は言った。それから同じ質問がこちらにも来たのに、良かったです、と真似て受ければ、何なの、一緒にしたいの、と(……)は笑ったので、続けて付け足して、でもまあ、思ったよりも暇じゃなかったなとこちらは言った。もっと暇だと思ってた、と(……)が笑うのに、いや、特に考えてはなかったけれど、とこちらも笑い、何と言うかまあ……偉そうなことを色々と言えたかなと、と受けると(……)くんが、役目を果たせた、と補足して訊いてくれたので頷いた。
 (……)くんはいつからか、こちらの方に身体を寄せてぴったりと寄り添うような感じの振舞いを見せ、何だこれはとこちらは笑ったのだったが、確かに我々の席は冷房が随分と送られてきて肌寒い場所ではあった。しかしそれだけが理由だったわけではなく、こうした振舞いは彼が時折り見せるささやかな奇矯さの一つである。懐かれたね、と(……)が言うのにこちらは、可愛い女の子なら良かったんだけどなあと軽薄ぶると、可愛い子って、どんな子、と(……)さんが何故か食いついたので、いや、そんなに深く考えてないけどとこちらは笑い、どんな子にくっつかれたいのと質問が変わったのに、いや、女性ならどんな人でも嬉しいですよとまた軽薄ぶれば、惜しかったね、(……)くんが女だったら良かったのに、と皆言って、(……)も、一点だけ、性別の違いだけだったなと加えるのに(……)くんも乗って、ごめんね、俺が女に生まれていたら、とか冗談を重ねるので、いやいやそういうことではないとこちらは笑った。それから(……)が、今、文学関連の付き合いのなかで、タイプの人はいないのかと訊いてくるのに、そもそもタイプというのがあまり良くわからんと受けると、皆もそうだと言って、(……)はタイプなどないと言うし、(……)さんもわからないと言い、(……)と(……)くんはどうだか知らないが、(……)はそういう話なら(……)が一番説得力を持つと思うと評価を述べた。経験に基づいたタイプと言うならばこちらは、今までの人生で強い恋情を抱いた相手がほかならぬこの時すぐ右隣に座っていた(……)一人なわけで、だから彼女のような人がタイプということになるのかもしれないが、ここにいるメンバーは皆、こちらが過去に(……)に恋慕していたことを一応知っているものの、いや、(……)はもしかしたら知らないかもしれないが、ほかの四人は知っているけれど、よりにもよってまもなく籍を入れようという二人が揃っている前でそのようなことを言うのも憚られて黙っていると、(……)が、タイプというのはそういう話で盛り上がりたい人が仮構するものだというようなことを言うのでこちらも、後付けですよ後付け、と乗っかった。そうすると次に、(……)が、じゃあ、男の子のタイプは、と訊いてきて、同性愛を思わせる質問だったからだろう、(……)くんと(……)は微妙な笑いを漏らしていたのに(……)は、え、私あるよ、女の子のタイプ、と言って、男性のタイプというものもこちらには良くわからないが、その次にじゃあ逆に駄目なタイプは、という質問があったのだったか否か、そのあたりの流れを良くも覚えていないがこちらは、自分を疑うということを知らない人は合わないだろうな、男性でも女性でも、と言った。すると、じゃあ(……)さんのタイプは自分を疑うことを知っていて、向こうから寄ってきてくれる女の子なら誰でも良いと、と誰だったか、(……)だったかが曲解して言うので、それは言い方が、と苦笑し、随分俺があれだな、軽薄みたいじゃないかと笑うと、(……)さんもこちらを庇ってうーん、言い方、言い方、と漏らしていた。
 さて雑談について覚えているのはそんなところである。(……)に電車の時間を調べてもらうと、九時二四分のものに乗れば良いということだった。その時間がそろそろ迫った頃、(……)はトイレに行って、彼女が戻ってくるとそれでは発とうということになり、こちらは(……)に、これでまとめて会計をしてくれと、テーブルの上の伝票入れに収められていた二万いくらかを伝票とともに(……)に渡した。それで我々は先に店をあとにすると、午後九時にもなればなかなか涼しく、(……)などTシャツ、と言うかチュニックめいた服一枚なので肌寒そうだったが、風もなくなったし冷房の強かった店内よりましだとのことだった。(……)が来ると歩き出し、ガード沿いの陰気な道を通って綾瀬駅へ、ホームに上がったところで(……)さんが差し入れを皆に配ると言って、まず六個入りのマカロンが開けられた。