2019/12/26, Thu.

 反ユダヤ主義は、本質的には、不寛容という非理性的な現象なのだが、キリスト教が国教としての地位を固めて以来、キリスト教国ではどこでも、主として宗教的で、神学的な衣をまとうようになった。聖アウグスティヌスの主張によると、ユダヤ人は神自身により離散の刑を科せられている。その理由は二つある。第一はキリストを救世主と認めなかったため、第二は、ユダヤ人が世界中に離散することがカトリック教会に必要なため、だ。なぜならカトリック教会も世界中に存在するので、どこででも信者に、ユダヤ人のしかるべき不幸を見せられるからだ。ゆえにユダヤ人の離散と分離を終わらせてはいけない。彼らは、罰として永遠に過ちの証人となり、キリスト教信仰の正しさを示さねばならないのだ。従って、彼らを迫害してもいいが、殺してしまってはいけない。彼らの存在が必要だからだ。
 だがいつも教会にこうした節度があったわけではなかった。キリスト教信仰が根を降ろすとすぐに、ユダヤ人にひどく厳しい非難が向けられ始めた。ユダヤ人全体が永遠にキリストはりつけの科を負うべきだ、ユダヤ人は「神殺しの民族」なのだ、という非難である。この公式は遠い昔の復活祭の典礼にすでに現われていたもので、第二回バチカン公議会(一九六二―六五)でようやく廃止された。だが民衆の中に何度も繰り返して現われる、有害な偏見の根本には、常にこの公式がある。たとえば、ユダヤ人は井戸に毒を入れてペストを広める、いつも聖餅を冒涜している、復活祭にはキリスト教徒の子供をさらい、その血で過ぎ越しの祭り用のパンをこねる、といった偏見である。こうした偏見は、あまたの血なまぐさい虐殺の口実になったが、特に、フランスからイギリス、スペイン(一四九二―九八)、ポルトガルと続いた、ユダヤ人の大規模な追放に大きな役割を果たした。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、249; 「若い読者に答える」)


 九時のアラームで覚醒。止める。ベッドに戻る。臥位になることは防いだものの、今日はその後の覚醒がうまく行かなかった。クッションと枕に凭れたままの状態で長々と意識を落としてしまい、最後の方ではほとんど横になっているのにも等しい姿勢と化しており、結局、一二時半前まで時間を費やすことになった。怠慢である。
 ダウンジャケットを持って上階へ。母親は午前からの仕事。台所には大鍋に巻繊汁の類が作られてあり、皿の上には前夜の薩摩揚の残りや、海老入りのカツみたいな揚げ物などがあった。それを電子レンジに入れ、鍋も火に掛けて便所へ。排尿。戻って洗面所に入り、寝癖を直したあと、米をよそって三品を卓へ。新聞一面から、秋元司議員の逮捕の報を読みつつものを食べる。さほどの興味はないのだが。食後、皿を洗って風呂も洗いに行く。窓の磨りガラスの上を水滴/露が一粒、迷路を辿る鼠のような動きでもって、襞に合わせて微かに左右に振れながら下方に滑っていく。窓を開けて細い隙間から外の空気を確認したあと、閉めると、表面に付着していた水滴/露が、振動に応じていくつも姿を現して蠢きはじめ、蛞蝓の集団のように緩慢な動きでやはりじりじりと下降していく。
 風呂洗いを済ませたあと、露芯式(という言葉は多分こちらの造語なのだが)石油ストーブのタンクを取り出して、燃料を補充するために外に出た。裸足にサンダル履きである。勝手口の方に回って箱を開け、ポンプをタンクに挿しこんでスイッチを入れたのだが、ポリタンクのなかの燃料がもう少ないようで、タンクがいっぱいに満たされる前に管のなかを流れるものがなくなる。それなので、もう一つのポンプを使って、もう一つのポリタンクから空になった方のポリタンクに石油をいくらか移し替えた。それを待つあいだは、肩を回したり首を回したりしていたのだが、じきに平たいような形の車が一台、我が家の前にやって来て、向かいの敷地に停まる。誰だか知れない。O.Sさんの関係の人だろうか? タンクを右手に提げて室内にゆっくりと戻る際に、エンジンを蒸したままの車のなかにいる相手に向けて、一応会釈らしき素振りを送っておいたが、通じたかどうかはわからない。なかに帰るとタンクをストーブに戻して、緑茶を用意して下階に帰る。
