2019/11/22, Fri.

 (……)ヘスの自伝が明らかにしているのは、大量虐殺の技術を発明し遂行したのは、荒廃し堕落した何らかの人間のくずなのではなく、野心的で、責任感が強く、権威を盲信する、すまし顔の小市民的な俗物たちだったということである。彼らは、無批判に服従するよう教育を受け、批判精神も想像力もなく、何十万という人間の「抹殺・粛正」こそが民族と祖国のための職務だと、誠心誠意自らそう信じ、あるいは信じ込まされたのである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、37; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 九時頃から覚めて、昨夜は三時に床に就いたから睡眠は六時間、なかなか良い具合ではないかと思っていたところが、例によって身体を起こすに至らず、一〇時にも至って七時間だからここで起きれば悪くはないなと収めたものの、目はひらいていてもやはり起きられないままに時間が順次流れていって、結局一一時半に起床したから睡眠時間は八時間三〇分、いつもと同じ調子である。ベッドを抜けるとコンピューターを起動させ、各種ソフトを立ち上げて、TwitterやLINEなどを覗いておいたあと、ダウンベストを羽織って上階に行き、炬燵に入りながら食事を取っている母親に挨拶をした。彼女は今日は仕事で、もうそろそろ出なければならないと言う。こちらは便所に行って腹のなかを軽くし、寝間着からジャージに着替えたあと、それから台所で大鍋のうどんを丼に盛り、昨晩の餃子が二つ残っていると言うので、それも冷蔵庫から出して電子レンジで加熱した。そうして卓に就き、新聞から台湾総統選の情勢を確認しつつものを食って、母親の使った分もまとめて皿を洗うと、風呂場に行った。磨りガラスの向こうの色は、雨降りなのでいくらか鈍く、くすんでいる。浴槽をブラシで擦って汚れや水垢を落とし、流して出てくると自室に帰って、前日の日課記録を付けたりこの日の記事を作成したあとに急須と湯呑みを持って居間に上がれば、母親は既に発ったあとだった。緑茶を仕立てて下階の自室に戻り、一服飲みながら(……)。その後、cero "Yellow Magus (Obscure)"を流して歌い、この日の日記を書きはじめて、一〇分でここまで記せば一時六分を迎えている。
 だらだらしたあと、一時四七分からふたたび日記に取り掛かり、一八日の分を進めて、一時間一五分で仕上げて投稿した。それから、座ったままの姿勢で打鍵を続けていたためだろう、身体がこごっていたので肉体をほぐすことにして、the pillows『Once upon a time in the pillows』を流し、歌を歌いながらゆっくりと屈伸を繰り返した。それから前後に開脚し、次いで左右に移して、また背伸びをして腰をひねり、後ろに両腕を伸ばして肩甲骨周りを柔らかくしたあと、また左右の開脚に立ち戻った。腰を沈めると自然と肩も上がって、そうすると首から喉の周りがほぐれるようで声も出やすくなる。四曲目、"Thank you, my twilight"の途中で運動を止めて歌に傾注し、"その未来は今"、"I know you"と歌ったあとに、最後に"Funny Bunny"を口ずさんだ。
 それで四時前に至っていただろうか。食事を取るために上階に行き、残っていたうどんを温めるとともに、他方で卵とハムを焼いた。うどんを丼に注ぎこみ、さらにもう一つ丼を用意して米を盛り、ハムエッグをその上に取り出すと卓へ移動して、ものを食べながら新聞を読んだ。米国の香港関連法案についての記事があった。ドナルド・トランプが署名するかどうかが分かれ目であり、署名がなされて成立したら、中国は米国に何か対抗措置を取るだろうとのことだった。食事を終えると下階に戻り、四時半前から一九日の日記に取り掛かって、五時まで作成を続けた。その後、緑茶を用意してきて一服したあと、五時半から歯磨きを行い、同時に読み物に触れた。いつもの通り、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログという順番である。それに三〇分ほど費やし、それから仕事着に着替えた。淡い青のシャツにスーツは紺色のものを合わせ、ネクタイも濃い目の水色のものを選んで青系統の色で装いを統一した。着替えのあいだ、音楽はまたthe pillowsの、"Ladybird girl"などを流しており、歌いながら格好を整えたあと、上階へ行って靴下を履き、便所で排便してきてから戻って音楽鑑賞に入った。