色々種類があるようで、味が違うなとこちらは黄色のものを裏返して見ているとプリンとあって、ほかの面子が先んじてそれぞれ選んで取っていったものだから残ったのはそれくらいで、その黄色いのを貰うことにし、バッグに入れた。その次に、ジャンケンが成され、スムーズに三、三で上手く分かれて、勝ったこちらと(……)さんと(……)くんは、包装入りのエッグタルトを手に入れて、負けた三人は包装のないエッグタルトを貰わねばならなかったのだが、しかしマカロンの空いた箱などがあったので、結局それらにタルトを入れて皆持ち帰れることになった。(……)は、こちらの土産のクッキーも含めて、食べ物を貰うたびに、明日の朝飯にするわ、朝飯が豪華になった、と言っていた。
 そうして(……)駅から電車に乗って、席が空いていたので三人三人で分かれて向かい合って座り、こちらは左右に(……)くんと(……)を控え、向かいは左から(……)、(……)、(……)さんという位置取りになって、こちらは意識せずに腕を組んで脚も組んで勿体ぶったような偉そうなポーズを取っていたところ、左右の二人もいつか、足のあいだにギターやベースを置いていたから脚の方は組まないが、やはり腕を組んでいて、それを見た(……)が、何で同じポーズしてるの、と笑った。両手に花だね、と言った。花と言って女性ではないので当て嵌まらないのだが、(……)くんが、俺が誤って男に生まれてしまったばっかりに、と漏らすので、いやいや、誤っていない、とこちらは笑って否定して、それから向かいの(……)がまた、女の子が云々とか二人と話しているのに、今日は余計なことを言っちまったな、あいつしばらく忘れないぞ、多分次回会った時にもからかわれるなと漏らすと、失言だった、と(……)くんが訊いてきたので、失言だったな、とひそひそやり取りを交わしていると、(……)が何? 聞こえないよ、と言ってきたが話の内容は明かさない。
 そのうちに左右の(……)くんと(……)は、(……)くんは風邪を引いているし(……)もギターの録音でだいぶ疲労したようでうとうとと目を閉じて、(……)などはちょっと左右に揺れてもいた。(……)に着くと乗換え、千代田線の改札を抜け、山手のホームに移る前で、(……)と(……)さんは違う方向に乗ると判明したので、ありがとうございましたと挨拶を交わして別れ、(……)まで行って中央線に移るこちら、(……)、(……)くん、(……)の四人で階段だかエスカレーターだかを上がり、山手線に乗り込んだ。山手に乗っているあいだと、確か(……)から中央線に揺られているあいだも同様だったと思うが、こちらは扉際に寄って(……)と向かい合い、その横で(……)くんと(……)が向かい合ってやはり二人で話をする、という位置関係になっていたはずだ。どの時点でどの内容を話したのか覚えていないのだが、(……)とは今日のスタジオ録音のことや歌唱について話し、最初はやっぱり窮屈に歌っていた、それでもしかしてビビっているのかなと思ったと笑うと、ビビってはいなかった、マイクは友達でマイク前はホームだから、きちんとした環境で歌えることが嬉しくてしょうがなかった、という返答があり、マイク前に自分が立っている時のやるべきことをやっているという感覚は、多分(……)さんが日記を書いている時のものに近いんじゃないかと言うので、そうかと受けた。それから、やはり伸び伸びと歌ってほしい、無理のない自然さが大事だと言って、こういう風に歌おうと意識することでかえって空回りして上手く行かない、ということがあるから、勿論最初のうちはそうして意識して取り組まなければならないわけだけれど、その段階を越えて自然さに至ってほしいね、というようなことを話すその傍ら、(……)くんと(……)は何か作品というもののリアリティの話をしていたようで、(……)が例の、「物語」と「小説」の対立図式を紹介していたようだ。
 その後、今日スタジオ環境で録音してみたわけだけれど、それで音がどのように変わるか楽しみだと(……)は言い、(……)くんはギターとベースはあまり変わらないんじゃないかと言っていたけれど、と彼の言を紹介すると、(……)くんが、いや、変わると思う、と即座に否定して、と言うのは、ベースの配線システムのなかに「(……)」という、何だと言っていただろうか、とりあえず(……)が独自開発していると言う機材で、多分音質をなるべく減衰させずに持ち上げて整えるようなものなのではないかと思うが、それが繋がれていたので我々が使っているようなオーディオ・インターフェースとはレベルが違うだろうとの推測を述べてみせ、こちらはそれを受けて、「(……)」というエフェクターみたいなやつだったら確かにギターのアンプの上にもあったなと情報を提供した。
