2020/5/16, Sat.

 (……)足もとの街は死んだように静まりかえり、曖昧で神秘的な色がかなたに、海のように果てしなく広がっているだけだった。動きの止まったこの沈黙の世界で、街と海と丘が一体になったように見えた。まるで風変わりな芸術家がかたどって彩色したひとつの素材が、街灯の黄色い点を結ぶいくつもの直線によって切断され、分割されているようだった。
 その色は、月の光によって変化することはなかった。風景の輪郭はより明確になってはいたが、光を放たず、光のヴェールで覆われていた。表面は動かず、純白に包まれていたが、その下では、くすんだ色が麻痺したように眠っていた。ときどき永遠の運動をかいま見せる海でさえ、水面の銀色とたわむれながら、その色は沈黙して眠っていた。丘の緑、家並のさまざまな色は褐色に染まり、外の光は吸収されることなく分離され、大気に満ちる放電のように白かった。それは、どんな色も溶けこんでいない純粋な色だった。
 (イタロ・ズヴェーヴォ/堤康徳訳『トリエステの謝肉祭』白水社、二〇〇二年、21~22)



  • 九時覚醒。出勤前に音読をすることができた。わずか八分だけれど柔軟もした。よろしい。
  • 久しぶりの労働は紺色のベスト姿。scope "太陽の塔"を歌ってから部屋を出る。これは良い音楽である。サビの、「嘘を重ねて苦しむくらいなら 僕に優しくなんかしなくても/いいじゃないか/罪の涙を流すくらいなら 僕のことなんか忘れてしまっても/もういいよ」という詞は好きだ。メロディとリズムとの結合もうまく行っており、スローテンポでの一六分シャッフルの譜割りが嵌まっている。
  • 出発。さほどの厚みや勢いではないが、雨降りなので傘をひらいて行く。先日のヒメウツギらしき白の小花が、坂道の左側、林の一番外側の茂みにも生えている。街道まで来ると濡れた路面に空の白さが映りこんで、定義矛盾だが不定形の軟体的な氷のように張られ広がっており、その源泉である真白い空に差異はちっともはらまれていない。
  • 駅前で、駅舎の二つの入口のあいだにある自販機の前に止まる。オンライン授業やりたくないでござるというわがままを聞いてもらったので、一応お礼として室長に飲み物と菓子でもあげようと思ったのだ。とは言え何の飲み物にすれば良いかよくわからず、何かコーヒーの類をわりと飲んでいるイメージがあると言うか、本人はもしかしたら飲んではいないかもしれないが、いままでこちらをねぎらってたまにプレゼントしてくれた飲み物はいつもカフェオレとかコーヒーの類だったので、そういうものが良いのかなとも思ったものの、結局、茶が嫌いな人間もあまりいないだろうということで緑茶にした。それからわずかに移動して今度は菓子を売っている自販機の前に立ち、ここはまあチョコレートで良いかというわけで、「アルフォート」を一箱買って職場へ。
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  • (……)そこに室長が、(塾の授業で)数学はやらなくて済むようになるよという情報をもたらした。AIが導入されると言うのでマジすかと笑い、ちょうど出勤してきた(……)先生にも、いま聞いたんですけど、何かAIが導入されるらしいっすよと伝えると、彼女は既に知っていたようだった。私とか、いらなくなっちゃいますと言うのでこちらも、やばいっすね、仕事奪われちゃいますねと口にしながらも危機感ゼロでへらへら笑い、何だかんだ言って塾業界は残ると思ってました、やっぱり教えるのは人間じゃないと駄目だよね、みたいな風潮が残ると思ってましたと言うと、室長曰く、代々木だったか河合塾だったか城南だったか忘れたがそのあたりはもうとっくに導入しているし、講義動画を提供したりもしているらしい。そう考えると、やる気のある生徒ならばわざわざ塾に通わなくともそういう動画やAIなどを自ら活用して勉強に励むことができるわけで、学習塾というものの必然性は今後どんどんなくなってくる。また、塾に所属して講師に教えてもらうとしても、オンライン通信技術も今後さらに発展していくはずだから、やはり教室という場にわざわざやって来て直接対面する必要もなくなってくるわけだ。だからおそらく塾というものも今後衰退していくのではないかという気もするし、少なくとも対面授業という形式は、完全になくなりはしないかもしれないが、たぶんメインのものではなくなっていくのではないか。そうするとわりとアナログなほうの人間であるこちらにとっては、何だか退屈で面白くもなさそうな世になりそうだ。
