2020/4/15, Wed.

 マイダネクの規律は軍隊みたいでした。朝の四時か五時に起床させられ、なんだかわからない苦い液体を飲まされ、それから点呼に行かねばなりませんでした。点呼は非常につらいものでした。ドイツ人は、囚人が全員いることを確かめるため、何度も何度も数えなおしました。ときにそれが何時間もかかることがありました。それが終わると「教練」、「訓練」です。重視されたのは、「脱帽!着帽!」といったものでした。SSが来るときは、脱帽して敬意をしめさなければなりません。そんな訓練が、ときには数時間もつづきました。
 マイダネクでは、意味のあるような仕事はそうありません。たとえば一日目には、ひとつの場所から別の場所に土を手押し車で運ばされ、翌日には元の所に戻すみたいな、無意味なことをさせられたのでした。
 食事は飢え死に寸前のかつかつのものでした。朝は粥、昼は蕪のスープと一切れのパン。パンには、マーガリンが二〇グラムぐらいついていました。夜もパンと一皿のスープ、それだけです。
 加えてSSに殴られるかもしれないという恐怖。SSは方々歩き回っていて、仕事をしていないとか、すばやく脱帽しなかったとかいった囚人のナンバーをメモしていきました。そして夜の点呼のときにそのナンバーを読みあげ、よびだされた囚人は一五回、あるいは二五回殴られたのです。どんな小さな過ちでも、囚人はみんなが見ている前で殴られました。収容所の生活は恐ろしくつらく、厳しいものでした。
 わたしがマイダネクにいたのは数カ月でしたが、それは死ぬのを待っているような毎日でした。殴られて死ぬか、飢えて死ぬか、とにかく死を待っていたのです。わたしにとっては、労働も厳しすぎました。土を盛った手押し車をささえるのがやっとだったのですから。
 (花元潔編集・解説/米田周インタビュー『アウシュヴィッツの沈黙』東海大学出版会、二〇〇八年、46~47; ヤクブ・グデンバウムの記憶)



  • 居間のカーテンを母親が洗濯してくれた。多分、先日焼いて喰った猪肉の臭いが染みついたかもしれないと気になっていたのではないか。カーテンを取りつけるあの部分は何と言うのか、差渡しと言って良いのか、ともかく窓の上に走っている木製の円柱形の横棒や、その下の、薄手の白いレースカーテンを取りつけるプラスチック製のレールや、それに窓枠の上端などを雑巾で拭き、埃を取り除いた。長年月のあいだに埃が凄まじく溜まっていて、雑巾の水気によって丸く集まって結合し、大きな塊になるくらいである。その後、フックを用いてカーテンを引っかけ、取りつけ直した。
  • 窓を開けて部屋に風を取り入れながら、蓮實重彦特集の『ユリイカ』(二〇一七年一〇月臨時増刊号)を拾い読みする。三輪健太朗「忘却の人、蓮實重彦 見ることの二つの罠について」などを大雑把に読んだ。蓮實重彦的な表層の観察をテクストや映画作品などに対峙する際の基本的姿勢として身につけることができたとしても、その先で陥りやすい二つの罠があると言う。一つには、自分の目に見えた要素のみに基づいて狭い体系を作り出し、深層の意味を逃れたつもりでまさしく凡庸な整理、月並みな見取り図に留まり捕われてしまうことで、「それはしばしば退屈な記号論に堕してしまう」(222)と言われている。もう一方の「罠」に嵌まれば、「一切の意味を排除しようとする強迫観念」に囚われてひたすら細部のみを偏愛し、祀り上げることになる。これは「一部のシネフィルにとっての格好の逃げ道」(222)だ。蓮實重彦のいわゆる主題論も、一見無意味で、作品のほかの部分と繋がりがない、接続しないと思われた細部を丁寧に拾い上げて結びつけることで見えてくる新たな体系、要は斬新で鮮やかなもう一つの物語を語っているわけだ。従って、「蓮實に追従しようとする者が、意味のないことそれ自体に惹きつけられてしまうとすれば」、それは凡庸な物語を予め避けることで「安逸に高踏を気取るための安易な知的怠慢にすぎない」(232)と忠告される。
