2020/4/20, Mon.

 アメリカ軍によって解放された直後は、わたしたちはいくらでも食べることができました。アメリカ人は、我々に際限なく食べ物をくれたのです。(ところが皮肉なことに)その結果、数百人の仲間が、過食で死んでしまったのです。なんと食べ過ぎて死んでしまったのです! 誰も彼も飢えきっていましたから。食べ物のことに血が昇ってしまったのですね。いったん食べてからまた大鍋の列にもどるのです。二杯目を食べてもまだ満腹感はありませんでした。
 (花元潔編集・解説/米田周インタビュー『アウシュヴィッツの沈黙』東海大学出版会、二〇〇八年、206; タデウシ・ドロジジの記憶)



  • 久しぶりにベーコンと卵を合わせて焼き、米の上に乗せて喰らう。新聞にて山崎正和が高校の新しい教育方針、と言うか新学習指導要領、すなわち例の「論理国語」と「文学国語」の区別の導入について一文ものしていたけれど、よくも読まなかった。(……)
  • 凄く久しぶりに一年前の日記の読み返しをする。三月一日である。Andre Previn死去の報を得ている。八九歳だったと。彼の作品はJoe Pass及びRay Brownとやった『After Hours』しかライブラリにないし、クラシックの方の仕事はまったく触れたことがない。
  • 二〇一六年七月一四日木曜日の記事から風景描写が引かれていた。

 ふと右に顔を向けると、窓外の様子が凄いことになっていた。豪風豪雨である。濃緑の街路樹は枝葉を振り乱し、眼下の道路から飛沫が飛び立っていくのが、まるでアスファルトに湯気が立っているようである。空中にも激しい飛沫が、間断なく横に繰り返し走って空間の表面に皺を付けるのが、学校の校庭に起こる砂嵐のようでもあり、あるいは宙空が突如として水面と化して漣しているかのようでもあった。視線を手前に引き取ると、蛙の卵のように丸みを持った水滴がガラスの上を無数に流れ落ちていくのが目に映るのだが、煙る空の白を背景にするとそのゆっくりとした動きが、雨粒というよりは雪のようであり、以前にも同じ光景に同じ印象を抱いて記したことがあるのを思いだした。果てでは水平線まで空が、高みから一繋がりに降りて、建物は影へと霞んでまさしく雪模様の背景、駅舎や歩廊の上を一面に少しくすんだ鉛白色が染めているのは、あたかも季節が一挙に冬へと飛んだかのような様子だった。

