2019/12/3, Tue.

 (……)この本の意図と構想は、もちろん実際には書いていなかったのだが、ラーゲルにいた時に生まれていた。そして「他人」に語りたい、「他人」に知らせたいというこの欲求は、解放の前も、解放の後も、生きるための必要事項をないがしろにさせんばかりに激しく、私たちの心の中で燃えていた。(……)
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、6; 「序」)


 九時のアラームでベッドを離れるも、音を止めるといつも通り布団のなかに舞い戻ってしまい、起床は一〇時一五分に。結構な勢いの地震があって部屋が揺れたのを機に、というわけでもないのだがともかく床を抜けることができた。睡眠時間は八時間一五分。昨日よりは短いし、正午に至ることもなく起きられたので、この調子で睡眠をまずは七時間台に固定したい。コンピューターを点け、Twitterを覗いたあと、各種アイコンをクリックしておき、空になったティッシュ箱を持って上階に行った。母親は着物リメイクの仕事で不在。ティッシュ箱を解体して玄関の戸棚の紙袋に入れておき、寝間着からジャージに着替えて冷蔵庫を覗くと鯖があったが、何となく食べる気がしなかったので、代わりに前日コンビニで買ったペッパービーフをおかずにすることにした。ほか、大根の味噌汁と米である。卓に食事を用意して椅子に座り、新聞をめくって国際面をひらくと、ペッパービーフをつまみながら米を一緒に口に入れて咀嚼する。新聞記事としては、イスラエルがまたヨルダン川西岸のヘブロンにて入植を進める計画だとの報があった。糞である。そのほか、NATOの首脳会議が始まるとの知らせとか、あともう一つくらい何か記事を読んだ気がするが、何だったか忘れてしまった。食後、台所に立って皿を洗い、そのまま風呂を洗いに行く。栓を抜いてポンプを水のなかから持ち上げ、管のなかに入っている水を排出させ、バケツに入れて洗面所の方に置いておくと、ブラシを取って浴槽を擦りはじめた。残り水が流れてしまうと風呂桶のなかに入って、身体を前に屈めながらブラシを上下に動かして、壁を隙間なく擦っていく。そうしてシャワーで洗剤を流すと室を出て、下階に帰って急須と湯呑みを持って居間に引き返した。テーブルの端には明治のミルクチョコレートがあったので、頂くことにしてポケットに入れ、緑茶を用意して下階の自室に戻ると、Evernoteで前日の日課記録をつけながらチョコレートを舐め、その後、緑茶で一服したあと、一一時半からこの日の日記を書き出した。ここまで一〇分で記している。
 続けて前日の記事の作成に入ったが、意外と書くことがなくて僅か一六分で完成し、さらに三〇日の記事にもそのままの勢いで取りかかり、こちらには一時間が掛かったがそれでも結構割愛した。これから冬期講習で仕事が増えて忙しくなるし、日記の書き方も負担の掛からない、楽で適当なモードに移行していくべきだろう。三日分の記事を立て続けにインターネットに投稿すると、会社から催促されたアンケートに答えることにした。期日がまもなく終わるというメールが届いていたのだ。こちらが普段使っているOperaは、アンケートのURLに接続するためのブラウザとして対応していないらしいので、一体いつぶりのことかわからないがInternet Explorerを立ち上げ、メールに記された複雑怪奇なURLをちまちま一文字ずつ打ちこんでいったが、接続できなかった――と言うか、システムエラーの表示が出てしまった。それでGoogle Chromeに変えて再度試したが、こちらも駄目で、最新バージョンでないためかと思って新たにダウンロード及びインストールをしてみたがそれでもやはり駄目である。圧倒的駄目だが、携帯に来たメールをgmailに転送し、そのURLを直接クリックしてリンクをひらくとOK、無事アンケートページに接続できたので、それで質問に答えた。そうするともう一時半を過ぎている。
