2019/12/9, Mon.

 今も心が痛むのだが、私は彼の正しく明快な言葉を忘れてしまった。第一次世界大戦の鉄十字章受勲者、オーストリア・ハンガリー帝国軍の元軍曹、シュタインラウフの言葉づかいを忘れてしまった。私の心は痛む。なぜなら、良き兵士がおぼつかないイタリア語で語ってくれた明快な演説を、私の半信半疑の言葉に翻訳しなければならないからだ。だが当時もその後も、その演説の内容は忘れなかった。こんな具合だった。ラーゲルとは人間を動物に変える巨大な機械だ。だからこそ、我々は動物になってはいけない。ここでも生きのびることはできる、だから生きのびる意志を持たねばならない。証拠を持ち帰り、語るためだ。そして生きのびるには、少なくとも文明の形式、枠組、残骸だけでも残すことが大切だ。我々は奴隷で、いかなる権利も奪われ、意のままに危害を加えられ、確実な死にさらされている。だがそれでも一つだけ能力が残っている。だから全力を尽くしてそれを守らねばならない。なぜなら最後のものだからだ。それはつまり同意を拒否する能力のことだ。そこで、我々はもちろん石けんがなく、水がよごれていても、顔を洗い、上着でぬぐわねばならない。また規則に従うためではなく、人間固有の特質と尊厳を守るために、靴に墨を塗らねばならない。そして木靴を引きずるのではなく、体をまっすぐ伸ばして歩かねばならない。プロシア流の規律に敬意を表するのではなく、生き続けるため、死の意志に屈しないためだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、46~47; 「通過儀礼」)


 九時一五分のアラームでベッドを抜けるも、やはりどうしてもふたたび寝床に戻ってしまう。布団のなかでは膝を立てて、少しだけ休んだらまた抜け出そうと思っているのだが、そう上手く行かずにいつか姿勢も崩れて、結局正午まで留まることになった。従って睡眠時間は八時間四五分、少なくともあと二時間は短縮できるはずだろう。どうにかして一度目の脱出で床の外に留まる意志の強さを持てないものか。ダウンジャケットを持って階を上がると、母親は食事を済ませたところだった。今日仕事、と訊くと肯定が返り、もう行くと言う。寝間着からジャージに着替えてジャケットを羽織り、台所に入るとフライパンにはハムが炒められてあり、鍋には白菜の味噌汁ができている。ハムは皿によそって電子レンジへ、味噌汁も火に掛けておいて、加熱を待つあいだにトイレに行って用を足した。戻ってくると米と味噌汁を椀によそって、ハムとともに食卓に持っていき、席に就くと手近にある新聞は前日のもので、今日は休みなのか本日分がなかったので、テレビをぼんやり見ながらものを食う。映し出されているのは、世人の宅を訪問してどのような食事を取っているのか見せてもらう、という種類の番組だった。特別に興味深く感じられた瞬間はない。じきに母親が出発し、こちらもものを食べ終えて、母親が放置していったものと合わせて食器を洗い、洗面所に入って浴室の戸口に近寄り、風呂は残り水が多いから洗わなくて良いと言われていたのでポンプだけ持ち上げて取り出し、管から水が抜けるのを待ってからバケツのなかに収めておいて、それから鏡に寄って頭に整髪ウォーターを吹きかけ、後頭部の寝癖を整えた。そうして居間の電気ポットの沸騰スイッチを押しておき、仏間に入って、七日に父親が買って帰ってきた洋菓子の箱――一二月七日は結婚記念日なのでその祝いに買ってきたのだが、忙しい日々のなかでも記念日を忘れていなかったとは、父親もなかなかやるものである――のなかからハート型の焼菓子を一つ貰って下階に帰り、コンピューターを点けて、画面下部に並んだ各種ソフトのアイコンをクリックしておくと、急須と湯呑みを持って上階に引き返した。緑茶を用意して戻ってくると、レーズンの入った焼菓子をむしゃむしゃ食べて、一服したあと、過去の日記を読みだした。昨日は読み返しができなかったので、二〇一四年三月の記事を二日分読み、ブログに投稿しておくと、この日の日記を書きはじめて、ここまで綴れば一時半。
 それからさらに、七日の記事を綴りはじめた。職場にいるあいだのことはわりと覚えているのだが、出勤路のこととか、帰宅後の記憶は全然定かに蘇ってこない。そういうわけで、一向に浮上してこない記憶にかかずらって余計な労力を費やすことなく、省略するべきところは躊躇うことなく省略して、それでも一時間ほどは掛かって七日の記事を仕上げると、前日、八日の分も極々短く書き足して完成させ、二記事をインターネットに放流した。それからthe pillows『Once upon a time in the pillows』を冒頭から流しつつ、身体を温める段に入った。ダウンジャケットは羽織ったまま――前をひらいてはいたが――、歌を口ずさみながら屈伸を繰り返し、前後に開脚して脚の筋を伸ばしたあと、左右の開脚に移って、股関節に力を籠めて伸長させて凝りを和らげた。開脚して肩も上げたままの姿勢を保ちながら三曲目、"バビロン 天使の詩"を歌い、四曲目、"Thank you, my twilight"に入るとジャケットを脱いでベッドの上に乗って、ゆっくりとした緩い腹筋運動を行った。時折り仰向けの姿勢で動きを止めて歌を歌いながら続け、ノルマを達成すると床の上に立ってふたたび左右に開脚、"その未来は今"を歌ったあとに運動は終いとして、引き続き"I know you"を歌っていると、音楽の膜の向こうで上階に人が動いているらしき気配を感知した。母親は夜まで仕事だから、随分早いが父親が帰ってきたらしいと、音楽が終わったあとに足音の重さで判断し、トイレに行きがてら確認しに行くと、果たして居間の南の窓際にはベスト姿の父親が立っていて、もう帰ってきたのと問えばうん、と返り、今日はもう何もないのと続けて訊けば、またうん、と戻った。あ、そうと答えてトイレに行き、放尿して下階に戻ってくると、三時一五分、何をしようか迷いながらも、ここのところ英語に触れていなかったのでまずは英文記事を読むかということで、Gary Gutting, "Guns and Racism"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/12/28/guns-and-racism/)をひらいた。短めのエッセイだったので、一七分で読み終えることができた。

