2019/10/28, Mon.

 ナチの抹殺収容所に関する初めての情報が広まりだしたのは、要の年となった一九四二年のことだった。それは漠とした情報だったが、中身は一致していた。それは非常に大規模で、恐ろしいほどに残虐で、複雑な動機が絡み合った大虐殺を大まかに描き出していたが、人々はあまりにも並はずれた話だったので、信じようとはしなかった。考慮すべきなのは、実行者たちもこうした拒絶を相当前から予想していたことだ。虐殺を逃れたものたちの多くは(その中にはジーモン・ヴィーゼンタールもいる。『我らの中の殺人者』の最後の数ページを参照のこと)、SS(親衛隊)の兵士たちが囚人たちに次のように冷笑的に警告して喜んでいたことを記憶している。「この戦争がいかように終わろうとも、おまえたちとの戦いは我々の勝ちだ。生き延びて証言を持ち帰れるものはいないだろうし、万が一だれかが逃げ出しても、だれも言うことなど信じないだろう。おそらく疑惑が残り、論争が巻き起こり、歴史家の調査もなされるだろうが、証拠はないだろう。なぜなら我々はおまえたちとともに、証拠も抹消するからだ。そして何らかの証拠が残り、だれかが生き延びたとしても、おまえたちの言うことはあまりにも非道で信じられない、と人々は言うだろう。それは連合国側の大げさなプロパガンダだと言い、おまえたちのことは信じずに、すべてを否定する我々を信ずるだろう。ラーゲル(強制収容所)の歴史は我々の手で書かれるのだ」
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『溺れるものと救われるもの』朝日新聞出版、二〇〇〇年、3~4)

     *

 意図的な無知と恐怖が、ラーゲルのおぞましい残虐さを証言したかもしれない多くの「市民」の口をつぐませることになった。特に戦争の末期には、ラーゲルは拡大した複雑なシステムを形成し、ドイツの日常生活の中に深く組み込まれていた。「強制収容所という宇宙」という言い方には正当な理由があるのだが、それは閉ざされた宇宙ではなかった。大小の企業、農場、兵器工場は強制収容所が供給するほぼ無料の労働力から利益を引き出していた。いくつかの企業はSSの非人間的な(そして愚かな)原則を受け入れ、囚人を情け容赦なく搾取していた。その原則によると、囚人はみな同じで、もし労働で死ねばすぐに取り替えることができた。それ以外には、少数であったが、慎重に苦痛を減らそうとする企業もあった。他の企業は、同じ企業だったかもしれないのだが、ラーゲルに物品を供給することで利益を得ていた。材木、建築資材、縞模様の囚人服用の布地、スープ用の乾燥野菜などである。複合焼却炉自体もドイツの会社によって設計され、製造され、取り付けられ、テストされていた。それはヴィスバーデンのトプ社で、一九七五年ごろまで一貫して活動を続けていた(そこは民生用の焼却炉を製造しており、その社名を変えることが適切だとは思っていなかった)。これらの会社の従業員が、商品や設備に対するSS司令部の注文の量的質的増大について、その意味を理解しなかったとは考え難い。同じような論議は、アウシュヴィッツガス室に用いられた毒ガスの供給に関してもなすことができるし、実際になされた。その製品とは実際にはシアン化水素酸であったが、長年船倉の消毒に用いられていた。しかし一九四二年から注文が急激に増大したことは見過ごされるはずがなかった。それに対しては必ずや疑問が湧いただろうし、実際に疑問を持ったはずなのだが、その疑問は、恐怖、利潤獲得の欲望、そして前に述べた自発的な盲目性や愚かさによって、窒息させられてしまった。またある場合には(おそらくわずかだっただろうが)、狂信的なナチへの忠誠心によって押し殺されたのだった。
 (8~9)


 一一時三五分起床。外は快晴、雲が幽かに混ざっているのか空の色は淡く、光は通って枕の近くに降りていて、それを吸い込むようにして顔に当てながら段々と覚醒を確かなものとした。ベッドを抜けるとコンピューターを点け、TwitterやLINEにアクセスしたのち、上階に行った。母親の挨拶に低い声を返し、台所に入ると鶏の唐揚げが揚げられてある。鶏肉がまだ余っているらしく、仕事から帰ってきたあとに油を取り替えてまた揚げなければならないと言う。一つつまみ上げて口に放りこんで洗面所に入り、櫛付きのドライヤーで髪を撫でて大雑把に整え、それからトイレに行った。用を足して戻ってくると食事の支度、また一つ唐揚げを取ってもぐもぐやりながら、おじやを丼にすべて払って電子レンジへ、そのほか大根の葉とハムの炒め物を皿によそり、唐揚げは温めずに卓に運んでおく。それから電子レンジの前に立って肩を回しながら加熱の終了を待ち、終わると次に炒め物も入れて、また肩を回したり首を回したりしながら一分間を過ごした。そうして卓に品々を運んで食事、新聞の一面には、「イスラーム国」の指導者とされるアブバクル・バグダーティが米軍の作戦により死亡したとの報がある。それを読んだあと、国際面をひらいて関連記事を読みながらものを食い、その向かいでは母親が食事を終えて、台所に移って洗い物を始めた。図書館に出掛けるつもりだと言うと、上階の洗濯物と下階の布団をどうしようかと言うので、そんなに急いで行くものでもないから洗濯物は出しておいて良い、二時頃に入れれば良いだろうと受けると、それじゃあ布団だけ入れていくねと言うので了承した。国際面ではほかに、チリにて地下鉄運賃の値上げを発端にした反政府デモが高まっているとの報道があった。それも読んだあと料理を平らげた皿を台所に運び、洗ってしまうと風呂場に行って、浴槽のなかに入って背を丸め屈みながらブラシで壁や床を擦る。出てくると下階に下って自室に入り、コンピューターの前に立って前日の記録を付けるとともにこの日の記事も作成した。そうして急須と湯呑みを持って上に行き、茶葉を流しに捨ててから緑茶を三杯分用意して戻ると、母親もまもなく仕事に発った。こちらは寺尾聰『Re-Cool Reflections』(https://www.youtube.com/watch?v=x-JPylQ6_mA)を流しだし、目を閉じて"HABANA EXPRESS"と"渚のカンパリソーダ"を歌い、三曲目 "喜望峰"に入ったところでこの日の日記を書き出した。ここまで記して一二時四二分。
