2019/11/24, Sun.

 (……)こうした関連からいうと、彼の投げかけた問題、つまり、彼が部隊の戦友愛のなかでつねに快く感じられたのはなぜか、という問いは特徴的である。一定の種類の内攻的な一匹狼性とはまさに一つの大衆的病患をあらわすものであること、彼の自伝で見うけられるような、彼の「内面性」、おぼれこむような動物愛、等々は要するに、ふつうの人間関係に対する断念、そして、個人として他の個人との接触を見出せないことの埋め合わせであるにすぎないこと、そのことをヘスは理解していない。男子共同体の絶対化された戦友愛も、ヘスにとっては明らかにそのような代替機能をもっていた。戦友愛とは、それの肯定的な側面はさておいて、まさにパートナーの人格的・個人的なものに基づくのではなく、グループの所与の状況、その時どきの「配置」によって規定され、「そこに属する」者には全員に無差別にそれが承認されること、これが戦友愛の本質となっている。戦友愛とは掟であり、義務であり、求められるのは相手の独特なるもの・個人的なるものにかかわることではなく、友情とは逆に個人の貌[かお]はぬきにして重んじられるものなのである。ヘスにとっては、部隊にしろ、義勇軍にしろ、SSにしろ、何らかの男性の戦友愛に帰属することが彼の生活形態となっており、そうした帰属は、第一次大戦後に家族および市民的世界から根を絶たれたことで助長されるのではあるが、そうした帰属感はまた、当然のことながら、他の個々人の中での自己責任ある個人という市民的存在からの逃避と解釈することもできるだろう。この点でも、ここには、単なる個人的運命以上のものが語られている。これと密接にかかわりがあるのは、ヘスが、きびしい義務と階層的に秩序づけられた関係の世界の中でのみ生きえた、という事実である。そこは彼のフィールドであり、そこでなら彼も勝手がわかるし、自分の値打ちもしめすことができた。その場合、かかわっているのが戦線の部隊であるか、義勇軍であるか、刑務所であるか、そして最後にSSの「騎士団」であるか、ということは、単なる形式的な違いでしかない。ヘスは、パレスティナ戦線の塹壕の中でも、ブランデンブルク刑務所の住人としても、その後の強制収容所のブロック隊長あるいは所長としても、同じように模範的であり、義務感にあふれている。彼はいつでも、何らかの権威の職務に熱心な実行機関なのである。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、45~47; マルティーン・ブローシャート「序文」)


 一二時五分まで寝過ごす。睡眠時間は九時間。さすがにどうも、長過ぎる。睡眠という天敵に敗北し続ける人生である。ベッドから離脱するとコンピューターを点け、各種ソフトを立ち上げておいてから上階に行った。母親に挨拶。寝間着を脱いでジャージに着替え、トイレに行って糞を垂れ、腹のなかを幾分か軽くした。食事はフライパンに中華丼の素で和えた野菜炒めが拵えてあった。それを皿うどんの麺に掛けて食っても良いし、ちゃんぽんの麺を茹でてそれに乗せても良いし、米と一緒に食べても良いとのことで、丼の米に乗せて食うのが最も簡便だと思われたのでそのようにした。ほか、白菜の味噌汁の余りを椀に注ぎ、卓に行って食事を取りはじめる。新聞からは書評面を少々読みながら、炒められた野菜とともに米を食い、味噌汁も飲んで完食すると、早々と皿を洗ってそのまま風呂場に行った。洗濯機に繋がった汲み上げポンプをバケツに収め、栓を抜いて水が流れ出ていくのを待ちつつ、浴槽の、水が届かず露出している部分を擦っていく。残り水がなくなるとなかに入りこんで、四囲の壁や足もとを隈なく洗い、シャワーで洗剤を流して出てくるとさっさと下階に戻った。前日の日課記録を完成させ、この日の記事も作成し、インターネット各所をちょっと見て回ったあと、速やかに日記を書き出して、ここまで綴れば一時前。