  • 読んでみると、今とはやはりリズム感覚が違うなという印象を受ける。まず単純な話、読点が多くておずおずと慎重に歩を踏んでいるかのような調子だし、隅々まで意識を行き渡らせて文を作れていないことが明白で、まだまだ未熟である。今の方が、うまく気持ち良く流れる言葉を書けると思う。「空中にも激しい飛沫が、間断なく横に繰り返し走って空間の表面に皺を付けるのが、」という読点を伴った「が」の連続とか今だったらやらないだろうし、 「果てでは水平線まで空が、」という具合に、始まってからすぐ、実に早々と一呼吸置いている最後の文も、現在とは組み立て方が違う。「漣する」という特殊な言い方や「蛙の卵」の比喩、「鉛白色」という色彩表現などはそれほど悪くはないのだが。
  • 三時半の直前に出発した。紺色のスーツを装い、コートは着用せず。雨がほんの幽かに散らばっていて、大したことはなかったが、肌に冷たそうだったので傘をひらいた。坂道から眼下に川を望む。川の水というものを随分久しぶりに目にした感があった。何しろ最近はほとんど家から出ていなかったし、散歩に出るのはいつも夜だから、大気が光をはらんで川の姿が露わなうちにこの道を通ることがなかったのだ。水は、艶消しの乾いた翡翠色といった感じの色調で、そのなかで波の頭がところどころ、白い線条を生み出しては散らしている。
  • 坂の途中に(……)の車が停まっていた。多分、YNさんの宅に来ていたようなのだが、彼が入院したのもあるいはそこなのかもしれない。降る雨は軽い。粒が小さく、空気の揺らぎに無抵抗に、容易に流されては傾きまた浮かんで、言ってみれば濁った水のなかのボウフラと言うかプランクトンみたいなものだ。街道を進むと老人ホームの角で白い桜の花びらが地面にぱらぱら散っており、諸所の桜はもう大方どれも端まですべて葉になっているのに、ここの枝には紅色の、例の萼だか花柄だかよくわからない部品もたくさん残っていた。この樹は確か豆桜という種ではなかったか。何年か前に調べた覚えがある。もっとも調べたと言って勿論インターネットを検索しただけなので、その見立てが合っているのか不明だが。
  • 裏通りは、ハナミズキの盛りである。いくつかの家で庭木として生えていて、ピンク色のものなど、蝶が夥しく群れなして樹に殺到し、そのまま永久[とわ]の眠りに凍りついて標本と化したようにしか見えない。ある一軒の塀に囲われた庭内には、多種多様の花がひらいた植木鉢がいくつも置き並べられて色とりどり賑やかだが、あれを一つ一つ手づから世話するのも大変だろう。
  • 青梅駅前ロータリーを囲む周りの通路の足もとはタイル風の意匠になっているのだが、その装飾が、勘違いでなければ多分新しく塗り直されていたと思う。褐色を基調とした地味な配色で、なかに時折り枝に止まった鳥の図が見え、メジロみたいな明るい抹茶色で描かれていた覚えがあるが、あれはおそらく鶯だろうか。
  • ちょうど四時くらいに職場に着いた。皆もう来ており諸所でタブレットを操作していたので、こちらも座席の一つに行き、すると早速オンライン授業の説明が始まる。ZOOMというアプリを用いて会議みたいな空間を作り、生徒にログインIDとパスワードを教えてそこに来てもらうのだと言う。それで講師同士で通信を試してみたのだが、わりと頻繁に伝達が遅れたり止まったり、そうでなくても普通に聞き取りづらかったりして、この近距離でこんな調子なのに、果たして本番でうまく行くのだろうかと疑われた。そもそもこちらはもう最初からやる気がないと言うか、オンライン授業なんて相手が目の前におらず今どこを進めているのかもすぐにわからないし、生徒の手もとやノートをぱっと見ることもできないのだからやりづらくて仕方なく、正直全然やりたくないので、いやこれ無理でしょ、とか、もうやめましょうよとか、へらへら笑いながら後ろ向きの発言をいくつか吐いておいた。ところが、五月六日が過ぎてゴールデンウィークが明けても緊急事態が解除されず教室も開けられないままだったら、講師の自宅からオンライン授業をやってもらうことになるかもしれないと言う。絶対に嫌である。こちらとしてはコロナウイルスの騒ぎが落ち着くまでもう休みでええやん、ニートでええやんと思っているのだが、まあ最初からそう言うと角が立つかもしれないので、ひとまず五月六日まで休みたいんですけど、と交渉して、その後は事態の展開を見てまた、という風に打診しようかなと考えている。そして、この文章を書いているのは五月一〇日時点なのだが、実際に六日まで休ませてもらうことに成功し、また続くやりとりでオンラインはやはりどうも「性に合わない」と伝えて、対面授業が再開するまでの休暇を獲得した。晴れて一時的にニートである。素晴らしい。