 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』の書抜きを行うと二時を越えたので、洗濯物を取りこみに行った。階を上がってベランダに続く戸口に寄り、ガラス戸をひらくと途端に眩しさが視界を埋めて、視覚の明晰さを奪い去る。しかしもはや押しつけがましい感じの強さはなく、淡いような滑らかな眩しさで、風もなくて洗濯物を入れているあいだ温かな空気が身体に触れていた。眼下、隣家の庭には老人が一人うろついていて、どうやら樹を刈り整える人足を頼んだらしい。吊るされたものをすべて室内に運び入れると、ガラス戸を開けたままにしてタオルを畳み、続いて下着や寝間着も整理したが、そのあいだも外気が明瞭に入ってくることはほとんどなく、冷たさや涼しさは身に触れず、終始温もりが背後から足もとに宿っていた。
 洗濯物の整理を終えると玄関の戸棚から、先日コンビニで買ったバターチキンカレーの箱を取り出し、箱はその場で畳んで紙袋に入れてしまい、なかから出したパウチを水を張ったフライパンに入れて、火に掛けた。沸騰を待つあいだは手持ち無沙汰なので、火を使っていながら危ういことだが、フライパンを放置して自室に下り、過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログと日課の読み物を通過し、すると一九分が経って二時四〇分に達していたので上階へ戻った。炊飯器のなかの米をすべて大皿に払ってしまい、沸き立ったフライパンからパウチを取り出して、鋏で開封すると白米の上にソースを流しかけた。そのほか大根とシーチキンの煮物の余りも加熱して、両方卓に運んで椅子に就き、新聞は読まずにただ食事を取った。完食すると皿を洗い、さらに米がなくなったので新しく磨いでおくことにして、笊を持って玄関の戸棚をひらき、三合少々を掬い取るついでに塩味の「明星チャルメラ」も持って戻り、台所で米を磨ぐと六時半に炊けるように炊飯器をセットしておき、「チャルメラ」に湯を注いで自室に持って帰った。三時直前だった。下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読みはじめ、三分が経つとカップ麺を搔き混ぜ、特性スパイスオイルとやらを垂らして食べながら文を追い、平らげるとさすがに腹がいっぱいになって、茶を飲みたいもののいくらか消化が進んで腹の張りが軽くなるのを待つために、そのあいだに手の爪を切ることにした。Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を流し出してベッドに移り、ティッシュを一枚目の前に敷いて、ぱちぱちと爪を切った。それから、胡座を搔いた両脚の太腿にそれぞれ肘を乗せ、背を丸めて前屈みになった姿勢で目を閉じて音楽に耳を傾けながら、ゆっくり急がず指先に鑢を掛けた。
 そうしてティッシュを丸めて捨てると上階に上がり、カップ麺の容器を始末して急須から古い茶葉を捨て、新しく緑茶を用意した。それを持って戻ってくると三時半、ふたたびロラン・バルトの文章を読みながら一服し、さらに歯磨きも済ませて四時五分で書見は中断して口を濯ぎに行った。目の細かな泡を吐き出すとそれを受けた洗面台の汚れが目に余ったので、スポンジも何もないのだが、辛うじて手近に置かれてあった網状の、布と言うか発泡スチロールめいた素材の何だかよくわからないような物体を取り、石鹸をつけて台を擦った。汚れはあまり落ちないが、多少はましになったようだった。それで手を拭いて階を上がり、仏間で灰色の靴下を履くとトイレに行き、出ると階段を下って着替え、Bill Evans Trioをふたたび、"All Of You (take 1)"から流して、鱗のような模様の入った薄水色のワイシャツを身につけ、スーツは紺色の装いを選んでネクタイも青でまとめた。ベスト姿になるとコンピューターの前に立って、出勤前にこの日のことをメモ書きした。
 記録が現在時刻に追いつくと、流れていた"Some Other Time"を最後まで聞いてからコンピューターをシャットダウンし、上着を羽織ってバッグを持って上階へ上がった。食卓灯を点けてカーテンを閉めるとふたたびトイレに入り、すると外で車が停まるような音がしたので父親が帰ってきたのかと思ったところが、出てストールを巻き、靴を履いて戸をくぐると家のすぐ前に一台の車が横付けされていて、後部に男性がいたもののそれは父親ではなかった。こんにちは、と挨拶すると、動かしますか、とか、それとも今出ますか、だったか、そんなようなことを駐車場の方を指して言う。