2019/12/21, Sat.

 この知らせを聞いても、生々しい感情はいささかも湧いてこなかった。もう何カ月も私は、苦痛、喜び、恐れを感じていなかった。あのラーゲルに特有の、条件付きとも言うべき、距離のあるよそよそしい感じ方しか味わっていなかった。もし今私にかつての感受性があったなら、と私は考えた。ひどく動揺したことだろうに。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、196; 「十日間の物語」)


 八時半のアラームで起床することに成功。睡眠時間は五時間。ベッドを抜け出してアラームを切り、瞼がひらききらないうちに寝床に戻ったのだが、横になることはなく上体を起こして座り、意識がはっきりするまでロラン・バルトの『ミシュレ』でも瞥見しようということで、ベッド脇のスピーカーに積まれた本の一番上から当該著作を取ってひらいた。適当な頁をちょっと読むと目がひらいたままに固定されたので、ダウンジャケットを持って上階へ、母親に挨拶する。便所に行って放尿すると、卵を焼くことにして二つを冷蔵庫から取り出した。焜炉の上には鍋料理も作られてあったので、それは火力の弱い方の焜炉に移して火に掛け、強い方の焜炉ではフライパンに油を垂らして卵を割り落とした。丼に米をよそって置いておき、鍋料理も温めて深皿に盛り、卵を熱しているあいだにそれを卓に運んでおき、戻ると米の上に卵を取り出した。卓に就いて食事。固まっていない黄身を醤油と混ぜて崩し、米に絡めて食う。食事を終えると皿洗いをして緑茶を用意して下階へ、今日は一二時二〇分から武蔵境で会合。その前に読み物をこなしておくかというわけで、茶を飲みながら過去の日記、fuzkueの「読書日記」、Mさんのブログの三種の文章を読んだ。すると九時四〇分、今日はカラオケに行くという話なので、いくらか声を出して喉を慣らしておくかということで、the pillowsを流して歌いながら屈伸したり開脚したりした。そうこうしているうちに一〇時も回って、the pillowsのほかにFISHMANSも久しぶりに歌うと日記に取りかかった。ここまでさっと適当に、気軽に綴って一〇時二二分。一一時前には出なければならない。
 一〇時半頃、風呂洗いへ。いや、その前に着替えと排便をしたのではないか? the pillowsが流れているあいだ、最後の方で服を着替えていたと思う。格好は、質感が固めのチェックのシャツに下は褐色のズボン、そうして上はダークブルーのチェック模様のバルカラーコートである。そうして風呂を洗ったあと、どうもthe pillowsの"FLAG STAR"と"Please Mr. Lostman"を歌ったらしい。覚えていないが。そして上へ上がると、台所にいた母親がこちらの服装について、柄に柄じゃあ、と言うが、気にしない。マフラーを巻いて出発した。
 玄関を出ると、囀りを聞いたらしいが覚えていない。空気は結構冷たく、きんと張っていた。道を歩いていると林から鵯の叫びが立ち、それに重なって樹を切る音も低く高く撓みながら鳴っており、それが意外と音程が定かで太い音色で、少々音楽めいていた。進むと、Nさんと老婦人が一人、立ち話をしているところに行き逢った。こんにちは、と挨拶を交わすと、今日は、と尋ねるので、友人に会いに、と答えたのだが、判然としないような反応があったので友だちに会いに、と言い直した。Fさん? と婦人は尋ねるので、肯定する。こちらはあちらが誰なのか知らなかったのだが、よくわかったものだ。何となく似ている、と言うのは、多分父親に、ということだろうか。じゃあ行ってきます、と残して別れ、先を進むと、塾の先生、とNさんが婦人に言っているのが後ろから聞こえた。
 坂道、散り積もった落葉が道路の両端に帯を引いている。途中の家の前で何やら業者と、割烹着様の格好をした主婦とが立ち話をしていて、太陽光発電がどうとか聞こえた。業者のものらしい車には、住宅機器何とかと書かれてあったと思う。駅に着くとホームの先へ。電車は二分遅れだとアナウンスが入る。
 乗り、青梅に着くと電車が遅れていたので乗換え先の電車はすぐさま発車するとのことで、前に移動している猶予がなく、すぐ手近の口から乗りこむ。よろよろと揺られながら前の方へ進んでいき、二号車の三人掛けに入る。その後、道中は石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を読んで過ごし、特段の印象深さは訪れなかったと思う。国分寺まで行き、そこで快速に乗り換えた。優先席の傍らの扉際に立つ。優先席には幼子を連れた母親――子供をあやしている。
 武蔵境で降りると、母子も一緒に降りて、本を持ったままに突っ立ったこちらの横を、母親が子に合わせて身体を小さく屈めながら通り過ぎていった。こちらも歩き出し、階段を下る。集合は南口だった。左に折れて中央改札を出るとちょうど正午頃、待ち合わせは一二時二〇分である。見回しても仲間たちの姿は一見して見当たらない。右へ折れて南口へ向かう。スイングホールがあるのは反対側、北口で、そちらの方にはベンチがあって以前利用したことがあるのを覚えていたので、南口にもあるだろうと見込んでいたのだが、見当たらなかった。それで、樹を囲んだ段に座ることにした。外していたマフラーを巻き直し、寒風に吹かれながら書見である。近く、やはり段の上に、よく見なかったが、中学生の部活仲間か何かの集団が座った。近間には何故かずっと立っている人もいた。一度、笑顔で知り合いらしい女性と声を交わし合っていたのだが、女性は去ってしまい、男性は何を待っているのか、また立ち続けていた。
