2021/9/4, Sat.

 2  前項の末尾にひいた引用 [『時間と他者』] にもどる。――レヴィナスは、まず「時間」は「孤立し単独な主体にかかわることがら」ではない、とかたりだしていた。時間がとりあえずはむしろ内面的で主観 [﹅] 的な現象としてとりだされることを前提とするかぎり、この断定は自明ではない。じっさい、アウグスティヌスに先だってアリストテレスもすでにまた、『自然学』にふくまれた時間論の末尾で、こころと時間の関係という問いを立てていた [註54] 。レヴィナスにちかいところでいえば、たとえばベルクソンの時間論はまさに、空間化さ(end170)れ客観化された時間にたいして、内的に体験される「純粋持続」を手繰りよせようとするこころみである。レヴィナス自身がたかく評価するように、それは「時計の時間の第一次性を破壊する [註55] 」作業であったのである。とすれば、時間をたんなる内面性に封じこめないために辿られる理路こそがむしろ問題となる。
 他方ではこれにたいして、時間はそれじたい社会的に、あるいは共同的にかたちづくられる「観念」であり、「表象」であるとする立場がありうる。特定の共同体における生のかたちはたしかに、成員の時間のとらえかたにふかい影響をあたえうる。ひとはこの次元で、たとえば循環する時間について、一方向的に流れる時間について、あるいは単一な時間や、複数的で多形的な時間にかんして、そのなりたちと由来とを問題とすることもできるであろう [註56] 。――共同体がさまざまな時のかたちをさだめうるのは、そもそも時刻 [﹅] も時間 [﹅] も、ひととひとのあいだがら [﹅5] に根ざすものであるからである。ひとの生にあって公共的に反復されることがらが、たとえば起床・食事・就寝が、また種まき・草とり・収穫が、時の区切り目としてえらびだされ、時刻となり季節となる。ひとはまた、他者と出会うべき時までのあいだを測り、間 [﹅] がないといい、間 [﹅] に合わせるという。このような時のあいだ [﹅3] はそのまま一箇のひとのあいだ [﹅3] であって、時間はたしかに人間 [﹅] 関係によって「区切られ整序され」(前出)てゆく [註57] 。
 レヴィナスにあっては、だが、「時間についてのわれわれの観念ではなく、時間それ(end171)自体が問題なのである」。時間それ自体とは、そしてレヴィナスによれば「主体と他者との関係そのもの」にほかならない(同)。時間にかんする「社会学的」な説明があやまりであるわけではない。時間そのものが他者との関係 [﹅2] の次元に根ざしていることこそが問題なのである。講演の論点をかんたんに辿っておこう。
 〈私〉とその現在が、たんにある [﹅2] こと、匿名的にあることを切断する。たんにあることは〈私〉のなりたちとともにあるもの [﹅4] となる。レヴィナスのいうイポスターズとは、単純にいえば、ことのこのなりたちにかかわる消息にほかならない。単独なこの〈私〉とともに成立する現在は、しかしいまだ「時間の要素」ではない。現在とはここでは「自己から到来するなにものか」である [註58] 。過去とむすばれず、未来へとひらかれていない現在は、なお時をかたちづくってはいない。それは〈私〉がとりあえず端的な同一性、みずからのうちで鎖 [と] ざされた同一性であるからである。その意味で、時間は孤立し単独な主体 [﹅8] からは生成しない。
 この同一性は、あるいは主体によるみずからの存在の支配は、しかしやがて破綻する。この破綻こそが、他なるもの [﹅5] の到来にほかならない。同一性を解れさせるものは、ひとつには私の死 [﹅3] である。死において私はもはや私の主人ではなく、生は私の手のなかで毀れてゆく。〈私〉はなんらか絶対的に〈他なるもの〉にたいして曝されているのである。
 私が死ぬということは、「その存在そのものが他であること(altérité)であるような、(end172)なにものか」と、〈私〉が関係しているということである [註59] 。死とは「他性」そのものなおんだ。――死は不可避的に到来する。死は、だがけっして現在には回収されない。死をいま [﹅2] 予感することは死ぬことそのものではない。死は、私がそこに居あわせる経験 [﹅2] ではありえない [註60] 。その意味で死は絶対的な未来である。現在と地つづきな未来、予期される未来ではなく、端的な未来 [﹅2] である。
 そうであるとすれば、だがしかし、死はいまだ私に時間をもたらさない。私の死は断じて「現在との関係」に入ることがないからである。死という絶対的な未来は、ただ直面する他者を経由して私にかかわるはずである。だから、と講演でレヴィナスは説く。「未来との関係、現在における未来の現前は、他者との対面(le face-à-face avec autrui)のうちで実現するようにおもわれる。対面の状況が時間の現成そのものであろう [註61] 」。

 (註54): Cf. Aristoteles, Physica, 223a16-29.
 (註55): E. Lévinas, Éthique et Infini. Dialogues avec Philippe Nemo, Fayard 1982, p. 17.
 (註56): いわゆるモノクロニックな時間とポリクロニックな時間との差異のことである。簡単には、熊野純彦「理性とその他者――〈理性の外部〉をめぐる思考のために」(岩波講座『現代思想』第一四巻、一九九四年刊)一七〇頁以下参照。
 (註57): たとえば、和辻哲郎の時間論がそのような洞察のうえに展開されている。ここでは、『和辻哲郎全集』第一〇巻(岩波書店、一九六二年刊)二〇〇頁以下参照。和辻時間論の問題点については、熊野純彦「人のあいだ、時のあいだ――和辻倫理学における「信頼」の問題を中心に」(佐藤康邦他編『甦る和辻哲郎』ナカニシヤ出版、一九九九年刊)参照。
 (註58): E. Lévinas, Le temps et l'autre (1948), PUF 1983, p. 32 f.
 (註59): Ibid., p. 63.
 (註60): Cf. E. Lévinas, La mort et le temps (1991), L'Herne 1992, p. 21-24.
 (註61): E. Lévinas, Le temps et l'autre, p. 68 f.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、170~173; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • きょうは二時台から労働なのでいつもよりはやく起きようと九時にアラームをしかけていたのだが、そこで起きてもからだの(とりわけ腰のうしろあたりの)重さというか遠心力みたいなものからすぐさまベッドにもどってしまい、抵抗しながらもまたちょっとまどろむことになった。最終的に一〇時四五分に起床。水場に行ってきてから瞑想をおこなった。きょうも天気は雨降りのようで、ゴーヤの葉のすきまを満たす空は白かったし、空気は薄暗さに寄って、大した降りではないようだが雨垂れの音もそとから聞こえる。ミンミンゼミが一匹、遠くで、やはりかなりゆったりとした、老いの愉悦みたいな振幅でうねっていた。しかしそれよりも、カラスなど鳥の声のほうがよく聞こえる。
  • 廉価なこま切れの豚肉と卵を焼いて食事。新聞、一面は菅義偉の退陣をつたえている。きのうのテレビとか、インターネット上のニュースの見出しでは「辞任」ということばがつかわれていて、こちらもそれをそのままつかったが、いますぐ辞任するわけではなく総裁選には出ないということなので、「退陣」の意向、というほうがいくらか正確なのだろう。あんまり変わらんか? アフガニスタンと米国の記事を読んだ。タリバンは国境を管理していて、せっかく国境にたどりついてもカブールに追い返されるひとも多数いるようだ。カブールの国際空港は外国軍がいなくなったので完全にタリバンの管理下にあり、戦闘員が周囲を包囲しているから市民はちかづくことすらできない。となれば陸路での脱出が道となるが、そちらもとうぜんタリバンは防ごうとしているし、また周辺の隣国も難民の定着や不安定要素の流入をおそれて積極的な受け入れ姿勢をしめすとはかぎらない。事実、パキスタンは二箇所の検問所のうち一箇所を閉じたらしいし、二六〇〇キロだかにおよぶ国境の九〇パーセントの範囲にフェンスをもうけて密入国をきびしく取り締まっているという。まだ開いている一箇所の検問所にはひとが多数押しかけて圧死が起こる事態になっていると。イランのほうはいちおうまだひらいていて受け入れ姿勢を取っているようだが、それもいつどうなるかわからない。ドイツや英国はウズベキスタンタジキスタンにはたらきかけて国境を閉じないよう要請しているようだ。米国の記事は連載で、二〇〇一年九月一一日のテロ以来、米国でムスリムが置かれた立場について。テロ以来、米国のムスリムは平等で対等な市民としてあつかわれなくなったというのが当事者の声で、それはいまもつづいており、ふだんとちがうモスクに行ったりすると捜査官が家に来て理由をたずねたりするのだという。FBIだか警察当局がモスクにスパイを潜入させたりということもおこなわれてきたようで、それが一定程度過激派の摘発につながったこともたぶん事実ではあるのだろうが。しかしひとりのムスリムに言わせればあたらしい世代に希望も見える、とのことで、たとえばドナルド・トランプイスラーム圏の国からの渡航禁止を打ち出した際には宗教も人種も関係なく多くのひとびとが反対と連帯を表明したし、それは昨年の黒人差別への抗議運動も同様だと。テロ行為にはしるというのは、特定の宗教が原因ではないという見方もひろがってきているのではないか、とのこと。
  • Notionをひらいていつもどおり準備していたのだけれど、PgDnキーを押すと画面右端にコメント欄みたいなものがひらく仕様になっていた。きのうまではこんなことはなかったはず。それで本文が左に追いやられて一部見えなくなり、実に邪魔くさいのだが、それをどうやって閉じるのか、またそれがひらかないようにするにはどうするのかがわからない。とりあえずいったんウィンドウを閉じて立ち上げなおし、PgDnキーはつかわない方向で我慢する。
  • そうしていま一二時半すぎ。二時には家を発たなければならない。
  • 往路。雨はけっこう降っていた。はげしいというほどではないものの、粒は豊富で、スピードもすばやく、切るように降っており、足もともびしゃびしゃしている。南の山もきょうは降りてきた空に浸食されて、白い幕のなかにほとんどすべて隠れている。バッグをふつうに提げると濡れてしまうので、左手で小脇にかかえるようにしてもちながら行ったが、そうするとつきだした肘にときおり雨がかかるので、からだのまえにかかえて大切そうにまもるような姿勢になった。
  • 勤務。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 退勤は七時。電車に乗って最寄りへ。このころには雨はかなり激しい様態になっていた。坂道にはいると、幾重にもつらなったさざなみが路上に生まれており、カタツムリ的な、まさしく這ううごきの鷹揚さでゆっくりくだりながれていく。雨夜ではあるもののあまり暗いという印象もなく、坂にはいったところでは道端の低みに咲いている花群れの白さもあきらかだったし、傘を差したこちらの影もそちらの壁に投げかけられてはっきり浮かぶ。それはふつうに街灯によるものではあるわけだが、それをおいても、空が雲に閉ざされていても足もとまで完全に夜に漬けられるというかんじではないようだった。下の道に出てバッグを腹のまえに抱えながら行っていると、突如として空間に白光が二、三度、つよく震えながら走った瞬間があり、雷だ、めちゃくちゃあかるい、いままで見たことがないくらいだった、とおもっていると、かなり近い距離で轟音が響き、なにかが落ちたというよりも山の火口が爆発してなにかが噴き出したかのような巨大な砲音だったのだが、そのあとすこし響きがのたうちまわるようにうなりながらとどまっていて、英語で雷にたいしてrollの語がつかわれるのが実感的に理解できた。すぐちかくの山か丘あたりに落ちたのではないか。馬鹿でかい音だったので、こうして家まですこしのところをあるいているこのあいだに雷に撃たれて死ぬということも可能性としてないとはいえない、などとおもいながら残りをすすんだ。
  • 夜はAlexia Garcia, "Whose Streets?"(The New Inquiry; 2020/11/13)(https://thenewinquiry.com/whose-streets/(https://thenewinquiry.com/whose-streets/))を読んだり、熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)の書抜きをしたり。二箇所できた。そろそろ日記冒頭の引用のストックがなくなるので写しておかないとやばい。やはり労働するとなんだかんだからだがつかれてこごり、書き物はなかなかできない。八月三〇日の書抜きをして投稿したのみ。三一日は休みだったのでよく本を読み、それにともなってメモ箇所もやたら多くて手間がかかる。
  • 322~323: 「こうして書くという企ては、外から受けとるものをなかで変換させたり保存したりし、自己の内部で、外的空間を領有するための器具をつくりだす。それは、ものを分類してストックし、拡張のための手段をそなえつける。過去を蓄積する [﹅4] 能力と、世界の他性をみずからのモデルに適合させる [﹅5] 能力をかねそなえているこの企ては、資本主義的であり、征服的である。科学の仕事場も産業の仕事場も(まさしく産業はマルクスによ(end322)って「科学」がみずからを書きしるす「書」であると定義されている [註4] )、同一のシェーマにしたがっているのだ。そして近代的な都市もまた。それは、境界線をひかれた空間、そこに外部の住民を集めてストックしようとする意志と、地方を都市モデルに適合させようとする意志とが実現されてゆく空間なのである」; (註4): Karl Marx, 《Manuscrits de 1844》, in Marx-Engels, Werke, ed. Dietz, t. 1 (1961), p. 542-544. 〔城塚登・田中吉六訳『経済学・哲学草稿』岩波書店
  • 323: 「革命という「近代的な」観念そのものが、全社会的規模でもって書を書こうとする企図のあらわれであり、その野望は、まず過去にたいして自己を白紙にかえす [﹅3] ということ、そしてその白紙のうえにみずからを書いてゆくということ(すなわち固有のシステムとしてみずからを生産してゆくということ)、そしてみずからが製造するモデルにのっとって歴史を新しくつくりかえる [﹅6] 〔書きなおす〕ということである(それが「進歩」なるものであろう)」
  • 324: 「こうしてわれわれを構造化する実践について、わたしはひとつだけ例をとりあげてみたいと思うが、というのもその例が神話的な価値をそなえているからである。それは近代西欧がうみだしえた数少ない神話のひとつだが(事実、西欧近代社会は、伝統社会のもっていた神話を実践におきかえてしまった)、ダニエル・デフォーの『ロビンソン・クルーソー』がそれである。この小説は、わたしが区別した三つの要素をすべてそなえている。すなわち、ある固有の場所をきりとる島、主人たる主体による事物のシステムの生産、そして「自然」世界の転換である。それはエクリチュールについての小説なのだ。そもそもデフォーにおいて、ロビンソンが自分の島を書きあげようという資本主義的、征服的な労働にめざめるのは、自分の日記を書こうという決意と軌を一にしている。そのことによってロビンソンは、時間と事物を制御するひとつの空間を確保し、かくて白いページをもって、自分の意のままに生産が可能となる原初の島をしつらえようとするのだ」
  • 331: 「身体のうえに書かれないような法はひとつとして存在しない。法律は身体を支配している。集団からきりはなせる個人という観念そのものからして、法律的な必要からうまれてきたものであって、刑法にとっては懲罰を徴づけるための身体が必要であり、婚姻法にとっては、集団間の取引に際し、値を徴づけられるような身体が必要だったのだ。誕生から死にいたるまで、法律は身体を「とらえ」、身体をみずからのテクストにする」
  • 331: 「これらのエクリチュールは、相補的な二つの操作をおこなっている。まず第一に、法をとおして生きた存在は「テクストのなかにくみこまれ」、もろもろの規律の記号表現 [シニフィアン] に変えられてしまう(それがテクスト化である)。他方で、社会の理性ないし《ロゴス》は「肉となる」(それが受肉である)」
  • 332: 「あらゆる権力は、法律の権力もふくめて、まずその臣下たちの背中に描かれるのである。知もおなじことをする。こうして西欧の民族学という学問は、他者の身体がさしだす空間に書きこまれていったのだ。こうしてみれば羊皮紙も紙も、われわれの皮膚のかわりにできたものであり、平和なあいだはその代役をはたして、皮膚を保護する上塗りになってくれているといっていいだろう。もろもろの書物は身体のメタファーにすぎないのだ。だがひとたび危機の時代がやってくると、法にはもはや紙が足らなくなり、またもや身体のうえに法が描かれてゆく。印刷されたテクストはすべてみな、われわれの身体に刷りこまれたものを指し示しているのであり、最後には《名》と《掟》の(赤い鉄の)徴が、苦痛そして/あるいは快楽によってその身体を変質させ、それを《他者》の象徴に変えてしまうのだ。ある宣告 [﹅2] 、ある呼び名 [﹅3] 、あるひとつの名 [﹅] に」

2021/9/3, Fri.

 ことこまかに確認するまでもなく、問題はフッサールにあってすでに顕在化していた。現象学的還元によって獲得された超越論的自我は、世界の客観性という問題のまえで、他 [﹅] の我 [﹅] 、つまりおなじく超越論的な、ひとしく・ともに世界の意味を構成する他者という難問に直面することになる。それゆえ「自我論的還元が間主観的還元によって必然的に拡張されなければならない」(ブリタニカ草稿 [註47] )。――よく知られているように、『デカルト省察』第五省察における他者経験論は、おおきく分けて二段階の構成をたどることになる。他者の身体は原初的には「物体」(Körper)として知覚される。その物体にたいして、私の身体との関係でそれ [﹅2] が有する類似のゆえに「身体」(Leib)という意味が転移される。他者は、かくしてまず「対化」という受動的総合をかいして「類比的に統覚」され、ついで自己を投入されて他我となる。つまり、私とおなじように・私とならんで世界の意味をともに構成する主観となるのである。
 他者は一方では「世界における [﹅4] 」対象である。他者を「他方、私は同時に世界にたいする主観として経験する [註48] 」。対象であるかぎりでの他者は「直接的現前化」によってあたえられる。主観である他者にかんしては、しかし「間接的現前化」(Appräsentation)が可能であるにすぎない。後者によって、私は「もし私がそこにいき、そこに身をおいたならば」、おなじようにもつであろう空間的な現出様式を有するものとして他者を「統覚」する。かくて、「他者は間接現前化的に統覚される」のである [註49] 。――他者と私と(end167)は第一にそこ [﹅2] とここ [﹅2] という空間的な差異においてへだたっている。〈私〉とはとりあえず、世界がそれにたいして現出する絶対的な〈ここ〉である。だが、他者じしんにとっては〈そこ〉もまた絶対的な原点であることが理解されなければならない。〈ここ〉と〈そこ〉という、この空間的 [﹅3] な隔たりが第二に、間接的現前化という時間的 [﹅3] 次元をかいしてのり超えられる。他者はしかし再 - 現前化的に、つまり厳密にはともに現前することはないものとして構成されるのである。

