2019/12/4, Wed.

 ファシスト政権下のイタリアでは、ナチの人種法を模倣して(いわゆるニュールンベルク法)、一九三八年に、当時約四万五千人ほどいたユダヤ少数民族の諸権利と尊厳を大幅に制限する一連の措置が制定された。これらの措置はファシズムの決定的崩壊まで(一九四五年四月二十五日)効力を持ち続け、民衆の支持はなかったにもかかわらず、約八千人のイタリア系ユダヤ人の生命を奪った。この約八千人のイタリア系ユダヤ人は、著者と同じように、ファシストやナチに捕えられたり、スパイの密告を受けたりして、抹殺収容所に送られたのである。その中で帰還できたものは数百人にすぎなかった。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、259; 注2)

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 SS(Schutz-Staffel[シュッツ・シュタフェル])の略で「親衛隊」を意味する)は一九二九年にヒットラーボディガードとして創設された。その後、ドイツ軍の内部で、ナチ・イデオロギーを狂信的なまでに体現した軍隊としての性格を持つようになった。SSの任務には、ナチの敵やユダヤ人の探索、逮捕、強制収容所の管理、運営が含まれていた。
 (260; 注7)


 九時のアラームで一度起床。テーブルに寄ってコンピューターのスイッチを押したが、立位に耐えきれず、敢えなくまたベッドに舞い戻る。それで一〇時三五分まで留まったが、それでも睡眠時間としては七時間三五分なので、そこまで悪くはないだろう。再度起床するとコンピューターに寄ってEvernoteで前日の日課記録をつけた。この日の記事も作成しておくと部屋を出て上階に行き、まず寝間着からジャージに服を替える。その後、洗面所に入って頭に整髪ウォーターを吹きかけ、櫛付きのドライヤーで撫でて後頭部の寝癖をいくらかましにした。それからトイレに行って黄色い尿を放ってくると台所に入り、フライパンには輪切りにした大根と豚肉のソテーが拵えてあったので、それを皿に取って電子レンジに収める。そのほか白米をよそり、大根の味噌汁の余りもすべて椀に注ぎこむと、食卓に料理を並べて食事を始めた。新聞を引き寄せると一面には、国際学力テストみたいなもので日本の子供の読解力の順位が大幅に下がったという報があった。SNSなどの普及で長文を読み書きする機会が減ったことが一因ではないかと指摘されていたが、本当にそんなに影響があるものだろうか。その他、安倍首相が文在寅大統領との日韓首脳会談実現へ向けて調整しているとの知らせも読み、ものを食べ終えると台所に立って食器を洗った。それから風呂場に行って水垢などでざらざらと汚れた浴槽を熱心に擦り、出てきて階段を下りると母親はちょうど床に掃除機を掛けている。その脇を通り過ぎると、今日は仕事、と訊いてくるので、ああ、と端的な返事を返しつつ廊下を行き、五時から、と続くのにもああ、と短く返して部屋に入った。急須と湯呑みを持って上階に引き返すと、緑茶を用意してふたたび階段を下り、自室に戻ると一服して、するともう一一時四五分に至った。ここまでこの日の日記を綴って一一時五三分である。
 それから前日、一二月三日の記事を綴ったが、何故か思いの外に時間が掛かってあっという間に二時間一五分が経過し、二時を越えていた。記事が仕上がるのとちょうど同じ頃、母親が帰宅した気配が上階に生まれたので、部屋を出て上がっていくと居間のテーブルにはマクドナルドの袋が置かれてあり、久しぶりに食べたくなって買ってきたのだと母親は言った。洗濯物はまだ取りこんでいなかった。入れるかと訊くと、食べてから入れると言うので了承し、自分はもう少しあとで食べると表明しておき、下階に戻った。前日の記事をインターネットに投稿してから、軽い運動に入った。the pillowsのベスト盤を"New Animal"から流して柔軟を行うのだが、昨日久しぶりに徒歩で出退勤したからだろう、右の足裏が突っ張ってちょっと痛かった。柔軟後、物凄く久しぶりのことで、ほんの僅かにではあるが、腹筋を行った。毎日、ほんの少しずつでも腹筋運動を行うことで身体の支えのようなものを作りたい。