 続けてまず、前日の記憶を文章に落としておくことにした。それで二三日の記事を、音楽の感想は後日正式に綴ることにして省き、それ以外の部分だけ記述して一時一二分、さらに二〇日の記事をメモに従って三〇分ほど進めたのち、出掛ける準備を始めた。まずは歯磨きである。洗面所に行って、歯磨き粉を乗せた歯ブラシを口に突っこんで戻ってきて、口内をしゃこしゃこ掃除しながら過去の日記や、fuzkueの「読書日記」や、Mさんのブログを読んだ。それから、出掛けるのは三時頃になってからにするかと気を変えて、二〇日の日記を書き進めたのだが、やはり早めに出掛けてしまおうと再度気を変えて一三分で中断し、the pillows "New Animal"を流して声を出しながら服を着替えた。ジャージを脱いでベッドの上に畳んで置いておき、収納から青灰色のズボンを取り出して履いたが、白いシャツが見当たらなかったので、肌着の黒いシャツをズボンのなかに入れた野暮ったい格好で上階に行った。先に洗面所に入って伸ばし放題だった髭を剃り、それから居間でシャツを探していると母親が、白いやつはお祖母ちゃんの部屋にあると教えてくれたので連れ立ってそちらに行き、母親が取ってくれたものを受け取って身につけた。そうして下階に戻るとリュックサックに本とCD合わせて七点を収め、紺色のジャケットを羽織って階を上がり、両親に行ってくると告げて玄関に行き、まろやかな褐色の靴を履いて姿見に向かい合うと、今日着ている肌着は首元まで高く覆うもので、シャツの隙間から黒い布が見えて凄くダサかったので、第一ボタンを留めて肌着を隠した。そうして出発、正午過ぎまで眠りこけていたのでいつ降ったのか知らないが、雨が通ったらしく路上は濡れていた。自宅近くの楓は目覚ましいような紅の色を強く鮮やかに湛えており、枝葉の裾には薄緑やオレンジ色もまだ残っている。柔らかく肌に馴染む空気のなかを歩いて坂道に入ると、眼下に黄色く染まった銀杏の樹が現れ、さらにその先に、老いてまろやかな緑を満たした川が見えて、前景の黄色と背景の緑の取り合わせがなかなか良いなと思われた。川沿いにはほかに、超常的に巨大な画家の手によって人工的に塗り作られたように、オレンジや赤の樹々も差しこまれていた。坂道の路面には葉っぱが散って、濡れて沈んでいる。そのなかを上っていくと地を擦って葉を掃いている箒の音が先から聞こえてきて、出口付近まで来て見れば、一段下の道に接した家の前で若い者が掃き掃除をしていた。
 坂を出ると微風の音が近間の林から鳴り出したが、しかしそれにしては梢が揺れていないなと見ながら進むと、T田さんの宅の脇に流れる沢から音が立っていて、先ほど聞いたのは風音ではなくて水音だったようだ。街道前まで来ると梅の樹は当然まだ裸だが、その向こう、裏道の奥には、ここにもまたこんもりと葉を茂らせた紅色の樹が立っていた。
 街道に出てすぐに北側に渡り、進んでいると、自転車を押して歩く外国人が対岸に現れ、部品が錆びてでもいるのかその自転車は、ただ押されているだけなのに周期的に鳥の鳴き声のような甲高い音を立てるのだった。小公園の入口にある藤棚では、屋根の上に黄色い葉っぱが茂っており、公園のなかには子連れの家族の姿があった。老人ホームの角まで来ると、そこに立った一本の樹が、あれは何の樹だったかわからないがワインレッドに浸されて、色を吸って重ったように広めの葉っぱが垂れ下がっていた。
 裏通りでは一軒の塀の内に、背の高くて、上から光を降らすライトのように下向きにひらいたピンクっぽい薄紫色の花が見られ、あれは何の花なのかと毎年この時期に目に留めては、仔細を知ることのないままに忘れるのだった。鵯の鳴きが遠く、林の方から小さく渡ってくる。青梅坂前まで来て、車が過ぎてしまえば人がいなくて随分静かだなと思っていると、しかし坂道に車が下りてきて、静寂のなかに車音の響きが波打って差しこまれていくその広がりに、音楽を聞いているのと同じような感覚を得た。芸術作品のみならず、この世界そのものにおいても当然事物の生成の流れ、動きが豊富に含まれているわけで、その波動をより緻密に捉えたいものだ。
 坂を渡ると自転車が一台後ろからこちらを追い抜かしていき、乗り手は煙草を持っていて、その香りがあとに残って鼻腔をくすぐる。一軒の、品の良い高価そうな家の庭では猫がだらしなく、ごろりと寝そべって悠々自適の風情だった。もっと進んで文化センター裏も過ぎると、踏切り前の路地で子供らが何をするでもなく、遊んでいる。ボールすらも持っておらず、ただしゃがみこんで、路面に付された「止まれ」の文字の白線をぺたぺたと触っているようだった。駅前へ続く裏道に入るところには母親と一緒の男児があって、補助輪をつけたこじんまりとした自転車に乗っており、それが側溝の蓋の上をゆっくり行くと、がらがらと音が鳴り響くのだった。前方からは子犬を連れた高年男性がやって来て、こちらとすれ違ったあと、背後で犬が自転車の男児にじゃれついていたようだ。