 それから、Twitterを眺めつつ"ルビーの指環"を歌った。Twitterも以前は結構覗いていたものだが、最近はあまり面白く感じられず、タイムラインはほとんど見ていない。ニュース記事や興味を惹くような論考の類が見つかれば有益なのだが、如何せんフォローを増やしすぎたのでそれも埋もれてしまうのだ。基本的には今後も他人の発言はほとんど見ずに、自分のツイートを垂れ流すばかりの使い方をしていくことになるだろう。
 そうして一年前の日記をひらいてみると、ついに本文が一文字も記されなくなっていて、目に入るのは冒頭の書抜きのみ、本文部分は空白が広がるばかりだ。二〇一四年一月二九日の方もいつも通り、大した書きぶりでなく、言及しておくべきことは見つからない。それからfuzkueの読書日記、三宅さんのブログと通過したあと、便所に行って糞を垂れた。茶を飲む習慣を復活させて以来、便通が良くて、以前は一日に一回だったところが二度出ることもままあるようになっているのだが、緑茶には腸を活発化させる作用でもあるのだろうか? 手を洗って戻るとceroの歌を歌いながら身体をほぐした。まず屈伸を何度も繰り返し行ってから前後に開脚し、脚の筋を伸ばす。それから開脚の方向を左右に変えて腰を落とし、両手をそれぞれ膝のあたりに置いて伸ばすようにすると自ずと肩も上がり、胸のあたりにも力が入って、そのまま静止していると筋肉が和らいでくる。
 そうしてBill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』(Disc 2)を流しながら日記を書いたのだが、この時書いた日記が何日のものなのかもはや覚えていない。日記を終えると"Waltz For Debby (take 1)"が掛かっているところだったので、耳を傾けた。Scott LaFaroのプレイに主に耳が寄って、二四日の日記には彼の演じ方は非必然性を象徴しているような気味があると書いたのだったが、勿論常にそのような解体傾向を強く発露させているわけではない。それは端的に言ってフリー・ジャズだ。LaFaroのプレイにおいては、基本的には必然的にきっちりと嵌まった流れのなかに、時折りフリー・スタイルへの志向を思わせる野放図な破壊衝動が垣間見えるのだ。Paul Motianはこの曲では整然とビートを保って地味なサポートに徹しているものの、基本を踏まえながらも折に子供っぽいような気まぐれを覗かせる彼は、LaFaroとタイプが似ていると言うかある種親和的なのかもしれない。それにしても改めて驚かされるのはBill Evansの、人間を超えたかのような極端な冷静さであり、彼の音運びはペースがあまりにも一定なのだ。彼はまったく動揺せず、激するということが一瞬もなく、音楽に情念をこれっぽっちも乗せておらず、その演奏はすべてを明瞭に俯瞰する神の視点を取っているがごとき統一性を湛えている。そんなEvansも晩年になってくるとまた違って、実にありきたりな比喩だけれど、薬物でぼろぼろになった身体に残った僅かな生命を燃やし尽くすかのような、かなり激烈で音数の多いピアノを聞かせると思うが、少なくともこの六一年の時点では、彼の演奏はあまりに平静すぎる。ある種機械的な印象すら覚えると前に言ったのはそういう意味だ。
 それから洗濯物を取りこんで畳むために上階に行った。ベランダに吊るされたものを室内に入れて畳みながら、ふたたびBill Evans Trioのことを考えた。改めて言うまでもないことだが、ベースとドラムが土台を作って音楽の構造を底支えし、一定の流れが形成されるその上でピアノが自らの個性を忌憚なく披露するというのがピアノトリオという形態の伝統的な方式である。それを発展させて、三者同等に絡み合う三位一体的なインター・プレイを作り上げたというのが、Bill Evans Trioの功績としてよく言われるところなのだが、六一年六月二五日のかのトリオにおいて、むしろ音楽空間の枠組みを作り上げて一定の秩序を保っているのは、主役と目されるピアノのBill Evans当人なのではないか? まったく揺らぐことのない彼の不動性を土台としてこそ、LaFaroもそのあいだを縫うように泳ぐことができるし、Motianも気まぐれな脱臼を差し挟めるのではないか。
 Bill Evansの音使いというのは、近代性の極致を思わせると言うか、明晰すぎて頭がおかしいとすら感じさせるほどの整い方である。最適な音を最適のタイミングで最適な場所に配置するという経済性の原理を、彼のプレイはこれ以上ないほどの高みにおいて実現しており、そういう点で語法はまったく違うものの、やはりビバップの精神を受け継いでいるとも言えるのかもしれない。それに対してLaFaroはそのような意味での近代性を充分以上に身につけた上でさらにその先に行っている気配があって、先にも書いた通り彼にはフリー・スタイルへの志向が明らかである。こちらはまだきちんと聞いたことがないが、実際にフリー・ジャズの類も演奏していたという話だし、彼は近代性を自家薬籠中のものとしたその上で、それを敢えて解体しかかっているように聞こえる。この印象が正しいのだとしたら、六一年のBill Evans Trioの特異さ、その傑出ぶりというのは、一つには、近代性をひたすら突き詰めてこれ以上ないところまで至ろうとするEvansの統合性と、それを破壊してその枠組みから脱却していこうとするLaFaroの持つダイナミクスとの衝突/調和によってもたらされているのではないだろうか。それではPaul Motianはこのなかでどのような位置づけに収まるのか? 