2019/11/25, Mon.

 私たちが、同行の警官からきかされた話は、こうだった。このSS隊長は、ある元共産党員を逮捕して、収容所に移送する任務を与えられた。ところが彼は、件の人物を、すでにずっと前、保護観察勤務のころから良くしっていた。そして、この人物は、いつも、遵法的な態度をとってきた。
 そこで、彼はつい善意から、この人物に、もう一度家に帰って、服を着替え、妻に別れをいうことを許可したのだった。ところが、部下をつれた彼が居間で、その人物の妻と話をしている間に、本人は別の部屋をぬけて、逃亡してしまったのだ。彼と部下が、逃亡を発見したときは、手おくれだった。
 このSS隊長は、逃亡の報告をすると、その場でゲシュタポにより逮捕され、ヒムラーはただちに戦事法廷の措置を命令した。一時間後には、すでに責任者にたいする死刑判決が下され、彼の部下は、重禁固の刑に処せられた。
 ハイドリッヒやミュラー情状酌量の嘆願も、SS全国指導者ヒムラーは、きっぱりとはねつけた。SS指導者たる者が、戦時にかかる重大な第一号職務違反をしたことは、見せしめのためにも、厳重に処罰されねばならない、というのである。死刑判決をうけたこのSS指導者というのは、三〇代も半ばの、しっかりした人物で、結婚して三人の子供もあり、それまでも、じつに厳格・忠実に勤務にはげんできたのだが、今、自らの善意と人を信じる心から、倒れねばならなくなったのだ。彼は、従容[しょうよう]として、静かに死んでいった。
 しかし、どうやって、私が、心を静め[﹅6]、射殺命令を下せたのか、今もって、私にはわからない。射撃した三人の兵は、自分たちが誰を射たねばならぬのか、を知らなかった。それはそれでよかったのだ。さもなければ、彼らは、ふるえて射てなかったことだろう。
 内心の動揺のあまり、私は、こめかみにピストルをあてて、とどめの一撃をすることがほとんどできかねるほどだった。しかし、ともかくも、何とか気をとりなおしたので、立会い者たちには何も気づかれないですんだ。私は、その数日後、三人の下級隊長のうちの一人と、死刑執行指令のことを話しあい、それについて論議もした。――この銃殺のことは、たえず要求される自己克服と不屈の苛酷さということに関連して、いつまでも忘れられないでいる。
 これは、すでにして、もはや人間的ではない、と当時、私は信じた。――しかも、アイケはいぜんとして、なおきびしくなれ、と訓戒する。SS隊員は、ごく身近な家族であろうとも、国家とアドルフ・ヒトラーの理念に背く者とあれば、抹殺しうるものでなければならない。「枢要なることはただ一つ、命令である」 彼の手紙の上には、あらかじめ、こう印刷されてあった。
 (ルドルフ・ヘス/片岡啓治訳『アウシュヴィッツ収容所』講談社学術文庫、一九九九年、174~176)


 一一時五〇分まで寝坊をする。睡眠時間は一〇時間二〇分にも及ぶ。腐っている。私は茸だ。粘菌だ。黴だ。苔だ。とにかく糞である。いつもと比べると比較的早めに、一時半には床に就いたのだが、どうして早く起きることができずかえって余計に眠ってしまったのか?
