2019/10/22, Tue.

 (……)それにしても、もし彼らが人民の唯一の正統な代表だとすれば、どうしてポピュリストがまだ政権についていないということがありえるのだろうか。そして、彼らが権力を獲得したら、誰が彼らに反対することなどできるのだろうか。この点は、ポピュリストによる政治的代表の理解のきわめて重要な側面に関わってくる。つまり、彼らは、人民の意志[﹅2]の民主主義的な代表という考えを支持しているかのように見えるけれども、実際には「真の人民」(たとえば、ジョージ・ウォレスが愛用した「真のアメリカ人」といった観念)という象徴的な[﹅4](symbolic)代表に依拠しているのである。ポピュリストにとって、「人民それ自体」は、既存の民主的手続きの外にある擬制的な存在であり、同質的で道徳的に統一されたものであり、その意志とされるものは、民主主義国における実際の選挙結果に対抗しうるものである。リチャード・ニクソンの有名な(あるいは悪名高い)「サイレント・マジョリティ」という考えが、ポピュリストたちの間で素晴らしい成功を収めたのは偶然ではない。もしマジョリティが沈黙していないのなら、それを真に代表する政府がすでに存在するだろうから。もしポピュリスト政治家が選挙で失敗したら、それは彼もしくは彼女が人民を代表していないからではなく、マジョリティがまだ思い切って声をあげていないからだとされる。野党にいる限り、ポピュリストはつねに「世の中の(out there)」組織化されていない人民に訴えようとする――実際の選挙で正統と認められた在職者に対して、あるいは単なる世論調査に対してさえ、ポピュリストは、真の人民の意志を反映していないとして、実存をかけて反対するのである。
 このような全ての政治形態や政治構造を超越した「人民」という観念は、戦間期に右翼の法理論家カール・シュミットによって理論化され、影響を及ぼしてきた。シュミットや、ファシストの哲学者ジョバンニ・ジェンティーレの著作は、ファシスムの方が民主主義それ自体よりも民主主義の理想を忠実に実現してみせることができると主張することで、民主主義から非民主主義への概念上の架け橋を提供した。逆に、オーストリアの法律家(そして民主主義の理論家)ハンス・ケルゼンのようなシュミットの敵対者は、議会の意志は人民の意志ではないし、そもそも明快な人民の意志といったものは実際には認識不可能なのだと主張した。ケルゼンによれば、われわれが確認しうるものは選挙結果のみであり、他のあらゆるもの(とりわけ諸政党を超越した利害を導き出せるような「人民」という有機的な統一体)は、結局のところ「メタ政治的な幻想」なのである。
 (ヤン=ヴェルナー・ミュラー/板橋拓己訳『ポピュリズムとは何か』岩波書店、二〇一七年、 35~37)

     *

 一見したところ、選挙のメカニズムを通した代表の基本的なロジックは、ポピュリストにも当てはまるように思える。人民の判断として、共通善を認識する彼もしいくは彼女の優秀な(superior)能力のゆえに、ポピュリスト政治家には票が投じられる。このことは、われわれは投票によって「最良の人」を政権につけるという、選挙の一般的な理解と違いはない(こうした考えから、一部の観察者は、選挙はつねに貴族政的な要素を含むと論じる。もしわれわれがあらゆる市民は平等だと本当に信じるなら、まさに古代アテネの場合と同様に、公職に就くためには抽選を要するだろう)。選出された人は、共通善をより巧みに認識できるように見えるだろう。なぜなら彼もしくは彼女は、われわれと重要な特徴を共有しているからである。しかし、このことは必然ではない。いかなる場合においても、厳密に言えば誰もわれわれと「同一(identical)」ではありえない。「ジョー・ザ・プラマー(Joe the Plumber)」[二〇〇八年の米大統領選中にオバマ増税案について質問し、共和党から「一般の有権者代表」として宣伝され、一躍有名になったオハイオ州に住む配管工(Plumber)の男性]でさえ、誰よりも普通であるがゆえに、ある意味で特別である。
 (42~43)