・entrenched: 凝り固まった
・permissive: 寛大な、寛容な
・lax: 緩い
・aberration: 常軌を外れること、逸脱、異常、例外的な状況
・refute: 反論する

It might seem that fear of gun violence is the great motivator. Pro-gun advocates see guns as our best defense against armed criminals. Anti-gun advocates see the wide availability of guns as a greater threat than criminal violence. The issue seems to come down to what you fear more: criminals or guns.

But the passion of the gun lobby goes much deeper than fear of criminals. As Firmin DeBrabander’s excellent book, “Do Guns Make Us Free?” demonstrates, the basic motivation of the pro-gun movement is freedom from government interference. They talk about guns for self-defense, but their core concern is their constitutional right to bear arms, which they see as the foundation of American freedom. The right to own a gun is, as the N.R.A. website puts it, “the right that protects all other rights.” Their galvanizing passion is a hatred of tyranny. Like many other powerful political movements, the gun lobby is driven by hatred of a fundamental evil that it sees as a threat to our way of life — an existential threat — quite apart from any specific local or occasional dangers.

 そうすると三時半を過ぎ、ここまで一〇分で日記を書き足して、三時四三分である。今日の労働は最後の一コマのみなので七時前に出れば良く、まだ猶予は充分にある。
 エネルギーを補給する前にということで、「石川九楊ロングインタビュー ひとり、俳句の臨界を押し広げた男 『河東碧梧桐 表現の永続革命』(文藝春秋)刊行を機に」(https://dokushojin.com/article.html?i=6235)を読んだ。河東碧梧桐という俳人は、昔、岩波文庫のアンソロジーを読んで、ロラン・バルトの言うところの意味のゼロ度――彼が『偶景』において実践しようとしたもの――を達成しているのではないかと思って以来、わりあい興味を抱いていたのだが、石川九楊のこの度の著作も是非とも読んでみたいところだ。都合良く、先日地元の図書館の新着図書に並んでいるのを見かけたところだ。

