2020/5/14, Thu.

 連日傍聴席が超満員で、逐一報道された審理の最終四日目の三月一一日、バウアーは論告をおこなっている。彼は、事件にかんする報道が権威や権力に追従するドイツ人の目覚めるきっかけになることを願っていた。この裁判をつうじて国民に学習してほしかった。彼にとってレーマーにたいする懲罰は二の次である。実際、彼はその判断をはじめから裁判官たちに委ねていた。
 一時間におよぶバウアーの論告を、翌日の新聞は大々的に報道し、またその反響は大きかった。彼の論告は鑑定意見をふまえた総括的な内容となっている。その重要な箇所を、要約をまじえて伝えよう。
 彼は争点の国家反逆罪がはたして成立するのか、それを一九四四年の国家反逆の規定を挙げながら論破していく。

 四四年当時妥当していた刑法第八八条では国家の存立を危機におとしいれた者、第九一条第一項では外国政府と関係して国家に重大な損害をもたらそうとする者、第二項では戦時中敵国に利敵行為をしようとした者を、国家反逆者として死刑にするとある。だが抵抗者たちは祖国に尽くそうという神聖な意図をもって行動した。現にシュタウフェンベルクは「神聖なるドイツよ、万歳!」と叫んで死んでいったのである。そもそも七月二〇日には敗戦は決定的であった。この日にはドイツ国民はヒトラー政府に完全に裏切られていたのであり、完全に裏切られた国民はもはや反逆者の対象とはなりえない。敗戦がドイツに最悪の事態をまねくという認識が、ベックやゲルデラーの構想全体の出発点にあった。彼らは敗戦になることを知っていた。なぜなら全世界を敵にまわしていたからである。戦争を回避しようとし、戦争を早期に終結させようとしたのは、ドイツ人同胞の生命を救うためであり、ドイツにたいして世界中がいだく否定的な評価を改めさせるためであった。

 バウアーはさらに、ヒトラーの支配が正当なものであったか否かについて言及する。反逆罪が成立するためには「合法的な体制」が前提となるからである。

 「第三帝国」はその形式からすると、権力を不法に手中にした合法性を欠く権力であった。その権力を正当化する授権法には全投票の三分の二が必要であったが、違憲的手段で共産党議席を無効と宣言し、それを可能にしただけである。しかも四三年には失効するはずのものが、総統命令で延長された。だがヒトラーにその権限はなかった。ヒトラーとその政府は法的根拠もなくドイツに存在していたのである。

 この見地からすれば、もはや反逆罪は存在しない。バウアーは強調する。

 ナチスドイツとは、基本権を排除して毎日一万人単位の殺人をおこなう「不法国家」である。この不法国家にたいする「刑法第五三条にいう正当防衛の権利」は、誰にもある。また危険にさらされたユダヤ人たちに緊急援助をおこなう権利も同様であり、そのかぎりで抵抗の行動すべてが合法的である。不法国家に抵抗する権利すなわち「抵抗権」は人間に付与されている。

 「抵抗権」という言葉に、読者はなじみがないかもしれない。だがヨーロッパのばあい、フランス革命など市民革命において一般市民の行動を正当化したのが、この権利である。
 バウアーは《七月二〇日事件》についても、それが突飛な出来事ではなく、法制史のうえでも根拠のあることを、中世ドイツでひろく用いられた法典『ザクセン法鑑』(一二二五年)の抵抗権にまでさかのぼって説明する。彼は「国民と人間のもつ抵抗権の最高の表現」として詩人シラーの戯曲「ウィリアム・テル」(自由と独立を求めて圧政に立ち上がったスイス建国のシンボル)から「リュトリの場」を朗読した。

否、限界が専制権力にはある。
圧政に苦しめられている者がどこにも正義を見いだせないとき、
重圧が耐えがたくなるとき、彼は手をのばす、
上へ、泰然として天空に、
そして彼の永久の権利を取ってくる。(以下略)

 バウアーは論告をこう締めくくる。シュタウフェンベルクは、私がかつて学んだシュトゥットガルト人文主義ギムナジウムの同窓であった。生徒たちにはシラーの遺産を守りつぐ伝統があり、「リュトリの場」が演じられてきた。後年シュタウフェンベルクが「七月二〇日の同志たち」と事をなしたのは、この「古き良きドイツの権利」を先人が教え、それを心に刻んだがためである。
 (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民の勇気とは何か』中公新書、二〇一五年、241~245)



