2020/5/29, Fri.

 どこにもアイデンティティーを見出せない苦しみは、そのままカフカ自身の苦悩でもあった。彼は一九二一年一〇月二九日の日記で、両極に揺れ動く自分を次のように描写している。「孤独と人々との共存との間にある国境地帯を、僕はただ極めて稀にしか踏み越えたことがない。僕は孤独そのもののなかによりも、むしろずっとこの国境地帯に住みついていた。これに比べれば、ロビンソンの孤島はなんと生き生きした美しい国だったことだろう」(Tagebücher. Hg. von Hans-Gerd Koch, Michael Müller und Malcolm Pasley, 1990. 871)。(……end260……)
 カフカは乖離する二つの極に、絶えず身を引き裂かれる思いを懐く。だが〈国境地帯〉に立つことで、彼は作家として独自の視点を獲得することができた。二極の間に、彼は茫漠と広がった未開の大地を見た。それはあらゆる事柄がその明確な輪郭を失い、常に混沌とした世界である。既成の概念から離れて、あらゆる想念が浮遊する世界なのである。従ってこの世界では、一方の極が肥大化して、他方を凌駕するようなことは起らない。必ず他方の極から疑念が発せられ、その勢いにブレーキがかけられる。まとまりのある固定したものへと結実しない不毛の動きでもある。しかしこの領域は、どの作家も未だ足を踏み入れたことのない処女地である。カフカは、この二方向にほぼ同じ張力で引っ張られる文学世界に固執する。彼は両極の間を絶えず揺れ動き、その境界から外へ出ようとはしない。(……)
 (高橋行徳『開いた形式としてのカフカ文学』鳥影社、二〇〇三年、260~261)



  • 五時直前に消灯してベッドに横たわったものの一向に眠れず、Mさんと話した言葉の反芻やそこから派生した思念が、そういう思いを巡らせようという意志的能動性はまったくなしに自動的に頭のなかを通過していく。で、それを見ながらと言うか聞きながらと言うか自己対象的に認知しながら思ったのだけれど、この脳内の思考=言語がすこしも絶えずに継がれ継がれて、留まることなく停止しないという事実がやはり自分にとってはとても不思議なことだ。同じ述懐はいままで何度も綴っているはずだが、これが停止するためには、眠るか、脳機能を破壊するか、それとほとんど同じだろうが死ぬかの三択しかないわけである。生きて脳を平常に保ちながら目覚めている限りこちらの頭は常に言葉を喋り続けており、それは止めようと思っても絶対に止められるものではない。ときに多少の隙間は生まれるし努力によってそれをいくらか広げることも不可能ではないかもしれないけれど、所詮はわずかな足搔きに過ぎない。この思考=言語の流れを見ていると、これも過去に何度も引いていると思うが、ロラン・バルトがインタビューで紹介していたある言語学者の言葉と、磯崎憲一郎がデビュー作のなかに書きつけていた一節のことをどうしても思い出さずにはいられない。

 (……)「わたしはビルに入った」とわたしが言う時、わたしの文はとてもありきたりですが、それがフランス語の文法に従属する構文の規則に従っているという意味で構造化されています。一人称の主語の形態、動詞、場所の補語、これだけの拘束があるのです。チェスのように駒があり、規則があります。しかしながら、構造を備えたこの文は、同時に、閉じていません。それが閉じていないという証拠は、無限にそれを拡張することができるからです。
 例えばこの文は、「わたしは階段を昇るのが嫌いなのだが、外で雨が降っていたので、ベリー通り二五番地のビルに入った」となることができます。一つの文が決して飽和状態に達することがなく、理論的には無限のプロセスに従い次々に補充することによって、よく言われるように、触媒作用を引き起こすことができるという考えは知的次元においてまさに驚くべきものです。中心は無限に可動的なのです。
 なんという言語学者が言っていたのかもうわかりませんが、とても素晴らしいそしてとても心をかき乱されるものがあります。「私たちの一人ひとりはただ一つの文だけを話すのですが、死だけがそれを中断できるのです。」 それはあらゆる認識に一種の詩的戦慄を伝えるものです。
 (143~144; 「『レクスプレス』誌は前進する…… ロラン・バルトとともに」; 『レクスプレス』誌、一九七〇年五月三一日号)

