2019/12/28, Sat.

 (……)一人の人間に罪をすべてかぶせることで、歴史現象を説明するのは公正とは思えないし(おぞましい命令を実行したものたちが無罪などとは決して言えないのだ)、ある個人の心の奥底の動機を解釈するのは大胆すぎるように思える。提起されたさまざまな仮説は、事実の一部分を説明するだけで、質的な説明になっていても、膨大な量の事実の説明にはなっていない。私自身は、何人かの堅実な歴史家たち(ブロック、シュラム、ブラッヒャー)の謙遜な態度を好ましく思っている、と言っておこう。彼らは、ヒットラーとその背後にあった、ドイツのすさまじい反ユダヤ主義を理解できない[﹅6]と告白したのだ。
 おそらくああした出来事は理解できないもの、理解してはいけない[﹅4]ものなのだろう。なぜなら、「理解する」とは「認める」に似た行為だからだ。つまり、ある人の意図や行為を「理解する[コンプレンデレ]」とは、語源学的に見ても、その行為や意図を包みこみ、その実行者を包みこみ、自らをその位置に置き、その実行者と同一化することを意味する。ところが、普通の人はだれ一人として、ヒットラーヒムラーゲッベルスアイヒマン、といったものたちとの自己同一化ができない。この事実は私たちをとまどわせると同時に安心させもする。というのは、彼らの言葉が(残念ながら彼らの行為も)理解できないことが、おそらく望ましいからだ。彼らの言葉や行為は非人間的であるのみならず、反[﹅]人間的で、歴史にも先例が見られない。これに匹敵するのは、生存競争を繰りひろげる中で起きた最も残酷な出来事しかない。戦争中だったら、こうした生存競争の状態も発生したかもしれない。だがアウシュヴィッツは戦争とは何の関係もない。戦争中の出来事でもないし、戦場の極限状態で起きたことでもない。戦争とは、恐ろしいが、常に存在してきたものだ。あってほしくはないが、私たちの中に存在するものだ。戦争にはそれなりの理由があり、「理解できる」。
 だがナチの憎悪には合理性が欠けている。それは私たちの心にはない憎悪だ。人間を超えたものだ。ファシズムという有害な幹から生まれた有毒な果実なのだが、ファシズムの枠の外に出た、ファシズムを超えたものだ。だから私たちには理解できない。だがどこから生まれたか知り、監視の目を光らすことはできる。またそうすべきである。理解は不可能でも、知ることは必要だ。なぜなら一度起きたことはもう一度起こりうるからだ。良心が再度誘惑を受けて、曇らされることがありうるからだ。私たちの良心でさえも。
 だからこそ何が起きたかよく考えるのは、万人の義務なのだ。ヒットラームッソリーニが公衆を前にして演説した時、あたかも神のように賛美され、崇拝され、信頼をかちえ、歓声を浴びせかけられたことを、万人が知り、思い出さねばならない。彼らは「カリスマ的な頭領」だった。人を引きつける秘密の力を持っていた。だがそれは言っていることの正しさや信憑性から来るのではなかった。本能的だったのか、あるいはたゆまぬ訓練の結果だったのか、いずれにせよ、挑発的な言い方や、雄弁や、大根役者の演技力からきていた。彼らが公言していた思想はいつも同じとは限らなかったが、普通は、真実からかけ離れた、ばかげた、おぞましいものだった。しかしこうした思想は喝采を浴び、彼らが死ぬまで、何百万人もの信者を引きつけた。こうした信者たちが、非人間的な命令の忠実な実行者も含めて、生まれながらのサディストでも、(少しの例外を除いて)怪物でもなかったことは、記憶にとどめておくべきである。彼らは何の変哲も無い普通の人だった。怪物もいなかったわけではないが、危険になるほど多くはなかった。普通の人間のほうがずっと危険だった。何も言わずに、すぐに信じて従う職員たち、たとえば、アイヒマンアウシュヴィッツの所長だったヘス、トレブリンカの所長だったシュタングル、二十年後にアルジェリアで虐殺を行ったフランスの軍人たち、三十年後にヴェトナムで虐殺を行ったアメリカの軍人たち、のような人々だ。
 だから、理性以外の手段を用いて信じさせようとするものに、カリスマ的な頭領に、不信の目を向ける必要がある。他人に自分の判断や意志を委ねるのには、慎重であるべきである。予言者を本物か偽物か見分けるのは難しいから、予言者はみな疑ってかかったほうがいい。啓示された真実は、たとえその単純さと輝かしさが心を高揚させ、その上、ただでもらえるから便利であろうとも、捨ててしまうほうがいい。もっと熱狂を呼び起こさない、地味な、別の真実で満足するほうがいい。近道をしようなどとは考えずに、研究と、討論と、理性的な議論を重ねることで、少しずつ、苦労して獲得されるような真実、確認でき、証明できるような真実で満足すべきなのだ。
 (プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『これが人間か』朝日新聞出版、二〇一七年、254~256; 「若い読者に答える」)


