2021/6/3, Thu.

 『ソフィスト』のプラトンは、虚偽や誤謬が、「在るものども」(タ・オンタ)と反対のことがらを語るものであるから、現に誤謬と虚偽とがある [﹅2] 以上は、あらぬ [﹅3] もの、なんらかの意味で「非存在が存在する」、つまり無(メー・オン)がある [﹅2] ことをみとめなければならないと論じていた(二四〇d―二四一a)。在るものは、他のさまざまなものもある [﹅2] のに応じてあらぬ [﹅3] 。或るものは、それら他なるものではない [﹅2] からである。したがって、あらぬ [﹅3] は「ではない」を意味し、差異を定立するものとなる。非存在、無とは、いっさいのある [﹅2] ものに絡みついている、「ことなりの本性」(二五八d―e)なのである。「エレアからの客人」はここで、パルメニデスの禁止に背いて、「父親殺し」(二四一d)の大罪を犯したことになる。それは、しかし新たな禁令の公布でもあった。プラトンは「ひとがそれを反駁できないかぎりでは」、これとはべつのしかたで無について騙ることはゆるされない、と宣言しているからである(二五九a)。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、55)



  • 一一時半すぎの起床となり、少々遅い。天気は曇り。上階へ。食事はきのうの牛肉ののこり。新聞はイスラエルの組閣をつたえており、夕刊でもおなじ件がでていたのでここにまとめて書いてしまうが、野党八党で連立と。ネタニヤフ派が五二議席、野党連合は六二になるみこみ。リクードは三〇議席で、野党のなかではイェシュ・アティドがたしか一七でいちばんおおいのだが、今回の連立には極右としるされてあったヤミナと「我が家イスラエル」がふくまれており、右派と左派の同床異夢というか呉越同舟というか、ごちゃごちゃしたごった煮なので、これつづくのかなあとおもう。しかもそこに「ラーム」というアラブ政党もはいっている。アラブ系政党が内閣にくわわるのはイスラエル史上はじめてのことらしい。連立内ではヤミナのベネットという党首が半期首相をつとめて、そのあとイェシュ・アティドの党首にかわるという合意ができているらしく、パレスチナにたいする姿勢ではリクードもたいがいだが、「極右」といわれているからにはヤミナも「我が家イスラエル」もたぶんその点ではリクードとかわらないか、もっと強硬なのだろうから、パレスチナにとってよいことにはたぶんならないだろう。連立協議がまとまって合意にたっし、大統領のほうに通知されたのは、組閣期限のわずか三〇分まえだったとか。しかしこの連立はまだ確定したわけではなく、一週間後だったか、国会で議決されて決まるというので、そのあいだにネタニヤフは右派と交渉してとりくずしにかかる。じっさい、左右どちらからも、イデオロギー的へだたりがおおきすぎると疑問をなげる議員がでているらしい。
  • 食後はいつもどおりの行動。帰室して茶を飲み、以下。
  • いま一時まえ。一年前の日記をよみかえしている。「道へ出れば風はさほど流れず空気は停まりがちで、六月からクールビズが許されたので今日はベストもはおらずネクタイもつけなかったが、それでも普通に蒸し暑い」とあって、六月にはいってさっそく、はやいな、とおもった。今年はまだベストも脱いでいないし、ネクタイもつけている。
  • 「(……)そこを過ぎて階段通路に入れば、見上げた空の雲蓋のなかに太陽が、わずかばかり赤味を帯びた姿で、あるいは漂白された橙色のおもむきで、ぼんやり溶けて映っている。ホームに下りてベンチに座るとここでは風が横向きに、すなわち東西方向にいくらか吹いてそこそこ涼しく、その風に乗って惑わされたように蝶が一匹、白く飛んでくる」という描写がなかなかわるくない。「おもむき」をひらがなにひらいたのはこの時期のじぶんとしてはたぶんまだめずらしいとおもうが、正解だろう。蝶の白さを形容詞として蝶自身に付加したかたちでしめすのではなくて副詞にまわしたのも、じぶんはあまりやらないようなきがするが、よいではないか。
  • 職場に(……)さんがきており、はじめて顔をあわせている。彼女は先日の会議のさいに、ZOOMの画面越しだがすがたが確認され、がんばっているようなのでよかった。(……)先生とも初顔合わせ。彼女はまだはいって一年しか経っていなかったのか。
  • よみかえしをおえたのち、ベッドにころがって書見へ。ピエール・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』(人文書院、一九九五年)。七〇年代から八〇年代あたりにかけてフランスで活発化した歴史修正主義の動向が知られてよいのだが、あまり訳がよくないのがおしい。ピエール・ヴィダル=ナケはもともと古代ギリシア史が専門らしいのだが、政治的方面の活動もいろいろしたようで、フーコーといっしょに「監獄情報グループ」をたちあげたひとりのようだ。フランスにおける歴史修正主義の主要人物のひとりとして、ロベール・フォリソン(Robert Faurisson)という学者がいたようで、おどろくべきことに、ノーム・チョムスキーが彼の本に序文を寄せていたらしく、ヴィダル=ナケはその件もとりあげてチョムスキーを非難している。
  • さいきんよくCarole King『Music』をBGMにながしていて、このアルバムでは#2の"It's Going To Take Some Time"とさいごの"Back To California"が好きなのだが、とくに後者は好ましく、けっきょくこういう古き良き時代のロックンロール的な香りの音楽はだいたいどれも好きなのかもしれない。この曲をきいているとThe Beatlesの"Get Back"がおもいおこされるのだけれど、書見後に爪を切っているあいだにつづけてながしてみたところ、やはりわりと似ているようにおもう。歌のあいだにギターソロやピアノソロがはさまれる構成もそうだし、歌詞も、The Beatlesのほうでは"get back to where you once belonged"と歌われるわけだが、Carole Kingは"so won't you carry back to California"とか、"let me be where I belong"といっているし。まあそこだけだし、とくにめずらしい表現ではないのだろうが。それにしてもCarole Kingはこういう曲でもじぶんのペースをたもっているなあとおもう。つまり、ロックンロール調でありながらも、歌がじつに、気の抜けたようなトーンだというか、暢気というか、たいていこういう曲ならそれにあわせて声を張ったりなんだりするのではないかとおもうが、まるでそうしていない。それがかえって、レイドバック、というのか、そういうかんじがかもされてよい。これだったらたとえば『Tapestry』の"(You Make Me Feel) Natural Woman"ほか、いろいろな曲のほうが、がんばってちからをこめて歌っている感があるだろう。
  • 『記憶の暗殺者たち』は200をこえたあたりまで。註をのぞけば240あたりで本篇は終了なので、もう終盤。
  • いま四時まえ。かきぬき。Cal Tjader Quartet『Jazz At The Blackhawk』をながしているのだが、#3の"I'll Remember April"が、まえからすごいとおもっていたがやはりすばらしく、ここでのCal Tjaderの闊達さと流麗さは(たとえば『Miles Davis And The Modern Jazz Giants』の"The Man I Love"における)Milt Jacksonにもまったく負けていないとおもう。めちゃくちゃ乗れる。おもわず指をとめてしまう。ピアノもよい。
  • 五時で上階へ。アイロンかけをさっそくはじめる。父親は山梨にいっており、泊まってくるという。じゃあ楽じゃん、と母親にいって、麻婆豆腐でいいんではないかとつげた。それでアイロンかけをするが、その間母親は外にでてなにかしていたもよう。天気はかわらずくもりのまま。シャツをつぎつぎに処理していく。おえると台所にはいって、まず小松菜をゆでる。フライパンに湯をわかし、もうひとつのフライパンはややよごれているようにみえたので、そちらにも湯をわかす。一方で菜っ葉をゆで、もういっぽうはキッチンペーパーで拭く。小松菜があがると麻婆豆腐へ。そのころには母親も屋内に。ほんとうはひき肉を具とする品だが、ひき肉はないし、いまゆでた小松菜の軸のぶぶんと、シイタケと、ニンジンをほんのすこし具とすることに。肉は冷凍のこまぎれ。それらを炒め、麻婆豆腐の素もしくはソースをパウチからしぼりだしてからめ、豆腐も手のひらのうえできりわけてくわえると、外にいっていた母親が取ってきたニラをさいごに入れて、それでしばらく熱して完成。
  • アイロンかけと料理をすませてもどってくると、Carole Kingをもっているもの以外にもきいてみるかとおもい、Amazon Musicにアクセスして、とりあえずライブ盤をと『In Concert』をながした。一九九四年の音源だが、冒頭の"Hard Rock Cafe"からして、八〇年代を通過したあと、というかんじがする。もっとも、この曲じたいは七七年のものらしいが。Wikipediaでパーソネルを確認すると、おどろくべきことにリードギターとしてSlashのなまえがあり、SlashってあのSlashだよな? とうたがわしかったのだけれど、Carole KingのグループでSlashが弾いているさまをかんがえるとわりと意味がわからない。髪型は似ているけれど。ほか、ベースとして、John Humphreyというなまえもあるのだが、このひとも九八年以来Scott Hendersonのトリオにいるらしくて、Carole KingとSlashとScott Hendersonまわりのひとがいっしょというのもだいぶ意味がわからない。Slashは#7 "Hold Out For Love"と、#14 "Locomotion"で弾いているらしく、いまちょうど前者のソロがながれているが、これたしかにSlashだわ、というかんじ。微妙な音程を駆使したチョーキングのブルージーな粘っこさとクロマチックをふくめたレガートを部分的にすばやくからめてくるやりくちが。
  • "Chains"をやっていて、The Beatlesのカバーじゃんとおもったのだが、もともとこれはKingの曲なのだ。ほか、"Locomotion"もそうなのは知らなかった。
  • 音楽をながしつつストレッチをほんのかるくてきとうにやり、そのあと八時半くらいまでうえにいかなかったのだが、なにをやっていたのか。Nicolas C. DiDonato, "Religion the opiate of the poor?"(2013/2/5)(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/02/religion-the-opiate-of-the-poor/(https://www.patheos.com/blogs/scienceonreligion/2013/02/religion-the-opiate-of-the-poor/))をここでよんだはず。マルクスが、宗教は民衆のアヘンだという有名なことばをのこしているわけだが、それがもしかしたら研究的にも妥当かもしれない、というはなし。つまり、経済的格差のおおきな社会のほうがひとびとが宗教的になりやすいということが調査でいちおうデータ的にしめされたようなのだが、それは困窮層だけでなく、富裕層もそうらしく、じっさいのところ、貧者は宗教によって現世的価値を絶対とみなさずに精神的なことがらの価値をみとめてなぐさめをえて、富者のほうもみずから宗教にコミットし、投資したりしてその勢力を拡大させることで、経済的再配分への強い要求をある種中和したり阻害したりしているのではないか、みたいなはなしだったとおもう。
  • あと、きょうは「ことば」と「知識」を音読したが、これはここだったか、それか五時になるまえだったかもしれない。先日、斎藤兆史『英語達人塾』という新書をよみ、そのなかに素読とか暗唱のはなしがでてきたのに影響されて、俺も音読をそういうふうにするかな、とおもったのだったが、そうしてあらたにもうけたのが「ことば」というカテゴリである。端的な題名だが、これはようするに名文集、なんども読みまくっておのれの血肉としたいような、すばらしいとおもう文章をあつめるノートになる。したがって、だいたいは文学作品からのことばになるだろう。ほかはせいぜい哲学くらいではないか。そしてもうひとつ、「知識」というカテゴリもつくった。いままで「英語」いがいには「記憶」というノートでおぼえておきたいことをまとめて、一項目二回のペースでよみかえしていたのだが、このなかに知識としてあたまにいれておきたいことと、名文や気に入った表現などがいっしょになっていたので、それをわけたしだいだ。そして読み方も、こちらも一項目二回ですすんでいくのではなくて、素読的というか、回数をきめずになんどもよんで、その文章に書いてある情報が充分あたまにはいったなとおもったらつぎにいく、というかたちにすることに。やはりおぼえたいことをひとつひとつきちんとおぼえていくのがよいだろう。その点、音読というのは楽である。たいしてなにもかんがえなくても、ともかくも口をうごかして、声にだしてなんどもよんでいれば勝手にあたまにはいるのだから。極端なはなし、一〇〇回とか五〇〇回とかよめば、一言一句の暗唱は無理でも、そこに書いてある内容じたいは、おおかただれでも記憶できるだろう。そして、「英語」ノートは放棄することに。放棄するといって削除するわけではないが、これも面倒くさくなってきたというか飽きてきたなというかんじがあるので。英文記事をよんでわからない単語がでてきたら、その都度前後をふくめてコピペしておき、一項目二回ずつ音読して語彙を身につけてきたわけだが、よんでいるとちゅうにそうやってコピペして単語の発音やら意味をメモって、とするのがいがいとやはり面倒臭いので、もうけっこう英文をよめるようにもなってきたし、メモはせずに、しらべながらもどんどんよんでいけばよいのでは、とおもったのだ。で、英文の音読は、「知識」とか「ことば」のほうでできればよいだろうと。だから、わからない単語をメモることはせず、たんじゅんに記憶すべき知識やすばらしい表現があったときだけコピペし、それらを素読するかたちで英文をとりいれていけばよいだろうと。それで「知識」のほうはさっそく、さいきんよんだBBCの記事、すなわち、ウクライナのバビ・ヤールの谷にシナゴーグが開設されたという文をたしておき、それをきょうよんだ。あとは「記憶」記事をさいどまえから確認していって、順次足そうとおもっているのだが、「記憶」ノートのいちばんさいしょが新崎盛暉『日本にとって沖縄とは何か』なので、そのかきぬきをEvernoteで(Notionにはうつしていないので)よみかえして、まずはその本からおぼえたいことを抜いていこうと。
  • 夕食時は夕刊でイスラエルの件を。それから朝刊にもどってよもうとしたところ、テレビはなぜか『ロシアゴスキー』をかけていたのだが、そこにスヴェトラーナ・アレクシエーヴィチがでてきたのでそちらをみた。いつだかわからないが日本にきて、福島で被災したひとびとのはなしをきいていたらしい。知らなかった。そのあと東京でスピーチしたり、大学生らとはなしたり。アレクシエーヴィチは『チェルノブイリの祈り』という書をだしており、それが紹介されると母親はチェルノブイリというなまえに反応して、彼女がこの固有名詞を原発事故とむすびつけて理解したのはまだ数か月まえのことであり、兄夫婦からきたメッセージでチェルノブイリについてのテレビドラマをみました、みたいなものがあって、たぶんそこではじめて知ったのだとおもうが、それに反応して母親は、おなじかんじだったのかなとかなんとかつぶやいたところ、つづけてはなしだしたアレクシエーヴィチがまさしくその言を肯定するように、福島でみたことはわたしがチェルノブイリでみたこととまったくおなじでした、と断言し、建物の破壊とか、被災者の絶望とか、いくつか例をあげたのだけれど、正直このふたつの原発にかかわる事件について性急な、かつ断言的な同一化には慎重であるべきだとおもうものの、じぶんが『チェルノブイリの祈り』をだしたときに大げさすぎるとか、人間は危険な技術であれコントロールできるとか批判されたものだが、日本という先進的な文明国でおなじことがくりかえされてしまったのです、というアレクシエーヴィチの言にはわりと説得力はある。あと、アレクシエーヴィチがベラルーシの作家といわれて、あれ、そうだったか、とおもい、それでじぶんがウクライナと勘違いしていたことにきづいた。ルカシェンコによって反体制派が弾圧されていて、大統領選挙に立候補した女性やらそのほかの抗議者が外国にのがれた国をいつのまにかウクライナとおもっていたのだが、ベラルーシだった。日記も検索してみると、案の定、ルカシェンコが飛行機を強制着陸させて反体制派メディアの創設者を拘束した先月の件で、ウクライナとかいているところがいくつかある。面倒臭いのでなおさないが。
  • アレクシエーヴィチのあと、録画されていた『ロシアゴスキー』がもうひとつながされたが、それがモスクワ川をクルーズする会で、これわれわれがモスクワにいったときに乗ったのとおなじではないか、となった。船に乗る場所がウクライナ・ホテルのそばといわれていたが、まさしくそうだったとおもうし、船の外観や、舳先というか先端のほうで屋外にでたときのカメラの映像をみてみても、たぶんおなじ種類の船だったとおもう。われわれが利用したのとおなじサービスだろう。三〇〇人がのれるとかいわれていて、そんなに乗れるくらいのひろさだったかな、というのはちょっとふたしかだが。船ではテーブルをかこんでスプライトをのみながら、兄とゴーゴリやらマヤコフスキーやらのはなしをちょっとしたはず。
  • 食後、入浴。暑いが、湯のなかで多少停まる。あいまにでてからだに冷水をあびながら。髭もそった。髪も切りたいのだが、電話するのが面倒くさくてわすれてしまう。でてくると、おとといの帰路に買った炭酸のオレンジジュースをもって部屋へもどり、氷を入れたコップにそそいでのみながら、Mark Edmundson, "Defender of the Faith?"(2007/9/9)(https://www.nytimes.com/2007/09/09/magazine/09wwln-lede-t.html(https://www.nytimes.com/2007/09/09/magazine/09wwln-lede-t.html))をよんだのがこのときだったか? たぶんそう。フロイトが晩年の『モーゼと一神教』でとなえた論もしくは説の紹介というかんじの記事で、いわく、そこで彼はモーゼはじつはユダヤ人ではなくてエジプト人だったという胡乱げな説をとなえているらしいのだが、本題はそちらではなく、ユダヤ教が神を図像化不能な目に見えない存在として理解するよう規定したことで、ユダヤ人たちは多民族と比較して抽象的な思考の能力を向上させることになり、じぶんの精神をみつめる高度な自己把握能力や内面性を獲得して、それによって数学とか法学とか芸術とかもろもろの分野ですぐれたちからを発揮した、みたいなことをいっているらしい。この後者のはなしはたしかにどこかできいたことがある。じっさいのところどうだかわかりゃしないが、この記事の筆者は、反宗教の立場を一貫してとおしてきたフロイトも、晩年にいたって、無神論者でありながらも同時にこのようなかたちで宗教の価値というものを発見した、彼は無神論を標榜していながらも、同時にひとびとにひろく影響をあたえて社会を変革する預言者としてのモーゼにインスピレーションをえてきたことはあきらかである、ニーチェも同様に、キリスト教をめちゃくちゃに批判しながらも、しかしイエス・キリストひとりにかんしては高く評価し、むしろ共感をいだいていた、ショーペンハウアーもその点類似している、というようなことをのべていた。
  • つかれたのでベッドに伏してピエール・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』(人文書院、一九九五年)をよみすすめているうちに三時にいたり、そのあたりでいったん意識をうしなって、さめると三時四〇分だったのでそのまま消灯、この日の生を終わらせた。日記をどうもかたづけられない。そのぶんたくさん読めているからわるくはないが。

2021/6/2, Wed.

 デモクリトスについて現存する断片のほとんどは、じつは倫理にかかわる箴言あるいは断章である。「笑うひと」と呼ばれた、デモクリトスがもとめたものは、「快活さ」(エウテュミア)であったといわれるけれど、それはただの「快楽」(ヘドネー)ではない(前掲『列伝』 [ディオゲネス・ラエルティオス『哲学者列伝』(Diogenes Laertios, Vitae philosophorum)、第十巻] 四五節)。勇敢さとは、敵に打ちかつことであるばかりでなく、快楽に対して勝利することである(断片B二一四)。「すべての快楽を、ではなく、麗しいことにおける快楽をえらばなければならない」(B二〇七)。エピクロスが説いた倫理が、いわゆる享楽主義者(エピキュリアン)のそれと遥かに遠く隔たって、「こころの平静」(アタラクシア)をもとめる教説であったのと同様に、デモクリトスの倫理的箴言も、高邁な道徳と呼ばれてよいものに満ちている。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、54)



  • 一〇時一五分ごろに目をさました。そのまえにもさめたときがあったとおもうが。夢をみた記憶があるのだが、なんだったか、内容をおもいだせない。(……)さんがでてきたような気がするが。意識をとりもどすと、こめかみやら肩のまわりやらをもんだり、首筋をのばしたりして、一〇時四〇分に離床した。今日も滞在はほぼ七時間ちょうど。これをもうすこしへらせればなあとはおもうが、七時間と六時間ではやはりだいぶからだの感覚がちがうもので、こちらの心身の、すくなくともいまの適正はこのくらいなのだろう。今日は瞑想もせず、すぐに上階へ。洗面所で顔をあらったり髪をとかしたり、トイレで用をたしたり、また水場にもどってうがいをしたり。天気は曇りである。ハムエッグでは芸がないし、卵もないようだったので、肉を焼くかとおもった。あまりかわらないが。冷凍に廉価な豚肉のこまぎれがあったので、それをフライパンで焼いて米にのせた。食べながら新聞。大坂なおみがうつ症状にさいなまれていることを明かして全仏棄権を発表、というのはきのうの夕刊でもみたことだ。国際面には今次のあらそいで停戦はなったけれど、東エルサレムで住民同士の対立がのこりくすぶっている、との記事。それはもうずっといぜんからのことだろう。イスラエル側が入植するわけだが、ユダヤ人の家はここはわれわれにあたえられた神の土地だとか、おなじみの宗教的スローガンをしるした横断幕をかかげ、パレスチナ人もそれに対抗して、われわれがこの土地からでていくことはない、みたいな幕をかかげているらしい。パレスチナ側の家には、表札に書かれた家族のなまえがぬりつぶされたり、鍵穴に粘着液をながして塞ぐいやがらせがおこなわれたりしていると。ユダヤ人入植者はオスマン帝国時代の一九二二年の権利書を根拠に土地の所有権を主張しているらしいのだけれど、さすがに無理筋ではないか? 滅亡した国家だし。しかしそれがたしか裁判でみとめられているのだったか、パレスチナ側のひとが何人か控訴して審議中、とかかれていたとおもう。また、神殿の丘まわりでの抗議のときだとおもうが、一六歳の少女にゴム弾だか撃った警官への捜査を保留するみたいな発表もあったと。だからとうぜんパレスチナ側は憤慨する。
  • 皿をあらっていると母親がバタバタはいってきて、(……)ちゃんの妹から連絡があって映画とランチにいきませんかって、という。すきにすればよい。それで洗濯物を入れてくれというので了承。つかったフライパンに水をそそいで沸騰させ、キッチンペーパーで汚れをぬぐっておいてから、風呂洗いへ。すむとでて、自室から湯呑みと急須をもってきてあらっておき、カルピスを一杯つくって帰室。Notionを準備してここまで今日のことをしるした。一一時四五分。
  • この日のことも、この前日、前々日とおなじく、サボっていたのでだいたいわすれた。勤務後に書こうといつもおもっているのだが、しかし勤務してくると、みじかい時間なのになんだかんだやはり疲れて、文を記す気力がなくなってしまう。といって勤務まえは音読したり書見したりからだをほぐしたりしたい。この日、出勤までは、洗濯物をいれてたたんだり、足拭きを各所に配置したり、豚汁を食べたり、米だけはでるまえに磨いでおいたり。往路は三時台に徒歩でいった。薄陽があって、路上にうっすらとじぶんの影が湧きだすくらいのひかりの量だった。だから、すごく、というわけではないが、そこそこ暑い。坂道をのぼっていくと、道の脇、左の斜面をおおっている林のまえになにかゴミが投棄されていて、ここはときどきゴミが捨てられているところで、それはだいたい空になった弁当の容器だったり、菓子やらなにかのパッケージだったりするのだが、そしてときおり我が父親が公共心からかたづけているようなのだが、このときはたくさんのビニール袋だった。コンビニでもちいられるような薄手のものというより、服屋とかでちいさな品をいれるような、やや固めのビニール袋のたぐい。いろいろな種類があったよう。なぜあれらをわざわざあそこに捨てるのかわからないが。ふつうに自宅で使いようがありそうなものだ。
  • 裏道をあるいているとうしろから自転車の一団がきて、四人いたのだが競技としてやっているタイプの本格的なひとびとで、装いがそれぞれ青、蛍光ペンみたいな緑まじりの黄色、赤、青とカラフルだった。彼らはこちらをおいぬかしていき、するとすぐに(……)坂にかかって、左折して坂道をのぼっていくのだが、最後尾の青いひとがひとり、ちからが足りなかったのか容易にのぼれず、いったん止まってもたつきながら自転車から降り、遅れて追いかけるかたちになっていた。とはいえ、坂まできて左をむくと、ほかのひとたちもけっきょく先のほうで勾配にさからわず降りて押していたが。
  • (……)付近の丘の緑がじつに青々と色濃く、接する空の水色とくっきり対峙していた。裏道がいちど尽きて横にはしった路地にかかると左右に視界がひらき、それで左をむきながらみあげたところ、空は水色を基調としてはいるものの淡い雲もおおくふくんでおり、乳を垂らして混ぜたまま時間が経って浸透したような風合い。駅前のコンビニの脇にみんな自転車をともなった小学生の集団が溜まっていて、わいわいにぎやかにしながら乗り物を駆って発っていった。最後に発ったひとりがスマートフォンで音楽をながしていたようであたりにひびいていたのだが、その音楽がやはりいくらか今風というか、小学生でこんなかんじのやつ聞くんだ、という印象だった。といってべつにこちらの好みではなく、多幸的にあかるいポップスのたぐいで、たぶんなにか男性アイドルの曲では? とおもわれたのだが。もしそうだとしてもBTSなど韓国のそれではなく、日本のものだったとおもう。集団にはまた女子がふたりだけいたようなのだが、彼女らは男子らが発ったあとにものこっていたようなので、その後行動をともにしたのかは不明だし、もしかしたらおなじグループではなかったのかもしれない。かといってべつにまったくの他人というわけでもなく、知ってはいて交流がある、くらいのかんじだったのかもしれない。
  • 勤務中のこともやはり面倒なのではぶく。帰路は電車を取った。けっこう待ち時間があったのだが、ベンチについて、もしくは車内の座席で、だいたい目をつぶって休息しており、そういうのもわるくない。瞑目でじっとしていると、ようするに外でなかば瞑想しているようなものだが、そうしているとしだいに外にいるというかんじが薄くなってくるというか、公的空間で他者にかこまれているという感覚が弱くなってくる。まわりに他人がいるということを認識しなくなって自分ひとりの世界に浸るというわけではなくて、周囲の他者が発する存在感や知覚情報を明晰に意識にとらえてはいるのだけれど、なんというかそれにじぶんが関係しなくなるというか、それに影響されなくなるというか。うまく言い表せないし、言おうとするとどうしてもありがちな言い方になるのだが。公的空間にあって他者のなかにいるというだけで、人間、じぶんで意識せずとも心身がある程度は勝手に緊張しているものだとおもうのだが、それが解除されるというか。
  • 帰路、ふたたび日記を金にしようかというまよいをおぼえ、とりあえずカンパを募る、金にするうんぬんは措いておいて、今後そういう方策を取ることになったときのために、毎日の記事を一部抜粋でnoteに投稿しつづけ、知名度を多少なりともえておいては? とおもったのだが、実行はしていない。なにかにつなげるうんぬんは措いて、とりあえずはてなブログ以外にもまた読んでもらう場所をつくって、すこしばかり文をひろめるか? とおもったのだが。やってもよいのだが、べつにわざわざやるほどでもない、というかんじもある。実行にかたむくほどの強い動機をじぶんのなかにみいだせない。

2021/6/1, Tue.

 アナクサゴラスもまた、エンペドクレスとおなじように、エレア学派の基本的な前提を受けいれたうえで、世界の多と動、多様性、ならびに生成と消滅という課題にとり組んでいたものと思われる。「生成と消滅について、ギリシア人たちは正しく考えていない。なぜなら、どのような事物も生成することもなければ、消滅することもないのであって、存在している諸事物をもとに混合し、分離しているからである。だから、生成を混合するといい、消滅を分離すると呼ぶのが正しいだろう」(断片B十七)。断章のひとつがそう語っているとおりである。
 エンペドクレスは死すべきものも生まれず、滅びないと考えた。だが一方では、ひとはひとを生み、羊は羊を産んで、植物のたねからはおなじ植物の芽が芽吹く。おなじものからおなじものが生じている。そればかりではない。「どのように、毛髪ではないものから毛髪が生じることがありうるのだろう。肉ではないものから肉が生じることがありうるのだろう」(B十)。アナクサゴラスが語りだす「すべてのものの種子(スペルマタ)」はそこで――アリストテレスそのひとが、それを「同質素」(ホモイオメレー)と呼びなおしたこともあって――、それ自体は(end49)同質的な、究極の元素のようにも理解されるけれども、アナクサゴラスの真意はおそらくそうではない。アナクサゴラスはゼノンの無限分割論をまちがいなく踏まえたうえで、最小のものなど存在しないと考えていたからである(B三)。
 アナクサゴラスが展開していた思考は、エンペドクレスふうの思弁ではなく、ごく具体的な観察にもとづくものであったことだろう。たとえば、ひとは他の動物の肉を食べる。そのことでひとのからだは成長し、肉が増え、毛髪が伸びる。そうであるとするならば、動物の肉には、人間の肉や髪となるべきものが、なんらかのしかたで内在していたと考える余地がある。動物の肉にふくまれるその要素は植物から、植物のそれは大気と大地から採りこまれたものだろう。「全体(シュムパーン)のうちに、すべてのものがふくまれている」(B四)。
 スペルマタもまた、それぞれにすべてのものをはらみ、ただし混合のおのおのの比において宿すがゆえに、どれひとつとしておなじものはなく、たがいにことなる、無限に微少なものとしてとらえられていたことと思われる。種子は同質的なのではなく異質的 [﹅3] であり、それぞれのしかたで全体を映している。それは生成もせず、消滅もしないから、つねに同一のものであり、存在しつづけるものなのである(B五)。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、49~50)



  • 一一時ちょうどの起床。水場に行ってきてから瞑想もおこなった。今日もさほどながくはなく、一五分少々だったのではないか。上階に行って、食事にはまたハムエッグを焼く。米にのせて黄身と醤油をまぜて食す。新聞からはいつもどおり国際面を。イスラエルの組閣の件について、きのうの夕刊につづき載っていた。ネタニヤフが退陣するみこみ、と。右派政党ヤミナがイェシュ・アティドを中心とした中道左派の連立にくわわることを表明したという。イスラエル国会の議席は一二〇で、リクード宗教政党でたしか五七くらい、三月あたりにあった選挙後、最初はネタニヤフが組閣をこころみたのだがはたせず、第二党イェシュ・アティドの党首にうつり、期限が六月二日か三日にせまっていたところ、当初は合流を否定していたヤミナのベネットという党首が意をひるがえしたと。イェシュ・アティドと「青と白」ほかでこれも五七くらいあったはずで、ヤミナが六か七なので過半数にたっする。右派がこの連立にくわわることについて、ネタニヤフは「世紀の詐欺」だと糾弾したらしいが、ようやくひとまずはリクードの時代が終わりそうだ。だからといって、パレスチナのひとびとのあつかいがよくなるかというと、たいしてそうもならないだろうが。
  • もうひとつ、香港で、天安門事件追悼のデモ行進をひとりで敢行した人間が逮捕されたという報があった。公安条例違反。無許可の集会に参加して他者を煽動した、というのが当局のいいぶんらしいのだが、ところが公安条例における「集会」の定義は三人以上の規模である。
  • 食事をおえ、食器と風呂をあらって帰室。部屋にかえると、母親が布団を干しておいてくれたのだが、ふだん枕もとに置いてある本やノートや英和辞典がことごとく床におちて散らばっていたので、けっこう不快をおぼえた。先日もおなじことがあっておなじように不快をおぼえ、日記にもかきつけたところだ。ノートや辞書はともかく、本を粗末にすることはやめてほしい。ベランダのほうから下敷きの布を引っ張るようにしてとるので、そのときにおちるのだろうが、なぜひとのものを床におとしておいて、それをひろっておこうというかんがえにいたらないのだろうか? しかし言っても詮無いこと、じぶんで布団を干さないのがわるいのであって、これもおのれの不徳のなせることだ。それなので文句はいわずに茶をのんでコンピューターをまえにしているうちにすぐにわすれた。LINEで「(……)」の(……)の件に返信。そのあととりあえず一年前の日記のよみかえし。学校教育に日記を導入してなるべく毎日こどもらに文を書かせろ、などといっている。いまでもこれはやれば一定の効果はあるとふつうにおもっているが。塾で小中生と接するかぎり、いまの義務教育はもうそもそも、手書きであれタブレットであれ、文を書く時間や機会そのものがむかしとくらべるとかなりすくなくなっている印象なのだ。授業もだいたいプリントがつくられてあって、板書をする必要もないので。プリントで空欄になっているところを埋めればよいだけなのだ。その前後は、つまり文脈が、あまり気にされない。気にされたとしても、その範囲はみじかい。こちらのころでも、小学校はどうだったかわすれたが、すくなくとも中学校はまだ教師が黒板に書いたことを写すやりかたをとっていた気がするのだが。それはそれでつまらなかったり、面倒だったり、教師のまとめが下手くそだったり字が汚かったりすぐに消してしまって親切でなかったりとあるわけだが、なんだかんだいっても単純に文を書き写すというのは、やはり知らないうちに力にはなっていたのだとおもう。そもそも他人の文すらなぞれない人間が、じぶんの文など書けるはずがないではないか。文字と文を書く機会がなければ、そりゃたしかな言語能力など身につくわけがない。

(……)途中、こちらが国語のテストの問題を読んでいるのを見た彼は、国語全然できない、嫌い、だって作者の気持ちとかわからないし、と漏らす。学校の国語教育で「作者の気持ちを考えましょう」という式の教え方がなされるという話は一般に流通していてよく見かけるのだが、こちらの記憶では小中高時代にそんな授業を体験した覚えはない。「登場人物の心情を読み取りましょう」なら普通にあったと思うが。それで、そういう授業やってんの? と訊くと、何か文章を読んだときに自分が感じ取ったことを感想に書きましょうとか、美術の作品を見たときに作者がそこにこめた気持ちを考えましょうとか、そういうことを要求されるらしく、(……)くんとしては、そんなこと言われても何も感じないし、となるわけだ。まあまったく何も感じていないということはたぶんなくて、自分の感覚に対する即時再帰的な視線を持っていないということではないかと思うが、それを受けたこちらは、世の中にはそういう風潮があるんですよとにやにやしながらまず皮肉り、まあ、それはそんなに良くはないかもねと控えめに批判しておき、だってそんなのわかんないじゃんと彼に同意したあと、それよりそこに書いてあることそのものを見たほうが良いと思うよ、ここの表現めっちゃ良くね? とか、このキャラクターの行動好きだな、とか、と例示しつつ、テクスト論的な姿勢の第一歩への導きではないけれど、具体的な部分を見るようにと一応促しておいた。読書感想文は書けない。国語のテストでも毎回、文章を読んで感じた感想を書けみたいな問題が最後に出されるらしいのだが、それも書けないと言う。その言にも同様に、ここの言葉が良かった、好きだというところを見つけて、あとはなんで好きだと思ったのかその理由を書けば良いんじゃないと適当に助言しておいた。だいたい作者の気持ちだの読書感想文だの、そんなものはたいがいクソつまらないことにしかならないわけで、それよりは読んだ文章のなかで気になった箇所とか一番好きだった部分とかを書抜きする習慣を身につけさせたほうがよほど有意義かつ有益だとこちらは思う。高校の授業も「論理国語」と「文学国語」だったか忘れたけれど二つに分かれて選択制になるとかいう話で、そうすると若者の「文学離れ」がますます進むだの国語教育が貧困化するだのと嘆かれているけれど、こちらに言わせればそんなことはまるで本質的な問題ではないのであって、たた単純に子供たちも人々も、「論理」的な文章であれ「文学」的な文章であれ、言葉を読む量と文を書く量が少ないというだけのことに過ぎないと思う。簡単な話、なるべく毎日日記を書かせるという仕組みを学校教育に取り入れれば、それだけで人々の言語運用能力はいくらかましになるだろうとこちらは完全に確信している。内容は何でも良い。朝食べたものを列挙するだけでも良い。一日に一文だけでも良い。書くことが見つからなければ、教科書の文を適当に写すだけでも良い。とにかくなるべく毎日ノートをひらいて何らかの言葉をそこに書きつけるという時間を重ねさせることが重要なのだ。もちろんそんなことつまんねえ面倒臭えと思って書きたがらないやつもいるだろうし、そいつはそいつで良い。読み書きよりも大事なことはこの世にいくらでもあるのだから、そいつはそいつで好きなことをやれば良い。ただそういう営みを面白いと感じて、わざわざ促さずとも自発的に熱心に取り組む子供も一定数は絶対にいるはずで、日記制度を導入すれば、少なくともそういう子の言語運用能力や思考力をより有効に涵養することは可能になるだろう。子供たちが書いたものを教師がチェックするのが大変なのでたぶん現実に制度化はされないだろうが、何だったらチェックなんかしなくたって別に良いわけだし、鶴見俊輔とかが戦後にやっていたらしい(やってはいなかったかもしれないが)「生活綴り方運動」って要するにこれとだいたい同じことだと思う。もしこちらが学校教師だったら普通にこの制度を導入する。それで本当に自分自身の、例えば小学校六年間分の毎日の記録が文として残ることになったら、それはわりと悪くないことではないかと思うのだが。毎日書き、また確認するのはとても大変だということなら、せめて国語の授業で文章を読んだときに必ず書抜きをするという習慣くらいは身につけさせたほうが良いと思う。つまりは書抜きノートを作ってそこに引用を集積させるということで、小林康夫大澤真幸と対談した『「知の技法」入門』(河出書房新社、二〇一四年)のなかで、引用ノートを作ってただ好きな箇所を手書きで写す、コメントも何もつけずに日付と引用文だけで良い、それを続けて一冊できあがればそれは最高の宝になりますよみたいなことを言っていた記憶があるけれど、その言にはこちらも普通に同意する。

(……)一応段落ごとの内容を確認して、読みながら各段落の役割を考えられると良いねとは言っておいたが、こちら自身は文章を読んでいるときにそんなことは少しも考えていない。だいたい受験制度的学校教育の国語などというものは上述したとおりクソみたいに退屈でつまらないのであって、作者の「思想」や「主張」はともかくとしても「気持ち」などは大抵の場合はどうでもよろしい。国語教育でするべきことは、そこに書いてある文章の意味の射程をできる限り理解させること、すなわち目の前の言語そのものに基づく姿勢を学ばせること、気になった箇所や好きな箇所を写させること、なるべく毎日何らかの文を書かせること、集約すればこの三点しかない。それに加えて、パラフレーズ及び要約の練習をさせても悪くはないだろうが、それは最終的にはどちらでも良い。この三点あるいは四点をきちんとやれば、読解力だの作文力だのは勝手につく。

  • したも一年前の日記から。わかりやすいテーマだがわるくない。

SUICAを持ってこなかったので切符を久しぶりに買う。隣の券売機には軽薄そうな高校生のカップルがついていた。ホームへ行き、待合室の側壁脇で立って待ち、腕を前後に引っ張るなどして首や肩や背の筋を伸ばす。小学校の校庭からは子供の声が伝わってくる。停まっている待機電車に遮られてあちらの様子は見えないのだが、ブランコが後ろに大きく振れて最高点にまで達したそのときだけ、電車の上端を越えて子供の後頭部が視界に覗き、しばらくしてから電車が移動して校庭の景色があらわになると、乗る子供のいなくなったブランコだけがわずかに揺らいで人の名残を留めていた。(……)

  • ミシェル・レリスの文もひかれていて、よかった。これもじつにおなじみのテーマというかんじだが。

 雨が潤滑油なみの役目を果たし、それぞれのものをなめらかに軋みなくしかるべき場所におく機械のごとき働きをする、それが雷雨のあとの美しい光だ。そうした光のなかでなにもかもが鋸歯状に輝きを放ち、動きはないものの、なんとも暖かい色合になるので、いまにも爆発が起きるのではないかと思わせる眺めになっているのを眼にすると、なんと法外の歓び(その原因はささいな事柄であるにもかかわらず)を感じることだろう!
 (ミシェル・レリス/谷昌親訳『オランピアの頸のリボン』人文書院、1999年、119)

