2019/12/20, Fri.

 だれ一人として理解できなかったドイツ語の演説が終わると、また初めのしわがれ声が響いた。
 「分かったか?[ハプト・イーア・フェアシュタンデン]」
 「分かりました[ヤヴォール]」と答えたのはだれだ? だれでもないし、全員である。まるで私たちのいまいましいあきらめが自然に実体化して、頭上でいっせいに声を上げたかのようだった。だがみなは死に行くものの叫び声を聞いた。それは昔からの無気力と忍従の厚い防壁を貫いて、各人のまだ人間として生きている核を打ち震わせた。
 「同志諸君[カメラーデン]、私が最後だ[イッヒ・ビン・デア・レッテ]」
 私たち卑屈な群れの中から、一つの声が、つぶやきが、同意の声が上がった、と語ることができたら、と思う。だが何も起こらなかった。私たちは頭を垂れ、背を曲げ、灰色の姿で立ったままだった。ドイツ人が命令するまで帽子も取らなかった。落としぶたが開き、体が無惨にはね上がった。楽隊がまた演奏を始め、私たちは再び列を作って、死者が断末魔に身を震わす前を通りすぎた。
 絞首台の下ではSSたちが、私たちの通るのを無関心に眺めていた。彼らの仕事は終わった。しかも大成功だった。もうロシア軍がやって来るはずだ。だが私たちの中にはもう強い男はいない。最後の一人は頭上にぶら下がっている。残りのものたちには絞首索など必要ない。もうロシア軍が着くはずだ。だが飼いならされ、破壊された私たちしか見いだせないだろう。待ち受けている無防備の死にふさわしいこの私たちしか。
 人間を破壊するのは、創造するのと同じくらい難しい。たやすくはなかったし、時間もかかった。だが、きみたちドイツ人はそれに成功した。きみたちに見つめられて私たちは言いなりになる。私たちの何を恐れるのだ? 反乱は起こさないし、挑戦の言葉を吐くこともないし、裁きの視線さえ投げつけられないのだから。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、192~193; 「最後の一人」)


 夢。詳細はよくも覚えていないが、何か新進企業の金持ちの社長だかに家に招かれる、という物語があったような気がする。和様の、畳敷きの部屋がある家だった。そこで何か、骨董品か何かのコレクションを見せられたのではないか。ほか、三階建てだか四階建ての、宇宙船のなかを思わせるような密閉的な新居に移った夢もあったと思う。階段を行き来しながら、自分の部屋が見つからなくて右往左往する。
 九時半のアラームで起床することに成功した。睡眠という魔の物に対する貴重な勝利だ。すぐに上階に行き、母親に挨拶をすると、昨晩のシチューを使ってドリアを作っておいたと言う。ジャージに着替える前にソファに腰を下ろして寸時、息をついた。外は雲のひとしずくも零れていない綺麗な快晴、陽が室内に通って炬燵テーブルの上に宿っており、そのなかに洗濯物が乱雑に広げられている。ジャージに着替えると台所のドリアを電子レンジに入れ、加熱しているあいだにトイレに行った。戻ってくるとさらに寝癖を整えた――のは、風呂を洗う前だったか? フライパンに作られてあった芋の煮転がしをつまみ食いしながら若布などの入った味噌汁を温め、ドリアと味噌汁とを卓に運んで食事を始めた。新聞一面には、米大統領への弾劾訴追の件が伝えられている。しかし、訴追決議に際しても共和党からの造反はまったく出なかったと言うし、実際に弾劾されることにはならないだろう。また、昨晩の夕刊から引き続いて秋元司議員の妙な疑惑の件も載っていたが、そちらはよくも読まなかった。食べ終えると食器を洗い、風呂場に行って浴槽を洗い、出てきたタイミングで寝癖を整えたのだったか。そうして緑茶を仕立てて自室に帰ると、一〇時一一分から石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読みはじめた。「〈アマトール〉とは、愛し、ずっと愛しつづける人のことだ」(64)と。茶を飲むあいだは新しい頁を読み進め、飲み干すと読書ノートをひらいてメモを取った。そうして一〇時四五分に至ったところで切りとして、ダウンジャケットを脱ぎ、運動に入った。例によってthe pillowsを流し、屈伸や開脚をしながら歌い、さらに腹の筋肉痛がなくなったので腹筋運動も行った。その後、また歌をちょっと歌ってからこの日の日記を記述しはじめた。ここまでで一一時半前。
