2020/5/22, Fri.

 (……)カフカが交際した相手の多くは、彼の故郷プラハ以外に住む女性であった。彼にとって女性との交際は文通が望ましい。相手と直接に顔を合わせては、恋愛の進展どころか会話すらもが難しかった。彼は自分の領域である文章世界で恋愛しなければならなかった。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、118)



  • 午後二時二一分の離床。やばい。
  • 尾田栄一郎ONE PIECE』の第二話以降。この物語の登場人物のうち何人かは、はっきりとした「夢」や「やりたい事」、つまりは大きな目標や野望を持っている。コビーのそれは海軍に入ることであり、第三話で登場したロロノア・ゾロにも、その時点ではまだ具体的な内容は明らかではないものの、「やりてェ事」がある。ルフィの野望は言うまでもなく、「海賊王になる」ことである。ところで、「海賊王になる」とは一体どういうことなのだろうか? 七二頁にあるコビーの発言によれば、「海賊王」とは「この世の全てを手に入れた者の称号」であり、それをさらに言い換えれば「富と名声と力のひとつなぎの大秘宝[﹅]」、すなわち「ワンピース」を獲得した者の謂であるらしい。タイトルにも据えられているこの「ワンピース」とやらが何なのかはこの時点ではわからないし、物語の最新時点でその正体が明らかになっているのか否か、それもこちらは知らない。ただ、この作品のまさしく開幕で処刑されるゴールド・ロジャーは、「富・名声・力 かつて この世の全てを手に入れた男」として「海賊王」の称号を冠されているわけだから、「海賊王」は言うまでもなく既に存在していたわけである。それはこれから新しく開発される唯一無二の概念ではなく、物語の開始以前に一人の男によって具現化されていた地位だ。そしてこの初代「海賊王」、言わば開祖たる「海賊王」が死ぬ間際に言い残した一言、すなわち、「おれの財宝か? 欲しけりゃくれてやるぜ…/探してみろ この世の全てをそこに置いてきた」という発言が「全世界の人々を海へ駆り立て」、世は「大海賊時代」を迎えることになったのだから、『ONE PIECE』の物語は作品全体を統括するそのもっとも大きな枠組みにおいて、初代「海賊王」のあとを継ぐために争い合う人々の物語だということになる。ゴールド・ロジャーを唯一絶対的な原初の〈父〉、そして「ワンピース」を目指す海賊たちを〈子〉として捉えたり、あるいは彼が残したと言う「財宝」=「ワンピース」を到達不可能な〈物〉として捉えたりすれば、精神分析的な読み方がことによると成り立つのかもしれないが、こちらにその力はないし、そのように読んだとしても大して面白いことにはならない気がするので、さしあたってそれを試みる気持ちはない。
  • 第二話に戻ると、ルフィは「海賊王になる」という彼の「夢」を「絶対無理!!」、「無理に決まってますよ!!」、「できるわけないですよ!!」と矢継ぎ早に否定しまくるコビーに対して、「おれは死んでもいいんだ!」「おれがなるって決めたんだから/その為に戦って死ぬんなら別にいい」とこだわりなくあっけらかんとした様子で言い放つ。その言葉はコビーにおいて、「…なんてすごい覚悟だろう………!!」と切実に受け止められ、彼を感化し、コビー自身の「やりたい事」、つまりは「海軍に入ってえらくなって悪い奴を取りしまる」という「夢」を物語の前景に招き寄せ、明るみに出すことになる。
  • 第二話に関してはあと、七九頁でルフィがアルビダを倒す際、もちろん必殺技である「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つわけだが、このときの技名のコールが「ゴムゴムの/銃…」という風に三点リーダーを付した形になっており、その記号は必殺技の宣言としては控えめで煮え切らないようなニュアンスを付加してしまうものなので、なぜここに点が加えられているのかよくわからない。
  • 第三話はコマ割りと言うのか、絵の移行上リズムが気になった箇所が二つある。一つ目は八九頁である。海軍基地に捕われているロロノア・ゾロの姿を、塀によじ登ったルフィとコビーの二人が覗くのだが、ルフィに続いて恐る恐る塀の上から顔を出したコビーは、ゾロの姿を目にすると「!!!」と衝撃を受け、次のコマではもう地面に落ちて尻餅をついており、「ドックン ドックン!!」と鼓動を高めて震えながらも、あれが間違いなく本物のロロノア・ゾロだと断言する。ここではコビーが動揺のあまりに塀から落ちて地面に尻を打ちつけるという過程の描写がまるまる省かれており、その中途欠如的なテンポ感がちょっと気になったのだった。つまりありていに言えば、四コマ目では塀から顔を出していたのに、驚愕の表情のアップ(顔全体ではなく左目の周辺しか映っていない)を挟んだのちの六コマ目では、あれ、もう地面についてるやんといういきなりの感覚をちょっと与えるということだ。ただしそれが利点なのか欠点なのかはこちらにはわからない。