と言って時刻は既に六時半、電車は五九分だったのでメモを取る時間も合わせれば聞けて一曲である。そういうわけで常のごとく、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から"All Of You (take 1)"を聞いた。何度聞いても凄い音楽である。今更言うまでもないことだがリズム隊が凡百のものでなく、融合して一体となり分厚く堅固なビートを構築するというよりは、拡散的に絡み合って空間に網の目を掛けるような感覚があるようで、この時の聴取ではその質感がいつになく迫ってくるような気がした。ドラムがスティックに持ち替えてまだまもない段階では、LaFaroの得意技、頭を八分音符一つ分抜いて引っ掛けるような感覚をもたらすシンコペーションが多く観察されるが、この技を見せる時に彼が生み出すグルーヴ感のようなものは本当に凄まじい。非常に重々しく這っていながらも、なおかつ機動的に、前へ前へぐいぐいと進んでいくような、牽引していくようなドライブ感がある。また、このテイクでのMotianのドラムソロには、これを感じるのはあるいは自分だけかもしれないが、その裏にコード進行やメロディが不思議と幻影的に聞こえてくるような、歌の感覚が織り混ぜられているように思う。もっとこの素晴らしい演奏の内部に入りこみ、主体を溶解させて音楽と同一化し、主客が完全に溶け合った一致感に至りたいのだが、そのためには呼吸の動き、それに応じて生まれる肉体の僅かな膨らみと萎みの感覚がいかにも邪魔臭い。
 その後、出発した。玄関を出ると雨が結構な降りである。黒傘をひらきポストへ向かうと、何か荷物が入っている。濡れたのを引っ張り出して玄関内へ運んで確認すると、両親宛ての荷物が一つずつ届いており、父親のものはAmazonの包みで、母親のものはおそらくメルカリで何か買ったものだろうか。台の上に置いておき、出勤に出て道に入ると、空気はさすがになかなか冷たい。歩き出してまもなく横に車が来たので何かと思えば母親のものだった。助手席を開けて声を通そうとすると送ってくよと言うので、いいよと断り、何でと追及されるのには、まだ早いからと答えたが、本当は、寒くとも外気に触れて歩きたいというのが理由だった。それで母親と別れて歩を進めると、路面には黒々と深淵じみた水溜まりが広くひらいていて、その上に雨粒が落ちるさまが浮かび上がって見える。さらにもう少し進めば、一面濡れて沈みこむようになったアスファルトの上に街灯の光が朧月めいて、形を崩しながら映りこんでいた。一軒の車庫の前に来ると、屋根を叩く雨のサー……という響きが内部の空間に反響し、それが背後から車が濡れた路面を滑ってくる音と紛らわしく、一瞬警戒の頭が働くのだが、しかしライトが渡ってこないので雨の響きだとわかるのだった。木の間の坂に入って上るあいだ、脇の林から突き出した葉っぱの影が傘の表面に映りこみ、黒い布の上をさらに一層黒い姿が歩みに応じてするすると流れていくその影絵が、何だか定かな意味や形象を成さない舞台劇のように見える。道はところによっては足の踏み場もないほどに落葉で埋まっていた。
 駅前にも赤褐色の楓の葉が結構散らばっている。傘をばたばた開閉させたり、振ったりしながら階段通路を行き、ホームに入ったが、傘で手が塞がっているので手帳を持ってメモを取ることができず諦め、まもなくやって来た電車に乗ってからも、扉際で目を瞑って到着を待った。青梅に着くと降りてホームを、次いで壁の配線と蛍光灯のあいだに埃が溜まった階段通路を行く。すれ違う人々はコートを着込んでいたり、手袋やマフラーをつけていたりともう冬の様相だが、こちらの感覚としてはまだベストとジャケットを着ていれば充分だ。駅を出ると職場に向かい、傘をばたばたとやってからなかに入った。
 今日は授業ではなくて、新人の(……)さんの研修相手をするために呼ばれたのだった。必要な教材などを用意したあと、奥のスペースに行って手帳にメモを取っていると(……)さんがやって来たので、お疲れさまですと笑いながら挨拶をし、彼女の身支度が整ったのを見計らって立ち上がり、今日はよろしくお願いしますと言った。ちょうど授業開始のチャイムが鳴ったので、とりあえず授業前の流れを確認しましょうかということで入口の方に行き、挨拶をしながら入ってきたらカードを押して、座席表で今日当たる生徒を確認する、それから棚のボードを確認して単元管理表などを取らなければならない、室長が配ってほしいプリントがあればそれもここに挟まっている、などと説明した。