  • とは言え勉強なんてそもそもAIだの動画だのがまだない時代でも、知識を頭に取り入れるという点に限れば、やる気や能力のある人間なら教科書などを読んでいくらでも自主的にできたわけで、わざわざ講師が喋るのにただ知識を伝達するだけで、つまり教科書の不完全な代用に留まるのだったらそんな授業はクソつまんねえに決まっているわけで、これは大学の一方的な講義形式とかを考えれば多くの人にとって体験的によくわかることだろう。登壇者が一方向的に話すだけの講義なんていうものは、その登壇者に優れた語りの能力がない限りは基本的にクソつまんねえわけで、集団にせよ個別にせよそんな授業をやっても大した意味はない。ではそこで講師にできることは何なのかと言うと、一つにはこの数日後に通話した(……)さんも言っていたように、知に対する欲望を相手に注入し一種の転移関係を形成するということで、平たく言えば、あの先生の話面白い、あの先生ともっと話したい、あの人の話をもっと理解できるようになりたいというような「憧れ」を生徒のうちに涵養させるということだろう。じゃあ次に具体的にどうすればそれが達成できるかと言うと、それはやはり一つには面白い話をするということになるのだけれど、面白い話というのは要するに一つには、それまで生徒たちの頭になかった物事の組成を示してあげるということになるのではないか。つまり、教科書が語る物語を踏まえつつも、それとは別のより魅力的な物語を語ってあげるということだ。教科書の提示する物語なんてだいたいクソつまんねえということは生徒たちももう大方わかっているわけで、だから教科書=マニュアルにただ沿っているだけでは授業なんてどうあがいたって面白くなるわけがない。そこで、教科書にはこう書いてありますけど、これは実はこういうことと繋がっているんですよ、こことここを組み合わせるとこういうことが見えてきますよね? とか、あるいは逆に、教科書だとこれとこれが繋がっていますけど、こんなものは実際は切り離すことができるんですよ、とかいう形で、生徒たちがそれまで考えたことがなかった物事の接続/切断の仕方を示し、つまりは彼らの脳内にある世界の組織図を解体/再構築して新たなネットワークの姿を描いてあげるということが必要になってくるはずだ。これが批評であり、思想であり、教育である。具体的な例を挙げるならば、以前(……)くんの英語を担当していたときに、Many people speak Spanish in America. みたいな文が出てきて、アメリカなのに何でスペイン語なの? と(……)くんが訊いてきたので、アメリカの南にはメキシコという国があってそこからの移民にスペイン語を話す人が多いこと、そもそも南アメリカという土地はかつてヨーロッパから海を渡りスペイン人が進出(という語を一応使っておいたのだが)してきて植民地とされていた歴史があること、そのあとでスペイン本国から独立して南米の国々ができたのだということをかいつまんで話すと、(……)くんは、じゃあそれって、日本のなかで沖縄とか北海道が、俺たち日本じゃなくて沖縄だから! って言って独立するのと同じじゃん! と言ったわけだ。これはまさしくその通りであり、そこに思いが至ったというのは、とても素晴らしいと言わざるを得ない。この話が(……)くんにとって果たして面白いものとして受け取られたかどうか、それはわからないが、少なくとも、アメリカ→メキシコ→南米→スペイン→日本に翻って沖縄、というこうした一連の接続図を提示してくれる人間は、彼の人生においていままでいなかったはずだし、おそらく中学校にもいないと思うし、つまり正規の学校教育のなかで子供たちがこのような物語を聞く機会というのは、たぶんそれほど多くはないと思われる。だから(……)くんも、この話に多少なりとも新鮮味のようなものを感じてくれていたら良いと思うのだが、このようにマニュアルからいっとき浮遊して、何らかの意味でその外の世界を垣間見せるような話がたぶん一つには「面白い話」と言えるのではないか。おそらく多くの人が体験的に納得できるはずだと推測するのだけれど、学校の授業を受けていても後年記憶に残るのは、授業本篇から外れたそういう脱線的な話のほうが多いはずだ。つまり記憶に値するほどの印象を人に与えうるのは物語の反復ではなく、日常的に反復される物語からひととき逸れた細部なのだ。これがすなわち、余白であり、差異である。それを活用しながら、学校なんていうところはクソみたいに狭くてつまんねえ限定的時空に過ぎず、その外にはろばろと存在しているこの世界はまさしく無限とも思えるほどに広く深く豊かで汲み尽くしがたいものなんですよ、ということを一抹理解させ、ひとかけらでも実感させるということが、おそらく一つには意味のある教育というものだろう。