  • 同じことは一〇二頁から一〇三頁への移行にも言えて、ここでは町なかに現れたモーガン海軍大佐の息子ヘルメッポが、「三日後」にはロロノア・ゾロの「公開処刑」を行うと町民に宣言して触れ回っており、それに対してルフィが、一か月耐えれば解放するという約束はどうなったんだと口を挟むと、ヘルメッポは「そんな約束ギャグに決まってんだろっ!!」と一蹴する。その様子を受けたルフィは、この男は「クズ」だと怒って思わずヘルメッポを殴ってしまうのだが、一〇二頁の終わりのコマで「約束」の正当性を信じるゾロの様子が回想的イメージとして挟まれた次の瞬間、一〇三頁の上半分ではルフィが既にヘルメッポの胸ぐらを掴みながら腕を振り終えており、大佐の息子は口と鼻からいくらか血を吹き出しながら白目を剝いているのだ。ここでもやはりルフィがヘルメッポのそばに移動したり、その服を掴むために手を伸ばしたり、あるいは拳を振ったりする過程の描写が省略されており、いきなり打撃が完了しているという印象を与えるのだが、しかしここでは暴力という物事の性質上、その省略はむしろ、ルフィの激昂及び抑えられなかった殴打の実行を際立たせるように働いていると判断するべきなのかもしれない(ちなみにこのヘルメッポを殴ったコマで振り抜かれたルフィの左腕は、「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つときのように完全になめらかな様相には収まっておらず、肘のあたりにわずかに線が付されるとともに輪郭も完全にまっすぐではなくかすかに波打っていて、要するに筋肉の描写が加えられている)。
  • 第四話も読む。『ONE PIECE』の主要な女性キャラクターは基本的に皆、一様に黒く丸々と塗りつぶされたオニキスみたいな眼球を持っており、そのなかに白い点が小さく差しこまれることで目の描写となっている。第一話で登場した酒場の店主マキノが既にそうだったし、第三話から現れる町の少女リカ(この名前自体は第四話で明らかになる)やその母親、また名もないモブキャラクターの女性もそうである。つまりはこの第四話までに登場した『ONE PIECE』の女性キャラクターは概ね、いわゆる「つぶらな瞳」を具えているということで、大きくて丸みを帯びた目というのは『ONE PIECE』に限らず漫画において女性を描く際のわりと一般的な作法としてあると思うし、フィクション世界を離れてこちらが生きている現実の領域においても、望ましい女性性を表す外見的特徴、すなわち「可愛らしさ」の記号として捉えられることが多い気がする。それに対して『ONE PIECE』の男性キャラクターの目は、ほとんどの場合、広い空白のなかに小さな黒点が一つ打たれるという形で描かれており、ということはこの作品では男女の瞳の様相が対照的で、その黒白の割合配分がちょうど正反対になっているということになる。とは言え男性キャラクターの黒目もいつでも必ず一点のみに還元されるわけではなく、第一話の一一頁でシャンクスがはじめて登場するときの真正面からのカットでは、彼の小さな黒目のなかにさらに白い点の領域があることが見て取られるし、三四頁、三五頁、三七頁などでも同様に描かれている。ちなみにシャンクスが「友達を傷つける奴は許さない」と宣言する三七頁のコマではさらに、黒目の領域のうちにもいくらか黒さの幅が導入され、つまり眼球にあるかなしか立体感が付与されており、さらにシャンクスのその言葉を受けてルフィの顔が拡大的に映される次頁においても目はそれと同じ様相を持っている。
  • こうした観点で見てきたときに明らかに例外的なのは、第一話四六頁でルフィを襲おうとした海の怪物に向けてシャンクスが「失せろ」と殺気を放ちながら「ギロッ」という鋭い眼差しを差し向けるところで、ここでは瞳の中心部分は、黒い円周線のなかにさらに中央点として黒点が一つ置かれるという描写をされている。つまり目の外縁からその色の移行を追うと、白・黒・白・黒という四層パターンがこのコマではじめて観察されるということで、ここまで基本的に男性キャラクターの目は白・黒の二層のみで構成されており、せいぜい白・黒・白の三層構造がシャンクス(と三八頁ほかのルフィ)に見られたくらいだったので、この頁に至って瞳はそれまでにない複層性を明確に提示している。
  • ちなみに第二話の女海賊アルビダはもちろん女性だが、瞳の様相としては女性キャラクターの基本的ルールには従っておらず、つまり広面積の黒目は持っておらず、その瞳孔は小さい(六二~六四頁)。構成としては、近距離のカットでは主に半月っぽい形の眼窩を埋める白目のなかに小さな円が描かれ、さらにその内側に黒点が一つ付されるという形になっていて、だからどちらかと言えば男性寄りの描き方をされており、なおかつ先ほどのシャンクスに見られた四層パターンと、パターンとしては一応同様のものになっている。
  • 第四話に戻ると、一一三頁にて海軍大佐「斧手のモーガン」の全身像が現れるのだが、この人物はその異名のとおり右腕が斧と同化している。どうやら前腕の内部に木製の支柱が埋めこまれ、その棒に巨大な斧の刃が取りつけられているように見えるのだが、この支柱の一方は腕の幅を超えて肘のあたりから外側に向けて長く突き出しており、ところがそれにもかかわらず肉を突き破って露出してはおらず、腕の皮膚が伸びて余剰的に突出した柱の先端まで覆い隠したような見た目になっているので、明らかに現実の人体には不可能だと思われるこのような様相には、これどうなってんの? と思ってちょっと笑ってしまった。この皮膚の柔らかな伸張ぶりは、この部分だけ見ればルフィの身体よりもよほどゴム人間的であるとすら思われる。
  • 読みながら、『ONE PIECE』っていま何話まで至ったのか知らないけれど、こちらが小学生の頃から、すなわち二〇年以上はやっているわけだし、よくこれだけ長く続いているなあと思ったのだが、物語というのはそれを作れる人にとっては継ぎ足すことはむしろ容易で、場合によってはほとんど永遠に作り継ぐことができるのかもしれず、それよりも終わらせることの方が遥かに難しいのかもなあとかも思った。

