2019/10/10, Thu.

 鷲田 介護でも保育でも、原発でも難民でも差別でも、われわれが直面している問題の大半は答えが出ません。少なくとも一義的なソリューションはありえない。そこで、「問題」と「課題」をわけて考える必要があるんじゃないでしょうか。ここでいう問題は解決されるべきもののこと。なくなるのがいい。それに対して、課題はだれにも事態を解消することができない。決定的な解決策はない。もっとも基盤的な次元において解決の道筋がすぐには見えない、そんな難問を突きつけられている。けれど、取り組みつづけなければならない。その取り組み自体に意味がある。
 (大澤聡『教養主義リハビリテーション』筑摩選書、二〇一八年、42; 鷲田清一×大澤聡「「現場的教養」の時代」)

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 釜ヶ崎 大阪市西成区北東部、「あいりん地区」の旧称。大正中期頃から失業者、日雇労働者の滞留地となり、第二次大戦後、「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が集中し、スラム街を形成。一九六一年の釜ヶ崎騒動を契機に福祉政策が講じられ、六六年に「あいりん地区」に改称。
 (44; 註90)

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 鷲田 これまでの日本の「教養」を考えると、それはいわば垂直方向に設定させるものでした。高等遊民的な教養主義はいわば「高み」にのぼって世界を俯瞰的に眺めようとするものでしたし、逆に旧制高校デカンショ的な教養主義はリアリティの全体を根源的に、つまり「深み」をめがけて掘り下げようとするものでした。哲学者たちによるこの「深さ」への志向は、究極の根底に遡ってそこから世界を究明しつくすという欲望によって駆られていたといえます。「高み」であれ「深み」であれ、いずれにせよ世俗的な世界の次元を垂直方向に超出しようというものだったわけです。
 大澤 さきほど裾野をひろげることで上へ向かう力を確保するという教養モデルに言及しましたが、それとは逆のベクトル、下へ下へと向かう力を増強させることが横のひろがりへと転化するというモデルといってもよさそうですね。
 鷲田 これに対置するかたちで考えてみたいのは「水平の深み」というものです。「水平の深み」というと日本語だと違和感がありますが、英語で「ホリゾンタル・デプス」だとわかりやすいんじゃないでしょうか。「デプス」には奥行きという意味もある。西洋の人は下へ降りていく深さばかりではなくて、水平にも深さを見ているんですね。その水平の深みは他者との対話のなかで現れてくる。
 大澤 そこを遮断しないことがポイントです。対話のチャンネルをひらいておく。
 鷲田 なるほどそんな発想もありかもしれないと気づくとか、この向こうにはまだなにかありそうだぞとおもしろがれるとか、それができる人は「水平の深み」を求めている。かつて教養は本を読むなかで涵養されました。読むなかで、こんな視点から社会を見る人がいたのか、死をそんなふうに捉えた人がいるのかと発見があったわけです。
 大澤 読書も他者との対話である、と。
 鷲田 それに対して、すでに知っていることを再確認するような読書はやっぱりつまらないですよ。
 大澤 対話がないですからね。独我論的な内省だけがある。
 鷲田 詩や思想書を読むなかで、自分とはまったく異なる感受性や思考に触れることによって、それまで自明だと思っていたことがぐらぐらゆさぶられる。自分の前提や基盤が不明になっていく。そういう経験が読書にはあります。
 大澤 読む前と読んだ後とで自分の組織が再編される。その結果、周囲が異化されてそれまでとはちがって見える。
 鷲田 だから、読書は他者と言葉を交わすことと地続きにある。かつて、図書館はしーんと静まりかえった場所でした。各自が黙って本を読んだり勉強したりしていた。ところがいまは、ワークショップやミーティングをおこなうブースが設置されているケースが少なくない。はじめて会った人と図書館で開催される哲学カフェで言葉を交わすことだってあるでしょうね。僕はあれをとても自然なことだと受けとめています。なぜなら、本を読む行為はそもそも会ったこともない著者と対話をすることですから。
 大澤 かつての黙考型の教養と、ここで提案している対話型の教養との差異が、図書館の新旧の変化に反映されているわけですね。
 鷲田 たしかにそうですね。
 大澤 さきほど学生たちの「重い」に言及しましたが、水平方向へと一歩踏み出すことについて、歓びよりも恐れが先行してしまっているのも気になります。
 鷲田 自分がゆらぐのが怖いんでしょうね。過剰に防御的になっている。
 大澤 変化をノイズとして処理してしまう。友だちと会話をしていても、すでにわかっていることだけを感覚的に共有しあう。それは自分の写し鏡と話をしているようなものです。そこには他者が不在です。ネット世界の構造的な傾向をあらわした用語に「エコーチェンバー」や「コクーン化」がありますが、まさにあれとおなじ。
 鷲田 レヴィナスがいうように、他者はどんなかたちであっても「ある共通の実存に私と共に関与するもうひとりの私自身」ではありません。
 大澤 まさにレヴィナスがいうその部分の「分離」があらゆる場面でできなくなっていて、読書もそうなりつつある。どこまで行っても等身大の「私」がのっぺりと広がる。だから、やせ我慢や背伸びをして、むずかしい本にチャレンジしようというモチベーションがすっかり欠落している。「教養主義の没落」とは煎じ詰めるとそういうことです。
 鷲田 教養がある人とは、たくさんの知識をもっている人という意味ではありません。そうではなくて、自分(たち)の存在を世界のなかに空間的にも時間的にもちゃんと位置づけられる人のことを指しています。つまり、自分を世界のなかにマッピングできるということ。そして、この世界を平面ではなくて立体で捉える。そのためには単眼で見ていてはダメです。奥行きがわかりませんから。立体的に見るためには複眼でなければならない。パララックス、つまり視差をもつ。いいかえると、ひとつの対象を複数の異なる角度から観察するということです。
 大澤 テーゼとアンチテーゼをすぐにヘーゲル的に弁証法的総合へともっていくのではなくて、そのギャップをまず見つめる(とはいえ、『パララックス・ヴュー』のスラヴォイ・ジジェクなら、そのヘーゲルにこそパララックスを見出すわけですが)。課題はその視差をどうやれば増やすことができるかですね。
 鷲田 そこで、自分とは異なるタイプの思想家なり作家なりの本を読むことが重要になります。著者との対話をとおしてこそ、思いもよらなかった補助線をいくつも引くことができるようになる。そうした補助線を獲得することをとりあえず教養と考えるといい。
 大澤 複眼的思考を身につけ、自分を世界のなかに位置づけ、対話をとおして補助線を多く獲得せよ。これはひとつの定義になりそうですね。
 (44~49; 鷲田清一×大澤聡「「現場的教養」の時代」)


