2020/1/13, Mon.

 すなわち、ハイドリヒと特務大隊長は[一九四一年]六月一七日の協議において、「新たに占領する地域における反共的反ユダヤ的勢力の自浄の努力はこれを妨害せず、逆に、これをひそかに助長し、強化し、必要ならば、正しい方向に操縦する」ことを決定していたが、これは六月二九日および七月一日の「出撃命令」で伝達された。ポグロムともなれば上述の限定が守られえないのはいうまでもない。
 次にSS特務部隊の死刑執行じたいが――ハイドリヒの命令が誤解を生みやすいものだったのか、SS特務部隊が無規律な部隊を含んでいたのかわからないが――必ずしもこの限定を厳格に守るものではなかったようである。たとえば、前述の第三特務中隊は七月四日と六日に隊長イェーガーの命令によってリトアニアパルチザンに二九三〇人のユダヤ人男性と四七人のユダヤ人女性を射殺させている。同隊は七日から七月末までにユダヤ人男性一一七八人、ユダヤ人女性八八人、共産党員一五一人その他三人を射殺した。また、第七a特殊中隊や第九特務部隊などは「党・国家に職をもった」ユダヤ人かどうかわからない多くのユダヤ人を殺害している。
 (……)
 以上のことから、政治委員射殺命令とユダヤ人絶滅政策の関係は明らかであろう。それはまず、ポグロム助長策をともないながらも、基本的には「党・国家に職をもつユダヤ人」を殺害することで始まったが、八月半ばから絶滅政策へと移行することになったのである。(……)
 (栗原優『ナチズムとユダヤ人絶滅政策 ―ホロコーストの起源と実態―』ミネルヴァ書房、一九九七年、60~61)


 ぼんやりと目覚めて曖昧な意識のまま寝床に留まっていると、隣の兄の部屋で寝ていた(……)が控えめに、静かに戸を開けてやって来た。もう九時かと問わずもがなのことを問うと肯定が返る。カーテンはこの時点で開けたのだったか、それとも既に開けていたのだったか忘れたが、外は雲の一粒も垂れていない朗らかな快晴である。(……)がトイレに行っているあいだに起き上がってベッドから降り、寝間着をジャージに取り替えた。(……)が戻ってくるととりあえず上に行こうと言って、ひとまず上階に上がった。母親は既に仕事に出ており、居間にはジャージ姿の父親が一人、ソファに座って何やら書類に目を落としていた。(……)はおはようございます、お邪魔していますと挨拶をして、あけましておめでとうございます、とも確か言っていたと思う。父親も、それに応じて今年もよろしくお願いしますとか何とか答えていた。食事は、鹿のシチューが残っており、さらに昨晩、父親が何かの会合で貰ってきた揚げ物の類があると言う。台所に入ってそれらを冷蔵庫から取り出し、シチューを焜炉に乗せて火に掛けて搔き混ぜながら、揚げ物を食べるかと(……)に訊くが、彼はシチューのみで良いと答える。こちらは頂くことにして、白身魚のフライや鶏肉の類を二、三、皿に乗せて電子レンジに突っこんだ。そうしてシチューを二つの椀によそって卓に運び、(……)と向かい合って――こちらは定位置である東側、(……)が卓を挟んで部屋の内側に当たる西側――座り、食事を始めた。特段の会話も交わさず、二人して黙々とものを口に運び、ソファの父親も、少々こちらと言葉を交わしたあとは、今日は(……)に話しかけることもせずに黙然として書類を眺めている。交わした会話というのは、まずこちらが父親に、今日は休みなのかと訊いたのだった。すると、今日は休日だと、成人の日であることを知らせるので、今日が旗日であることをまったく失念していたこちらは、そうか、今日は祝日だったかと苦笑した。こちらは労働である。それが夕刻からだと知らせると、父親は、昼過ぎに葬式に出向くと言った。誰のものかと問えば、(……)の(……)さんの母親だかが亡くなったと言うので、了承し、以後は食事を進めたが、じきに(……)が食卓の上にあった新聞を引き寄せてひらいた。(……)こちらは新聞を受け取って二面をひらき、イランで反政府のデモが起こっているという記事をざっと読んだ。ウクライナ機の撃墜に関して、アリー・ハメネイを「人殺しだ」と非難する声が高まっていると言うが、せっかく米国のスレイマニ司令官殺害によって国が一つに結束しようとしていたところだったのに――しかもそれは、Guardian誌の記事によれば、イランのエリートの誰もが不可能だと思っていた事態で、ドナルド・トランプが偶然にもそれを成し遂げてしまったのだとGuardianの記事は幾分皮肉気に解釈していたが――、ウクライナ機の撃墜はまずかったな、とこちらが漏らすと、(……)も、誰の得にもならない事件だったよねと受けた。
 食後、皿を洗ったあと、食卓上に置かれていたチョコ入りのプチシューと柿の種――後者は開封済みで口がつけられていた――を取り上げ、これを食おうと(……)に言って、下階の我が窖に移動した。その時点で一〇時前くらいになっていたと思う。昨晩に引き続き、(……)の小説の推敲手伝いと言うか、添削の真似事のようなことが始まった。まず一箇所、昨夜最後に確認した部分だが、簡易ガスバーナーの火に当たっていると、相手も心穏やかになっているだろうという確信がごく自然に湧き上がってきて、まるで他人と気持ちが通じ合うのが少しも特殊でない普通のことのようだ、というようなことを綴った一場面があって、そこの文章を作ってみてくれと(……)が言うので、こちらなりに彼の言いたいことを想像して文を拵えてみた。それが以下の二パターンである。