  • まあわかりやすい論述で、言っていることもその通りだと思う。こちらの性分としては二つ目の「罠」の方、安易なシネフィルみたいな態度の方にわりと近いような気もする。ここめっちゃええやん、最高! みたいな。まあでも、「批評」をやろうとなればそれでは駄目なのだろうが、個人として読んだり書いたり見たりする分には、別にそれでも良くね? とは思う。悪しきアマチュアリズムへのひらき直りと言われればそうなのだけれど。ただこちら個人は別に批評家と呼ばれる存在になりたいわけではないし、上のように述べたからと言って、断片性に殊更に固執して要素たちを繋げることを拒否するつもりも特にない。自分の感性を惹きつけた部分をまあとりあえずは拾っておいて、それが何か別のことに繋がればそれはそれで良いし、繋がらなければ別にそれでも良いわけだ。見えてくる絵図があるならあるで構いはしない。それがいかにも「凡庸」なものだったら、自分の脳とセンスがそのくらいの能力だったということだ。
  • ただまあ実際のところ、こちらの瞳や感性は刺激的な体系を構築できるほどの観察力を具えてはいないというのが実状かもしれない。「批評」をやろうと言うならばやはり、基本的には多分、何らかの体系を構成できなければ、つまりは物語を語れなければいけないのだろう。確かな基盤に過たず正確に足を据えながらも、同時にそこでどのような新鮮さを含んだ物語を語れるか、すなわち自らの物語にどんな差異を忍びこませることができるか、というのが批評を書く者にとっての勝負なのではないか。と言ってそれは別に批評のみならず、小説だろうがノンフィクションだろうが言語以外の創作物であろうが、いやしくも何かを形成しようという人間にとっては皆共通の賭金なのだろうが。
  • こちらとしては、一つには、その時々の瞬間的な去来物に対する感覚と感受性をより鍛えていければまあ良いわけだ。結局のところこちらの望みというものは読み書きを始めた頃からずっと一貫していて、自分に見えるもの聞こえるもの、感じられるもの知られるものを、よりよく、より広く深く、見、聞き、感じ、知っていきたいというだけのことだ。それを言い直せば、面白い文や言葉を読み、自分でも、過去の己よりも多少は面白い文や言葉を書いていきたいというだけのことに過ぎない。単純な話だ。しかしこれは本当に単純な話なのか? そんな啓蒙主義時代のフランス人のごとき進歩史観めいたパースペクティヴはもはや信用できないのでは? まあ単純に線的に進歩していくという見方が安直だとするならば、何か不定形にぶらぶらうろつき回ると言うか、要はまあ何らかの形で少しずつ変容していければ良いんじゃね? くらいの感じに修正しておこう。そして人間、生きている限りはどうせ幾分かは変容せざるを得ないのだから、生きて読み、書き続けていればそれでもう良いということになる。その結果、いずれ過去と同じ地点に立ち戻ったとしても、それはそれでまあ構わない。ただ願わくば、それが螺旋状の回帰であってくれればなおさら良いのかもしれない(*1)。
  • *1: 「新しきものなし、すべては回帰する、というのはとても古くからある嘆きです。重要なのは、回帰が同じ場所に行われないということです。円環(宗教的な)に螺旋(弁証法的な)を置き換えること。(……)疎外から解放された社会が、もしそんな社会が実現したとして、「別の場所で」、「螺旋状に」、ブルジョワの礼儀作法のいくつかの断片を再び取り上げることも必要となるでしょう」(ロラン・バルト/松島征・大野多加志訳『声のきめ インタビュー集 1962-1980』みすず書房、二〇一八年、244~245; 「形容詞は欲望の「言葉」である」; 『ガリバー』誌、五号、一九七三年三月)
  • 一回性の体験ということは色々なところでよく言われると思うが、「一回性」という概念そのもの、あるいはそれが指し示す事態がどういったものなのか、そういうことの方にこちらはむしろ興味がある。「一回性」という事柄がそもそも反復を前提とした形でしか成立しないと言うか、「一回性」という概念そのもののなかに反復も既に包含されているような気がするのだが。「絶対的」ということを言う時に、それは「相対的」という概念と対になって提示されるわけだけれど、そこでもう相対関係が成立してない? みたいな。それと同じことではないかと思うのだが、まあよくもわからん。