 それから音楽を止めて上階へ、時刻は二時半、ハンバーガーを食べることにしたが、その前に洗濯物を取りこんだはずだ。二時半にもなると、僅か三〇分でも二時と比べれば陽はやはり低く、戸口に立てば光線が眩しいは眩しいが、それはもはや威力のない薄いもので、ベランダの床の大半には陽射しが掛からず、吊るされたものを取りこんでいても空気がやや冷たい。洗濯物を室内に入れてしまうと卓上の袋からチーズバーガーとポテトを取り、ポテトは皿に空けて、合わせて電子レンジに収めた。それから温まったものを持って席に就き、新聞も見ずに窓外にぼんやりと目を向けながら食事を取った。その途中、母親が何やら気色ばんで、玄関の上が変、写真も撮った、と言ってiPadを差し出してきた。見れば、玄関の上の壁に、インクみたいなものが点々と付着している画像で、故意にやらないとこんな風につかないよねと母親は訝る。確かにそうかもしれないが、誰か人間がやったことだとしても、意図や動機がわからない。小さな嫌がらせの類と考えても地味に過ぎて、人間が故意にやったものではないのではないかという気がする――それではどうやってついたのかと訊かれてもわからないが。母親はこうした付着物があったという事実を訴えるとそれでもう気が済んだのか、気色ばんでいた様子はもはや消え去って、メルカリか何かを閲覧しながら、これを見てるとまた何もできない、と笑っていた。その後、チキンナゲットも二粒を取り出して電子レンジで温め、加熱されたものにケチャップを掛けた。そのまま台所で立った状態で食ってしまっても良いものを、わざわざ椅子に戻ってきちんと腰掛けて、手でつまんで鶏肉を食べる。すると野菜も食べるかという気になって、訊けば昨晩のサラダが僅かに残っていると言うから、それを持ってきて和風ドレッシングを掛けて食べ、完食したので食器を台所に運んだ。ドレッシングはきちんと冷蔵庫に戻しておき、洗い桶のなかに放置されていたものも含めて皿を洗うと、洗濯物を畳むのは母親に任せて、緑茶を用意して自室に帰った。一服しながら、センター試験の国語の過去問、二〇〇七年度のものを解く。小説文で一問ミスしたのみという結果になったが、その小説というのが堀江敏幸の『送り火』というもので、これがなかなか良い話で、女性が男性に惹かれていく過程をわりと紋切型でなく書いていて、さすがは堀江敏幸だなと思われた。その後、歯磨きをしつつ読み物に入って、二〇一四年の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログといつもの三種類の文章を読むと三時四〇分、洗面所に行って口を濯ぎ、便所に入って排便した。それから眉をちょっと整えようということで、鋏とコームを部屋から持ってきて、洗面所の鏡の前に立つと、母親が上階から、タオル下に置いといて、と声を放ってきた。眉毛をちょっと短く揃えてから階段に行くと、タオルが散らばっているので、階段の一番下の段にまとめておき、そうして部屋に戻れば着替えである。Bill Evans Trioの一九六一年六月二五日のライブ音源を、"Alice In Wonderland (take 1)"から流し、白いワイシャツと灰色のスラックスを身につけ、ネクタイは水色の地にドット模様のものを選び、ベストも羽織ると二種類のゴミ箱を持って上階へ行った。行商の八百屋が来たようで、母親は外に出ているらしい。ゴミ箱を床に置いておくと、まず仏間に入って黒い靴下を履き、それから燃えるゴミを台所のものと合流させ、次にプラスチックゴミだがこちらは袋が見当たらなかったので、外から入ってきた母親に訊くと、葱を差し出してくるので受け取り、台所の端へ置いておいた。