石川  それはそうです。いまの日本の体たらくは、日本語がみじめに劣化しているからです。日本語がなぜ劣化しているかといえば、漢字漢語教育をしてこなかったから。漢字を悪者に仕立て、そこから遠ざかろうという国語政策をとりつづけてきたからです。漢語を知らないということは、政治と宗教と哲学にまつわる語彙と文体と表現を、失っているということです。
 前島密以来、日本語も、西洋式に声で成り立っていると思い違いをした。確かに、かな語は声で成り立っています。しかし漢字語は、声ではなく文字で成り立っている。日本語は、漢字と共にあり、ひらがなと共にあり、さらにカタカナと共にある言語です。漢字を廃止してひらがなを使うようにすれば、ひらがなは楽に覚えられるので、その分の時間を他の教育に回せると。そうした碌でもない考えが、現在の日本の体たらくを招いている。要するに、漢語と共にある政治を語れない。宗教は壊滅状態、加えて哲学、倫理がまったく身につかないですから、生きていく道程に、確たる根拠をもつことができない。政治、宗教、哲学に関わる言葉が失われれば、行動の規範がなくなります。
 物事は難しいのが前提で、それを知り、身につけることで、徐々に人間として成熟していくというプロセスがかつてはありました。いまは成長する前から、「あなたは、あなたらしく」と、鳥や魚のような個性が尊重される。漢字語の劣化した日本語は、四季と性愛を語るひらがな語だけのネオテニーと化しています。大きな芋虫や毛虫がごろごろしているだけで、蝶はいない。みんな、芋虫なんですよ。

――「六朝書革命」を熱っぽく語る碧梧桐。それは書を語ることが俳句を語ることでもあったからですが、その中に「物の腐敗の極は必ず革命を生ずる」とありました。六朝書とは、石に文字を刻る「刻蝕」と筆で書く「筆触」の相互浸透期のものだということですが、定着しない過程の模索の中にこそ感動があったということでしょうか。

石川  刻ることと書くことが合体し、完成した美は、初唐代六五〇年頃の「楷書体」に生まれています。それ以前の石碑では、本来は力の具合で反ったり右上がりになったりしている筆触の一画を、まっすぐに大まかに刻り付けています。そこから徐々に試行錯誤し、書き文字の形に近づけていき、書いた通りに刻れるようになったのが、楷書体なんです。
 明治の書道家たちが目をつけたのは、楷書に近づきつつある、ある程度整った頃の六朝書でした。ところが碧梧桐と不折は、刻り方がいまだ定まっていない、美醜以前の文字に目をとめた。それが「おもわずも……」の字体です。かわいらしい字でしょう。まるで子どもの顔のよう。子どもの顔はみなかわいいですが、あれは「美醜以前の美」なのです。育っていくことによって、顔が長くなったり、目と鼻が離れたり、近づいたり、といった美と醜が出てくる。碧梧桐や不折は、まだ混沌とした「美醜以前」の中に美を発見した。その時代の文字を真似して、「龍眠帖」というぎくぎくした点画と構成からなる「印象明瞭」な字を作り出したのです。

――頭で考えていても碧梧桐の俳句の革新はきっとできなかったでしょう。書と俳句が地続きだと気付き、書を通じて眼に見える形だったからこそ、革新があったのではないか。さらに碧梧桐は「三千里」「続三千里」で日本中を歩き、東アジア漢字文明圏を踏破、西欧アルファベット文明を体験し、登山家として山へ登り、世界へ垂直に切り込んだ。手足を使って表現を模索したことが、俳句革新の原動力となったのだろうと。

石川  そうでしょうね。旅をして、水や言葉や風景が変わり、いろいろなことに出会ったでしょう。そういうものが全て、碧梧桐の俳句のどこかに埋まっている。それは歩いた本人でないと分からない。