 コンピューターを点け、前日のメモ/下書きを始める。それで一時間。最後まで至るともう二時半前。時間はない。己の怠慢が主な原因ではあるが。ただ、今日も職場からメールがあって、一コマにできますがどうしますかとのことだったので有難く感謝し、即座に「是非ともお願いいたします」との返答を送った。それなので、家を出るのは六時半かそのくらいで良くなったわけで、まだしも猶予が発生している。
 緑茶をおかわりしてきて、読み物へ。まず、一年前の日記。「(……)やはりパニック障害になったのが自分の人生の言わば運の尽きだったと語る。こちらの兄は就職活動にきちんと邁進して、毎日都心のほうまで出かけて何十社も受けていたのだが、それを見て自分には無理だと思ったし、第一パニック障害になってしまって電車に乗れば不安で仕方がないわけだから、現実的にもやはり無理だったのだ。それで市役所を受けようと思ってはみたものの、自分の本意ではないから勉強に身が入らず当然落ち、大学卒業後に文学というものに出会ってこれこそ自分の道だと思い定めながらも、今年に至って精神の変調から挫折を招いて今に至っているわけだが、パニック障害になっていなければ、自分ももう少し社会の「本流」に乗れていたかもしれないと思うわけである」という認識が示されている。まあそうは言っても別に、いわゆる「本流」、現在の言葉で言えば〈主流派〉に上手く/賢く乗りたい、という気持ちなど、過去にも大してなかったと思うし、現在も特にないわけだが。とは言え、ルサンチマンめいた情、つまりは、芸術とか文学とかの営みに理解を示すことがない人々(ロラン・バルトの説明で言うところの「ブルジョワジー」――「前衛が異議申し立てをするのは、美術、道徳の分野におけるブルジョワジーである。それは、ロマン主義華やかなりしころと同じで、俗物、芸術のわからない俗人のことである」(下澤和義訳『ロラン・バルト著作集 3 現代社会の神話 1957』みすず書房、二〇〇五年、357~360; 「今日における神話」; 一九五六年九月))に対する軽蔑とか、何故自分の活動の意義が理解されないのだ! というような〈主流派〉に対する憤慨の気持ちみたいなものは、過去にはわりあいにあったかもしれない。数年前、読み書きを始めてまだいくらも経たない頃の話だが。そういう点で過去の自分は、結構強大な、いわゆる〈承認欲求〉を抱えていたのかもしれない、つまりは〈主流派〉に同化したい気持ちがあったのかもしれないが、今は特にそうした感情も目立っては存在しないと思う。
 次に、二〇一四年四月二日。「釜のなかには米があるにもかかわらず、煮込みうどんがどうしても食べたかったので冷蔵庫から乾麺を一束とり出した。大鍋に湯をわかしているあいだにキャベツを切った。ようやく沸騰した湯に円を描くように放りこんだ細い麺が泡のなかで踊るのを見て、それがうどんではなく素麺であることに気がついた。疲れているらしかった」という一節にちょっと笑った。また、「母が部屋に来てやっぱり仕事やめたほうがいいかな、と言った」と言うので、彼女はまだ前職を続けているようだ。東京電力の検針員の仕事である。また、蓮實重彦の著作からの書抜きも付されている。

 ……そもそも私小説とは、「自分だけが知っている」ことや「自分ひとりで考えた」ことを「自分の手で」語ってみせるといった小説ではなく、ほんの些細な世界の表情に瞳を向け、ほとんどそれと一体化しながら、そのことを描写しつくすことのうちに「自分」が消えてしまうという特殊な言葉の生成ぶりによって特徴づけられる小説なのだから、いま文芸雑誌に蔓延している風潮は、たとえば志賀直哉の『城の崎にて』に代表されるそうした私小説の伝統を、どこまでも生き延びる「自分」によって決定的に破壊せんとする動きだといわねばなるまい。
 何とも奇妙に映るのは、進んで他人の言葉を、他人の思考を、他人の体験を引き寄せぬ限り文学などあり得ぬはずだと誰もが知っているはずなのに、「誰もが知っている」ことが嘘のように忘れられ、「自分だけが知っている」ことばかりが語られてしまっているのが現状である。個人ではなく社会を描けだの、プライベートなことではなくパブリックなことがらを題材にせよなどといまさら言い募るつもりはないし、そもそも、いまの文芸雑誌を覆いつくしている言葉は、個人的でもプライベートでもないのであって、問題は、むしろその点にあるというべきだろう。個人とは本来が社会的な存在だし、プライベートであることも否定しがたくパブリックな事態なのだから、「自分だけで」何かを知ったり、「自分ひとりで」何かを考えたりするといったことは、よほど抽象的な世界に意図して閉じこもることなしには不可能なのであり、ましてや、そんなことを書き綴ることなど、誰にもできはしないはずである。書くとは、なににもまして複数の自分を受け入れる体験にほかならず、だからあらゆる書物は複数の著者を持たざるをえないのであって、そのとき著者の名前は、当然のことながらとりあえずの署名にほかならなくなるだろう。