 一一時まで床に留まってしまう。八時のアラームで一度覚めて机上に積まれたCDのさらにその上に置かれた携帯を取ったはずなのだが、ベッドに立ち戻ってしまったのだ。外は結構な雨降りのようだった。上階に上がっていくと、ちょうど話してたら来た、と母親か父親が言い、Mちゃんは例によって「うしゃーし?」と言ってきたので、こちらも同じ言葉を答え返して彼女を喜ばせた。洗面所で顔を洗って髪を梳かし、トイレに行って用を足してくると食事、カニグラタンのピザ二枚を電子レンジに突っ込み、大鍋に作られたシチューを加熱した。そのほか、母親がサラダを用意してくれたのだったと思う。テレビは新天皇の即位礼正殿の儀について伝えていたはずだ。
 食後、皿を洗ったのちにMちゃんとしばらく戯れたと思うが、どのようなことをしたのか記憶が新鮮でない。この時も玄関でシャボン玉をやったのだろうか? 多分そうだと思うのだが、あとにも何回か同じことを繰り返したのでこの最初の時の模様がどんなだったか覚束ない。しかしこの時に見た光景だと仮定して書いてしまうが、Mちゃんは玄関の上がり框の縁に腰を下ろして、先端が細い楕円形にひらいた棒を吹いてシャボン玉を生み出していた。彼女はシャボン玉がいくつも吹き出されて宙に広がり漂う光景に魅了されると言うよりは、自ら作った泡の球を棒の先で割らずに捕まえることの方により関心があるようで、球を吹き出すと浮かんでいる泡の一つに棒を近寄せて、上手く行けばその先に泡は形を崩さないままに吸いつけられて留まるのだった。そのようにしてくっついた泡を、棒からまた石鹸水の入った容器の口に移すと、細長い容器の上に透明な球が載せられた格好になり、勿論多少姿形は違うものの全体として何となくアイスクリームを連想させるような形態となる。Mちゃんはそのまま泡をゆっくり鼻に近づけて、顔に触れると泡が割れてしまうのに喜ぶのだった。それからあと、これはやはりあとの時間のことだったかもしれないが、そのようにシャボン玉遊びをする一方で、こちらの茶色い靴を取り出してMちゃんの足の下に置き、これは俺の靴だよ、格好良い靴でしょ、と言いながら足をそこに入れさせて、ぶかぶかだねえ、などと声を掛けて交流した時間もあった。
 風呂を洗ったのはいつだったか、まだ自室に戻らないうちのことだったか、それともあとでまた上がってきた際のことだったか、それもまた定かではないのだが、どちらでも良いことだ。確実なのは風呂を洗う際に洗剤がもうなくなっていたので、詰替え用のパックを開封して容器に新たな液を注ぎ込んで満たしたということである。
 そうして緑茶を用意して一旦自室に帰ると、兄夫婦が発つまでのあいだは何となくばたばたして腰を落着けられないような気がしたので、日記を綴るのは後回しとして、一二時二〇分から一年前の日記を読みはじめた。内容は空疎、この日もまた一時半から七時まで長々と寝床に休んでいるらしく、気力はまだ回復していないようだ。記事上部の書抜きはカロリン・エムケ『憎しみに抗って』からのもの。「憎しみに立ち向かうただひとつの方法は、憎む者たちに欠けている姿勢をとることだ。つまり、正確に観察すること、差異を明確にし、自分を疑うのを決してやめないこと」。「だが、憎しみは自然に生まれるものではない。作られたものだ。暴力もまた、自然に生まれるものではない。事前に整えられた土壌がある。憎しみと暴力がどの方向に発散されるか、誰に向けられるか、どんな限界や障害を事前に取り除く必要があるか、そういったことはすべて、偶然その場にある条件に左右されるのではなく、入念に決定され、整えられるものだ」(カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、15~17)
 続いて二〇一四年一月二三日。全体としては勿論下手くそだが、「くもりひとつなく磨きあげられた鏡面のようにまっさらな空が藍色に濡れた夜を映しだし、その上に星々が点々と宿ると、地上では氷の粒を含んでいるかのような風が身を切ったが、今にも切れそうなピアノ線めいて冷たく張りつめた空気のおかげでかえって夜空の美しさがきわだっているようにも思えた」という一節だけはまあまあ書けていると評価してやっても良いだろう。
 さらに、fuzkueの「読書日記」を一日分読んだあと、Mさんのブログに取り掛かろうと思ったのだが、その前に一旦上階に行ってみることにした。兄の出発がそろそろ近いのではないかと思ったのだった。それで訊いてみると、一時四五分頃発つと言うから、まだ一時間ほどは残っていた。しかしすぐには下に戻らず、また玄関でMちゃんに付き合ってシャボン玉遊びをした。上記のようなMちゃんの様子を観察したのも風呂を洗ったのもこの時だったかもしれない。そうしてしばらくしてから塒に帰り、Mさんのブログを三日分読んだ。一〇月一九日の日記にT.Uという生徒の作文がジョイスだったと紹介されていたが、引用されているその文章を読んでみるととても面白く、読みながら何度も笑い、口もとから吐息を吹き出した。

 《いつもあなたのストーリーと多すぎると感じて、しかし思い出して、また一部の蒼白のようです。私達の間の感情をどのように描写するべきか分かりません。毎回それに濃い墨を塗って彩ろうとする時、また筆を下ろすことができません。昨夜は転々として眠れませんでした。私たちの間が終わったことが分かりました。私はもう痛くありません。私たちの有在が真実だったと知っていますから。将来私たちは新しい生活をして、どこが遠いところで出会うことができたら、あなたに笑顔を向けて、思い出します。私たちは緑の下である夏を過ごしたことがあります。学び合い、愛に育つ。最高の愛は魂を呼び覚ます。卓越を追求することを示唆する。私たちの心に熱い炎を植えます。そして私たちに安らぎを与えてくれます。/私れ永遠なたがくれたものです。私も永遠にあなたにこの望みてをあげ愛しとができることを望み会い。愛しています。またいつ教えしましょう。やはり私な歳に一生懸命で会いあな人は私の16歳で一生懸午後目い覚め人で全力抱きしめの午人目が覚め私、夜で抱泣いめたい人で声。私は夜気持ち泣いてい更に私声にならな感情持傾けす。全力に尽くしら愛し感人を傾けて手紙が黄色くして扉した人です。手紙が黄優しなる扉のページはあなたです優しさもあなたです。》