指の先には父親の車があり、つい先日までは真っ青のものだったのが、今は銀色っぽいような薄灰色っぽいような白さの車種に変わっていて、これが停まっているのに父親が帰ってきていないということは、彼は今日は電車で出勤だったのだ。そう言えばそんなことを言っていたような気もする。男性の発言の意図がわからず、事情も掴めずに、車ですか、と間抜けな返答をしていると、向かいの家に時折り来ている女性が現れて、すみません、今荷物だけ運びこんじゃうんで、と言いながら、布団みたいなものを車に載せるので、それで状況がわかった。あちらの車が我が家の車の前に停まっていて進路を邪魔するような形になっているので、こちらが車を使う妨げになっているのではないかと案じていたのだった。大丈夫ですよ、車使わないので、と答えて階段を下り、ポストに寄って夕刊を取って玄関に戻ると、作業を終えた女性が有難うございましたと声を掛けてきたので、はいと答え返した。
 それで出発である。道に出てちょっと行けば、近間の楓はもう薄緑は排除しきったようで隅まで紅に染まり尽くし、足もとにも赤い葉を散り積もらせている。坂道に入ると川近くの銀杏の樹が目に入り、上から下まで鮮やかな黄一色に統一されたその姿は、辺りの風景のなかでも一際目立っており、その樹の足もとにもやはり、明るい黄色の地帯が円状に作られていた。坂を上り抜けて街道へ向かっていると、途中、T田さんの家に差しかかったところで旦那さんが現れたので、こんばんはと挨拶を交わした。微笑を浮かべて腰の低そうな様子だったが、以前奥さんと遭遇して帰路をひととき共にした際には、馬鹿、なんて言われるのよ、と彼女は愚痴を漏らしていた覚えがある。家内では高圧的なのだろうか。
 街道を行くあいだ、巨大なダンプカーが通ると風が引かれて背後から寄ってくるが、さほど気温は低くないようで寒いというほどのこともない。東の途上では雲が青く、いやむしろどす黒いように暗んでいて、その上には白さを残した雲が盛り上がり、さらに上空は地の青さが露出して思いの外にすっきりと広がっているそのなかで、白い雲の膨らみが夏を偲ばせるようだった。この先の生について漫然と思い巡らせながら薄暗い道を歩いた。死ぬまで毎日読み書きをする生活を続け、そうした生涯を一日も漏らすことなく記述し、史上最長の日記を拵えるという目標をこちらが抱いているのは、読者諸兄においてはご承知の通りである。今現在は衣はともかくとしても食と住を両親に――主に父親に――頼っているために、有り体な言葉を使えば親の経済力に寄生しているためにそうした自由度の高い生活を享受できているが、独力でそのような生を確立させようとなった際に、それが仮に可能だとしても、自由時間と労働のバランスを考えるとぎりぎりの生活になるのは確実である。一言で言えば貧困に陥ることは必定で、若くて健康なうちはそれでも良いが、歳を取っていった先にそうした生活を維持できるかと考えると心許ないことこの上なく、自らの使命とある程度の生活の安定を両立させようとするならば、結局はやはり自分の肩替わりとして生計を保ってくれるような寄生相手を見つけなければならないのではないか。寄生相手と言うと聞こえが悪いが、要はこちらの営みを理解してくれて、少々の労働で主夫的な生活を送るのを許してくれるような相手ということで、あるいはそこまでは行かなくとも、やはり志を同じくするような仲間と生活を共有し、支え合って生きていくほかはないのではないかと思ったのだった。男性でも女性でも良いが、共に支え合うことのできる「パートナー」的な存在を見つけることができなければ、自分の生はおそらく行き詰まる。あるいは表面的な穏やかさとは裏腹に、もう既に大方詰んでいるのかもしれず、だとすればそうした相手を見出すことは焦眉の問題で、人間関係は成り行き任せだなどと悠長なことは言っていられず、むしろ文明の利器たるコンピューターとインターネットを活用して積極的に仲間を募っていくべきなのではないか――と、合理的に考えるならばそれが妥当な結論となりそうなものだが、しかし現実の気分としては、ほとんどまったくそうする気になれない。そんなことを考えながら裏通りを行くうちに空気はますます黄昏れて、暗い大気のなかで頭上の雲の白い部分にはほんの幽かに赤味が混ざってきた。女子高生らが道の先で燥ぎ、あるいは後ろからも来て追い抜かされるなかで、生活についての思考を続けながら歩みを重ねる。