その後、今度は授業本篇の流れである。室長からは生徒役と講師役を入れ替えてやるようにと言われていたが、彼女は元々この教室の生徒だったので、生徒役の方は今さらやってもらうこともなかろうと判断し、こちらが生徒の立場に就きながら適宜指示をして、授業の流れを追っていく形にした。例として取り上げたのは中三生の英語の授業である。一応マニュアルを記したプリントも配布して、ただ説明するだけでなく、まず最初にどうします、じゃあ次はどうします、などと、場面場面でどう行動すれば良いのか訊き、相手が示した答えに応じて時折りアドバイスも加えながら、模擬授業を進めていった。こうして説明してみると、講師の仕事と一口で言っても結構やることがあるもので、(……)さんは、こんなに色々やるとは思わなかった、一人相手でもこれなのに、三人相手なんてできる気がしないと漏らしてみせたので、一か月やれば慣れるよと励ました。その他授業中の具体的な事柄についてもいくらか助言して、それで結構ちょうどよく確認の終わりと授業の終わりが同期したので、じゃあ生徒の見送りをしましょうかと言って一緒に入口の方に行き、帰っていく子供たちにさよならと声を掛けた。それから(……)先生も交えて、色々やることがあって意外と忙しいですね、などとちょっと話したあとに、授業後の流れを確認することになったが、その前に挨拶しておくかと言って、(……)先生と(……)先生に彼女を引き会わせた。挨拶が済むと奥のスペースに戻り、片づけの仕方などを確認し、その途中でコピー機を使って実際に必要なプリントを複製してもらったりもした。教材も棚に戻してもらってこれで仕事は完了なのだが、室長が面談中だったところ、次の出勤を聞いていない(……)さんは終わるまで待つと言うので、こちらも付き合うことにした。その際、彼女のメールが教室のアドレスに届かないという事態が発覚したので、こちらがコンピューターの前に就きながら諸々試してもらった結果、最終的に一応経路を繋げることができた。その頃になっても室長の面談は終わっていなかったので、デスクを離れて教室のちょっと奥に行き、雑談をしながら待った。(……)さんは(……)大学の二年、学部は法学部だと言う。何故法学部を選んだのかと訊けば、中三の時からもうずっと法学部に行こうと考えていたのだと言い、それは当時の社会の先生の授業が面白く、公民が好きだったからだということだった。彼女の学校は中高一貫で、その先生は高校の現代社会の担当でもあったので、高校時代の授業もやはり面白くて、ずっとそうした興味は消えなかったらしい。それで法学部に行って今は憲法を読んだりしていると言うのだが、珍しいかもしれないねと向けると、珍しいです、歴史好きは結構いるんですけど、憲法好きとかっていう人は全然いなくて、周りからも頭おかしいって言われますと笑ってみせるので、いや、素晴らしいことですよ、深い興味の対象があるっていうことは、とこちらは称賛した。とは言え、実際に法学部に入って憲法学を勉強してみると、思ったよりも難しくて、こんなに深く掘り下げなくても良かったかもなとちょっと後悔しているようなことも言っていた。
 そんな話をしているうちに室長が一時面談室から出てきて、また連絡するので今日は帰ってもらって大丈夫ですと言うので、受信トレイの一番上にメールが来ている、そのアドレスに送れば多分連絡できると思うと伝えておき、(……)さんと揃って出口に向かった。今日はありがとうございました、お疲れさまでしたと挨拶をして、先に出ていった彼女が、最後にもう一度礼を向けてくるのにも会釈で答えて、こちらも職場をあとにした。雨は相変わらず降り続けていた。駅に入る前にコンビニに行き、冷凍食品などを買って帰ることにした。入店すると籠を持ち、ポテトチップスや冷凍食品やカップ麺を入れてレジに向かうと、若い男の店員と頭のだいぶ禿げた年嵩の男性店員が談笑していた。若い男性店員の方に品を持っていき、箸は何膳つけるかと訊かれたのには、いや、大丈夫ですと断り、温めますかとの問いにもいや、いいですと、同じような言葉を続けて返すのにちょっと躊躇いながら否定して、一五五三円を支払い、礼を言って店を出た。