 (蓮實重彦『絶対文藝時評宣言』河出書房新社、1994年、72~73; 「複数であることの倫理」)

 さらに、fuzkue「読書日記」、そしてその後、Mさんのブログ。冒頭に掲げられた佐々木中『定本 夜戦と永遠(下)』からの引用が大変面白かった。新作『双生』の文章も一部紹介されていて、全部読むのが楽しみである。
 「つまり、犯罪は被害者以外にまず「主権者(王、 souverain)を攻撃し」、王を傷つけるものであった。法は「主権者の意志(王の意志、 la volonté du souverain)」であり、ゆえにその侵害は王の人格を傷つける。法の力は王の力であり、ゆえにその侵害は王の身体を傷つける。「どんな法律違反のなかにも、一種の大逆罪が存在し、どんな些細な犯罪者のなかにも、小型の王殺しが潜在的に存在しているというわけである」。だから身体刑とは、王の復讐であり、王の報復である」
 「受刑者は今ここで王の大いなる反撃を受けている。ならば、彼は王の巨大な膂力に独り立ち向かっているということになる。冤罪の疑いがあればなおのこと、そうでなくても彼の姿はある種の雄々しさを、英雄的な何かを身に纏うことになるのだ。そこに巻き起こるのが、王とのゲルマン的な決闘を戦うこの者に対する「激励」であり「歓声」であり、「同情」であり、「喝采」であり、「称賛」であることは見やすい道理だ。集まった群衆が見聞きすることを望むのは彼の反抗の挙措であり、呪詛の言葉である。「群衆が処刑台のまわりにひしめくのは、死刑囚の苦痛を目撃するためであるとか、執行人の猛烈な振る舞いを煽りたてるためだとかばかりではない。さらに、もはやすっかり無一物になっている死刑囚が、裁判官を法を権力を宗教を呪う声を聞かんがためでもあるのだ。処罰を受けようとしているのだから、死刑囚はもはや何をしても禁止も処罰もされない。いわば一瞬の無礼講をやってのけるのだ。やがて到来する死にかこつけて罪人はどんなことを言っても構わないし、目撃者は彼に歓声を送っても構わない」。一瞬の空白、一瞬の蒼穹、一瞬の法の外である。裁判官を呪い、司祭を蔑し、王を罵倒し、神を冒瀆することが許される一瞬の間隙。フーコーは言う、「こうした処刑のなかには、〈祝祭(カルナヴァル)〉の一面が丸ごと存在しているのであって、それぞれの役割は逆転し、権力者は愚弄され、罪人は英雄となる」」
 「わたしたちが塩の柱になるとき」まで読むと三時二一分。尿意に耐えながらここまで記述。ここ数日、尾骶骨の辺りが痛む。諸々の作業の合間に、時折りTwitterにアクセスして、こちらがフォローしているもののこちらをフォローしていないアカウントの人々のフォローをぽちぽち解除していった。Twitterという場にももはや興味はない。そこにある情報の九九パーセントまではおよそどうでも良いものに過ぎない。それはまさしく単なる「情報」でしかない。官能性が欠片も滲まない、無味乾燥な、まさしく味も匂いも帯びていない言語的塵埃だ(つまり、〈身体〉のない言葉、ということだろうか?)。以前はTwitterを使って自分の活動をより広く人々に周知していくことができると思っていたのだが、結局のところ、こちらの文章はやはりそう広範に読まれるタイプのものでもないだろうし、読者を増やそうという気持ちも今は薄くなっている。原点回帰だ。とにかく書き続ける、その一点のみが重要だ。そうは言っても一応、ブログの更新通知とか、音楽の感想とかわりあいによく書けた文の発表場所とか、一部仲良くなった人との連絡手段としては活用を続けるつもりではあるものの、今現在、タイムラインを追って他人のツイートを見ることはほとんどない。情報収集としてすら使っていない。それなので、別にそのまま放っておいても良いのだが、情報量を縮小するかと言うか、こちらをフォローしていない人に関してはこちらもフォローを解除してしまうかという気持ちになったのだった。ただ、こちらをフォローしてくれている人に関しては、何となくこちらからもフォローを外すのは忍びない感じがする――と書きながらも、しかし気を変えて、やはり興味を持てる相手や、一部仲良くなった人など以外は、もうフォローを外してしまうことに決めた。