2020/4/5, Sun.

 鬼怒川の決壊したその前々日、台風が本州に近づいて東京でも雨の降りしきる中を、ちょうど三カ月に一度の検診の日にあたっていたので近間の病院に来てみれば、こんな日のことだから人はすくないだろうと踏んでいたところが院内は込みあって、例によって大多数を占める年寄りの姿が三カ月前よりも、人はあらかた違うのだろうが、どれもひときわ老い屈んで見えて、やはり長雨の空は目に見えぬ重荷となって背に肩にのしかかるのだろうな、と我が身のことが顧みられた。明日は荒れるので今日のうちに、台風の過ぎるのを待てず、雨を押して駆けこんだ人も多かったのだろう。
 台風が本州を抜けたと伝えられた夜には、東のほうの空に薄雲は流れながらその合間に星がのぞいた。雲間がしばらくひろがると、小さな星が幾つも現われてまたたいた。もう長年忘れていた眺めだった。鬼怒川の大水はその翌日の午後になる。続く雨天に苦しんだ末に、台風がとにかく過ぎたと聞いて、警報も出された大雨の中を、病院に出かけた人もあったのだろう。
 市の広報車から退避を呼びかける声が雨の音に紛れて聞き取れず逃げ遅れたと話す人もいたそうだ。土堤を打つ濁流の激しさが、音にまでならなくても、切迫の気配となって伝わってくるのに感じて耳はおのずと鋭敏になりそうなものなのに、しかし今の世の住まいは警戒の声ばかりか、地を覆って降る大雨の音すら、軒のあたりの騒がしさのほかは、隔ててしまう。軒というほどのものもない建物も多い。雨の音に寝覚めた心を、古人はよく歌に詠んだ。軒端を叩く音から野山に沿って遠くまで、生死の境まで、雨に運ばれる心であったらしい。あるいは雨がはるばると寄せて、ここに横たわる身を抜け、この身を無きにひとしいものに、草葉の下に変わりもないものになして、さらにはるばるとひろがる。わびしさに、なにがしかの自足もあったようだ。雨の音を聞く心に、厄災を思う先祖たちの畏れもおのずとひそんでいたかと思われる。
 それにひきかえ今の世の人間の多くが、とりわけ年寄りが、表の音の入らぬ、入ってもふくらみもない中で、眠るのに苦しむ。表の騒音に悩まされることもあれば、表の音に隔てられて眠れぬこともある。本人はそれに気がつかず、頭の内のざわめきを託っている。壁の薄いアパートのひとり暮らしでも、周囲が寝静まってしまえば同じことだ。表の道路の車の音が夜半を過ぎても絶えぬ部屋でも、無機質の音はやがて無音にひとしくなる。
 心が乱れて寝つかれぬ夜にはまだしも、このまま明けるまでまんじりともせずに過ごすことになるかと思われる頃に、思い乱れる力も尽きて眠りに落ちる。しかし無音に閉じこめられた夜には、頭が痼[しこ]り、それでいてからんと張って、睡気も差さない。人が物を思うのは表の音に感じてのことらしく、過去のことはおろか、昨日今日のことも思い出せぬようになる。固く張った頭にときおり、些細な記憶が場面ばかり浮かんで、その前後へそろそろと糸を手繰るようにして、つれて睡気の差してくるのを待つが、繰り出されてきそうになったところでふっつりと切れる。どうでもよさそうな記憶にも禁忌がひそむかのように。
 ある夜、部屋に木犀の匂いの漂っているのに感じて、しかし彼岸までにまだ日数はあり、それに夜中に花の蕾がほころぶものだろうかと疑ううちに、その暮れ方に雨の中を歩いていると木犀の匂いがほのかに伝わってきて、どこからだろうと立ち止まってあたりを見渡したことのあったのを思い出した。ついこの暮れのことなのに、遠い記憶の匂いをふくんだ。
 (古井由吉『ゆらぐ玉の緒』新潮社、二〇一七年、77~79; 「人違い」)



  • 石田英敬現代思想の教科書 世界を考える知の地平15章』を迅速に読み終え、続けて岩田靖夫『ヨーロッパ思想入門』に着手した。とにかくがんがん精力的に、放蕩者らしく見境なしに、野獣の狩りにも似た猛々しさで書物を貪っていきたい。
  • 翌日に労働があるので髭を剃った。法事の返礼カタログで入手した小さな電動髭剃りは大して剃れないので結局使うのをやめて、風呂に入っているあいだにT字剃刀を用いて、顔面全体の産毛と一緒にまとめて掃除した。以前は毎回そのように処理していたのだ。この方がやはり、手間は掛かるけれどその分綺麗に当たることができる。髪の毛もいかにも無造作と言うか、野放図に伸び散らかっているのを放置してしまっていい加減鬱陶しいので、さすがにそろそろ切りたいところだが、美容室に連絡するのが面倒臭くて、後回しにしているうちに忘れてしまう。
  • ギターをやたらと弄り回した。と言って、いつもどおりブルースを適当に遊んだだけだが。早くアコギを入手してちゃんとした曲を弾けるようになりたいものだ。ジャズブルースなどコピーして学びたいと思っている。
  • この日は午前四時一〇分――と言うか、四月五日の時間軸で考えると二八時一〇分――に就床するのが目標だったのだが、意志薄弱で果たせず、結局五時を迎えてしまった。