2020/2/11, Tue.

 ひとの顔はこわい。こんなちいさくても器官が密集している。感じる器官が、表現する器官がとてもこわい。体温だけでいてほしいものだ。
 (町屋良平『愛が嫌い』文藝春秋、二〇一九年、21; 「しずけさ」)


 一一時台後半まで睡眠あるいは夢現の状態に留まった。ほんの僅かな夢の断片が残っている。舞台は高校の教室で、新学期か新年度の始まる日らしく、どこに座れば良いのか迷って行き合わせたOさんに訊いてみたところ、何かしら返答されたはずだがその内容は覚えていない。高校生として設定されていたはずだが、一方で、同級生のWと話している場面のあいだには、相手はここで大学を終えて働き出す年頃として捉えられていた。
 窓ガラスの右方に既にだいぶ片寄ってカーテンに隠れてしまいそうな太陽からの光を吸収しながら気力が整うのを待った。ちょうど正午頃にベッドを離脱し、コンピューターを点けて各種ソフトを立ち上げておいてからトイレに行った。立ったまま放尿すると便器のなかの水が白い泡でいっぱいに満たされ、尿の黄色が見えなくなる。部屋に戻るとインターネット各所を覗き、それからベッドで「胎児のポーズ」をしばらく行ってから上階に行った。
 母親は着物リメイクの仕事で、父親は休日らしくこちらが床に貼りついているあいだに帰ってきた気配があったものの、またどこかに出かけたようだった。ジャージに着替え、例によってレトルトのカレー――「味わい深い欧風ビーフカレー」とかいうもの――を食べることにして、小鍋に水を用意し、その状態からパウチをもう投入してしまい、鍋を火に掛ける。米は新しく炊かれてあり、そのほかフライパンには薩摩揚と隠元豆のソテーがあった。冷凍の焼売も三つ小皿に出されてあったので、立ったままそれをつまみ食いし、カレーを温めているあいだに洗面所に入って、髪を整えるとそのまま風呂も洗った。出てくると鍋が沸騰していたので火を少々弱め、ソテーを皿に盛って電子レンジで回したあと、卓に運んでおいてから大皿に白米を盛り、炊飯器のなかの米の層も搔き混ぜてほぐしておく。そうしてカレーのパウチを沸騰した湯のなかから取り出し、中身を米に掛けて食卓に座り、食事を始めた。新聞によれば「ダイヤモンド・プリンセス号」の感染者は一気に六五人増えて一三五人になったと言い、大方は高年層だという船内の生活環境は悪化しているようで、乗客から厚生労働省側に環境改善を求める要望書が提出されたという話もあった。一人の男性が電話連絡を駆使して三〇人ほどの乗客の意見を取りまとめたと言う。行動力のある人がいたものだ。
 完食すると食器を洗った。今日も晴れやかな日和なのでベランダで日光浴をするかという気になっていたが、その前に緑茶を飲んで一服することに。自室から急須と湯呑みを持ってきて、首を傾けて筋を伸ばしながら緑茶を用意し、部屋に戻ると短歌を一首――「誰がために音楽は鳴るこの世から逃げたい君の静寂のため」――Twitterに投稿してから、日記の読み返しとともに一服した。一年前の二月一〇日、一一日、そして二〇一四年六月一五日と読み、合間に歯磨きも済ませ、二〇一四年の記事はブログに投稿しておいた。すると時刻は一時過ぎ、口を濯ぎに行く。父親は帰ってきて上階にいるようだった。日光浴をするつもりだったが、日記が溜まりに溜まっているのでやはりそちらを優先した方が良いかと思い直して部屋に戻り、ヘッドフォンでVan Halen1984』を聞きながら今日のことを下書きした。そうして一時半に至る。
 それから三日の日記を綴ったが、メモされてある情報が少なかったので二時前には終わりに至った。投稿する前に洗濯物を取りこみに行くと、父親の姿は居間にはない。ベランダに出ると陽射しは柔らかく、暖かく眩しかったので、やはり陽を浴びようという気持ちになり、吊るされているものを取りこんでタオルを畳んで洗面所に運んでおくと、ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』を自室から持ってきて外気のなかに出た。二時三分だった。太陽は森の梢に幾分近く傾いており、日向は戸口に近い方、東側に寄っていて、西寄りの床の上にはベランダを囲む柵の青い影が掛かっている。眼下の梅の樹は紅色の蕾の群れのなかに、湧出した泡のような、少量絞り出されたクリームのような白さの花を僅かに生み出しており、その色と蕾の渋いような赤茶には何の共通性も見出せず、あの蕾のなかからあの白さが飛び出してくるという事実には、実に唐突で呆気に取られるような切断性がある。空にはひとしずくも夾雑物が含まれておらず、空間は例の青い〈何もなさ〉に満ち満ちており、その底無しの表面性を背景に虚空を見つめていると、物凄く微小な、目の錯覚のような、微生物かプランクトンのような何かが空中を縦横に蠢き回っているのが見分けられ、それはおそらく実際には大気中に含まれている何らかの微粒子か、眼球表面の細胞組織か何かなのではないかと思うが、まるでこのような澄み切った青空を背景にした特別な条件下でしか視認されない妖精か、あるいはこの世界のすべてを構成している生命元素そのもののように思えるのだった。
 『ストーナー』を読んでいると、隣家の庭の方から猫の、哀切なように撓んだ大きな鳴き声が聞こえてくる。それでどこにいるのかと見ていると、明るい褐色の毛色をした猫が我が家の畑の向こう側に現れて、とてとてと歩いて去って行った。読書は四〇分行った。なかに入ると自室に帰ったが、早くも腹が減ったのでカップラーメンを食うことにして、ふたたび上階に上がって台所の床に置かれた袋からCGCの安っぽい野菜タンメンを取り出す。そうして湯を注ぎ、ポットに水を足してから自室に帰ると、fuzkueの「読書日記」及びMさんのブログを読みつつ、よく搔き混ぜて麺を掘り出しひっくり返すようにしてから啜った。食べ終えると緑茶を用意してきて日記に取りかかり、八日のことをまた文字化・言語化していって、四時半を迎えてようやく最後まで至ることができた。これをまた正式に書く段階、清書する段がまだ残っているわけだが、それはのちほどとして、まずは今日、一一日の事柄まで記録あるいは下書きをして、それからのちに四日以降の文章を作らなければならなかった。