 こう仮定することはできないだろうか。ビンビサーラは物心ついたときから以降もうまもなく臨終を迎えるいまに至るまで、途轍もなく長い、ひとつながりの文章をしゃべり続けている。途中には話題の転換や逸脱、休憩が入ることはもちろんあるにしても、彼がいま語っている事柄は常に、なんらかの形でそれ以前の話を踏まえたものにならざるを得ないのだから、それは長い長い一本の文章を語っているのと同じことではないか。だが、そこでラーフラは思い直した。これは人生の時間が途切れなく続いていることのたんなる言い換えに過ぎない。彼はふたたび人間の人生が過去でできていることに思い当たった。どんな時間でも過ぎてしまえば、人間は過去の一部分を生きていたことになるのだけれど、ここで不思議なことは、今このときだっていずれ思い返すであろう過去のうちのひとつに過ぎないということなのだ。だから、という繋がり方はラーフラにもうまく説明はできないのだろうが、ビンビサーラもまた生き続ける、彼が話し続ける限り死ぬこともない。
 (磯崎憲一郎『肝心の子供』河出書房新社、二〇〇七年、79~80)

  • で、思考=言語が「継がれ(続け)る」ことが不思議だというのは、それがまったく留まらないという事実が神秘だということでもあるのだが、また別の意味として、ある思考=言語がある時点で発生するとその次にまた別の思考=言語が続けて生まれるという、この継起を繋ぐ「次に」の介在、この「次」があることそのものが不可思議な感じをもたらすということなのだ。ただし「次」があるというのは、必ずしも一般的な意味での因果関係があるという意味ではない。もちろん、思考=言語も言語であるからには基本的には言語的文法やその法則に従った形で展開・表象されるものなので、きちんとした文脈をそなえている場合も多いけれど、同時にそれは人が書き言葉として整えた形で用いる言語よりも破綻している部分が多く、つまりはもしそのまま書き言葉として文章化できたならまるで前後関係が通らないと思われるような流れで思考が突然飛躍し、何の脈絡もないはずのことを想起して別の方向に進むということも往々にしてあるわけだ。だからそれはどちらかと言えば話し言葉としての言語のありように近いのかもしれず、とすればこの思考=言語を脳内のおしゃべりと呼んだり脳内独語とでも呼んだりするのは比較的適切なことだと思うのだけれど、しかしそれはまた完全に話し言葉に還元されるというわけでもない。
  • 自分の感じ考えていることをいまいちうまく明晰化できていないのだが、ひとまず定かだと思われる地点に戻ると、思考=言語の連鎖において「次に」という認識作用が介在するのが不思議だという感覚が一つにはあった。この「次に」の認知はどこから拠って来たるものなのかと言えば、大きくは当然、また少なくとも一つには、人間における時間性の観念がその下敷きになっているだろう。つまり時間が流れるという物事の捉え方そのもの、ある時点が存在してさらに別のある時点が存在すると、そのあいだに不可避的に「前後」という関係が生まれてしまうということ、おそらくはこの関係の発生及びそれによる連繋・接続がこちらにとって神秘的なのではないか。それを視覚的イメージでもって言い換えれば認識における線形空間化作用ということになり、すなわち認知と思考において物事が点に留まらず線として繋がってしまうということがどうも不可思議なのかもしれない。したがってこれは、広い意味での比喩的 - 幾何学的想像力の問題でもあるだろう。
  • 思考=言語の表象形式を考えてみるに、言語なのだから当然のことだがそれは線状に流れていくものであり、なおかつ複数ではなくて単線体である。なぜなら思考=言語が宿りこちらという主体に認識される領域とは〈頭のなか〉という一つの場であり、その〈頭のなか〉は複数領域に分割されるものではなくて、少なくとも思考=言語の経路はいつも必ず一つだからだ。〈頭のなか〉のこの部分にはこの言葉があって、同時にあの部分にはあの言葉がある、という分裂的な形でそれが現前することはない。思考=言語はいつも単一の同じ場所で発生し流れていくもので、それが複線化するという事態は、少なくとも顕在的には体験したことがない。ある思考=言語が発展し繋がっていく方向性が潜在的にいくつかほの見えると言うか、その行き先の分枝が予兆的に感じ取れるということはあるかもしれないが、現在の瞬間において現前している思考=言語は常に単一であるはずだ。
