2019/12/25, Wed.

 ソ連とナチのラーゲルには類似点がうかがわれる一方、本質的な違いも見られる。根本的な違いはその目的だ。ドイツのラーゲルは人類の流血史上、唯一独特のものだ。政敵を除いたり、暴力でおどしつけるという古来の目的のほかに、民族とその文化全体を地上から抹殺するという、近代的でおぞましい目的が加わっていたからだ。一九四一年ごろから、ラーゲルは巨大な殺人機械に変わっていった。何百万という人間の生命と身体を抹殺するために、ガス室と焼却炉が、用意周到に準備された。アウシュヴィッツにはおぞましい記録がある。一九四四年の八月に、一日で二万四千人を殺したという記録だ。もちろんソ連の収容所は快適な場所ではなかったし、今でもそうだ。だが、スターリンの暗黒時代ですら、囚人の殺戮が目的になったことはなかった。囚人の死は、ひんぱんに起こる事故であって、残忍そのものと言うべき無関心な態度で見過ごされたが、本質的には意図してなされたものではなかった。つまりそこでの死は、飢えと、寒さと、伝染病と、労苦の副産物だったのだ。この二種類の地獄を比較すると、陰惨な事実しかあげられないのだが、これにまだ付け加えるべきことがある。普通、ドイツのラーゲルは、中に入ると出てこられなかった。死以外には、刑期に終わりがなかった。反対にソ連に収容所では、刑期がないことは考えられなかった。スターリンの時代には、「罪人」は、時にはいとも簡単に、十五年とか二十年の長期刑を言いわたされたが、自由になる希望は、わずかなりとも残されていた。
 この根本的な差違から、次のような違いが生まれてくる。囚人と看守との関係が、ソ連ではさほど非人間的ではないことだ。みな同じ言葉を話す、同じ国民で、ナチ体制下のような「超人」と「非人間」ではない。また病人は、おそらくおざなりだろうが、治療を受けることができる。あまりにも苛酷な仕事には、個人や集団で抗議することも考えられる。体罰はまれだし、さほど残虐なものではない。また家から手紙や食べ物の小包を送ってもらうこともできる。要するに個々人の人間性が否定されたり、完全に破壊されることはない。ところがドイツのラーゲルでは、少なくともユダヤ人とロマは、ほぼ全面的な虐殺の対象になった。それは子供も例外としなかった。途方もない数の子供がガス室で殺された。人類の残虐史上、唯一のできごとだった。こうしたことの総合的な結果として、この両体制の死亡率はかなり違ってくる。ソ連では、最も苛酷な時期で、全入所者の三十パーセントほどだ。これは確かに我慢ならないほど高い数字だ。だがドイツのラーゲルでは死亡率は九十から九十八パーセントだった。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、244~245; 「若い読者に答える」)


 七時半のアラームで起床。例によってベッドに戻るが、眠りに落ちることは避けられる。クッションと枕に凭れて、身体に布団を掛けて温まりながら、窓外、南の山際に低く蟠った雲、水気をふんだんに含んだような沈んだ色合いで、染みのような質感のそれが西から東へ、ということはつまり右から左へと流れていくのをしばらく眺める。太陽はその裏にあるよう。それから、ベッド脇のスピーカーの上からロラン・バルトの『ミシュレ』を取って、適当にひらいた頁をちょっと読んで、そうして布団の下を抜けると上階に行った。ジャージに着替え。卵を焼くことに。豚汁を熱しながらフライパンに卵を二つ割り落とし、焼けると丼の米の上へ。卓へ。新聞を読みながらものを食べる。一面には、秋元司自民党議員が、IR関連の事業において賄賂を受け取った疑いとあった。飯を食い終わると皿を洗い、緑茶を仕立てて室へ。まだ時刻は九時前。素晴らしいと言わざるを得ない。茶を飲みつつ、読み物に入る。まず一年前の日記を読んだ。隣のTさんに、クリスマスだからと言って昨日と同様、やはり料理をあげている。そのほか、「書くために生き、生きるために書くという永遠の循環のなかに自分という主体は既に投げ入れられている」という格好つけた宣言が、その一年前の日記から引かれている。
 次に二〇一四年四月一日。「Suicaの残額が足りなかったが立川で精算する手間を避けて切符を買った。駅前の桜はおとといにも増して花をふくらませ、階段の上から目を向けると、花叢のなかを小鳥が渡って枝を揺らすのが見えた。それに気をとられて、階段をおりるといつもの習慣で無意識のうちにSuicaをタッチしてしまい、その瞬間に切符代を無駄にしたことに気づいた」――春/恍惚/上の空のテーマ。悪くない。