 本の頁に視線を落としたこちらの目の前を、無数の脚が流れ、過ぎ去っていく。武蔵境は思いの外に人が多く、その流れが途切れることはほとんどなかったと思う。そろそろ一二時二〇分だと時計を見て、合流しに行こうか、仲間を探しに行こうかと思ったところで、あ、あれか、と言うTらしき声が耳に入ってきて、顔を上げると、ちょうど近間に立って携帯を構えていた。写真を撮られたらしい。こんにちはと挨拶をして皆と合流した。MUさんは遅れるらしい。そうしてカラオケ店へ。皆の後ろをゆっくりてくてくとついていく。カラオケ店はすぐ近くにあった。文教堂の入っている駅前のビルの向かいの地下である。文教堂の入ったビルには「animega」とか言ったか、アニメ関連の店舗も入っているようだった。カラオケ店は「DEEP BLUE」という名前だったと思う。そのビルの入口付近で、一二時半にはまだ数分余裕があったので、MUさんを待った。こちら、Kくん、TTは階段口の前に立ち尽くし、TとTDが通りの方に出てMUさんを待つ。KくんとTTは、こちらにはまったくわからないような仕事の話をしていた。特に反応も挟まずに、ぼんやりと空を見たり、通る人を見たりしながらこちらは待つ。じきにMUさんがやって来た。こんにちはと挨拶をして階段を下り、通路を行ってカラオケ店へ入った。入口に扉も仕切りも何もなく、通路から直接に空間が繋がったロビーだった。入口、広い、と言ってTは笑う。ロビーは天井に巨大なプロペラと言うか、換気扇のような装置がいくつもついて回っていたのだが、一体どういった趣向なのか不明である。また、葉が這わされているような一帯もあり、そこに球型の飾りが、申し訳にというほどの程度ですらなく、僅かに二つほど取りつけられていた。クリスマスだからかなとMUさんは言うが、定かでない。
 手配をしてくれたTDが店員とやり取りを交わし、じきに飲み物のコップが配られた。ロビーの一角にあるドリンクコーナーから飲み物を選ぶ。Kくんがコーラを注ごうとすると、普通のコーラのほかに、オレンジとかピーチ味とかがあって、Kくんは確かピーチを注いでいたか? こちらは例の如く、ジンジャーエールである。ジンジャーエールもやはりオレンジとかピーチとかの種類があったが、どんなものやねんと胡散臭く思って手を出さず、通常のジンジャーエールをコップに入れ、個室へ。三人ずつで二部屋に分かれることになっていた。Tの歌を聞いてアドバイスを授ける組と、好きに歌う組とである。Tの方はTTとKくんが一緒に入り、ほかの三人、すなわちこちら、TD、MUさんが一部屋に入った。
 最初はTDが、牧野何とかと言う人の曲を歌った。アニメ関連だと思われる。TDは低い音域で女性曲ばかり歌う――もうハイトーンを必要とするハードロックなどは歌わないらしい。この日も、じゃあ最初に、お前が"Burn"を歌え、とDeep Purpleの曲を勧めたのだが、もうああいうのは歌わない、というような返答があったと思う。幾分オペラ風の、ふくよかで太い発声になっていたので、その点を突っこむと、そちらの方が自分に合っていて歌いやすいことに気づいたと言っていた。こちらはやはり高くなく、穏やかな曲からと思って、くるり "ばらの花"から始めた。次に、FISHMANS "あの娘が眠ってる"を入れたが、FISHMANSの音域はやはり高くて二曲目で歌うにはちょっと苦しかった。サビの「ほーらほらー」の掛け声をTDが入れてくれて、間奏後の最後のサビでも「Woo Woo」という合いの手があるところ、そこでもTDは声を出してくれた。しかし彼は原曲をよく知らないものだから、オリジナルのように単純で平板な歌い方でなく、適当にフェイクした旋律になって、それが結構上手く嵌まっていたので笑った。MUさんは二曲目か三曲目で、UNISON SQUARE GARDENというバンドの曲を歌っていた。これもアニメで使われていたものらしい。バンドの名前だけは聞いたことがあり、音楽については何も知らなかったが、ファンキーでスピード感があり、結構格好良い楽曲だった。こちらの三曲目はキリンジ "双子座グラフィティ"。その次にTDかMUさんが歌っていた時にTがやって来て、混んできたから一室に移ってほしいと店側が言っている、と伝えてきた。事前にそういうことになるかもしれないとは店側から言われており、織りこみ済み/了承済みだったのだ。それで部屋を移る。
 移った先の部屋はしかし、広さとしては先ほどの室とあまり変わらず、六人が入るには手狭だったので、一室に押しこみたかっただけじゃないかと皆笑っていた。移ってすぐの時だったと思うが、MUさんはこちらにパンチをするような、じゃれるように攻撃するような素振りを見せた。何かと思えば、攻撃された、と日記に書いて欲しいと言う。以前、と言うのはSさんの町である綾瀬に行ってスタジオで録音をした日のことだが、Kくんが同様にこちらにふざけて攻撃みたいなことをしてきて、それを手帳にメモしていたのを踏まえてのことだろう。