 駅に入ってホームに上がると電車はまもなく発車だったので先頭の方に移らず手近な口からすぐに乗り、席に就いて瞑目して、往路の初めのことを思い返していると河辺に着いた。降りると、右足の裏が酷く痛んだ。歩いているあいだから確かに突っ張るような感覚はあったのだが、この時には骨が変形したかのような痛み方をして、歩こうと体重を掛けると、足裏の後ろの方が固く痛むのだった。それでも何とかエスカレーターを上がってゆっくり行き、改札を抜けて駅舎の出口に向かう。何らかの痛みを感じる時ほどに、自分の身体というものが骨と肉でできた物質の集合なのだと実感することはない。
 歩廊を渡って図書館に入るとカウンターでCDや本を返却し、礼を言って場を離れるとCDの新着をまず見に行った。細野晴臣の新作らしきものがあったのだが、あれは『HOSONO HOUSE』のリメイク盤みたいな感じだったのだろうか。それからジャズの棚へ行き、井上陽介の新作『New Stories』か、過去作『LIFE』を借りようかと思っていたが、あまり気が向かなかった。今まであまり興味の範疇に入ってこなかったが、穐吉敏子の作品に何があるか確認し、ほかにも棚を眺めていって、まず、Clifford Brown And Max Roach『Study In Brown』を借りることに決めた。随分昔にはデータを持っていたのだが、既になくなっているので、改めて借りて聞いてみることにしたのだった。次の一枚は、Joe PassとNiels Pedersenがサポートとあってはやはり惹かれるので、Oscar Peterson『The Trio』に決め、最後の一枚はジャズではなくてロック/ポップスの作品にすることに決めて、そちらの棚を久しぶりに見分した。Aretha Franklinなど惹かれたものの、最終的にThe Jimi Hendrix Experience『Are You Experienced』に決定した。これも確か中学生の時分に買って所有していたのだが、随分昔に売り払ってしまったので、ふたたび聞いてみなくてはなるまいとの判断だった。それで貸出機に向かって手続きを済ますと上階に上がり、新着図書を眺めた。シェーンベルクの音楽評論選が気になっている。ほか、この時には確か、メイ・サートンの『七四歳の日記』というのがあったはずで、メイ・サートンという人も前々から読んでみたいと思っている作家だ。それからフロアを渡って海外文学を見に行くと、宇野邦一が新訳したベケットは『マロウン死す』だけでなくて『モロイ』も棚に入っていて有り難い。それらのどちらかを借りても良かったのだが、何となくロラン・バルトが読みたい気がしたので壁際の全集の棚に寄り、『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を選び取った。やはり図書館の本は一冊に留めなければ駄目だ。いくつも借りたところで、結局読めないままに終わることになるのは必定である。
 貸出手続きをして退館し、駅へ渡って、二〇日の記事もまだ仕上げられていないし、どこにも寄らずに早々と帰ることにした。駅に入ってエスカレーターを下りるとちょうど電車がやって来たので席に就き、今日はメモを取る気分でなかったので瞑目の内に到着を待ち、青梅に着いて降りれば乗換えの奥多摩行きまで三〇分以上あったのだが、やはりメモを取る気持ちでなかったので、コーラを買ってベンチに就き、借りたばかりのバルトを読みはじめた。ホーム上には外国人女性が二人、一人はリュックサックを背負い、もう一人はキャリーバッグを引いてうろついており、奥多摩の方へ行くらしい。奥多摩行きが来ると山帰りの人々が吐き出されてきて、酒と香水と汗が混ざったような何とも言えない臭いが漂った。彼らが降りてしまってから三人掛けの席に入り、バルトを読み続けた。