 その後、fuzkueの「読書日記」を読み、Mさんのブログはまだ更新されていなかったので、Sさんのブログを三日分読むと、九時から作文に入った。一五日ではなく、昨日のことをまず書きたいような気がしたので取りかかり、一時間半以上掛けて完成させた。結構思考をよく綴ったような印象。やはり、できるだけ細かく書くと言うか、文体や文章の質は二の次として、微分志向の記録的熱情を発揮することが重要なのではないか。記憶の限りを〈文〉にしたためる/移行させること。読み物や作文のあいだのBGMは、FISHMANS『KING MASTER GEORGE』(BGM)とFISHMANS『Neo Yankees' Holiday』(BGM)だった。
 それから、この日のことを書きつけると一一時前。そこから運動に入った。腰がこごっていたので。the pillowsを流しながら屈伸を何度も繰り返し、いつものように開脚をして、腰や、股関節や、脚の筋を和らげたのだが、そうしてみても身体の強張りがあまり取れた感じがしない。特に腰の小さな痛みはそのままで、これはあるいは気温が下がって急に冷えこんだがための現象なのだろうか。ともかく、その次にベッドに乗って布団を畳み、腹筋運動を行った。ゆっくり、休み休み、適当に身体を持ち上げては下ろして五二回。なるべく毎日やることが何よりも大切なので、さほど負荷が掛かっていなくても良いのだ。
 続けて、掃除機を持ってきて床の上の埃を吸い取った。スピーカーなどもある程度綺麗にしておき、掃除機を戻してきたあと、一一時二二分からふたたび日記、今度は一五日の分である。完成するとほぼ正午を迎えたが、この頃には多分、窓外に陽の色が現れていたのではないか。それまでは雲が上空に籠ってあまり光の感触が見えなかったのだが、段々晴れてきたようだった。一五日の記事を投稿しておくと、さらに一六日の分にも取りかかり、一二時五〇分で一度中断。食事を取りに上階に行く。母親は納豆を食べており、こちらにも納豆を食べてと勧めてくるが、あまり食べる気にはならない。別に嫌いではないし、一時期はよく食べていたものだが、何故か最近は食指が動かないのだ。台所に用意されていた一皿――唐揚げ、ほうれん草のソテー、薩摩芋が乗っている――をレンジに突っこみ、豚汁の最後の一杯を温め、米をよそって卓へ。NHK連続テレビ小説『スカーレット』に漫然と目を向け、およそ何の印象も得ないまま、ものを食った。母親は郵便局に出かけるらしい。モスクワのMちゃん及び兄夫婦に荷物を送るようだ。
 食後、食器を片づけて風呂を洗うと、便所に入って排便したのち、緑茶を用意して下階に帰った。茶を啜りながら一六日の記事を完成させ、インターネット上に放流。それからひととき、何をしようか迷った。書抜きをしたかったのだが、腰が痛くて立位を保つ気になれない。それで椅子に就いたままの姿勢でいるのだが、Uさんのブログを読もうか、それとも音楽を聞こうかと迷って、いずれにせよ、とりあえずここまでのことを日記に記しておくことにした。現在、二時を回ったところである。出勤まではあと二時間四〇分。
 それから、久しぶりに音楽を聞こうというわけで、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』の"My Romance (take 1)"を、ヘッドフォンをつけて椅子に腰を据えて聞きはじめたところが、やはり五時間の睡眠では少ないということなのだろう、眠気が胞子のように我が物顔で湧き出して、瞑目の視界は余計なイメージに邪魔されて、頭がかくりと前方に垂れるような有様である。駄目だ。諦めた。そうしてコンピューターを閉じ、その上に突っ伏して腕の上に顔を乗せ、目を閉じてしばらく休んだ。すると多少頭/意識は軽くなったよう。時刻は二時四〇分頃だった。トイレに行ってきてから、書抜き。ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』。
 「作家がこの社会から奪い取ることのできるものは一つしかない。それは社会の言語です。しかし言語を破壊するまえに、まずそれを「奪い取る」必要がある」