 七時半頃覚醒。外は今日も白い空、そのなかで先日も見かけた大きな蜘蛛が宙に浮かんで、その時はまるで超自然的な力でもって浮遊しているようだと思ったものだが、この日は細い糸の軌跡が僅か目に見えて、多分これは棕櫚の木の樹冠に繋がっているのではないか。鼻水がひどく湧き、くしゃみが出て出て仕方がなかった。気温が一気に下がったためだろうか。仰向けになったまましばらくくしゃみを連発したあと、もう起きてしまおうということで布団を抜け出し、コンピューターを点けたが肌寒かったので、上着を身につけようと思って一旦上階に上がると、母親がいるので挨拶をする。仏間の簞笥からジャージを取り出したが、そっちは何だか簞笥の臭いがくっついているからこっちを着なと母親が取り出してくれた方のジャージを着込み、飯はまだ良いと言って自室に帰った。そうして早速、勤勉にも八時に至る前から前日の日記を書きはじめ、なかなか時間が掛かったもので、仕上げてこの日の日記をここまで綴ると、もう一〇時が目前となっている。ちょうど二時間ほど打鍵を続けていたことになる。
 食事へ上がって行くと、母親はもう仕事に出掛けると言う。普段は午後からのところが今日は一一時からで早い勤務なのだ。弁当があると言うので冷蔵庫から取り出して、卓に就いて開けてみると、詰め込まれた米には鮭の振りかけがまぶされてあり、ソースの染みた濃い色のチキンカツが二つ、ほか、前夜の鯖のソテーの余りなどが入っている。食べながら新聞を引き寄せると、一面には吉野彰氏のノーベル化学賞受賞の報が大きく取り上げられていて、めくってなかほどには白川何とかと言って名前を忘れたが過去のやはりノーベル賞受賞者と、こちらも受賞者である野依良治氏との電話座談会が載せられていたのでそれも読んだ。その右隣の頁、国際面では、香港情勢の情報があって、抗議運動の精神的な支柱であるような何とか言う活動家が現在は収監されているらしく、裁判所前で彼の解放を求める抗議があったとのことだ。ほか、トルコがシリア北部で軍事活動を開始したとも伝えられている。
 食後、薬はSSRIであるセルトラリンがもう一粒しかないので、余っているアリピプラゾールだけを飲んだ。食器を洗ってから風呂場に行ったがブラシが見当たらないので、ベランダに干したのだろうかと見に行けばやはりそうで、掴んで浴室に戻って浴槽を掃除し、泡を流して出てくると自室から急須と湯呑みを持ってきた。緑茶を用意するあいだ南窓に目をやれば、外の空気は陽の色を帯びて瓦屋根にも白さが乗っているが、しかしやはり雲は多くて、固まるのでなく拡散して薄いが空を大方覆って、晴れきらない半端な天気である。
 緑茶を持って自室に戻ると、寺尾聰『Re-Cool Reflections』をYoutubeで流し出し、先ほど書いた日記をまだ投稿していなかったのでブログに上げて、Twitterにも通知しておいてから何故か少々読み返し、その後寺尾聰の曲を歌いつつ、引用部を処理してnoteの方にも投稿した。そうして寺尾聰がカバーしたThe Beatlesの"I Call Your Name"を歌うと一一時、音楽はキリンジ『3』に替えてEvernoteから一年前の日記をひらいた。「(……)一冊の書物にあっては、すべてが似ていながらじつはひとつひとつ違っている森の木の葉のように、文章という文章が、立ちさわいでいなければなりません」(工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、314; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五四年四月七日〕金曜夕 午前零時)とのこと。ほか、「気分優れず。ずっと眠り続けていたいような倦怠感、疲労感。それに従って、三時半頃から床に寝そべり、部屋も真っ暗に浸された七時まで眠った」とも記されていて、実際、日記もほとんど書かれていなかった。
 さらに過去を遡り、二〇一四年一月一〇日から一一日の記事を読む。この二日はほとんど寝たきりで入院していた祖母がいよいよ危篤で危ういと言って、結局この時はまだ逝かず、命日はそれから一月後の二月七日になったわけだが、家族や親戚で病院に詰めて泊まったのだった。二〇一四年初頭の自分にしては結構上手く書けていて、死の近い祖母を前にした悲痛さも少々滲んで感じられる。

 祖母の意識は朦朧としているようだった。青白い顔で、緑色の酸素吸入器をつけていた。頭がくらくらした。体が不安の膜で密閉されたような息苦しさを感じた。父と二人で言葉も交わさずベッド脇で祖母を眺めていると、看護士が来て点滴を外した。もう管が入っていかず、入ったとしても液体がもれてしまうのだという。いよいよこれで栄養も水分もとる手段を失ったわけだった。十二時過ぎに一人でロビーへおりて飲み物を飲んだ。
 病室に戻ってすぐに母とYさんが到着した。彼女らはことさらに慌てても悲しんでもおらず、表面上はいつもどおりに見えた。本当だったら倒れたその日に失っていたはずの命をかろうじて拾って一年と五か月伸ばしてきたのだから、誰も心の準備はできているのだった。

 二時前に祖母の弟であるHさんを母がむかえにいって連れてきた。八十年近くも生きていると肉親の死にも慣れたもので、姉さん寝てんのかや、このまま永遠に眠っちまうだんべ、などと不謹慎な言葉を吐いたが、その無遠慮が無礼や侮辱にはならない親しみが言葉のうちにあった。このぶんだと朝までもつかもしれねえぞ、Iさん(祖父)が連れていっていいもんか迷ってんだ、もうすぐそこには来てんだろうけどな。
 二時を過ぎて母が持ってきたおにぎりをラウンジで食べた。病室に戻ったあとはどうにも眠くてベッド脇の車椅子に座ってなかば眠っていた。待つということは――とりわけその先にあるものがひとつの生の終わりであるときには――気力のいる仕事だった。

 六時半ごろに祖母の姉の息子であるIさんが到着した。Iさんは祖母の顔をのぞきこむと早くよくなって畑でもやりなよ、などと声をかけた。事がここにいたっているのにそのような場違いな言葉を吐くのに最初は無言で苛立ったのだが、しばらく挙動を見ているとそれも彼なりの優しさなのだと理解した。彼はI.Yさんと一緒に昔話を色々語ってくれた。祖父母の結婚前のエピソードがおもしろかった。当時はHさんが市内で乾物屋だかなにかをやっていて祖母がそこにつとめていた。そこにIさん(祖父)がよお、自転車に乗って誘いにくるんだわ、んで乗ってけよ、なんつってよ。Mさん(祖母)もうしろに乗っていっちまうんだわ、結婚前でな、二十五、六だったんじゃねえかなあ――なんということだ! あの二人にもそんな時代があったのだ。もちろんどんな老人にも青春時代はある、しかし祖父母のそれを聞いたのははじめてだったため、自分の知らなかった過去の存在がまざまざと迫ってきた。以前にも一度こういうことがあった。祖母と畑に出たときのことだった。畑の隅に立った祖母が雑草の葉を手にとり、両手で口にあてがって背すじを少し伸ばして草笛を吹こうとした、その姿を見た瞬間に、彼女が幼い子どものように見えた、想像上の少女の姿が現実の老いた祖母に重なって見えた、そして瞬時に、祖母にもこういうときがあったのだということがなかば衝撃とともに感得されて、泣きそうな気分になった。無邪気に草笛を吹いていた少女の時分から数十年もの時を重ねて、それらの厚みを背負って祖母はそこに立っているのだった。今やそのときと同じことが起ころうとしていた。実際には写真ですら見たことのない若かりしころの祖父が祖母を迎えに来て、幸せそうに二人で笑いあう情景が脳裏に描かれた。感傷を禁じ得なかった――なぜ過去は過去であるというだけでこんなにも美しいのか!

 続けてfuzkueの「読書日記」である。。九月二三日の記事が、「鉄風が鋭くなって町を蹴散らしていったから看板も倒れて」という始まり方で書かれており、「鉄風」というのは聞き慣れないが良い語だな、俺もいつか使おうと思って、一般的な語なのか検索してみると、どうもNumber Girlが元ネタらしい。Number Girlというバンドの名前は色々なところで見聞きするが、その音楽を聞いたことは一度もない。キリンジの曲を口ずさみながらAK氏の日記を読み、それからSさんのブログにもアクセスして、読むあいだ、どこの記事のどの文章に触発されたというわけでもないのだが、自分の文章は多分わりあい明晰な、そこそこ綺麗に分節されているものだと思うが、これから長く書き継いで行くうちに、もっと明晰さを突き詰めていって、それが極まったところでかえって混迷の淵に落ち込むような、そんなものを書きたいなと考えた。しかしそれからちょっとして、それは結局、ムージルであり、古井由吉なのだろうかとも思った。音楽が六曲目の"エイリアンズ"に差し掛かると、裏声でメロディを合わせて歌う。際立った甘やかさと、ほとんど嫌らしいようなねちっこさと言うか粘っこさ。
 九月二三日の「食事」という記事は、引用はしないが面白く、大変失礼ではあるのだがSさんの年齢や老いに関する自己卑下は笑ってしまう。九月二五日には次のような記述があって、ほうほう、そうなのか、そういうこともあるだろうなあ、とこれも面白く見た。

録画一覧にある濱口竜介「PASSION」のラスト近くの箇所を妻がサーチして、なぜかそこだけ再見していたのを、帰宅した自分も観ていて、現恋人からすでに愛されてないかもしれない彼女と、その彼女を今までずっと好きだったけどそのことは黙ってた男とが、たまたま二人居合わせた夜明けの工業地帯の駐車場みたいなだだっ広い場所で、男からしたら、もしかしてその彼女を自分のものにできるかもしれないという予感というか根拠ないけどほぼ確信みたいなのが男にはあって、そのときの男が女に言うセリフが、相手の身体の部分、部分、部分を、やたらと褒めたたえる、まさに雅歌形式になっていたのが、妙に印象に残った。で、女もまんざらではなさそうだし、いい感じだし、ぎゅっとハグしてキスして、完結じゃん、おめでとう!みたいなところまでくるのだ。