 九時で起きられず、何と午後一時まで寝過ごす。粘菌。快晴。ベッド抜ける。腰――と言うか、尾骶骨の付近が相変わらず痛い。上階へ行き、両親に挨拶してジャージに着替えると食事。ハムと卵と枝豆を炒めたものと米に若布の味噌汁。新聞、中東、オマーン湾周辺に自衛隊を派遣するとの報――昨晩の夕刊でも見たが。食後、皿洗い、父親の分も。風呂は後回しにすることに。緑茶を持って下階へ。自室でコンピューターをひらき、TwitterにアクセスするとNさんからダイレクト・メッセージの返信が来ている。昨日、またお話しましょうと誘っていたのだ。三〇日にすることに決定。時間は二三時頃からが良いとのことなので、了承を送り返す。そうして今日の記事を作成し、何をしようかと迷ったが、ひとまず茶を飲みつつ過去の日記を読むことに。歯磨きをしたのだったか? 多分したと思う。そのあいだにも読み物に触れていたはずだ。二〇一八年一二月二七日。
 「とにかく眠気というものが湧かない。眠れたとしても気持ちよくはない。睡眠の甘美さを味わうことができず、自分がサイボーグになったかのような感じがして味気ないが、その分本を読めると思えば悪くもないのかもしれない」。
 さらに、二〇一八年一二月二八日。それよりも一年前の日記、つまり二〇一七年一二月二八日の日記からの引用がある――Uさんへのメールである。読み返してみてもなかなかよく書けていると思うので、ここにも引用しておく。

 Uさん、返信をありがとうございます。「哲学」が「生きている」と感じられるような具体的な現場に触れられていることを、とても羨ましく思います。

 今しがた、ブログのほうをちょっと覗かせていただきましたが、なかに、「哲学に共通点などがあるとすれば、それは、問い直してはならないことなど何もないことである」という一節がありました。これはこちらにおいても同意される考え方です。「哲学」とは、気づかないうちに我々を取り囲み、外部から規定している「制度」や「常識」、そういったものに視線を向け、真っ向から対象化して吟味し、それに本当に確かな根拠があるのか、自分自身としてそれに本当に賛同することができるのかと精査する営みのことではないでしょうか。

 このようなことは最近、自分には今までよりも心身に迫って、実感として感じられるものです。一例としては、時間に対する感覚の変化があります。自分には、いつも出来る限り落着いた心持ちで、穏やかに自足して一瞬一瞬の生を送りたいという、おそらく根源的なとも言うべき欲望があります。そこにおいて、「時間がない」という焦りはまったく煩わしく、精神の平静を欠くものであり、何とかして自分の内からこのような感じ方を追い払いたいと前々から願っていました。そのようなことを日々考えるにしたがって、そのうちに自分は、そもそも時間が「ある」とか「ない」とかいう捉え方が間違っているのではないか、それはこちらの感覚にそぐわないものなのではないかと直感的に思うようになりました。我々が非常に深く慣れ親しんでいる何時何分とか、三〇分間とかいうような時間は、数値という抽象概念を外部から当て嵌めて世界の生成の動向を(恣意的に)区分けしたものに過ぎず、自分がその瞬間に感じている感覚とはほとんど何の関係もないと思われるからです。それは実につるつるとして襞のない、(ありがちな比喩ですが)言わば「死んだ」時間であり、こちらはそれよりも、自分がその都度具体的に知覚・認識している個々の時間を優先して捉えるようになり、その結果、最近では「時間がない」と感じて焦る、ということはほとんどなくなったようです。つまりは、例えばこの文章を記している「現在」は西暦二〇一七年一二月二八日の午後一一時五六分ですが、この瞬間がその時刻であることには、根本的にはまったく何の根拠もないはずだ、ということです(このことをさらに別の言い方で表すと、「未来」などというものは純粋な観念でしかないということが、自分のなかでますます腑に落ちてきている、ということではないでしょうか)。

