2019/12/8, Sun.

 ラーゲルの住民は、刑事犯、政治犯ユダヤ人と三種類に分けられるのを、私たちはすぐに学んだ。三者とも縞の服を着、みな囚人[ヘフトリング]なのだが、刑事犯は上着の番号の脇に緑色の三角形を縫いつけている。政治犯は赤い三角形。大部分を占めているユダヤ人は、赤と黄色のダビデの星をつけている。SSはいることはいるのだが、数は少なく、しかも収容所の外にいるので、めったに姿を見せない。だから私たちの実際の主人は、好き勝手なことをしかけてくる緑色の三角形と、残りの二種類の囚人の中で、この緑の三角形を進んで助けるものたちである。しかもその数は少なくはないのだ。
 またそれぞれの性格から、早い遅いの違いはあるのだが、私たちは別のことも学ぶことになった。「そうであります[ヤヴォール]」と答えること、質問をしないこと、いつも分かったふりをしていることなどだ。それから私たちは食物の価値も理解した。スープが配給されると、今では私たちも飯盒の底をたんねんにかき取る。パンを食べる時は、パンくずを散らさないよう、飯盒を顎の下にあてがう。桶の表面と底のスープには違いがあることが分かっており、桶の大きさによって、列に並ぶ時、どの位置を狙えば一番よいのか、計算できるようになっている。
 どんなものも役立つことが分かった。たとえば、針金は靴を縛るのに、ぼろきれは足当てを作るのに、紙は上着の中に詰めこんで寒さを防ぐのに役立つ(ただしこれは違法だ)。またどんなものでも盗みの対象になること、それも少しでも注意をそらしたらすぐに盗まれてしまうことを学んだ。そこで盗みを防ぐために、飯盒から靴にいたるまで持ちものをみな上着に包み、枕にして眠る術を学ばねばならなかった。
 それに恐ろしくこみいった収容所の規則も、かなりの部分がもう分かっている。禁制は数えきれないほどある。鉄条網の二メートル以内に近づくこと、上着を着たまま眠ること、パンツを脱いで眠ること、帽子をかぶったまま眠ること、「カポー専用[ヌア・フュア・カポース]」「ドイツ帝国民専用[ヌア・フュア・ライヒドイチェ]」といった特殊な洗面所や便所を使用すること、決められた日にシャワーを浴びないこと、決められた日以外にシャワーを浴びること、上着のボタンをはずしたり、襟を立てたままバラックの外に出ること、防寒のため上着の中に紙やわらを詰めこむこと、洗面の際、上半身裸以外の洗い方をすること、などである。
 なすべき儀式は無数にあって、常軌を逸している。毎朝、ベッドを、しわ一つなく、完全に平らに作らねばならない。またはきごこちの悪い泥だらけの木底の靴に、適当な潤滑油を薄く塗りつけたり、服から泥のしみを落とさねばならない(ペンキや油や錆のしみは許されている)。夕方には、足が洗ってあるか、虱がいるか、検査を受けねばならない。土曜日には髪とひげを剃ってもらい、服の破れをつくろったり、直してもらったりしなければならない。日曜日は疥癬の総合検査と、上着のボタン数(五つ)の検査を受けねばならない。
 それに普通だったらつまらないことですむのに、ここでは問題になってしまうことが無数にある。爪がのびたら切らねばならないが、歯で嚙み切るしかない(足の爪は靴の摩擦で十分だ)。ボタンがなくなったら、針金でつけ直さねばならない。便所や洗面所に行く場合は、時、所を問わず、持ち物をみな持ってゆく必要があるし、顔を洗っている時は、膝の間に衣服の包みをはさんでおかねばならない。そうでもしないと、包みは一瞬のうちに盗まれてしまうのだ。もし靴が片方具合が悪かったら、夕方、靴の交換の儀式に出なければならない。そこでは個々人の能力が試される。恐ろしい人ごみの中で、自分にあう靴を、一足ではなく、片方、一目で選び出す必要があるからだ。一度選んでしまうと、二度目の交換は許されない。
 ラーゲルの生活で、靴が重要性を持たないなどと考えてはいけない。死は靴からやって来る。囚人の大多数は、靴から拷問の責め苦を味わう。数時間も行進すれば、痛くなって皮がむけ、必ず化膿してくるからだ。こうなったものは球の上に乗っているような歩き方を余儀なくされる(毎晩、行進して帰ってくる幽霊部隊の奇妙な歩き方は、ここに原因があるのだ)。そして常にしんがりになり、いつも殴られることになる。追いかけられても逃げられない。足はさらにふくれあがり、ふくれあがればあがるほど、木と布の部分の摩擦が耐え難くなる。こうなると病院に行くしかない。だが、「腫れ足[ディッケ・フューセ]」の診断で病院に入るのは非常に危険だ。この病気は治らないことが、みなに、そして特にSSには、よく分かっているからだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、35~38; 「地獄の底で」)


