2019/11/21, Thu.

 (……)強制収容所の監督官であるヒムラー、ハイドリヒ、あるいはアイケは、個々の指揮官や警備兵の収容者に対する横暴や虐待を、しばしば黙認し隠蔽した。時には意識的にそれを計算に入れ、テロをエスカレートさせた。しかし低劣な心情と衝動を伴ったそのような残忍な計算は、たとえそれが時に(尊大なマキァヴェリストの態度をとっていた)ヒムラーの心にかなっていたにせよ、システムの類型性を形作るものではなく、また実際ヒムラーの望んでいたイメージにふさわしいものでもなかった。ヒムラーは、個々のSS幹部が収容者に対し恣意的な虐待を行うことや、囚人の運命を個人的快楽や私利私欲からもてあそぶことを、あらゆる同情の気持ちと同様、「弱さ」と見なしていた。彼の理想は、ヘスのようなタイプの、つまり情け容赦なく自己を貫徹し、いかなる命令にもしり込みすることはないが、しかし個人としては「礼儀正しく、りっぱで、毅然とした」ままでいられるような、規律正しい収容所指揮官だった。アウシュヴィッツ-ビルケナウ絶滅収容所の所長として、ヘスはヒムラーの抱いていたイメージをこの上なく満足させた。(……)
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、34; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 例によって正午前まで長々と、堕落した寝坊に耽った。睡眠時間は九時間五〇分、今日は休日だからまだ良いが、これではいくら何でも長過ぎる。ベッドから脱出してコンピューターに寄るとスイッチを押し、スリープ状態を解除してTwitterやLINEを覗いたりした。それから部屋を出て便所に行き、糞を垂れて腹のなかを軽くしてくると、自室で寝間着からジャージに着替え、ダウンベストを羽織って上階に行った。母親は料理教室で出掛けている。おじやと牛肉炒めがあると書置きにはあった。台所に入って冷蔵庫から炒め物のフライパンを取り出し、小鍋のおじやはすべて丼に払って電子レンジに突っこんだ。二分三〇秒を待つあいだに卓の方に行き、新聞の一面を瞥見してからレンジの前に戻って、肩をぐるぐる回して肉をほぐしながら加熱を待った。それから交替で牛肉炒めを機械のなかに入れて、おじやを持って卓に就き、食事を始めた。新聞からはまず二面の、香港情勢の記事を読んだ。読みはじめてまもなく電子レンジが停まったので、牛肉炒めを持ってきてそれもつまみながら記事を読み進める。香港理工大学に籠城していた抗議者たちのうち、一〇〇〇人ほどが既に退去したと言う。中高生などの未成年三〇〇人は名前などを登録した上で帰宅し、そのほかの人々は拘束されたとのことで、大学内にはあと数十人が残っているらしい。ものを食べ進めながら次に、国際面からイランのデモ情勢の記事を読んだ。ガソリン値上げに反対して始まったイランの抗議活動だが、こちらでは治安部隊との衝突で一〇〇人以上が死亡したと言う。そこからさらにめくって、張倫という名前だったと思うが、天安門事件に参加した民主派の幹部活動家の一人で、事件後はフランスに亡命して今は大学教授を務めている人へのインタビューを読んだ。そこまで読むと食事も終わったので席を立って台所に行き、食器を洗ったあと風呂場に行って浴槽を擦った。出てくると階段を下り、自室から急須と湯呑みを持ってきて、居間のテーブルの隅で緑茶を用意した。外は陽の澄み通った晴れの日で、太陽が低くなって陽射しが陰らないうちに外の大気と光に触れたいような気もしたが、しかし日記作成の仕事がかなり溜まっているので、そのような余裕はあまりない。緑茶を仕立て、醤油味の煎餅を二袋ポケットに入れて自室に戻ると、一服したあと、一時一一分に達してからこの日の日記をまず書きはじめた。中村佳穂『AINOU』を背景にここまで綴れば一時半。日記は一八日の分から仕上げられずに溜まっている。しかしそれに取り掛かる前に、まずは前日二〇日のことをメモに取っておかなければならないと思うのだが、それだけでかなりの時間が掛かることが予想されるので、全然やる気が起きない。