それから母親が戸棚から取り出したビニール袋も受け取って、穴が空いていたのでセロテープで留めたそのなかにプラスチックゴミを入れ、さらに洗面所の下部に仕舞われていた薄紫色の袋のなかに押しこんでおき、そうして下階の自室に帰ってこの日のことをメモ書きした。すると四時一二分、これで労働に出て二時限をこなして帰ってくれば大方一〇時、飯と入浴を恙無くスムーズに済ませても一一時といったところだろう。三時に眠ると想定しても四時間ほどしか残らないわけで、時間というものはなかなか、どうしても足りないものだ。しかもこれで、今日の生活は余計な事柄にはほとんど時間を使っていない。二時限の労働の日はだからわりあい忙しいのだが、しかし将来的には最低でも毎日二時限くらいはこなさなくては、金が稼げずとてもでないが生きていけない。やはり睡眠時間を六時間ほどに固定できなくては、活路が見出せないだろう。
 家を発つのは四時四〇分である。余った時間でセンター試験の二〇〇六年度の問題を解いた。この年は編集の都合で小説しか収録されておらず、問題なく全問正解して四時半を過ぎたので、掛かっていた"Gloria's Step (take 2)"を最後まで聞き、コンピューターをシャットダウンして上着を羽織り、バッグを持って階を上がった。マフラーは灰色の、Paul Smithのものを選んだ。出発前にトイレにもう一度行ったのだったか否か? 覚えていないが、そんなことはどちらでも良い。じゃあ行くんで、と母親に告げて玄関に行くと、郵便あるか見て、と母親もあとからついてきた。戸口をくぐってポストを確認するとなかは空だったので、ない、と声を振って振り返ると、駐車場に車が停まっていて、そのなかに父親の姿があったので、もう帰ってきてるじゃんと口にした。送っていこうかと訊いてくるのに、いや、いい、と手を振って断り、道に出て歩き出した。空は雲が一滴もなく、黄昏れ前の冷たい青さにすっきりと晴れて、振り向けば西の山際から洗われたような残光が洩れている。家の近間の楓の木は赤味が渋いような、乾いた質感を帯びており、足もとに散り敷かれた枯葉の層は、遠くから見るとまるで一面に花が咲いているようにも映った。坂道に入って右方、南空に目を飛ばせば、櫛のような形の半月がすっと垂直に立って浮かんでいる。
 街道に出てからは歩く途中で時折り振り向き、残照の色を確認しながら行った。山際のオレンジ色の燃焼を背景にして、家並みや丘が黒々とした影と化している。道に風が流れれば、やはりもう結構冷たくて、頬を擦る感触が強い。
 裏通りに入ると途中の小さな工場[こうば]から、激しく噴出する水で何かを洗っているような音が飛び出してくるのだが、しかしそれは実際には多分、ドリルか何か、機械の駆動音なのだろう。そのなかに金属が触れ合うような響きも混ざり、前を通り過ぎる際には、溶接か何かしているらしく、火花の散る音――ジ、の響きを連続させたようなざらついた音――が立って聞こえた。森は黄昏れに包まれながらも、まだ橙色の箇所と周りの深緑の区別がつく。右の足首に何だか疲労感があった。余計な力が掛かっているような感じがしたのだが、それは多分、足裏の張りを避けようとして気づかぬうちに歩の踏み方が歪んでいて、それがために足首に無益な負荷が波及しているのではないかと思われた。青梅坂あたりまで来て時刻が五時を過ぎると、森は一様な影と化しはじめる。さらに進んで道脇に駐車場がひらくところでまた森の方を見ると、黄色い巨木の、滝を逆さまにして天に向かって飛沫上げて落ちていく水の流れをそのまま凍りつかせたような姿が闖入してきて、薄暗闇に包まれていながらも隠しきれない烈しさの印象に打たれた。
 駅前に続く路地では、駅に電車が着いたばかりか、それともバスから降りてきたものか、女子高生や勤め人が帰路を行き、これから出勤のこちらとすれ違いながらかつかつという足音を道に響かせる。銀行の前ではスーツ姿の行員女性が、鎖を張るためのポールを上げて回っていた。