何だか今までも、こうしたサイクルを繰り返してきていると言うか、つまり人付き合いに比較的積極的になって、交友関係を広げていこうという時期と、やはりそうしたことよりも自分の活動のなかに籠りきろうと孤独を志向する時期とを、ずっと交互に行き来してきたような気がする。従って、この先また、いわゆる「社交」に精を出す時期が来るかもしれない。また、「社交」の時期において関係を持ち、それが持続している人々も確実にいるわけなので、彼ら彼女らとの関係はこれから先も続けていきたいとは思う。しかし今はとりあえず、Twitterの圧縮だ。今は何と、三〇〇〇人以上もフォローしている人がいるのだ。我ながら、よくもそれだけフォローしたものだ。それでいて、先にも述べたように、タイムラインはほとんど見ていない。つまりはそれらの人々に実体的な興味を持ってフォローしたわけではなく、ただこちらという存在がいるという事実を知らせるという目的のためだけにフォローしたわけで、しかしそのような使い方/方針はもうやめだ。興味のある人、付き合いのある人だけをフォローするという〈健全な/まっとうな〉使い方に転換する。そう決めると、その動向や発言を追いたいような人間なんて、ほとんどいなくなるものだ。フォローはせいぜい、数十人規模で良いだろう。
 まあ要は、Twitterにおいても、スキャンダル的なあり方を目指すと言うか、〈困惑/当惑させる〉ような存在の提示の仕方をしていくということだが。ちょっと異様な、機械的なような感触を与えたい。ただひたすらに言語を、エクリチュールの断片を垂れ流すボットみたいなあり方と言うか。人間味を無くすこと。と言ってブログの方では、自分語りの極致みたいなことをやっているわけだが、そのように形式や主題を分けて使った方が良いだろう。また、ブログに載せている自分のこの日記の文章が、〈人間味〉があるのかどうかという点は、こちら自身にはよくわからないことだ。ともかく、Twitterの方では、主体の匂いみたいなものを極限的に排除しようと思ったので、今まで他人のツイートにつけていた「いいね」もすべて解除した。これで誰か仮に、こちらのアカウントの「いいね」を覗く人がいたとしても、そこには何の記録も残っておらず、こちらの人間性を知るための何の手掛かりも得られない。さらに、この文章を綴っている一二月二九日に思いついたことをここに記してしまうが、日記の一部を投稿する際には、必ずその末尾に日付を付すことにした。これによって、投稿された文章が日記からの引用であるということが明示され、言わば他人の文章を引用するのと同様に/同等に、自ら書いた過去の文章を引用しているだけだという装いを取れる。つまりはそれは、〈現在〉の――Twitterを覗いているリアルタイムの――主体のあり方から距離を置き、現在時点の自らの状況を露わにすることを防ぐことになる。Twitterにおいては「~~なう」という言い方が一時期流行ったように、〈リアルタイムの(「素」の?)自分〉を気軽に/手軽に/軽薄に/軽率に発信できるということが多くの人にとって魅力を成したわけだが、そうしたTwitter観念を逆手に取ると言うか、それに〈静かに〉抵抗/叛逆するのだ。何のクッションもおかずに直接的に自己を表出するのを避け、あくまでほかの場所で作った文章、Twitterの外で生まれた文章を引用しているだけだ、という体裁を取るということだ。自己を曝け出すことがない。〈考え/思考/思想〉は述べない。他人のツイートに「いいね」もつけていない。大方、日記の文章を引用して流すのみ――そのような形で、ちょっと異様な雰囲気と言うか、非人間性みたいなものを醸し出して、受け手を困惑させることができないだろうか? このアカウントは何なのだ、この人は一体何を求めてTwitterをやっているのだ、と。そう考えると、フォローも本当は零人にした方がこの試みを徹底することができるのだろうが、さすがにそこまで非人情になりきれないと言うか、一応新刊などの情報収集もしたいし、動向を追いたい人もいる。とすれば、上のような試みを行うためのアカウントと、情報収集用のアカウントを分ければ良いのではないか? という解が用意に思いつくが、そこまでやるのはまたそれはそれで面倒臭い。