 それから一四日の日記を進める。まだ完成しない。一時間二〇分のあいだ、邁進。一時前に至ったので食事へ。冷凍食品の焼き鳥。味噌汁は夜のためにと食わずに残しておき、ドリアも冷蔵庫へ。あとサラダを食べたはず――サニーレタスや人参やパプリカのもの。
 部屋に戻ると読み物。過去の日記、fuzkue、Mさんのブログ、そうしてSさんのブログも。「キャンバスの上から下へ、ストンと縦線を入れてしまうことで、絵画はある空間を確保するのだが、同時にその空間以外を閉め出してしまう。絵画にとって線は、ことに上下を刺し貫く線は、それだけでゲームオーバーな最後の行為とも言える。浮遊していたはずのあらゆる可能性が消えて、静止空間が出現する。但しまたここから、異なる出来事を重ねていこうとする試みが絵画だ。異なる相に属するもう一つ別の線を引くことだ。本来共存しないはずの何かが重ね合わされる、その可能性を確実性に変換するのが制作である」。
 そうして一時四〇分。それから立川図書館で借りたCDのデータを記録したようだ。しかし、録音データが見えないようになっていたり、解説書の類がなかったりという支障がある。致し方ないことだが。
 そうして外出の準備。リュックサックに、地元の図書館で返す本やCD、それにコンピューターを入れる。医者に行ったあと、労働までに時間が余ったら書き物をやろうと思ったのだ。上階に行き、洗濯物を取りこむ。季節が進むとともに陽が高くなってきたようで、眩しさがベランダに通っており、目を細めながら見上げると、太陽と樹冠とのあいだにまだ隙間がある。ベランダには落葉/枯葉が多数散らばっており、台の上に干された足拭きマットの上にもいくらか。取りこむとタオルのみ畳んで、まだ明るい時刻だがカーテンを閉めてしまった。こちらも母親も帰りが遅くなるので。
 そうして出発。昨日の人とは別だが、今日も工事の整理員が立っている。挨拶を向けて歩いていると、後ろから、車来ますよ、という声が伝わってきた。気遣いである。坂道、落葉の膜ができている。風が流れて/踊って身に触れてくる。
 街道まで出ると結構暑い。コートを着なくて正解だった。街道を走る車の影が足もとを貫いて/流れていき、通り過ぎる一瞬だけこちらの影と、部分的に同化する。裏通りに折れると、正面のアパートの垣根の緑葉のなかに、紅色あるいはショッキングピンクの花がぼたりとついているのだが、あれは椿なのか、それとも山茶花なのか? それらの見分け方がいつまで経ってもわからない。通りの途中の小さな工場[こうば]からは、巨大なハンマーで物を叩くような音が定期的に立つ。
 時間が前後するが、街道を歩いているあいだ、Mさんがブログに書いていたことだが、KUさんが自殺したら耐えられない、という言葉を思い出していた。そういう相手はこちらにはいないな、と思ったのだ。仮に、一応距離としては最も近しい家族が自殺したとしても、わりと平然と受け止め、受け入れるのではないかという気がするもので、予想されるそうした自分の平静さがかえってほんの少しだけ悲しくなくもない。
 短歌を考えながら裏道を行く。青梅坂を渡ったところの一軒の塀が、随分滑らかなクリーム色に見えたので、塗り直したのだろうかと思ったのだが、しかし視線を凝らしてみればへこみなどがあるので、これは多分、陽射しの効果だったのだろう。さらに進むと一本の常緑広葉樹が風に触れられて鳴りを立てており、葉鳴り(という語彙はこちら独自のものだと思う――通常は「葉擦れ」と言うようだ)というものを久しぶりに聞いた気がした。葉叢の裾が、光を帯びていた。
 先般、向きが逆になって天に向かって落ちていく滝がそのまま凍りついたような、みたいな比喩で書き表した黄色の樹が、葉を一枚も残らず落として、完全に裸になっていた。路地を行くと、頭上から羽ばたきが聞こえ、ふっと視線を上げれば鴉が飛んでいくところ、数匹が鳴き交わしながら空に混ざっていくその影が、建物の側面に投射されていた。
 青梅駅に着くと電車に乗る。電車内のことは記憶にない。河辺に着くと降りて、医者より先に図書館に行って本などを返すことに。高架歩廊を行けば正面の図書館のビルのガラスに太陽が映りこんでおり、ありきたりな比喩だが巨大な瞳を思った。眩しすぎて、反射像であっても直視はできない。図書館に入るとカウンターで返却するものを返却し、すぐに出る。戻る道は太陽の本体を向かいに戴いた形になり、手を額に翳しながらその眩しさを和らげる。