 (註47): E. Husserl, Phänomenologische Psychologie, Husserliana Bd. IX, S. 262.
 (註48): E. Husserl, Cartesianische Meditationen, Husserliana Bd. Ⅰ, 2. Aufl., S. 123.
 (註49): Ibid., S. 146. よく知られているように、影響力のあったヘルトの批判の焦点は"wenn ich... dort wäre"というフッサールの表現にむけられている。Vgl. K. Held, Das Problem der Intersubjektivität und die Idee einer phänomenologischen Transzendentalphilosophie, in: Perspektiven tranzendentalphänomenologischer Forschung, hrsg. von U. Claesges/K. Held, Nijhoff 1972, S. 35-37.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、167~168; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • 一一時四四分に離床。きょうも雨天で涼しい。寝るまえの深夜は肌寒いくらいだった。瞑想をひさしぶりにきちんとやった。やはり大事である。二〇分ほど座ることができた。あいだ、ミンミンゼミが一匹だけとりのこされてそとで鳴いていたが、かなり緩慢でゆっくりとした鳴き方で、やはりもう死がちかいということなのだろうか。
  • 上階へ。母親はしごとへ。父親も山梨にいったという。煮込み素麺で食事。新聞の一面には菅義偉が六日にも小規模な内閣改造をおこなう見込みとかあり、そこでは総裁選へ出馬の意向と書かれてあったのだが、テレビのほうでは総裁選へは不出馬を決め辞任の意向、とつたえられていた。自民党の本部だかわからないがそれらしきところでひとびとがならんで会見しており、二階俊博幹事長が例のふてくされたような顔でぼそぼそ記者の質問にこたえていた。菅から辞任の意向を聞かされたのは今朝のことだったという。いまのところ岸田文雄しか総裁選への出馬は明言していなかったとおもうが、こうなると石破茂とか河野太郎とか、ことによると小泉進次郎とかも出るのだろうか。
  • アフガニスタン関連の記事を読む。駐留米軍の一員として警察養成などにはたらいたひとの言が載っていた。このひとは二〇〇一年九月一一日のテロの現場にも出動して、このような惨禍を引き起こした者には報復をしなければならないと憤り、みずから志願してアフガニスタンの駐留軍にくわわり、しばらくは米国がやっていることは価値のあることだと信じていたのだが(警察として雇われたアフガニスタン人はだいたいまずしい非識字層だったので、銃の構え方撃ち方からさまざまなことを手取り足取り丁寧におしえたという)、テロの犠牲者が増えるにつれて、米国の若者が本国から遠く離れた地でたたかい殺されることが本当に国益にかなうのだろうかという疑念が生じ、最後のほうでは駐留米軍の撤退を主張する活動にコミットしていたという。終局で混乱はあったものの、完全撤退じたいは正しい選択だったとおもっていると。同時テロ直後、ジョージ・W・ブッシュアフガニスタン侵攻をはじめたあたりでは、この戦争はただしいと賛同する人間は世論調査で九割を占めていたといい、反対派は五パーセントとかせいぜいそのくらいしかおらず、一年後もほぼ同様だったらしいが、長引くにつれてだんだん反対派が増えていって、二〇一四年には四九パーセントをかぞえて一時賛成派の割合を越え、ここ数年は厭戦気分が支配的になっていたと。
  • 帰室すると茶で一服。きょうのことを綴って二時。
  • 「読みかえし」をすこし読んで書見。ストレッチも。四時すぎでおにぎりをひとつつくって食べる。歯磨き後に瞑想。瞑想の時間を着実に取っていきたい。一五分すわればからだの感覚はかなり違う。
  • 五時過ぎで出発。雨が降っていた。さほどの降りではなくしっとりとした感じのしずけさで、だから山も色にせよかたちにせよほとんどかすんでおらず、薄膜を一枚かぶせられた程度。きょうは数か月ぶりでベストを身につけネクタイも締めたが、それでちょうどよい気温の低さだった。セミの声はもはや一匹もなく死滅した。
  • 坂をのぼりきったあたりでうしろから抜かしてきた者があったが、茶髪の、見ない顔の若者である。駅にはいってホームを先のほうへ。電車内では瞑目。降りると(……)くんが先に行くのが見える。そのあとをゆるゆる行って駅を出、職場へ。裏路地のむこう、マンションの背後にひろがる空は真っ白だった。
  • 帰路。(……)さんといっしょに出て、はなしながら駅にはいってホームに上る。(……)のようすなどについてはなす。彼女は一〇時一分の(……)行きに乗るようだったので、もう発車するので乗っていただいて、とうながし、電車が出るまで移動せずにその場にそのまま立ち尽くして、うごきだした電車の窓から(……)さんのすがたが見えると会釈で見送った。それからじぶんの電車を待つ。正面先の小学校校舎は夜の空間の黒さにほぼ埋没してぼんやりとした量感として浮かびあがるのみであり、骨っぽい亡霊か、暗闇のなかの蜃気楼といったぐあいである。線路上の白色灯が濡れた空気につややかに染みている。やってきた電車に乗って瞑目に休み、最寄りで降りるとうしろから三人の若者も降りた。めずらしい。階段通路を行くあいだ、ひとりが先んじてこちらを抜かし、駅前に停まっていた車に寄ってなかのひととはなしていたので、むかえに来てもらった親か家族に友だちを連れていっていいか聞いている、というかんじだったようだ。車通りのない道路をわたって木の間の坂道にはいり、マスクをずらすと、まえを行く小太りのサラリーマンの吸う煙草のにおいが鼻に触れてくる。雨はぽつぽつとかすかに散っており、面倒くさいので傘はひらかなかったが、樹の下を行くと周囲の木立のすきまから雨垂れの音がけっこう立って、坂のそとよりも増幅される。前方のひとが煙を吐き出すと漏れ出した精気のようにして薄白さが細い楕円として上下に伸びひろがり、風がまったくないのですぐに散らずかたちを保ってその場にとどまり、こちらがそこまであるいたころにも街灯の白びかりのもとで頭上にただよっているくらいだった。サラリーマンは左手に鞄や荷物を持ち、煙草を持っている右手は口もとにはこばれるとき以外はわりとせかせかした調子で腰の横を前後に揺れているが、その印象に比して歩速はそこまではやくはない。こちらは左手はポケットに突っこんでおり、歩みがのろいのでバッグと傘を持った右手もほとんど振れることはない。平路に出て、電灯の白さがなめらかにひろがっているアスファルトを踏んでいく。夜空は一様な曇り、しかし先日見たおなじ曇天よりも色が濃くなってやや沈んだかんじが出ているようだった。気温はやはり低く、虫はリーリーひびいて、ベストすがたでなければ肌寒いくらいだったはず。
  • 帰ると消毒や手洗いやうがいをして休息へ。一一時過ぎで食事に。上がっていったとき、テレビはなんらかの音楽番組をながしていて、Creepy Nutsという二人組のヒップホップユニットがRHYMESTERの偉大さについて語っていた。ヒップホップも掘りたい。日本語もそうだが、やはり米国のものを。ほぼRobert Glasperまわりで断片的に耳にしたことしかない。とりあえずまずKendrick LamarとThe Rootsを聞こうとはおもっている。The RootsJohn Legendとやった『Wake Up!』はわりとながすことがおおく、参加してラップをやっているBlack Thoughtはわりと気になる。なまえが格好良いし。いま検索したら、feat. とされていたので客演だとおもっていたところが、このひとはもともとThe Rootsのメンバーのラッパーだった。あとはCommonとかJean Graeあたりをとりあえず聞いてみたい。
  • 風呂のなかではやはり静止。からだがほぐれていくかんじというのがさいきんよりわかるようになっている。瞑想をしていると、マジで諸所の筋肉が次第におのずからほぐれていく。これはマジでそうで、いろいろなところの肌や肉が微細にうごいてやわらぐのが、ひらくようなかんじとかひっかかるようなかんじとか、泡がはじけるようなかんじとか、そういう感覚で感知される。そうすると、肌とからだが統合されてなめらかになる。ノイズや滞りや障害物がなくなって皮膚がひとつづきの平面、もしくは道になるようなかんじ。ちからを抜く、ということがわかってきた。べつにそうしようとしなくとも、ただじっと座っていればなんか勝手にちからが抜けていくのだが。最小限の労力で存在するようなかんじになるというか。おもうに、道元坐禅は安楽の法だといっているのはそういうことだとおもうのだけれど。ふつうに生きて存在しその場にとどまっているだけでもおそらく人間はからだや筋肉の労力をかなりつかっているのだとおもう。それを停止すれば、とうぜんそのぶんだけ楽になる。
  • (……)
  • (……)
  • 287~288: 「C・リンダとW・レーボヴは、ニューヨークの居住者たちが自分の住んでいる住宅についてどのような語りかたをするか、その叙述を綿密に分析しているが、そこからかれらは二つのタイプをとりだして、ひとつを「地図」(map)とよび、もうひとつを「順路 [パルクール] 」(tour)とよんでいる。前者は「台所(end287)のとなりに、娘たちの部屋があります」といったタイプのもの、後者は、「右のほうに曲がると居間になっています」というタイプのものである。ところでニューヨークの住民という一資料体のなかで、「地図」型に属しているのは三パーセントにすぎない。あとののこり、つまりほとんど全員は、「小さなドアから入って」、等々といった「順路」型である。こうした叙述は大部分がなんらかの操作 [﹅2] をあらわす語からなっており、「ひとつひとつの部屋にどう入っていったらいいか」を指し示している」
  • 288: 「言いかえれば、叙述は二項選択のどちらかにかたむいている。すなわち、見る [﹅2] (場所の秩序の認識)か、それとも、行く [﹅2] (空間をうみだす行為 [アクション] )かのいずれかである。図 [﹅] であらわすか(……「があります」)、または動き [﹅2] を組織するか(「入っていって、通りぬけ、曲がってゆくと」……)(……)」
  • 289: 「結局のところこの問題は、こうした日常的な語りのベースとして、道順(ディスクール〔話 [わ] 〕による操作の系列化)と地図(観察による全体的平面図化)とがどのような関係にあるのかという問題、すなわち、空間にかんする二つの象徴的、人間学的言語の関係という問題にかかわっている。経験の二極が問題なのである。「日常」文化から科学的ディスクールへというのは、前者から後者への移行なのではないのだろうか」
  • 290~291: 「ことに地図についていえば、もしそれが現在みるような地理学的形態のものだとすれば、近代の科学的ディスク(end290)ールの生誕によって特徴づけられる時代(十五―十七世紀)に、こうした地図はその可能性の条件であった道しるべから徐々にはなれていった。中世初めての地図には、もっぱら順路をしめす直線が引かれているだけで(そもそもその道は、なにより巡礼のための指示だったのだ)、どのようなステップをふむべきか(この街は通過するとか、立ち寄るとか、宿泊するとか、祈りを捧げたりするとかいった)注意書きがそえられ、距離は時間か日数、すなわち歩いてかかる時間が記されているだけであった [註10] 。どの地図も、とるべき行動を記したメモランダムなのである」; (註10): Cf. George H. T. Kimble, Geography in the Middle Ages, London, Methuen, 1938; etc.
  • 292~293: 「だが時代とともにこうした絵図を地図が凌駕してゆく。地図が絵図の空間を植民地化してゆき、その地図をうみだした実践の絵画的形象化を排除してゆくのである。まずユークリッド幾何学により、ついで画法幾何学によって変形させられて、抽象的な場所の形式的集合になってしまったそれは、ひとつの「舞台」(地図帳はそうよばれていた)であって、きわめて異質なままの二要素を同じひとつの図法によって併置している。すなわち伝統によって伝えられたデータ(たとえばプトレマイオスの『地理学』)と、渡航者によって伝えられたデータ(たとえば海図)の二つを一緒にならべているのである。こうした地図は同一平面上に異質な場所を、ひとつは伝統を受(end292)け継いだ [﹅5] 場所、もういっぽうは観察によって生産された [﹅5] 場所を貼りあわせているわけだ。だがここで大事なのは、道しるべが消失してゆくということである。道しるべは前者の場所を前提にしつつ、後者の場所を条件づけ、事実上、前者から後者への移行を可能にしていたのだが、その道しるべはすがたを消してしまう」
  • 296~297: 「このような空間編成にあたって、物語は決定的な役割をはたしている。たしかに物語は筋を「描く」にはちがいない。だが、「およそ筋を描くということはなにかを固定する以(end296)上のことであり」、「文化創造的な行為」なのである [註17] 。そうして筋に描きだされた情況がすべて総合されるとき、物語は分配する権能と遂行する権能(物語は語ることを行なう)とをあわせもつ。そのとき物語は空間を創生するものとなる」; (註17): Y. M. Lotman, in École de Tartu, Travaux sur les systèmes de signes, Complexe et P. U. F., Bruxelles et Paris, 1976, p. 89.
  • 297~298: 「(1) 行為の舞台を創造すること [﹅12] 。物語はなによりもまず権威づけの機能を、あるいはより正確に言うなら、創生 [﹅2] の機能をそなえている。厳密に言えばこの機能は法的なもの、すなわち法律や判決にかかわるものではない。むしろそれはジョルジュ・デュメジルが分析した、印欧語の語根 dhē 「すえる」と、そこから派生したサンスクリット語(dhātu)とラテン語(fās)からきている。「聖なる掟(fās)は」、とデュメジルは書いている。「ま(end297)さに不可視の世界における神秘的な礎であり、これがなければ、iūs〔人間の法〕によって罰せられたり許されたりする行動、さらにひろくあらゆる人間的行動は、不確かで危ういもの、いや、破滅的なものになってしまう。fāsはiūsのように分析や決疑論の対象にはなりえない。この名詞は語尾変化もしなければ、それ以上細分化することもできない」」
  • 298~299: 「「《西欧の創造》」は、みずからfāsにあたる固有の儀礼をつくりだし、ローマがこの儀礼を完成していったが、伝令僧(fētiāles)とよばれる司祭がもっぱらこの任にあたった。この儀礼は、宣戦布告、軍事的遠征、他国家との同盟といった、「他国とわたりあうローマのあらゆる行為のはじまるところ」に関与する。それは、遠心的にひろがってゆく三段階の歩みであって、第一段階は国内だが国境近く、第二段階は国境において、第三段階は外国という過程をふんでいった。儀礼的行為が、いかなる民事的ないし軍事的行為にも先立って遂行されたのであり、というのもその儀礼的行為の役割は、政治的活動や軍事的活動のために必要な領域を創造する [﹅7] ことだったからである。したがってそ(end298)れはまた、ものの反復(repetitio rerum)でもある。すなわち、原初の創生行為の再現 [﹅2] と反復でもあれば、新たな企てを正当化するための系譜の暗唱 [﹅2] と引用でもあり、戦闘や契約や征服にとりかかるにあたっての成功の予言 [﹅2] と約束でもあるのだ。実際の上演に先立っておこなわれる総稽古のように、身ぶりをともなう語りである儀礼が、歴史的な実現に先立つのである」
  • 306~307: 「越境であり、場所の掟への違反である橋は、出発のフィギュールであり、ある状態の損傷、征服の野望のフィギュール、あるいは追放のフィギュール、とにかく秩序への「裏切り」のフィギュールなのだ。けれど同時にその橋は、ただよう他所 [よそ] を出現させ、境界線の彼方に、内部で制御されていた他所なるもの [エトランジェ] の姿をかいま見せ、あるいは見せつけ、境界のこちら側では身(end306)をひそめていた他性に客観性(すなわち表現と表 - 象)をあたえるのであり、それゆえ、渡った橋をひきかえしてこちら側にもどってきた旅人は、それ以来というもの、こちらの世界に他所を見いだす。その他所の地は、出発のときに自分が探しもとめていた場所、そしてあげくに逃れてきた場所なのだ」
  • 309~310: 「もし仮に違反的なものがみずから身をずらしながらしか存在せず、周縁にではなくコードの間隙に生きながらその裏をかき、それをずらしてゆくという特性をそなえており、状態 [﹅2] にたいして移動 [﹅2] を優先させるという特徴をそなえているとするなら、物語は違反的なものである。社会に違反するということは、物語を字義どおりうけとめること、社会がもはや個々人や集団にたいして象徴的な出口か静止した空間しかさしだそうとしないときに、この物語をそのものとして実存の原理にすること、もはや規律に従って中におさまるか非合法のはみだしかの二者択一しかなく、それゆえ監獄か外部への彷徨かの二つに一つしか(end309)ないとき、物語を実存の原理とすることであろう。逆に言えば、物語とは余地に生きつづける違反行為であり、みずから隅に身をひきながら存在する違反行為であって、伝統社会(古代、中世、等々)のなかでは、秩序と共存してきたものであった」
  • 314: 「口から口へと伝説や唄を国中に伝え歩いてゆくことば [パロール] 、それだけが人びとを生きさせる」(第10章「書のエコノミー」エピグラフ; N・F・S・グルントビ; Grundtvig, Budstikke i Høinorden (1864) 31 X 527. Erica Simon, veil national et culture populaire en Scandinavie. La genèse de la højskole nordique, 1844-1878, Copenhague, 1960, p. 59 に翻訳、引用)
  • 315: 「近代的な「規律 [ディシプリン] 」である書という装置 [スクリプチュレール] が設置されたのは、印刷によって「再生産」が可能になった事実ときりはなすことができない出来事だが、この装置の設置は、(「ブルジョワジー」から)「《民衆》」を遠ざけ、(書かれたもの [エクリ] から)「声」を遠ざけるという二重の結果をもたらした。このことから、はるかな彼方、経済的、行政的権力からはるか遠い地で「《民衆》が語っている」という信念がうまれてきたのである。魅惑的でもあれば危険でもあり、一度かぎりで消えてゆく(激しく短い氾濫はあっても)パロールは、その抑圧そのものによって「民衆の《声》」となり、ノスタルジーと制御の対象となって、わけても学校という手段によりこのパロールをふたたびエクリチュールにつなぎとめようとする大遠征の対象となった」
  • 316~317: 「こうして言語を口にする発話の行為によって生まれる現在の音の数々は、単一なものではない。したがって、これらの音をそっくりひとつに集め、「《声》」とか、固有な「文化」とか――あるいは大いなる《他者》――といったラベルを(end316)貼ってしまうようなフィクションはすててかかるべきであろう。むしろオラルは、書 [スクリプチューレル] のエコノミーの織り目――終わりなきタピスリー――のなかに、まるでその一本の糸のようにそっと紛れこむのである」
  • 317~318: 「まずはじめにあきらかにしておきたいと思うが、エクリチュールとオラルの二つをとりあげるからといって、ある第三項によって対立性が揚棄されたり、あるいは序列が逆転したりするような二項を措定しようというのではない。問題はあの「形而上学的対立」(エクリチュール対オラル、ラング対パロール、等々)のひとつにもどることではないのであり、そうした対立についてはジャック・デリダが次のように語っているとおりである。「そうした対立は究極的に……差異に先行するひとつの価値なり意味 [﹅2] なりの存在に準拠し(end317)ている [註3] 」、と。このような二項対立を措定する発想は、唯一の根源(創生の考古学)とか、究極的な矛盾の解消(神学的な発想)といった原理を前提にしており、したがって、準拠すべきこの統一性によって支えられるディスクールを前提にしている。逆にわたしが前提するのは、ここではくわしく述べないけれども、複数性が根源であるということ、差異がこれら諸項を構成しているということ、そして、言語 [ランガージュ] は象 - 徴秩序によって分割の構造化作用をどこまでも隠蔽しつづけるよう宿命づけられているということである」; (註3): Jacques Derrida, Positions, Ed. de Minuit, 1972, p. 41. 〔高橋允昭訳『ポジシオン』青土社
  • 318~319: 「(2) こうした区別が、あるひとつの領域(たとえば言語 [ラング] )やあるシステム(たとえばエクリチュール)の確立と、そうして確立されたものの外部、または残りの部分(パロール、あるいはオラル)との関係としてあるかぎり、これら二項は、対等でもないし、比較することもできない。それらの一貫性からみてもそういえるし(一方を規定することは、他方を無規定にしておくことを前提にする)、それらの操作性からみてもそういえる(一方は(end318)生産的で支配的で分節化されており、他方を無力なもの、支配されたもの、そして不透明な抵抗という立場に追いやる)。つまりそれら二項を、記号が逆転すれば同一の機能をはたすものと措定することは不可能なのだ。二者のあいだの差異は質的なものであって、共通の尺度をもっていない」
  • 319~320: 「「進歩」とは、書くという [スクリプチュレール] 型に属したものである。いろいろなやりかたをとおして、人びとは「正当な」実践――科学的、政治的、学校的、等々――とは区別されるべきものをオラルと(あるいはオラルとして)定義するのである。進歩に役立たないものが「オラ(end319)ル」なのだ。逆に、声や伝統の魔術的世界からみずからを区別するものが「書 [スクリプチュレール] 」なるものである」

2021/9/2, Thu.

 「共時性」への執着が「戦争」を生む。他者の共時化への欲望は「闘争」への欲望である。「平和」にあっては、それがたんに「交換と交易」へとかたちを変えるにすぎない(15/20)。――そのように説く文脈で、レヴィナスはつぎのように書いている。とりあえず論脈をはなれて、当面の論点とのかかわりでだけ取りあげておく。

 諸存在はつねに集約されたままであり、つまり現前しつづけている。だがそれは、記憶と歴史とによって物質のように規定された全体性へと延びひろがる現在におい(end163)てのことであり、生成を排除する、裂け目も突発事もない現在においてのことである。つまり、記憶と歴史とによって、そのほとんどが再 - 現前化からなるような現在にあってのことなのである(16/21)。

 ひとがつうじょう紛れもない「現在」と考えているものは「そのほとんどが再 - 現前化からなるような現在」であるにすぎない。知覚すら「記憶と歴史とによって」かたどられ、現在には過去が浸潤している。そのことによって、「諸存在はつねに集約されたままであり、つまり現前しつづけている」のである。そうした現在、記憶と歴史 [﹅5] に支配された現在とはまた、「裂け目も突発事もない現在」、その意味で「物質のように規定された全体性へと延びひろがる現在」にほかならない。「いっさいの知覚はすでに記憶である」かぎり、「現在はほとんど直接的な過去のうちにある」(ベルクソン [註40] )。純粋知覚なるものがひとつの抽象であるように、混じりけのない現在もまた一箇の幻想にほかならない。そこではつまり、過去こそが現在であり [﹅5] 、過去が現前している [﹅6] 。――そればかりではない。あるいは当面の問題の焦点は、むしろいま確認したことがらの裏面に存在する。
 過去はすでに [﹅3] 過ぎ去りもはや [﹅3] 存在しない。過去はたんに想起されるのみであり、物語のなかに立ちあらわれるだけである。たしかに、過去がそこで回帰するかにみえる「再(end164)現前化は純粋な現在である」(La repésentation est pur présent [註41] )。いっさいは現在のうちにあり、存在するものはすべて現前という様式において存在する。だが、そうであるにせよ、現在は存在する [﹅7] のであろうか。「純粋な現在」とはむしろ「時間と接触することのない、点的にすら接触することのない」ものなのではないだろうか [註42] 。
 現在は存在し、過去は存在した [﹅4] と考えること、つまり過去は存在しない [﹅5] と考えることは、抜きがたい一箇のおもいなしである。おもいなしというのは、要するに、そこでは存在 [﹅2] と現前 [﹅2] とがとりちがえられているからだ。現在はむしろ過ぎ去ることにおいて [﹅10] 現在である。あるいはかろうじて現在的であると呼ばれる。現在はつねに移ろい、現在にとって不可避的なことはかえって過去になる [﹅5] ことにほかならない。「現在」は、かくてより本質的な意味で「すでに過去に属している [註43] 」。
 現在はつねに過ぎ去り [﹅4] 、移ろっている。そうであるとすれば、現在ではなく、むしろ過去こそが過ぎ去らず、打ち消しがたい、と考える余地がある [註44] 。じっさいたとえば「悔い」(18/25)といった感情のありようは、抹消不能な過去、現在よりもなお現在的 [﹅3] な過去のかたちをみとめることがなければ、いったいどのように説明されうるだろうか。みずからを嚙む [﹅7] ほどに「悩みくるしむ [﹅6] 」(se ronger)悔いとは(182/214)、取りかえしがつかず、しかも取り消しもできない過去のありようを、現在にけっして回収されず [﹅5] 、しかしそのもの自体として [﹅9] いやおうなく繰りかえし現在に切迫する過去のありかを示している [註45] 。(end165)――ひとはまた、過去についてすら祈ることがある。「なんらかみずからに先行するもの、あるいは自身に後続するもの」である「祈り」(24/32)は、過去にさしむけられたときにこそ切実である。たとえばすでに [﹅3] 遭難にあったことが報じられた、他者の無事を祈る [﹅5] ときのように、である [註46] 。その祈りが切迫したものとなるのは、過去こそが過ぎゆかず、抹消不能であることを、ひとがおもい知っているからである。

 (註40): H. Bergson, Matière et mémoire, 3ème éd., PUF 1990, p. 166 f. ここではベルクソンを引いたが、このベルクソン的な記憶観が、レヴィナスの積極的な主張とかさなるわけでない。レヴィナスは現在を引き裂くものを、感受性の次元にみとめてゆく。この件については、次章第3節で主題的に考える。
 (註41): E. Lévinas, Totalitè et Infini. p. 131. (邦訳、一八三頁)
 (註42): Ibid. (邦訳、一八三頁以下)
 (註43): Ibid., p. 137. (邦訳、一九二頁)
 (註44): 近年では、大森荘蔵「過去の制作」(『時間と自我』青土社、一九九二年刊)が、「想起」は「過去の定義的体験 [﹅5] 」であることを強調している(四〇頁)。河本英夫「物語と時間化の隠喩」(『諸科学の解体』三嶺書房、一九八七年刊)二一五頁が、大森の論点に肯定的なかたちで言及しているほか、野家、前掲書(註7 [野家啓一『物語の哲学』(岩波書店、一九九六年刊)] )、一四九頁以下もこの論点を追認し、それが野家の歴史=物語論(前註30参照)における哲学的支柱のひとつとなっている。これにたいして、「過去の存在」という論点については、湯浅博雄『反復論序説』(未來社、一九九六年刊)一四六頁以下参照。
 (註45): サルトルの『倫理学ノート』が、カントの義務論に関連して、義務はつうじょうの時間性を超えていることを論じている。「責務は時間性の背後にあって、時間性を非本質的なものとする。私の構造のすべてとしての時間性は、責務という、背後の現前によって非本質的なものとされるのである」(J.-P. Sartre, Cahiers pour une morale, Gallimard 1983, p. 264)。「〈歴史〉のただなかにあっては、それぞれの歴史的存在は、同時に非歴史的な絶対である」(ibid., p. 32)ともかたる遺稿は、ときとしてレヴィナスの思考の近辺で倫理を手さぐりしているかに見えることがある。
 (註46): ダメットのあげた例である。べつのヴァージョンが、大森荘蔵「「後の祭り」を祈る」(『時は流れず』青土社、一九九六年刊)で紹介・検討されている。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、163~166; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



This analysis makes several arguments. First, far-right terrorism has significantly outpaced terrorism from other types of perpetrators, including from far-left networks and individuals inspired by the Islamic State and al-Qaeda. Right-wing attacks and plots account for the majority of all terrorist incidents in the United States since 1994, and the total number of right-wing attacks and plots has grown significantly during the past six years. Right-wing extremists perpetrated two thirds of the attacks and plots in the United States in 2019 and over 90 percent between January 1 and May 8, 2020.(……)

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This analysis focuses on terrorism: the deliberate use—or threat—of violence by non-state actors in order to achieve political goals and create a broad psychological impact.4 Violence—and the threat of violence—are important components of terrorism. Overall, this analysis divides terrorism into four broad categories: right-wing, left-wing, religious, and ethnonationalist.5 To be clear, terms like right-wing and left-wing terrorism do not—in any way—correspond to mainstream political parties in the United States, such as the Republican and Democratic parties, which eschew terrorism. Instead, terrorism is orchestrated by a small minority of extremists.

First, right-wing terrorism refers to the use or threat of violence by sub-national or non-state entities whose goals may include racial or ethnic supremacy; opposition to government authority; anger at women, including from the incel (“involuntary celibate”) movement; and outrage against certain policies, such as abortion.6 This analysis uses the term “right-wing terrorism” rather than “racially- and ethnically-motivated violent extremism,” or REMVE, which is used by some in the U.S. government.7 Second, left-wing terrorism involves the use or threat of violence by sub-national or non-state entities that oppose capitalism, imperialism, and colonialism; pursue environmental or animal rights issues; espouse pro-communist or pro-socialist beliefs; or support a decentralized social and political system such as anarchism. Third, religious terrorism includes violence in support of a faith-based belief system, such as Islam, Judaism, Christianity, and Hinduism, among many others. As highlighted in the next section, the primary threat from religious terrorists comes from Salafi-jihadists inspired by the Islamic State and al-Qaeda. Fourth, ethnonationalist terrorism refers to violence in support of ethnic or nationalist goals—often struggles of self-determination and separatism along ethnic or nationalist lines.

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This section analyzes the data in two parts: terrorist incidents and fatalities. The data show three notable trends. First, right-wing attacks and plots accounted for the majority of all terrorist incidents in the United States since 1994. In particular, they made up a large percentage of incidents in the 1990s and 2010s. Second, the total number of right-wing attacks and plots has grown substantially during the past six years. In 2019, for example, right-wing extremists perpetrated nearly two-thirds of the terrorist attacks and plots in the United States, and they committed over 90 percent of the attacks and plots between January 1 and May 8, 2020. Third, although religious extremists were responsible for the most fatalities because of the 9/11 attacks, right-wing perpetrators were responsible for more than half of all annual fatalities in 14 of the 21 years during which fatal attacks occurred.

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Between 1994 and 2020, there were 893 terrorist attacks and plots in the United States. Overall, right-wing terrorists perpetrated the majority—57 percent—of all attacks and plots during this period, compared to 25 percent committed by left-wing terrorists, 15 percent by religious terrorists, 3 percent by ethnonationalists, and 0.7 percent by terrorists with other motives.

Figure 1 shows the proportion of attacks and plots attributed to the perpetrator ideologies each year during this period. Right-wing attacks and plots were predominant from 1994 to 1999 and accounted for more than half of all incidents in 2008 as well as every year since 2011, with the exception of 2013. Most right-wing attacks in the 1990s targeted abortion clinics, while most right-wing attacks since 2014 focused on individuals (often targeted because of religion, race, or ethnicity) and religious institutions. Facilities and individuals related to the government and police have also been consistent right-wing targets throughout the period, particularly for attacks by militia and sovereign citizen groups.

The decrease in right-wing activity in the early-2000s coincided with an increase in left-wing activity from 2000 to 2005. Most of these left-wing attacks targeted property associated with animal research, farming, or construction and were claimed by the Animal Liberation Front or the Earth Liberation Front.

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There are three broad types of right-wing terrorist individuals and networks in the United States: white supremacists, anti-government extremists, and incels. There are numerous differences between (and even within) these types, such as ideology, capabilities, tactics, and level of threat. Adherents also tend to blend elements from each category. But there are some commonalities.

First, terrorists in all of these categories operate under a decentralized model. The threats from these networks comes from individuals, not groups.12 For example, anti-government activist and white supremacist Louis Beam advocated for an organizational structure that he termed “leaderless resistance” to target the U.S. government.13

Second, these networks operate and organize to a great extent online, challenging law enforcement efforts to identify potential attackers.14 Right-wing terrorists have used various combinations of Facebook, Twitter, YouTube, Gab, Reddit, 4Chan, 8kun (formerly 8Chan), Endchan, Telegram, Vkontakte, MeWe, Discord, Wire, Twitch, and other online communication platforms. Internet and social media sites continue to host right-wing extremist ideas such as the Fourteen Words (also referred to as the 14 or 14/88) coined by white supremacist David Lane, a founding member of the group the Order. The Fourteen Words includes variations like: “We must secure the existence of our people and a future for white children.”15 Far-right perpetrators also use computer games and forums to recruit.16

Third, right-wing extremists have adopted some foreign terrorist organization tactics, though al-Qaeda and other groups have also adopted tactics developed by right-wing movements.17 In a June 2019 online post, a member of the Atomwaffen Division (AWD) stated, “the culture of martyrdom and insurgency within groups like the Taliban and ISIS is something to admire and reproduce in the neo-Nazi terror movement.”18 Similarly, the Base—a loosely organized neo-Nazi accelerationist movement which shares the English-language name for al-Qaeda—uses a vetting process to screen potential recruits, similar to the methods of al-Qaeda.19

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White Supremacists: White supremacist networks are highly decentralized. Most believe that whites have their own culture that is superior to other cultures, are genetically superior to other peoples, and should exert dominance over others. Many white supremacists also adhere, in varying degrees, to the Great Replacement conspiracy. The conspiracy claims that whites are being eradicated by ethnic and racial minorities—including Jews and immigrants.20 Brenton Tarrant, the Christchurch shooter in New Zealand, and Patrick Crusius, the El Paso Walmart shooter, espoused the most radical view of the Great Replacement conspiracy, known as Accelerationism. As advocated by Tarrant and Crusius, violent accelerationists claim that the demise of Western governments should be accelerated to create radical social change and establish a whites-only ethnostate.21

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White supremacist neo-Nazi organizations, such as the Nationalist Socialist Movement, American Nazi Party, Vanguard America, and others often adhere to the Zionist Occupied Government (ZOG) conspiracy theory—that Jews secretly control the U.S. government, the media, banks, and the United Nations. Of particular concern is the emergence of the Atomwaffen Division (AWD), a U.S.-based neo-Nazi hate group with branches in the United Kingdom, Germany, and the Baltics.25 In January 2018, Brandon Russell, founder of the AWD was arrested and sentenced for possessing a destructive device and explosive material.26 Despite similar arrests, the AWD continues to plot, conduct attacks, and recruit. In February, four AWD members—including Cameron Shea, a high-level member and recruiter of the AWD—were arrested for conspiring to targets journalists and activists. They used encrypted chat platforms, distributed threatening posters, and wore disguises.27 Other arrests have been made under non-terrorism-related charges.28

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Anti-government Extremists: The right-wing terrorist threat also includes anti-government extremists, including militias and the sovereign citizen movement. Most militia extremists view the U.S. government as corrupt and a threat to freedom and rights.31 Other far-right anti-government groups mobilized to protect a perceived threat to individual gun ownership rights. Modern militias are organized as paramilitaries that conduct weapons training and other field exercises.32 The Three Percenters are a far-right paramilitary group that advocates gun rights and seeks to limit U.S. government authorities. In August 2017, Jerry Varnell, a 23-year-old who identified as holding the “III% ideology” and wanted to “start the next revolution” attempted to detonate a bomb outside of an Oklahoma bank, similar to the 1995 Oklahoma City bombing.33 Also, in January 2017, Marq Perez, who discussed the attack in Three Percenter channels on Facebook, burglarized and burned down a mosque in Texas.34

Anti-government extremists, which sometimes blend with white supremacist movements, have used the slang word “boogaloo” as a shorthand for a coming civil war. Several popular Facebook groups and Instagram pages, such as Thicc Boog Line, P A T R I O T Wave, and Boogaloo Nation, have emerged spreading the boogaloo conspiracy. Police in Texas arrested 36-year-old Aaron Swenson in April after he attempted to livestream his search for a police officer that he could ambush and execute.35 Prior to his arrest, Swenson had shared memes extensively from boogaloo pages.

