2020/5/4, Mon.

 (……)ナチ政権発足時のドイツ総人口約六五〇〇万人に占めるドイツ・ユダヤ人(ユダヤ教徒ユダヤ人)は五〇万人、これに混血のユダヤ系ドイツ人七五万人を加えても二%に満たないマイノリティである。(……)
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、13)



  • 正午の覚醒。空はこの日も真っ白だが、薄光をはらんでいる感触が少しはあって、瞳を弱く刺激する。昨晩から雨が現れ午前のうちは続いていたようだが、このときには止んでいた。
  • 茶を支度していると外から入ってきた父親に、(……)、お前、お母さんと買い物行ってきてくれよ、と要請される。荷物持ちで、と続くのに、買い物すか、今日すか、とぞんざいな口を利きながらも、まあいいすけど、とこだわらずに了承する。しかし母親は、明日が火曜日で安い日だから明日行こうかどうしようか、と迷っている様子だった。どっちゃでもええすよと適当に言い置いて、こちらは室に下がる。
  • Chet Baker Sings』を流しつつ、四月一四日の日記に取り組んだ。二時半頃、上梓。
  • 四時前に上がっていくと、やはり出かけると母親が言う。何だか知らないがメルカリで売れたものを送る用がある次第。それで寝癖を整えて部屋で着替え、抽象画風のイラストが入った白いTシャツにチェックのスラックス及びブルゾンという馴染みの格好に。ベッドでシェイクスピアを少々読みつつ脛をほぐしてから上へ。母親の支度が整うまでのあいだも、ソファに仰向いて脛を揉みながら本を見る。
  • 先に外へ。向かいの宅の垣根に寄るとピンク色の花の蕾が見つかって、触れれば粘着テープのようにちょっとべたべたしている。近くにひらいたものもあり、躑躅らしい。それから自宅の正面、階段の脇で腰をひねったりして筋を和らげながら待っていると、足もとを這う黒い点に気がついた。目近くしゃがみこめば、昨日と同様に蟻が一匹で、自身の全長よりもよほど大きい蝿の死骸を引きずったり押したりして運んでいるのだった。それを眺めているうちに母親が来る。
  • 母親の車が新しくなってから乗るのは初めてである。暑いのでブルゾンを脱いで助手席に入り、FISHMANS『ORANGE』のCDを掛けた。まず(……)の「(……)」に行って給油。車替えたんですかと店員が訊いてくるのに母親は、私はいいって言ったんだけどお父さんが、と言い訳する。レギュラーを三〇〇〇円分。いつも三〇〇〇円だけしか入れないと笑う母親。
  • 東へ。躑躅がいたるところで咲いている。目的地はコンビニ、スーパー、寿司屋、(……)といくつかあって、どこから行くかと順番をああだこうだ言いながら走る。(……)の途中で信号に停まった際、そばに「(……)」という住宅があったのだが、その前に立っていた四本ほどの樹が、何の種なのか知らないけれどピンク色をこまかく灯したもので、明らかに柚子ではなかったので、あれ、「(……)」のくせに柚子じゃないぜと隣の母親に教えた。成り行きで、つまり道中にあったので、ひとまずコンビニに寄ることに。クソ腹が減ったと漏らすと、何か買ってこようかと言ってくれるので、じゃあオールドファッションドーナツを頼むと応じ、チョコレートが塗られたやつと補足した。待っているあいだ、結構色々な風貌の人が前を通り過ぎてコンビニに入っていく。全体にラフな格好ながら足もとはヒールのある靴をかつかつ鳴らす女性だとか、主婦なのか一人暮らしなのかよくわからない生活感の、自転車に颯爽とまたがって去っていく女性とか。
  • 母親が買ってきてくれたドーナツをもしゃもしゃ頂いたあと、スーパーへ。「(……)」(……)店である。マスクを持参していた。マスクの能力など大して信用してはいないが、つけないよりはつけたほうが一応ましなのだろうし、他人がマスクをつけていないだけで途端に気色ばんで絡んでくるような類の、社会同調的親切心に満ち溢れまくったお節介好きの人間に遭遇する可能性がないとも言い切れないので用意してきたのだった。ところがそもそも、いまはマスクをつけていないとスーパーには入店できない決まりになっているらしく、入口のところにご協力をお願いしますという紙が貼られてあった。
  • 入店すると単独行動でポケットに両手を突っこみながら店内を悠々と巡り、茶葉やジュースやポテトチップスやレトルトカレーやらをおりおり母親の籠に入れていく。そうして会計。レジカウンターでは店員とのあいだにビニールの仕切りが掛けられており、代金や釣り銭の受け渡しも手から手へ直接ではなく、受け皿を介した形だった。
  • 荷物を整理して車へ帰り、それから「(……)」(……)店へ。途中の公園でやはり躑躅が満開だった。寿司屋では母親が一〇貫入りの握りを見てこれでいいと言うので、それを二パック取り、こちらは一二貫入りの品を頂くことにした。ほか、手巻き四本。さらに母親が煎餅か何かをいくつか加えて会計。ここでも仕切りと金銭の受け渡しは先ほど同様。
  • (……)に行きたいと言うので、車のなかで本を読んで待っていると言って了承する。それで建物側面の通路を上っていき、上層の駐車場に入ると、いくらか明るさが差し入ってくる端のほうの位置に停めてもらった。そうしてシェイクスピア福田恆存訳『夏の夜の夢・あらし』(新潮文庫、一九七一年)。二〇分ほどで母親は戻ってきて、帰路へ就く。
  • (……)の踏切りのあたりで白髪の老婆が路傍を歩いていたのだが、それを見た母親は、歳をとったらやっぱりどうしても地味になっちゃうから、なるべく派手な服を着たいな、みたいなことを口にする。これは母親が前々から折に触れて表明している強固な持論である。好きにすれば良いと思うのだが、やっぱりああいう人を見ると、もっとお化粧すればいいのにとか、赤みたいな明るい色を着ればいいのにとか、思うでしょ? とか言って何故か同意を求めてくるので、そんなもんその人の好きにさせてやれよと思った。あなたはそういうの着ればいいじゃんと向けると、でも、何かやっぱり気が引けて、周りの目が気になって、というようなことを漏らすので、じゃあやめればいいじゃんと単純明快極まりない二分法に沿って答えると、でもやっぱり明るくしたいとも言う。矛盾してるじゃんと突っこむと、そうなの、と返る。いずれにせよ好きにしてもらって構わないのだけれど、自分自身に対してそう思うってことは、他人を見ても、それが地味な人だったら、もっと派手に、若々しくすればいいのにって思うわけでしょ? そのくせ、その人が実際に派手な格好をしてたら今度はきっと、あの人もう歳なのにあんな派手にして、年甲斐もない、とか思うわけでしょ? という具合に軽く詰めてみたところ、母親は困ったように笑いつつ、そう、そうと同意したので、偉そうな話、傲慢な話ですよと冗談めかしてなだめるように落とした。
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  • 帰宅すると荷物を運んで冷蔵庫や戸棚に収め、それから着替えてきて料理。買ってきた豚肉で筍を巻いて焼く。それで七時前になったのでもう食事にした。寿司は美味。
  • この日は散歩はしなかった。大して歩いてはいないけれど一応外出したので、それで良しとしたのだ。食後は階を下がってギターに遊び、そのあと「英語」と「記憶」の復読を久しぶりに行うことができた。(……)
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  • (……)さんのブログ、二月二四日。