  • これはたぶん、現象学的な認識における基本前提になっているとかいう命題、意識は常に単一方向の指向性をそなえているという原理と何かしらの関連があるのではないかという気がするけれど、この単一的な思考=言語の線的連鎖における「繋がり」について考えてみると、先ほども述べたように、それは書き言葉の形で表出された文章のようにいつもきちんと整っているわけではなく、ときには大きな断絶が挟まっていたり、道筋としてすごくでこぼこがたついていたりするわけだ。けれどともかく、ある要素とある要素が継起するという体の認識はそこに間違いなく成立する。すなわち、おそらくは〈関係〉概念のもっとも純化された一形態として、前後関係あるいは一方向的「次」の関係が認識の基盤としてそこに見出されるように思うのだが、その基盤にもとづいた〈関係〉概念の分類を考えてみるに、中学校の国語で既に習うごとく、それはある場合は「順接」と呼ばれるものであり、ある場合は「逆接」であり、ある場合は「添加」であったりとさまざまに分けうるわけだけれど、ここにおいて重要でありなおかつこちらにとって不思議なのは、そこに必ず何らかの〈関係〉が発生してしまうということである。あるものがあり、あるものがあれば、そこには必然的に〈関係〉が見出されてしまう。仮に思考=言語が、上に挙げたように脈絡を欠いた飛躍的な形で連鎖したとしても、それもまた何らかの意味で繋がっていると見なされるということで、そういう場合の〈関係〉を言い表す文法用語として、人は「並列」という言葉を持っている。ただ偶然並んでいるだけ、ということだ。それは要するに〈無関係〉とほぼ同じ意味になりうるはずだが、しかしそれもまた〈関係〉概念の一部であることは言うまでもなく、〈関係〉概念中の例外項としてであれ、そのなかに安全に包摂されてしまっているわけである。
  • これはむろん意味づけの問題、意味論的連関の問題であり、〈無関係〉も〈関係〉の一つだというのはほぼそのまま「無意味」も「意味」の一部だということと同じであって、したがってここにおいて、意味とは人間がそこから逃れることのできない絶対的な宿命なのです、というロラン・バルトの例のテーゼに立ち戻らなければならないわけだけれど、次に浮かぶ疑問としてはまず、この〈関係〉としての意味付与はやはり言語によって獲得されるのかな? ということが一つある。また、言語によって〈関係〉の認識が成立するとして、それと時間性との関連はどういうことになるのか、言語が先なのか時間が先なのかそれとも同時なのか、ということがもう一つありうる。さらに、あるものがあってまたあるものがあればそのあいだに〈関係〉すなわち意味づけが発生してしまうというのは、文学的な用語に寄せればもちろん、何かが二つ存在していれば既にそこに物語があるということになるわけだが、なおかつこれはおそらく構造が生まれるということでもあるのではないか。逆に言えば、ものが一つしかなければそこに物語や構造は生じえないのではないか? むろん、その単一と見えるものをよりこまかな単位に分割して内部的構造を見出すみたいなことも考えられるけれど、しかしひとまずは単一性によって物語を生み出すことはできないはずで、ということは物語や構造とは定義上、複数性を担うものだということになる。
  • とりあえず今日のところはこのくらいにしておきたいけれど、最後に自分が不思議だと感じる核心的なポイントに戻っておくと、それはやはり思考=言語が「継がれる」という働きであるような気がする。あるものが発生してそこで動きが停まるのではなく、さらにあるものが発生して「継がれる」という事態。そして、繰り返しになるがそれは主体の消滅までずっと恒常的に続くわけだ。たぶんこのことがこちらの感じる不思議さの中心点だと思う。
  • そういったことを考えつつ、晴れて明るい早朝の光のなかに目を瞑っていたわけだが、眠れなかったので七時半頃いったん起きた。しかし便所に立つと、やはり身体の平衡が多少ぶれるような感じがある。とは言え一晩寝なかったくらいで今すぐ死ぬものでもなし、もう本を読みながら眠気がおのずと来るのを待とうというわけで、奥村恆哉校注『新潮日本古典集成 古今和歌集』(新潮社、一九七八年)をベッドで読みだしたところ、来るものは意外と早くやって来た。正確な時間を確認しなかったが、八時二〇分くらいには意識を落としていたと思う。そうして一一時半まで眠る。

And deadgod eloquently summed up the urgency of reading Primo Levi: “The point of Levi’s being on a ‘life syllabus’ isn’t just … responsibility to Levi himself (though there is that); one probably doesn’t have time and might not have the strength to read every gutting Shoah book. The responsibility is also to those who didn’t survive the Khmer Rouge, or Srebrenica or Rwanda. The responsibility is to the indigenous peoples of the western hemisphere and Australia and the Pacific islands. And so on.”