 こうした事柄は、多少なりとも抽象的な思考をする人間だったらわりあいに皆、考えるものではないかと推測しますが、それを繰り返し思考することで、自分の「体感」がまさしく変わってくるというのが大きなことではないかと思います(驚くべきことに、「思考」には「心身」を変容させる力があるのです)。このようにしてこちらは、大いなるフィクションとも言うべき「時刻」の観念を相対化し、半ば解体することになったわけですが、勿論だからと言って、例えば約束事の時間をまったく気にせず無闇に遅刻して行くということはありませんし、労働にもきちんと間に合うように真面目に出勤しています。社会的な共通観念である「時刻」というものが所詮は「フィクション」でしかないということを理解しながら、それに従うことを自覚的に/意志的に選択しているわけです。この、選択できるようになった、という点が重要なのではないでしょうか。「時刻」を所与のものとして受け入れ、それに疑問を抱かない状態においては、時間を守るかどうかに選択の余地はなく、それに規定されるまま、囚われの身になってしまっているはずです。したがってここにおいて、非常に微々たるものではありますが、こちらの個人的な認識及び生活選択の領野のうちに、物事の相対化による「解放」と「自由」が生まれているのではないかと思います。

 「哲学」とはこのように、相対化と解体の動勢を必然的にはらむものだとこちらは考えます。しかし、そればかりでは純然たる相対主義に陥ってしまい、我々は何事も判断できず、極論すれば何も行動できなくなってしまうはずです。したがって我々は、物事の吟味による相対化と解体を通過しながら、そこから新たに、自分にとってより納得の行く根拠を見つけ、世界の捉え方を自ら「作り出して」いかなければならない。これもまた手垢にまみれた比喩になってしまいますが、このような解体/破壊と建設/構築のあいだを(日々に、あるいは、ほとんど瞬間ごとに、とこちらとしては言いたいものです)往来するその運動[﹅2]こそが、「哲学」と呼ばれる営みを表しているのではないかと自分は考えました。「哲学」とは、凄まじく動的[﹅2]なものであるはずです。

 言うまでもなく、こうした精神の運動は、人生行路の道行きのなかで程度の差はあっても誰もが体験することだと思いますが、武器として活用される言語及び意味と概念に対する感覚を磨き、高度に優れた水準でそれが行われる時、「哲学」と呼ばれるのでしょう。このようなことを考えてきた時に、自分の念頭に浮かんでくる事柄がもう一つあります。哲学は「役に立つ」のかどうか、という非常に一般的な話題が時折り語られることがあると思いますが、こちらとしては、「哲学」とは「役に立つ」云々などという穏当無害なものではなく、場合によっては「危険な」ものですらあり得るのではないかと感じられるわけです。この営みを続けるうちに、共同体の「本流」となっている考え方から次第に逸れていくということは避けがたい事態でしょうが、そこにおいて方向を少々誤れば、人々との関係に齟齬を生む独善に陥り、極端な場合には狂信者や悪辣なテロリストのような人間を生み出しかねないとも思われるからです。だから我々は、自分にとって「確か」だと思われる事柄を探し求めつつ、しかし同時に、その自己が痩せ細った狭量さのなかに籠もらないように、常に外部から多くの物事を取りこんで自分自身を広く、かつ深く拡張していくことを心掛けなければならないのではないでしょうか。

 (最近、このようなことに思いを巡らせながらこちらは、前回お会いした時にUさんが話してくれたRichard Bernstein教授(でしたよね、確か?)の発言を思い出していました。朧気な記憶ではありますが、確かそこでUさんは、哲学とは何なのでしょうと教授に尋ねたところ、物事が本当に確かなのかどうか、繰り返し考え直す[﹅8]、ということだと明快な返答を受けたというエピソードを話してくれたと思います。自分としては、教授のこの短い発言を、上に述べてきたような事柄として敷衍して解釈したいと思うものです)