オープンダイアローグにおいては、うまく語ることのできない出来事をどうにか語るということの重要性が強調されていた。語りがたい出来事、語り損ねてしまう出来事、とどのつまりはいまだ象徴化されていない現実界の出来事=外傷を、どうにかして語る(象徴化する)こと。これもまた小説に関する言説としてアナロジカルに読み替えることができるが、そのときラカン派とは正反対のアプローチを仕掛けているようにみえる。物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとするラカン派的小説家と、出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとするオープンダイアローグ派的小説家——と書いていて気づいたのだ、オープンダイアローグ理論をアナロジーとして採用するのであれば、ダイアローグに参入する他者の存在に触れないわけにはいかない。この対比はいくらなんでも雑にすぎる。とはいえ、小説家のいとなみというものを考えるにあたって、「物語(象徴化されたもの)をかいくぐって出来事-外傷(象徴化されていないもの)にせまろうとする」と態度と、「出来事-外傷(象徴化されていないもの)を物語(象徴化されたもの)として語ろうとする」態度は、一見すると正反対のようにみえるが、実際はさほど遠くないのではないか? というかこの両者のせめぎあう運動——それがゆえにそのどちらもが十全に達成されることは決してなく、挫折を余儀なくされ、中途半端な癒着としての失敗に帰結せざるをえない——こそがほかでもない、「物語(全体性-象徴化)とそれにあらがう出来事(断片性-未象徴化)が同居するメディアとしての小説」——その価値はいかにあらたな失敗のフォルムを生み出したかで測られることになる——なのではないか。

  • 一時過ぎから日記。四月一五日分。なぜだかわからないが、書きぶりが結構軽くなってきたような気がする。それほど堅苦しく頑張って固めずに緩くやるような雰囲気。それに応じたのか口調も何だか軽いようになったが、このくらいの緩さでも別に良いだろうし、一応、軽いなりに文の流れ方はそこそこ注意しているつもりではある。
  • Bill Evans Trio, "Gloria's Step (take 1, interrupted)"(『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』: D1#2)を聞く。白銀的に静かで冷たい質感の曲で、LaFaroが作る曲には、"Jade Visions"もそうだけれど特有の冷たさがあるように思う。と言って、そもそもこの二曲しか彼の作曲を知らないわけだけれど。"Gloria's Step"は小節の区分がちょっと独特なのだが、EvansにしてもLaFaroにしてもまったく自然にその上に乗って泳いでいくので、どういう風に数えているのか、どこかで分割して考えているのか、それとも感覚的に身に染みついているのかよくわからない。
  • Horace Silver, "The St. Vitus Dance"(『Blowin' The Blues Away』: #2)を続けて聞く。管抜きのピアノトリオ。曲にせよ演奏にせよ小粒だと言うべきなのだろうが、このアルバムを入手した当初から、こちらは結構この二曲目が好きだ。ちょっと複雑な感じの陰影と言うか、ファンキー一辺倒ではない特殊な色合いや香りが漂っているように感じられ、Horace Silverの作曲にはこのような、明朗明快だけではなくすっと一筋縄では行かないような色味が織りこまれていることが結構多い気がする。とは言え、ソロ自体はファンキー・ジャズを代表するピアニストらしい、弾力的に転がり跳ねるような球体感覚が随所にはらまれている。