  • 生徒に「憧れ」を喚起させて知への欲望を注入するという話に戻ると、だから教師というものも、それが有効に機能するためには一種のアイドルみたいなものでなければならないということにもしかしたらなるのかもしれないが、そういうときに重要なものとしては、話の内容は当然としても、そのほかに言葉遣い、身振り、表情、声色、相手に対する応じ方、など諸々の装飾的諸要素があるわけで、時と場合と相手によってはむしろ、記号内容よりもこれらの記号表現のほうが重要ですらあるのかもしれない。つまるところ、最終的にはやはりどうしても、講師が総合的・全人的様態として放つ人間的ニュアンスが試されるということで、AIだの何だのが勢力を振るうであろう今後の世の中でそれでも古典的な直接対面形式に何がしかの力を見出そうとするならば、いま目の前に一人の人間が現前しているというそのまざまざとした具体性に、それが反動的だとしても、ひとまず立ち戻る必要はあるはずだ。そして言うまでもないことだが、教育の場で現前しているのは講師だけでなく生徒もまたそうなのであって、少なくとも個別指導においては生徒の寄与と貢献がなければ授業という時空が正しく優れた意味で成り立たないことはあまりにも自明である。彼ら彼女らがこちらの話や言うことを聞いてくれなければ、授業などというものは即座に崩壊するのだから。したがって、教育という営みが退屈極まりない教科書の代用以上のものであるべきだと考えるのならば、不安定ながらもそこに成立しうる相互性に依拠して、それをどのように組み立てていくか、どのように組み変えていくか、どのように操作していくかという具体的な技術の検討が必須である。結局のところ、教育だの何だの言ってもそれはやはり人間と人間とのコミュニケーションだといういささか反動的な地点に回帰してしまうわけだが、そのコミュニケーションはもちろん多くの場合で対称的とは言えず、またおそらくは根本的に抑圧をはらまざるを得ない性質のものでもある。そして、だからこそ面白いわけだろう。AIだの動画だの何だの言って、AIなどというものは少なくとも学習塾に導入される程度の技術レベルとしては、人間の都合に合わせて機能するだけの便利な機械に過ぎないだろうし、動画だって言うまでもなく一方向的な提供物でしかない以上、そこに偶然的な余白のようなものは大方生じ得ない。したがって、そこには明らかに、生徒の思い通りに動かない教師も存在せず、教師の思い通りに動かない生徒も存在しない。そこにあるのは単なる滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達に過ぎず、だからその基盤には資本主義の論理と相同的な原理が明瞭に観察されうると思うが、そうした「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」などというものはきわめて抽象的な仮構空間でしかなく、こちらに言わせれば観念的の一言に尽きる。具体的な人間がいて、さらにもう一人具体的な人間がいれば、そこに何らかの意味で齟齬や摩擦や誤解やノイズが生じないなどということがあるはずもないだろう。それをなるべく排除していこうというのがたぶん一方では現代の趨勢なのだと思うが、しかしもう一方では、例えばインターネットの一角を瞥見すれば立ち所に露わになるように、「齟齬や摩擦や誤解やノイズ」をむしろ自己目的として最大化していこうという、およそくだらない遊びに耽っているようにしか見えない人間たちがいくらでもうごめいているわけである。手垢にまみれた術語を敢えて用いるならば、その双方ともいわゆる「他者」への望ましい志向を欠いていることは明白だろう。こちらからすればどちらの趨勢にしてもクソつまんねえとしか言いようがないし、どちらの方向性が今後優勢になっていくのか、あるいはむしろそれらは共謀的に結び合わさっているものなのか、そうだとしてこれら二種の反 - コミュニケーションが綯い交ぜになりながら色の醒めたディストピアを築いていくのか、それは知ったこっちゃないが、少なくとも前者の、「滑らかで効率的な齟齬のない情報伝達」なるものがこの世を全面的に覆う未来がもしあるとしたら、そのとき「人間」と「世界」の定義は現在のそれから遠く離れたものになっているだろうとは思う。そのような世界はこちらにとってはやはり退屈なものとしか思えないのだけれど、第一、オンライン授業とか何とか言って、そのときこちらが目にするのは、所詮は長方形の小さな画面じゃねえか。
