2020/3/31, Tue.

 花の散りかかる桜の樹の、その木末に白い影の差すのを、あれは何かと眺めるうちに、雲間から薄い月が掛かった。満月のようだった。月に散る花はこの世のものならで、と古人の詠んだような感慨が、老年の身だからありそうなものを、その夜もまた更けるにつれて冷えこんで、月も花もただ寒々しく感じられた。ところにより月蝕の見られる夜と聞いていたので、月がまだ窶[やつ]れているのかとも思われた。花のほうも四月に入ってからの天候の不順のために、散る前から悴[かじ]けて見えた。雲に月が隠れると、花も暗がりに沈んで、木の間からところどころ街灯の白い笠が浮かぶばかりになり、その光も霞んで、遠近も定かならず、つれて目も霞むようで、夜気がひときわ腰に染みてきた。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、9; 「後の花」; 書出し)



  • 重力に抗えず、一時四五分まで寝過ごした。
  • 雨降りのなか、傘を差しながら勝手口外の通路に出て、ストーブのタンクに石油を補給する。冷えた空気のなかで吐息が白く、束の間浮遊する。雨は細かく柔らかな降りで、すぐ傍の沢の水が醸す響きのなかに、鳥の快活な囀りが混ざって散らばる。
  • 音読をして日記のためのメモを取るともう四時二〇分で、あまりにも猶予がない。やはりもう少し睡眠を減らさなければならないだろう。短く済む日はわりと短時間で起きられるのだが……。就寝も今のままだとさすがに遅すぎるので、段々と早めて行かねばなるまい。例によって、前日よりも一〇分ずつ前に就床をずらしていく方策を試みようと思う。もっとも、この方法で早寝の習慣を確立できたことはなく、結局いずれまた梟族に戻ってしまっているのだが。
  • 五時過ぎ、出勤路へ。玄関の外で空中に手を差し伸べれば、雨はほぼ止んでいるようだったので、傘は持たないことにした。林の周縁に立った紅梅のうち、昨日は緑の若葉を纏いはじめたものに目を留めたが、まだ強いピンク一色で鮮やかに整っているものもある。だが、あれらは本当に梅の花なのだろうか? 林のなかからは鳥の囀りと和するようにして、雨後の滴が枝葉に擦れ落ちる音が連なり広がってくる。
  • Sさんの宅の前に掛かると、老婆が戸口に顔を出していたので挨拶を掛けた。降ってる、と訊くので、今はもう降ってないみたいですと答え、それでも相手は少し降ってる、と続けるので、かすかな戸惑いとともに笑って宙に目を振って、ほんのちょっとだけ、と同じた。すると、互いに何を言って良いのかわからないような間が差し挟まり、ぽっかりとした空白がちょっとあってから、老婆は行ってらっしゃいと口にして話を結んだのだが、そこにこちらは見当を外して今日は寒いですねと世間話を被せてしまい、何を言えば良いのか不確かに立ち迷いつつ、風邪など引かないようにお気をつけてくださいとひどく月並みな気遣いで繕って、行ってらっしゃいとまた返るのに失礼しますと頭を下げて先に進んだ。
  • 公営住宅に付属している公園は申し訳にもならないような小ささで、子供の遊ぶ姿など久しく見られず寂れているが、その無人の空間に桜が華やぎ、ひどくきめの細かいムースの質感で淡紅色が宙に明るく、その花叢の仄かさと、渋緑に苔むした幹や鉛筆で擦ったように黒い枝との対照が、ほとんど意想外と言うか、この鈍い色からあの静かな品が生じるとは、と驚くくらいだ。
  • Sさんはやはりさすがに、だいぶ皺ばんだと言うか年寄った様子だった、と思い返しつつ坂を行く。当然のことだ。誰も老い、そして死んでいく。最寄り駅前には桜の花弁が散乱しており、階段にも付着しているそれらはくすんだ砂利のなかに砕き撒かれた白玉石のようだった。