 そしてT、歌う。宇多田ヒカルの曲である。何という曲だったかは忘れた。TTがそれに対してアドバイスをする。Tはファルセットの感覚がわからないらしく、TDも混ざって助言をしていたようだ。Kくんは大槻ケンヂの曲を歌って、大声でシャウトしていた。とてもよく声が出ていたので、終わったあと、今日も声出てるねえと告げる。前回皆でカラオケに入った時に、やはりKくんの歌唱に対して、声出てるね、と言ったところ、皆に何故か笑われたということがあったので――どうも評論家みたいに思われたようで、Tは誰なの、と笑っていた――、それを踏まえてのことだった。こちらは四曲目に、Mr. Childrenの"PRISM"を歌った。するとTTが、言い方が悪いけれど、Fの声は売れると思う、と評価してくれた。いわゆる「歌ってみた」動画としてyoutubeにでも上げれば「いいね」がたくさんつくと思う、みたいなことを言っていたが、そんなに大した歌唱ではない。
 その後は皆、順番に適当に歌う。こちらは五曲目はthe pillows "Funny Bunny"。Kくんも最初に歌ったと言っていた。Tが立って歌っていたので、それを真似てこちらも立位で声を出した。六曲目は"Tiny Boat"だが、古い方のアレンジしか入っておらず、ギターのサウンドがクリーン寄りで、透明感はあるもののちょっと物足りない感じもした。Tは途中、韓国の何とか言うアイドルだか歌手だかの曲を歌った。当然韓国語なのだが、最初から最後まで乱れずにリズム良く歌い通しており、よく歌えるなと思った。当然だが、一瞬も意味がわかる瞬間がなかった。こちらの七曲目はOasisの"Don't Look Back In Anger"。あるいはこれが六曲目だったかもしれないが忘れた。あと印象深かったのは、TTが歌った米津玄師 "海の幽霊"で、曲目が表示されたのを見て、あ、米津だ、と言ったところ、皆笑って友だちかよと突っこんできたので、いや、名前しか知らないけどねと受ける。印象深かったのは曲よりもMVと言うか映像の方で、それは何かのアニメ映画のもので、海を舞台としていて鯨やら海中生物の絵が登場するのだが、なかなか高品質そうな感触と雰囲気があった。何という作品かと途中でTTに訊いたが、判然としない。最後に右下にクレジットが出てきて、『海獣の子供』とあった。原作は五十嵐大介、名前はどこかで目にしたことがあったので――アフタヌーンだかイブニングだか忘れたが、そのあたりの雑誌で描いている人ではなかったか?――なるほどあれか、となった。カラオケの時間は三時半までだった。最後に一〇分ほど余ったので、こちらが歌わせてもらおうということで、いつもの、と言ってthe pillows "ストレンジカメレオン"を歌った。一番のBメロの途中だったかその辺りで、音程が完璧、とTTに評価された。
 それで終幕、会計へ。七〇〇円ほどである。まとめて払ってくれたKくんに一〇〇〇円札と小銭を渡し、釣りを貰った。そうして退店し、外へ。このあとはTとKくんの新居に招かれることになっていた。サラダとスープを作ってくれたと言う。イトーヨーカドーでその他の食材を何か買っていくことに。それで移動。Tは予約しておいたケーキを取りに行くとのことで、イトーヨーカドーに入ったところで別れた。MUさんも一時Tについていったが、スーパーを回っているうちに戻ってきた。Tと一緒にケーキ屋の方に行ったのかと思っていたが、煙草を吸いに行っていたらしい。
 地下階のスーパー――何かメインと言うか、腹に溜まるようなものと飲み物と菓子を買おうということになり、回った。寿司の案が一度出たものの、TTが寿司を食うならばきちんとした店で食いたいとか言う。それなら何か炒め物でも作るように肉を買っていくかとなったのだが、しかしこちらとしては、食材を買っていって料理をするとなると、結局Tに立ち働いてもらうことになる、それが気がかりだった――夫であるKくんはあまり気にしていなかったようだが。結局、簡単に肉と野菜を炒めようということになったが、Tにやってもらうのが申し訳ないので、こちらが料理をするつもりでいた。それでモヤシと玉ねぎ二つを籠に入れ、それから飲み物を取りに行った。それぞれ欲しいものを選ぶことに。こちらは濃い目のカルピス、TTは普通のカルピス、MUさんはオレンジジュース(Qoo)。TDは牛乳を取ってきた。塩を切らしていると言って――ピンクソルトとかいう高いものしかなく、普通のものが家にないということだった――食塩を取りに行って戻ってきたKくんに飲み物はと訊くと、自分は良いということで、また菓子類も何人かが何かしら持ってきたようだったので――こちらも母親に持っていきなと渡されていた――良いのではないかと決まって、会計に行った。籠を持って並び、しばらく待ったあと、こちらが一五四四円を会計した。台でビニール袋に品物を詰めて上階へ。MUさんが入ってすぐのところにあった駄菓子を見たいと言っていたのだが、そこにはクリスマスの詰め合わせ商品があった。うまい棒がなかに入っているのを見て、うまい棒って一〇円じゃなくなったらしいよとKくんに話を振った。何円、と訊くので、二〇円になったらしいと答えると、マジで、と疑わしい反応。これは誰から聞いた情報だったか? Aくんとの会合で出た話だっただろうか? 情報元を忘れてしまったのだが、伝聞なので、定かではない話だ。それはプレミアムのやつのことじゃない、とKくんは言ったが、そうかもしれない。