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Incels: Involuntary celibates, or incels, conduct acts of violence against women. The incel movement is composed of a loosely organized virtual community of young males. Incels believe that one’s place in society is determined by physical characteristics and that women are responsible for this hierarchy. Incels identify with the writings of Elliot Rodger, who published a 133-page manifesto, titled “My Twisted World.”36 In October 2015, Christopher Harper-Mercer, inspired by Rodger, killed nine people at a community college in Oregon.37 In November 2018, 40-year-old Scott Beierle killed two women in a yoga studio in Tallahassee, Florida, before committing suicide.38

  • ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)。250から289まで。おもしろい。「Ⅲ 空間の実践」にはいっており、第7章「都市を歩く」、第8章「鉄路の航海あるいは監禁の場」、第9章「空間の物語」とすすんでいる。八月三一日に、セルトーはたぶん物語行為における配列や整序などの構造化技術をほかの実践にも見出していくのではないかという見通しを記したが、第7章はそれとはすこしちがって、歩行を一種の発話行為と見なし、そのレトリックについて述べる、みたいなかんじだった。だから構造化の水準というよりは(それにちかい部分もあるだろうが)、配列され構造化される諸要素が個々の要素の段階でどのような文彩をそなえているか、というようなことか。歩行のやりかたも、文の書きかたと同様に、スタイル(文体)をもつものであると。ただ、あまり具体的な例をとりあげてそれを詳細に分析する、という論述方式ではなかったのがすこし残念ではある。そういうやりかたをするものだと勝手におもっていたのだが。第8章は短めの章で、汽車に乗っているあいだの時間(乗客はひとつの合理的・機能的システムによって個々の居場所に整序されており、その秩序から逃れることは基本的には許されず(トイレが唯一の安息所である)、列車内には不動性がすみずみまで行き渡っているいっぽう、風景として過ぎ去っていく外の事物もまたそれじたいとしては不動であり、このふたつの不動性のあいだを境界として区切る窓と、事物のあつまりを通過する風景として総合的に絶えず変容させていく線路のはたらきによって、乗客は風景を見つめる観照者へと変貌させられ、それら外部の事物を経由しながら乗客の内面からもろもろの記憶や物語が湧き出してくる)について記述したもので、この章だけほかの章とはすこし毛色が違い、あまり論述というかんじではなく、文学的色合いの濃いエッセイ、みたいな雰囲気になっている。プルーストをもうすこし洗練させて(書くことを取捨選択させて余剰を削ぎ落とし)、(描写というより)分析寄りにしつつスマートに格好つけさせればこんなかんじになるかもしれない。第9章は物語あるいは物語行為の観点から空間を組織化する実践の形態をあきらかにする、みたいなはなしだとおもわれ、だから八月三一日の記事でこちらが予想していた主題はこの章で展開されるのではないか(280: 「(……)語りの構造は空間の統辞論という価値をそなえている。コード、行為の配列、制御といった装具一式をたずさえて、こうした語りの構造は、物語をとおして実行化される空間変化(または交通)を規制しており、さまざまな場所を線状に系列化したり、交錯させたりしているのだ」)。
  • 起きたのは正午過ぎ。新聞からはアフガニスタンの件。米軍の撤退が終わったわけだが、取り残されたアフガン人協力者は憤りを隠していない、と。バイデンは演説で、退避作戦はこれ以上ないくらい成功をおさめた、みたいなことを言ったようだ。タリバンに首都をおとされ、ISISによるテロも起こってしまったのに成功もクソもないだろうとおもうのだが、しかしそういう状況下でも累計で一二万人だかそれくらい退避させることができ、取り残された米国人も一〇〇から二〇〇くらいにおさまったというのは、たしかにそれはそれですごいのかもしれない、ともおもった。八月以降、ことにタリバンがカブールを奪取して以降にかぎっていえば、そうかんがえることもできるのかもしれない。
  • 六面にはいわゆる対テロ戦争もしくは「テロとの戦い」の軌跡をふりかえるみたいな特集がされており、七面にも関連記事があった。タリバンがカブールを掌握して以降、町ではやはり女性の外出姿というのはなくなっており、美容院のポスターなども黒く塗りつぶされているらしい。米国によって導入された民主体制下では女性の社会進出もすすんで、アナウンサーとかラッパーとかとして活躍するひとも出ていたらしいが、ここでそのながれが逆行するだろう。外出禁止だとか服装などの規定だとかもとうぜんゆるしがたいが、いちばんクソだとおもうのは女性に教育を受ける権利はないとされることで、それは、おまえたちは無知蒙昧のままなにもかんがえず男のいうことにただしたがっていれば良い、と言い渡しているということだからだ。ひとびとに、ものをかんがえるな、と命令することがいちばんゆるせない。それは強制収容所の論理である。タリバンだけでなく、たとえば中国という国にかんしていちばんクソだとかんじるのはその点である。そういう国はいずれかならず滅ぶとじぶんはおもっている。
  • 天気は雨降り。きのうにひきつづき、かなり涼しい。二〇度を切っているのではないか。五時過ぎで上階にあがってアイロンかけをするあいだ窓外を見やると、南の山は白濁した靄にとりかこまれて薄れており、右のほうなどほとんど消えてかたちを持たず、白さの奥から墨のようにしてわずかににじみだしている色にすぎない。近間の地上はそれにくらべるとものの姿形がはっきりしており、いまは雨が降っているのかいないのかそれもさだかに見えないが、川沿いの木々の壁がぼやけていないところではこのときはやんでいたのかもしれない。アイロンかけを終えたあとは、もう空腹だったので煮込みうどんをつくって食べることに。台所では母親が天麩羅の準備をしていた。その横で野菜を切り、調理をすすめる。母親と入れ代わり立ち代わりうごきながら天麩羅もときおり担当するが、台所がせまいので二人はいるともう手狭で鬱陶しい。六時をまわって食事。煮込みうどんはたいへんにうまかった。いつ食ってもうまい。満足感がある。
  • 書見のあいだ、John Mayerの『Continuum』とLAでのライブである『Where The Light Is』をながしていたのだけれど、"Out of My Mind"など聞くに、ブルースやらせればやはりよく弾けて格好良い、大したギタリストだなと。じぶんでもこういうことができれば楽しかったのだが。
  • ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』では、「エトランジェ」という語と「プロープル」という語がたびたびつかわれていて、そのたびにルビが振られているのだけれど、その都度文脈にあわせてこれら二語を適切な日本語に訳しわけている訳者のしごとぶりは卓越している。プロープルというのは英語でいうとproperのようだが、この語に「適切な」「正確な」「正しい」「固有の」など、そんなにいろいろ意味があるとは知らなかった。特に、「固有の」。しかしかんがえてみればpropertyというのは所有財産という意味なわけで、そのひとが所有している固有・特有の土地や資産ということだろう。日本語というかカタカナ語でも、専門のことを「~~プロパー」とかいうことがあるとおもうが、それもこの固有性の意味から来ているわけだろう。
  • 2021/8/28, Sat.の書抜きをようやく終えて、やっとブログに投稿することができた。この日は休みで60ページくらい読んだので写す箇所がやたら多くなった。八月三一日の火曜日も同様で、こちらのほうがさらに多い気がしてこれもまた苦労する。

However, in trying to correct this media image—in making a strong division between Good Protesters and Bad Rioters, or between ethical non-violence practitioners and supposedly violent looters—the narrative of the criminalization of black youth is reproduced. This time it delineates certain kinds of black youth—those who loot versus those who protest. The effect of this discourse is hardening a permanent category of criminality on black subjects who produce a supposed crime within the context of a protest. It reproduces racist and white supremacist ideologies (including the tactic of divide-and-conquer), deeming some unworthy of our solidarity and protection, marking them, subtly, as legitimate targets of police violence. These days, the police, whose public-facing racism is much more manicured, if no less virulent, argue that “outside agitators” engage in rioting and looting. Meanwhile, police will consistently praise “non-violent” demonstrators, and claim that they want to keep those demonstrators safe.

In working to correct the white-supremacist media narrative we can end up reproducing police tactics of isolating the individuals who attack property at protests. Despite the fact that if it were not for those individuals the media might pay no attention at all. If protesters hadn’t looted and burnt down that QuikTrip on the second day of protests, would Ferguson be a point of worldwide attention? It’s impossible to know, but all the non-violent protests against police killings across the country that go unreported seem to indicate the answer is no. It was the looting of a Duane Reade after a vigil that brought widespread attention to the murder of Kimani Gray in New York City. The media’s own warped procedure instructs that riots and looting are more effective at attracting attention to a cause.

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In the 400 years of barbaric, white supremacist, colonial and genocidal history known as the United States, the civil rights movement stands out as a bright, beautiful, all-too-brief moment of hope and struggle. We still live in the shadow of the leaders, theory, and images that emerged from those years, and any struggle in America that overlooks the work (both philosophical and organizational) produced in those decades does so at its own peril. However, why is it drilled into our heads, from grade school onward, in every single venue, by presidents, professors and police chiefs alike, that the civil rights movement was victorious because it was non-violent? Surely we should be suspicious of any narrative that the entire white establishment agrees is of the utmost importance.

The civil rights movement was not purely non-violent. Some of its bravest, most inspiring activists worked within the framework of disciplined non-violence. Many of its bravest, most inspiring activists did not. It took months of largely non-violent campaigning in Birmingham, Alabama to force JFK to give his speech calling for a civil rights act. But in the month before he did so, the campaign in Birmingham had become decidedly not-non-violent:

protesters had started fighting back against the police and Eugene “Bull” Conner, throwing rocks, and breaking windows. Robert Kennedy, afraid that the increasingly riotous atmosphere in Birmingham would spread across Alabama and the South, convinced John to deliver the famous speech and begin moving towards civil rights legislation.

This would have been impossible without the previous months of courageous and tireless non-violent activism. But it is also the emergent threat of rioting that forced JFK’s hand. Both Malcolm X and MLK had armed bodyguards. Throughout the civil rights era, massive non-violent civil disobedience campaigns were matched with massive riots. The most famous of these was the Watts rebellion of 1965 but they occurred in dozens of cities across the country. To argue that the movement achieved what it did in spite of rather than as a result of the mixture of not-non-violent and non-violent action is spurious at best. And, lest we forget, Martin Luther King Jr., the man who embodied the respectable non-violent voice that the white power structure claims they would listen to today, was murdered by that same white power structure anyway.

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As Raven Rakia puts it, “In America, property is racial. It always has been.” Indeed, the idea of blackness was invented simultaneously with American conceptions of property: via slavery. In the early days of colonial America, chattel slavery was much less common than indentured servitude—though the difference between the two was not always significant—and there were Irish, French, German and English immigrants among these populations. But while there had always been and continued to be some black freedmen, over the course of the 17th century light-skinned European people stopped being indentured servants and slaves. This is partially because production exploded in the colonies much faster than a working population could form to do the work–either from reproduction or voluntary immigration–and so the cost of hired labor went through the roof. Even a very poor and desperate European became much more expensive than an African bought from the increasingly rationalized transatlantic slave trade.

The distinction between white and black was thus eventually forged as a way of distinguishing between who could be enslaved and who could not. The earliest working definition of blackness may well have been “those who could be property”. Someone who organized a mob to violently free slaves, then, would surely be considered a looter (had the word come into common usage by then, John Brown and Nat Turner would have been slandered with it). This is not to draw some absurd ethical equivalence between freeing a slave and grabbing a flat screen in a riot. The point, rather, is that for most of America’s history, one of the most righteous anti-white supremacist tactics available was looting. The specter of slaves freeing themselves could be seen as American history’s first image of black looters.

On Twitter, a tongue-in-cheek political hashtag sprang up, #suspectedlooters, which was filled with images of colonial Europeans, slave owners, cowboys and white cultural appropriators. Similarly, many have pointed out that, had Africa not been looted, there wouldn’t even be any black people in America. These are powerful correctives to arguments around looting, and the rhetorical point—that when people of color loot a store, they are taking back a miniscule proportion of what has been historically stolen from them, from their ancestral history and language to the basic safety of their children on the street today—is absolutely essential. But purely for the purposes of this argument—because I agree wholeheartedly with the political project of these campaigns—I want to claim that what white settlers and slave traders did wasn’t mere looting.

It was genocide, theft, and barbarism of the lowest order. But part of how slavery and colonialism functioned was to introduce new territories and categories to the purview of ownership, of property. Not only did they steal the land from native peoples, but they also produced a system under which the land itself could be stolen, owned by legal fiat through force of arms. Not only did they take away Africans’ lives, history, culture, and freedom, but they also transformed people into property and labor-power into a saleable commodity. Chattel slavery is the most barbaric and violent form of work coercion—but as the last 150 years has shown, you can dominate an entire people through law, violence, and wages pretty well.

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Recently an Instagram video circulated of a Ferguson protester discussing the looting and burning of the QuikTrip convenience store. He retorts the all too common accusation thrown at rioters: “People wanna say we destroying our own neighborhoods. We don’t own nothing out here!” This is the crux of the matter, and could be said of most majority black neighborhoods in America, which have much higher concentrations of chain stores and fast food restaurants than non-black neighborhoods. The average per capita income in Ferguson, MO is less than $21,000, and that number almost certainly gets lower if you remove the 35% white population of Ferguson from the equation. How could the average Ferguson resident really say it’s “our QuikTrip”? Indeed, although you might hang out in it, how can a chain convenience store or corporate restaurant earnestly be part of anyone’s neighborhood? The same white liberals who inveigh against corporations for destroying local communities are aghast when rioters take their critique to its actual material conclusion.

The mystifying ideological claim that looting is violent and non-political is one that has been carefully produced by the ruling class because it is precisely the violent maintenance of property which is both the basis and end of their power. Looting is extremely dangerous to the rich (and most white people) because it reveals, with an immediacy that has to be moralized away, that the idea of private property is just that: an idea, a tenuous and contingent structure of consent, backed up by the lethal force of the state. When rioters take territory and loot, they are revealing precisely how, in a space without cops, property relations can be destroyed and things can be had for free.

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Modern American police forces evolved out of fugitive slave patrols, working to literally keep property from escaping its owners. The history of the police in America is the history of black people being violently prevented from threatening white people’s property rights. When, in the midst of an anti-police protest movement, people loot, they aren’t acting non-politically, they aren’t distracting from the issue of police violence and domination, nor are they fanning the flames of an always-already racist media discourse. Instead, they are getting straight to the heart of the problem of the police, property, and white supremacy.

  • 250: 「道ゆく人びとの歩みぶりは、ある時にはそれ、またある時には曲がりくねって、「言いまわし」や「文彩 [フィギュール] 」にも似た紆余曲折をしめしている。歩行のレトリックが存在するのである。文の「ひねり [トゥルネ] 」かたは、ちょうど道筋のそらし [トゥルネ] かたにあたっている。日常言語とおなじように [註19] 、この歩きかたの技法にも文体〔スタイル〕と用法があり、その二つを組み合わせてできあがるものだ。文体 [﹅2] というのは、「ひとりひとりが世界へ現存して生きてゆく根本的なありかたを、(……)象徴的レベルであらわす言語構造」をしめしている [註20] 。つまりそれは、ある独自性をしめしているのである」; (註19): 次の分析を参照のこと。P. Lemaire, les Signes sauvages. Philosophie du langage ordinaire, Paris, thèse ronéot., 1972, p. 11-13.; (註20): A. J. Greimas, 《Linguistique statistique et linguistique structurale》, in le Français moderne, oct. 1962, p. 245.
  • 251~252: 「もうひとつつけくわえておけば、都市工学者や建築家たちのあつかう幾何学的空間というのは、文法学者や(end251)言語学者たちが、ノーマルで規範的なレベルなるものをうちたて、それにてらして「比喩的な [フィギュレ] 」派生義を規定しようとする、あの「本義 [サンス・プロープル] 」なるものに等しい、ということだ。実のところ、このような(彩 [フィギュール] 〔比喩的な意味〕をもたない)「正確さ [プロープル] 」などというものは、ことばだろうと歩きかただろうと、普段の用法で実際にあったためしはない。そんなものは、メタ言語というそれじたい特殊な科学的用法によってうみだされたフィクションにすぎないのであり、こうした科学的用法は、そのような区別そのものによって他に差をつけようとしているのである [註27] 」; (註27): 「固有なものの理論」については次を見よ。J. Derrida, Marges de la philosophie, Ed. de Minuit, 1972 〔高橋允昭・藤本一勇訳『哲学の余白』上・下、法政大学出版局〕: 《La mythologie blanche》, p. 247-324.
  • 255: 「歩行のフィギュールは、こうして空間を文体的に変貌させてゆく身ぶりなのだ。というよりむしろそれは、リルケが言うように、動く「身ぶりの樹々」なのかもしれない。それらのフィギュールは、医療 - 教育制度という、おしきせのテリトリーさえをも動かし、身体の不自由な子どもたちは、いつしかそこで遊びはじめ、屋根裏で、自分たちの「空間物語」を踊りはじめる [註31] 。こうした身ぶりの樹々は、そこかしこでざわめいている。その樹々の森は、街を通って歩いてゆく。それらは次々と情景をかえてゆき、ひとつの場のイメージに固定されない。それでもあえてなにかの絵であらわしてみようとすれば、それは、通過してゆくイメージ、黄緑色とメタリックブルーの花文字の数々、大声をたてずに低いうなり声をあげながら都市の地下に縞模様を描いてゆくあの花文字のイメージであろう。それは、文字と数字の「刺しゅう模様」、スプレー塗料で描かれたみごとな暴力の身ぶり、破壊神シバの舞うエクリチュール、メトロの音とともに現れては消えてゆく踊るグラフ、あのニューヨークのグラフィティだ」; (註31): Cf. Anne Baldassari et Michel Joubert, Pratiques relationnelles des enfants à l'espace et institution, CRECELE, CORDES, 1976, ronéot.; 《Ce qui se trame》, in Parallèles, n° 1, juin 1976.
  • 257~258: 「歩くということ、それは場を失うということだ。それは、その場を不在にし、自分のもの [プロープル] を探し求めてゆくはてしないプロセスである。都市はしだいに多様な彷徨をうみだしていっているが、そうした彷徨をとおして、都市全体が場所の剝奪という巨大な社会的試練の場と化してしまっている――そう、たしかにそれはひとつの試練なのだ。ささやかな無数の流刑(移動と歩行)のうちに散り散りになってゆく試練。そのかわり、その試練をとおして、人びとの大移動が交わりをうみだし、その交差と結びつきによって都市の織り目がつくりだされてゆく。そうした試練の彷徨は、究極的にはどこかの場所をめざしているのだ。といってもその場所は《都市》というひとつの名でしかないのだが。この場所によってあたえられるアイデンティティは、どうしたところで象徴的な(名ばかりの)ものになってしまう。なぜならそこには、市民としての肩書も所得もてんでばらばらなのに、行き交う人びとのうごめきだけがあり、身をよせるものといえば交通手段という仮の場の編み目があるのみ、ただ、自分のものに似たなにかを求めて横切ってゆく足どりだけがあり、非 - 場(end257)所につきまとわれ、夢みる場につきまとわれる仮住まいの宇宙があるだけなのだから」
  • 258~259: 「いっぽう都市はといえば、ほとんど無人の「砂漠」と化してしまっている。その砂漠では、奇怪なもの、ひとをぞっとさせるものは、もはやなにかの影ではなく、ジュネの演劇にあるような仮借なき光、闇なき都市のテクストを生産する光であって、テクノクラシーの権力はいたるところその光のテクストをつくりだし、住む人びとを監視している(それにしてもいったい何が監視しているのだろう)。「都市がわたしたちをじっと見つめていて、そのまなざしを感じると、くらくらしてしまう」と、ルーアンに住む住民のひとりが語っている [註36] 。見知らぬ [エトランジェ] 理性によって容赦なく照らしだされた空間のなか、固有名詞(end258)は、なじみぶかいひそやかな意味作用の余地をうがつ。それらは「意味 [サンス] 〔方向〕をなす」のである。言いかえれば、それら固有名詞は、さまざまな動きをひきおこすのだ。ちょうど、なにかに呼ばれたり導かれたりして、それまでは思いもかけなかった意味(または方向)がひらかれ、道筋がそれたり曲がったりするような具合に。これらの名はもろもろの場所のなかになにかの非 - 場所をつくりだす。そうした名によって場所はパサージュにかわるのである」; (註36): Ph. Dard, F. Desbons et al., la Ville, symbolique en souffrance, C. E. P., 1975, p. 200.
  • 259~260: 「とすると、固有名詞はいったいなにを綴っているというのだろうか。都市の表面を意味(end259)論的に序列化し秩序づける星座のように配置され、年代記的な配列と歴史的な理由づけのオペレーターとなりながら、これらの語(ボレゴ通り、ボットサリス通り、ブーガンヴィル通り)は、使い古された硬貨のように、刻みこまれた価値を徐々に失っていっているけれど、もとの価値がなくなっても、なにかを意味するというその能力はなおも生きつづけている。サン=ペール、コランタン・セルトン、赤の広場……。それらは、通る人びとがそれぞれ好き勝手に付与する多義性に身をゆだねている。それらの名は、もともとそれが指すはずだった場所から離れていって、メタファーと化しつつ、もとの価値とはかけはなれた理由、けれど通る人びとはそれと気づいている/いない理由によってさまざまな旅をつくりだし、その旅の途上での空想の出会いの場所になっているのだ。場所からきりはなされて、いまだない「意味」を描く雲の地理のように都市のうえに漂いながら、それにつられてつい人びとがふらりと足をむけてしまう、不思議な地名。プラース・ド・レトワール、コンコルド、ポワソニエール……。こうした星座が交通のなかだちをしている。道しるべの星々。「コンコルド広場なんてものは存在しない」、とマラパルトは語っていた。「それはひとつの観念なのだ」、と [註37] 。それはひとつの「観念」以上のものだ。固有名詞の魔力を理解するには、もっといろいろなものと比較してみる必要があるだろう。それらの名は、ひとを旅におもむかせ、旅を飾りながら、その旅の手に運ばれているかのようである」; (註37): たとえば次の書のエピグラフも参照せよ。Patrick Modiano, Place de l'Étoile (Gallimard, 1968). 〔有田英也訳『エトワール広場/夜のロンド』作品社〕
  • 262~263: 「あるパラドクスによって、といっても一見パラドクスにみえるだけだが、信じさせるディスクールとは、みずからが命じるものを禁じるディスクール、あるいは、みずからが約束するものを決してあたえないディスクールである。そのディスクールは空虚を表現したり、欠如をえがきだすどころか、空虚や欠如を創造するのだ。そうしたディスクールはなんらかの空虚の代わりをはたす。そのことによってそのディスクールは隙間をつくりだす(end262)のだ。つまりそれは、固定した場所からなるシステムのなかで戯れを「許して」くれるのである。それは、同一性からなる分析的で分類主義的なシステムの格子縞のなかに、ある遊びの空間(Spielraum)をうみだすことを「許す」権威をそなえている。つまり、そこを住めるものに変えてくれるのである。こうした権能をもとに、このディスクールを「ローカルな権威」とよぶことにしよう。それは、もろもろの場所に意味をいっぱい詰めこんで、場所を意味に還元し、あげくにシステムを「息のできない」ものにしてしまう、そうしたシステムのなかに空いたひとつの裂け目である。なにか病的な傾向のあらわれにちがいないが、機能主義的全体主義は(遊びや祭りをプログラム化しようとすることもふくめて)、要するにこのようなローカルな権威を排除しようとしている。というのもそれがシステムの一義性に抵触するからである。システムは、まさにそれらを迷信 [﹅2] と名づけて排斥しようとするのだ。迷信という、この要らざる意味のひろがりは、「余分なもの」、「はみだしもの」というかたちをとってシステムのなかに紛れこみ [註40] 、技術的理性と営利性の推進者たちがせっかく自分たちのためにとっておいた土地の一部を、過去や詩的なもののなかに連れさってしまう」; (註40): Superstare よぶんなもの、あるいは余りものという様相のもとに浮いていること。
  • 266: 「さまざまな「迷信」の文学形式や行為主シェーマには固定したモデルがあり、ここ三十年来その構造と組み合わせが多くの分析の対象になってきているが、たとえ形式がそうであれ、その素材(「表現」のレトリックのためのあらゆるディテール)を提供しているのは、さまざまな命名や分類、英雄的行為、喜劇的行為の術辞などなどの名残、すなわち、ここかしこに散っている意味論的な場の断片である。こうした異質な要素、対立しさえする要素から、同質の物語形式がなりたっているのだ。なにか余分な [﹅3] ものと別な [﹅2] もの(よそからやってきたディテールや余りもの)が、既成の枠、押しつけられた秩序のなかに紛れこんでいる。これは、空間の実践と既成秩序との関係そのものであるといえよう。この秩序は、その表面のいたるところ、意味の省略、ずれ、消滅によって楔をうたれ、穴をあけられている。それは、穴だらけの秩序なのだ」
  • 266~267: 「このようにして物語を構成していることばの遺物、忘れられた話や不透明な身ぶりにゆかりのある遺物たちは、たがいどうしの関係が思考されぬままにひとつのコラージュのなかに並べられており、だからこそひとつの神話的な全体を形成している [註46] 。それらは欠落によって結びつけられているのだ。したがってそれらは、テクストという構造化された空間のなかに反 - テクストをうみだし、変装と遁走の効果を、あるパサージュから別のパサージュへ移動する可能性をつくりだす。あたかも地下室や茂みのようなものだ。「おお、木立よ、おお、複数のものたちよ! [註47] 」 これらの物語は、こうしてきりひらかれる散種 [ディセミナシオン] の(end266)プロセスによって、風評 [﹅2] なるものと対立しあう。なぜなら、風評というのは、かならずなにかを指令するもの、空間の平準化をうみだし、またその結果でもあるものであって、ひとをなにかの行為にかりたて、そのうえなにかを信じこませ、秩序の強化に役立つような、全員に共通の動きをつくりだすものだからだ。物語はさまざまな差異をつくりだすが、風評は全体化する。この二つは、つねに近づいたり離れたりしてあいだを揺れ動いてはいるものの、現在では上下の層に重なりあっているのではないだろうか。というのも、物語はプライベートなものになっていって、街や家庭の片隅、ひとりひとりの心の片隅にうずもれているのにたいし、メディアのながす風評はすべてをおおいつくし、匿名の掟の呪文にもひとしい《都市 [﹅2] 》というすがたをとって、あらゆる固有名詞にとってかわり、なおも都市に抵抗をつづける迷信とたたかい、抹殺しているからである」; (註46): 相互の関係が思考されぬまま、それでいてたがいに不可欠なものとして措定されている諸項は象徴的であると呼びうるであろう。このような思考の「欠如」によって特徴づけられる認識装置としての象徴主義の定義については、次を参照。Dan Sperber, le Symbolisme en général, Hermann, 1974. 〔菅野盾樹訳『象徴表現とはなにか』紀伊國屋書店〕; (註47): F. Ponge, la Promenade dans nos serres, Gallimard, 1967.
  • 267~268: 「物語の散逸は、すでに記憶しうるものの散逸をしめしている。事実、記憶とは、反 - 美術館だ。それは、どこといって場所を定めることができないものである。この反 - 美術館は、よせ集めた破片を、記憶のなかに散りばめている。ならんだ品々、ことば [モ] の数々、いずれも空洞のなかにしまいこまれている。そこに、ひとつの過去が眠っているのだ。歩いたり、食べたり、寝たりする日々のしぐさのなかに過去が眠っているのとおなじように。在りし日の革命の数々がそこでまどろんでいる。思い出とは、ふと通りかかった魅力的な王子にほかならず、その王子が、一瞬、ことば [パロール] 無きわれらが話 [イストワール] の眠れる森の美女を目(end267)覚めさせるのだ。「ここにあった [﹅6] んだよ、パン屋さんが」、「あそこ [﹅3] なんだ、デュプュイおばさんが住んでいたのは」。ここで印象的なのは、生きられた場所が不在の現前のごときものだという事実である。いますがたを見せているものは、もはやないものを指し示す。「ごらんなさい [﹅6] 、ここにあった [﹅3] んですよ……」、そう言いながら、もはやそれは見えないのだ。場を指し示すことばは、目に見えるものについて、その見えざるアイデンティティを語っている。事実、場所というのは、幾層にも重なった断片からなっており、その層のどこかに移っていったり、またそのどこかから出てきたりするし、そしてまた、こうして動きゆく厚みそのものを活用している。こうしたことこそ、場所というものの定義そのものにほかならない」
  • 269: 「場所は、奥深くたたみこまれた、とぎれとぎれの話であり、他人の読みおとした過去、先へ伸びてゆくことができるのにじっとたたずんで、来るべき物語のように未来を待ちながら、判じ文字のようにそこに在る時間、そうして、身体の苦悩と快楽のなかにひそかに宿る象徴表現である。「ここにいると、気分がいいの [註50] 。」 この言葉にならない幸福は、一瞬、稲妻のように言語のうえを通り過ぎてそこに跡を残してゆく。まさにそれが、空間の実践なのである」; (註50): リヨンのクロワ=ルースの一住民(P. マヨールのインタビュー)。Cf. volume 2: Habiter, cuisiner.
  • 271: 「そこで大事なのは、こうした「空間へのとらわれ」のプロセスなのであり、それによって、他者への移行が、存在の掟として、また場の掟として刻みつけられるのである。空間を実践化すること、したがってそれは幼児のことば無き歓びの体験を反復することだ。それは、場所のなかで、他者であること [﹅7] 、そして他者に移行する [﹅7] ことなのである」
  • 271~272: 「こうして、フロイトが母なる地を踏む足どりにたとえた、歩みがはじまる [註53] 。このような自己の自己にたいする関係が、場の内的変容(地層と地層のあいだの戯れ)をつかさどったり、ある場所にたたみこまれたさまざまな物語を歩みとともに繰りひろげさせたりするのである。空間の実践を決定づけた幼児期が、あとからその効果を発揮して、私的な空間、公共空間に満ちあふれ、その読みうる表面に傷をつけ、計画化された都市のなかに「メタファーからなる」都市を創造するのであり、あるいは移動をとおして、カンディンスキー(end271)が夢みていたようなあの都市を創造してゆくのだ。「建築学のありとあらゆる規則にしたがって構築されたあげく、計算に挑戦をいどむ力によって不意に揺さぶられる大都市」を [註54] 」; (註53): S. Freud, Inhibition, symptôme et angoisse, trad., P. U. F., 1968.; (註54): V. Kandinsky, Du spirituel dans l'art, Denoël, 1969, p. 57. 〔西田秀穂訳『抽象芸術論』美術出版社〕
  • 280~281: 「このような視点にたてば、語りの構造は空間の統辞論という価値をそなえている。コード、行為の配列、制御といった装具一式をたずさえて、こうした語りの構造は、物語をとおして実行化される空間変化(または交通)を規制しており、さまざまな場所を線状に系列化したり、交錯させたりしているのだ。たとえば、ここ(パリ)からあそこ(モンタル(end280)ジ)に行くとか、この場所(部屋)は別の場所(夢や思い出)をふくんでいる、等々といったように。そればかりでなく、こうした場所は、描写をとおして表現されたり、あるいはいろいろな人物(外来者、街の者、亡霊)をとおして描きだされたりしながら、たがいに結ばれあっているが、それらの結びつきは一様ではなく、ある地点から他の地点へといたる移行のタイプを規定するさまざまな「様態」によって、あるときには緊密な結びつきをしめしたり、またあるときには緩やかな結びつきをしめしている」
  • 281~282: 「どんな物語も旅の物語――つまり空間の実践である。この意味で物語は日常的な戦術にかかわり、その一部をなしている。方角を教える(「右ですよ」「左に曲がりなさい」)のは、ほんのちょっとした物語であり、足どりがその出だしの続きを語ってゆく物語だが、そんなものからはじまって、毎日の「出来事」(「パン屋でだれに会ったと思う?」)から、(end281)テレビの「ニュース」(「こちらテヘラン、ホメイニはしだいに孤立をふかめています」)から、伝説にいたるまで、みなそうである」
  • 283~284: 「まずはじめに、あつかう領野をはっきりさせるために、空間と場所の区別をつけておきたい。場所 [﹅2] というのは、もろもろの要素が並列的に配置されている秩序(秩序のいかんをとわず)のことである。したがってここでは、二つのものが同一の位置を占める可能性はありえないことになる。ここを支配しているのは、「適正 [プロープル] 」かどうかという法則なのだ。つまりここでは、考察の対象になる諸要素は、たがいに隣接 [﹅2] 関係に置かれ、ひとつひとつ(end283)がはっきり異なる「適正」な箇所におさめられている。場所というのはしたがって、すべてのポジションが一挙にあたえられるような布置のことである。そこには、安定性がしめされている」
  • 284: 「方向というベクトル、速度のいかん、時間という変数をとりいれてみれば、空間 [﹅2] ということになる。空間というのは、動くものの交錯するところなのだ。空間は、いってみればそこで繰りひろげられる運動によって活気づけられるのである。空間というのは、それを方向づけ、情況づけ、時間化する操作がうみだすものであり、そうした操作によって空間は、たがいに対立しあうプログラムや相次ぐ諸関係からなる多価的な統一体として機能するようになる。空間と場所の関係は、語とそれが実際に話されるときの状態にひきくらべてみることができるだろう。つまりそのとき語は、それが口にされる情況の曖昧さをひきずっており、多様な社会慣習にそまったことば [ターム] に変わり、ある一定の現在(またはある一定の時間)における行為として発せられ、前後につづくものによって転換させられ変容させられている。したがって空間には、場所とちがって、「適正」なるものにそなわるような一義性もなければ安定性もない」
  • 284~285: 「要するに、空間とは実践された場所のことである [﹅17] 。たとえば都市計画によって幾何学的にできあがった都市は、そこを歩く者たちによって空間に転換させられてしまう。おなじように、読むという行為も、記号のシステムがつくりだした場所――書かれたもの――を(end284)実践化することによって空間をうみだすのである」