魅了されている相手に、もう俺の気持ちを開放してしまっていい!と思った時に、「雅歌」的な言葉が出てくる。すなわち相手を"対象"として、その部分部分が、一々美しい、それらの一々に私は魅了されていると、それを他ならぬ相手に直接伝えるという、そういう短絡が生まれる。もっとも相手に近づきたいときに、その相手をあえて消してしまって、部分としてとらえたくなる。俺はこうだったんだとわけのわからない虚空に向かって放つばかりになる。
(「at-oyr」: 「雅歌」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/09/25/000000

 音楽はその頃、"あの世で罰を受けるほど"が流れていて、この曲はある種のダサさ野暮ったさに満ち満ちていると言うか、実に好ましいB級感が溢れている。しかし、「蝙蝠飛び交って広場」という言葉遣いはちょっと面白く、文章にも応用出来るのではないか。決め台詞的な「乱れ髪サスーン」も面白く、馬鹿馬鹿しいものではあるがちょっとなかなか思いつかないだろう。「サスーン」という横文字は意味不明だが、おそらくヘアブランドのVidal Sassoonを取っているのだと思う。
 Sさんのブログの九月二八日の記事には、「"アビイ・ロード"は「信じられないようなことが起きてしまった」という、愕然とした気持ち、まったく新たな地平に至った高揚と、二度と元には戻れない喪失感との混交であり、一度限りの特別な一瞬だ。にも関わらず、それは録音されたもので、いつでも再生可能なのだ。このことの不思議さ」という文言が書きつけられており、ここを読んだ時、先日非常に面白く読んだ岡崎乾二郎Bob Dylan論のなかにも似たようなことが書かれていなかったかと記憶が刺激されて、日記を遡って次の記述を発見した。もしかすると全然似ておらず、まったく違う事柄なのかもしれないが。

 実際、これは写真にベンヤミンが見いだした問題と同じでした。ベンヤミンはこう分析したわけでした。言葉の意味が、それを発した話し手とそれが向けられた受け手の関係として確定するように、写真も見る者と見られる者との間のまなざしの交換によってはじめて意味を成立させる、ひとつの言葉である。つまり写真はもともとは言葉同様、見る者、見られるモノの関係の上でなりたつパフォーマティヴなメッセージである(あった)、けれど、そのパフォーマティヴなメッセージを成立させた場所はもはや失われている。ベンヤミンは話し手と受け手の関係が成り立つ場を、アウラギリシャ語で「風」の意味)―いわば、話し手と語り手のあいだに吹いている風と呼んだわけです。写真にはこの風がもう吹いていない。いや吹いているのを感じても、実際にはそれが吹く場はいまやどこにもない非在の場である。そこに写された人物の視線が本来向けられていた人は、もうここにはおらず、そもそもこちらにまなざしを投げかける、被写体としてそこに映っている当の人物がもうここにはいない。にもかかわらず写真の上には、まだ誰かに向けて何かを訴えかける視線のみが残っている。視線は宛先を失った「風として、まさに宙をさまよっている」。
 写真はこうして、行き先のないパフォーマティヴなメッセージとなる。いいかえればそれはコードを持たないメッセージというより、コードを位置づける場所なきメッセージである。写真を見る人はゆえに、この非在の場所を想起してしまう。写真のイメージとは、この非在の場所そのものの想起である。どこか、いつか、きっと見たことがある、見たかもしれない、見ただろう、確実性と非在性がイメージとして重ね合わせられる。
 ポップ・ミュージックも同じです。録音を通して聞くのは、確かにそれがあった、行われた、そういう場があったという、ある場所全体、その出来事全体への追憶です。そしてそれは聞くたびに繰り返される。言い換えるならば、古くから歌が持っている機能――歌うたびにその場が再生される――がそこには確かに保持されている。つまりレコードに録音された楽曲はすべてパフォーマンス、パフォーマティヴな上演として受け取られる。