  • 夕食の支度――大根、人参、胡瓜、玉ねぎを洗い桶にスライス。か細く刻まれ微小片と化した野菜たちがそれぞれ担う、白、オレンジ、緑の色味が重なり合って、水を注いで手で搔き混ぜれば、微細な断片群が複雑に、無法則に入り混じり、ほとんど印象主義過激派みたいな色彩の精緻な混淆様相を呈示する。
  • 鯵のひらきをフライパンで焼く。途中で母親に託し、ストーブの石油を補充するために外へ出る。空は雲が全面、稀釈的に混じっているが、わずかに取りこぼされた水色の滴も見えないでもない。沢が、一昨日の雨の名残か、さざめきを立ち昇らせている。流れが道路の下をくぐって出てきたところにちょっと段差があるので、そこを縦に落ちる水が身を砕きながら地を打つ響きだろう。ポンプがタンクに石油を汲みこむのを待ちながら市街方面の空を眺めていると、灰色の飛行機が二つ連れ立って現れた。先発が空中を半ばあたりまで横切るとゆったり曲がって方向を変え、左方へちょっと戻りながら、南の方角、つまりは無涯の空白を展開する視界の奥の方へと飛び去っていき、あとから来たもう一機も同じ軌跡でそのあとを追う。
  • 管啓次郎『ストレンジオグラフィ Strangeography』(左右社、二〇一三年)を進める。自然物と言うか外界の事物に対して付された形容詞あるいは形容修飾の、ほとんど無防備とも思えるようなシンプルさ。「やがてたどりついた八甲田山頂は、快晴。強烈な風が吹きつけて、寒い、寒い」(5)とか、「島は端から端まででも、自転車で十五分もあれば楽に走れることだろう。気持ちのいい陽光、気持ちのいい風だ」(15)とか、「極端に急な階段を上がって小さな楼に立つと、風が強ければ少し怖い。でも眺めはすばらしい。赤い瓦の伝統的な家々が並び、えもいわれぬ美しさ。みごとだ」(17)とか、そういった具合だ。正直に言って、自分にはこういう調子で描写をぽんと無造作に投げ出す勇気はない。こうした文を読むと、自分の文章がやはりいくらか修飾過剰と言うか、無駄に重々しげに振舞っているような気がしてくる。どうも情報を足し、ぺたぺた貼り合わせて、ミスリル製の厚い鎧ぶって固めたくなるわけだ。それはまあ一応、物事の「具体性」により近づくためと言うか、自分の感受したものを頑張って「正確に」表現したい欲求があるということだとは思うが――しかし、それもまああるいは、言語の表象機能に対する故のない信頼かもしれないし、他方ではまた、本当に自分は「自分の感受したもの」へと「正確に」肉薄するなんていうことを目指して文を作っているのか、という点もまったく心もとない。むしろ、この世界を材料・素材・ネタにして、もっと平たく言うなら要はだしにして、幼稚園児の積み木遊びのように言語を恣意的に組み立てて戯れているだけではないかという気もする――と言って、それで悪いことなど何もないと思うが。
  • 四九頁には、「スコットランドの人類学者」ティム・インゴルドの『ラインズ』の名前が出てきて、「ぼくにとってはいまもっとも注目すべき思想家だ」と評価されているのだが、この本も地元の図書館で新着図書に見かけて以来、ちょっと読みたかったのだと思い出した。
  • あと、管啓次郎は歩くという行為が心身に及ぼす作用やその美点などをしばしば語っていて、それを読むと、やはり人間、己の足を動かして歩かなくては駄目だよなあ、と単純素朴に散歩への欲求に誘われる。まさしく生涯散歩を続けた作家ヴァルザーも、「足で歩いてゆくというのは、この世のこととは思えぬほどに美しきこと、良きこと、太古以来の単純なことなのです」(ローベルト・ヴァルザー/新本史斉、フランツ・ヒンターエーダー=エムデ訳『ローベルト・ヴァルザー作品集4』鳥影社、二〇一二年、232; 「散歩」)と書いている。