Japanese governing bodies did not display a sense of crisis after Hiroshima. First reports of an attack on that city reached Tokyo on August 6 and were confirmed the next day by fuller reports and an announcement by President Truman that a nuclear weapon had been used in the attack. Even after the attack was confirmed, however, the Supreme Council did not meet for two days. If the bombing of Hiroshima touched off a crisis, this delay is inexplicable. (……)In all, three full days elapsed after the bombing of Hiroshima in which the Supreme Council did not meet to discuss the bombing. When the Soviets intervened on August 9 and word of the invasion reached Tokyo at around 4:30 a.m., on the other hand, the Supreme Council met by 10:30 that same morning.

The actions of several individual officials also reflect Japanese perceptions of the relative seriousness of the two events. For example, when Army Deputy Chief of Staff Torashiro Kawabe heard the news of the attack on Hiroshima, he noted in his diary that the news had given him a “serious jolt” (shigeki—he did not use the word for “shock”: shogeki); but, he opined, “We must be tenacious and fight on.” When he heard the news of the Soviet entry into the war, he immediately drew up orders to declare martial law (which were implemented); and in the emergency meeting of top army officers that was convened that morning, he raised the possibility of toppling the government and replacing it with a military dictatorship. Contrast a “jolt,” on the one hand, and declaring marshal law and considering toppling the government, on the other, and the difference in the perceived importance of the two events is clear.

(……)

The diary of Deputy Chief of Staff for the Navy Sokichi Takagi provides a remarkable illustration of Japanese attitudes toward the attack on Hiroshima at the highest levels of government. On August 8 (two days after the atomic bomb was dropped), he relates a conversation with his boss, Navy Minister Yonai. Yonai begins by complaining about Prime Minister Suzuki’s lack of understanding of the dangers of the domestic situation. (This is a favorite topic for Yonai, who has been supporting efforts to negotiate an immediate peace because he fears a popular, possibly communist, uprising.) They talk for a while back and forth, Takagi agreeing with Yonai: “In my opinion, someone like the Interior Minister should have a straight talk with the Prime Minister about domestic conditions.” Takagi then reminds his boss of a prediction that now seems to be coming true: “I used to think that by September or October the domestic situation would rapidly deteriorate while you said it would start deteriorating in mid-August. Actually, the situation is getting steadily worse in many respects during these couple of days, especially after Hiroshima.” Yonai agrees and says, “Bad news continues and the ration of rice in Tokyo will be reduced by ten percent after [the] 11th of this month.” They go on to talk about the schedule for the Supreme Council meeting the next day, rumors about who is influencing the emperor, more discussion of the prime minister, and worries that they have yet to hear anything positive from the Soviets.