 一〇月二日の「おまかせ」も面白く、寿司屋で近くの男女の会話を盗み聞きして彼らの様子や言動を批評するSさんに、やはり思わず笑いを漏らしてしまう。音楽はじきに最後の"千年紀末に降る雪は"に至ったが、これはやはりだいぶ凄い曲ではないか。堂々とした風格があり、名曲と言っても良いのかもしれない。それで誘われて、立ったまま背をちょっと曲げ、机上に頬杖を突きながら歌ってしまい、アルバムが終わると次にものんくる『RELOADING CITY』を掛けた。Sさんのブログは九月一三日の分から読みはじめたのだが、このままの勢いで一〇月七日の最新記事のすべて読んでしまおうと興が乗って、実際読み通したのだがその邁進に無理がなく、疲労もせず、最近どうも文を読むのも以前より何だか速いようで、あまり難解な文章でなければするすると読めて、何故かわからないがMさん言うところの「認識の解像度」が上がっているような感じがする。反動が怖い。
 ものんくる『RELOADING CITY』はどの曲も整って全体に魅惑的な佳作だが、まずは前にも書いたけれど二曲目の"夕立"の、「温かい雨が突然降り出し/夏の銀河系の音を奪った」という一節、この美的なイメージのなかに「銀河系」という硬めの、三字で構成された漢語を挟むのが良い。次の"アポロ"はポルノグラフィティのカバーだが、Extremeのアルバムからバンド名を取ったポルノグラフィティというグループは、この曲がデビュー・シングルだというのは、歌詞にしても楽曲にしてもなかなか凄いのではないか。歌詞のなかでは特に1Aの、「みんながチェック入れてる限定の君の腕時計はデジタル仕様/それって僕のよりはやく進むって本当かい? ただ壊れてる」の肩透かし感と言うか、ほとんど何も言っていないような感じの意味の薄さが良く、2Aの同じ箇所に当てられた「大統領の名前なんてさ 覚えてなくてもね いいけれど/せめて自分の信じてた夢ぐらいはどうにか覚えていて」の意味の濃さ、率直なメッセージ性、穿った言い方をすれば「ちょっと良いこと言ってやったぜ」感と比べればそれはより明瞭に強調されるだろう。ものんくるのカバーを流すと、Youtubeにアクセスして本家ポルノグラフィティが演じた"アポロ"のライブ映像を見た。続けて関連動画で自動的にMr. Children "光の射すほうへ"も始まったのでそれも見て、さらにポルノグラフィティに戻って"サウダージ"も閲覧すると、Youtubeは閉じてものんくるに戻り、一時直前から椅子に座って辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめたところが、さすがに眠りが三時間では致し方ないことで睡気が湧いて目の奥に麻痺感が滲む。それで睡気を振り払うために椅子から下りて立ったまま書見を続け、しかしたびたび読書ノートにメモを取ったのでなかなか進まず、一時間二〇分掛けて一〇頁しか読めなかった。
 『城』の一七九頁では、Kが会いに行った村長が、官房長クラムからKに寄せられた手紙を取り上げて自らの「解釈」(179)を披露し、Kが測量技師として採用されたことを知らせるものだと思われていたこの手紙が、その実意味のあることはほとんど何も言っていないのだ、ということを解き明かしてみせる。この手紙に関しては以前の感想でも既に取り上げて、文言の真意について思い巡らせるKの熟考(148)は、作者カフカが自分自身のテクストを自ら読み解きながらその射程を押し広げている自己解釈にほかならず、そこにおいてカフカは言わば自分自身の批評家と化しており、作品の言語のなかで読み手としてのカフカと書き手としてのカフカがほとんど一致しているという論を述べたが、一七九頁では村長の口を借りて第二の自己解釈、つまりは意味の更新が導入されている。それは上で触れたように単なる更新と言うよりは、意味の無効化、空無化と言うべき所業なのだが、しかしこれはあくまで村長が考える手紙の一つの「解釈」に過ぎないこともまた確かだ。カフカの小説ではこのように、複数の「解釈」だけが乱立して、そのなかのどれが正解なのか、真相はいつまで経っても明らかにならないのではないだろうか。曖昧模糊とした不確定性、あるいは風に触れられてざわめく無数の葉叢の震えのような意味の揺動がそこにはある。
 手紙の意味を無に帰して、我々は測量技師など必要としていないと口にする村長の主張に対してKは、彼が到着したその晩に、シュワルツァーという執事の息子が、フリッツという名の城の下役の元に電話で照会し、「私が土地測量技師として採用されたという知らせをもらったのです」(179)と指摘してみせる。ここで物語内の過去の事実と、村長の発言とのあいだに明確な矛盾が発生する。発生する、と言うか、このことは物語の前の部分、一三六頁に既に書きこまれていたのだから、作者カフカはここで読者にそれを想起させ、自ら矛盾のありかを指し示してみせているのだ。しかし、作品中に矛盾が生まれようともカフカは怯まず、それを少しも問題とせず、後付けの強引な理屈によって前の記述の意味を書き換えてしまう。カフカの作品は、ほとんど矛盾が生まれることを前提として書き連ねられているかのようだ。その葛藤は、弁証法的に止揚され解決されるのではなく、水平的にずらされ、新たな意味体系のなかへと移行させられるのだが、その新たな秩序のなかでもいずれふたたび矛盾が発生してしまうのだ。この横滑り、意味の脱臼はいつまでも続く。カフカの小説は意味と意味との絶え間ない闘争である。そこでは対立する意味のどちらか一方が勝利を収め、敗者が退けられて勝敗と優劣の関係が確定されるのではなく、意味は絶えずずらされ、書き換えられて、闘争ははぐらかされる。
 上のような事柄を読書ノートに書きつけながら、意味の「闘争」などという言葉を使ったものだから、カフカがノートに書き込んだ例の有名なアフォリズム、「おまえと世界との闘いにおいては、かならず世界を支持する側につくこと」(飛鷹節訳『決定版カフカ全集3』(マックス・ブロート編集)、新潮社、1992年、33)を思い出して、カフカの小説言語の運動様態とこのアフォリズムとを結びつけて論じられないかと頭を回したのだが、適切な文脈が構成されないままにひとまず食事を取りに行くことにした。上階へ行って台所に入り、朝には卵と茗荷の汁物が入っていた小鍋に水を注ぎ、火に掛けて、まだ少しも熱くなっていないのに早々とレトルトカレーのパウチを入れて、それでベランダに移動して洗濯物を取り込んだ。それからすぐに、タオルを畳んだのだったか? それともそれはのちのことだったろうか? どちらでも良いのだが、タオルを畳みながらカフカの言葉について考えた記憶があるから、多分先だったのだろう。まずもって、「世界」と、「おまえ」と呼ばれる人間主体とのあいだには地位として歴然たる差があり、「世界」は明らかに主体よりも遥かに膨大で、抗う術も与えず人間を外から包み込むような資格を持つ強大な概念様態である。「世界」と人間とはどうあがいても対等に扱うことなど出来ず、言語上の操作としてその非対称な二項を対立させて両者が均衡するかのように装うことは端的に言って主体の不遜であると、人間存在の馬鹿げた尊大さをそのように批判したのが確かニーチェだったと、どこかでそう聞いたような記憶が薄ぼんやりとあるのだが、それを踏まえて、「世界」と人間との「闘い」においてとてもではないが人間が勝利する見込みなどあるはずがない、そもそも完全に非対称な二項のあいだに「闘い」など初めから生じようもない、人間は抵抗を許されず単に世界に飲み込まれるばかりのちっぽけな存在である、と考えるならば、カフカの言葉は単純素朴に、ただ「長いものには巻かれろ」と言っているに過ぎないことになってしまう。しかしそんなはずはない。次に、「世界」と人間との非対称性を一旦脇に措いて、そのあいだの「闘い」において仮に人間側が勝利する可能性がある程度確保されていることを前提として、この闘争において主体が勝利するには、敢えて闘争相手の「世界」の側に加担しなければならないのだ、そのような経路を辿る逆説的な形でこそ人間の勝利が実現されるのだ、という意味内容を仮構してみるにしても、結局これも、「急がば回れ」という昔ながらの諺に単純に集約される以上のことは言っていないように思われる。この二種類の読み方はいずれにせよカフカの言葉を単なる世間知に還元してしまっているわけで、そのような矮小さよりももっと深遠な意味を無論こちらは掘り出したいわけだが、そして出来ればそれを「意味のはぐらかし」というカフカの言語運動の主要な特徴と結びつけて考えたいわけだが、しかし、タオルを畳んでいるこの時間のあいだでは適切な思考が固まらなかった。じきに台所で湯が沸騰してカレーが温まったので、大皿に米をよそって調理台の上に置き、カレーを取り出す前に食器乾燥機のなかを片付け、それからパウチの先端を摘んで火傷しないように持ち上げて、鋏で口を切りひらいて中身を米の上に注ぎ掛けた。チョコチップの混ざった細長いスティックパンをともに卓に持って行って、部屋から持ってきたカフカ全集をティッシュ箱に立てかけてひらき、カレーを食いながら言葉も食べる。
 カフカの小説は、物語が進行するごとに矛盾点がどんどん増えていくかのようだ。先の感想に綴ったように、一七九頁においてKは、一見すると彼の採用を知らせている官房長クラムの手紙は実質的には意味を持たないと主張する村長に対して、下級執事の息子が城に問い合わせて、Kが測量技師として雇われたという報を受け取ったのだと指摘してみせる。「村長さん、あなたはこのことをどう説明されますか」と挑発的な投げかけでもってKは台詞を締めくくっているのだが、それに対して村長は、「きわめて簡単です」と、まったく動揺せずに自信満々に応じてみせる。しかしそれに続けて繰り出される彼の言い分は奇妙なもので、城とのあいだの「電話が伝えてくれるただ一つの正しいこと」は、城の人間たちが「たえまのない電話をかける」ことで生まれる「ざわめきや歌声」のような響きだけなのであり、「そのほかのものはまやかし」なのだと言う。また村長は、城の役人がともかくも与える返答は、仕事に疲れ切った彼らが単なる気晴らしで、「ただの冗談にすぎない返事」を答えているだけなのだとも主張する。ところがそれに対してKが、「私はこの電話の話というものをたいして信用していませんでしたし、まさに城のなかで経験したり獲得したりすることだけがほんとうの意味をもつのだ、といつでも考えていました」と応じたすぐあと、「いや」と村長は否定し、「そういう電話の返事にはほんとうの意味があるんですよ」と述べる。「城の役人が与える知らせが、どうして無意味なはずがあります?」と彼は反語的に問いかけるのだが、これは先の発言と明らかに矛盾しているように見える。前の部分では、役人の電話にはほとんど何の意味もないようなことを言っていたはずなのだ。しかし反語のあとに続けて村長は、「つまりこうした言葉はみんな公務上の意味はもっていません」、そうではなくて「個人的な意味」を持っているのだと意味秩序の新たな分類を導入する。これはまったくもって嫌らしいような、うねうねと蠢いて手から逃れる鰻のように詭弁じみたやり口なのだが、それを受けて文章を遡ってみると、確かに彼は前の箇所で、電話越しの役人たちの返答が完全に「無意味」であるとは言っていないのだ。縺れた論理の隙間に僅かにひらいた抜け道を、針の穴を通すようにしてくぐり抜けて記述の意味を攪乱してみせるこの振舞いは、言わば法を骨抜きにする悪徳官僚の手口である。
 さらには第六章に移ると一八四頁から一八五頁において、「橋亭」のおかみは、フリーダのみならず、自分も過去にはクラムの「恋人」(185)だったという新事実を明かしてみせ、彼女が今身につけている「ショール」(184)も「ナイトキャップ」も、実はクラムからの贈り物なのだとKに話す。しかし、おかみはこれよりも前の対話のなかで、 「クラムにほんとうに会うなんていうことは、あなたにはできっこありません。(……)というのは、わたし自身だってできないんですもの」(165)と言っていなかったか? 「クラムはけっして村の人とは話さない」のではなかったのか? 一六七頁では彼女は、「クラムについてはわたしは今でも何一つ知らないのです」とも述べている。それなのに彼が使者を送っておかみを呼びにやり、自分の「恋人」として贈り物を与えたというのは、明らかに矛盾しているように思われる。一体どちらの証言が真実なのか?
 このように、カフカの作品は物語が進むにつれて新たな矛盾点が次々と露わになっていく。と言うか、カフカの書きぶりは、ほとんど矛盾を生み出し世界を混濁させるためにこそ文を書き連ねているかのような印象すら与えるものだ。彼はその矛盾点を放置したまま、一所に留まり滞留することなく続々と新しい言語を紙の上に刻みつけていく。時に気まぐれな手つきで理屈を捏ねて、意味の辻褄を合わせようとするが、しかしそれによってまた新たな矛盾が発生する。修繕の作業が同時に別の箇所をほつれさせてしまうのであり、彼の織物[テクスト]において、繕うこととほつれることとは表裏一体の事態と化している。従って、通常の文学的基準からすると、カフカの小説は明らかに失敗しているのだろう。しかし実のところ、彼はその破綻的な失敗によってこそ、逆説的に彼の文学を成功させているのだ。どういうことか? カフカの言語世界の様相は迷宮的であり、通路の壁が膨大な数の鏡で埋め尽くされて光が複雑怪奇に乱反射する迷路のようなもので、無数の鏡像のなかで読者は困惑の淵に落とし入れられ、真実に辿り着けずに自らの位置を見失って途方に暮れるほかはない。互いに互いを打ち消し合って矛盾と葛藤を重ねる意味の乱反射によって、カフカの小説は全体としてはほとんど何の意味をも成さず、確定的なことを何一つ証言してくれない。そこに存在するのは、執筆行為の主体であるはずの作者をも予想も出来ない方向に強引に引っ張っていく自走的・自律的な言語運動の痕跡のみであり、それによって描かれるのは、まるでやんちゃな子供の落書きのような、あるいは風邪を引いた幼児が発熱のなかでうなされながら体験する悪夢のような、壮大な言語迷宮だけである。つまり彼は、何か明確なものを書くことに失敗しており、その小説は総体として何をも言い伝えることがないが、しかしかえってその破綻によってこそ、カフカは目的語を排除した純粋形態としての書くことを、書くという行為の自動詞的様態をほとんど完璧に体現しているのではないか。ここで想起されるのは勿論のこと、カフカの『城』から遡ること七〇年前に、ギュスターヴ・フローベールが恋人宛の書簡のなかに書きつけた例の有名な文言だが、あの名高い「なんについて書かれたのでもない書物」という命題、「ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物」を書きたいというフローベールの悲願を、それから七〇年を越えてフランツ・カフカは密かに受け継ぎ、意図してか意図せずにか、実現してしまったように思えるのだ。