2021/9/1, Wed.

 見てきたように、「原 - 歴史」をめぐるメルロ=ポンティの思考が、つまり「ただひとつの世界に共現前する肉体的諸存在者」(一・2・1末尾に既引)という発想が斥けられるのは、他者と私とはけっして共現前 [﹅3] するものではなく、他者にたいする不可避の関係はむしろ、他者とのあいだの時間的な隔たり [﹅3] を、つまりディアクロニーを含意するものであるからである。レヴィナスにあっては、差異によって剝離し散乱する時間性こそが、他者との関係を、その不可避性と隔たりにおいてえがきだす。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、162; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • 一一時ちょうどに起床。まあ悪くはない。天気は水っぽいような曇りで大気がよどんでおり、部屋内もだいぶ薄暗い。九月にはいったとたんに気温が下がったようで、かなり涼しかった。水場に行ってきてから瞑想。二二分か三分ほど座った。窓外にセミの声はもはやひとつもなく、虫がリーリー鳴いている持続のうえに鳥の声がときおり散らばる。座っているあいだ、首や肩のあたりの筋が自然とほぐれていくのをかんじる。
  • 食事は鱈子など。新聞は米国のアフガニスタンからの撤退をつたえているが、特に目新しい情報はない。きのうまでに読んだこととおなじ。米軍は現地時間で三〇日の午後一一時五九分に最後の飛行機が空港から飛び立ったという。タリバンは九月三日にも暫定新政権の閣僚を発表するかもしれない、とのこと。あと、一面には、眞子さま年内に結婚、とおおきくつたえられていた。
  • 風呂を洗って帰室し、きょうの記事を用意。きのうひさしぶりにゴルフボールを踏んで足の裏をほぐすことをたくさんやったのだけれど、そうするとやはりからだは軽いので、これも習慣的にやったほうが良い。そういうわけで、さいきんはデスクについてパソコンを見ることがおおかったが、ベッド縁に腰掛けてコンピューターをスツール椅子に乗せながらボールを踏んでいる。
  • いま読んでいるミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)は、行の両側にルビが振られていることがたびたびある。というか、傍点(﹅)を付してある語の左側に、その語の原語での読み(といってカタカナだが)も表示されていることが多い。こういうルビの振り方ははじめて見た。しかしそう言いながらも、河東碧梧桐がたしか晩年か後期にルビを活用した俳句をつくっていたはずで、そこで両側に振っていたような気がしないでもない。ルビ俳句は岩波文庫の『碧梧桐俳句集』にもいくらか収録されていた。
  • (……)
  • (……)
  • 225~226: 「思うに記憶というのは、他者によるこうした「よび起こし」、あるいは呼びかけにほかならず、知らぬ間にはやすでに変容をきたしている身体のうえに重ねあわされるように、他者の印象がそこに跡をしるしてできあがってゆくであろう。このひそかなエクリチュールは、よび起こす相手の接触のままに、少しずつ「外に出てゆく」。ともかく記憶は情況によって奏でられるのである。ちょうどピアノが、鍵盤に触れる指にあわせて音を「だす」のとおなじことだ。記憶は他者の感覚である。だからこそそれはひととの交わりとともにふくらんでゆき――「伝統」社会、そして愛においても――固有の場が自律的に成立してしまうとしぼんでしまうのだ。記憶は、記録にとどめておくものというより、むしろ他に応えるものであり、その応答は、たえず移ろう変わりやすさを失ってしまって、新たな変容に応じきれなくなり、ただ最初の応答をくりかえすことしかできなくなってしまう時がくると止んで(end225)しまう」
  • 229: 「よく知られていて、すぐそれとわかる話では、「時々の情況にあった」ディテールひとつで、そのもてる意味をくつがえすことができる。話を「語りきかせる」ということは、決まり文句というありがたいステレオタイプのもとにこっそり忍びこませたこの余分な [﹅3] 要素を活かすということなのだ。もとになる枠組みにさしはさまれた「ふとしたもの」は、その場に、ちがった効果をうみだすのである。聞く耳をもった者にはそれがわかるのだ。さとい耳は、きまった語り [﹅2] のなかから、いまここで(それを [﹅3] )語る行為 [﹅4] ににじみでるなにかちがったものを聞きわけるすべを心得ていて、語り手のその巧みなひねりに耳をこらすそぶりをみせたりなどしない」
  • 230: 「これまでにみてきたことだけでも、さしあたっての仮説として、もののやりかたを物語る技法 [アール] のうちに、もののやりかたの手法がおのずとはたらいている、ということができるであろう」
  • 230: 「実を言えば、こうしたことはみな遠い昔の話なのだ。晩年のアリストテレスは、歴とした綱渡りとしてとおってはいないが、ディスクールのなかでも迷宮さながらに錯綜をきわめ、複雑微妙をきわめたディスクールを好んでいた。そのときかれはメティスの齢に達していたのである。「ひとりきりで孤独になればなるほど、物語が好きになってくる。 [註15] 」 その理由をアリストテレスはみごとにあかしてみせたものだった。晩年のフロイトとおなじく、それは、調和をかもしだす巧みを愛で、しかも意表をつきながら調和をはかるそのみごとな技を讃えてやまない、目利きならではの賛美の念であったのだ。「神話を愛すということは、ある意味では叡知を愛すということである。なぜなら神話は驚異からなりたっているからだ。[註16] 」」; (註15): Aristote, Fragmenta, ed. Rose, Teubner, 1886, fragm. 668. 〔宮内璋・松本厚訳『断片集』 前掲『アリストテレス全集』17〕; (註16): Aristote, Métaphysique, A, 2, 982b 18. 〔出隆訳『形而上学』 前掲『アリストテレス全集』12〕
  • 236: 「そうした神をよそに、都市の日常的な営みは、「下のほう」(down)、可視性がそこでとだえてしまうところから始まる。こうした日々の営みの基本形態、それは、歩く者たち(Wandersmänner)であり、かれら歩行者たちの身体は、自分たちが読めないままに書きつづっている都市という「テクスト」の活字の太さ細さに沿って動いてゆく。こうして歩いている者たちは、見ることのできない空間を利用しているのである。その空間についてかれらが知っていることといえば、抱きあう恋人たちが相手のからだを見ようにも見えないのとおなじくらいに、ただひたすら盲目の知識があるのみだ。この絡みあいのなかでこたえ交わし通じあう道の数々、ひとつひとつの身体がほかのたくさんの身体の徴を刻みながら織りなしてゆく知られざる詩の数々は、およそ読みえないものである。すべては、あたかも盲目性が、都市に住む人びとの実践の特徴をなしているかのようだ [註5] 。これらのエクリチュールの網の目は、作者も観衆もない物語 [イストワール] 、とぎれとぎれの軌跡の断片と、空間の変容とからなる多種多様な物語をつくりなしてゆく。こうした物語は、都市の表象にたいして、日常的に、そしてどこまでも、他者でありつづけている」; (註5): すでにデカルトは『精神指導の規則』において、視覚のあたえる錯覚と誤謬にたいし、盲目が事物と場所の認識を保証するとしている。
  • 236~237: 「日常的なものには、想像的な全体化をめざす目から逃れてしまう異者性があるのであって、こうした日常性は、表面をつくらないというか、もし表面があったとしてもそれはただ、目に見えるものの周囲にぼんやりと浮かびあがる外縁、その周縁をわずかにはみ出る(end236)ものにすぎない」
  • 237: 「こうして、計画化され読みうる都市という明晰なテクストのなかに、移動する [﹅4] 都市、あるいはメタファー的な都市がしのびこむのだ」
  • 242~243: 「このような道は、権力の構造をあかしたミシェル・フーコーの分析をうけつぐものともいえるし、それを裏返したものともいえる。フーコーは、従来の分析をずらして、技術的な装置 [ディスポジティフ] と手続きを明るみにだし、ただ「細部」を組織するだけで、種々さまざまな人間の営みを「規律」社会に転じ、学習や健康や軍隊、労働にかかわるありとあらゆる逸脱を管理し、区別し、分類し、階層序列化しうる「マイナーな装具」を分析してみせた。「たいていは微細な、規律化のためのこうした術策」、「微小だが隙のない」仕掛けが力を発揮するのは、さまざまな手続きと、それらの手続きがみずからの「オペレーター」とすべく配分する空間との組み合わせの妙に負うところが大きい。けれども、このような規律(end242)の空間を生産する装置にたいし、この規律を身をもって演じる(その規律を相手どる)側の人びとは、いったいどのような空間の実践 [﹅5] をおこなっているのだろうか」
  • 244~245: 「通っていった道筋の記録は、それがそうであったもの、すなわち通るという行為そのものを失ってしまう。どこかへ寄ったり、さまよったり、「ショーウインドーをひやかし」たりする操作、言いかえれば通り過ぎる人びとのおこなう活動は、点に置きかえられてしまうのであり、それらの点は、一目で見てとれ、どちらの方向から(end244)もたどれる平面上の一本の線になってしまう。したがってそこから学び知れるものといえばただ、軌跡の表面という非 - 時間のなかに置かれた遺物があるばかりだ。目に見えるその遺物は、結果としてその遺物を残した操作そのものを見えないものにしてしまう。このような図面への固定化は、忘却の手続きになっているのである」
  • 245~246: 「歩く行為 [アクト・ド・マルシェ] の都市システムにたいする関係は、発話行為(speech act)が言語 [ラング] や言い終えられた発話にたいする関係にひとしい [註13] 。実際、もっとも基本的なレベルで、歩く行為は、三重の「発話行為的」機能をはたしている。まずそれは、歩行者が地理システムを自分のものにする [﹅8] プロセスである(ちょうど話し手が言語を自分のものにし、身につけるのと同様に)。またそれは、場所の空間的実現 [﹅2] である(ちょうどパロール行為が言語の音声的実現であるように)。最後に、歩く行為は、相異なる立場のあいだで交わされるさまざまな(end245)関係 [﹅2] を、すなわち動きという形態をとった言語行為的な「契約」をふくんでいる(ちょうどことばによる [ヴェルバル] 発話行為が「話しかけ」であって、話し手と「相手をむかいあわせ」、対話者どうしのあいだにいろいろな契約を成立させるように [註14] )。こうして、歩くことはまず第一に、発話行為の空間として定義されるだろう」; (註13): 次をはじめ、この問題にとりくんでいる多くの研究を見られたい。J. Searle, 《What is a speech act?》, in M. Black (ed.), Philosophy in America, Allen & Unwin and Cornell University Press, 1965, p. 221-239.; (註14): E. Benveniste, Problèmes de linguistique générale, t. 2, Gallimard, 1974, p. 79-88, etc.

2021/8/31, Tue.

 メルロ=ポンティの《根源的歴史性》は――そこでは、主体とその世界が一箇の世界のうちで集約されるのだが――〈語られたこと〉のうちを動いている。〔これにたいして〕心性あるいは生気をふきこまれることとは、一者と他者のあいだの差異が――しかしそれはまた、食いちがいあう項のあいだの [﹅13] 、共通の時間を欠いた関係 [﹅2] でもあるのだが――無関心であることができない、ということを意味するにいたるしかたなのである(114/139)。

 「心性あるいは生気をふきこまれること」(le psychisme ou l'animation)とはレヴィナス特有の用語である。それは(後論〔第三章〕で立ち入ることがらをここでは大づかみに先どりしていえば)いやおうなく他者が食いこんだ主体のありかた、他者との関係をうちに懐胎している〈私〉のありようをさす。他者との関係は [﹅3] 私にとって不可避である [﹅6] 。その意味で〈私〉はすでに他者を身のうちにかかえこんでいる。しかも他者は、踏みこえようのない「差異」そのままに私のうちに食いこんでいる。「共通の時間」をもたないま(end159)でに私とへだたっている他者が、私の主体性のうちに孕まれている。他者と私という、「食いちがいあう項 [﹅8] 」のあいだに、なお「関係 [﹅2] 」がなりたっている。だからこそ、他者にたいして私は「無関心であることができない」(non-indifférence)。「主体とその世界」を一挙に「一箇の世界」のうちで「集約」してしまうまなざしから、つまりレヴィナスが理解するかぎりでの《根源的歴史性》からは、このようなことの消息のいっさいが抜けおちてゆく。レヴィナスが見るところによれば、メルロ=ポンティの思考は結局のところ、他者と私との差異 [﹅2] と、両者の時間的なずれ [﹅2] によって意味が分泌される世界に、ではなく、すでに一貫して意味づけられた世界のうちに住まい、反復可能なことばによって意味があたえられ、〈語られたこと〉(le Dit)において有意味的な世界のうちでやすらっている。
 ことばは自他の関係を不断に更新するがゆえに「意味」は「さしあたりは暴力的な運動」によってしかありえない。遺稿にそうした章句をも書きとめたメルロ=ポンティが、自他の共存をひたすら調和的な像にたくして思考していたとはおもわれない [註38] 。だが、たしかにじっさい、他者と私とが「唯一の間身体性の器官 [註39] 」であるというメルロ=ポンティの認識には、それ自体なにほどかは両義的なものがある。つまり、他者との共存を保証しつつ他者の超越をかえって無化してゆくかたむきがある。諸身体の共存 [﹅6] を原型とするかぎりでのメルロ=ポンティの歴史性 [﹅3] からは、そのかぎりで、他者との絶対的な差異(end160)が、差異によって散乱してゆく時間のかたちが零れおちてゆく。レヴィナスの眼からすれば、「メルロ=ポンティの根源的歴史性」とは他者という「集約不能なものの不可能な共時化(synchronisation)」なのであり、それは他者との「〈近さ〉というディアクロニー」に、つまり、私の主体性のうちにいやおうなく食いこんでいるにもかかわらず、不断に〈私〉のもとから逃れさり過ぎ去って、私がけっして現在 [﹅2] においてとらえきることのできない、他者の時間 [﹅5] にたいして盲目なのである(76/94)。(……)

 (註38): M. Merleau-Ponty, La prose du monde, Gallimard 1969, p. 197 f.
 (註39): M. Merleau-Ponty, Signes, p. 213. この論点については、第3節第1項でも触れる。メルロ=ポンティの思考それ自体の「両義性」については、高橋哲哉「《自然》のミトロジー――メルロ=ポンティと構想力の臨界」(『逆光のロゴス』未来社、一九九二年刊)参照。これにたいして、篠憲二「現象学の始原論と目的論――メルロ=ポンティ現象学の領野」(『現象学の系譜』世界書院、一九九六年刊)一三五頁以下が、存在の「永続的な炸裂」という発想のうちに最晩年の思考のモティーフをみとめている。なおまた、鷲田清一メルロ=ポンティ』(講談社、一九九七年刊)二五六頁以下をも参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、159~161; 第Ⅱ部 第一章「物語の時間/断絶する時間」)



  • いま六時半まえ。2020/1/18, Sat.を読んだ。(……)くんおよび(……)さんと会合している。その(……)くんからは先ほどメールがはいり、ちかいうちにはなしをしたいという誘いとともに、完成した長編小説が送られてきた。

 雪の降りは微妙に増していた。傘を持って玄関の戸口を出ると、宙を埋める粒が軒下まで迫ってくる。道へ出ると雪は西から東へ、つまり前から傾きながら降ってくるので、コートの裾に白く細かなものが付着するのを防ぐ手立てがない。せめても流れてくるものを受け止めようと傘を前に傾けると視界は狭くなり、視線を横に逃せば(……)さんの宅の庭に置かれてある材木が白さを被せられており、さらに道の縁の垣根の上端の、葉の一枚一枚の上にも薄く積もって表皮と化したものがあり、雪の純白に彩られると物々がかえってつくりものめくようで、原寸大の模型のようにも映るのだった。降るものはしかし足もとのアスファルトには残らず、緩慢な飛び降り自殺のようにゆっくりと落ちてくる粒はことごとく路面に吸いこまれて消えていく。降雪を少しでも避けようと道の端の樹の下に入りながら行くが、公営住宅の前まで来ると樹もなくなったのでまた道の中央に出て、視線を下に向けると路面にはひらいた傘の影が多角形の図となって黒くぼやけて映っており、その上の宙にはある地点から自分の至近だけ粒子が消滅する境があって、それは当然、頭上に掲げられた傘によって降りが遮られているに過ぎないのだが、身体の周囲に目に見えないバリアが張られているようで何だか不思議な眺めだった。その外は空間が無数の粒に籠められて、一歩ごと一瞬ごとにその布置、位置関係は複雑精妙に変成しているはずだが、じっと観察を凝らしても一瞬前と一瞬後の違いがわからず、まったく同じシーンを永劫に巻き戻して反復しているかのようで、催眠的である。

     *

 (……)そのほか、(……)くんのやや強迫神経症的な性向についても語られて、これはちょっと面白かったので書いておいても良いかもしれない。曰く、彼は以前はFacebookTwitterのタイムラインを隅から隅まですべて見なくては気が済まなかったのだと言う。定期的に他人の投稿をチェックする時間を取っていたのだが、昔は飛行機内などではインターネットに接続できなかったから、そのあいだにタイムラインを見られない時間というのがストレスで、外国に着いてホテルに入るとまずインターネット環境を整えて、渡航のあいだに投稿された発言を追うのが常だったとのことだ。何故だかわからないがとにかく全部見なくてはいけないのだというようなこだわりがあったと言い、しかしある時、自分がその人の発言を見ていようがいまいが、周りの人はあまり気にしていないようだなということに気づいて、それでこだわりが薄くなってきて、今は投稿をすべて追うということはなくなり、ごく普通の使い方をするに至ったと言う。自分でも基準がわからないが、妙な部分で強いこだわりを見せることがあると彼は言い、まずもって幼少期からその萌芽が観察されていたと話した。と言うのは、幼児時代の彼は、ジグソーパズルを自分一人で完成させないと気が済まないという執着を持っていたらしく、他人が途中で手を出して一ピースでも嵌めてしまうと、それまでできあがっていた絵をひっくり返してぶち撒けてしまい、最初からまたやり直す、という振舞いに出ていたのだと言う。変なところで完璧主義的な部分があるのだ、ということだ。だから、根っこの部分、土台の部分の考え方、その方向性を間違えると、それこそアイヒマンみたいになっていたかもしれないと思うよ、と彼は話した。