 ベッドを抜け出し、上階に行き、母親に挨拶をしてからジャージに着替えた。そうして洗面所に入って顔を洗い、台所に出てくると冷蔵庫から昨夜の肉焼きとメンチ一つを取り出した。それらは一緒に電子レンジに突っこんで温め、そのほか米とスープをよそり、卓に就くと新聞を読みながら食事を始めた。ローマ法王被爆地長崎を訪れて演説を行ったという記事を読みつつ、テレビのニュースでも同種の報が伝えられるのを眺めていると、次には香港区議会選挙の結果が映し出され、民主派が八割の議席を得たと言う。政府や警察に対する不信感は募るばかりで、大半の住民はデモ隊や民主派の味方に与しているというわけだろう。食事を取り終えると皿を洗い、それから風呂場に行った。蓋を取り上げて水気を落としてから洗い場に置いておき、汲み上げポンプも取って同じように管のなかに入った水を排出させ、バケツのなかに入れておくと、ブラシを取って浴槽を擦りはじめた。水がすべて流れ出してしまうとなかに入りこみ、腰を曲げ身体を屈めてゆっくりと念入りに壁を擦った。そうしてシャワーで流しておくと出てきて、電気ポットに水を注ぎ足しておいて下階に帰った。母親は仕事に出掛けていった。
 自室に入るとコンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げ、TwitterにアクセスするとISさんからダイレクトメッセージが入っており、一五日は年に三回しかない句会があるので、読書会の日をずらせないかと言うので、了承して、それでは前日の一四日にしましょうと送っておいた。そうしてEvernoteをひらいて二四日の日課記録を完成させ、この日の記事も作成すると、上階へ緑茶を用意しに行った。一面曇り空だった前日から転じて、今日は明るく光の通って南の窓際に宿る快晴の日和である。緑茶を仕立てて急須と湯呑みを両手に持って帰ってくると、一服しながらだらだらして、一時二六分から日記を書きはじめた。BGMにはthe pillows『Wake Up Wake Up Wake Up』を流したが、なかなか気持ち良くポップな佳曲が揃っているアルバムで、たびたび口ずさんでしまって打鍵がなかなか進まなかった。ここまで綴ると、一時四五分。
 さらに続けて、二一日の記事を作成しはじめた。大方は既に記述が済んでおり、記せていないのは音楽の感想部分のみである。そこを綴るのに四四分も掛かって、二時半を越えたところでようやく完成、インターネット上に投稿しておくと、作文は一旦中断して少々身体を温めることにした。the pillowsの音楽を流して歌いながら膝を曲げ伸ばししたり、脚の筋や股関節を和らげたり、脚を大きく広げ腰を沈めて肩を上げた姿勢で静止したりした。そうして肉体が熱を持つと、syrup16g "I.N.M"も歌って、それからまた日記に取り組みはじめたのだが、三時半前に至って携帯が振動音を立てた。見れば母親で、洗濯物をよろしくとあり、それを目にして洗濯物のことをまったく忘れ去っていたことに気がついたので、作文を止めて上階に行き、ベランダに出て吊るされたものや柵に洗濯挟みで取りつけられたものを室内に入れた。空には雲が蔓延っているが空気に暗さはなく、近間には陽の色もないけれど東の果ての市街に建つマンションの側面には暖色が触れ、振り向いて西の空には群れた雲の隙間から青さも覗いている。洗濯物を畳む前に、出勤前の食事のことを考慮して米を炊いておこうと決めて、炊飯器に余っていた米を皿に取り出した。そうして笊に三合を用意してきて洗い桶のなかで磨ぎ、調理台の上に上げておくと釜を洗って、そのまま米を釜に投入して水も注ぎ、機械に戻すと早速炊飯スイッチを押しておいた。それから洗濯物を畳むのだが、何だか面倒臭かったので肌着は整理せずにタオルを畳むのみで済ませ、洗面所に運んでおいたそのあとに、アイロン掛けに入った。南の窓の果てに聳える山の色はもう結構黄や橙に変わってきている。それを見ながら三枚のシャツにアイロンを当てると、それらを持って階段を下り、二枚は途中に掛けておいて、自分の白いシャツは自室に持ち帰って収納に入れた。そうして、Bill Evans Trio『Portrait In Jazz』を聞いた感想をまとめた記事をブログやnoteに投稿しておくと、四時からふたたび二二日の日記を作成しはじめ、四時半に至る直前で空腹が極まったので作業を止めて食事を取りに行った。