――子規が体が悪かったことが、対比的に思い出されます。

石川  逆にそのことによって、子規は日本の近代文学灯台になりましたね。定点にいることによって、俳句だけでなく、短歌あるいは小説にも目配りし、人を寄せてきて、近代の文芸運動の中心となった。子規の場合は留まっていても、狂気の書物漁りで、博覧強記の域に達していた。ただ、動いて掴んだ実感と、書物で想像するのとの違いは当然あるでしょう。逆にいえば、子規の運動が抽象的であったからこそ灯台になり得たし、碧梧桐は細部まで手が届いてしまったがゆえに、崇められずに誤解されたままなのかもしれない。

 インタビュー記事を二〇分で読み、四時を回ると食事を取りに上階に行った。台所に入ってフライパンに余ったハムと野菜の炒め物を皿に搔き出そうとすると、父親が、味醂はないよな、と訊いてくる。ないと思うと答えると、何でも大根のステーキを作ろうと思っているのだと言った。炒め物を皿に取ると電子レンジに収め、米をよそって卓へ運び、レンジの前で肩を回しながら加熱を待って、温まったものを持って卓に就くと、食事を始めた。夕刊がまだ取られていなかったので、文を読むことなく、既に薄暗く青いような窓外を眺めながら、ハムや人参やピーマンやコーンをおかずに米を食う。父親は台所でフライパンを洗ったりして、料理の準備を始めていた。食べ終わるとこちらも台所に移って皿を洗い、一旦下階に帰って急須と湯呑みを持って上がり、茶を用意しながら台所の父親に、電子レンジで加熱するようだぞと大根ステーキの下拵えを助言すると、レシピを見たと言って承知済みだったので、ああ、と受けて下階に下りた。そうして緑茶で一服しながら、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読み進め、その後はさらに歯磨きをしながら読んだと思う。そうして気づくと一時間一〇分が経って五時半を過ぎていたのだが、これだけ時間が掛かったのは、確かまた読書ノートにメモを取っていたからではないか。
 そうして着替えに移った。Bill Evans Trioの一九六一年六月二五日のライブを"Alice In Wonderland (take 1)"から流しだし、薄水色のワイシャツを纏い、スーツは紺色のものを選んでネクタイは廊下の鏡の前で鼠色をつけた。そうしてベストを羽織り、ジャケットにも早くも袖を通してしまい、いつでも出勤できる装いにしておくと、音楽を聞くことにした。Bill Evans Trio, "All Of You"(『The 1960 Birdland Sessions』: #10)である。三月一二日録音。まずもって、六一年六月二五日の"All Of You"の三テイクには共通して幻視されるあの銀白色めいて清冽な和音感覚が見られないことに驚かされる。この六〇年三月一二日のバージョンにはまだ何か温かみのような色合いが残っているようで、おそらくコードワークが何かしら違っていて、六一年の方はより複雑なリハーモナイズが施されているのだと思うが、細かなことは無論こちらの鑑賞眼には余る。演奏内容に触れると、まず冒頭、テーマの半分はリズムパターンが固められていて、これにはちょっと野暮ったい印象を受けないでもなく、六一年の、シズルシンバルなどを生かした不定形の流体性の方が好ましい。ピアノソロが始まった途端に耳につくのは、やはりLaFaroの暴れぶりである。相当に我が物顔で動き回っており、一年後よりもむしろ遠慮なく、威勢良く燥いでいるような感じで、リズムの引っ掛け方や起伏の作り方などは部分的には六一年を越えているようにも思われるものの、幾分遊びが過ぎると言うか、緊密な統一性の感覚では劣るか。ベースソロはお得意の三連符の速弾きを聞かせる場面が多く、個々の部分が滑らかに、流麗に確立されていながら、全体としても一つの流れというものが定かに組み立てられており、この音源全体のなかで見てもかなりまとまっている独奏で、あるいはベストかもしれない。ただし、速弾きの多さはやはり性急さの印象に繋がる面もあり、途中、細かなフレーズが続くことでかえって単調さを覚えさせる瞬間もあったようだ。