Three things are clear. First, the bomb is not the center of the conversation; its mention is incidental. Second, the bomb is only one item in a list of bad news. (One is left with the impression that Yonai was more concerned about rice rationing than nuclear attack.) Finally, the talk provides more evidence that the Japanese government was not focused on the atomic bomb. Yonai says that the independence of East India will be on the agenda for the Supreme Council meeting the next day[29: I believe this is a euphemistic reference to the planned withdrawal of 30,000 troops from Burma.]. He does not say the Hiroshima bombing is to be on the agenda. The Supreme Council, therefore, had not cleared its agenda on August 9 to focus on the bomb. It is difficult to square the offhand way in which Hiroshima is discussed in accounts such as this with the idea that the atomic bombing so shocked Japanese leaders that they agreed to unconditional surrender.

There is virtually no contemporaneous evidence that the U.S. use of a nuclear weapon against Hiroshima created a crisis or that Japanese leaders viewed it as decisive[30]. In a way, this is not surprising, because top U.S. officials also did not believe that the bomb would be decisive. The bomb project staff had set a schedule that called for ten bombs to be ready by the end of November, which would not have been necessary if the bombing of Hiroshima was expected to end the war. Secretary of the Navy James Forrestal, in a letter dated August 8, urged President Truman to replace Gen. Douglas MacArthur as the commander of the invasion of Japan. This letter would have created tremendous controversy in Washington, and Forrestal would not have risked such a showdown if he expected the war to end immediately. Secretary of War Henry Stimson was clearly taken off guard by Japan’s offer to negotiate a surrender. He was preparing to leave for a few days of well-deserved vacation when Japan’s surrender offer arrived on August 10. Would he have planned to leave town if he thought negotiations to end the war were in the offing? Finally, in an appreciation prepared for Secretary of the Army George Marshall dated August 12, army intelligence asserted, “The atomic bomb will not have a decisive effect in the next 30 days.”

([30]: The account that Foreign Minister Togo gives in his memoirs supports this view: “I informed [the emperor] of the enemy’s announcement of the use of an atomic bomb, and related matters, and I said that it was now all the more imperative that we end the war, which we could seize this opportunity to do.” Shigenori Togo, The Cause of Japan (New York: Simon and Schuster, 1956), p. 315. Togo does not say that Japan is now irrevocably coerced; he does not argue that there is now no other alternative. He says that the atomic bombing is an opportunity that they should seize. Kido, in his postwar account, agreed: “It is not correct to say that we were driven by the atomic bomb to end the war. Rather it might be said that we of the peace party were assisted by the atomic bomb in our endeavor to end the war.” Asada, “The Shock of the Atomic Bomb and Japan’s Decision to Surrender,” p. 497. Japanese leaders do not give a sense of being compelled or forced, and there is little evidence of a sense of crisis in the government. There is no contemporary account, for example, of Japanese officials relating a moment when they sat aghast and stunned, overwhelmed by a sense of defeat. There does not appear to be any evidence that Hiroshima engendered these sorts of feelings, except in ex post facto accounts.)

  • 一三五番の引用も重要だと思う。

(……)Japanese officials knew that many of their number would face war crimes trials after the war, and that it was in their interest to present a view of history that was congenial to their U.S. captors. In addition, Japanese leaders, and particularly military leaders, were at pains to find a suitable explanation for their loss in the war. The matter-of-fact attitude that Japan’s leaders took toward dissembling is illustrated by a conversation between Navy Minister Yonai and his deputy chief of staff on August 12: “I think the term is inappropriate, but the atomic bombs and the Soviet entry into the war are, in a sense, gifts from the gods [tenyu, also ‘Heaven-sent blessings’]. This way we don’t have to say that we have quit the war because of domestic circumstances. Why I have long been advocating control of the crisis of the country is neither from fear of an enemy attack nor because of the atomic bombs and the Soviet entry into the war. The main reason is my anxiety over the domestic situation. So, it is rather fortunate that now we can control matters without revealing the domestic situation.”