  • きょうは休日。一日はたらけば一日休めるということはすばらしい。労働とは全世界的にそういうものでなければならない。一週間が七日あり、そのうち五日か六日はたらくのがふつうだとみなされている世界など、まちがいなくあたまがおかしいのだ。ほぼ普遍化されたその狂気にひとびとはあまり気づいていない。あるいは気づいていても、そういうものだとおもっている。たしかに、しかたのないことだ。しかし、「だからといってこの事実 [﹅2] がわれわれの掟 [﹅] になろうはずはないだろう」(ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年、102)。「たとえ事実は少しも変わらないとしても、この事実 [﹅2] を掟 [﹅] としてうけいれることはできない」(81)。一日はたらいたらそれに応じて一日休む、これがほんらい人間のあるべきリズムである。ものごとは均衡をたもってこそ、相補的・相乗的でありうる。
  • (……)それが終わると一時すぎだったか。「読みかえし」。Oasis『(What's The Story) Morning Glory?』をながす。なんだかんだで気持ちの良いアルバムだ。何曲か、アコギで弾き語りたい。その後、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読んだ。186から216まで。第5章「理論の技」のさいごのほうで、カントの判断力論が援用されていて、「判断力がおよぶのは、(……)多数の要素の比例関係 [﹅4] についてであり、そうした判断力は、新しくひとつの要素をつけくわえられてこの比例関係をほどよく [﹅4] 按配しながら、具体的に一個の新たな全体を創造する行為のなかにしか存在しない」(197)とか、「判断力とはすなわち形式的な「配合」であり、想像力と理解力とからなる主観的な「バランス」である」(199)とか、「このようにして倫理的かつ詩的行為にあずかる判断力を、カント以前にもとめようとすれば、おそらくかつての宗教的経験がそれであろう。その昔は宗教的経験もまたひとつの「巧み [タクト] 」であり、個別的な実践のなかでひとつの「調和」を把握し創造すること、なんらかの具体的行為の連鎖のなかで、ある協和をつなぎなおし(religare)たりつくりだしたりする倫理的かつ詩的な身ぶりであった」(200)などと述べられているのを見るに、何年かまえ(二〇一七年の年末あたりに)じぶんが「実践的芸術家/芸術的実践者」といういいかたでかんがえていたこととおなじテーマがかたられているな、じぶんがかんがえていたのは、カントの文脈でいくと判断力についてのことだったのか、とおもった。じぶんがかんがえていたのは、テクスト上にさまざまな語と意味を配置しひとつの高度な秩序をかたちづくっていく作家、もしくはより広範に芸術家をモデルにして、現実世界の状況において行為と発話によってそれと類同的なことをおこなうのが「実践的芸術家/芸術的実践者」だということで、作家はテクストにことばを書きこむことによって意味や表象の布置をある程度まであやつり、芸術的・美的に高度で印象的かつ深い作用を読み手におよぼすような構造やながれ、動きや模様をかたちづくることができるわけだが、現実の世界をテクストとして比喩的にとらえることで、それとおなじようなことができる余地が生まれるのではないかとおもったのだ。ここでいうテクストとしての現実世界(現実世界としてのテクスト)というのは、ある一定の時空においてひとびとが交わし合う意味およびちから・情報や、そこに存在しているもろもろの事物によってかたちづくられたネットワークのつながり・織りなしのことで、作家がテクストにことばを書きこんで作品のネットワーク編成を変えていくことが、ここではひとがなんらかの行為をおこない、あるいはパロールとしてのことばを他者に差し向けていくことで、状況に影響をあたえ、変化させることに類比される。適切なタイミングにおける適切な対象へのそういう介入 - 操作によってその時空のネットワーク編成をより良いもの(より目的にかなっていたり、より調和的だったり、より快適だったり、より美的だったり)に変化させていくというのが、現実世界(という作品・テクスト)を舞台にした芸術家としての実践行為ではないか、というようなはなしで、このようにかたると大仰なひびきを持つが、こういうことはみんなふだんからふつうにやっていることで、とりわけ有能な仕事人とか調停者とかはそれを有効に活用しているはずである。具体的に言えば、職場の上司が調子の悪そうな部下に声をかけて気遣ったり、あまり関係を持っていなかったあるひととあるひとに共同の作業をあたえて関係構築をうながしたりとか、ひとつひとつとしてはそういったささやかなことである。そういう無数の個別的で些細な行為による介入 - 操作をとおして、その場にあらたなつながりを生み出したりとか、ネットワーク中に生じているノイズ的要素を除去して意味やちからや情報の交通をより円滑にしたりとか(もちろん、目的によっては反対に阻害・切断したりとか)、それらを駆使してある高度な秩序のかたちを構築していくのが実践的芸術家だ、というはなしなのだけれど、ミシェル・ド・セルトーがとりあげているのもわりとそういうはなしで、第6章「物語の時間」では、マルセル・ドゥティエンヌという歴史家・人類学者を参照しながら、ギリシア人の「メティス」について論述している。メティスとはギリシア語で「知恵」をあらわすことばで、ここでは好機(カイロス)をとらえて行動し、すぐれた機転と狡智によって状況におおきな効果と変化をもたらす能力、というような意味でかたられている。だから、「メティス」とは、うえでこちらが言った「無数の個別的で些細な行為による介入 - 操作」のうち、とりわけすぐれておおきなちからをもった状況転換行為(言ってみれば、「会心の一撃」のようなもの)、あるいはそれを生み出す「知恵」だということになるだろう。第6章で注目するべきなのは、それが物語およびそれを語る行為と相同的なものとしてとらえられていることで(215: 「もし物語というものもまたメティスに似たなにかである [﹅3] とすれば」)、だからここで、文学という営みの実践倫理的効力、という視野がひらけてくるのかもしれない、ということになる。まだこのあたりまでしか読んでいないので、セルトーにおけるその内実はあきらかでないが、こちらがうえで語ったことに引き寄せて述べればつぎのようなことになるだろう。まず、内容の側面からいって、物語は、状況や行為や体験や人物の豊富な具体例を提供する。読み手がじっさいに経験するものではなく、言語やその他の媒体によって仮想・表象された仮構的体験ではあるにしても、物語を読む者はそれを現実の経験と類比的なものとして理解し、そこでなんらかの感情や、行動の指針や、世界にたいする理解をえたりする。つまり、物語は、仮構的かつ代理補完的なかたちではあるものの、経験の蓄積の役割を果たす。もちろん経験がより多く蓄積されたからといって、かならずしもなんらかの意味ですぐれたふるまいができるとはかぎらないが、すくなくとも状況判断の参照先を増やしたり、未知の領域を減らすことでものごとの理解の益になったりはするわけで、それがあるとないとでは行為の選択肢も変わってくるだろう。つぎに、物語を緻密に読むこととはそこに展開され形態化されていることばや意味のネットワークを把握し、詳細に観察して理解することであり、この能力を磨くことで、現実の時空を対象にしたばあいでも、その場の諸要素のつながりや配置をテクスト的に把握することができるようになり、状況の理解や判断が緻密化され、明晰になる(かもしれない)。すなわち、文学を読むことが読み手にもたらす効用とは、すべてを文学として読むことができるようになるということである、というわけだ。第三に、物語を書くこと、もしくは語ることの側面からいって、語る行為とはさまざまな技術の組み合わせや応用の場であり、それらの技術は、とりわけことばや意味やその他の要素の配置・配列・整序、組み換えや変形の妙にかかわるものであり、ひとまとめにしていえばおそらく、ものごとの構築とながれをつくることにかかわる手法である。語る行為をそのようにとらえるとともに、その理解を物語だけでなくさまざまな実践に共通のものとして一般化してかんがえれば、語る技術からえられるものがより広範な状況において適用・応用できる(かもしれない)というわけだ。まだ先を読んでいないのでわからないが、たぶんセルトーが主に注目しているのはこの第三の領域なのではないかという気がする。物語行為を端緒にして、そこで用いられるさまざまな技術の方式や理解の形式などを、そのほかの実践行為にも見出して分析していこうというのが今後の道行きなのではないか(「Ⅱ 技芸の理論」は第6章「物語の時間」までで終わりで、「Ⅲ 空間の実践」にはいって第7章「都市を歩く」から、ようやく具体的な日常的実践形態の論述がはじまるのだとおもう)。「物語の理論は実践の理論とわかちがたく結ばれているのであって、こうした物語こそ実践の理論の条件であり同時にその生産でもあると考えねばならないのではないのか」(207)。
  • 五時でうえへ。両親は出かけていた。米を磨ぎ、アイロン掛け。三時かそのくらいから雨が降り出しており、いまはさらに降りが嵩んで、そんなにはげしいわけではないが窓外は灰霧の色につつまれて部屋内も暗く、風はないようでまっすぐ落ちながらこまかく空間をきざんでいる雨線のかさなりのむこうで山のすがたがうすれている。
  • アイロン掛けをしているうちに両親は帰宅。かけるものはたくさんあって、終えたころにはもう六時すぎだった。米は六時半に炊けるようにしてあったので、部屋にもどってきょうのことを記述。米が炊けるまでのあいだちょっと書こうとおもっていたところが、うえのセルトーの本にまつわる思考の記述に時間がかかり、いまはもう八時直前である。
  • 二六日木曜日の記事に書抜きを足して投稿。二七日も投稿。二八日も書抜きをすすめているが、この日は六〇ページほど読んで、気になったところがやたらおおくなったので、今日中に終わらない気がする。
  • ウラジーミル・プロップの民話分析の研究(『昔話の形態学』)ってけっこうむかしのしごとで、一九二八年の出版だったのだ。ロラン・バルトが一時期やったような物語の構造分析の文脈でなまえが出てくるので、そのころのひとだとおもっていたのだが、一八九五年生まれで一九七〇年に死んでいる。
  • 入浴中、髭を剃った。
  • 夕食時のことはまあ特に。夕刊から「日本史アップデート」を読んだくらいか。戦国時代の後北条氏について。小田原の史跡からは色の違う石をタイル状にはめこんでつくられている床とか、古代ローマの浴場みたいな独特な遺構が出てきているらしい。これは京都でまなんだ先進文化をとりいれたものではないかと。初代北条早雲(伊勢宗瑞)の出自についてもむかしの定説とはちがったことがわかってきており、以前は北条早雲は素浪人から成り上がった傑物、というのが共通認識だったのだが、じっさいには室町幕府の政所をつとめた伊勢氏の系譜で、九代将軍足利義尚の側近みたいな役職もつとめていたらしい。ちょうど一五〇〇年くらいの人物で、その前後で伊豆とか小田原とかを支配したもよう。そこから時代が一〇〇年弱くだると五代目の北条氏直豊臣秀吉とたたかって征討されるわけだが、このたたかいにそなえて小田原城のみならず城下町一帯をすべてかこむ総構 [そうがまえ] という防壁をつくったという。
  • 入浴後に二八日の書抜きをまたやろうとしたのだが、背がこごってどうにもつづかず。大してできなかった。
  • 189: 「技芸 [﹅2] は、供儀とおなじく、「一見すると粗野なのでついそう信じてしまうほどわれわれからかけ離れたものではなく [註13] 」、科学とくらべてみれば、それじたいで重要だが科学なしには読みえない知なのである。このような考えかたは、科学の立場を危ういものにしてしまう。なぜなら科学に残されるのはただ、自分に欠けた知を語る権能だけだということになってしまうからだ。というわけで科学と技芸のあいだの望ましい関係は、二者択一ではなく相互補完性ということになり、もしできれば、この二つの結合が望ましいということになる」; (註13): Emile Durkheim, les Formes élémentaires de la vie religieuse, P. U. F., 1968, p. 495. 〔古野清人訳『宗教生活の原初形態』岩波書店
  • 192~193: 「こうした実践が語りのなかに「回帰」してくるという事実は(ほかにもたくさんの例をとりあげてそのひろがりを検討してみなければならないだろうが)、いっそう大きなもうひとつの現象にむすびついている。この現象は、歴史的な年代はそれほどさだかではないが、技能のなかにふくまれている知の美学化 [﹅5] と言い表わすことができるだろう。この知は、(end192)みずからの手続きと切りはなされて、「趣味」とか「勘」とか、あるいはまた「才」とみなされてゆくのである」
  • 193: 「それは、自分を識らない知識といわれるものだ。このような「認識をはらんだ営為」には、反復や内的「反省」という方法によってみずからの行為を制御しようとする自己意識がそなわっていないはずである。実践と理論のあいだにあって、この知識は依然として「第三の」位置をしめている。もはやディスクール的な位置ではなく、原初的な位置を。それは、始原にある [オリジネール] ものとして、身をひそめているのだ」
  • 193~194: 「いずれにあっても、主体が反省しない知が問題なのである。主体はわが知をわがものにできないままに、その知のほどをしめす。究極的にこの主体はわれとわが技能の借り主であって、所有者ではないのである。この技能について、ひとはそこに知があるかどうか [﹅6] などとは考えず(知があるにちがいない [﹅5] とひとは思っている)、その知はもっぱらその持ち主以外の者によって知られる [﹅4] のだ。詩人や画家のそれにも似て、日々の実践の技能が知られるのは、それをディスクールという鏡のなかで解明する通訳、だが自分とてその技能を所有しているわけではない通訳をとおしてでし(end193)かないだろう。したがってこの技能はだれのものでもない。それは、いかなる主体にも属さないまま、実践者の無意識から非 - 実践者の反省へと巡ってゆく。それは、匿名でありながら、しかも準拠すべき知であり、技術的、学術的実践の可能性の条件である」
  • 196: 「三世紀にわたり、意識は歴史上いろいろな姿をまとい、知の定義もさまざまな変遷をへてきたにもかかわらず、相異なる二項の結合は不変のままのこっている。すなわち、一方に、準拠すべきだが「粗野な」知識があり、他方に、みずからの出で来った不透明な泉を転倒した表象と化し、その表象を光のもとにさらす開明的 [エクレレ] ディスクールがあるのだ。このディスクールこそ「理論 [テオリー] 」なるものである。理論という語そのものに、「見る/見させる」、あるいは「観照する」(theôrein)という、古代的かつ古典的な意味がのこっている。理論とは、「明るみにもたらされたもの [エクレレ] 」なのだ」
  • 196~197: 「いかにも特徴的なことだが、カントがものをなす技(Kunst)と科学(Wissenschaft)との関係、あるいは技術(Technik)と理論(Theorie)との関係を論じたのは、まず趣(end196)味の考察にはじまり、しだいに判断力批判へと移行してゆく研究過程においてであった [註19] 。カントは、趣味から判断力へといたる行程で技芸に出会うのである」; (註19): 『趣味判断』(1787年)から『判断力批判』(1790年)にいたるこのような移行過程にかんしては、次を参照。Victor Delbos, la Philosophie pratique de Kant, P. U. F., 1969, p. 416-422. カントのテクストは次に所収。Kritik der Urteilskraft, § 43 (《Von der Kunst überhaupt》), Werke, ed. W. Weischedel, Insel-Verlag, t. 5, 1957, p. 401-402; Critique de la faculté de juger, trad. Philonenko, Vrin, 1979, p. 134-136. 〔篠田英雄訳『判断力批判岩波書店〕。ブルデューによるカント美学の批判は、基本的(「社会関係の否認」)であるが、社会学者のメスをもっての批判であり、かれもまた「自由な芸術 [アール] 」と「必要な技芸 [アール] 」のカント的区別にかかわる視点をとってはいるが、わたしのパースペクティヴとは別のところに位置している(la Distinction. Critique sociale du jugement, Ed. de Minuit, 1979, p 565-583)。
  • 197: 「ものをなす技 [アール・ド・フェール] は、美学の圏内におさめられ、思考の「非 - 論理的」条件として、判断力のもとに位置づけられている [註20] 。思考の根源に技芸 [﹅2] をみてとり、判断力を理論と実践 [プラクシス] のあいだの「中間項」(Mittelglied)ととらえる視点によって、「操作性」と「反省」とのあいだの伝統的な二律背反がのりこえられるのである。カントのこのような思考の技 [アール・ド・パンセ] は、二つのものの総合的統一をなしとげている」; (註20): Cf. A. Philonenko, Théorie et praxis dans la pensée morale et politique de Kant et de Fichte en 1793, Vrin, 1968, p. 19-24; Jurgen Heinrichs, Das Problem der Zeit in der praktischen Philosophie Kants (Kantstudien, vol. 95), H. Bouvier und Co Verlag, Bonn, 1968, p. 34-43 (《Innerer Sinn und Bewusstsein》), Paul Guyer, Kant and the Claims of Taste, Harvard University Press, 1979, p. 120-165 (《A universal Voice》), 331-350 (《The Metaphysics of Taste》).
  • 197~198: 「判断力がおよぶのは、たんに社会的な「適合性」(もろもろの暗黙の契約が織りなす網の目に抵触しないようなバランス)についてばかりでなく、さらにひろく、多数の要素の比例関係 [﹅4] についてであり、そうした判断力は、新しくひとつの要素をつけくわえてこの比例関係をほどよく [﹅4] 按配しながら、具体的に一個の新たな全体を創造する行為のなかにしか存在しない。ちょうど、赤やオークルをくわえながら一枚の絵を破壊す(end197)ることなく変化させるような具合に。所与のバランスをある別のバランスに転化させること、それが技芸の特徴である」
  • 198: 「カントは書いている、わたしのところでは(in meinem Gegenden、わたしの地方、わたしの「くに」では)、「ごく普通のひと」(der Gemeine Mann)が言う(sagt)ことに、手品師(Taschenspielers)のやることは知の領分に属している(トリックを知ればできる)けれども、綱渡り(Seiltänzers)は技芸に属している、と [註22] 。綱渡りをすること、それは、一歩ふみだすごとに新たに加わってくる力を利用してバランスをとりなおしながら、一瞬一瞬バランス [﹅4] をとりつづけてゆくことである。それは、あたかも釣り合いを「維持している」かにみせかけながら、けっしてそれまでとは同じでない釣り合いをとり、たえず新たにつくりだされてゆく釣り合いを保ちつづけてゆくことだ。このようにして、行為の技芸 [アール・ド・フェール] がみごとに定義されることになる。事実、ここでは、バランスを修正しながら崩さないように保ってゆくことが問題なのだが、実践者自身がそのバランスの一部をつくりなしているのである」; (註22): Kant, Kritik der Urteilskraft, § 43.
  • 199: 「認識する悟性と、欲求する理性とのあいだにあって、判断力とはすなわち形式的な「配合」であり、想像力と理解力とからなる主観的な「バランス」である。この判断力は、快 [﹅] という形式をとるが、これは外的な形式ではなく、実際になにかをやるときのそのやりかたの様式にかかわっている。すなわちこの判断力は、想像力と悟性との調和という普遍的 [﹅3] 原理を、具体的 [﹅3] な経験としてうみだすのである。それは、感覚 [﹅2] (Sinn)であるが、「共通の」感覚である。共通感覚(Gemeinsinn)あるいは判断力、なのだ」
  • 200: 「このようにして倫理的かつ詩的行為にあずかる判断力を、カント以前にもとめようとすれば、おそらくかつての宗教的経験がそれであろう。その昔は宗教的経験もまたひとつの「巧み [タクト] 」であり、個別的な実践のなかでひとつの「調和」を把握し創造すること、なんらかの具体的行為の連鎖のなかで、ある協和をつなぎなおし(religare)たりつくりだしたりする倫理的かつ詩的な身ぶりであった」
  • 202~203: 「世にひろまっている「格言」 [「理論としては正しいかもしれないが、実践にはなんの役にもたたない」] は、ある原理をうちたてているのではない。ある事実を指しているのであって、カントはこの事実を解釈して、実践者が理論にむける関心がたりないか、さもなければ、理論が理論家自身において十分な深化をとげていないかのどちらかの証拠だと述べている。「理論がまだ少ししか(noch wenig)実践に浸透していない場合には、理論が間違っているということではない。そうではなく、理論がいまだ十分でない [﹅8] (nicht genug)のであって、経験から理論を学ぶべきであったということなのだ(end202)…… [註29] 」; (註29): Kant, Gentz, Rehberg, Über Theorie und Praxis, Suhrkamp Verlag, Frankfurt am Main, 1967, p. 41. (強調はカント)
  • 203: 「ここで大切なのは、判断における諸能力の形式的調和 [﹅5] という原理である。このような判断力は、科学的ディスクール、特殊技術、芸術的表現のいずれにも位置づけることができない。それは、思考の技 [アール・ド・パンセ] であって、日常的実践も理論も、ともにこうした技 [アール] 〔芸〕に属している。綱渡りの芸とおなじく、この技もまた倫理的、美的、実践的価値をそなえている」
  • 204~205: 「これ [判断力や巧みといった問題] についてカントは、先にみたように引用を援用している。世に言われる諺 [アダージュ] 、あるいは「普通の」人間のいうことば [モ] を。このような手続きは、いまだ法学的(しかもすでに民族学的)なものであって、他人になにかを語らせ [﹅10] 、それに釈義をくだしているのである。民衆の「託宣 [オラクル] 」(Spruch)は、こうした技芸について述べたてている [﹅7] にちがいない、しからば注釈者がこの「格言」に注解をほどこそう [﹅8] 、というわけである。たしかにこのとき〔理論的〕ディスクールは人びとの口にする(end204)ことば [パロール] をまじめにうけとめてはいる(実践をおおっていることばは過誤にみちているとみなすのとは正反対に)、けれどもこのディスクールは実践の外部に位置し、理解し観察しようとする距離を保っている。それは、他者がみずからの技にかんして語っていることについて [﹅4] 語っているのであって、この技そのものが [﹅5] 語っているのではない。もしこの「技」が実践されるしかなく、この遂行をはなれては発話もないのだとすれば、言語は同時に実践であるはずである。語りの技 [アール・ド・ディール] とはそのようなものであろう。あのものをなす技 [アール・ド・フェール] 、カントがその根底に思考の技をみてとった、あの技がまさにそこで遂行されているのだ。言いかえれば、まさにそれが物語 [レシ] というものであろう。語りの技がそれじたいものをなす技でありしかも思考の技であるなら、物語は同時にこの技の実践でもあり、理論でもあるはずである」
  • 206~207: 「数多くの研究のなかで、物語性 [ナラティヴィテ] は学問的ディスクールのなかにしのびこみ、ある時にはその総称(タイトル)となり、ある時にはその一部分(「事例」分析、集団や「人物の伝記」、等々)となり、あるいはまたその対重(断片的引用、インタビュー、「格言」、等々)となっている。学問的ディスクールにはたえず物語性がつきまとっているのだ。そこに、物語性の科学的 [﹅3] 正当性を認める必要があるのではなかろうか。物語性はディスクールの排除しえぬ残り、あるいはいまだ排除されざる残りであるどころか、ディスクールの不可欠の機能をになうもので(end206)あり、物語の理論は実践の理論とわかちがたく結ばれているのであって、こうした物語こそ実践の理論の条件であり同時にその生産でもあると考えねばならないのではないのか [「物語の理論は」以下﹅] 」
  • 207: 「おそらくそれは、近代科学が存在してからというもの、日常的実践の見世物小屋と化してしまっている小説にその理論的価値を認めることであろう。ことにそれは、実践を物語り [﹅3] つづけてやまない伝統的な身ぶりに(これもまた身ぶりなのだ)、「科学的」意義をとりもどしてやることであろう。そうなれば、民話は科学的ディスクールにたいしてひとつのモデルを提供するのであって、たんに考察の対象となるテクストを提供するだけではないことになる」
  • 207: 「こうして、「語りの技」が「ものをなす技」に結びあわされているさま、両者が交互に共犯関係を結び、相似た手続きをそなえ、社会のなかで入り組みあっているさまが理解されるであろう。つまり同一の実践が、ある時にはことばの領域でまたある時には身ぶりの領域でおこなわれているのだといってもよい」
  • 208: 「このような物語性は、古典主義時代のあの《記述》にいきつくのであろうか。そこにはある根源的な差異があって、この二つをへだてている。すなわち、もはや物語においては、ある「現実」(技術的操作、等々)にできるだけ近づけようとする必要もなければ、テクストをそれが表示する「現実的なもの」によって権威づけたりする必要もない、ということだ。逆に、物語られた話 [イストワール] はフィクションの空間をつくりだす。それは「現実的なもの」から遠ざかる――というよりむしろ、「昔、あるところに……」と言いながら、現在の情勢から独立しているかのようなふりをするのだ。だからこそ、物語られた話は、ある「手 [ク] 」を描きだす以上に、この手をやってのける [﹅6] のである」
  • 208~209: 「たしかに物語にはある内容があるけれども、この内容もまた事 [ク] をやってのける技に属している。それは、ある過去なり(「いつかある日」、「その昔」)、ある引用(「格言」、ことわざ)なりを使いながら、機をとらえ、不意をおそいつつバランスを変えるために迂回を(end208)するのだ。ここでディスクールは、それがしめすものよりもむしろ、それが遂行されてゆく [﹅7] ありかたによって特徴づけられる。だからこのとき、ディスクールが語っていることとは別のことを理解しなければならないのだ。つまりそれは効果をうみだしているのであって、対象をうみだしているのではないのである。それは語り [ナラシオン] であって、記述ではない。それは、語りの技 [﹅] なのである」
  • 209~210: 「フーコーが力を発揮するのはなによりまずその学識のせいではなく(それもしかし驚嘆すべきものだが)、思考と行為の技がひとつになっ(end209)た、こうした語りの技のせいである。レトリックのうちでも最も手のこんだ手続きをつかい、描写的なタブロー(典型的な「歴史」の数々)と分析的なタブロー(理論的な弁別)とをたくみに配列しながら、フーコーはめざす読者にたいして明証性という効果をうみだしてゆき、領域を少しずつずらしては順次そこに身をしのばせて、全体の新しい「配合」を創造してゆく。けれどもフーコーのこの語りの技は、みずからの他者にも演じさせている。つまり彼は書誌学的な「記述」をももちいながら、その法則を別の法則に置きかえることなく、それを修正しているのである。フーコーに固有のディスクールがあるわけではないのだ。かれはそこでみずからを語っているのではない。かれはあの非 - 場所を、あの fort-da を実践しているのだ。いない、いない、ばあ、遊びをやっているのである。フーコーは学識や分類のかげに姿を隠すふりをしつつ、それでいてちゃんとそれらをあやつっている。古文書学者に変装した綱渡り。ニーチェの哄笑が歴史家のテクストを横切ってゆく」
  • 211: 「歴史家でもあり人類学者でもあるマルセル・ドゥティエンヌは、きっぱりと物語ることをえらんだ。かれは、自分のまえにさまざまなギリシアの話 [イストワール] 〔歴史〕をならべ、それらの話を、それらとは別のものの名において考察したりしようなどとはしない。ドゥティエンヌは、それらを知の対象に変え知るべき対象に変えてしまうような、科学的操作による分断をしりぞけるのである。そうした分断の操作によってうがたれた洞窟には、とっておきの「謎」が保蔵されていて、科学的探究がその意味づけをあかしてくれるのを待っているといった、そんな洞窟をドゥティエンヌは認めようとしないのだ。かれは、こうした話全体の背後になにか秘密が隠されていて、それを徐々に解明してゆけば、やがて自分に固有の場が、あの解釈という場があたえられるだろうなどとは考えてもいない。ドゥティエンヌにとって、これらの民話や物語や詩や論稿はすでにそれじたいで実践なのである。それらはみずからがおこなうことを正確に語っている。それらの話は、みずから意味する身ぶりなのだ。それらがそうと知らずに表現していることを知にもたらすための注釈をそこにつけくわえたりする必要などみじんもありはしないし、それらは何の [﹅2] メタファーなのかと問うたりする必要もない。それらの話はひとつの操作網をかたちづくっており、千人におよぶ登場人物がその型式とうまい手 [ク] の数々を描きだしている」
  • 211~212: 「テクストの織りなすこの実践空間をまえにして、一文献ごとに駒も規則も勝負もふえてゆくチェスのゲームをやっているかのように、業師 [アルティスト] ドゥティエンヌは、これまでにやら(end211)れたことのある千の手を知っている(どんなチェスの勝負でも、古い手を覚えておくのが肝心である)。だがかれは実際にゲームをやるのだ。ドゥティエンヌはこの一覧をもとに新たなゲームをはじめる。つまり自分もまた物語る [﹅8] のである。かれはこれらの策略の身ぶりを暗 [レ] - 唱 [シテ] するのだ。それらが語っていることを語るのに、それら以外のディスクールなどありはしない。それらがなにを「意味」しているのかとおたずねですか? それではもういちど語ってあげましょう、というわけである。あるソナタの意味をたずねた者にむかって、ベートーベンはそのソナタをもういちど演奏してきかせたという」
  • 212~213: 「ドゥティエンヌは、現代の舞台のうえで、自分の流儀にのっとってギリシアの物語を語り聞かせつつ、ギリシアの人びとのあやつった業 [トゥール] のあとをたどってゆく。かれがこうした業の数々を博物誌的な記述のように歪めずにすんでいるのは、かれが芸をそなえているおかげだが、歴史学はこの芸を長いあいだ不可欠のものとみなしていたあげくに放棄するにいたり、いまでは人類学が、『神話の論理』から『語りの民族誌学』にいたるまで [註4] 、他者のところでその重要性を再発見しているありさまだ。この芸とは、話〔歴史〕を物語る技のことである。ドゥティエンヌはしたがって、歴史学がみずから過去においてやっていたことと、人類学が異国のものとして再興しようとしていることの二つのあいだで芸を演じてみせているわけだ。この二つのあいだで、いまや語る快楽が科学的正当性をになうものになっているのである」; (註4): Cf. Richard Bauman and Joel Sherzer (ed.), Explorations in the Ethnography of Speaking, Cambridge University Press, 1974; David Sudnow (ed.), Studies in Social Interaction, The Free Press and Collier-Macmillan, New York and London, 1972.
  • 214~215: 「それは、メティスが「機会」ととりむすび、変装ととりむすび、逆説的な不可視性ととりむすんでいる三つの関係である。まず第一にメティスは「好機」(カイロス)をうかがい、好機を利用する。それは時間の実践である。第二にメティスは仮面とメタファーを多用する。それは固有の場からの離脱である。最後に、メティスはみずから行為自身のなかに姿を消してしまう。あたかも、自分を表象してくれる鏡もないままに、自分の行為そのもののな(end214)かに姿を見失ってしまうかのように。メティスは自己のイメージをもたないのである。このようなメティスの特徴はまた物語の特徴でもある。したがって、それらはドゥティエンヌとヴェルナンに帰すべき「代補」を示唆してもいる。すなわち、もし物語というものもまたメティスに似たなにかである [﹅3] とすれば、かれらが分析している実践的な知恵の形式と、かれらがその分析をおこなうやりかたとのあいだには、理論的な絆があるはずであろう」
  • 216: 「この記憶は、自分が巡ってきたさまざまな出来事、といって所有しているわけではない出来事(そのいずれもが過ぎた [﹅3] 過去であり、場所は失われ、時の破片と化している)に学んで、推測をし、また、これまでにあった事柄、あるかもしれない事柄のあれこれを組み合わせて、「あれこれの先行き」を予測する [註8] 。こうして力関係のなかにひとつの持続が導入され、その力関係を変えてゆくのだ。事実メティスは自分にとって不利な、場の構成というものに対抗しつつ、自分にとって有利な、時の蓄積に賭けるのである」; (註8): 「 」内のことばは、Marcel Détienne et Jean-Pierre Vernant, les Ruses de l'intelligence. La métis des Grecs, Flammarion, 1974, p. 23-25から借りた表現、あるいは引用である。
  • 220: 「記憶は、空間的な転換を起こす媒介役をはたしている。「好機」(カイロス)という様態にもとづいて、記憶は創始の亀裂をうがつのだ。その異者性が場の掟の侵犯を可能にするのである。その測りがたく変転たえまない秘密のなかからすがたをあらわした記憶の「一撃 [ク] 」が、場の秩序に変容をもたらすのだ。系列の終局は、したがって可視的組織を転換させる操作をめざしている」
  • 222: 「ところで、こうして時間が場のなかに移り住むといっても、記憶 - 知がその場を自由に決定できるわけではない。機会は「とらえる」ものであって、創造されるものではないのだ。機会は情勢によって、すなわち外的な [﹅3] 情況によってあたえられるのであり、その情況下、記憶はすばやい一瞥をなげかけて、どうすれば新たな全体が、しかも自分に有利な全体ができあがるか、一瞬のうちに見てとるのである。そして記憶は、そこに余分なディテールひとつ [﹅11] をあしらうことによってその全体をつくりだす。しめた、もう一はけ加えてやれば、「うまく」ゆくぞ、というわけだ。そこに実践的な「調和」がうまれるために欠けているのは、ほんのちょっとしたもの、なにかの切れはしであり、残りものにすぎないのだが、その残りものは情勢からすれば貴重な残りものであって、そのなにかを、記憶の見えざる宝庫が提供しにやってくるのである」

2021/8/30, Mon.