 「形式的な目録、形式的であることによりモードの内容に無関心な目録」
 「言語活動がなければ思考も内面性も存在しない」
 「分節言語、話され書かれた言語の外で文化対象について思考することは不可能です。対象は言語のなかにどっぷり漬かっているのだから。かくして言語学は、もはやシニフィカシオンの一般学の一部ではなくなります。ソシュールの命題を裏返して、言語学こそがシニフィカシオンの一般学であると言うべきでしょう」
 「『モードの体系』を詩的な企てと見なすことができる、とわたしは言いたいのです。その企てとは、無から、あるいはほとんど無に等しいものから知的な対象を作り出すこと、読者の眼前で、ひとつの知的対象が、だんだんとその複雑さの相を、さまざまな関係の全体性において出現するようにする、ということにあります」
 「そこでは、一種の無の哲学、世界の無について作業することに関心をもつ哲学の誉れ高き先例に出会えるかも知れない」
 四〇分で切る。続けて間髪入れずに、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』から読書ノートにメモ。〈休憩――アナムネーズ〉の断章からいくつか書き写す。

 〈おやつのときの、砂糖入りの冷たいミルク。古い白椀の底に、陶器のきずがひとつあった。かきまわしていてスプーンにさわるのが、そのきずなのか、溶け残るか洗い残されるかした砂糖のかたまりなのか、わからなかった。〉
 (石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルトみすず書房、二〇一八年、156)

 これは言わば散文化された(〈ひらかれた〉)「俳句」に当たる表現だろう。差異の、感覚の、印象の、官能の最小性。読んでいて三宅誰男『囀りとつまずき』のなかの、壁に叩きつけた蚊がひからびたままに冬を越した、みたいな断章を思い出したのだが、当該作品を取ってひらいてみると、それほど感触として似ているものではなかった。どちらも自由律俳句的ではあるとは思うが。Mさんの作品にはほかにも、あと一つか二つくらい俳句的な断章があったはずで、こちらの記憶を刺激したのはもしかしたらそちらの方だったのかもしれないが、当該断章がどのようなものだったか、よく覚えていない。

 〈絵入り雑誌は、マザリーヌ通りの、トゥールーズ出身の女性の文房具屋でよく買っていた。店には、いためたジャガイモの匂いがした。(……)〉
 (158)

 〈一九三二年ごろ、「スタジオ28」で、五月のある木曜日の午後に、わたしはひとりで『アンダルシアの犬』を見た。五時ごろに映画館を出ると、トロゼ通りにはカフェオレの香りがした。クリーニング屋の女たちが、二回のアイロンかけの合間に飲んでいたのだ。あまりにも平板で、中心がなく、うまく言い表わせない思い出だ。〉
 (158)

 バルトは何となく、「匂い」に対して結構敏感なのではないか、というような気がする。確か、「匂い」そのものを扱った断章もこの本のなかに含まれていたはずだ。今は探すのが面倒臭いのでそれを求めることはしないが、今後メモを取るために読み返すなかでまた出会うだろう。前者はともかく、後者の「思い出」は、具体的な一日のこと、つまりは一回性の出会いとして書かれているのに、よく「香り」の記憶を「思い出」として覚えているな、と思う。嗅覚は確かに記憶と結びつきやすい性質が一方であるのかもしれないが、こちらの経験上、つまり日記を書いている日々のなかで感じた事柄として、ということだが、視覚的あるいは聴覚的印象よりも、「匂い」の印象は失われやすいような気がするのだ。つまり、あとから思い出して記録することが難しいと言うか、〈想起〉の作用から――記憶を〈さらう〉際に――漏れやすいような気がするのだが。こちらだけだろうか? それとも、気のせいだろうか? あるいは、この「カフェオレの香り」の体験は、文章上は一回性のものとして書かれてはいるけれど、実際は何度も繰り返されたものだったのだろうか。それはともかくとしても、クリーニング屋の女性たちの習慣を説明/言及した一文も、何と言うか、街の呼吸を表象していると言うか、街が息づいている、という感じがしてちょっと良いものだ。しかしこのようにこの断片を読むことは、〈つや消し〉、すなわち意味を免除されたものとしてこの断章を提示したバルトの意図に、あるいは逆らうことになるのだろうか?