 やる気が起きない、と書きつけておきながらも、前日のことを大まかに綴りだしたのだが、メモよりは詳細だけれど、正式に書いたと言えるほどには文章が整っていない、といった調子である。そんな具合で記憶を画面上に落として文言を書きつけていると、あっという間に二時間が経ち、三時半を過ぎた。正式な作成ではないものの、二時間も日記にかかずらったのでひとまずこのくらいで良いだろうと中断して、音楽を聞くことにした。
 最初に、Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)。Paul Motianのスネアの刻みは整然一辺倒の単調さでなく、起伏があるのだが、その波の作り方がほかのドラマーと比べるとやはり違うのではないかと思われた。スネアの波の上にハイハットがいくらかランダムな風にして散らされて、また時折り、星屑の集合をイメージさせるような音響のシズルシンバルが乗せられて棚引いていく。適した箇所に適した音を詰めてリズムの線をまっすぐ堅固に充実させるのではなく、一方では気体めいて拡散的であること、また他方では曲線的な波動性がPaul Motianの特徴なのかもしれない。道具がスティックに替わってからは、折々に差しこまれるシンバルアタックの音が、綺麗に澄んでいて耳に残る。Scott LaFaroは、これは彼の得意なフレーズのようだが、フォービートになってからの、頭抜きの引っ掛けるようなシンコペーションに強いドライブ感があって素晴らしい。その後の四つ刻みのラインの作り方も、具体的で細かな点は音を一つ一つ取ってみないと勿論分析できないわけだが、少なくとも聞いている限りでは、音の連ね方、歌い方が特殊であるような感じがする。それからBill Evansのピアノに話を移すと、このライブで演じられる"All Of You"における彼のコードワークはとても独特ではないかという印象を昔から抱いており、僅かな浮遊感を孕んで冷たい白銀色めいたこの精妙な色合いは、ほかの曲やほかのピアニストの作品ではほとんど聞いたことがないような気がするのだが、その内実を調べる能力も、とてもでないがこちらにはないので、誰かハーモニーの分析をしていただきたい。プレイとしては、リズムがフォービートに移行する直前の最後のフレーズ、優しく転がるように階梯を昇っていったあと最高音を柔らかく、ふっと置くその振舞い方が好きである。ピアノソロの後半では、コードの押印が始まってダイナミクスが高まってくるとベースとドラムも即座に合わせに行っているのが聞き取られ、ベースソロ裏のピアノのバッキングも、実に端正で通り一遍でなく、綺麗にまとまっている。
 "Detour Ahead (take 2)"。テーマのあいだはEvansは大人しく振舞っており、それに比して折々に浮上してくるLaFaroの副旋律が耳をくすぐる。ピアノソロに入ればLaFaroは落着くかと思いきやまったくそんなことはなく、ようやくテーマの軛から解放されたと言わんばかりにさらに大胆な上下運動を始め、横に細かく連ねてひらくフレーズアプローチを多く披露し、バラードでもお構いなしといった感じである。ベースソロは短めで、溜めを作ってよく歌っていると思うが、この曲でもやはりバッキングとソロのあいだがそのまま地続きで、ほとんど境がないような印象を受けるものだ。Evansのピアノは、このような愛らしいバラード曲にあってもコードプレイが鮮烈で、一部火花を散らすかのような強靭な叩きぶりの箇所も観察される。Evansは巷間よく「女性的」という形容をもって語られるらしいのだが、こちらが聞く限りではそのような印象は少しも得られない。と言うかそもそも、音楽における「男性的/女性的」というカテゴリ分けの内実自体がこちらにはあまりよくわからず、そうした評価基準を採用するつもりもないのだが、ひとまずそこを措き、「女性的」という言葉が、優しげとか繊細とかいう意味で使われていると捉えるとしても、それはまったく一面的な評価に過ぎない。Bill Evansには確かに一面として、優しく人間的な温かみに溢れる繊細さがある。