  • 一〇時二〇分に覚醒。窓外で父親が、何をやっているのか知らないが杭を地面に打ちこむような打音を響かせていたためにそれで目を覚ました。晴れ晴れしくまた清々しい青空。窓を開けて鳥の声を耳にしながらしばらく過ごしたあと起き上がり、首を伸ばしてから離床。
  • カレードリアを食べつつ新聞。文化面。感染症流行下における浮世絵表現、「疱瘡絵」や「はしか絵」なるものについて。その左には毛利嘉孝によるバンクシー評。毛利嘉孝という人は大学時代に一度だけその授業を取ったことがある。一年生のときだ。授業の題目は覚えていない。サブカルチャー論みたいなやつだったか? たしか文学部の授業ではなくて、わざわざ本キャンパスまで出向かなければならなかったのだが、なぜそんな面倒な授業を敢えて取ったのかいまとなってはわからない。少人数のゼミ的な感じの授業で、毎週持ち回りで発表していく形式だったのだが、入学まもない一年で何もわかっていなかったので、アイドルについて何かよくわからない糞みたいな発表をした覚えがある。しかもそれはたしか与えられたテーマからずれているという体たらくだったのだけれど、それにもかかわらず、同じく授業を受けていた一人の女性、何かギャルと言うか、むしろゴスロリ的な感じだったかもしれないが、ともかく金髪で化粧がやや派手な感じの女性から、発表内容の一部について(それがどんな論点だったかはまったく覚えていないが)、たしかにそうだなあと思いましたという言葉を頂いたことを覚えている。何回目かに津田大介がゲストで来て何か話をしたこともあったはずだが、結局この授業は最終的に切ったのだったと思う。津田大介の風貌はいまとまったく違いがなかった。たぶん昔の方がちょっと痩せていたくらいではないか?
  • 一昨日こちらがイオンで買ってきた大根のブロックの、断面の真ん中が青くなっていると母親が言い、切断してみてもなかまで青いという声が風呂を洗っているところに送られてくる。よく見れば良かった。山に捨てようと適当に答えておく。
  • 一一時半から日記を始めて一時過ぎに四月二七日を完成。やはりだいたい一時間半くらいは掛かるようだ。読み返しは二〇一九年四月一九日金曜日。YUさんとはじめてやりとりをしている。Twitterでフォローすると即座にあちらからダイレクトメッセージが送られてきたらしい。
  • 下半身が鈍くなっていたので運動した。Diana Krall『Live In Paris』を流しながらも窓は開けたままで、外からは父親なのか近所の誰かなのか、耕運機か何かを駆動させているような音が響く。柔軟は大事だ。肉体の感覚、その重さ、滑らかさ、しなやかさがまったく変わる。とは言え、開脚したり諸々のポーズを取ったりしながら静止してただ音楽を聞いていれば良いのだから、簡単で楽な話だ。
  • その後サンダルをつっかけて、陽と風を浴びようと外に出た。自宅からほんの少しだけ行った道端の石壁の上、林の縁に白い花房が垂れかかるように群れており、通りがかりにこれは何だろうと気になっていたのでちょっと眺めに行く。近づいて見てみればかなり微小な五弁花で、中心には黄色っぽい点があり、そこから蕊がいくつも伸び生えている、とそういう構成の花がこまかく群れ集まっていて、要は雪崩れる星屑的な様相の植物だ。それから林に接した敷地に移動すると、風が非常に盛んで絶えず分厚く吹き流れるが、そのなかに重さはまったくなく、あまりにもなめらかでかつ軽く、摩擦感を与えることなくするすると肌を流れ越していって、空洞的と言うか、言ってみれば大気の零度というような感じ。筍がもう相当高く背を伸ばしており、皮を一部脱いだ箇所では真新しく濃い竹の緑が現れている。まだ竹でもなくもはや筍でもない、背丈は高いがてっぺんの尖りもまだ目に入るという半端な時季の姿であり、何だかちょっと不思議な雰囲気。敷地の奥の方へと草を踏んで進み、沢と言うかほんの乏しい水流の脇へ。雨が降れば別だがいまは水音すらも立たないような他愛ない流れであり、その水の上にところどころ、鮮やかな真紅に染まった葉が落ちていて印象的な取り合わせだ。しかしそれがどこから来たものかまるで不明で、姿かたちや表面の質感としてはすぐそばに生えているサザンカのように見えないでもないけれど、そうだとしてなぜ赤くなっているのか。そのまま水路に沿って道の方に戻っていくと、蜻蛉が一匹現れる。初夏なので水路の内にも先日見たときよりも草花が多く茂っており、風は溝のなかにも入りこんでそれらをふらふら揺らすのだが、蜻蛉はそのなかの一つに止まった。そこをしゃがんで眺めてみると、青白いような風合いの細いからだに、濃い目の鼈甲色あるいは琥珀色と言うか、橙に近い赤褐色と言うかそんな感じの翅を添えていて、いま検索してみたところ、これがどうもシオカラトンボというやつらしい。しばらくすると蜻蛉は草を離れ、宙を渡って去っていった。
  • 上に書いた白い花の正体を探ってインターネットを調べてみた限りでは、ヒメウツギというやつが一番似ている気がするものの、確信はない。たぶんウツギの仲間ではあるのではないか。ウツギというのは卯の花のことらしく、Wikipediaによれば「古くから初夏の風物詩とされており、清少納言の随筆『枕草子』には卯の花と同じく初夏の風物詩であるホトトギスの鳴き声を聞きに行った清少納言一行が卯の花の枝を折って車に飾って帰京する話がある」とのことだ。それで思い出したのだが、今日だったか昨日だったかの日中にちょうど、今年はじめてのホトトギスの声を聞いた。
  • Mさんのブログ。二〇二〇年三月九日。柄谷行人『探究Ⅰ』からの引用、二四七頁から二五〇頁の記述。

 (……)どこでも、内省――すなわち自己対話=弁証法――から出発する思考は、その結論がイデアであろうと空であろうと、独我論(モノローグ)であるほかない。いうまでもないが、東洋のブッダ孔子も、そのような独我論をイロニカルに否定することによって、あるいは主客未分の純粋経験といった神秘主義をイロニカルに拒否することによって、ひとを《他者》に向かい合わせようとした。単純にいえば、彼らは「他者を愛せ」といったのだ。真理を愛することは、結局、それを可能にしている共同体(コミュニティ)を愛することである。ところが、《他者》は、そのようなコミュニティに属さない者、言語ゲームを共有しない者のことである。そのような他者との対関係だけが、彼らの関心事であった。
 (……)
 (……)神秘主義は、私と他者、私と神の合一性である。それは《他者》を排除している。いいかえれば、〝他者性〟としての他者との関係、〝他者性〟としての神との関係を排除している。そこにどんな根源的な知があろうと、私と一般者しかないような世界、あるいは独我論的世界は、他者との対関係を排除して真理(実在)を強制する共同体の権力に転化する。西田幾多郎ハイデッガーファシズムに加担することになったのは、偶然(事故)ではない。

  • 同日の記事にて、「法面」なる語をはじめて知る。「のりめん」と読むらしい。「大辞林 第三版」曰く、「切土[きりど]や盛土[もりど]によって造られた傾斜地の斜面部分」のこと。そこに猿がいたという話で、弟さんの証言ではしょっちゅう見かけるらしい。こちらの地域だってさすがに猿とは遭遇しないぞ。しかし、家のすぐそばの林に鹿が現れた前科はあるので、どっこいどっこいだ。
  • 続く三月一〇日、やはり柄谷行人からの引用。