 中央線に入って、多分(……)を過ぎた頃合いだったろうか、その頃には会話の組み合わせが、こちらと(……)くん、(……)と(……)という風に変化していて、(……)くんはある時、the pillowsの"Funny Bunny"のことを持ち出した。最近Twitterで話題になったらしいのだが、何かのCMにその曲が使われて、それはオリジナルではなくて女性のカバーだったと言うが、それが泣けると巷で好評を得たのだということだった。"Funny Bunny"と聞いて、タイトルは知っているし何度も聞いたことがあるはずなのだが、どういう曲だったか思い出せず、こちらの頭のなかに想起されたのは"ああ世界中の ダイナマイトが誘爆して"というフレーズだったのだがこれは"Funny Bunny"ではなくて"Tokyo Bambi"の方だとわかっていた。(……)くんも思い出せないのは同様で、どんな曲だったっけと言いながらスマートフォンで検索を始めて、Youtubeにアクセスしたが当該の動画が動かず、歌詞を見ればわかるかもとこちらが言ったのに応じて歌詞も検索してくれて、それを見ると記憶が刺激される感覚はあったのだが思い出せそうで思い出せず、結局(……)くんがもう一つの携帯を使って動画を流してくれて、それでようやくこの曲かと腑に落ちた。哀愁があるよねと(……)くんは言う。哀愁、と言うとちょっとニュアンスが異なって、自分はどちらかと言うとラテン風味の哀愁味の方を思い起こしてしまうのだが、the pillowsのこの曲のメロディは、切なげな感じではある。"Tiny Boat"も良いよとまたこの曲の名を出して勧めると、(……)くんはそちらの音源にもアクセスして、知らなかったと言っていた。
 それで(……)くんの宅がある(……)に着く前、我々はいつもの習慣で握手を交わしてじゃあなと言い合い、(……)くんと(……)が降りるとまた例によって(……)が、盗撮をしなくてはと、全然隠れていないから盗撮ではないのだが、二人の方に携帯を向けていると(……)夫婦はそれぞれ顔を隠す。(……)はこちらの方にもカメラを向けて、こちらも最初は隠していたがじきに手をピースの形にしたり、面倒になったので下ろしたりしているとそのあいだに撮られたらしくて、あとで見せてもらうとちょっとはにかんだような表情で、しかし髭がまた不精に伸びてきていて汚い口周りだった。
 その後、(……)と(……)まで帰路を共にするあいだ、彼は持ってきていた梶井基次郎檸檬』を取り出して、「冬の日」がやはり素晴らしかったと言っていくつか表現を呼んでくれ、その本の頁には付箋がたくさん貼られてあって、たくさん貼りすぎてほとんど全部分のような感じになっていた。それからこいちらは、最近の日記で面白いところはあったかと訊くと、(……)は携帯でこちらのブログにアクセスしてしばらく浚ったあと、そう言えば前に引用されていた記述で、マゾヒズムについて書かれたところがあって、どういう意味か良くわからなかったと言うので、マゾヒズムについてなど読んだかなとこちらは記憶を回して、ドゥルーズのやつかと思い当たると、そう、ドゥルーズ、そうだったと(……)は言い、その名前でブログを検索して当該部分を読んでみたところが、父の法と母の契約とか書かれていて、精神分析理論になど通じていないからこちらにも良くわからない。ひとまず、フロイトエディプス・コンプレックス理論が下敷きにはなっているのだと言わずもがなのことを述べたが、それ以上の意味の読み解きは出来ず、その頃には(……)にも着いていてホームに降りて階段を上りながら、また読み返してみるよと受けるに留め、それで階段を上るとそれでは、ありがとう、と言い合って別れた。スマートな別れ方をしたなと思った。