彼もまったく奇妙なドラマーだ。勿論基本的な技術は備えているのだけれど、彼にはもっと天然的な奇矯さを感じる。要は文学で言うところのローベルト・ヴァルザーなのだが、野蛮さを野蛮さのままに突き通していったらそれがそのままスタイルとして洗練されてしまったような趣があって、言ってみれば近代性の道半ば、その前段階で横に逸れて、そのまま別のルートに入って我が道を突き進んでいってしまったかのような印象だ。こうした図式整理に従うとすると、六一年のBill Evans Trioの特質というのは、近代性の先端を体現するEvansを中心に据えて、さらにその先に突き出していこうとするLaFaroと、その前、あるいは横[﹅5]の様態を垣間見せるMotianの二人を周囲に集め、それらの三要素をベン図のごとく重ね合わせ、奇跡的に調和させてしまったという点にあるのではないか。
 そんなようなことを考えながら、タオルや肌着や父親のジャージなどを畳み、畳んだタオルは洗面所に持っていっておき、下階に戻ると歯磨きをしながら「週刊読書人」上で連載されている外山恒一のインタビュー・シリーズを読んだ。そうして口を濯いでくると、着替えである。濃青のリネンのシャツにオレンジ色のズボンを履き、リュックサックに荷物を整理したあと、立ったまま両腕をテーブルに乗せて、"Milestones"の演奏を聞いた。そうしてリュックサックを背負って上へ、ソファの上にアーガイル柄の赤い靴下が転がっていたのでそれを履き、引出しからハンカチを、濃青のものを適当に選んで尻の方に入れ、そうすると玄関を抜けて道に出た。結構冷たい空気が流れる。空には水色が覗いて暗くはないが、雲も湧いていて道に陽の色はない。坂道に入ると下方の川が視界の端に現れて、見やればまだくすんだ土色に染まった濁流のままである。坂道を上っていき、鵯の声をいくつか耳にしながら出ると、道の先でT田さんの奥さんが物干しに出て洗濯物を仕舞っていたようだが、家の横に来る頃にはもう姿を消していた。左手に上り坂がひらいて、その頂上からさらに先へ視線を伸ばせば、雲が浮かんだ向こうから陽の感触が透けてきて、激しく眩しいというほどでないが瞳を押してくる。街道に出ても空気の動きはややひやりとして、ここまで歩いてきても汗も湧かない。
 道路の上にほとんど絶えず車はあって、見通す歩道に人の姿はいくらも見えず、鳥の飛行も見当たらない。車の流れが途切れればようやく道の脇から鳴き声が散るが、しかしやはり姿は見えない。途中の小公園の前まで来る頃には背後の空で陽が洩れたらしく足もとに薄影が湧いて、老人ホームの角を曲がって裏に入ればここにも人の通りはなくて、新聞屋のバイクが道端に停まって蒸されているのみ、そこに鴉が一匹、電柱の上に止まりに来て、耳を張っても鳴き声が来ないのに、鳴かないなと見上げてみれば、羽をばたつかせているのみで、過ぎたあともやはり鳴かなかった。
 どこか虚無的な気分が差していて、虚しいと言うよりは倦怠の類だが、自分の生であったり書き物であったりの、意義に対する疑義が湧いていて、一体書き続けて生き続けて何になるのかと問うけれど、答えなどとうの昔からわかっていて、特段何にもなりはしない。しかし書くほかはないし、生きるほかはない、書こうと思わなくともどうせ書いてしまう、そちらの方が存在様態として自然なのだから、自分にあっては書き物は、もはや意義などというものを超越していると払ってさらに、生も死も、いずれどうせ大したものではないだろうとニヒリストぶった。テレビドラマ『相棒』のなかで、大杉漣が演じた男が、「人生は死ぬまでの暇つぶし」と言っていたのを覚えているが、こちらにはわりとすんなり理解できる心境だ。一日一分一秒がこともなく過ぎていく、その時間の流れを静かに甘受しようと思い、無名性のなかで謙虚に生きたいものだと落としたその時には思い当たらなかったが、あとで図書館で手帳に書きつけをした際に、「謙虚」という語のなかに「虚」という字が使われているのに気づいて、この事実は何かしら示唆的なようだなと思われた。
 青梅坂に差し掛かる前に道端から大きな木が張り出していて、落葉があたりに散らばっているのをよくも見ずに過ぎてしまい、あとから思い返して振り返れば女子高生が一人、ブレザーを着込んでその上を歩いている光景の、段々と秋めいてきている。小学生がちょうど下校時間らしく、進んでいるうちに正面から来る姿がどんどん増えて、文化センターを越えたあたりで高校生も背後から自転車で通り抜けていった。
 駅前まで来るとコンビニに入った。国民年金を払いこむためである。金を下ろしたかったのだが、ATMの前には二人、若い男が立っていて、ATMを使っているのでなくてコーヒーか何か飲んでいるようだったが、なかなかどかなさそうだったのでそれで先に払いこみを済ませることにした。レジカウンターに続く人々の後ろに並び、じきに番がやって来たので一六四一〇円を支払い、礼を言ってレジ前をあとにするとATMに向かい、三万円を下ろして財布に入れた。そうして退店してのろのろと道を行っていると、こちらのすぐ脇を女子高生らがずんずん抜かしていく。まったく皆、歩みが速いものだ。自分とて、わざわざ遅くしようと思っているわけでなく、ただ身体が楽なように歩いているだけなのだが。
 駅に入ってホームに上がるとちょうど立川行きが入線してきたところ、降りてくる人を避けてホームの反対側を先頭へ向かって歩くと、小学校の校庭の端に生え並んだ樹々が、あれは桜だったか梅だったかおそらく両方あったものではないかと思うが、葉をもう落として屈曲した枝振りを晒しているが、その先の丘にはまだ紅葉は差していない。先頭車に乗って席に座れば、意識せずとも自ずと手帳を取り出し、意思を離れた自律的な機械の駆動のように書き出している。ペンを操っていると女子高生が二人やって来て、先を行く一人の足音が、高いと言うよりも重いようで、周囲の人を、と言ってこの時周囲に人はこちらしかいなかったわけだが、威嚇するかのような音調だった。発車してメモを取り続けているあいだに河辺に着いたので降車して、エスカレーターを上っていくと上からざわめきが落ちてきて、出れば向かいの階段から中学生が大挙して、あとから途切れず大量に湧き出てくる。校外学習か何かで、御嶽あたりにでも行ったものだろうか。改札を抜けて子供たちのあいだをゆっくりと行き、歩廊を渡っていると横を歩く女子中学生らが何やら歌を口ずさんでいた。