  • (……)
  • 帰路に特段の印象はない。帰ったのち、三時から一年前の日記の読み返し。二〇一九年四月二五日木曜日。冒頭に掲げた加藤二郎訳『ムージル著作集 第一巻 特性のない男Ⅰ』(松籟社、一九九二年)からの引用中に、「純粋な恋の病は、所有への欲望ではなく、この世を覆うヴェールが優しくはがされる状態のことであり、このためなら恋人の所有を進んで断念したくなるほどのもの」だという言葉があった。
  • 二〇一四年七月三日木曜日も読む。話し言葉を鉤括弧でくくって改行し並べるという、こちらにおいては珍しい形式を用いている。下に引く場面だが、何だか素朴で、他愛なくどうでも良い雰囲気がわりと出ている気がして、ちょっと良い感覚。

 帰ってリビングに入った。
 「ぶどうあるよ」
 「ぶどう……え、なんかめっちゃでかいハチいるじゃん」
 南の窓の右半分が網戸になっていて内側にハチがとまっていた。網戸をすこしあけて窓は閉めてガードした。
 「でっかいなあこいつ」
 もぞもぞ歩いているのを見ているとなんとなくかわいらしくも思えてきた。ガラスの向こうとはいえ顔の近くで飛ぶとびっくりした。たぶんスズメバチだった。琥珀色のうすい羽がぶるぶる震えた。尾の先に針らしいものは見えなかった。使うときに出すのかもしれない。
 「でっかいなあこいつ」
 「カウナスって知ってる?」
 「なにそれ」
 「カウナスに行ってるんだって」
 兄のことだった。母は寝転がって携帯を見ていた。
 「ああなんかロシアのまわりの国じゃない」
 「杉原記念館だって」
 思いだした。国ではなかった。
 「杉原千畝? リトアニアじゃない?」
 ぶどうを用意して食べるあいだ、母はたぶん兄のブログの記事を読みあげた。杉原千畝がどうの、ユダヤ人脱出がどうの、松岡洋右外相の外交資料が残されているどうのといった。母は杉原千畝松岡洋右が読めなかったから教えた。
 「有名なの?」
 「名前くらいは。昔ドラマになってた気もする」
 「へえ」
 部屋におりた。(……)

  • (……)さんブログ、二〇二〇年三月一五日、柄谷行人『探究Ⅱ』からの引用(28~30)。

 現代論理学によれば、個体を指示する表現として、固有名と記述(確定記述)がある。たとえば、「富士山」は固有名であり、「日本一高い山」は確定記述である。この場合、のちにのべるように、固有名は確定記述に翻訳または還元できるというラッセルの考えが支配的である。この考えは、結局固有名によって名指される個体を、集合または集合の束に還元(翻訳)できるという考えにほかならない。そして、この考えが支配的なのは、個体を一般性あるいは法則のなかにおいてみようとする科学の志向と合致するからである。
 しかし、右の例でいっても、「日本一高い山」というとき、「日本」という固有名が残っている。それを、地球上で緯度いくら経度いくらの地点に広がる列島といいかえても、実は「地球」そのものが固有名なのだ。そして、ある意味では、宇宙そのもの、物質そのものが固有名なのである。固有名をとりのぞき一般的な自然法則を見いだそうとしてきた物理学の先端は、それが「この宇宙」という歴史に属するものでしかないことを見いだした。自然科学も「歴史」に属する。つまり、究極的に固有名をとりのぞくわけにはいかないのだ。ウィトゲンシュタインの言葉をもじっていえば、宇宙のなかに神秘があるのではなく、「この宇宙」があることが神秘なのである。

  • 同日には彼の受け持っている学生のうち優秀な三人の書いた作文が載せられているのだが、最後に掲げられた(……)さんのものが圧倒的と言うか、これ普通にそのあたりの日本人一般より文章うまくない? という感じで凄まじく優れていた。(……)さんの授業をサボったという設定でその理由を書かせる「嘘日記」の課題なのだけれど、彼女は、「今日は特別な日」で「私が天使をやる番だった」からというのをその理由としており、この時点で何かもう違うなという感触がある。加えて、「初めて天使になるから、ワクワクして頭の上の環を忘れちゃった」というディテールを挟んでいるのがとても良いし(全篇でここだけ文末が「忘れちゃった」とちょっと砕けているのも良い)、そのほか「嘘で染め上げられた花、混ざる希望と絶望の魚」などという調子で、いわゆる「文学的」な装飾的意匠も当然のように盛りこんでいるし、「遷移」なんていう難しそうな語も使っている。日本語を学びはじめてどのくらい経つのだろうか?