  • うえまではほぼこの当日に書いたもので、いまは六月四日なので、この日のこともだいたいわすれた。出勤までは布団をいれたり音読したり書見をしたり。勤務中のことは、まあまったくおぼえていないではないが、面倒臭いので割愛しよう。だいたい日記など、Twitterなみに一行でもよいわけだし、べつに億劫だったら書かなくたってよいのだ。帰路を(……)くんとともにする。裏道をあるいているとうしろから追いかけてきたので。ほんとうは生徒といっしょにかえるのは駄目なのだが、男子同士だからおおかた面倒なことにもならないだろうし、このばあいはべつによかろう。途中で白猫がいたので少時たわむれるなど。彼はスマートフォンをつねに片手にもちながら自転車を押してあるいている風情で、モンストだかわからんがゲームをやっているか、あるいは『五等分の花嫁』なんかの動画をながしているか、あるいはなにかしらの音楽をながしているかで、それでこちらのことばにたいする反応がなかったり遅かったりすることがあった。けっこうゲーム仲間みたいなひとがいるらしい。この帰路のあいだにも、なまえからして女子ではないかとおもったのだが(たしか「(……)」だか「(……)」みたいな名ではなかったか。男子の可能性もありそうだが)、いきなり電話をかけていっしょにゲームをやろうとしていたことがあった。それはおそらく学校やそのまわりの関係ではなく、ゲームをつうじて知り合ったオンラインの仲間なのかもしれないが、それでも仲間がいるようなので安堵する。こちらの家までついてこようとするので、さすがに自宅がバレるのはまずいだろうと遠回りしていると、(……)のまえまできたところで通りの対岸をやってきた自転車が(……)くんであり、ふたりは友人なので、そこで具合よくこちらは別れることになった。坂をおりたところの角にある自販機で炭酸のオレンジジュースを買って帰宅。
  • あとは(……)さんのブログから以下の引用。

熊谷 綾屋さんと私が二〇〇八年に『発達障害当事者研究』を出したあと、この本のなかで書いたことをうまく説明してくれる理論を携えてきてくれた、ある一連の研究者たちがいらしたのです。まだ十分に私たちも汲み尽くせているかわからないんですが、その理論というのが、「予測符号化理論」、プレディクティヴコーディングセオリー Predictive Coding Theory というもので、精神活動に関する久しぶりのグランドセオリーです。
 化学者であり物理学者であり生理学者であり、「ヘルムホルツの自由エネルギー」で知られるヘルムホルツという偉大な研究者がいます。そのヘルムホルツに影響を受けて精神現象のグランドセオリーを立ち上げたのがフロイトです。そのヘルムホルツフロイトの影響をさらに受けて、最近この「予測符号化理論」、あるいはさらにこれを含むかたちで「自由エネルギー原理」というものを提案して注目されているのがフリストンという研究者で、この三人は一つの系譜を形成しているのですけれども、このフリストンが統合失調症自閉症、そして平均的な人、などさまざまな精神現象を「予測符号化」というフレームワークで理論化できるんじゃないかということを言っているそうなのです。さらに彼らはASD自閉スペクトラム症に関してもなかなか大胆なことを言っているのですが、その仮説が、私たちの当事者研究の仮説ともかなり関わり合っているのです。そういえば二〇一八年の三月に、アメリカの『サイエンス』という雑誌のWebサイトのニュース欄に、われわれの当事者研究と予測符号化理論とを関連付けながら紹介した「Does autism arise because the brain is continually surprised?」という記事も紹介されました。ではこの予測符号化理論とはどのようなものなのかについて、概略を説明したいと思います。
 人間の脳を一つの臓器と捉えたときに、その仕事はなんでしょう。心臓がポンプ機能のある臓器、肝臓は代謝の臓器、腸は消化の臓器。では脳はなんの臓器かというと、ヘルムホルツは「予測する臓器」、あるいは予測と密接に関係する「推論する臓器」、プレディクションマシーンあるいはインファレンスマシーンなのだと定式化したのです。

     *

 さらにここからASD自閉スペクトラム症の話になってくるのですが、予測誤差の許容度には個人差があるんだと。つまり、多少予測が外れても、私たちの脳みそはびっくりはしない。まあまあおおむねこの概念とかこのカテゴリーによってこの感覚は説明していいよね、というわけです。まったくイコールではないけれど、このあたりでいいんじゃない、と。つまり、あるレンジのなかに収まる予測誤差であれば、私たちの予測のモデルをアップデートするほどのことはないんだと判断できる。しかし、予測誤差があるレンジを超えると、これはまずいんじゃないかということになる。現状、私がもっている予測は質が低いんじゃないかと考える。そうすると、予測誤差をもっと減らせるように予測自体をアップデートするか、あるいは予測どおりになるように世界を支配するしかなくなるのだ、とフリストンは言います。予測のアップデートは「知覚」、世界の支配は「行動」で、予測誤差に対する私たちの脳の応答は二択なんです。
 そして、予測誤差がある一定ラインを超えるともうスルーできなくなるというその閾値に個人差があるんだとフリストンは言い、この個人差を表すパラメーターでASDを表現できるのではないかというわけです。ASDでは、この閾値が低い、つまり少しでもエラーが発生すると、たいへんだ! というふうに感じやすい脳を持っている人たちなのではないか、というのが、「ASDの予測符号化理論」の要諦なんですね。で、これはもしかして「想像力」と深く関係しているのではないかと私は思っているのです。

     *

熊谷 そうですね。そして私は、序章で國分さんが教えてくださった〈この〉性の話ともつながる気がしているのです。予測誤差に敏感であるということは——フリストンの理論が正しいのであるならば、ASDの方はやはり予測誤差に敏感である、という言い方ができると思うのですが——、〈この〉性と密接に関わることなのだと思うのです。つまり私たちは、あ、これ知ってる、つまり前に経験したことがあるという事物を「予測可能なもの」であると考えるわけです。予測というのは、二回、三回と複数回経験していなければ、その定義どおり、不可能なわけですよね。別の言い方をするならば、ああこれは経験ずみで知っていることだというふうに目の前のものを解釈している、つまり「予測しきれた」、フリストンの言葉で言えば、 Explain away、「説明しつくした」というような状況で目の前のものを捉えているときというのは、カテゴライズ、つまり図式化している。それは〈この〉性とはもっとも遠い状態にあるといえるでしょう。
 しかしエラーに敏感な人は、多くの人が「あ、これは前に経験ずみ」と思えることに対して、「これははじめてだ」と思うわけです。たとえばかつて同じような時間に同じ場所に身を置いて、同じような経験をしたことがあったとしても、ASDの人はそれを、初回のエピソードとして経験するのではないか。
 綾屋さんも書いていらっしゃいますが、本人の頭のなかには、〈この〉性や一回性のエピソード記憶が氾濫している状態なのではないか。多数派は意味記憶といって、範疇化されたカテゴリーによって回収できるような、ある種色あせたというか、生々しさを失ったカテゴリーによって解釈できているものを、はじめてのエピソード記憶として鮮明に繰り返し経験するために、つねにエピソード記憶で頭のなかがパツパツなんだと。まさに〈この〉性の飽和ですね。〈この〉性が飽和することと予測誤差に敏感であるということは、表裏一体のことではないかと。
國分 それは表裏一体ですね。非常に興味深い論点だと思います。
 僕の研究しているジル・ドゥルーズという哲学者が『差異と反復』という本のなかで、「反復」、つまり繰り返しについて、とてもおもしろいことを論じています。
 例えば、鐘をカーン、カーン、カーンと叩いているとき、叩くほうもその音を聞くほうも、その音は反復しているのだと思いますよね。しかしドゥルーズいわく、じつはそうではない。その反復は鐘が打たれるたびに崩壊していっている。というのも、鐘は単に一回ずつ鳴っているだけであるからです。それが反復されていると思うためには、何かジャンプが必要です。現象としては一回鳴ってまた一回鳴っているだけである。けれども、それを受け取る主体のなかで何かジャンプがあって、それに反復を読み取る。ということは、主体の側でのそのような受け取りがなくなれば、鐘の反復は崩壊する。
 これをさらに言い換えると、その反復の手前においては、カーン、カーンという一回ずつの鐘の音が〈この〉性をもって捉えられるということです。予測と〈この〉性はたしかに強い関係を持っています。反復しているぞと思った瞬間に、また鳴るぞ、また鳴るぞ、と予測が出てくる。音楽やリズムを楽しめるということともこれは関係しているでしょう。ただ、ドゥルーズもこれをジャンプとしてしか説明できなかった。不思議さがあるとしか説明できなかった。

2021/5/31, Mon.

 カントはゼノンの論点の一部に真理をみとめている。カントによれば、世界は有限でも無限でもないからである。ものごとはすべて世界のうちに位置をもち、世界内部の場所に存在する。もし場所が世界のうちにあるとすれば、それは世界のどこかに存在することだろう。けれども、場所を収容する場所を考えると、無限後退におちいってしまう(ゼノン、断片B五)。おなじように、いっさいの事物は世界のうちにある。だが、世界そのものは、どこにも見いだされない。世界は全体であって、全体は部分との比較を絶している。事物は部分であるから、事物に当てはまる述語を世界そのものに適用することはできない。世界が有限であるか無限であるかは、(end37)アンチノミーをかたちづくることだろう。けれども、世界それ自体は有限でも無限でもない。ゼノンの議論は、かくて、カントの「弁証論 Dialektik」にも影を落とす。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、37~38)



  • 起床時、瞑想をした。うまく停止できたらしい。きちんと停まることができると、死体になったかのようなかんじをおぼえる。このときはそれくらいの不動性をつかのま達成したもよう。風ははじめのうちはなかったのだが、じきにうまれて、とおくから大蛇が這ってくるような音のながれが草木のうえをつたわってきた。
  • 食事はカレー。小笠原諸島航空自衛隊の移動警備隊を配備するという報を新聞でよんだ。移動式レーダーをそなえて、安全保障上のトラブルを警戒するわけだが、それはやはり中国の活発化をうけてのものらしい。沖縄本島宮古島のあいだを遼寧がぬける回数が近年ふえており、太平洋のほうにも進出してくるのではないかというわけで。日本国内には二〇何箇所とかだったかわすれたが、設置式のレーダーが配備されていて警戒にあたっているらしいが、小笠原方面はないようで、そのうちに地元と交渉して自衛隊を駐留させるみこみ、みたいなことも書かれてあった気がする。あと、IHIアイダホ州原発開発へ投資して、日揮なんとかいう会社もおなじく投資している、という記事もあったのだが、IHIにせよ日揮なんとかにせよまったくしらないなまえですこしの知識もないので、なぜこの記事をよんだのかじぶんでもよくわからない。
  • メモによればさいしょは晴れていたがじきに空が白くなってきて、しかしその後またいくらか水色が湧いてきたとのこと。風もよく吹いていたらしい。メモもあまり取っていないしこの日のことはもうおおかたわすれてしまった(いまは六月四日の午後四時)。三日の記事に書いたが、「ことば」という音読カテゴリをあらたにつくり、それでこの日はじめてそれをよんだ。「記憶」記事をよみかえして抜粋したかんじなので、さいしょは石原吉郎の文章。「肉親へあてた手紙」のなかにはいっている、ひとはどのような場合でも一方的な被害者であるはずはなく、被害者であるとどうじに容易に加害者に転じうる危険に瞬間ごとにさらされている、とのべているぶぶんだ。べつに一言一句暗唱できる必要はないが、それでもやはりいってみれば肉体化したいというわけで、くりかえしよんだ。くりかえしよんでいるうちに読み方がおのずとゆっくりになってきて、なんとなく意味のリズムがわかってくる。また、ときおり、それまで意識していなかったことばが、あ、ここはこういうことばだったのか、とうかびあがるようにとらえられて、その意味の射程があたまのなかにあらたに生じることがあり、素読の効果ってこういうことなんだろうなとおもった。
  • 労働ほかもおもいだせないし、無理におもいだすのも面倒臭いのではぶく。手帳のとぼしいメモからおもいだすに、往路は風がつよく、玄関の戸からでた瞬間、林が激しい風によってかきまわされて音響を降らせており、ほとんどくまなく一面揺れて、道をいくあいだも振動とひびきとが横にながく、途切れ目なくつづいているものだから、巨龍に支配されているみたいな比喩でイメージ化したおぼえがある。大蛇にせよ龍にせよ、じぶんは風のおとをそういうふうにイメージしがち。
  • あと(……)さんの家の横に生えている梅の木がちかづくと、路上から蝶が一匹たって、梅の木の枝先にうかびあがっていったのだが、したをとおりながらみあげれば葉っぱのなかにたしかに、葉の色とほぼかわらない淡い緑のすがたがみられ、けっこうおおきくて、葉が二枚ふえたようなかんじだったのだが、あれは蝶だったのか、もしかすると蛾のたぐいだったのか? 色も、地からたったときにすでに緑だったような気がするのだが、もしかすると白いものに葉の色が透けてうつっていたとか、そういうことだったのか? そんな現象がありうるのかしらないが。
  • あとは駅で、西の空に、雨色じみた雲が後光をせおっているのをみたくらいのこと。このときは水色がみえながらも雲もおおかった記憶がある。といって暗くはなかったはず。
  • あと、(……)とでくわしたのがたぶんこの日の帰路ではなかったか。過去の生徒で、裏通りをあるいているとうしろからやってきた自転車が減速しながらふりむいてきて、すぐにわかった。というのも、数日前に、職場の入り口にたっていたときにも彼がまえをとおったときがあって、そのときに目をあわせていたので。そこでなまえをおもいだしていたので、このときもすぐに(……)、とよびかけ、(……)、とフルネームすら提示してやると、あいてはよくおぼえているなとおもったようだった。この男子が塾をやめてから会うのはこれがはじめてではなく、過去にも何度かでくわしているので、容易に記憶している。むしろあちらがこちらのなまえをおぼえているかあやしい。とはいえこのときは、塾でのバイトに興味があるような口ぶりだったのでさそっておき、そばの公園にいってしばらくはなした。(……)の(……)。一浪していまは大学二年。英語がけっこうすきで、英語をおしえるということに多少興味をもっていたらしい。いまは(……)の「(……)」という居酒屋でバイトをしているのだが、コロナウイルスで仕事を減らされており、店自体もやばそうだしべつのバイトもやるかとまよっているところらしい。おまえがきたらうれしいしたのしそう、といってすすめておいたが、確定的な決意がないようだったのでどうなるか不明。いちおうそのうち電話がくるかも、と、職場のノートにはこの翌日にしるしておいたが。雨がはじまったのを機にわかれたのだが、(……)はわざわざそばの家にかえっていらない傘をもってきてくれた。べつにこちらは濡れてもよかったのだが。もし彼がバイトすることになったら、そのときにかえしてくれればよいとのこと。そのビニール傘をさしてゆっくり帰宅。

2021/5/30, Sun.

 いま、ひとつの論理的なすじみちの可能性だけを考えてみる。なにかがある [﹅2] 。そのなにかがある [﹅2] と考えられている以上は、それは同時にあらぬ [﹅3] ものであることはできない。ほかならないそのものがある [﹅2] 。ほかでもない [﹅2] そのものがある [﹅2] と語るかぎり、ほかのものについてはあらぬ [﹅3] と語らなければならない。そのものだけがあり、他のものはない。かくて、ある [﹅2] もののみが存在し、あらぬ [﹅3] ものは存在しない。そのような或るものを在るものと考え、それだけが在るものと考えるとき、その在るものはどのようなものと考えられなければならないだろうか。もっとも重要なものとされてきた断片B八は、つぎのように語っている。「ある [﹅2] ものは生まれず、滅びない」。それは「完全で揺るがず、またおわりのないものである」。「あった [﹅3] こともなく、あるであろう [﹅6] こともなく、いまある [﹅2] のである」。――「水」であれ「アペイロン」であれ、「空気」であれ「火」であれ、あるいは「数」であっても、およそそれがはじまりであり、いっさいの(end34)もとになる、そのものであるならば、それ自体としては生まれることもなく滅びることもないはずであろう。それ自体は生成せず、消滅もしないなにかがある [﹅2] のなら、それだけがすぐれてあり [﹅2] 、生成消滅する他のものはむしろない [﹅2] というべきではないか。パルメニデスの論理を整理しているシンプリキオスの一節を、ディールス/クランツから引いておく(B八)。

それは、ある [﹅2] ものから生じたのではない。べつのある [﹅2] ものが先に存在することはなかったからである。また、あらぬ [﹅3] ものから生じたのでもない。あらぬ [﹅3] ものは、あらぬ [﹅3] からである。さらに、いったいどうして、ある時に生じたのであって、それ以前にでもなければ、それ以後にでもないというのだろうか。あるいはまた、生成したものの生成については一般にそうであるように、この意味ではある [﹅2] けれども、あの意味ではあらぬ [﹅3] といったものから、生じたわけでもない。端的な意味である [﹅2] ものに先だって、この意味ではある [﹅2] が、あの意味ではあらぬ [﹅3] といったものが存在することはありえず、そうしたものはそれよりもあとから生じたものであるからである。

 なにかそれ [﹅2] は、生まれることも滅びることもありえない。変わり移ろうことのない、ひとつの、おなじものでなければならない。それ [﹅2] はある [﹅2] ものであり、あらぬ [﹅3] ものではないからである。(end35)おなじように、さらに、およそ生成は一般にありえない。生成とは、あらぬ [﹅3] ものがある [﹅2] ものになり(誕生)、ある [﹅2] ものがあらぬ [﹅3] ものとなる(消滅)ことであるからだ。

死すべき者たちが真実であると信じて、さだめたことのすべては、
かくして名目にすぎない。
生まれるということも、滅びるということも、あり [﹅2] かつあらぬ [﹅3] ということも。
場所を転じるということも、輝く色が褪せるということも。  (パルメニデス、断片B八)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、34~36)



  • 一一時直前に離床。晴れており、暑い。窓をあけざるをえない。水場に行ってきて、うがいや洗顔などすませてから瞑想。(……)ちゃんの家のこどもがにぎやかに声をたててあそんでおり、たぶん畑あたりにいた父親にはなしかけていたようで、そこでなにやってるんですかー? とかいっていた。瞑想は今日はみじかめ。一五分もいかなかったとおもう。
  • 上階にいき、洗面所で髪をてきとうにとかしたのち、ハムエッグをやいて米にのせて食事。はいってきた母親がセロリの葉かなにかをいれたスープもつくってくれたので、それもいただく。新聞には納富信留のインタビュー的な記事があったので、それをよんだ。対話の重要性というものが頻々ととなえられる混迷の現代だが、むしろ対話嫌いがめだってみえるようにもおもえる、それというのも、対話に必要な準備とかルールとか心得とかがわからないうちにとにかく対話をしろしろとばかりいわれるので、かえって忌避してしまうのではないか、というようなことを冒頭いっており、対話が対話として成立するには条件があるとして、三つくらいの要素をのべていた。まずひとつには、対話のあいては特定の少数人でなければならないということで、なぜならば対話においてはあいてがひとりの人格をもった「私」としてあつかわれなければならないからであり、したがってSNSを場とした匿名的な不特定多数者とのコミュニケーションは対話とはなりえない。もうひとつには、対話への参加者はおのおのが対等でなければならない。現実にはわれわれはだいたいいつもなんらかの役割をにないながら他者とコミュニケートしており、そこでは親と子であったり教師と生徒であったり、上司と部下であったりと、関係に上下をわける権威性がはらまれることはおおいのだけれど、対話においてはそうした役割観念をこえた個としての人間があらわれなければならない、と。もうひとつはなんだったかわすれた。納富信留はやはり古代ギリシア哲学をやっている人間らしいというか、二次大戦の惨禍もあり、戦後には共産主義の失敗もあり、理想というものにたいして白けたムードをもつのがデフォルトみたいになっている時代だけれど、どうしたって対話をつうじて理想をかたっていくしかないとおもう、現実の社会で善い活動をしているひとはたくさんいるので、哲学の立場からそういうひとびとのおこないをすくいあげていってつなげることができれば、みたいなことをいっていた気がするが、最後のあたりは記憶があいまいなので多少ちがっているかもしれない。いわゆるポストモダンの趨勢によって真理や普遍性にたいする懐疑がひろがり、真理といったって結局は権利じゃないか、という風潮がしばらくたかまっていたわけだけれど、さいきんではまた、それを通過して真理をあらためてかんがえていかなければならないのではないか、といううごきがうまれているともあって、そりゃそうだろうとおもう。それは古代ギリシアでも状況はおなじだった、ともいわれていた。ようするにいわゆるソフィスト的なひとびとが人間中心的な相対主義をとなえたのちにソクラテスプラトンがそれをこえた真理を探究しはじめた、ということだろう。けっきょくは、いちおう思想的に最先端といわれる(構造主義以来の)ポストモダンの知見をふまえたうえで、古典的なところにいかにもういちど、そしてくりかえしたちもどるか、というのがひとつの課題になるはず。それはなにもべつに、ひとはいかに生きるかとかそういう問いを大上段にかまえて論じろというのではなく(べつにそういう問いを論じたっていっこうにかまわないとおもうが)、啓蒙の失敗とその帰結および二〇世紀の惨禍をまなんで反動にとりこまれることなしに、いかにつぎにすすんでいくのか、ということであるはず。具体的にはちっともわからんが。あと、たちもどるといったときに、それが古代ギリシアなのか?(古代ギリシアであるべきなのか?) ということもあるし。
  • ひとまずその記事だけよんでおき、食事を終了。皿をながしにもっていくと、母親が、外でたべるから父親に膳をはこんでくれというので盆をもち、玄関からサンダル履きでそとへ。陽が照っており、暑い。夏にちかい空気の感触。まだじりじりとつよく収束するというほどではないが、熱気によって肌がつつまれとざされるかんじはある。家のよこをくだって南側にまわり、木製テーブルのうえをはらっていた父親に、飯が来たぞとつげてちかづいていき、盆を置く。母親もあとからじぶんのぶんをもってやってきた。梅の木はさかりで、枝に葉とおなじすずやかな青緑色の実をたくさんつけており、枝はその重みでか、ひくいところまでながれるようにおりのびてきている。あたりをちょっと見分しながらもどった。白い蝶が闊達にとびまわっており、風はたえずながれて草木からさわやかなみどりのひびきをさそいだしている。
  • 室内にもどると皿をあらい、風呂もあらう。緑茶をつくって帰室。コンピューターおよびNotionを用意すると、今日はまず一年前の日記をよみかえした。とくだんのことはない。それから、Evernoteに「あとで読む」ノートをつくってためてあったURLをNotionにもうつしておくかとおもい、一気にコピペしようとすると容量がおおきすぎるとかでキャンセルされるので、いくつかの範囲にわけてコピーしていき、その最中にみかけた千葉雅也×岸政彦「書くってどういうこと?――学問と文学の間で: 第1回 小説と論文では、どう違う?」(2020/4/17)(https://kangaeruhito.jp/interview/13989(https://kangaeruhito.jp/interview/13989))をよんでみることに。千葉雅也が『デッドライン』について、ベケットを意識したといっているが、(……)さんがこの作をよんだときにもベケットっぽいところがあって、みたいなことをかいていたようなきがする。

西 [成彦] 我々三人は、立命館大学の先端総合学術研究科で教員をしています。ここは火山が海底から噴き出すように2003年に生まれた大学院で、分野ごとのディシプリンに縛られることなく相互に行き来しながら、21世紀にふさわしい知の体系を作ることを目指している。私はその初期からのメンバーで、2012年に千葉さん、17年には岸さんが着任し、同僚となりました。先端研には文学を専門とする学生も一定数いて、私は比較文学者の立場から指導にあたってきましたが、哲学や社会学を究めたお二人がいらしたことで文章表現の上でも新たな環境ができつつあります。

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千葉 そもそも僕は、文章を書くようになったきっかけが高校時代に愛読していた稲垣足穂にあるんですね。足穂はエッセイみたいなものだったり、小説みたいなものだったり、あるいは詩みたいなものだったり、その時々の都合で様々な形式の原稿を書き散らした人で、僕はそうした自由な書き方に憧れてきた。大学に入ると実は足穂のような文章は本当には知的だと見なされていないことが分かり、きちんとした論文を書くという通過儀礼を経ましたが、30歳前後から自分自身も依頼を受けて文章を書くようになって、次第に物語的な書き方にも挑戦してみたくなってきたんです。

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岸 僕が小説を書くようになったのは、これはもうそこらじゅうで喋ってることですが、ある編集者に熱心に依頼されたからなんです。スティーヴン・キングカート・ヴォネガットは好きだったけど文学なんて全然まったく読んでいない、興味すらなかった自分に、そのひとは「小説を書いてほしい」と言ってきて。三年がかりで口説かれてさすがに根負けし、そこまで言うなら書いてみましょうか、と自分なりのホラー・ファンタジーSFの構想を話したら、まさかの反応ゼロだった。「向いてないです」と一蹴されて(笑)。
 編集さんからは「むしろ自分自身の話を書いてください」と言われ、人生で一番つらかった日雇いで建築労働者をしていた時期のことを思い出して3~4日で書いたのが、「ビニール傘」という短篇です。この作品がたまたま芥川賞の候補になり、二作目の「背中の月」とあわせた単行本が今度は三島賞の候補にもなったんですね。まあ、落ちましたけど。ちなみにそのあと書いた「図書室」という小説も三島賞候補になって、これも落ちてます。

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 でも面白いことに、さっき話に出した小説執筆を勧めてきた編集さんは、僕が2013年に最初の本『同化と他者化』を出した直後にはもうそのオファーをしてきてるんですよね。沖縄の本土就職者について調査して書いた、非常に地味な社会学の学術的な本なのに。あとからそのことについて、どうしてあんな文学から一番遠い本を読んで小説が書けると思ったんやと聞いたら、「文章にどこか過剰なものがあった」と言うんです。自分としてはオーソドックスな社会学の本を書いていたつもりなんだけど、そこに書き手の自我が滲み出ていて、こいつは絶対小説を書けるに違いない、と確信したと。

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千葉 影響を受けた作品はあるにはあって、ちょっと意外に思われるかもしれないですけど、草稿段階ではかなりサミュエル・ベケットを意識していたんです。ベケットが晩年に書いた小説、『見ちがい言いちがい』や『いざ最悪の方へ』を見ながら、短いパッセージで同じようなことがずっと続くのは面白いなと。いざ自分が小説を書くとなったとき、意識的に書こうと頑張っても多分難しいので、非人称的に「書けちゃう状態」を作り出せないかなと思っていて、ベケットのどこか機械的な感じを参考にしました。機械的あるいは自動生成的な感じというか。

  • その後、書見。きのうギリシア悲劇をよみおえてから、いつものことでつぎの本なんにしようかなあとおもっていたのだけれど、候補としてはなんとなくレベッカ・ソルニットの『迷うことについて』でもよむか、それかなぜかわからないがモーリス・パンゲの『自死の日本史』もあがったり、もしくはもう長年つんである東洋文庫の、なんとかいうひとのアジア旅行記でもよむかとか、それか詩か、あるいはパレスチナにかんする新書か、BLACK LIVES MATTER特集の『現代思想』か、とかそんなかんじだったのだが、なぜか斎藤兆史『英語達人塾』という中公新書の本をよもうとかたまった。これは兄の部屋にあったのを先般もってきてあって、英語とか語学の学習法としてはこちらはもうとにかく音読すりゃだいたいいいだろとおもっているのだけれど、それでもなにか参考になることがあるかなとおもってひらくことに。斎藤兆史というひとは英語学習にかんする著作のほか、ジョン・バンヴィルとかジュリアン・バーンズとかV・S・ナイポールとかを訳しているようで、まえがきをよむに、この本は苦労をしてでもマジで達人になりたいひとを対象にしたもので、初学者がたのしく英語をまなべるというふうにはそもそもできていない、ということわりがあり、口調もわりと、大仰とまではいかないとしてもかたくるしいようで、また文章のはしばしに教育者的な権威性がかんじられないでもないが、いっていることはだいたいどれも正論だし、なにより、まず母語を大切にできない人間が外国語をただしく習得できるはずがない、とじぶんでもいっているとおり、読点のつけかた、リズム、語の(つまり意味の提示の)順序、一部分のながさ、など、日本語の文章としてきちんと書かれていることがあきらかで、だからその点では信用をおけるとおもう。めちゃくちゃすごい文章というわけではむろんないが(内容の性質上、表現性がつよく要求されるものではないので)、新書だからといって手を抜かず、ていねいに書かれていることはまちがいないと確信できるし、きちんとした仕事をしている学者だと判断される。
  • 過去の日本の「英語達人」にまなんで、また斎藤兆史自身の学習・教育経験も加味して独習法を提案するという本で、ときおり達人たちのエピソードが紹介されるのだけれど、やはりそれがおもしろく、このひとは『英語達人列伝』という本もおなじ中公新書でだしているようなので、むしろそちらをよみたい。長崎の通詞のはなしなどもちょっとだけだがでてくるし、あと、仙台藩士の家出身の斎藤秀三郎という英語学者がいるらしく、このひとはじぶんは海外にいったことはいちどもなかったくせに、「イギリスの劇団が来日し、下手なシェイクスピア劇を演じようものなら、「てめえたちの英語はなっちゃいねえ」と英語で一喝したという」(41)からわらう。英語版の関口存男といったところだろうか。あと、西脇順三郎も辞書がすきでよく通読していたらしく、中学校時点で井上十吉というひとがつくった英和辞典をよみまくっており、どこの内容をきいてもしらないところがなかったから、教師から、おまえに教えることはもうなにもないから、なんでも好きなことをやっていいと言われていたという。そのまえ(68)には、山縣宏光という、東大の教養学部にいた辞書マニアみたいな先生も紹介されており、「たしかこの先生は、世界最大の英語辞書『オックスフォード英語辞典』の本体部全12巻も4、5回通読していたはずだ」とのこと。そんなに年を取らないうちに亡くなってしまったらしいが、もし生きていたら歴史にのこるすばらしい辞書をつくっただろう、とのこと。
  • 素読と暗唱のはなしがでてきて、幣原喜重郎が留学時代に暗唱をかせられていたとか、あと、岡倉天心など明治の連中はこどものときに漢学で素読をやらされていて、みたいな、まあよくあるはなしがかたられるのだけれど、こちらも音読をよくやっているわけだけれど、じっさい素読・暗唱はたぶん語学的・言語能力的には効果はだいぶあるとおもう。それで、いまこちらは英語の音読用に「英語」というノートと、あと書き抜きした文をよみかえすために「記憶」というノートとの二種をもうけておりおりよんでいるのだけれど、このうち「記憶」にかんしては方針をかえて、もっと文をすくなくしぼり、すばらしい文章として惚れこんだものにかぎって、マジで暗唱できるようにする、というやりかたにしたほうがいいかなあとおもった。というか、もともとはそういう企図だったのだけれど、やっているうちに知識を身につけるという目的がわりこんできて、いちおうなんとなくあたまにいれておきたいことをなんでもほうりこむノートと化してしまったのだ。それはそれで益があるのだが、もともとはすばらしい言語を血肉化したいという欲求からはじめたものだったわけだし、やはりそちらにフォーカスしたほうがいいかなあとあらためておもった。正式にどうするかまだわからんが、とりあえず暗唱用の記事もべつにつくってみようかなと多少おもっている。暗唱できるようになったからといってどうということもないとおもうのだけれど。それは、やっぱりつねにもっておいていつでもとりだしたいみたいな、たんなる偏愛の表現の一種だろう。好きな音楽をいつでもききたいというのと、たぶんだいたいおなじことだろう。
  • この新書はいったん79まで。その時点で四時まえくらいだったか? よんでいるあいだは臥位で例によってふくらはぎを膝で刺激したり、横向きになって背中や腰や肩をもんだりしていた。なんだかんだいって、指圧して筋肉をやわらかくするというのは単純に効果がある。一日やったくらいではすぐにもどってしまうが、これを習慣にすればたぶんからだがより楽な状態にたもたれるだろう。書見をきって、トイレにいき、もどるとここまできょうのことを記述して、いまは五時まえ。
  • そういえば午後になってから、にわかに雨が降ってきたのだった。起きたころにはよく晴れていて暑かったのに、いつのまにかくもって、雨がはじまった。それで母親は、予報があたった、といっていた。天気予報で午後は雨になるかもといわれていたらしい。もっとも雨はながくはつづかず、そのあと、夕方ごろにはまた多少あかるくなっていたはずだが。
  • 五時まえに上階へ。アイロンかけをおこなう。シャツやらエプロンやらハンカチやら。こちらがアイロンかけをしているあいだに母親は料理をしており、ナスを焼くかとか麻婆豆腐にするかとか、あるいはあわせて麻婆茄子にするかとかいっていたのだが、ナスはけっきょくそのまま炒めた。母親は、ナスは炒めるっていうよりも焼いて、焦げ目をつけて、と要求していたのだが、じぶんでやってもどちらかというと炒めるかんじになっており、あまり香ばしく焼いた、というふうではない。もうひとつ、タマネギと冷凍してあった豚肉を炒めて、そのあたりでこちらもアイロンをおえて台所にうつり、米を磨いだ。そしてサラダをこしらえるだけ。それも例によって、ダイコンやらニンジンやらをスライサーでおろして洗い桶で水にさらすだけの手軽なかたち。おえると六時まえくらいだったか? 部屋にもどり、ふたたび書見をした。たしかこのとき南方熊楠のエピソードをよんだはず。南方熊楠はこどものころから学習欲がなみはずれて旺盛だったらしく、八歳だか九歳のころからすでに、知人の家に本をよみにいき、そこでよんだ本の文を記憶して、かえってくると記憶をたよりに筆写した、とかかかれてあったのだけれど、さすがに無理だろとおもう。一字一句おなじというわけではさすがにないだろう。ふつうに借りて写したものもあったとおもうが、それでも、そういういとなみで一〇五巻くらいあるなんとかいう本もぜんぶ写してしまったとかで、書抜きはじっさい言語感覚をやしなうにせよ知識を身につけるにせよ多大な効果があるとこちらもじぶんの経験からして断言できる。それにしても南方熊楠はむろん手書きでそれをやったわけなのですごいが。ロンドンだかに留学していたときにも、膨大な量の抜書きをしており、それがノートとしてのこっているとかなんとか。南方にせよ関口存男にせよほかのひとたちにせよそうだが、偉人とよばれるむかしの連中のこういう極端さはいったいなんなのか。
  • 七時すぎで食事へ。あがっていったとき、ガザ地区の瓦礫のしたからこどもが救出されたというニュースがテレビでながれていたはず。食べ物を用意して席につき、食べながら新聞。米上院で一月六日の連邦議会議事堂襲撃事件にかんして独立調査委員会を設置するという法案が審議されていたらしいのだが、共和党がおうじず否決され、事実上廃案になったと。上院の定数は一〇〇で、民主党が五〇をなんとかとっており、たしか票決が同数のときは副大統領が一票くわえるとかでだからいちおう優勢なのだが、今回の法案への賛成は五四という。しかしそれだと可決されるはずなのでどういうことだったかといま検索すると、時事通信の記事(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021052900227&g=int(https://www.jiji.com/jc/article?k=2021052900227&g=int))に「法案は下院を通過していたが、上院では採決に進むための討議打ち切り動議への賛成が54票にとどまり、可決に必要な60票に満たなかった」とあった。「共和党からは6人が賛成票を投じた」とも。共和党のひとびとの大半が反対したのはもちろんドナルド・トランプの意向にしたがったもので、ドナルド・トランプアメリカ合衆国の政治史上最高の偉大なるクソ馬鹿だということはあきらかだが、そのクソ馬鹿におもねらないかぎり国会議員が議会にのこれず政治家として生きていけないのがこの西暦二〇二一年の現実だ。ドナルド・トランプのことを知った一〇〇年後のひとびとが大爆笑することはまちがいない。そしてそのなかの、想像力をそなえたこころあるひとたちは、爆笑したあとに恐怖の念をいだくだろう。
  • ほか、二〇〇八年に発生した四川地震で倒壊し三〇〇人ほどのこどもたちが犠牲になった学校跡地が、「パンダ小路」という商業区域に変えられたというはなしも。地震のときには建物が崩れ、手抜き工事だったのではないかと当局に批判がむけられたらしく、共産党政府としては都合が悪い歴史なのだろう、それをかくしてわすれさせようという目論見らしく、区域には追悼や記録の碑はまったくない。いっぽうで、救出作業が大々的におこなわれた震源にちかい中心地では、記念館というか、建物がのこされて地震の痕をつたえる施設みたいなものがつくられたというが、それは例によって愛国プロパガンダのための道具である。つまり、共産党中央政府のすぐれた指導のもと、党員も救出隊員も住民も一丸となって英雄的に救出作業に従事した、ということがかたられているわけだ。またしてもヒロイズム、またしても愛国。死者を無視し、都合よく利用し、死者の死を搾取している。
  • 食後はふたたび書見して、南方熊楠のことをよんだのはこのときだったかもしれない。読了はこのときだったか深夜だったかわすれた。斎藤兆史『英語達人塾 極めるための独習法指南』(中公新書、二〇〇三年)をこの日よみはじめて、はやくもよみおえてしまったのだ。186ページのみじかい新書ではあったが、まったく読み飛ばさず、いそぐこともなく、書かれてあることをふつうにきちんとよんでいちおう全部触れてはいるので、われながらわりとおどろく。ただ、こちらはべつに「英語達人」になりたいわけではないし、ただ英語で本がよみたいのとじぶんなりに訳したいだけで、教材を用意してまじめに勉強・訓練しようという気はないので、べつにそんなにおもしろいはなしでもなかった。偉人連中の極端なエピソードがやはりおもしろポイントで、だから『英語達人列伝』のほうをむしろよみたい。
  • 九時まえから入浴。暑かった記憶がある。これくらい暑くなると湯のなかでじっと瞑想じみているのもなかなかむずかしい。でてくると九時半すぎだったか。日記を少々しるした。
  • (……)
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  • そのあとのことはわすれた。ピエール・ヴィダル=ナケ/石田靖夫訳『記憶の暗殺者たち』(人文書院、一九九五年)をよみはじめたくらい。

2021/5/29, Sat.