 二日分過去の日記を読んで、上階へ。靴下を履く、赤一色のもの。そして風呂洗い。二時四〇分の電車で立川へと向かうつもりだった。目的地は立川図書館である。棚を詳しく見分する予定なので、五時の閉館までに一時間は欲しかった。風呂を洗うと下階へ戻り、着替え。the pillows "New Animal"と共に。鈍い赤・黒に近い紺・それに白の三色を合わせたチェックシャツを着る。下は明るめの、濃い褐色のズボン。収納のなかのラックの上に吊るさずに置かれてあったそれを選んだ。それにモスグリーンのモッズコートを羽織る。そしてクラッチバッグに本やCDを入れるのだが、このバッグももうだいぶ古びてきているので、そろそろ買い替えたいものだ。しかし金はない。
 上階へ。母親に声を掛けて出発。晴天である。最寄り駅へと向かう。林から鳥の声――擦るような弾くような、いずれにせよ柔らかく伸びず、空中に発されても飛ばずにすぐに落下するような鈍い声。公営住宅前まで来ると太陽が大変に眩しく、目を細め、手を額に翳す。道の先の坂の途中に停まった車の屋根に純白の、異空的/真空的な、まるで原初の世界の裂け目/発端であるかのような輝きがひらけている。そこにもう一台、車が下ってきて、純白の収束/池が倍になる。
 坂道、針葉樹の茶色くなった枝葉が散らかっており、それを踏み崩しながら行く。葉の屑によって一面、茶色くざらざらと埋められた/染められた地帯。それを越えて坂を抜け、駅に着き、階段を上ると視線の先に見える空は青々と新鮮に明るく、雲の存在を許さない。ホームに入るとベンチに就いて、昨日のことを手帳にメモ書きした。
 アナウンスが入ると立ち上がってホームの先に行き、やって来た電車に乗る。扉際。バッグを足もとに置き、扉に向かって横向きに立ってメモ。外から射しこんでくる陽光が身体や手もとに掛かって温かい。青梅で降りて乗換え、ホーム先へ。二号車の三人掛けには眠っている人がいたので、一号車へ。座る。中年の男性来る。扉際に寄って外を見ている。少々挙動不審な様子。やがてこちらの前を過ぎて先頭の方へ向かうが、後ろ姿を見ると、鞄にハローキティのキーホルダーをつけている――随分そぐわない取り合わせ。
 メモを取りながら立川へ到着するのを待つ。道中、車内で特に興味深いことはなかったと思う。乗っていたのは東京行きなので、立川駅では特快と待ち合わせをした。乗客らが降りていくその最後尾からこちらも降りると、向かいの番線には特快を待って並ぶ人々。イヤフォンをつけてスマートフォンに目を落としている。人々の最後尾から階段を上っていく。目の前の男性から香水の匂いが漂って鼻腔に、鼻神経に触れてくる。濃い灰色の上下の装いに、靴は黒で、いささか地味な格好――冬らしいと言えばそうだが。
 改札を抜け、人波、そのざわめきのなかを行く。空気が冷たかったので、途中で止まって持ってきたマフラーを――灰色の、Paul Smithのもの――取り出し、首に巻く。LUMINEの入口の横では今日もスタンドが出て、何かを売っている。栗か何かか? 女性店員が、芯のある、通る声を張り上げている。帰りにも同様に声が群衆のざわめきのなかを貫いていたが、同じ人だとすると、随分長いあいだ声を張っているわけで、喉への負担が甚だしそうだ。
 駅舎の出口脇では托鉢僧がいつものように鈴を鳴らしている。ちょっと話を聞いてみたい気はする。どこの寺から来たのかとか、この時代にどういう考えで僧職を選んだのかとか。広場に出て通路を行くと、後ろから男女がやって来て、男性の方が、俺もハグしたいわ、とか女性に話している。でも捕まっちゃうから、と。何で? と女性。男だから、という返答。フリーハグか何かの話か? 不明。彼らはこちらを追い抜かしていく。伊勢丹付近では例によって、道端に、通路の端に止まって携帯を見ている人々が何人もいる。こちらは高架歩廊を辿って図書館へと向かう。