 ぼくが素晴らしいと思うもの、ぼくがつくってみたいもの、それはなんについて書かれたのでもない書物、外部へのつながりが何もなくて、ちょうど地球がなんの支えもなしに宙に浮いているように、文体の内的な力によってみずからを支えている書物、もしそんなことが可能なら、ほとんど主題がない、あるいはほとんど主題が見えない書物です。(……)
 (工藤庸子編訳『ボヴァリー夫人の手紙』筑摩書房、一九八六年、101; ルイーズ・コレ宛〔クロワッセ、一八五二年一月十六日〕金曜夕)

 ――とまあ、概ねそのようなことを考えながら文を読んではものを食い、食べ終えるとカレーの滓がこびりついた皿を台所に運び、流水を落としてその滓を流し、まだ何か食べたい感じがして冷凍庫を探ればハンバーグがあるが、さすがにこれを食ってしまってはなと遠慮しているうちに、野菜と梨があったのを思い出して上段を開け、二品を取り出し箸も持って卓に戻った。カフカの文を読みながら、ドレッシングを掛けて食ったサラダには、茗荷がふんだんに含まれていた。食後、食器を洗ってから吊るされた下着を畳んでソファの背の上に置いておき、下階から道具を取ってくると緑茶を注いで、塒に戻れば飲みながらメモを取って三時を越えた。
 本来ならすぐにも日記を書き足すべきだが、何となく茶を飲んでいるあいだは文を書くのでなくてものを読もうとそんな気が勝って、「週刊読書人」から臼杵陽×早尾貴紀「「大災厄(ナクバ)」は過去ではない イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』と米・エルサレム首都承認問題」(https://dokushojin.com/article.html?i=2694)の記事をひらいた。音楽はSarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』で、例によってこのアルバムの"Autumn Leaves"があまりにも素晴らしくて、ボーカルの高度なスキャットを下手くそに真似して声を出す。

早尾  これは聖地管理権を巡る問題なのですが、宗教紛争ではない、ということを明確にする必要がありますよね。パレスチナにおけるアラブ人対ユダヤ人の争いは、イスラームユダヤ教の教義上の対立では決してない。これを二〇〇〇年来の宗教対立として語ることには問題がある。あくまで軍事占領の問題であって、植民地主義や人種主義といった、政治のタームで語るべき出来事だということです。この点については、臼杵さんは、政治と宗教をどのようなバランスで語るべきだとお考えですか。

臼杵  そもそもヨーロッパの列強が、聖地の争いとして、宗教を利用してパレスチナに入ってきたということなんですよね。先ほどユダヤ教の「嘆きの壁」の話が出ましたが、エルサレムには他に、イスラームのアル・アクサー・モスクと「岩のドーム」、キリスト教の「聖墳墓教会」と、三つの聖地があります。聖墳墓教会イエス・キリストが十字架にかけられた場所で、十字軍以来、とりわけカトリックの信者たちはその場所が欲しくて仕方がなかった。十字軍は聖地奪還の闘いに挑みます。ただ、聖フランチェスコはスルタンと会ったりしています。そして聖墳墓教会の中にはカトリックギリシャ正教会とが、同じように礼拝場所を持つことになりました。そこからさらに、キリスト教の聖地を、キリスト教の宗派間で争うということになっていきます。それぞれ、カトリックはフランスが支援し、ロシア帝国ギリシャ正教を支える。プロテスタントなので、聖地に関われない英国教会は、ユダヤ教徒を利用する。そのようにして、列強の対立の構図が出来上がっていったのです。
 いってしまえば、バルフォア宣言などは帰結であって、それ以前からイギリスは、パレスチナユダヤ教徒を利用することを考えていたんです。これは政治であり、決して宗教紛争ではない。このことは明確にしておかなければならないと思います。

早尾  詰まるところ、ヨーロッパ列強の利権を巡る紛争であると。

臼杵  実は日本の幕末とも同じ構図なんですよね。幕府側をフランスが支え、薩長をイギリスが支えて闘った。徳川慶喜が素早く大政奉還していなかったら、日本は内戦になって、クリミア戦争や中国のアヘン戦争のように、国が列強に分断されることになったでしょう。

臼杵  付け加えると、これはイギリス帝国の第二次世界大戦、特にスエズ戦争以降の衰退史でもあります。最も大きなものに四七年のインド・パキスタン分離独立があり、その対応措置をパレスチナにも踏襲したところがありました。
 イギリスは三九年までにパレスチナ白書を出して、バルフォア宣言を事実上否定し、パレスチナユダヤ人国家にするという構想を捨てています。つまり形式上、イギリスはシオニストには協力していない。ただ事実として、パレスチナ委任統治から手を引いて後、イギリスが何もしなかったことで、シオニストたちのやりたい放題を許し、ユダヤ人国家設立へのプロセスが作られていきました。 
 『パレスチナ民族浄化』では、例えばイギリスの軍人オーデ・ウィンゲートが、パレスチナシオニスト部隊の基礎を作ったことが指摘されています。「ユダヤ人国家という理念は軍事主義や軍隊ともっと強く結びつけなければならない」、あるいはイギリスの軍曹から「無防備な村人を襲撃するための」銃剣の使い方を教わったと。そうして作られたイスラエルの軍事部門ハガナーの「暴力的視察」によって、アラブの民衆はまるで物のように撃たれ、獣のように郷里を追われます。
 つまりパレスチナ問題には、イギリスの無政策がまずあり、その上で国連による現状を全く無視した無責任な分割決議があった。当時の国連加盟国が、パレスチナの現状についてどれぐらい理解していたかといえば、ほとんど何も知らなかったでしょう。そういう中で、虐殺・追放等の暴力的行為により、既成事実としてユダヤ人の土地がどんどん確保されていきました。多くのパレスチナ人が殺され、あるいは暴力的に土地を追われることになったのは、国際社会のせいだともいえるわけです。

早尾  イスラエルに対する批判をかわす道具の一つとして、政治的にホロコーストの悲惨さ、犠牲者の語りを導引していくわけですね。アイヒマンという「極悪非道のナチスの幹部」を、エルサレムで裁判にかけることで、もう一度ホロコーストへ世界の注目を集め、ホロコーストがあったからこそ、今イスラエル国が必要なのだ、という物語を再構築していった。
 ホロコーストアンタッチャブルな出来事ですから、それを持ってこられたら国際社会は、イスラエルを批判しにくくなる。しかし例えばハンナ・アーレントは、アメリカに移住して、シオニズムから一定の距離を取っていたので、そのことが白々しく見えた。それで『エルサレムアイヒマン』を書いたところ、シオニストのコミュニティから激しくバッシングされ、論争になっていくわけです。
 アーレントユダヤ人で、しかもナチス政権から亡命してきた経験があるからこそ、その語りを見過ごしにできないところがある。それはイスラエルユダヤ人歴史家であるパぺにも重なるところがあります。