 女神が告げるふたつの道の一方は、「ある [﹅2] とし、あらぬ [﹅3] ということはありえないとする道」であり、それが真理へとみちびく道である。もうひとつの道は「あらぬ [﹅3] とし、だんじてあらぬ [﹅3] とするべきであるとする道」になる。これは探究するすべもない道であって、ひとをドクサへとみちびく。あらぬ [﹅3] もの、無については、およそ知りようもないからである(断片B二)。
 「ある」のまえに通常は「それが」等とおぎなうことが多いけれど、伝承されたテクストには、「ある」(エスティン)としるされているばかりである。解釈者たちはそれ [﹅2] を、存在するものと解し、ひとつのもの(一者)とも考えてきた。断片B三には、「おなじものが考えられ、ある [﹅2] とされうる」(伝統的な読みでは「考えることとある [﹅2] こととはおなじことである」)とあり、断片B六では、「ある [﹅2] ものがある [﹅2] と語り、考えなければならない。なぜならそれがある [﹅2] ことは可能であるが、あらぬ [﹅3] ものがある [﹅2] ことは不可能だからである」とある。どの脈絡を辿ってみても、それ [﹅2] がなんであるのかは、あきらかでない。――存在者があり [﹅2] 、世界がある [﹅2] 。無ではなく、なぜか、(end33)存在者が存在している。さまざまに存在するものがあり、それらは、ひとしく存在しているといわれる。おのおのの存在者はそれぞれにある [﹅2] かぎりでは、すべて存在とよばれる。その意味では、むしろ、それが存在であるもの、存在自体だけがある [﹅2] 。パルメニデスを捕らえたのは、このひどく単純で、けれども深い驚きの経験だったのではないだろうか。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、33~34)



  • 一一時二〇分離床。この日は瞑想できた。といって、どんなぐあいだったかおぼえていないが。上階に行って食事は炒飯だった。新聞からは例によって国際面。英国の元首相上級顧問みたいなひとが、ボリス・ジョンソンおよび英国政府は当初、新型コロナウイルスを軽視していたと議会で暴露証言したらしい。このひとはたしか、なんとかカミングスというなまえだったようなきがする。昨年末だったかにボリス・ジョンソンとの不和で職を辞したらしいのだが、彼いわく、政府高官らは当初、コロナウイルスの影響をかるくかんがえてあまり深刻にとりあつかわず、スキーにいったり会食したりしていたと。また、二度目のロックダウンのときには、ボリス・ジョンソンが経済的縮小をきらって、ロックダウンをして経済が停滞するよりは死体の山がつみあがるほうがましだ、みたいなことをいったという。ジョンソン側はとうぜん否定。どんなものであれ、この問題の決断をかるくあつかったことはまったくないと。ちなみに今日(三〇日)にテレビで一瞬みかけたところでは、ボリス・ジョンソンは婚約者と挙式したとか。よくみえなかったのだが、あいては三三歳とか画面にでていたような気がする。外見をみてもたしかにけっこう年の差がありそうな、わかい女性だったとおもう。
  • また、フランスとルワンダが歴史的和解、ともおおきくでていた。九〇年代のルワンダ虐殺において、フランスが気づかぬうちに虐殺者のがわに立ってしまっていたということをマクロンが率直にみとめたと。ただ虐殺への直接的な関与は明確に否定し、正式な謝罪もしなかったが、ルワンダ側は歓迎している。ルワンダはもともとベルギー領だったらしく、フランス語教育もなされていてフランスとのむすびつきはつよかったらしいのだが、虐殺以降は関係が冷え、内戦を鎮圧したポール・カガメ現大統領がフランス語教育から英語に転換したり、あとフランス語の国がおおくあつまる中部アフリカ連合みたいな組織からも距離をおいたりしていたという。ルワンダ内戦はもともと権力をにぎって国をおさめていた少数派のツチ族にたいして多数派フツ族が反乱を起こしてジェノサイドを犯した事件で、カガメ大統領はツチ族の出身であり、たぶん内戦鎮圧からいままでずっと政権をにぎっているのだろう。彼がフランスとの接近にのりだしたのは、たしかやはり経済的利益をとって、みたいなことが書かれていた気がする。この記事のすぐ下には、ドイツもまた、ナミビアで一九世紀末だか二〇世紀初頭だかにおいて起こした虐殺に責任があることをみとめ、謝罪し、賠償金のたぐいを支払った、とあったとおもう。そちらはあまりちゃんと読まなかったのだが。
  • (……)
  • (……)
  • 書見。『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)の終盤。498からよんでいて、これはもうたぶん最後の「コロノスのオイディプス」にはいっていたはず。このときはまだとちゅうまでで、帰宅後、夜に読了した。この日は三時から勤務で、二時すぎにはでなければならなかったので、一時半ごろに書見を切ったはず。それからトイレにいき、放尿したついでにトイレ用の「マジックリン」とトイレットペーパーで便器を拭いておき(便座の穴の縁のきづきづらいところが意外とよごれている)、もどってきがえ。紺色のベストすがた。この昼間はけっこう暑かった。空は白く、晴れではなかったのだが。
  • しかし二時をまわって出発したときには雲がすくなくなって青さが露出しており、日なたも道をひろくなめていて晴れと言ってよい天気になっていた。かなり暑いものだからマスクをつけていると苦しいので、最初は顎のほうにずらして口と鼻を露出させた状態でいった。すれちがうひともないし。街道に出たところで顔を覆った。ちょうど対向者もあったし。ただ、その女性がちかづくまえに通りをわたったので、そばですれちがうことはなかったが。そうしてひかりのなかをあるいていく。路傍の空き地の草むらからは蝶がうかびあがり、空は青く、ツバメが通りのうえを飛行する影が地をすべったり、ほかにも宙を住まいとするともがらたちが上空、ちいさな黒点として何匹か連れ立ちながらわたっていく。今日も(……)公園のまえあたりで工事をしており、先日とおなじようにそのてまえで裏道におれてはいっていく。風がけっこうながれていて、それをうけとって揺れるほどのやわらかさがあるあたりのものは、家々をつつむ庭木であれ、二階のちいさなベランダにつるされた洗濯物であれ、路傍にはえたほそい下草の群れであれ、線路をこえたむこうに鎮座する森の樹々であれ、すべてゆらゆらと揺動していて、さわやぎの感がうまれて、一〇分そこそこあるいてからだもあたたまったのか、マスクをつけていても多少楽である。
  • そのほかの往路のことはわすれた。勤務(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤。今日は行きにあるいたからかえりはいいかとおもって、電車をとった。駅にはいって乗車し、まもなく発車。最寄り駅でおりると午後五時まえのひかりがまぶしく降りつけて、近間の屋根のひとつは一面白くおそわれて、銀紙につつまれた板チョコのようになっている。自販機でコーラの二八〇ミリリットルを買って駅をでた。あたりの木や葉の緑色をながめながら坂道をおりていき、下の道にでて公団まえをいきながら、視線は彼方の、いましがた電車にのってそのまえをとおってきた丘や市街のほうにのびてながれる。すぎてみあげれば晴れ空に直上はみだれなく水色があきらかで、雲がほんのかすか、底にかくれてなじんでいるようにみえなくもないが、背後で山のあちらにむかいつつあるひかりの白さがまだわたっているものか、どちらなのかがわからない。
  • 帰宅後、きがえなどすませたあと、二七日の日記。食事は父親ももう一日泊まってくるだろうからかんたんでいいというので、母親にまかせてサボってしまった。しかし父親はけっきょく帰ってきたのだが。ベッドにころがってしばらく書をよみながらやすんだあと、ちっともはたらいていないのにつかれをかんじて、臥位のまま目を閉じて少時休息していた。それで七時。
  • 夕食時のことは忘却。夕食まえに本をよみおえたのだったか? それとも夕食後だったか。不明だが、食事は麻婆豆腐など(……)。
  • ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)を読了し、書抜きも少々。J.J. Johnson『Dial J.J. 5』をながした。Miles Davisの曲である"Blue Haze"で、ピアノがずいぶん味わい深いような、ブルージーだけれど上品なやりかたをしているなとおもって、Garlandほど柔弱ではないしだれだったか、Hank Jonesあたりか? としらべてみると、Tommy Flanaganだった。ドラムはElvin Jones。ここにElvin Jonesいたのか、とおもった。J.J. Johnsonはやたらうまい。

As Daniel Dennett points out, our adoption of the intentional stance is so much a part of who we are that we have a hard time turning it off – especially after someone dies. A loved one’s death, he writes, “confronts us with a major task of cognitive updating: revising all our habits of thought to fit a world with one less intentional system in it”. And so we talk about our deceased loved ones as if they’re still around, telling stories about them, reminding ourselves that they would approve of our decisions.

In short, we keep them around. But not physically because, as [Pascal] Boyer points out, dead bodies are a problem. “Something must be done” with them. Indeed, “religion may be much less about death than dead bodies”. For this reason, some suggest that the earliest forms of supernatural agents were the departed, the ghosts of whom are minimally counterintuitive: like us in almost every way, except for the disappearing through the wall thing.

     *

Closely related to the idea of agency is what Dennett refers to as a cards-up phenomenon. Agency detection carries with it certain risks: do you know about that bad thing I did? How can I be sure you know, and how can I be sure about what you think about me because of it? These are complex questions and human beings aren’t good at managing all the options. What’s needed for learning how to navigate these muddy waters is for everyone to be taught the rules of the game by placing all of our cards face up on the table. The teacher, then, is something of a full-access agent: they see everything and can instruct us accordingly.

The original full-access agents, says Dennett, were our dead ancestors. But eventually, the seeds of this idea became more formalised in various theologies.

“Humans are not very good at behaving just because you punish them for not behaving,” says evolutionary psychologist Robin Dunbar, “otherwise we would all be driving well under 70 on the motorway.” The real problem isn’t how bad the punishment is, but how risky it is to be caught. If the risk is low, he says, we’re prepared for the punishment.

This would have been a major issue in prehistory. As hunter-gatherer groups grow, they need to be able enforce a punishment mechanism – but the greater the size of the group, the less chance there is of being found out.

Enter full-access agents: “We don’t see what you do on Saturday night, but there is somebody who does, so beware,” as Dunbar puts it.

     *

As I argued in the first part of this series, morality predates religion, which certainly makes sense given what we know about the very old origins of empathy and play. But the question remains as to why morality came to be explicitly connected with religion. Boyer grounds this connection in our intuitive morality and our belief that gods and our departed ancestors are interested parties in our moral choices.

“Moral intuitions suggest that if you could see the whole of a situation without any distortion you would immediately grasp whether it was right or wrong. Religious concepts are just concepts of persons with an immediate perspective on the whole of a situation.”

Say I do something that makes me feel guilty. That’s another way of saying that someone with strategic information about my act would consider it wrong. Religion tells me these Someones exist, and that goes a long way to explaining why I felt guilty in the first place. Boyer sums it up in this way: “Most of our moral intuitions are clear but their origin escapes us… Seeing these intuitions as someone’s viewpoint is a simpler way of understanding why we have these intuitions.” Thus, Boyer concludes, religious concepts are in some way “parasitic upon moral intuitions”.

     *

But the problem created by increased sociality is its maintenance, as Dunbar explains. Before our ancestors settled into villages, they could simply “move from the Joneses to the Smiths’ group when tensions arise”. After settlement, however, they faced a very serious problem: “how to prevent everybody from killing each other”. Enter grooming.

The bonding process is built around endorphin systems in the brain, which are normally triggered by the social grooming mechanism of touch, or grooming. When it comes to large groups, says Dunbar, touch has two disadvantages: you can only groom one person at a time; and the level of intimacy touch requires restricts it to close relationships.

Recent data caps wild primates’ daily maximum grooming time to about 20 percent of their activity. Dunbar calculates that this cap limits group size to fewer than 70 members, which is significantly less than the group capacities of modern humans, at about 150. The problem, then, was to find a way to trigger social bonding without touching. Laughter and music were good solutions, which Dunbar says create the same endorphin-producing effects as grooming by imposing stress on muscles. Language works, too, a theory Dunbar has explored at length in his book Grooming, Gossip, and the Evolution of Language. Because these effects can be achieved sans touch, social bonding can happen on a much larger scale.

Dunbar’s argument is that religion evolved as a way of allowing many people at once to take part in endorphin-triggering activation. Many of the rituals associated with religion, like song, dance, and assuming various postures for prayer, “are extremely good activators of the endorphin system precisely because they impose stress or pain on the body”.

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But these sporadic dances only worked until our ancestors began to settle down. Once hunter-gatherers began to form more permanent settlements, around 12,000 years ago, something more robust was needed to encourage populations to behave prosocially towards each other. Especially given the enormous newfound stress that comes with living in such large and inescapable groups. Trance dances could happen in these larger communities with some regularity – say, monthly – but what is needed are more regularised rituals to encourage social cohesion.

The formation of permanent settlements corresponds with the advent of farming. The agricultural, or Neolithic, revolution, began in the Fertile Crescent in the Middle East, which is sometimes referred to as the Cradle of Civilisation. Dunbar says it’s in these settlements where history’s first ritual spaces appear, the oldest of which is Gobekli Tepe in south-east Turkey. First examined in the 1960s, the site was excavated from 1996-2014 by a team led by German archaeologist Klaus Schmidt. In a 2008 Smithsonian Magazine feature, Schmidt referred to the site as humanity’s first “cathedral on a hill”. Gobekli Tepe, which means “belly hill” in Turkish, is a non-residential space that seems to have housed various temples made of pillars. It is estimated to date to about 10,000 BCE.

As historian David Christian writes in Origin Story: A Big History of Everything, farming was a mega-innovation, like photosynthesis. That is, farming was a major threshold that, once crossed, set off our ancestors on a whirlwind journey that ran headlong into the complex societies that have dominated our species’ recent history. As population growth surged, mega-settlements saw increased social complexity, and large-scale political, economic, and military networks, says Christian. To accommodate such large groups, earlier ideas about kinship had to be modified “with new rules about properties, rights, ranking, and power”. The result of this ranking was the concept of specialisation, which led to different the stratification of classes. Some were rulers, some were merchants, some were priests.

In contrast to hunter-gatherer religious experiences, the religious rituals of Neolithic humans “focuses above all on one person, the divine or quasi-divine king, and only a few people, priests or members of the royal lineage, participate”, writes the late sociologist Robert Bellah. Importantly, it was during this period that “king and god emerged together… and continued their close association throughout history”.

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Eventually that association came to be challenged in what some have called the Axial Age. Originally coined by the philosopher Karl Jaspers, the term refers to a time of sweeping changes that occurred in the first century BCE in China, India, Iran, Israel, and Greece. It was then, claimed Jaspers, that “man becomes conscious of Being as a whole” and “experiences absoluteness in the lucidity of transcendence”. It was then that our species took “the step into universality”.

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Still, Bellah thinks the concept is worth holding onto, albeit with qualifications. If we set Jaspers aside, it’s still impossible to deny that huge transitions in thought happened very quickly in the first century BCE. When I ask Dunbar if he buys the Axial Age hypothesis, he says, “If by that you mean a phase transition in which suddenly and quickly you have the emergence of religions with rituals and doctrines, the answer is yes.”

So what was axial about the axial age? First, all of the so-called axial breakthroughs occurred outside imperial centres. Bellah says an increased competition between states “created the possibility for the emergence of itinerant intellectuals not functioning within centralised priesthoods or bureaucracies”. Axial figures were able to criticise the centre from the margin. In fact, one historian has called the Axial Age “the age of criticism”.

Bellah says the question that was key during this breakthrough period was, “Who is the true king, the one who truly reflects justice?” So, for example, in Greece, Plato instructs people to look not to the aristocrat Achilles but to Socrates. In India, the Buddha was the one who gave up his claim to kingly succession. And in Israel, the God/king unity was decisively broken with the prophetic tales about YHWH rejecting and installing kings at will. In short, Bellah argues, axiality consists in the ability to imagine new models of reality as preferential alternatives to the ones already in place.

The key to this transition to criticism was the capacity for graphic invention and external memory, without which a bridge from Neolithic to modern humans might never have emerged, according to Bellah. Without the ability to store information outside the human brain, humans would not have been able to develop second-order thinking. And without that, we would never have been able to codify our religious experiences into elaborate theologies.

Surely there were theory and analysis before writing, as Bellah admits. Nor should we overlook the fact that orality and literacy overlap in ways that make it difficult to say that something is only the effect of literary culture. Still, as Bellah notes, we shouldn’t downplay the importance of the written word, which allowed narratives to be written down, studied, and compared, “thus increasing the possibility of critical reflection”.

The kind of thinking that he sees emerging in the Axial Age is theory about theory, thinking about thinking. It’s second-order thinking that leads to a religious and philosophical breakthrough: “not only a critical reassessment of what has been handed down, but also a new understanding of the nature of reality, a conception of truth against which the falsity of the world can be judged, and a claim that truth is universal, not merely local”.

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One of the better somethings, for many people, seems to be religion sans doctrine or hierarchy. Many researchers have noted that at the same time Church attendance in the West has declined, there’s been a noticeable increase in spirituality. Hence, the so-called Spiritual But Not Religious (SBNR) phenomenon.

Spirituality in this sense has been defined by one researcher as “a personalised, subjective commitment to one’s values of connection to self, others, nature, and the transcendent”. In a 2017 survey [https://www.pewforum.org/2018/05/29/attitudes-toward-spirituality-and-religion/pf_05-29-18_religion-western-europe-05-02/(https://www.pewforum.org/2018/05/29/attitudes-toward-spirituality-and-religion/pf_05-29-18_religion-western-europe-05-02/)] across 15 Western countries, for example, 64% of SBNRs said even though they didn’t believe in God as described in the Bible, they believed in a higher power.

2021/5/28, Fri.

 世界をめぐる経験はさまざまな文体によって語りだされ、経験にかかわる思考は多様な表現によって紡ぎだされる。ヘラクレイトスはたとえば、神託ふうの箴言で世界に現前するロゴスをかたどっていた。箴言、つまりアフォリズムはアポ・ホリスモスに由来し、ホリスモスとは限界を設定することである。箴言という形式はもともと、世界を原初的に切りわけることで、そのロゴスをあらわにする、すぐれて哲学的な文体であったといってよい。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、30)



  • 正午ちかくになって起床。天気はくもりだが、それほど暗くはなかったはず。気温もわりと高いようではあった。水場へ。洗顔やうがいや用足し。髪の毛がながくなってきたので、ぐしゃぐしゃである。あがると母親は仕事にでるところ。洗面所にはいってあたまに水と整髪スプレーをふりかけ、櫛つきのドライヤーでてきとうにおちつかせる。それから食事。天麩羅ののこりだったか? そうではない、ハムエッグを焼いたのだった。それを米にのせ、汁物としてはきのうのスンドゥブのあまり。卓へ。母親がつけっぱなしにしていったテレビを消し、新聞をみながら食べるが、すぐに食べ終えてしまったので記事の内実はほとんどよめず。米国がエジプトと会談し、パレスチナへの支援を表明というはなしがあった。ガザには五五〇万ドル(六億円)を支援、国連パレスチナ難民救済事業機関には三三〇〇万ドル(三六億円)、というあたりまでしかこのときはよまなかった。その後夕食時につづきをよんだが、米国は二六日だったかにすでに2億五五〇〇万ドルだから二六〇億円ほどをガザの復興にたいして援助すると発表していたらしく、それに上乗せしたかたちだという。米国としてはパレスチナ自治政府の主流派というかいまや主流派ではなくなっているのではないかという気もするが、いちおう非戦派であるはずのファタハに支援をおこない、ハマスの影響力をそぎたいという目論見があるようなのだけれど、マハムード・アッバス議長は五月に予定されていた選挙も延期して求心力の低下がはなはだしいということだし、ガザ地区はかんぜんにハマスが実効支配して住民らもだいたいそちらを支持しているようなので、そううまくはいかないだろう。これは夕刊だったとおもうが、国連が今回の紛争を調査するためイスラエルとガザにはいるというはなしもあった。国連人権理事会だったかで決定され、イスラームの国々を代表して提案したのはパキスタンだという。ハマスの無差別なロケット弾攻撃はかんぜんに国際人道法・人権法違反だが、イスラエル空爆戦争犯罪に該当するおそれがあるとのこと。ネタニヤフはとうぜん反発。パレスチナ自治政府はむろん歓迎。
  • 食後、洗い物を始末し、風呂もあらうと緑茶をつくって帰還。そして下。
  • いま一時二〇分。緑茶をのみおえたあと、一年前の日記をよんでいる。いままで日記のよみかえしおよびブログの検閲をするときは、ブログの編集ページでよみかえしながらやっていたのだけれど、かんがえてみればEvernoteにあってまだNotionに移行していない日記記事をうつしていく必要もあるわけで、だからEvernoteページにおいてよみかえしながらあらためて検閲ポイントにチェックをつけていき、それにもとづいてブログを修正するとともによみおえた記事はまるごとコピーしてNotionにうつしておく、というやりかたがよいだろうとおもった。
  • いま二時半すぎ。この一年前の五月二八日は(……)さんと通話しており、そのはなしもながいし、そのほかにもいろいろ引用をしていてやたらながく、ぜんぶ読んだわけでないがよみかえすのも検閲をほどこすのもたいへんで、おまえいい加減にしろよマジでとおもった。たぶん、引用もあわせると全体で五万字くらいいっているのではないか? とはいえ、けっこうおもしろいはなしもある。まとめて下に。

ほか、"A Case of You"について。Diana Krallが『Live In Paris』の一一曲目でJoni Mitchellの"A Case of You"を歌っているのだが、そのなかの"I could drink a case of you"という一節が風呂場で脳内にリフレインされ、そこで初めてこの曲の歌詞を意識するに至り、なるほどこの歌は相手を酒か何かに喩えた曲だったんだなといまさら気づいたのだ。で、あなたならばケースいっぱいの量でも飲み干すことができるというわけだけれど、この表現ってなんか、意外と珍しくね? と思った。恋人を酒に喩える比喩はもちろんひどくありふれたもので、恋情の陶酔をアルコールによる酩酊と重ね合わせて捉える思考は一般的修辞法としてこの世に広く流通していると思うが、「あなたに酔ってしまう」ではなくて、「あなたを飲んでしまう」という具体的な行為のレベルにまで入っていく言い方はあまり見かけないような気がしたのだ。まあたぶんこちらが知らないだけでたくさんあるのだとは思うけれど、それでも何となく、「飲む」よりも「食べる」のほうがよく見られるようなイメージを持っている。去年だったか一昨年だったか『きみの膵臓を食べたい』とかいう小説がよく売れていたようで、読んでいないからもちろんわからないが、それもたぶんこの系列に属する物語なのではないか。いずれにしても、言うまでもなくこの修辞においては「愛」の究極形態を表現する一手法としての「取り込み - 合一」のテーマが志向されているわけだけれど、"I could drink a case of you"にあってはそれが双方向的な合一 - 融合と言うよりは、取りこみ/取りこまれる関係として描かれている点がちょっと気にならないでもない。もともとJoni Mitchellが作った曲なので、一応この曲の"I"を女性と仮定して捉え、なおかつ相手は男性として、ひとまず異性愛の関係を想定したいのだが、そうするとここには女性の主体性に基づいた能動的行為によって相手の男性を自らのうちに飲みこみ、消化し、同一化してしまうという、ある種の大きくて強い(と言って良いのかわからないものの)女性像、女性としての優位性が表明されているとも言えるような気がしており、例えばそこでは交尾の最中に雌が雄を食べてしまうというカマキリのイメージなども容易に召喚されて接続されうるだろう。そのように捉えられるとすれば、Joni Mitchellがこの曲を作りまた発表したのが何年なのか知らないけれど、たぶん七〇年代かなという気がするので、やっぱりこれは例えば公民権運動やいわゆるアイデンティティ・ポリティクスの類を、いまだ通過はしていないにしても、少なくともその勃興に接しまたその渦中にある時代の音楽ということなのかなあとか思ったわけだ。ただ以上思ったことはあくまで"I could drink a case of you"の一フレーズのみから考えたことなので、曲全体の歌詞を読むとこういう捉え方が成り立たなくなる可能性はもちろんある。

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コロナウイルス関連では、これは実際に話されたのはもっと後半のことだったと思うが、(……)さんとしては台湾や韓国の処置を無批判に称賛する向きが思いのほかに多いのが気にかかったとのことだった。この二国は今次の騒動においてたしかにわりと迅速な対応に成功したようなのだけれど、(……)さんによればそれは主には監視技術などを駆使した情報管理路線の方策だったらしく、しかし日本のインターネットなどを見ているといわゆるリベラルを標榜している人であっても、そのような権力に対する権利の明け渡しをやや無批判に肯定している声が多く観察されて、(……)さんはその点に懸念と危機感を覚えたと言う。たしかに、私権が制限されるとしてもそれはあくまで緊急事態における一時的な措置だという点は留保されるべき要素だし、また当該国の政府が例えば中国共産党のようにあからさまに強権的ではなく、一定程度「信用できる」という捉え方も可能で、実際彼の国の人々からは、我々は我が国の政府を信用している、市民的権利を一時的に譲渡したとしても彼らがそれを悪用しないということを信じている、というような主張も聞かれたようだ。さらに同時に、もちろん人命が掛かっている問題でもあるので、権利と命とどちらを取るのかと迫られればなかなかクリティカルな反論はしづらく、ほとんど沈黙するほかはない。だがそれらの点をすべて考慮するとしても、緊急時であるとは言っても警戒と吟味とを不在のままにトップダウン的な自由や権利の制限を手放しで称賛するというのはやはりどうなのか、と(……)さんは違和感を述べた。例えば欧米諸国でもいわゆる「ロックダウン」の措置が取られているわけだけれど、ドイツではアンゲラ・メルケル首相がその決定を下す際に、自分はほかならぬ東ドイツ出身だから、自由や権利というものが制限されるということがどういうことを意味するのか、それをよく理解している、だがそれでもなお、現在はそうした措置を断行しなければならない事態なのだという明晰なスピーチを国民に対して行ったらしく、そのように言われればまだしも納得できると言うか、あ、これは仕方がないなという気持ちにもなる、と(……)さんが話すのに、それは何かすごくメルケルっぽいですね、「欧州の良心」っていう感じがすごくありますねとこちらは受けた。そのような、国民と他国家に対するまさしく「丁寧な説明」、正しくこまやかな配慮の手続きがあるならまだ理解し、容認することができるというのは正当な視点だと思われ、ヨーロッパの政治家のうちで良識を具えた方面の人々がやはり優れているように思うのは、このように基本的ではあっても大事な点で行動を怠らず、自分たちはこの欧州という世界がいままで守ってきた伝統的な価値や理念というものをこれからもできる限り守り続けていくつもりだ、ということを折に触れて明確に宣言するからではないだろうか。そうした振舞いを見る限り、彼らは「リベラル」と言うよりも、むしろ言葉の正しい意味での「保守」を実行しているのでは? とすらこちらは思うけれど、このような国民と他国家に対する「丁寧な説明」がきちんと実践されているかどうかで例えばヘイトクライムの発生を防げるかどうか、少なくともそれを減らせるかどうかという点に確実に影響があるということを考えると、政治家という役職を務めるにあたってはやはり、大きな問題に対して大きな決定を下す際の判断力というものももちろん大事だが、具体的な個々の場面でどのような言葉と振舞いを示すかという観点からして洗練された繊細さがそれに劣らず重要になってくるものだなあと思う。それはむろん、政治家に限ったことではない。政治家という職業においてはとりわけその重要性が高いとしても、これはそれ以外の人間すべてに通ずる話だとこちらは考えており、巨大なシステムや構造に対する透徹した視線とともに、そのような構造のなかで発生する各瞬間においてどのような言動を実行するか、そのきわめて微細な一つの言葉と一つの身振りに人間が現れ、そこにおいてこそ人間が問われると思うのだけれど、ドナルド・トランプを筆頭に挙げるとして、例えばロドリゴ・ドゥテルテジャイール・ボルソナーロ、オルバーン・ヴィクトル安倍晋三といった人々がその生においてこのような主題について反省的な思考を巡らせたことがほとんどないのは明白ではないだろうか。習近平はと言えば、こうしたことに当然気づいていながらも、それを狡猾に、あまり良くない方向に濫用しているような印象を受ける。

話を戻すと、例えばメルケルのようなアピールがきちんと介在するのだったら私権制限的な強硬措置もまだしも受け入れることができるだろうが、原理論としてそれを留保なく受容し、甚大な規模ではあるとしてもたった一つの事件を機にいままで受け継がれてきた理念を嬉々としてなげうってしまう、そういう姿勢が一部界隈で思いのほかに多く見られたという印象を受けて、(……)さんは危機感を抱いたということだ。台湾や韓国におけるコロナウイルス対策の実態についてはこちらは何の情報も得ていないのだけれど、それが(……)さんの述べる通り、テクノロジーを活用しながら国民を広く監視し、それでもって市民生活を制限するといういくらか圧迫的なやり方だったとすると、それはもちろん、大きな部分では中国に回収されてしまうわけですよねとこちらは応じた。つまりこの現代世界には、中華人民共和国にまざまざと具現化されているような技術独裁主義と言うか、テクノロジーと結合した強権体制と、それに対して欧米に代表される……まあ……古き良き(というこの言葉を口にしたとき、(……)さんも同じ語を発しかけて、まったく同じこと言おうとしてたわ、と笑った)……民主主義の理念を守っていこうという国々がある、もちろん例えばドナルド・トランプのような人間はいるし、またこの「古き良き民主主義」自体、色々と問題があっていくつもの点で欺瞞的なものだったとしても、それでも一応その価値を守っていこうという国々、そういう対立がどうしてもあるわけですよね、そのなかで韓国や台湾の措置を無条件的に支持するというのは、結局、中国路線に正当性を与えてしまうことになるじゃないですか、そうすると何でしたっけ、あのニック・ランドとかが好きな、いわゆる中華未来主義、あれになってしまいますよねと述べると(……)さんも、そうそう、そうやねん、そっちの方向に行っちゃうよねと同意を返した。

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話を少し戻して、(……)さんが言っていた比喩を重ね合わせていくと最終的には機械になっていくというイメージに触れると、これについてこちらはまだあまり実感的に理解できていないのだが、次のようなことなのだろうかとひとまず考えた。ある記述とある記述が表面的な外観としては異なっていても、意味合いとしてはテーマ的に通じるということはもちろんいくらでもある。ただそれらの個々の記述は、具体的な記述として違いがある以上、比喩的意味としても完全に同一の状態には還元されないはずである。つまり、当然の話だが個々の比喩にはそれぞれ意味の射程があり、純化されない夾雑的な余白がそこにはつきまとっているはずで、その比喩もしくは意味の形は完璧に一致するということはない。とすれば、それらを織り重ねていくと、そこには明確な形態には分類されえない不定形の星雲図のようなものがだんだんと形成されていくはずではないか。アメーバのようなイメージで捉えてもいるのだけれど、この織り重ねは単に平面的な領域の広がりには終わらず立体方向に展開していくものでもあると思われ、すなわちそこには複数の層が生じることになる。そのような平面 - 水平方向と立体 - 垂直方向の二領域において、個々の要素であり部品である具体的な記述が対応させられ結びつけられていくことによって、いつしか得体の知れない特異な構造の機械にも似た建造物が姿を現すに至る、とたぶんそんな感じなのではないか。これを言い換えれば(……)さんは意味の迷宮を建築しているということであり、すると続けて思い当たるのは当然、彼の文体自体が「迷宮的」と称されることで――そもそも『亜人』とか『囀りとつまずき』などの文体を「迷宮的」という形容で最初に言い表したのは、たしかほかでもないこちらではなかったかという気がするのだが――つまり彼は表層に現出しているそれ自体迷宮的な文体のなかにさらに複雑怪奇な経路を張りめぐらせることでより一層迷宮的な意味の建造物を構築しているということになるわけで、とすれば三宅誰男という作家の一特性として〈建築家〉であるということがもしかしたら言えるのかもしれないが、ただ重要なのはおそらくこの建築物が、例えば序列とかヒエラルキーとかいったわかりやすい系列構造を持っているのではなくて、(迷宮であるからには当然のことだけれど)まさしく奇怪な機械としての不定形の容貌に収まるという点、少なくともそれが目指されているという点だろうと思われ、それは現実の建造物としては例えばフランスの郵便配達夫シュヴァルが拵えた宮殿のような、シュールレアリスム的と言っても良いような形態を成しているのではないだろうか。とは言えそれはおそらく充分に正確なイメージではなく、と言うのはシュヴァルの宮殿は外観からしてたぶんわりと変な感じなのだろうと思うのだけれど、(……)さんの小説はけっこう普通に物語としても読めるようになっているからである。まあ文体的に取っつきにくいということはあるかもしれないが、表面上、物語としての結構はきちんと確保されている。だから(……)さんの作品を建築物に喩えるとすれば、外から見ると比較的普通と言うか、単純に格好良く壮麗でそんなに突飛なものには見えないのだけれど、いざなかに入ってみると実は機械的な迷宮のようになっていると、そういうことになるのではないか。で、この迷宮にはおそらく入口と出口が、すなわち始まりと終わりがない。もしくは、それはどこにでもある。どこからでも入れるしどこからでも出られるということで、なおかつその迷宮内部は常に機械的に駆動し続けており、人がそのなかに入るたびに前回と比べて様相や経路が変異しているみたいな、実際にそれが実現されているのかどうかはわからないが企図としてはそういうものが目指されているのではないか。そして人が迷宮に入ったときに取るべきふさわしい振舞いというのは、言うまでもなくそのなかをたださまようということである。『亜人』冒頭の言葉を借りれば、この迷宮には「こぞってこちらのあとをつけるうすぎたない追いはぎども」(9)が至るところに潜んでいるわけだが、そこに足を踏み入れた者はこの盗賊たちに襲われてひとつところに囚われてしまうのを避けるため、彼らの追跡から逃げ惑いつづけなければならない。

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古井由吉が書いた最初期の作としては「先導獣の話」というのが一つあり、これはたしか同人時代のものだということだったが、それはもうその時点でまんまムージルだと(……)さんは評した。この点は過去にも何度か聞いてきたことでこちらもさっさとこの篇を読みたいのだけれど、それを受けて至極適当に見取り図を考えてみたところでは、古井由吉の発展段階としてまず最初にムージルがある。次に一応は物語に従事してみるというフェイズがあり、そこでは民俗学的な知見なども取り入れているのでそれは言わば神話的な試みと言うか、神話のような方向にひらいていくという取り組みを一時試みていたのではないかと思ったのだが、そのあと八〇年代後半か九〇年代あたりから、自ら神話的物語をこしらえるのではなくて過去の説話・民話・神話といった文化の古層的なテクストを引用し、それを素材や媒介としながら言葉を招き寄せて書き継ぎ書き継ぎするやり方を始めたと、そんな風に変容していったのではないか。まああまり実に即した整理ではないけれど思いつきでそういうことを述べたのだが、古いテクストを引用するというのは二〇一〇年以降の近頃の作品でもよくやっていたと思う。ただ、そのままの引用と言うよりはパラフレーズして文脈を拡張するみたいなやり方だった気がするので、「引用」という語は事態をあまり正確に言い表してはいないかもしれないけれど、上の整理を述べたときにこちらの念頭にあったのは、現代日本語文学の最高峰として名高い例の『仮往生伝試文』のことだったのだ。この作品をこちらはまだ読んでいないのだけれど、聞きかじりによるとあれはまさしく往生伝を色々と引用して、それを足がかりに発展させて書いたものなんでしょう? と訊いたところが、(……)さんもまだ読んだことがないらしい。この小説についてはもちろんさまざまなところでやたらやばいやばいと言われているのだが、こちらが覚えているのはまだ文学に触れはじめてまもない頃に読んだ高橋源一郎柴田元幸の対談本のなかで、たぶん高橋のほうだったはずだが古井さんは『仮往生伝試文』で一度天上に、雲の彼方に行ってしまったと思っていたら、そのあとそこから地上に戻ってきたんですよね、みたいな評し方をしていたことで、だからおそらくこれを一つの境にして、『白髪の唄』のような言わば私小説換骨奪胎路線に入っていったということなのではないか。それに当たっては、当時は首のほうだか目のほうの時期だか忘れたが(たぶん首か?)、身体を壊して病院に入ったのも結構大きかったみたいやねと(……)さんは言った。古井当人がそんなことを言っているのに触れた覚えがあるらしいのだが、そこに加えてやっぱり、空襲の記憶というものが絡んでくるんでしょうかね、とこちらは応じた。肉体の危機に触発されて幼時の切迫した危機の記憶が呼び寄せられて蘇ってくる、とそんなことがもしかするとあったのだろうか。

先の対談では古井由吉の作術についても多少言及されており、例えばある人が他人を殺したのか殺していないのか、最終的に作品として形になった文章ではよくわからない風に書かれているのだけれど、そういうとき古井自身は殺したほうの路線と殺さなかったほうの路線と両方を想定して書いていくらしく、ところが進めていくうちに結局はそのどちらも取らない方向に行ってしまうのだみたいなことを語っており、そのあたりを読んで古井由吉の書き方ってこういう感じなんだな、というのがわりとよく理解できたと(……)さんは話した。つまり、作品を、言語を統御しようと、できるかぎりコントロールして構築しようと、一応はそれを目論みながら書き進めていくのだけれど、肝心なところでは作品そのものあるいは言語の発揮する論理に従い身をゆだねて導かれると、そういう感じなんだなという具合で理解したのだと思う。古井の文章というのは大概誰でも感じるはずだと思うけれどとても端正に切り詰まっていて、日本語の使い手としてはほぼ類例を見られないほどに整っているわけである。一日に書いてせいぜい三枚だったという話だし、推敲もめちゃくちゃに重ねてことさらに文章を削ぎ落とし切り詰めていくということもどこかで語っていた覚えがあるのだが、しかしもしかするとそういう言葉の道筋の精緻な整地というのは、むしろそれを突き詰めていった先で破綻を招き入れるために、ほとんど行き詰まりに至ったところではじめて出現する破れ目を呼び寄せるために導入された方法論なのではないか、とそんなことも想像される。それと同時に「招魂」などという言葉も想起されるもので、「招魂」というのは古井がときどき使っていた語で八〇年代あたりに二回ほどエッセイ集のタイトルにも用いていたと思うのだが、そこで差し招かれる「魂」というのはあるいは、ここで言うところの作品や言語固有の論理として人間主体の意識を超出していく破綻と結びつけて考えることもできるのではないか。そして、破れ目とは何かと何かのあいだに生じるもの、もしくはそれを生み出すものであるわけだから、したがってそれは換言すれば〈あわい〉である。

ところで、古井由吉松浦寿輝が交わした往復書簡をまとめた著作は『色と空のあわいで』と題されている。(……)さんとの会話ではこの本のことも話題に出て、こちらがこれを読んだのももう相当に昔だが、このなかで古井が「空を切る」という言い方をしていた、と彼に報告したのだった。「空を切る」身振り、そしてそのあとに残る空隙のようなものこそが作家の腕の見せどころじゃないか、みたいなことをたしかこの本に付属していた対談のなかで古井は語っており、それに対して松浦寿輝が、愚かな質問ですがとか言って似非蓮實重彦風に断りながらも、それじゃあいままでの作品のなかでその「空を切る」身振りに一番成功したのはどれですかと訊いたのに、それは『山躁賦』ですねと古井は即座に断言していた。そういう記憶を思い出して話したのだけれど、だから『山躁賦』も彼にとってわりとターニング・ポイント的な作品だったのではないか。しかしこちらは魯鈍なことにこの小説もまだ読めていない。入手してはあるのだけれど。『色と空のあわいで』は(……)さんも長年探しているのだが古本屋で見かけたことも全然ないと言う。こちらがこの本を図書館で借りて読んだのは読み書きを始めてまだ一年半しか経っていない二〇一四年九月の時点である。したがって、記録を見返してみてもわずか三箇所しか書抜きをしていないのだが、いま読み返せばこの本もきっととても面白いだろうと思う。その三箇所をすべて下に引いておく。

松浦 さっき言語が主で私が従というお話を伺ったんですが、ひょっとしたら「私」そのものも言語でできているものなのかもしれないという考え方はどうでしょうか。「私」がまずあってそれを言語で表現するっていうのが普通、人が言葉の表現というものを考えるうえでの自然な成り行きですが、ひょっとしたら、「私」というもの自体、芯の芯まで言語に侵されており、ひょっとしたら言語そのものが「私」なのではないのか、ということを実は古井さんの私小説的な作品を読ませていただいているときでも感じることがあるんです。つまり物質としての言葉を一つ一つ彫り込むようにして書いていらっしゃる現場では、言葉のこぶこぶそのものが一種、古井さんの存在そのものになってしまっているんじゃないのかなあという。
古井 言語を先行させたとさっき言いましたけど、もう少し厳密にいうと言語上の私的な体験を言語上でない私の体験よりも先行させたということなんです。そうしてきた人間はどうしても考えますね、このこぶの中に自分の存在があるんじゃないか、ひょっとすると自分ばかりじゃなくて親の存在まであるんじゃないかとまで。とにかく信念としてはそうしてやってきました。しかしあなたもよくお書きになってるように、言語というのは一つの表現の完成に差しかかると復讐のごとく欺瞞をやる。この体験の繰り返しです。言語に関しては表現そのものが表現ではないんじゃないか、表現したときにこぼれ落ちるものがしょせん表現じゃないか。絞りに絞って空を切るときの一つの勢いとか運動、それにかけるよりほかないんだね。ところが空を切るときの力動を出すにはかなりきっしり詰めていかなきゃならない。詰めるだけで力尽きた小説もありましてね。僕の場合、それが大半じゃないかと思うんだけど。空を切る動きまで見せてないんじゃないかと。
松浦 ミーハー的な興味でお伺いすると、空を切る運動がいちばん鮮やかに定着できたとご自分で思っていらっしゃるのは……。
古井 『山躁賦』ですね。あのときはむちゃくちゃに振り回したんだね。振り回しただけでもけっこう迫力は出たと思いますけど。それでも肝心なところで見事に空を切ったという自負はあります。その後あれほどうまく行かないんですよね。ずいぶん辛抱してきて、ようやくこの前の『仮往生伝試文』とか『楽天記』に至ってどうにかまた。私小説的なものに傾くというのは、私小説的なレアリティに仮に沿って自分を苦しめて、文章も苦しめる。だけどあの行き方はしょせん私小説としても節目ごとに空を切るわけです。きわめて穏やかにね。だけど随分しなやかに空を切るとこまで行ったかなという気はします。
松浦 『槿』はいかがですか。
古井 『槿』は、まあ一応小説らしい結構を備えた小説への、今後やるかどうかわからないけど、今のところでは最後のご奉公になってると思います。まずいなあ、こういうこと言っちゃ(笑)。
松浦 こういう機会ですから。
古井 それ以後は、私小説的な形へ行ってるでしょう。私にとっては、私小説的な形へ行くのはむしろ小説の解体なんです。
松浦 よくわかります。
古井 もう一度、小説という厚みも影も味もあるレアリティから離れて、あからさまな言語の矛盾につきたいという。その欲求から私小説的な形をあえてとっている。すると、すぐ追い詰められるんですよ。
 (古井由吉松浦寿輝『色と空のあわいで』講談社、2007年、82~84; 「「私」と「言語」の間で」; 「ルプレザンタシオン」1992年春をもとに改稿、『小説家の帰還 古井由吉対談集』に収録)