     *

(……)In a later afterword, he tell us to always be “suspicious of those who seek to convince us with means other than reason, and of charismatic leaders: we must be cautious about delegating to others our judgment and our will.”

His warning to history continues:

In every part of the world, wherever you begin by denying the fundamental liberties of mankind, and equality among people, you move toward the concentration camp system, and it is a road on which it is difficult to halt … A new fascism, with its trail of intolerance, of abuse, and of servitude, can be born outside our country, and be imported into it, walking on tiptoe and calling itself by other names, or it can loose itself from within with such violence that it routs all defences. At that point, wise counsel no longer serves and one must find the strength to resist.

 新型コロナウイルス対策を検討してきた政府専門家会議の議事録を政府が作成していないことが28日、分かった。共同通信の情報公開請求に、事務局の内閣官房が回答した。議事の概要と資料は公表されているが、各出席者の詳細な発言は記されず、対策検証の妨げになる可能性がある。
 政府は3月、新型コロナ問題を「歴史的緊急事態」に指定し、将来の教訓として公文書の管理を徹底することを決定。安倍晋三首相は「適切に、検証可能なように文書を作成、保存していると認識している。今後さらなる徹底を指示する」と強調した。消極的な政府の開示姿勢に、専門家会議の委員からも疑問の声が出ている。

And among the different types of dissent available (armed insurrection or combining armed and unarmed action), nonviolent resistance has historically been the most effective. Compared with armed struggle, whose romanticized allure obscures its staggering costs, nonviolent resistance has actually been the quickest, least costly, and safest way to struggle. Moreover, civil resistance is recognized as a fundamental human right under international law.

     *

They[nonviolent campaigns] constantly increase their base of supporters, build coalitions, leverage social networks, and generate connections with those in the opponent’s network who may be ambivalent about cooperating with oppressive policies.

Crucially, nonviolent resistance works not by melting the heart of the opponent but by constraining their options. A leader and his inner circle cannot pass and implement policies alone. They require cooperation and obedience from many people to carry out plans and policies.

     *

Historical studies suggest that it takes 3.5% of a population engaged in sustained nonviolent resistance to topple brutal dictatorships. If that can be true in Chile under Gen Pinochet and Serbia under Milosevic, a few million Americans could prevent their elected government from adopting inhumane, unfair, destructive or oppressive policies – should such drastic measures ever be needed.

  • 上のGuardianの記事を読んでいる途中で文中のリンクに飛んだら、Jan-Werner Müller, "Donald Trump's use of the term 'the people' is a warning sign"(2017/1/24)(https://www.theguardian.com/commentisfree/2017/jan/24/donald-trumps-warning-sign-populism-authoritarianism-inauguration)という記事に繋がって、ヤン=ヴェルナー・ミュラーやんと思った。『ポピュリズムとは何か』(板橋拓己訳、岩波書店、二〇一七年)の著者である。この本は発刊された当時に政治学・政治哲学界隈でたぶん多少話題になっていたはずで、かく言うこちらも図書館で見かけて二〇一九年の七月に読んだのだけれど、この人の文を載せるとはさすがGuardian、やるやんと思いつつスクロールしたところで登録を求められた。ついに来たか、と思った。Guardianはいままで読者に登録や有料購読を強制しておらず、こちらのなかではわりと最後の良心的な感じがあったのだけれど、それもここまでだ。あるいは登録が必要なのは昔の記事だけだろうかと思ってトップページに戻り、香港関連の最新ニュースを一つ覗いてみたところ、それにも同じ表示が出てきたので致し方ない。とは言えいまのところは無料登録ですべて読めるようなので、早速登録しておいたけれど、きっとそのうちGuardianも有料になってしまうのではないか。
  • 二〇一九年五月一三日月曜日の日記を読み返す。冒頭、山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』の引用は本の終わりでそれまでの説明を復習し、神観の発展を要約したもの。長い書抜きだが引いておく。