 着替え。上階へ。靴下を履き、食卓灯を点けて、カーテンを閉める。戻り、Bill Evans Trio "Alice In Wonderland (take 1)"とともに着替え。灰色の装い。ネクタイも鼠色。歯磨きしながらバルトを読み進めたあとに、日記に掛かる。四時五〇分過ぎまでこの日の記事を綴ったあと、出発へ。コート・バッグ・ストールを持って上階へ。カーテンは既に、先ほど靴下を履きに上がった時に閉めておいた。便所へ。排便して出て、コートを着て、ストール――濃淡様々な緑色のチェック模様――を巻いて外へ。夕刊をポストから取っておき、そうして出発。
 坂道の前で空を見上げる。一面の青さ――雲はなく、すっきりしているが、光は既に失われて色は冷たい。空気はかなり冷たかった記憶がある。ことによると身を震えさせかねないような冷気だった。バッグを右手で持っていたが、露出した手が冷たかったので、坂の途中で小脇に抱えて両手ともポケットに入れる。葉っぱ、湿り気がやや残った路面に貼りついている。歩きながら、日記はやはり細分化=微分の方向性かと考える。つまりは徹底的に、限界まで細かく書くということ。いや、そんなに、「限界まで」などと気負わなくても良いのだが、記憶の限りのことを書き記す。と言ってしかし、覚えていても〈差異〉にならない、文章の文脈のなかに取り上げる/取り入れるほどの刺激をもたらさない事柄もあるわけなのだが……つまりは、〈無意味な〉事柄。例えばただ車が通った、とか。それだけでは文脈に入れられない、つまりは主題にならない。〈俳句〉的な感性の網からも漏れて/逃れてしまうようなささやかさ。それをいかに文章のなかに組みこんでいけるかが、今後の腕の見せ所ということになるのだろうか?
 三ツ辻に八百屋がいるだろうと予想していたが、坂を抜けても道の先に、いつも八百屋がいる時には地面に置かれている籠が見えないし、脇に立ったミラーに映るトラックの明かりもない。時刻が遅かったか、それとも今日は八百屋が行商に来る曜日ではなかったか。街道前で空を見上げ、見つめ、青さの形容、あるいはイメージ=比喩を求めた――求めると言うか、言語の去来を待ったのだが、しかし満足の行く表現はやって来なかった。
 街道。果てに車や信号の明かり――黄色や白の連なりのほか、テールライトの赤に、信号機の青緑色。それらが僅かな隙間で接し合って/ひしめき合って/交錯しているさまの、小規模だがなかなか綺麗である。それにしても、信号機のあの化学的なと言うか、あの青緑色というのはやはり特殊で、ほかにはなかなか見かけない色だなと思った。
 老人ホームの前で、コロッケのような匂いを嗅ぐ。よくここで嗅ぐ匂いだ。午後五時で夕食の時間なのだろうか。裏道に入ると近間の家で雨戸を閉める音が、鳥の鳴き声のように聞こえる。回転的なと言うか、連なりの感覚。最初は鳥だと思ったのだが、遅れて雨戸を閉てる音だと気づいたのだ。いや、あるいは本当に鳥を飼っていて、その声が雨戸を閉めるために普通の窓を開けた際に聞こえてきたのかもしれないが、多分違うだろう。中学生が自転車で帰宅していく――ヘルメットを頭に被って。道を行きながらこちらの頭のなかには、内的言語の渦巻、すなわち独白/独り言が絶えず発生しているわけだが、そのなかに、寒い、寒いな、という呟きが定期的に/たびたび/折々、回帰してくる。何か思っていたはずなのだが、形を成さなかったのだろう、覚えていない。バルトについてだったか? あるいはUさんの文章についてだったか? 白猫はいなかった。薄暗がりのどこにも白い色が見当たらなかった。
 青梅坂。渡るのを待っていると、後ろからやって来た車のライトがこちらの身体を貫いて/透かして/回折して前方に広がり、家の側面に掛かって、その上端が深い/濃い青紫色を帯びる/塗られる――縁取りのように。海/水面[みなも]/波のテーマを想起/連想。しかしなぜ、川でなくて、海なのか? 色合いのためか? ちょっと波打った光の輪郭のためだろうか? 多分それらすべてのためだろう。複合的な因果関係、すなわち「多元的決定」(重層的決定)――ロラン・バルトの本から学んだ表現を使えば。