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古井 ホーフマンスタールの詩でしたか、人生のことどもがいかにはかなく取りとめないかということをうたってきて、最後にそれでも「夜」という言葉を口にすれば、そのひとことから深い思いと哀しみが滴る、あたかも洞[うつ]ろな蜂房から蜜が滴るようにと……散文的に説明すれば、要するに現実の厚みがおのずと集まってくる。それと同じように、日本文学には「体験」というひとことがあったんですよね。これは時代によってさまざまだから、たとえば漱石の場合、葛西善蔵の場合それから太宰の場合、それぞれ違うと思うんだけど、それぞれなりに「体験」という一言[いちごん]の詩の下に何かが凝縮する。ところが言語が解体したばかりじゃない。体験というものを分析的に見る習性がいつからかついたんですよ。体験というのはひとまず擬似的なもんだというぐらいに思わないと人間横着になる、と。
 ところがまた体験というものを擬似的な、あるいは更に後の認識の試みを許すものだというふうにとると、小説はとても成り立ち難いんです。小説というのは現在今を書いてもそれがあたかも過去であるかのごとく書かなきゃいけない。現在形を使っても単純過去じゃなきゃいけないんですよ。例えば小説に厚みを加えるには、どこで誰が何をしたとか、何を考えたとか、そういうこともさることながら、その時に空はどうだったか、どんな風が吹いていたとか、どんな音が立ったとか……つまり小説に厚みを加えるのに一番いいのはお天気のことです。だけど、お天気のことを本当に現在今のこととしてとらえようとしたら表現は果てしなくなるわけですよね。雨と一言でも言えないし、晴れと一言でも言えない。まして小春日和とか、それから寒の入りの珍しくあったかい日なんて、これは全部、じつは単純過去なんですよ。大勢の人間たちの見てきた過去なんです。これを私、「生前の目」って言うんですけどね(笑)。生きながらの生前。この過去、死者たちの民主主義ですか……無数の死者たちの生前の目、あるいは無数の死者たちのことを思うときに生者も分かち持つ生前の目、これが小説の現在だと思うんです。それできちんと振る舞えるかどうかの問題です。振る舞えれば苦労はないんです。
 現在を過去の精神でとらえないときに現在とは何かという問いが露呈してしまうわけです。そのときに言語は解体せざるを得ないんです。しかし解体のぞろっぺえも嫌でしょう。どこで解体そのものをつかめるかと考える。そのときに、現在を過去の精神でとらえていく私小説が僕にはいちばん面白かった。なるほどすぐれた私小説というものは、現在を過去の目で見るという限定の中で、安定した深みのある表現をつくり出して、それが魅力ではあるんだけど、だんだん年をかけて読んでいくと、破綻の部分にいちばん魅力がある。
松浦 つまり作家がやろうとして失敗したことという……。
古井 これはもう文章に、もろに出てくるんです。現在を過去の目で見ると文章が安定する。過不足のないような文章が続くわけです。これはなかなか深みと現実感、いわゆるレアリティを与えるのだけど、すぐれた私小説は時として訳のわからない一行がはさまる。僕はむしろこれに惹かれました。訳のわからない一行を出すためにこういうことを書いてるんじゃないかと。
 (86~88)

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古井 今どき文学上のレアリズムっていうと、まあ多少文学を考える人はまともに付き合うまいと思うでしょう。リアリズムというのは、人がどこで得心するか、なるほどと思うか、そのポイントなんですよ。つまり人は論理で納得するわけじゃない。論理を連ねてきてどこか一点で、なるほどと思わせるわけです。その説得点あるいは得心点ともいうべきところで、形骸化されたリアリズムが粘るというのが、文学としてはいちばん通俗的じゃないかと思うんです。説得点にかかるところだけはすくなくとも人は真面目にやってほしい。つまりこんな言い方もあるんです。今どき文章がうまいというのは下品なことだと。それをもう少し詰めると、感情的な、あるいは思考の上での説得のポイントに入るところで、あり来たりのものをもってくる。筋の通ったあり来たりならいいですよ。もしもそういう筋の通った「俗」がわれわれにとって、説得点として健在ならば。しかし時代になんとなく流通するものでもって人に説得の感じを吹き込む、そういう文章のうまさ、工夫、これは僕はすべて悪しき意味の通俗だと思う。これがいわゆるオーソドックスな純文学の文章にも、ミナサンの文学にも等しくあるわけだ。これをどうするかの問題でね。
 (98)

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あとは『亜人』について。最近こちらがシェイクスピアをたくさん読んだという話から、(……)さんもシェイクスピアは過去に色々と読んで、そのなかでも『ジョン王』だったかのマイナーな歴史劇のなかに「私生児」というキャラクターがいたのを覚えており、作品自体は大したことはなかったけれどその人物がやたら生き生きとした躍動的なイメージをもたらしたのが印象に残っているということが語られたのだが、それでこちらが『亜人』の「私生児」の元ネタってそれだったんですねと訊いたところ、え、『亜人』に「私生児」なんてやつ出てきたっけ? という反応が返った。いませんでしたっけ? 迷宮探索の一行のなかに、なんかナイフ使うやつがいましたよねとか何とかこちらが説明して、それで(……)さんも一転、あ、そう、そうやねん、そうだった、あいつシェイクスピアから取ったんだったと言い、こちらはその逆転ぶりに、いやなんで自分で書いた作品の元ネタ忘れてるんですか、いまのいままで完全に忘れてましたよねとかなり笑ったのだが、しかし後日(……)さんのブログを覗いたところ、『亜人』に登場したのは「私生児」ではなくて「混血児」だったという驚愕の事実が記されており、いや、じゃああのときの(……)さんのまさしく手のひらを返したかのような確信的な断言は一体何だったんだ! とこちらはそこでもまたクソ笑ったのだった。

  • さいごのはなしはわらう。このときこちらも記憶ちがいでかんぜんに「私生児」だとおもいこんでいたのだけれど、(……)さん自身もかんぜんにおもいこんでいる調子だった。あと、通話のなかではガタリについてもすこしだけふれられていて、そこをよみかえすと、やはりガタリよまなければなあというきもちがあらたにされた。たしかこのとき(……)さんがいっていたことでは、ドゥルーズガタリの共作にあたる本も、だいたいガタリがばーっとアイディアをまくしたてて、それをドゥルーズがひろいあげて統合しかたちにしていったのではないか、というはなしだった。この日の日記にも、「とりわけ相当に実践的な活動家だったという点にはかなりの興味を覚える。多様な領域をめちゃくちゃに横断したり多彩な物事を節操なしに取りこんだりする猥雑さに対して、こちらには一種の憧れみたいな志向及び嗜好がある(……)」としるされてあって、これはいまもかわらないのだけれど、やっぱりぜんぜんわけがわからん、みたいなものに惹かれる性向はわりとあるわけだ。それはこちら自身がそれなりに明晰な人間のつもりでいるので(ほんとうにそうかわからないが)、たぶんそれの裏返しで、猥雑だったりごちゃごちゃしていたりするものにあこがれる、ということだとおもうが。まあガタリがじっさいにそういうかんじの作家なのかわからないが。いろいろなものを節操なくとりこむという点にかんしては、バルトもけっこうそういうところはあるとおもうけれど、ただ彼の場合どうしたってそれが猥雑にはならないだろう。まぜてごちゃごちゃにするというより、部分的にうまくつまみあげてじぶんの絵画に色や装飾やかたちとして利用しながらたのしむ、というか。
  • そのあとは『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよんだ。「オイディプス王」を通過し、「ピロクテテス」の途中まで。「オイディプス王」はいうまでもなく非常に有名な篇で、こちらは岩波文庫の藤沢令夫訳ももっており、それでかなりむかしにいちどよんだおぼえがあるが、このちくま文庫は高津春繁の訳である。真実があきらかになったあとのオイディプスの嘆きとか呪詛のさけびがなかなかよくて、真に迫った調子とかんじられ、わりと感動し、かきぬこうとおもう箇所がいくらかあった。あと、真実をしらされたオイディプスが宮殿内にはしりさった直後の359でコロスの合唱があるのだが、そこの、「おお、人の子の代々、/はかなきは命。/誰かある、誰かある、/幸を得し者。人みな/幻の幸を得て、/得し後に墜ちゆくのみ。/汝 [な] が定めこそそのためし、/汝 [なれ] が、汝 [なれ] が定めこそ。おお幸うすきオイディプス。/人の子にはことほぐべきものなべてなし」という最初の一連も、内容として大したことをいっているとはおもわれないのだが、なんだかしみじみと感じ入るところがあってよかった。訳文の調子によるところもあるのだろう。「誰かある、誰かある」とか、「汝が、汝が定めこそ」というふうに、くりかえしがつかわれているが、高津春繁のコロスの訳にはこまかい反復がおおめにもちいられている印象。これはたぶん、原文がそうなっているところもあるのかもしれないが、わりと訳者特有の口調なのではないか。わからんが。360にも、「(……)いかなれば、/いかなれば父の畑が、憐れなる人よ、」と行をまたいで反復がある。しかしいまざっとよみかえしてみても、夜によんだおなじ高津訳の「コロノスのオイディプス」の範囲をみかえしてみても、ほかに類例がぱっとみつからないので、べつにおおくもちいられているわけではなかったのかもしれない。あとわりとどうでもよいことだが、高津春繁は「さあ、すみやかに館の内に連れ行けえ」(369; クレオン)とか、「この者たちがわたしと同じ不幸に陥ることがないように、してくれえ」(372; オイディプス)とかいうふうに、命令形に「え」を付加することがおおい。むろんふつうの「~してくれ」のかたちもつかわれていて、このあたりのつかいわけがどういう基準なのかわからないが。うえのふたつの例はそれぞれ命令と懇願だから、「え」をつけたほうが権威的なかんじとか感情性とかがよりうまれる気はするが、ほかに、「聞かせえ」みたいなかんじで、はなしをきかせてくれ、ということをいうさいにもつかわれていたとおもう(これはたしか「コロノスのオイディプス」のほうだったきがするが)。それは「聞かせよ」としたほうがはまるようなきがしたのだが。まあべつにどちらでもよいのだが。
  • あと、さきのコロスの合唱のあと、使者があらわれて妃イオカステの最期と、オイディプスがみずから針で眼をつらぬくさまを報告するのだが、このオイディプスの自罰行為をかたる描写もけっこうよくおもった。
  • ストレッチを少々。小沢健二をながしつつ。そのあとひさしぶりにギター。ずいぶんひさしぶりで、爪も切ったばかりだったので、あとで左手の中指だったか薬指だったかが痛くなったくらいだ。例によってブルースのまねごとをてきとうにやるのが主。いっこうに曲を弾きださない。五時半くらいまであそんでからうえにいき、野菜炒めだけつくっておくことに。父親は山梨にいっていてたぶん泊まってくるだろうからそんなにいらないだろうと。タマネギ、キャベツ、ニンジンをきりわけて、豚肉も切って炒める。さきに肉を焼き、肉の色がかわりきらないあたりで野菜もいれて、そのあとはなるべく強火で加熱する。味つけは塩とコショウと味の素。はやばやと完成させると、そのあとアイロンかけ。シャツ類。霧吹きというかもともとたぶん整髪スプレーかなにかがはいっていたとおもわれる細長い容器で水を吹きかけながらアイロンをかけていくのだが、アイロンをシャツにのせてゆっくりすべらせると、布地のうえに散ったいたいけな水滴たちが蒸発していく音がたち、それは砂がやさしく掃かれるひびきのようでもあるし、まだ手つかずの雪が靴で踏まれる音のようでもある。シャツの生地や箇所によっては音がたたないこともある。時刻は六時ちかく、窓外では近所のこどもらの声がたっており、なんとかちゃん、あそんでくれてありがとうございました! とか、冗談か演技的な儀礼のようにしていいあっているのがきこえる。窓からさしこむ暮れ方の空気は淡く青く染まっていて、シャツのうえにかかるとなおさら青いが、くわえて背後の食卓に吊るされている橙色灯をつけたので、こちらの影もシャツのうえにひろくうまれていくらかうごき、そのなかがいちばん青く濃く、その領域のさかいをこえたとなりは電灯のオレンジが青さとまざってなんともいいづらいあいまいな果物のような色合いをのせている。
  • アイロンかけをおえるとそのまま食事にはいったはず。夕刊をもってきてチェックしたが、ぜんぜんおもいだせない。くっていると母親が帰宅した。野菜炒めはのちほど好評をもらった。食事をおえてかたづけをして帰還すると、また書見。ギリシア悲劇をよみすすめ、さいごの「コロノスのオイディプス」にはいって、この日は498まですすんでだからもうあと五〇ページほどになった。443の最後に、ここはまだ「ピロクテテス」のなかだが、「オデュッセウス倉皇と退場」というト書きがあって、倉皇ってなんやねん、こんなことばはじめてきいたわとおもって検索すると、あわてふためくことだという。「蒼惶」とも書くらしい。ネット上の辞書の例文は幸田露伴の「運命」という小説をとりあげており、芥川の文などもでてくる。彼はこの語をたくさんつかっているもよう。そのあたりの作家はけっこうつかっているようで、「そそくさ」とよませることもおおいようだ。「コトバンク」をみるかぎりでは、初出はおそらく一五一八年ごろの『翰林葫蘆集』という書物らしいが、これがどういう書物なのかとうぜんまったくしらない。いわゆる五山文学の詩文集のようだ。漢詩や漢文もよめるようになりてえんだけどなあ。
  • (……)
  • 日記を記述。風呂にいったのは一一時ごろだったか? 排水溝で髪の毛などをうけとる網状のカバーを掃除し、髪の毛をとって袋にいれておくとともにブラシでこすってもおき、また、そのカバーをとりつける排水溝のまわりや、あれはなんといえばよいのか、溝のなかにさしこまれて一体化する、両側がひらいた円筒形の部品的なもの(上にくるほうの縁はいくらか周囲にひろがるようになっており、おそらくゴミなどが下水道へとスムーズにながれこみやすいようにするためのものなのではないか)もこすってあらっておいた。この部品をこするあいだは下水道特有のあの悪臭がほのかに発生していたのだが、洗剤をかけててきとうにゴシゴシやっていると、じきになくなった。毎日風呂にはいるときにこういう具合で、ほんのすこしずつついでに掃除をしておけばおのずとあたりがきれいにたもたれるのだ。ただ、休日はともかく、労働のあった日にそういう気力が湧くかというとなかなかむずかしいきもするが。
  • そのほかはまた日記をしるしたり書見したりしたくらいで、とくだんのことはないはず。

2021/5/27, Thu.

 ヘラクレイトスとおなじ時代クセノファネスが、おなじ [﹅3] 、ひとつの [﹅4] ものについて語っていた。それはまず、ホメロスやヘシオドスにみとめられる、伝統的な神のイメージを批判することをつうじてである。「人間たちは神々が〔じぶんたちと同様に〕生まれたものであり、じぶんたちとおなじ、衣装と声と、すがたをもっていると思っている」(断片B十四)。だが、もし動物たちも人間のような手をもち、ひとびとがそうしているように、おのおのの神のすがたを絵に描い(end27)たとするならば、「馬たちは馬に似た神々のすがたを、牛たちは牛に似た神々のすがたを描き、それぞれ、じぶんたちのすがたとおなじようなからだをつくることだろう」(B十五)。じじつ「エチオピア人たちは、じぶんたちの神々が平たい鼻で、色が黒いと主張し、トラキア人たちは、じぶんたちの神々の目は青く、髪が赤いと主張している」(B十六)のだ。
 神が存在するなら、それはただひとつの、おなじものでなければならないはずである。初期キリスト教の教父、アレクサンドリアのクレメンスが、その思考に言及していた(B二三)。

コロポンのひと、クセノファネスは、神が一者であり、非物体的なものであることを説きつつ、こう主張している。
  唯一なる神は、神々と人間どものうちでもっとも偉大であり、
  そのすがたにおいても思考にあっても、死すべき者たちとすこしも似ていない。

 クセノファネスによれば、神は、「つねにおなじところにとどまって、すこしも動かない」(B二六)。この思考は、たしかにエレア学派のそれとつうじるものであるだろう。現在では、両者のあいだに直接の影響関係はみとめられていない。けれども古代以来の学統譜は一致して、パルメニデスをクセノファネスの弟子と位置づけているのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、27~28)



  • この日は出勤まえに日記をしるすことをおこたり、深夜に前日分をしあげたのみにとどまったので、もう記憶がうすい昼間のことはかいつまんでしるす。天気は雨降りだった。起きたときからすでにそこそこの降りだったのではないか。新聞の朝刊からは、George Floydが殺されてから一年をむかえたが、アメリカの黒人差別はまだまだ根深い、というような記事をよんだ。その内容ももはやあまりおぼえていないが、警察改革にたいする賛否両論がある、みたいなはなしだったきがする。記事の脇に識者のコメントがふたりぶんあって、一方はふつうに賛成、一方は警察の予算をへらして治安維持力を低下させることで、かえって黒人にたいする犯罪が抑止できなくなる可能性もある、みたいなことをいっていたはず。Black Lives Matter運動にかんしては、白人のひとびともおおく参加したのが過去のムーヴメントと決定的にちがう点だ、という言もあった。しかし世論調査にもとづくかぎり、黒人のひとびとの状況がよくなったとこたえる人間のわりあいはすくないと。
  • もうひとつはウクライナアレクサンドル・ルカシェンコ大統領が、飛行機強制着陸および反体制派メディア創設者拘束の件で制裁的な対応をとったEUにたいし、断固反発している、という記事。人間としての常識や倫理を超えている、みたいなことを言ったらしく、ちょっとわらってしまった。ウクライナ側がそれをいうのかと。
  • 出勤まえはだいたい書見。『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)。ベッドでよんでいると窓外でなにやらガンガン打音がしはじめて、なにをやっているのかわからなかったのだが、壁自体か、壁からかなりちかいところでなにかをたたいているようで、確認しなかったがたぶん父親が雨降りにもかかわらずやっていたとおもうのだけれど、クソうるせえなと少々不快になったが我慢した。いやがらせかとおもったくらいだ。興が削がれたというかその音のなかで書見をする気分でもなかったので、いちど立ってトイレにいったところ、音はなくなり、上階で母親が父親になにかはなしかけているようすでもあったのでなかにはいったのだろうが、しかしそとにでる気配もなかにはいるときの気配も感知されなかったのだが。だれかほかのひとがやっていたのかともおもったが、まさかそんな人間もいないだろうし。それにしてもなにを、またなぜ、たたいていたのかわからない。なにかの器具をとりつけるかつくるかしていたのだろうか? だとして、なぜわざわざ雨が降っているなかでやったのか?
  • それで書見のつづき。あと、どこかのタイミングで、というか読書にきりをつけたときだろうが、瞑想をした。けっこうながくできた記憶。たしか二時半くらいだったはずだ。三〇分はいかないくらいすわっていた。やはり基本、なにもしないという不動性がポイントだなとおもった。ようはとりあえずじっとすわっていればいいというだけで、あとはだいたいなんでもよい。あまり頻繁にうごくのはまずいがたまに姿勢をなおしたり顔をかいたりするくらいならよいだろうし、精神面にかんしてはどんな思考がうまれようがものをかんがえなかろうが、現在にとどまれず記憶のなかにあそぼうが周囲の知覚源に意識がむこうが、それらすべてなんでもよい。それでただじっとしているだけ。そうすると心身が勝手に調律される。
  • 出勤まえにちいさな豆腐をひとつだけ、あたためてたべた。けっこうな雨降りなので母親がおくっていこうかといってくれるので、甘えることに。じつのところこちらもたのもうかとおもっていた。電車でいくと少々時間が足りないし、徒歩でいくにもわずらわしいくらいの降りだったので。このくらいの雨のなかをあるいていくというのも、それはそれでよいだろうなともおもったが。それで三時半にと依頼し、身支度をすませたあと「英語」をすこしだけ音読。時間ギリギリまで。今日は気温がひくめで、たぶんきのうから一気に一〇度くらいおちていたとおもうのだけれど、それなのでジャケットも着た。
  • セロテープがきれたので、おくっていくついでに駅前の「(……)」で買ってほしいとのことだった。それできれたセロテープの芯をジャケットの左ポケットにいれて出発。傘をさして道にでて、すこし横に移動し、路肩で母親が車をだすのをまつ。助手席へ。はいるさいにやや濡れながら。それで走行。車内ではラジオがかかっており、FMヨコハマだったとおもうのだが、土砂降りでもかまわないから、ずぶ濡れでもかまわないから、みたいな歌詞のサビをもったポップスがながれていて、メジャーどころのJ-POPにやや寄る瞬間もかんじられつつも、全体にむかしのシティポップをおもいださせるような雰囲気でわるくなく、伊藤銀次の"こぬか雨"を想起したのだがその曲ではないし、そもそもこの曲は(……)くんが紹介してちょっとながしたのをいちどだけ耳にしたのみなので、よくもおぼえていない。メロディにはききおぼえがあって、なんか有名な曲なのかなとおもいつつも、なんかさいきんの若いひとがやってる日本のバンドって洒落たかんじのやつがおおいからそのへんのグループなのかな、ともおもったが、かえってからおぼろげな歌詞の記憶をたよりに検索してみると、この曲は大江千里の"Rain"というやつだったよう。槇原なんといったか、あのヤクをやってたひととか、秦基博がカバーしているらしく、このときながれていたのはたぶん秦基博だったのではないか。秦基博はたしかひとつまえのNHK連続テレビ小説の主題歌をうたっていたのもこのひとだったとおもうが、メジャーシーンのJ-POPのなかではそんなにわるくないほうなんではないかというきがする。ほかに、(……)が高校生のころにうたっていたくらいの印象と記憶しかないが。秦基博の"Rain"は新海誠の『言の葉の庭』につかわれたらしい。こちらは新海誠のアニメーション作品をひとつもみたことがないが、それでどこかでふれたのかもしれない。
  • 駅前について礼をいっておろしてもらい、傘をひらき、すぐめのまえまでのみじかい距離の雨をふせぎ、軒下で水気をとばす。傘立てに傘をいれて、設置されてあったアルコール液で手を消毒。こんなまちで文房具屋なんかやっていてどうやって生きているのかまるでわからないのだが、じっさい店にはむろんほかに客はない。たぶん学校におろしたりして利益をえているのだとおもうが、それにしても食っていけるとはおもえないのだが。レジカウンターのむこうにいる店員はわりと若めにみえる女性で、むかしのおぼつかない記憶だとおじいさんがたっていたおぼえがあるのだが、娘なのかそれともアルバイトのひとなのか。セロテープをちょっとさがして棚をみやりながらすすむが、みあたらないのできいたほうがはやいとおもってレジのそばまできたときにあいさつをかけ、セロテープを、とつげると、場所にあんないしてくれた。ポケットから芯をだして、おなじおおきさの品をふたつ選択。そうしてカウンターで会計。四四〇円。袋はいいですよといって礼をつげ、買ったものは左ポケットに芯といっしょにいれて退店。この日はバッグをもたず手ぶらできたのだが、左ポケットだけ重くなり、重心的にやや不格好になった。それで職場へむかう。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • (……)こちらは意外とけっこうよく、というかすぐ笑うタイプなのだ。愛想笑い、といえばそうなのかもしれないけれど、べつに意識したり無理してそうやっているわけではなく、職場にいたり他人とはなしたりしているときは自然とそうなる。べつに技術とか意図とかなく、ただへらへらしているだけだし、場をあたたかくしようとかなごませようとかとくにおもっていないのだけれど、まさかこの俺が、そこにいるだけで空気をほがらかにするような人種になるとはなあ、と我ながらちょっと感慨深い。成長したものだ。大学をでるあたりまでは社交性がほぼなかったのだが。
  • そのあとのことはさほど印象深い物事はない。帰路の記憶もほぼなく、あるいている途中で、こうして労働のあとにしずかな夜道をひとりでゆっくりあるいている時間こそが、もっとも自由と安息をかんじる時間なのかもしれない、とまたおもったくらい。深夜、なぜかVan Halen1984』をきく。いまは亡きEdward Van Halenはロックギターのスタイルとしては確実にひとつの画期を築いたとおもうし、それはライトハンドのみによるものではなく、かなり切れの良いディストーションのトーンにしても、リフなどのこまかく鋭い高速の装飾にしてもそうだとおもうのだけれど、いかんせん曲は弱い。David Lee Rothはいかにも暑苦しいタイプだし、メロディアスな旋律を歌うというタイプではないので、ギターは格好良いのだけれど曲としてはキャッチーな魅力に欠ける、ということはままあるとおもう。Sammy Hagar期になると、彼も彼でボーカルとしては暑苦しいタイプだが、そのメロディ性がカバーされて、けっこうポップな色にかたむく。『1984』は、"Jump"なんか、Lee RothのいるVan Halenとしてそういうポップなことをやってみようとした、というこころみだとおもうけれど、高校のときみずからバンドでカバーしておいてなんだが、いまきいてみるとわりとダサい気もするし、"Panama"にしても冒頭のリフとかバッキングとかは気持ちが良いし均整もとれていてさすがだなとおもうのだけれど、曲としては、サビなんてパーナマ、をくりかえすだけだし、メロディを志向していないことはあきらか。しかし、"Jump"はたしか全米一位になっていたとおもうが、これが大ヒットする八〇年代アメリカとは……? という疑問をおぼえないでもない。けなしていうのではなく、いったいどういう社会だったのか? というのが単純にわからない、という。こんなにメロディなくて、ジャンプ! とかパーナマ、をくりかえしているだけでひろく売れるの? という。むしろそういう標語的なワンフレーズの反復のほうがつよいのか?

2021/5/26, Wed.

 ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、おなじひとつのものとして私たちのうちに宿っている。このものが転じて、かのものとなり、かのものが転じて、このものとなるからである」(B八八)。生きている者が死に、眠っている者だけがやがて目ざめ、かつて若かった者のみが老年になる。「上り道と下り道は、ひとつのおなじものである」(B六〇)。見る方向がことなるだけだ。海は育み、殺す。それは魚にいのちをもたらし、人間を殺傷する。だから、「海はもっとも清浄で、(end26)かつもっとも汚されたものである」(B六一)。――「戦いが共通なものであり、常道は戦いであって、いっさいは争いと負い目にしたがって生じることを知らなければならない」とする、有名な箴言(B八〇)もまたおなじ発想の延長上にあるものであろう。ここでも、ある調和と、それに相反するものが語りだされている。ちょうど燃えあがる火が消えさろうとする炎と同一であるような、ことの消息が語られている。せめぎあいこそがロゴスである。「戦いは万物の父であり、王である」(B五三)。まさに、そう語られるとおりなのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、26~27)



  • 一一時半すぎの離床。天気はそこそこのあかるさ。いちど一〇時にさめたのだが、うまくおきられず。からだをおこして上階へ。母親にあいさつしてジャージにきがえ、洗面所でもろもろみづくろい。食事は鮭やきのうの豚汁のあまりなど。父親はタマネギを収穫したらしい。そのうちに屋内にはいってきて、母親は仕事にいく。こちらはものを食べつつ新聞。一面にはイスラエル空爆によって破壊されて瓦礫の積層となったガザ地区のビルの写真。国際面にも関連記事があって、それをよむに、やはり現状をかえることができなかったファタハより強硬手段をとる武闘派ハマスのほうにひとびとの支持がかたむいていると。そうはいってもマジで戦争になればふつうにパレスチナ側に勝ち目はないはず。二七歳の弁護士だというひとは、戦闘だけで平和はおとずれない、抵抗と交渉をバランスよくつづけることが大事だといっていたが、しかしそういう正論がひとびとのこころをつかみ説得できるかというと実にこころもとない。現にひとは殺され、建物は破壊され、その瓦礫のしたにこどもたちが埋められて救出できなかったわけだし。
  • ほか、ベラルーシの件。きのうの夕刊にもあったが、EUは追加制裁をきめて、ベラルーシの飛行機をEU加盟国の領空では飛行させず空港にも立ち入れないようにすること、またEU加盟国の飛行機もベラルーシの領空を飛行しないこと、などをとりきめたもようで、ドイツとかオランダの航空会社はすでにそれにおうじてベラルーシ領空をとうめんのあいだ避けると表明しているらしい。きのうの夕刊にはまた、拘束された反体制派メディア創設者の「自白」動画が国営メディアで放送されて、暴力を煽動したみたいなことを「自白」しているらしいのだけれど、やたらみじかいようだし、顔に傷もみえるとかで、拷問などうけて無理やり「自白」させられているのではないかとうたがわれているらしい。この日の朝刊ではあと、蔡英文の支持がおちているとか、米国でワクチン普及がすすんで感染者数が減っているのは(いま一日三万人とかで、ピーク時の一〇分の一くらいになっているらしい)ドナルド・トランプがワクチン開発を強力にあとおししたからだという言説が共和党からでてきておりドナルド・トランプ自身ももちろんそれにおうじてself-boastingしている、などの記事があったが、まだそんなにちゃんとよんでいない。
  • 食後はテーブル上を拭き、食器をあらってかたづけ、風呂。排水溝のカバーもこすっておいた。でると帰室してコンピューターを準備し、ここまで記述。一時すぎ。きょうは三時すぎにはでる必要。
  • でるまでの時間のことはとくにおぼえていないのだけれど、たぶん書見したはず。あと、出発前、歯をみがくあいだに(……)さんのブログをよんだが、ついに『(……)』が脱稿されたとのことでめでたい。おくってくれるようなのでたのしみ。
  • 出発は三時すぎ。往路はあるいた。暑い。このころにはふつうに陽射しがあって、日なたがひろくひらいており、ベストすがたでも汗をかく。家のすぐそばに生えた一本のカエデのしたにベンチがあって、こちらが玄関をでたときそこに年かさの夫婦がこしかけていたのだが、まもなく立ってあるきだした。坂道にはいったそのふたりは右手、川のほうをみやりながら足を止め気味にしてなんとかはなしており、こちらもそのあとから坂道にはいっておなじように川のほうをみやる。景観のかんじがいぜんとすこしちがうようにおもわれるのは、川のてまえの道で家がこわされたところに草の緑色がひろがっているからで、なかに一本なにかの木もたっており、それもいかにも青々とよそおっている。夫婦の横をぬかしていった。こちらが他人をおいぬかすことができるのはだいぶめずらしい。あるくのがかなりおそいので。こちらにいわせればひとびとみんななぜあんなにはやくあるくのかわからないのだが。坂をぬけるあたりで頭上や周囲に樹々がなくなるからまた陽射しがさえぎられようもなく降ってきて、そうするとかなり暑く、これだとそろそろ熱中症が発生してもおかしくないなという陽気。街道へ。北側にわたってあるいていくと、途中で今日も工事をおこなっていた。たぶん水道管工事のつづきだろう。場所はすこし東にうつっていたが。整理員の仕事をへらしてやろうとおもって、そのてまえで裏におれる。この地点でおれるのはそうとうにひさしぶりというか、ほとんどはじめてではないかとおもうほどにひさしぶりで、かんがえてみればなぜだかわからないがいつもひとつおぼえに老人ホームのある角で裏におれているのだが、べつにいつもそうしなければならない理由などなにひとつない。どこでおれたってよいのだ。この細道をまえにとおったのがいつなのかまったくわからないのだけれど、あたりのかんじが記憶とやはりちがっていて、とくに、裏道にはいったあと、西方向に、つまりそちらから街道をあるいてきた方角にもどるような細道があったはずなのだが、なくなっていた。たしかこどものころに、(……)といっしょになんどかその道をあるいたおぼえがあるのだが。というのは彼の祖父母の家がそちらのほうにあったので。記憶との照合ができるわけもないが、あたらしくできたような家もいくつかあって、だから区画が整理されたというか、多少土地のつかいかたが変わったのだろう。(……)公園ではこどもらがあそびまわるにぎやかな声がたっており、道のほうにも男子も女子もなんにんか飛び出してきて、鬼ごっこだろうか、小学校五、六年くらいのこどもたちが威勢よく走りまわっており、そのうごきはすばやい。とおりすぎるときにのぞいてみると、けっこうな人数があつまっていた。
  • 空はいまはわりと晴れており、水色のほうがおおくなってあらわにうつり、雲もそこそこのこっているが、それは乗ったり貼られたり浮かんだりしているというよりは、空を泉としてそのなかからにじみでた乳といったかんじの淡い付加にすぎない。暑いが、風もけっこうあったのではなかったか。そう、あったのだ。というのは、裏道をいっていると、前方の路上になにやら白いものがころがっているのがみえたのだ。猫か? とおもった。いつもの白猫か? と。しかしうごきがないし、目がわるいのであまりよくもみえず、つぎに、これはものがあるのではなくて、道路にかかれた標識かなにかの白線がもりあがってみえているのではないか、とおもった。しかしそれにしても、おなじみちをなんどもとおっているのに、なぜ今日にかぎってそんなふうにみえたのか? といぶかりながらすすんでいると、だいぶちかくならないとわからなかったが、やはりなにか白いものが道のまんなかにころがっていて、じきに、ケースというか、バケツではなくてどちらかといえば四角いかたちだけれど、バケツ的な用途の道具だとわかった。みればそこの家の脇にもうひとつおなじようなものがあるので、おそらくゴミをいれたりするのにつかうのがつよい風によって飛ばされて道にころがりでたものらしいと判じられた(今日は水曜日で不燃ゴミなどの日なので、あたりの家のまえにはゴミをだすのにつかったらしい容器がだいたいどこにも置かれてあった)。うしろからきた車が器用に路肩に寄って、道の中央にあるそれをよけてとおっていくので、こちらがとおりすぎざまにひろいあげて当該の家のところにもどしておいた。そのころには雲がさきほどよりもおおくなって、陽がかげっており、そうするとそこそこすずしいというか、わりとすごしやすい空気の体感ではある。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 九時前退勤。この日はつかれたかんじもあったのであるかず、電車に乗って帰った。帰路の印象はとくだんにない。
  • 帰宅後、ベッドでやすみつつ(……)さんのブログ。最新。(……)さんのはなしがでてきたのでひさしぶりに(……)さんのブログを検索してみてみたのだが、さかのぼっていくらかよんでみると、いまの日本語作家でぜったいよむひとはいるかとひとにきかれたとき、その場ではいないとこたえたけれどかんがえてみれば(……)さんと友方=Hさんと間瀬さんの作品はあたらしいものがでればかならずよむ、とあったので、この友方=Hさんというひとは何者なのかと検索するとふつうにそのひとのホームページがでてきたのでメモしておいた。なんというかむかしながらのホームページというかんじで、BBSなんかも設置されてあって、こちらが中学生とかそのくらいのころのインターネットにはこういうホームページをつくって一次であれ二次であれ創作文を載せているひとがたくさんいたなあとなつかしくなってしまった。つまりWEB小説サイトだ。こちらがいますぐおもいだすのは『冷笑主義』という小説で、尊大不遜なキャラクターの吸血鬼が主人公の中世ヨーロッパを舞台にしたファンタジーもので、この吸血鬼はもともと法王庁の戦士であり、だから吸血鬼など闇の勢力をたおす側でしかもそのなかでもトップクラスにつよいひとだったのだが、どういう経緯でかはわすれたがみずからが吸血鬼になってしまい、とうぜんバチカンと敵対してあちらからは刺客とかがくるのだけれど、やたらつよいから意に介さず、吸血鬼化したからおいそれと死ぬこともなくたぶん老化もせず、おもしろいこともあまりないからたわむれのようにしてたたかったり各地にでむいたりして無為な日々をすごしている、みたいな趣向だったはず。作中、インノケンティウス何世だかわからないがたぶんいちばん有名なインノケンティウスがでてきたりして、おそらくこちらはこの小説ではじめてインノケンティウスという法王の名をしった。この作品はいま検索すると、「小説家になろう」に載っているのがでてくる。さきの友方=Hというひとのホームページにはこれもむかしなつかしきリンク欄があり、中学生とうじのこちらはこういうリンクページをたどっていろいろWEB小説をのぞいていたわけだけれど(リンクバナーなんていうものもひとつの文化としてあった)、ここに間瀬純子というひとのホームページ(閉鎖済)も載っているので、たぶんこのひとがうえで名のでていた間瀬さんだろう。このひとは怪奇方面の作家らしい。
  • (……)さんのブログ記事には(……)さんの近況も載っており、なんでも銀座の懐石屋にうつってけっこうな地位についたというからすごい。やはり手に職がある人間はつよいというか、料理の腕一本あればどこでもやっていけるというのはすごいなとおもった。飯をつくる仕事の需要がない場所などまずないだろうし。その腕をみにつけるにはたいへんな習練が必要だっただろうし、(……)さんのばあい、わりとパワハラ的な職場環境だったらしいからそちらの点でもたいへんだっただろうが。
  • その後のことで印象深いこともとくにのこっていない。いくらか日記をかいて本を読んだくらいか。あと、出勤前だったかにBill Evans Trioをきいたのだけれど、"All of You (take 1)"のドラムソロをきくに、Motianってやっぱりずいぶん変だなあとおもった。このドラムソロなんて完全にヘタウマのたぐいで、リズム的にかなりファジーで前後にずれているところもおおいのだけれど、ところがそれでいてMotian自身のなかでながれがきちんと通っているのはあきらかときこえ、内的統一性もしくは一貫性が確保されている。ファジーであっても、それがミスにきこえたり、みちゆきがよどんだりはしていないということだ。そして、ソロがおわってバッキングにもどればファジーさはなくなって、きちんと刻まれる。バッキング時の装飾もけっこうほかにはないようなかたちがみられるのだけれど、リズム的にあいまいだったりということはとりたててないはず。まあバッキングでリズムがファジーだったらなかなか演奏なりたたないだろうが。しかし晩年のMotianはそれでやってしまっているようなところもある。六四年のTony Williamsなんかはけっこう流動的に加速減速していたとおもうが、そういうはなしともすこしちがう気がする。ともあれ、Paul Motianは六一年ですでにPaul Motianだというのがやはりおもしろい。

2021/5/25, Tue.

 たしかに、「きみはおなじ川に二度と足を踏みいれることはできないだろう」(同箇所 [『クラテュロス』四〇二 a] )。水は絶えず流れさるからだ。それだけではない。ひとは「一度も」おなじ川に足を踏みいれることができないはずである。いっさいは、ひたすら生成 [﹅2] のただなかにあるとするなら、「おなじ」川がそもそも存在 [﹅2] しようもないからである。流れはただちに変化するかぎり、ある [﹅2] ものはすぐ(end23)さまあらぬ [﹅3] ものになってしまう(アリストテレス形而上学』第四巻第五章)。これは、みずからの論理学的思考の端緒をなす(「存在」から「無」へ、「存在と無」の同一性から「生成」へという)ことがらとまったくおなじ洞察を述べたものである、と哲学史講義でヘーゲルはいう。
 けれどもヘラクレイトスが展開した思考の基本線は、べつのところにあったと今日では考えられている。世界のいっさいが絶えず移ろい、変化し、生成消滅するものであるというかぎりでは、その件は、ミレトス学派にあってもむしろ思考の前提であった。いわゆる「パンタ・レイ」は、ヘラクレイトスに固有の思考では、とうていありえないように思われる。
 ヘラクレイトスそのひとは、むしろピタゴラスとその学派とならぶ、秩序と調和の哲学者であった。ただし、ピタゴラス派とおなじ用語を使いながら、相反する思考が紡ぎだされている。「不和であるものがどうして相和してもいるのかを、かれらは理解しない。逆向きにはたらきあう調和がある。たとえば、弓や竪琴がそうであるように」(断片B五一)。ピタゴラスの徒が、そこに調和(ハルモニア)を見いだした音階をかなでるリュラ(竪琴)の弦は、上下から強く引きしぼられ弦がそれを引きもどしていることで、つまり相反する力をはらんでいることによってはじめて美しい音色を響かせる。「目にあらわでないハルモニアは、あらわなそれよりも強力である」(B五四)。ヘラクレイトスが語るのはむしろ、一なるもの [﹅5] の調和なのである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、23~24)



  • 一〇時半ごろにさめた。したがって睡眠は七時間未満。よろしい。今日はひさかたぶりに晴れ空の日和で、気温もたかそうである。布団をからだのうえから乱雑にどかし、こめかみをもんだり首をのばしたりふくらはぎを刺激したり。そうして一〇時五五分におきあがった。洗面所とトイレにいってきてからもどって今日は瞑想をサボらずおこなう。窓外では鳥がたくさん鳴きしきっていてちょっととおいところからもほんのすこしひびきに暈をともなった声がいくつも空間をぬけてわたってくるが、やはり熱されて乾いた空気のときと、雨に濡れて水気をたくさんはらんだ空気のときとでは、そのひびきかたもちがうのだろうか、とおもった。そのニュアンスをききわけるほどの耳のよさがこちらにはいまないが。一一時二〇分か二五分くらいまですわったはず。わるくない。
  • 上階へ。母親は銀行にいってきてかえってまもなかったようで、パンをついでに買ってきたと。食事はそのパン類や素麺など。つゆをつくってワサビとネギを足し、パックいっぱいに詰めこまれていくらかくっついた素麺をトングで剝がすようにしてとりあげて食う。新聞を瞥見。きのうの夕刊にも載っていたが、ウクライナ当局がルカシェンコの指令をうけて飛行中の飛行機を停めて反体制派メディアの人間を拘束したという事件や、イスラエルパレスチナの続報や、ミャンマーアウン・サン・スー・チーが初出廷という報などがきになるが、文芸月評に千葉雅也の名があったのでさきにそれをよんだ。「オーバーヒート」という新作を「新潮」に発表したらしく、千葉雅也はべつのなんとかいう篇で四月に川端康成文学賞をとったところらしいのだが、それで評判のようで、この新篇が載った「新潮」はおおくの本屋でうりきれており、新潮社の在庫もつきたくらいらしく、新潮の編集部は千葉雅也の小説がそれだけ注目されているということだ、みたいなことをのべているらしい。この「オーバーヒート」という作は「デッドライン」の続編ともみなせるようなはなしらしく、青年時代を東京ですごしていまは関西で大学教授だかなんだかやっていて年下の同性の恋人がいる男性が、表面上順風満帆とみえながらもそのじつもろもろ懊悩とかがある心中を述懐しているみたいなものらしく、たんなる独白におわらない普遍性をもっていると文芸担当の記者は評していた。リベラルとか進歩的とみなされるためには(だったか、みなされたいならば、だったか)、LGBTの権利拡大とかにただ賛同してさえいればよい、というような世の風潮には断固としてあらがう、みたいな文言が作中にかきつけられているらしく、これはたぶん書き手の千葉雅也自身のスタンスとかさなっているのではないか。千葉雅也の文章を一冊もよんだことがないしツイートもほぼみたことがないのでふたしかだが、ききかじった印象だと。その他ミヤギフトシというひとの作や、あと三人くらいが要約的・列挙的に紹介・説明されていた。
  • 食後、食器を流しにはこび、台布巾でテーブル上を拭き(母親はこちらがごちそうさんをいうのといれかわりのようにしていただきますをいって食事をはじめていた)、乾燥機のなかをかたづけておいてから食器をあらう。そうして風呂洗いも。でると急須および湯呑みを部屋からもってきて緑茶を用意。一杯目の湯をそそいで待つあいだ、ベランダにでてすこしだけ陽をあびる。暑い。白いひかりが洗濯物に埋まったベランダの全領域をつつみこんでいる。屈伸をしたり横方向の開脚をしたりするが、暑くてむろん汗がわく。あぐらをかいて日なたのなかにすわりこんでみるとむしろ多少暑さがマシになる。が、もっとながくすわっていればそれもまた暑くなるだろう。
  • 室内にもどり、やや眩まされ、その余波でまた暗まされた視界をかかえて茶をもって自室へ。一服しながらウェブをまわったのち、音読。「英語」を496から517まで。Nicky CraneについてのBBCの記事など。BGMはLee Ritenourの『Gentle Thoughts』。なぜかわからんがひさしぶりにおもいだし、具体的にはこのアルバムの一曲目でメドレーのかたちでEarth, Wind & Fireの"Getaway"がやられていたなということをおもいだし、それはたぶんiTunesのライブラリをながしみているときにEarth, Wind & Fireのなまえが目にはいったのとどうじにおもいだしたのだろうが、それでいまはこのアルバムをもっていないので、Amazon Musicでながした。このアルバムは父親がむかしCDをもっていて、こちらは高校生になったくらいで父親がわずかばかりもっていたフュージョンやジャズのCDをいくらかもらってすこしだけききはじめたのだけれど、そのなかの一枚としてあったもので、だからはじめてふれたフュージョン方面の音楽のひとつで、そこそこきいたはず。一曲目のギターソロとかコピーしようとしたのだけれど、とうぜん能力がそんなにないからまず音をとることすらできなかったはず。フュージョン方面に進出したのは音楽じたいというよりギターにたいする関心からで、ロックギターばかりでなくほかのジャンルのギタリストもきいてみたいという感心なこころがけで手をだしたのだ。で、Lee RitenourとLarry Carltonというフュージョン方面のギタリストでもっとも高名なふたりの作品をいくつかきき、けっこうたのしみ、Ritenourはとうじ発売したばかりだったはずの『Overtime』というスタジオライブ盤を地元のCD屋でかいもとめ、これもけっこうきいたというかいままでフュージョンの作品でいちばんきいたのはもしかしたらこれではないかとおもうし、フュージョンについての知見はけっきょくRitenourとCarltonの二者の範囲をおおきくこえることはその後現在までなく、大学にはいったあとにはアコースティックジャズのほうがすきになってしまったのでそちらにながれた。『Gentle Thoughts』はあらためてながしてみてもまあわるくはない。"Captin Caribe"のメロディなんかには多少のダサさをかんじないでもないが。『Overtime』はけっこうよいアルバムだし、演奏としても曲としてもよいトラックがあるが、あのなかにはいっている"Papa Was A Rollin' Stone"なんかけっこうすきだ。あそこでうたっている、なんといったか、Gradyなんとかいうひとだったか、ボーカルの男性はなかなかよいとおもうのだけれど、あれいがいになんの活動も音源もしらない。あとObed Calvaireというわりとさいきんの、若手といってよいのかもう中堅なのか、そういうジャズドラマーがいてKurt Ronsenwinkelなんかとどこかで顔をあわせていたり、現代ジャズの方面でいろいろ参加しているひとがいるのだけれど、このひとがたしかこの『Overtime』の"Night Rhythms"とかに参加していて、たぶんキャリアのけっこう最初のほうの仕事ではないかとおもうのだけれど、"Night Rhythms"でややあぶなげのあるソロをやっていたはず。あぶなげがあるというか、細部がつっこむかなにかしてちょっとあらくずれたみたいなかんじだったとおもうのだが、映像でみるとおおっとあぶねえ、みたいなかんじでたのしそうにやっていて周囲もにこやかにそれをうけていてほがらかな雰囲気だったはず。
  • とおもっていたのだが、のちほど検索してたしかめると、このドラマーはObed Calvaireではなく、Oscar Seatonだった。いったいどこで混同したのか? Oしかあっていないではないか。このひとはWikipediaをみればLionel RichieとかDianne ReevesとかBrian Culbertsonとかとやってきたらしいので、やはりどちらかといえばフュージョンとかの方面だろう。Ramsey Lewisともながくやってきたとかいてある。なかにTerence Blanchardのなまえがあるのがひとつだけ毛色がちょっとちがうきがするが。
  • 音読後、ベッドへ。(……)さんのブログを一日分。今年の一月一七日。John Sullivanという人物が逮捕され、それがBLM運動の幹部だかリーダーだったという偽情報がネット上にでまわったという事件をうけてのはなしが以下。

話が大脱線した。ここで言いたいのはつまり陰謀論にハマらないためには去勢の経験が大切なんではないかということだ。千葉雅也は中学生か高校生のころ、いまほどまだ一般的ではなかったインターネットに毎晩接続して匿名のチャットをしていたらしいのだが、齧った程度の現代思想の知識をそのチャット上でひけらかしていたところ、チャット相手であった専門の大学教授に鼻っ柱をバキバキに折られたとずっと以前Twitterでつぶやいていたことがあったが、そういう去勢の経験、もっとカジュアルにいえば面子を潰されたという経験が、(情報そのものではなく)情報に触れる自分自身の知性を常に疑うという構えを一種の症候として作り出すのではないかと思ったのだ。つまり、陰謀論にハマらないためには(ワクチンとしての)黒歴史が必要だということだ。黒歴史の持ち主はじぶんがまたやらかしてしまうのではないかという不安に常につきまとわれている。それは別の言い方をすれば、自分自身の感じ方、考え方、認知に対する不信感のようなものだ。そういう不信感を適度に持ち合わせている主体は、よくもわるくも慎重になるし、その慎重さが「答え」に飛びつく安易さを牽制してくれる。

  • あと「温暖化で2050年には森林がCO2放出源に、研究」(https://www.afpbb.com/articles/-/3326472(https://www.afpbb.com/articles/-/3326472))というニュースも貼られており、これはあとでいちおう原記事をよんでおこうというわけでメモ。本文中に趣旨は引用されていて、気温がたかくなると植物が光合成によって酸素を大気中に排出するはたらきがよわくなって呼吸によって二酸化炭素を排出するうごきのほうがそれにまさってしまう、みたいなはなしなのだけれど、ということは現在でも、熱帯や、環境によっては、局地的に、酸素よりも二酸化炭素を放出するわりあいのほうがたかい植物というのがすでにあるのだろうか?
  • (……)さんのブログを一記事よむとおきあがり、ここまで今日のことを記述するとぴったり三時。
  • うえの記事をのぞくと、趣旨もなにも、(……)さんが引用していた文章で内容はすべてだった。
  • このあとなにをしたのだったか。たぶん書見か? この日は『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)中、「エレクトラ」をすすめた。286まで。234にはきのうにつづき、また「程らい」がでてきている。「どうか不幸に不幸を重ねるようなことはなさらないでね」と、エレクトラが父アガメムノンを殺されて不遇の身におとしめられていることをいつまでもなげいているのをいさめるコロス(この作では、土地の若い女たち)にたいして、「だって、不幸には程らいも何もないでしょう」とエレクトラがこたえているのだが、なんかちょっとよい。それにつづく台詞のなかで、「ねえ、亡くなった人に知らぬ顔をしていてどうしていいの」、「かりにわたしが何か仕合せな目にあうとしても、/親にそむき、声をしぼる悲泣の歎きをやめてまで、/その仕合せに安住したいとは思わない」(235)とエレクトラはいっているが、このあたり、死者となった身内にたいしてふさわしくふるまおうというのは、アンティゴネの態度と多少つうずるようでもある。236は夫アガメムノンを殺してその下手人アイギストスとよろしくやっている母親クリュタイメストラにたいする厭悪が表明されるページだが、「父の下手人が父の臥床 [ふしど] で情けない母と――こんな男と共寝をする女を母と呼ばなければならないのなら――一緒に寝 [やす] んでいるのを見ているわたしの日々がどんなかわかってくださるかしら。祟りの神 [エリニュス] もはばからず穢れた男と一緒になって平気でいられるほど成り下った母」という台詞には、『ハムレット』をおもいだした。ハムレットもやはり、父王を殺した叔父(なんというなまえかわすれてしまったが。クローディアス?)と、父の死後いくらも経たないうちに再婚した母親(こちらもなまえをわすれたが。ガートルードだったか?)を、淫乱、とかあばずれ、とか売女、みたいなつよいことばでののしっていたはず(面と向かっては言っていなかったかもしれないが)。「エレクトラ」のこの箇所では、直接そういう性的ふしだらさみたいなものを指すことばはつかわれていないが、「臥床」とか「共寝」とか「寝んでいる」とかいっているので性関係もしくは肉体関係をとりあげているのはあきらかだし、そこに母を不道徳な淫乱女と糾弾する意がふくまれているとみてもわるくはないだろう。240では「お腹がくちくなる」ということばがでてくるが、こんないいかたひさしぶりにきいたわ。いまはもうあまりつかわない、古いことばではないか。こちらのまわりでは祖母がよくこれをつかっていた。243のおわりから244には、クリュタイメストラにたのまれてアガメムノンの墓に供えものをしにいくという妹クリュソテミスにたいして、「あなたがお父様の仇である女のために、お父様にお供物を捧げたり、お神酒をあげたりするのは許されないことだし、神様にも申訳ないことなのだから」というエレクトラの台詞があって、死者にたいしてどうふるまうかというのが、神にたいする敬虔さにも直結するというのは、やはりアンティゴネの言動とおなじである。それはアンティゴネにかぎったことではないだろうし、また死者との関係にかぎったことでもなく、古代ギリシア人はおそらく生のさまざまな面でみずからの行為のありかたと神への態度をむすびつけていたのだろうが、死者にかんすることではとりわけそれが顕著にあらわれるのではないか。まあそれも古代ギリシアにかぎったことではなく、それ以後のキリスト教にせよなんにせよ、宗教っておおかたそういうものだろうけれど。ただ、キリスト教などにおける神への敬虔さと、ギリシアにおける神への敬虔さとでは、この本の劇をよむかぎりではやはりなんとなく感触がちがっているようなきがする。どうちがうのかよくわからんのだけれど。
  • いま五時まえ。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)のかきぬきをしているさいちゅうに『Overtime』をさきほど書見のBGMでながしていたつづきでそのままヘッドフォンできいていて、アルバムがおわるとそのしたの『Stolen Moments』に自動的に移行し、冒頭の"Uptown"がはじまって、このアルバムはリトナーが純ジャズをやっている一作で、とはいえ録音のかんじとかその他のはしばしにやはりフュージョン方面のひとの作だなという漠然とした印象をえないでもないのだが、それはおいて冒頭曲のテーマでベースがすばやいランニングをはじめた瞬間に、これすごいな、かなりよいベースなんじゃないだろうかとおもった。むかしもそこそこきいていて、わるくなくおもっていたのだが、おもっていたよりよいのではないかと。それでこのベースはだれだったかと検索したところ、John Pattitucciだったので、ああそうかPattitucciか、それならこれできても不思議ではないわと納得した。
  • 夕食には豚汁をこしらえた。アイロンかけもおこなう。そのあいだテレビはニュースをうつしていて、視聴者からよせられたなやみ相談にこたえるコーナーがあり、武井壮と、鈴木なんとかいう八九歳の、シスターで大学教授かなにかやっていたひとと、釈徹宗が回答していた。職場でにおいに過敏なひとがいて化粧とかハンドクリームのにおいが鼻について嫌だと横柄に言ってくるのだけれど、じぶんでは煙草を吸ったりもしていて、注意もいくらか度がすぎていて納得いかない、みたいなはなしだったのだが、あとのふたりがやはり宗教者らしくこころのもちようをかえてあまり気にせず、みたいなアドバイスだったのにたいし、武井壮は、まずそのひとがほんとうににおいに敏感なひとなのか、それともそれを口実にあなたに嫌がらせをしているのかをしらべたい、なので、そのひとのちかくにいてうまくやっているひとにじぶんとおなじハンドクリームをプレゼントしてつかってもらうのはどうですか、それでもしそのひとが、仲の良いあいてにもそれはちょっとやめてほしいと言っているようだったらほんとうだし、逆に気にせずふつうにしているようだったらあなただけを嫌っていることになる、もしそうだったら、あの方もおなじクリームをつかっていますけど、それは大丈夫なんですかね? みたいなことを言ってみればいいんじゃないですか、と助言していて、わりと具体的で戦略的な指南だなとおもった。ニュースはつづけて、いま日記アプリが人気だみたいな話題を展開し、ふつうのひとというか、とくに文章の仕事をしていたりするわけでないいわば素人がかいた日記を書籍化して出版している店もある、とものべられていたが、これ俺やんとおもった。この店にもっていけば金かせげるやん、と。だがそういう金策をしないというのはおとといくらいにかいたとおりだ。アプリはふつうに短文で日記を書き、くわえておなじアプリを利用しているひとの日記もよんで多少の反応をおくることもできるというもので、まあべつにTwitterなんかとかわらない印象だし、いま流行っているもなにも、こういったものがうまれるまえからインターネット上ではむかしからずっと似たようなことがおこなわれてきたではないか、とおもう。黎明期の個人サイトしかり、ブログしかり、mixiしかり。
  • あとおぼえているのは日記をかなりかいたことと、深夜にBrandon Ambrosino, "Do humans have a ‘religion instinct’?"(2019/5/30)(https://www.bbc.com/future/article/20190529-do-humans-have-a-religion-instinct(https://www.bbc.com/future/article/20190529-do-humans-have-a-religion-instinct))を途中までよんだことくらい。この前日の日記は、「アンティゴネ」についてあんなにながながとかくつもりはなくて、気になったことをちょっとだけふれておくつもりだったのだけれど、それをしるしておくのにその背景というか前段みたいなものも多少かいておこうとおもったところ、なぜかああいうながれがうまれてしまい、やたらながくなってしまった。それで、なんか今日はけっこうかいたな、という感覚がのこった。BBC Futureの記事は、先日よんだおなじ筆者の記事のつづきだが、これもなかなかおもしろい。今日よんだ範囲までで気になったぶぶんをひいておくが、最初の箇所でいわれていることをみるに、宗教方面のひとびととか瞑想実践者がよくいうことは、脳科学的にみてもいちおう多少の根拠があるようだ。つまり、主客合一とか、じぶんがきえたようなかんじとか、そこまでいかなくとも主体としての重さがうすくなるとか、世界と一体化したような感覚とか、そういったことだが。ある種の儀礼的行動、瞑想とか祈りとかをしているあいだの脳をしらべてみると、the parietal lobe、すなわち頭頂葉の活動が低下していることがみてとられ、この頭頂葉というのはa sense of selfすなわち自己感をうみだす機能をもっているらしく、だから瞑想中は自己感覚が希薄になり、自分と他者(神をふくむ)や世界とのあいだの境界がきえる、というはなしをしている。もうひとつ、the frontal lobeだから前頭葉の活動もどうも低下するらしいのだが、そうすると理論的には、主体感がうすくなって、willful activityがなくなるといわれている。すなわちじぶんがじぶんの意志で能動的なはたらきかけをしているという感覚がなくなるわけだろう。世界との一体化はおくとしても、こちらのほうはたしかにじぶんじしんの瞑想中のかんじや、瞑想を習慣化したあとの心身の変化をかんがえるとうなずけるところではある。そもそもこちらは瞑想というのは能動性をなるべく完全に廃棄して、端的になにもしないという状態を実現する訓練だとおもっているし。

Newberg [a neuroscientist Andrew Newberg] and his team take brain scans of people participating in religious experiences, such as prayer or meditation. Though he says there isn’t just one part of the brain that facilitates these experiences – “If there’s a spiritual part, it’s the whole brain” – he concentrates on two of them.

The first, the parietal lobe, located in the upper back part of the cortex, is the area that processes sensory information, helps us create a sense of self, and helps to establish spatial relationships between that self and the rest of the world, says Newberg. Interestingly, he’s observed a deactivation of the parietal lobe during certain ritual activities.

“When you begin to do some kind of practice like ritual, over time that area of brain appears to shut down,” he said. “As it starts to quiet down, since it normally helps to create sense of self, that sense of self starts blur, and the boundaries between self and other – another person, another group, God, the universe, whatever it is you feel connected to – the boundary between those begins to dissipate and you feel one with it.”

The other part of the brain heavily involved in religious experience is the frontal lobe, which normally help us to focus our attention and concentrate on things, says Newberg. “When that area shuts down, it could theoretically be experienced as a kind of loss of willful activity – that we’re no longer making something happen but it’s happening to us.”

     *

“The explanation for religious beliefs and behaviours is to be found in the way all human minds work,” writes Pascal Boyer in his book Religion Explained. And he really means all of them, he says, because what matters to this discussion “are properties of minds that are found in all members of our species with normal brains”.

Let’s take a look at some of these properties, beginning with one known as Hypersensitive Agency Detection Device (HADD).

Say you’re out in the savannah and you hear a bush rustle. What do you think? “Oh, it’s just the wind. I’m perfectly fine to stay right where I am.” Or, “It’s a predator, time to run!”

Well, from an evolutionary perspective, the second option makes the most sense. If you take the precaution of fleeing and the rustling ends up being nothing more than the wind, then you haven’t really lost anything. But if you decide to ignore the sound and a predator really is about to pounce, then you’re going to get eaten.

     *

The cognitive scientist Justin Barrett has spent his career studying the cognitive architecture that seems to lend itself quite naturally to religious belief. One of our cognitive capacities Barrett is interested in is HADD. It’s this property, he writes in The Believing Primate, that causes us to attribute agency to the objects and noises we encounter. It’s the reason we’ve all held our breath upon hearing the floor creak in the next room, which we assumed was empty.

Barrett says this detection device causes us to attribute agency to events with no clear physical cause (my headache was gone after I prayed) and puzzling patterns that defy an easy explanation (someone must’ve constructed that crop circle). This is particularly the case when urgency is involved. “A hungry subsistence hunter will find HADD registering more positives than a well-sated recreational hunter,” he writes.

HADD is what Barrett calls a non-reflective belief, which are always operating in our brains even without our awareness of them. Reflective beliefs, on the other hand, are ones we actively think about. Non-reflective beliefs come from various mental tools, which he terms “intuitive inference systems”. In addition to agency detection, these mental tools include naive biology, naive physics, and intuitive morality. Naive physics, for example, is the reason children intuitively know that solid objects can’t pass through other solid objects, and that objects fall if they’re not held up. As for intuitive morality, recent research suggests that three-month old “infants’ evaluations of others’ prosocial and antisocial behaviours are consistent with adults’ moral judgments”.

Barrett claims that non-reflective beliefs are crucial in forming reflective beliefs. “The more non-reflective beliefs that converge the more likely a belief becomes reflectively held.” If we want to evaluate humans’ reflective beliefs about God, then we need to start with figuring out whether and how those beliefs are anchored in non-reflective beliefs.

2021/5/24, Mon.

 数や図形には、独特なふしぎさがある。数えられるものは感覚によってもとらえられるが、数える数そのものを見ることはできない。じっさいに描かれた直角三角形は、つねに一定の辺と角の大きさを有する特定の三角形でしかないけれども、たとえばピタゴラスの定理がそれについて証明される直角三角形そのもの[﹅4]は、そのどれでもなく、同時にどれでもあるといわれる。三角形それ自体は、あるとくべつな意味でおなじ[﹅3]、ひとつの[﹅4]ものでありつづけるのである。
 べつのしかたでも「おなじ」ものでありつづけることがらがあり、しかもとりあえずは感覚に対して与えられている現象もあるように思われる。火、あるいは炎がそうである。火が燃えつづけ、炎が揺らめきつづけているとき、そこには相反するふたつの傾向がはたらいている。一定の圏内、範囲のうちで、燃えさかっている火は、ただ燃焼しているだけではない。そうであるなら、火はひたすら炎上し、燃えひろがってゆくだけで、炎が一定のかたちをとることがない。積みあげられた薪のうえで炎が燃えさかっているとき、火は同時に不断にみずから鎮火(end21)している。火が消滅することこそが、炎が生成することなのであり、炎が絶えず消えさることが、火炎が燃えさかることを可能にしている。それは、不可思議な秩序である。多様性のなかで秩序をたもっている世界(コスモス)と同様にふしぎな、生成する秩序である。ハイデガーが註していうように、火(ピュール)は自然(ピュシス)とおなじひとつのものなのである。

この世界、万人に対しておなじものとして存在するこの世界は、神々がつくったものでも、だれか人間がつくり上げたものでもない。それは永遠に生きる火として、つねにあったし、現にあり、またありつづけるであろう。一定量だけ燃え、一定量のみ消えさりながら。(ヘラクレイトスの断片B三〇)

 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、21~22)



  • 離床は正午直前になってしまった。ひさしぶりに八時間以上の滞在。やはりZOOMで通話をするとそうなるのだろうか? ブルーライトがどうこう、ということなのか? 通話をしていなくともいつもわりとモニターはみているのだが。一一時ごろからいちおうめざめていたが、あまりまぶたがひらかず、こめかみをもんだりだましだましすごしてようやく起床。天気はくもりだが、暗くはない。気温はたかい。
  • 洗面所にいって洗顔やうがいをして、上階にいくとトイレで用を足し、そのあとまた洗面所でうがいなどをした。食事は紫タマネギを輪切りにしてソテーしたものなど。用意して卓につき、たべる。母親はまもなく仕事へ、父親はソファについている。新聞に興味をひく記事はそんなになく、とりあえず国際面の、イスラエルハマスの停戦が順当に履行されており、エジプトがガザにはいって協議したり、物資支援などをもうはじめているのかこれからだったかわすれたが、うごきはじめているという記事をよんだ。ただイスラエルは「神殿の丘」へのユダヤ教徒の立ち入りを解禁したということで、これでまたパレスチナ側の反発がつよまって停戦履行のさまたげになるのではないか、という可能性もしるされてあった。それから一面にもどって、菅義偉がワクチン接種をわりと強引に先導して突っ走っている、という報告をよむ。四面のつづきも。もともと高齢者へのワクチン接種の完了目標はおおくの自治体が八月末までとしていたところ、菅が七月末にこだわってゆずらず、河野太郎がいさめるのもきかずに表明し、また一日一〇〇万回接種目標についても同様で、河野太郎はそれは無理筋じゃないか、おおきな目標をかかげておいて達成できなかったらとうぜん非難されるとして、七〇万回でもいいんじゃないですかといったらしいのだが(この数字は新型インフルエンザのときの一日六〇万回というデータをもとに、それに一〇万回上積みしてかんがえたらしい)、菅はやはりゆずらず、とにかくワクチンが普及すれば空気が変わるはずだと信じてつきすすんでいると。厚労省の官僚からは、こっちが根拠をおしえてほしいというぼやきというか呆れのような声がきかれるらしく、また、普段は河野太郎がわりと暴走しがちでまわりのみんなでそれをとめる、みたいなかんじらしいのだけれど、今回はその河野が首相の暴走をとめようとしている、というはなしだ。河野太郎菅義偉はもともと距離がちかいらしく、選挙区がおなじだかちかいのだったか? 二〇〇九年だかに河野が総裁選に出馬したときも菅は推薦人あつめに奔走したらしい。だからいわば「弟分」とみなされているようだ。七月末目標、一日一〇〇万回にくわえて、自衛隊の協力をあおいで大規模会場での接種というのが菅がうちだした「三本の矢」とかいわれており、この、いつでもなんにでもつかわれる紋切型の標語とそれに嬉々として追随するメディアの言語使用はどうにかならんのかとおもうが、自衛隊にかんしても菅が積極的に主導して防衛次官にあたまをさげたということだ。ゴールデンウィークの連休後にはいちおう一日四〇万回の接種が、官邸のデータによればおこなわれたらしく、菅はそれをみて本格的にはじまっているわけでないのにはやくもこれだけの回数をかぞえていると満悦だったらしく、そういうわけでいま自信に満ちており、六月末までたえれば世間の雰囲気は変わると信じているらしい。東京と大阪の大規模会場での接種はちょうど今日からはじまったはずだ。
  • 食器をかたづけ、風呂場へ。あらい、でて、茶を用意。テレビは料理番組。ビワに鶏肉を詰めて肉詰めにして蒸し焼きにする、みたいなもの。茶をつくると帰室し、コンピューターを準備。今日のことをここまでしるして一時半。
  • 音読。「英語」の488から495まで。Robert Glasper Experiment『Black Radio 2』を背景に。肩まわりを指圧してほぐしながら二時まで。二時にたっするときりあげ、上階にいってベランダの洗濯物をおさめた。このころになると、空模様と大気の色がやや薄暗いようになってきており、天気の気配がいくらかあやしい。父親は眼下、畑の周囲の斜面にはいり、ユスラウメの実を収穫しているようだった。母親にたのまれていたのだ。洗濯物をとりこむとタオルなどたたみ、また足拭きのたぐいを各所に配置しておいて下階へ。あたまのなかがややかたいようなかんじがあったので、Bill Evans Trio『The Complete Village Vanguard Recordings, 1961』をききながらやすむ。"Alice In Wonderland (take 1)"から"All of You (take 1)"まで三曲。しかしさいごのほうでは尿意がにわかにわいてきていたので気が散ってぜんぜんきけず。それにしてもどの曲をきいても、すばらしいということとマジですごいという感想しかだいたいでてこない。"My Foolish Heart"などなんでこんなによくなるのかなあ、というのがわからず、すごい。一見すればふつうにバラードやっているだけで、ピアノトリオでこういうバラードをこういうふうにやっても、毒にも薬にもならないようなどうでもよい演奏になることもけっこうおおいとおもうのだけれど。三者とも、さして工夫をしているようにもきこえないのだ。Paul Motianがわりと装飾をくわえて単調さをふせごうとしているのはあきらかだが、そういうはなしでもないきがする。Evansは速弾きというほどのフレーズもまったくつかっていないし、LaFaroも大方はボーン、ボーン、とロングトーンを這わせているだけなのだが。録音によるところもおおきいかもしれない。とくにLaFaroの音がよくこれだけ太くおおきく録れたな、ということで、"My Foolish Heart"でもそれだけでもわりと気持ちがよいし、ほかの曲でLaFaroがもっとガンガン泳ぎまわるとその量感はすごい。
  • トイレにいって放尿してもどってくると三時直前。ここまでまた書き足し、どうすっかなあというところ。きのうの日記をかきたいがあまりやる気がわかないし、そんなになにをするという気分でもない。
  • とりあえずからだをやわらげておくかというわけで、ベッド上でストレッチのたぐいを少々。そのあと、やはり書見だとおもって『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)を。呉茂一はこちらの感覚でははまりきっていないようにおもわれる細部がややあって、みたいなことを数日前に書いたが、なれてくればべつにそうでもなく、むしろ各人物がそれぞれ固有のひとつの統一性をもった語調をそなえているし、訳しわけがうまく、台詞のながれの一貫性をつくりだすことに成功している卓越したすばらしい訳者とおもう。コロスの合唱の部分などはたしかに格調高いというか、耳慣れない古いことばがいろいろあって、言語採集家としてはそれだけでもおもしろい。206には「雷」に「はたた」という読みがふられている。「霹靂神」とかいて「はたたがみ」という語があるらしく、「はたたく神」の意だという。208は「禍」に「まがつみ」のルビ。あと「エレクトラ」にはいってこちらは松平千秋の訳だが、229には「程らい」という語がでてきて、程度ということだろうがこれはなんかいいなとおもった。「あなたはやがて悲しみの程らいを超えて救いのない苦しみに向かって身を亡ぼしてしまうのよ」という一行なのだが。「アンティゴネ」の内容にかんしては、さまざまな対立項がわかりやすいし、いろいろなテーマで読み解きやすい作品なのだろうけれど、こちらにはとくにおもしろい知見を提出するようなちからはない。対立関係としてあからさまに目につくのは、国家や公の領域と身内すなわち私的領域、現世(人為)とあの世(神の領域)、それに男と女、というあたりか。これはオイディプスの娘であるアンティゴネが叔父クレオンと対立するはなしで、オイディプスがテーバイを去ったあと、彼のふたりの息子であるポリュネイケスとエテオクレスという兄弟らが王位をあらそってたたかい、ふたりとも死んでクレオンが即位するのだけれど、テーバイにいて国をまもったエテオクレスはねんごろにほうむられるのにたいして、テーバイを攻めていわば祖国の敵になったポリュネイケスをとむらうことは禁止される、そういう布令にアンティゴネはさからってつかまりクレオンの命で岩屋みたいなところに閉じこめられ、首を吊って自殺し、そのかたわらでアンティゴネの許嫁であったハイモン(クレオンの息子)もみずからに剣をつきたてて自害し、そのしらせをきいたクレオンの妻エウリュディケもやはり自殺し、とまるで感染症のように自殺の連鎖がつづき、けっきょくクレオンは自身のおごりと高圧のために息子も妻もうしなって不幸な身の上となる、といういくらか教訓譚めいた趣向になっている。で、アンティゴネは劇中冒頭の妹イスメネの対話からしてすでに、クレオンの出した禁令はちゃんちゃらおかしいものだみたいなかんがえで、おなじ母から生まれて血をわけた兄であるポリュネイケスを葬っては駄目だなんていうのは筋がとおらない、とわたしは禁令をやぶって死ぬとしてもお兄様をきちんと手厚くほうむってさしあげよう、というかんじなのだけれど、そのとき口にされることばが、「あの人たちに、私の身内を私から隔てる権利はありませんわ」(153)である。だからアンティゴネは私的領域の論理でかんがえていて、親しい家族である「身内」をそれにふさわしくほうむらないのはむしろそのほうが罪だというこころで、そこになおかつ、ある種の自然法思想というか、国家によってさだめられた人為の法が禁じていようと、それよりも神さまがお定めになった古来からの永遠的な決まりのほうが大事だ、というかんがえがむすびつくとどうじに、死んであの世にいけば敵も味方も善も悪もない、みたいなかんがえかたもあわさってくる。そのあたりは172から173の台詞にあらわれている。いわく、「だってもべつに、お布令を出したお方がゼウスさまではなし、あの世をおさめる神々といっしょにおいでの、正義 [ディケ] の女神が、そうした掟を、人間の世にお建てになったわけでもありません。またあなたのお布令に、そんな力があるとも思えませんでしたもの、書き記されてはいなくても揺ぎない神さま方がお定 [き] めの掟を、人間の身で破りすてができようなどと。/だってもそれは今日や昨日のことではけしてないのです、この定 [きま] りはいつでも、いつまでも、生きてるもので、いつできたのか知ってる人さえありません。(……)」というわけで、だからここにはあきらかに、神の法と人の法を対立させて前者を優先するかんがえかたと、またもうひとつ、神の法の起源遡行不可能性という、よくしらんがデリダとかがかんがえて論じたとおもわれるテーマがかきこまれている。神の法はいつどこでつくられたのか歴史的起源がわからないし、それがゆえに、なのかどうかわからないが、普遍的で、「いつでも、いつまでも、生きて」おり妥当する永遠の法である。ちなみにこの箇所ではその神の法の具体的内容が直接的に言及されておらずあきらかでないが、物語のながれとかほかの箇所をあわせるにそれはむろん、死んだ兄ポリュネイケスを敬虔に葬るということ、ひいてはちかしい家族の死をふさわしい敬意をもって遇するということのはずで、175では、「何が恥でしょう、本当の兄を大切 [だいじ] にしたって」と明言されている。だからアンティゴネが禁令に納得できないのは、ポリュネイケスが「身内」であるからで、この点で彼女は公の立場とか国家的共同体の都合とかよりも、私的な関係を優先していることになる。いっぽうのクレオンは統治者なのでまあ国家的利益の観点からかんがえるのだけれど、彼からすれば、エテオクレスはテーバイをまもって死んだ勇者なので英雄として葬るにあたいするが、ポリュネイケスのほうは外から攻めてきてテーバイを破壊しようとした裏切りの徒であり国家の敵であるから、その死を礼節をもって遇するなどけしからんことでもってのほか、ということになる。いちおう彼からしてもポリュネイケスは甥にあたるから「身内」ではあるのだろうけれど、「身内」の論理は優先されず、その点ははっきりと明言されている。161で、クレオンが登場して最初の演説風の長台詞の途中で彼は、「また自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にするのも、まったく取るに足りない人間だ」と口にしているからだ。したがってクレオンからするとアンティゴネは「まったく取るに足りない人間」となるはず。クレオンにとってはとうぜんながら私的論理よりも国家の都合、すなわち国益が優先されるから、国家の敵対者であった奸賊ポリュネイケスをエテオクレスと同様に弔うのは、あきらかに「自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にする」おこないだろうし、国益に反する。だからここで公/私の対立があり、二者のあいだで優先する項はわかれているわけだが、公のほうはとうぜんながら共同体的人為および集団性とむすびついている。たいしてアンティゴネは、国家もしくは人為を超越する神の秩序と論理が、直接一個人のふるまいとしての私に一気に接続しているというのが意味論的にかんがえたときの多少の見どころだろうか。クレオンがポリュネイケスを逆賊と規定するにかんしてはもちろん、敵/味方の二分法があって、ポリュネイケスはまったき敵でありエテオクレスは味方の英雄である。で、古代ギリシア人の観念としては、プラトンなどでもたびたび表明されていた記憶があるが、基本的に敵にわざわいをあたえることは良いことであり、逆に敵を利することは悪である。だからポリュネイケスを利することはもちろん悪であり、それを実行しているアンティゴネのおこないも悪である。クレオンは175のアンティゴネとの問答のなかで、「それなら、どうして、その兄にとっては非道を見える勤めをするのか」と問うている。「その兄」というのはエテオクレスのほうのことで、たいしてアンティゴネは「死んでしまった方は、そんなことをけして認めはしないでしょう」とうけ、そのすこしあとでもふたりは、「だが、良い者が、悪人と同じもてなしを受けてはすまされない」「誰が知ってましょう、それがあの世でまだ、さしつかえるか」という応酬をしているので、クレオンは人の世の善悪の領域に身と思考をおいており、ひるがえってアンティゴネは、人の世をはなれてあの世にいけば現世における善悪は問題ではなくなる、という論理に拠っている。だからアンティゴネにとってあの世は、人間的浮世を超越した領分であり、したがってそれはおそらく純粋に神の領域だということになるのだろう。ここまでつらつらとかいてきた構図をキーワード的にまとめると、クレオン: 公/国家/現世(人為)/敵・味方――アンティゴネ: 私/身内/あの世(神)/死における平等、というくらいのかんじになるか。あととうぜんそこに、男女の二分法もくわわってくるのだけれど、これにかんしてはクレオンの女性蔑視がきわだつだけで、アンティゴネはそれにたいして女性を男性よりも優位におくというかんがえかたは表明していなかったとおもう。うえの四つの対立にかんしては、それぞれがじぶんの立場をあいてのものよりも明確に優先するというふるまいをとっていたとおもうのだが。じっさいクレオンの男尊女卑ぶりはひどく、こいつただのクソ野郎じゃん、というかんじで、「こいつはどうやら、女の味方をするつもりだな」(186)とか、「ええ、なんという穢 [けがら] わしい奴、女にも劣ろうとは」(同)、「いよいよお前の言い分はみな、女の弁護なのだな」(同)、「なにを女の奴隷のくせに、口先だけでまるめにかかるな」(187)という調子で、186から187にかけての息子ハイモンとの口論のなかにはたてつづけに、女性をおとしめる発言がでてくる。クレオンにとっては女性は男性よりも本質的に劣った存在であるらしく、だから女性にしたがったり負けたりするのは「穢わしい」ことになるわけだろうが、女性がなぜ男性よりも本質的に劣った存在であるのかその根拠はなにもしめされず、それは彼においてまったくうたがわれることのない前提としての地位を確立している。だからハイモンとの問答では、ハイモンが女性であるアンティゴネの擁護をしているというその一点だけで、こいつは見下げ果てたやつでそのいいぶんをきく価値などない、ということになってしまい、ハイモンの主張の内容がまるで吟味されないので、こいつただのアホやんという印象だ。また同時にそこに、息子は基本的に父親にさからってはいけないという観念も強烈にからんでくるので、この劇中のクレオンは完璧なまでに家父長制の権化みたいな人物となっている。
  • そのクレオンがじぶんの意見をひるがえすにいたるのは、予言者テイレシアスがあらわれてことばをもたらしたあとなのだが、この予言者は『オイディプス王』のなかでオイディプスにも予言をもたらしたまさしくそのひとであり、註によれば「竜族の子孫」なのだという。『ダイの大冒険』の主人公かな? というかんじだが、もともとテーバイのなりたちが、開祖カドモスが巨竜を退治してその歯を地に撒いたところ戦士たちが生え出てきて部下になり、彼らがテーバイ市民の祖先だという伝説になっているらしい。それはともかく、テイレシアスは、占いに不吉な兆しがあらわれて、この都が病におかされているということ、またクレオンはその増上慢のためにみずからの「身内」を失うことになるだろうというふたつのことがらをつげるのだけれど、こちらがちょっときになったのは、クレオンの翻意を決定づけるのが、前者ではなくて後者のことばだという点である。まず前者にかんしていえば、テイレシアスは、「この都は御身の心柄ゆえ、患いを受けている次第」(201)と指摘しており、「御身の心柄」というのはむろん、クレオンがポリュネイケスの死骸をさらしものにして葬らなかったということだ。それによって、「この国の祭壇も、火処 [ひどころ] も、一つ残らずそっくり皆、鳥どもや野犬らによって、あの不運に斃れたオイディプスの子の腐肉のために穢れ」、「それゆえ神々とても、われわれの犠牲 [にえ] をささげる祈禱さえはや、聞こし召されず、腿肉の供物の焔も享けさせないのだ」(201~202)ということになる。だからテイレシアうのいうところによれば、神々はあきらかにアンティゴネのかんがえを擁護していることになるはず。予言者はつづけて、「ともかく死人には容赦を用いて、没 [みまか] った者を攻め立てなどはしないがよい。死人をさらに殺してそれが、何の誉れか」(202)とクレオンをいさめているが、これはアンティゴネの主張と軌を一にしているはず。死人は死人であるだけで、「容赦」をもって遇するにあたいするということで、ただテイレシアスにとってはもちろんポリュネイケスは「身内」ではないから「身内」の論理はそこにはいってこない。彼の主張は、死人にはそれにふさわしい扱い方がある(そしてそれをまもるのが神を尊ぶことである)、ということだろう。たいしてアンティゴネにとってポリュネイケスはまず「身内」であり、彼女がポリュネイケスを手厚くほうむりたいとおもうにあたってはその要素が先行しており、しかしポリュネイケスは敵となった悪い身内ではないか、という反駁にたいして、死んであの世にいけば敵も味方もない、という再反論として死者の平等性がでてくるはず。テイレシアスのうえのような忠言にたいしてしかしクレオンはまだ納得しておらず、「いや、けして、その穢れを畏れ憚り、あいつの葬儀を許そうなどとは思いもよらん」(202)とみずからの立場に固執し、テイレシアスを金銭的利益のために虚言を吐いているいかさま野郎だと非難するのだけれど、そうした侮辱にたいして予言者は、「これから、もういくたびも、太陽の速い車駕 [くるま] が廻って来ぬうち、御身の血をわけた者の一人を、死んだ屍 [むくろ] の対償に、自分から屍となして、代りに差し出すことになろう」(204)と、予言というか不吉な呪いのようなことをいうのだけれど、その根拠は、まずひとつには、「それも御身が、地上の世界に属する者を地下に投じて、無慚にも生命を墓に封じ込めたその償いだ」というわけで、これはアンティゴネを岩屋みたいな場所におくって幽閉したことをいっている。さらにくわえて、「そのうえにもまた、地下の諸神へ当然属すべき死者を、この世に、不当にも葬いもせず聖めもせずに停 [とど] めておいた」こと、葬儀によってあの世におくられるはずのポリュネイケスを「御身がむりやりに押しとめた」ことが「咎」だといわれるわけだが、このあたりをよむと、クレオンが罰せられるのは、敵味方善悪うんぬんをこえて、生と死のあるべき秩序をみだし、死に属すべきものを死にむかわせずそのみちゆきをさまたげ、また本来生に属すべきものを身勝手に死の領分へとおくりこんで、いわば生と死の二領域を適切に分節せず、それらを混淆・交雑させてしまったからだ、といわれているようにもおもえる。生と死のさかいをただしく区分してその純粋状態をたもつことをおこたり、生のなかに死を、死のなかに生をまぜこんでしまったことが罪である、と。そのばあいアンティゴネは、生の領域のなかに一片まざってしまった死の色をただしく死者の領分へとおくりこみ、生死のあるべき秩序を回復させようとした、いわば世界の補修者とでもいうことになるだろうか。しかしおそらく神々の視点からすると誉れをうけるべきだった彼女のそうしたおこないは、クレオンのさだめた人為の法からは逸脱し、アンティゴネはみずからが死へとおくりこんだ死者のあとを追うようにして、「地下」の「墓」にあたる洞穴におくりこまれ(さらに、象徴的にのみならずそこで現実に死者と化すことになり)、せっかくアンティゴネが補修した世界の破れ目はふたたびひらいて、生死はまじりあってしまうわけだ(といっても、アンティゴネはたぶんじっさいは、「世界の補修」をこころみるところまでにとどまったはずで、つまり彼女が成功したのは死骸にいちど土をかけることだけで、そのあと亡骸を埋めようとしているところでつかまったのだから正式な弔いはできていなかったとおもうので、このよみはおそらく成立しない)。
  • はなしをもどすと、うえのような予言者の不吉な宣言をうけて、クレオンはようやく動揺し、臣下であるコロスの進言もあって、「やれやれ、辛いことだが、前の気組みを変改して、そうするほかはあるまい。天命と、かなわぬ戦さをしてもむだだ」(206)と口にし、かんがえをひるがえすにいたる。クレオンが意見をかえるにあたってはまずテイレシアスがこれまでいちどたりとも「国に対し」、「うそを予言」(205)したことがないということ、つまりテイレシアスの予言能力のたしかさにたいする信頼が前提としてあるのだが、くわえてこちらがちょっとだけ気になったのは、国家的災いについて忠告された時点ではまだ反発していたクレオンが、みずからの家族が死ぬといわれたとたんにかんがえを反省していることで、ここでたしかテイレシアスが「身内」ということばをつかっているとおもって上述(「クレオンはその増上慢のためにみずからの「身内」を失うことになるだろう」)では「身内」と括弧にくくってこの語をかきつけたのだけれど、よみかえしてみると予言者の台詞のなかに「身内」という語はつかわれておらず、「御身の血をわけた者の一人」(204)といわれていたのだが、これを「身内」といいかえてもひとまず問題はないだろう。気になったというのは、ここではなしが「身内」のレベルに収斂しているということで、いままで議論は基本的には公と私の対立にもとづいていて、クレオンは私的ないいぶんよりも国益を優先していて、その観点からしてじぶんの判断をうたがっておらず、テイレシアスが、「都」(201)という国家共同体からみてもあなたのおこないは「患い」をもたらしていますよと、すなわちほかならぬ統治者であるあなたの行為が国益をそこなっていますよと忠告してもききいれなかったのだけれど、あなたに家族をうしなうという個人的な不幸がおとずれますといわれたところでようやく翻意しているわけだ。だからここでクレオンは、統治者から私人になっている。クレオンが統治者であることを徹底し、またじぶんの判断は国家的観点からしてやはりただしいと確信し、ポリュネイケスを葬るのはやはりゆるせない、とその点を是が非でもゆずらなかったなら、彼は家族がどうなろうが国家のためにその不幸をたえしのぶべきだったのだ(ちなみに、国家的観点からみた彼の決断と禁令も、ハイモンの証言によれば、民衆には不支持だったらしい。彼は、184で、「この町のもの」がアンティゴネのために「悼み嘆いて」おり、「このうえなく立派な仕事をしたというのに、そのためとりわけ惨めな死様をとげようとは、ありとある女の中で、彼女 [あれ] はいちばん不当な目にあう者ではないか」と同情して、兄の亡骸を獣らに荒らされることをゆるさず葬ろうとした彼女は、「黄金 [こがね] に輝く栄誉を授けらるべきではなかろうか」と噂しあっている、と父親にむけてしらせているからだ。だから、クレオンの決断は、政治的にかんがえたとしても、すくなくとも世論の面からみるかぎりではあやまりだったことになるだろう)。しかしじっさいには、クレオンはそこまで確固として政治家にとどまることはできなかった。自分の判断のあやまりをみとめたわけだけれど、しかしそれをみとめるにいたったとき、彼はみずからの従前の主張が国家にどういう影響をもたらしたかということをかんがえておらず、政治的観点での反省をしておらず、個人的な不幸の可能性を危惧しているだけだからである。したがって、テイレシアスの予言が終わった時点で、クレオンは統治者であることをやめ、それは劇の終幕までつづいているはず。そして「身内」の不幸にうちのめされて政治的思考をうしない、ただただ私人として身の不幸をなげき世の終わりを念願するだけとなった彼は、161でみずから非難していたような人間、「自分の祖国に替えて、身内をそれより大切にする」「まったく取るに足りない人間」へと変貌してしまっている、ということになるだろう。
  • 書見を切りとしたあとは出勤の準備へ。おにぎりをひとつつくってきて食い、歯磨きなどするあいだは(……)さんのブログをよんだのだったか? 出発前に「記憶」記事をすこしだけ音読。したのふたつの引用がよかった。ひとつめは岡崎乾二郎「愚かな風」(2017/6/6; 初出: 『現代詩手帖 2017年2月号 【特集】ボブ・ディランからアメリカ現代詩へ』)(https://note.com/poststudiumpost/n/n679f81bffbb4)からのもので、ふたつめはBob Dylanノーベル文学賞受賞をうけて発表した、"Bob Dylan – Banquet speech"(https://www.nobelprize.org/prizes/literature/2016/dylan/25424-bob-dylan-banquet-speech-2016/)からのもの。「一夜の和解(恋愛)を終えれば、再び、われわれは標識と境界線に縛られた現世に戻らなければならない、この束縛がつくりだす、さまざまな交差点、を生き延びていくことこそ、われわれの背負う十字架である。この(歴史を騙った)拘束の中で結局、君はこちら側で俺はあちら側であるということは逃れられない。けれど、われわれは、たくさんすぎるくらいの朝を迎え、千マイルも歩いてきたそういう人間である。だからこそ、きっと、またもうひとつ余分な朝を迎えることができるのだ」ということばのつらなりには感動してしまう。「またもうひとつ余分な朝」。Dylanの声明も、ずいぶん気の利いたことをいうなあ、というかんじ。