 ともあれ、自分がTwitterで今後呟くツイートの種類/主題は概ね四つか五つに絞られるだろう。一. ブログの更新通知。二. 日記からの引用(主に風景描写になると思われる)。三. 他人の文章の引用。四. 音楽の感想(これは二に統合して考えても良い)。五. 短歌(これも要は二に統合される)。今書きながら、このうち、一番のブログの更新通知はやらなくても良いかもしれないな、という気になってきた。Twitterにリンクを貼ったとしても読んでくれる人などごく一部だろうし、読んでくれる人はわざわざ更新を通知しなくても読んでくれるだろう。一応プロフィールにリンクは載せておくとしても、通知自体はもう必要ないのではないか。あるいはプロフィール欄のリンクも削除してしまっても良いかもしれない。そうしようという気になってきた。そうして、二、三、五には書いた日付を必ず明示し、あくまでこれは日記の内容の一部ですよという体裁を取る。三番も、これは今までもずっとそうしているが、典拠を出版社や出版年、頁まで含めて明確に示す。つまりこの方針を徹底できれば、自分のTwitterアカウントは、まさしく(自他の)〈引用〉の集積、〈他人の言葉〉のみで織りなされた一つの空間のようになるわけだ。今日から(つまり二九日から)このような試みを開始したい。
 この日の話に戻ると、そういうわけでthe pillowsを歌いながら、ぽちぽちと一人ずつフォローを外していったのだが、当然、時間が掛かる。日記を書かなければならないはずが、何故かぽちぽちと続けてしまう。こんなことに時間を掛ける必要があるのか? 一挙にフォロー解除できるサービスがあるのだろうし、それを利用した方が良いのでは? と思いながらも何故かぽちぽちと続ける。そのうちに母親が帰宅したところで、クリックを止め、ちょっと開脚して下半身をほぐし、上階へ。
 母親は買ってきたものを冷蔵庫に入れていた。労働は夜からになったと伝え、食事を取ることに。茶漬けを食うことに決め、丼に米をよそり、茶漬けの素を振りかけて湯を注いだ。ほか、巻繊汁を持って食卓に運び、食す。雨が降ってきたと言う。マジかよ、と返答――別に降ったって良いのだが。天気予報、当たったねと母親。それから仕事場の話として、子供が病院に行って薬を貰っているような子ばかりだと話す。何の薬かとこちらは尋ねたが、上手く聞こえなかったようで、ずれた答えが返ってきた。多分、発達障害関連の薬ということだろうか。話をするんだけど、二人いっぺんにわーって話してくるから、ちょっと待って、一人ずつね、はい、どうぞ、と言うのだ、と。巻繊汁はおかわりし、二杯目を運んでくる際、ついでに靴下も履いておき、カーテンも閉めた。完食すると皿洗いである。ここでも母親は隣で仕事のことを話す。所長に怒られたらしい。何だか知らないが、ボードとやらを持って出るのを忘れて、それを取りに戻ったら、そのミスが気に入らなかったようだと。それで帰り際に、明日のボードを出しておこうと用意をしていたら、何やってるのと気色ばんで――などという言葉は無論、母親は使わず、これは彼女の語彙ではない――言われたと言う。時間を過ぎているから、そんなことはやらなくて良い、と。それで、人の使い方がなってないっていうか、もう少し言い方があるだろって思ったよ。そのような話を聞きながら、こちらは特に反応しない。話されても、ふーん、としか思わなかった。
 自室に戻ると、一七日の日記を進める。尾骶骨の先端辺りがやたらに痛い。くしゃみがよく出るのだが、その衝撃が響く。と言うか、鼻を啜るだけでも響いて痛む有様。六時過ぎまで一七日の日記を進めた。それから歯磨きのあいだはSさんのブログを読み、最新記事に追いついた。風邪を引いたのか、この辺りの時刻から突然に鼻水が垂れてくしゃみが頻発するようになり、先にも書いたようにそのたびに尾骶骨に振動が伝わって痛い。それでも着替えて出発へ。スーツは紺色のもの。
 上階。コートを着、ストールを巻く。出発。ハンカチを持つのは忘れた。降ってはいないようだったが、傘を一応持つ。坂道に入って上っていくと、平衡感覚が僅かに乱れるかのような暗さである。