 図書館に入ると本二冊を返却し、CDの新着を見に行けばShai MaestroがECMから出した『The Dream Thief』があるのでこれは即座に借りることに決め、手に保持してジャズの区画を見に行くとSarah VaughanClifford Brownを従えて録ったアルバムがあったのでこれも目をつけた。鈴木勲のアルバムの、まだ借りていないものが一作か二作あったはずなのだが見当たらない。それで三枚目は、棚を端まで見たなかで一番惹かれたJoshua Redmanの『Still Dreaming』に決めた。三枚を持って自動貸出機に寄り、手続きをすると階段を上って、新着図書を確認する。保坂和志の『読書実録』があった。それから哲学の区画へ移り、カフカを読むのに手間取っている今、それでなくとも読むのがめっきり遅くなって、とても期限内に読めるとは思われないが、前々から読みたかった熊野純彦の『カント 美と倫理とのはざまで』を借りることにした。それからフロアを横切って海外文学のコーナーへ歩いていき、書架を見分する。トマス・ベルンハルトの新刊が先日新着図書に入っているのを見かけた覚えがあるのだが、この時には見当たらなかった。それで何を借りようかなと迷いながら見たなかで、シャルル・ボードレール/山田兼士訳『小散文詩 パリの憂愁』という作品があるのを初めて発見し、なかを覗いてみると質の良い魅力的な散文の気配が漂っていたので、最終的にこれを借りることに決めた。二冊を持ってフロアを階段の方へと戻り、貸出機で手続きを済ませるとまた引き返して、テラス側の長テーブルの端に荷物を置いた。席に座る前に手近の文庫の棚からまた海外文学をちょっと見分した。渡辺一夫訳フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュワ物語』および『パンタグリュエル物語』はいつか読んでみたいものだ。そのほか、『アンネの日記』もあったので、ホロコーストナチス・ドイツ関連の基本文献であるこの書も早いところ読みたいものだと考え、それから席に就いて手帳にメモを取りはじめた。こちらから見て対角線上の、仕切りを挟んで向かいのテーブルの右端の席にはピンク色のポロシャツを着た老人が就いていて、その人がガムか何かでも食っているのか終始口をもごもご動かして、それでくちゃくちゃ、ぴちゃぴちゃと、犬が食事をしたり水を飲んだりする時のような音が絶え間なく鳴っているのだった。彼はまたたびたび席を立ってどこかに行き、本を持って戻ってくるのだが、その際の歩き方も何か奇妙に脇目も振らずに突き進むようなもので、足音も結構高い。頁をめくる音も大きなもので、わりと明瞭な独り言を漏らしてもいた。こちらの右方、その老人の向かいには若い女性が就いていて、彼女もひとときどこかに行っていたのが戻ってきて席に就いてからまもなく、荷物を伴いまた立って消えてしまったので、老人のくちゃくちゃ立てる音を不快に思って移ったか帰ったかしたのではと思ったのだが、これは邪推かもしれない。
 五時過ぎに至ってメモ書きを終え、席を立って出口へ向かった。館を抜ける前に雑誌の区画にほんの少しだけ寄って『現代思想』の表紙を瞥見したが、今月は反出生主義についての特集のようだ。『思想』の方は一九八九年を取り上げている。そうして退館すると、歩廊の上には幽かな紫色が触れて、空は雲がなだらかに敷かれた一面が青く染まっている。階段を下りて下の道に出たところに一組の母娘がおり、子供が足を打ったか何かしたらしく、母親がさすってやっていた。腹が減ったのでロッテリアで食事を取っていこうと思っていた。それで角を右に折れると、正面、西の果ての空には淡い赤味が青に混ざって浮かんでおり、頭上近くは花火の名残の煙のような紫色が、プランクトンの群れにも似てくゆっている。ロッテリアに入ってカウンターに寄り、絶品ダブルチーズバーガーセットを注文した。サイドメニューはポテトではなくチキンスティック二本を選び、飲み物はジンジャーエールを選択すると合わせて一〇一二円、結構高いものだ。カウンターの前でちょっと待ってから品物を受け取り、礼を言って場を離れ、窓際のソファ席を一人で占領した。ジンジャーエールを一口二口啜り、それからチキンを齧ったが、もっと温まっているものかと思ったところがあまり熱くない品だった。傍ら手帳をひらいて目を落とし、ドイツ史についての情報を頭に入れると、瞑目してもぐもぐものを食いながら脳内で反芻する。次にハンバーガーにかぶりついた。絶品チーズバーガーというわりにチーズの味がそれほど強くない気がしたが、胡椒の風味はよく利いていた。むしゃむしゃ肉を食いつつ引き続き手帳に書かれてある事柄を頭に入れていき、食べ終えるとジンジャーエールを飲みながら同じことを続けた。そうして飲み物を干すとリュックサックを背負って立ち、返却台へ移ってゴミを捨てる。包装紙は四角く小さく畳んでおき、トレイに敷かれていたチラシの類もやはり畳んで捨て、そうして退店した。