  • 夕食の支度は春菊と大根の味噌汁が一つ、それに茄子と生姜焼き用の豚肉を焼く。サラダとしては大根と人参をスライス。のちほど母親の手によって玉ねぎとサニーレタスが加えられていた。
  • 夕食を取るために上がっていくと、クラシックギターを弾く女性がテレビに映っていて、村治佳織かなと思って誰これと訊けば、やはりそうだった。人間には避けられないことだがいくらか歳を取ったような印象。クラシック方面の演奏家が集まった番組で、夕刊を読みながらちょっと耳を向ける。何とか言う人のサックス四重奏曲が披露され、温和で明快な感じでけっこう良い雰囲気だった。あとで検索したところ、ジャン=バティスト・サンジュレーなる作曲家だったことが判明。一九世紀ベルギーの人。Wikipediaによると、「サクソフォーンの発明者アドルフ・サックスの長年の友人として(彼らは王立音楽学校に在籍中に出会った)、サンジュレーはサックスに、サクソフォーン族に4つの主要な形状を作り出すよう働きかけ、1857年におそらくサクソフォーン四重奏のための最初の作品であろう「サクソフォーン四重奏曲第1番」(Premier Quatuor pour Saxophones) 作品番号53を作曲した」と言う。
  • 食後、アイロン掛け。かたわらテレビで、『題名のない音楽会』という番組が流れる。録画しておいたものらしい。司会は石丸幹二。『世界の車窓から』の人と関係があるのかと思ったものの、その場で母親が調べたところでは特にないようだ。演者はToshi。オーケストラをバックに三曲。指揮者は原田慶太楼という人で、編曲は三曲とも三宅一徳という名前だった。
  • 一曲目は"残酷な天使のテーゼ"。たしか高橋洋子と言っていた気がするが、この曲のオリジナル版の歌手がオーケストラとともに歌っていたのに生で接したことがあり、とても感動したので今回この番組の話をもらったときに是非歌いたいと思ったのだとToshiは語っていた。有名な曲なので折々耳にしたことはあるが、改めて聞いてみるとサビなど、アレンジにおけるリズムの太い強調もあって絶妙と言うほかはない雄々しきダサさを撒き散らしていた。Dokkenとか、あるいはいわゆる「クサメタル」の方面とか、クラシックで言うとドヴォルザークの『新世界より』の第四楽章などに通じるものを感じさせる壮大なダサさだが、この曲はそういう音楽なのだろうからたぶんこれで良い。こちらとしてはわかりやすく勇猛なサビよりも、Aパートの終結部の処理のほうが面白く響いた。終結部というのは二連あるAメロのうちのそれぞれの連の終わり(すなわち、二度目の繰り返しに移る前と、Bパートに移る前の二回)のことだが、ここのコードはたぶん調に基づいた尋常なダイアトニックの範疇から外れていたと思う。Aパートはまだ比較的爽やかで言わばそよ風をまとっているような雰囲気があり、少量の優美さめいたニュアンスもまあ感じられないではなかったし、アイロン掛けをしつつちょっと耳を向けた限りでは、Aメロ及びその終結部がこの曲のなかでは一番面白いように思った。あと、折々にあるドラムのフィルインが、フレーズ自体としてはスネアを連続させるごく普通のものだったと思うのだが、何だか音としてけっこう良いように感じられた。ただそれは三曲目の"Bohemian Rhapsody"のほうだったような気もする。
  • 二曲目は「エリザベート」とかいうミュージカル中の一曲。題は忘れた。たしか「闇」という語が入っていたような気がする。作曲家はぜんぜん知らない名前でこれも忘れたけれど、何かヴァーツラフとかリーヴァイとかラヴァ何とかみたいな、そんな感じだったような気がする。オーストリアチェコか、たぶんそのあたりの人ではないか。この曲ではToshiと司会の石丸幹二がデュエットを披露したのだが、石丸という人はもともとミュージカル畑の人間らしい。歌詞は追わなかったので物語内容は理解していないが、Toshiが皇帝ルドルフ役で、石丸は彼に対して何か色々と(たぶん、即位を促して?)呼びかける役回りだった。Toshiという歌手はXの時代からいままでずっと、例のあの声質、いわゆるヘッドボイスの鋭さがトレードマークになっているわけだけれど、このミュージカル曲ではジャンルの作法に合わせてその鋭さは封印し、ベルカントにやや寄った歌い方をしており、Aパートなどに聞かれた低めの音域では声がわりと色気を帯びたような質感を醸していて、それはなかなか悪くなかった。とは言え、サビ部分はこれもまた雄々しい感じの曲調なのだが、石丸とハモるそのパートに入ると、やはり多少角が出てきてはいたけれど。石丸幹二という人は本職なので歌唱も声の太さも安定的で、危なげなく安心して聞けるという感じ。ただ、Toshiに合わせたというわけでもないだろうけれど、彼に対して呼びかけるときには時折り声のアタック感を強くしている箇所があった。あれはしかし、ミュージカル的にも定法の技術で、とりたてて珍しいものではないのだろうか? ミュージカルというものを観た経験がまるでないのでわからない。
  • 三曲目はQueenの"Bohemian Rhapsody"。男女二人ずつのコーラス入り。Aパートのあのピアノのアルペジオはハープによって演じられていた。Toshiの歌唱は悪くない。ただ、聞いているとかえって、やっぱりFreddie Mercuryのボイスコントロールって抜群なんだなということが実感されてしまうところがあって、と言うのはこの曲のAメロに、"But now I've gone and thrown it all away"という詞の箇所があり、オリジナル音源でMercuryはそこの"it"あたりまではファルセットで歌い、"all"あたりから急激に転換して声に芯を通してざらつかせるということをやっており、そのときの移行ぶりがやはりすごいということは高校時代から(……)などもよく言っていたし、ひらいた穴に向かって過たず正確にすとんと落ちるみたいな感じがあるのだけれど、Toshiもさすがにその部分はMercuryほどうまくは歌えておらず、あれはたぶんほかの人には真似できないんではないか。あとAパートと言うのか、ギターソロに入る前の静かなパート全体を通しては、ここは大変に叙情的な領域なので、Toshiも緩急をつけて情感豊かに歌おうとしており、それは決して間違いではないしおおむね成功していたとも思うのだけれど、ただやはりいくらかの粘り気が感じられはした。それはおそらく英語の発音も関係しているのではないかと推測され、日本人による"Bohemian Rhapsody"のカバーはほかにはデーモン小暮閣下のものしか聞いたことがないのだが、小暮閣下など個々の語の発音からして相当に粘っこく歌っていたような記憶があって、特に根拠はないけれど何となく、日本人はとりわけそうなりやすいのかなあという気がする。きちんと聞き返してみないと正当な印象かどうかわからないものの、原曲はそんなに粘っていなかったような気がするもので、その記憶がもし正しいとすれば、Freddie Mercuryという歌い手の凄さというのは一つには、このパートを過度に粘らせることなく比較的さらさらとした質感で歌えてしまったという点なのではないか。カバーする人はたぶんMercuryのオリジナルを意識して多少なりとも力むだろうから、どうしても彼よりも感情的で粘ついた表現になってしまう傾向があるのではないだろうか。