 それから、Mさんのブログの最新記事に言及されていたものだが、「世田谷文学館ニュース」から「館長の作家対談」(https://www.setabun.or.jp/report/pdf/pblc00035.pdf)も続けて読んだ。菅野昭正と蓮實重彦の対談である。菅野昭正ももう九〇歳くらいのはずで、その歳で館長の役職を務めているのだからまったく凄いものだ。対談中、特に目新しく強い興味を惹くような内容はなかったが、蓮實重彦がほんの少しだけ言及している瀬川昌久というジャズ評論家については以前から興味があって、この人の批評も読んでみなくてはと思っている。その瀬川氏も御年九五歳だと言う。それで「毎日ピットインなどのライブハウスにマチネで通い」ということだから、この人もまったく凄い。八三歳の蓮實重彦も合わせて、凄えなこの爺たち、という感想を抱かざるを得ない。
 そこまで読み終えると一時半前で、そろそろ兄が出発するだろうというわけでふたたび階を上がった。即位礼正殿の儀がテレビ中継されており、天皇が儀式の場をあとにしていくところだったのだが、横から映されるとその顔の、前面のみがやたらと白いように目に見えて、顔面に化粧を塗っているのだろうかと思った。いくらかはやはり化粧もしていると思うが、どうもそれ以上にガラスの大窓から入り込む、曇天の光の当たり具合によるものらしかった。皇族の儀式用の正装のことを何と呼ぶのかまったく知らないのだが、天皇は物凄く長い帯状の布を背後に引いた着物を纏っていて、その帯状の布は後ろについた侍従が持って運んでいくのだった。
 じきにテレビを離れてふたたびMちゃんと玄関で戯れた。じきに兄が出発する段になって、荷物が父親の車に積み込まれると、靴を履いた兄は戸口で、じゃあ、ありがとうと軽く言ったので、ありがとう、身体に気をつけてとこちらも返して見送った。味気ないようなあっさりとした別れだったが、いつもこんなものである。それで父親が兄を青梅駅まで送っていき、T子さんとMちゃんはまだ残って、三時前に遅れて出るとのことだった。
 こちらは自室に引き返して、Ozzy Osbourne『Live & Loud』を流しながらSさんのブログを読んだ。自身の年波に対する嫌悪と言うか、絶望と言うか、諦観混じりの深い嘆息のような情がまたしても表明されているのだが、Sさんの老いに対するほとんど強迫観念的とも見える恐れと拘泥は不思議である。一回しかお会いしたことはないけれど、こちらから見るとSさんはかなりシックで格好良い部類の人で、いわゆる「おじさん」とか「中年」とかいう感じがまったくしないのだが、しかしそういう問題ではないのだろう。彼は四八歳、こちらは二九歳でまだ三十路にも入っていない若造で、生の積み重ねに二〇年ほども差があるわけだから、こちらにはまだわからない何かがそこにはあるに違いない。
 一〇月一三日には『ドリュウラ・ロシェル日記』が紹介されてあって、この人はファシズムを賛美して対独協力者となったフランスの作家らしい。作家が日記を書く動機として、「何ひとつ失いたくない吝嗇」を挙げていて、この言葉はこちらの耳にあってはなかなか痛烈なものとして響く。
 一〇月一四日の記述には、昨日T田ともLINEで話した事柄だが、何となくプルーストの理論を思い出した。人間は知性の働きで物事の初発の印象を錯覚として退け、世界をありきたりの常識的な姿に総合して見てしまうけれど、錯覚的な第一印象の方にこそ真実がある、というような話である。もしかしたら全然違う種類の話なのかもしれないが、こちらがプルーストの言っていたことを連想したのは事実で、それで正確には彼はどのような言い方をしていたかと思ってEvernoteに保存されてある書抜きを検索してみたのだが、それはこの箇所だとぴったり当て嵌まる記述は見つからなかった。それでも一応、プルーストの考えの趣旨がわかるだろう一節は見つかったので、次善の策としてそこを引いておく。

RYOZAN PARK巣鴨保坂和志トークへ。以下、話を聞きながら、自分が勝手に思ったこと。

文章はもともと線的構造をもっていて、時間に沿って進行する形式であること。しかし知覚は一挙的であり並列的であり波紋のように広がるというときに、知覚的=哲学的と考えて良いのかわからないが、哲学も一挙的・並列的で、波紋ような思考の広がりとして捉えられるべきだと考える。

わかること=視覚に落とすこと=防御、という罠に陥らず、哲学を知覚として思考する(知覚=理解の手前の段階)。

知覚やまだ直感段階でしかない哲学的思考の断片が、言葉でできるだけリアルに再現されることを期待するのではなく、言葉そのものが、本来の制限的な形式をもつにもかかわらず、ある一挙性や並列性をたたえながら働くような状態を想像してみる。

子供が描いた花の絵は、ほとんどの子供が、花を見て描くのではなく花の絵のお手本を見て描いたもの。花を知覚したとき、それは一挙的であり並列的であり、波紋のように広がるが、花の絵は固定形式として知覚する。(一挙的、並列的、波紋的に知覚する場合もある。)
 (「at-oyr」; 「花の絵」 https://ryo-ta.hatenadiary.com/entry/2019/10/14/000000

 (……)もちろん現在アトリエにあるのは、ほとんどがここバルベックで描かれた海の絵ばかりであった。けれども私はそこに認めることができたのである、一つひとつの絵は、描かれたものの一種のメタモルフォーズが魅力になっており、そのメタモルフォーズは、詩において隠喩[メタフォール]と呼ばれるものに似ていることを。さらに、神が物に名前を与えながらこれを創造したとすれば、エルスチールは物の名前をとり去り、あるいは別の名前を与えることによって、これを再創造しているということを。物を指し示す名前は、かならず私たちの真の印象とは無縁な知性の一概念に対応していて、知性は私たちに、この概念と関係のないいっさいのものを、そうした印象から排除させてしまうのである。
 それまでにも、ときおり、バルベックのホテルの私の部屋の窓のところで、外光よけにかけておいた毛布を朝フランソワーズがはずすときや、また夕方、私がサン=ルーといっしょに出かける時間の来るのを待っているときなどに、太陽の光の加減で、海の暗い色をした部分を、遠方に張り出している陸地ととりちがえたり、あるいはまた帯のように青く動いているものを眺めて、それが海か空かも分からずに喜びを覚えたりすることがあった。けれどもこうした諸要素のあいだの隔たりを印象が取り払っても、知性はたちまちまたそれを確立してしまう。こんなふうにしてパリの自分の部屋にいるときにも、言い争う声、ほとんど暴動の騒ぎのようなものが聞こえてきて、やがてそれが、たとえば近づいてくる馬車の響きだったと分かることがあったが、そんなとき、耳ははじめたしかに鋭く調子はずれな怒号を聞いたのに、知性は車輪がそのような怒号を発するわけがないと知っているので、私はこの響きから人間の声を排除してしまうのであった。けれどもごくまれに人がありのままの自然を詩的に眺める瞬間があって、そのような瞬間によってこそエルスチールの作品は作られていたのである。(……)
 (マルセル・プルースト/鈴木道彦訳『失われた時を求めて 4 第二篇 花咲く乙女たちのかげにⅡ』集英社、一九九七年、253~254)