 イオンスタイル河辺に初めて入ってみることにしたのは、茄子などを買いたかったからだ。買って帰って手短に焼いておかずを拵えれば良いと考えていたのだ。それで横断歩道を渡って階段を上り、二階からビルのなかに入って、籠を取るとスーパーの区画に立ち入った。最初にあるのは野菜や果物のコーナーなのだが、そこをうろついても茄子が見つからない。それで先にカキフライや椎茸やエリンギなどを取り、見回っているあいだに幼い女児と赤ん坊をもう一人ベビーカーに乗せた母親の三人連れがやってきて、女児が通路を逸れて野菜の棚のあいだに入ってしまうのに、母親は名前を呼んでこっち、こっちと言いながらも、女児を置いて先に行ってしまった。子供の方はそのうちにはぐれたことに気がついて、ママー! と叫びを上げながらどこかへ行ってしまい、しばらくしてから母親は真剣な、焦ったような顔色で戻ってきたものの時既に遅し、女児の姿はもうなくて、母親が探しているのに声を掛けた方が良いかとも思ったのだが、しかし女児が行った先がわからない。それで結局声は掛けず、茄子を探してようやく発見したが、よく売れたようで二袋しか残っておらず、そのどちらも袋のなかに水滴が湧いていて、中身の蔕のあたりもどうも腐りかけているような茶色で質が悪いようだったので、仕方なく茄子は買わないことに決めてフロアを奥に進み、ポテトチップスを二袋とカップ麺の類をいくつか籠に入れた。それで会計へ向かい、列に並んで財布を取り出し、何をするでもなく待ったあと、番が来た。お買い物袋はお持ちですかと店員が尋ねてくるが持っていない。有料ですがお付けしますかと訊いてくるので頼むと、五円くらいが加算されたようだ。それで一八四三円を払い、整理台に移ってビニール袋とリュックサックにものを詰めて、袋を片手に提げて退館へ、時刻は六時前でもうよほど暮れて暗い歩廊を駅へと渡り、掲示板に寄って見れば奥多摩行きに接続する電車は二本先である。改札を抜けて便所へ行こうとしたところで、階段から上ってきた姿が(……)さんで、目を向けているとあちらも気づき、笑って近づいてきた。先生、河辺なの、と訊くので、住んでいるところ、と訊き返すと最寄り、と返るので否定すれば、何してんのと言った相手はすぐに目を落として買出しかと自分で落とすので、図書館、とこちらは答えて、図書館とか、買い物とか、と続けた。こんなところで会うとは、と笑って別れて、便所に入ると小便器の上の台に袋を置き、放尿すると鏡の前に移って手をよく洗い、ハンカチで拭きながら外へ出た。そうしてホームに下りると一号車の位置に立ち、手帳を取り出して、ここではメモをするのではなく文言を読んで、まもなく来た電車に乗るとリュックサックとビニール袋は隣に置いて席に就いた。
 青梅に着くとちょっと待ってから降り、そうして奥多摩行きに乗り換えて、ここでも席に就くとリュックサックと袋を合わせて隣へ置いておき、同様に手帳を読んで歴史の知識を頭に入れつつ到着を待って、最寄り駅で降車した。ホームを歩いていると、空気を吸いこむような音響を発して電車は滑りだしていく。駅を抜けて、流れる車の隙を窺って通りを渡り、坂道に入ったところで空虚感はなくなったようだなと気づいた。下りていくと折々に設置された電灯が、葉叢に隠れつつ光の暈を綺麗な円に広げており、内側に筋が無数に放射状に描かれているその光の、葉の裏側で照っているはずなのに繊維を透かしてくるのか手前の宙に宿っているとしか見えない。平らな道に出て行けば、後ろから車のライトが飛んできて、それが段々濃くなって過ぎていくまで足もとを眺めていたところ、アスファルトの細かな凹凸に影が強く付されて伸びる瞬間が途中に差し挟まって、その一瞬だけ道路は濃い陰影を浮き彫りにして常にない様相を垣間見せるのだが、そこを過ぎて光が近づきすぎると地面は平常の姿を露わにして退屈に陥る。春から初夏への移行期に、薄紅の花とそれよりも赤い花柄と生えはじめた葉の緑を混淆させる桜もそうだが、ひとときの過渡期が物事にあっては美しい。
 家に近づいたところで、米を磨ぎ忘れていたことに気がついた。なかに入って戸棚にカップ麺を収め、そうして居間に入るとリュックサックを下ろし、茸を冷蔵庫に入れておいてから着替える前に米を磨ぐことにした。手をよく洗って炊飯器の上に置かれてあった米の入った笊を取り、洗い桶のなかで洗うと、釜に移して水を注ぎ、十六穀も加えてセットして、炊飯のスイッチを早速押しておいた。風呂を焚くスイッチもやはり押しておき、居間の三方のカーテンを閉めると下階へ下りて、コンピューターを点け起動を待つあいだにジャージに着替えた。そうして各種ソフトを立ち上げておくと、味噌汁くらいは作っておくかと上階に上がり、玉ねぎと買ってきた椎茸を合わせれば良かろうと定めて小鍋に水を注ぎ、火に掛けているあいだに玉ねぎと茸を切り分ける。玉ねぎから剝いた皮は、流し台の隅に生ゴミの袋が掛かっていたのでそこに入れておき、切ったものを鍋に投入すると粉の出汁と味の素、それに醤油をほんの少し足して、煮ているあいだに新聞や郵便物を取りに行ったり、自室から燃えるゴミの箱を持ってきてゴミを合流させたり、ゴミ箱を戻しに行ったりと動いた。そうしてしばらく煮込んで玉ねぎが柔らかくなると、チューブ型の味噌を押し出して加え、搔き混ぜて完成、台所を出ると緑茶を用意して自室に帰った。一〇月一五日版の"C"を流しながらSam Jordison, "The Truce: how Primo Levi rediscovered humanity after Auschwitz"(https://www.theguardian.com/books/booksblog/2019/jul/16/the-truce-how-primo-levi-rediscovered-humanity-after-auschwitz)を読みはじめた。音源は、ギターがより気持ちよくなっているような気がした。その後、Charles Mingus『Mingus At Antibes』に音楽を繋げながらリーディングを続ける。

・truce: 休戦
demolition: 破壊、取り壊し
・abrupt: ぶっきらぼうな、無愛想な
・tip over: ひっくり返る、転倒する
beret: ベレー帽
surly: 無愛想な、ぶっきらぼう
・berate: ひどく叱りつける
・skive: 怠慢、サボり
・scour: 探し回る、徹底的に調べる