 それで一番線の、いつもは最も東京寄りの一号車に乗るが、今日は上がった通路がそちらから遠かったので反対側の、最も(……)寄りの一〇号車に乗り、扉際で手帳とペンを取り出してメモを認める。(……)に着くとこちらの背後の七人掛けに座っていた人々が、同じグループでもなかったと思うのだが何故か一斉に降りて場が空いたのでそこに座り、引き続きメモを取って(……)まで至ると(……)行きに乗り換えて、最寄りに着いて降りれば喉が渇いていたのでコーラを飲んでいくかと、SUICAを使って飲み物を買ってベンチに座った。コーラの小さなボトルを傍らに置き、秋虫の音だけが響く涼しい夜気のなか、時折り取り上げてちびちびと飲みながら手帳にペンを滑らせる。飲み終えるとボトルを捨てて駅を抜け、木の間の坂道を下って平ら道に出たところで耳を澄ませると、風の音は聞こえず身に触れてくるものもなく、頭上の大気に動きもなくて通りがかりに見上げた小公園の桜の枝葉も、少しも揺らがず静まっている。
 帰り着いて居間に入り、ただいまと口にしてもソファに就いた父親は眠っていて返答がない。バッグを椅子に置くとその音で起きて、おお、と漏らして困憊しているような様子でそれ以上何も言わなかった。酒を飲んでテレビを見ているうちに眠ってしまったようだったが、最近はどうもそういうことが多く、あまり燥がないのだろうかと訝った。自室に帰ると服を脱いでコンピューターを点け、前日の記事をnoteに投稿し、それから上がって風呂に向かうと、途中で入った台所の調理台の上に三品、皿が用意されてあって、炒めた豚肉と茄子の和え物と、あと一品は良くも見ず忘れたが、後者の二品はプラスチック・パックに入っていて、これは多分父親のために用意されたものだろうと見て食べないのとカウンター越しに訊くと、いいやと言うので冷蔵庫に仕舞っておいてから洗面所に入ったそのあとを、父親も歯を磨くらしくついてきて、歯ブラシを取ってため息をつきながら戻るその足取りが、何だか緩く覚束ないようで、やたら疲れているようだがそれだけ歳を取ったのだろうかと思った。
 湯のなかに入ると髪を濡らして搔き上げて、湯を掬って顔をぱちゃぱちゃ洗ってから、瞑目して静止していると、単調な時計の音が、それまでまったく聞こえていなかったのがにわかに迫ってきて耳につく。外からは秋虫の音が入りこんできて、物思いを回すその合間合間に、今日録音した"(……)"のメロディが断片的に闖入して流れて、回る思念はその音楽を差し挟みながらあちらこちらに遊動して、端的に見てぐちゃぐちゃの様相で、思考というものはまったく秩序立ってなどいない、このような混沌を人間は皆、自らの内に飼い馴らしているわけだ、世界は混沌から始まったなどと言うが、人間の頭の内にこそカオスが存在しているわけだと考えた。
 それから父親の様子を思い返して、随分と疲れた風だった、今日は(……)に顧客を連れて行くとか母親が言っていたが、それでよほど疲れたのか、最近は酒を飲んでも以前のようにテレビを見ながら大声を出して燥ぎ回ることもなく、どうもいつかソファで眠ってしまっているようで、意気が薄れてきているのだろうか、それだけ老いたということか、歳を取るという時に人は、勿論段々と少しずつ、気づかれないほどにじりじりと変化していくはずなのだが、しかしある時を境に一気にがくりと取るということもあるものか、と考えて、するともしや、死期が近いのではなかろうななどと、縁起でもないことを考えてしまわないでもない。
 目を閉じて外界の情報を大方排して、自分の頭のなかの思考に観察を寄せていると、思念というものは本当に常にそこに存在していて、何も考えない言わば無思の時間というものはまずないなと、言葉が次々に生まれては過ぎ去っていくその様が良く見える。身体感覚を鋭敏化するというのでなくて、思考というものを見つめる時間を取るという目的で、また瞑想を再開してみても良いかもしれないなと思った。
 そろそろ腹が減ってきていて、カップラーメンか何か食いたいなと、そのような気持ちが湧いていて、古井由吉がどこだったか忘れたが『ゆらぐ玉の緒』のなかで語っていた酒呑みの性質というものを思い出した。書抜きをした箇所でないので正確な引用が出来ないが、酒呑みというものは酒を呑んで美味いものをたらふく食っても、深更に至って帰ってくればしかし、あれだけ飲み食いしたのに何だかまだ何か食いたいようになって、家人が寝静まったあとの台所で冷蔵庫を探ったりなどして、場所も弁えず立ったままものをがっついたりするその様が時に鬼気迫ってもいるようだ、などと概ねそんなようなことを書いていたはずで、酒呑みでなくともあることだなとこちらは独り言ち、こちらの場合はまあ都心に出れば家が遠いので、帰るあいだに時間が経ってそれで腹が空くという事情があるとは思うが、それでも遠出をして長く外にいてから遅くに帰ったあとの空腹には、何故かカップ麺のようなジャンクなものが食いたくなるようだと考えた。
