2019/12/2, Mon.

 暖かな家で
 何ごともなく生きているきみたちよ
 夕方、家に帰れば
 熱い食事と友人の顔が見られるきみたちよ。

  これが人間か、考えてほしい
  泥にまみれて働き
  平安を知らず
  パンのかけらを争い
  他人がうなずくだけで死に追いやられるものが。
  これが女か、考えてほしい
  髪は刈られ、名はなく
  思い出す力も失せ
  目は虚ろ、体の芯は
  冬の蛙のように冷えきっているものが。

 考えてほしい、こうした事実があったことを。
 これは命令だ。
 心に刻んでいてほしい
 家にいても、外に出ていても
 目覚めていても、寝ていても。
 そして子供たちに話してやってほしい。

  さもなくば、家は壊れ
  病が体を麻痺させ
  子供たちは顔をそむけるだろう。

 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、3~4)


 アラームは一〇時に仕掛けてあったが、例によって二度寝に入り、白い曇り空を目にしつつ、起き上がれないままにだらだらと正午まで過ごす。先日の川井行きの電車のなかでT田が、大体アラームの二時間後に起床するとこちらの生活の傾向を指摘したが、まさしくその通りになったわけだ。睡眠時間は九時間。これをまず、七時間にまで何とか減らしたいところだ。上階に行くと仕事に出る前の母親がいたので挨拶をして、寝間着からジャージに着替えた。食事は、昨晩の汁物にうどんを入れて煮込んだと言う。台所に行くとそのほか、菜っ葉と魚肉ソーセージの炒め物に大根の煮物が拵えてあったが、それらは食べないことにして、うどんのみ火に掛け、温まると鍋つかみを嵌めた左手で鍋を持ち、中身を丼のなかに流しこんだ。そうして卓に就いて新聞を瞥見しながら食事を始め、香港でふたたび大規模なデモが盛り上がっているとの記事など読みながら麺を啜り、隣家から貰ったという林檎も一切れ二切れ口にして食事を終えると台所で丼を洗った。そのまま浴室に行き、残り水を流しだしているあいだは肩をぐるぐる回してほぐし、ブラシで浴槽を洗って出てくると自室に戻って急須と湯呑みを持ってきた。急須の茶葉を流しに捨てようと台所に入ったところで、一度玄関を出たはずの母親が戻ってきて、戸口からこちらを呼び、椅子に掛かっているパーカーを取ってくれと言うのでそれを持って玄関に行き、渡すと台所に戻って茶葉を廃棄した。それから緑茶を用意して下階の居室へ、Evernote日課記録をつけたりしたあと、今日はまず最初に読み物を始めることにした。二〇一四年の日記を一日分読み、それからfuzkueの読書日記、Mさんのブログといつも通り他人の文章を渡り、今日はさらにSさんのブログも読むことにした。読んでいるあいだに口内で、歯と歯茎のあいだの僅かな隙間に滓が溜まって汚れていることに気がついたので歯磨きをすることにして、そうすると当然、読む時間はさらに長くなる。そういうわけで口内を掃除しながら、一一月一二日から一九日の記事まで読み、それから口を濯いできたあとここまで今日の日記を綴って、一時五〇分である。今日は休日だが、明日からは冬期講習に入って結構忙しい。睡眠時間を減らせるかどうかが勘所である。
 間髪入れず、続けて前日の記事を綴りはじめた。一時間弱で完成させると時刻は三時前、国民年金を支払わなければならないのでコンビニに出向くつもりだったが、その前に身体をほぐしておくことにした。例によってthe pillowsの曲を流して歌いながら開脚し、下半身や肩周りを柔らかくしたあと、床に蔓延っている埃の量がいい加減目に余ってきたので、掃除機も掛けることにした。音楽は流したまま部屋を出て、両親の衣装部屋に入って掃除機を取ってくると、戸口のコンセントにケーブルを接続し、掃除機を駆動させてしばらく床の上を移動した。収納のなかやテーブルや机の下、ベッドの下にも吸い口を伸ばしてゴミを吸い取り、終えるとちょうど掛かっていた"プロポーズ"を歌って、それから掃除機を元の場所に戻しに行った。そうして次に、着替えである。これといって見栄えのしない秋冬用の白いシャツに青灰色のズボンを履き、モスグリーンのモッズコートをその上に羽織って、年金の支払い用紙や財布などを持って上階に行った。仏間で赤地にアーガイル柄の靴下を履くと出発である。
 午後の早いうちには雨が降っていたのだが、今は既に止んでいた。天頂からは雲が払われて青さが露出しているものの、低みにはまだ溜まったものがあり、空がそのまま地上に降りて浸食してきたかのように、南の山はくすんだ色の霞に包まれていた。道脇の空中には糸を何重にも張り巡らして宮殿じみて巨大な蜘蛛の巣が掛けられており、大きな体の主はまさしく帝王さながらに中央に鎮座している。公営住宅前まで来ると足もとのアスファルトの質が変わり、一面に濡れたそれは随分と滑らかな感触を帯びていて、まるで水の粒が微細な凹凸に入りこんでその段差を埋め、隙間のない完璧な一つの平面として地を均したかのようだった。