 第二の主著『存在するとはべつのしかたで』にあってレヴィナスは、老いてゆく身体の時間性を見つめている。「〈自己に反して [﹅6] 〉(malgré soi)ということが、生きることそのものにおける生をしるしづけている。生とは生に反する生である。生の忍耐によって、生が老いることによってそうなのである」(86/105)。生は生に反して [﹅5] 剝がれおちてゆく。生は生であるとともに [﹅4] 、生が剝離してゆくことである。生はじぶんを維持しようとして、かえってみずからを失ってゆく。時間が時間であるとは、生のなかで生が剝落してゆくことである。生が「忍耐」であり、「老いること」が生にとって必然的である、すなわち避けがたいことがらである、とはそういうことだ。生とは「回収不能な経過」であり、老いることは「いっさいの意志の外部」にある(90/110)。どのような意志も老いてゆくことに抵抗することができず、意志それ自体もやがて死滅するからである。――私とは時間である。ただし「ディアクロニー」としての、「同一性が散逸すること」としての、絶えず自己を喪失してゆくこととしての時間の時間化である(88/107)。「主体」が「時(end138)間のうちに [﹅3] あるわけではない。主体がディアクロニーそのものなのである」(96/117)。
 レヴィナスのいうディアクロニーはしかし「たんなる喪失」(66/82)ではなく、時間はたんなる悲劇ではない。レヴィナスが見つめようとするものは、時間の〈倫理〉的な側面である。ディアクロニーとはとりあえず、私の現在へと回収しえない、「隣人の他性」(239/278)そのもの、差異がかたちづくる時間でもある。他者と〈私〉とは差異によってへだてられ、時間性は差異によって散乱してゆく。他者との時間を私は、ともに在る現在として経験することができない。他者の現前に、私の現在はつねにいやおうなく「遅れて」しまう、ともレヴィナスはかたる。他者と〈私〉とが差異によってへだてられているとは、そのことにほかならない。目のまえの他者もまた、歴史と時間の傷跡を皺のあいだに刻みこみ、ほどなく死者となってゆくことにおいて、私をさけがたく「強迫」しつづける。かくして私は、他者との絶対的差異にもかかわらず、あるいは他者との遥かな隔たりのゆえに、他者にたいして「無関心であることができない」。
 時間への問いは、レヴィナスにあってはこうして、〈他者との関係〉への問いとなり、〈倫理〉をめぐる問いかけとなる。あるいは、他者との関係に目を凝らし、他者という差異のかたちを〈倫理〉そのものとして見さだめようとするレヴィナスの思考は、そもそものはじめからもうひとつの時間 [﹅8] をめぐる思考、ないしは時間をめぐるもうひとつの思考 [﹅8] であったといってもよい。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、138~139; 第Ⅱ部「はじめに――移ろいゆくものへ」)



  • 八時のアラームで覚醒。起き上がって携帯をとめるとベッドに舞い戻る。二度寝にはおちいらなかったものの、そこから正式な起床まで時間がかかり、八時五〇分。天気は晴れ。
  • (……)時間があまりなかったので瞑想はせず、部屋を出るとそのまま上階に行って、うがいをしたり顔を洗ったり。食事は煮込み素麺。きのうつくってあったナスと豚肉のはいったスープに母親が折った乾麺を入れたので、鍋のまえでしばらく立って、かきまぜながら柔らかくなるのを待った。そうして卓に行って食事。新聞は父親が読んでいたのできのうの新聞を見る。「奔流デジタル」の記事。千葉県印西市に各社のデータセンターがたくさんつくられているということや、中国が情報流出を懸念して国内IT企業への締めつけをつよめているというはなしなど。滴滴(ディディ)という配車サービス会社がニューヨーク証券取引所に上場したのだが、それにさいしてもまったく華々しい記念演出はなく、その数日後に政府の審査対象になって規制を受けたとか。ディディは毎日二五〇〇万件ほどの利用情報を蓄積しており、どこから乗ってどこで降りたとか、町の地理や建物の分布なども詳細にデータ化されていたようなのだが、それが外国に流出して安全保障上のリスクになることを防ぎたいのだろうと。アリババも、アリペイを基軸にして保険とかさまざまなサービスを展開しているらしいところ、中国の中央銀行だかの副総裁だかが、そのような金融商品販売のモデルはやめるべきだみたいなことを言ったとか。
  • (……)
  • いま三一日の午前一時四〇分。過去の日記の読みかえし兼検閲でもするかというわけで、2020/1/18, Sat.をブログで読んでいる。2016/12/17, Sat.および2016/8/20から情景描写がそれぞれ引かれているのだが、そのどちらもなかなか悪くなく書けているようにおもわれた。ひとつめの記述では、「白く締まって満ちるように艶めいて」といういいかたが良い。また、「どんな澄んだ藍色の時にもこれほど無数の輝きに満たされることなどあり得ないだけに」の、「~~だけに」などといういいかたはもうずっとつかったおぼえがない。もしかしたらこのとき以来いちどもつかっていないかもしれない。まがい物のほうが本物よりも真実味を帯びる、という逆説のテーマはありふれたものだが、なかなかロマンティックに書けていて悪くない。後者の記述もちいさなもののささやかな現象をずいぶんと綿密に、熱心に書いているなという印象。

 ガラスを埋め尽くす汚れは陽に浮き彫りとなって、その一つ一つが白く締まって満ちるように艶めいて、例によって馴染みのイメージの反復だが、星屑の集合のように目に映り、宇宙の一画を切り取って縮小したかのようで、現実の夜空の表面は、どんな澄んだ藍色の時にもこれほど無数の輝きに満たされることなどあり得ないだけに、白昼の太陽のなかでのみ目に映る紛い物のこの星空は、それが紛い物であるがゆえに星天の理想的な像をいっとき受け持って具現化してみせるのだろう、本物よりもかえって、星屑という言葉を付すのに似つかわしいような感じがするのだった。

     *

 それで窓を眺めていると、外の電灯が流れて行く時に、白であれ黄色っぽいものであれ赤みがかった暖色灯であれみなおしなべて例外なく、その光の周囲に電磁波を纏っているような風に、放電現象の如く細かく振動する嵩を膨らませながら通過していく。それは初めて目にするもので、なぜそんな事象が起こっているのかしばらくわからなかったのだが、途中の駅で少々停車している際に、ガラスに目をやると先の雨の名残りが――と言ってこの頃にはまた降りはじめていたのだが――無数に付着していて、その粒の一つ一つが、いまは静止している白い街灯の光を吸収して分け持っているのを発見し、これだなと気付いた。灯火が水粒の敷き詰められた地帯を踏み越えて行く際に、無数の粒のそれぞれに刹那飛び移り、それによって分散させられ、広げられ、また起伏を付与されて乱されながら滑り抜けて行くので、あたかも乱反射めいた揺動が光に生じ、実際にそうした効果が演じられているのは目と鼻の先のガラスの表面においてなのだが、街灯のほうに瞳の焦点を合わせているとまるで、電車の外の空中に現実に電気の衣が生まれているかのように見えるのだった。

  • 茶も飲み終わり、面倒臭くなったので、うえの引用部のところまでで読むのをやめた。
  • 出勤まえにはミシェル・ド・セルトーをすこしだけ読み、(……)さんのブログを二九日と二八日の分読み、洗濯物をたたむなど。いつもよりはやく起きて眠りがすくないので、書見のあいださすがに眠気のきざすときがあったが、それも一〇分か一五分そこら目を閉じていると容易に散って、五時間ほどしか床にとどまらず、睡眠でかんがえると実質四時間しか寝ていなかったわりにからだの乱れはそこまでではない。と言って、労働して帰宅したあとはやはりあたまが重くてまた二〇分か三〇分か意識を切ることになったが。
  • 四時かそのくらいから窓外のちかくで男性のトーク音声がおおきく聞こえていて、おそらく(……)さんがまたラジオを聞くか動画をながすかしているらしかった。内容はよく聞き取れず。
  • 家を出るまえにワイシャツすがたで洗濯物をたたんでいると、もう五時なのに空気がずいぶん蒸し暑く、身がつつまれ封じられるような、密閉的な熱気だった。
  • 五時過ぎで出勤路へ。玄関を出ると父親が水場のまえだったかポストのまえだったかにおり、ふりむいてなんとか言ってきたので、行ってくらあ、とゆるくかえす。きょうは何時まで? との問いに、さいごまで、とこたえて道に出ると、西へ向かった。空は暗くはないもののなめらかに薄雲まじりで、そのせいもあるだろうがあたりはおろか南の川向こうにももはや陽の色がはっきりと見えず、だいぶ日も短くなったようだなとおもわれた。(……)さんと(……)さんの宅のあいだには白の、(……)さんの庭には紅色の、それぞれサルスベリが花を厚く咲かせ、色をあつめてボンボンかシュシュか毬のような小球を、あまり整然とせずおおきさもかたちも違えていくつも浮かべた様相になっていた。
  • 坂をのぼれば抜けるころにはやはり汗で肌がべたついている。駅前の横断歩道から見ると雲につつまれて弱くなりながら落ちゆく太陽もやはりずいぶん西寄りの低い位置、林の梢にほどちかいところにもうかたよっていて、秋へとむかう季節が再度おもわれる。ホームにうつると、おとろえて弱々しいとはいえ陽のひかりがななめにながれるように差しており、通りすがりの花の香のように淡い日なたとそれに応じた色しかもたない蔭とがかろうじて分かれ、陽の先にあるマンションは壁をすべてつつまれながらも大して色も変えず、ただ電線の影をやさしく捺されて浮かべているばかり、そんななかでもあるいていけば首から喉から胸から顔からと汗が肌を濡らしていて、とまるとハンカチで湿りをぬぐわずにはいられなかった。
  • 電車内では扉際へ。立ったまま手すりをつかんで瞑目。席が埋まっていて座れないのだ。山に行ってきたひとがやはり多いようだが、背後の話し声のなかに、男女ひとりずつの英語が混ざっていた。ところどころのフレーズを聞き取ることはできるのだが、電車の走行音にもまぎれて、全体としてなんのはなしをしていたのかはわからず。
  • 最寄り駅からの帰路。坂のとちゅうから、道の奥のほうから浮遊してくるようにして風が生じ、やわらかかったが、くだって平路を行けばそれがさらにふくらんでここちよく、おもわず足をゆるめて歩を遅めながら浴びるようになった。公営住宅の敷地をくぎるフェンスを前後からかこむように伸びた草ぐさが身を反らして揺れ、路上にまばらに落ちている葉っぱも小動物めいてちょっとすべって道をこすり、風は膜か糸束をからだにかけられたようにやわらかだけれど涼しくはなく、もう九月目前であたりの虫も秋の声というのにぬるい夏夜のながれだった。
  • いま二時四〇分まえ。この日のことをはやめにしるせて良かった。やはりそとでからだに感覚したものをよくおぼえているうちに十分に記述できるというのが充実するようで、べつにきわだってよく書けたというてごたえがあるわけではないけれど、満足感がある。なぜだかわからないが、まったく急がず、ゆっくりと落ちついてしるせたのも良かった。それでいて文に凝ったわけでなく、さほどちからをこめずにゆるやかにかるい感触で書けた。書き物もちからを抜くのが大事だ。スポーツや武道など、身体術とおなじなのだろう。
  • (……)
  • (……)
  • 177: 「第二の身ぶりは、こうしてきりとられた一部位をひっくりかえす [﹅7] 。その一部位は、仄暗いもの、語らぬもの、遠くにあるものから、理論を照らしだしディスクールをささえる要素へと反転させられるのである。フーコーにおいては、学校や軍隊や病院で実施されている監視のすみずみにはりめぐらされた手続き、ディスクールによって根拠づけられないミクロの装置 [ディスポジティフ] 、啓蒙主義とは異質な技術 [テクニック] が、われわれの社会のシステムと人文科学のシステムの両者を同時に照らしだす理性となる。この手続きのおかげで [﹅4] 、そしてこの手続きのうちにあって [﹅6] 、フーコーの目をのがれるものは何ひとつない。それによってフーコーディスクールはまさにディスクールであることができ、しかも理論的に一望監視的であることができる。すなわち、すべてを見る [﹅6] ことができるのである」
  • 182: 「十六世紀以来、方法 [﹅2] という観念が、識ることと行なうこととの関係を徐々にくつがえしてきた。法学と修辞学の実践は、しだいに多様な分野にわたるディスクール的な「行為」に変わってゆき、環境に変化をくわえるテクニックに変わっていって、これにともない、ディスクール [﹅6] の基本シェーマが重視されるようになってゆく。このシェーマは、思考 [﹅2] のしかたを行為 [﹅2] のしかたとして組織し、生産の合理的管理、固有な領域における規則的な操作として組織化するものであった。それが、「方法」というものであり、近代的な科学性の萌芽である。根底においてそれは、すでにプラトンが活動性としてとらえていた技術 [﹅2] 〔テクネー〕の体系化であった [註7] 」; (註7): Platon, Gorgias, 465a.

2021/8/29, Sun.

 いまや、主体の主体性そのものが、明示的にも一種の〈女性性〉としてとらえかえされることになる。ただし、その〈性的〉な規定を拭いさったかたちでの女性性としてである。そうした女性性をレヴィナスは(それ自体むろん問題なしとしないところではあるが)「母性」(maternité)とよぶ。「〈傷つきやすさ〉は、感受性がそれを意味する母性にまでさかのぼる [註95] 」。〈私〉はあらかじめ・すでに破産し、ほころびた主体性であることによって、すなわち〈傷つきやすさ〉が私の構造をかたちづくっていることで、「母性」をうちにか(end126)かえこんでいる。母性である〈私〉は、「私の身体にむすびあわされるに先だって、他者たちにむすびつけられている」のである [註96] 。そのかぎりで、「〈他者〉にたいする責めは――〈私〉の自由、現在、表象に先だっていることにおいて――いっさいの受動性よりも受動的な受動性なのである [註97] 」。
 主体の同一性はあらかじめ「破産」しており、「自己とは、〈私〉の同一性のこのような破損、あるいは敗北である」。「同一性」は「生起し・過ぎ去ってゆく」(se passer)。なぜ、〈主体性〉は当初から破産 [﹅2] し、「敗北」し、あらかじめ過去 [﹅2] のものとなっているのだろうか。それは、「主体」が(『全体性と無限』にあってもそうであったように)「感受性 [﹅3] 」によってかたどられているからであり、しかしその感受性が(『存在するとはべつのしかたで』では)あらたに「感応しやすさ」(susceptibilité)「傷つきやすさ [﹅6] 」というかたちで描きとられているからにほかならない。「陵辱に、傷に曝されることである」傷つきやすさは、いまや「責めであるような応答」の条件となっている。「重くのしかかる、隣人にたいする責め」が「いっさいの受動性よりも受動的な受動性」である「感受性のうちで響きわた」っている。ここに帰結するのは、つうじょうの意味における主体の〈主体性〉ではもはやなく、かえって「いっさいにたいする主体の隷属」である。「存在することからのこの離脱のうちで」(dans ce désintéresse)いまや〈倫理〉が成就することになる [註98] 。
 〈責め〉は、引き受けられたり引き受けられなかったりするあるもの、私がそれを、人(end127)称的な存在者である〈私〉の決断と選択において受容するようなあること、ではない [﹅2] 。むしろ、私は〈他者〉との関係において逃れがたく無限な〈責め〉のうちに置かれることで、人称的で唯一的な〈私〉となる [﹅2] 。おなじように、〈母性〉である私は、ときに傷を負ったり、ときにまた傷つかなかったりするわけではない。〈私〉の主体性は、それが外部性によって構成され、同における他としてかたちづくられていることで、あらかじめ過ぎ去り [﹅4] 、ほつれ、破綻 [﹅2] している。傷つきやすいこととは、そのかぎりではむしろ、〈傷つかない可能性がないこと〉、〈他者〉の悲惨と苦しみとによって〈私〉がかならず傷を負うこと [﹅10] を意味している [註99] 。――傷つくことにおいては(〈責め〉を負うことにあってと同様)私の〈自由〉は存在しない。あるいは、〈私〉の自由は私が責めを負うため [﹅4] にある。おなじように、私は傷つきやすいことにおいて〈自由〉であり、傷つくために自由 [﹅8] なのである。
 「存在することそれ自体は、世界のうちで一箇の悲惨である」。だが、とレヴィナスはいう。「この悲惨さのうちに、私と他者とのあいだには、レトリックを超えたある関係がある」(73/102)。つまり、支配と暴力を超えた関係がある。あるいは、「権力にも所有にもうったえることのない外部性」(44/61)が萌している。私がなにものも所有しえず、なにごとも支配しえないとしても、さらにまた、傷つきやすさと脆さとが〈私〉の主体性ならざる [﹅7] 主体性のありかであるとしても、所有と暴力とのかなたにひらかれる他者との関係のうちに、私の主体性 [﹅3] はやはりなお「擁護」されるのである。

 (註95): E. Lévinas, Autrement qu'être, p. 114.(邦訳、一三九頁)
 (註96): Ibid., p. 123.(邦訳、一四八頁)
 (註97): Ibid., p. 31.(邦訳、四二頁)
 (註98): Ibid., p. 30 f.(邦訳、四一頁)『べつのしかたで』における感受性の問題については第Ⅱ部参照。
 (註99): 港道隆「顔の彼方? 下」(『思想』一九九六年六月号)、一三一頁参照。なぜ〈傷つかない〉ことが不可能なのかは、第Ⅱ部で立ちいって検討する。ギリガン(C. Gilligan, In a Different Voice, Harvard U. P. 1982)以降の論者たちが「傷つきやすさ」(vulnerability)をキータームのひとつとしていることについては、川本隆史『現代倫理学の冒険』(創文社、一九九五年刊)七二頁以下参照。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、126~128; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時五〇分起床。遅めではあるが、からだの感覚は重くなかった。きょうの天気は曇り。窓外のゴーヤがより茂ってきており、窓の上端の一角など葉が密集して空が入りこむ隙間もないくらいだ。ほかの箇所の隙間にのぞく空は真っ白で、きょうの大気はどちらかといえば暗さに寄った無機質な色合いであり、食事後にすこしだけ陽があらわれたときがあったのでタオルをベランダに出したのだが、風呂を洗ってもどってくると、やはりあやしいな、おおかた曇りのままにとどまるだろうがもしかしたら雨が落ちるかもしれないとおもわれたので、すぐにまたしまった。
  • 食事はきのうのピーマンの肉詰めのあまりで椀におおきく盛った白米をかっくらった。新聞からはアフガニスタンの続報。テロの死者は一八〇人をかぞえたと。二六日に爆発があったとき、日本大使館のアフガン人職員やJICAのひとなどがバスに乗って空港にむかっていたのだが、そこに事件があって近寄れなくなり、退避がかなわなかった、という情報が載っていた。ひとりだけ自衛隊の輸送機でパキスタンイスラマバードに移動できたひとは共同通信の通信員だというが(実名で載っていた)、このひともバスに載っており、ひきかえしたあとでカタール政府関連の車だったかでほかの外国人記者とともに空港にむかうことができ、それで自衛隊機で移送されたということだった。アフガニスタン人の仲間から、国外脱出の方法を問うメールがとどいて、とてもつらい、と語っていた。けっきょく自衛隊が移送したのはこのひとと、二六日にアフガニスタン人一二人だか一三人だかをはこんだのみのようだ。このアフガニスタン人はもともと米国かどこかほかの国が移送する予定だったのだけれど、機が空いていなかったかなにかで急遽日本がはこぶことになった、というはなしだった。米軍は無人機による報復攻撃で民間人の死者を出さずにISISの戦闘員ひとりを殺害し、この人物はテロを立案する役割だったと見られているらしい(どうしてそれがわかるのかわからないが)。ただ、今回のテロの立案者かどうかは不明。しかし新たなテロの準備のために移動しているところを攻撃したという情報もあるようだ。
  • 日本人もアフガニスタン人もほかの国のひとも救出されないまま取り残される人間が多数にのぼることになるだろうが、英国ではボリス・ジョンソンがその点に率直に言及し、一二〇〇人ほどを救出できないまま作戦は終了することになる、非常に悲しみをおぼえる、と述べたらしい。もちろん今後もタリバンとの交渉をつづけてあらゆる手立てを尽くすと言ってはいるものの、どうなるか。国際面にはアメリカ支局長だったかが一文寄せていて、ベトナム戦争当時のモン族救出と今回の件を対比していた。ベトナム戦争時に隣国のラオスでモン族のひとびとがCIAによって訓練されて工作員としてはたらいていたらしく、戦争後に迫害されたので米国に多数の難民が脱出したらしいのだが、そのときに難民の受け入れにむけて熱心にはたらいたのがのちに(一九九六年四月に橋本龍太郎政権が普天間基地の返還を発表するさいに)駐日米大使だったウォルター・モンデールだったという(当時はカーター政権の副大統領)。モン族の米国内での立場は現在も良くはなく、貧困家庭が多いようだが、それでもちょうど今回の東京オリンピックでモン族出身の体操選手がメダルを取ったとか。そういった歴史を踏まえて、ベトナム戦争時の米国にはまだしも超大国として自国の失敗に責任を取ろうという姿勢があった、今次のアフガニスタンでもそういう姿勢をしめさなければ、米国にたいする世界の信頼はますます損なわれることになるだろう、と記事は締めくくっていた。ちなみにドナルド・トランプは、バイデンは米国にテロリストを連れてくるつもりだと言って難民の受け入れに反対し、復権を狙っているらしい。
  • (……)からメールが来ていたのでLINEにアクセスし、「(……)」関連の返信をいくつか。音源も三つ聞く。それで二時くらいになっていたか? 「読みかえし」をいくらか読んでから書見。ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)。ブルデューについての分析など。なかなか具体的な実践形態の記述に行かず、いままで全体的な展望や大枠の説明、またフーコーブルデューなど関連する先行研究の批判的検討がつづいており、理論的地ならしのような準備が長く丁寧になされている。
  • 五時でうえへ。アイロンをかけるものはなかったので、餃子を焼いた。ほか、ナスを茹でるなど。空腹だったが我慢してもどり、きょうのことをここまで記述。
  • ワクチン接種を予約した。九月一七日金曜日の三時から(……)で。九月はあともうその日のその時間しか空いておらず、しかも最後のひとりだった。もうすこし遅れていたら、一〇月以降にしなければならなかったところだ。
  • (……)からメール。ずいぶんひさしぶりにかかわったが、なにかとおもえば、昨年末に結婚して、一二月一八日に式をあげる予定なので来てくれるか、とのこと。了承。コロナウイルスの状況次第ではもちろん延期になるので、また連絡すると。一二月に会えるとしたら、たぶん(……)の結婚式以来ではないか。あれは小池百合子が当選した東京都知事選の前日だったので、二〇一六年七月三〇日のこと。
  • 「愛なんて燃えるゴミでしょ明日にはなまものは消費期限が短い」という一首を風呂のなかでつくった。
  • (……)

(……)

  • この日は八月二六日から二八日まで、本文の記述は終わらせている。あとは書抜きをすれば投稿できるという状態。
  • 147: 「監視の諸装置は、拡張をとげたあげく、解明の対象となり、それゆえ啓蒙の言語の一部になってしまっている。この事実そのものが、もはやそれらの装置がディスクールの諸制度を規定する力を失っているということの証拠ではなかろうか。なんらかの組織力をそなえた装置があるとしても、ディスクールがみずからの考察しうるものをとおして指し示すものは、もはやそのような組織的な役割を失ってしまった装置でしかないはずである。そうだとすれば、ディスクールが対象としえないような、ある別のタイプの装置がそのディスクールを分節化しているわけだが、いったいそれはどのような装置なのか」
  • 150: 「ブルデューにおいて、カビリアは、「実践 [プラティック] の理論」のトロイの木馬である。そこによせられた三つのテクスト(「家あるいはさかしまの世界」をはじめ、ブルデューの書いたもののなかでももっとも素晴らしいテクスト)は、ひとつの長い認識論的ディスクールのための複数の前衛部隊の役をつとめている。この「カビリア民族学三試論」は、詩のようなスタイルでひとつの理論(散文で書かれた一種の注釈)をみちびきだし、いつどこから引用してもまばゆく散りばめられた破片のように輝く、理論の源になっている」
  • 162: 「 [ブルデューの語る「戦略」的実践は、] より多くの 情報を集めておいてあらかじめ矯正策を講じておけるわけでもないから、「いささかの計算」があるわけでもない。先の予測をつけるのでもなく、ただ、過去の反復のような「漠と推測された世界」があるだけである。要するに「そういうことになるのは〔実践が結果として客観的情勢に適合するのは〕、厳密に言うなら、主体が、自分たちのやっていることを知らないからであり、かれらのやっていることには、かれらが知っている以上の意味があるからである [註26] 」。つまりここにあるのは「知恵ある無知 [ドクト・イニョランス] [註27] 」であり、自分で自分をそうとは自覚してない知略なのだ」; (註26): Pierre Bourdieu, Esquisse d'une théorie de la pratique, Droz, Genève, 1972, p. 175-177 et 182; 《Avenir de classe...》, in Revue française de sociologie, XV, 1974, p. 28-29; etc.; (註27): Esquisse..., op. cit., p. 202
  • 162~163: 「場によって統括されるこれらの「戦略」、物識りでありながら自分では無自覚なこうした「戦略」とともに、もっとも伝統的な民族学が立ち返ってくる。事実これまで民族学は、みずからは隔絶した区域に身をおき、そこから観察をつづけながら、一民族にそなわる諸要素を首尾一貫して [﹅6] しかも無意識的なもの [﹅7] とみなしていた。この二つの面はわかちがたく結びついている。首尾一貫性なるものがひとつの知の公準であり、知がみずからにさずける地位の公準、みずからが準拠する知識モデルの公準であるためには、この知を、客観化された社会からはなれたところに位置づけなければならず、したがってこの知を、その社会がみずからについて抱いている知識とは隔たったもの [エトランジェ] 、それよりいちだんと高いものと前提しなければならなかった。研究の対象となる集団の無意識は、知がみずからの首尾一貫性を保持するために支払わねばならない対価(知が報わねばならない対価)であった。(end162)ひとつの社会は、みずからそうと知らずにしかシステムでありえなかったのである。そこから、次の命題が派生してくる。すなわち、自分ではわからないままに社会をなしているその社会がどのような社会であるかを知るためには民族学者が必要なのだ」
  • 164: 「ブルデューがたてている問題そのものがかなりあやふやな項目からなっているのではないかと言えなくもない。そこで考えられている三つの与件――構造、状況、実践――のうち、後の二つ(この二つはたがいに応えあう)だけは観察される [﹅5] ものであるのにたいし、第一のものは統計にもとづいてみちびきだされた結論 [﹅2] であり、すでにできあがったモデル [﹅12] である。「理論的」問題に入りこんでしまうまえに、認識論的な二つの前提事項をはっきりさせておく必要があるだろう。すなわち、次の二つのことをおさえておかなければならない。(a)これらの「構造」にそなわっていると想定されている「客観性」。これは、社会学者のディスクールのなかで現実そのものが語られるという確信にささえられた「客観性」ではないのか。(b)「構造的」モデルは総体をおさめるものとされているが、観察された実践や状況はそこにおさまりきれない限界があるのではないか。とくにそれらを統計によってあらわそうとするのは限界があるのではないだろうか」
  • 173~174: 「遠い昔にさかのぼるまでもなく、カント以来、いかなる理論的探求も、こうしたディスクールなき活動、人間的活動のうちで、なんらかの言語で飼いならされ象徴化されたことのないものからできあがっているこの広大な「残り」と自己とがどのよう(end173)な関係にあるのか、程度の差こそあれ、真向からたちむかってあきらかにしないわけにはいかなかった。個別科学はこのような真向からの対決をさけて通る。それは、みずからア・プリオリに条件を設定し、なにごとであれ、それを「ことばにしうる」ような、固有の限定された領域内でしか事物をあつかおうとしない。それは、事物をして「語らせる」ことができるようなモデルと仮説の碁盤割りをひいて事物を待ちうけているのであり、この質問装置は、狩猟家のはる罠にも似て、事物の沈黙を「回答」に、したがって言語にかえてしまうのである。それが、実証という作業だ [註1] 。これにたいして理論的な問いかけは、こうしたもろもろの科学的ディスクールうしの相互関係のみならず、それらがみずからの領域を設定せんがために意図的に排除してしまったものと共通に結びあっている関係を忘れはしない [﹅6] し、忘れるわけにはゆかない。理論的な問いかけは、無限にひしめきあう(いまだ?)語らないものと結ばれており、なかでも「日常的な」実践というすがたをしたものと結ばれあっている。それは、この「残り」の記憶 [﹅7] なのである」; (註1): すでにカントが『純粋理性批判』においてこのことを語っていた。学者とは「自分で問いの型を決め、その問いにたいして証人に答えさせようとする判事である」、と。

2021/8/28, Sat.

