2019/12/5, Thu.

 (……)それから私たちは無蓋バスに乗せられ、カルピ駅に運ばれた。そこには汽車と護送隊が待ち構えていた。そこで私たちは初めて殴られることになった。それはひどく目新しい、常軌を逸した行為だったので、肉体的にも精神的にも苦痛を感じなかったほどだ。ただ深い驚きだけが湧いてきた。どうして人を殴れるのだろうか、怒りにかられたわけでもないのに?
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、12; 「旅」)

     *

 旅は二十分ほどしか続かなかった。トラックが止まると大きな扉が現われ、その上に、ARBEIT MACHT FREI[アルバイト・マハト・フライ](労働は自由をもたらす)という標語が、あかあかと照らし出されて見えた(私はいまだに夢で、この光景に責めさいなまれている)。
 (20; 「地獄の底で」)


 一一時一五分起床。昨晩床に就いたのは一時一五分だから、ちょうど一〇時間も留まってしまったわけで、大層時間が勿体ない。糞である。臥位から見える空には細かくほつれたりそぼろのようになったりした雲が広く湧いて、上空は風が結構あるようで素早く流れており、そのあいだにひらいた地帯の青が深く、池のようだった。それをちょっと見つめてから起き上がり、上階に行くと、母親はインフルエンザの予防接種か何かに出かけているらしく、居間は無人である。寝間着からジャージに着替えるとトイレに行って用を足し、台所に来るとフライパンに炒められていた菜っ葉混じりのハムエッグを皿に取り出して電子レンジに突っこんだ。そのほか昨晩のスープを温め、僅かに余っていた米もすべて椀に盛ってしまい、三品を卓に運んで食事である。新聞を引き寄せると一面には、中村哲というアフガニスタンで活動していた医師が武装勢力に襲われて死亡したという報があった。それを読んだあとは頁をめくって、中曽根政権の遺産、というような特集頁を瞥見しながらものを食べ、平らげると台所に立って食器を洗った。それから米がなくなったので、出勤前に食べることを見越して新しく炊いておこうというわけで、笊を持って玄関の戸棚に行き、三合半を掬い取って台所に戻ると、乾いた米粒の付着した釜を洗ってから、洗い桶のなかで白米を磨いだ。それを即座にセットしておき、炊飯ももう始めると洗面所に入って後頭部の寝癖を少々直したあと、浴室に踏み入って風呂を洗った。出てくると緑茶を用意して自室へ、一服するともう一二時半、茶を飲んで暑くなったので電気ストーブを止め、ダウンジャケットも脱いで、ジャージ姿で打鍵を始めた。ここまで日記を綴ると一二時四〇分である。
 そのまま前日の日記も綴りはじめた。ひとまず三〇分かそこらを目安に考えていたのだが、結局一時間強掛けて最後まで完成させることになった。この程度の時間と労力で毎日仕上げることができれば、まだしも生活に余裕が生まれるだろう。記事をインターネットに投稿すると、the pillowsを流して運動に入った。屈伸を繰り返し、前後に開脚して脚の筋を伸ばし、続けて左右方向に姿勢を変えると肩を上げ、力を入れたまま腰を落として静止した。しばらくその状態で耐えてから今度は立位になって両手を天に向けて差し上げたり、肩を回したりする。歌を歌いながらそのようにして開脚と立位を何度か行き来したあと、二時を越えると上階に行った。
 洗濯物を取りこむ。二時だと太陽がまだ梢に到達していないから、やはりまだ結構光が眩しい。スリッパを履いてベランダに出て、吊るされたものを順番に取りこむと、台所に移ってフライパンに水を汲み、火に掛けた。そうして玄関の戸棚からレトルトカレーを出し、パウチを水のなかに入れておく。洗濯物を畳んでいるあいだに加熱が済むだろうという目算である。それでソファの後ろに移って、まずいつも通りタオルを畳む。背後から足もとに陽が流れていくらか温もり、宙には白い塵が無数に漂って明るい空気のなかに浮かび上がっている。次にジャージや寝間着を畳んで、さらに靴下や下着も整理しておくと、そろそろカレーが温まっただろうと台所に行った。冷蔵庫を覗くと前夜のサラダ――大根やパプリカや紫白菜を下ろしたものをシーチキンやマヨネーズで和えたもの――がボウルに入っていたのでそのまま卓に運んでおき、それから大皿に白米をよそり、沸騰した湯のなかからパウチを取り出して開封すると米の上にカレーを掛けた。そうして卓に就き、新聞も何も読まずに食事を取る。カレーは「ごろごろ野菜のたっぷりカレー」みたいな品名だったと思うのだが、蓮根やジャガイモ、人参や茄子などの塊がいくつか含まれていて、肉は入っていないものの野菜がよく煮られていて柔らかく、そこそこ美味いものだった。カレーを平らげると冷たいサラダを少しずつ口に入れて咀嚼し、最後の一口も運ぶともぐもぐやりながら台所へ移動して、皿洗いを済ませると二時半前だっただろうか。緑茶を用意して居室に下りた。
 読み物である。過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログ――この日は二日分を読んだ――と触れる。それで一服しながら三〇分を使って三時を過ぎ、さらに出勤までに今日は読書をすることにして、下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』をひらいた。歯磨きをしながら読み進めたが、口を濯いできてからはストーブの暖気のためか睡気が湧いて、机に肘を突きながら少々うとうととした。じきにストーブを消して頭をはっきりさせ、読書ノートに文言を引用しているうちに四時を越えたので、着替えに移った。まず上階へ行き、仏間で黒い靴下を履いてきてから下りてきて、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』を"Alice In Wonderland (take 1)"から流しだし、そのなかで仕事着に装いを替えた。水色と紺の格好で、ネクタイは鼠色のものである。ベスト姿になるとコンピューター前に立ってメモを取り、打鍵のあいだ、"My Foolish Heart"、"All Of You (take 1)"と音楽が流れていった。
 メモ書きをしたあとは、出勤までに一〇分の猶予が残ったので、もう上着を羽織ってしまい、立位のままに、ふたたびロラン・バルトの本から読書ノートに引用をしておき、そうして四時四〇分を迎えるとバッグを持って階を上がった。食卓灯を点けてカーテンを閉める際、南窓から、近所のWさんの家で火が焚かれているのを目にした。それからトイレに行って玄関をくぐると、隣家の駐車場には人影があって、見れば老人が軽トラックを前にしているのは、何か庭仕事にでも頼んだ人足だろうか。ポストから夕刊を取り、階段下の壁際の段には円筒型に包まれたカレンダーが置かれてあったので、それらを玄関内へ入れておき、出発した。空には斑状の雲が広がり、半月がその天辺に触れているものの、雲の動きが速くてすぐに無地の空へと離れていって、その天空の色はくすんだような青をしており、昨日よりも空気が冷たいような感じがした。坂を上り、街道に向かうあいだも、昨日と同じ時刻のはずなのに、今日の方が空気が沈んで水っぽいようで、その分、街道を流れる車のライトも際立って見える。表に出て北側に通りを渡ると、背後から焼き芋屋の、例の間延びした独特の節回しの売り声が響いてきて、軽トラックが青やらピンクやらの電飾をぶら下げてかたかた揺らしながら通り過ぎていった。じきに裏路地に入ったようで、家並みの向こうから声は届いて、空気はさすがになかなか鋭い。
 裏道に入るとまたしても焼き芋の売り声が後ろから渡ってきて、進んでからも森に反響していた。歩きながら自分の歩みに意識を寄せて、今日は歪んでいないようだなと確認した。足首の疲労もないし、無理のない、柔らかい踏み方をしていたようだ。空き地の横まで来て空がひらけば東から西まで長く、龍のようなあるいは鮫のような雲が連なっているのが露わになり、正面、東の方は白っぽい灰色なのだが、繋がりを辿って視線を滑らせていくとそれが西では暗く沈んでおり、さらに首を曲げて振り向けば山際から直上まで雄々しく、次第に幅を拡大する帯のような雲が放射状に広がり、頭上に伸し掛かるようだった。青梅坂あたりまで来ると、腹の辺りに温もりが溜まって、寒さもそこまで感じられなくなる。
 職場に着いて座席表を見ると、(……)さんは休みで、ほかの面子は(……)くん(中三・英語)と(……)くん(中三・国語)だったので予習の必要はなくなった。それで奥のスペースに座って久しぶりに手帳にメモを取っていると、(……)さんがやって来たので、互いにお疲れさまですと挨拶を交わした。彼女の初授業の日だったのだ。それで、大丈夫、緊張してる? などと声を掛けに行き、やや慌てているような感じだったので、一緒にいくらかの事項を確認しながら準備をした。初授業にも関わらず、二人を相手にすることになっていたのだが、初めてで二対一は厳しいのではないか。そう言う自分は初めての時、それはもう一〇年以上も前になるけれど、あの頃は研修などもなかったしいきなり放り出されるような感じで二対一をやらされたような気もするが、いずれにせよ、一人貰った方が良いかなと思ったので室長に話しに行き、(……)くん(中三・英語)をこちらが引き取ることにした。(……)さんはさらに、初授業なのに二コマこなすことになっていて、あとのコマの方も二対一になっていたのでこちらは(……)先生に一人回すことになった。それか、最悪こちらが残っても良かったのだが――そうなると、元々二コマだった予定を一コマに減らしてもらったのが無意味になるわけだったが――、まあ大丈夫だろうということになった。
 (……)さんは、結構上手くやれていたのではないか。一人相手なので、わりと密着的に生徒に当たっていたようだったが、途中、一度だけこちらに訊きたいことがありそうな雰囲気を出して視線を送ってきていたので――こちらの授業の場所と彼女の担当座席は隣り合っていた――生徒への説明が終わったタイミングで視線を振ると――この辺りの察しの良さは我ながらなかなかのものではないか――、単元の最初の頁である確認問題すら終わりそうもないけれど宿題はどうしたらいいかとのことだったので、確認問題の残りを宿題にするようにと指示をした。授業後に記録を見せてもらっても、大方問題なく記入させることができていたように思う。