 最寄りに着くと四時半過ぎ、空から地上まで空気は一面青さに包まれはじめており、階段通路を上れば光を灯しながら街道を流れていく車たちが見えて、ライトを浴びせられた路面は幽かに紫色を帯びるように映った。通りを渡って坂道に入ると濡れた路面に葉っぱがべたべたくっついていて、坂を下りていくあいだじゅう、葉っぱを踏まない歩はほとんど一歩もないくらいであり、濡れたものの上には新しく落ちたものがまだ乾いて形を保ちながら伏している。それから平らな道に出て自宅まで辿るとちょうど父親も帰ってきたところで、戸口でおかえりと言うので挨拶を返し、彼のあとに続いて家のなかに入った。母親はどこに行ったのか知らないが、出掛けていた。冷蔵庫のなかを確認しておいてから下階に帰ると、コンピューターを点けてジャージ姿に着替え、借りてきたCDを早速インポートし、データもEvernoteに打ちこんで記録しておいた。そうすると五時一五分、腹が減って仕方がなかったので、もう飯を食うことにして上階に上がると、父親は寝間着姿になって相撲を見ている。台所へ入って冷蔵庫を開ければ厚い豚肉があったので、これを簡便に玉ねぎと共に焼くことにして野菜を切り、豚肉は解凍して三枚あったのを三等分し、それでフライパンに肉を敷いて焼きはじめたその上から、生姜をこれでもかというほどに摩り下ろした。そうして蓋をしながら両面焼いたあと玉ねぎを投入し、まもなくにんにく醤油も掛けて完成、まだ五時半だったが空腹が極まっていたのでもうエネルギーを摂取することにして、米を大盛りによそった。汁物は母親が作っていってくれた野菜スープがあったのでそれを椀によそり、焼いたばかりの肉と玉ねぎを小皿に取ると、冷凍の焼鳥炭火焼も電子レンジに突っこんだ。そうして卓に就いて食事を始めたが、腹が完全に空っぽだったおかげで糞美味かった。バルトを読みつつもりもりと食っていき、父親が風呂に向かうとテレビを消して、レンジから焼鳥を取ってきておかわりした米とともに貪った。最後にスープを飲んで完食すると、食器を洗い、抗鬱薬を飲んで下階に帰った。
 時刻は六時前、書き物を始めて一時間一〇分を費やした。六時半頃にLINEを通じて、今日の夜に時間があるかとTに連絡したのは、先日会った際に思いの外に最近のことを話さなかったような気がしたので、改めて近況を聞こうと思ったのだった。八時四二分現在になっても連絡が返ってきていなかったが、その後、返信があり、今夜は仕事をすると言うので、水曜の夜に時間を貰うことに決まった。七時を越えるとこちらは風呂に向かった。その頃には母親が帰ってきており、福生市中央図書館で松下紀久雄という画家の展示がやっていたのを観に行ったと言う。拝島のI.Y子さんが好きな画家であるらしい。そうして入浴、七時一〇分から浸かり、首元にぽろぽろと汗の玉を流しながら今日の記憶を思い返していき、二〇分がそこら浸かると出て、ヨーグルトゼリーみたいな品を母親と分けて食った。母親はテレビを見ており、父親もイヤフォンをつけてスマートフォンでテレビを視聴していた。こちらは下階へ戻るとふたたび書き物に取り掛かって、二〇日の分はまもなく完成させ、投稿したあとこの日のことも簡易的に綴っていき、そうして八時四五分に至った。一応これで三時間は作文に費やしたので、一日のノルマは達成したことになるが、二一日以降の記事が出来上がっておらず、負債は溜まっている。
 その後、Feisal G. Mohamed, "Arendt, Schmitt and Trump’s Politics of ‘Nation’"(https://www.nytimes.com/2016/07/23/opinion/trumps-perilous-nation.html)を読んだ。

・stock in trade: 常用手段
・peripheral: 周辺的な
・crucible: 坩堝
・heap: 積み上げる
・misgiving: 懸念、不安
・streak: 性質
・poise: 振舞い、物腰

 さらに、何時から聞いたのかよく覚えていないが音楽鑑賞にも入って、いつも通り最初はBill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)を聞いた。ピアノソロの序盤における左右にうろつくような動き方からして、Scott LaFaroはやはり相対的な洗練のせせこましい枠のなかに収まっておらず、それを超越していることは確かだ。フォービートの連なりにおいても音使いが独特で、特に高音方面に浮上してくるとそれが露わになるような気がする。ピアノについては、このテイクでは好きな場面が二つあって、一つはソロ序盤の、滑らかな山型を描くように上下運動を三度繰り返す箇所、もう一つはフォービートに入る直前の解決の仕方、滑らかに上ってきたあとに最後の音をふっと置くように優しく鳴らし、一瞬空白のような感覚が差し挟まってからフォービートに突入する、その移行の仕方である。