 『全体性と無限』にあってもレヴィナスは、「〈私〉の唯一性」についてかたり、そのありかをむしろ、〈他者〉との関係のなかで私が逃れようもなく〈私〉であること、そのゆえに私が無限の〈責め〉を負わされていることのうちに見さだめていた(四・2)。第二の主著においても、ことの消息は基本的には変わらない。レヴィナスの説きようは、とはいえ、若干の変化を見せている。『存在するとはべつのしかたで』から引用する。

 〈私〉という唯一性は比較を絶している。それは、類の共通性、〈かたち〉の共通性の外部にあり、だからといって、自己のうちに休息することでもなく、動 - 揺 [in-quiète] であり、自己との一致でもないからである。その唯一性は自己の外部であり、自己との(end125)関係における差異なのである [註93] 。

 (……)自己差異化そのものである〈私〉の同一性は「自己の外部」から到来する。どうしてだろうか。
 それは、〈私〉がまさしく「〈同〉における〈他〉」として規定されているからである。「主体性は〈同〉における他 [﹅6] として構造化される。だが、意識のそれとはことなる様相で構造化されているのである [註94] 」。主体の同一性もまた、外部性と他者性によって構成されている。〈私〉が〈責め〉としてかたちづくられていることの、これはひとつの必然的な帰結にほかならない。

 (註93): E. Lévinas, Autrement qu'être, p. 21. (邦訳、二八頁)
 (註94): Ibid., p. 46. (邦訳、五九頁)

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、125~126; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • きょうはひさしぶりの休み。二時前くらいからミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読み出し、いま四時四〇分。三時間くらい読んでいたことになる。84から145まで。おもしろくてなかなか読み止める気にならなかった。労働にむかう時間を気にせず本を読んでいられるというのはすばらしく満足の行くことである。
  • 起床は一一時ちょうど。瞑想、一五分ほど。暑くてじっとしているのがむずかしい。起きてからしばらくはけっこうひかりがあったが、たぶん三時くらいから曇りにかたむいた。といって雲はなめらかで、薄水色もところどころに差されて暗くなくおだやかな色合い。下階に出されてあった布団を二枚、書見のとちゅうで両親の寝室に取りこんだ。
  • 新聞一面には昨晩の夕刊でもつたえられていたカブールでのテロの報があった。昨夜の報では死者は七〇人超だったが、それから数字が増えて一〇〇人以上となっていた。米兵一三人というのは変わらず。二面と三面にまたがって関連記事があったのでそれを読む。今回の件を受けて各国とも救出作戦の続行は困難だと判断しはじめているようで、だからアフガニスタンを脱出できずとりのこされるひとがけっこう出るのだとおもう。バイデンも三一日までで任務を終えるという姿勢をくずしていないようだし(ただいっぽうで、数日前にブリンケン国務長官のほうは八月を越えてもすべての米国人や協力者が退避できるまで救出はつづける、と述べていたはずだが、この二者の不一致はどういうことなのだろう――という疑問について、九月二日の時点から加筆しておくが、ブリンケンが言ったのは単純に、退避任務を終えて米軍がアフガニスタンから撤退したのちも残された米国人や協力者を脱出させるためのとりくみはつづける、ということだったのだろう)、そうすると、米軍が去ったあとに十分な治安維持は無理だから、そんななかでとても救出作戦など実行できない、というわけだろう。日本ももともとそのつもりで、数日前に自衛隊機を派遣したわけだけれど、米国が月末までに撤退するという事情を受けて、二七日か二八日までに作戦を終えるという計画だったらしい。それできのう、一人を移送したらしいが、たぶん自衛隊がはこんだのはけっきょくこのひとりだけなのだろうか? 機を派遣したはいいけれど、やはり空港に自主的に来てもらうのがむずかしく、しかもテロも起こってしまったわけだし、じっさいあまり大したはたらきはできなかったのだとおもう。自民党からも、もっとはやく自衛隊を派遣していたらまたちがったはずだ、という批判が出ているという。米国はいままでで一〇万人ほどを脱出させたと発表しているらしい。
  • あと、新倉俊一の訃報。九一歳。ずっと「しゅんいち」だとおもっていたのだが、「としかず」だった。とおもっていま検索したら、新倉俊一と書く文学者はふたりいて、「しゅんいち」がフランス文学のほうで、「としかず」は、訃報にもあったが、西脇順三郎とかパウンドとかを研究しているアメリカ文学者だった。びっくりした。たしかに、このひとって山田爵まわりでなまえが出てきた、中世文学を訳しているひとじゃなかったっけ? とはおもったのだ。山田爵のWikipediaを見てみると、たしかに、『狐物語』というのを新倉俊一と共訳している。蓮實重彦河出文庫の『ボヴァリー夫人』の解説で、恩師のこのしごとについて一瞬だけ触れていたようなおぼえがある。『ボヴァリー夫人』の冒頭(まさしくいちばんさいしょ)で、「ぼくらは自習室にいた。するとそこに、制服ではないふつうの服を着た転入生と、机を持ちはこんでいる小使がはいってきた」みたいな文があるのだけれど、ほかの訳者はみな「私服」とか「平服」みたいに簡略的にいいかえて訳しているところをわざわざ「制服ではないふつうの服」と律儀にことばをたどって訳している点に山田爵の散文性があらわれている、みたいな文脈だったはず。
  • 五時まえでうえに行き、米を磨いだ。もうすこしがまんして夕食を待ったほうが良いわけだが、あまりにも腹が減っていたので、ピザパンを食べることに。「フジパン」の品。電子レンジであたためているあいだ、ベランダの洗濯物を取りこんだ。タオルや足拭きや柵に干された薄布団。その後、椅子についてピザパンを食いながら新聞一面をまた読んだ。「デジタル奔流」。九月一日からデジタル庁が発足するらしい。政府は行政のデジタル化をすすめたい意向で、その目玉というか中心施策がマイナンバーカードなわけだが、じっさいまだまだ普及はしていない。一〇月からだったか、マイナンバーカードと健康保険証を一体化するしくみがはじまるらしく、将来的には運転免許証も統合する計画らしい。先行的に制度を実践している足立区の薬局の現場では、いぜんは番号をいちいち手打ちしなければならなかったのが、カードを読みこめばすぐに関連情報がすべて表示されるのでありがたい、との声が聞かれているようだ。しかしとうぜん個人情報のあつかいや流出にかんする懸念はあって、普及がすすんでいないのはそれが大きいだろうとのこと。
  • その後、アイロン掛け。
  • きのうの夕刊の音楽情報に載っていた黒木渚『死に損ないのパレード』という作品をAmazon Musicでながしてみたのだけれど、冒頭の"心がイエスと言ったなら"を聞くに、すごくJ-POPというかんじがして、このJ-POP感というのはなんなのだろうなとおもった。コード進行にもメロディにもそれをかんじたのだが。記事によればこのひとはいままで苦労があって、死をかんがえたことも一再ならずあったようなのだが、ところがどっこい生きているというわけで、じぶんで「七転び八起きの達人」とか自称しているらしく、こういう世相ということもあるし似たようなひとに元気をあたえられれば、みたいなことを言っていた。それでたしかに、『死に損ないのパレード』なんていう題名のわりに、やたらあかるく無害っぽい曲調ばかりになっている。まあ、特段にこちらが好きな音ではない。二〇一五年から小説も書いているとか。
  • その後、なぜかSIAM SHADEなんていうなまえをおもいだしてしまい、SIAM SHADEといえばこちらの世代では『るろうに剣心』のアニメのエンディング(のほうだったはずだが……オープニングはJUDY AND MARYの"そばかす"だったはず)に"1/3の純情な感情"がつかわれていて有名であり、この曲は同世代ならたぶんだいたいみんな知っているとおもうのだけれど、こちらは高校生のとき、当時持ちはじめたばかりだったガラケーでウェブにつないで、違法にアップロードされた楽曲を落とすことのできるなんだかよくわからん掲示板みたいなところでけっこう曲を落としており(二〇〇六年とか〇七年とかそのくらいのことで、当時の携帯の容量で接続するウェブなど、画像もほとんどないような殺風景な原始性ではなかったか?)、『SIAM SHADE Ⅱ』を全曲落として、高校の行き帰りにけっこう聞いた一時期があったのだ。なんかテクニカルなメロディアスハードロックというかんじでけっこう格好良くて、特にこの『Ⅱ』を多く聞いた記憶がある。というのをなぜかおもいだしてしまったのでAmazon Musicでながしたところ、ああこういうかんじだったな、となつかしい。ギターの刻みがこまかくて機動的によく動くかんじ。冒頭曲の歌前など聞くに、バックの演奏はいま聞いてもわりと格好良くおもえる。ただ歌と声はダサい。しかし、こういう方面の、ややヴィジュアル系はいったみたいなバンドはこういうかんじで良いのだ。しかしまあ、九〇年代の日本の音楽だな、というにおいがぷんぷんしている。ギターのDAITAはたしかPaul Reed Smithの(だからたぶんけっこう高い)ギターを(すくなくともソロになってからは)つかっていたはずで、かなりテクニカルなほうで、タッピングをもちいたレガートが得意だったはず。
  • SIAM SHADEはとちゅうで満足したし、なんかああいうたぐいの音楽につかれたので、もっと風通しの良いものを聞こうとおもってThe Five Corners Quintet『Chasin' The Jazz Gone By』をながした。手持ちがないし、AmazonにもないのでYouTubeだが。
  • 二二日の記事の書抜きをすすめたあと、夕食へ。ピーマンの肉詰めなど。夕刊にアフガニスタンの続報。死者は一七〇人越えと。米兵は一三人、タリバンは二八人が死んだらしい。米軍が東部ナンガルハル州で無人機をつかってISISを報復攻撃したという。攻撃時、戦闘員は移動中だったとかで、さらなるテロのために準備をしていたのかもしれないとのこと。また、自衛隊はきのうひとり移送したほかに、二六日にアフガニスタン人十数人をパキスタンにはこんでいたのだという。アフガニスタン国内には日本の大使館員やその家族など、最大で五〇〇人がのこっていると見られるらしい。
  • いま読んでいるミシェル・ド・セルトーの『日常的実践のポイエティーク』の訳者である山田登世子という学者はどういうひとなのかなとおもって検索し、Wikipediaを見てみたところ、バルザックが専門のフランス文学者だというが、著作を見るかぎり文学というよりも社会文化についてよく書いたひとのようで、娼婦についてとかシャネルなどファッション方面についてなどものしている(『メディア都市パリ』という本の解説は工藤庸子らしい)。訳業にはバルザックボードリヤールやバルトの『モード論集』(ちくま学芸文庫のやつで、その存在はもちろん認識していたが、訳者はおぼえていなかった)などがあるけれど、目につくというかこういうのもやっているのかとおもうのはアラン・コルバンである。『においの歴史』(鹿島茂と共訳)と、『処女崇拝の系譜』(小倉孝誠と共訳)。アラン・コルバンがやっているアナール学派の正統な末裔というかんじの社会史・文化史的なしごとってどれもおもしろそうなのだけれど、いままで小倉孝誠が訳していた風景関連の小さな本一冊しか読んだことがない。しかもけっこうむかしなので、そんなにきちんと読めていなかった気がするし。
  • (……)さんのブログを二七日と二六日の二日分。
  • この日はきょうのことを書くとともに、二二日日曜日から二五日水曜日までの記事をかたづけた。おおかたは書抜きだが。本を読むとき、いまは二種類のページメモを取っていて、ひとつは手帳に気になった箇所の範囲(ページおよび行)をメモするもの、もうひとつはべつのノートにもっとひろい範囲での書抜き箇所をメモするもので、後者の書抜きは毎日日記のいちばんうえに順々に引いているものなのだけれど、それは去年読んだ本からもうたぶん三〇冊くらい溜まっていて、進行をだいぶサボっている。たいして前者のメモはその日読んだ範囲から気になった部分としてさいきんは毎日の日記にいちいち書き写しているわけで、これがだいぶ労力と時間を必要とするしごとなのだけれど、しかしやはり日々そうしたほうが良いんじゃないかという気がしているので怠けずやっている。そうしたほうが良いと思う根拠は特にない。もちろんいろいろ挙げることはできるだろうが、それよりも単純に、そうしたい気持ちがあるというだけのことだ。
  • 84: 「もっと一般的にいって、押しつけられたシステムをある一定のやりかたで利用する [﹅14] ことは、既成事実という歴史の掟に抵抗し、それを正当化する教義に抵抗することである。他者が樹立した秩序をあるやりかたで実践すれば、その秩序の空間は再配分されてしまう。少なくともそこには、対等でない諸力が作戦をめぐらすゲームが創りだされ、さらには、ユートピア的な道をめざすゲームが創りだされてゆく。そこにこそ、「民衆」文化の暗闇があらわれているのであろう――同化にはむかうあの黒い岩 [﹅3] が」
  • 85: 「ローマ街道やナポリ街道の道案内人がみせたそれにも似て、その道に通じた目利きをしたがえ、みずからの美学をそなえた名人芸 [マエステリア] が、権力の迷宮のなかで腕を発揮するのであり、その名人芸は、テクノクラシーの透明な世界のなか、なにか不透明なものと曖昧なもの――片隅にこもる暗がりと狡智――をもってたえず創始され、全体の管理など気にかけるでもなく、その世界のなかに消えていっては、また姿をあらわす。不幸の側にあってさえ、こうして操作する [マニピュレ] ことと楽しむこととの組み合わせによってなんとか工夫がこらされるのである」
  • 88~89: 「こうした方法のもつ欠点は、それが成功した条件でもあるのだが、文献資料をその歴史的な [﹅4] コンテキストから抽出し、さまざまな時間や場所や対抗関係からなる特定の情況下で(end88)話し手がおこなったもろもろの操作を [﹅3] 排除してしまうということである。科学的実践がその固有の領域で遂行されるためには、日常的な言語的実践が(そしてその戦術の空間が)消去されねばならないのだ。したがって、しかじかの時点に、しかじかの話し相手にむかって、あることわざを「うまくさしはさむ」無数のやりかたがあるということは、考察の外におかれてしまう。このような芸 [アール] は排除されてしまって、その芸の持ち主ともども、研究所から閉め出されてしまうのだ。いかなる科学も対象の限定と単純化を必要とするという理由からばかりでなく、およそあらゆる分析にさきだって科学の場所が成立するには、研究すべき対象をその場所まで移転させる [﹅5] ことができなければならないからである。考察しうるのは、持ち運び可能なものだけにかぎられる。根こそぎにできないものは、そもそもからして圏外に放置されてしまう。だからこそこれらの研究はディスクール [﹅6] に特権をさずけるのであり、世にディスクールほど容易にとらえて記録化し、安全な場所まで持ち運んで考察することのできるものはない。ところが、パロール行為 [﹅2] は情況からきりはなすことができないものである」
  • 90~91: 「道具とおなじように、ことわざもそれ以外のディスクールも、使用の跡を残している [﹅10] のだ。それらは分析にたいして、発話行為のプロ(end90)セスや行為がしるした刻印を指し示している [註14] 。それらは、それらをとりあつかったさまざまな操作 [﹅2] を意味しているのであり、そうした操作は状況にかかわっていて、発話なり実践なりの情勢に応じた様態付与 [﹅4] とみなすことができる [註15] 。さらにひろく言えば、それらは社会的歴史性 [﹅3] の指標なのであり、そこにおいては、表象システムも製作手続きも、もはや規範的な枠組みとしてのみならず、使用者たちが操った道具 [﹅11] としてたちあらわれるのである」; (註14): 「発話行為のプロセスが発話に刻みつける跡」を分析すること、周知のように、これこそまさに発話行為言語学の対象である。Cf. O. Ducrot et T. Todorov, Dictionnaire encyclopédique des sciences du langage, Seuil, 1972, p. 405.〔滝田文彦他訳『言語理論小事典』朝日出版社〕; (註15): 話し手が自分の発話(dictum あるいは lexis)になんらかの位置づけ(実在性、確実性、義務性、等々にかかわる)をあたえる様態にかんしては、たとえば次を参照せよ。Langages, n° 43, sept. 1976, 《Modalités》特集号、およびそこに付された参考文献、p. 116-124.
  • 94: 「民話や伝説も同様の役割をもっているのではなかろうか [註22] 。それらが繰りひろげられる空間も、ゲームと同様、日常的な競争の世界からきりはなされた例外的な空間であり、驚異、過去、起源の空間である。だからこそそこには、神々や英雄たちの姿をまといながら、日々つかえそうなうまい業、下手な業の模範が並べられているのだ。そこで物語られるのは、さまざまな手口であって、真理ではない」; (註22): 民衆における「規律」と「信仰」を論じたNicole Belmontの研究に照らして、ゲームと民話の相関関係を分析できるのではないだろうか。Nicole Belmont, 《Les croyances populaires comme récit mythologique》, in l'Homme, X, 2, 1970, p. 94-108.
  • 94~95: 「かれプロップは四百の魔法昔話を調べあげ、それらを機能 [﹅2] の「基本的連続」に還元した [註24] 。「機能」とは、「筋の展開にはたしている意義という観点からみた、人物の行為 [アクシオン] [註25] 」である。A・レニエが指摘しているように、これらの機能がすべて同質的な統一性をそなえているかどうかは確かではないし、レヴィ=ストロースとグレマスがそれぞれに示したように、分割された諸(end94)単位が不変であるかどうかについても確かではない。それでもプロップがいまなお新しさを失っていない点は、かれが意味でも人物でもなく、葛藤をはらんだ状況下におかれた行為を基本的単位として、それをもとに、お伽話がさまざまな戦術の一覧と組み合わせを呈示していることを分析してみせたことである」; (註24): 「基本的連続」ということばはレニエによる。A. Régnier, 《De la morphologie selon V. J. Propp à la notion de système préinterprétatif》, in l'Homme et la Société, n° 12, p. 172.; (註25): Vladimir Propp, Morphologie du conte (1928), trad., Gallimard et Seuil, 1970, p. 31.
  • 96~97: 「このように特殊状況に応じて戦術を選び、他から押しつけられた空間をあやつるという(end96)のが、「発話行為」という実践に特有の様態だが、こうした様態が浮きぼりにされてくる以上のような例にならっていけば、「ものをなす術 [アール・ド・フェール] 」という広大な領域を分析する可能性がひらけてくる。このような「術 [アール] 」は、(高等教育から初等教育まで)教育によって上から下まで資格化された文化を支配しているモデルとは別物である。このモデルのほうは、何ごとにつけ、話し手にも情況にもかかわりなく、固有の場(科学的空間とか、書くための白いページとか)を設定しようとかかり、その固有の場で、生産と反復と検証を保証するような諸規則に従ってシステムを構築してゆかねばならないようになっているが、そうしたモデルといまとりあげている、ものをなす術とは異なったものだ」
  • 101: 「だが実際に起こっている事態はそんなことではなく、「民衆たちの」戦術が、そのうち体制も変わるだろうなどという甘い幻想をいだかずに、さっさと自分らの目的のために何かを横領しているということなのだ。一方で支配権力によって搾取されたり、イデオロギー的なディスクールによって頭から否認されたりしているのと対照的に、ここでは、秩序がある芸 [アール] によってもてあそばれて [﹅7] いる。本来なら制度に奉仕すべきところを、その制度のなかに、こうしてひとつの社会的交換のスタイルと、技術的制作 [アンヴァンシオン] のスタイル、そして倫理的レジスタンスのスタイルが紛れこんでいるのである。すなわちそれらは、ある「贈与 [﹅2] 」の経済(気前よくわかちあえることから、報復をひきうけることまで)であり、(名人の操作にそなわる)「腕前 [﹅2] 」の美学であり、そして不屈 [﹅2] の倫理(既成秩序にたいして、掟や意味や宿命という資格をあたえまいとする千のやりかた)である」
  • 101~102: 「労働によるそして労働のための専門分化という離接的なロジックによって時間と場所の囲いこみはますます強化してゆく一方だが、これに対抗するのに、もはやマスコミュニケ(end101)ーションなどという連接的儀礼ではとうていたちうちできるものではない。けれども、だからといってこの事実 [﹅2] がわれわれの掟 [﹅] になろうはずはないだろう。われらが慈善家たちのおこなっている寄贈と「競争しつつ」、労働者を分断してこきつかう制度から、その資材の生産物を失敬し、それをかれらに贈る務めをはたせば、この事実を曲げてしまうことができるのだ。このような経済的横領 [﹅2] という実践は、事実上、経済システムのなかにひとつの社会政治的な倫理が回帰していることである。おそらくそれはモースの言うポトラッチを志向するもの、互酬性にもとづき、「あたえる義務」によって分節化された社会網を編成してゆく、あの自発的な貢のゲームを志向するものであろう [註31] 」; (註31): Marcel Mauss, Sociologie et anthropologie, P.U.F., 1966: 《Essai sur le don》, p. 145-279.〔有地亨・伊藤昌司・山口俊夫訳『社会学と人類学』Ⅰ、弘文堂〕
  • 104: 「ひとつの技 [アール] と連帯をあらわすようなテクストを創作しよう。あの無償交換というゲームをやろう。上司や同僚が「目をつむる」だけではあきたらず、ペナルティを科したっていいではないか。結託の跡を残し、器用な細工の跡を残すような制作をすること。贈与には贈り物でこたえること。こうして、科学の工場のなかで機械のための仕事を強制してくる掟をくつがえし、これと同じロジックで、創造せよという要請と、「あたえる義務」とを、なしくずし的に無くしてゆくこと」
  • 108: 「ちょうどものの使用法 [﹅3/モード・ダンプロワ] のように、こうした「もののやりかた」は、使うひとによって効能もさまざまにちがってくるものの働きを活かしながら、そこに遊び [ゲーム] を創りだしてゆく。たとえば(家でも言語でも)、故郷のカビリアに独特の「住みかた」、話しかたがあり、パリやルベーに住むマグレブ人は、低家賃住宅の構造やフランス語の構造が押しつけてくるシステムのなかに [﹅3] これをしのびこませるのである。かれは、二重にかさねあわせたその組み合わせによって、場所や言語 [ラング] を強制してくる秩序をいろいろなふうに使用する [﹅12] ひとつのゲーム空間を創りだす。否応なくそこで生きてゆかねばならず、しかも一定の掟を押しつけてくる場から出てゆくのではなく、その場に複数性 [﹅3] をしつらえ、創造性をしつらえるのだ」
  • 112: 「かれらは中からそれらを覆していた――それらを拒否したり転換したり(そういうこともあったが)することによってではなく、植民地化を逃れえないまま、それとは異質 [エトランジェ] の規則や慣習や信条のためにそれを使う無数のやりかたをとおしてそうしていたのである [註4] 。かれらは支配秩序をメタファーに変え、別の使用域で機能させていた。かれらを同化し、外面的にかれらを同化する秩序のただなかにありながら、かれらは他者のままでありつづけていた。その秩序からはなれることなく、それを横領していたのである」; (註4): たとえばペルーやボリビアアイマラ族について次を見よ。J.-E. Monast, On les croyait chrétiens: les Aymaras, Cerf, 1969.
  • 113~114: 「ギルバート・ライルは、ソシュールが「ラング」(システム)と「パロール」(行為)のあいだにうちたてた区別を再検討しながら、前者を資本 [﹅2] に、後者を、それによって可能となる操作 [﹅2] に比している。一方にストックがあり、他方にさまざまな用途や使用法があるわけである [註6] 。消費にそくして言えば、生産が資本を提供し、使用者は、(end113)ちょうど貸借人とおなじように、この資産の所有者になるわけではないが、それに操作をくわえる権利を獲得するといってほぼまちがいないであろう」; (註6): G. Ryle, 《Use, usage and meaning》, in G. H. R. Parkinson (ed.), The Theory of meaning, Oxford University Press, 1968, p. 109-116. 同書の大部分が使用法を論じている。
  • 114~115: 「事実、発話行為というものは次のことを前提としている。(1)なにかを語ることによって言語システムの可能性を現動化する実行活動 [﹅4] (言語は話(end114)す行為のなかでしか現実化しない)。(2)言語を話す話し手による言語の適用 [﹅2] 。(3)話し相手(現実ないし虚構の)の導入、したがって相互的な契約 [﹅2] あるいは話しかけの設定(ひとはだれかにむかって話す)。(4)話す「わたし」の行為による現在 [﹅2] の創設。そしてこれにともなう時間の編成、というのも「現在はなかんずく時間の源泉であるから」(現在は、以前と以後を創りだす)。そして世界への現存である「いま」の存在 [註9] 」; (註9): Cf. Emile Benveniste, Problèmes de linguistique générale, t. 2, Gallimard, 1974, p. 79-88.
  • 115: 「以上の要素(実現すること、適用すること、関係のなかに組みこまれること、時間のなかに身をおくこと)によって、発話行為、そしてこれにともなう言語使用は、さまざまな情況の結び目となり、「コンテキスト」からきりはなしえない結節となるのであって、発話行為は抽象的にしかこのコンテキストから区別されえない。語るという行為は、いまある瞬間 [﹅2] 、特殊な [﹅3] 情況、そして何かをやること [﹅7] (なんらかの言語をうみだし、ある関係の力関係を変えること)ときりはなすことができないものであって、ある一定の [﹅5] 言語の使用であり、言語にくわえられる [﹅7] 操作なのである。こうした使用法がすべて消費にもあてはまるものと仮定すれば、このモデルを数多くの非言語的な操作に適用することができる」
  • 119: 「わたしが戦略 [﹅2] とよぶのは、ある意志と権力の主体(企業、軍隊、都市、学術制度など)が、周囲から独立してはじめて可能になる力関係の計算(または操作 [マニピュラシオン] )のことである。こうした戦略が前提にしているのは、自分のもの [﹅5] 〔固有のもの〕として境界線をひくことができ、標的とか脅威とかいった外部 [﹅2] (客や競争相手、敵、都市周辺の田舎、研究の目標や対象、等々)との関係を管理するための基地にできるような、ある一定の場所 [﹅7] である。経理の場合がそうであるように、すべて「戦略的な」合理化というものは、まずはじめに、「周囲」から「自分のもの [プロープル] 」を、すなわち自分の権力と意志の場所をとりだして区別してかかる。言うなればそれはデカルト的な身ぶりである。《他者》の視えざる力によって魔術にかけられた世界から身をまもるべく、自分のものを境界線でかこむこと。科学、政治、軍事を問わず、近代にふさわしい身ぶりなのだ」
  • 120: 「知の権力 [﹅4] とは、こうして歴史の不確実性を読みうる空間に変えてしまう能力のことであると定義してもまちがいではあるまい」
  • 120~121: 「このようにして軍事的戦略も科学的戦略も、つねに「固有の」領域(自治都市、「中立」ないし「独立」の制度、「利害をこえた自主独立の」研究をかかげる研究所、等々)を設定してはじめて創始されたのであった。いいかえれば、こうした知の先行条件として権力がある [﹅18] の(end120)であり、権力はたんに知の結果や属性ではないのである。権力が知を可能にし、いやおうなくその特性を規定してしまうのだ。知は権力のなかで生産されるのである」
  • 124: 「かたや戦術は、時間にかかわってはじめて力を発揮する手続きのことである――それは、なにかが起こるまさにその瞬間に好機にかわる情況をとらえ、一瞬のうちに空間配置をかえる迅速さをそなえており、「打つ手」のあとさきに気をくばり、種々雑多なものについてそれぞれの持続とリズムが交差しているのに注意をこらす」
  • 125: 「こうしてみれば戦略と戦術の相違は、行動をとるか安定性をとるかという、歴史にかかわる二つの選択に帰着する(ただし二つの可能性というより二つの制約のあいだの選択だが)。戦略のほうは、時間による消滅にあらがう場所の確立 [﹅5] に賭けようとする。いっぽう戦術はたくみな時間の利用 [﹅5] に賭け、時間がさしだしてくれる機会と、樹立された権力に時間がおよぼす働きに賭けようとする」
  • 128: 「消費者は移住者に変貌していっている。かれらがそのなかを行き来しているシステムは、かれらをそのどこかにつなぎとめるにはあまりにも広大であり、といってかれらがそこから逃れてよそに行ってしまうにはあまりに細かい碁盤目に包囲されている。もうそこには、よそという場などありはしないのだ。こうした事態とともに、「戦略的」モデルもまた変化している。まるでそれは、自己の成功によって自己自身を見失ったかのようでもある。というのもこの戦略的モデルは、残りと区別された「自分のもの」をよりどころにしていたのに、いまやすべてが「自分のもの」になってしまっているからである。もしかしたらその転換能力は徐々につきていって、あるサイバネティックス型の社会が活動をくりひろげるような空間(いにしえのコスモスとおなじくらい全体的な)をつくりだしているのかもしれず、そこでは、目に見えず名づけることもできない無数の戦術のブラウン運動が起こっているのかもしれない」
  • 129~130: 「分析というものは重要にはちがいないが、抑圧 [﹅2] の制度とメカニズムを記述することにのみ熱心で、それに偏しているきらいがある。さまざまな研究領域で抑圧という問題系がなにより重視されているのは驚くにあたらない。しかしながら科学という制度は、科学が研究しようとしている当のシステムそのものの一部をなしているのである。システムを考察しながら、ともすれば科学は、なれあい談義というあのお決まりの型にはまってしまう(批判というものは、依存関係のなかにありながら、距離を保っているかのような外観をうみだすが、批判的イデオロギーだからといってイデオロギーの作用はいささかも変わるわけではない)。そればかりか、科学はそこで、悪魔とか狼男とかいった、なにやら恐ろしげな尾鰭をつけくわえさえして、夜になると家でそれが語り草になるというわけである。だが、このような装(end129)置それじたいによる自己解明にありがちな欠点は、この装置にとって異質なものである実践、この装置が抑圧している、あるいは抑圧していると信じている実践のすがたを見ようとしない [﹅7] ことである。けれども、こうした実践がこの装置のなかにもまた [﹅3] 生きていても少しも不思議ではないし、いずれにしろこれらの実践はこれまた [﹅4] 社会生活の一部をなしているのであって、不断の変化に適応し柔軟性に富んでいるだけ、この実践のほうがもちこたえる力は大きい。日々たえることなく、それでいてとらえどころのないこの現実を探ろうとするとき、われわれは社会の夜を探訪しているかのような印象におそわれる。昼よりも長い夜、相次いだもろもろの制度がばらばらに断ち切られてゆく闇のひろがり、無辺の海のはるけさ。その海のなかでは、社会経済的な諸制度など、かりそめのはかない島々に見えることだろう」
  • 130~131: 「分析というものはど(end130)うしても、こうした実践を技術的装置の端のほう、これらの実践がその分析道具に変化をくわえたり、その方向をそらしたりする、際どいところでしか把握できないものなのだ。こうしてみれば、研究される対象にたいして周縁的なのは研究そのもののほうである」
  • 135: 「研究所であれ、実験室であれ、ある研究がなんらかの対象を生産したということは、その研究が、さまざまな研究のおかげをこうむっており、また自分のほうでもそこに多少とも独創性のある寄与をもたらしたということである。したがってそうした生産物は、「問題の現況」にかかわっている。つまり専門家どうし、テクスト相互間の交換のネットワーク [﹅9] にかかわり、進行中の研究作業の「弁証法 [ディアレクティーク] 〔問答法〕」にかかわっている(「弁証法」というこのことばが、十六世紀のように、同じひとつの舞台のうえでさまざまな身ぶりが相互にからみあう動きを指し、それらの差異を「超越」したり、総合したりする特別な場をさずけられた権力を指すのでないとすれば)」
  • 137: 「だからこそまた「影響」とよばれるたがいの立場関係も、近かれ遠かれ、それを「客観的」にあらわすことなどできはしないのである。この立場関係は、それがもちきたらす変容と作用の結果をとおして、テクストのなかに(あるいは、それが何の研究なのかという規定のなかに)おのずとあらわれる。負債は対象に変わってしまうものでもないのである。さまざまな交換とか読書とか照合とかいったものが研究の可能性の条件を形成しているが、ひとつひとつの研究は百面体の鏡であり(その空間のいたるところに、他の研究がはねかえってくる)、ただしひび割れて歪んでしまった鏡なのである(それら他の研究はそこで粉々に砕け、様がわりしてしまう)」
  • 141: 「この権力には所有者もなければ特権的な場があるわけでもなく、上司もなければ部下もなく、なにか抑圧的な作用をおよぼすのでもなければ、教義体系をそなえているわけでもないのであって、もっぱら考察する対象を空間的に配置し、分類し、分析し、個体化するテクノロジーの力能をとおして、なかば自動的に力を発揮するのである(そのあいだに、イデオロギーのほうは「無駄口」をきいているのだ!)。一連の臨床的な一覧表(それじたい素晴らしく「一望監視的」な)をかかげながら、フーコーはみずからもまた、「権力の微視的物理学」を構成する「一般的規則」や「作用の条件」、「技術」と「手法」、さまざまに異なる「操作」や「メカニズム」や「原理」、そして「要素」を名づけ、分類しようとしている。このような構成要素一覧は、ディスクールなき実践をひとつの社会的な層 [ストラート] として切りとり、取りだすとともに、こうした実践にかんするひとつのディスクールを確立するという二重のはたらきをそなえている」
  • 144~145: 「ひとつの社会は、その社会の規範的諸制度を組織化するような、他にぬきんでた幾つかの実践によって構成され、そしてまた [﹅5] これとは別の無数の「マイナーな」実践によって構(end144)成されているのであって、そうしたマイナーな実践は、たとえディスクールを組織化しなくても、たえずそこに存在しつづけ、この社会からみてもまた別の社会からみても異質な、なにかの萌芽や、(制度上、科学上の)仮説の余地を保ちつづけているにちがいない。このようにひっそりと口をとざした多様な実践の「備蓄」のなかにこそ、「消費にかかわる」実践をさがしもとめるべきであろう」