 [一九七五年から七六年に掛けて行われた「ローリング・サンダー・レヴュー」ツアー中の一公演(一九七六年五月二三日、ヒューズスタジアム、フォート・コリンズ)について] ディランは現世的な都合(権益)で決められたにも拘らず、あたかも歴史的起源をもつかのように騙る国家秩序(その具体的現れとしての国境)に振り回され、移動を強いられ、利用される移民たちを、メキシコ国境でいまだ続くアメリカ国内問題と重ねて、歌っているのである。が、ゆえに移民は所詮、歴史的アリバイを騙っても目先だけの区切りにすぎない政治的秩序には結局は束縛されない。続いて歌われる“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"(https://www.youtube.com/watch?v=3s_KYywhd_8&feature=youtu.be&t=1m23s)がこの流れをさらにひとひねりして、高みにあげる。一夜の和解(恋愛)を終えれば、再び、われわれは標識と境界線に縛られた現世に戻らなければならない、この束縛がつくりだす、さまざまな交差点、を生き延びていくことこそ、われわれの背負う十字架である。この(歴史を騙った)拘束の中で結局、君はこちら側で俺はあちら側であるということは逃れられない。けれど、われわれは、たくさんすぎるくらいの朝を迎え、千マイルも歩いてきたそういう人間である。だからこそ、きっと、またもうひとつ余分な朝を迎えることができるのだ。“ I’m one too many mornings/And a thousand miles behind"、いまだ訪れない、このもうひとつ余分な朝(それを持つのが人間である証だ)までも分類され、支配されることはない。われわれ移民は、このいまだ訪れない、もうひとつ余分の朝の中にこそ棲んでいるのだ。

 *よく知られているようにローリング・サンダー・レヴューは、まだレコードを出す前だったパティ・スミスとそのグループのクラブでの演奏にディランが衝撃を受けたことがきっかけになっている。ディランはパティとの共演を望んだが、パティは断った(http://alldylan.com/wp-content/uploads/2012/03/Dylan-adoring-Patti.jpg)。がディランはパティ・スミスの毅然とした姿に大きく影響され、長い間中断していたコンサートツアーを再び始めたのである。ノーベル賞授賞式でパティが(今度は断らず)、途中で言葉を失って中断しながらもローリング・サンダー・レヴューのテーマ曲でもあった「はげしい雨が降る」を歌った(https://www.youtube.com/watch?v=941PHEJHCwU)とき、われわれも感銘のあまり、言葉を失ってしまったのは当然である。われわれは何千マイルも歩いて何を見てきたのか?

     *

I was out on the road when I received this surprising news, and it took me more than a few minutes to properly process it. I began to think about William Shakespeare, the great literary figure. I would reckon he thought of himself as a dramatist. The thought that he was writing literature couldn’t have entered his head. His words were written for the stage. Meant to be spoken not read. When he was writing Hamlet, I’m sure he was thinking about a lot of different things: “Who’re the right actors for these roles?” “How should this be staged?” “Do I really want to set this in Denmark?” His creative vision and ambitions were no doubt at the forefront of his mind, but there were also more mundane matters to consider and deal with. “Is the financing in place?” “Are there enough good seats for my patrons?” “Where am I going to get a human skull?” I would bet that the farthest thing from Shakespeare’s mind was the question “Is this literature?”

  • 五時すぎに上階にあがって出発。ポストから夕刊などの郵便物をとっておく。雨がぽつぽつ降っていたので傘をもった。勢いはさほどではなく、このくらいならば意に介さずともよいといえばそうだったのだが、ひとつひとつの粒がわりと大きめで肌への感触もはっきりしていたので、まあ差すかとひろげて道をいく。ただ、すぐに弱まった。それでいちじ閉じて、道沿いの庭にでてしゃがみこんで草取りをしていた(……)さんとあいさつをかわして坂にはいると、今度はまたすぐに復活したので再度ひらく。木の間の坂道をのぼっていき、最寄り駅がまぢかになるころにはそこそこ盛っていた。横断歩道で車をとめてゆっくり通りをわたり、屋根つきの通路にはいって傘を閉じ、sの子音の雨音がひろがるなかをホームにうつり、ベンチに寄ってすこしまつときたものに乗車。席について瞑目し、待っておりてホームをいく。駅をでるとここではもう降りはない。職場にいって勤務。
  • (……)
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  • 九時まえに退勤。徒歩。「ココナラ」のような場で金をかせぐことについてなどおもいめぐらしながらあるく。そういえばこの日は、ジャケットをはおらずにベストすがたで出勤したが、これは今年はじめてのことだ。空は全面雲におおわれているのだが、それでもあまり黒く暗くなく、道の先で建物とのさかいもあきらかだし、むしろ青みすらわずかにみてとられるようなので、痕跡も気配も発見できないがたぶん月がもうだいぶあかるいのではないか、とおもった。そしてじっさい、家につづくさいごの裏道からみあげれば雲海のなかにうかびあがるわずかなひかりの靄がつかまえられて、ひともいないし車もこないので首をまげてそれをみつめながら坂をくだっていると、だんだんと月のすがたが、雲の幕のむこうで白い影絵のようにして形成されあらわれはじめ、やはりもうだいぶ満月にちかいようなかたちだった。おおきさとしてはちいさめでとおくあるようにみえたが、かたちはまるい。月の暦とか満ち欠けのしくみとか周期というものをいつまでたってもきちんとしらべないし、したがってちっとも理解できないでいるのだが。坂道をくだっていって下端までくるころには月はまた雲の支配にのまれて所在がわからなくなり、空は偏差も畝もさほどもたずまとめてすべて薄鼠色のなだらかなひろがりをかけられて、それは際までぬかりなくおりてつづき天をきっちりと閉塞しているのだけれど、そんななかに月の居場所がわからずそのなごりすらうかがえず姿がきえてしまっていても、ひかりだけはみえない裏でおおいなる天の全体にあまねく浸透しているらしく、灰色の幕と地上のさかいは明瞭で、空の端と山影があきらかに分離されているのですげえなとおもった。
  • それから時間としてはすこしまえにあたるが、街道の途中で今夜も道路を掘って工事をしていた。先日みたのとおなじ、おおきな提灯を横に寝かせたようなかたちの真白い照明のもとで人足たちがうごめいており、今日はなにやら機械の駆動音も発生していてショベルカーも二台でばっており、ただ一台はクレーンをひきあげて停止中でもう一台はいくらかうごいていたようだが、しかしそれでいま道を掘っているというわけではないようで、もう掘られた穴にたいしてなにかしらやっているらしく、穴のなかや周囲にはいろいろものが置かれていたようで、モーター音を発してなにかの機械をあやつっているらしいひとりのところからは蒸気も湧いているのだが(機械のすがたは穴のなかにあってみえなかったのだが)、なにをやっているのかはむろんまったくわからない。水道管の工事をしてはいるのだとおもうが。そちらから見てむかいの歩道をだらだらいきながらじろじろみていたあいだ、工事員たち数人がなにやらおおきな笑いをはじけさせる瞬間があった。
  • 帰宅すると休息。(……)さんのブログをよんだのだったか。五月二二日。卒業する生徒たちにむけてけっこう長文の手紙的メッセージをおくっているのだが、それがよい文章でわりと感動してしまう。「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」というアントワーヌ・サン=テグジュペリのことばが冒頭にいきなりひかれており、これをよみながらBill Evans Trioのことをおもいだした。たしか(……)さんが前回東京にきたときだから二〇一九年の二月のこと、そのうち(……)で(……)公園を散歩したあといまは亡き(……)にいってはなした日だから、あの年は一年つづいた鬱状態からなぜか回復し日記を再開したばかりで、二月四日に(……)くんとひさしぶりに再会して新宿で会い、(……)さんと会ったのはそのつぎの日から三日間だったはずだから七日のことではないかとおもうが、喫茶店で音楽のはなしをしたときに一九六一年のBill Evans Trioはやたらすごいといったとき、(……)さんもこのことばを言及していたような気がするのだが、あるいはそのときはサン=テグジュペリは言及されず、そのすこしまえに(……)さんのブログに引かれてあった木村敏のことばにふれられただけだったかもしれないが、そこでいったBill Evans Trioの様相というのは、いままでおりにふれて書いているとおもうけれど、ようするに三者がたがいのほうをまったくみておらず目も顔もすこしもあわせずにじぶんの方向をむいてひとりだけで勝手にやっているのだけれど、それがなぜか偶然一致してしまっている、みたいな印象、ということだ。これは主観的な印象でしかないし、じっさいにはちがうとおもうのだけれど、こちらにはあの音楽はそういう感触だとしかおもえない。ただ、うえの「愛とは、お互いを見つめ合うことではなく、ともに同じ方向を見つめることである」というアフォリズムにそってかんがえるに、Evans Trioは「お互いを見つめ合うこと」をしていないのはたしかだが、たぶん「同じ方向を見つめ」ているわけでもないな、とおもった。イメージとしては、まったくばらばらの方向を見つめているようにおもえる。ただこれは具体的に音楽に即していないいまの印象なので、尚早な臆見にすぎない。あるいは、「方向」としてはおなじでも、そこでじっさいにみつめているものはちがっているはず。
  • Evans Trioがはてしなくすごいのはやはりその点で、つまり三者三者とも、たがいをうかがったりあわせにいったりあいての出方をみたりしているとかんじさせる瞬間がほんとうに一瞬もないということで、彼らは六一年のVillage Vanguardでの演奏を全部とおして、最初から最後まで迷いがまったくない。息があっている、などというはなしではなく、そもそも「あう」ものとしての「息」があそこには存在していないかのよう。そのなかでもこちらがおもうにはやはりEvansがどうしてもすごく、この前日に"Alice In Wonderland (take 1)"をきいたときにもほれぼれしてしまったのだけれど、ソロの途中に、ただあがってさがっているだけなのにすさまじく明晰な音列があって、一音の際立ち方にせよリズムにせよフレーズのながれにせよ、完璧だとしかおもえない音のつらなりを彼はたしかに発生させている。全篇にわたってではないとしても、六一年六月二五日のBill Evansの演奏のなかに完璧さはまちがいなく存在している。それをもちろんアドリブとしてこともなげにやっているのがきわめて異常で、あたまがおかしいとしかおもえない。とにかく明晰にすぎていて、明晰さがきわまって異貌のものになっているようにかんじられる。狂気にちかい。そういう明晰さと統一性はLaFaroとMotianにはやはりない。LaFaroには多少あるにしてもEvansほどではないし、彼はどちらかといえばやはりかきまぜるタイプだろう。Motianは明晰さなど最初からめざしていないし、彼の演奏は「明晰さ」などという概念を知ってはいない。
  • そのあとの食事時のことはあまりおぼえていないが、夕刊に、ベラルーシの反体制派メディアのひとが拘束されたという事件の報があった。ルカシェンコの指令でベラルーシ領空内で彼が乗っていた飛行機が強制的に着陸させられ、なんでも爆発物だったかなんだかわすれたがそういうものがあるとかいう名目でとめられたらしいのだが、それは発見されず、そのメディアのひとが拘束されたと。NEXTAとかいうメディアをつくったひとらしいが。たしかアイルランドの航空会社とか書かれていたような気がするのだが、記憶がふたしか。EUはとうぜんルカシェンコおよびベラルーシ政府を非難。
  • ほかになにかよんだような気もしないでもないが不明。食事はサバなどだった。食後、すぐに風呂へ。風呂でも日記を金につなげることについてかんがえ、やはりやめようとおちついたのはきのうの記事にしるしたとおりだ。でると以下。
  • いま零時半。入浴後、茶を用意してBrandon Ambrosino, "How and why did religion evolve?"(2019/4/19)(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve))をよみだし、読了。そこそこながくて、三回にわけてよみおえることになった。引用は今日読んだ部分のなかからのみ。Frans de Waal(フランス・ドゥ・ヴァール)というひとはあきらかにききおぼえがあるなまえなのだけれど、いったいどこでみたのかおぼえていない。たぶん本屋でみかけたのだけれど、どの著作をみたのかがわからん。おそらくいちばんあたらしい邦訳の、『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』というやつか。

In archival footage(https://www.youtube.com/watch?v=jjQCZClpaaY(https://www.youtube.com/watch?v=jjQCZClpaaY)), primatologist and anthropologist Jane Goodall describes the well-known waterfall dance which has been widely observed in chimpanzees. Her comments are worth quoting at length:

When the chimpanzees approach, they hear this roaring sound, and you see their hair stands a little on end and then they move a bit quicker. When they get here, they’ll rhythmically sway, often upright, picking up big rocks and throwing them for maybe 10 minutes. Sometimes climbing up the vines at the side and swinging out into the spray, and they’re right down in the water which normally they avoid. Afterwards you’ll see them sitting on a rock, actually in the stream, looking up, watching the water with their eyes as it falls down, and then watching it going away. I can’t help feeling that this waterfall display or dance is perhaps triggered by feelings awe, wonder that we feel.

The chimpanzee’s brain is so like ours: they have emotions that are clearly similar to or the same as those that we call happiness, sad, fear, despair, and so forth – the incredible intellectual abilities that we used to think unique to us. So why wouldn’t they also have feelings of some kind of spirituality, which is really being amazed at things outside yourself?

Goodall has observed a similar phenomenon happen during a heavy rain. These observations have led her to conclude that chimpanzees are as spiritual as we are. “They can’t analyse it, they don’t talk about it, they can’t describe what they feel. But you get the feeling that it’s all locked up inside them and the only way they can express it is through this fantastic rhythmic dance.” In addition to the displays that Goodall describes, others have observed various carnivalesque displays, drumming sessions, and various hooting rituals.

     *

The roots of ritual are in what Bellah calls “serious play” – activities done for their own sake, which may not serve an immediate survival capacity, but which have “a very large potentiality of developing more capacities”. This view fits with various theories in developmental science, showing that playful activities are often crucial for developing important abilities like theory of mind and counterfactual thinking.

Play, in this evolutionary sense, has many unique characteristics: it must be performed “in a relaxed field” – when the animal is fed and healthy and stress-free (which is why it is most common in species with extended parental care). Play also occurs in bouts: it has a clear beginning and ending. In dogs, for example, play is initiated with a “bow”. Play involves a sense of justice, or at least equanimity: big animals need to self-handicap in order to not hurt smaller animals. And it might go without saying, but play is embodied.

Now compare that to ritual, which is enacted, which is embodied. Rituals begin and end. They require both shared intention and shared attention. There are norms involved. They take place in a time within time – beyond the time of the everyday. (Think, for example, of a football game in which balls can be caught “out of bounds” and time can be paused. We regularly participate in modes of reality in which we willingly bracket out “the real world”. Play allows us to do this.) Most important of all, says Bellah, play is a practice in itself, and “not something with an external end”.

Bellah calls ritual “the primordial form of serious play in human evolutionary history”, which means that ritual is an enhancement of the capacities that make play first possible in the mammalian line. There is a continuity between the two. And while Turner acknowledges it might be pushing it to refer to a chimpanzee waterfall dance or carnival as Ritual with a capital R, it is possible to affirm that “these ritual-like behavioural propensities suggest that some of what is needed for religious behaviour is part of the genome of chimpanzees, and hence, hominins”.

     *

De Waal has been criticised over the years for offering a rose-coloured interpretation of animal behaviour. Rather than view animal behaviour as altruistic, and therefore springing from a sense of empathy, we should, these wise scientists tell us, see this behaviour for what it is: selfishness. Animals want to survive. Period. Any action they take needs to be interpreted within that matrix.

But this is a misguided way of talking about altruism, de Waal says.

“We see animals want to share food even though it costs them. We do experiments on them and the general conclusion is that many animals’ first tendency is to be altruistic and cooperative. Altruistic tendencies come very naturally to many mammals.”

But isn’t this just self-preservation? Aren’t the animals just acting in their own best interests? If they behave in a way that appears altruistic, aren’t they just preparing (so to speak) for a time when they will need help? “To call that selfish,” says an incredulous de Waal, “because in the end of course these pro-social tendencies have benefits?” To do that, he says, is to define words into meaninglessness.

     *

Such a hard and fast line between altruism and selfishness, then, is naive at best and deceptive at worst. And we can see the same with discussions of social norms. Philosophers such as David Hume have made the distinction between what a behaviour “is” and what it “ought” to be, which is a staple of ethical deliberation. An animal may perform the behaviour X, but does it do so because it feels it should do so – thanks to an appreciation of a norm?

This distinction is one that de Waal has run into from philosophers who say that any of his observations of empathy or morality in animals can’t possibly tell him about whether or not they have norms. De Waal disagrees, pointing out that animals do recognise norms:

The simplest example is a spider web or nest. If you disturb it, the animal’s going to repair that right away because they have a norm for how it should look and function. They either abandon it, or start over and repair it. Animals are capable of having goals and striving towards them. In the social world, if they have a fight, they come together and try to repair damage. They try to get back to an ought state. They have norm of how this distribution should be. The idea that normativity is [restricted to] humans is not correct.

In the Bonobo and the Atheist, de Waal argues that animals seem to possess a mechanism for social repair. “About 30 different primate species reconcile after fights, and that reconciliation is not limited to the primates. There is evidence for this mechanism in hyenas, dolphins, wolves, domestic goats.”

He also finds evidence that animals “actively try to preserve harmony within their social network … by reconciling after conflict, protesting against unequal divisions, and breaking up fights among others. They behave normatively in the sense of correcting, or trying to correct, deviations from an ideal state. They also show emotional self-control and anticipatory conflict resolution in order to prevent such deviations. This makes moving from primate behaviour to human moral norms less of a leap than commonly thought.”

  • そのあとは金井美恵子「切りぬき美術館 新スクラップ・ギャラリー: 第1回 猫の浮世絵とおもちゃ絵1」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/11/post-1.html(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/11/post-1.html))と同「第2回 猫の浮世絵とおもちゃ絵2」(http://webheibon.jp/scrap-gallery/2015/12/2.html)をよんだり、きのうの日記をしるしたりなど。この金井美恵子の記事をよんださいに、ウェブ平凡じたいにもアクセスしてちょっとみてみると、川上弘美の「東京日記」というやつと、こちらはもう更新停止しているが中原昌也の「書かなければよかったのに日記」というシリーズもあって、これらはいつかよもうとおもってメモしておいた。それぞれほんのすこしだけのぞいてみたのだが、いかにも日記らしく簡潔なもので、そうなんだよな、ほんとうは日記というものはこういうふうにそっけなくみじかい文でやるもので、じぶんのやつみたいに、だらだらうだうだとあれだけの長文でだべりまくるかたりまくるというのは、ほんとうはやはり恥ずかしいこと、品のないことなのだよな、とおもった。太宰治ではないが、人間などただでさえ、生きているだけである面では恥をさらしているようなものなのに、それにかさねてわざわざその恥を、いい気になって積極的に能動的にさらしていこうというのだから、まったくもって恥ずかしい、あさましいことをやっているとおもう。前世の宿縁か?
  • 二〇二〇年五月二四日の記事もよみかえした。むかしの記事から、エンリーケ・ビラ=マタス木村榮一訳『バートルビーと仲間たち』(新潮社、二〇〇八年、21~24)がひかれている。ヴァルザーについてしるした箇所。カール・ゼーリッヒの証言としてつぎのもの。「以前ヴァルザーとわたしは深い霧に包まれたトイフェンからシュパイヒェンまでの道を散歩したことがあるが、秋のあの午後のことはいつまでも忘れることができないだろう。あの日わたしは彼に、あなたの作品はゴットフリート・ケラーのそれと同じようにいつまでも残るでしょうと言った。すると、彼は地面に根が生えたように急に立ち止まり、ひどく重々しい顔でわたしをじっと見つめてこういった。わたしたちの友情を大切にしたいのなら、二度とそういうお世辞を言わないでくれ。彼、ローベルト・ヴァルザーは無用の人間であり、人から忘れられたいと願っていたのだ」。ビラ=マタス当人の文および説明としては、以下のもの。「猟奇」はおそらく「領域」をミスタイプしたものとおもわれる。

 ローベルト・ヴァルザーは虚栄を、夏の日を、女性用のスパッツ、日差しを浴びている家、風になびいている旗を愛していた。しかし、彼が愛した虚栄は自分だけが成功すればいいといった野心とはまったく無縁なものであり、微小なもの、はかないものをやさしく提示するといったたぐいの虚栄心だった。地位の高い人が住む世界を支配しているのは力と名声だが、ヴァルザーはそういう世界にはまったく縁がなかった。「何かのはずみで波がわたしを押し上げ、力と名声の支配する高みへと運ばれるようなことがあれば、わたしは自分に有利に働いた状況をすべてぶちこわして、下の方、最下層にある無意味な闇の中へ飛び降りて行くつもりだ。わたしにとって息のしやすい世界は下の方の猟奇なのだ」

     *

 ヴァルザーは無用の人間になりたいと願っていた。彼の愛した虚栄とはフェルナンド・ペソアのそれを思わせる。ペソアはあるとき、板チョコを包んでいた銀紙を床に投げ捨てると、自分はこんな風に、つまりこうして人生を捨てたのだといった。

  • 「無用の人間になりたい」にかんしてはかなりの同意をおぼえる。「忘れられたい」は微妙なところだが、なかばくらいはそうかもしれない。「無用の人間になりたい」というよりは、なんらかの意味で有用でないと生きていかれない世にうんざりしている、ということか。有用なひとになどなりたくないし、世にとって用の無い人間になりたいと。いくらかこどもっぽい反発心もしくは反抗心なのかもしれないが。

2021/5/23, Sun.

 輪廻を繰りかえすたましいは、身体という存在のしかたを超えたものでなければならない。身体には感覚が帰属するのだから、身体を超えて永続するたましいをみとめるかぎり、一般に感覚を超えたものが存在し、感覚を超えたものは、感覚以外のなにものかによってとらえられるものでなければならない。見えるものの背後に、あるいはそのただなかに、見えない秩序が見とおされる必要がある。たとえば、煌めく星辰の運行の背後に、それをつかさどる数の秩序が見てとられ、耳にここちよい音階(ハルモニア)のなかに、音程(オクターブ)が聴きとられなければならない。秩序(コスモス)と調和(ハルモニア)は、「数」によって成立する、そのかぎりにおいて「万物は数である」とする、ピタゴラス学派の基本的な洞察はじっさい、基礎的な音程がそれぞれ、一対二、二対三、三対四の比であらわされることの発見に根ざしていた。
 ギリシア語で比とはロゴスであり、ロゴスであるアルケーをとらえるのは、アリストテレス形而上学』(第一巻第五章)に残されている証言によるなら、「たましい」(プシュケー)、あるいはそれ自身ロゴスをそなえた「知性」(ヌース」であることになるだろう。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、18)



  • 一一時四〇分に離床。いちど一〇時にさめた。きのうかけてあったアラームがそのままになっていたので。それからまた寝つき、一一時に覚醒して、首をのばしたり背中をもんだりしてからおきあがった。背骨の際のあたりがやはりしらないうちにかたくなっていて、そこをもみほぐしておくのはよい。おきあがると洗面所へ。顔をあらい、念入りにうがいをして、用をたすと部屋にもどり、ジャージのうえを身につけて上階へ。多少すずしい気がしてうえを着たのだが、午後一時まえ現在そんなことはまったくない。うすいけれどひさしぶりにひかりもあるし。母親いわく、(……)くんがきたとかいった。父親の友人でときどき会っている威勢のよいひと。くるというからあわてて「(……)」までいってきて団子や饅頭を買ってきたとのこと。冷蔵庫をのぞきながらそれをきいていたこちらは、小皿にはいっていた天かすをあやまってこぼしてしまい、洗面所にある箒をもってきて床のうえを掃き掃除した。それから食事。きのうの天麩羅ののこりなど。新聞はめくっていきながら、連合が立民にたいして共産党との距離がちかくなりすぎることについていらだちをしめし、国民民主党との協力をもとめているという記事をまず瞥見し、それから書評面など。書評面のてまえには君塚直隆のインタビューがあって天皇制についてのべられているようだったが、このなまえはきいたことがある。しかしどこで見聞きしたのかわからない。主にイギリス史をやっている国際政治学者のよう。それはいったんおいて書評面にはいると、尾崎真理子が松家仁之の本をとりあげていて、このひともまえからわりと気になってはいる。マルコム・ラウリーの作品と同名の『火山のふもとで』というやつでデビューしたひとで、たしか記者だか編集者だかをながくやっていてもうそれなりの歳だったはず。マルコム・ラウリーのほうの作品もこちらはよんだことがないし、マルコム・ラウリーという作家については同作のなまえいがいなにもしらない。右ページは苅部直芳賀徹の『文明の庫 [くら] 』という文庫本二巻をとりあげていて、これはおもしろそう。芳賀徹というひとは昨年亡くなった比較文化の大家だといい、たしかにいつか新聞で名をみたきもするが、たぶん主に江戸から明治あたりの文明としての日本をあつかっていたのだとおもう。この本は彼のほかの名著にくらべて、福沢諭吉とか渡邊崋山とか個人によりフォーカスしているので、彼らの精神のうごきがいきいきときわだって記述されている、とのこと。中公文庫から出たらしい。中公文庫という文庫もほかの文庫とはちょっと毛色がちがってなかなかよさそうな本をいろいろだしている。ミシュレとか、歴史系もいろいろあるし、デュルケームもあったはずだし、セリーヌがでているのもたしか中公ではなかったか。ほか、柴崎友香田中純のデイヴィッド・ボウイについての本をとりあげていてこのなまえのくみあわせはおもしろい。たしかに何か月かまえの新聞で、あるいはべつのメディアだったかもしれないが、田中純がインタビューをうけて本棚の写真を載せているみたいな記事があって、そのときボウイ論をすすめています、といっていた。
  • 食事をおえたあたりでインターフォンの呼び出し音がなったのでたってでると、しかし反応がない。それで(……)さんかな、きこえないのかなとおもって玄関にでていくとはたしてそうで、母親が饅頭かなにかあげたらしく、お礼として魚のパックをわたしてきたので礼を言ってうけとり、いま下で食べてんだわ、とこたえる。両親は家の南側の野外にある木のテーブルで食事をとっているのだった。それでこちらも食事前に、盆をもってはこんでいったのだった。かくのをわすれていたが。それで外気にふれたのだけれど、外気はやわらかくあたたかで、雲もおおく空にしみついて青さは申し訳程度のものではあるものの、ここさいきんではずいぶんひさしぶりとおもえるひかりの感触があわく肌に降って乗り、あたりの緑はいかにも青々としていて梅の木は葉と地続きの色の実をたくさんぶらさげてユスラウメも赤い実を鈴なりにしている。(……)さんは階段をかこむ柵の棒をしっかりつかみ、横向きになって一段ずつゆっくりとおりていった。おりるところまでいっしょにいき、礼を言ってわかれる。パックをみると右下に値札が貼ってあって消費期限が五月四日とあるからもうだいぶすぎていてやばいのだが、(……)さんがくれる品にこういうことはわりとある。そのたび母親は文句をいう。(……)さんはたぶんこのちいさな札を見ていないか、それかみていても気にしていないのだろう。しかしさすがに消費期限がこれだけすぎている品をふだんから食っているとしたら、三桁の大台に達した老婆にはやばいんじゃないかとおもうのだが。それだけで死んでもおかしくない気がするのだが。保存してあったものなのだろうか。とっておいて知らぬうちに期限がすぎてしまったものを、あわててだしてきてくれたということなのだろうか。
  • ひとまず冷凍庫にいれておき、食器をかたづけ、風呂洗い。洗いながら、昨晩は日記もそのほかのこともやらずになまけてしまったわけだが、なんか日記とか仕事とかいっているから自分は駄目なんだとおもった。日記以外のことばをつくるきちんとした仕事をやらねばならない、とか。どうでもよろしい。この日記にせよそれいがいの文章にせよ、どうせたいした価値もないものだし、仕事などというものではない。しいていうとしたら、ぜんぶ趣味か、道楽のたぐいだ。こちらが作品をつくろうとひとの作品を訳そうと、たいしたことにはならない。こちらに名作などのたぐいをつくるような器はないだろうし、文章の書き手としてこちらはすごくすぐれているわけでもないし、じぶんは作家ではないがもし作家という位置づけをえたとしても凡百の作家だろう。それはべつによいのだが、ただ、なにかを達成しようとかいう観念とか幻想がやはり人間あるもので、だからじぶんはいつまでたっても駄目なんだとおもった。日記を死ぬまでつづけようとか、To The Lighthouseを翻訳しようとか。それはいちおうやるつもりではいるのだが、それらを達成目標としてのおおきなこととして無意識に想定し前提しているから駄目なのだ。じぶんはじぶんにたいしておごっている。こちらのことばと文章にそんなにがんばって労力をついやすような価値はない。
  • 風呂洗いをすますと緑茶を支度して帰室。コンピューターを準備。LINEをのぞくと今夜の通話にそなえて(……)が資料というか文書をあげているようだったので、あとで余裕があればみておく。今日は「(……)」のひとびととまた通話をすることになっている。八時半か九時から。団子を食い、茶をのみながら今日のことをここまで最初につづって、するといまは一時半をまわったところ。
  • そのあとの生活はよくおぼえていないので、とりあえず通話のことを。九時から開始。(……)
  • ほか、(……)が洒落っ気を獲得してファッションに興味がでてきているという(……)の報告があり、それでこちらはわりと洒落た服も着る印象だけど、どういうふうにえらんでいるの、という質問があったので、べつにこれといった基準はなく、ふつうに店にいってピンときたのを買う、とこたえた。ただ、いわゆるきれいめというか、前がひらいてボタンがついてるシャツとか、わりとそういうのになっちゃいがちだよね((……)は、この「なっちゃいがち」といういいかたがおもしろかったようでわらいながら復唱していた)、ほんとうはもっといろいろな服も着てみたいんだけど、アメカジとか、まあそういうほうもためしてみたい気持ちはある、というと、アメカジとはなにかとかえったので、こちらもよくはしらないが、アメリカンカジュアルの略で、なんかジージャンとかだろう、といっておいた。イメージがあっているのかしらないが。べつにアメカジでなくてもよいのだけれど、わりとフォーマルふうな、紳士ぶって気取ったような格好をしがちな人間で、たぶんまわりからみられたときの雰囲気としてもそういう方向がにあうといわれがちなタイプだとおもうのだが、もっとラフだったりカジュアルだったり、まあいろいろ着てみたい気持ちはないではない。金があれば。そして金はない。それにいまはコロナウイルスでほとんど出かけることもないし、だからもう一年以上服買ってないよ、とおとす。
  • (……)
  • ところでこの「ココナラ」というサイトをあらためてみてみたところ、なんかクリエイター系のSNSみたいなものだとおもっていたのだが、さにあらず、もっといろいろな仕事募集があって、みれば翻訳とか、小説をよんで感想をかいてほしいとか、アコギをおしえてほしいとかそういうものもあり、ここで俺金かせげるじゃんとおもってそう口にもした。ただ小説をよんで感想を書くやつはもう募集が終了していたのだが。それで通話中や、また通話がおわって自室にかえったあともちょっとしらべてみたのだけれど、しかし結論からいうとやっぱり俺みたいなのはお呼びでないんじゃないか、というかんじではある。ただこの夜と、今日二四日のあいだはわりとこういう場所で金かせげねえかなあというのをかんがえてはいた。ネット上で仕事案件を斡旋しているサイトというのはクラウドソーシングというらしく、それは案件内容に重点をおくかんじで、いっぽうで「ココナラ」みたいなやつはスキルマーケットとか呼ばれているらしく、個々人がもっているスキルをアピールして需給関係をうまくむすびつけよう、というこころみらしい。だから検索すれば、いちおう、文学研究者が文章の添削をしますとか、オンライン読書会をやってカフカについておしえますとか、旧帝大の院生だったかあるいは卒業者だったかが翻訳をします、みたいなわりとニッチな方面のアピールがでてきて、まったく見向きもされていないもの、けっこう仕事をもらえているものとおのおのあるようで、ちなみになかには文学賞も受賞しまた選考委員だかなんだかもやっている現役の作家が小説を読んで添削したり電話でアドバイスをつたえたりしますというサービスもあってそれはそこそこ好評をえているようすだったが、なんか正直俺の居場所じゃねえなという印象。そもそもじぶんのもっている「スキルをアピール」みたいなところからしてぜんぜんやりたくないし、そもそもスキルらしいスキルなどもっていない。おたかくとまっているといえばそうなのかもしれないが、そういう、高踏的なプライドというよりは、なんといえばいいのかわからないが、なんかとにかく性に合わないというか、べつの世界だなというのにちかいかんじ。とはいえ金をかせがなければならないとなったらかせがなければならないので、ここでうまくして(……)くん路線で、つまりオンライン読書会というか小難しい本をいっしょに読んで多少のかんがえをのべたり可能ならレクチャーをするので金をくれないか、というアピールをしようかなとちょっとかんがえてもいたのだけれど、けっきょくそうするとしてこちらには資格も権威もなにもないわけだし、アピールのしようがあまりない。毎日よみかきをしてきたということと、こういう本をよんできました、ということくらいしかいえないだろう。こちらがそういう金稼ぎをするとして、そのためにてっとりばやいのはむろんブログを提示してこういうことをやっている人間です、と標榜することなわけで、こちらの実績といってこの毎日の文章しかないわけである。それからはなれたところでうえみたいな金稼ぎをしようとしても、それはうまくいかないだろうしあまり意味がないんではないかとおもった。だからやるなら、ブログと接続して毎日こういうよみかきをしている人間として金を稼ぐか、それか文章を金につなげることは土台あきらめてそれとは関係のないべつの仕事でどうにか金をかせぐか、そのどちらかで、半端にやってもしょうがねえなというこころにいたった。そして、やはり日々の日記でいくばくかの金をえられるような方向にすすんでいったほうがよいのだろうか? というまよいを今日(二四日)はわりところがしていたのだけれど、風呂にはいったあたりでやっぱりやめようとおちつき、いまのところはうえの二択の後者にかたむいている。先日、無償性の例証みたいなことをのべたばかりだが、そういうある種のプライドみたいなこだわりもほんとうはすてたほうがよいのだろうな、ともおもうし、じっさいどうでもよいといえばどうでもよいのだけれど、やっぱりどうも文章を金にかえようという気持ちがおこらない。日記はそうだし、日記以外のもっとちゃんとした文章をもしこのさき書いたとしても、それもあまり金にしようという気持ちがないし、そもそも金になるようなものがかけるともおもえない。ただこの日記を金につなげることをかんがえるとしたら、現状たぶんはてなブログをある程度コンスタントによんでいる人間というのはほぼいないとおもうので、もうすこし人の目にふれる場所にでていったほうがよいだろうとおもう。ようするにいぜんもやっていたことだが、noteにまた毎日投稿して投げ銭やカンパをつのったり、あるいはそこでいっしょに本をよむだけで金をくれるひとをさがしたりする、ということで、いぜんnoteに日記をあげていたのは数か月くらいだったはずだが、そのときはひとりけっこう熱心というか金をくれたひとがいて、たしか総計で三〇〇〇円くらいにはなったはずだけれどそれはてつづきしたりふりこみをまったりするのが面倒だったので、けっきょくもらわないままアカウントをけしてしまった。まあそういう利益感なのでnoteにまた日記をあげたとしていくらも金になるはずがないが、五年一〇年とつづければ多少はちがうのではないか。くわえて、日記じたいを金にするだけでなく、うえのオンライン読書会みたいな、じぶんが満たせそうななにかしらの需要をつのることも可能なわけである。まあそうしたとしてもいくらも稼げる気はしないが、もしやるとしたらそういった方向だろうか。あとははてなブログのほうにもPayPalかなにか設置してカンパをつのるかたち。いいかえれば覚悟をきめてファン商売をやるか、塾講師なりなんなり文筆とは関係のないところでもっとはたらいて生活の資をえるかのどちらかで、そのあいだはたぶんうまくいかないだろうということなのだけれど、いまのところのこころとしてはどうしてもやはり後者にかたむく。そうするととうぜん労働をふやさなければいけないので、もちろんよみかきほかの時間はへるわけだが、まあ致し方ないかなあ、という諦観。やっぱり毎日はたらくしかねえかなあ、と。このあたりこちらもだいぶまるくなったとおもうが。その場合、いまの塾の仕事をもっとふやすのがてっとりばやくはあるのだけれど、なんかもうひとつべつのバイトやりたいな、という気持ちのほうがつよい。いずれにしてもアルバイトでかつがつ食っていくわけで、それがいつまでもつづくともおもえないのだが、そのあたりは未来の状況にまかせ、思考停止して不問に付しておきたい。
  • この二三日でかいておきたいのはあと、Bill Evans Trioをきいたことくらいか。ただそれはいまは面倒臭いので、明日(二五日)にゆずる。『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)もよんだ。この本も読書会当日が三〇日で、もうまぢかなのでけっこうやばいが。まだあと三〇〇ページくらいのこっているし。

2021/5/22, Sat.