 それに当たっていると、今この瞬間にまゆりも俺と同じ穏やかな心持ちを抱いているのだろうという確信が、当たり前のように浮かび上がってくる。まるで、人間に元々、他人の心を覗く能力が備わっていたかのようで、相手の気持ちをまざまざと感じ取れるという状況が、少しも特殊ではない自然なことのように思える。

 それに当たっていると、今この瞬間にまゆりも俺と同じ穏やかな心持ちを抱いているのだろうという確信が、自然と浮かび上がってくる。まるで、人間に元々、他人の心を覗く能力が備わっていて、何の労力も必要とせず、ごくごく普通で当たり前のこととして相手の気持ちがわかるかのような感じだ。

 作業中、最初に流していた音楽は、中村佳穂『AINOU』である。その後のBGMは、16FLIP『Ol'Time Killin' Vol.4』、Sarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』、Simon & Garfunkel『Bridge Over Troubled Water』、Brad Mehldau『Live In Tokyo』と移行している。合間には、音楽を掛けないで、(……)がテーブルに寄って推敲を進めている後ろでこちらはギターを適当に弄り回している時間もあった。そのあいだ折々に(……)に確認を求められて、彼が直した文章を読み、まあ良いだろうとか、ここはもう少しこうした方が良いとか、微かな違和感が付き纏うとか、偉そうなことを言いたい放題言った。一一時を過ぎた頃合いにはLINE上に、(……)の小説を推敲しているということを報告しておき、「(……)は俺に極めて感謝しており、感動のあまりメッカの方角に向けて礼拝を捧げる敬虔なイスラーム教徒のごとく床に這いつくばって大粒の涙を流さんばかりだ」と大袈裟な冗談も吐いておいた。
 じきにギターを弄るのにも飽きたので手持ち無沙汰にしていると、(……)が、すいませんね、と苦笑して、日記を書いててくださいと言うので、日記を書くのは面倒臭いが、それではまあ書抜きでもやるかということで、それまで(……)がテーブル上の、こちらのコンピューターの置かれた左横のスペースに彼のコンピューターを乗せて作業していたところ、そこに本を置きたいので作業場所を移ってもらった。最初は椅子の右脇に設置された別の机――これはこの部屋を与えられた小学校の時分からずっとここに置かれているもので、今は本やら茶やらティッシュ箱やらを雑多に置くための台と化している――の一部を空けて利用してもらっていたのだが、そのうちに、スツール椅子の上にコンピューターを乗せてもらう方式に変更し、それで形は固まった。こちらは立ったまま打鍵を進め、(……)はこちらの背後で椅子に向かい合いながらやはり打鍵に呻吟したわけである。書抜きした本は、ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』(みすず書房、二〇一八年)。三箇所を抜いたところで日記を書いておいた方が良いかという心になったので、他人の文章を写すのは中断した。