 側溝の蓋の上を歩いていく。市民センター裏ではぴったりと嵌まっていて音は鳴らない。そこを抜け、駅前に続く路地、ここでは蓋がいくらか古くなっているようで、歪んだり欠けたりしているらしく、上に乗ると動いて音を立てて、帰り道などでも労働を引けて家に向かうサラリーマンたちがよくこの音を立てるのが聞かれる。
 職場。室長は今日は本当は休みなのだが、あとで来ると、六時半頃に来るとか言っていた。準備することは特にないので、いつもより遅く家を出たのだった。相手は(……)くん(高三・国語)、(……)くん(中一・英語)、(……)くん(中一・英語)。(……)くんは国語なのだが、古文をやっている。こちらは古文は教えられない。もう忘れてしまった。それは相手も知っている。それなので、どうするか、現代文をやるか、センター試験の過去問を復習するかと言ってみたのだが、自らで古文の問題を進めるとのこと。こちらの仕事がなくなるわけで、一面では有難いものの、もう一面では、果たしてそれで良いのだろうかという、罪悪感と言うと強すぎるが、そのような気持ちもないではない。
 それでも結局、古文をやってもらった。助動詞の活用とか見分け方などもう覚えてはいないので、解答を全面的に参照しながらいくらかは確認したのだが、しかしやはり現代文をやった方が良くはないか? しかし翌日、つまり二六日にもこちらが彼の国語に当たっていたので、明日はどうするかと訊くと、今日みたいな感じで良いと言う。まあ楽であることは確かなので、ひらき直ってそのようにさせてもらおうか。
 (……)くんと(……)くんは英語。前者は過去形の予習。後者は現在進行形のまとめ。(……)くん、単語や表現をわりと色々とノートに記録することができた。相変わらずやる気の度合いは低いし、(……)くんと一緒だと話したり遊んだり騒いだりしてしまうのだが。アメリカにはスペイン語を話す人々がたくさんいます、という文が出てきて、何で? と尋ねられた。アメリカじゃん、スペインじゃないじゃん、と言う。アメリカの南側にはメキシコという国があってだな……と説明する。それでも納得しなかったと言うか、素朴な疑問をどんどんぶつけてくるので、南アメリカ大陸はスペイン人が侵略した土地なのだ、という歴史を紹介する。すると、じゃあスペインじゃん、メキシコじゃないじゃん、今何で、メキシコとかほかの国になってるの? スペインでいいじゃん、みたいな疑問がさらに来る。独立したのだ。何故? 確かに何故、と訊かれると、南米の国々が独立したその経緯や歴史など知らないのでわからないのだが、多分、南アメリカに根づいて長い時間が経つあいだに、俺らは俺らでやっていこうぜという意識が芽生えて強くなり、本国から独立する流れになったのではないか、みたいな説明をした。それって、日本のなかで北海道とか沖縄が、俺らは日本じゃないから、って言って独立するってことじゃん、日本ばらばらになっちゃうじゃん、と言うので、その通りだと肯定する。沖縄だって今は一応日本という国に含まれているけれど、彼らは昔は沖縄人だったわけだ、と。そういうことだよ、沖縄や北海道が独立するのと似たような感じだよ、と、まあ厳密には違うのかもしれないが、そのような脱線の時間がだいぶ長くなった。しかしなかなかに良い脱線だったのではないか。
 今日は英語の二人に関しては、間違えた文やわからない単語が含まれていた文などを何回か書いて練習してもらったのだが、やはりそういう時間を取り入れた方が良いだろう。何だかんだ、記憶という面から見れば反復的な作業というのは多分大事で、そのようにしてスペルとか意味とかを覚えさせていったほうが良いだろう。あとはやはり、終わりの時間に余裕を持つべきで、一五分から二〇分前くらいには終了に向かっていった方が良い。そうでないと最後に今日やったことの再確認をする猶予がなくなる。しかしこれが多分わりと重要なはずなのだ。