  • 青梅駅。ホームを歩いていると、何やら空中にカメラや携帯を掲げている人が多数見られる。そこにアナウンスが入って、まもなく発車する立川行きの電車から発車ベルの音楽が新しいものになると伝える。以前は『ひみつのアッコちゃん』のテーマメロディだったのだ。それは赤塚不二夫にちなんでのことで、青梅には何故だか知らないけれど――特に縁はないと思うのだが――「赤塚不二夫会館」なる施設があったところ、その会館がこのたび閉館されるということで、電車のメロディも変わることになったらしい。多分それを記念してと言うか、新しい発車ベルでの最初の出発を記録しようということで、鉄道好きの人々が集まっていたのではないか。件の新たなメロディは、まあ特段大きな印象を与えるものではないが、明るくてまとまりのある感じだったと思う。
  • 労働である。(……)(新高三・現代文)、(……)くん(新中二・国語)、(……)さん(新小六・社会)を担当。(……)の現代文は長谷川櫂の俳論や、田中克彦の言語論などを読んだ。前者は芭蕉俳諧の旨として言った「かるみ」という言葉を取り上げて俳諧の精神を論じたもので、長谷川が考えるところの俳諧性とは、苦しみや悲しみといった辛い情念に無抵抗に浸るのではなくて――俳人ではなく歌人ならばただ感情に浸っていれば良いのだが、と言っていた――苦境に陥った自分自身をも冷静に突き放して観察し、悲苦を諧謔へと転化させるような姿勢であるとのことだった。そして、そうした俳諧精神が見事に発揮された例として、正岡子規が臨終前日の床で詠んだ糸瓜の三句が挙げられていた。まあ平明でわかりやすい、ありがちな論述である。後者の田中克彦の文には、これも基礎的な概念だが、ソシュールが言うところの例の「記号の恣意性」という考え方が出てきたので、その意味を解説してノートにも記してもらった。
  • (……)くんはまあ普通。大きな問題はないだろう。(……)さんは各章のまとめ問題を使って復習している途中だったのだが、三大工業地帯など訊いてもうまく思い出せず、一度確認してから再度尋ねてみてもぱっと出てこないので、ちょっとうーん、という感じではある。中学受験をする予定なのだが、もう六年生であと一年も猶予がないので、なかなか厳しそうな雰囲気だ。
  • (……)先生を久しぶりに見かけたので声を掛けておいた。多分、彼の初授業を手伝って以来の顔合わせだろう。困ったことは一応なく、何度か授業をやって段々慣れてきたと言う。彼が担当していた(……)くんは今日が最後の受講だったので、高校に行ってまた勉強に困ることがあったらぜひいつでも戻ってきてくださいと挨拶をして、まあ困らないのが一番だけどねとも付け足しておいた。帰り際にまた声を掛けて、高校に行ったら、本をたくさん読むんだと促し、何でも良い、自分が気になったもの興味を持ったものなら何でも良い、たくさん本に触れてください、とメッセージを送って別れた。
  • 誰が持ってきたものなのかわからないけれど苺サンドクッキーみたいな品があったので、二ついただいて帰った。職場に置かれている菓子類は、皆遠慮しているのかあまり減らないので、勤務のたびにこちらが二つくらいずつ無遠慮に貰っていき、夜の茶菓子として消費している。
  • 駅のベンチにて熊野純彦レヴィナス 移ろいゆくものへの視線』を読み出し、奥多摩行きが来ると三人掛けに乗って、ちょっと経つとチキンの匂いが鼻についたので目を上げれば、斜め前、車両の一番端に就いた男性が食っているようだった。それから読書のうちにしばらく待って最寄り駅で降りると、誰かに横から当たられて、何かと思えばおいー、と親しげな声が続く。W.Yだった。地元の同級生である。美味そうな匂いを振り撒きながらチキンを食っていた先ほどの男性が彼だったのだ。お前か、と受け、全然気づかなかったと呟いたが、実際、結構太ったようで顔が大きくなり、容貌がいくらか変わっていた。今も塾かと訊かれるので肯定し、相変わらずのフリーターぶりだと笑うと、良いんじゃね、と軽く返る。あちらもここ数年は何をやっているのか定かに知られず、実家の小料理屋を手伝っているような噂も聞いていたが、就職したと言う。職場は立川で、職種はよくもわからなかったのだが、機械を工場に入れる仕事、みたいなことを言っていたような気がする。店はお兄さんが継ぐことになったようだ。
  • 遠回りして相手の家の方から帰ることにして、街道を行きながら話を交わす。I.Sらしき人物を、先日電車内で見かけたと言う。このSも小学校までの同級生で、その先は市立には進まずYと同じく(……)中学に入った。彼は国立に住んでいるらしく、Yが前に会った時には、救急救命の仕事をやっているので精神的にかなりきついみたいなことを話していたと言う。Sの連れ合いはF.Mさんと言って彼女も小学校の同級生であり、この夫婦には数年前に子供が生まれていて、青梅駅で赤ん坊を連れているのに偶然行き逢ったこともあるが、その子ももう四歳か五歳くらいではないか。
  • 駅前では幽かだった雨が歩いているうちに多少降り増してきたのだが、それでもYの家、すなわち(……)の裏に着くと、立ち止まったままもうしばらく話をした。仕事以外には何をやっているのかと問われるのに、相変わらずだ、数年前からずっと変わりない、要は読んだり書いたりしたくてフリーターをやっているわけだからと返すと、本は何を読むのかと問いが重なったあと、西村だっけ、好きじゃなかったっけと言うので、芥川賞の、と訊き返し、賞金を風俗に使うって言った、と確認する。西村賢太のことである。しかし西村の作品は、こちらは多分一冊も読んだことがないのではないか。まあでも読むのはそういうやつだ、いわゆる文学みたいなやつだと答えると、次に音楽は最近は何を聞いているかと続く。ジャズなど名前を出してもわからないだろうからとちょっと考えて、最近はFISHMANSっていう日本のバンドが好きだなと教えると、Youtubeで聞いてみるわと落着した。
  • それから、また飯でも行こうぜと誘われたので了承し、土曜日とかはとさらに一歩踏んでくるのに、土日は大体空いていると受け口をひらけば、福生に行っててさと相手は口にする。福生に就職支援組織のようなものがあって働き口を世話してもらったのだが、今も毎週土曜日にはそこに遊びに行っているのだと言う。引き籠りの人とかもいて、ギターが弾けたりもして、何か自由な感じだから、良かったら一緒に行こうという話だった。そのような組織あるいは施設の世話になったということは、明言はされなかったものの、Y自身もことによったら一時期引き籠りめいた状態になっていたのかもしれない。そう考えてみれば表情もどことなく、以前よりも暗いような屈託したようなところがあった気がしないでもない。ともかくそういうわけで連絡先を改めて交換するのだが、LINEはやっているかというお定まりの質問に、やっていない、そもそも俺未だにガラケーだからと己の時代錯誤を明かし、ひとまず電話番号を教えておいて一度発信してもらった。そのうちにショートメッセージを送ると言う。別れ際、うちの父親がよく世話になってると思うんで、と店のことに言及し、またお願いしますと挨拶をして、有難う、お疲れ様と収めて去った。
  • 今月読んだ本を一覧にまとめておく。