 冷凍庫からコンビニの手羽中を出して電子レンジへ、温めているあいだに炊けたばかりの瑞々しい米を搔き混ぜて椀によそり、母親が作っていってくれたおでんも深めの皿に盛って、まず白米を卓に運んだ。それから電子レンジの前で鶏肉が温まるのを待ち、加熱が完了すると替わりに今度はおでんを入れて、鶏肉を持って卓に就き、熱々の手羽中をおかずに熱々の米を貪った。おでんも温まると持ってきて、ローマ教皇フランシスコが長崎で行った演説の全文を読みながら食事を取り、完食すると食器を洗い、食事を取っているあいだにもう外はよほど青暗く暮れてきたので、カーテンを閉めておいてから下階に帰り、間髪入れずこの日の日記を書き足しはじめた。ここまで記せば五時七分に至っている。
 さらに二二日の記事を書き進め、四〇分を費やして六時前で中断し、歯磨きに移行した。過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと読み物に触れながら歯磨きを行い、ブログを読んでいる途中で口を濯ぎに行った。洗面所の洗面台の汚れが目についたが、しかしスポンジや束子の類が辺りにない。それなので放置して部屋に戻り、ブログを切りの良いところまで読み終えると、the pillows "サード アイ"を流して着替えを始めた。白いワイシャツに、今日は灰色の装いを選び、ネクタイは水色に水玉模様の付されたものをつけ、ベストを羽織って曲を歌い終わると上階に上がり、仏間に入って座椅子に腰を下ろして黒い靴下を履いた。それから玄関へ行き、サンダル履きで外に出ると、道の先、街灯の下で楓が赤々と色を籠め、闇のなかでそこだけ鮮やかに浮かび上がっていた。ポストに寄って郵便物が色々入っていたのをまとめてなかへ持っていき、居間の卓上に置いておくと下階に戻ってさっとメモを取った。
 そうして出勤前に少しでも音楽を聞くことにした。いつものごとくBill Evans Trio, "All Of You (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#5)を流したわけだが、この音楽は本当に完璧である。完璧とはこういうことを言うのだ。音を連ねている場面ばかりでなくて、そのフレーズを収める呼吸の配分、息の継ぎ方までもが絶妙で、完全な統一性に満たされきっている。隅から隅まで一点の瑕疵もなく、休符すらも必然性を担っており、そのあまりにも整った構成のなかに、LaFaroのベースが入りこんで絡み合う。と言うか、Evansが適度に空白を配置することで、LaFaroがわざわざ意図せずとも自然とそこに吸いこまれていき、演奏が組み合うようになっているのだ。もう一度言うが、一つの完璧な音楽がここにある。
 音楽を聞いてメモを取っていると激しい風音が家を取り囲んだ。"All Of You"は完璧に過ぎて言語化できない。この音楽は言葉の行き止まりに位置している。一つの到達点に達している。コンピューターを停止させると上階に行き、玄関を抜けた。葉っぱが地面に多数散らばっており、林が強く揺れて風の響きが立っている。道に出ると結構強い風が前から吹きつけてきたものの、寒さは感じられなかった。午後七時前の暗い道を進むあいだ、林の分厚い鳴りが添ってきて、道端の車庫の前などにはどこにも枯葉が落ちている。風のなかに料理の匂いが混ざっていた。公営住宅前まで来ると今度は背後から追い風が寄ってきて、それには冷たさがいくらか含まれていた。林は絶え間なく蠢き、鳴り響いており、辺りの庭木も終始ざわざわと音を立てている。
 坂道に入れば、誰かがわざわざ葉を集めて万遍なく撒き散らしたように道は埋め尽くされており、電灯に抜かれた常緑樹の影がその上でおどろおどろしげに細かく震える。どこを踏んでも葉の擦れる音が立つなかを上っていくと、出口付近でふたたび風が吹き、林の竹が傾き揺れて、その影が電灯の光とともに脇の家の木の壁に映りこんでいるのを見れば、木製の濃褐色の壁はその素材からは思いもつかないほど滑らかな質感を帯び、チョコレートのような、あるいは金属めいた光沢を放っているのだった。
 駅では帰宅する人々とすれ違いながら階段を行き、ホーム入口まで来ると若い女性が一人、SUICAを読みこむ機械にカードを触れさせながら、残高不足に捕まっていた。何度も繰り返しタッチして試すが表示は変わらず、女性は諦めて階段を上りはじめた。この駅ではチャージできないと伝えるかどうかちょっと迷ったが、しかしそこまでの義理もないし、この時間に帰ってきているということは地元民だろうから、おそらく事情は知っているだろう。そういうわけで声は掛けずにベンチに入り、メモを取ったが、そのあいだも風が強く身体を貫き吹きすぎていった。