 駅舎のなかを通って反対側の口に出ると、身体のあまり自由でなさそうな老婆が一人、買い物袋を提げながらよたよた行っている。その横をゆっくり通って通りを渡り、過ぎてから振り向いてみれば老婆はバス停のベンチに息をつくような形で腰を下ろしていた。一人暮らしだろうか。バスに乗って帰るのだろうが、毎日、家には一人で、外出も買い物くらいしかないとして、そういう老年の生活のなかで虚無感に捉えられることもあろうなと思った。それ以前に仕事やら子育てやらにせわしく精を出していた人ほど、歳が行ってから目的を見失って、いわゆる「実存の危機」に捕まるのではないか。一昨年の三月に自殺したO.Mさんの例を思い出した。やはり一生何かを続けると思い定めている人間は、少数派なのだろうと思った。
 医者に着く。ビルを上っていく。待合室に入ると、年末だから混んでいるだろうと思っていた通りである。受付に訊くと、七番目だと言う。室の隅の方の席に就き、手帳にメモを取ったのだが、メモをするだけで二〇分くらいは掛かっていたのではないか。断片的な、記述とも言えないようなものなのに。その後は石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読み進め、四時一五分に至って呼ばれた。立ち上がって扉を二回ノックし、開けて入るとこんにちはと挨拶をする。鷹揚に椅子に就くと、どうですかといつものように問われるので、調子はまあ良いですね、問題ないですね、と答える。仕事の方も問題ないですか。肯定。ただし、忙しい。まあ、世の中の人々よりはよっぽど楽なので、忙しいなんて言ったら怒られちゃいますけど、と笑う。同級生と連絡を取ったりしないですか、と医師。定期的に会う相手はいますね……ただ……「同類」ですから。普通のサラリーマンみたいな人はいないですか(と先生は柔和に笑う)。いますけど、僕がこういう人間だと理解してくれていますから、うるさいことは言われないですね。それから話を改めて、――忙しいと言ったら怒られてしまいますけれど、やりたいことを充分にやろうとすると、やはり忙しいですね。――そういうことですか。――例えば読み物にしても、普通の本も読みたいし、英語も読みたい。そういう風に、すべてやろうとすると、どうしても時間は足りず、忙しいですね。
 薬は変わらず。期間はどうしますか、と尋ねたのだったが、これは二週間の認識でいたためで、そうすると年始の休みに被ってしまうので長めに処方してもらおうと思ったのだ。しかし、これは勘違いで、前回も四週間で処方されていたし、もう結構前からそうなっていたはずだ。あとから考えて、何故このような勘違いをしたのかわからなかった。二八日分でずっと来ていたはずなのだ。妙な思い違いだった。待合室で誰か他人が受付に、今日は二週間分じゃなくて三週間分、と言っている時から、こちらも三週間分にしてもらわなくては、と思っていたのだ
 会計は一四三〇円。礼を言って待合室をあとにし、ビルを出る。隣の薬局に入ると、処方箋などを受け取ってくれた人がUさんだった。中高の同級生だが、あちらがこちらのことを覚えているのか、認知しているのかはわからない。薬局も結構混んでいた。座って書見をしながら辺りを窺うが、局員たちは忙しそうに立ち働いている。こちらの前方には、偉そうなと言うか、ふんぞり返ったような様子の男性がおり、退屈を殺せないようで足を動かしながら待っている。スマートフォンでも見ていれば良いのに、と思うのだが、見回してみると、ほかの客ら――高年の者が多かったのだが――も、何をするでもなくただ待っていて、まだだろうかという気詰まりな雰囲気が何となく充満している。じきに、まだ、と催促する老婆の声が背後から聞こえた。口調がもごもごしていてよくわからないので、振り返って見ることはしなかったが、結構な歳だろうと推測された。その後に呼ばれた老婆も、呼ばれるや否や、ほんとに遅いねここは、と文句を言ってみせた。何という傲慢さ! 何故待てないのだろうか? 何故我慢できないのか? 本でも持ってきて読んでいれば良いのに、と思う。局員の人たちだって忙しそうに頑張って働いているのだから、何故その努力に対する配慮ができないのか? 