 駅へ入ると、電車を降りてきた人々の波とすれ違い、手に提げたものを身体の後ろにやりながら通路の端を通っていく。上がってベンチに就くと、電車は遅れているらしかった。何だかんだで喉が渇いていたので、例によってコーラを飲むことにして、荷物をベンチに置いたまま立ち上がり、自販機で二八〇ミリリットルだかのペットボトルを買って戻った。座って脚を組んだ姿勢で飲んでいると、空の胃に炭酸が入ったためだろう、圧迫感が上ってくるような感じがあってちょっと苦しくなったものの、それでも飲み干して、するとちょうど奥多摩行きが来るというアナウンスが入ったので立ち上がり、乗り場で待って来た電車に乗りこんだ。三人掛けに座ろうとすると、誰かが放置していったカフェオレか何かのペットボトルが座席の上に転がっていたので、手に取ってボタンを押して扉をひらき、外に出ながら閉じる方のボタンを押してすぐに閉めておき、わざわざダストボックスに捨てに行ったあと、戻ってふたたびボタンを押して乗り、周りの人に配慮してすぐにまた閉じるボタンを押して、そうして席に就いた。荷物は隣の席の上に置かせてもらい、それでメモを取った。電車は二〇分ほど遅れていた。向かいの女性は電話を掛けて、近くを通るようだったら拾ってもらおうかと思ったんだけど、などと話していた。こちらは遅れが発生しても一向に構わない。それだけ日記のためにメモを綴る時間が増えるからだ。
 書き物をしているうちに、遅れてきた電車からの乗換え客が多数移ってきて発車した。最寄りに着くと降り、傘をひらく。バッグとコンビニのビニール袋を手に低く提げ、もう片方の手で傘を持って駅舎を出ると、足もとには褐色の紅葉がたくさん散っているのだが、見上げても暗闇のなかに赤の色味は見られない。通りを渡って坂道に入ると、この雨でまた葉が散らされたようで、赤味がかった茶色の葉が夥しく転がっているなかに、微かな黄緑の色が滲む地帯があったのは、黄色っぽい葉が街灯の光を受けてそんな色味を洩らしたようだった。葉っぱの群れを踏み越えていき平ら道に出ると、今度は路面はほとんど一面滑らかな黒に塗り尽くされていて、そのなかを割って街灯の光が一本、輪郭を曖昧に撓め波打たせながら通っている。行きと同じ水溜まりで同じ波紋の重なり合いに出会い、同じ雨線の毛羽立ちを見た。
 帰宅して居間に入ると父親がいた。母親は風呂に入っているらしい。買ってきたものを冷蔵庫や戸棚に収めたあと、ポテトチップスだけ持って下階へ行き、自室に入るとコンピューターのスイッチを押して、ハンカチで押さえるようにしてスーツの水気を拭った。スラックスの裾も拭いたあと、ジャージ姿になって食事へ、メインのメニューは菜っ葉や鮭の混ざったおじやである。それを温めているあいだ、胡瓜の挿入された竹輪を立ったまま食べてしまい、そのほか何なのかわからなかったが薄緑色の、胡麻の挟まった細い棒状の小品もあったのでつまんでみると、ぴりりと辛味が香った。あとで訊けば、山葵のつまみだと言う。おじやのほか、温野菜と魚肉ソーセージを炒めたものを運んで席に就くと、テレビは『ドキュメント72時間』を放映しており、この日取り上げられていたのはウェディングフォトを撮るスタジオのようなところだった。父親はまたいちいち独り言を呟いてテレビの内容に反応しており、この番組自体は悪くないものだと思うのだが、そうした父親の楽しみ方が端から見ていると鬱陶しくて仕方がなく、何故副音声のように彼のコメントを終始聞かなければならないのか、黙って見れば良いのにと思う。それで夕刊に目を向け、イスラエルベンヤミン・ネタニヤフ首相が起訴される見通しであるとの記事を読みながらものを食っていると名を呼ばれ、見れば父親が何やらやたらとにこにこしている。何かと思えば、お前もああいう、「小さなウェディングストーリー」を持ってこい、と言ってきた。「小さなウェディングストーリー」というのは、テレビ画面の右上にテロップとして付されていた紹介文のなかに使われていた文言なのだが、まったくもって、やれやれ、一体何を言っているんだこいつは、と呆れざるを得ない。無理だなと端的にこちらは受けて、そういうのは天の配剤だから、とはぐらかした。最近では数年前よりも孤独志向もなくなったし、相性の良い人があれば生活を共有し人生を共に過ごすというのも悪くはなかろうと思わないでもないが、自ら積極的にそういう相手を見つけようというほどの気概はなく、すべて受動的に、成り行きに任せることにしている。そうしたこちらの方針はともかくとしても、いかにも結婚というものを小市民的幸福として称揚するかのような父親の雰囲気、要するに出来合いの物語の臭いと、それへの無抵抗ぶりをこちらにまで波及させようとする気配に辟易するものだった。その後皿を洗って風呂に向かったが、実際父親は、挙式を上げて家族に手紙を読むカップルが映るのを目にして、感極まったようなうなりを漏らしており、そのような空気の空間からは勿論さっさと離脱したかったので、こちらは速やかに洗面所の扉を閉めて鼻につく臭いをシャットアウトし、入浴した。物語への免疫のなさ、とMさんがよく言うものだが、免疫がないどころか、まったく無抵抗に、至極ありきたりの物語とむしろ積極的に進んで同一化し、それを自らの快楽のなかに巻きこもうとする、この少しも締まりのない消費の態度は、一体何なのだろうと思った。まったくもって、品のないものだ。別にありふれた物語を楽しむなら楽しむで良いのだけれど、もう少し楽しみ方があるだろうと思うもので、物凄く安易な感情の波にほとんど自殺的に呑まれにいく、批評精神の微塵もないこうした態度には危うさを覚えざるを得ない。俗情の全体主義だ。