 街道。Twitterでは〈考え/思考〉は流さない/披露しない/発表しないようにしようと考える。何故か? 一言で言ってそれは〈政治的〉だからである。つまり、〈考え/思考/思想〉は、〈賛成/反対〉あるいは〈共感/反感〉を必然的に導き出すと言うか、受容者は無意識的にであれ、そのパラディグムのどちらかを選ぶことにならざるを得ない。必ずどちらかに寄ることになる、その窮屈さ――翻って日記は、これは一種のユートピアである。つまり、〈何でも書ける〉という幻想の場であるということだ。勿論現実にはそのようなことはあり得ないわけだが、少なくとも、そうした幻想が〈息をできる〉場だということだ。引き換えてTwitterにはそのような自由はまったくない。あそこはまったくもって退屈で、世俗的で(これは勿論、「卑俗」という語の婉曲表現である)、窮屈で、せせこましくて、意味がねばねばと〈固まって〉いる空間である。そこには基本的に〈罪のない〉投稿のみを流すことにしようとこの往路には考えたのだったが、これを書いているのは二九日のことなので、Twitterの運用の仕方については上に先取りして綴ってしまった。この日の往路に考えた〈罪のない〉主題とは、つまりは〈風景描写〉のことである。風景というものには押しつけがましさがなく、あるいはそれがまったくないということは不可能だとしても、おそらくは少なくとも〈賛成/反対〉を要求しない。すなわち、意味が希薄である――と言いながらしかし、その実、風景の見方ほどに文化的なものもないだろうとも思う(アラン・コルバンの仕事を想起せよ)。こちらの〈風景描写〉において、こちらのイデオロギー性が、あるいは階級性が暴露されるということがあるのではないか? ロラン・バルトも、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のなかの、「今日の天気」という断章で書き綴っている――パン屋の女主人が繰り出した天気への言及に応じて、「そして、光がとてもきれいですね」と答えるバルト/話者に、主人は反応を示さない。そのような事実体験から彼は、「〈光を見る〉ことが高尚な感受性に属しているのだと理解する」(石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルトみすず書房、二〇一八年、266)。つまりは、「大気ほど文化的なものはなく、今日の天気ほどイデオロギー的なものはないのである」ということだ。そのような捉え方もあるものの、〈風景描写〉は、直接的な〈思考〉の無抵抗な/無批判な表出よりはまだしもましだろう。従って、Twitterにおいては、〈風景描写〉や、バルトが試みた「偶景」のような投稿のみを基本的には発表していきたい。あとは音楽の感想、ということになるだろうが、そちらはやはりいくらか〈政治性〉が滲み出てしまうと言うか、こちらの人間味のようなものが露わになってしまう、つまりは〈思考/思想〉に繋がりかねない恐れがあるだろう。しかしまあ、そのくらいの緩さは許容しようと思う。そのような、思わずこちらの人間味/人格/身体が漏れ出て/垣間見えてしまうような瞬間を、一種エロティックなエクリチュールの〈裂け目〉として敢えて検閲しない――という論理はさすがに少々強引に過ぎるか。とは言え、ロラン・バルトも言っている。

 身体の中で最もエロティックなのは衣服が口を開けている所[﹅11]ではなかろうか。倒錯(それがテクストの快楽のあり方である)においては、《性感帯》(ずい分耳ざわりな表現だ)はない。精神分析が的確にいっているように、エロティックなのは間歇である。二つの衣服(パンタロンとセーター)、二つの縁(半ば開いた肌着、手袋と袖)の間にちらちら見える肌の間歇。誘惑的なのはこのちらちら見えることそれ自体である。更にいいかえれば、出現 - 消滅の演出である。
 (ロラン・バルト/沢崎浩平訳『テクストの快楽』みすず書房、一九七七年、18)

 街道を行きながら上記のようなことを考えているあいだ、車が絶えず通り過ぎ、次々と/続々とライトが迫ってくる。それらの明るさ、光の連なりが作り成す、どのような分類もカテゴリーも逃れ――直線でも曲線でも波線でもなく――、理念型としての明確な〈線〉の形に属さない、境界領域としてのいびつな〈破線〉。
 裏通りを進むあいだの記憶は特にない。かなり暗かった。ひと気も多分なかったのではないか。くしゃみはいくらか出たはずで、そのたびにやはり尾骶骨の先端の辺りが痛んだ。青梅坂を渡ったあと、道の横にちょっと入ったところの建物――多分車庫だ――の角に、猫の影があるのを発見する。本当に、ただの影と化していた。視線を送りながらこちらが過ぎていくあいだ、ぴくりとも動かなかった。