 それで時刻は二時半に掛かるところ、続いて古谷利裕の「偽日記」を読む。以下引用。

たとえば、歴史的にはブッダの時代に「折り返し」が生じていた、と。ブッダには、多くの人を殺した過去をもつ元盗賊である弟子アングリマーラがいた。そしてブッダは、彼のことを、病人の前で、彼は生まれてこの方一度たりとも悪に手を染めたことがない、最も強く善を目指してきた者だ、だから彼はあなたを救うだろう、と紹介する(というか、アングリマーラ自身にそう言わせる)。これに対してアングリマーラははげしく狼狽する。

樫村さんによれば、このブッダの言葉によってアングリマーラは動揺し、彼の頭はフル回転の状態にならざるを得なくなる。そうすると、その状態は相手にも伝わるし、アングリマーラの罪悪感や、それを克服しようという感情も伝わる。そういう状態にすることでアングリマーラのあらゆること---存在---が相手に伝わっていく。ブッダにおいてはそのような状態を生むものが「言葉」なのだ、と。そのような言葉は、世界を分節化しようとする形而上学ではなく、存在論と言えるものだ、と。ブッダはそのように言葉を使うことをはじめた一人だろう、と。

もともとアングリマーラは真理を究めたいと思っていた。そのためには、ありとあらゆる悪を行うことで徹底的な悪をなせば真理に到達するのではないかと考え、盗賊をし、人を殺していた。つまり「世界(真理)とは何か?」という問いをもちそれを探求する者であった。だからこそブッダと出会って彼に転移し、弟子となった。そのような(形而上学的な)アングリマーラに対して、ブッダはまさに存在論的転回を起こさせる。

ここで言われているのはおそらく、形而上学に対する存在論の優位というようなことではなく、「世界とは何か?」という問いが「~とは何かと問うこととは何か?」へと反転する瞬間に起きている「何か」を指し示すことであろう。たとえば樫村さんがモロッコで海を見ていて、波の波動をほとんど完璧に予測できると感じた時、波の波動を「予測している私」もまた(決定論的で予測し得る)世界=波の一部に含まれていると感じること、その瞬間。それを樫村さん風に言えば、「世界(真理)とは何か?」という問いの答えが、「(それを問うている)この私というものは存在しない」という嫌な感触として世界から返ってくる、という経験だということになろう。その時に存在に関する定的な何かが開かれる、と。
 (「偽日記」; 2019-10-14)

遺伝的、動物的、あるいは個人の資質として、ほとんど自動的に決定される「好ましい」という感情があり、それに対して、その決定論的な感情を、意思として改めて引き受け直すということとして「愛」という問題がある、と樫村さんは言っていた。(……)
 (同上)

 
 一〇月一五日の記事に名前が出てきて、一九日の記事でYoutubeの音源が紹介されているVijay Iyerは、現代ジャズ方面の最新の動向をチェックしている人からは多分わりと知られているはずで、こちらも名前だけは以前から知っている。彼の音源も聞いてみたいところだが、リーダー作は今まで一枚も聞いたことがない。確かECMから何枚か出していたようなイメージがある。Evernoteを検索してみると、Carlo De Rosa's Cross-Fade『Brain Dance』と、Roscoe Mitchell & The Note Factory『Song For My Sister』の二作にサイドとして参加していることが判明したので、近いうちにこれらの作は聞き直してみたい。以下はIyerとは関係がないが、一〇月一五日の記事で気になった箇所。

《[タイガー・]ロホルトが主張しているもう一つの特定の知覚の仕方は、八分音符をパルスと関連づけて聴くことに関わっている。スウィング・リズムのパルスがもつ規則性は、それがずっと続くだろうという期待を生む。もし注意をあの八分音符だけに向けたなら、それはただ早いと聞こえるか遅いと聞こえるか、あるいは間違っていると聞こえたり、拍子はずれに聞こえたりするにすぎない。だがその八分音符を、パルスとの関係において「反響するreverberating」もの---すなわち不確かで曖昧で、それがパルスに影響をおよぼす場合にのみ経験のなかに存在するもの---として知覚するならば、パルスへの期待(すなわち規則的なタイミングへの期待)にたいして押したり引いたりするという特性、いいかえるならば一種の不均衡や緊張が生じる。もたれかかったグルーヴが経験のなかにあらわれるのは、まさにこのときである。つまりスウィング・グルーヴは、パルスの規則性によって引き起こされた期待を、八分音符が妨害することで生じる緊張の結果なのである》。
 (「偽日記」; 2019-10-15; 『響きあう身体 音楽・グルーヴ・憑依』(山田陽一))