  • 七時四〇分頃からギター。今日は何だかうまく弾けた感じがあった。つまり、頭のなかに幾何学的表象として浮かぶ抽象化された指板イメージの上で展開される押弦ポイントの動きに指をよく合わせることができたと言うか、あるいはむしろ逆で、指が動いていくその推移を脳内のイメージに明確に反映して密に追えたということなのか、実際にはそれら二方向の動態が常に入り混じり相互に干渉しながら楽器を弾くという行為は繰り広げられているのだろうけれど、ともかくそういう動きをけっこう定かなものとして追いかけられた感覚があった。そうしてみるとギターを弾くということはなかなか面白い。だいぶ熱中してしまい、食事に上がるのは九時前になった。
  • 昨日に引き続き、「映画の「現在」という名の最先端 ――蓮實重彦ロングインタビュー」: 「第3回 映画には適切な長さがある」(2020/5/10)(https://kangaeruhito.jp/interview/14523)を読む。「現在準備中のものとして、インタビューをもとにわたくしの映画的な体験をふり返り、同時に映画といういかがわしい美学的な非嫡出子を思考するにはどうすればよいか、を論じた『ショットとは何か』(講談社、2020年刊行予定)という書物があります」とのこと。

 フランスの映画雑誌『カイエ・デュ・シネマ』(Cahiers du Cinéma)誌が2011年度のベスト・テンの2位に『ツリー・オブ・ライフ』を選んだとき、わたくしはこの雑誌に対して信頼をおくことをやめてしまいました。もっとも、その年の3位にイエジー・スコリモフスキーJerzy Skolimowskiの『エッセンシャル・キリング』(Essential Killing, 2010)が選ばれているので、まだまだ救いがありましたが、彼ら、もしくは彼女らがデヴィッド・リンチDavid Lynchの『ツイン・ピークス The Return』(Twin Peaks: The return, 2017)を2010 年代のベスト1に選んだことに、もはや驚きはありませんでした。彼らが「例外的」な作品を選びがちなことはすでに集団的に定着していたからです。逆にいえば、わたくしは決して「例外的」ではないごく普通の映画、たとえばジェームズ・キャメロンJames Cameron監督の『アバター』(Avatar, 2009)の方に遥かに親近感を覚えています。SFXを駆使していながらも、被写体である俳優たちへの、そして何よりもまず映画への信頼が画面から感じとれるからです。

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 『カイエ・デュ・シネマ』誌の2010年代のベスト・テンのランキングに戻れば、きわめて評価の高いアラン・ギロディAlain Guiraudie監督の『湖の見知らぬ男』(L’Inconnu du Lac, 2013)が、わたくしはどうしても好きになれませんでした。男たちは確かにしかるべき存在感におさまっていますが、人里離れた湖での殺人という思いつきそのものが頭脳の産物にすぎず、映画に対する信頼があまりに弱いと思うからです。水という素材と映画との関係は複雑きわまりないものがありますが、ストローブとユイレStraub et Huilletの中編の傑作『ジャン・ブリカールの道程』(Itinéraire de Jean Bricard, 2008)でロワー河の水の生々しい存在感を見てしまっている以上、ギロディの湖の図式性を評価することはできません。映画と水との相性のよさを身をもって演じているのは、現代のフランスでは、『女っ気なし』(Un monde sans Femmes, 2011)、『やさしい人』(Tonnerre, 2013)、『宝島』(L'île au trésor, 2018)などのギヨーム・ブラックGuillaume Bracぐらいしか思いつきません。現代のフランスで評価されるべき映画作家は、『ホーリー・モーターズ』(Holy Motors, 2012)のレオス・カラックスLeos Caraxをのぞくと、ギヨーム・ブラックぐらいしか浮かびません。彼は、自分自身より映画の方を遥かに信頼しているように見えるからです。