 退店。あとはティッシュペーパーを買いたいということで、北口方面へ向かう。途中、和服姿の高年の老人の横を通った。草履を履いており、この時代にはなかなか珍しい格好である。駅舎内の通路を通り抜けて北へ行き、通りを渡って左に折れたあたりで、確かMUさんにFさん、忙しい、と訊かれたのではなかったか。忙しい、なんて言うと怒られちゃうけど、忙しいねと答える。日記も書けていなくて、一五日の分から溜まっていると。
 そうしてドラッグストア。「Tomod's」という名前の店で、こちらには初めて見かけるストアだった。入店し、Kくんがティッシュを買ってくるあいだ、こちらとTTとMUさんの三人は、赤ちゃん用オムツの積まれた前で雑談をした。そのうちKくんは戻ってきたが、TDの姿が見えないなと思っていると、髭剃りのコーナーの前に立って品物を見分していた。替刃が欲しいらしい。そこにTTが、クリスマスプレゼントだと言ってTDに一万円を渡し、これで買ってきてお釣りをくれと気前の良いところを見せた。と言うのはTTは大きな金を崩したかったらしいのだ。しかしこの替刃のセットが結構高いもので、四〇〇〇円くらいしたようで、TTはそれを認識しておらず、店を出たあとで驚いていた。それに対してTDは、じゃあ何かお返しにプレゼントをする、と。映画を三回奢ると案を出し、一回一三〇〇円くらいだからそれでちょうど良いよ、と一人合点していた。そんなことを話しながら歩き出したのだが、それよりも前、退店してすぐ店の外で話している時に、こちらはKくんに、すぐ近くのスイングホールのビルを指して、行ったことある、と訊いたものの、Kくんはスイングホールの存在自体を知らなかったようだ。武蔵野市が文化事業を招聘していて、クラシックとか現代ジャズのプレイヤーが招かれて格安でコンサートを披露しているので、何度か見に来たことがあるのだと説明した。
 そうしてKくんの宅へ。歩いて五分か七分か、せいぜいそのくらいだったのではないか。かなり近く、一〇分は掛からなかったと思う。マンションである。入ってエレベーターに乗り、二階に上って部屋へお邪魔する。靴を脱ぐのに時間が掛かるから先にどうぞとMUさんなどは言うので、TTに続いて先に上がらせてもらった。お邪魔しますと挨拶をしつつ上がってみると、部屋はわりあいに広く、ものも少なくてすっきりとしていた。フロアの中央辺りにレタスだかキャベツだかの白い箱が鎮座していたが、それには漫画が入っているらしかった。キッチンにいたTに荷物を渡しながら、炒め物を作ることになったがやってもらうのが悪いので俺がやる、と言っておいた。そうしてモヤシと豚肉は冷蔵庫に。
 それでテーブルに集う。菓子を持ってきたので出す。母親が出掛けに渡してくれたのだった。チョコレートあられみたいな品と、温麺というもので、前者は皆で食べるためのもので、後者はKくんに、食べてくださいと渡した。MUさんも資生堂パーラーのチョコレートを持ってきていた。ちょうど六個だったので、皆で一つずつ頂く。TDは学会関連でだろうか、オマーンに行ってきたらしく、デイツ(Dates)という、菓子なのか何なのかよくわからない、何か蜂蜜か何かで漬けたような木の実か何からしかったが、甘味なのか何なのかよくわからないものを提供した。Tは結構美味く食べていたようだが、こちらは頂かなかった。
 それでテーブル周りで話。何を話したのか覚えていない。先に音楽制作の予定を決めたのだったか? 二月八日に綾瀬カフェ・オ・レーベルでギターとベースを録音することに決まった。午後二時から三時間である。その後、二月一四日から一六日の付近でTのボーカルを録音、こちらは世田谷の別のスタジオで録るらしい。そうして二月二八日にふたたびカフェ・オ・レーベルで皆で立ち会いながらミックスをしてもらう、ということになった。この日もやはり午後二時から、三時半までの予定。そのほか、こちらとKくんの誕生日祝いの日程も一月二九日に決定された。美術館に行きたいという願望を述べると受け入れられ、皆で何か良い展示がないか調べてみようと言う。そしてさらに、Kくんの提案で、街を歩きながら、俳句や短歌や詩などを詠む会、ということをやることになった。この予定を定めたのは、多分唐揚げ及びケーキを食ったあとだったと思うが、まあ順番は問題ではない。そう、まず唐揚げをやったのだった。TDがアウトドア用の小さな鍋と言うか、ほとんど鍋とも言えないほどに小さな器具だったが、それを持ってきており、それでKくんが持っていた携帯型ガスと、あれは何と言うのか、それに取りつけて火を起こすための金具があるのだが、それを使って炎を発生させた。TDは『Steins; Gate』の二次創作小説を書いているのだが、そのなかでどうも野外で唐揚げを作るシーンがあるようで、簡易的な道具で実際にできるかどうか試してみるという話のようだった。それで窓を開けて、ガスを出して火を点ける。鶏肉はTDが持ってきており、早めにTとKくんと合流して冷蔵庫に保存させてもらっていたようだ。タッパーに入れて小麦粉を加え、振り、あるいは揉んで、そうして鍋に油を注ぎ、火の上に乗せてしばらく熱してから鶏肉を入れはじめた。わりとすぐに、良い感じで揚がって、紙皿に取り出して箸で割ってみると火も通っている。そういうわけで皆で少しずつ頂いた。生姜がよく利いていた。