 職場に着いて座席表を見ると、今日の相手は(……)くん(中三・国語)と(……)くん(高三・英語)で、二対一なので楽な仕事である。準備時間ではセンター試験の国語の過去問をコピーし、それから(……)くんの授業で扱う神奈川県入試用のワークを確認した。そうして授業。(……)くんが学校の試験勉強のためにほとんど寝ていなかったらしくて、死んだような精気のない顔をしていたが、授業内容としては特に問題はなかったと思う。ただ、英語の方も高三レベルの長文を扱うとなると、事前に本文を読んで内容を把握しておかないと教えづらいという問題はあって、この職をこなすに当たっては予習が一番のネックである。(……)くんの方は、二対一で余裕があったから、結構詳しく、質問も挟みながら解説することができた。
 七時四五分頃に退勤した。電車には乗らず、徒歩を取る。夕方よりは無論冷えるものの、やはりそこまでの冷気は寄せてこないなかを、左手をポケットに突っこみ、右手でバッグを提げながらゆっくりと歩いた。歩くということはやはり重要で、歩行による移動というのは諸々の活動の隙間となるような時間であり、そこで人は活動というものの持つ目的性から解放される。さらには外界の様々な知覚刺激に遭遇できるという点に加えて、歩行のなかで人は自覚せずとも自然に思いを巡らせるという効用がある。確かゴダールだったかと思うが、雇った女優に毎日歩いて現場に来ることという条件を出したとかいう映画人のエピソードを聞いたことがあるような気がするが、まさしく歩きながらそのことを思い出した。
 月が西南の雲間に細く黄色く刻まれていた。闇に浸された裏通りを行きながら、家屋がいくつも並び立っているのを見て、まったく大したものだなと思った。世の人々の多数は、生活を形作り家庭というものを築くに当たってはどうやら俺よりも遥かに勤勉で有能らしいなと心のなかで称賛したのだった。自分は我が家を建てることも家族を作ることも、おそらく一生涯できないだろう。別にそのことに殊更にコンプレックスを覚えるわけでないものの、世人の多くがそうしていることを考えると、やはり凄いとは思うものだ。彼らと自分とではほとんど別種の世界に生きているような感じがする。
 表に出る間際、角まで来ると空がやや広がって、西南で細い月が、今度は雲間ではなくて薄雲のなかに包まれながら光を失っていないのを、微笑型の傷、と言葉にしてから裏路地を抜けた。街道ではこの冬に、夜であっても、結構走っている人がいるもので、ランナーと何人かすれ違った。ふたたび裏に入って下り坂に掛かると、一段下の道の車庫に入った車の上、街灯に照らし出された裸木の影が細かく捻れながら掛かっているのが不思議と目についた。
 帰宅して玄関を入ると、トイレの鍵を掛ける音が立った。母親が入っているらしい。居間を通り抜けて下階に下りて自分の部屋に帰り着くとコンピューターを点け、ジャージに着替えた。そうして食事を取りに上階に上がると母親の姿はなく、そのくせ玄関の電気は点けっぱなし、テレビも同じく無人の居間で稼働を続けている。最初はこの夜に外を掃きでもしているのかと思ったものの、食事の支度をしていても戻ってこないので、それで電車で帰ってくる父親を迎えに行ったのかと思い当たった。夕食のメニューは、カキフライが二粒、舞茸の加わった大根の味噌汁、トマトソースを絡めた鯖のソテーに南瓜の煮物、大根やブロッコリーやコーンなどを混ぜたサラダに白米である。それらを運んで席に就くと、テレビは歌謡ショーを放映しており、X JAPANのToshiが出演していて、同じく招かれている上沼恵美子の歌を小学生の時に歌っていてずっとファンだった、みたいなことを話していた。X JAPAN、今はJAPANはつかないのかもしれないが、彼らは元々インディーズで人気を博したバンドだったはずだし、少なくともイメージとしては、昔はもう少し反骨精神を持ち合わせていたのではないかという気がするものだが、今はこの体たらくである。テレビは消して、夕刊を読みながらカキフライと米を合わせて咀嚼し、さらに鯖もおかずにして白米を口に運んだ。じきに父親が帰ってきたのでおかえりと低く挨拶をして、さらに母親も遅れてなかに入ってきたが、石油を入れなきゃと言ってまたばたばたしている。