・wry: 皮肉たっぷりの
・jolt: 動揺、ショック
・slapdash: いい加減な、そんざいな、投げやりな

 茶を飲みながら英語を読んでいると母親が帰宅して、戸口にやってきて唐揚げを手伝ってと言う。面倒臭いと思いながらカキフライを買ってきたと伝え、緑茶を飲み干したあと上へ行けばもう唐揚げを揚げていたので仕事を受け継ぎ入れ替わって焜炉の前に入り、首を回しながら、また手帳で読んだドイツ史の知識を思い返しつつ鶏肉が揚がるのを待った。辺りには煎餅のような匂いが漂い、鶏肉の見た目も茶色くこんがりと醤油色に色づいてそれらしい。
 料理を済ませると下階に戻って七時半からふたたび英文を読み、その後、古井由吉『ゆらぐ玉の緒』の書抜きを行った。途中で浅田彰の動画やインタビューを検索したり、熊野純彦関連の記事を検索したりして「あとで読む」の記事に足しておき、書抜きのあとはこの日のことをメモに取った。終えると八時四〇分、風呂に入ろうと上に行ったところが母親が入っていたので、唐揚げを一つつまんで戻り、二五日の日記を記した。九時一〇分まで打鍵して、そうしてふたたび上階に行けば、父親がもう帰ってくると言う。あとどれくらいと洗面所に入りながら訊くと、一〇分くらいかなと言うので了解し、浴室に入って水位のちょっと低い湯に浸かったが、母親のあとはいつもそうで水温はやや熱めで、肌身を責める熱の刺激が心地良く、湯を掬って顔を洗っても気持ちが良かった。まもなく父親の車の音が窓外から聞こえたが、すぐには上がらず安息に浸り続けて、風呂から出て飯を食えば一〇時、昨日は二時に寝たから今日もそれに沿うとして、この一日に残されたのはあと四時間、その余りを日記作成と読書に邁進できるかと考えた。もっと本を読む時間を取らなければならない、と言うのは最近、読書ノートにやたら書きこみをしながら読むようになったため、読み進みが遅いからだ。
 上がると父親におかえりと告げ、食事を用意した。ロッテリアで肉を食ったのであまり腹は減っていなかったが、せっかく牡蠣フライを買ってきたし、唐揚げも揚げたのでそれらを食べたかったのだった。その二品を一皿に乗せて電子レンジに突っこみ、自分で作った味噌汁も温めてよそり、米を盛って大根を摩り下ろし、ポン酢を垂らすと卓へ移った。大根おろしを真っ先に食ったのだが、しかしこれが、辛味の刺激が強すぎたようで腹が苦しくなった。それでもゆっくりと、慌てずによく咀嚼しながらものを食べる。新聞を引き寄せて夕刊を読んだものの、それほど強く興味を抱いた記事はなかったようだ。食べ終えると抗鬱薬を飲み、皿を洗って下階へ行った。
 メモ及び日記作成に気が乗らないので、買ってきたポテトチップスをぱりぱりと食いながら辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』を読んだ。食べ終えると緑茶を用意しにいって、その後、一〇時四五分から借りてきたCDをインポートしようと思い当たり、データをコンピューターに取りこませながら、一方で読書ノートにメモを認めつつ書見を進めた。『変身』である。
 『変身』の書出しをこまごまと説明する必要はないだろう。巷間非常によく知られている通り、グレゴール・ザムザはある朝目覚めると、自分の姿が「一匹の巨大な毒虫」(341)に変わっているのに気づくのだが、そんな「ばかばかしいことはみんな忘れて」(341)、さらに眠り続けるために横向きに姿勢を変えようとしても、虫と化した体の背中が丸いためだろう、うまく行かない。それに続けて彼が思うのはしかし、「ああ、なんという骨の折れる職業をおれは選んでしまったのだろう」(341)という、仕事の労苦に対する唐突な述懐である。自己の肉体的変貌という明らかな異常事態のなかにあって、この至極現実的で日常的な嘆きはまったく場違いに響くものだ。グレゴールの思考は、自分が何の前触れもなく「毒虫」に変身してしまったという奇怪な緊急事態には向かず、それに動揺することがない。カフカの登場人物は、自分が突然陥れられた状況に対して戸惑うということがないのだが、これは『審判』のヨーゼフ・Kにおいても同様である。グレゴールも、「おれはどうしたのだろう?」(341)という一抹の疑問を差し挟むのみで、それ以上自分の変身については考えず、仕事の辛さを縷々として愚痴りはじめる。続く三四二頁では、五時の汽車を逃して六時半まで寝過ごしてしまったことに気づき、「しまった!」と慌てているものの、彼が動揺するのは自分自身の奇態な変化についてではなく、あくまでも寝坊して仕事に遅れてしまうことについてなのだ。この点に、労働に対するオブセッションを抱え、それをどんな時にも頭のなかから排除することのできない近代の勤め人の滑稽な戯画を見て取ることもできるのだろう。こちらとしては、最近読んだ村上春樹アンダーグラウンド』のなかで証言されていたサラリーマンたちの姿――サリンに襲われて体調を崩し、何か変だと感じながらも、風邪だろうとか寝不足のせいだろうなどと理由付けをして、とにかく何を措いても職場に向かおうとする会社員の鑑のような態度――を想起するものだ。実際、グレゴールも、自分の声色が変質し、「苦しそうなぴいぴいいう音がまじって」(342)他人には聞き取れないようなものと化しているのに対して、「声の変化は旅廻りのセールスマンの職業病であるひどい風邪の前ぶれにすぎないのだ」(343)と断定している。通常起こるはずのない異常事態に対して、自分の考えられる常識の範囲内でできる限りの合理化を行おうとするわけだ。