しかしそれは決して彼の総体的な特徴ではなく、もう一面においてEvansは、先ほども述べたように、場合によっては火花散るさまを思わせるほどに強靭で鮮やかなコードプレイを提示するし、全体的なタッチも、控えめに軽めに弾いている時でさえ個々の発音が明快に粒立っているところを見ても、かなり堅固なものを持っているはずだ。だから、Bill Evansに対する「女性的」という形容は少なくとも確実に一面的な、片手落ちのものだし、仮に「軟弱」というような否定的な意味でその語が使われるのだとしたら、そうした評価はまったく当たらないと思う。また、Evansによく付される形容詞としてもう一つ、「内省的」というものもあると思うのだが、これも自分にはあまりよくわからない言葉だ。知的で怜悧な美しさ、というような意味だと仮に捉えるとして、しかしBill Evansの音楽や演奏が「知的」なのか、こちらにはそれもよくわからない。むしろ、「知的」な反省のようなものは演奏中にほとんど介在していないような印象も受ける。具体的な分析を省いたまったく主観的な感想を許してもらえれば、頭よりも手が先行していると言うか、それは手癖で弾いているという意味ではなく、思考を挟むことなしに手が自ずと導かれ、鳴らすべき音を鳴らすために自動的に動いているかのような、そんな感覚を覚えるのだ。あるいは、「内省的」という言葉を、自分の奏でる音のなかに没入しているさまを表すのだと考えるにしても、確かにEvansの演奏にはそのような没入感はあるものの、プレイヤーの誰もが多かれ少なかれ、自分の奏でる音楽のなかに没入して、言わばゾーンに入るような心境や感覚を持っていなければ、素晴らしい演奏はできないのではないだろうか。それに加えてEvansの場合に特殊なこととして、深く内在的であると同時に、自分の演奏を遥か高みから常に俯瞰しているかのような外在性、超越性のようなものも強く感じられるということがある。そうした内在性と外在性の同居、あるいはそれらがほとんど等しく、同じ様態として融合しているさまこそが、Bill Evansの特異性なのではないかと考えるものである。
 五時を過ぎて、上階へ。食事の支度をするためである。支度と言って、手間の掛かるものを作るのは面倒臭かったし、コンビニで買った冷凍の手羽中があるのを覚えていたので、おかずは一品それを食うことにして、あとは確かやはり冷凍食品の餃子があったはずだから、それを焼けば良いかと独り合点していた。上階に上がってみると、居間に明かりは点いておらず、台所には電気が灯っているものの、母親の姿はない。どうやら外で掃き掃除か何かしているのではないか。焜炉の上には、おそらく前夜に作ったものか、野菜スープが残っていた。冷凍庫から餃子を取り出して開封し、一二個ある餃子を一つずつつまみ上げ、大鍋の隣の焜炉に乗せたフライパンに並べていく。そうして火を点け、蓋をして中火で炙りはじめ、夕刊を取るためにサンダル履きで玄関を抜けると、やはり母親は水場の周りにいて、階段の柵の上に郵便物が置かれてあったのでそれを取って室内に戻る。そうして台所で立ったまま夕刊を広げ、米国のイスラエルの入植容認に対して、国連安保理で各国から非難が出たところが米国はどこ吹く風であるという記事を読み、糞だなと思ったあと、母親が茹でてあった青菜を切っておいてと言うので、絞ってざくざく切断し、プラスチックパックに入れておいた。それから台所を抜けてアイロン掛けを始めた。と言って掛けるのは一枚、自分が前日に着たGLOBAL WORKのカラフルなチェックシャツのみである。小瓶の水を吹きかけながらその皺を処理すると、シャツを持って下階の自室に帰り、収納に掛けておいたあと、コンピューター前に就いてふたたび音楽を聞きはじめた。