老婆は、いつもはほかの薬局に行っていて、そちらはもっと速い、みたいなことを言っていたのだが、それだったらそちらに行けば良かったではないかと言わざるを得ない。こちらがどうしても、生理的に/体質的に/身体的に嫌悪と軽蔑を抱かざるを得ないのは、こうした類の傲慢な/傲岸な人間だ。高圧的な人間、繊細さの欠けた人間。それに尽きる。そういうこちらだって、あるいは傲慢さを殺しきれない時があるのではないか? などという自己批判、反省はここにおいては無意味である。はっきり言っておくが、自分はこのような人間たちと同類ではないと断言する。そのような様態に堕落するつもりは決してない。傲慢な人間はこの世から消滅してほしい。この言明自体が傲慢なものであることは織りこみながらもそのように言っておく。何歳の老婆だったのか知らないが、七〇年か八〇年か生きてきたのだろうから、もう少し心の余裕というものを今までの年月で身につけてこなかったのかと思ってしまう。洗練された人格の完成などというのは、多くの人間においてはやはり幻想なのだ。
 じきに呼ばれた。初めて見る、禿頭の男性だった。やはり急いでいるようで、慇懃な態度でありながらも、細かな確認はせず、前回と同じということで、よろしいですかね、と軽く流される。異存ない。九九〇円。労いの意味を籠めて、きちんと礼を言う。それで薬局を抜け、リュックサックにビニール袋を入れようとしていると、先ほどの男性局員が、F様、と言いながら出てきて、何かと思えば、肝心なものを入れ忘れたと。薬そのものである。それでこちらは思わず、あははは、と笑いを立てて、すみませんと受けると、いえ、私の方が、肝心なものを、と男性は繰り返した。有難うございますと礼を返して別れる。やはり忙しくて、気が急いていたのだろう。
 線路沿いに出る。遠く、雲がまろやかな青さで、ムース的に広く掛かっている。先ほどの、本当に遅いねここは、という老婆の声が頭のなかに頻繁に回帰してくる。別に、物凄く憤るわけでもないし、感情として苛々しているわけでもないが、記憶に残るということは、やはり強い印象を受けたということで、自分のなかできっと反感を禁じ得ないのだろう。道を行き、階段を上って駅舎に入り、改札前を通ると掲示板に寄って電車の時間を確認した。五時一四分か三〇分かである。そうして図書館へ行き、CDを見た。例によってジャズの区画。挾間美帆『Dancer In Nowhere』を発見。無論、借りることに。二枚目はClifford Brown『Memorial Album』に、三枚目はJaco Pastorius『Truth Liberty & Soul: Live In NYC The Complete 1982 NPR Jaz Alive! Recording』。貸出機へ向かって手続きを済ませ、上階へ。新着図書を見ると、ベケットの新訳がある。ほかにはしかし、目立ったものはなかったと思う。便所に行って個室に入り、排便して出ると、鏡の前に立ち、腕時計を手首から外して、石鹸水も使って手をよく洗った。そうしてハンカチで拭きながら出る。するともう五時一二分くらいになっていて、これは電車に間に合わないのではないかと思った。まあ、次の電車でも良いのだが。図書館を出る時には、これは間に合わないなと確信を持って諦め、急ぐのは面倒臭いので次で行こうとゆっくり歩いた。空は濃紺、一番星が南に清かに灯っており、低みには完全に黒い影と化した雲が、西南の山際まで広くなだらかに繋がっている。駅の方を窺うと、電車はまだ来ていなかったので、意外と間に合いそうだぞと思い直した。駅舎に入る頃に青梅行きがやって来たので、急いで改札を抜けて階段を下り、乗りこんだ。四号車である。普段は乗らない場所で、座って右方を見ると、車両の端に何か壁みたいな、仕切りみたいなものがあって、あんなものかいつの間にできていたのか、一体何なのかと疑問に思った。表面に紙が貼ってあるようだったが、視力が悪いので例によってよく見えなかった。
 青梅に着き、ちょっと待ってから仕切りの方に行ってみると、仕切りと言うか小さな個室で、どうもトイレらしかった。表示に、トイレの使用開始は一二月末を予定しております、ご了承ください、みたいなことが書かれてあったので。それから降りて、通路を辿って職場へ。(……)教室から、(……)さんと言ったか、名前を忘れてしまったのだが、(……)という字のつく名前の女性がヘルプで来てくれていた。準備時間は彼女を導いたり、神奈川県試験対策用の社会のテキストを確認したり。