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蓮實 リュミエール兄弟Louis et Auguste Lumièreの時代から、映画はすでに時間的な限界体験としてありました。まず、一巻のフィルムの長さに限りがあったことから、撮る側を拘束するものとしてそれが存在していたことはご承知だろうと思います。たとえば、リュミエールの時代は、上映時間は一分弱がその限界でした。ところが、リュミエール兄弟が世界各地に派遣したキャメラマンたちの幾人か、たとえば日本や南米などに派遣されたガブリエル・ヴェールGabriel Veyreなどは、その時間的な限界を充分に意識しながら被写体と向きあっていたので、それぞれのフィルムはみごとに完結しています。彼が撮った作品には、キャメラを廻している途中で終わってしまったという印象がまったくありません。リュミエールが世界各地にキャメラマンを派遣して撮らせたあのごく短い作品がいまなお鑑賞に値するのは、まさしくそのためだったと思っています。
 また、ヒッチコックAlfred Hitchcockが『ロープ』(Rope, 1948)を撮る時期まで、一巻のフィルムはほぼ10分を超えることができませんでした。ですから、全編がワン・シーン・ワン・ショットであるかに見えるこの作品には、さまざまな仕掛けによってそう見せるための細工が施されていました。しかし、今日のデジタル的な撮影方法によれば、こうしたフィルムの材質としての限界を遥かに超えた長さのショットを撮ることが可能となります。たとえば、アレクサンドル・ソクーロフAleksandr Sokurovの『エルミタージュ幻想』(Russian Ark, 2002)のように、非圧縮デジタルで100分ほどを記録できるハードディスクを使えば、全編をほとんどワンシーン・ワンショットで撮ることも可能となったのです。しかし、こうした技術面での進歩に、老齢のわたくしは到底ついて行けておりません。

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 わたくしが映画を見始めた1950年代では、ほとんどの作品が90分で完結していました。さきほど挙げたシーゲルの『殺し屋ネルソン』はまさしく標準的で上映時間は85分。これ以上長くても短くても、作品が異なるものになってしまうというぎりぎりの上映時間でした。他方、フライシャーの『その女を殺せ』は、まさにB級作品にふさわしく71分で呆気なく終わる。この呆気なさがたまらないのです。アルドリッチの『キッスで殺せ』は比較的長いものですが、それでも106分でぴたりと終わっています。この簡潔さを、タランティーノの『デス・プルーフ in グラインドハウス』の弛緩ぶりと較べてみて下さい。これはタランティーノの作品としては比較的短いものでありながら、やはりかったるく思えてなりませんでした。実際、現代においても、まともな映画作家のほとんどは、90分~100分で充分に語りきれる物語を撮っているはずなのです。ゴダールを見てごらんなさい。彼はほとんどの作品を90分で撮りきってみせています。しかし、最近のハリウッドの映画は、ほとんど150分ほどのものばかりです。そんなとき、デヴィッド・ロウリーDavid Loweryは、その『さらば愛しきアウトロー』( The Oldman & the Gun, 2018)を93分でぴたりと語り終えてみせる。さすが、と思います。
 いうまでもなく、その上映時間の途方もない長さが正当化される作品もないではありません。たとえば、ジャン・ユスターシュJean Eustacheの『ママと娼婦』(La Maman et la Putain, 1973)の上映時間220分を長すぎるとはまったく感じませんし、テオ・アンゲロプロスTheo Angelopoulosの『旅芸人の記録』(O Thiassos, 1975)の上映時間230分も長すぎると感じることもありません。また、コッポラの『地獄の黙示録』(Apocalypse Now, 1979) の特別完全版(2000)の上映時間203分も、決して長いとは感じません。ところが、さっきもいったように、タランティーノの『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』の上映時間161分は無駄に長く感じられてしまう。時間的に弛緩しているという印象を免れがたいからです。そのことをだれも指摘しないので、彼は増長してそれでよいと思っているのでしょうが、それは大きな問題だと思います。ですから、新人監督たちにとどまらず、タランティーノに対しても、たとえばアイダ・ルピノIda Lupinoの上映時間71分の『ヒッチ・ハイカー』(The Hitch-Hiker, 1953)を見てから映画を撮れといいたくなってしまいます。少なくとも、大学の映画学科などでは、上映時間に対するより真摯な意識を教えねばなりません。