  • 夕食――鯵、サラダ、筍ご飯など。バターを使って焼いた筍のソテーもあった。炬燵テーブルの定席に就いた父親は、耳にイヤフォンを差しこんでいたので、どうやらスマートフォンを利用してテレビか何か見ていたようだ。多分、母親が自分も好きなテレビ番組を見たいと言って、番組選択の主導権を譲ってもらったのだろう。(……)こちらは(……)夕刊に目をじっと落としながらものを食った。宮本常一を紹介する記事が載っていた。『ストレンジオグラフィ』でもちょうど、歩きながら思索を築き上げていった先人の一人として名前が挙がっていたところだ。宮本は瀬戸内海の周防大島生まれ、生地の北方には広島湾があり、安芸の宮島すなわち厳島も見えたと言う。全国各地を旺盛に歩き回って、『私の日本地図』という著作を全一五巻でまとめ上げた。現在それは、『宮本常一著作集』の「別集」として未來社から刊行されているらしい。『宮本常一著作集』は地元図書館の書架に結構な幅を取って並んでいるのを数年前から見留めていたが、そこに「別集」まで含まれていたかどうかは覚えていない。
  • 夕食後、散歩に行った。夜気が結構肌寒く感じられたが、何だかんだ言っても戸外はやはり解放感があり、心身がはろばろとほぐれていく。外気に撫でられる摩擦の感触を肌表面に受け取りながら、脚の筋肉を動かして地の上を歩いていくというのは気持ちの良いことだ。空は鈍い色を均一に塗られながら濁ってもいないけれど、星の穴が見えないのでやはり雲が全体に伸べられているらしい。裏通りを行くあいだは道が薄暗く、諸所咲いている庭木の花の灯しも弱く、色味もさほど明らかならず、ただ街道に出る直前で道脇の、草に埋もれた狭い一帯の緑の端に、薄桃色のいたいけな花が群れていた。これは何かと停まって顔を寄せてみると、一つ一つのまとまりは小さくよほどささやかな嵩ではあるが、菊らしく見える形をしており、紫もほんのかすかに孕んだような風味で連なっている。
  • 表に出ると、パンジーが多色とりどり植わった花壇の横を行く。家を発った時の涼しさは完全に消えて、歩くうちに肉が温んで暑くなっていたので、ダウンジャケットの前をひらいて歩道を進めば、(……)の敷地の境で垣根の葉っぱが濃縮的な鮮紅に輝きてらてらと激しいのに、これは凄いと目を張った。真っ赤に染まった垣根は結構色々なところで見かけるもので、ずっと以前にこの植物の名を調べたはずだがもはや記憶の外、いま書きながら改めて検索してみたところ、ベニカナメモチと言うようだ。街道に風は流れず、大気はおとなしぶって行儀良さげに収まっており、虫の息遣いもまだ立たない時節だから、車が途切れれば静けさだけがいっぱいに浸透している。その車の流れも、コロナウイルスのせいだろう、かなり乏しい印象だった。
  • 牛乳屋の前で自販機を眺めて、コーラを求めることにした。Dydoのmistio Colaとかいうマイナーなやつを、強炭酸が売りになっていたので買っていると、ここでようやく風が吹いてきた。ポケットのなかの缶が揺れるのを感じつつ東へしばらく進んで行けば、梢の葉っぱの靡く響きが家並みの間[ま]から寄せるほど、風はここでは馳せている。肉屋の傍から坂に入って木の間を下ると、途中で足もとに、桜のものらしき白花弁が点々と現れだして広がった。坂の路面には真円状の小さな溝がたくさん刻まれてあるのだが、それと取り合わせてあたかも飾り模様のようだ。どこから来たのか見上げてみても、街灯の白さが視界を侵して邪魔をするし、そうでなければ宙は夜闇[やあん]に浸されて枝葉の蓋は黒く呑まれて、桜の色などとても見えない。しばらくすると花びらの玉模様はなくなったが、坂を出ればそこでも道路に散っていた。源はやはり不明だ。
  • 歩いてくると意外なほどに身体が温まって汗も帯びており、部屋に戻ると窓を開けたくらいだ。
  • そう言えば夕方あたりに職場からメールが届いた。オンライン授業について説明をしたいので、今週金曜日の一六時からどうかと言う。ひとまず了承したものの、個別指導でオンライン授業などどうやってやるのだろうか。勿論、教室でやるのだよな? 当然のことだが、全然やりたくない。目の前に相手がいないので、生徒がいまどの部分を進めているか、とか一目でわからないだろうと思うのだが、そんな状態で指導が成り立つのだろうか? 「5/7から授業がスタートできないことを想定し」とメールにはあるからそれ以降の導入だと信じたいのだが、しかしそれに続いて「オンライン授業がスタートします」とも書かれているので、もうすぐ近いうちに始まるようにも読める。面倒臭い。正直に言って、コロナウイルスの騒ぎが終息するまでのあいだは働きたくない。それで良くないか? そういう要望を伝えてみようかとも思う。