 入館。リサイクル本に特に欲しいものはなかった。新着図書を見分。幻戯書房の、何とか叢書シリーズの一作があったと思う。それから、石川美子訳『ロラン・バルトによるロラン・バルト』をカウンターの箱のなかへ返却――お願いしますと言いながら。そうして上階へ。こちらでもCDをカウンターに返却――ふたたび、お願いしますと女性職員に言いながら。確認を待ち、礼を言ってCD棚へ。まずFISHMANSの作品があるかと見たが、ベスト盤しかない。それは既に何年も前に借りたものだ。それからロック/ポップスの区画を適当に見るが、借りたいという強い欲望をそそるほどのものは特に見当たらない。強いて言えば、Bob Dylanの作品やライブ音源か。結局ジャズに戻って見分し、Kendrick Scott Oracle『We Are The Drum』を借りることに。ほか、やはりまあBrad Mehldau関連の音源を集めておくかということで、Charlie Hadenとのデュオライブ音源である『Long Ago And Far Away』を選択。最後の一枚はさらに、Pat Metheny / Brad Mehldau『Metheny Mehldau』に決定。これももう結構古い作品で、大学時代に一度借りたと思うが、音源は既に手もとにないので再度借りることにしたのだ。その三枚に決定。Paul Motianが参加している作品ということで、Keith Jarrett American Quartet(と言うのだよな確か?)の諸作も気になったが、これらはかなり昔に借りて、音源がまだハードディスク内に残っているような気がしたのでひとまず保留した。帰ってから確認してみると、『Fort Yawuh』も『Birth』も『Death And The Flower』も、ライブ音源も『Hamburg '72』もあった。聞かなければならないものがいくらでもある。
 それで機械を使って貸出手続きをしたあと下階へ。今日は本は何も借りるつもりはなかったが、棚にある本たちを時間を掛けて見分しておきたかったのだ。まず歴史の棚。世界史総論みたいなジャンルの本を見る。カルロ・ギンズブルグなど。また、フェルナン・ブローデルの『地中海』全五巻だかも揃っていた(藤原書店)。これも大学時代からその高名は耳にしている著作だ。ブローデルだと、『日常生活の構造』というタイトルだったか、みすず書房の著作もあって、それも興味を惹かれる。それから政治学系統の棚に行ったが、ここにも面白そうな本がいくらでもある。ハンナ・アーレント関連の著作などを特に読みたいと思う。『思索日記』や、誰とのものか忘れたが書簡もあったはず。また、『エルサレムアイヒマン』の新版もあったので、これで本屋で購入しなくても済むわけで、有難い。それから文学論や文芸評論の棚を確認したあと、海外文学の区画を最初から辿っていく。『ワルシャワ・ゲットー日記』があった。ワルシャワ・ゲットー関連の本はほかにもあったと思う。それも読んでみたい。英米文学では、ダイアン・アッカーマンやローレン・アイズリーのエッセイが気になる――と言うか、今に始まったことではなく、これらは何年も前から読んでみたいと思いながらも手を出せないでいる著作家たちだ。ローレン・アイズリーは『夜の国――心の森羅万象をめぐって』という著作がある。ソローやらエマソンやらの流れを汲む「ナチュラリスト」として、著者紹介に書かれていたと思う。「心の森羅万象」とは、気になる表現、こちらの関心を惹くテーマである。ダイアン・アッカーマンも多分似たような方向性の作家だと思われ、『ユダヤ人を救った動物園』が有名だと思うが、この時棚に見られたのは『庭仕事の喜び』と、『月に歌うクジラ』だったと思う。自然との触れ合いと言うか、身の周りの世界を緻密に/細密に/精緻に観察して、それとの交感を描く類の作家には総じて興味がある。
 棚を辿ってフランス文学の方へ。ロラン・バルトの晩年の肖像を伝えているらしいアントワーヌ・コンパニョン『書簡の時代』も読みたい。鈴村和成訳『テクストの楽しみ』もあって、それを借りようかとも迷ったのだが。あと、ロラン・バルトコレージュ・ド・フランス講義録も三冊とも揃っていたと思うので、所有していない一冊目二冊目もそのうちに読み返したいと思ってはいる。ほか、何があっただろうか。フローベールの『ブヴァールとペキュシェ』は借りられているようで、相変わらず見当たらなかった。小沢書店の詩人シリーズで、イヴ・ボヌフォア(「ボンヌフォア」という表記だったか?)やフランシス・ポンジュやマラルメなどがあった。プルーストベケット関連の評論も面白そうなものが結構あったと思う。