 私はここで、「この私」や「この犬」の「この」性(this-ness)を単独性(singularity)と呼び、それを特殊性(particularity)から区別することにする。単独性は、あとでいうように、たんに一つしかないということではない。単独性は、特殊性が一般性からみられた個体性であるのに対して、もはや一般性に所属しようのない個体性である。たとえば、「私がある」(1)と、「この私がある」(2)とは違う。(1)の「私」は一般的な私のひとつ(特殊)であり、したがって、どの私にも妥当するのに対して、(2)の「私」は単独性であり、他の私と取り替えできない。むろん、それは、「この私」が取り替えできないほど特殊であることをすこしも意味しない。「この私」や「この犬」は、ありふれた何の特性もないものであっても、なお単独的(singular)なのである。
柄谷行人『探求Ⅱ』p.11)

  • 職場からメールがあり、一六日土曜日も正午から勤務を頼むとのこと。思っていたよりも早く労働の再開が来てしまった。仕方がない。普段の労働よりは楽だろう。

 

蓮實 『忿翁』などには、古井さんの日常がひそかに入ってくる感じがするんですが、『辻』にはそれも見えない。こちらも批評家という職業がら、いろいろな網をかけて読んではみるのですが、どうやら、この作品は、その網をすり抜けたところの方がすごいんだという感じがする。作家を必要以上に意識した批評家の読み方かもしれませんが、「ここまで、よくやりやがったな」っていうのが正直な感想です。これこれこういう小説だろうと思いながら読んでいくと、結局すり抜けられてしまう。それで、どうにも困ってしまいました。困ったっていうのは、大江健三郎さんもそうなのですが、まずそういう読みを強いてくる作家が同世代にいたということに対する、まあ幸福感かな。でも、こういう人にいられちゃあまずいぞ、という当惑感も否定できない(笑)。
 私は作品を読みながら、まったく無原則に作中の気になった言葉をノートする人間ですが、『辻』についてのノートを読み直してみると、十二篇の内、「白い軒」について一番たくさんノートをとっている。逆に一番短いのが「雪明かり」。

  • 以下は笑った。そりゃ蓮實重彦も、思わず「本当ですか」と言わざるを得ないだろう。

古井 書き手である著者が、なるべく話の背後にいて、企みによって話に破綻が出ないようにするのが、小説だとしますね。それからいくと、『辻』は、著者がしきりに話のほうへわたくしの情欲を注ぎ、もたせているところがあるんです。すんなりと通る話を書くことが、長年の小説家としての悲願なんですけどね。

蓮實 本当ですか(笑)。

古井 それが失敗する。仕事として小説の道に入ってから、いわゆる「小説」は自分には書けないということを、自分に対して強く言い含めて、それを前提にしてやっているんです。幸せな作品は書くまい、と。そのつど一歩どちらにしても足を踏み込むことによって、そのつど破綻から逃れるような小説にしようという覚悟ではつねにあったけれど、でもどこかで悲願はあったんです。長年ご奉公してきたから、今度の連作は、ひょっとしてすんなりとしたお話として書けるか、と。そういう気持ちでやったんだけど、そうはいかないものですね。

  • ほか、面白い箇所。

古井 少なくとも僕以上の年配の方に、すんなりとした小説を読んだという幻想を与えるべきじゃないか、そういうことで、作家としての義務を果たすべきじゃないかとは思うんですが、自分にはそれができなくていやになるんですよ。ちょっとすんなりとなりかかると、不協和音をたたいて、変なほうへ持っていく。

蓮實 でも、それが作家じゃないですか。

古井 うーん、二通りありますよね。やっぱり作家っていうのは、通俗性を担わなきゃならないっていう考え方が一方、僕はその反対で、本当の通俗性ならともかく、なまじな通俗性は排するという立場なんですね。余計人好きのしない道に入るところがある。今度はひょっとしたらって思ってやったんですけど……。

     *

蓮實 一つの作品は有限の言葉からなっているわけですが、それを十二篇読むと、無限には達し得ないにしても、ほぼそれに近い途方もない複雑さにおさまってしまうわけです。その複雑さのなかで見えなくなってくるものが、ことによると辻というものなのかな、とも思いました。あえて簡単に言ってしまうと、辻っていうのは、そこで立ち止まってもいけないし、行き過ぎてもいけないし、行き過ぎた場合には、そのことでなにか禍々しいことが起こるというような場所ですよね。

古井 そうです。

蓮實 そんな危険な一点をごく自然にどこにでもある場所を使って書いてしまうのは、やはり作家・古井由吉の、ほとんどイチロー的な美技だと思う。あの人は、外野のフェンス際でとった球を、地を這うようにして投げて本塁で刺す。それから、外野の塀をかけ上って捕る。誰も刺せないはずなのに刺すし、誰も捕れないはずなのに捕るでしょう。松井だと全部落とすわけですよね。イチロー的とも言うべき美技を、そのつどそのつど意識して書いていたら、胃に穴が開くんじゃないかと思う。穴開きませんでした、今回?