 授業中、室長が現れた。今日もあるので、と言う。講師たちへのクリスマスプレゼントの甘味である。前日と同様、レターボックスの裏に置いてあるので配ってくれとのこと。何故こちらが配る係なのかわからないが、いずれにせよこちらは今日は一コマで帰ってしまう。それなので伝えておいてくれと言うので、あとで(……)先生に伝えておいた。室長のプレゼントはラップにくるまれた小さなクレープだった。色々種類があったなかから、チョコバナナのものをこちらは頂いた。ほか、マネージャーが持ってきたらしいのだが、緑茶のペットボトルがいくつもあったので、それも一本貰った。
 退勤前、(……)先生がトイレに行ったのを見計らって、これ幸いと彼の授業を受けていた(……)さんのところに行き、その後、どうですかと訊いてみた。勉強のやる気がでないと先日相談してきたので、モチベーションを高めるには理由付けをすると言うか、高校に入ったらこういうことをやりたいとか、スタンスを決めた方が良い、というようなアドバイスをしていたのだが、訊いてみると、受験が終わったら溜まっているゲームをやるということを希望にして頑張る心になったらしい。やる気が出たのだとしたら良いのだが、自分自身の違和感を大切に保持してほしいというような思いも一方にはあった。しかし、彼女が受験制度とか学校という制度そのものに対する違和感を覚えたというのはこちらの穿ち過ぎで、たた単に何となく勉強が面倒臭くてやる気が出ない、というだけだったのかもしれないが。そうだったとするならば、適応できた方が良いには良いだろう。まあ、適応しようがするまいが、どちらにしてもそう楽ではないわけだけれど。
 退勤。コンビニの前を通りかかった際に、室長みたいな人を見かけた。ちょっと身体が大きかったので別人とわかったが、箱か何かを持っていて、それはモスバーガーかどこかで買ったものだろうか、いずれにせよクリスマスの品というわけだろう。道中の記憶はさほどない。the pillows "I know you"がやたらと頭のなかに流れた。それで思考もあまり巡らない。裏路地の脇に佇む家々の壁やら塀やら車やら段やら庭木やら、要するにそこにあるものすべてが形成し織りなす物理的/物質的襞を眺めていると、一軒の玄関脇にサンタクロースの姿かたちをしたライトが設置されているのを発見した。行きよりも帰路の方が、むしろあまり寒くないような気がする。それでもやはり、歩いているうちに冷えてくる――特にスラックスの内側などは上半身よりも布が薄いので冷たい。
 白猫はやはり見当たらない。女性二人が高い声で笑い、話しながら過ぎていく。飯を作ってもらうのが申し訳ない、みたいなことを話していたので、友人が遊びに来たとかだろうか。時刻は八時頃なので、まだウォーキングに励んでいる夫婦などの姿が見られ、家内で雨戸や窓を閉める人もおり、声も漏れてくる。
 街道。途中の一軒の前で、ちょうど帰ってきたらしい男性と遭遇。大きな箱の入っているらしき袋を持っている。ケーキだろうか? あるいはチキンか知れないが、やはりクリスマスのものだろう。多分子供が待っているのではないか、と見る。
 坂道。周囲の樹々に目を向けながら、映画のようにこの世界を見たいな、と考える。あるいはテクストとして――いや、テクストとしては既に見ているが、よりその襞のなか、織り重なりのなか、〈肉〉のなかに緻密に分け入って行きたい。距離を置いた見方/模様と、接近拡大した見方/模様の違い。バルトの美術論。
 坂道を下りると正面に見える自宅は、窓から漏れる明かりの感じからして、居間は食卓灯のみを灯していて、天井の明かりは点けていないらしい。帰宅してなかに入ると、母親は炬燵に入っている。何か良い匂いが香った。スーパーの安い品だが、カツ丼らしい。部屋へ下りて、コンピューターを点けつつゆっくり着替えると、食事へ。腹が結構軽くなっていた。カツ丼を温め、ほか、大根と豆腐の味噌汁を熱し、あと、フライパンにあった薩摩揚を立って支度しながらつまみ食いする。諸々の野菜の入った生サラダもあった。