  • ギターソロ部分では最初の数音は管楽器がメロディを吹いていて、あ、そういうアレンジで行くんだと新鮮に感じたのだけれど、直後に普通にエレキギターが入ってきたので、ギターいるんかいと思ってちょっと笑った。佐々木貴之、みたいな名前の人だったと思う。で、オペラパートなのだけれど、例の"Galileo"の高音とかどうするのかなと思っていたらそこは女性のコーラスに任せていて、"let him go"も同様。でも最後の"for me"はさすがにやるのだろうなと予想していたところ、たしかに叫びはしたものの、二回目の"for me"で力を準備したのだろうか低音に下がっていた記憶があって、最後の超高音のシャウトへの移行はちょっと手間取っていた。それでもフラットもシャープもせずに綺麗にぴたりと当てていたので凄い。ただしかしデーモン小暮閣下はたしかオペラパートはだいたい一人でやっていたはずで、"Galileo"も"let him go"も乱高下激しい飛躍を見事に処理していた覚えがあるし、最後のシャウトもわりとスムーズに発していたと思うので、その記憶がもし正しければこの点では彼のほうに軍配が上がると言わざるを得ないだろう。Toshiのオペラのなかでは、"Mamma mia, mamma mia"の部分でやっていたと思うのだけれど、たぶん少年の声色を模して発声をざらつかせており、そばかすを頬にたくさんつけた生意気盛りの悪ガキみたいなイメージを喚起させるところがあってそれは良かった。
  • アイロン掛けののち散歩。道を西へ進み、今日も十字路の自販機で飲み物を買う。「Welch's」と「濃いめのカルピス」を二つ続けて買ったのだが、品物を取ろうと下部のカバーを開けるとしかしカルピスしかない。赤っぽい点をからだの真ん中あたりにつけた蜘蛛の這っているカバーを持ち上げてひらいたまま、そのなかをよく探ってみたのだけれど、葡萄ジュースはどうしても見つからない。品物が入っていなかったのか? だがそれなら売り切れのランプが灯ってそもそもボタンが押せないはずだ。それに、ボトルが機械のなかを落ちてくる音をたしかに聞いた覚えもある。一体どういうことなのか原因がまるで不明だが、いずれにせよこれが自販機に金を呑まれるという事態である。こんなことが本当にあるとは思わなかった。はじめての体験だ。仕方がないので諦めて、カルピスだけポケットに入れて坂道に入る。
  • 先日、今年は竹秋を見ていないと日記に記したが、上っていくと出口付近で道の端に黄色く色づいた竹の葉がたくさん散らばっているのに気づいたので、これで無事、竹の秋を目撃できた。街道に出ると右、すなわち東に折れ、すると白い舗道の上に転がっている小石が街灯や流れ過ぎていく車のライトを受けて、大して黒くもない、気の抜けたような淡色の影をその下から微小に滲み出している。たしか梶井基次郎も、何だったか「闇の絵巻」とかいう篇のなかだったか、夜闇のなかを歩いていると車がやって来て、地面に転がった石が影を伸ばして光のなかに歯を立てる、みたいな描写をしていた覚えがある。記憶が不正確だが、「歯」という語を使った比喩を書きつけていたのはたぶん確かなはずだ。
  • 「(……)」の前の自販機でコカコーラゼロを購入。隣の煙草屋、と言うかたぶんもう煙草屋はやっていないのだと思うが、その閉まったシャッターの向こうからは今日も音楽が聞こえてくる。スネアを連打するフィルインの雰囲気とか全体的な音の響き方からして、やはり七〇年代あたりの洋ロックではないかと思うのだけれど、正確な同定は今日もできず。なぜかGrand Funk Railroadなんていう名前をほとんど一五年ぶりに思い出したが、実際にはもっとポップで明るい感触を帯びた音だったので、これはほぼ確実に間違っている。それから進む街道上の空は端的に無光で、月はその痕跡すら見当たらないし、星はもちろん存在を許されていない。雲が全面に渡ったためにそうなっているのだが、襞や皺もまったくないのでかえって晴れているようにすら見える。天体の消えた晴夜。
  • 路地内の坂に入って下りると、黒塗りの高級そうな車が道のど真ん中に停まっていて、なんでこんなところに停まってんだよ、ほかに車が来たら通れないぞと思った。窓まで全部真っ黒な車で、ちょうどそのとき右手に持っていたボトルのなかのコーラと同じような色であり、練ったように黒々と深く、なおかつ艶もあった。
  • 外出後、買ってきた「濃いめのカルピス」を早速飲みつつ四月三〇日に取り組んだ。文に対してきちんとこだわるのが面倒臭くなってきたし、このままだといつまで経っても記述が現在の日に追いつかないので、いくらか気を軽くして力を抜きながら書く調子になった。結局、そのときどきの気分すなわち心身の傾向性にしたがうのが一番良いだろう。完璧にこだわりたいときにはまたひたすらこだわれば良い。
  • 入浴後、また四月三〇日の日記。あまり細部まで気にせずある程度のところでオーケーを出してけっこう気楽にさっささっさと書いているつもりなのだけれど、それでもやはりだいぶ時間は掛かってしまい、四月三〇日分は少なくとも今日一日でも四時間近く書いているのだが、記述することはまだわりと残っている。だがとりあえず、疲れたので一時四〇分で一旦切りとした。
  • 一年前の日記、五月一日水曜日。『族長の秋』を読んでおり、好きな箇所としてワンシーン引用されているが、読み返してもやはり良いのでここにも写しておく。最後に三回並べられる「うたった」の反復が良い味を利かせている。