 一五日の記事を読んでいる途中だったと思うが、母親が部屋にやって来て、宅配の集荷が来るから上にいてと言うのでコンピューターを持って上階に移った。Mちゃんは玄関で靴を履いているところだった。そこに、Mちゃん、もうお別れの時間だね、バイバイ、と声を掛けて手を振った。靴が履けると父親がMちゃんの手を引いて外に行くので、こちらもそのあとから玄関を出た。雨はもうほとんど降っていなかった。Mちゃんは水の溜まっているところに行って、足を大きく踏み鳴らして水を跳ねさせて喜び、こちらは笑いながらそれを窘めた。そうしてじきに、父親の車の後部座席にMちゃんを乗せる段になって、こちらが身体を持ち上げてチャイルド・シートに乗せてあげようとしたのだが、位置取りが上手く行かなくてこれにちょっと手間取った。それでも何とか乗せることが出来、T子さんの協力でベルトもつけ、そうして出発と相成った。T子さんが車中からありがとうございましたと言ってくるので、こちらも礼を返し、お身体に気をつけてくださいと付け加え、ちょっと退いて扉を閉めると、窓がひらいたのでMちゃん、バイバーイ、と手を振った。そうして発車、父親だけでなく母親も乗っていき、帰りに買い物をしてくるとのことだった。車が坂に入って見えなくなるまで手を挙げて見送り、それから居間に戻って、「偽日記」の続きを読んだ。一〇月一九日の記事によれば、宇多田ヒカルの『初恋』という作品にはChris Daveが参加していると言う。それは凄い。その記事に付されていた「Chris Dave and The Drumhedz - Jazz en Tete 2012」(https://www.youtube.com/watch?reload=9&v=NHyR_tPh_cs)という動画を流しながら読み物を進めるが、アンプから離れてしまい、イヤフォンも使わずコンピューター付属のスピーカーから流れ出る音なので当然質は悪く、特に低音が全然聞こえなかった。
 そうしてインターネット記事、外山恒一「もうひとつの〝東大闘争〟――全共闘の〝戦後〟に生まれた「全闘連」―― 「東大反百年闘争」の当事者・森田暁氏に聞く④」(https://dokushojin.com/article.html?i=5556)、「<沖縄基地の虚実6>「年1日使用」も合算 「常駐」施設74%、沖縄に」(https://ryukyushimpo.jp/news/entry-244949.html)、大井赤亥「山本太郎は日本のバーニー・サンダースか 左派ポピュリズムと中道リベラルの「戦略的互恵関係」」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019070300005.html)、木澤佐登志「失われた未来を求めて 第一回 キャロルと黄金色の午後、マルクスの夢見た未来」(http://www.daiwashobo.co.jp/web/html/kizawa/01.html)と読んでいく。合間にはクッキーとポテトチップスをつまみ、それだけでは腹が満たされなかったのでシチューをまた食べることにして、深めの皿によそって電子レンジで温めた。それを食べ終え、自室から急須と湯呑みを持ってきて緑茶を注ごうとしているところでインターフォンが鳴った。三時四〇分頃だったと思う。玄関に出ていくと、配達員は黒髪を後ろで一つに縛った中年の女性だった。大きなスーツケースを玄関の外まで運んでいくと、配達員は機械を何やら操作して、用紙に番号を書き込み、これ、控えですのでと言って渡してきたので、ありがとうございます、ご苦労さまですと受け取った。それでやりとりは終いになったのだが、相手が女性でもあることだし、荷物も大きく重いスーツケースなので、せめて階段の下まででも運んであげれば良かったなと思った。しかし時既に遅し、配達員がスーツケースを抱えて階段を下り、そこからはキャスターを使って道路を歩いていくのを見届けてから扉を閉め、居間に戻ると緑茶を用意して飲みながら木澤佐登志の記事を読んでいると、両親がまもなく帰ってきた。玄関に出て父親から荷物を受け取り、カップ麺など戸棚に入れておいてから席に戻り、引き続き木澤佐登志のエッセイを読み進めた。両親がソファに並んで就いたその向かいで最後まで読み終えると、コンピューターを持って下階に帰った。Ozzy Osbourne『Live & Loud』をふたたび流し出して、次は英文に触れようというわけで、Andy Beckett, "The new left economics: how a network of thinkers is transforming capitalism"(https://www.theguardian.com/news/2019/jun/25/the-new-left-economics-how-a-network-of-thinkers-is-transforming-capitalism)をひらいた。それでぴったり三〇分間、単語を調べながら読み進める。

・packed-out: 満員の、すし詰めの
・incestuous: 排他的な; 近親相姦の
・ferment: 興奮、政治的動揺
・loom over: ぼんやり現れる、漂う
・guardedly: 用心深く、慎重に
・scrabble: かき集める、探し回る
・deride: 嘲る
・frequency: 周波数
・bereft of: 奪われて、失って
・envisage: 予想する、予測する
・wrest: 奪う、もぎ取る
・grandee: 高官、重鎮
・deference: 恭順、服従