 たましいは神的で不死のものであり、罪のために身体に封じこまれている。身体(ソーマ)はたましいの墓場(セーマ)なのであって、たましいは、いまは「牡蠣のように」身体に縛りつけられ、輪廻のくびきのもとにある(プラトンパイドロス』二五〇 c)。人間として生まれてきたこの時間に、鍛錬をつみ、浄化(カタルシス)をとげたたましいは、輪廻というたましいの牢獄を脱し、不死なる神的なありようを取りもどすことだろう。(end16)
 ピタゴラスとその教団が展開したといわれる、輪廻をめぐる思考は、オルフェウスの教えのうちにすでにふくまれている。それはおそらく、トラキアの山々を越えて、東方に起源をもつものであった。輪廻という発想は、浄化と鍛錬(アスケーシス)という実践をもみちびく動機となったように思われる。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、16~17)



  • 一〇時のアラームで正式な覚醒。今日は二時から勤務なので、いちおうしかけておいたのだった。そのまえからたぶん二度ほどさめてはいたのだけれど、なんだかねむくておきあがれなかったし、一〇時のアラームをうけたあとも同様ですぐにはおきあがれず、しばらく首をのばしたりふくらはぎをほぐしたりした。あと、(……)への返信をつくって送信。一〇時半に離床して部屋をでると、父親は階段下の室でコンピューターをまえに机上に突っ伏すようになっていた。洗面所でうがいをよくする。用を足すともどって瞑想。やはりなんとなくねむけがなごっている。窓外ではヒヨドリが、鳴きかわすあいてもおらずただひとりときこえたがしきりに、ほとんどたえまなく切実なように声をはじきちらしている。おなじ種でなくウグイスなどならまわりに多くいるが。一五分ほどすわり、ゴミをもって上階へ。ジャージにきがえて屈伸。カレーののこりをまぜてスープをつくったので、うどんを茹でるようだという。それでフライパンに水を張って火にかけておき、洗面所で髪をとかすとともにさきに風呂洗い。髪ももう鬱陶しいので切りにいかねばならないのだが。風呂をあらっている最中に台所で湯が少々こぼれる音がきこえたのでいったん浴室をぬけ、火を弱めるとともにソファの母親にしらせておいてもどる。浴槽をすみずみまでこすり、すますとでてうどんをゆでる。洗い桶をあらっておき、麺を投入してタイマーを設定。しかし底のあさいフライパンなどでゆでるものではない。きちんとおおきな鍋でやらなければ、麺がちっともおどらないし、対流がうまれる余地がないし、湯もすぐにこぼれる。ゆであがると洗い桶にあけて洗い、煮込むのだが、いまキノコを足したばかりでもうすこし煮込まなければと母親がいうのでまかせて、さきに食卓へ。米のあまりでつくったちいさなおにぎりをくいながら新聞を瞥見し、母親がよそってくれたうどんをうけとってたべながら記事をよむ。きのうの夕刊ですでにでていたが、イスラエルハマスが停戦合意と。イスラエルとしてはハマスの拠点やトンネルを破壊したり幹部を何人か殺したりできて成果があったといえるだろう。ハマスとしては影響力および軍事力を誇示できたので停戦にうごいた、とかかれてあったが、そういうもんなのかなあとおもう。エルサレムの守護者としての姿勢をしめせたのでたたかいがはじまった当初から停戦にはまえむきだった、ともあったが、うーん、というかんじ。じっさい、パレスチナ人が神殿の丘から排除されたという事態をうけてなにもしないでいたら、おそらく支持をうしなってしまうだろうから、なにかしらしないわけにはいかなかっただろうが、それでロケット弾をうちこんで反撃されて町や住居は壊されひとびとは殺されているわけで。それでもやはり、ファタハよりもハマスを支持するひとのほうがいまはおおいのだろうか。攻撃をすればしたでてひどく反撃されて殺されるし、攻撃をせずにデモなどの抗議にとどまるとしてもイスラエルの治安部隊によって殺されるし、なにもせずにいれば入植やら迫害やらによって追いやられる。
  • 腹をみたすと食器をあらい、下階へ。飲み物はもたず。コンピューターを準備して、さっそく今日のことをここまで書けば一二時一五分。あるいていくなら一時すぎにはでたいから、もうあまり猶予はない。今日の天気はくもり。あいかわらず。五月晴れをみないうちに梅雨がきちゃったみたいだ、と母親は言っていた。電車でいくなら一時半まえにでるかんじなので、一〇分程度だが猶予はおおきくなる。行きは電車でいってかえりだけあるくのでもよいが。
  • ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)を少々よみ、一時前にいたって準備。スーツにきがえる。きがえるまえに多少屈伸などしたはず。Carole KingTapestry』をながしていた。屈伸だけでなく、前後に開脚して筋をのばしたり、ベッドに脚先をおいておなじく筋をのばしたりもした。そうして出発へ。道に出る。天気はくもり。このときはまだ雨の気配は顕著ではなかったとおもう。林縁の脇をいくとしめった土のにおいがマスクをつけていてもあらわにつたわってくるが。(……)さんの家の横に生えている柑橘類の木の実がひとつ路上におちており車に轢かれたかなにかでぐしゃりとつぶれていて、それが漉くまえの、つまりあの木枠みたいなものにはいっていてまだ液体にちかいときの和紙のよう。視界はどこをみてもあざやかな緑色が目にはいる。公営住宅前のガードレールの下の植え込みにはピンク色のツツジがたくさん咲いている。坂に折れてのぼっていくと、くもりで木蓋もあるのでここは昼間でも比較的くらく、地面も濡れているから空気の質感はじめじめしていて、また木の葉の勢力もたかまっていて微細な虫も顔のまわりにただよっているから、なんとなくいままでよりも圧迫感というか、せまくなったようなかんじがある。出口がちかくなると竹秋をむかえて黄色くなった竹の葉が道の両脇やすぐ足もとにたくさん落ちている一帯があるが、竹の葉も濡れているから黄色というよりは褐色がまじってやや赤みがかった山吹色みたいな、場合によってはメイプルみたいな色合いになっているが、そこの道の左端に積もってもうだいぶ汚れもしている葉の帯のうえに白い小花がたくさん散りかかっていて、これはヒメウツギだろうか。卯の花散らしの雨、みたいないいかたをきいたことがあるが、これがそういうことだろうか。
  • 最寄り駅へ到着。だらだら階段をのぼっておりる。ホーム上、ベンチには数人あって、なかにひとり、例のいつもみえないものと対話している老婆がいたのだが、このときは声をはっしておらず、眼鏡をとってちょっとふいており、その表情のかけらを横から瞥見するかぎりでは奇矯なようすはみられず、しらなければいつも大声で独語をまいているひとだとはわからない。ホーム先へ。やってきた電車にのってすわり、瞑目。つくとおりて階段通路をゆるくいき(おりるまえに手帳にほんのすこしだけメモをとったのだった)、駅をでて職場へ。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)退勤は四時半まえくらいになったか。徒歩でかえる。駅前をぬけて裏にはいり、しばらくいって文化施設のちかくに家がこわされたあとで草花の生えた空き地があるのだけれど、そのなかで鳥が二匹うろついており、全体に黒か焦茶めいた印象だが脚とくちばしが黄色い鳥で、鴨をちいさくしたような印象をえたのだがあれはなんの鳥なのかしらない。それでいましらべてみたが、たぶんこれはムクドリだったとおもう。そうか、あれがムクドリだったのか。一年のうち一定の一時期に駅前で街路樹にむらがってギャーギャー鳴きまくって電子音めいたかたい声をまきちらしているのがたぶんそれだとおもうのだけれど、いつも頭上か影となって空にいるので地上におりているところをみるのははじめてだった。この帰路は時刻のわりに薄暗く、空気に灰色の気味が濃く、道の果てにのぞく丘などあわくなっていたとおもうし、風のながれもざわざわあって、これは雨の気配、降ってきてもおかしくないなとおもったし、じっさい帰宅後にけっこう降ってきたからあとすこし退勤がおそければ濡れていたところだ。というか終盤ですでにいくらかはじまっていたので多少濡れたのだが。雨もよい、という語をおもって、よく「雨模様」と混同されるとおもうが、とおもっていましらべたら「雨模様」も雨が降りそうなさまをさすらしくじっさいに雨が降っている天気につかうのは誤用という情報がでてきたが、「雨もよい」ということばは古井由吉が小説のなかでよくかきつけていて、こういう空気がそうだろうかとおもった。家につづく裏路地にはいったあたりで雨がはじまっており、まえから小学生の女児たち四人が前後に一列をなして自転車でかけてきて、ひとりが雨降ってきた、いそがなきゃ、みたいなことをいっていたが、彼女らとすれちがってこちらはいそがずのろい歩調のままいき、雨の強さはそこまでかさんではいないものの、宙をみれば粒ははっきりみわけられるし、そうして視線をあげるとまぶたや目もとのあたりに、すこしだけ軌道のかたむいた雨粒がぷちぷちあたってきて風景がややみにくい。
  • 帰宅すると手をあらったりうがいをしたりして下階におり、服をきがえた。
  • いま六時まえ。帰宅後、ベッドにころがって身をやすめながら他人のブログをよんだ。(……)さんのものを一日と、(……)さんのさいきんの記事をいくつか。(……)さんのほうのかきぬきはクソ重要そう。

(…)綾屋さんの研究に話を戻しますが、彼女の「アフォーダンスの配置によって支えられる自己」は、タイトルからもわかるように、彼女が当事者研究のなかで、アフォーダンス理論を使って自分の経験を記述したものです。そのなかで綾屋さんはこう書いています。「私は他の人より意志が立ち上がりにくい」。つまり、「内発的な意志が立ち上がりにくいのだ」と。どうしてかといえば、彼女の身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスがやって来るからなのだ、と。前回にも空腹感についての綾屋さんのお話を少し紹介しましたが、もう少しご説明しましょう。
 例えば、胃袋が、今から何かすぐに食べろとアフォーダンスを与えてくる。そして、目の前にあるたくさんの食べ物は、私を食べろとそれぞれがアフォーダンスを与えてくる。つまり、身体の内側からも外側からも大量のアフォーダンスが彼女のなかに流入してくるけれども、それをいわば民主的に合意形成して、一つの自分の意志としてまとめるまでにすごく時間がかかる、とおっしゃる。
 綾屋さんは、多数派が意志と呼ぶものが立ち上がるプロセスを、先行する原因群を切断せずにハイレゾリューション(高解像度)に捉えていると言えるでしょう。また綾屋さんは同書において、「内臓からのアフォーダンス」という新しい表現でアフォーダンス概念を拡張しようとしています。外側からばかりではなく、胃袋をはじめとする内臓からもアフォーダンスが絶えず届けられているのだと。そしてそんな大量のアフォーダンスを擦り合わせる過程を多くの人々は無意識のうちに行っていて、そこではいわば中動態的なプロセスによって意志、あるいは行為が立ち上げられているのだとおっしゃいます。
 綾屋さんにとって、このプロセスは無意識どころではありません。彼女はまさに選択や行為を自分に帰属するのではなく、身体内外から非自発的同意を強いられた結果として捉えており、その意味で中動態を生き続けているのだと言えると思います。アフォーダンスが氾濫するなかで、なかなか意志も行為も立ち上がらない。だからこそ、「ゆめゆめ、中動態は生きやすいなどと思うなよ」とおっしゃる。それは当然のことだろうと思います。もしかしたら、中動態が希望か救いのように語られることもあるのかもしれない。しかし、そのように語られる「中動態の世界」の実際とは、アフォーダンスの洪水のなかに身を置くことを意味しているのです。
 ここには、人がなぜ、「傷だらけになる」にもかかわらず、能動/受動の世界を求めるのかを考えるヒントがあるのではないか。つまり、「犯人は誰なのだ?」のような、近代的な責任の所在を問うという理由だけで、能動/受動という言語体制が維持されるわけではないのではないだろうか。つまり、ひとりの人間が中動態を生き続けるというのはかなりしんどいことなので、多くの人は無意識にそれを避けるようにできているのではないか。彼女の研究からは、そういうことも示唆されます。
國分功一郎/熊谷晋一郎『〈責任〉の生成——中動態と当事者研究』 p.144-147 熊谷発言)

  • (……)さんのほうは、一六日の、大江健三郎についてしるした「大江健三郎の作品を読んでいると、その文体をとても独特で奇妙なものだと思うが、それでもすでに刊行から数十年を経た今読んでも、風化した感はまったくない。書かれている出来事が、まず出来事の大まかなイメージから掘り起こして書かれているのではなく、一行一句が最初から書かれているという感じがする。大まかなイメージとしての「書きたいこと」を、手持ちの言葉で埋めていくような方法ではなくて、単純で即物的に「書きたいこと」があるのを次々とつらねていくから、いつまでも言葉の効能が有効に保たれるのだろう。イメージというのは時間に風化しやすく、たぶん予想以上にすぐダメになってしまう、そういった大まかで脆弱な枠組みを支える役割ではない、単なる物質的な言葉で構築されている」というのがなるほどとおもった。大江健三郎はまだ一冊もよんだことがない。はやいところふれたいが。その一日まえの記事の、「それでも植物は、暑いときにことさら暑がったりしないだけ、まだわきまえがあるというか、暑い季節でもきちんと寒い季節のことをおぼえているようなところがある。おぼえているというよりも、はじめから、暑さにも寒さにも身を晒していないようなところがある」というのもよい。
  • よみながら脚をいたわるのにきりをつけてたちあがり、ひとまずトイレにいったのだけれど、はいるまえに洗面所で水をのみながら、喉がかわいたらともかくいつでもこうしてすぐに水道から水をだしてきれいな水をのめるというのはやっぱりすげえなとおもった。そういうことができない国で暮らしたことがないからあまり身にしみた実感ではないが、ロシアにいった数日はあちらは水道水をのまないほうがよいから、タンクにためてあるのをそそいでのんでいた。シャワーをあびたあとも髪がなんだかきしきしするというか、かたくなるようだったし。しかしむかしの、つまり高度な文明がうまれるまえというか、原人とか狩猟採集時代のひとたちとかはたぶんそのへんの川の水をふつうにのんだりつかったりしていたはずで、いまだと川の水は寄生虫がいるからそのままのまないほうがよいとかきくけれど、当時の人間ってやはりそういうものにたいする対抗力があったのだろうか、現在の人間は内臓生理的にそのころのひとよりよわいのだろうか、しかしいまでもたとえばインドのガンジスとかは、ほかの土地のひとがはいったりなめたりするとてきめんに腹をこわすというが地元のひとはふつうに洗い物とか沐浴とかにつかっているらしい、なにしろ聖なる川だし、ところでこちらは小学生のときにそろばん塾にかよっていたのだけれどそこの先生が(……)先生という髪のひろがりの先のほうをややもじゃもじゃさせたおばさんで、そのひとがインドにいってガンジスにはいったのかなめたのかわすれたが、ともかく偉大なるガンジス川になんらかのかたちでふれて「おなかがピーピーになって」(という言い方をしていたとおもうのだが)激しい下痢に数日おそわれて旅行どころではなかった、とかいうはなしをしてくれたことがあったのをうっすらと記憶している。(……)塾はこちらの家をちょっとあがったすぐそばにあり、ただ本部でもないけれどもうひとつ、(……)のほうにも(……)先生の塾があって、もともとこのひとの家は接骨院でたしかその建物の一部をつかっていたかそれか離れでもないけれど医院とつづきになった場所だったきがするが、そちらではそろばんもやっていたのだろうが中学生の勉強をみたりもしていて、こちらは中一の一学期くらいまでここにいて、たぶん元塾生だった大学生とかが手伝いをしていたようでおそらくとうじ大学生だったとおもうのだけれど、たしか「(……)」とかもしくは「(……)」みたいに呼ばれていた気がする女性がいてなにかしら勉強をみてもらったのをおぼえているのだが、おぼえているのはとうじこちらは母親のものだった薄革つくりみたいなかんじのハート型の財布をもたされていて、それをその女性がみつけて、かわいいね、とかいったので、いかにもこどもあつかいされている気持ちになったのだろう、恥ずかしくて沈黙のうちに怒ったのをおぼえているからだ。べつにそれが原因だったわけではないが、こちらはまもなくこの塾をやめた。単純に面倒臭くなったのと、必要性をかんじていなかったからだとおもう。そろばんもせいぜい二級くらいまでいったところでやめてしまったし。(……)先生はたしか一学期の中間テストを待たずにやめようという、あるいは中間はやって期末のまえだったかもしれないが、ともかくまだ中学校にはいったばかりだったこちらにむけて、中学校は勉強がむずかしいからいままでみたいに甘くない、通知表で五とか七とかとるのも大変だみたいなことをいっていたのだが(たしか当時はまだ中学校が一〇段階評価だったのではないかというきがするのだが、これはまちがいかもしれない。七という数字をなにかいわれたのをおぼえているようなきがするのだが)、こちらの頭脳はそこそこ学校の勉強に適応していてなおかつこちらはそこそこまじめな優等生だったので、塾をやめてもとくに問題なく一学期の最初のテストではたしか五教科四五〇点をとったはずだしその後も卒業までだいたい五教科は四二〇点くらいだったはず。そういったことをぜんぶおもいだしながらトイレからかえってきたのだが、おもいだしたときはたぶん一五秒くらいだったのに、それをいざ文にすると二〇分くらいかかっているわけである。
  • 食事時のことはわすれたし、おもいだすのが面倒なのではぶくか。いや、新聞のことだけおもいだした。夕刊をよんだのだが、一九三九年だかに満州国ソ連の国境でおこったたたかいについてロシア側の新資料がでてくわしいことがわかったとかいうはなしがあった。アムール川の支流にうかぶ島に日本軍が上陸したところ、ソ連とのあいだで国境にかんする認識の相違があったようで攻撃をうけ、いったんひいてまた上陸してふたたびたたかいになって、日本側は一〇〇人の部隊のうち九〇人ほどが死んだということなのだが、島のなまえがおもいだせないのでインターネットにたよったところ、これは東安鎮事件というものだ。付近の地域のなまえをとってこのようによばれているが、いままで事件の詳細はほとんどわかっていなかった、というはなしだった。ほか、社会面でなんらかの記事をよんだおぼえがあるのだが、それがなんだったのかおもいだせない。愛知県知事リコールの署名偽造の件だったか? なにかべつのことだったような気がするのだが。
  • いま七時半をすぎたところ。コーラをのみながら一年前の日記をよんだ。かくのをわすれていたが、帰路の途中、街道沿いにあるローカル商店みたいな店の脇の自販機でペットボトルのコーラを買っていたのだった。それを片手につかんでぶらぶらかえってきたしだい。一年前の五月二二日は『ONE PIECE』のはじめのほうをすこしだけよんでいろいろ観察をかきつけているのだが、これはたしかこのころ「ジャンプ+」で、コロナウイルスによっていわゆるステイホームするひとがふえたのをうけて無料公開されていたからだったはずで、せっかくだからこまかくよみかえしてみて表現や物語の作法をさぐろうとしたのだが、しかしけっきょくバギーとのたたかいの途中あたりまでしかよまなかったはず。日記にしるされた観察をよみかえしてみてかろうじておもしろかったのは過程の描写をはぶくことによって暴力の勃発がきわだつという、それじたいはとくにめあたらしいともおもえない印象と、ひとみの分析くらい。

同じことは一〇二頁から一〇三頁への移行にも言えて、ここでは町なかに現れたモーガン海軍大佐の息子ヘルメッポが、「三日後」にはロロノア・ゾロの「公開処刑」を行うと町民に宣言して触れ回っており、それに対してルフィが、一か月耐えれば解放するという約束はどうなったんだと口を挟むと、ヘルメッポは「そんな約束ギャグに決まってんだろっ!!」と一蹴する。その様子を受けたルフィは、この男は「クズ」だと怒って思わずヘルメッポを殴ってしまうのだが、一〇二頁の終わりのコマで「約束」の正当性を信じるゾロの様子が回想的イメージとして挟まれた次の瞬間、一〇三頁の上半分ではルフィが既にヘルメッポの胸ぐらを掴みながら腕を振り終えており、大佐の息子は口と鼻からいくらか血を吹き出しながら白目を剝いているのだ。ここでもやはりルフィがヘルメッポのそばに移動したり、その服を掴むために手を伸ばしたり、あるいは拳を振ったりする過程の描写が省略されており、いきなり打撃が完了しているという印象を与えるのだが、しかしここでは暴力という物事の性質上、その省略はむしろ、ルフィの激昂及び抑えられなかった殴打の実行を際立たせるように働いていると判断するべきなのかもしれない(ちなみにこのヘルメッポを殴ったコマで振り抜かれたルフィの左腕は、「ゴムゴムの銃[ピストル]」を放つときのように完全になめらかな様相には収まっておらず、肘のあたりにわずかに線が付されるとともに輪郭も完全にまっすぐではなくかすかに波打っていて、要するに筋肉の描写が加えられている)。

     *

第四話も読む。『ONE PIECE』の主要な女性キャラクターは基本的に皆、一様に黒く丸々と塗りつぶされたオニキスみたいな眼球を持っており、そのなかに白い点が小さく差しこまれることで目の描写となっている。第一話で登場した酒場の店主マキノが既にそうだったし、第三話から現れる町の少女リカ(この名前自体は第四話で明らかになる)やその母親、また名もないモブキャラクターの女性もそうである。つまりはこの第四話までに登場した『ONE PIECE』の女性キャラクターは概ね、いわゆる「つぶらな瞳」を具えているということで、大きくて丸みを帯びた目というのは『ONE PIECE』に限らず漫画において女性を描く際のわりと一般的な作法としてあると思うし、フィクション世界を離れてこちらが生きている現実の領域においても、望ましい女性性を表す外見的特徴、すなわち「可愛らしさ」の記号として捉えられることが多い気がする。それに対して『ONE PIECE』の男性キャラクターの目は、ほとんどの場合、広い空白のなかに小さな黒点が一つ打たれるという形で描かれており、ということはこの作品では男女の瞳の様相が対照的で、その黒白の割合配分がちょうど正反対になっているということになる。とは言え男性キャラクターの黒目もいつでも必ず一点のみに還元されるわけではなく、第一話の一一頁でシャンクスがはじめて登場するときの真正面からのカットでは、彼の小さな黒目のなかにさらに白い点の領域があることが見て取られるし、三四頁、三五頁、三七頁などでも同様に描かれている。ちなみにシャンクスが「友達を傷つける奴は許さない」と宣言する三七頁のコマではさらに、黒目の領域のうちにもいくらか黒さの幅が導入され、つまり眼球にあるかなしか立体感が付与されており、さらにシャンクスのその言葉を受けてルフィの顔が拡大的に映される次頁においても目はそれと同じ様相を持っている。

こうした観点で見てきたときに明らかに例外的なのは、第一話四六頁でルフィを襲おうとした海の怪物に向けてシャンクスが「失せろ」と殺気を放ちながら「ギロッ」という鋭い眼差しを差し向けるところで、ここでは瞳の中心部分は、黒い円周線のなかにさらに中央点として黒点が一つ置かれるという描写をされている。つまり目の外縁からその色の移行を追うと、白・黒・白・黒という四層パターンがこのコマではじめて観察されるということで、ここまで基本的に男性キャラクターの目は白・黒の二層のみで構成されており、せいぜい白・黒・白の三層構造がシャンクス(と三八頁ほかのルフィ)に見られたくらいだったので、この頁に至って瞳はそれまでにない複層性を明確に提示している。

  • あと、「読みながら、『ONE PIECE』っていま何話まで至ったのか知らないけれど、こちらが小学生の頃から、すなわち二〇年以上はやっているわけだし、よくこれだけ長く続いているなあと思ったのだが、物語というのはそれを作れる人にとっては継ぎ足すことはむしろ容易で、場合によってはほとんど永遠に作り継ぐことができるのかもしれず、それよりも終わらせることの方が遥かに難しいのかもなあとかも思った」とあって、これはきっとそうなんだろうなあとあらためておもった。
  • 題名のない音楽会』という番組でX JAPAN(といういいかたはたぶんもうしないのだとおもうが)のToshiがオーケストラをバックにうたっているのもみている。"Bohemian Rhapsody"をうけての印象。

三曲目はQueenの"Bohemian Rhapsody"。男女二人ずつのコーラス入り。Aパートのあのピアノのアルペジオはハープによって演じられていた。Toshiの歌唱は悪くない。ただ、聞いているとかえって、やっぱりFreddie Mercuryのボイスコントロールって抜群なんだなということが実感されてしまうところがあって、と言うのはこの曲のAメロに、"But now I've gone and thrown it all away"という詞の箇所があり、オリジナル音源でMercuryはそこの"it"あたりまではファルセットで歌い、"all"あたりから急激に転換して声に芯を通してざらつかせるということをやっており、そのときの移行ぶりがやはりすごいということは高校時代から(……)などもよく言っていたし、ひらいた穴に向かって過たず正確にすとんと落ちるみたいな感じがあるのだけれど、Toshiもさすがにその部分はMercuryほどうまくは歌えておらず、あれはたぶんほかの人には真似できないんではないか。あとAパートと言うのか、ギターソロに入る前の静かなパート全体を通しては、ここは大変に叙情的な領域なので、Toshiも緩急をつけて情感豊かに歌おうとしており、それは決して間違いではないしおおむね成功していたとも思うのだけれど、ただやはりいくらかの粘り気が感じられはした。それはおそらく英語の発音も関係しているのではないかと推測され、日本人による"Bohemian Rhapsody"のカバーはほかにはデーモン小暮閣下のものしか聞いたことがないのだが、小暮閣下など個々の語の発音からして相当に粘っこく歌っていたような記憶があって、特に根拠はないけれど何となく、日本人はとりわけそうなりやすいのかなあという気がする。きちんと聞き返してみないと正当な印象かどうかわからないものの、原曲はそんなに粘っていなかったような気がするもので、その記憶がもし正しいとすれば、Freddie Mercuryという歌い手の凄さというのは一つには、このパートを過度に粘らせることなく比較的さらさらとした質感で歌えてしまったという点なのではないか。カバーする人はたぶんMercuryのオリジナルを意識して多少なりとも力むだろうから、どうしても彼よりも感情的で粘ついた表現になってしまう傾向があるのではないだろうか。

  • その後夜歩きにでており、途中、Grand Funk Railroadなんていうなつかしい名前がかきつけられている。このときも「ほとんど一五年ぶりに思い出した」といっているが。たしか"We're an American Band"のひとたちだよな? かろうじてこのフレーズだけはメロディがよみがえるが。あと"Locomotion"をやっていたおぼえもある。こちらは直接このバンドの音源はもっていなかったはずで、中学校の同級生である(……)が入手したのをやつの家できいたのではなかったか。あるいはやつはじきにハードロックに飽きてOasisとかUKの九〇年代あたりにいって、のちに、たぶん当時はまだAmazonもぜんぜん普及していなかったはずだが、中学生当時にインターネットで購入したとおもわれる輸入盤のScorpionsのCDとかをゆずってくれたので、そのときにいっしょにもらったかもしれない。
  • ほか、「路地内の坂に入って下りると、黒塗りの高級そうな車が道のど真ん中に停まっていて、なんでこんなところに停まってんだよ、ほかに車が来たら通れないぞと思った。窓まで全部真っ黒な車で、ちょうどそのとき右手に持っていたボトルのなかのコーラと同じような色であり、練ったように黒々と深く、なおかつ艶もあった」とあるが、この「練ったような黒」というのはそこの坂をおりていきながらおもいついたもので、なかなか的確だとおもったのでよくおぼえている。この比喩はたぶんそれいらいつかっていないはず。
  • 「降る雪をゆびの器で受けましょう溶けるまぎわの刹那のために」という一首はそこそこわるくはない。(……)さんのブログからは柄谷行人『探究Ⅱ』を孫引きしている。

 (……)独我論とは、私しかないという意味なのではなくて、「私」がどの私にも妥当するという考えなのである。そして、それを支えているのは、まさに「私」が言語であり、共同的なものだということなのだ。
 主体からはじめる考えを、言語をもってくることによって否定することはできない。それらは、いずれも独我論のなかにある。したがって、独我論の批判は、たんに狭義の認識論の問題ではなくて、「形式化」一般の根本的批判にかかわるのだ。なぜなら、指示対象をカッコにいれる形式化は、かならず各「主体」によってなされるほかないからである。
 この「主体」(主観)は、「誰」でもない。たとえば、「この私」は、結局「これは私である」ということになる。「これ」は存在するが、「私」は述語(概念)にすぎない。「この私」は指示対象として在るのではない。「これ」が在るだけだ。ラッセルは、この意味で主体を認めなかった。それは、しかし、これを「これ」とうけとる主体が「誰」でもないような主体、したがってヘーゲルのいう「精神」のようなものであるということを意味するのである。「誰」とは、固有名である。固有名をもたぬ主体は、「誰」でもないがゆえに「誰」にも妥当する。近代哲学の主観は、このように見いだされたのである。(古典哲学が主観を持たなかったのは、個体がいつも「誰か」〈固有名〉として実在したからである。逆にいえば、それは固有名にもとづく存在論だということになる)。
 (……)
 ところで、ラッセルは「これ」において、言語とその外部・指示対象との繋がりを確保したつもりだったのだろうか。しかし、ラッセルの「これ」は、もし指示が他者に対してなされるものだとしたら、指示ではない。かりに、私が黒板を指して、「これが黒だ」といっても、相手は「黒」を「黒板」と受け取るかもしれないし、黒板に書かれた文字と理解するかもしれない。つまり、「これ」の個体領域がはっきりしないのである。
 したがって、ラッセルのいう指示は、彼自身がいうようにprivateである。厳密な意味での指示は、他者に指示することでなければならない。つまり、それはコミュニケーションのレベルでしか考えられない。しかし、「これ」という指示がけっして個体を指示しえないのに対して、固有名は個体を個体として一挙に指示する。したがって、固有名は、言語の外部があるという日常的な常識を支える根拠であり、またそれをくつがえそうとする者にとって、解消すべきものだったのである。
 (……)固有名は、言語の一部であり、言語の内部にある。しかし、それは言語にとって外部的である。あとでのべるように、固有名は外国語のみならず自国語においても翻訳されない。つまり、それは一つの差異体系(ラング)のなかに吸収されないのである。その意味で、固有名は言語のなかでの外部性としてある。
 ラッセルが固有名を記述に還元することによって論理学を形式化したように、ソシュールは固有名をまったく無視することによって、言語学を形式化した。その結果、言語学フレドリック・ジェイムソンのいう「言語の牢獄」に閉じこめられる。しかし、その出口をいきなり指示対象に求めてはならない。その出口は、ラッセルやソシュールによって還元されてしまった固有名にこそある。のちにのべるように、言語における固有名の外部性は、言語がある閉じられた規則体系(共同体)に還元しえないこと、すなわち言語の「社会性」を意味するのである。

  • この夜はあとだいたいはなまけて、前日の記事をしあげて投稿したことと、書抜きを一箇所だけしたことくらいしか活動的なことはしなかったはず。あとはうえで日記をよみかえしたあとトイレにいって、もどってくるとギターを多少いじった。今日はバッキング練習はせず、ほぼれいによって似非ブルースをてきとうにやっていただけ。弾くのと同時にだす音をハミングするというのをやるとなんかよいかんじがある。ジャズのひとがよくやっているやつだが。ギターだとKurt Rosenwinkelがいちばんにおもいつくが。Keith Jarrettのあれはハミングというより唸り声か喘ぎか叫びで、弾いている音とぜんぜんメロディあっていないのにリズムだけあわせていて音痴な歌みたいになっていることはよくある。こちらの場合、これをやるとよいかんじがするときと、邪魔臭くてうまく弾けないときとあるのだけれど、この日はわりとうまくいったよう。

2021/5/21, Fri.

 アナクシマンドロスはまた、このアペイロンを「神的なもの」と呼んでいたとつたえられる。その間の消息に触れた、アリストテレスの説明には、哲学的にすこし興味ぶかいところがある。そのことばをふくむ前後を引用しておく。

だがまた、かれらのすべてがこのようにアペイロンをアルケーとして立てたのは、相当の理由あってのことである。というのは、アペイロンがまったく無駄であることはありえず、またそのはたらきはアルケーとして以外にはありえないからである。すべてのものはそれ自身がアルケーであるか、あるいはアルケーから生じたものであるかのいずれかであるが、アペイロンにはアルケー〔はじまり〕はないからだ。〔もしあるとすれば〕アペイロンに限界があるということになる。
 けれどもさらにまた、アペイロンは、ある種のアルケーであるがゆえに不生にして不滅であるからである。というのは、生成したものは必然的におわりをもち、また消滅には、すべてその終局があるからだ。それゆえに、私たちの言うように、アペイロンにはそれの(end12)アルケー〔はじまり〕はなく、むしろそれ自身が他のものたちのアルケー〔原理〕なのであり、これが「すべてを包括して、すべてを統御する」とも思われたのである。〔中略〕そして、このアペイロンが神的なものである。というのも、あたかも、アナクシマンドロスがそう言い、またそのように自然について語る者の多くも言っているように、それが不死であり不滅である〔ように思われる〕からである。(『自然学』第三巻第四章)

 かぎりがなく、不死であり不滅であるものについては、のちにべつのかたちで、エレア学派が語りはじめることになるだろう。アナクシマンドロスの直接の後継者であるアナクシメネスは、師が「無限なもの」と呼んだものを、もう一度あらためて「アエール」(空気)あるいは「プネウマ」というかたちでとらえかえすことになる。アナクシメネスにとってアルケー(principium; causa)となるものは、「無限な空気」である。ことのなりゆきをキリスト教徒の立場から見ると、こうなるだろう。「かれは神々を否定もしなければ黙殺もしなかった。が、かれの考えでは、神々によって空気がつくられたのではなく、神々が、空気から生じたのである」(アウグスティヌス神の国』第八巻第二章)。(……)
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、12~13)



  • 一〇時五七分の起床。一〇時半かそのくらいにはさめており、例によってあたまをころがして首をよくのばした。こめかみまわりももんでおく。天気は白い曇天。水場に行ってきてから今日は瞑想もおこなう。窓外で鳥が無数に鳴き声をあつめてちらしている。一一時六分から二一分くらいまですわり、上階へ。カレーのにおいがただよっている。米をいま炊いている途中だと母親。あとでチンゲンサイを茹でておいてくれというので了承。父親は山梨に行ったらしく、母親がカレーをつくっておいてくれたので、あとはチンゲンサイを茹でてなにかサラダでもこしらえればよいだろう。サラダといって、大根をスライスして生のまま食べる程度のじつに簡易なものだが。
  • 米が炊きあがるまで待たなければならないので、いちど下階にもどっててきとうにウェブをみる。(……)さんからメールが、このときはいっていたのだったかあとだったかわすれたがはいっており、直前ですまないが面談同席のお願いをわすれていたとあって日程もしるされていたので了承。最初は明日の午後二時から。
  • 正午ごろになって食事をとりにいく。カレー。母親は仕事にむかった。新聞を読みつつ食べる。米国がイスラエルにたいして停戦への圧力をつよくしているとのこと。バイデンが一九日にネタニヤフと電話したらしいが、これが今回の件がはじまっていらい四回目で、停戦の要求もしくはうながしをさらに強い言い方にしたらしい。ネタニヤフはそれをうけても作戦を継続すると電話後に表明したらしいが、イスラエルとしてはハマスの戦闘力をなるべく削いで終わりたいというあたまがあるのだろうとのこと。ただ軍内部からはあと数日で作戦は終了するだろうとのみこみが出ているようだし、ハマス側も幹部のひとりがエジプトの停戦案をうけいれて数日内に終わるだろうと言っているようなので、たぶんそろそろひとくぎりにはなる。たたかいと爆弾の応酬が停まるのはひとまずよいことだが、ガザ地区と西岸の苦境はなにもかわらず、どころかもしかするとさらにひどくなってつづくわけで、それはちっともよくはない。今回の件でパレスチナ側がえられたものといって、なにもないのではないか。多数の建物が破壊され、そのなかにはことによると医療施設もふくまれていたかもしれず、また人間が死んだだけではないか。死者はイスラエル側が一三人、パレスチナ側で二三〇人とでていた。
  • 洗い物と風呂洗いをすませて帰室。茶をのんでから下。

 そういった過酷さに、ツイッターではなく、奴隷だった黒人たちは現在でも各地の街頭で「黒人の命を軽くみるな」(*: 音楽批評家のピーター・バラカンはBlack Lives Matterを、黒人の命も [﹅] (あるいはは [﹅] )大切、ではなくこのように訳した。)という抗議を示威するのだが、その一方私たちの国の芸能界では、新アルバム『存在理由』をリリースしたばかりのさだまさしが新聞のインタヴューに答えて、スピーチ・ライターの原稿を読みあげる安倍首相の発言だと言われても不思議ではない、美しく正しい日本を語る。
 「日本という国は、緊急事態宣言を出しても、欧米や中国のような強制力がないですよね。これ、人権が守られているってこと、自由の証しだと思うんです。自粛で感染拡大を抑えられるんだという、日本人の秩序を世界に見せたいですよね。これは自由を守るための闘いなんです [「自粛で」以下﹅] 。」(東京新聞5月10日)自分の発言や歌が世間への影響力を持っていると信じきっている者特有の自信にあふれた厚顔な無感覚である。

  • いったんきって、dbClifford『Recyclable』をながして手と足の爪を切った。すこしばかりやすってなめらかにしておくと、その後ベッドにころがってこの「重箱の隅から」の記事をまたよみつづける。