 電車は空いており、ほとんど客はいなかった。青梅に着いて乗換えの客が入ってくるとともに降り、ホーム上でも風を受けながら歩いていき、職場に向かった。入るとちょうど室長がシフト表を前にしているところだったので渡してもらい、一四日を休みとさせてもらい、それから奥のスペースに行って引き続きメモを取り、準備開始前までに職場に着くところまで記録することができた。今日の授業の相手は(……)くん(高三・英語)と(……)くん(中一・英語)である。二対一なので余裕があり、そこそこ密着的に回すことができたと思う。(……)くんはいつものごとく睡気に苛まれていて、いくらか寝かせる時間を取ったけれど、結局最後まで意識はあまりはっきりしなかった。毎回そうなので、わざと眠い振りをして授業を避けようとしているのではないか、という疑いも湧くが、まあそれならそれで良い。辛うじて、冠詞のルールなどについて確認した。(……)くんは英語の実力が上がってきているようで、今日扱った箇所はほとんど支障なく読み、解けていた。一二月からセンターの過去問に取り組みたいとのこと。
 授業後、(……)という先生について室長からちょっと話を聞く。昭島から送られてきた――室長の言葉を使えば、「押しつけられた」――人で、七〇歳だかそのくらいの年嵩なのだが、かなり癖のある人だと言い、面談の際に、私も頑張るから君も頑張りなよ、などと言って室長の身体をぽんぽんやってきたとのことである。気さくではあるらしい。前職は何かと尋ねたが、判然としなかった。
 退勤して駅に向かうと、モスバーガーの店舗から良い香りが漂って鼻をくすぐる。駅に入って奥多摩行きのなかを見てみると、混んでいるというほどではないが席の端は埋まっていて、いつも座る三人掛けも、北側も南側も一人ずつ座っていたので、どうしようかと迷ってうろうろしながら、結局そこに入ることに決めた。発車まで時間が少なかったのでメモは取らず瞑目していると、隣の人からは音楽が漏れており、どんなジャンルか聞き分けられるほどでなかったが、それに合わせて足を動かしたり手でリズムを取ったりしているらしき音も聞こえた。静寂のなかで、こちらの空腹がちょっと動いて音が鳴るのがやや恥ずかしい。
 最寄り駅に着くと自販機でコーラを買い、ベンチに就いて、ほかに何もせず、目を瞑りながらゆっくり飲んだ。辺りには誰もおらず、誰もやって来なかった。飲み干してゴミを捨て、駅を出て坂道に入れば、虫の音がまだ完全に死滅せずに僅かに残っている。風は止んだようで葉音は立たず、行きのあの激しさは何だったのかと思いながら葉っぱの散乱したなかを下りていくと、落葉が形なす道の端の帯が厚く太くなっていた。
 家の前まで来ると父親の車がなかったので、まだ帰ってきていないようだ。なかに入ると母親も風呂に入っているようで居間に姿はなく、点けっぱなしのテレビが見る者のないから騒ぎを演じていた。すぐに下階へ下り、コンピューターのスイッチを押してジャージに着替え、各種ソフトを立ち上げておいて上階へ行き、夕食はおでん、大根の葉の炒め物、大根や柔らかいレタスの類を合わせた生サラダ、それに白米をそれぞれ用意し、卓に就いた。テレビは『しゃべくり007』を映していて、田中みな実という人が出演していた。元アナウンサーだったような気がするが、今は何をやっているのかよくわからないし、どうでも良いことだ。そう思いながらも何となく目を向けてしまい、特段の関心はないのだけれど、まあ生きるのって結構楽じゃないよね、皆頑張って生きているよね、とは思った。新聞の一面は香港区議会選挙での民主派の圧勝を伝えており、それを読んだりテレビに目を向けたりしながら、大根の葉に醤油を掛けたものをおかずに白米を食った。そのうちに母親が風呂から上がってきて、それとほとんど同時に食事を終えて皿洗いをすると、父親がもうすぐ帰ってくると言うので、ゆっくり入りたいからと風呂は先に譲ることにした。緑茶を用意して下階へ下る。
 そうして二二日分の日記を四〇分綴り、一一時過ぎに仕上がったのでインターネット上に投稿した。noteの記事に有料設定をするのは止めた。投げ銭システムを使ったところで、どうせほとんど誰も買わないのだし、もう自分の文章で金を稼ぐことを求めるのは止めにする。金になるかならないか、そんなことはどうでも良いのだ。ただ書き続けることだけが重要で、金にも何にも繋がらず称賛も得られずともたゆまず続ける、そういう種類の行為があるということを示すべきなのだ。