 そうして四時半からようやくこの日の日記を書きはじめ、一時間余りでここまで記述を進めることが出来た。前日の記事も記さなくてはならないし、「MN」さんへの返信も作らなければならない。
 ――と書きつけながらも作文は一旦終いとして、Youtubeで何となく、Ozzy Osbourne "Bark At The Moon"のライブ音源をいくつか視聴した。なかにZakk Wyldeがギターを務めている二〇〇七年のライブ映像があったが、ここでのWyldeのプレイはピッキングハーモニクスを多用しすぎていて、それが少々くどく、耳障りだった。八四年のライブ音源を二つ聞いたが、WyldeよりもJake E. Leeの方がやはりこの曲には合っているような気がする。それから、関連動画に出てきた一九八一年の"Mr. Crowley"の映像(https://www.youtube.com/watch?v=G3LvhdFEOqs)を視聴した。一九八一年ということはつまり、まだRandy Rhoadsがギターを務めている時代である。Randy Rhoadsという人のギター・プレイはやはりセンスが良いと言うか、速さや豪腕さではそれぞれJake E. LeeZakk Wyldeの方が勝るのだろうけれど、トーンも含めて全体的にはRhoadsの方が魅力を持っているような気がする。それにしても、この動画の左側に映っているベースの格好のダサさと言ったら、やばくないだろうか? この真っ赤なコスチュームは一体何なのだろう? 右側のRandy Rhoadsも同じような服装だが、彼の場合はまだ色が黒のために救われている面がある。ところがベースの方と言ったらもはや救いようがない。これが本気で許されている時代が八〇年代というものである。
 六時を回って空気が少々冷たくなってきたので、ジャージの上着を取りに上階に行った。居間のソファに就いた母親は、寂しくなっちゃったねと漏らした。何か作ったのかと訊けばピーマンと豚肉を炒めたと言うので、礼を送ってトイレに行き、用を足してから下階の自室に帰るとthe pillowsの曲をいくつか歌った。そうして六時四七分から、Pablo Casals『A Concert At The White House』とともにリチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』の書抜きを始めた。打鍵の合間にメロディを歌ったり、文字を追う一方で耳は音楽の方に寄せたりしながら作業を進めて、三〇分ほど経ったところで今度は久しぶりに、この本から繰り返し読んで覚えたい情報を手帳にまとめていった。それにも三〇分ほどを使い、Pablo Casalsのアルバムが最終曲の"Song Of The Birds"まで奏でられるのと同じ頃、メモを打ち切った。そうして食事へ向かう。
 上階に上がって台所に入り、大根の味噌汁を火に掛け、ピーマンとエノキダケと豚肉の炒め物は皿に盛って電子レンジへ、そのほかワカメのサラダに小松菜か何かの菜っ葉とよそった白米を卓へ運び、電子レンジが空くと今度はT子さんが買ってきてくれたパンの余り、カレーパンとソーセージの挟まったパンをまとめて温めた。それで卓に就き、新聞をひらいて食事、記事はまず政治面から鈴木宗男のインタビューと、菅原一秀経済産業大臣有権者にメロンなどを贈ったとの疑惑で攻勢を受けているとの報を読み、それから一頁前に戻して二面から英国のEU離脱関連の続報を追った。ところで三頁目には高校の国語の授業の改革についての記事があって、それを昼間に読みながら日記に記すのを忘れていたことに気づいたのでついでにここに書いてしまうが、新しい国語の授業では「論理国語」という単元と「文学国語」とかいうジャンルが分かれて選択制になるらしい。しかし、言語文章を論理的に読解すると言うか、言語というものが形成する多様な論理性に対する感覚を磨くという点では、評論文を読むことも文学作品を読むことも本質的な違いはないのであって、このように教科課程を細分化することでどのような利益があるのかこちらには良くわからない。
 テレビは最初のうちはニュースで、天皇と皇后が夕食会か何かやっているのか、外国の来賓と談笑している姿が映っていたはずだ。そのうちに八時に至って『世界ふれあい街歩き』が始まり、この日の舞台はパリとか言っていたかちょっと定かでないが、外国の街路の様子が映し出されるものの、こちらは良くも目を向けなかった。しかしそのうちに糸を染色する工場か何かにカメラは潜入して、その一帯は産業村みたいな感じになっているらしく、あるいは過去にはなっていたらしく、ほとんどその地域を出ないで一生を暮らした職人などもいたという話で、そういう話を受けて父親は、江戸時代の初期だな、そういう時代もあったわけだなあ、などと漏らしていた。ほかにゴブラン織りのタペストリーを作っている人などが映って何とか話を語っているあいだも父親は、いつものことだがうんうん頷きながら、感じ入ったように時に漏らす声を高めている。別に物事に感動することそれ自体が悪いとは言わないが、何と言うのだろうか、この圧倒的な素朴さにはやはりどうしても懐疑と軽蔑を禁じ得ない。この善良さ、罪のなさこそが一つの罪ではないか、ということすら考えてしまうものである。何と言うか、父親の様子には、品がない[﹅4]のだ。最大公約数的な出来合いの物語に積極的に凭れ掛かり、唯々諾々と全力で同化して止まないその憚りのなさ。自分にもそうした傾向がまったく存在しないとは言わないが、こちらはせめてそれを恥じてあまり明示的に表出しないくらいの慎みは持ち合わせているつもりだ。父親は、少なくとも家庭においての姿を見る限り、そうした慎みを弁えていない。そこに自分は幾許かの、弱いものではあるものの、確かな軽蔑を禁じ得ない。つまり、二〇一一年三月一一日の震災以後に世を席巻した「絆」とかいう言葉、あるいは「キズナ」と片仮名で表すべきかもしれないが、どちらにせよ内容空疎なあの語の流通に本気で感動してしまいそうな素朴さが父親にはあって、その批評性のなさには個人的な生理として軽蔑を覚えるという以上に危険な心性ではないかとすらこちらは思う。と言うか実際、何年か前の夜中に父親がテレビで、"花は咲く"という例のチャリティー・ソング、あれを耳にしながら感涙している姿をこちらは見かけたような覚えがあって、その当時の日記にもこの、いたずらに感情を煽るだけの抽象的な物語の蔓延ぶりに違和感を書きつけたはずだ。そういうわけで今しがた過去の日記を検索してみたところ、二〇一七年三月二〇日の記事が引っかかった。今現在とほとんど同じことを書いており、読みながら進歩がないなと苦笑した。下の引用中にも書いているし、改めて言うまでもないが、自分はあの曲が大嫌いである。菅野よう子が作ったとはとても思えない見事な売文稼業ぶりだが、菅野よう子という人は元々そういう傾向のある人だったのだろうか? こちらのイメージとしては、もっと凝った上質なポップスを拵える作曲家だという印象があったのだが。

 夜、白湯をつぎに上へ行くと、父親がテレビを見て、うなずきながら感動したような声を上げており、涙もいくらか催していたらしい。映っているのは、例の、「花は、花は、花は咲く」と歌う東日本大震災のチャリティソングを、おそらく各界のアスリートたちだろうか、運動着姿の人々が歌っているのがかわるがわる現れるもので、酒を飲んで感情の箍が緩くなっていたこともあろうが、こうしたいかにも最大公約数的な物語に批判のひとかけらもなく浸り、感極まって涙するような感性は(自分にもそうした傾向がまったくないとは言わないが)、何というかやはり多少は憚るべきものだと思うし、物語の毒というものを思わされた。勿論慈善・支援活動を否定することはないということを明確に断言しておいた上で、まず端的に述べさせてもらえれば、自分はあの曲が好きではない――と言うか、正確には、あの曲に孕まれている同調圧力――圧力とまで言うのは言い過ぎだろうから、暗黙裡に同調と共感を求める要請とでも改めておくが――の香り=意図に馴染むことができないのだ。歌詞にしろ旋律にしろアレンジにしろ、いかにも「癒やし」というもののありきたりなイメージを音楽化したような、甘ったるいものになっており――その点まさしく人々のあいだに共有されるための「最大公約数」を見事に狙い、かつおそらく成功したものであり、この点にはさすがにプロの手腕が現れているわけだが――、その音の色合いだけでこちらは少々気分が萎えてしまうようなところがあるものだ。あのように希薄化された「同情」「共感」「癒やし」の曖昧な連帯によって本当に被災者が救われる(これは何とも大きな、強い言葉だ)ことになるのか、あるいはもう少し抑えて言うならば、癒されるのか、こちらには疑わしい。無論、世の中とはそういうもので、多くの人を多少なりとも支援の輪に取りこむためには、あのような方法が有効なのだろうから、それはそれで別に良いのだが、ああした希薄な感情の共同体には巻きこまれたくないと明瞭に感じる(言うまでもないがこれは、被災者に対する支援をしたくないということではまったくない)。