 「旅行中のわたしの興味をいちばんそそるのは、生きる術の断片であり、わたしはそれを行きずりに捉えるのです」
 「ある言語がわからないということは、とても気の休まることです。そのことにより、あらゆる卑俗さ、愚劣さ、攻撃性が除かれるのですから」
 「ブルジョワジープロレタリアートも抽象概念となりました。その反対にプチブルジョワジーは至る所にいます」
 「わたしとしては、革命について語るのはデマゴギー的であると思う。わたしはむしろ転覆という語を使いたい。革命という語よりもこちらのほうが明解だと思うのです。転覆という語が意味するのは、潜行的にやってきてものごとをペテンにかけ、逸脱させ、人が待ち受けているのとは違う場所にものごとを運ぶ、ということです」
 「もうひとつのリベラリズムは、政治的というよりも倫理的なもので、それゆえ、リベラリズムとは違う呼び名をつけるべきでしょう。深くものごとを掘り下げ、判断を一時的に保留するような立場です。あらゆるタイプの対象や主題に適用される全面的な非差別主義、たとえば禅の哲学に向かう全面的な非差別主義なのです」
 「わたしの立場からは、知識人はむしろ社会の屑であるといいたい。すなわち、再生利用しないかぎりはなんの役にも立たないもの、という意味において」
 「しかし基本的には、屑はなんの役にも立たない。ある意味では、知識人はなんの役にも立たないのです」
 「――知識人はまったく無用である、ということですね。/無用であるばかりかかつ危険な存在です」

 書抜きに切りをつけると一二時四二分だった。便意がやや膨らみはじめていたので、日記に取りかかる前に便所に行ってこようというわけで、昨晩コーラを飲むのに使ったコップ二つを持って部屋を抜け、階段を上がった。父親は既に出かけており、人間のいない居間には明るく透き通った陽射しが浮遊しているのみだった。トイレに行って腸のなかを軽くし、それからついでに茶を用意することにして、台所の頭上の棚から(……)の分の湯呑みを取り出す。湯呑みが二つになると急須と合わせて一遍に運んで帰ることができないので、朱塗りの盆を用意して、居間のテーブルの片隅に移り、急須に茶葉を多めに入れて湯を注いだ。閉ざされた急須のなかで緑色のエキスが茶葉から滲出するのを待つあいだに、両手をまっすぐ天に向けて掲げて背伸びをしたり、背後の方に伸ばして肩甲骨の周りをほぐしたりする。そうして一杯目を二つの湯呑みに分け合って注いだあと、おかわりの分も急須に注いでおくと、盆を持って下階に帰った。
 盆を片手で支えながら扉を押しひらき、室内に入って、狭い空間で物にぶつからないように部屋の中央まで来ると机上に盆を置いた。そうして、茶を飲みたまえ、と(……)に薦める。それからちょっとして一時直前から、こちらは今日の日記を書きはじめた。BGMは上にも記したように、Brad Mehldau『Live In Tokyo』である。(……)はこちらの背後でベッドに腰掛け、椅子の上に乗せたコンピューターを目の前にして文章作成に苦戦し、時折り大きく息を吐いたり、軽い呻きを漏らしたりしている。一時間ほど日記を綴ったところで、諸々の修正箇所が整ったらしく声が掛かったので、現在時刻を記録して(……)のコンピューターを受け取った。この時修正した箇所は、確かどれも概ね問題がなかったのではなかったか。よく覚えていないが。確認するともう二時を過ぎていたので、洗濯物も入れないといけないし、昼飯を食いに行こうと提案した。そうして上階へ。湯呑み及び急須を乗せた盆は(……)が持ってきてくれた。昼食のメニューは先ほどと同じ、鹿肉のシチューに揚げ物と米、さらに大根とシーチキンを和えたサラダがあることにここで初めて気がついたので、それも頂くことになった。仕舞っておいたシチューの鍋を冷蔵庫から取り出して弱火に掛けると、三種の皿を二枚ずつ調理台の上に用意し、(……)に箸を渡して、シチューが焦げないように見張るとともに料理を適当によそっておいてくれと頼み、ベランダへ向かう。西空からまっすぐ渡って戸口を埋め尽くす眩しさに目を細めながら外気のなかに踏み入り、吊るされたものを次々に取りこんで行った。そうして台所に戻るとサラダが少量ずつ小皿に分けられ、揚げ物は(……)の分がいくらか取られたところだったので、箸を受け取ってフライの類を足して揃え、シチューの火も止めて椀に盛った。シチューをこちらがよそっているあいだに(……)は背後で電子レンジに揚げ物を入れていた。そうして温まったものたちをそれぞれ卓に運び、向かい合って席に就いて食事を始めた。外は端的に晴れ渡って、空気が光を貪欲に吸って輝いており、まるで浅ましいまでの、恥ずかしくなるかのような好天である。昼食のあいだも、最初のうちは特に目立った話を交わさず、概ね黙りこくりながらものを口に運んでいたと思う。終盤になって(……)が、お父さんはどんな仕事をやってらっしゃるんだっけ、と訊いてきたので、もぐもぐと咀嚼しながら頷き、ものを飲みこんだあとに、(……)の、何だか知らないがわりと偉い地位にいるらしい、と答えた。まだ現役なのかと続くのには、これも記憶が正確でないのだが、確か今年の六月までだったかなと応じる。その後ちょっと休止を挟んでから、まあ、この家を建ててくれたわけだから、大したものですよ、社会人として立派なものだろうと述べると、まさに今、そう考えながらものを食べていたのだと返った。社会人として普通に働いていれば誰でもこうした家を買える、というわけではないだろうから、と。その点には異論はない。(……)
 そうして食事を終えたあと台所に食器を運び、家事を済ませてから行くと言って、(……)には先に部屋に戻って推敲を進めていてもらうことにした。それでまず食器を洗い、次に風呂を洗ったのだったと思う。それからさらに洗濯物も畳んで、タオルと足拭きマットはいつも通り洗面所に運んでおき、寝間着や肌着はソファの背の上に整理しておいて、そのあと緑茶をふたたび用意して、盆に乗せて自室に帰った。
 書き直しに苦戦している(……)の傍ら、こちらは茶を啜りながら過去の日記の読み返しをした。一年前の日記には蓮實重彦『「ボヴァリー夫人」論』からの抜出しがある。この著作ももう一度読み直した方が良いかもしれない。一年前には、ちょっとさらりと読みすぎてしまったような気がして、今読めばきっとまた違うところが目に留まるのではないか。まあそれよりも、浅田彰が「傑作」と断言した『凡庸な芸術家の肖像』の方をこそ、早く読むべきではあるのだろうが。一年前の日記に抜き出された記述のなかから一部をまたここに写しておく。