2021/8/27, Fri.

 いわゆる「〈エロス〉の現象学」は、「愛は〈他者〉をめざし、その弱さをめざす」という一文で開始されていた。その現象学が「〈愛される者〉とは〈愛される女〉である」という立場から出発する以上、レヴィナスそのひとの記述は中立的(中性的)なものであるとはたしかにいいがたい一面をもつことになる(286/394)。
 だが他方、「弱さ」(faiblesse)とは、レヴィナスによれば、「他性そのもの」の性質である。〈弱さ〉、あるいはより積極的にかたりなおすなら、「やわらかさという様式 [﹅2] 」が、他者の他性それ自体をかたちづくっている。当面の場面でいえば、裸形の他者がさらしている「極端な脆さ」と「傷つきやすさ」(vulnérabilité)こそが、〈他者〉のありかをさししめしているのである(ibid.)。この「弱さ」と「脆さ」のゆえにこそ、他者はけっして「蹂躙」されない。傷つきやすい [﹅6] 、ほんのすこし引っ搔くだけで傷ついてしまう [﹅7] 、あ(end123)るいは傷つかないではいられない [﹅12] 裸形の〈肌〉が、つまり、〈私〉とのあいだをへだてている、薄くほとんど透明な「隔たり」(四・4既引)をしめす〈他者〉の皮膚が、他者の他性と、他者と私との関係そのものの比喩なのである。
 さらにふりかえるならば、レヴィナスは「家政」と「すみか」について論じる文脈ですでに、「現前にあって同時に、その撤退と不在においてあらわれる」他者についてかたり、「その現前が慎みぶかくも(discrètement)不在であるような〈他者〉」とは〈女性〉であるとかたっていた(166/233)。「〈女性〉の慎みぶかい現前」(185/259)という規定が、ジェンダーの規定として孕むであろう問題点については、いまはすべて措く。だがしかし、おもいなおしてみると、不在において現前し、その意味では〈慎み〉(discrétion)をもって、とはいえ〈おもいのままに〉(à discrétion)、しかも〈非連続〉(discret)に現前するのは、まさしく〈他者〉一般ではないだろうか。他者が〈無限〉であり、〈私〉が他者を〈渇望〉するということがらの消息のうちには、他者のこのような現前の様式があらかじめ書きこまれていたはずである。その意味では、『全体性と無限』のレヴィナスにあってすでに、他性(altérité)とは一種の〈女性性〉(féminité)であったのである。――女性は女性であるがゆえに踏みにじりえないのではない。女性性は(セックスとしてでもジェンダーとしてでもなく)他者性を表示するものであるがゆえに蹂躙されえないのである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、123~124; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 帰宅後に休んでから夕食を取るときに夕刊を取って一面をおもてに出すと、アフガニスタンはカブールの空港付近でテロがあって、米兵をふくむ七〇人以上が死亡とのおおきな報があった。きのうの新聞で、米政府が空港付近でテロが起こる可能性が高いと、かなりたしかな筋からの情報として発表しちかづかないよう警告したという記事があったが、そのとおりの事態になってしまった。実行犯はISISの人間で声明も出ている。米兵およびタリバンの検問(米国は検問にかんしてタリバンに協力してもらっている)をくぐりぬけて自爆し、その後銃撃もあったという。とうぜんタリバンとISISの内通がうたがわれるわけだが、タリバン側は自組織の人間にも被害が出ており共謀はしていないと否定、ISISのほうも声明で、タリバン兵をふくめて殺した、と述べている。また、もともとISISはアル・カーイダから離反した組織だから折り合いが悪く、近年ではタリバンの戦闘員をひきぬいたりもしていて関係は悪化していたようだから、共謀はなさそう、とのことだ。ISISはここ数年アフガニスタンで何度か自爆テロを起こしており、まだ勢力はある程度健在で、米軍の撤退が決まってタリバンが実権を掌握したタイミングで存在感を示そうとことにおよんだのかもしれない、と。四月に正式に米軍撤退を宣言してのちタリバンの電撃的進攻をゆるして政府もうばわれ、あげく自国民や協力者の退避中に自爆テロを起こされたとあってバイデン政権はとうぜん批判されており、米国の信用や影響力の失墜はまぬがれないところだろう。
  • 夕刊には音楽ニュースも。ハイエイタス・カイヨーテが新作を出したとか。このバンドもなんだかんだいってぜんぜん聞いたことがないが。Official髭男dismもアルバムを出して、J-POPにあるまじき「常識外れ」の転調をした曲がヒットしているとか。Official髭男dismもちっとも聞いたことがないが、たぶんわりと洒落た音楽なのだとおもう。洒落た音楽が流行るという点で、いまの若い世代はすごいなとちょっとおもう。去年職場の生徒と面談したときにも髭男のなまえを挙げたひとが二人か三人いたはずなので、中高で洒落た音楽が流行っていて聞いているというのはじぶんのその当時をおもうとすごいなと。中高当時にまわりの人間がどんな音楽を聞いていたかなど正直ちっともおぼえちゃいないが、だいたいみんなふつうに流行りのJ-POPとかを聞いていたはずで、だからたとえばポルノグラフィティとか宇多田ヒカルとか浜崎あゆみとか、ぜんぜんおもいつかないがそのあたりだったのではないかとおもうのだけれど、流行っているものをふつうに聞くという点ではいまの中高生も変わらないのかもしれないが、その流行っているものが洒落てきているのがじぶんのときとはちがう気がする。じぶんは中学二年からDeep PurpleとかLed Zeppelinとかにはまって聞いていたわけなので、洒脱さのかけらもない。暑苦しさしか存在していない。洒脱なたぐいの音楽を聞けるようになったのは、高校の終わりか大学にはいってからだ。大学にはいってから本格的に趣味がジャズとかにひろがった。ギターを弾いていたからロックギター以外も聞こうという殊勝なこころがけでLarry CarltonとLee Ritenourだけはそれ以前にもすこしは聞いていたはずだが、なぜ純ジャズが好きになったのかはとくにおぼえていない。Evansの『Waltz For Debby』はわりとさいしょのうちからよく聞いていたとおもうが。『Sunday At The Village Vanguard』よりも『Waltz For Debby』のほうが好きだった。『Sunday At The Village Vanguard』は"Gloria's Step"からはじまって、わりと冷たいかんじの抽象的な色合いの曲が多かったはずで、やはりとっつきにくかったのだろう。『Waltz For Debby』はタイトル曲のイメージもあってか温かみがあるような、キャッチーな色合いが比較的つよくて聞きやすかったのだとおもう。
  • いま二八日の午前二時半で、うえでDeep Purpleと書いたからひさしぶりにDeep Purple『Made In Japan』などながしたのだけれど、"Child In Time"を聞きつつ、ハードロックとかヘヴィメタルっていうのはやっぱり基本的にダサい音楽なんだよな、とおもった。非常にマッチョで、言ってみれば天へ天へとただひたすらに高い建物をもとめた塔型近代建築みたいな音楽というか、どれだけ高い声でシャウトできるかとか、どれだけ速くギターを弾けるか、どれだけ長くツーバスでドコドコしていられるか、すくなくともひとつの側面ではそういうのを競いあう大仰なバカどもの音楽なのだ(能力合戦的な部分だけがこれらの音楽のダサさのよってきたるところではないだろうが)。それはダサい。ダサいが、そのダサさを離れたところでハードロックもヘヴィメタルもけっして成立しえないし、そのダサさと接したところでしかハードロックやヘヴィメタルの格好良さは生じえない。単に「ロック」と呼ばれる音楽とのちがいがそこにあるような気がする。ロックはまだしもダサさを逃れうる。しかしハードロックやヘヴィメタルは、ダサさとの拮抗のなかにしか存在しない。
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2021/8/26, Thu.

 〈無限〉である他者と私がなしうることとのあいだ、他者の〈顔〉と私の権能とのあいだには、したがって、ある「障害」があるはずである。とはいえ、現に殺人が日常の一齣でもあるという事実が「障害がほとんどなきにひとしいこと」をもさししめしている。だが、レヴィナスによれば、「人類史におけるまったくありふれたその事件〔=殺人〕は、例外的な可能性と対応している。というのも、その可能性は、ある存在者のまったき否定をめざすからである」(217/300)。「私が殺したいと意欲することができるのは、絶対的に独立な存在者のみなのである」(216/300)。問題は、かくして、絶対的に独立な存在者を、その絶対的独立性において抹消することが可能であるか、という点にかかっている。
 こたえはおのずとあきらかであろう。その意味における [﹅8] 殺人、〈絶対的に他なるもの〉の解消は、やはり端的に不可能なのだ。それは、絶対的に独立な存在者としての他者が、「〈私〉の権能を無限に過ぎ越して」いるからである。さらには、他者は「そのことによって〈私〉の権能に対立するのではなく、権能の力そのものを麻痺させている」(ibid.)からなのである。――いくたびも繰りかえすなら、しかし殺人はおこなわれうるし、現にたびたびおこなわれている。殺人は、憎悪のために、抵抗の排除のために、あるいはたんなる快楽のためにすら犯されている。さきにみたように、憎悪という感情はじつは一箇の不可能性を孕んでいるのであって、憎悪に発する殺人は、そのじつ憎悪する者にと(end119)っての敗北 [﹅2] である。憎悪の対象はいまや憎悪と苦しみから解放 [﹅2] されているからである。抵抗の排除が抵抗する他者の支配 [﹅2] をもくろみ、殺人による他者の所有 [﹅2] そのものが快楽の源泉であるならば、支配と所有は殺人において実現することなく挫折する。というのも「殺すことは、支配するのではなく無化することであり、包括を絶対的に放棄することである」からである(ibid.)。殺すことによる他者の所有 [﹅2] と支配 [﹅2] が、他者をその他性において、つまりその絶対的な独立性において支配し、所有することをめざすものであるとするならば [﹅6] 、その志向はあらかじめ座礁している。あるいは、その志向の実現そのものであるかにみえるものが志向の挫折をしるしづけている。殺害された他者はもはや他者 [﹅] ではなく、かくて所有され支配されたかにみえる他者はすでに他 [﹅] 者ではありえないからである。
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、119~120; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時四五分まで床にとどまってしまった。やはり覚醒を起床につなげることができない。蒸し暑い空気のなかで麻痺的に寝継いでようやく。水場に行ってから瞑想。一八分ほど。
  • 食事はカレー。新聞からは例によってアフガニスタンについて。タリバンアフガニスタン国民の出国禁止に転換したと。すでに数万人出国したらしく、医者とか技術者とか新政権の国づくりに役に立つ人材の流出を懸念したものと。それで空港までの道も封鎖するだかしてむかうひとを止めようとしているらしいが、こうなると各国の自国民や協力者退避もむずかしくなるはず。しかしバイデンはG7協議後の会見で月内までに任務を終えるとの見通しを変更せず再表明したようで、G7内でもドイツなどが計画見直しをもとめたようだがそれは利かなかったもようだ。
  • ほか、mRNAワクチンの機序について述べた解説面をとちゅうまで読んだ。
  • アイロンをかけるものが溜まっていたのできょうは下階にもどるまえにアイロン掛け。気温はかなり高く、エアコンがなければとても過ごせない。
  • 書見もせずにだらだらしたあとストレッチはしっかりこなす。そこそこ肉がやわらかく、伸びやすくなってきているような気もする。四時でおにぎりをひとつ食ったあと、「読みかえし」ノートを少々読み、二回目の瞑想。からだがかなりなめらかになって、充実した感触があったのだが、目をあけると一五分しか経っていなかったので、一五分でこんなになるかとおもった。時間感覚が密になっているのだろうか。
  • 往路は母親が図書館に本をかえしたいというので、車で送ってもらった。分館のまえでおろしてもらい、こちらが本や雑誌を持って返却へ。そこからあるいて職場に行くつもりだったので母親は帰った。母親が借りた本のなかには伊藤比呂美のなんとかいうエッセイ集みたいなものがあり、伊藤比呂美はもともと詩からはじまったひとだったはずだが、近年だとたぶんこういう、女性と老いなどを題材にしたエッセイで読まれているのだとおもう。たしか夫の介護かなんかを題材にした本もけっこう以前から出していたはず。母親が借りるくらいだから相当に一般に膾炙していると言っても良いとおもう。正直に言って、伊藤比呂美なんていうなまえを母親が借りている本のなかに見ると、びっくりしてしまうくらいだ。
  • ブックポストに入れておいてひきかえす。図書館の敷地から西に見える(……)の入り口には、たぶんサルスベリだとおもうのだけれど、濃い紅色の花をゆたかにまとった木があった。踏切りでとまる。遮断棒の左端につくとそこからさらに左はフェンスのむこうに線路脇の敷地がひろがっていて、駅とかホームの周囲とかその先の丘とかが見えるのだけれど、ここには以前建物があったのではなかったか、とおもった。こんなに見通しが良くなかった気がするのだ。気のせいかもしれないが。この位置に来たのもずいぶんとひさしぶりのことなので。
  • 職場へ。(……)
  • (……)
  • (……)
  • 帰路は晴れていて月がよく見えたようだ。
  • 74: 「まず第一に、たとえばロースは『装飾と犯罪』を著して、装飾性がウィーンにもたらした退廃性に抗しつつ機能主義的な簡潔さをかかげようとし [註27] 、ムジールもカカーニエン〔オーストリア・ハンガリー帝国〕を観察しながら、その病理をえぐるようなアイロニーをはぐくんでいったが [註28] 、こうした反抗の動きと呼応するように、ウィトゲンシュタインの内にも「腐敗した文化」のもつ「人目を惑わすような」魅力や、「ジャーナリスティックな」派手はでしさ、あるいはそれに似た類いの「駄弁」にたいするなかばジャンセニスト的な「嫌悪感」がある [註29] 。「純粋さ [註30] 」と「潔癖さ」とが、現代史への参加のスタイルとなり、文化にたいするひとつの哲学的な政治学になっているのだ」; (註27): Traverses, n° 7, 1976, p. 15-20〔今村仁司監修『化粧』リブロポート〕に訳載されたAdolf Loosのテクストを参照せよ。; (註28): Robert Musil, l'Homme sans qualités, trad. P. Jaccottet, coll. Folio, 1978, t. 1, p. 21.; (註29): 「検証する」ということばは、ある思考様式にたいするかれのアレルギーを特徴的にあらわしている。たとえば次を見よ。L. Wittgenstein, Leçons et conversations, trad., Gallimard, 1971, p. 154-155, p. 63-64; およびJ. Bouveresse, 《Les derniers jours de l'humanité》, in Critique, n° 339-340 特集《Vienne, début d'un siècle》, août-sept. 1975, p. 753-805.; (註30): Cf. la préface des Remarques philosophiques, trad., Gallimard, 1975, p. 11.
  • 75: 「エキスパートのディスクールとはちがって、ウィトゲンシュタインは自分の知を売りわたし、その知の名において語る権利を手に入れようなどとはしないのだ。知の要請を内にもちつづけてはいても、知によって資格を得ようとはしないのである」
  • 76~77: 「このような状況は、民族学者や歴史家のおかれた状況とも似ているが、ウィトゲンシュタインのそれは、はるかにラディカルである。というのも、こうして(旅人や古文書学者のように)自分のところを離れて [﹅10] 異人 [エトランジェ] であることを余儀なくされるありかたを、ウィトゲンシュタインは、分析というもののありかたのメタファーと考えているからだ。分析は、みずからがその内部にとらわれている言語そのもののなかにあって異者 [﹅8] であらざるをえない。かれは語っている、「われわれは、哲学するときには[すなわち、ただそれだけが「哲学的」である場所、あの世界という散文のなかで仕事をするときには]、文明人の表現のしかたを聞いて、それに誤った解釈をくだす野蛮人か、未開人のようなものである」、等々、と [註33] 。もはやそれは、野蛮人のなかにあって教養があるとみなされる職業人のとるポジションではなく、自分のところにいながら [﹅11] 異人であるようなポジションであり、わかっているとか、よくわかっているとか言うありふれた表現ひとつを前にして、その複雑さに途方にくれてしまうような、日常文化のただなかにおかれた「野蛮人」ともいうべきポジションである。そうして、ひとはこの言語の「外にでる」こともできなければ、どこかほかにそれを解釈できるような別の場所がみつかるわけでもなく、したがって誤った解釈もなければ正しい解釈もなく、ただ偽りの解釈しかないのだから、要するに出口はない [﹅5] のだから、残された(end76)ことはただひとつ、外部がないまま内部にいながら異人 [﹅16] であること、そして、日常言語のなかで「その限界に突きあたること」しかない――」; (註33): L. Wittgenstein, Philosophical Investigations, Blackwell paperback, Oxford, 1976, § 194, p. 79.
  • 81: 「たとえ事実は少しも変わらないとしても、この事実 [﹅2] を掟 [﹅] としてうけいれることはできない。従属からのがれることもできず、しかたなく事実に従いながらも、このような信念は、あたかも自然なこと、あたりまえのことのように押しつけられる体制の法令 [﹅2] にたいして、もはやごめんだという限度をつきつけ、その宿命性に倫理的な [﹅4] 抗議をつきつける」

2021/8/25, Wed.

 「自由にとっての最高の試練は、死ではなく苦しみである。憎悪がこのことをよく知っている」(266/369)。そう説いたあとにレヴィナスは、つづけてつぎのように書いている。(end114)

 憎悪は、把持不能なものを把持しようとする。そこで他者が純粋な受動性として実存するような苦しみをかいして、憎悪は高圧的な態度で侮辱しようとする。だが、憎悪は、際だって能動的な存在のうちにこそ、その受動性を欲するのであり、その存在こそが受動性をあかしだてなければならない。憎悪はつねに他者の死を欲望しているのではないが、それでも憎悪はすくなくとも、その死を最高の苦しみとして課することによってのみ、他者の死を欲望している。憎悪するものは苦しみの原因であろうとするが、その苦しみについて憎悪されるものが証人とならなければならない。苦しめることは、他を客体の地位に還元することではなく、その反対に他者を最大限、主体性のうちに維持することである。苦しみのなかで主体がみずからの物化について知っていなければならず、しかしそのためにはまさに主体が主体でありつづけなければならない。憎悪するものは、このふたつを欲するのである(266 f./369 f.)。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、114~115; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時起床。寝床から見る窓のゴーヤの葉の合間に覗く空は白いが、ひかりのつやめきも少々ふくまれているようだった。水場に行ってきてからきょうも瞑想をおこなった。一一時八分から三二分まで。よろしい。外ではラジオだか動画だかわからないが音声がずっとながれていて、音の距離感からしてたぶん(……)さんがながしているか、しかしそれにしては子どもらの声がまったくないので、あるいは外で作業をしているだろう(……)さんがながしているのかもしれないが、声がやや高めの男性がアメリカがどうのG7がどうのとかたっているたぐいの番組で、確証も自信もないのだがあれはなんとなく町山智浩ではないかという気がする。なぜそうおもったのかわからないが。しかし、いま町山智浩の動画をちょっとだけ見てみたところ、声のかんじがちがうような気がした。
  • 食事はナスと豚肉の炒め物をおかずに米。新聞、三面にG7でアフガニスタンの件を協議と。オンラインでの緊急会合がきのうの夜にひらかれたらしい。タリバン政権を承認せず国際社会で一致してアフガニスタンにおける民主主義的価値の維持を図るということや、場合によってはタリバン政権樹立後の経済制裁の可能性などについてはなしあわれたもよう。自国民を退避させるのに八月末まででは間に合わないとして、米軍の撤収期限を延長するよう仏独あたりから声が出ており、G7内でも結束に乱れが見られると。ドイツが米国およびタリバンと交渉しているようだ。日本もきのうおとといあたりから自衛隊機を派遣して自国民や大使館などの現地職員の退避にあたっているものの、自衛隊が行けるのはカブールの国際空港までで、そこまでは自力で来てもらうしかないと。しかし現場ではタリバンの連中が空港にむかう人間を妨害することもあるようだ。カブールの空港からはC130という種類の機で(二機派遣されている)近隣国まで移送し、そこからチャーター機で日本へ、というながれらしく、現地職員にかんしても当人が希望すれば日本への一時的な滞在をみとめる方針と。
  • あと自民党総裁選にかんして二階幹事長が派閥として菅首相再選を明言と。昨秋の総裁選のさいに菅を支持したほかの主要四派閥はしかし、指導部は首相支持の意向ながら若手に反菅の機運がいくらかあるために派閥全体としての支持表明はまだ出していないと。細田派(最大派閥で九六人だか)なんかには、派として菅支持を決定したら派閥を抜ける、と言っている若手もいるらしい。昨秋のときには岸田派と石破派のみが菅支持ではなかったようだが、そのうち岸田文雄は総裁選への出馬に意欲をしめしているという。二六日にも最終決定と。石破茂は先日、こういうコロナウイルスの状況下で総裁選へ出馬するというのは違和感をおