2020/3/7, Sat.

 戦争へと進むナチにとって、ラインラントの再軍備はどれほど重視してもしすぎることはない。ミヒャエル・ガイヤーが述べているように、「再軍備と作戦計画を次の段階に進められるかどうかは、すべてこの地にかかっていた」。これをもってナチ・ドイツの防衛的再軍備は終わり、侵略戦争を可能にするための再軍備の段階に入る。アドルフ・ヒトラーにとって、このみごとな成功は、彼が全能であることの証だった。ドイツ軍がライン川を渡った一週間後の三月一四日に、ミュンヘンの集会でヒトラーはこう述べている。「もちろん私は神が指し示す道を、夢遊病者のごとき確信をもって進む」。
 (リチャード・ベッセル/大山晶訳『ナチスの戦争 1918-1949 民族と人種の戦い』中公新書、二〇一五年、74)



  • 携帯電話のアラームは七時半に鳴るように仕掛けてあった。しかしそれが鳴り出すのを待たず、一〇分か一五分ほど前に自ずから覚醒する。カーテンが布のなかに大気の薄白さを溜め、あるいは透かして窓辺に漂わせている曇天である。
  • 朝食には芸もなくベーコンと卵を焼いて米に乗せた。ほか、前夜作った野菜スープと、大根をスライスした生サラダ。
  • 今日は(……)で「(……)」の三人と『SHIROBAKO』の映画を観る。赤白黒三色のチェック柄のシャツに褐色のズボンを身につけ、上着にはモスグリーンのモッズコートを羽織った。
  • 外に出ると、思いのほかに空気は冷たかった。道脇の林は高いところでほんのかすかに揺れ、触れ合う葉の囁きめいた微音を滲ませる。白梅の花弁が地面を点描している上を踏み過ぎ、公営住宅前に出ると周囲の宙がちょっとひらくが、大気にほとんど動きは感じられず、静けさが空間の隅まで張られて満ちたそのなかに川の響きらしき淡いものと僅かな鳥声が混じりこむ。ただ、動きが乏しいと言っても流れるものが完全にないではなく、空気がちょっと揺らぐだけでも肌は結構冷え冷えとする。雲の層は厚く、何枚か折り重なっているようで陽の気配は窺えない。
  • 駅の階段通路を通りながら、ホームの向かいの石段上の白梅に目が行く。盛りと言ったところだろうか。白く清潔な花々が縦横に連なって不規則に密集したさまの、植物と言うよりは、散乱した水の飛沫がそのままで凍りついたかのような形象である。
  • (……)に着くと(……)図書館に向かった。CDを返却するためである。図書館もコロナウイルスのせいで閉架しており、書架には立ち入れないようになっていた。
  • その後、高島屋淳久堂書店へ。図書館は閉まっているのに書店は通常通り営業しているというのも、何だか不思議な感じである。次回の読書会の課題書の一冊である星新一の『マイ国家』を買うことに。そのほか思想の棚を見分した結果、ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』(月曜社)が、二五〇〇円程度でそこまで高価でなかったので購入することにした。
  • 待ち合わせは確か正午ちょうどだったはずだ。書店で思ったよりも時間を使ってしまい、もうあまり猶予がなかったのだが、空腹が極まっていたので高架歩廊途中のエクセルシオール・カフェに入った。サンドウィッチとホットココアを買い、人のほとんどいない明るいフロアの一席で食事を取った。
  • (……)駅に戻って三人と合流。(……)がファースト・キッチンのベーコンエッグ・バーガーを買いたいと言うので、フロム中武に入った当該店へ。(……)が買い物をしているあいだ、ほかの三人は店の前でメニューを眺めたりしながら待つ。ファースト・キッチンはWendy'sに買収されたのだろうか、いつからか統合したようなのだが、それでもこの店もだいぶ長く続いているものだ。こちらが高校生だった時分からこの場所にあり、たまに(……)や(……)などと立ち寄ってはもっぱらコーラフロートを飲んでいた覚えがある。
  • その後、(……)へ。劇場版『SHIROBAKO』を視聴。アニメーション作品としてどうなのか、この作品に相応しく評価できるほどアニメというジャンルの鑑賞経験の蓄積がこちらにはないが、物語としてはまあ王道と言うか、オーソドックスなものだったと言って良いだろう。映像表現も概ね過不足なく物語を語る役割から逸脱していなかったように思うのだが、それが経済的で無駄のない語りとしての役割から明確に逸脱した場面が少なくとも二回あった。一つは夜道を歩いている主人公宮森あおいが、彼女の想像的な対話相手である二種類の人形とともに、アニメーションを作りたいという切なる熱望を躍動的な歌舞によって表現するパートで、ここは確か絵柄もデフォルメされたりして様々に入れ替わりながらミュージカル風のカラフルで装飾的な演出が成されていたと思う。もう一つは物語の終盤、宮森あおいが仕事仲間の女性と一緒に、不当な要求を突きつけてくるライバル会社に言わば「討ち入り」に行く場面で、こちらでは時代劇風の意匠に託して激しくスピーディーなアクションが披露されていた。これらの演出は束の間の空想的な逸脱であり、そこでは映像表現上の脱線における始まりと終わりが明確に示され、視聴者がひとときの非現実の内にスムーズに引き入れられるとともにふたたび容易に出てこられるような契機がきちんと確保されていたと思う。