 職場に着くとロッカーに荷物を収めてから、早速センター試験国語の過去問をコピーする。二〇〇五年度及び二〇〇四年度である。それから英語のテキストを読んだりして準備時間を使い、授業に入った。一コマ目は(……)くん(高三・国語)、(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中一・英語)。高三の国語はセンター試験の過去問を解いているのだが、今日扱ったのは二〇〇九年度と二〇〇八年度のもので、予習済みだったので問題なく解説することができた。(……)くんの社会は確認テストの表裏をやってもらい、それを解説しているだけで意外と時間が尽きたが、ノートは充実させることができた。中一の(……)くんも、まあわりとやってくれた方だろう。ノートも、単語や熟語ばかりだけれど何個か知識を記すことができた。今日扱ったのはL8 USE Readの単元で、少々長い文のところなので、本当は教科書本文を細かく確認したかったのだが、それほどの余裕はなかったし、本人のやる気もそこまでなかっただろう。
 二コマ目は(……)くん(高三・英語)に、(……)くん(中三・国語)、(……)くん(中三・国語)。(……)くんは今やっているテキストに飽きたと言うか、それが試験のためになっているのか疑いが出てきたようなことを言っていて、センター試験の問い四の、表や図を絡めた問題の読み取りを練習したいと言うので、過去問をコピーして扱った。文章の内容自体はわりと読めているようなのだが、小手先のテクニックと言うか、途中の一段落か二段落は読まなくても良いとか、最後の段落だけ読めばこの問いはわかるとか、そういったことばかりを気にしていて、英文を読む力自体が養われなければ何にもならないのに、これでは本末転倒だろうと思われた。結局は大学に受かることが目的なのだし、ある程度はそうした効率性への志向も必要で、仕方のないことではあるが、受験英語の弊害ではあるだろう。国語の二人に掛かっていたこともあってほとんど本文の確認はできず、最後に一問見たのみで終わってしまった。仕事としては楽なのかもしれないが、何となく虚しいものだ。
 国語の二人に関しては、(……)くんはさほど問題ないと思うのだが、(……)くんの方が難儀で、基本的な読解力が乏しいようで、問題も全然わからないという様子だった。本文に記してある基本的な事実認識すら読み取れていないようで、これを読めるようにしようと言っても、一体どうしようがあると言うのか? 読解力など、一朝一夕で身につくものではない。単純な読み慣れというのは結構あるのだろうなと思う。言語能力はおおよそすべての世界認識の基礎なのだから、幼少期から本に触れさせるということはやはり大事なのだろう。
 授業後、女性陣の同僚を見送ってから、室長に明日の相手を訊いた。(……)さんと当たっていると言う。相性のあまり良くないと思われる子で、果たしてどうなるものか。いずれにせよ国語なので、小学生相手とは言え、多少は予習をしなければならないだろう。相手の能力が低く、やる気もあまりないのだが、むしろだからこそわかりやすく解説できるように、事前に文を読んでおかなければならない。ところで、明日は一コマの労働だと思っていたのだが、実際は二コマだと言う。土曜日に四コマ働く代わりに明日の木曜日を一コマにするという話になっていたはずなのだが、そのあたりの細かな変動を確認するのも面倒臭かったので、ただ残念がっていたところ、一コマにもできるけど、と言うのでそうしてもらった。土曜日の方も、四コマは回避されて、朝からではあるが三コマの労働になったようである。一日三コマまでなら何とかこなせるが、四コマとなるとさすがにかなり厳しい。