 (……)前一三〇〇年頃以前には、そもそもイスラエルという民族も存在していなければ、ヤハウェという神も知られてはいなかった。しかし、遅くとも前一二〇〇年の少し前までには、パレスチナに「イスラエル」と呼ばれる部族連合的な共同体が成立していた(メルエンプタハ碑文)。多様で複雑な起源を持つこの共同体は、やがて共通の先祖に遡る系図、共通の歴史伝承、同じ神の共有等を通じて一つの民族としての性格を強めていく。
 「イスラエル」という名称から見て、この集団は、最初は「エル」という神を共通の神として結束していたらしい。このエル崇拝が、すでに排他的な一神崇拝の性格を持っていたかどうかは分からない。このエルが、やがて外部から(出エジプト伝承の担い手である集団によって?)もたらされたヤハウェという強力な戦いの神と同一視された。この段階で、ヤハウェ崇拝には排他的な性格が強まったと考えられる。この経過の中で、単に従来の神との同一視が行われるだけでなく、従来の神(々)の自覚的放棄が決断されるという事態もあったらしい。この時代は、エジプトの支配権のパレスチナからの後退とその結果としてのカナン都市国家同士の抗争激化、ペリシテ人を含む「海の民」の侵入などに起因する政治的・社会的な大変動、混乱の時期であった。そのような不安定で困難な状況の中で、共同体全体がヤハウェのみを排他的に崇拝することは、イスラエルという民族のアイデンティティを創出・維持・強化するために「環境適合的」な作用を持ったと思われる。それは、危機的な状況を克服し、共同体が存続するための知恵でもあった。これが、いわば「第一の革命」である。
 ただし、初期イスラエルの一神崇拝は、他の民族の神々の存在は否定せず、ただ「イスラエルの神」はヤハウェのみだという、民族神的拝一神教であった。それはイスラエルの民族神、国家神はヤハウェのみであるというものであり、地域や家族の生活のレベルでは、ヤハウェ信仰以前の宗教的慣習が色濃く残されていた。
 サムエル記の記述にもかかわらず、イスラエルにおける王国成立の歴史的過程はよく分からない。イスラエルとユダが、列王記に描かれるように統一王国から二つに分裂したのか、それとも別々に成立したのかについても、現在の状況では確言できない。しかし、王たちを含む人名の検討などから、そのどちらの国においてもヤハウェが唯一無二の国家神、王朝神であったことは確かである。このうち、特にユダ王国においては、ヤハウェダビデ王朝の結び付きが極めて緊密であった。
 前九世紀から前八世紀にかけて、北王国イスラエルではフェニキアとの同盟を通じてバアル崇拝が蔓延し、南王国ユダではアッシリアの国家祭儀の導入に触発されて宗教混淆的傾向が強まった。このような信仰の危機ともいえる状況下で、従来のヤハウェ専一信仰を守るために戦ったのが、エリヤやエリシャなどの預言者たちであった。特に、前八世紀の文書預言者たちは、イスラエル、ユダとヤハウェの間の民族宗教的な絆を一旦断ち切り、従来の民族主義的拝一神教の枠を超えて、異邦人勢力を用いてイスラエル、ユダを罰する世界神としてのヤハウェの観念を生み出した。いわばこれが、「第二の革命」であった。前七二二年のイスラエル北王国の滅亡は、そのようなヤハウェの裁きの実現と解釈された。
 前七世紀後半になると、申命記運動の担い手とヨシヤ王は、地方聖所の廃止と祭儀集中、異教的要素の粛清という国家的、政治的手段を通じて、ヤハウェのみの排他的崇拝を復興し、強化しようとした。これにより、地域のレベルでの非ヤハウェ信仰的要素も排除されることになった。また、この運動を通じて、ヤハウェとの契約の観念、申命記法、十戒、「シェマの祈り」などが確立した。これを「第三の革命」と見ることができる。ただし、この段階でも、神観はあくまで拝一神教的なものであった。
 ヨシヤ王や申命記運動の奮闘にもかかわらず、この信仰「革命」はヨシヤの非業の死によって頓挫し、その後ユダ王国は滅亡し、生き残りの人々の多くがバビロン捕囚となる。この前六世紀の破局的事態は、捕囚民に未曾有の信仰の危機と動揺をもたらした。それはバビロンの神々の勝利として、またヤハウェの敗北や無力さの露呈と解釈されるおそれがあった。しかし、申命記運動の継承者たちや捕囚時代の預言者たちは、あるいはこの破局イスラエルの罪の結果として意味づけ、あるいは不可能を可能にするヤハウェの全能を描くことで、この信仰の危機を克服しようと努めた。ここに「第四の革命」がある。
 このような国家の滅亡と捕囚という極限的な状況の中で生じた一連の「第四の革命」に続いて、それとは質的に異なる、ある意味で人類宗教史上最大の思想的・信仰的革命が起こった。それが、ヤハウェ以外の神の存在を原理的に否定する、第二イザヤによる唯一神観の宣言である。ヤハウェ以外に神は一切存在しない。これが、いわば「第五の革命」である。そこには、神というものについて考える枠組み(パラダイム)の転換があり、「逆転の発想」がある。重要なことは、それが国も王も土地も神殿も失い、絶望の淵に追い込まれた捕囚民の間から、無力な民に力を与え、絶望を希望に変える起死回生的、一発逆転的な究極の論理として語り出されたということである。アクエンアテンの場合とは異なり、それは独裁的な支配と権力を補完し維持するための論理ではなかった。それは、最も非力な集団が絶望的な状況を克服し、生存と信仰を維持するための「生き残り」のための論理であった。
 (山我哲雄『一神教の起源 旧約聖書の「神」はどこから来たのか』筑摩選書、二〇一三年、361~365)