 最初に、Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(『Portrait In Jazz』: #2)である。Paul Motianの独自性は、ここではやはりまだほとんど感じられない。テーマのあいだのブラシでのサポートにおいてはハイハットはきちんとキープされているし、スネアの刻み方にも波打つような感覚はなく、整然と揃えられている。インタープレイのあとのピアノソロの裏では、スティックでのシンバルレガートのあいだにところどころ、六一年のMotianらしいようなアクセントの付け方、「間」の感覚が見られないでもないが、それもごく一瞬の、僅かなものである。それはそれとしてしかし、彼のシンバルの響きは締まりながら清く澄んでいて透明度が高く、美しいものだ。Bill Evansのピアノは、これはやはり名演と言ってしまって良いのだろう。かなり気力や体力が充実していないとこういう演奏はできないのではないかと思われ、名演と呼ぶに値する音楽に共通して見られるあの必然性、最初から最後まで流れがまったく途切れない緊密な持続の感覚があり、澄み渡った集中力が全篇に満ち渡っているように感じられる。この強靭なビートと、豊かに霊妙に湧き上がる流麗なフレーズの連なりのなかにいつまでも囚われていたいような思いを禁じ得ないものだ。
 次に三曲目、"Autumn Leaves (take 2)"である。Evansのピアノソロは一聴した限りでは、テイク一と甲乙つけがたい出来だが、テイク二のモノラル録音よりもステレオ録音のテイク一の方が、細部のニュアンスまで綿密に聞き取れたような気がする。テイク二の方はダイナミクスがちょっと聞き分けづらいような感じがあり、そのせいで、単音のフレーズを連ねている段階ではテイク一の方がより明快に、自信に満ちて歌い上げていたような印象を覚えるが、コードプレイの部分ではテイク二の方が盛り上がっているようにも感じられる。とは言え、このテイクでは、Scott LaFaroのベースが主要な聞き物なのだろう。テーマの裏からして、かなり細かく音を詰めながら我が物顔で動き回っており、インタープレイもリズムがかっちりと嵌まりきっていない部分があるようだが、それがかえってスリリングである。フォービートは全体的にわりとコードに合わせたプレイをしているように思われるものの、高音部に浮上してくると、やはりちょっと独特な旋律感が出てくるような感じがする――きちんと音を取って分析してみなければ、確かな印象かどうかわからないが。
 次は順当に四曲目、"Witchcraft"である。LaFaroが乗りに乗っている演奏で、テーマ部分だけでも、滑らかな上昇、ほとんどソロのような副旋律的フレーズ、二拍三連の繰り返し、フォービートと手数が多く、幅広く多彩なアプローチを取っている。ベースソロもかなり速いフレーズを多く織り混ぜて活気づいており、このアルバムにおいてはこの一曲が、LaFaroの力が最も存分に発揮されているテイクなのではないか。Bill Evansもいつものことながらとても流麗で、ピアノソロの後半ではLaFaroも彼に譲ったということなのか、基本的なフォービートに移行して落着いている。ただ、滔々と溢れ出るフレーズの潤沢さと持続の緊密さという点では、やはり"Autumn Leaves"の方が幾分優るか。ベースソロの終盤からEvansが少々絡みはじめて、そのままいつの間にかといった感じでピアノソロに戻るのだが、そのような展開や、LaFaroがリズム的に遊んでいる部分でのやりとりを聞いてみても、息がぴったり合っているという協調感を強く感じるものだ。
 そうして、五曲目、"When I Fall In Love"。これもEvansの独壇場と言うか、彼の美的センスが十全に発揮されて相当な高みに位置しているバラード演奏だろう。テーマ部のピアノは音数少なめに間を大きく空けて抑制的な音使いをしていながら、しかし一音一音の発音はとても明晰で密度高く、力強い。ソロに入るといくらか動きが大きくなって、途中、流線型を思わせるような緩くうねる形の、息を長めに取った速弾きの連なりが聞かれるが、これがとても効果的で、嫌味なく演奏を締めて聴者の意識をぐっと惹きつけてくれる。全体的にとても美しく、芳醇な演奏になっている。