 続けて間髪入れずに九日の記憶を同様に記録に翻訳していき、三〇分間行って五時に至った。FISHMANS『ORANGE』の流れるなかでベッドに移り、「胎児のポーズ」をやったあと、「子供のポーズ」及び腰上げも行って、それから食事の支度に向かった。牛肉を玉ねぎと炒めてくれと母親が言う。台所で泡石鹸を用いて手を洗うと、フライパンに水を注いで火の上に置き、玉ねぎを二つ取って皮を剝いているあいだに湯が沸騰したので流しに零して、ペーパーでフライパンの汚れと水気を一緒に拭い去った。そうして玉ねぎを切り、炒めに掛かる。フライパンに油を垂らし、チューブのニンニクも落としてばちばちいわせてから玉ねぎを投入し、強火でしばらく炙ったあとに電子レンジで解凍した牛肉も加え、フライパンを振りながら火を通すと、焼き肉のタレで味をつけた。一品だけでは少ないが、日記を書きたかったのであとは母親に任せて自室に帰った。
 五時四三分から七時五一分まで九日の記事を下書きし続け、ついに納めることができた。合間、TからLINEの返信が入っていた。長いメッセージを丁寧に送ってきてくれていたのだが、それと同時にこちらはdbCliffordのことを何かの拍子に思い出し、Amazonで作品情報を調べていた。『Recyclable』というデビュー作を大学時代に買って繰り返しよく聞いていたのだが、このアルバムは大学時代に半年間だけ入っていたバンドサークルの先輩だったM.Mさんという女性に貸したまま、サークルはすぐに辞めてその人とも付き合いがなくなってしまい、結局返ってこなかったのだ。それ以来全然聞いていなかったけれど、これが洒落た雰囲気のかなり良質なポップスだった記憶があったので、改めてデータで購入することにした。加えてdbCliffordという人は昨年、二〇一九年にデータのみで『Lucky Me』という新作も出したようだったので、それも購入した。そうして早速『Recyclable』を流し出して、歌詞を調べて大変久しぶりに何曲か歌ったのだが、やはりこれが相当な高品質のポップミュージックで、ちょっと名盤とか傑作とか言ってしまっても良いのではないかとも思うくらいだ。
 八時頃になって食事に上がった。父親は祭りの袢纏委員会の会合があったとかで、急遽出かけていったと言う。台所に入ると丼に米をよそって温めた牛肉をその上に盛り、ほか、白菜と卵の味噌汁や、蕗の薹をマヨネーズなどで和えた一品や、大根を細くスライスしたサラダを用意した。また、ブロッコリーもあったので、蕗の薹のマヨネーズ和えはそのブロッコリーの上に掛けて味つけとして、そうして席に就くとテレビは『出没!アド街ック天国』を映して新横浜を取り上げていた。味噌汁は白菜がやや固く、もう少し柔らかく煮た方がおそらく甘みも染み出して良かったのではないかと思われた。食事を取っていると父親が帰ってきて、寒い様子で身体を固めながら寝間着に着替えて夕食の場に加わる。こちらは立ち上がって食器を洗い、緑茶を用意して自室に下りると、八時三五分からdbClifford『Lucky Me』とともに一〇日の記録を取りはじめた。四四分で完成する。それからこの日のこともひとまずは文字に変換しておき、そうしてようやく、随分と久しぶりに記述を現在時に追いつかせることができたのだった。これであとは四日以降を正式に綴るだけとなったわけだ。ところで『Lucky Me』は、これはこれでわりあいに質は高いものの、『Recyclable』と比べると何だか普通の音になってしまったなという感が否めず、よくある風味のソウルフルなポップスではないかといくらか落胆的に思った。『Recyclable』のあのこだわりぶり、緻密な音作りの煌めきは一体どこへ行ったのか?
 時刻は一〇時頃だった。一度階上に行ったのだが、風呂は母親が入っている最中だったので部屋に戻り、それから一〇時二二分まで記録に空白があるものの、これは何の時間なのか不明である。日光浴の健康効果についてインターネットで検索したのがこの時だっただろうか? 一一時まで四日の日記を綴ってから入浴へ行き、洗面所で裸の肉体を横から鏡に映して姿勢を確認したあと、浴室に踏み入った。湯に浸かって目を閉じ、沈思黙考する。やはり身体を微塵も動かさないということが肝要である。もっとも、意志的に肉体を静止させたところで呼吸の動きはどうしたって排除できないし、それを措いても例えば指先とかを完全に停止させることも不可能で、いつだって身体の先端は微細に震えてはいる。思念=言語を見つめ、あるいは脳内の独り言を聞きながら、まるで非常に尊敬し憧れる他人の言葉を一言一句漏らさず聞こうとするかのように己の内部の言葉を聞き取り、その人の一挙手一投足を見逃すまいとするかのように自らの動作を見つめなければならないのだろう、と考えた。自己を完全に対象化すること? そんなことは無論、不可能事であるわけだけれど。
 上がると身体を拭いて鏡の前で髪を乾かす。黒い髪の毛はだいぶ伸びてきており、前髪は眉に掛かって側面の髪は耳を半ば隠しているが、触れた際の感触は比較的さらさらとしているように思う。洗面所を出ると確か、カルロス・ゴーンの生涯が映画化されるという話題がニュースで取り上げられていたと思うのだが、父親はそれを見て何だか複雑そうな反応を見せていた。水を飲んでからダウンジャケットを纏って下階へ行くと、LINEでTDに呼びかけて、dbClifford『Recyclable』の圧縮音源を送りつけ、気が向いた時に聞いてみてくれと勧めておいた。そうして一一時四〇分から一時間余り四日の記事を進めるあいだ、一段落書いては読み返して文調を確認するという丁寧な綴り方を自ずと取っている自分がいた。そんなことをしていると時間がいくらあっても足りず、本当はもっと書き流した方が良いのだろうが、しかし今はひとまずこのやり方を続けたい。この先に何かがあるような気がするのだ。
 さすがに疲労感が身内に籠り、肉体が重くなってきていた。何しろこの日は七時間も文を作ったのだから当然のことである。それで一旦ベッドに移って横になり、あるいは「胎児のポーズ」を行って、ちょっと休んでからさらに日記作成に邁進しようと思ったのだが、しかしそのまま意識を失ってしまったのだった。多分三時頃になって正気づいたのではないか。それで、仕方なくそのまま就寝せざるを得なかった。