三回くらいに分けて揚げて、皆で平らげてしまうと、次にケーキを食った。大きなロール・モンブランとでも言うのか、そんな感じのもので、上には栗や、サンタクロースを象った小さな像が乗っていた。付属の小さな蠟燭をTが立てる。その火は唐揚げに使った火から取ったので、ということはケーキが取り出された時点ではまだ唐揚げをやっていたのだろうか。よく覚えていないが、蠟燭を立てたあと、写真や動画を撮った。TDの携帯がレタスの箱の上に置かれて固定され、動画が撮影されたのだが、この動画はのちのちLINE上にアップロードされて共有された。その後、Tも小型のカメラを持ってきて、時間差で写真を撮ったのだが、最初は皆の表情が固かったらしく、もう一度撮り直すことに。もっと笑って、とTに言われて、ちょっと顔を緩めた。
 そうして食す。Kくんが六個に切り分けてくれた。上に乗っていた栗は確かTTやMUさんに行ったのではなかったか――いや違う、MUさんはサンタクロースの砂糖菓子――「マジパン」と言っていた――を貰ったのだった。栗は三つくらいあった気がするが、誰が食べたのだったか正確なところは覚えていない。Kくんが切り分ける際にちょっと厚くなった断片ができて、TがこれはFさんか、と言ったので笑って文句なくそれをこちらは頂いた。よく食べるから、と言うのだが、まあ確かに最近は食欲旺盛かもしれない。太りもしたわけだし――どのタイミングだったか、腹がちょっと出てきたという話もした。病前が五三帰路だったのが、病気を通して一〇キロ太って六三キロになった。これはオランザピンの作用が大きかったのだが、薬を変更した現在も、何故かそれからまた四キロも太って、このあいだ測ったら六七キロだった、それで最近、腹筋運動をほんの少しずつやっていると話す。
 ケーキはまあ当然美味だった。その後、会話。TTの話を聞く。今日の会合の趣向としては、皆でTTのことを知ろう、というような主題が一応設けられていたのだ。それで皆で質問することに。最初に誰かが仕事のことを質問した。TだったかMUさんだったか忘れたし、そもそもそれが最初ですらなかったかもしれないが、ただ序盤は仕事の話が結構長く続いたはずである。しかしその具体的な内容は、これがよく覚えていないのだ。結構重要なポジションにいるらしかったが。そもそもまず基本情報を開示しておくと、TTはセキュリティ関連の会社に勤めている。「ラック(LAC)」という会社である(この会社名は、以前Kくんから貰った――KくんもTTと同じ会社である――名刺に記されているのを見て辛うじて知ることができた)。当然営業部が仕事を取ってくるのだが、それに追いつくほどの人員が、診断部などのほかの部署で整っていないという話があった。また、能力のある優秀な人もそんなにいないらしい。そういうなかで、TTは多分わりあいにできる方なのだろう、重宝されているような話だったと思う。IT界隈にしては「古臭い」ような慣行の残っている会社だと言い、給料も、表向きはそうではないけれど、実際には年功序列だと言う。グレードというシステムが設定されており、それが上がれば給与も上がるのだが、長く勤めれば基本的には段々とグレードが上がっていくということだった。四〇代とか五〇代の人は、与えられた仕事をただこなすだけ、みたいな人が多いと批判めくので、現状維持層だ、と口を挟むと、首肯があった。で、そういう会社にお前はずっといるつもりなのかと訊いてみると、将来的にはわからないが、今のところはいるつもりだというような返答があったと思う。何かとやりやすい、都合が良い立場でいられる、とか何とか言っていたような。政府がIT方面と言うかデジタル方面と言うか、何という言葉で言い表わせば良いのかそれすらもわからない素人なのだがこちらは、ともかくそちらの方面の法整備を進める方針で動いているようで、それの策定に関わりそうだというようなことも、以前も話していたけれどこの日も言っていた。意見を求められる有識者の一人として関わるということなのだろうか? よくわからないが。
 こちらの質問の番が回ってくると、この先の展望を聞いたのだが、上記の情報はその時に語られたものだったかもしれない。仕事の方面での展望を聞いたあと、〈個人的な〉方面の話をしようと言って、個人的な展望は何か、この先の人生でやりたいことは何か、と訊いた。例えば、今、働くことも何もしなくて良く、一日二四時間完全に自由に時間が使える、仮にそのような境遇だったとして何をやるかと尋ねたのだったが、すると、それなら普通に勉強をしたい、という答えがあったと思う。それよりも前に、展望としては、世界を回りたいということを言っていたはずだ。それはバックパッカー的な放浪者と言うよりは、確か、研究所などを回ってみたいと言っていたのではなかったか? それで、才能のある人を発掘すると言うか、能力がありながらも埋もれている人を表に出す手伝いのようなこと、要は人と人とを繋げるようなことがしたいと言い、こちらは編集者みたいだなと思い、その点でTと考え方が似ているのではないかともちょっと思った。そのために勉強をしたいと。分野としては科学方面に興味があるようで、多分、科学者的な人の知見や知識や能力などを、実践的/実体的なビジネスの世界と結びつけたい、みたいなことを考えているのではないか。