 (……)こうした企て[全体主義]の固有に新しいところ、恐るべきところは、自由を拒絶したり、自由は人間にとって良いものでも必要なものでもないという主張ではない。それどころかむしろ、人間の自由は歴史の展開のために犠牲にされなければならないし、人間が自由に活動したり動き回れば、この歴史の過程を人間が邪魔することになるだけだというイメージがそうなのである。(……)
 (ハンナ・アーレント/ウルズラ・ルッツ編/佐藤和夫訳『政治とは何か』岩波書店、二〇〇四年、33)

  • 新聞記事。まず二〇二〇年五月二八日木曜日の夕刊から八面、「サイエンス & エコロジー」の記事。高レベル放射性廃棄物処分場選定について。「高レベル放射性廃棄物の処分方法などを定めた最終処分法が成立して5月で20年になるが、候補地選定に向けた動きは進んでいない」。「最終処分法」については注が付されている。「高レベル放射性廃棄物を、深さ300メートル以上の地下に埋設することや処分地の選定に向けた手続きなどを定めた法律。2000年5月に成立し、事業主体としてNUMOが同年10月に設立された」とのことで、「NUMO」とは「原子力発電環境整備機構」のことだ。それらを踏まえて、まず基礎的な説明として以下の記述がある。

 高レベル放射性廃棄物は、日本原燃の使用済み核燃料再処理工場(青森県六ヶ所村)で、使用済み核燃料からウランやプルトニウムを取り出す過程で出る「核のゴミ」だ。ガラスと混ぜて固めた「ガラス固化体」にして、さびにくいステンレス製の容器に入れて30~50年保管した後、最終処分場に運ばれる。
 最終処分場では、さらに厚さ約20センチの強固な金属容器で密閉。地下水との接触を抑えるために厚さ約70センチの粘土で覆った後、深さ300メートル以上の地下の岩盤に埋設する。
 地下深い場所では酸素が少ないため、金属が腐食しにくく、そのままの状態で閉じ込めることができる。高レベル放射性廃棄物は時間の経過とともに無害化するが、安全と言えるまでには10万年かかるという。
 国とNUMOは、4万本超のガラス固化体を埋設できる最終処分場を全国で1か所、建設するとしている。
 総工費は約3・9兆円。地下部分の広さは6~10平方キロ・メートルになる。

  • 「高レベル放射性廃棄物は時間の経過とともに無害化するが、安全と言えるまでには10万年かかるという」という部分はやはりクリティカルな情報だと思われて、一〇万年などというわけのわからん歳月を中心的条件として含んだ計画なんて人間が敢行しちゃって良いの? 普通に無理じゃない? という素朴な思いは感じる。処分場の選定手続きについては、「埋設開始まで30年」という小見出しのもと、次のような説明が記されている。

 最終処分地に名乗りを上げると、20年間にわたる3段階の調査が必要になる。まず近くに火山や活断層がないか過去の記録から調べる「文献調査」、次に掘削して地質などを調べる「概要調査」を行う。最後に地下に施設を作り地盤の安定性などを調べる「精密調査」を実施。国の調査が進めば、自治体には最大90億円の交付金が出る。
 処分地の決定から最終処分場の建設には10年をかける。高レベル放射性廃棄物を50年以上かけて埋設し、その後、処分場は閉鎖される。