ただ、物語世界の現実から浮かび上がった空想的な表現という点に関してこちらが気になった場面は、実はもう一つある。それは比較的序盤に見られたもので、宮森あおいが高校時代からの仲間たち――彼女らも各々、アニメーションに関わる仕事をしている――と五人で居酒屋に集まって酒を飲み交わすシーンなのだが、その途中、店外の通りを埋め尽くすような巨大な七福神の船が突如として出現し、それが鷹揚に飛び去っていくのを五人は呆然としたような顔色で見送ることになるのだ。あとで(……)くんに訊いたところによると、この五人は元々高校生の時分にアニメーション研究会か何かに集っていた仲間で、その時に作った作品が七福神をテーマとしたものだったらしく、彼女らは大人になってそれぞれアニメ関係の職を得たあとも、この仲間たちでそれをふたたび制作したいという共通目標を抱いているとのことである。そうした補足情報は措いてこちらが気になったのは、この七福神が登場する際に、神の叩く太鼓の音の振動が空気を渡って、店内にいた彼女らの飲んでいた液体にまで伝導するカットが見られたことである。この七福神の形象は当然ながら現実の物理的現象とは信じられず、しかし五人ともが揃って店外の通りに出てそれを視覚的に認識する瞬間が描かれていたのは確かなので、まあ「常識的に」解釈するならば一種の集団的幻覚あるいは五人の精神的一体感の強さを表す心象の類と捉えることになるのだろうが、それにもかかわらず、先に書いたようにこの幻像からは実体的な空気振動が生み出され、それが現実世界に物理的影響を与えているという点が不思議に思われたのだった。ミュージカル及び時代劇風の装飾が施された場面の空想的表現があくまで一時の空想的逸脱に留まり、現実世界とは截然と区別されていたのに対して、この短い七福神のシーンでは言わば幻想がシームレスに現実世界に侵食してくるような感じがあり、それがこの作品の表現形式のなかでほかのどの箇所にも見られない例外的な様相を提示していたのが、ちょっと引っかかったということだ。
  • 映画を観たあとは電車で(……)に移動して、(……)の家へ。その前に駅舎内のwelciaに寄って菓子などを買う。さらに、(……)の希望で駅の傍にあった「(……)」というパン屋にも寄った。ここでこちらは彼女と一緒になかに入って商品を見分し、そのあいだ(……)と(……)くんは店の外に立ち尽くして待ちながら会話を交わしていた。(……)はチーズの織りこまれた丸いパンを一つ購入し、(……)の家に向かう道すがら、歩きながらそれをぱくぱく食べて満悦の様子だった。
  • (……)家では母君と顔を合わせる。今月の一七日に(……)の代わりにこの女性と一緒にコンサートを鑑賞しに行く取り決めになっていたのだが、(……)家に着くとちょうど、コロナウイルスの影響で公演が延期になったという通知葉書が届いていた。変更後の日程は、六月一六日の火曜日である。
  • 母君と挨拶を交わしたり手を洗わせてもらったりしてから上階にある(……)の部屋に行ったのだが、(……)夫妻が(……)くんの母親に電話をする用があると言う。それなので、そのあいだこちらと(……)は席を外して下階の居間に移動し、テーブルを囲んで(……)の母君とちょっと話を交わした。彼女はこの前日だか翌日だかがちょうど誕生日だったのだが、息子である(……)は彼女が欲しがっていた漫画作品、『ピアノの森』の全巻セットをブックオフかどこかで具合良く発見して、プレゼントとして贈ってくれたとのことだった。
  • その後、(……)によってコードワークに関する理論が講座のようにして語られる。
  • 夕食は、近場の店に出ようかと話し合っていたのだが、我々の知らぬ間に(……)の母君が焼きそばを作ってくれていたので、それを有難く頂いた。食後、(……)に唆された(……)くんに『SHIROBAKO』の感想を問われて、上に書いたようなことをちょっと話す。
  • (……)は大阪に移るのを機に所蔵のCDを整理したいとのことで、欲しいものがあれば持っていってくれと言うのでコレクションを見分し、Yesの『Close To The Edge』と『Relayer』を頂いた。何だかんだ言って、Yesは大したバンドだ。
  • この日の会合の終盤には「(……)」の音楽制作における今後の方針についても話し合った。これからもスタジオを利用するか、それとも適切な環境を整えて自宅録音の方策を取るか、といったことである。いずれにしても、こちらはできあがってきた音源を聞いて適当にコメントするだけの気楽な身分なので、そのあたりの事柄に対して積極的に口出しできる立場にはない。録音を担う当人たちで決めてもらえば良いのだが、(……)個人としては、自分たちで機材を揃えて細かい部分まで思う存分こだわりながら作っていく方向に心が固まったようだった。
  • 帰りの電車内では、二二日に予定されている(……)の送別パーティーについて話す。"(……)"の替え歌を贈ろうという案が(……)夫妻から出たので、アコースティックギターを用いて弾き語りのアンプラグド・バージョンにしては、と提案しておいた。
  • 帰宅するとケンタッキー・フライドチキンがあったので食べたくなり、ベッドでしばらく休んでから入浴したその後、チキンと米とスープを食した。