 そのあとでMUさんが質問した。質問と言うか、中高時代の話はよくしている気がするけれど――Tは中学からの、TDとこちらは高校からの同級生である――大学時代の話を聞いたことがないとMUさんは言った。それで大学の頃のTTの話がいくらか語られた。まず、二年浪人したという情報があったが、こちらはそんなことはまったく忘れていた。最初は音大に行くという計画を立て、ピアノを練習していたのだが、能力ややる気の問題があって断念し、それから一年ほどはふらふらしてバンドなどをやっていたと。こちらも大学時代にTTと一度組んで、Red Hot Chili Peppersの"Snow"などをやったことがあったのだが――国立だったか西国分寺だったか国分寺だったか、その辺りの市民会館的なところで催されるイベントに出演したのだ。こちらは当時ベースを練習していたからギターではなくてベースで参加し、TDがドラム、そして小池さんというTTのこれも中学時代からの(男性の)同級生がもう一本のギターとして演奏した。それがTTが浪人していた時期だったのか? それとも彼も大学に入ったあとだったか? わからないが、ともかく、音大進学を諦めたあと、ふらふらしているのだったら一応大学は行っておけと父親に言われて、一か月だか二か月くらい軽く勉強をして受かったと言う。東海大学だっただろうか? 忘れてしまったが、自分で「Fラン」だと言っていた。
 それで、大学にはあまり面白い人はいなかったと言う。せいぜい二人くらいで、二人いたのがむしろ奇跡かもしれないと言っていた。一年の時はエロゲーに興味を持ってそちら方面を掘っていたと言う。直接的な言葉を使っちゃうけど、とTTは女性二人に配慮を見せながら、「エロゲー」という単語を発する。エロゲーには自慰を目的として使われるいわゆる「抜きゲー」と、シナリオにわりあいに手が込んでいるいわゆる「泣きゲー」があって、「泣きゲー」の方に関心を持ったらしい。それで音楽なども掘った。そちら方面にやたらと詳しい友人がいたらしい。二年時以降は、バンドをやったり、知り合いの伝手で地下アイドルのサポートみたいな仕事に関わって、ギターを弾いたりしていたと。大学時代の話は大体そんなものではなかったか。七時に達したところでこちらは料理をすることにして立った。
 キッチンに行き、手を洗い、適当に棚などを探って道具を確認。笊とボウルを借りることに。モヤシは笊に出して洗ったあと、ボウルに入れておく。包丁が、見た目は古びたような風合いだったのだが、我が家のものよりもよほどよく切れる良質な道具だった。玉ねぎを切ったあと、フライパンを借りて、野菜を炒めはじめる。新しいK宅の設備はIH(Induction Heating=誘導加熱)のもので、こちらはIHで調理するのは初めてである。野菜を炒めてから豚肉を入れたのだが、あとから考えるとこの順番を逆にした方が良かった。と言うか多分、普通は肉から炒めはじめるのではないか。野菜から先に炒めたので水分が出て水っぽくなってしまったのだが、我が家では今までずっと野菜を先に炒める手順でやって来たので、疑問を持たなかったのだった。しかし肉に先に火を通してその後で野菜をさっと加熱した方が芯が残り、噛みごたえがあって良かったのではないか。実際、この時作ったものは火を通しすぎて随分と柔らかくなってしまったようだった。それから買ってきた塩を振るのだが、粉が出てこないので蓋を開けてみれば、中蓋みたいなものが裏側に張られており、それの取り方がわからなかった。通常この中蓋的な紙は瓶の口の方についているもので、それを剝がして使いはじめるのではないかと思うのだが、何故か蓋の内側の方に取りつけられていた。それで仕方がないので、蓋を取った瓶から直接野菜に塩を振っていると、Kくんがやって来た。事情を告げ、挽いて出すタイプの胡椒も加えるが、こういう種類の調味料は使ったことがなくあまり上手く挽いて出すことができなかったので、Kくんに作業を譲った。そうして味見すると、ちょっと薄いとのことだったので醤油を加え、それで一応完成である。大した味ではなかった。やはりTに作ってもらった方が皆としても良かったかもしれない。しかし立ち働いてもらうのは忍びないわけで、とすれば、スーパーで買い物をする際に、手の掛からない惣菜の類を何か買っていくように提案するべきだったなとあとからは思われた。
 三つの皿に野菜炒めを分けてよそり、テーブルへ。スープとサラダも用意された。TやKくんが準備をしてくれているあいだ、こちらは床に座りこんで、MUさんの大学時代の作品や活動の記録を眺めた。あれもポートフォリオと言うのだろうか、そういうような類のアルバム的なものを見せてもらったのだ。彼女は美大出身である。実に色々なことをやっているなあと感心した。劇も、裏方として働くだけではなく、役者としても出演したらしい。また、高校生の時分のデッサンが上手かった。と言って、プロの目から見れば多分そうでもないのだと思うが、絵画や美術の類など生まれ変わっても描けそうもないこちらの目から見るととても上手く、羨ましかった。ほか、いくつかの断片の集合で作られた物語的な文章と言うか、小さな本も見せてもらった。物語も書けるとは素晴らしい。Tに、どうですか、と問われて、よく書けるなと思った、と言ったところ、彼女は「描ける」の意味に解したらしかったが、訂正はしなかった。