  • アプリケーションを実際に使って確認してみた感じでは、これだとかなり授業の質が下がるのは不可避だと思われたのだが、それでもオンラインでやってもらいたいという保護者が結構いるのだと言う。一方的に喋る講義の形式ならまだ形になるとしても、個別指導においてはその意義と言うか、効果はほとんどなくなってしまうような気がするのだが。まあ何もやらないよりはマシなのだろうし、また、仕事に行っているあいだは子供を見ていられないので、少しでも時間を作って不十分であっても勉強をしてもらいたいという考えの保護者もいることだろう。また企業の側としても、この事態にあって何の対応も打たずに手をこまねいているばかりでは顧客の信頼を失ってしまい、塾を離れる生徒が続出することになるという懸念も当然あるはずだ。そうした諸々を考慮した上で、いずれにせよこちらはオンライン授業をやりたいとはまったく思わないので、上にも記したように休ませていただくことになった。
  • 帰り際、室長用デスクの前で(……)先生とちょっと言葉を交わした。彼女の大学はオンライン授業をやらないのだと言う。従って、わざわざキャンパスまで出向かなければならない。アホですよ、アホー、アホー、とか、意味がわからないですよ、と(……)先生は文句を漏らす。メディア学部なのにと言うので、メディア使ってないじゃないですかとこちらは突っこんで共に笑った。授業は五月二〇日から再開するとか言っていたような気がするが、その頃になっても収まっていなかったらどうするんですかと訊くと、ね、どうするんでしょうね、との返答だった。(……)駅から出ているバスも止められたという話で、歩けっていうことですよ、とこの点にも(……)先生は不満を示してみせる。それらの不平に対してこちらはあまり大した反応を返せなかったと言うか、平たく言ってもっと相手に共感するような、彼女の不満感を肯定してあげるような応答をした方が、多分相手の気持ちを和らげることにはなったのだろう。大学当局としてはそんな感じの対応なわけだが、教授陣の方は結構オンライン授業に積極的らしく、多分女性の教授の話だと思うのだけれど、「女優ライト」(なるものの名称をこちらはここで初めて耳にした)を購入したりと色々用意を進めていて、なおかつその様子をSNS上にアップしており、そこに学生の方もいくらか揶揄気味なコメントを寄せているとか言うので、距離が近いんですねえと笑った。そういう時代だ。
  • 研修は一時間で終わったが、給料は六時まで二時間分を貰えるらしい。オンライン授業、どうしようかなと考えを巡らせながら帰路を歩いた。面倒臭いのは確かだ。ただ、講師が記録をつける方式をやめて生徒本人に書かせるようになった時にも、またその後タブレット及びネット上の記録管理システムが導入された際にも、最初のうちはみんな、どうせこんなの上手く行かないでしょ、とか消極的なことを言っていて、こちら個人としても結構難しそうだなあと思っていたところが、いざやりだせば普通に適応して、そのシステムの枠内でより良く授業を組み立てる方法を見つけるわけである。だからオンライン授業だって、色々と制限は多そうだけれど、実際にやりさえすれば勿論どうにでもなりはするだろう。加えてこれからの時代、直接顔を合わせてなどというアナログな形式は多分どんどん廃れていって、最新技術を活用した方式がもてはやされていくのだろうから、コロナウイルス騒動にかかわらずそうしたやり方を身につけなければならなくなる可能性は――この先の未来においてもこのまま学習塾業界の一隅に居座り続けるかどうかわからないが――十分にあるわけだ。それだったら今のうちにさっさと適応しておいた方が良いのではないか。と、殊勝ぶってそんなことも一応考えはしたものの、結局は面倒臭いと言うか気乗りがしないという本能的な怠惰に流れて、上記のように対面授業の再開までは休暇をいただいた次第である。
  • 雨は消え去っていた。青梅坂を越えて路地をしばらく進むと、若い父親と幼児の遊歩に出くわした。子は三歳ほどか、とうに緑へと変わりきった白木蓮の、二階家の屋根を越え出るくらいに大きな樹姿のその傍をうろついていたのが、突然後ろ向きに尻餅をつくようにして転んでしまって、父親はそれを笑って抱き上げあやしかけていた。あまり良く目を向けなかったが、子供は多分泣いていなかったと思う。行く手の奥に臥[ふ]した丘陵、濃度と明度の異なる緑を組み合わせてまだら縞を描いた森からは淡い霧が発生しておりところどころで固まっていて、樹々がみんなで揃って煙草をふかしているようだと思ったが、これは少々ありがちに過ぎるイメージかもしれない。
  • 街道。この時刻には車の通りも多く、平常という感じだ。一見してまだ新しく、現代風の雰囲気に垢抜けたとある宅の軒下に燕が巣を作ったようで、鳴き声を降らせながらひっきりなしに飛び回っていた。もうそんな時節か、と思う。裏通りに入ってしばらく行くと、TRさんの家の傍に八百屋の行商が来ていたので挨拶を送った。しかし近くには寄って行かず、いくらか距離を空けておく。別に心配ないとは思うものの、状況が状況なので何となく憚られたのだが、あちらの方でもそのあたり心得ているような感じで、間を挟んだままひととき立ち話をした。TRさんと顔を合わせたのはかなり久しぶりのことである。しばらく髪を染めていないのか白さが混ざりこんでいて、以前より歳を取ったようにも映る。今、休みなんですよとこちらは明かし、でもね、オンライン授業始めるなんつって、今日はその説明を聞いてきたんですよと続けた。今はそういう時代だもんね、と返り、どうかと次いで問われるのには、いやどうですかねえと顔を顰めてみせる。