 十字路の先を見通せば、坂道の空気は雨の名残で淡く曇っているものの、そこに午後三時の西陽が降って水を含んだ大気に明るさを浸透させ、暖色を帯びた光の明晰さと乳白色の霧の混濁とが共存する一種独特な景観を成している。その薄霧の向こうから地を擦る音が渡ってくるのは、坂の途中の宅の老人が路上を掃いているのだった。白い色を頭に乗せたその人の傍を通り過ぎ、坂を上って角を曲がると、道端で壁を成している茂みのところどころ明るい黄色も混ざった葉の重なりに陽射しが掛かって、日向に包まれてますます明るい色の現れたそのなかで、葉の上に残った水が艶々と光り輝いていた。さらに進んで、西に向かって長く伸びた直線路に入れば、太陽は正面に露わに浮かんで、物質から色という要素が剝ぎ取られたかのように路面は激しい白さを反映させて視界を占領し、一軒の前に立った数本の低木もことごとく、あたかも電飾を施されたようにクリスマスのイルミネーションめいて体いっぱいに光の粒をぶら下げていた。
 街道に出てちょっと行くとガソリンスタンドがあり、通りがかった時には車が入っておらず店員は暇そうで、一人は辛うじて、白く豊穣な洗剤でもってタイヤを洗う仕事を見つけていたが、もう一人は明らかに手持ち無沙汰に前後に開脚して、弾むようなリズムで身体を上下させて脚をほぐしていた。まもなくコンビニに着くと、その駐車場からは視界がひらけて南に長く横たわる山並みが一望できるのだが、山の上端には雲とも霧ともつかぬ蒸気が重そうに蟠っており、そこを中心として白濁色が広がって山影を覆い尽くし、まるで山全体が温泉と化したかのような蒸気の氾濫ぶりだった。コンビニに入店すると手前のレジが空いていたのでそこに寄って、お願いしますと言いながら年金の支払い書を差し出した。店員は高年も近いだろう年頃のおばさんで、失礼しますとか有難うございますとか、たびたび言葉を挟んで丁寧で朗らかな接客ぶりだったが、僅かに無理をしているような印象も微か覚えないでもなかった。年金を払ってしまうと店の角にあるATMに寄って金を下ろし、それから籠を取ってまず最初にレトルトのカレーの箱を二種入れた。それから次に、冷凍食品を取ったものか、それともポテトチップスだったか。そんなことはどちらでも良いのだが、冷凍食品は前回と同様、手羽中を一パックに焼鳥炭火焼を二パック買うことにして、そのほかチョコレートの挟まったパンや、同じくチョコレートの掛かったドーナツなどを手もとに加えて、先ほどのおばさんのレジにもう一度寄って、またお願いしますと会計を頼んだ。一八四四円を支払うと、礼を言って大きなビニール袋を右手に提げ、店をあとにした。
 ガソリンスタンドは相変わらず暇そうだった。三人連れの小学生とすれ違って街道を行き、裏道に入ってまた直線路に沿って行くと、あれは何の鳥だろうか、鵯らしくはないように聞こえたが、雨後の囀りといったところで林の方から鳥の声が細かく散ってくる。時刻は三時四〇分ほど、陽も低くなって道に日向はひらかず、行きには電飾を装ったようになっていた木も、既に露が落ちきったようでもあって光を失っていた。歩いているうちに蒸気が湧いているような音がするなと聞けば、それは足もとのマンホールから立っているもので、おそらく雨降りによって地下水が増えたのだろう、普段意識することもないけれど、この道の下に確かに水路が通っていて生活の支えになっているのだなと実感された。下り坂を行けば途中で尾の長い鳥が何匹も、枯葉が風に散るように樹冠から飛び立って、梢で遊んでいたようなのが見ているうちに今度は長く宙を渡って、滑らかな、しかし同時にかくかくと鋭角的な軌跡を描きながら遠くの林に飛んでいった。靴が踏んでいくアスファルトは仄かに青いような色味を帯びていた。