 それで六時半を過ぎると、もう腹が減っていたので食事を取りに行くことにした。階を上がり、冷凍の手羽中を温めたあと、母親が料理教室で作ってきた焼きうどん風の料理や餃子も電子レンジで熱し、そのほか大盛りの米や野菜スープや、昆布と野菜を混ぜたサラダや青菜を卓に運んだ。それで新聞から、英国の総選挙で保守党が優勢の見通しとの報を読みながらものを食べ、平らげると食器を洗って風呂に行った。湯に浸かりはじめたのは七時一〇分だった。安穏とした温かさの湯に入っていても、空気のなかに露出した肩から上に、少々涼しさの強い季節になってきた。瞑目して瞑想めいた時間を過ごしているうちに、意識を落とすほどではないが、ちょっと眠りのような感覚が眼裏に混ざりはじめて、思考は散漫に解体していったようだった。湯に入ってから三〇分経って、七時四〇分になったあたりで身体を起こし、洗い場に出て頭と身体を洗うと、風呂を上がった。
 緑茶を用意して部屋に戻ってくると、入浴の終盤で思いついた短歌一首、「夜明け前悲観と楽観止揚して欠伸混じりの諦観に至る」というものをTwitterに投稿しておき、それから一服しながらだらだらと過ごして、(……)八時四九分から読み物に入った。一年前の日記は見てみると何の記述も引用もなかったので飛ばし、二〇一四年二月二七日の何ということもない記事を読んだあと、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログとそれぞれ通過し、さらに英語のリーディングに取り掛かってBrad Evans and Richard J. Bernstein, "The Intellectual Life of Violence"(https://www.nytimes.com/2017/01/26/opinion/the-intellectual-life-of-violence.html)を読んだ。この記事は、冒頭に付されているパウル・クレーの"Twittering Machine"に見覚えがあり、内容にちょっと触れてみても少し前に一度読んだ覚えがあったのだが、同じ文を二度読んでも勉強になろうということで気にせずふたたび読み通した。

・wretched: 哀れな、不幸な; 悲惨な
・poignantly: 痛烈に、身を切るように
・invidious: 不愉快な
・improvidence: 将来を見通さないこと; 性急、軽率

 その次に、「福祉政治史から考える、行き詰まった日本に残された選択肢 『福祉政治史』 田中拓道教授インタビュー」(https://wedge.ismedia.jp/articles/-/11073)、ビヨン・アンダーソン「高齢化問題解決のカギを握るジェンダー平等の視点」(https://webronza.asahi.com/politics/articles/2019101100007.html)とそれぞれ短い記事をさっと読んで時刻は一〇時前、前日の日記をふたたび書きはじめた。書くと言ってやはり正式なものでなく、詳しめのメモといった調子だが、三〇分ほどでこの日のことは大方浚い終わって、あとはファミレスで過ごした時間のことを思い出せば良い。それで二〇日の分はこれくらいで良いだろうと判断し、この日の記述に移って、音楽の感想は飛ばして生活を綴ると、これで一一時を目前としている。
 ふたたび音楽鑑賞に入った。井上陽介『GOOD TIME』を聞いてみることにして、冒頭のタイトル曲、"Good Time"をまず流した。ギターが主旋律を奏でるテーマメロディがKenny Burrellを思わせるブルージーな曲で、『Midnight Blue』を思い起こさせる雰囲気がないでもない。ギターは荻原亮という人だが、トラッドでブルージーな風味を基調としながらも、それだけに終わらず、速弾きもしつつ、リズム的にも遊びを入れて、それほど長くないソロに上手く仕掛けを織り混ぜている印象である。秋田慎治のピアノソロに移るとブルース風の泥臭さはやや薄れて、都会的な色合いが出てきたようだ。井上陽介のベースソロは途中でHorace Silverの"Sister Sadie"の引用も盛りこみながらかなりの速弾きを含んでいて、これほど速く正確に弾けるのは端的に見事で、日本のジャズの第一線で活躍しているプレイヤーの面目躍如といったところだが、フレーズが細かくなるとどうしても音量が減じてしまい、聞き取りにくくはなるものだ。やはりChristian McBrideのようには行かない。ドラムの江藤良人は、Herlin RileyとかWinard Harperとか、Carl Allenとかあのあたりの、伝統的でスウィンギーなスタイルを基本的に引き継ぎながら発展させて現代に伝えている人々と同じような系統なのではないだろうか。スネアのフィルインが細かく粒立って小気味良い感じの、あのスタイルである。