 残りの海外文学はさっと流して、その時点でもう四時半頃だったのではないか。この日の閉館は五時である。元々は何も借りないつもりだったのだが、本を見ているうちに、詩集を何か借りるかという気持ちが生じていた。それで詩の区画へ。壁際である。小笠原鳥類の本を借りようかとちょっと思ったが、この人は現代詩文庫を持っているので、ひとまず見送る。『鳥類学フィールド・ノート』という作があって、それは現代詩文庫のなかに入っているかと思っていたのだが、帰ってきてから確認してみると入っていなかった。この作品は二〇一八年刊で、現代詩文庫の方は二〇一六年刊だったのだ。おそらく『鳥類学フィールド・ノート』が小笠原鳥類の最新の作だと思われるので、これは是非とも読んでみなくてはならないだろうが、しかしまずは現代詩文庫の方に触れたい。棚を辿っているあいだに、吉増剛造が目についたので、彼の作品を何か借りるか、という気になった。棚にあったのは、何かベスト盤みたいな感じの、書店でも見かけるひどく分厚い本と、多分わりと最近のエッセイも含んだやつ――と言うか、散文だけの作品だったかもしれない――と、昔の、『黄金詩篇』というものだった。最後の作に決定。あと、何となくオーデンを借りようかという気持ちになっていた。何年も前に一度借りて読んだことがあるのだが、読み返してみたいという心が生じていたのだ。それで英米文学の区画に戻り、詩の辺りをふたたび見分して、ほかの詩人にしようかとも思ったが――例えばエズラ・パウンドとか――迷っている時間がそろそろなかったので、結局小沢書店の、中桐雅夫訳・福間健二編『オーデン詩集』に決定した。そうして貸出手続きへ。
 図書館を出た。道端でマフラーを巻く。ラーメンを食って帰るつもりだった。腹も減っており、書棚を見て回るあいだに鳴ってもいた。通路を辿っていく――シネマシティの裏側の壁、CやLやTのアルファベットを模したような形のネオン/照明――線状の、巨大で、意味の希薄な図形。壁一面に設置されたそれを見つめながら行く。中学生だか高校生だかの女子二人が賑やかにしながら通路の上を行っている。紫の文房具がどうとか言っており、それを耳にしたこちらは、「紫の文房具」という語に何故かちょっと、仄かに詩的な感興を覚える。それで短歌にならないかと思って寸時頭を回したものの、すぐに忘れた。歩道橋、左方を見やる――車やビルのライトでいっぱいの黄昏の底、赤や白や黄色が艶めき、輪郭を膨らませて、目立ちはじめている時刻。
 歩廊を辿っていき、エスカレーターから下の通りに向かう。目の前に乗っているカップルは、女性の方が男性の腕を取って身を寄せている。男性の方は何と言うか、あまりべたべたしないと言うか、ちょっと冷淡気と言うか、女性の方からくっつきに行っているのに対して受け身な印象。道に下りて、「味源」へ。駅の方からは何か演説のような何らかの音声と、ベートーヴェン交響曲第九番のメロディが聞こえてくる。ビルの二階へ。重い扉を引き、入って、力を籠めて閉めると、食券を買う。味噌チャーシュー麺を選ぶ。さらに今日は何か丼も食うかということで、二〇〇円の鶏丼も買う。それで餃子のサービス券と共に、近づいてきた若い男性店員に差し出す。カウンターの短い方の辺に就く。手帳を出して、「平均律のあわいのどこにもない音を生まれる前の君は知ってる」とメモ。歩いているあいだに思いついていた短歌である。それから『オーデン詩集』を瞥見していると、ラーメンがやって来た。男性店員は、以前よりもほんの少しだけ愛想が良くなったような印象。
 チャーシューを汁のなかに沈め、麺を引きずり出して食う。まもなく鶏丼と餃子も届く。食べているうちにしかし、思いの外に食欲が奮わないと言うか、腹が減っていたと思っていたのだが、そして減っていたのは確かに事実なのだが、意外とすぐに食欲が満たされてきたような感じがあって、鶏丼も頼んだのは多かったかもしれないぞと思った。チャーシュー麺だけでいっぱいだったのではないか。そう思いながらも丼を食う。食いながらしかし、気持ち悪くなってこないだろうなという不安がちょっと滲む。そう思いながらも食っていくのだが、途中、一気に客が増えて入口付近、こちらの近くに溜まった時間があって、そうするとやはり自意識が働くと言うか、まあ要はパニック障害時代の症状の軽微な反復なのだが、ちょっと緊張感が、微かに高くなった時があり、そうすると、吐きそう、というのとはちょっと違うのだが、幻想的に感覚が喉元に上がってくるような感じがあって、顔が熱くなり、ちょっとまずいか、これは残した方が良いかとも思ったものの、しかし水を飲んで精神を落着かせ、まあゆっくり食おうと食事を続けた。腹は相当にいっぱいになった。鶏丼はやはり頼まなくても良かったなと思った。立ち上がり、ご馳走様でしたと挨拶をして退店。