  • そのほか、政府は「17年には、最終処分地に適する場所を日本地図に色分けして示した「科学的特性マップ」を公表し、関心のある自治体には名乗り出るよう促した」と言うが、選定は進んでいないわけだ。
  • 同面にはもう一つ、【「反物質」消失の謎/ニュートリノで迫った/高エネ研 研究10年】の記事もある。「高エネ研」というのは「高エネルギー加速器研究機構」のこと。冒頭には「宇宙が誕生した時には「物質」と、質量が同じで電荷が逆の「反物質」が同じだけできたとされる。しかし、反物質はその後、消滅して物質だけの宇宙になった」との学説があり、たぶんこれが現在の物理学における先端的な世界理解として共有され研究が進められているのだと思うが、一体どういうことやねんと困惑せざるを得ない。「物質と反物質はぶつかると消滅するが、両者にごくわずかな性質の違いがあるため、物質だけが残ったと考えられている」らしい。実験には例の「ニュートリノ」とかいうよくわからん素粒子が用いられると言い、「ニュートリノには、「電子型」「ミュー型」「タウ型」の3種類があり、空間を飛行中に別の種類に変身する性質がある。実験では、茨城県東海村加速器施設「J―PARC」で、ミュー型のニュートリノと、その反物質であるミュー型の反ニュートリノを大量に作り出して発射。295キロ・メートル離れた岐阜県飛騨市素粒子観測装置「スーパーカミオカンデ」で、ミュー型から電子型に変身した数を観測してきた」という具合。そして、「その成果が4月、英科学誌ネイチャーに掲載された。これまで約10年に及ぶ研究で、電子型のニュートリノは90個観測されたが、電子型の反ニュートリノは15個しか観測されなかった。ニュートリノと反ニュートリノの性質に違いがあることを95%の信頼度で示した成果だという」。
  • 次に五月二九日金曜日朝刊。この頃の新聞はまだ写しておくべき部分に印をつけておらず、どれに興味を持ったんだったかと見返して思い出すのが面倒臭いのだが、ジョージ・フロイドの事件とそれ以降の展開についてはやはり記録しておかなければならないだろう。この日の新聞には九面に【黒人男性死亡 米でデモ/白人警官 首押さえつける/ミネアポリス】の記事がある。「米中西部ミネソタ州ミネアポリスで、白人警官に組み伏せられた黒人男性が死亡する事件があり、これに対する抗議のデモが激化している」。「死亡したジョージ・フロイドさん(46)は、小切手偽造に関与した疑いで25日に拘束された後、意識を失って病院に搬送された。路上にうつぶせの状態で、警官のひざで首を上から押さえつけられ、「息が出来ない」と訴えるフロイドさんの映像がネット上に出回り、警察への反発が広がった」。この報道を読んだこちらはここで、カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』の次の記述を思い起こさなくてはならない。

 エリック・ガーナーを死に至らしめた絞め技は、偶発的なもののように見えるが、実際はそうではない。絞め技には長い伝統がある。ロサンジェルスだけでも、一九七五年から一九八三年のあいだに十六人の人間が絞め技の犠牲となった。ニューヨークでも、エリック・ガーナーの死の二十年前、ブロンクス出身の二十九歳の男性で、やはり慢性的な喘息を患っていたアンソニー・バエズが、警官の絞め技によって死亡した。バエズが絞め技をかけられたきっかけは、煙草販売を疑われたことではなく、サッカーボールで遊んでいたことだった。そのサッカーボールがうっかり(この点は警察も認めた)、駐車中の警察車両に当たってしまったのだ。エリック・ガーナーを死に至らしめた絞め技は、ずいぶん前から違法になっている。ニューヨーク市警はすでに一九九三年に絞め技を禁止している。にもかかわらず、エリック・ガーナーの死亡状況を調査し、警官ダニエル・Pの行為を判断する任務を負った大陪審は、二か月にわたる審議の結果、Pの不起訴を決定した。
 「破壊者が皆、たとえようもない悪人だというわけではない。彼らは今日にいたるまで、単にこの国の気分をそのまま実行に移す者たち、この国に受け継がれてきた力を正確に解釈する者たちに過ぎない」と、タナハシ・コーツは著書『私と世界のあいだに』で述べている。そこには悪意や突発的な激しい憎しみさえ必要ない。コーツによれば、必要なのは、黒人のことは常に貶め、軽視し、不当に扱っても構わない、それで罰を受けることはないという、連綿と続く確信のみなのだ。必要なのは、黒い身体から危険を連想させ、それゆえ黒い身体に対するいかなる暴力も常に正当化する、受け継がれてきた想像上の恐怖のみなのだ。こういった歴史のなかで内面化された価値観のもとでは、エリック・ガーナーやサンドラ・ブランドや、チャールストンのエマニュエル・アフリカン・メソジスト教会の信者たちが、客観的に見て無抵抗だった、または無実だったと指摘しても無駄である。受け継がれてきた世界観においては、白人のパラノイアは常に正当化されるのだ。
 エリック・ガーナーを死に至らしめた絞め技は、確かに個人的な行為ではある。あの状況で絞め技をかけたのはダニエル・Pという個人なのだから。だがあの絞め技は、最近#blacklivesmatter運動によって注目を集めている、アフリカ系アメリカ人に対する白人警官による暴力の歴史の一部である。白人による暴力への恐怖は、アフリカ系アメリカ人の集団的経験であり、奴隷制の遺産の一部だ。なんともやりきれないパラドックスである――黒い身体に対する人種差別的な恐怖は社会的に認知され、再生産される一方、烙印を押された黒人たちの側からの白人警官の暴力に対する正当な根拠のある恐怖は、まさにその人種差別の死角に追いやられたままなのだ。「エリック・ガーナーを窒息死させた警官が、あの日の朝、誰かを殺してやるぞと思いながら家を出たと信じる理由はない。理解せねばならないのは、あの警官は合衆国国家から権力を与えられており、アメリカの遺産を受け継ぐ者だということだ」と、タナハシ・コーツは書く。「このふたつの要素が必然的に、毎年のように破壊される身体のうち飛びぬけて多くが黒人のものであるという結果をもたらすのである」
 (カロリン・エムケ/浅井晶子訳『憎しみに抗って 不純なものへの賛歌』みすず書房、二〇一八年、85~86)