 一コマ目は全員中三生の社会。(……)くん、(……)さん、(……)くん。後者二人はまあ良い。問題は(……)くんである。問題と言うか、こちらが勝手に遠慮しているだけなのだが、やはりどうも疲労の色が濃く、途中、じゃあこれをノートに書いておきましょうと促した時に、何だか苦虫を噛み潰すような表情が一瞬見えたような気もして、嫌だと思っているのだとすると、どうも突っこんだ振舞いを取りづらい。ただ、授業終わりは挨拶をしてくれたりはして、二コマ終わって帰るのを見送った時も、入口を出る時にこちらを振り向いて挨拶をしてくれた。そういう様子を見ると、特にうんざりしているわけではなく、ただ眠いだけなのだろうかとも思うが、実際のところはわからない。(……)さんは今日は歴史に入った。まず時代区分を確認し、それを踏まえて事柄や人物を位置づけていく。ノートを非常に充実させてくれた。確認テストの表面までしか終わらなかったものの、このようにゆっくり丁寧にやる方が個人的には好きである。生徒の方も、事柄を覚えられたという充実感があるのではないか。(……)くんは神奈川県試験用の実践的なテキスト。基本的な知識はわりとあるようだが、それでも漏れるものを拾っていき、領土問題などについて確認。
 二コマ目は、今度は全員国語である。(……)くん(中三)、(……)さん(中三)、(……)くん(中一)。(……)くんはいつも通り。ここのところ、ますます仲良くなっている感があり、適度に雑談や脱線も含みつつ、やりやすく進められている。彼は山田悠介が好きである。読んだ方がいいですよと言い。さすがに山田悠介には興味がないのだが、はっきりそうとは言えず、うん、と口籠るこちら。――昔は読んだよ。――山田悠介ですか。――いや、山田悠介は読まないけど、そういう……。ここでも、「エンターテインメント」とか、「大衆小説」とかいう語を口に出すのが何故か憚られて、濁した。今はどんなものを読むんですかと訊かれるので、文学、と端的に答える。彼の方は、今はシャーロック・ホームズを読んでいると言い、出して見せてくれた。『シャーロック・ホームズの冒険』という作品で、この作品そのものではないが、ホームズシリーズは昔ちょっと読んだよと答える。何か火事が起こったふりをして、壁のなかに隠された犯人をおびき出す、という話があったな、とか曖昧な記憶で話す。
 (……)さんは初顔合わせ。無表情で、特に話すわけでもなく、どのような性格なのか掴めない。今のところは、愛想は全然ない。問題は結構正解していたものの、国語はそれほどできるわけでもないようで、表現技法について訊いてもほとんど知らなかった。この子もどうなのだろう、こちらの授業のやり方に満足してくれているのかどうか、まだ不明。探りの段階である。
 (……)くんはいつも通り。眠気に襲われてどうしようもない。何度も起こすのだが、意味がない。とにかく眠気に打ち勝ってもらわないと話にならない。今日は、最後にほんの少しだけ問題を解いたのみで、勉強するのが嫌で、わざとそのような、眠気に負けているふりをしているのではという疑いもちょっとなくはない。
 授業途中、仕切りを挟んで隣のスペースで授業をやっている(……)先生の声が聞こえてきた。多分(……)くんを相手にしていたと思うのだが、わからなかったら素直にわからないと言ってください、そっちの方が、楽です、わかる、って言われちゃうと、ああそう、としかならないから、というようなことを言っていて、やや高圧的で、あまり良くないなあと思った。「楽です」と言って、自分自身の事情と言うか負担を前面に出した言い方をしたのも、生徒のことを考えていない、という印象を与えるのではないか。生徒がわからないところはないと言っても、上手く引き出すと言うか、適切な質問などをしてより深い理解や記憶に導いていくのが我々の仕事ではないのか。