 そのように、グレゴールはひどく冷静である。現実にはあり得ないはずの変身という状況を完全に現実のものとして受け容れており、そこにそもそもの疑問を向けることはせず、外面的には変貌しながらも内的な自己同一性を完璧に保っている。彼は、「ベッドのなかにいたのでは、あれこれ考えたところで理にかなった結論に到達することはあるまい」(343)と平静な判断を下し、しかしうまく寝床から出られないので、一時は「まるで半狂乱になって」(343)、遮二無二身体を突き出すものの、ベッドの柱に下半身を強くぶつけてしまうと、「そのとき感じた痛みで、まさに自分の身体の下の部分が今のところいちばん敏感な部分なのだ」(343)と自らの体の状態を的確に把握してもいる。彼はベッドを出るという差し当たりの目的のため、変身した虫の体として与えられた条件のもとで、最善を尽くそうとしている。次には頭の方から外に出ようと試みるのだが、しかしこの方法では床に頭を打って傷つけてしまう恐れがあることに気づき、中断している。このように彼はまったくもって理性的であり、その思考の道筋は明晰で、人間的能力を多分に残しており、一片の曇りも見られない。語り手も、「やけになって決心するよりも冷静に、きわめて冷静に思いめぐらすほうがずっといいのだ、とときどき思い出すことを忘れなかった」と言って、グレゴールの沈着ぶりを強調している。そうして彼は次に、身体を横へ揺すって少しずつ平行移動していくという方法を試みて、このやり方でついには床の上に脱出することに成功するのだ。
 最初の朝にはそのように冷静沈着だったグレゴールも、変身が始まってから時を追うにつれて、段々とその人間的理性を失っていくようだ。彼が部屋のなかを自由に這い回れるようにと家具を外に移動させようとする妹グレーテに対して、母親は、「こんなことをしたら、まるで家具を片づけることによって、わたしたちがあの子のよくなることをまったくあきらめてしまい、あの子のことをかまわずにほったらかしにしているということを見せつけるようなものじゃないかい?」(358)と苦言を呈してグレゴールに対する配慮を見せているのだが、それを聞いたグレゴールは、「直接の人間的な話しかけが自分に欠けていることが(……)すっかり自分の頭を混乱させてしまったにちがいない」(358)と思い当たる。理性的な思考は衰退し、言わばグレゴールの動物化が進んでいるようなのだが、それでも自分自身の状態について自問自答できる点で、彼はまだ人間性を残してもいる。自分は人間的な過去を「今はすでにすっかり忘れようとしているのではないだろうか。そして、長いあいだ聞かなかった母親の声だけがやっと彼の心を正気にもどしたのではあるまいか」(358)とグレゴールは疑問を投げかけているのだ。
 しかし、さらに時間が進むと、グレゴールは家族に対して抑えきれない「怒り」を抱く機会が多くなってくる。三六四頁では彼の心は家族らの「世話のいたらなさに対する怒り」に支配されるし、母親が「三杯のバケツの水」(364)を使って部屋の掃除をしてくれた時にも、「部屋がびしょぬれになってグレゴールは機嫌をそこねて」(364)しまうし、そうした彼女の独断専行に関して妹と母親が悶着を起こしている際にも、「自分にこんな光景とさわぎとを見せないようにしようとだれも思いつかないことに腹を立てて」(364)いるのだ。さらに、家族とは違ってグレゴールの「悲しむべき、またいとわしい姿」(362)を目にしても感情を乱さず、それどころかちょっと面白がってグレゴールに「親しげなものと考えているらしい言葉をかけてくる」(365)手伝いの老婆に対しても、ある早朝にいつものように呼びかけをされた時、「グレゴールはすっかり腹を立て」(365)て、「攻撃の身構えを見せ」(365)るのだ。グレゴールにとって外部の他人は段々と怒りの対象に、「攻撃」を向ける敵のような相手になってきているらしい。ちょっと戻るが三六〇頁、先にも触れた家具の片づけの日には、これ以上部屋のものを外に出させまいと決心したグレゴールは、「写真の上に坐りこ」み、「グレーテの顔めがけて飛びつこうという身構え」を見せるのだが、彼が最大限に信頼を寄せていたはずの妹に対して明確な敵意を見せるのはこの箇所が初めてだと思う。
 ところでその妹グレーテだが、グレゴールの外面的な「変身」に対応するかのように、彼女も内面的な変化を見せる。「変身」の朝には兄の異変に際して隣室で「しくしく泣き始め」(345)てしまう妹は、グレゴールの世話をすることを通して、それまでに持ち合わせていなかった「自信」(358)を抱くことになる。グレゴールの介助を自分の仕事として引き受けることで彼女は、「両親に対して特別事情に明るい人間としての態度を取ることに慣れていた」(358)と言う。それまでグレーテは、両親から単なる「役立たずの娘」(357)と思われていたのだったが、その娘が今やグレゴールに関しては唯一の頼りとなっているのだ。彼女は兄の面倒を見るという仕事に、一種の独占欲を抱いているほどであり、先ほど触れたように彼女の留守中に部屋の掃除を敢行した母親とのあいだで騒ぎが持ち上がるのも、母親の行動が妹の専権事項を侵し、彼女の独占心を傷つけたからである。
 グレゴールは勤勉に働き、両親の借金を肩代わりして引き受け、家庭を経済的に支えていた立場から一転して、家族三人にとって完全な荷物に成り下がるわけだが、働き手を失った家族たちはそれまでに支えられていた立場から、今度は自らグレゴールの担っていた苦難を分け合って、それぞれに家庭を支えていかなければならない。従って、五年のあいだ仕事をせずに身体も思うままに動かなくなった老いた父親は銀行の小使いの職を手に入れ、喘息持ちの母親は「洋品店のためのしゃれた下着類」(362)を拵える内職に精を出し、まだ一七歳の若さである妹も「売場女店員の地位」(362)を得て、さらなる出世を目指して「晩には速記とフランス語との勉強をしている」(362)。そのようにして世間の厳しい風にも触れ、料理などの家事もこなし、グレゴールに関する問題では両親に対して優位にも立つようになった妹こそが、グレゴールの死の直前には「もうこれまでだわ」、「わたしたちはこいつから離れようとしなければならない」(368)と宣言し、「あいつはいなくならなければならないのよ」と兄の最終的な運命を――まるで判決でも下すかのように[﹅11]――言い渡すのだ。こうした文脈で見てみると、『変身』は、兄の身を犠牲にすることで妹が両親の支配権から脱却し、自立心を育んで「美しくふくよかな」(372)一人前の娘に成長する物語だとも読めるのかもしれない――もっとも、そうした読み方が正当に成り立つとしても、大して面白い読解だとは思われないが。