 食卓に就く。新聞、読んだのだったか? 不明。特段、記憶がない。いや、多分夕刊を読んだ――そう、外交文書が公開されたとかで、沖縄返還に際しての密約の詳細が明らかになったという報があった。米国側の担当者が、核の再持ちこみを認めるという密約は必要――沖縄返還に反対していた米軍部を説得するために必要――だが、実際に再持ちこみが起こることはないだろうとの見通しを示していたとのこと。あと、秋元司議員の逮捕の報だが、これはわりとどうでも良いと言うか、大した興味はない。そう言いながらも、社会面をめくって関連記事を読んでみたのだが、すると新聞の取材に対して、三〇〇万円などという子供騙しのような端金は受け取らない、一億や二億ならともかく、と言っているらしく、それはそれで反感を招きそうな、傲岸な発言だな、とちょっと面白がる。
 母親は、ケーキを買ってきたと言う。福生に行ったらしい。西友で父親のセーターを見たかったとかで。それで、西友のなかにあるItalian Tomatoという店、それはパスタを主に扱っている店なのだが、甘味も売っているらしく、そこで買ったショートケーキが一個六〇〇円もすると彼女は繰り返した。それを食後、頂く。苺がふんだんに織り交ぜられて/埋めこまれており、その質も新鮮で、酸味と甘味が程良く混ざっており、ケーキのクリームも甘さがしつこくなく/くどくなく、整然とまとまりの良い、品の良い味といった印象。ただ、ケーキを食いつけているわけでないので、果たして六〇〇円を払う価値がある味だったのかどうかはわからない。勿論美味ではあったが。
 皿を洗って緑茶を用意すると、風呂は母親に譲って自室へ。Mさんのブログを読む。二四日の分。S.Aさんのメッセージがとても可愛らしい。萌キャラか? 続いて、Uさんのブログ。「思索」: 「思索と教師(8)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/19/040956
 「新しさを「新しい」と理解可能である限りにおいて、それは古いものの延長線上にあるに過ぎないのである」
 「思索の試みにおける「追求」は、追求の先で何かを「獲得」することを留保する」
 「思索が求める唯一の権威は、思索自身による創造であ」る。
 「当初、疑問の余地がないと思われていた始まりに完全に飲み込まれることを留保し、その留保において予感に向かうための試みは、単純化してしまえば、結果的に、現状の否定である。この留保の最も極端な形は、現前するあらゆる物事に空虚さしか感じないことである。人や物事や出来事に感情移入できず、「あれかこれか」という個別的な選択が全て地に足のついていない浮足立った営みに見えることである。これはいわば完全な無関心であり、そこからどこかに向かおうなどと目論まない成熟である。無関心という言葉から冷徹さを想起するが、何かに依拠したり、感情移入しながら行う態度よりも、自由であり、開けた思索の実験ができるのである」
 「このプラグマティズムにおいては、現前性は、同時に、徹底的に肯定して学び取る土壌でありながら、徹底的に準拠することを拒否する荒野である。前者である理由は、目の前から学び、それを肯定し、それを協同で試みる他者がいなければ、自らの試みを深まらないからだが、その肯定をする理由は、ただ単に今ある物事を垂れ流しに肯定するためではなく、まさに、眼前とは根本的に相容れない思索の創造から考えるように努力するからである」
 「そもそも、デューイやパースがそうだが、魅力的なプラグマティストというのは、何かしらの原理を持っていた。デューイは民主主義を、パースは科学の振興を。それがなければ、プラグマティズムは、ただ単に目の前に順応するだけの機会主義哲学に堕する」
 「始まりの徹底的な否定における無関心は、より根源的な始まりの究極的肯定であり、強いて言えば、動かすことのできない静寂さ、ほかの物事が動いても動くことのない永遠である」
 「完全に止まった沈黙だからであり、沈黙であるがゆえに、謂いにおいて何にでもなることができる純粋な肯定」