全体的な演奏の感触としては、澄み渡った統一性を湛えた六一年の霊妙で美しい色彩よりも、バップ的な色味が微かに残っているような軽妙さの感覚が濃い。それでも相当な演奏であることに間違いはないのだが、と言って、テーマやピアノソロ前半でのLaFaroの過剰な多動性を聞くと、彼はまだこの曲でのEvansとの絡み方、関係の作り方を掴みかねているようで、どこまでやって良いのか、どこまで抑えれば良いのか、そのバランス感覚を確定しきれていないように思われ、多分色々と模索し、試している最中なのではないか。Evansのピアノ演奏に関しては、概ね六一年と変わりない不動性、一定性で満たされているように感じるが、LaFaroの方はまだ迷いを持っているようだ。またそのほかにも、Motianのアプローチがごく基本的なものに留まっており、彼特有の拡散的な気体性が生まれていないこともあって、演奏の流動性はまだ薄い。そういった点で、このテイクは六一年の確固たる完成型に収まっていく途中の、過渡的な演奏なのだと考えられる。そのように未完成で、まだまとまりきっていないが故の、幾分いびつな粗さに面白味を感じることもできよう。
 "All Of You"を三回聞き、得た印象についてメモを取るとそれでもう六時半頃に至ったので、出勤することにした。バッグとマフラーを持って上階に行くと、何、遅いじゃんかと父親が言ってきたので、今日は一コマだけだからと答える。ハンカチを尻のポケットに入れて灰色のPaul Smithのマフラーを巻き、じゃあ行ってくると告げて出発、道に出て歩いていき、家の近間の楓を見上げると、樹冠の方など紅色がもう幾分褪せていて、これも毎年馴染みの比喩だが、火を吹き終えたあとの花火を思わせる萎み方だった。坂に入ると遠く下方から、思いの外に大きな川の響きが昇ってくるが、その源は端的な、純然たる闇である。坂を抜け、街道に向かいながら己の影を見下ろせば、街灯に照らされていてもそれがやや薄いようで、空を見上げてもまだ完全には夜に突入していないらしき灰色の明るみが感じられる。
 街道を行きながら、道の遠くから流れてくる車のライトを見つめた。大方は黄色を孕んだ白の色だが、時折り道路の果てで、青や紫の色素を滲ませるものが見られる。しかしそれらの明かりも、道を進んで近づいてくると色素を失って単なる白に均されてしまう。距離によって優位になりやすい色の波長があるのだろうか。裏通りに入れば工場[こうば]はシャッターが降りて既に閉まり、道に人気はなく、建て並んだ家の内から気配は立たず、人の存在を窺わせるのは内側から窓に貼られた黄色や白の光くらいのものである。しかし、しばらく進むと対向者が現れた。帰路を急ぐサラリーマンの類で、ほとんど影と化しており、顔は定かに見えない。この往路では人の顔貌や表情というものを明らかに目にしなかったようだ。歩きながら顔を伏せている人が多かったようだし、また、マスクをつけている者も多くいた。
 駅前に続く路地へ角を曲がって入ったところで、静けさの感覚が濃くなった。それでいて、脇の家のなかからは電話の鳴る音と、続いて人の声が漏れ聞こえ、道の先には人間の気配も立っている。静寂の条件というものは何なのだろう。単純に音がないとか、音と音のあいだの距離が広大だとかいうことではないような気がする。この時は、それまで空間の奥に敷かれていた背景音と言うか、さざめきのようなものがなくなったために静寂が強く感じられたのだろうか? よくわからないが、いずれにせよすぐに踏切りの響きが立ち上がり、駅前が近づくと車の姿が見えるとともにその音響も差し入ってきた。