・作文
 13:15 - 13:31 = 16分(11日)
 13:31 - 13:55 = 24分(3日)
 15:37 - 16:33 = 56分(8日)
 16:33 - 17:03 = 30分(9日)
 17:43 - 19:51 = 2時間8分(9日)
 20:35 - 21:19 = 44分(10日)
 21:19 - 21:53 = 34分(11日)
 22:22 - 23:01 = 39分(4日)
 23:40 - 24:44 = 1時間4分(4日)
 計: 7時間15分

・読書
 12:45 - 13:08 = 23分(日記)
 14:03 - 14:43 = 40分(ウィリアムズ)
 15:02 - 15:22 = 20分(ブログ)
 計: 1時間23分

  • 2019/2/10, Sun.
  • 2019/2/11, Mon.
  • 2014/6/15, Sun.
  • ジョン・ウィリアムズ東江一紀訳『ストーナー』: 222 - 247
  • fuzkue「読書日記(168)」: 12月19日(木)
  • 「わたしたちが塩の柱になるとき」: 2020-01-31「切り抜けるための出任せばかり寄せ集めてみたら俺がいたのだ」

・睡眠
 3:20 - 12:00 = 8時間40分

・音楽

  • Van Halen1984
  • FISHMANS『ORANGE』
  • FLY『Year Of The Snake』
  • Fritz Reiner & Chicago Symphony Orchestra『Dvorak: New World Symphony and Other Orchestra Masterworks』
  • dbClifford『Recyclable』
  • dbClifford『Lucky Me』
  • FISHMANSCorduroy's Mood』
  • Borodin Quartet『Borodin/Shostakovich: String Quartets』