 ほかには、最近だとこちらの日記は、引用を除いても一日に二万字くらいには達することがままあるようだが、二万字と言うと四〇〇字詰め原稿用紙で五〇枚か、と計算し、それでは次の目標は倍の四万字、原稿用紙で一〇〇枚だなと、別に量を書けば良いというものでもないのにそんなことを考えたが、今大体四時間で二万字くらい書いているとすれば、単純計算で八時間くらい掛かるとしても、まあ不可能なことではない。しかし、そこまで量が膨張するほどに細かく書くとしたら、やはり風景だとか行動だとかの外面的なことばかりでなくて、考察だとか心理だとかの思考を取り入れないとおそらくは達さないはずで、やはり要は日記を突き詰めていくと意識の流れに近くなっていくのかもしれない。
 そうこうしているうちに父親が歯磨きを終えたらしく洗面所に来て、口を濯いで去って行き際に扉が閉まる音が立ったのを機に浴槽を出て、髪と身体を洗って上がり、出てくれば居間に明かりは点いているが父親はもう下ったようで姿はなく、ポットに水を足して沸かしておいてから、パンツ一丁で部屋に戻ってメモを取った。時刻は零時半を過ぎた頃合いだったのではないか。一年前の日記を読みはいめると、例によって冒頭にはフローベールの書簡の引用が付されている。

 (……)ぼくがやってみたいのは、生きるためには呼吸をすればいいのと同じように、(こんな言い方ができるとすれば)ただ文章を書きさえすれば[﹅10]いい書物をつくることです。(……)
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、252; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五三年六月二十五日〕土曜夜 一時)

 (……)今日の午後で、訂正はやめることにしました、もう何がなんだかわからなくなってしまったので。ひとつの仕事にあまり長くかかりきっていると、目がチカチカしてくる。いま間違いだと思ったものが、五分後にはそうでないように思われてくる。こうなると、訂正のつぎに訂正の再訂正とつづいて、もはや果てしがない。ついにはただとりとめのないことをくり返すことになる、これはもう止める潮時です。(……)
 (254; ルイーズ・コレ宛、クロワッセ〔一八五三年七月二日〕土曜 午前零時)

 一つ目の言は端的に言ってこちらが目指す境地であり、やはりこういうことは皆考えるのだな、と思った。ゲーテ御大も、正確な引用ではないが、「芸術家よ、語るのではなく、形成せよ。ふと漏らした吐息さえ、詩であるように」みたいなことを言っていた。二番目の引用も、推敲という業の困難さを的確に述べている。
 それからそろそろ湯も沸いただろうということで階を上がり、カップうどん「赤いきつね」を用意して持って戻ってくると、今度は二〇一四年一月五日の日記を読んだが、この頃はまだまだ記憶が細密でない。ここから五年と九か月で今のようになるのだから、我ながらなかなか大したものだ。この日は(……)図書館に出向いており、クロード・シモンが五冊もあると報告している。何と素晴らしい蔵書環境なのか。ロブ=グリエも二冊あり、金井美恵子も一一冊もあると言うから凄まじい。
 日記の本文ではない欄外には、この頃読んでいた保坂和志『未明の闘争』の感想があって、別に大したものではないのだが、読み書きを始めて一年にしてはまあまあ書けているのではないかと思うので、一応ここに引いておく。

 保坂和志『未明の闘争』。
 元は連載だったが、かなり行き当たりばったりというか、思いつくままの流れを文章にした小説という印象を受けた。事前に構成を練るようなことはしていないだろう。だから脱線が多い。一応の流れとしては篠島が死んで葬式後、アキちゃんが家にやってきて話す(そこに小林ひかるも加わる)流れと、その各所で喚起される猫たちや村中鳴海の流れがあるのかと思うが、そんなことはどうだっていい。話題になっている例の「私は一週間前に死んだ篠島が歩いていた」だったり、諸所に文法がやや破綻した文章が見られたり、全体に(一般的には)あまり読みやすいとはいえない文体になっているが、これはしゃべっているときの思考・言葉の流れをそのまま文章として出力したようなものだと感じた。個々の文章がそうであることに加えて、話題も次々に脱線していく。一応の流れがつながっているところもあるが、ほとんど断りなく転換する場面が多かったようにも思う。「意識の流れ」という手法として呼称されるにふさわしいのは例えばその代表とされるウルフよりむしろこの小説ではないか。