 「陳腐さの方に流れ出てしまうことを自らの思索において防ぐために、先例を丁寧に追想し続け、思想や党派の限界を理解し続け、レトリックや宣伝のためではなく、真の意味で答えのない問いを育て続ける試みに勤しむほかない」
 さらに英語。George Yancy And Noam Chomsky, "Noam Chomsky on the Roots of American Racism"(https://opinionator.blogs.nytimes.com/2015/03/18/noam-chomsky-on-the-roots-of-american-racism/

・hideous: おぞましい
・turpitude: 卑劣な行為
・recapitulation: 要約
・approximation: 類似しているもの; 近似値
・defer to: 従う
・residue: 残余
・unremitting: 絶え間のない
・heinous: 凶悪な

 そうして記憶ノートに手帳から情報を写し、その後、確認と言うか復習も行うと一一時。父親は既に帰宅しており、風呂から出たようなので上階へ行く。挨拶して入浴。浸かってうとうとしていると、母親が洗面所から早く出ろーと言ってくる。洗濯機を一回回しておきたいと言う。と言うのは、翌日は九時から四時までの労働で朝が早いから、と。それで風呂を上がり、室へ戻って石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のメモ。一時間半に渡って邁進する。BGMはBlue Note All-Stars『Our Point Of View』。それから三〇分間書見をして、二時に至ったあと、(……)二時五〇分からふたたび読書。石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』を最後まで読み、あとの時間はまたメモに使って、三時四〇分前に就寝した。


・作文
 9:02 - 10:38 = 1時間36分(24日)
 10:43 - 10:51 = 8分(25日)
 11:22 - 11:56 = 34分(15日)
 12:08 - 12:50 = 42分(16日)
 13:25 - 13:34 = 9分(16日)
 13:52 - 14:02 = 10分(25日)
 16:34 - 16:52 = 18分(25日)
 計: 3時間37分

・読書
 8:37 - 9:00 = 23分(過去の日記やブログ)
 14:41 - 15:20 = 39分(バルト; 書抜き)
 15:22 - 16:03 = 41分(バルト; メモ)
 16:13 - 16:27 = 14分(バルト)
 21:17 - 21:53 = 36分(ブログ)
 21:58 - 22:18 = 20分(Yancy and Chomsky)
 22:25 - 22:42 = 17分(記憶ノート; メモ)
 22:42 - 22:59 = 17分(記憶ノート)
 23:53 - 25:32 = 1時間39分(バルト; メモ)
 25:38 - 26:08 = 30分(バルト)
 26:50 - 27:33 = 43分(バルト)
 計: 6時間19分

・睡眠
 2:40 - 7:30 = 4時間50分

・音楽

  • FISHMANS『KING MASTER GEORGE』(BGM)
  • FISHMANS『Neo Yankees' Holiday』(BGM)
  • Bill Evans Trio, "My Romance (take 1)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#7)
  • Charles Lloyd『Sangam』(BGM)
  • Blue Note All-Stars『Our Point Of View』(BGM)