  • 「エリック・ガーナーを死に至らしめた絞め技」と同様、ジョージ・フロイドを死に至らしめた窒息もまた、明らかに「偶発的」なものではなく、「長い伝統」の力の庇護下で発生させられたものである。それがどういう意味かということは、上の記述に先立つページに記された次の文章にも明晰に語られている。

 知覚や視野とは中立的なものではなく、歴史的な思考パターンによってあらかじめ作られたものだ。そこではパターンに合致するもののみが知覚され、記憶される。黒人が体を震わせることがいまだに怒りの表現だととらえられる社会、白人の子供たち(そして大人たち)がいまだに、黒人を避けるべき、恐れるべきなにかとして見るよう教えられる社会では、エリック・ガーナー(またはマイケル・ブラウン、サンドラ・ブランド、タミル・ライスほか、白人警官の暴力の犠牲になったすべての人たち)は、脅威であると見られる[﹅4]のだ。たとえなんの危険もない存在であっても、何世代にもわたってこういう見方をする訓練を積んできた結果、警官は実際に恐怖を感じていなくても、黒人の身体を不当に扱うことができる。恐怖はもうとうに、警察の組織的な自己認識へと変容し、そこに刻み込まれている。黒い身体をすべて、なにか恐ろしいものとして認識する人種差別的な思考パターンは、社会をまさにこの危険(と彼らが思いこんでいるもの)から守ることこそ自らの使命だと考える白人警官たちの態度へと乗り移る。たとえ白人警官個人はその場で憎しみや不安を感じていなくても、ためらいなく黒人の権利を制限することができる。こうして、抵抗できない死にかけた黒人の身体さえ、脅威とみなされるようになるのである。
 (80~81)


・作文
 19:08 - 20:10 = 1時間2分(5月29日)
 20:39 - 21:04 = 25分(5月3日)
 21:33 - 22:36 = 1時間3分(5月3日)
 25:15 - 25:35 = 20分(5月7日; 5月8日)
 25:35 - 26:02 = 27分(5月3日)
 27:48 - 28:10 = 22分(5月3日)
 計: 3時間39分

・読書
 7:33 - 8:20? = 47分?(古今和歌集: 184 - 188)
 12:16 - 12:41 = 25分(英語)
 12:42 - 13:02 = 20分(記憶)
 13:11 - 13:46 = 35分(Jordison)
 13:58 - 14:39 = 41分(Chenoweth)
 15:58 - 17:05 = 1時間7分(古今和歌集: 188 - 196)
 18:28 - 18:53 = 26分(日記)
 22:39 - 25:08 = 2時間29分(古今和歌集: 196 - 217)
 計: 6時間50分

・音楽