石油を入れるから重いタンクを受け取ってと言うので了承し、抗鬱薬を飲んで皿を洗っていると持ってこられたのだが、皿洗いの最中だったので置かれたままにしていると、風呂に入る前の父親が運んでくれた。ストーブからタンクを持ち上げる際に、残った石油が垂れるらしく、床に石油の雫が落ちていたのだろう、また垂らしてるよと文句を言いながら、ティッシュを取って拭いていた。こちらは皿を洗い終え、下階へ戻って急須と湯呑みを持ってくると、苺クリームのエクレアがあると言うので冷蔵庫から取り出し、それを調理台の上に置くと包丁を取った母親が袋の上から半分に切ってくれたので、片方の塊を頂き、緑茶を用意して塒に帰った。Katalin Balog, "‘Son of Saul,’ Kierkegaard and the Holocaust"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2016/02/28/son-of-saul-kierkegaard-and-the-holocaust/)を読む。

・detrimental: 有害な
・derisively: 馬鹿にして、嘲って
・stupefying: 知覚を麻痺させる、無感覚にする
・mesmerize: 催眠術をかける、魅惑する
・nudge: 軽く突く、押す

 最後まで読むと階を上がり、入浴に行った。入った湯が結構温かかったのは、多分父親が追い焚きしたのだろう。浸かりながら散思しているうちに、詩を考えるのだったと思い出した。毎晩風呂のなかで詩句を思い巡らせて、そうしているうちに自然と作品が出来上がらないかという魂胆なのだった。それで言葉やイメージを頭のなかに回したあと、じきに上がり、髪を乾かして洗面所から出てくると即座に下階に帰って、一〇時からこの日のメモを取り出した。現在時に追いつくと、一〇時三六分。
 この日の残り時間もあと僅かである。Bill Evans Trioを聞きつつ、手帳に記されている情報を記憶ノートに写していき、一一時に至ると音楽を聞きはじめた――Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4)。三回続けて聞いた。"All Of You"は三テイクのどれもまったく瑕疵がなく、その演奏の前ではどちらの方が良い悪いという観点が無意味となってしまうかのようで、個人的な趣味としてどのテイクが一番好きかという問いにも答えが出ず、どれも等しく完全であるとしか思えないのだが、それでいて三つのテイクの様相はそれぞれに異なっているのだ。このテイク三は強いて言えば、三テイクのなかである種最も――Bill Evans Trioにあまり似つかわしくないような形容だが――荒々しく、烈しいような部分があると思われ、ピアノソロの終盤など、Evansのコードと、LaFaroのランニングと、Motianのシンバルと、三方からそれぞれ高波が押し寄せてくるような感覚がある。ところでこのテイクではまた、フォービートに入る時の移行の仕方、その際の三者の動きが最高に格好良く、完璧に嵌まっている。スティックに持ち替えたあとのMotianのシンバルの響きは硬質で鋭く、銀閃、といったイメージをもたらすもので、Evansのコードプレイもかなり強靭で迫力を帯びている。LaFaroはフォービートに入るまでのあいだはたびたび上層部に浮上しているのだが、低音部を離れた空中で地に足つけず泳いでいるあのあいだ、ベーシストとして恐ろしくはならないのだろうかと思う。三回目の聴取だったか、ベースソロに集中していると、脳に一音一音が明晰に埋めこまれるような感じのするひとときが訪れたのだが、しかしすぐに呼吸が邪魔になってそちらに意識が行ってしまい、音をよく見ることが――個人的な実感として、音楽を傾聴している際の感覚は「聞く」と言うよりも「見る」ような感じがする――できなくなった。