 二曲目は"Feel Like Making Love"。気持ちは良い演奏だ。しかしこの、幾分キャッチーな色のあるソウルフルさ、というようなサウンドの路線で行くのなら、この曲に関してはMarlena Shawの金字塔的なバージョンがあるわけで、それと比べるとやや分が悪いのではないかとも思われる。もっと大胆なアレンジをしなければ、穏和に快適にくつろいだ、relaxableな演奏以上のものにはならないのではないかということだ。実際、ピアノソロは無闇に走らず落着いたくつろぎを表現することに注力している――後半の高音部での歌い方はなかなか良くて、単なる快適さから一歩出たような感覚があったが。ギターも悪くなく、一定以上のパフォーマンスは聞かせてくれるものの、少なくとも一聴の限りでは、際立って印象深く惹きつけられる場面はなかったようだ。バースチェンジによるベースとドラムのソロも、可もなく不可もなくといったところだろう。
 そういうわけで次に、Marlena Shaw『Who Is This Bitch, Anyway?』から、同じく"Feel Like Makin' Love"を聞いた。このメロウさはやはり凄い。中盤まではドラム(Harvey Mason)もベース(Chuck Raney)も取り立てて難しいことはやっていないと思うのだが、リズムがとにかく気持ち良い。また、誰もが触れていることなので今更言うまでもないのだけれど、これは美味なギターフレーズの宝庫のような曲であり、左側でやや旋律めいたフレーズを奏でている方が多分David T. Walkerだと思うのだが、艷やかで肌触り滑らかなその歌いぶりはやはり特筆物だと言わざるを得ないだろう。
 音楽を聞いたのち、一時から夏目漱石草枕』を読み出して、三時直前に就床した。


・作文
 13:11 - 13:30 = 19分(21日)
 13:30 - 15:39 = 2時間9分(20日
 21:48 - 22:23 = 35分(20日
 22:24 - 22:54 = 30分(21日)
 計: 3時間33分

・読書
 20:49 - 21:09 = 20分
 21:11 - 21:34 = 23分
 21:35 - 21:48 = 13分
 22:58 - 23:58 = 1時間
 25:01 - 26:54 = 1時間53分
 計: 3時間49分

・睡眠
 2:00 - 11:50 = 9時間50分

・音楽

  • 中村佳穂『AINOU』
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(×3), "Detour Ahead (take 2)"(×2)(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, #1)
  • Bill Evans Trio, "Autumn Leaves (take 1)"(×2), "Autumn Leaves (take 2)"(×2), "Witchcraft"(×2), "When I Fall In Love"(『Portrait In Jazz』: #2, #3, #4, #5)
  • syrup16g, "I.N.M"
  • 井上陽介, "Good Time"(×2), "Feel Like Makin' Love"(『GOOD TIME』: #1, #2)
  • Marlena Shaw, "Feel Like Makin' Love"(『Who Is This Bitch, Anyway?』: #5)