●76: 「マラルメもいっているように、「物語ったり、指示したり、更に、描写することさえも、これらは何の造作もなく事が運ぶ」(マラルメ、ステファーヌ、「詩の危機」、松室三郎訳、『マラルメ全集Ⅱ』、筑摩書房、1989年、241)かに見え始めた時代、つまり誰もが書けば書けてしまう時代における作家と言葉との不可能な関係が、詩においても散文においても「書く」ことの苛酷さをきわだたせているのであり、そのことに、この小説家と詩人は敏感に反応しているのだといえる」
●77: 「あるいは、フーコーのいう「文学の出現」(フーコー、ミシェル、『言葉と物――人文科学の考古学』、渡辺一民佐々木明訳、新潮社、1974年、321)なるものは、「もはや自己以外の何ものをも指示しない書くという行為のうちに、自分自身のために姿をあらわす」(同書 323)という「言語の再出現」(同書 322)そのものとして、「詩学」という概念を葬りさろうとする言葉の「反乱」でもあるような「氾濫」だといえるかもしれない」
●82: 「ジャック・ネーフは、すでに引かれた一八五二年四月二十四日付けのルイーズ・コレ宛の書簡で述べられている「散文は生れたばかりのもの」をめぐって、それを敷衍しながら、「『優れた散文の文章』とは、その限定が当の文章以外の何ものをも参照させることのないもの、その均衡が当の文章の内部から必然化されるようなもの、当の文章の充足ぶりと同調するような文章である」(ILLOUZ Jean-Nicolas et NEEFS Jacques (sous la direction de), Crise de prose, Saint-Denis, Presses Universitaires de Vincennes, 2002, 140)と書いている」