臼杵  イラン・パペの存在の重要さとは、ユダヤイスラエル人でありながら、イスラエルのたくらみを暴いたところですね。それで嫌がらせを受けて、イスラエル北部都市ハイファにある大学を去らざるを得なくなったようですが。

早尾 それから、イスラエルは、東西エルサレムを統合したといっていますが、東エルサレムに住むアラブ人を国民とは認めていないんですよね。つまり彼らは無国籍なわけです。東エルサレムの土地は欲しいけれど、非ユダヤの人口は増やしたくないと。パレスチナ人が現在もなお、そうした状況に置かれているということは、もっと一般に知られるべきことだと思います。パレスチナ人の人口を抑制し、ユダヤ人の人口比を高めるため、書類上の難癖をつけての国外追放や家屋破壊も、最近いっそう目に余るようです。ミクロな形での追放政策は、依然として継続しているといえます。しかし何もかもご都合主義でまかり通っているのを、国際社会は容認してしまっている。それがトランプ政権の今回の政策で、既成事実として追認されていく流れにあるということです。

臼杵  イスラエル・アラブと呼ばれる、イスラエル国籍を持ったアラブ(パレスチナ)人は二〇%ほどいるわけですが、この人々が、イスラエル側からすると、政策の障害になりますよね。だからこそ、国内で反イスラエルデモが起これば、銃で平然と撃ってでも徹底的につぶす。自国民であるパレスチナ人を、撃つわけです。敵対行為を名目として、イスラエル国籍を合法的に剥奪できるようにもなってしまいました。恣意的に国籍剥奪できるようになったら、いよいよイスラエル国内の残るパレスチナ人の存在を抹消していく方向に進みかねない。脅威です。民族浄化は決して、七〇年前の話ではなく、現在のイスラエル国内の問題として続いています。

早尾  ヨーロッパ系ユダヤ教徒が支配層である社会の中では、アラブ系のユダヤ教徒は、二級市民として劣等感を植え付けられています。そのためにとりわけ自分のことを「ユダヤ人」であると規定し、マジョリティの側に同化しよう、上昇しようという心理が、強い反アラブ感情を引き起こすことがあるのではないでしょうか。自分の中にアラブ的要素があるからこそ、ダブル・アイデンティティゆえに、それをできるだけ払拭しようとして、反アラブ、反パレスチナ感情が生まれるということがある気がします。

臼杵  そうかもしれません。この本の中でも強調されていますが、ドゥルーズやチェルケス、ベドウィンといったマイノリティの「民族」は、もとはアラブ人ですが、イスラエルに協力し、兵役の義務を負うことで、立場が引き上げられることがありますから。

早尾  「分断して統治せよ」といいますが、アラブ人を弱体化させ、効率的に統治するためには、その団結を崩すことが、第一なんですよね。ドゥルーズやチェルケス、ベドウィン、それからクリスチャン。そうしたマイノリティは、徴兵の代わりに得られる権利がある。逆にそれ以外の大半のムスリムは、徴兵がない代わりに権利も与えられない。例えば奨学金やローン、公務員就職や大企業就職枠など、生活の安定に密接にかかわる権利です。
 一方、ドゥルーズベドウィンは、アラブ人社会に通じているので、占領地で最前線に立たせたり、アラビア語ができるので尋問をさせたり、といった利用価値があります。その代償としてユダヤ人の支配層に近いポジションを与えられる。ですから、一般のムスリムからは裏切りと見られたりもする。支配層は格差を利用し、分断統治を行うということです。そして様々な種類の緊張と不満が、イスラエルには燻っていると想像されます。