 道に出る。居酒屋の客引きなのか、あまり柄の良くなさそうな男たちが道端にたむろしている。身体は重くなった。表に出て、階段をゆっくりと上って高架歩廊へ。広場を過ぎて駅舎入口に掛かると、冷たい突風が寄せてきたので目を細めながら駅舎内に入る。人々の波/うねり/揺動。周囲を人間に囲まれ、その一片、一つの泡と化す。そうするとまたちょっと緊張感が滲むようでもあったが、すぐに消えた。歩いていき、改札を抜けると、青梅行きは一番線、五時三八分である。ホームへ下りるとちょうど電車がやって来た。一番前と言うか、進行方向から見ると一番後ろの席に就く。そうしてメモを取る。発車間近になって乗ってきた中年男性が、車両の端に立って、大きな声で電話をしていた。小作で忘年会とか何とか。その後男性は、角に立って、新聞を読んでいた。
 手帳にメモをしながら道中を過ごす。途中で中断して目を閉じた――何となく眠いようだったので。そうしてじきに青梅着。降りる。ホーム辿る。ベンチ、結構埋まっている。しかし一席空いていたのでそこに入って奥多摩行きを待つ。さほど経たず、やって来る。三人掛けに乗って目を閉じる。瞑目のうちに安らいでいるうちに最寄り駅。着く手前でちょっと慌てて目を開ける。
 帰路は何か印象があったか? 空は澄んで晴れていたのではなかったか。坂道、針葉樹の枝葉が夥しく落ちているのをくしゃくしゃ踏んでは行きながら、これが樅なのだろうか、と思い当たる。わからない。平ら道に出ると、公営住宅の踊り場と言うか、部屋の扉の外の通路に人影があり、何人かそこに立っているようで、この寒いのに何をしているのだろうか、わざわざそこで立ち話をしなくても良さそうなものだが、と思った。ほか、車がエンジンを掛けて発進する音も響いてきて、何となく年の瀬の宵という感じがする。
 帰宅。両親は飲み会に行っている。父親の友人夫婦と集まるとか。なかに入って、まず風呂を見ると沸いていなかったので、湯沸かしのスイッチを点けておく。そうして下階に行き、着替え。シャツの上からジャージを着て、緑茶を用意してきて、七時過ぎから過去の日記に触れる。二〇一四年四月三日には、「空より透きとおった白さの桜の花びら」という表現があった。四月四日の分も読んだあと、日記――前日、一二月二七日のことをメモと言うか下書きと言うか、乱雑に記録する四〇分間。そうして二一日に移り、これも五〇分ほど進めて九時前に至る。九時になるまでTwitterでフォロー解除を進めたのだったと思う。そうして入浴へ向かった。一人でゆっくりと、九時二五分くらいまで瞑目して休みながら浸かり、その後、束子で身体を擦って出てくると、自室に戻って今度は他人のブログを読んだ。fuzkue「読書日記」と、Mさんのブログである。それからふたたび二一日の日記に邁進。一時間半ほど。
 一一時半ほどで中断すると、LINEのグループに、二一日の日記が終わらんぞ、責任者は誰だこの野郎と呟いておく。そこから少々やりとりを交わした。本人に尋ねて、TTの過去の物語は検閲することに。一応訊いておいたところ、検閲してほしいとのことだったので。MUさんからも、ブログを教えてほしいと言われたので、「雨のよく降るこの星で」で検索すれば一番上に出てくると思う、と伝えておく。合間、歯磨きをしながら高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』を読んでいた。両親はそろそろ帰ってきていたはずである。
 零時から、読書ノートにメモを取りはじめる。
 139: 「カフカは主人公と同様に、ベッドのなかで睡眠と覚醒の間に留まっていたとき、念頭を去らぬ物悲しい気分から変身の着想を得た。否、着想を得たのではなくて、精確にいえば、変身への誘惑が彼を襲った」
 → 一文目まではまだしも良い。しかし、二文目はどうか。「精確にいえば」と著者は置いているが、カフカが変身への「誘惑」に襲われたというのが、より「精確」な内面的/心理的〈真実〉であると、何故わかるのか。「変身への誘惑が彼を襲った」ということはつまり、カフカ自身が(毒虫に、あるいは他の何かに?)変身したいという欲望を覚えた、ということだと思われるが、そのようなカフカの心理の動きを証す証拠は何なのか。少なくともこの主張の前に示された手紙の文言――「僕はただお手紙がくる前にベッドを離れまいと決心していただけです、そしてこの決心には特別な力はいりませんでした、僕はただ悲しさ(Traurigkeit)のあまり起きることができなかったのです」「今日……ある物語を書くつもりですが、その物語は、ベッドで悲嘆(Jammer)に暮れているとき思い浮かび、僕を心の底から苦しめているのです」――からは、それは導き出せないように思う。