古井 そうね、でも言葉が助けてくれるんです。つまり言葉でできることしかやっていないわけですから。限界にきたら、言葉は拒絶しますでしょ。それには逆らわないほうなんです。

蓮實 言葉が拒絶するっていうことに気づかない人もいるわけでしょ。

古井 そうですね。

蓮實 それに気づくのはやはり健康な証拠ですか。

古井 健康だと思います。というのは、接近と回避の運動が、この年にしては確かなんじゃないでしょうか。自分のやり方は接近と回避で、回避するために接近し、回避がもう次の接近に向かう。辻っていうのは境でしょ。僕の使い方だったら、本当は決定的な境じゃなきゃいけない。それに繰り返しさしかかり、繰り返し通り過ぎる。境が境ではなくなってしまう。そこから、十二篇書いたんだと思いますよ。境が境となる小説を一篇目に書いてたら、もうそれでおしまいですから。

     *

蓮實 この『辻』という作品は、文壇的な用語からすれば、連作短篇です。ただ、連作短篇という言葉には収まり難い、風向きが同じであったり、匂いが同じであったりといった、ある同質性が全編を貫いている。とんでもない方向には向かないんですよね。これは、辻を決定的に通り過ぎて死なないための、作家の長生きのための戦略になるわけですか。

古井 戦略にはなります。短くとっても、そのシリーズを書き継いでいくための戦略ですよね。でもまあ、デビュー当時から、最悪の場合は金太郎飴になっても構わないという具合でやってますから。

蓮實 最悪の場合といっても、古井さんはご自分のキャリアで、最悪になった例しはないじゃないですか。

古井 なんとか凌いでいるというか、回避する、その運動神経はあるかもしれません。

蓮實 よく古井さんの作品は「衰退の文学」だといわれるんですけれども、衰退が書けるのは健康だからでしょう。だから古井さんの作品は、衰退は扱っているけれども、「衰退の文学」ではないと思っているのです。

古井 衰退して歌うことは出来るかもしれないけど、書くのは難しいと思います。

蓮實 そこで思うのは、古井さんという人は、言葉のなかで生きて、言葉とともに暮らしているけれども、言葉に対するフェティシスムだけはない人だということです。

古井 そう思います。この前、法政大学でドイツと日本の作家のシンポジウムがあって、僕がパネリストになった回のテーマが「フェティッシュ」というものだったんですが、みんなの話しているのを聞いても、フェティッシュという観念が、僕には一向にピンと来ないんですよ。
 フェティッシュなんて言われて、一番はじめに連想するのは、戦争中に機銃掃射かけられると破片が落ちるでしょ、それを財布に入れて自分の弾除けにした、そういうもんかな、と。自分の生き方に関わるようなフェティッシュ……わからない、実はね。

蓮實 私も、言葉に対するフェティシスムは、小説家にとってはいちばん愚かなものだと思っています。しかし、大作家といわれる人まで、みんなついやっちゃうわけじゃないですか。自分は、カラダという字はこのようにしか書かないぞという人は結構いるわけです。ところが古井さんの小説を見てると、「身体」と書いたり、仮名で「からだ」と書いたり、そのつど変えられている。その場その場で理由があるのかと思っていくつか調べたんですが、まったくないわけではないけれども、どちらかといえば、そこは突き詰めずに済むぞ、と思っておられる方だと思ったんです。

古井 そうです、ええ。

蓮實 確かに、「昏乱する」や「忿怒」といった独特の表記はあるけど、最終的には、書いてしまえばそれでいいと思ってらっしゃるんじゃないですか。

古井 本にするとき、用語、漢字を少なくとも一篇のなかでは統一してくれっていうくらいで、大概は書いたときのままで済ませてますね。

     *

蓮實 古井的な文体というものがあると思うんですが、これが実にまた定義しがたくて、普通に読むと、比較的息の短いところで「た」がきたりするのに、これまた「白い軒」になるんですけど、「白い軒」には、句点なしに八行から九行続く文章が三つもある。そのつど凄みがあるわけです。あえて長くする理由があるのかなと思うと、間接的な話法、つまり誰かが言ったことをもう一度誰かが要約してつなげていく、という理由はあるんだけれど、必ずしもそうせざるをえなかったというわけでもないらしい。こうした九行のような長文というものは、日本の作家にあってはよくないこととされているわけでしょ。

古井 はい。

蓮實 それを堂々とやってしまうのは、やはり佳境に入っているからですか?

古井 そうですね。それと、日本語のある特性が出るみたいです。日本語では、だいたい句読点というのはあってないようなものですから、これはかなり長い文章が綴れるはずなんです。そこは、ヨーロッパの言語のロングセンテンスとはまた構造が違う。それを普段は作者が戒めてるんです。ところが、たまりかねて、言葉のほうが勝手にやってしまう。特に長文になるのは、確かに間接話法、間間接話法のところで、それは、要するに書き手と話し手の齟齬に躓かないため、でしょうか。

蓮實 話し手っていうのは、作品の中の?

古井 そうです。それと書き手である著者。双方が必ずしもしっかりした足場にはいないわけですから、これをシンタックスから処理していくと、混乱してだいたい文章として成り立たなくなるんですよね。いたずらに接続詞を使わなきゃならなくなる。ところが僕には、日本語にとって、はたして接続詞っていうのは効く言語かどうかという疑問がありまして。

蓮實 それから関係代名詞は使っても意味がない、と思ってらっしゃいませんか。

古井 意味がないんですよ。

蓮實 前に古井論を書こうとした時の、テーマの一つが人称の問題だったんです。古井さんの小説では、「私」はともかく、「彼」、「彼女」という三人称の代名詞は執拗に避けられますよね。あれは、いつ頃からそうなったのか……初期作品には、「彼」、「彼女」があったような記憶があるんですが。

古井 何作かしかないと思いますよ。「彼」「彼女」を使ったのは、書き始めて一、二年ぐらいまでじゃありませんか。

蓮實 それはなぜと聞くのも野暮なんですが、なぜなんでしょう。

古井 「彼」「彼女」と書くときには、いわゆる物語作品にはなっていなくても、間接話法の域に踏み込んでるんです。けれども、僕の伝聞っていうのは、伝聞のまた伝聞でして……。

蓮實 伝聞の伝聞を「私」が書くというのではなくて、今度は「私」がないということですね。

古井 そうなんです。そのときに、人称をはっきりさせると破綻する場合が少なくないんです。つまり、「彼」「彼女」と括弧に入れても、ほとんど意味がない。人称に意味がないっていうのはどういうことかって、自分でも憮然として思うんですけれども。