 日記の読み返しは記録によれば三時二〇分まで続いている。音楽はFISHMANS『ORANGE』を流していた。勤務に向かうのは四時四〇分頃と目星をつけていて、まだ一時間以上猶予はあったが、もう服を着替えてしまうことにした。それでまず、便所に行って排便したのではなかったかと思う。そのついでに上階に上って靴下も履いたかもしれないし、あるいはそれは歯磨きのあとだったかもしれない。ともかく続いて歯を磨き、口を濯いできてから(……)のいる前でジャージを脱いで、ワイシャツとスラックスを身につけた。戸口をひらき、廊下に出て服を取るか何かしていた時に、音楽は"感謝(驚)"に掛かったので、さあ、名曲が始まったぞと口にして部屋に入り、身支度を整えながら身体を揺らす。そうしてジャケットまで着込んでしまうと、(……)は引き続き推敲を進め、こちらは時折り確認と助言をして、四時前からこの日の日記を綴りはじめた。四時二二分に達したところで一度切ったのは、母親が帰宅した気配が伝わってきたためで、見に行こうとすると(……)も挨拶に行くと言うので、共に部屋を出て上階に上がった。母親は、仕事でかなり疲れたと漏らしていたが、(……)が姿を現すと愛想良く明けましておめでとうございますと交わし合っていた。それで部屋に戻ってさらに一〇分間、記述を進め、そろそろ行くぞということになった。その辺りでもう一度上階に上がった時があったのだが、これは何をしに行ったものかよく覚えていない。ハンカチを取りに行ったのだろうか。いずれにせよその時、母親がピザを用意したよと言って、卓上には品物が出されてあって、父親がそれを一切れ食っていたのだが、俺は歯を磨いたから良い、と断った。(……)に食ってもらおうということで自室に戻り、ピザを焼いてくれたので、最後に食っていってくれと勧めていると、母親がわざわざ二切れほど皿に分けて自室に持ってきてくれたが、もう出かけるということで上階で食べることにした。それでコートやバッグやストールを持って階を上がり、卓に就いた。もう一度歯を磨けば良いかということで、こちらも結局一切れ、廉価なピザを頂いた。ものを食べ、再度歯を磨いているあいだは、母親がまた何だかんだと(……)に話しかけて雑談を交わしていた。その途中、もう出かける間際だったと思うが、母親が、スリッパ履けば良いのにと(……)に向けて、それは客人にスリッパを用意するという発想がまったくなかったこちらの不手際だったのだが、続けて足が寒いでしょうと母親が言うのに父親が、おばさんとは違うから、寒くならないよというようなことを冗談めかして言って、(……)は苦笑していたが、こちらは母親の年齢を揶揄するような糞みたいにつまらないことを父親がまた口にしたのに内心苦々しく思い、微塵も笑わず反応を示さず黙殺し、一方で(……)に向けて、これだ、俺が言ったのはこれだ、わかるだろう? と密かに念を送っておいた。
 そうしてこちらは勤務へ、(……)は帰宅へ向けて、共に出発した。(……)駅まで一緒に歩いていき、そこで別れるという段取りになっていた。働くの面倒臭えなあと愚痴を漏らしながら坂を上り、表の街道に向かっていると、(……)さんの旦那さんと行き逢ったのでこんにちはと挨拶をし、すれ違ってすぐ、ほら、蠟梅だ、と(……)さんの卓の脇の斜面に咲いている木を指差した。すると(……)は、蠟梅か、もうそんなのが咲く時季かと呟いていた。それを受けて、結構色々な場所で蠟梅が咲いているなとこちらは応じて進み、街道に出る交差地点のガードレールの向こう、やはり斜面に生えた紅色の花を示して、あれは椿なのか山茶花なのかと訊くと、あれは山茶花だなと(……)がすぐさま同定してみせるのは、散り方に違いがあると言う。椿は花弁を散らさずまとまってぽとりと落ちるのに対し、山茶花の方は花びらごとに落花するらしい。そこから表通りに出て、車の途切れた隙を突いて北側に渡ったあと、椿と言うと、夏目漱石が『草枕』のなかで書いていたな、椿の紅色は美しく色鮮やかだが、まったく明るく陽気な感じがしない、むしろ毒々しいような感じで、山を行く旅人を誘いこむような怪しい魅力があるとか、そんなようなことを、と述べたが、そのあいだ車が横を絶え間なく過ぎて風切り音を撒き散らしていくものだから、結構声を張らなくてはならず、一人で歩いている時にはそんなことは気づかないが、このような田舎町の道路でも、会話をしようとなると、車音は結構うるさく妨げになるものだなと思った。
 裏通りに入って進むあいだ、(……)は先ほど我が家で茶を飲んで、そのあと多分トイレにも行っていなかっただろうから、便所に行きたくなってきていないだろうかと案じながらも、それを直接的に訊くことはせず、ただ平常のこちらよりもやや速い歩調で進む彼のペースに合わせることにした。それでいつもよりも歩幅をやや大きくし、また少々速く動かしながら歩いていく。道中、何を話していたのかは思い出せない。白猫の現れる辺りに来ると、この辺りにたまに猫がいて、戯れることがあると言いながら周囲に目を走らせたが、今日は白猫の姿は見当たらなかった。広い空き地の横に至って空がひらくと、澄明な青さを塗られた南の空に一つ、勢力強く際立った輝きを放つ星が現れている。それに注意を促すと(……)は、冬のこの時間であの位置だと、あれは金星だろうなと事も無げに言ってみせる。こちらは再度振り返り、西の山際から幽かな暖色が漏出して揺蕩っているのを見て、山のあちら側に巨大なヒーターでも置かれてあって熱線を送ってきているかのようだなと、凡庸極まりない比喩を思い浮かべてから訊けば、金星という星は地球よりも太陽寄りを公転しているので、見える時間に限りがあるのだということだった。宵の明星、明けの明星というやつか、とこちらは受け、ということはあれは宵の明星なのか、宵と言うには随分早いが、と向けると(……)も、俺もこんなに早く、あんなに見えるのかと思ったと言った。
 (……)が近づいてくると、一軒の脇の敷地にやはり蠟梅が咲いているので、あそこにもある、と指摘し、さらに、もう少し進んだ家にもあると予告しておいた。そこまで来ると、当該の宅の向かいの一軒が取り壊されていたので、あれ、ここ壊しちゃったのかとこちらは呟き、それから塀内の蠟梅を見上げ、しかしあんまり香りはしないなと言った。やっぱり昼間の方が匂いがするのかな、と(……)。そうしてそこを過ぎ、何かの拍子に小説の話に戻ったので、俺の多大な功績をLINE上で称えておいてくれと冗談を言い、駅に向かった。
 駅舎に入ったところで改札をくぐる(……)を見送りながら有難うございましたと挨拶をし、通路に出て振り向いた彼に手を挙げて別れると、職場に向かった。(……)
 (……)
 授業を終え、退勤したのち、この日は確か徒歩で帰ったのだったと思う。しかし現在、この日から三日も経った一月一六日を迎えているので、この帰路の記憶はほとんど何も残っていない。せいぜい裏通りを行く道中、風呂の石鹸や食事の匂いが時折り鼻に届いてきたことくらいか。(……)さんの宅の横の蠟梅は、行きには香らなかったのだがこの帰り道に多少の匂いを嗅覚に触れさせた。抹香臭い、と言うとちょっと違うかもしれないが、何か仏教的な印象を喚起させるような、品の良い香気だと思った。
 帰宅後における食事などの時間についても記憶はない。記録によれば、九時過ぎからTony Robinson, "Interview with Ward Wilson, author, “5 Myths of Nuclear Weapons”"(https://www.pressenza.com/2019/07/interview-with-ward-wilson-author-5-myths-of-nuclear-weapons/)を読んでいる。