 職場。今日の相手は(……)くん(高三・国語)、(……)(中二・英語)、(……)くん(中三・英語)。準備することは特になかった。それなので翌日の授業予定を見て、国語が当たっているようだったので、扱う範囲のテキストをいくらか読んでおいた。そうして授業。(……)くんには古典を自主的に進めてもらう。昨日の日記にも書いた通り、もはや開き直って彼の自主性に甘え、実質二対一のような授業にすることにしたのだ。そういうわけで、英語の二人に関してはわりと色々確認できた。(……)はまあそこそこといった感じで、間違えた文を練習してもらったりもして、悪くはないだろう。betterやthe bestの使い方の単元である。次の授業まで二週間開くので、宿題は二倍にした。学校の宿題が終わればやるとのこと。(……)くんは分詞・後置修飾の課。大問ごとに細かく区切って解説していった。それで一頁の三分の二しか終わらなかったものの、学べたことは色々とあったのではないか。やはり小分けにして少しずつ進めていくべき相手はいて、彼はそのタイプである。何しろ、dishの意味すらわからなかったので、なかなかやばいのだ。その他単語や表現や、現在完了形や不定詞などを確認。現在分詞と過去分詞を選ぶ際の考え方も記録ノートに書いてもらった。ノートはおかげで充実した。毎回このようにできると良いのだが。
 退勤前、(……)先生に、家、あっちの方なんですか、と訊いた。先日電車のなかで遭遇したことを踏まえての問いである。すると、終点まで行きます、と言うので、ええ! と思わずちょっと大きな声を出してしまった。終点というのは無論、奥多摩のことである。それじゃあ、(九時)三二分に乗らないと、大変じゃないですかと言うと、かなり遅くなりますね、と。じゃあ、早く、もう帰りますって(室長に)言わないと、残して笑い、先に退勤した。彼女とちょっと話してみたいので、電車を共にしたい気持ちが多少あったのだが、駅に入って奥多摩行きに乗ると、後ろからやって来た彼女はこちらの乗った車両を過ぎて前の方に行ってしまった。またの機会を待つ。
 瞑目して到着を待ち、最寄り駅で降りるとホームの上がちょっと濡れているのを目にして、傘を職場に忘れてきたことに気がついた。駅を出て道を渡り、坂道を下っていく。夥しい落葉による縁取り。そうして帰宅。傘を忘れたと報告し、下階に下りて着替え。食事へ。米、巻繊汁の残り、里芋とひき肉をトマトソースで和えた料理に大根の煮物。サラダもあったか? よく覚えていない。父親も既に居間にいて、風呂はもう入ったらしい。ちょっと疲れているような雰囲気だった。こちらがものを食べているあいだに母親は風呂に行ったはず。テレビは『秘密のケンミンSHOW』。およそどうでも良い番組である。食べ終えると、風邪薬を三粒飲んでおく。そうして皿を洗って緑茶を持って下階へ。
 何をしたのだったか? またTwitterでぽちぽちとフォローを解除したのだろうか。その後、Uさんのブログを読もうと思ったのだが、すると風呂が空いた気配が伝わってきた。また洗濯をしたいから、などと言われてゆっくりできないと嫌なので、先に入浴を済ませてしまうことに。風呂場に行き、湯のなかに浸かり、瞑目して思念を浮遊させる。何かの曲がたびたび回帰してきた覚えがあるが、何の曲だったか思い出せない。と言うか、曲名を知らないメロディだったような気がする。
 出てくると自室。一七日の日記に取りかかり、完成。投稿。さらに一八日も、一時間強掛けて仕上げる。その後は確かまたフォロー解除を進め、時間を無駄に使ったあとに、一時半からUさんのブログに触れた。「思索」: 「思索と教師(9)」(http://ukaistory.hatenadiary.com/entry/2019/12/21/063329)。
 「神学あるいは形而上学が、絶えざる背景理解の試みを超えて談義になったとき、不毛でこざかしい営みになるのは、それらが「神的なもの」を命題化し、相手が納得するようにそれを証明しようと目論むからである。神は通貨でも道具でもないのであり、それを試みること自体が、信仰のあり方と逆行すると私は思う」
 「「神の言葉」を噛み締めながら生活しているからと言って、「あれ」や「これ」に関する答えは示されない。だが、そのリマインダーにおいては、勇気を持ってこの世界に直立する試みを、何の根拠もなく、行い続けるエートスは育つ。これが思索の倫理である。その意味で、思索の目的とは、そのエートスを自ら高め続けられる人間を育てることである」
 「ダンスや書道が上手な人と下手な人がいるように、人間であることが上手な人と、下手な人がいる」