 職場。今日は室長不在である。会議だとか言っていたか。準備時間は高校生の英語のテキストを読んで使ったが、読みたいところをすべて読むことはできなかった。今日の相手は(……)くん(中三・社会)、(……)くん(中三・社会)、(……)くん(高三・英語)。(……)くん相手には、今日は三大工業地帯などを確認。経済水域について説明している最中に、ちょっと中国の話になった。先日も何かの拍子に中国の話題が出て、彼は、むかつきますよね、みたいなことを言う。パクリばかりしている国が、今や世界の中心になろうとしているなんて、というようなことを漏らすのだが、彼が言っているパクリというのは、ディズニーランドとかドラえもんとかの紛い物みたいな感じの、例のお粗末な似非テーマパークや似非キャラクターのことを主に指していたようだ。それに対してしかしこちらは、西洋の真似事をして発展したという意味を含ませて、それを言ったら我々日本も同じようなものだぞと受け、何にせよとにかく人口が多いから、やっぱり優秀な人も多いんじゃないですか、その分反対に、変な人もたくさんいるかもしれないけれど、と無難なところに落としたのだった。今日の授業では、経済水域の話をしている時に、中国の船が侵入してきているじゃないですか、と言ったので、しているね、と受けると、そんな国が世界の中心に、とまた同じことを繰り返すので、君はそんなに国際情勢のことを憂いているのかよ、と笑いながら向けると、相手も笑いながら、いや、別に興味はないんですけどねと答えた。しかし、数年前にもいたけれど、中学生におけるこうした曖昧な、何となくの反中イメージというものは一体何なのだろう。
 (……)くんは各種国家を判別する問題が正解できていて、南アフリカサウジアラビアの位置なども知っていたのだが、これは我が塾の生徒のレベルからすると珍しい部類に当たるだろう。彼は真面目な努力家的なイメージがあると言うか、何しろ返事がいつもはきはきとしていて歯切れ良く、説明もよく聞いてくれるので、できるだけ実力を伸ばす手伝いをしたいものだという気持ちは多少なりとも生じるものだ。(……)くんは対して、今日は気力が薄かったようで、また進行中のテキストを扱うのが嫌になってきたようで、一時はセンター試験の過去問をやろうかという空気にもなったのだが、最終的にはテキストに取り組んでくれた。ただし、予習の時間が足りず、読むべきところをすべては読めなかったので、あまり緻密な解説ができなかったのが申し訳ない。また、彼とやりとりをしているあいだに、社会の二人をちょっと放ってしまったような時間もあって、もう少し上手く回せたような気もする。
 授業後、生徒を見送って片づけ。室長がいないので、今日の鍵閉めは、と(……)先生に声を放って尋ねると、やりますよ、と諦めたような、それでいて嫌気を隠せないような、嘆息めいた返答があったので、すみません、と受け、退勤の際にも、じゃあすみませんが、お願いいたしますと声を掛けて、多少の配慮を示しておいた。こちらがやっても良かったのだが、職場にいるあいだに雨が降ったらしく、退勤の頃には止んでいるようだったけれどまた降ると厄介なので電車に乗りたかったのだ。そういうわけで退勤し、SUICAを持ってきていなかったので駅に入ると切符を買い、改札をくぐってホームに上がると奥多摩行きの、最後尾の席に乗りこんだ。向かいの席には汚れたリュックサックが置かれてあり、それを見て、そう言えば確かこの時間のこの位置には、変な老人みたいな人が乗っているのではなかったかと思っていると、やはり小汚いような風体の老人がやって来た。発車間際まではしかし彼も大人しく、特に不審な様子は見せずに、静かに目を閉じていたところが、今日は接続電車が三分ほど遅れていて、その電車からの乗換え客が続々と乗りこんできた際に、老人は、押せ! 押せ! と声を漏らしていた。押せ! というのは、扉の横に設置されているドアを閉じるボタンを押せということで、多分外の冷気が余計に無益に侵入してくるのがどうしても許せないのだと思うのだが、それでこちらもスイッチを押す用意をしていたところ――スイッチはこちらの座った席の脇にあった――、しかし次々と乗換え客がやって来るので、押す隙がない。それでも老人は、押せ! 押せ! 何で押さねえんだよ、と憤慨している。そう言われても、人の流れに間断がないのだから、仕方ない。結局、電車が遅れていたこともあって、発車直前まで客が乗ってきたので、扉は最後に車掌の操作で閉められることになった。何で押さねえんだよ、と老人は不満を漏らし、ぶっ殺すぞ本当に、などと物騒なことを呟いていたが、随分小声だったし、とてもそんな威勢はなさそうだった。