ロラン・バルト/藤本治訳『ミシュレみすず書房、一九七四年
ジョルジョ・アガンベン/上村忠男・廣石正和訳『アウシュヴィッツの残りのもの――アルシーヴと証人』月曜社、二〇〇一年
・J・ヒリス・ミラー/伊藤誓・大島由紀夫訳『読むことの倫理』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇〇〇年
・バーバラ・ジョンソン/土田知則訳『批評的差異 読むことの現代的修辞に関する試論集』法政大学出版局(叢書・ウニベルシタス)、二〇一六年
巽孝之『メタファーはなぜ殺される ――現在批評講義――』松柏社、二〇〇〇年
プリーモ・レーヴィ/竹山博英訳『周期律――元素追想工作舎、一九九二年
熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』岩波書店、二〇〇六年
小林康夫編『UTCP叢書1 いま、哲学とはなにか』未來社、二〇〇六年
熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』岩波現代文庫、二〇一七年

  • 今月、序盤のうちは無気力モードに囚われて停滞していたので、『ミシュレ』は二月一九日から三月九日までと随分掛かってしまったわけだが、それを通過したあと、九日以降の加速ぶりが凄い。月末までの三週間で八冊も読んでいる。三日弱で一冊のペースだ。かなり勤勉ではないか?
  • 夜半、英文記事二つに触れる。Nicolas Gattig, "Can you ever really understand Japan? Pico Iyer offers help"(2019/10/19)(https://www.japantimes.co.jp/culture/2019/10/19/books/beginners-guide-japan-observations-provocations-pico-iyer-224-pages/#.XoNZgl3APIV)と、Michael P. Lynch, "Do We Really Understand ‘Fake News’?"(2019/9/23)(https://www.nytimes.com/2019/09/23/opinion/fake-news.html)。一つ目の記事で紹介されているPico Iyerという人はもう三〇年くらい奈良を拠点としているという作家で、日本文化についてなど色々とものしているようだが、New York TimesのThe Stoneにもコラムを寄せているのを折に見かける。そのThe Stoneの一記事である後者から、ちょっと興味深かった情報を引いておこう。インターネット上でシェアされるニュース記事のうち六〇パーセントほどは、それをシェアする人間によって実際には読まれていないという研究があるのだと言う。そんなデータを目にすると、人類はやはり、眼前のそこに書かれてある言語を読むという行為がさほど好きではないのだろうという推定に説得力が出るものだ。

(……)Current research estimates that at least 60 percent of news stories shared online have not even been read by the person sharing them. As an author of one study summed up the matter, “People are more willing to share an article than read it.” On the other hand, what we do is share content that gets people riled up. Research has found that the best predictor of sharing is strong emotions — both emotions like affection (think posts about cute kittens) and emotions like moral outrage. Studies suggest that morally laden emotions are particularly effective: every moral sentiment in a tweet increases by 20 percent its chances of being shared. And social media may just pump up our feelings. Acts that don’t elicit as much outrage offline, for example, elicit more online, perhaps because the social benefits of outrage still exist without the normal risks.

  • Samuel Purdey『Musically Adrift』を凄まじく久しぶりに流したが、何だか全然ピンと来ない。こんなに惹きつけられない音楽だったか。昔聞いた時にはもっと魅力的だったように思うのだが。売り払ってしまっても良いような気持ちさえ持ち上がってくる。
  • Kenny Burrell『On View At The Five Spot Cafe』。このライブアルバム冒頭の"Birk's Works"(Dizzy Gillespie作曲のブルース)は好みで、とりわけBobby Timmonsのピアノソロがいかにも土っぽく臭って、(ブロックコードを中心に)強力で素晴らしい。ジャズブルースの語法を身につけて、ぜひとも演じられるようにしたいものだ。まあ、まずはアコギを入手するところからだが。


・作文
 15:41 - 16:19 = 38分(30日)
 16:19 - 16:23 = 4分(31日)
 27:41 - 28:04 = 23分(21日)
 計: 1時間5分

・読書
 14:55 - 15:27 = 32分(英語)
 15:27 - 15:40 = 13分(記憶)
 16:24 - 16:35 = 11分(熊野)
 16:42 - 17:07 = 25分(熊野)
 20:08 - 20:22 = 14分(熊野)
 20:49 - 21:22 = 33分(熊野)
 22:31 - 22:47 = 16分(熊野)
 22:52 - 23:10 = 18分(記憶)
 23:10 - 23:33 = 23分(英語)
 23:55 - 24:43 = 48分(Gattig; Lynch)
 25:13 - 26:06 = 53分(ディック)
 26:46 - 27:41 = 55分(アガンベン; 書抜き)
 28:04 - 28:32 = 28分(ディック)
 計: 6時間9分

・睡眠
 4:40 - 13:45 = 9時間5分

・音楽

  • Room Eleven『Six White Russians & A Pink Pussycat』
  • Richie Kotzen『Wave Of Emotion』
  • dbClifford『Recyclable』
  • Grant Green『Shades Of Green』
  • Kenny Burrell『On View At The Five Spot Cafe』
  • Led Zeppelin『Houses Of The Holy』
  • Lee Konitz『Live At The Half Note』
  • Samuel Purdey『Musically Adrift』