 続けて、"Jade Visons (take 1)"を聞いた。Scott LaFaro作曲の清冽に澄み渡ったバラードであり、『Portrait In Jazz』における"Blue In Green"のあの沈潜的な静謐さをさらに抑制させたような冷たい美しさが湛えられている。LaFaroを擁したBill Evans Trioの方向性として、一つにはこのような、一面凍りつくような冷美を孕んだ音数少なめのミニマリズム的な可能性があったのだと思う。曲構成は九拍子で、テーマ前半は三拍子が三つ続くわかりやすい区分けになっているが、後半はそのままの感覚で演じられているのか、四+五という区分の認識になっているのかよくわからない。Evansのソロは控えめなものだが、この九拍子を自家薬籠中のものとして、事もなくその上に乗って静かに歌っている。
 さらに、Bill Evans Trio "Autumn Leaves"(『The 1960 Birdland Sessions』)を流した。このテイクは一九六〇年の三月一二日録音である。まずLaFaroのソロから始まっていて、録音が非常に悪くて聞き取りづらいものの、お得意の三連符を連ねて大きく動く速弾きが聞かれて、その闊達ぶりは『Portrait In Jazz』でのプレイよりも発展していると思われる。Motianのプレイも聞き取りづらいが、ハイハットを無意味に素早く三連で刻むところなど、彼特有の気まぐれさが段々と発揮されてきているような気がする。Evansのソロは、前半は六一年のあのライブに比べるとちょっとゆったりしていると言うか、休符の間隔=感覚などに僅かな弛緩が感じられないでもないが、後半のブロックコードの連打はさすがの盛り上がりで、これはきちんとした明瞭な音質で聞けていたら実に迫力があっただろうと思わされた。
 それから二回目を聞いていると父親が戸口にやってきて、ゴミを持ってきてくれとのことだったので音楽鑑賞を中断し、ゴミ箱二つを持って上階に行った。台所でゴミをまとめ、母親は大根の葉を茹でていてそれを切るのが面倒臭いと漏らすので、こちらがやってやろうと洗い桶のなかに浸かったものを取り上げて絞り、切ってプラスチックパックに入れた。また父親と小さな悶着があったのだろうか、母親がそれらしいことを愚痴愚痴文句に言うのを聞き流しながら作業を進め、母親が茹でていたもう一本分も切断して整理すると下階に帰った。そうして、夏目漱石草枕』を読みはじめたのが零時頃である。振り返って細かくメモを取ろうと思っていたのだが、読み返して文言をいちいち読書ノートに引くのが面倒になったのでそれは止めることにして、書抜き箇所をいくつかメモするのみでこの本にかかずらうのはそこまでとした。やはり読書の進行は遅くなっても、気になる箇所に遭遇したその時にその場でメモを取っておかなければならないと読み方の原則を新たにした。
 零時過ぎにはISさんとTwitterでダイレクトメッセージを交わしてもいた。読書会の課題書をどうしようかと尋ねるので、プリーモ・レーヴィが良いかもしれませんねという雰囲気になっていた先日の流れを継いで、彼の『天使の蝶』という短篇集ではどうかと提案し、合意が得られた。その後、『草枕』を仕舞えたあとに当該作品を早速読み出して、一時半前に切りとして就床した。


・作文
 12:45 - 12:53 = 8分(24日)
 12:53 - 13:12 = 19分(23日)
 13:13 - 13:41 = 28分(20日
 14:06 - 14:19 = 13分(20日
 17:54 - 19:04 = 1時間10分(20日
 19:41 - 19:51 = 10分(20日
 20:03 - 20:45 = 42分(24日)
 23:07 - 24:02 = 55分(21日)
 計: 4時間5分

・読書
 13:44 - 14:04 = 20分
 20:47 - 21:14 = 27分
 24:03 - 25:28 = 1時間25分
 計: 2時間12分

・睡眠
 3:05 - 12:05 = 9時間

・音楽