 それで食事。炒め物はまあ一応、食えない味ではなかったとは思う。大して美味くもなかったが。スープとサラダも頂く。余った炒め物は、TTがどうやら持って帰ってくれたらしい。翌日の食事にするとのこと。書き忘れていたけれど、ケーキを食ったあとくらいから食事中を除いてここまでずっと、Kくんと交替交替で彼のギターを弄らせてもらっていた。Kくんは"Autumn Leaves"とか、George Bensonがやっている"Affirmation"などを弾いてみせるので、そういうののフレーズの元ネタってどこで見つけるの、と訊くと、コードを確認してそれに沿って弾いているだけだというような返答があった。コードワークのあいだの繋ぎのフレーズなどは、使える定番フレーズみたいなものを、インターネットサイトとかyoutubeとかで見つけて学ぶらしい。なかなか上手いものだ。
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 そうこうしているうちに時刻は一〇時に近づき、帰ることに。Tが電車の時間を調べてくれて、一〇時一九分発のものに乗れば、一一時台にはこちらの最寄りに着けると言う。奥多摩行きはその一本あとが終電で、別にこちらはそれで帰っても良かったが、帰りが遅くなるのは申し訳ないからとTは言う。まあTTもかなり忙しいようだし、TやKくんも二人の時間が欲しいということもあろう。それで帰宅へ向かう。トイレを借りて、皆で退出し、TとKくんが時間がないと急ぎ足で先頭を行く。そのあとをほかの四人がついて行くが、こちらはまあ遅れても死にはしないと鷹揚に、後ろの三人からも段々と離されて最後尾を行った。街路樹に電飾がふんだんに取りつけられていて、あまり美しいイメージでないが樹の幹に繁殖した茸のように思った。
 そうして駅に到着。改札前でTとKくんに別れを告げ、いつものようにKくんと握手をする。電車の発車まであと一分かそこらしかなかったので、急いで別れを交わし、改札をくぐった。TTとMUさんは東京方面なので手を挙げて礼を言って別れ、思いの外に長い階段をTDと上る。上りきるとちょうど電車が停まったところで、乗りこみ、座席の前に並んで立つ。
 電車内では何を話したのか?今日、一番面白かったことは何かという質問が最初にあったような気がする。やはりTTの恋話ではないか、書きごたえがありそうなのは、と答える。その後、話が一時途切れた隙に、ここで話しておかないと、またこの電車内の会話が省略されてしまうぞとTDが言って笑ったのは覚えている。彼の方は今、博士論文を書かないとやばい状況らしい。周りの人間は大体、もう一通り書き終えているが、TDはまだ全然だと言う。それと言うのも、小説の方に浮気しているからだ。素晴らしいことだ。人間やはり、脇道に逸れなくては、とそういうことを話したのはしかしまだK宅にいる時だったのだが、電車内でも小説の話は回帰してきて、今、文庫で四五頁くらいの量になっていると言う。大したものである。日記を元にしているわけだが、いざ書いてみると、日記でもかなり詳しく書いたつもりが、それでも相当に要約しているのだなとわかったとのこと。
 TDは翌日、アニメ映画を観に行く予定らしかった。あるいはこちらの家に泊まることも一時は考えていたようで、それは多分また小説のための取材というわけだろう、奥多摩を散歩したいとのことだった。K宅にいるあいだに、今日泊まりに行って良いかと訊かれたので、こちらは軽く、いいよと答えて、その軽さにTTやTは笑っていたのだが、しかし天気を調べてみると翌日の奥多摩は、夜からではあるものの雪が降るとかいう話だったし、日中も気温が六度くらいしかないようでかなり寒いので、散歩はやめようとこちらは言ったのだった。それで結局、TDは今日は帰ることに決めた。翌日観に行くつもりの映画は、『冴えない彼女の作り方』という作品だと言う。昨日一昨日でテレビ版全二四話を一気に見通したと言うので、笑う。論文をやらなくてはならないのではなかったのか! それで映画も行くかどうか迷っていたようだが、結局翌日、TDは映画館に出向いて、LINEに新宿バルト9の画像が上がっていたのだが、その時間が午前七時四六分と実に早くて笑った。
 そのほか、マジで金がないという話も。これはこちらのことである。この先どうして生計を立てていけば良いのか、解が見えないと漏らす。すると、前にも言ったが、大阪でルームシェアしないかとTD。そういう未来があっても良いかもしれないとこちらは受ける。実際、読み書きの営みと生計とを両立するためには、そういう方向性しかなかなか現実的には難しいのではないか、と話す。こちらの金を稼ぐ能力などを考えると、一人では難しいような気がする。だから、志を同じくする仲間と共同生活をして支え合っていくほかないのではないか。まあそれか、家賃一万円くらいの、ボロボロの、今にも潰れそうなアパートで暮らすしかないだろうなと笑う。TD、来年度から働きたくないなあと漏らす。まったくだと同意。怒られてしまうけれど、とまた言いつつ、やりたいことをやりたいだけやろうとすると、やはりどうしても時間はないなと嘆く。だから世の勤め人は凄いものだと言うと、まあ大抵の人はそこまでしてやりたいことはないだろうけどな、とTD。いわゆる「一般人」は、と。こちらが料理をしているあいだに、テーブルの方では皆で、「一般人」と言うか、あまり欲望とか生の目的とかがない人の話をしていたようだった――こちらはキッチンにいてよく聞いていなかったが。勿論そういう人々の方が多数派なのだろうとは思うが、しかしなかには、普通に働きながらそれとは別に己のやるべきことを、言わば義務的な労働をこなしながらも自ら使命として思い定めた仕事を持って邁進している人も結構いるはずで、そういう人はやはり凄い。そのような人間に比べたら、こちらはかなり楽な環境にいるとは思う。