古井 僕はドイツ文学の翻訳をやっていて、いつのまにか作家になった人間なんですが、ドイツ文学を訳している時に感じたのは、ヨーロッパの近代の散文っていうのは、告発と弁明の文章じゃないかということです。告発と弁明だから、関係を明瞭に出さなければいけない。その構造にのっとったものを日本語に訳すとき、日本語で告発と弁明の文章を書くと、ちょっと文学にならないところがあるんです。で、一時はそそっかしくも、言ってみれば日本の文学は、呪術、呼び出しの文学だなんて思ったことがあるんですけど、やはり僕には、巫女みたいにしてものを書くことはできない。物語っていうのは本来、書き手が失われることだろうと思う。

蓮實 過去30年くらい、欧米の文学理論を席巻したナラトロジーというのは、結局小説を物語として捉えてその構造を分析するわけですが、語り手、ナレーターという言葉がかなり重要な意味を持ってきてしまう。だれが語っているか。その言表の主体を客観化せよと。ところが日本の小説、これはほとんど樋口一葉からそうなんだけれども、言表の主体を客観化できないところから語っているわけです。

古井 はい、客観化できませんね。

蓮實 ひょっとしたら、ヨーロッパの小説も実はそうなのかもしれないというふうに、最近では思っているのです。ナレーターの問題を突き詰めると、ヨーロッパの文学においてすら、解決できない問題が出てくるんじゃないか。どこかで無人称の主体のようなものを想像しないと、実はヨーロッパの近代小説も語れないのに、ヨーロッパの文学理論家たちはきわどくそこのところを避けている。

蓮實 その問題と古井さんのこの小説がどの程度重なっているかはわからないけれども、『辻』のなかの最初の一篇「辻」の冒頭部分、「何処に住んでいるのか。誰と暮らしているのか。そして生まれ育ちは――。/構えて尋ねられたくはないことだ。答え甲斐がないようにも思われる。/現住所は尋ねられれば差障りのないかぎり教える。手紙や書類にも欠かすわけにいかない。あちこちに登録されている。一切届け出ることのできぬ境遇に追いこまれれば、人の生き心地は一変する。しかし住所を書きこむ馴れた手が途中で停まりかける。にわかに、知らぬ所番地に見えてくる。ほんのわずかな間のことだ。既知が昂じると、未知に映ることはあるものらしい。」とあって、これは、言表行為の主体が確定できない。「誰が」と問うてはいけない、と古井さんが言っているように思うのです。

     *

古井 (……)『辻』では、なまじ第三者的な人物を表そうとしただけに、余計に登場人物がインディビジュアルでは必ずしもない、そういう僕の傾きが強く出た、とは思ってます。

蓮實 すると、その古井さんの傾きについて二つの見方が出来るような気がする。一つは、そのような主体の曖昧さに拘泥しているのは、ある種の日本文学の文脈にずるずるべったり居直っているんじゃないか、という考え方。もう一つは、先ほどちょっと申し上げた、ヨーロッパ近代小説も実は持っていたかもしれない無人称を小説に取り戻すための、いわば犠牲者として演じている演技なんだぞ、という考え方。僕はそうは思わないけども、最初の見方をとれば、日本語には主語はない、だから自と他の識別がし難く、古井はそこに逃げたな、と捉えられても仕方がないとも思うのです。

古井 そう捉える人はいるでしょう。

蓮實 そこは、古井さんのご自身の気持ちとして、そうじゃないんだぞと言えるのかどうか。これは作品が答えているといえばいいのかもしれないけど、ちょっとそこを伺えますか。

古井 僕は50歳を過ぎてから、日本の古典文学をあえて読まず、あらかた横文字を読むようにしてきました。それで、いろいろ考えたんですが、言表主体というのは、これは近世ヨーロッパに近代語が定まっていく過程で、おそらく法律関係、裁判というものを通して出てきた考え方じゃないかなと思うのです。告発側と弁護側に、両方とも言表主体がはっきりしなくてはならない。だから、ヨーロッパの近代語は、言表主体っていうものにこだわらざるを得ない。そしてまた、その話し手と書き手の関係が、非常に安定していた時代と、安定がはずされた時代があるということが見えてくる。安定がはずされると余計に言表主体と、現象学にこだわるようになる。それで、だんだんにものが表現しがたくなっていくんじゃないか。

蓮實 ええ。

古井 それから、古代ギリシア語のほうに深入りした。ギリシア語は、言表主体が曖昧とは言えないんだけど、不定詞や分詞を多用するでしょう。なんでここで不定詞や分詞の構文を使うのか、というところで使われる。つまり文章全体を見れば主語が何かははっきり定まってるけれども、どうも文章の過程で、主語が拡散していることがある。当時の人々はこんな文章を読んで、論理的に把握できたのか、と思ったときに、ああ、おそらく読んではいなかった、聞いていたのだろう、と気付いたんです。

蓮實 うん、そうだと思う。

古井 僕が、ギリシア語をいくらやっても、なかなかすんなりと理解できないのは、あの長短、高低のアクセントの、リズムに全然のってない。はっきり言って、近代ヨーロッパ語に翻訳しながら読んでるようなもんです。読書でも、行き詰まりっていうものがありましてね。そのギリシア語の行き詰まりの最中に、『辻』を始めたんです。あの不定詞的な用語をもっと膨らませたら、語り手と書き手との間の関係が、もう少し楽になるんではないか、とそんなことを思いながら書きました。

蓮實 楽になるというのは、どういうことなんでしょう。

古井 闊達になるといったほうがいいのかな。

蓮實 小説というものは、そこにしか生まれ得ないという感じでしょ。それは古井さんが書いておられるものに限って、ということなのか、それとも小説全体についての話なのか。