 帰宅すると戸棚や冷蔵庫に買ってきた品物を入れ、パンとポテトチップスを持って自室に帰った。そうしてパンにドーナツ、さらにポテトチップスも食ったのだが、そのあいだは多分、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読み進めていたようだ。四時直前から五時過ぎまで読書時間が記録されているのがそれだろう。五時一三分まで至ったところで一旦読書が中断され、五時四四分からふたたび始まっているのだが、このあいだに何をしていたのかはもう記憶にない。五時四四分からの読書時間では、確か書抜きをしたのではなかったかと思う。そうして六時を一〇分ほど回ると上階に行き、アイロン掛けを行った。居間の明かりはコンビニから帰宅した四時頃に既に点けておき、カーテンもその時にもう閉めてあった。食卓灯のオレンジ色の薄明かりが広がるなかで、シャツを四枚か五枚、加えて父親のズボンにもアイロンを掛けて処理をして、その後、おかずは既にあるから良いが、汁物がないだろうというわけで大根の味噌汁を作ることにした。台所に入り、小鍋に水を汲んで火に掛け、椎茸を一つ刻むと刻んだ傍から早々と鍋に投入し、大根も細切りにしながら次々と、まだ沸騰していない湯に入れていく。それで湯が沸いて灰汁が出てくると白い泡を取り除き、粉の出汁を振り入れておいて、煮えるのをそこで待つのも手持ち無沙汰だったので、吹きこぼれないように火を弱めて下階に下りた。一〇分か一五分、時間を潰して戻ってくるつもりだった。それでセンター試験の国語の過去問の二〇〇八年度のものを少々読み、一五分ほど経ってふたたび台所に上がると、大根はうまい具合に煮えて柔らかくなっていたので味噌を溶かし入れた。そうして食事はOK、自室に帰って引き続きセンター試験の過去問を確認した。二〇〇八年度の小説は夏目漱石彼岸過迄』だった。問題としてはそれほど難しくなく、読解問題は無事全問正解することができた。そうして七時半、そこからまた三〇分ほど下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読み、八時頃上階に行ったが、ポテトチップスを食ったためだろう、腹が減っていなかったので先に風呂に入ることにした。八時五分から二五分くらいまで浸かり、頭と身体を洗って出てくると食事、前日の肉と玉ねぎと豆腐の炒め物や、鯖をおかずに米を食ったが、やはり全然腹が減っておらず、むしろ苦しいような感じがあって、無理矢理詰めこむような食事になった。完食後は腹が大変張るような感じになり、吐き気が兆してこないかと恐れられたくらいで、抗鬱薬を飲んで皿を洗うと、さすがに茶を飲む気にもならず自室に帰った。横になりたいほどの圧迫感、内臓疲労だったが、食ったばかりで横になると胃液が上がってきてかえって苦しい。頭痛も少々兆していたので日記を書く気力も湧かず、本を読もうかとも思ったのだけれどそれにも集中できなさそうで、どうするかと思いながらコンピューターの画面を前にしているうちに、しかし消化が進んだようで具合は落着いてきて、段々と楽になった。それで九時半過ぎからふたたび書抜きをしたあと、一〇時以降は多分だらだらとしたのだと思う。一一時を回ってからようやくこの日のことを書き足しはじめたが、外出時のことを書くのに思いの外に時間が掛かって、一時間費やして日付が新たになっても帰路のことまでしか綴れなかった。作文はそこまでとして寝る前の読書に入り、身体が疲れていたのでベッドに乗って、枕やクッションに凭れかかって姿勢を楽にしたのだが、そうするとやはり意識が曖昧になったようである。気づくと二時前だったのでそのまま眠りに入った。


・作文
 13:33 - 13:50 = 17分(2日)
 13:51 - 14:47 = 56分(1日)
 23:11 - 24:16 = 1時間5分(2日)
 計: 2時間18分

・読書
 12:40 - 13:32 = 52分
 15:54 - 17:13 = 1時間17分
 17:44 - 18:11 = 27分
 18:55 - 19:28 = 33分
 19:28 - 19:55 = 27分
 21:37 - 22:00 = 23分
 24:18 - 25:55 = 1時間37分
 計: 5時間38分

  • 2014/3/10, Mon.
  • fuzkue「読書日記(162)」: 11月5日(火)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-28「鉄くずを遺骨と見なす今日よりも信心深い明日のために」
  • 「at-oyr」: 2019-11-12「感覚」; 2019-11-13「老眼」; 2019-11-14「幸福」; 2019-11-15「オンライン」; 2019-11-16「Sounds On The Beach」; 2019-11-17「家事」; 2019-11-18「席替え」; 2019-11-19「マスヒステリズム」
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』: 162 - 209
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、書抜き
  • センター試験国語過去問・2008年度

・睡眠
 3:00 - 12:00 = 9時間

・音楽