・writ large: 特筆された、はっきり示された
・uphill: 困難な
・infatuate: 夢中にさせる、のぼせ上がらせる

(……)we bombed 68 of their cities in the summer of 1945. If you graph all 68 of those attacks in terms of the number of people immediately killed Hiroshima is second, Tokyo with conventional bombing is first. If you graph the square miles destroyed Hiroshima is sixth, if you graph the percentage of the city destroyed Hiroshima is 17th.

(……)nuclear believers often say, “Deterrence has been,” perfect because there’s been no nuclear war. It’s a ludicrous argument on the face of it.

In 1948 the Soviets blockaded Berlin, and it’s a situation which could easily have led to nuclear war. The United States had a monopoly on nuclear weapons but the Soviets weren’t deterred. In 1950 the Chinese joined the Korean War despite the US moving nuclear weapons to Guam. In 1973, the Middle East War, everyone knew the Israelis had nuclear weapons and yet the Egyptians and the Syrians attacked Israeli forces in the occupied territories. In 1982… and so on.

 その後風呂に入ったのか、だらだらしていたのか、それすらも覚えていないが、日課の記録は一〇時二七分まで途切れている。一一時一二分まで九日の日記を書き進めており、そこからまた零時二〇分まで空白が挟まれているので、おそらくこの間に風呂に行って、うとうとしながら長く浸かったものではないか。零時二〇分からまた五分間日記を綴って九日の分を完成させたあと、インターネット上に記事を投稿したと思われる。そうして零時五〇分からふたたび打鍵に取りかかったようだが、僅か一一分で一二日の記事を中断しているのは、気力が尽きたのだろうか。そうしてロラン・バルト/鈴村和成訳『テクストの楽しみ』のメモを取り、ニコラス・チェア/ドミニク・ウィリアムズ/二階宗人訳『アウシュヴィッツの巻物 証言資料』を読み進めて、二時二〇分にこの夜を終わらせた。