 次に、"My Foolish Heart"。二回連続で聞くあいだ、Paul Motianに自ずと耳が行った。ともすればドラムは地味なサポートに徹しがちなバラード演奏にあっても、改めて耳を傾けてみると思いの外に動きがあるもので、折々にロールと組み合わせたシズルシンバルの棚引きが散らされる一方、ある場所ではスネアを擦るのみでシンバルには触れない静かなアプローチが聞かれ、後半ではハイハットを裏拍に踏んで倍テンポになるかと思いきやまたすぐに通常のテンポに戻したりと気まぐれな振舞いも観察される。シンバルはおそらく二種だろうか、シズルのついていないより澄みやかな響きのものがあるようで、それを使ってロールと四分音符の一打を一拍ごとに繰り返すリズミカルな音使いも見られた。この曲ではEvansもLaFaroも派手なことはやらない分、Motianが曲の流れや起伏を相当部分形作っている感じがあり、通り一遍に終わらずまさしく繊細と形容するに相応しい彼のプレイの貢献がとても大きいだろう。このバラードが名演となっているのは間違いなく、Motianの豊かな装飾性によって、演奏全体が単調さに陥ることを回避しているためだと思われる。
 さらに、Bill Evans Trio『The 1960 Birdland Sessions』から、"Come Rain Or Come Shine"。四月三〇日の録音である。LaFaroがまたやたら好き勝手やっており、傍若無人に我が道を行っていて、まさしくScott LaFaroがここにいるな、という感じを受ける。彼のプレイを聞き違えることはない。ただ動き回るというのではなくて、その自由闊達ぶりにも特殊さがあると思われる。それは野蛮さと言うか我が物顔的なところと言うか、洗練することなどいかにも容易なのだがそのようなありふれた洗練など知ったことかと敢えて突き放しているような傲岸さの感覚で、行儀良くまとまるということに対して拒否感を抱いているかのような印象を受けるのだ。ところでこの音源では録音の質が変わったようで、ベースが前面に出て太く録れており、ピアノの音はきゃらきゃらしたような質感を帯び、一方でドラムは引っこんでほとんど聞こえなくなってしまっている。演奏としてはピアノはEvansには珍しくやや煮え切らないと言うか、全体に間を取りすぎているような気がして、諸所で遊びのような、普段と違ったペースの取り方がいくらか見えるのだが、それがかえってちょっとぎこちなく聞こえないでもなかった。
 続いて、"Nardis"。テーマの提示は尋常のものである。ピアノソロは、鮮烈な音使いが散見されるものの、やはり間の取り方、そのバランス、全体的な統一性が最高度に整ってはおらず、この日のEvansは六一年六月二五日の天上的な高みには達していないようだ。勿論だからと言って、とても凡百の演奏ではない。Motianはここでは極々普通のサポートをしているのだが、この曲ならもっと遊べるだろう、もっとリズムを拡散させ、崩してしまって良いだろうと思った。ベースソロはかなりダイナミックだが、しかし同時に逸っているような感じもどこかにあるようで、LaFaroも六一年と比べると、この時期は全体にそうしたやや性急なような印象を受ける。
 音楽を聞き終えたあとは零時半から読書に入ったが、ベッドに乗ってしまったため、あまり読めなかったようだ。そのまま三時に達して就床。


・作文
 11:30 - 11:41 = 11分(3日)
 11:41 - 11:57 = 16分(2日)
 11:57 - 12:53 = 56分(30日)
 16:17 - 16:31 = 14分(3日)
 22:01 - 22:36 = 35分(3日)
 計: 2時間12分

・読書
 13:40 - 14:06 = 26分
 14:21 - 14:40 = 19分
 14:58 - 15:10 = 12分
 15:28 - 16:05 = 37分
 20:54 - 21:17 = 23分
 24:30 - 26:59 = (1時間引いて)1時間29分
 計: 3時間26分

・睡眠
 2:00 - 10:15 = 8時間15分

・音楽

  • Queen『A Night At The Opera
  • Bill Evans Trio, "All Of You (take 3)"(×3), "My Foolish Heart"(×2)(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D3#4, D1#4)
  • Bill Evans Trio, "Come Rain Or Come Shine"(×2), "Nardis"(『The 1960 Birdland Sessions』: #6, #7)