 正午を過ぎるまで眠り耽る。晴れ。上階へ。食事はカレー。大根カレーだと母親は笑う。大鍋を温めて米の上に掛け、卓に就いて食っていると父親帰宅。テレビは『のど自慢』。父親はまた一時から自治会か何かの用事があるらしかった。こちらは食後、風呂を洗い、緑茶を用意して自室へ。しばらくだらだらと過ごす。じきにDeep Purple『Burn』流す。"Mistreated"まで至ったところで二時頃。同曲に誘われてギターを弾きたくなり、隣室へ。テレキャスターを持って、F#マイナーのキーで適当にフレーズを散らかす。そうしているうちに父親帰宅。洗濯物を入れに行く。しかし既に取りこんである。母親が出かける前に入れていったらしい。その母親はどこに行ったのかと父親が訊くので、奥多摩に行くとかどうとか言っていたと返答。料理教室の知人だか誰だかが、奥多摩かどこかで何かの展覧会をやっていてそれを見に行くとか言っていたが、よく聞いていなかったので詳細は覚えていない。
 自室。二時四七分から書見。下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』を最後まで読み終える。読了後、頁を戻って読書ノートに文言を引用。五時前に至ったところでゴミ箱持って上階へ。母親帰宅済み。燃えるゴミを台所のゴミ箱に合流。それから居間のカーテン閉める。母親外へ。追って玄関くぐると、作業着姿の父親も外にいる。何かやるのかと母親に訊く。カレーがあるのだから何もやらなくていいだろうと言ったが、ちょっとしたものをやるようだと。刺身蒟蒻を買ってきたらしい。玄関に入り、それを冷やしておいてと袋から取り出されたものを冷蔵庫へ。そうして一旦下階へ戻り、The Dave Pike Quartet『Pike's Peak』とともにまた読書ノートにメモを取りはじめたのだが、すぐに天井が鳴る。その音の無遠慮さに苛立つ。食事の支度をすること自体は別に良いのだが、配慮に掛ける呼び出し方の方に気分を害する。『Pike's Peak』の一曲目、"Why Not?"("Impressions"と同曲)が終わるのを待って上へ。大根の葉とハムを炒めてくれと言う。手を洗って既に茹でられてあった大根の葉を絞って切断。それから冷蔵庫からハムを取り出す。I.Y子さんから送られてきたものらしい。切っていると母親が、開封済みのものがあっただろうと気色ばむ。それは送られてきたばかりのものだと。その程度のことで何故そこまで気色ばむことができるのか。新しいハムを使ったからと言って、誰も死にはしない。それで開封済みのものに取り替えて切断し、フライパンで炒める。炒め終わるとあとは知らんと言って即座に下階に帰る。そうしてふたたび読書ノートに転写。一時間掛けてようやく最後まで終える。
 六時半からさらに、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読み出す。高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』が読みさしで中断されており、本来ならそちらに戻るべきなのだが、ロラン・バルトに気持ちが向いたのだ。七時過ぎまで読んで食事へ。カレー、炒め物、刺身蒟蒻とサラダ。テレビはニュース。一二月八日の今日は真珠湾攻撃から七八年と。ハワイにも日系人の収容所があったことはあまり知られていないとNHK伝える。父親、何とか漏らしながら見ている。その横で母親は、大根の唐揚げがどうとか言いながら携帯で調べている。テレビに映し出される「シリアスな」話題と、それにまったく無関心で日常性のなかに埋没しきっている母親という存在が同じ時空に共存していることのちぐはぐさに印象を受ける。「政治」や「歴史」といった真面目な[﹅4]主題――最大限に平たく言って「難しい話」――に関心を持たない女性の像――それらの話題は男性のみにひらかれている、というステレオタイプがここに再現されているのだが、こちらがより好ましいと思ったのは母親の完全な無関心の方であり、より軽蔑的な感情をもたらすのは父親の関心=感心めいた素振りの方である。まったき興味のなさを示す母親よりも、父親の振舞いの方がかえって、何と言うか、罪深い[﹅3]もののように思われるのだが、それが何故なのか、この食事のあいだ及び入浴中に考えを巡らせてみてもいまいちよくわからない。なまじ関心があるような風を装う欺瞞ぶりが軽蔑に値するのか? むしろ、「装う」というようなメタ的な意識すら不在で、自分は真っ当にも「政治」や「歴史」に人並みの関心を持っていると信じているであろう父親の不見識、近視眼ぶりが鼻につくのか? あるいは、「戦争(の歴史)」という大きな問題[﹅5]に関心を持たねばならないという、戦後の世代に注入[﹅2]されてきたであろう教育的物語への無自覚な取りこまれ方が問題なのか、それともむしろ、その物語の内面化の不十分さ、つまりはそうした物語を実際に引き受け、生きていないその中途半端さが冷笑的な情を引き起こすのか? そうしたことに関連して、ニュースというテレビ映像の直線的な――と言うよりむしろ、直方体的な[﹅5]――、受容者に知的関心の希薄化及び忘却を招くのではないかと思われる構造・作用についてもいくらか考えたが、詳しくは綴らない。
 入浴後、自室。だらだら。九時一三分から書見。ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』。二時間。そうして一一時半から下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』の書抜き三〇分。零時を越えると今日の日記を書き出すが、面倒臭くて自ずと簡略的な書き方になる。六日と七日の日記も残っている。とりわけ前日の七日はほとんど何も書いていないのだが、面倒臭くて仕方がない。やる気のなさが甚だしい。
 その後ふたたびロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を書見。読書ノートに文言写しつつ。三時まで二時間。この日は計算してみると、総計で八時間三〇分も文章を読んでいるわけで、作文は四五分しか出来なかったしその書きぶりも褒められたものではないが、読書は結構頑張ったようだ。『声のきめ』も、早くも九〇頁以上読むことができた。


・作文
 24:03 - 24:35 = 32分(8日)
 24:35 - 24:48 = 13分(6日)
 計: 45分

・読書
 14:47 - 16:51 = 2時間4分
 16:59 - 17:04 = 5分
 17:18 - 18:24 = 1時間6分
 18:30 - 19:11 = 41分
 21:13 - 23:12 = 1時間59分
 23:32 - 24:02 = 30分
 24:58 - 27:03 = 2時間5分
 計: 8時間30分

・睡眠
 0:40 - 12:10 = 11時間30分

・音楽