 書き方としては全体にかなり細かく書くが、その細かさは細部を緻密に描く細かさというよりは、説明的な感じのする細かさだ。そして書く対象には軽重がない。すべてが同列に置かれて書かれている。例えば一瞬の機微に向けて言葉を組み立てていくような、そんな書き方はしない。並列的に書いている、という印象を受ける。どこか一点に向かって単線的・直線的に進んでいく文章ではまったくない、並列の文章とでも言えるだろうか? 山下公園の風景描写などは特にそうだ、そもそもあれを風景というのかはわからない、風景というのはもう少し組み立てられた描写のことをいうのかもしれない、保坂自身も言っていたがあそこにあるのは見たものの羅列だ。
 話題が並列されている、そのあいだに物語的な因果関係はない、ただの連想や飛躍でもってつながっている。話題や思考をただ並べることで進んでいく小説だといえようか。エピソードというものは一応あるが、それもきちんと完成されたエピソードではない。アキちゃんと小林ひかるが星川の家に集まる場面は完結されないし、村中鳴海と山梨へ向かうエピソードはいつの間にか(たしか何の断りも解決もなく)山下公園の話に、そこからさらにいつの間にかホテルや中華街や白人がいる店のエピソードに移っていってやはり完結されない。猫たちあるいは犬たちのエピソードは一応完結しているといえるだろうか、だとしたらそれは死という終点が用意されているからか? 
 81~82頁を書き抜いたのは空の変化の描写が良かったからだが、ここが一番風景描写らしい風景描写だったのではないか。ただそれでも風景だけを書くのではなく、それとやはり並列して人物の動きも書く、しかしそのあいだにつながりはない。風景と人物がただ並べられているだけだ。
 いいと思ったのは小説についての思考が小説になっていることだ。ドストエフスキー『分身』(二重人格)についてのアキちゃんと星川の会話のことだ。ここでは小説「について」書くということを批評としてではなくて小説として(作品として?)やっている。「小説について書く」ことと「小説を書く」ことがイコールになっている。それはなぜか? 小説のなかで小説について書けば必ずそうなるのかというとおそらくそうではないだろう。小説について書かれた文章、例えば新聞の書評などを読んでもつまらないのは、それがその作品を読むことでもたらされる思考や感覚の運動をほとんど伝えることがないからだろう。無味乾燥な文章というか。おもしろい小説・作品・文章はきっと思考・感覚(特に後者か?)の運動をともなうものだ。そうだとすれば、ここで保坂がやっているのは小説について書きながらそれらを生み出していることということになる。保坂が言うとおり、小説はその小説を読んでいる時間のなかにしかないとして、小説について書くことでその小説を読んでいる感じを伝えることはほとんど不可能なのだから、小説について書かれた文章、小説でも批評でもいいが、それがおもしろくなるには、それ自体でもとの小説とは別の思考や感覚の運動をもたらさなければならないということになる。
 あとよかったのは後半の村中鳴海の台詞の断片だけが三頁くらい集まったところだ。全体として、ごった煮ごった煮言っていたころの自分の文章を洗練させレベルアップさせて推し進めるとこういうことになっていたのではないかという印象を受けた。方向としては近いものがあるはずだ。

 それで(……)さんに貰ったマカロンとエッグタルトを食いながら、ブログに過去の日記を投稿した。今まで過去の日記の読み返しと投稿は、二〇一六年のものから遡る形でやっていたのだが、そうではなくて一番古い記事から順番に、時を追って読んで投稿していくことにして、今日は先ほど書いたように二〇一四年一月五日のものを読んだのだ。昔は過去の日記はあまりに拙すぎると思って、こんな糞みたいな文を書きやがってと過去の自分を憎んでいたのだが、今はもうどうとも思わない。勿論下手くそだとは思うが、その時点その時点でそれなりに頑張ってやっていたことであり、自分の成長を跡付けて明確に示すという意味でも、少しずつ読み返していってブログに全過去記事を集積していくつもりでいる。ひとまず今のところ二〇一四年初の記事をいくつか投稿してあるので、読者の皆さんにおかれては是非現在の日記と読み比べてみてほしい。人間は六年のあいだ毎日同じことを続ければ、このくらいには成長出来るということが明瞭に示されており、我ながらちょっと感動してしまうくらいだ。