古井 ここはもう、言表主体ってことにこだわればこだわるほど、文章にこわばりが出てくる。

蓮實 なるほど。

古井 ちょっとしたものを、書けなくなってしまうわけです。つまり、客観的なことを語っているような文章でも、実は、「I say」とか「He says」とかが省略されてるんだと、そこまで考えてしまうんですよ。それに比べると古代ギリシア語の「エゴ」はとっても強くて、「I say」だから、言表主体をきちっと強く主張してるように見えるんだけど、読んでいるとどうもそうじゃないみたいなんです。つまり、神々がそう言っているとか、習俗がそう言っているとか、そういう感じがするんですよ。

蓮實 非人称的な集合性、みたいなものがありますよね。

古井 そうなんです。

蓮實 でも、古井さんのものには、そのような非人称的な集合性を、民俗学的に適用したものではないぞ、という強みがあるわけでしょ。

古井 それは違います。

蓮實 一時、そういう集合的な非人称性がはやったんだけれども、「俺が書くときにその問題を超えるぞ」ということで、民俗学的な方法をとっているわけではない。表面上は『辻』にも、「おこもり」であるとか、「役」の祖母が口にする「トキノケ」とか、我々が無意識に持っている、民俗学的な儀式というものを取り上げておられる。ただしそれは、人称性を低めるためのものではない。単に集合的ななにかではなくて、それは最終的には「始まり」のように、男と女に行き着く。しかも、それは精神分析的な男と女の関係とは違うところに、男と女を立てたいという強い意志を感じて、誰も理論化していないことを書いているように思える。

古井 そうですね。

蓮實 確かに『辻』において、固有名詞による人称性は他とは識別し難いけれども、それでも男がいて女がいるというのはわかる。『辻』という連作短篇全体を、仮に名づけておいたいくつかの人称代名詞を持っているものたちが成り立たせる世界だとすると、最後に、「始まり」に至って、その仮につけていた姓なり名なりを放棄しても、自分は立つ、というそのような強さを感じたわけなんです。これはだから、いわゆる日本的な曖昧さというものでは全然ない。そこを勘違いされると困ると思うんですけれども、ある作中人物を「男」と呼んでしまうというのは、作家としての賭けみたいなものでしょ。

古井 ええ。

蓮實 ただその賭けを、人はそのとおりに理解するとは限らないという問題があって、世間の中にいて、古井さんは居直っておられるのか、どこかで世間に対して手を差し伸べようとしておられるのかっていうのは、ちょっとわからない。僕にはもう、作家としての感動的な居直りとしか見えないんですけれども。世間ではやれ「古井文学は衰退を描いている」とか、「死に近づけば主体と客体は消えるだろう」とか、そんなふうに簡単に考えているんだけれども、これはもっともっと考え抜いた末の、驚くべき方法的な賭けであって、読んだばかりだからかもしれないけども、今度の『辻』はおそらくいままでの最高傑作じゃないかと思った。なぜ最高傑作かというと、徹底して方法的なんですよね。恐ろしいほど方法的なのに、その方法がなんであるかを我々がすぐには読めない。これは読者として、斎戒沐浴してからでないと読んではいけないぞ、という感じがするわけです。

古井 話として立つか、小説として立つかではなくて、書くということが成り立つかどうかっていう地点に来ているんでしょうね。まあ、異様に不安定なとこで居直っているわけです。書くことが成り立ったと言っても、刻々ですから。部分部分で、刻々書くことが成り立っている、ということを理解してもらえればいい。そうすると、もう一つ問題が出てくるんですよ。僕のほうは「書く」でしょう、読者は「読む」でしょう。この「書く」と「読む」が対応してくれるかどうか。これが実は苦しいところで。だから、『辻』の成果は自分でまだわからない。

蓮實 たとえば、「草原」の中で安居という男が智恵という女に、松山という知人を「あなたが殺したのではないの」と言われますね。殺めたのか殺めてないのか、その問いは「割符」などにも出てきて、『辻』のいろいろなところに浸透してるんだけれども、書き方として、殺めたというふうに読めとは指定していない。

古井 してません。

蓮實 すると、何でも黒白つけたがるこのご時世、読者には、殺めたのか殺めてないのか本当のところどっちなんだという問いが生まれると思うのです。

古井 僕のほうとしては、過去に人を殺めたという場合の下敷きと、殺めてないという場合の下敷きの両方を用意するんです。けれど、作品の中ではどちらの方向も示したくない。未定の状態で、両方が際どく継続してるっていう、そういう様相で書き進めようと思うんですね。だから、二通りの小説を下敷きにして、最終的にはそれを破ってしまう、そういう書き方だと自分では思ってます。

     *

蓮實 でも二通りの小説を下敷きにして、それを破るようにして書くというのは、これは非常にやばいことですよね。

古井 そうなんですよ。

蓮實 つまり見ろ、と言っておいて、見るな、と言っているのとほとんど同じですから。そして、それはまた辻っていうものがそうなんです。通り過ぎればいいのか、まだ通り過ぎてはいけないのか。読んでいくと、決定的に辻で立ち止まってしまっては駄目だということだけはわかるのですが、辻と呼ばれるものの場も、あるときは四辻であったり、あるときは三叉路であったり、鉤の手が曲がったようなというものや、複数の道が交差してるケースもある。

古井 はい。

蓮實 そのつどが異なる辻であって、総称されていない。つまり、人が別の形で呼ぼうとすれば呼べるかもしれないものをあえて辻と呼んでおられる。そうすると、私も幾分そそっかしい読者であるから、辻は象徴であろうかと思ってしまうわけです。もちろん象徴ではないということを考えつつも、読んでるときは、古井由吉という名前を私は忘れますから、この作者は、書いていることによって、この空間的な一点と思われているものを、なにかの象徴であるかのように書いているのかと、つい考えます。もう一方で当然、象徴であってはならない、であるがゆえに何度も出てくるんだ、という考えにも至るんですが、そこで私は、ある程度悩むわけです。この反復性は、あるものを強調しているのか、その内実をゼロにするためなのかと。それで私のたどり着いた読み方は、ゼロ地帯としての辻というものなのですが、それじゃいけないんでしょうか。