  • そのほか、八百屋の旦那が冗談も混ぜて威勢良く繰り出すトークも聞く。新潟に、山菜だったか何だったか採りに行きたかったのだけれど、現地の友人に、頼むから今は来ないでくれと言われたと。現在のところ新潟県で発見された感染はすべて東京もしくは関東から持ちこまれたという話になっているらしく、そのあたりぴりぴりしているとのことだ。お前が原因でなくても、仮にお前が来たあとにうちの町で感染者が出たなんて日にゃあ、お前が東京から人を呼んだからだ、なんて言われちまうよ、と友人は懸念を伝えてきたと言う。まあ実際、それはそうもなるだろう。商売をやってる人なんかは大変ですよねえ、信頼がなくなっちゃいますから、とこちらは言わずもがなの一般論で受ける。そのあともいくらか話をしていたが、TRさんが、まあ外を歩いてるから気をつけてね、と口にしたのを機に、皆さんもお気をつけてと気遣いを返して別れた。
  • 夕食はチーズがなかに含まれた廉価品のハンバーグなど。やっぱり安物の味だね、と母親。
  • Ari Hoenig『Bert's Playground』を流す。Ari Hoenig(ds)、Will Vinson(as on 3,7)、Chris Potter(ts on 1,4,9)、Gilad Hekselman(g on 2,10)、Jonathan Kreisberg(g on 1,3,4,6-9)、Matt Penman(b on 1,3,4,7,9)、Orlando Le Fleming(b on 2,6,8,10)。録音日――二〇〇六年四月一日・三日・七日及び二〇〇七年六月七日・一〇日・一一日。ブルックリンはPeter Karl Studios。かなりの好盤。冒頭の"Moment's Notice"など、とても素晴らしい。やはりChris Potterだ。
  • Ari Hoenigが関わったなかで気になる音源としては、Jean-Michel Pilc Trio『Together Live At Sweet Basil Vol.1』及び『Vol.2』や、 Kenny Werner Trio『Peace: Live At The Blue Note』などがある。要は例によってライブ盤が気になるということだ。あとDiscogを探索していて驚かざるを得なかったのだが、Ari HoenigはMacy Grayのアルバムでも演奏している。Macy Grayという歌手についてこちらは何一つ知らないが、Robert Glasper Experiment『Black Radio 2』で"I Don't Even Care"を歌っていた人なので名前に覚えがあった。Ari Hoenigが叩いているのは『Stripped』というやつで、Chesky Recordsから二〇一六年に出ている。教会を利用して一発録りをしたらしいが、David Cheskyは録音にこだわりがある人でそういう録り方をよくやっているようだ。面子は、忌まわしきコロナウイルスのせいでつい先日亡くなったWallace Roney(tp)にRussell Malone(g)、Daryl Johns(b)とAri Hoenig(ds)。
  • 零時過ぎ、下半身が疲労していたので寝床で書見。疲れからちょっと微睡みかけていると、壁を叩く音とこちらの名を呼ぶ母親の声がした。両親の寝室からである。何だようるせえなと思いながら行くと、ロシアの兄夫婦から電話が掛かってきていたのだった。父親の布団の上にしゃがみこんでスマートフォンの画面を見ると、TKくんを抱いたTMさんの姿が映っている。こちらはMちゃんの名を呼ぶのだが、幼児は何故かぐずっており、TMさんが座っている椅子の背面に顔を押しつけるようにして黙りこんでいた。そしてまもなく、泣き出す。先ほどまでは機嫌が良くてこちらの名前を口にしていたらしく、それで呼んだのだと母親は言ったが、その後もMちゃんはずっと泣き続け、顔を画面に向けようとすらしなかったので、そのうちに通話はおひらきとなった。今日はMちゃんがこの憂い多き濁世に生まれ落ちてから三歳となる誕生日だったので、おめでとうと声を掛けておいたが、聞いていたかどうかわからない。


・作文
 11:43 - 12:10 = 27分(19日)
 23:09 - 23:50 = 41分(3日)
 26:09 - 27:19 = 1時間10分(3日)
 27:30 - 28:15 = 45分(20日; 4日)
 計: 3時間3分

・読書
 13:02 - 13:19 = 17分(英語)
 13:25 - 13:42 = 17分(記憶)
 13:48 - 14:12 = 24分(日記)
 14:21 - 15:13 = 52分(宮沢)
 17:58 - 18:03 = 5分(宮沢)
 19:46 - 20:28 = 42分(宮沢)
 23:50 - 25:22 = 1時間32分(宮沢)
 28:34 - 28:46 = 12分(宮沢)
 計: 4時間21分

・音楽