 そういうわけでさっさとこの空間を逃れようと、ものを食うと速やかに食器を洗い、下着と寝間着を持って風呂に行った。湯に浸かると目を閉じて脳内の音楽や思念に注意を向けて観察し、最初のうちは「持続」という概念についてなどちょっと考えていたのだが、じきに睡気が湧いてきて、そうなると思考はひたすらに横滑りして逸れていき、何をどう考えていたのかという記憶もあとには残らない。意識を完全に失うことはなかったが、三〇分くらいは湯の熱の安逸さに浸っていたのではないか。
 それで出てくると畳んだジャージを階段脇の腰壁の上に置いておき、流しに茶葉を捨てようと思ったところが排水溝の物受けがいっぱいだったので、物受けをひっくり返し、透明なビニールの袋に生ゴミを入れた。急須のなかで水気を孕んで重くなった茶葉もその上から捨てておき、緑茶を用意しようとすると母親が、テーブルを拭いてと言うので台布巾を受け取って拭き、ドレッシングやマヨネーズを冷蔵庫に入れた。と記したところで唐突に食事中のことを思い出したのでここに差し挟んでおくが、父親が酒のつまみとして、兄夫婦が置いていったものらしいが細長い燻製チーズか何かのような品を食っていたところ、母親が横から、もうそのくらいにしておきなよ、と口を出したのだった。父親は、はいはい、そうだねと一応穏やかに受けたのだが、母親は続いて、あればいくらでも食べちゃうんだから、塩分が多いって自分でも言ってたじゃないと追撃して、それに対して父親は、そんなことはわかってるんだよと払って、そのくらいでやりとりは終わったと思うのだが、こちらはその会話のあいだ中、父親がまた母親の忠告に対して声を荒げて怒るのではないかと予測して、その際に生じる鬱陶しさ煩わしさを先取りして苦味を感じていた。だから会話が一応大きな衝突に至らず終わったのには安心したし、父親もここで爆発しなかったということは、ことによると、自分の欠点を自覚して心を抑える努力をしたのかもしれない。あるいは単純に、そこまで苛立つほどのことではなかったというだけのことかもしれない。勿論、この程度で苛立ちを噴出させていては恥ずかしいほどの小さな事柄に過ぎないのだが、そんなことにも怒ってしまう自分の傾向を反省してくれたのだとしたら、それは良いことである。今回の件で問題なのは母親の方で、声のトーンにせよ言い方にせよ、やはり幾分配慮が足りないと言うか、もう少し棘のない言い方が出来るのではないかとこちらからは思われるもので、彼女は自分の言動が無益な怒りと衝突を招くということをもう少し自覚してほしいのだが、あまり期待は出来ないものだ。
 それで緑茶を用意する頃には時刻は九時に差し掛かっていて、テレビはNHKのニュースを映してまた皇室関連の報道を伝えていたと思うが、スタジオに招かれたゲストのなかに磯田道史がいたことくらいしか覚えておらず、この人にも特段の興味はないので何故そのことを覚えているのかよくわからない。緑茶の入った急須と湯呑みを両手に持ち、昼間に食ったポテトチップスの余りを脇に挟んで自室に帰ってくると、茶を飲むあいだ、(……)。そうして一〇時前に至ったところで日記を書きはじめようとしたところが、Jake E. Leeについてちょっと検索したところから彼の現在やっているバンドの動画を眺めてしまった。Red Dragon Cartelというもので、まあJake E. Leeは昔からそうだと思うがブルージーな風味の含まれたハードロックといった感じの音楽で、悪くはないのだがやはりどこか一つ足りないような感じはした。とは言え、Jake E. Lee本人はギターの腕はほとんど衰えていないようだし、長い髭も蓄えたりして結構格好良く歳を取っている風には見えた。ただ、彼のバンドで"Bark At The Moon"をカバーしているライブ映像(https://www.youtube.com/watch?v=jm_pqbn7c4Y)を見ると、やはり僅かに鋭さが減じて丸くなったような気はしないでもない。また、"Deceived"という曲のオフィシャル・ヴィデオ(https://www.youtube.com/watch?v=C1zPls_cYc0)を見てみても、これは明らかに"Bark At The Moon"の焼き直しと言うか、そのリメイク及びブラッシュ・アップを狙ったものだと推測され、この人はまったく刻みが好きだなと思ったが、ギター・リフ自体は結構面白い和音の使い方をしていて進化が見られても、ボーカル・メロディが魅力に乏しく、やはり今一つ足りないような印象を持ってしまった。
 そんなことをしているうちに一〇時半に至り、Jake E. Leeの昔のバンドであるBadlands - Badlands (Full Album) 1989(https://www.youtube.com/watch?v=7U124rg_L-M)を流しながら今日の日記を書いた。Badlandsは一部でコアな人気があるバンドだというイメージだが、やはりいくらか地味なのはどうしても否めないように思う。Badlandsが終わるとPat Metheny『Unity Band』に音楽を替えて、ここまで文を記せばもう日付が替わる直前である。前日の日記を書かねばならないのだが、面倒臭いので今日はもうこれで日記作成は切りとして、明日の自分に譲ろうと思う。