 そうして立川着。青梅行きは一〇時五一分で、まだ一〇分強、猶予があった。それなので、それまで話すか、とTD。一緒に一・二番線ホームに下り、二番線の青梅行きに乗る。席に座り、ぽつりぽつりと話したが、何を話したのだったか全然覚えていない。思い出せない。当面は今の生活形式を続けるほかはないだろうと話したとは思う。しかし、あと一〇年が経ったらそれも厳しいだろうと。両親の介護などの問題も出てくるかもしれないし。TDも、別に両親に今のところ明確な健康上の不安はないものの、それをちょっと心配しているとのことだった。発車が間近になると、TDはため息をつくようにして立ち上がり、それじゃあ行くわと言って去っていった。降りていく彼に、有難うございました、と声を掛ける。
 そうして発車。道中は今日のことを散漫に思い返しながら目を閉じていた。それにしても、まったくもって時間が過ぎるのが速いと言うか、つい先ほど武蔵境駅の前で本を読んでいたように思うのに、もうそれから半日ほども時間が経過してとっぷり更けた夜の帰路にいるという、この事実に対する現実感の無さ。昼間の時間の遠さと言うか遥けさと言うか何と言うか。
 瞑目の内に青梅着。電車が立川発一〇時五一分だった時点で薄々気づいていたのだが、奥多摩行きは既に行ったあとで、次に来るのは零時ぴったりの終電で、まだ三〇分以上あった。国分寺で特快との待ち合わせがあったのだが、それに乗り換えなければ一一時台の奥多摩行きには間に合わないということだったのだろう。結局終電で帰ることになってしまったわけだ。さすがに疲れたので歩いて帰る気にはならず、ベンチへ。メモを取る気も起こらず、本を読むことに。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』である。ホーム上には、土曜の深夜前後とあって酒に塗れたらしき、独り言を漏らしたり足取りが覚束なかったりする男たちがうろつく姿がたびたび見られる。待合室に勢いよく駆けこんでいく頭の禿げた男性もいた。大きな音を立ててドアを乱暴に閉め、なかの座席の一番端に押しこむように座ったようだった。しかも缶を開けるような音が聞こえたので、多分またさらに酒を飲んだのではないか。隣には女性が座っていたようだが、多分酒臭かったのではないか。ちょっと迷惑していたかもしれないと想像される。
 そのうちに奥多摩行きが来たので立ち上がり、移動して乗る。最後尾。立つ。日中座る時間が長くて腰が痛かったので。それで書見を続ける。じきに最寄り。降りる。終電のわりに意外と人が多い。駅を抜け、坂道。時間感覚の現実感のなさについてふたたび思う。時間を連続的なものとして捉えるのがそもそ間違いで、何かもっと違う捉え方をするべきなのではないかと考える。我々は種々の過去との距離を数値化して、記憶にも遠さの配列を作り出し、時系列上に配置することで現在からの距離をそれぞれ整理して位置づけ、そうして流れ/物語を作るわけだが、過去とはそのように整然と順番を揃えることなど、本来できないのではないか? つまり、多種多様な過去の断片との距離に、本当は差などないのではないか?
 帰宅。母親、まだ起きており、テレビを見ている。部屋へ行って着替えてくると入浴へ。湯のなかで多少うとうとしたと思う。よく覚えていないが。出ると一時頃だったのではないか。母親、まだ起きていたと思う。茶を持って下階へ行き、飲みながらだらだらしたあと、一時四三分からメモを取りはじめようと思ったのだが、このメモというのは日記のメモではなくて、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』の記述を読書ノートに写す行為ということだが、疲労が嵩んでいたために、写す箇所の選別が緩くなると言うか、万全の状態ならばメモしている文章でも、面倒臭く思って省いてしまいそうだったので、これは寝た方が良いなというわけで、床に就いた。二時前だった。


・作文
 10:14 - 10:22 = 8分
 計: 8分

・読書
 9:22 - 9:41 = 19分
 11:19 - 12:19 = 1時間
 23:33 - 24:04 = 31分
 25:43 - 25:50 = 7分
 計: 1時間57分

  • 2014/3/28, Fri.
  • fuzkue「読書日記(164)」: 11月18日(月)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-19「蹴りあげた扉の向こうには俺のいちばん嫌いな真実がある」
  • 石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』: 105 - 140, 288 - 292; メモ: 76 - 83

・睡眠
 3:30 - 8:30 = 5時間

・音楽
 なし。