 そうして対談を読み終えると、三時半前から日記に取り組み、音楽はSarah Vaughanが終わるとscope『自由が丘』に移し、一時間のあいだ文を綴るとそろそろ出勤の時間も近いので切って階を上がり、便所で糞を垂れてから出てくるとジャージと肌着を脱いでボディ・シートを一枚取った。上半身を拭き、肌着を身に戻して、ベランダ前に吊るされたワイシャツを取って袖を通しながら階段を下り、自室で仕事着に着替えた。スラックスはベルトをつけたままにしている灰色のもので、これは父親から借りているちょっとサイズの緩いやつである。それを履き、廊下の鏡の前で水色のネクタイをつけると、今秋初めてのことだがベストを羽織った。そうしてカフカの文に目を落としながら歯磨きをして、口を濯いでくると四時四〇分、出勤までに残された猶予はあと二〇分である。その時間で日記を出来るだけ書き進めようと思ったが、先に書いた感想と言うか分析と言うかよくわからない文章を読み返して、推敲というほどのこだわりはないが文言を調整しているうちに、少しも進まず時間がやって来た。
 部屋を出て上に向かいながら、朝から続いて鼻水が出やすく、鼻のなかが水っぽい。上階の仏間で靴下を履くと玄関を抜け、ポストに寄ってなかのものを取れば、夕刊と一緒に市役所からの通知が入っていた。何の用件なのかは良くも見なかったし知らないが、父親が自治会長なので時折りこうした茶封筒が送られてくるのだ。それらを玄関内に置いておき、扉の鍵を閉めて道へ、歩いていくと鵯の声が立つ林の、その奥の方から竹に斧を入れているような、あるいは木材を叩くような音が伝わってきて、上の方で家でも造っているのだろうか。鼻を啜りながら道を行けば、Kさんの奥さんがちょうど玄関のところにいたが、こちらが近づく前になかに入って鍵を閉めてしまった。その先で老人が二人、歩いていく仲間の一人に声を掛けながら見送っており、残っているうちの一人は知らないが、もう一人はNさんだろうと近寄っていくと、こちらの知らない方の人がこんにちはと挨拶を掛けてきて、Nさんも続いて振り向いたのでこちらも挨拶し、頭を下げて通り抜けると後ろから、あの、Fさんの息子さん、とNさんがこちらの素性を教えるのが聞こえたので、背後に顔を向けて笑みと会釈を送った。今はこっちから通っているんですか、とNさんは声を張って問いを投げるが、その意図するところが良くわからなかったので一旦はい? と疑問符で受け、同じ質問が返るのに実家にいるのかという意と察して、はい、と答えて、行って参りますとまた会釈をすれば、これからお仕事ですかとまだ続くので、はい、塾なので、夕方から、と応じて別れた。坂に入って上っていると、途中で林の彼方から独特の節回しの声が伝わってきて、あれは焼き芋屋ではないか、それとも竿竹屋かと迷ったが、続く声に耳を寄せれば確かに焼き芋売りの呼び声で、季節がもうそれほど進んだかと思えば、身を包む空気もベストを羽織って丁度良い涼しさである。坂道は静かで、虫が減ったのではないだろうかと、秋虫は九月がピークだろうかと耳をひらき、それとも夜からまた旺盛に鳴くかと思って坂を出ると、ちょうど焼き芋売りのトラックが表道を通ったが、赤やら青やら色とりどりの電飾を備えた装飾のいくらかけばけばしいようで、今時の焼き芋はあんななのかと見て横断歩道のボタンを押した。足もとには名前も知らぬ葉が生えていて、緑地に赤で蝶の翅のような文様が入っているのが珍しい。通りを渡って駅の階段通路を上りながら目を上げると、近間の梢の連なりを透かして向こうの北西の空の低みが明るんでいるが、しかしその他の領域は大方埋められているその雲の、敷かれたあとに踏まれて溶けかけ崩れだした雪の灰色と水っぽさである。ホームに入ってベンチに座ると、手帳を取り出しメモを取りはじめた。虫声多し、そのなかで文言を書きつけているとじきに電車がやって来たが、最近はメモを取るのに夢中で立ってホームの先に行く間も惜しいから、今日もベンチから移動せずに目の前から乗り、揺らされながらメモを続けて終えると扉のガラスに正面から向かい合う。既に黄昏が満ちており、家が建て込んで光がない辺りでは外の景色が見えなくなって、自分やほかの客の姿ばかりがガラスに映り込んで視線を留める。青梅に着いて降り、ホームを歩いているとふと見上げた北の方角の、丘陵を従えた雲の空に昨日と同じく紫が混ぜ込まれている。それを見て階段通路へ向かいつつ、しかし文を書くということはまことに面白いものだと、ほとんど同じようなものを見てもその時によって出てくる言葉表現が違うものだからと、面白がって、苦行のような推敲に心血を注いでいるMさんなどには怒られてしまいそうだが、こちらはとても苦しみながら書けるタイプではないなと、言わば遊んでいるようなものか、そう言えば河野与一が確か田邊元から、河野くんは遊びながら哲学をやっているから困るとか何とか、そんな風に言われたという話があったなと思い出しながら階段を下った。すると正面のエレベーターから高年の、身なりのわりあい品良く確かな婦人が出てきて、その足取りが前に大きく踏み出さず、歩幅を小さくゆっくり踏むもので、足が悪いのだろうかと見れば、黒い靴下に覆われた足首の、ひどく細く鳥のようだった。その横をこちらもゆっくり抜かしていき、駅を出ればホームで見た時から一、二分しか経っていないのに、空の紫は既に薄れており、振り仰げば西の果てでは雲が切りひらかれていて、そこにも雲は敷かれているようで白いがなかに温みも混ざっている。
 職場に入ると、(……)先生がただ一人で授業をやっており、奥へ向かえば(……)先生が机に就いていたので挨拶をして、ロッカーに荷物を入れるとこちらも手近の席に座ってまたメモを取り出した。最中、電話が掛かってきて、(……)先生が取るかと思えば(……)先生が先に取って話しているその声の、思いの外に堂々と明快なリズムのある流れ方だった。こちらは手帳を机上に置いて、頁を押さえもせずに片手ですらすら綴っていって、五時四五分前になると立って準備に向かったが、今日当たったのは二人とも中三の社会で、テスト範囲を確認するくらいで特に準備することもなくて、座ってまたメモを取っているうちに六時が近づいたので入口に行った。それで生徒を待っていると(……)さんがやって来て、今日は授業がなかったはずなのでどうやら自習に来たらしいが、独特ののろいペースでサンダルを脱ぎ、スリッパに履き替えてなかに入った彼女に、ベストを着ていると指摘されたのでそうだよと答えた。もうかなり涼しいから、と言うと、四月くらいにも着てたねと続くので肯定し、だからベストを着ていないところを見た時は、誰だかわからなくなったと向けられたのには笑った。授業は(……)くん(中三・社会)と、(……)くん(中三・社会)のコンビが相手。扱ったのは公民の人権の分野などで、人権って何ですか、とか抽象的で実に大雑把な質問をたびたび投げかけて一応考えさせながら解説を進め、ワークを解いたあとも確認の質問を差し向けて、まあ二人相手だったこともあってそこそこ良くやったのではないかと思う。そう言えば、勤務が入っているはずの(……)先生が姿を見せず、彼の受け持つはずだった生徒を急遽(……)先生と(……)先生が分担して引き受けて難は凌がれたのだが、彼は以前にも一度無断欠勤と言うか、連絡を寄越さないで来なかったことがあって、忘れているのかサボタージュなのか、一体どういう事情なのだろう。
 退勤が今日はいつもより早く、先発の奥多摩行きに間に合う時間で、改札を抜けて通路を進めば、何か行進曲めいた映画音楽らしき類が流れている。そのなかを階段を上って奥多摩行きに乗り、座って何か考えが湧くかと瞑目して脳内に目を寄せたが、特に大したことは浮かび上がって来ず、散漫な、どうでも良いような思念ばかり回るそのなかに、外からは虫の音が漂って闖入してくる。そのうちに乗換えの人々が乗り込んできて、ばたばたと人間の動く気配が目の前を海流のように過ぎ去っていき、そのあとに近くの扉際に残った男女を見れば高校生で、男子の方は野球部だったのか坊主頭がいくらか伸びてきたような髪型で、女子は英単語帳を持っているようで向かいの男子に向けて問題を出しているのは、高校三年、受験生だろうか。exaggerationと途中で口にして、誇張、と日本語訳を明かしたあと、そもそも誇張って言葉自体がどういう意味か良くわからない、と女子は漏らしていた。瞑目しながらそのやり取りを聞き、最寄りに着くと降りて駅を抜けるあいだ、夜闇の向こうからシャンシャンシャンシャンと、サンタクロースが橇に乗ってくる時の鈴の音を思わせる響きで蟋蟀が鳴きしきっている。横断歩道を渡って坂道に入っても、アオマツムシの音がなくて、鳴いているのは蟋蟀の種ばかりのようだ。もはや時季でないのか。風は緩く青葉を揺らし、下って行けば暑くもないのに匂いが立って、一つは道端の草のものだがほかにも何とも言えない種のものがどこからか漂った。平ら道に出てもやはりアオマツムシはいないようで、ポケットに左手のみ突っ込みながら道を行くと、虫の音の向こうの林の奥から何か妙な鳴き声が、虫では確実にないけれど、猫とも思えるし鳥とも思えるような不思議な声が幽かに聞こえて、停まって首を傾けて耳を張ってみるが明瞭でなく、正体はわからない。
 着くと玄関を開けて靴を揃えて上がり、扉を開けて居間に入ってただいまと挨拶すれば母親が、暑いでしょ、歩いてくると、と訊くのでまあまあと答えた。食事は韮と卵のおじやだと言う。台所に入ると、そのほかスチーム・ケースに薩摩芋が仕込まれており、フライパンには野菜炒めが拵えられてあった。下階に下りて服を脱ぎ、コンピューターを点けるとTwitterを覗くのだが、一時期に比べると「いいね」やリツイートなどの反応が減ったような気がするのは、やはり本の感想を頑張って書いてもツイートにすると長すぎて読んでもらえないのだろうか。それから上下とも肌着の姿でメモを取り、途中でまたTwitterを覗くと、ノーベル文学賞がオルガ・トカルチュクとペーター・ハントケに決まったと知らされるが、こちらはどちらもまだ読んだことがない。実力のある作家の存在が広く認められるのは単純素朴に良いことだろうが、こちらのタイムラインのメンバーは当然大方文学好きだから誰も彼もそれについて何らかの反応を見せていて、昨日も書いたようにこちらは賞というものの価値があまり良くもわからないから、そんなに盛り上がることかと懐疑した。要はひねくれ者だということだろう。