 カップ麺を食い終わると、緑茶を用意しに上階に行った。階段を上がりながら、多分このまま書き続ければ、俺の日記は自ずと作品と呼ぶに値するようなものになるだろうなと思い、続けて、その営みを本当に死ぬまでずっと続けることが出来れば、多分俺の名前は歴史に残るだろうなと、そんな誇大妄想じみた大それたことを、しかしまったく興奮するでもなく、熱情に身と心を燃やすでもなく、冷静に判断してみての当然の見通しのようなものとして、腑に落とした。例えば(……)さんは、自分のことを文学的天才だと確信して疑わず、そう公言もしているし、彼の作品も今は不遇だがいずれは日の目を見て文学史に残るものだと思っていると思う。こちらは自分のことを天才だとは思わない。こちらより文章の上手い人、凄い文章を書く人はいくらでもいるだろうし、こちらより頭の良い人も、こちらより偉大な仕事を成す人もいくらでもいる。しかし、こちらほど一人の人間の生を記録するということに執着している人間は、多分ほかにはほとんどいないのではないかと思う。言わば虚仮の一念、というやつだ。おそらく自分は、虚仮の一念で歴史に名を残す。(……)さんが昔ブログかどこかに引いていたが、ウィリアム・ブレイクの言葉も思い出されるものだ――“The fool who persists in his folly will become wise."
 茶を持って自室に帰ると、(……)の読書日記を読みながら、Ryan Keberle & Catharsis『Azul Infinito』を聞きはじめた。そうして次に、(……)さんのブログ。八月二四日――「保坂和志の場合「それなら猫はどうなのか?」が必ず先に来る。この時点で狭い人間関係的な考察スコープが最初から範疇外になり、猫たちや犬たち、あるいは無人の海辺の波打ち際に寄せる波のようなものが世界を把握するベースになり、人間的な意味での死も大した意味を担わなくなる」、「とにかく何しろ今よりもずっと面白くないと、このまま行くともっともっとつまらなくなってしまう可能性がある。つまらなくなるとは死んでしまうというか死んでしまうことへの抵抗が無くなるということで、面白くなるというのは死に対して抵抗可能だということになる」。八月二五日には、「あーあ、何もかも、過ぎ去って行くんですねえ、かなしみが、刃物のように、吹きぬけますね」という比喩があって、これには梶井基次郎の、「匕首のような悲しみが触れた」、みたいな比喩を思い出したが、調べてみると「冬の日」のなかにある表現だった。「突然匕首のような悲しみが彼に触れた。次から次へ愛するものを失って行った母の、ときどきするとぼけたような表情を思い浮べると、彼は静かに泣きはじめた」(梶井基次郎檸檬新潮文庫、一九六七年、二〇〇三年改版、178; 「冬の日」)。「悲しみ」を鋭い「刃物」に喩える比喩はあるいはありふれているかもしれないが、そこで「匕首」という言葉選びをするのが梶井基次郎の流石なところで、より感じが出ると思う。
 八月二六日の記事は古井由吉のような雰囲気がちょっと匂って、全体として良いので全文を引用する。

電車の座席に座っている若い男性、でかいスーツケースを足の間に挟んで、がっくりと首を前に倒して眠っている。両手で取っ手を押さえているので、まるで何かに向かって祈りを捧げているような格好だ。Tシャツを着た上半身はせわしなく前後に移動して、体勢が崩れそうになるのをかろうじて抑えている。二の腕や背中の筋肉が、小刻みに動くのがわかる。電車が揺れるたびに、まるで振り子人形のように、ガックンガックンと上半身を前後に揺さぶり続ける。その様子は、緩めのヘッドバンギングと云いたいほどの勢いがあってかなりの迫力。そこまでして眠れるものかとおどろくほど。これほど躍動的な眠りがあるものか、いや若い人の眠りとは、むしろこういうものなのだと思う。眠りと死は、ぜんぜん違う。あの屈強な身体をねじふせてしまうほどの力が、死であるわけがない。眠りはそれ自体で力だ、力というよりも、欲望といった方が近いか。