 (……)彼らとちがって大統領は、ひとり夢想にふけりながら、泥深い沼にもにた幸福感にひたっていた。まだ暗い夜明けの建物の掃除をしているおとなしい混血の黒人女たちを、悪霊のように忍び足でつけ回し、あとに残る大部屋や髪油の匂いを敏感に嗅ぎとった。格好の場所で待ち伏せして一人をとっ捕まえ、執務室のドアのかげに引っぱりこんで、まあいやらしい、出世しても助べえなところは、ちっとも変わらないわ、とまわりで笑いころげる女どもの声を無視して、そそくさと事をすませた。だが、そのあとは決まって憂鬱な気分に陥り、他人に聞かれる心配のない場所をえらんで、気晴らしに歌をうたった。一月の明るい月よ、とうたった。絞首台のような窓ぎわで、浮かぬ顔したおれを見てくれ、とうたった。(……)
 (ガブリエル・ガルシア=マルケス鼓直木村榮一訳『族長の秋 他六篇』新潮社、二〇〇七年、157)

  • 「降る雪をゆびの器で受けましょう溶けるまぎわの刹那のために」という一首を作った。
  • (……)さんのブログは二〇二〇年三月一九日。柄谷行人『探究Ⅱ』の孫引き、四四頁から四六頁。