古井 少なくとも、象徴にはしたくなかった。ぎりぎり、刻々の反復の形を書きたかった。そして、この作品全体にわたる疑問のようなものを押し出した、それが辻なんです。象徴にしたら、この作品ははやくまとまってしまうのじゃないですか。

蓮實 象徴でないがゆえに反復されなければならないし、それはそのつど修正されなければならないし、そのつどの修正が決定的な輪郭には収まらない、ということですよね。

古井 ええ。せいぜい、ゼロにまで戻すというか、ゼロがまたなにかを生んで反復していく。

蓮實 もう一つ考えたのは、辻というものが、たとえば『円陣を組む女たち』の円のような意味で、抽象的な図形かと思うと、これがまたそうじゃないんですね。むしろ、そのような図形性に収まろうとするときに、一陣の風が吹いて、時間のほうに押し流してしまう。

古井 はい、そうですね。

蓮實 現在というものはあまり見えず、まだ見てはいない未来が過去に見えたり、自分が知らない過去が今に投影されてしまったりと、時間というものが拡散してしまう。

古井 いろいろ見える。見えるがかえって見えない。見てる自分が見えない、いない、ということです。いないというのは、また至るところにいることかもしれない、とも採れる。

蓮實 明視が極まると不可視にいくといった言葉や、既知が昂じると未知に映るといった言葉も書かれていますが、これも、やっぱりダブルバインドと読めないこともない。見てはならぬし、見なくてはならぬ、と。それから、通り過ぎなくてはならないけれども、通り過ぎてはいけない。これは、ことによると我々が言葉に対して持っている姿勢そのものなのかな、という気がするんですね。

古井 それもありますし、僕が文学作品を読むときの、受け止め方でもあるんです。どの文学作品も僕にとって、見ろ、見るな、と同時に言ってる。ここを通れ、通るな、と同時に言う。僕はそういう読み方しかできない人間なのかもしれない……。

蓮實 最近、ある一冊の書物を読了するということがとてもはしたないことに思えてきましてね……。

古井 そうそう、わかります。

蓮實 若いときには言うじゃないですか。『特性のない男』読んだぞとか、『失われた時を求めて』読んだぞとか。実は全然、読んではいない。

古井 年月隔てて読み返したときに、それを感じます。

蓮實 『忿翁』の「八人目の老人」の中の「霧と氷雨に閉ざされた巴里の陋巷で姿かたちのそっくりな老人につぎつぎ、七人まで出会うという、ボードレールの詩についてたまたま話していた時のことだ。」という一節だって、最近読み直さなければ出てこないものでしょ。

古井 出てこないです。

蓮實 ということは、我々の年齢と関係があるのかな、という気もするんですが。

古井 年を隔ててある本を読むと、すっかり忘れてるってこともある。前に読んでないんじゃないかと思って読むと、自分の書き込みに出会うことがある。

蓮實 線なんか引いてあったりするんです。

古井 あれ気味悪いですね。幽霊に会ったような。さっと、そのそばを通り過ぎていくわけだ。

蓮實 だから、読み終えたとは言えないという実感をずっと持っていたんだけど、それでも今回の『辻』ほど、読み終えなかった、という実感が強かったものはないんです。「狂いと隔たり」という文章を書かせてもらった『白髪の唄』については、錯覚にしても自分なりに読み終えたと思ったんです。ところが、『辻』についてはいくらノートをとっても、結論めいたことを書き付けても、読み終えたと思えない。別にこれは音楽のように循環形式があるからついには読めないとか、そういう話ではなく、原理として読めないことがついに小説の形になって、目の前に現れてきたぞという、不気味な感想を持ちました。こんなことを作家は許されるのかという気持ちにもなったんです。

古井 書き手のほうとしては、今度は読みきれる小説を書こうか、と思って始めたのに。

蓮實 それは業ですよ、そんなことは古井由吉にできっこない(笑)。

     *

蓮實 大江さんが最近よく「老人の愚行」って言っておられますが、古井さんの『辻』は、もう愚行の極みじゃないですか。こんなことされちゃ、読むほうは始末に負えない。

古井 書くほうも、こんなことして始末がつくのかどうか、と思いながらやりました。

蓮實 「新潮」にほぼ連載形式、三月やって一月休むというペースで十二篇、約一年お書きになったわけでしょ。それで、これを終わらせることができると思うものは、なんですか。先ほど引用した「始まり」の冒頭の段落、十二行が、たった三つのセンテンスにおさまっている。これはやっておると、こちらは震えるわけじゃないですか。

古井 作品を書いているうちに、季節が流れるわけですよ。季節のめぐりが、終わりを保証してくれるっていうもので、ああまた夏になったから、これでおしまいだ、と。それぐらいで、終わってもよろしいっていう保証はないんです。季節感覚でしめくくってる。

     *

蓮實 最後に伺いたいのは、長篇小説についてなんですが、たぶん、古井さんのなかには長篇小説というアイデアがないんじゃありませんか。

古井 ないですね。

蓮實 言葉の配置が、たぶん成立しないんじゃないかと思うんですね。

古井 かもしれません。構想したこともないんですよ。

蓮實 でも、ムージルブロッホの長篇小説を訳しておられる。

古井 そうなんですね。それで懲りたかな、そうでもないんだろうけど(笑)。でも、僕の訳した長篇小説は、スタンダールバルザックのを長篇小説というならば、ロマンではありませんから。