蓮實 (……)ほとんどの作品の上映時間がほぼ90分というデヴィッド・ロウリーの強みは、あらゆるショットが簡潔きわまりないという点につきています。もちろん、ある被写体をどのようなショットに収めるかという問題に、正しい回答などありはしません。にもかかわらず、優れた監督たちは、被写体に向けるキャメラの位置やそれに投げかける照明、そしてその持続する時間など、どれもこれもがこれしかないという決定的なものだというかのように作品を仕上げてみせます。だから、正解はないにもかかわらず、見ている作品のショットはすべて完璧に思えるのです。こうした作品を撮る映画作家たちを、わたくしは、「ショットが撮れる監督」と呼んでいます。そして、ケリー・ライヒャルトKelly Reichardtもまた、「ショットが撮れる」監督なのです。ウェス・アンダーソンWes Andersonは、そのストップ・モーション・アニメでありながらも、あえて完璧なショットを模して物語を語っています。この完璧なショットという概念がスコセッシには欠けているように思えてなりません。
 現在、わたくしは、『ショットとは何か』という書物を準備しています。それは、インタビュー形式で語られる自伝的、歴史的かつ理論的な考察であり、全部で五章からなるその第一章は、「『殺し屋ネルソン』に導かれて」として『群像』2020年5月号に掲載されています。そこで述べられていることは、「ショット」とはあくまで実践的な問題であり、決して理論的に語られるものではないということなのです。被写体に向けるべきキャメラの位置に正解はないにもかかわらず、優れた監督は正解があるかのように撮ってみせるという点を、実例を挙げながら考察しているのです。

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蓮實 現在、わたくしが濱口竜介監督とともにもっとも高く評価しているのは、『きみの鳥はうたえる』(And Your Bird Can Sing, 2018)の三宅唱監督です。また、『嵐電』(Randen, 2019)の鈴木卓爾監督も、きわめて個性的かつ優秀な監督だと思っています。さらには、『月夜釜合戦』(The Kamagasaki Cauldron War, 2017)の佐藤零郎監督など、16ミリのフィルムで撮ることにこだわるという点において興味深い若手監督もでてきています。また、近く公開される『カゾクデッサン』(Fragments, 2020)の今井文寛監督も、これからの活動が期待できる新人監督の一人です。
 ドキュメンタリーに目を移せば、この分野での若い女性陣の活躍はめざましいものがあります。『空に聞く』(Listening to the Air, 2018)の小森はるか監督、『セノーテ』(Cenote, 2019)の小田香監督など、寡作ながらも素晴らしい仕事をしており、大いに期待できます。また、近年はあまり長編を撮れずにいましたが、つい最近、中編『だれかが歌ってる』(Someone to sing over me, 2019)を撮った井口奈己監督も、驚くべき才能の持ち主です。

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 ここで、いささか唐突ながら、ジャン=リュック・ゴダールを召喚したく思います。世界の批評家たちは、二十歳になったばかりのゴダールが、「古典的なデクパージュの擁護と顕揚」(《Défense et Illustration du découpage classique》, Cahiers du Cinéma, septembre 1952)というきわめて重要なテクストをハンス・リュカスHans Lucas名義で『カイエ・デュ・シネマ』誌に発表していたことの意味を、改めて問いなおしてみなければならないと思っているからです。ここでの若き批評家ゴダールは、編集長だったアンドレ・バザンAndré Bazinによって否定されがちだったデクパージュの概念をむしろ肯定的にとらえ、最終的にはハワード・ホークスHoward Hawksの擁護を目ざしていたのですから、ゴダールが「古典的デクパージュ」を過去の産物と捉えていたのでないことは明らかです。