 湯のなかで目を瞑っているうちにそうしたことも忘れ、色々なことを散漫に思い巡らせ、最後の方では短歌もちょっと考えた。風呂に浸かりはじめたのは一一時一〇分だった。出たのは四〇分かそこらである。緑茶を用意して塒に帰り、買ってきたポテトチップスを食いながら、また茶を胃の腑に染み渡らせながら夏目漱石草枕』を読んだ。短歌は、昼間に作ったものも含めてこの日は三つ、拵えた。

 忘れっぽい天使はさみしげ霧雨に守られた先で君を待ってる
 深夜二時バックビートに乗っかって君と交わる白痴のごとく
 気狂いと酒杯を交わし契る夜これで私も民衆の敵

 三〇分間読書をして零時二〇分に至るとこの日のことをメモ書きしはじめ、現在時まで追いつくともう一時前に達していた。毎日、読み書きを最低でもそれぞれ三時間ずつ、合わせて六時間くらいは行いたいが、なかなかそう上手く行かないものだ。
 それから音楽を聞きはじめた。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』から、"Gloria's Step (take 3)"である。このテイクではとにかくLaFaroの威勢が甚だしくて、溢れ出る活力を制御できないでいるような、まるで自棄糞になっているかのような多動ぶりである。冒頭のテーマの裏からして、演奏が始まって即座に四音単位のフレーズを三連符で繰り返してぐいぐいと攻めているし、バッキングのあいだには一箇所――ちなみにソロのあいだにも一箇所あったが――三連符を越えて一六分音符を連打しているところもあって、そうしたほとんど痙攣的と言いたいような執拗な振舞いは、いくらか気狂いじみている。Scott LaFaro個人のプレイを見れば、このテイクが多分このライブのなかで一番過激なのではないか。整然とした統一を作る気持ちが端からないような尖り方で、おそらくあと少し踏みこめば音楽的調和は破壊されてしまうだろうと思わせるほど、ベースの存在感が畸形的に膨張しているのだが、ピアノを中心として聞いてみると、アンサンブル全体としてはむしろ締まっている感じもあって不思議である。
 次に、井上陽介『GOOD TIME』から二曲目の、"Feel Like Making Love"。ベースがリーダーの作品だけれど、俺が俺がという感じでなく、録音やサウンドバランスの点から見てもちょっとベースが控えめすぎるかと思えるほどである。この曲を聞くのは二回目で、先日一度目を聞いた際には、くつろいだrelaxableなジャズ以上のものにはならないのではないかと記したが、今回聞いてみると、ギターソロがなかなかよく歌っているように思われた。たださすがに睡気のために折々に聴取が乱れて正確に聞き取ることができなかったので、正式な鑑賞は翌日以降ということになる。
 音楽を聞いたあとは二時前から書見をして、三時半に至って就床した。


・作文
 12:56 - 13:06 = 10分(22日)
 13:47 - 15:02 = 1時間15分(18日)
 16:28 - 17:00 = 32分(19日)
 24:22 - 24:52 = 30分(22日)
 計: 2時間27分

・読書
 17:32 - 18:03 = 31分
 23:49 - 24:20 = 31分
 25:56 - 26:13 = 17分
 26:33 - 27:29 = 56分
 計: 2時間15分

  • 2014/2/28, Fri.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 10月28日(月)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-16「値のついた象牙のような虚しさを霊安室で抱きしめる春」
  • 夏目漱石草枕』: 88 - 122

・睡眠
 3:00 - 11:30 = 8時間30分

・音楽