 「人文知に溢れているというのは、自他が次なる人文知の表現に向かう準備として、先人の努力の前例を深く知り、失敗や歪みを直視し、未来を予感しながら、現代を見つめることである。そして、人間であるということは、人類というはかない連続性に参加する、ほんの100年くらいの間、その系譜の中をさまようことを許された一人の人間の卵として、自らのあり方を、厳しく高く研鑽し、表現し続けることである」――「世界一」のどうでも良さ。それはまあ戯れに過ぎない。要はお遊びである。結局大事なのは、継承すること。そのために書いているのではないか。
 「人間の連続性に参加する砂粒」
 「自然は自らをただ無垢に躍動させる繰り返しであり、盛衰という観念がない。ゆえに悪がない。だが、人間は、怠惰、無知、「あれ」や「これ」に囚われ流されることによる疲弊、諦念、シニシズム、臆見、臆病、負い目、悲観など、自らのあり方によって自己破壊する稀有な能力を持っている」
 「私たちに残されたこの肥沃な土壌から積極的に学びたいと思いつつも、それらが描く一つのヴィジョン(や反ヴィジョン)に準拠しなければならないように感じられない」
 「なぜだか「ヨーロッパ」と「アジア」では、どのようなテクストを源泉に人間の応答がなされてきたのかという傾向性があり、その恩恵を受けてきた者は、それを体系化して、守る傾向がある。自らにおけるその無自覚の「選択」を自覚し、それにまつわる政治を理解しなければ、深化はあり得ないのは分かっている。しかし、それでも、やはり、たとえば、特定の人種や言語圏の者が、特定の聖典や正典に準拠しなければならない必然性があるようには思えない。聖典や正典すらも思索の躍動によって流動化させ、過去に誰かが書いた思索を盾に生きるのではなく、自らの謂いにおいて応答できないものだろうか」
 「偉大な思索や過去は、尊重されるべきではあり、それを守るための教会も必要だと思う反面、教会に閉じこもり、どこかで誰かが書いた思索と自らを同一化してしまい、それを「信仰」などと呼んで盾にし、他者を説得しようとすることは、別問題をいっしょくたにする混乱ではないか。過去の思索の航路を尊重するからこそ、それらの最も優れた蜜を余すところなく吸収し、現代の状況に合わせて再構築しなければならないのではないのか」
 「仮に、上記のように、あらゆる種類の思索が、似たような向きでもって思索を成熟させているとしたら、その「似たような向き」を、そもそも始めている源泉を開く試みこそが、思索である」
 「思索は、文章として記されると、すでに小包と化した思想の記録に見えるが、実際にそのように書かれた言葉においては、思索は死んでいる」
 それで一時五〇分。それからコンピューターの前で目を閉じて、短歌を考えた。短歌や詩句を考える時間を、なるべく毎日取りたい。形にならなくとも、頭を回すだけで良いのだ。この時できたのは、二首――「空回りすればするほど現実はあなたを紡ぐ言葉を失くす」「煙突から空に還った人々を二十二世紀の君は知らない」。そうして歯磨きしながら高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を書見。その後、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』のメモを三時過ぎまで。さらに、またぽちぽちとフォロー解除をしたあと、三時二〇分に就床した。


・作文
 13:18 - 14:25 = 1時間7分(25日)
 15:21 - 16:03 = 42分(26日)
 17:00 - 17:16 = 16分(26日)
 17:16 - 18:07 = 51分(17日)
 23:19 - 23:36 = 17分(17日)
 23:45 - 24:49 = 1時間4分(18日)
 25:51 - 26:19 = 28分(短歌)
 計: 4時間45分

・読書
 14:32 - 15:21 = 49分(過去の日記やブログなど)
 18:09 - 18:17 = 8分(「at-oyr」)
 25:33 - 25:50 = 17分(「思索」)
 26:20 - 26:34 = 14分(高橋)
 26:34 - 27:09 = 35分(バルト; メモ)
 計: 2時間3分

・睡眠
 3:40 - 12:25 = 8時間45分

・音楽

  • Carmen McRae『After Glow』(BGM)