 そうして手帳を読むことにした。最近は外でもメモばかり取っていて手帳に記した情報を学ぶ時間が取れないので、自宅で読書時間の一環として触れようと考えたのだった。しかしその前に、元々手帳には頁番号が付されておらず、それだと今日はどこからどこまで読んだと記録が付けづらいので、頁上部の左右の端に頁数を書き込んでいった。地道に一頁ずつめくって番号を付していき、それが終わると最新頁から書きつけた事柄を学びはじめた。じきに、香港の行政長官は一二〇〇人からなる選挙委員会によって選出される、という項目に行き当たったのだっが、そこに、「この人数は有権者の6%に過ぎない」と記されてあって、メモした時には思い至らなかったが、一二〇〇人で有権者の六パーセントということは、全有権者は二〇〇〇〇人程度となるわけで、いくら何でもそんなに少ないわけはない。それでどういうことかとこの記述の典拠であるBBCの記事(「【解説】 なぜ香港でデモが? 知っておくべき背景」 https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-48618554)を見返してみると、確かに「香港政府トップの行政長官は現在、1200人からなる選挙委員会で選出される。この人数は有権者の6%に過ぎず、その構成はもっぱら中国政府寄りだ」と書かれてあるが、翻訳前の英文記事、"Why are there protests in Hong Kong? All the context you need"(https://www.bbc.com/news/world-asia-china-48607723)の当該箇所を調べてみれば、原文は、"Hong Kong's leader, the chief executive, is currently elected by a 1,200-member election committee - a mostly pro-Beijing body chosen by just 6% of eligible voters"とあるので、選挙委員会の員数自体が有権者の六パーセントなのではなくて、委員を選出する資格を持った有権者が全体の僅か六パーセントに過ぎないという趣旨だろう。従って、上記の和文はは誤訳だと思われるのだが、天下のBBCがこのようなミスを放置していて良いのだろうか? ともかくそれで、香港の全有権者数はどのくらいなのかと検索を書けてみたものの、確かなデータが出てこなくて結局良くわからなかった。
 それからまたちょっと手帳を読んだのち、一時を目前として上階に上がった。例によってカップラーメンを食おうと思ったのだった。玄関の戸棚から日清のカップヌードル(シーフード味)を取り出し、電気ポットから湯を注いで、蓋の端をシールで留めて両手で包み込むようにして持ち、下階へ下る。そうして辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読み出して、三分発つと蓋をめくって麺を啜った。本は閉じたコンピューターの上に置き、傍らカップヌードルを机上に乗せて、零さないように注意しながら食べ、また文を読んだ。ヌードルを食い終わり、塩気の強いスープも飲み干して、空になった容器をゴミ箱に突っ込んでおくと、しばらく読書ノートに書きつけをした。
 『城』の二四一頁では、バルナバス家の娘アマーリアが、姉のオルガはどうやらKのことを愛しているらしいという新情報を明かし、さらに加えて、「Kのほうでもオルガに愛情を抱いていて、Kが訪ねてくることも、何かバルナバスのたよりを口実にしているが、ほんとうはただオルガが目あてなのだ」という判断を表明している。これはいかにも唐突で、根拠不明な断言であり、この主張が真実なのか虚偽なのか、おそらく読者には決定できない。そもそもKとオルガとの関わりは、物語の序盤で彼女がKを「紳士荘」に連れていく場面で大方尽きていたはずである。その際、オルガもKも、互いに惹かれ合っていることを明白に示す振舞いは取っていなかったはずだ。強いて言えば、オルガは「親しみをこめるようにして」(154)Kに話しかけ、Kにとっても「彼女といっしょに歩くことは、ほとんど弟といっしょに歩くのと同じように気持がよ」く、抑えきれない「快感」をもたらすものだが、これだけでは男女が互いに「愛情を抱いて」(241)いると判定するには不十分だろう。それにもかかわらず、我々が上のアマーリアの判断の真偽を確定できないのは、そもそもKが、この物語の主人公としての地位とは不相応に、他人の言葉によってその様相を変える一種不定形で抽象的な存在として表れているからではないか。物語は始まりからずっと彼の行動や思考を追いかける視点を採用しているが、そのわりに読者が彼の性格や心中の真意について知ることはあまりに少ないように思われる。Kは、周囲の人々の評価によって如何様にも姿を変えるカメレオンのような人物なのではないだろうか? 他者の言葉を受け入れ吸い込んでは、それを自分の属性と化すほとんど透明な媒介物。言わば彼は、「特性のない男」だろうか? そんなKが唯一持ち合わせている主要な特徴は、クラムと会うことを欲する強い意志くらいだと思われるが、以前も指摘したように、クラムと会って具体的にどうするのか、その詳しい点は必ずしも明らかでない。
 それからまた上へ上がり、台所に入って食器棚の上にラップを敷き、おにぎりを拵えることにした。米をラップの上に乗せると、手近にあった「味道楽」という振りかけをまぶし、ラップをもう一枚上から掛けて持ち上げた。ことによると火傷をしそうな熱さの米を握りながら居間のテーブルの隅に移り、出来上がったおにぎりはパジャマの胸ポケットに突っ込んでおき、緑茶を用意すると部屋に戻って、米を食いながらまた本を読んだ。そうして二時を越えると睡気が満ちてきたので、二時一六分で書見を切り上げてコンピューターを停止させ、電灯のスイッチを切ってベッドに入った。就眠は容易だった。


・作文
 16:29 - 17:35 = 1時間6分
 22:33 - 23:56 = 1時間23分
 計: 2時間29分

・読書
 12:23 - 12:40 = 17分
 12:48 - 13:27 = 39分
 13:55 - 14:27 = 32分
 14:29 - 14:38 = 9分
 14:47 - 15:54 = 57分
 15:56 - 16:26 = 30分
 18:47 - 19:52 = 1時間5分
 23:11 - 23:14 = 3分
 24:08 - 24:54 = 46分
 24:58 - 26:16 = 1時間18分
 計: 6時間16分

・睡眠
 3:05 - 11:00 = 7時間55分

・音楽