 メモを取り終えれば上階へ行き、食事である。おじやは丼にいっぱい盛って電子レンジに突っ込んで、スチーム・ケースの薩摩芋をつまみ食いしながら野菜炒めを大皿によそり、母親が三分の一だけ食った豆腐の余りがあるとも言うのでそれを冷蔵庫から出して卓へ、喉が渇いていて冷たい水が飲みたかったのだが、冷蔵庫の水筒にはもうほとんどないので代わりにオロナミンCを取って、それからまた食事中にカフカを読もうと自室から文学全集を持ってくると、レンジ前で首を回し、開脚しながら加熱が終わるのを待った。おじやが温まれば次に、中華丼の素か何か掛かってとろみのついた野菜炒めである。母親もレンジを使いたいようで、まだ、とか、もう良いんじゃない、とか言いながら待っていて、こちらは前後に脚を広げながら、そのあいだにこうやって身体をほぐしなよと勧めるが、母親はやらない。野菜炒めが温まると卓に移って、全集をひらいてカフカの小説を見ながらものを食う。テレビはバレーボールの試合を映していた。父親がもうそのうちに帰ってくるから、早く入らなきゃと母親が漏らすが、そう言いながらぐずぐずしており、そのあとしばらくして今日も飲むのかなと問いを独りごちるのにこちらは、あの子供みたいに騒ぐのを良い加減にどうにかさせろよと言えば、ね、まったく、と母親は答えるので、歳を取るにつれて退化しているんじゃないかと蔑むと、外では優等生だから、家では壊れるんじゃないと母親が受けるのに、そういうこともあろうかと頷いた。山梨のお爺さんに似てきたんじゃない、と母親が言うのは、祖母から聞いたところでは父親の父親である亡き祖父もそうだったと、酒を飲みながら祖母のことを黙って睨みつけるようだったらしいとそういう話で、酒に酔うと言い方も憎らしくなるね、前はあんなじゃなかったんだけど、と母親は続けて嘆息した。こちらはカフカに目を落としながら、白菜がふんだんに入った野菜炒めを口に運んでいると、母親は次に仕事の話を始めて、しかしその語りには細部が省略気味で不足しているから良くもわからず、こちらは視線を頁上に下ろしたままに聞き流し、無関心に過ごしてから、おじやが薄いのにこれ何かないのと訊けば、醤油を加えればと言うので回しながらいくらか垂らしかけるとと、多いよと母親は笑った。搔き混ぜたのを食っているとじきに母親は、天気を見ておいてと言って番組をNHKに変え、すると台風一九号に対する備えが各地で進んでいると報じられている。HYと行くはずだった一二日の下北沢でのライブも、台風のために延期になったと、労働中にメールが来ていた。母親が風呂に行ったあと、こちらは食事を終えて薬を飲んで皿洗い、ポルノグラフィティの"アポロ"をゆっくり口ずさみつつ、母親がカウンターの上に放置していったものもまとめて洗って、それから豆腐のパックや薬のパッケージを始末して、テレビを消すと下階へ下った。急須と湯呑みを持ってきて茶を用意し、塒へ戻るとFreddie Hubbard『Open Sesame』を共連れにメモを取る。
 それから一〇時直前まで日記を綴ったあとに、風呂へ向かった。居間に上がったところで父親に挨拶し、母親と入れ替わりに便所に入ると、水のなかにペーパーが浮いているので一度流してから排便し、そうして入浴に行った。湯のなかで身を背後の壁に預けながら、最初はカフカの小説について考えていたが、じきに微睡んできた。近頃珍しい。眠りがさすがに三時間で少なかったからか。気づくと一〇時二〇分に至っていて、洗い場に出て頭を洗いながら、先ほど排便したばかりなのにもう尿意が高くなっているのは、茶をやたらと飲んでいるからだろう。出ると迫る尿意を我慢しながら身体を拭き、着物を身につけて髪を乾かし、そうしてトイレに行って、戻ってくるとジャージの上着を羽織った。テレビは『クローズアップ現代+』に、ノーベル化学賞を受賞して一躍時の人となった吉野彰氏が出演していて、岩波文庫青版の、フェデラーだったか著者名を忘れたが、『ロウソクの科学』という本を影響を受けたものとして挙げているようだった。あとで調べてみると、テニス選手と同じ名前のフェデラーではなくて、ファラデーが正しかった。塒から急須と湯呑みを持ってきて、流し台に茶葉を空けながら何か茶菓子はないかと訊けば、クッキーはと返るのはこちらが先日立川で買ってきた品だが、あれはまだ開けないで良いかと母親は続けるのでこちらも肯って、仕方なくスティックパンの最後の一本を食うかと咥えて、茶を注ぐと塒に帰った。メモをまた取ったあと、ヘッドフォンをつけてFreddie Hubbard『Open Sesame』を再度流し、そうしてまた日記に邁進する。カフカ『城』の感想を書きつけると、読み直して多少文言を整えて、それからTwitterに投稿しておいて先に進み、ここまでようやく辿り着いた頃にはもう午前一時を過ぎていて、睡気が滲んで頭もちょっと重い。
 ふたたび辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読みはじめて、その傍ら歯磨きをこなす。父親はまだ上にいるようで階段上には明かりが見えるが、人の動く気配は感じられず、物音も一つも立たないので、また眠ってしまっているのだろうか。外では雨が降り出していたが、まだそこまで激しくはないような響きだった。書見を進めながらConrad Herwig『Another Kind Of Blue: The Latin Side Of Miles Davis』を二時過ぎから流し出し、しかし冒頭の"So What"が終わる前にすぐに止め、ヘッドフォンを外して上階へ行った。腹が減ったので何か食い物はないかと探りに来たのだったが、戸棚にこちらが先日立川で買ってきたクッキーがあったので、それを、自分で買ってきたものだからまあ良いだろうと頂くことにして、袋を持って塒に帰り、むしゃむしゃ貪りながら文字を追って、じきに食い尽くすと口のなかが汚れて歯の上にも滓がこびりついて溜まったものだから、茶を飲もうとまた忍び足で階段を上った。二時四〇分だった。緑茶を用意して密やかに自室に戻り、温かい液体を飲んでいるとやはりいくらか暑くて、汗の気が僅かに肌に乗る。机上に立ったまま本を見下ろしていたが、三時も過ぎれば睡気も重って、背を曲げて本の上に影を翳しながらいつの間にか目を閉じている時間も生まれて、これはまずいと思いながらもしかし書見に邁進していたが、四時頃になってさすがに疲れたとベッドの縁に腰掛けた。そうして読書ノートにメモを取るのだが、その合間にも瞼が閉じて、何を書こうとしていたのかわからなくなるような有り様である。四時半に至ってさすがに明かりを落として眠りに向かった。
 『城』。Kはそもそも測量技師としてこの村にやって来たはずであり、彼の当初の目的はおそらく、城に出頭して業務の詳細を知ったり正式な任命を受けたりして、ともかくも測量の仕事を行うことだったはずなのだが、それがいつからか、技師としての任務は脇に措かれ、城に出向くということも忘れられて、クラムと会見することだけが主要な目的として持ち上がってきたようだ。おそらくその転換あるいは横滑りが確定的になったのは、Kがフリーダと関係を持ったあと、「橋亭」のおかみと対話している途中の一六三頁のことで、Kはそこで、「それに私は結婚式の前にどうしても片づけておかねばならぬことがあります。クラムと話さなければなりません」(163)と発言しているのだが、しかし「片づけておかねばならぬこと」とは何なのか、クラムと会って一体何の話をするのか、それは必ずしも明確ではなく、より突っ込んだKの意図は開示されない。のちになされるおかみとの二度目の対話のなかでもKは、「あの人を身近かに見たい、次にあの人の声を聞きたい、それからあの人が私たちの結婚にどんな態度をとるのか知りたい」(189)と言っているのだが、この箇所を見る限り、少なくともこの時点では既に、Kにとってクラムに会うことは彼の測量技師としての地位には関係がなくなっているようで、それはどちらかと言えばフリーダとの恋愛の方に関わっているようだ。もっともKは、「そのほかにも頼みたいことは、話合いのなりゆきにかかっています」(189)とも口にしている。従って、彼にはクラムに「頼みたいこと」があるのは確かなのだが、しかしその具体的な内実はやはり明かされない。Kの考えていることが詳細明確には語られないため、読者は各々、彼の意図や目的を勝手に想像して補うことになる。言葉によって物事の輪郭だけが示されて、その実質的な内容は空無であるという構造がここにはあるのだが、それはカフカの作品のなかでたびたび観察される図式でもある。そもそもこの村に仕事のためにやって来たはずのKは、しかし測量技師としての知識や能力を活用する機会をまったく与えられない。業務に使うための器材も彼は持っておらず、彼が測量技師であるということを証明するような情報は何一つ提示されず、その身分は完全に肩書きだけのものと化している。測量士としてのアイデンティティはほとんど剝奪されており、のちには彼は実際上もその地位から引きずり下ろされて、単なる学校の小使いとして働くことになってしまう。ここにもこちらが先の感想で「概念の空洞化」と呼んだ事態、意味の有名無実化が見られる。クラムの「恋人」だと称されていたフリーダが、クラムと「一度だって話したことがな」く(165)、クラムは「ただ、〈フリーダ〉という名前を呼んだだけ」(165)であり、例えば彼女に「恋人」らしい「記念の品」(184)を贈ることはなかったというのも、同じことである。カフカの小説のなかでは、「目的」も「職業」も、「恋人」のような「人間関係」も、ことごとくが実質を伴わず、空虚な抜け殻と化しているのだ。


・作文
 7:54 - 9:51 = 1時間57分
 15:27 - 16:26 = 59分
 16:40 - 16:57 = 17分
 21:10 - 21:57 = 47分
 22:39 - 25:09 = 2時間30分
 計: 6時間30分

・読書
 10:59 - 12:18 = 1時間19分
 12:57 - 14:18 = 1時間21分
 15:09 - 15:27 = 18分
 25:18 - 28:29 = 3時間11分
 計: 6時間9分

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  • fuzkue「読書日記」(155): 「フヅクエラジオ」
  • fuzkue「読書日記」(156): 9月23日(月); 9月24日(火)
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  • 辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』: 170 - 206
  • 臼杵陽×早尾貴紀「「大災厄(ナクバ)」は過去ではない イラン・パペ『パレスチナ民族浄化』と米・エルサレム首都承認問題」(https://dokushojin.com/article.html?i=2694

・睡眠
 4:20 - 7:30 = 3時間10分

・音楽