 それで退勤し、駅舎の前を過ぎる際、(……)先生が迎えを待っているらしく立っていたので、挨拶をして通り過ぎた。空気はさすがに冷えているが、マフラーを巻いていればまだ何とかなるレベルの冷気ではある。月は弧を下にして笑みの形で浮かんでいる。市民センター裏で、自販機のゴミ箱に、家から持ってきた飲み物のゴミを詰めこんで始末しているらしき人がいた。すれ違う際に、酒の気配がちょっと香ったような気がした。道を進むうちにスーツの表面がどんどん冷えてくるものの、微風が流れても身体の芯を貫くほどの冷気ではない。空は雲を排して晴れ渡り、一面群青色に染まって、枝ぶりが屈曲した裸の庭木や、遠くの丘の黒い影が溶けこむような明晰な深さである。裏通りの途中、白猫が道の先の方に姿を現して横切った。追いついて戯れたいと思ったのだが、家の敷地に入ってしまい、そこまで来ると暗闇のなかから鈴の音が小さく届くのみで姿は見えず、果たせなかった。右足の踏まえ方はやはり歪んでいるような気がした。左足はまっすぐ踏めているようなのだが、右の方は蹴り出す時に外側に重心がずれるような感じがあって、いつからそういう歩み方になっていたのかわからないものの、この歪みがこの先あるいはネックになるかもしれないなと思った。いずれ、まだまだ遠い先とは思いたいところだが、歩けなくなる日もきっとやって来るのだろうと思われた。
 家の近間まで続く坂の上に来ると空が広くなり、凍てたように明澄ななかに星が引っかかって、オリオン座が淡く光っていた。帰宅すると居間は無人、母親は入浴中らしく、父親は既に寝室に下がったようだ。下階へ下りて自室に入り、ポケットのなかのものを出し、コンピューターを点けてマフラーを外す。冷えた上着を脱いで廊下に吊るし、ベストやネクタイもそれぞれの場所に戻して、ジャージ姿になってTwitterを覗くと、「MN」さんからメッセージが届いており、先般のやりとりに関連していくつか質問がなされていて、それがなかなか骨の折れそうな内容だった。すぐに答えたいのは山々だが、結構余裕がないのでいつになるか正直わからない。それから上階へ行き、食事を支度する。白米に輪切り大根と豚肉のソテー、玉ねぎや大根を細切りにしてシーチキンと和えたサラダ、野菜や茸の薄味のスープ、それにマクドナルドのハンバーガーを一つである。テレビはどうでも良い歌謡番組を映しており、夕刊を読もうとするもののあまり頭に入ってこない。それで黙々とものを食い、皿を洗って入浴に行き、「MN」さんにどのような返信をしようか漫然と頭を巡らせて、そうして一一時過ぎに風呂を出ると緑茶を用意して下階へ行った。一服しつつ、「MN」さんにはひとまず短いメッセージを送って、お返事は正直なところいつになるかわからないと伝えておき、インターネットを回ったあとに一一時半過ぎからこの日のことをメモに取った。すると零時一六分、音楽を聞く時間が取れない。
 その後、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を読みはじめたのだが、労働が二コマあるとやはり多少疲労が嵩むようで、読みながら瞼が閉じるようになってきたので、これは駄目だなと判断して一時二〇分頃、床に就いた。


・作文
 11:45 - 11:53 = 8分(4日)
 11:53 - 14:08 = 2時間15分(3日)
 15:56 - 16:14 = 18分(4日)
 23:34 - 24:16 = 42分(4日)
 計: 3時間23分

・読書
 14:49 - 15:25 = 36分
 15:28 - 15:41 = 13分
 16:14 - 16:31 = 17分
 24:17 - 25:19 = 1時間2分
 計: 2時間8分

  • センター試験国語過去問・2007年度、2006年度
  • 2014/3/12, Wed.
  • fuzkue「読書日記(162)」: 11月7日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-11-30「たそがれを泳いで渡るこの街を仮想世界だと主張するひと」
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』: 254 - 270

・睡眠
 3:00 - 10:35 = 7時間35分

・音楽
 なし。