 兄グレゴールの方に話を戻すと、虫に変貌した彼の目立った特徴としては一つ、聴覚的な敏感さというものがある。まずもって最初の日の朝にグレゴールは、妹グレーテと女中のアンナが医者と鍵屋を呼びに家を出ていく際、玄関の「ドアの閉じる音は全然聞こえなかった。二人はきっとドアを開け放しにしていったのだ」と細かい知覚認識を披露している。その後も、晩方遅くなってから、家族「三人全部が爪先で歩いて遠ざかって」(352)いくのを彼は「はっきり聞き取ることができた」(352)と言うし、家具の片づけの日には、ソファの下に潜りこんだグレゴールに、母親と妹二人の「出たり入ったり、彼女らの小さなかけ声、床の上で家具のきしむ音」(359)が「まるで四方から数を増していく大群衆のように」(359)働きかけて、彼を危うく「我慢できなく」(359)させるところだったのだ。そうした聴覚の鋭敏化と対比して視覚の方は衰えていき、窓から外を眺めてみても、「少し離れた事物も一日一日とだんだんぼんやり見えるようになって」いった(356)と言う。こうした視覚の退化と聴覚の発達は、これもあるいは彼が器官的な面からも動物化していることを示すものなのかもしれない。その後の記述を見てみても、ザムザ家に寄宿するようになった三人の間借り人が夕食を取る際、「食事中のあらゆる物音からたえずものをかむ歯の音が聞こえてくることが、グレゴールには奇妙に思われた」(366)とあるのだが、いくら「ほとんど完全な沈黙のうちに」(366)食事をしているとしても、隣室から「歯の音」まで聞き取るのはかなりの敏感さではないだろうか。そのような聴覚を持ったグレゴールが最後の日に、妹の弾くヴァイオリンの「演奏にひきつけられ」(366)、音楽に「心を奪われ」(367)て下宿人たちの目も憚らずに居間へと這いだしてしまったのは、まことに正当なことだったのかもしれない。
 あと一つ触れておきたいのは、ザムザ家の外部と内部との関係についてである。『変身』の舞台はその大半に渡って一つの家の内部に限定されており、視点が初めてその外の空間に移るのはグレゴールが死んだあと、物語もそろそろ幕を閉じようという三七一頁に至ってのことである。それでも最初の日には、家の外の自然の要素がいくつか描写される。グレゴールが変身した朝は「雨だれが窓わくのブリキを打っている」「陰鬱な天気」(341)であり、「狭い通りのむこう側さえ見えなくしている朝もや」(344)が湧いており、巨大な虫と化したグレゴールが部屋から出てきて支配人や両親を怯えさせる頃には、「通りと階段部とのあいだには強く吹き抜ける風が立って」(350)、妹と女中が開けっ放しにしていった扉を通して家のなかに吹きこんでくる。この時点ではまだしも、家の内部と外部の天象とのあいだの交渉は保たれているのだ。ところが、グレゴールの「監禁生活」(354)が始まって以来、外部の要素の描写はほとんどすっかり姿を消し、視力を落とした彼が窓から外を眺めてみても、そこから見えるのは「まったく都会的であるシャルロッテ街」(356)ではなく、「灰色の空と灰色の大地とが見わけられないくらいにつながっている荒野」(356)になってしまう。窓とは言うまでもなく、家の外部との連絡口、交渉口である。そこを通じて季節や天候などの外部の要素、要するに外の時間の流れが入りこんでくるのだが、ここで見えている窓外の景色は、自然物はおろか人工物すら何もない純粋な灰色の荒涼さであり、そこには時間を感じさせる要素は何一つない。また、グレゴールの監禁中に天象が描写されるのはただ一度、ある早朝に「はげしい雨がガラス窓を打っていた。おそらくすでに春が近いしるしだろう」(365)と言及されるその箇所のみだが、ここでも彼の知覚様態の変化に伴って、自然の様相は視覚からではなく、聴覚を通じて「音」としてもたらされていることに注意しよう。このような自然描写の乏しさは、グレゴールの生活の外部との交渉のなさを証すのみならず、人間から変身した怪物を飼っているこの家全体が捉えられている半ば無時間的な閉鎖性を表していると考えられる。そして家族たちは、グレゴールの死とともに、時間が停止したかのようなその閉塞感から解放されて、外部の世界とリンクした時の流れのうちに回帰するのだ――「手伝い婆さんはドアを閉め、窓をすっかり開けた。朝が早いにもかかわらず、すがすがしい空気にはすでにいくらかなま暖かさがまじっていた。もう三月の末だった」(371)。
 上の感想・分析を書くのに力を費やしたし、この日のあとのことは特段覚えてもいないので、二八日の日記はここで終了とする。


・作文
 12:28 - 12:42 = 14分
 13:36 - 14:01 = 25分
 16:10 - 17:02 = 52分(メモ; 28日)
 20:16 - 20:39 = 23分(メモ; 28日)
 20:41 - 21:10 = 29分(25日)
 24:23 - 24:33 = 10分(メモ; 28日)
 24:33 - 25:40 = 1時間7分(25日)
 計: 3時間40分

・読書
 12:46 - 13:18 = 32分
 14:28 - 14:43 = 15分
 18:56 - 19:09 = 13分
 19:30 - 19:44 = 14分
 19:46 - 20:15 = 29分
 21:53 - 24:19 = 2時間26分
 25:59 - 28:04 = (1時間引いて)1時間5分
 計: 5時間14分

・睡眠
 2:00 - 11:35 = 9時間35分

・音楽