 こちらの授業もまあ普通である。(……)くんが意外と、できないと言うほどでもないが、問題を解くのに思いの外に時間が掛かっていて、わからない部分やミスも多少あって、学校のテストではいつも高得点を取っているのだが、と訝られた。質問をしてみると、知識は思い出せているのだが。ただゆっくり、力を抜いてやっているだけなのだろうか? (……)くんは何だか態度が気安くなってきて、ちょっとおふざけを挟むようになっており、やりやすいと言えばやりやすいけれど雑談が多くなるので、あまり緩すぎても問題かもしれない。
 授業後、(……)さんの元に行って確認し、僕は帰っちゃうから、頑張って下さいと伝えると、ええ、帰っちゃ駄目ですよ、いてくださいよと言われたものの、せっかくの一コマの恩恵を生かさないわけには行かない。片づけをして退勤したのは七時五〇分頃ではなかったか。黙々と夜道を行った。視線もあまり上げずに道に落としがちだったので、印象深い遭遇も特段になかった。空気は寒いには寒いけれど、声を出すためだろうか、昔から勤務後はわりと身体が温まるような感じがして、この日もそうでむしろ行きの方が空気が冷たかったようにも感じられた。折々に見上げると月は常に直上付近に、弧を下に向けて浮かんでおり、時には雲のなかに包まれていたが、上空ではやはり風が流れているようで泳ぎが速く、するするといかにも容易そうに流れていく。家の傍まで来ると脇の林から蟋蟀か何かが、たった一匹で音を張るのに、この寒いのにまだ生き残っているのかと思った。侘しく鳴いているものだった。
 帰宅して居間に入ると、母親が色々やってくれて有難うねと声を掛けてきたが、大したことはやっていない。下階へ行き自室に入って、バッグから物を出して所定の位置に戻すと着替えをする。服を一つずつ身から剝がしていき、肌着姿になるとジャージを替わりに身につける。そうして上階へ、食事は青椒肉絲、チーズの乗った厚揚げ、若布と卵と豆腐のスープ、細切りの生サラダ、白米である。それぞれ温め運んで席に就き、夕刊を見れば、中村哲医師襲撃事件についての第二報が載っていたのでちょっと読み、めくって三面からもいくつか記事を読んだ。米国が中東に一万四〇〇〇人規模の増派を計画しているとかいう話だった。並んだ皿のものをすべて平らげると、母親が買ってきた焼きたらこのおにぎりも頂き、それから皿を洗う。母親は、風呂に速く入らなきゃと言いながら実際は悠長にスープを用意している。苺クリームのメロンパンを買ってきたと言って半分分けてくれたので、それを持って自室に下り、急須と湯呑みを持って上がって、緑茶を用意すると下階に引き返し、メロンパンを食いながら一服したあと、九時四〇分からメモを取った。
 一〇時を回って、今日は読書に邁進しようということで下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』をふたたび読みはじめて、五〇分を充てたが、この時は確かちょっと睡気にやられたのではなかったか。帰宅した父親が風呂から出たらしいタイミングを見計らって階を上がり、湯浴みに行った。身体を寝かせて頭を縁に預けて目を閉じて静止しながら身を休めていると、あっという間に三〇分以上が経過した。上がってくると寝間着の上にダウンジャケットを羽織って下り、零時前からふたたび読書に入った。結構な疲労感があったのだが、湯浴みでそれがそこそこ溶けたのか、睡気は湧いてこず、読書ノートにメモを取りながら三時まで書見に傾注することができた。寝入るまでに一〇分は掛かると考えて、六時間で起きるように九時一〇分にアラームを仕掛けてから就床した。


・作文
 12:32 - 12:41 = 9分(5日)
 12:41 - 13:49 = 1時間8分(4日)
 16:15 - 16:27 = 12分(5日)
 21:40 - 22:00 = 20分(5日)
 計: 1時間49分

・読書
 14:35 - 15:05 = 30分
 15:06 - 16:07 = 1時間1分
 16:28 - 16:39 = 11分
 22:09 - 22:59 = 50分
 23:50 - 27:00 = 3時間10分
 計: 5時間42分

  • 2014/3/13, Thu.
  • fuzkue「読書日記(162)」: 11月8日(金)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-01「きみのその好意がまぶしすぎるから夜が救いになることもある」; 2019-12-02「神々に捧げるものをなにひとつ持たないおれの不敬を捧ぐ」
  • 下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』: 270 - 336

・睡眠
 1:15 - 11:15 = 10時間

・音楽

  • Anat Fort『A Long Story』