 (……)独我論とは、私しかないという意味なのではなくて、「私」がどの私にも妥当するという考えなのである。そして、それを支えているのは、まさに「私」が言語であり、共同的なものだということなのだ。
 主体からはじめる考えを、言語をもってくることによって否定することはできない。それらは、いずれも独我論のなかにある。したがって、独我論の批判は、たんに狭義の認識論の問題ではなくて、「形式化」一般の根本的批判にかかわるのだ。なぜなら、指示対象をカッコにいれる形式化は、かならず各「主体」によってなされるほかないからである。
 この「主体」(主観)は、「誰」でもない。たとえば、「この私」は、結局「これは私である」ということになる。「これ」は存在するが、「私」は述語(概念)にすぎない。「この私」は指示対象として在るのではない。「これ」が在るだけだ。ラッセルは、この意味で主体を認めなかった。それは、しかし、これを「これ」とうけとる主体が「誰」でもないような主体、したがってヘーゲルのいう「精神」のようなものであるということを意味するのである。「誰」とは、固有名である。固有名をもたぬ主体は、「誰」でもないがゆえに「誰」にも妥当する。近代哲学の主観は、このように見いだされたのである。(古典哲学が主観を持たなかったのは、個体がいつも「誰か」〈固有名〉として実在したからである。逆にいえば、それは固有名にもとづく存在論だということになる)。
 (……)
 ところで、ラッセルは「これ」において、言語とその外部・指示対象との繋がりを確保したつもりだったのだろうか。しかし、ラッセルの「これ」は、もし指示が他者に対してなされるものだとしたら、指示ではない。かりに、私が黒板を指して、「これが黒だ」といっても、相手は「黒」を「黒板」と受け取るかもしれないし、黒板に書かれた文字と理解するかもしれない。つまり、「これ」の個体領域がはっきりしないのである。
 したがって、ラッセルのいう指示は、彼自身がいうようにprivateである。厳密な意味での指示は、他者に指示することでなければならない。つまり、それはコミュニケーションのレベルでしか考えられない。しかし、「これ」という指示がけっして個体を指示しえないのに対して、固有名は個体を個体として一挙に指示する。したがって、固有名は、言語の外部があるという日常的な常識を支える根拠であり、またそれをくつがえそうとする者にとって、解消すべきものだったのである。
 (……)固有名は、言語の一部であり、言語の内部にある。しかし、それは言語にとって外部的である。あとでのべるように、固有名は外国語のみならず自国語においても翻訳されない。つまり、それは一つの差異体系(ラング)のなかに吸収されないのである。その意味で、固有名は言語のなかでの外部性としてある。
 ラッセルが固有名を記述に還元することによって論理学を形式化したように、ソシュールは固有名をまったく無視することによって、言語学を形式化した。その結果、言語学フレドリック・ジェイムソンのいう「言語の牢獄」に閉じこめられる。しかし、その出口をいきなり指示対象に求めてはならない。その出口は、ラッセルやソシュールによって還元されてしまった固有名にこそある。のちにのべるように、言語における固有名の外部性は、言語がある閉じられた規則体系(共同体)に還元しえないこと、すなわち言語の「社会性」を意味するのである。

 (……)「ふつう、不安には対象がないとされています。……しかし、不安は対象をもたないわけではないのです l'angoisse n'est pas sans objet」(S10, 105, …)。なぜか。ここで、子供と母の原初的関係をふたたび参照しよう(…)。母が自分の前に現前したり不在になったりするのを見た子供は、母には「何か」が欠如しており、母はその「何か」を欲望しているために自分の前から不在になるのだ、と空想する。この母に欠如している「何か」は、想像的ファルス(…)と呼ばれる。子供は、この欠如を介してさまざまな空想を発展させることが可能であり、その後の欲望の展開もこの欠如ぬきには考えることができない。では反対に、母が子供の前につねに現前し、つねに子供の世話をしつづけるとき、何が起こるだろうか? そのとき起こるのは、想像的ファルスという欠如が欠如することである(S10, 67)。欠如が欠如したところには、充溢した対象が現れる。その対象は、母の身体の痕跡をとどめた、子供に不安を引き起こす「不気味なもの」である(S10, 53)。すなわち、不安は、対象が存在してはならない欠如(…)の場所に対象aが顕現するときに生じるのである。ラカンは次のように述べる。

この対象aのもっとも明白な顕現 manifestation の信号、対象aの介入の信号、それが不安です。(S10, 102)

 不安は、快原理に従う人間がなるべく遠ざけておかなければならない現実界が接近していることを示すシグナルである。つまり、不安は、一次的な満足体験の場である〈物〉の世界が近づいていることの報せなのである。これは危機的な状況である。というのも、先に述べたように、この現実界の接近が主体にもたらすのは快ではなく、むしろ快原理のシステムを撹乱する苦痛であるからだ。もし、主体が現実界に到達してしまったなら、そのときひとは母の身体に飲み込まれ、消滅してしまうことになるだろう。だからこそ、ひとは、現実界の接近をなんとしても避けなければならないのである。

  • (……)さんのブログは二〇二〇年二月二五日。以下の一段落が面白かった。

ゾンビたちがヨロヨロ、ユラユラとあたりをふらついているのは、まるで老人たちがあてもなく徘徊しているかのようにも見える。「ゾンビ」は、みていると何となく、人がどんどん老人になっていく話という感じもする。それをひたすら若者視点で撮影し続ける映画。若者は老人のことなんか眼中にないから、目障りだし邪魔なのでどんどん押しのけて射殺して道を開ける。油断してると自分らも老人たちに取り囲まれて、たちまち醜くて愚鈍な老人になってしまう。それは絶対に嫌だ、だからとにかく殺しまくって、自分らのテリトリーに侵入してこれないように、万全の仕切りを設ける。