 最寄りに降りて電灯の暈を見上げると、雨はほんの微かに、幼生めいて散っている。駅を抜け、横断歩道のボタンを押さず、立ち止まって車の隙を窺って渡り、坂道に入って行くと椛の葉が地に伏していて、その形からヒトデを連想し、そこからさらに海の意味素が拡大したようで、散らばっている葉っぱたちが何となく、砂浜に落ちている貝殻のようだなと思われた。濡れて薄い光沢を帯びていたせいもあろう。その後も下りていく足の脇で、水気を含んだ落葉が街灯の光に触れられると、そのなかに宝石が潜んでいるように、あるいは表面に膜を張ったように微光が固まり、放出されるのだった。平らな道に出て家のすぐ傍まで来ると、林の縁の、小さな畑地になった区画に、何の木なのか背の低い裸木が三本ほど立っていて、薄暗闇のなかでその裸の、節張った枝ぶりが何か禍々しい雰囲気を漂わせており、巨大な魔獣の足を逆さにして突き立てたような形だなと思った。
 帰宅。両親、居間にいる。父親は酒を飲んだらしく、またテレビのスポーツニュースに向かって感心している。下階に下りて服を着替え、食事に上がる。メニューは父親の作った大根ステーキにお好み焼き、汁物は白菜の味噌汁が残っていたのだったか。あとは米と大根などの生サラダである。卓に就き、夕刊を見ながら食っていると、大根ステーキ、ちょっと固かったなと台所に立った父親が声を掛けてきたので、ああ、と端的に受け、もぐもぐ咀嚼して口のなかのものを片づけてから、電子レンジで温めたのかと訊けば、四分やったと言う。それにしては確かに随分固かったが、結構厚みがあったためだろうか。
 食後、風呂は母親が入っていたので、緑茶を用意して自室に下り、一服しながらロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』を読んだ。二〇分弱読んだあと、入浴へ。湯に浸かりながら瞑目して今日のことを思い返しているうちに、いつの間にか三〇分ほど時間が経っていた。鋭さが欲しいものだと思っていた。鋭く充実した気力を常に身に纏わせるとともに、なおかつ悠然とした落着きを持し、しなやかな締まり方を達成したい。
 風呂を出ると仏間に入り、父親の買ってきた洋菓子の箱のなかから、樅の木の形をしたクッキーを食っていいかと尋ねると、取っておいてよと母親が言うので、代わりにマドレーヌを取ったところが、結局食べてしまおうと心を変えたらしく、半分くれと母親は言を転じたので、クッキーも取って差し渡した。そうして緑茶を用意しながら半分の欠片をつまみ、室に帰るとマドレーヌも食い、茶を飲みながらまた書見をした。三杯ほどを飲み干したあとは、読書ノートに引用を書きつけたのだが、そのメモだけで三〇分くらい掛かったのではないか。そうして零時半過ぎから日記を書き出した。最初のうちは正式な文章として綴っていたのだが、音楽の感想を書いている途中で一時に達したので、その後は簡略的なメモ書きに移行して、残りの記述は翌日の自分に任せることにした。そうして一時二〇分、それからまたロラン・バルトのインタビュー集を読んだのだが、二時を越えたあたりで瞼が閉じるようになってきたので、大人しく眠気に従って床に入った。


・作文
 13:12 - 13:30 = 18分(9日)
 13:30 - 14:38 = 1時間8分(7日、8日)
 15:33 - 15:43 = 10分(9日)
 24:35 - 25:21 = 46分(9日)
 計: 2時間22分

・読書
 12:54 - 13:10 = 16分
 15:16 - 15:33 = 17分
 15:44 - 16:04 = 20分
 16:24 - 17:34 = 1時間10分
 22:23 - 22:41 = 18分
 23:28 - 24:32 = 1時間4分
 25:24 - 26:11 = 47分
 計: 4時間12分

・睡眠
 3:15 - 12:00 = 8時間45分

・音楽

  • 『SIRUP EP』
  • Bill Evans Trio, "All Of You"(×3)(『The 1960 Birdland Sessions』: #10)