蓮實 いわゆる十九世紀的なロマンではないという点では、むしろ古井さんに近いのかもしれませんが。

古井 なぜだか、長篇小説を構想したことがないんです。だから、書きおろしの話には、のったことがない。

蓮實 ロラン・バルトは、小説を書くことを夢としながら、結局、書かなかったんですけれども、それは多分、長篇小説の構想というものが、いわば途方もなく不自然なものだということを感づいてしまった書き手が、無意識にとった行動だと思うんです。彼は二年間、コレージュ・ド・フランスで、〈小説の準備〉という講義をして、小説に使われるかもしれないいくつかのエピソードを、日誌風にごく短く残した。それを読んでみると、とても長篇小説にはならない、ということは明らかなんです。
 ことによると長篇小説というのは、人になにかを強要する下品なものなのかもしれない。厚顔無恥なものかもしれない。
古井 あるいは長篇小説の代表は、ディケンズかもしれない。僕なんか、いつも書くことの破綻に迫られながら一行ずつ書いてるから、一息の長篇小説なんて構想しにくいんですね。だいたい言葉が持つかどうかわからない。

蓮實 しかし奇妙なことに、古井由吉は、短篇作家とも思われていない。

古井 思われてないです。

蓮實 ですから、たとえば、志賀直哉みたいに、短篇小説で一冊の本ができる、というのとも違うわけです。

古井 違います。まああの手の短篇集というのは近代日本文学が開拓したもんなんでしょう。その仕組みを僕は、拒絶してますからね。日本の近代の短篇で、多少参考にしようかなと思うのは嘉村礒多ぐらい。あとは参考にならないから尊敬してればいい、と思ってますよ。

蓮實 私は、太宰治という人が読めないんです。どう読んでも、この下品さは文学ではないと思ってしまう。つまり、読者に対して釣り針をいろいろ広げている気がしてしまう。それから、古井さんが競馬がお好きだというのでふと思いだしたのですが、織田作之助に『競馬』っていう短篇があります。しかし、これも下品極まりないものだと思いました。あの時代の人たちが、どうしてああいう短篇を許容し、しかも織田作之助を短篇の名手などというふうに言ったのかが僕はわからない。

古井 僕も太宰は短篇の名手だと思えないんですね。もし魅力があるとしたら、仕掛けながら釣りぞこなうっていう、この釣りぞこなうことの変な気前の良さね、それは面白いと思う。ただ、蓮實さんが、先ほどひょっとして長篇小説は下品なものじゃないかとおっしゃったことで言えば、日本の、いわゆる鮮やかな短篇小説ぐらい下品なものはないんじゃないかとも思うんですよ。

蓮實 なるほど。

古井 芸人の芸だと割り切ればいいのかも知れませんがね。ただし、近頃の評論では、上品、下品っていう言葉は禁句かもしれませんし、また深刻に考えると、文学は上品なものか下品なものかっていう問題もあるんですね。

蓮實 まあ、下品だったから生き延びてきたんだ、ともいえますね。バルトが書いているんですが、フロベールプルーストも好きな作家だ。しかし、彼らの文章には、たとえば男女が交わるときの肌の赤味のようなものがまぎれこんでいる。マラルメにはそれがない。マラルメだけが自分の肌の色を制御できると言っているのですが、しかし、それを制御しつくしたらおしまいでしょうね、文学は。

古井 そうです。マラルメというのは、僕に引きつけていうと、詩にしても詩として成り立っているかどうか、疑問ですよね。でも、そういうものばかり読んできたわけです、僕は。

  • 夕食には野菜スープを作った。玉ねぎ、人参、大根に鶏のささ身。コンソメとうどんスープの素と即席の味噌汁の余りで味つけ。あまりぱっとしない味だったが、最後に葱をおろして醤油を少量加えるとぐっと美味くなった。ほか、コンビニの手羽中などを合わせてはやばやと食事。食後に散歩に出て、今日は十字路から下の道にくだって短いルートを取り、八百屋及びAくんのお母さんに逢ったが、詳しく書くのは面倒臭いので省く。
  • Wikipediaで「ジル・ド・レ」の記事を閲覧。「1429年のオルレアン包囲戦でジャンヌ・ダルクに協力し、ラ・イル、ジャン・ポトン・ド・ザントライユ、ジャン・ド・デュノワ、アランソン公ジャン2世、アンドレ・ド・ラヴァル、アルテュール・ド・リッシュモンらと共にパテーの戦いに参加して戦争の終結に貢献し「救国の英雄」とも呼ばれた」。一四二九年九月のパリ包囲戦以後、所領に引き下がってからは、「(……)湯水のように財産を浪費し錬金術に耽溺。財産目当てのフランソワ・プレラーティら詐欺師まがいの「自称」錬金術師が錬金術成功のために黒魔術を行うよう唆したことも加わり、手下を使って、何百人ともいわれる幼い少年たちを拉致、虐殺した。ジルは、錬金術成功という「実利」のためだけではなく、少年への凌辱と虐殺に性的興奮を得ており、それにより150人から1,500人もの犠牲者が出たと伝えられている」
  • ジル・ド・レが主題となった文章としてはバタイユが『ジル・ド・レ論―悪の論理─』というものを書いているらしく、ミシェル・トゥルニエも『聖女ジャンヌと悪魔ジル』を、ユイスマンスも『彼方』を著している。佐藤賢一の『傭兵ピエール』も挙がっていたが、これは昔、まだ文学方面にまったく触れていない頃、おそらく高校生の時分かと思うが読んだことがあり、結構面白かった覚えがある(たしか漫画化もされていたと思う)。佐藤賢一西洋史を題材にしてそこそこ面白い物語をたくさん書いている人で、当時は気に入ってほかにもいくつか読んだはずだが、だいたいどの作品にも情事の描写が含まれていて、そのときはこちらもまだ初心な少年だったので、この性描写いらなくね? 必然性なくね? とか思っていた記憶がある。


・作文
 11:33 - 13:08 = 1時間35分(14日 / 4月27日)
 16:24 - 16:54 = 30分(14日)
 20:47 - 21:27 = 40分(4月28日)
 22:16 - 23:25 = 1時間9分(4月28日)
 計: 3時間54分

・読書
 13:40 - 13:50 = 10分(日記)
 14:39 - 16:19 = 1時間40分(ブログ / 古井・蓮實)
 24:49 - 25:42 = 53分(Wikipedia
 計: 2時間43分

・音楽