 実際、ハリウッドの「古典的デクパージュ」というものは、決して歴史的な「過去」に属するものではなく、不断の「現在」として、今日の映画をなおも刺激し続ける永遠の現象にほかなりません。映画における新しさとは、決まって生々しい「現在」としてある古典的なハリウッド映画との関係で語られるものだからです。そうした視点から、『FILO』にもしばしば登場しているエイドリアン・マーチンAdrian Martin氏の重要な著作『ミザンセーヌとフィルムスタイル』(Mise en Scène and Film Style, Palgrave, 2014)と向かいあわねばなりません。その書物が、「古典的ハリウッドからニュー・メデイア・アートへ」《From Classical Hollywood to New Media Art》と副題されていることの意味がきわめて重要だと思えるからです。エイドリアン・マーチンにおいても、「新しさ」が「古典的ハリウッド」との関係で語られていることに注目したいと思っているのです。あるいは、「古典的ハリウッド」とは、いまだ充分に「古くなってはいない」何か、すなわち、いつでも「現在」と接しあっている貴重なものだといえるのかもしれません。
 わたくしがジョン・フォードを論じるときも、それとまったく同じ姿勢をとっています。小津安二郎を論じたときもそうでしたが、フォードや小津は、間違っても「過去」の偉大な映画作家ではありません。小津やフォードにかぎらず、ラオール・ウォルシュRaoul WalshでもホークスHoward HawksでもウェルマンWilliam A. Wellmanでもかまいませんし、清水宏でも成瀬巳喜男でも山中貞雄でもかまいませんが、そうした「古典的」と呼ばれる作家たちの作品がいまでもわたくしたちを刺激しつづけているのは、彼らがまぎれもない「現在」の映画作家にほかならないからです。それは、彼らの作品をかたちづくっているショットが、見ているわたくしたちを、決まって映画の「現在」という名の最先端と向かいあわせてくれるからなのです。

  • 読書は奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)。
  • 深夜、股間の毛がもうだいぶ伸びてきておりもじゃもじゃと鬱陶しかったので、下半身丸出しになって陰毛を短く切り揃えた。普通の鋏を用いて縮れ毛を大雑把に切っていき、その後、本来は眉を整えるのに使うはずの小さな鋏に持ち替え、竿や陰嚢を傷つけないように慎重に、注意して、ゆっくりとこまかく処理していく。合間のBGMはSarah Vaughan『Crazy And Mixed Up』。けっこう時間が掛かったものの、おかげでだいぶすっきりした。
  • Wikipediaより、「人間(雑誌)」。「敗戦後の日本文学界の一時期を風靡した文藝誌」らしい。「1945年12月20日川端康成久米正雄により創刊」、「1946年6月、川端の後押しにより、当時無名だった三島由紀夫の短篇「煙草」を掲載し、反響を呼ぶ」。発行元の鎌倉文庫の倒産によって目黒書店という出版社に売却されたのちの一九五〇年、「8~12月号に、[編集長]木村[徳三]の改造社時代の上司小川五郎(筆名高杉一郎)のシベリア抑留記「極光(オーロラ)のかげに」を連載し、大きな反響を呼ぶ」と言う。
  • シェリダン・レ・ファニュ」の記事も読む。アイルランドの「ゴシック小説作家」で、「19世紀以降の短編小説のジャンルに大きな影響を与えた」などと書いてあるが、ホンマかいな、という感じ。また、「レ・ファニュが執筆活動を行った19世紀は、1830年代の合同法撤廃運動や大飢饉、イースター蜂起など、アイルランド近代史のなかでも激動の時代だった」とあるのだけれど、そこから「イースター蜂起」のページに飛んでみると、これは 「1916年の復活祭(イースター)週間にアイルランドで起きた武装蜂起である」と冒頭にはっきり記されてあって、ということはこの事件は「19世紀」のものなどではまったくないということになるはずだ。ほか、「『カーミラ』(1872年)は吸血鬼小説として、ブラム・ストーカーの『ドラキュラ』(1897年)に多大な影響を及ぼした」というのは一応通説として共有されているようだが、「初期の作品『Episode in the History of a Tyrone Family』(1839年)は、シャーロット・ブロンテの『ジェイン・エア』(1847年)に影響を及ぼしたと言われる」というのは何だか胡散臭い気がする。英語版を見てみても、たしかに〈"A Chapter in the History of a Tyrone Family" (1839), which may have influenced Charlotte Brontë's Jane Eyre〉とはあるのだけれど、典拠は付されていないし、英語版ではあくまで"may have influenced"に留めているところを日本語版は「影響を及ぼしたと言われる」と書いてしまっているのだから、不正確の謗りは免れないだろう。