 ヘルプの先生に挨拶をして退勤。母親の帰りが遅いので、モスバーガーで食っていこうかと思っていたが、電車の発車までまもなかったし、カレーもあるからと帰ることにした。駅に入り、奥多摩行きに乗る。乗換えの電車が遅れているらしい。それで偉そうに脚を組んで、組むと言うか左足の踝辺りを右脚の上に乗せて、ふてぶてしいような態度を取りつつ、その上に本を乗せて読む。ロラン・バルトである。すると、(……)先生がやって来たので、お互いに愛想笑い的な微笑を浮かべながら会釈を交わした。彼女は、こちらの向かいの並びに腰掛けようか一瞬迷っていたように見えたが、結局通り過ぎていった。彼女は会議の時の自己紹介で、舞台などをこれから色々と見ていきたいと思っている、と言っていたので、どんな舞台に興味があるのかちょっと訊いてみたい――さすがに例えばチェルフィッチュ、などという名前が挙がることはないだろうが。
 本を持ったまま最寄りで降りる。コーラを飲んでいくことに。SUICAで買い、ベンチに座って本を読みながらゆっくり飲む。飲み干して捨てると駅舎を出る。ストールは、持ってきてはいたものの、巻かない。帰路はどんなことを考えていたのか不明。坂の途中で、真っ白な猫と遭遇した。前方から歩いてきたので、その場にしゃがみこんで手を差し伸べたが、猫はこちらの存在に気づくと足を速めて、横を素通りしていった。追いかけても無駄そうだったので諦める。その他、平ら道では真新しいアスファルト特有の匂いが鼻に触れた。
 家の前まで来ると、前方から車。母親のものである。ちょうど帰宅が重なったわけだ。彼女は今日は飲み会だったのだ。家のなかへ入り、下階へ下りて、コンピューターをリュックサックから出して机上に据えておき、着替えて食事へ。レトルトカレーに厚揚げ、芋と味噌汁、それにモヤシとシメジをスチームケースに入れて熱した温野菜である。テレビは『たけしのニッポンのミカタ』。食材ハンターとやらが出ている。山に分け入って茸を採ったり、川で鯰を獲ったり。母親、風呂に行ったので、こちらは彼女の分も洗い物を済ませておき、その後、緑茶を用意して自室へ。slackにアクセス。明日は一二時二〇分に武蔵境駅南口という話になっていた。カラオケ店はT田が手配してくれたようだったので、礼を送っておいた。茶を飲んだあと、一一時前からメモを取りはじめた。三〇分間打鍵して入浴へ。水位が低く、湯も温くていくらか肌寒かったのだが、それでもうとうととした。出ると下階へ戻り、短歌を二つ、Twitterに投稿。「コンビニのポテトチップス齧りつつ短歌を作る俺は咎人」「天才と変態は韻を踏んでいるそれに気づいた俺の倦怠」。そうして、Mike Bloomfield『Fillmore Nights』を聞きながらこの日のことをメモ書き。現在時に追いつくと一時一六分だった。一四日の日記を仕上げないといい加減にやばくないか? というわけで、打鍵に邁進し、二時を回ったところで何とか仕上がった。引用も含めてのことではあるが、三万字を超えた。投稿しておき、緑茶をおかわりしにいった。茶壺の茶葉がなくなったので、知覧茶を新しく開封する。それで茶を用意して戻り、三時半まで書見に精を出してから就寝。
    


・作文
 11:16 - 11:28 = 12分(20日
 11:28 - 12:47 = 1時間19分(14日)
 22:56 - 23:28 = 32分(20日
 24:31 - 25:16 = 45分(20日
 25:17 - 26:06 = 49分(14日)
 計: 3時間37分

・読書
 10:11 - 10:45 = 34分
 13:09 - 13:40 = 31分
 15:38 - 16:15 = 37分
 16:23 - 16:40 = 17分
 26:24 - 27:33 = 1時間9分
 計: 3時間8分

  • 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』: 64 - 105, 281 - 288; メモ: 66 - 76
  • 2014/3/27, Thu.
  • fuzkue「読書日記(163)」: 「フヅクエラジオ」
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-18「調性を捨て去り生きることにしたひとの語りは容易に聞こえず」
  • 「at-oyr」: 2019-12-08「坂田一男 捲土重来」; 2019-12-09「めぞん一刻

・睡眠
 3:20 - 9:30 = 6時間10分

・音楽