 「昭和史再訪」 [朝日新聞ʼ13〔平成25〕年12月14日] の記事を書いている記者は、もっと若いのかもしれないが、それでも当時の資料に多少目を通し、インタビューもして、ルポライター五島勉祥伝社編集者の企画で、雑多な資料を集めて2カ月で「ペラペラっと書いた」ということを記事にしている。もちろん、『ノストラダムスの大予言』 [1973年] を読んでみればというより読まなくても、それがトンデモ本であることは自明のことだったはずだ、と当時を知る者としては思うのだが、しかし、当時、終末ブームというか、終末論ブームがあったことは確かで、折からの地震予知ブームと重なった小松左京の『日本沈没』の映画化が「空前の大ヒット」だったと記者は書いているし、そうしたエンタメ系とは趣を異にする左翼・インテリ系とも称すべき作家たちが同人だった季刊雑誌『終末から』(筑摩書房)も刊行されたのだが、70年の終末論ブーム [﹅6] は、田中角栄の『日本列島改造論』(72年)に水をさされつつ、二度のオイル・ショックを経て80年代のバブルの中に消えていったと言うべきだろう。野坂昭如井上ひさし小田実埴谷雄高らが常連執筆者だった『終末から』は、82年に岩波書店から『岩波ブックレットNo.1 反核』として上梓された署名宣言「核戦争の危機を訴える文学者の声明」を境に、当時流行した文化人類学的知的文化人を再集合させた『へるめす』に姿を変え、筑摩書房の路線は『逃走論』(浅田彰、84年)や映画雑誌『リュミエール』(85年創刊)へと一時変更されるのだが、それはそれとして、朝日の記者が書いているように「70年代前半は東西冷戦のまっただ中」と言えるだろうか。72年の宗教的対立と植民地問題がからみあった北アイルランドの「血の日曜日」事件や、ミュンヘン五輪の「黒い九月」事件は後々まで続くが、72年にはニクソンの訪中、75年はベトナム戦争サイゴン政権の無条件降伏で終わり、80年にはポーランドで労組の「連帯」が結成され、やがて東西ドイツの統一、91年のソ連崩壊へとつながる兆候が色濃くなる時代と言うべきだろう。

 つい何カ月か前、テレビの天気予報(生活情報とも疑似科学的教養とも、無難なエンターテインメントとも言える)で、積乱雲のかたまりがいくつも重なってできる鉄床(かなとこ)雲の現象を視聴者の投稿写真で紹介していて、それは核爆発で生じるキノコ雲の形に似ているのだが、それで思い出したのが半世紀以上前、60年代前半の『美術手帖』に、アメリカの現代美術の紹介者であった前衛美術批評家が、芸術家の幻視者的能力について触れ、ヴィクトル・ユゴーの、今にして思えば鉄床雲に違いないデッサンを(多分、オディロン・ルドンの版画やポーの『大ガラス』やフローベールの『聖アントワーヌの誘惑』について触れ書いた文章だったろう)、ユゴーが核爆発を幻視的に予言していたのではないかと書いていたのを思い出した。ノストラダムス研究室主宰者によれば「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代」だったのだが、それはそれとしてこの場合、前衛美術批評家は雲の種類など知らない無知を根拠に、幻視者の見た予言的映像と思い込んで、大小説家の予言能力に魅惑されたのだったが、アートに「予言の力」があると上擦(うわず)って考えるのは今日の「現代アート」の状況においても変わってはいない。略して「ヨコトリ」と呼ばれる美術展「ヨコハマトリエンナーレ」について朝日新聞編集委員(大西若人)は「現代美術展で、企画内容や出品作品がコロナ禍や人種差別問題といった世界の「今」を、事前に見通していたのではないかと話題になっている」ことを踏まえて「現代アートには、「予言力」があるのだろうか」と書く(9月8日朝日新聞)のだが、これには五島勉の死によって思いおこされたノストラダムスが影を落としているかもしれないと、つい考え込んでしまう。「未来を察知したかのような言葉や表現。アートには予言力があると考えてよいのだろうか」と編集委員は思い、「ヨコトリの組織委員会副委員長を務める蔵屋美香横浜美術館長」が「ある討論の場」で「指摘した」言葉を引用する。「アーティストは、日常に埋もれた『しるし』を見つけて形を生み出すことで、現在を解釈し未来を占う、シャーマンのような存在かもしれない」。アーティストたちの、あまり深いとは思えない発言と作品の説明の後に編集委員は教訓を読み取った [﹅8] とでもいった調子で結論を書く。「アーティストたちは注意深く、日常の中で埋もれたものや見過ごされたものを見つめたり、角度を変えて見たり、過去に学んだりすることを通じて表現するため、結果的に未来の予言に映ること」があり「逆にいえば、私たち自身がこうした態度を身につけたとき、彼らの表現は予言には見えなくなるはずだ」。
 こうした態度 [﹅6] というのは、態度 [﹅2] というのもやけに雑な言い方だが何もアーティスト特有のものでも、ましてシャーマン [﹅5] のものでもなく、いわば歴史感覚と日常感覚をもって思考する常識的な人間の生き方ではと言うべきだろう。とは言え、たとえば2016年、アメリカを中心とした国際チームが初めて重力波を直接観測して「アインシュタインの残した宿題に決着をつけた」ことを報じる記事(毎日新聞2016年2月13日)に付された子ども向け(?)の解説コラム(「質問なるほドリ」)は、「重力波があることを100年前から予言していたアインシュタインって、どんな人?」「他にはどんな予言をしたの?」という素朴な質問に科学環境部の記者が「彼の予言」を説明するスタイルになっているのだが、アインシュタインの仮説だった理論が、なぜ予言と呼ばれるのか。私たちとしては、2013年のノストラダムス研究室主宰者の「70年代の日本は科学の進歩と迷信がまだ混然一体の時代でした」というのはもっと後年までだという気にさせられるというものである。

     *

 小説のような観念的物語にとらわれた作家(に必ずしもかぎらないのだが、私見によれば物語 [﹅2] を製造するアーチストたちであろうか)ではない人々の語る率直で冷静な言葉に、私は共感する。
 去年、設計事務所を解体した建築家の鈴木了二のインタビュー(「ローカル/ソシアル/異端」『GA JAPAN165』’20年7-8月)である。「無理矢理アゲている感じが露骨」な東京から久しぶりにいなくなる予定だったのに「コロナが来て」、「自分が籠もるつもりだったのに、世界が籠もってしまったわけ(笑)」で「人がいなくなった東京を、夕方、散歩する範囲で歩き回った」と鈴木の話すことは、予言とか河童とは関係なくあくまで具体的である。夢想する小説家とくらべる必要などないのだが、鈴木了二は人気(ひとけ)のない渋谷を散歩してカメラのシャッターを切り、「今が福島の時と違うのは、起きている事態がどの程度のことか、参照項がないから世界中で誰もわからないこと。みんな自分で考えて、ものを言わないといけないし、間違いもあるから翌日には修正する必要も出てくる」と語るのだが、無人の都市と福島を結びつけて語る言葉に、ここでようやく出会ったと言ってよいだろう。おびえと自足から発せられた非常時の予言の言葉 [﹅9] ではなく――。

  • そのあとちょっとだけ覗いた「予言について③」の冒頭には、「日本語では、と言うより辞書上の解釈では「予言」と「預言」は区別されていることを、恥ずかしいことに [﹅8] (と、本気で思っているわけではないが)つい先日はじめて知ったのだ」とあって、「恥ずかしいことに」といちおう韜晦して謙遜をよそおっておきながらわざわざ「と、本気で思っているわけではないが」とすぐさまつけたしてしまうそのふてぶてしさにわらってしまった。
  • 三時すぎくらいで尿意が満ちてトイレにいき、それを機に立って音読。なぜかJeff Beck『Blow By Blow』をながした。よみながら耳にしただけなのできちんとしていないが、"Cause We've Ended As Lovers"の名高いプレイはたしかに格好良いというか、流れ方とかチョーキングのニュアンスとか大したものだなとおもった。むかしコピーして多少弾けるようになったおぼえがある。半音でハンマリングとプリングをやりながらクロマチックでずっとおりていくところが有名だが、そういういくらかトリッキーなところより、単純にチョーキングをからめたロック的基礎フレーズがやはりよく弾けている。音読のかたわら、今日はダンベルをもたずに背面に手をのばして背骨のまわりをもんだりしていた。肩の付近も。もむ動作は手がうごくから読むほうにあまり意識がむかなくなるのだが。
  • そのあとここまで今日のことをしるして四時二〇分。

 さて、人のいなくなった都市空間というか、「緊急事態宣言下のまち」は、いわば新世代のジャーナリズムの好奇心をきわめて自然に刺激するのかもしれず、私の狭い知見のスペースには、同じような発想で『東京人』(8月号)の特集「緊急事態宣言下のまち」で何人かの書き手たちが東京の町を散歩する報告 [﹅6] を書く。写真集『新型コロナ――見えない恐怖が世界を変えた』(クレヴィス)はコロナ下における「世界50カ国の街と、人々の暮らしの変貌を、210点余の写真で一望する」のだが、それらの写真はテレビのワイド・ショーやニュース番組で一時期は毎日のように紹介されていた世界の映像と重なる既視感をにじませたおなじみの報道写真にすぎないのだが、ウィルスを見えない恐怖 [﹅6] と言うのであれば、津波に押し流されて瓦礫となった廃墟と、はるかに上回る恐怖であろう放射能汚染にさらされてまったく人気のなくなった町――牛や駝鳥は取り残され、たとえば生協の雑誌に「放射能のせいで耳のないウサギが生まれた」というような記事が載ったりした恐怖 [﹅2] ――の映像 [﹅3] を、新聞やテレビの画像として何度も眼にした時から、まだ十年にもなっていないのだ。多分、予言的世界観に未来の展望を見る人々は、確かに見た(もちろん、映像 [﹅2] にすぎないのだが)はずのことさえ、奇妙なことに忘れて未来の映像の予感 [﹅8] にうつつを抜かしてしまうらしい。

     *

 コロナのパンデミックによってヨーロッパで最初に都市封鎖がおこなわれたのがイタリアの都市だったせいで、ロッセリーニを含めて何本かのイタリア映画を思い出すことになったのだが、それについて書く前に、テレビの画面に何度も映し出されたイタリアの都市部の広場を囲むようにして建てられた新旧の石造りを含めた高層住宅に住む人々が、同じ時間にテラスや窓辺で医療従事者に感謝と尊敬の気持ちを伝える拍手を送るという出来事に触れておきたい。拍手や歌声が広場を囲む建物の壁に反響して大きな重層的な音となり、よく言われることだが、西洋の都市における広場の持つ意味を改めて考えた者も少なくなかったはずである。
 しかるに、というオヤジっぽい言葉が思わず出てしまうのだが、医療従事者に感謝の意を表すためと言うより、それを名目に、日本の防衛大臣は何をしたか?
 首都の上空に爆音をたてて自衛隊の五機のブルー・インパルスを飛ばし、都下の市民たちは、無料(ただ)の航空ショー(オリンピックの開会式には飛んだであろう)を見せてもらった気になって、医療従事者ではなく、自衛隊ジェット機に拍手を送ったのだった。

 「今回のコロナは、全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ、そのリスクに全体でどう向き合っていくかという問題」としての「平等」なのだと語る中島岳志のインタビュー記事 [ʼ20年5月20日朝日新聞] と同じ日の紙面に、パリ郊外の移民の多い地区 [セーヌ・サン・ドニ県] での、コロナ死者数が「不平等が感染拡大を助長したと指摘されている」という記事が載っていることを、前回引用したのだが、言うまでもないことではあるけれど、ウイルス自身には平等も不平等もありはしないが、ウイルスの引きおこす結果としての病気には不平等と差別がつきまとう。
 中島のインタビューでの発言の載った前後の新聞報道では、アテネ郊外のシリア難民キャンプの劣悪な衛生状態から感染拡大の危機が伝えられ(もっとも、その後を伝える記事は載っていないが)、20年4月12日の朝日新聞には、アメリカの様々な州で、黒人やヒスパニックといったマイノリティーの死亡率の高さが明らかになっているという記事が載っている。ワシントン・ポストの分析によると「黒人が多数を占める郡は白人が多数の郡に比べ、感染率が3倍、死亡率は約6倍」で、「背景にあるのは、社会的格差と言われてい」て、「普段から医療が十分ではなく、貧富が原因となる糖尿病や心臓病、ぜんそくなどの基礎疾患を持っている割合が多」く、ブルッキングス研究所のレイ研究員は「彼らが不摂生というわけではない。身の回りに健康でいるための資源が不十分なのだ」とコメントし、在ニューヨークと在ワシントンの記者は、そうした状況には「職業も関係する」と続け「米国はマイノリティーがバス運転手や食料品店の店員、ビルの管理人など、社会を支える「必要不可欠な職業」に就いている割合が高い」という。
 5月5日の記事では、いつの頃からか訳語を作らず「エッセンシャル・ワーカー」と呼ばれるようになった職業に就く黒人たちは「「休めない」黒人たち」と呼ばれて「首都死者の8割」であることが見出しで示されていたし、にせ札を使用した容疑で警察に拘束され首を押さえつけられて窒息死した黒人の事件から端を発したブラック・ライブズ・マター運動には、警官による圧殺だけではなく、当然、コロナの感染死に黒人の割合が突出していることが含まれてもいたはずだし、同じ頃、ワールド・カップの元コートジボワール代表でチェルシーで活躍していた頃は好きになれなかったタイプの選手だったドログバと、元カメルーン代表でバルサの選手だったエトーは、フランスの医師のコロナワクチンの治験はアフリカでやるべきではないか、という発言に対して「アフリカの人々をモルモットのように扱うな」「ふざけるな。アフリカはおまえらの遊び場じゃない」と猛烈に抗議している。フランスのテレビ番組でパリの病院の医師が、挑発的な発言が許されるなら、とことわりつきで「一部のエイズ研究における売春婦を例に挙げ、新型コロナウイルス対策が進んでいない地域でワクチンの治験を進めるべきだ」と発言し、別の医師も同調したという小さな記事の切り抜き(東京新聞なのだが、日付が書いていない。おそらく20年4月だろう。記事には、’14年のブラジルW杯で、日本代表選手にドリブルを邪魔されているドログバのカラー写真が載っている。W杯などではなく、もっとちゃんとしたプロ同士の競りあいの写真を選べよ!と、言いたい)を読んでも、コロナが「全世界的に平等に降りかかり、階層も関係なく命の危機にさらされ」る病気とは思えないではないか。

  • 金井美恵子のコラムをまたよみ、五時過ぎで上階へ。母親にいわれたとおりチンゲンサイをゆでる。一枚ずつ葉をはがしていき、洗い桶にいれて水にさらす。はがした葉の内側にあたるほうの下端のほうに土らしき黒いものがほんのすこしだけ付着しているものがおおかったので、一枚ずつ指でこすってあらいおとしておく。そうしてフライパンに沸かした湯に投入。あと大根とニンジンとキュウリを洗い桶にスライスするだけの簡易なサラダ。途中でチンゲンサイをザルにあげ、水洗いしておき、スライスがおわったのち、ちいさめに切り分けてパックにいれ、醤油とマヨネーズとからしであえた。それでもうやることは終了。外のポストから夕刊をとってきて、そのまま食事にはいったはず。カレーがあったので。あと前日にこしらえた肉の炒めものものこっていたのでそれもいただいた。夕刊はイスラエルハマスの停戦をつたえていたのと、あと少年法改正案が可決される見込みというのと、米国でアジア系へのヘイトクライムを防止するための法案がバイデンの署名によって成立したという報があったはず。少年法改正案というのは、じきに成人が一八歳になるらしいのだが、一八歳と一九歳は特殊少年みたいなくくりで少年とおなじあつかいにはせず、かといって成人とおなじあつかいにもしない、みたいなかたちになるよう。たしか家裁から検察へおくる犯罪の範囲が拡大されていままではひとを殺したものだけだったのが禁錮一年以上とかになって、強盗とか放火とかもおくれるようになり、かつ、起訴されたあとは実名での報道も許可される、というはなしだったとおもう。
  • 食事をおえてかたづけたあとは下の記事をよんだらしい。

Harry Spiro was eight years old when World War Two began in 1939. He was the only member of his family to survive the Holocaust.

(……)

Harry spoke with his grandson Stephen Moses about what life was like during the holocaust and how he feels more than 70 years on.

     *

Harry is from the Polish town of Piotrkow, which in October 1939 became the first ghetto set up by the Nazis in Poland.

(……)

Harry recalls: "I remember the first announcement they made saying every Jew had to wear an armband with a yellow star of David and in it was written 'Jew'. It didn't mean much to me.

"Next they put out notices saying any Jew who would step outside will be shot."

     *

"The soldiers were patrolling the streets with their dogs. The dogs were trained to get the Jew. You didn't have to do anything - if you were two or three people standing or talking the orders would be given - get the Jew.

"Very often they would do it for their own enjoyment and I would think it was very strange the Germans were laughing and terrorising us kids.

"They did it to put fear in the community and they certainly succeeded," Harry tells his grandson, Stephen.

"Within a few weeks they rounded up some lawyers, doctors and community leaders. In total about 25 people and the Germans shot them.

"There was no reason or explanation. Very few people saw [it happening] but you saw the dead bodies.

"They didn't bury the dead right away, that was very disturbing. People were asking, 'Why?' but nobody had the answer.

"We accepted it. The people accepted it. You couldn't do nothing about it, but you kept on."

     *

Harry believes his survival was down to luck. He was brought to a number of concentration camps including Rehmsdorf and Theresienstadt.

"On a daily basis, whenever I'd go in the wash room you always had bodies on the floor. Very often, I saw a body laying on the floor who didn't finish their ration of bread. I felt it was my lucky day - I got hold of [the bread] and ate it.

"I never felt ashamed of it or sorry for the guy that was dead. This was on a daily basis and it was really bad."

     *

Towards the end of the war Harry went on what is known as a 'death march' from Rehmsdorf camp to Theresienstadt.

"They got hold of us all and we had to start walking," he says.

The German soldiers, with their Jewish prisoners, were trying to outrun the Russians, who were trying to free the Jewish captives.

"Sometimes you got a potato and a coffee or something hot and you'd start marching. People on that march died purely and simply from starvation or being shot."

German soldiers killed people who were too slow to keep up with the march.

"We arrived with 270 of us out of 3,000, the rest were killed or had died. It must have been just outside the camp, I remember my head going around and I fainted and I don't remember at all what happened to me."

     *

"I know we were liberated and I was in a hospital and a friend of mine came looking for me. he said, 'Come on let's go out and play in a square, the Russians have liberated us.'

"The first thing I did with my friend, we went to the gate of the concentration camp and we said to the Russians outside that we'd like to go into town.

"He said we'd notice a lot of captured Germans that were being marched to wherever and he [gave us] permission to do whatever to the Germans for 24 hours."

Harry didn't want revenge on the people who had made his life, as he calls it "hell on earth".

Instead he says: "The only thing I was interested in, and so was my friend, was to stop the Germans, open their rucksack and take out whatever was edible.

"I took out only the chocolate."

  • そういえば、朝刊に、『ベルセルク』の作者(たしか三浦建太郎といったか)の訃報が載っていたのをおもいだした。
  • ほかにこの日のことで印象にのこっていることといってさしてないのだけれど、書抜きをできたのがよかったのと、Brandon Ambrosino, "How and why did religion evolve?"(2019/4/19)(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve(https://www.bbc.com/future/article/20190418-how-and-why-did-religion-evolve))をすこしだけよんだのと、深夜にFISHMANS『98.12.28 男達の別れ』をきいたことくらいか。FISHMANSはひさしぶりにきいたがやはりすごく、佐藤伸治があの声とうたいかたで成立してしまったというのはやはりすごいなとおもった。ほとんど奇跡的ではないかとすらおもうのだが。あの声と歌でもって成立する音楽を発見したというのと、なおかつそれがこのうえないものになっているというのが。柏原譲のベースもすばらしく、茂木欣一はそんなに派手ではないけれど、このひとたちはたぶんだいたいなにやってもくずれないんだろうなとおもった。ベースがはいってくるタイミングとかにそれをかんじる。ここからはじまるの? という。あと微妙にノリをずらすというか、譜割りには表出されないだろうこまかな前後の揺動みたいなことを柏原譲はよくやっているので。
  • FISHMANSをきいた時点でたしか二時すぎくらいだったとおもうのだが、そこから歯をみがいたのち、短歌をひさしぶりにかんがえた。日記いがいになにかしらのことばを生産する時間をやはりとらねばというわけで、翻訳か詩作かなのだが、なんかどっちも面倒くさかったので、ちいさな形式にするかと。しかし時間をつくったわりにできたのは「炎とは生誕未満の比喩だからあなたも溶ける意味の輪廻へ」というものだけで、そんなによいものでもない。とはいえじっと集中してことばをさぐる時間をとれたことじたいはよいことだ。三時ちょうどに消灯して、いぜんメモしておいた詩案をひとつあたまのなかにいじりながら就寝。

2021/5/20, Thu.

 アペイロン(無限なもの)ということばを使用した、はじめての哲学者であるかもしれない、アナクシマンドロスは、タレスが見てとったものを、べつのことばで語りなおそうとしていたと考えることもできる。タレスが見ようとしていたのは、自然の移りゆきのすべてを、無限に超えたものであり、アナクシマンドロスアルケーとしたものは「アペイロン」つまり際限のないもの、無限なものであったからである。いわゆる自然学者たちの著作が、おしなべてその名をもっていたとつたえられるように、『自然について(ペリ・ピュセオース)』と通称される、その著書については、数行の断片が現存している。
 なかでも、シンプリキオスのアリストテレス註解に由来する、ニーチェハイデガーが注目した有名な断片がある。ディールス/クランツにしたがって引用しておく(断片B一)。

 存在するさまざまなもののアルケーはト・アペイロンである。〔省略〕存在するさまざまなものにとって、それから生成がなされるみなもと、その当のものへの消滅もまた、必然に(end10)したがってなされる。なぜなら存在するそれらのものは、交互に時のさだめにしたがって、不正に対する罰を受け、つぐないをするからである。

 ひとまず読みとられることは、断片の著者は、タレスが水であると考えたアルケーを、水とは考えず、また土とも火とも、風とも表現せず、無限定的なもの、無限なもの、つまりはト・アペイロンとした、ということである。特定の質をともなうアルケーであるなら、たとえば水であるならば、それは冷たく、またときに暖かい。暖かいものは、「時のさだめにしたがって」冷たいものへと移ってゆく。アナクシマンドロスが語っているものは、寒さと暑さ、昼と夜、雨季と乾季のように、あるいは火と水のように交替して、一方が他方に置き換わってゆく自然のなりゆきであったように思われる。そうであるがゆえに、アルケーそのものは、相互に対立する性質のどちらかに限定されてはならない(アリストテレス『自然学』第三巻第五章)。それは、無限定的なもの(indefinitum)でなければならないはずである。
 (熊野純彦『西洋哲学史 古代から中世へ』(岩波書店、二〇〇六年)、10~11)



  • 起床はおそく、ほぼ正午ちょうどになってしまった。さくばん一時ごろに(……)から携帯にメールがきていて、風呂からかえってきたあとにそれを発見し、その場で返信をつくりながらおくらずにいたのだが、それをここで起きてすぐにおくっておいた。(……)はChatPadでしりあったあいてと結婚していまは群馬にいるらしい。ChatPadでであった人間と結婚までいくのは笑うが、そういいながらも祝福し、俺はあいかわらずの穀潰しぶりだとのべておいた。返信はすでにきているが、五時前現在、まだ再返信はしていない。離床がおそくなったので瞑想はサボって部屋を出、階段下の父親にあいさつして上階へ。母親は仕事で不在だが、今日は一二時までとかいっていた。洗面所でうがいなどして、ハムエッグをやいて米にのせて食事。新聞は、きのうもみたが、愛知県知事へのリコール活動で署名が大量に偽造されていた件。先に、これもきのうの夕刊でみたが、エジプトがイスラエルハマスを仲介して停戦案を提案し、ハマスはだいたいのところ受け入れているもよう、という記事をよんだ。一部受け入れを否定する幹部もいるようで、また、時期については合意していないという言もあるようだが、それでもいちおう終息の方向にむかうか? というかんじの文調。イスラエルの軍部からも、作戦はあと数日以内に終了するだろう、という声があるようだし。それにしても、この記事には数がのっていなかったので現時点での被害数が不明だが、きのうおとといあたりではガザ側が死者二〇〇人をこえたのにたいしてイスラエルは一〇人少々だったわけで、軍事力や戦略性のおそらく明白な格差とか、四八年以来の歴史とか、この数の非対称性についてはうーん、といろいろおもってしまう。
  • 愛知県知事へのリコール署名偽造にかんしては、きのうの昼のテレビのニュースですでにつたえられており、夕刊をよんだが、そこからさほどあたらしい情報はたされていなかった。田中孝博という元県議が事務局長をつとめ、高須克弥が会長をやっている愛知県知事一〇〇万人リコールの会みたいな団体が広告関連会社に依頼して署名をあつめていたが、そうしてあつまったとされた四二万だか四三万五〇〇〇筆だかのうち三六万二〇〇〇だったか、八割以上、八三パーセントくらいが不正とみなされ無効になるものだったというはなし。ただの阿呆だろう、とおもうが。バレないわけがないし。この件は何か月かまえにも佐賀県でアルバイトをやとって、署名の期限が切れたあとに名簿の書き写しをさせた、と報じられていて、そのときじっさいにそこではたらいたひとの証言もつたえられていた。田中孝博とその妻と息子と、団体幹部の四人が地方自治法違反で逮捕されたらしいが、佐賀県の現場には妻と息子がたちあっていたらしく、また、労働者は、この現場内でやったことを外部にもらさないという誓約書も提出させられたという。大村秀章知事は民主主義を破壊する暴挙であるといきどおりを表明しており、そのようすはきのうの昼のテレビでみかけた。高須克弥と組んでこの団体活動の発端となり、その後も応援をしていた河村たかし名古屋市長は、じぶんも長年政治家をやっているのに、署名偽造に気づけなかったことはなさけなく、きちんと正当に署名してくれたひとたちに申し訳ない、といっている。田中孝博は河村たかし名古屋市内の焼肉店でよく会って、そこで活動の報告を受けていたらしい。田中孝博自身はむろん、広告関連会社に依頼をしたのは事実だが(という点にかんしても最初は否定していたらしいが)、偽造を指示したことはまったくない、といっているらしいのだけれど、団体内部のひとの証言として、署名を水増しする策がみつかった、知り合いの広告会社がやってくれる、といっていた、というはなしがでているようなので、まあふつうに責任者としてしらなかったわけがないしたぶんふつうに指示もしているだろう。きのうの夕刊には、この件は団体内部の人間から不正のうたがいがあると選管のほうにうったえがあってそれで調査がはじまったとかいてあったが、それは、あ、そうなんだ、というかんじ。
  • 今日の天気はくもり。ほぼ雨みたいな色合いの空気だが、食卓から南窓をみとおすかぎりではいまは雨は降っていないもよう。ガラスのむこうのしろい大気に振動がみうけられなかったので。カラスなりなんなり、鳥たちがしずかな空間のなかで鳴いているのが散発的にはっきりときこえる。食器をあらうと風呂場にいって浴槽ほかをこすり、でるといったん帰室。コンピューターを準備してから茶をつぎにいった。寝間着姿の父親はカップ麺で飯をすませるところで、何食ったのときくのでハムエッグとこたえる。テレビはなにやら、雅楽でもないが、舞台上で笛が吹かれたあときちんとした、肩のあたりが左右につきでたような袴姿の男性たちがひくい声音でなんとか唱和する場面のドラマがやっており、これあたらしいNHK連続テレビ小説なのかなとおもったが、たぶんそうだったようだ。その笛というのが、西洋的音楽理論になれた耳からするとなんともはっきりしない、そちらの意味での旋律、というものがまるでないような、平均律の海にうかぶ島々のあわいをくぐってどこにも到着しないままほどけていく軟風のような、吹き奏でるのではなくてただ鳴らしているだけみたいな吹きぶりで、いややっぱり雅楽とかの方面ってぜんぜん原理がちがうなとおもった。
  • 帰室すると一八日のことをみじかく書いて完成。そのあと、『ギリシア悲劇Ⅱ ソポクレス』(ちくま文庫、一九八六年)をよみつつベッドでだらだら。「アンティゴネ」にはいっている。訳者は呉茂一。このひとは『イリアス』とたしか『オデュッセイア』の訳も平凡社ライブラリーからだしていたはずで、ふるめかしくて格調高いとかいう評判をきいたことがあるが、たしかにややそんなかんじはないではない。口調というか、はしばしのことばづかいなど、こちらからするとはまりきっていないようにかんじられる部分もないではないが、ただ一方で、ここはうまくいっているきがする、という部分もみられて、独特のニュアンスがあるのはたしかなので、はまりきっていないようにおもわれる部分は問題ではないのではないか、とおもう。167までいってきったのだが、ここでコロスが、「不思議なものは数あるうちに、/人間以上の不思議はない、」とかたりだしており、これはたしかハイデガーがとりあげた有名な部分だったはず。「不思議」と訳されている語をハイデガーはたしか「不気味」みたいな語としてとらえて論述したのではなかったか? 主題としてはあきらかに国家と個人もしくは「身内」、国家の法や権限と個人としての権利、という対立があるのだが、アンティゴネが拠るのも、クレオンが国家より下位としておとしめているのも、「身内」という語なのがやや気になる。
  • あと、156のコロスの歌のなかに「金色 [こんじき] の昼の眉輪が、ディルケの流れにかかって」という一行があり、この「眉輪」がめずらしい語だなと目にとまった。流れからして太陽の比喩だとはわかるのだが、なぜ眉輪なのか。そもそも「びりん」なのか「まゆわ」なのかよみかたすらわからないのだが、いま検索したところ、おどろくことに一般的な語ではないようで、用例や意味がでてこない。でてくるのは眉輪王 [まよわのおおきみ] という記紀上の人物と、それを題材にした野溝七生子『眉輪』という小説のみ。この作家ははじめてしったが、なかなかおもしろそう。眉輪の比喩の内実はわからないが、ここでは単純に川面にうつるひかりが眉のように弓状にしなったかたちにみえるということなのだろうか?
  • そののち、「英語」を音読。ではなかった、先に音楽をきいたのだった。ヘッドフォンをつけてころがり、The Carpenters『Their Greatest Hits』。あらためてきいてみるとやはりアレンジがすごく、どの曲をとっても非常にカラフルで細部までくまなく行き届いている。このうえなくポップで流通的なのだが、甘いとしても甘ったるさに堕していないのがすごい。基本的にはストリングスと分厚いコーラスで攻める曲がおおいし、"Superstar"とか"This Masquerade"とかはかなり甘ったるいほうの、濃厚なタイプの曲だし、もっとどろどろなってしまってもおかしくない気がするのだが。George Bensonではやはりこうはいかないのでは。ポップスだからもちろんたぶんに情緒的・情念的ではあるのだけれど、だからといって聴者をあおりたてるような、きく者におもねるようなかんじがないのがすごい。下品さがふくまれていない。それはやはりとにかく多彩な装飾によって音楽がすみずみまでつくりこまれているのと、ミックス・録音による各部のトーンのバランスと、あととりわけたぶん、カレン・カーペンターの声と歌い方によるところがおおきいのではないか。声色自体もやたらきめがこまかくてなめらかだし、うたえばずいぶんのびやかにながれるのでわりとビビる。ポップスの楽曲としては洗練の極みみたいなもので、この音楽をつくった主体たちはなによりもまず徹底して音楽のほうをむいているという印象で、奉仕心とまでいうとおおげさにすぎるかもしれないが、個々の楽曲のもっているポテンシャルを最大限にはぐくんで花開かせようというこころづくしというか、音楽自体にたいするいつくしみといたわりの念みたいなものを音の様相自体がしめしているようにおもわれて、そこが感動的である。こちらはいつも好きなものにたいしてそういう評価ばかりするというか、そういう印象をあたえるものばかり好きになってしまうのだが。つまり、音楽であれ小説であれ言語であれ、提示されている対象をつくり手である主体よりもおおきな概念として措定して、じぶんよりもそちらのほうを信用しているというか、それにくらべればつくり手やひとりの人間など矮小なものだと確信しているタイプのものというか。それはけっきょく、神たる超越につかえる宗教者のもつ宗教性と敬虔な奉仕心へのロマンティックな憧憬のようなものなのだろう。ただそれだけでもないというか、そちらに全面的にかたむききっているわけでもなく、たとえば磯崎憲一郎なんかは典型的に作者よりも小説のほうがはるかにおおきなもので、小説言語自体のもっている論理とか原理とかに最大限したがうことをめざしている、みたいなことを、いまはどうかしらないがむかしはよく表明していたとおもうのだけれど、そういういいぶんはむろんわかるにしてもなんかそっちに乗り切れるというわけでもこちらはない。かといって作品を実存の表出のための道具にするというのもこのまないし、とくにやりたいわけではない。べつになにがやりたいといってそれもないのだが、ただそこでやっぱり古井由吉はすごかったのだなあという気はしてくるもので、彼のばあいは彫琢しまくってできるところまでは統御しようとするのだけれど、小説作品など最終的にはつくり手のどうにかなるものではないということを明確に前提として理解しているから、詰めて詰めてつくりこんでいった先ではじめてふと招来されてくるものをたまさかつかむというか受け止める、というかんじだったわけだろうおそらく。それはたぶん、ムージルからまなんだことを古井由吉として咀嚼し実行したということではないかという気がするのだが。
  • 音楽をきいたあと、音読。「英語」を443から457。例によってダンベルももつ。四時ごろまでよみ、そのあと書き抜き。とにかく書き抜きをすこしずつでもやらないとやばいし、先にやらないと一日のあとのほうになるとやる気がでなくなるので。熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)を二箇所。Carpenters『Horizon』とともに。四時半ごろからこの日の記述にはいって、五時二〇分くらいまで書いて切り、上階へ。母親はソファで意識をうしなっていた。めざめながらわたしてくるのをみれば本で、世界の絶景みたいなやつとか、世界のかわいい本の町、みたいなタイトルのもの。図書館に行ってきたのだろうか。ベランダの軒下にすこしだけ吊るしてあるものをいれてくれといわれて戸口に寄ったが、ガラス戸をひらけばこのときは雨がけっこう降っていて、こまかいという以上の粒の明確な雨だった。それでアイロンかけ。そのあと料理。例によってタマネギとブナシメジをあわせて豚肉を炒める。母親はもうひとつのコンロで煮物。コンロが不定期にピーピーアラームを鳴らすようになっており、これはおとといくらいの深夜に夜食をとりにいったときにこちらははじめて遭遇し、なんの法則性もなく気まぐれにピーピー鳴るので、心霊現象のたぐいか、低級なしょぼい霊によるささやかなポルターガイストかともおもったが、なぜなるのかいまだによくわからない。こちらが見たとき、いちばん最初は電池切れをしめすごくちいさなランプが赤く点灯していたのだけれど、それがすぐにきえて、そうして無規則なタイミングで鳴るようになったのだ。いまもランプはついていないのだが、電池をはずせば音はでなくなるもよう。なにかしら接触がわるくなったのか。火がついているあいだに鳴ることもあった。ともかくそういうコンロで料理し、完成するとそのまま食事。夕刊でまた署名偽造の件をよむ。田中孝博が不正を認識していたらしい証言が複数でてきているようだが、いわく、リコールを問う住民投票要求の署名は、必要数にたっしていなければ精査されずに返却されるから偽造されてあっても大丈夫だ、といっていたらしい。愛知県知事リコールに必要な署名数は八六万だったかそのくらいだったようで、田中孝博としては、必要数にたっしなくともある程度の数があつまらないと実績がつくれないということを漏らしていたようで、また逮捕前の読売新聞の取材には、広告会社に依頼をしたのは、署名が一定数あつまらないと高須会長に恥をかかせることになってしまうとおもったから、ということをいっていたらしい。あと朝刊から枝野幸男が文春新書で政策プランや国家構想をしめした新著を出したというはなしをよんだ。ただ実現可能性に疑問符がつくものがおおく、日米同盟を基軸とするという部分は共闘相手の共産党が受け入れられないところで、志位委員長がそのあたり一致しないとといっているというが。記事の最後が、枝野幸男はこれは党としての政策表明ではなく、自分個人の理想やかんがえを提示したものだと言い、「はやくも予防線を張った」という言い方でおわっていて、そういう段落とそういう文でしめるあたりちょっと意地悪なかんじがして、わずかばかり印象を誘導している気配がないでもなくて笑ったが。やはり読売新聞なので野党には厳しくということなのか?
  • 食事をおえたときにテレビでは料理番組がやっており、実山椒をつかった牛肉の炒めものみたいなレシピで、実山椒ってどこで売ってんの、とか、山椒ってどこに生えてんの、山にふつうに生えてんの? サンショウウオのいるところに生えてんのかな、サンショウウオってなんでサンショウウオっていうの? とかおもいつくままに問いを投げたのだけれど、明確な解はとくにない。ただ山椒自体はそのへんにも生えてるよ、ということで、我が家のすぐそばにあっていぜんとったという。しかしそれはふつうの山椒というか葉山椒というやつで、その種にも実はつくがすくなく、実山椒というのはべつの種類の木で、もっと実がたくさんついて香りや風味も特有のものなのだという。ぜんぜんしらなかった。サンショウウオといえば井伏鱒二をおもいださずにはいられないが、井伏鱒二はまったくよんだことがない。大江健三郎がたしかノーベル文学賞を受賞したときに、井伏鱒二大岡昇平安部公房が生きていたらじぶんではなくて彼らが受賞したでしょう、みたいなことをいったと記憶しているが。
  • 食後、洗い物をかたづけて帰室。今日のことをここまで書くと八時。今日はあときのうの日記をしあげたいのと、書見をすすめたいのと、からだをすこしだけでもうごかしたいのと、英語をなにかしらよみたいくらいか。
  • たしかそのあとは、「記憶」の音読をして、ストレッチのたぐいを少々おこなったのだったか。風呂のまえにHenryk SzeryngJohann Sebastian Bach: 3 Partitas for Solo Violin』をきいたおぼえがある。ヴァイオリンの独奏。ヴァイオリンにせよクラシックにせよききつけないから、この演奏がすばらしいものなのか、すごいものなのか、判断基準がこちらのなかにない。まったくミスなくかろやかにとびまわって音をつなげていくさまはすごいし、高音部までたっしたときのニュアンスなどは印象的だが、クラシック音楽の演奏者のなかでどれくらいの、どういう位置づけになるのかがまるでわからん。このひと個人についてもなにもしらないし。くわえてやや意識があいまいになってもいた。半分くらいきいて入浴へ。(……)
  • 風呂をあがったあとはたしか日記をかいたりだらだらしたり。そんなにおおきなことはやっていないはず。日記はきのう、一九日のぶんまでしあがってよろしい。深夜、Niamh Hughes, "The daring nun who hid and saved 83 Jewish children"(2020/9/6)(https://www.bbc.com/news/stories-54033792(https://www.bbc.com/news/stories-54033792))をよんだ。Jules-Geraud Saliègeという、ナチに抵抗したフランスの数少ない聖職者たちのうちのひとりの名を知る。

The "free zone" in the south of France did not live up to its name. The government of Marshal Philippe Pétain, based in Vichy, passed anti-Jewish laws, allowed Jews rounded up in Baden and Alsace Lorraine to be interned on its territory, and seized Jewish assets.

On 23 August 1942 the archbishop of Toulouse, Jules-Geraud Saliège, wrote a letter to his clergymen, asking them to recite a letter to their congregations.

"In our diocese, moving scenes have occurred," it went. "Children, women, men, fathers and mothers are treated like a lowly herd. Members of a single family are separated from each other and carted away to an unknown destination. The Jews are men, the Jewesses are women. They are part of the human race; they are our brothers like so many others. A Christian cannot forget this."

He protested to the Vichy authorities about their Jewish policy, while most of the French Catholic hierarchy remained silent. Out of 100 French bishops, he was one of only six who spoke out against the Nazi regime.

     *

The convent [the Convent of Notre Dame de Massip in Capdenac] ran a boarding school and Sister Denise [Bergon] knew it would be possible to hide Jewish children among her Catholic pupils. But she worried about endangering her fellow nuns, and about the dishonesty that this would entail.

Her own bishop supported Pétain so she wrote to Archbishop Saliège for advice. She records his response in her journal: "Let's lie, let's lie, my daughter, as long as we are saving human lives."

By the winter of 1942, Sister Denise Bergon was collecting Jewish children who had been hiding in the wooded valleys and gorges of the region around Capdenac, known as L'Aveyron.

As round-ups of Jews intensified - carried out by German troops and, from 1943, by a fascist militia, the Milice - the number of Jewish children taking refuge in the convent would eventually swell to 83.

     *

The children's lack of familiarity with Catholic rituals threatened to expose them, but an explanation was found.

"We came from the east of France, a place with many industrial cities and a lot of workers who were communists," says Annie. "So we posed as communist children who knew nothing of religion!"

  • 寝るまえにHigh Five『Split Kick』を少々。Fabrizio Bossoがやはり圧倒的なうまさだなとおもう。安定感とよどみのなさがすごい。それを受けて立つとなるとテナーのDaniele Scannapiecoがどうしてもすこしばかりみおとりしてしまうような気がするのだが、そういう印象をえたのは"Split Kick"のソロだけで、ほかの曲ではそうでもなかったようだ。ただフレージングの明朗さは、テナーとピアノのLuca Mannutzaとくらべても、Bossoが随一だろう。トランペットという楽器の性質や音域もあるだろうが。