 その後入浴に向かった。台所で父親と行き逢ったのでおかえりと挨拶し、風呂に入れば二人が入ったあとだから水位が低く、浸かりきれず露出した胸から上の肉が少々涼しい。一一時二〇分頃から浸かりはじめ、瞑想めいて瞑目のなかに静止して、今日のことを思い返したりしていたが、段々と意識が緩くなっていった。二〇分ほど浸かって出るとすぐに下階へ戻り、現在時までメモを取れば零時一一分だった。
 久しぶりに瞑想をやってみることにした。心身のチューニングをするような意識で、枕の上に座って一八分、なるべく動かず静かな呼吸の内に過ごし、終えるとしかしそのまま横たわってしまい、一五分がそこらうとうとすることになった。それから読書、プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』を読み進めた。表題作、「天使の蝶」では、「天使というものは、たんなる空想の産物でも、超自然的存在でも、詩的な夢でもなく、わたしたち人間の未来の姿だ」(95~96)という妄想的な考えが登場する。曰く、アホロートルという生物は、成体にならないままに繁殖を行うことができ、そのなかでもごく僅かな割合で、「おそらくことさら長生きした個体だけが」「変態して別の姿になる」(93)のだが、「幼形成熟[ネオテニー]」と呼ばれるこの性質を人間にも敷衍して考えると、我々人間も、「さらに別の"成体"になる可能性を秘めていながら、たんにそれよりも早く死に邪魔だてされて、変態できないだけなのではないか」(94~95)という発想が導き出される。そうしてそこから、人間が変態する可能性を持つ究極的な「成体」としての姿がまさしく天使である、という少々飛躍的な結論が獲得され、作中ではレーブというマッドで「風変わりな」(91)科学者がこうした思想に取り憑かれて人体実験を行うまでに至るのだが、これはファンタジックかつSF的な奇抜な発想でなかなか面白い。しかし、この篇はそうしたアイディア自体は興味深いのだが、如何せん物語として短すぎると言うか、小説がその上に乗って展開する舞台設定を用意したところまでで終わってしまっているような感じで、その点残念である。表題の「天使の蝶」というのは、ダンテが『神曲』のなかで人間のことを「蛆虫、つまり完全なる姿とは縁のない虫」(96)にたとえる場面で使われている言葉らしいが、こうした文学的意匠による興趣もなかなか味わい深いものではある。
 作中人物の一人、レーブの消息を調査する化学者ヒルベルトの饒舌にはユーモラスな気味がある。三つ目の篇である「詩歌作成機」もユーモア溢れる大胆な作だったが、終戦直後のベルリンを舞台としており、扱っているテーマからしても不穏な雰囲気が全体に漂っている「天使の蝶」のなかでも、ヒルベルトの言動だけは軽快な小気味よさを保っている。ユーモアは、レーヴィの作品を構成する主要な要素の一つなのかもしれない。
 一〇四頁から始まる「《猛成苔》」の篇は、「自動車には特有の寄生生物が存在する」という一文から始まるもので、これもやはり奇抜で、感興深い発想だ。《猛成苔[クラドニア・ラピダ]》という苔の一種がそれだとされているのだが、続く頁でレーヴィは、「ニトロセルロース塗料」とか、「フタル酸グリセリン塗料」とか、「痂状地衣植物」とか、専門用語を含みながら、まるで本当に存在している植物について書くような克明さでその特性を記述している。いくらか子供じみたような自由な想像力に、リアルな枠組みを与えて一つの形に仕上げるその手つきが、化学者でもあった彼の腕の見せ所というわけだろう。
 三時前まで書見を続けて、瞑想を行ってから就床した。


・作文
 13:26 - 13:45 = 19分(25日)
 13:52 - 14:36 = 44分(21日)
 15:17 - 15:27 = 10分(22日)
 16:01 - 16:27 = 26分(22日)
 16:50 - 17:08 = 18分(25日)
 17:08 - 17:48 = 40分(22日)
 22:27 - 23:06 = 39分(22日)
 23:51 - 24:11 = 20分(25日)
 計: 3時間36分

・読書
 17:49 - 18:06 = 17分
 24:48 - 26:45 = 1時間57分
 計: 2時間14分

  • 2014/3/3, Mon.
  • fuzkue「読書日記(161)」: 10月31日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-21「溺死せよ午後の光をたくわえた日曜日の水たまりの中」
  • プリーモ・レーヴィ/関口英子訳『天使の蝶』: 24 - 106

・睡眠
 1:30 - 11:50 = 10時間20分

・音楽