 ・「奇襲の後、この変身のイメージは執拗にカフカの脳裏に去来して、彼を悩まし続け、執筆による決着を迫ったのである」
 → まず、「変身のイメージ」の「奇襲」と言うべき出来事があったのかどうか、そもそもそこからして不確定なのは上に述べた通りである。従って、それが「執拗にカフカの脳裏に去来して、彼を悩まし続け」るという持続的な事態に拡張したのかもわからない。ここには文書的根拠に基づかない純然たる想像が含まれていると思われる。
 ・「つまりカフカが『変身』を書かざるをえなくなり、ベッドのなかに潜り込んでいる人物を毒虫へ変身させたのは、彼の内面に巣くっている、〈悲しさ〉や〈悲嘆〉によって示された自分自身の悲哀の情だったのである」
 → これは結局、作品を作者の内面的心情に――つまりは一つの意味に――還元してしまう類の退屈な読みである。それをあるいは、「起源の形而上学」と呼んでみても良い。先に引いた手紙での発言からして、『変身』の背景として、カフカの「悲嘆」が一つの要因としてある、ということまでは言えるだろう。その「悲嘆」が、作品に何かしらの〈影響〉(慎重にならなければならない言葉だ)を与え、作品の上に何らかの翳を投げかけたということも当然考えられる。しかし著者の読みのように、その「悲嘆」の感情が具体的に作中のグレーゴルの身に降りかかった「変身」という事件と結びついていると確言することはできないように思う。人間の心理や、人の内面が創作物とのあいだに持つ関係というのは、そんなに単純なものではないだろう。『変身』の「事件」に一つの意味論的起源を据えることは、かえってこの作品の読みの幅を狭めてしまうことにならないか。
 ・「このように『変身』が自伝的心理的基盤から発していることが、現実にはまったく起りえない話でありながら、作品は迫真性を持[つ](……)理由である」
 → 作者の実体験に根ざし、そこに端を発しているので、「作品が迫真性を持[つ]」というのも、実に古典的なリアリティ観念ではないだろうか。〈体験〉と〈実作〉のあいだの関係は、先にも述べたように、もっと多様で複雑なものだと思われる。資料的制約という条件もあるなかで、言語には当然捉えきれないその複雑性を、なるべく殺すことなく、縮約せずにそれに肉薄するのが、優れた伝記的批評というものではないか。端的な話、「悲しさ」及び「悲嘆」といった一つの感情様態を、『変身』という作品が持つ豊かさ、またその言語全体を生み出した基底的要素として、作品をそこに還元してしまうのは、単純すぎる見方だと思えるのだ。しかも、上に指摘したように、その論証の過程には、単なる想像が含まれている。
 上記の批判的なコメントを読書ノートに記すのにやたら時間が掛かった。全然大した記述でもないのに、手書きだとどうしても、何を書くにしても時間は掛かることになる。あっという間に二時に至り、そこから新たな頁を読み進めて、三時過ぎに就床した。


・作文
 19:17 - 19:58 = 41分(27日)
 19:58 - 20:49 = 51分(21日)
 22:07 - 23:26 = 1時間19分(21日)
 計: 2時間51分

・読書
 13:47 - 14:09 = 22分(過去の日記)
 19:09 - 19:17 = 8分(過去の日記)
 21:43 - 22:01 = 18分(ブログ)
 23:29 - 23:58 = 29分(高橋)
 24:01 - 26:05 = 2時間4分(高橋; メモ)
 26:05 - 27:07 = 1時間2分(高橋)
 計: 4時間23分

  • 2018/12/27, Thu.
  • 2018/12/28, Fri.
  • 2014/4/3, Thu.
  • 2014/4/4, Fri.
  • fuzkue「読書日記(164)」: 11月24日(日)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2019-12-26「冷え性の指は氷柱のようである夏になっても溶けない氷柱」
  • 高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』: 160 - 212; メモ: 117 - 149

・睡眠
 3:40 - 13:00 = 9時間20分

・音楽