何年か前に、会社で僕の隣の席にいた二十代の女性が、お昼休みに机に突っ伏して眠っていて、それが午後になっても目を覚まさずに眠り続けていたので、仕方なく肩を叩いて起こしてあげたことがあったのだが、目覚めの瞬間のその子の様子が・・・。どろりとして、のっそりと目を上げて・・・あれもまさに、若かった、若い生き物の目覚めだった。匂い立つような、むせかえるようなものがあった。そんなことを思い出した。
 (「(……)」; 「眠り」 (……))

 読んでいるうちに音楽は五曲目の"Quintessence (for Ivan Lins)"に達して、これが以前からこちらが好きな曲で、臙脂色といった風味の品の良さがある躍動的なフォー・ビート曲で、秋によく似合う。ベースソロもきっちりまとまってメロディとしてもよく歌っており、このグループのトランペットはMike Rodriguezという人だが、この人の吹きぶりは端正で、音出しが柔らかく綺麗であり、線が細いと言えばそうかもしれないがそうしたちょっと華奢そうな気味も合わせて何となくKenny Dorhamを連想させるところがある。
 (……)さんのブログは八月二八日に至ると、橋本治からの引用として「恋愛というものは、「なんでも、一人でやれる」という人間の世界と対立して、その修正を迫るようなものだから、「自立」というような近代的な考えと衝突する運命にある」とあったその次に、(……)さん自身の言葉で、「だから恋愛とは近代型システムでは解決できない問題なのだということ。出会って、付き合って、セックスして、結婚して、というのは、恋愛ではなくて制度で、ほとんどの近代人は恋愛を必要としないし一生恋愛せずに制度に従うだけなので、それで大体OKなのだが(……)」と続いていて、なるほどなあ、そういうことなのか、と思った。
 (……)さんのブログに切りを付けるとお茶をおかわりしに行って、戻ってくると、今までパンツ一丁でいたのだが、熱い茶を飲んでもほとんど汗を搔かないくらいにはこの夜は涼しかったので、肌着とハーフパンツを身につけ、インターネット記事を読み出した。音楽は六曲目の"La Ley Primera"の、リーダーのRyan Keberleのトロンボーン・ソロがなかなか聞き物で、ロングトーン中心で緩やかな、香り高く芳醇な吹きぶりで、整然と繊細な音取りをしている。インターネットの記事は、籏智広太「歴史修正主義は「表現の自由」ではない。裁判所が”ホロコースト否定”に判決」(https://www.buzzfeed.com/jp/kotahatachi/npd-echr)、「柄谷行人氏ロングインタビュー <すべては坂口安吾から学んだ> 天皇制・憲法・古代政治・歴史…「無頼」ということ」(https://dokushojin.com/article.html?i=2253)、山口真一「大規模調査でわかった、ネットに「極論」ばかり出回る本当の理由」(https://gendai.ismedia.jp/articles/-/58264)の三つを歯磨きしながら読み、その途中で音楽をもう一度最初から聞きはじめ、二時二〇分過ぎから辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』の書見に移った。「審判」における「訴訟」はその内実を完全に欠いており、まずもってKが何の罪を犯したのかまったく不明だし、彼の行状の細かな調査なども成されない。「訴訟」の発端となった突然の「逮捕」も同様で、Kはある朝、男たちに強引に押し入られて「逮捕」されたとは言うものの、特に拘束されはせず、行動をまったく制限されずに、今までと何も変わらず銀行に勤め続けることが出来ている。ここでは「訴訟」とか「逮捕」という言葉がその実質的な内容を伴わず、純粋に言葉の上だけのものとして現れており、意味=概念がその抽象性に還元されたほとんど剝き身の姿で設置されているのだが、それにもかかわらずそれらの言葉は内容空虚のままに亡霊のように独り歩きし、Kの生活に付き纏って彼を悩ませるのだ。
 二度目の"Quintessence"では、トロンボーン・ソロに耳が寄る。やはり音取りが綺麗で、ありきたりな評言だが歌心に満ちていて、明快でわかりやすい。『Azul Infinito』のなかでは、もしかしたらこの曲が一番好きかもしれない。その後、四時ぴったりまでカフカを読み続け、さすがに眠くなってきたので本を置き、明かりを落として寝床に潜り込んだ。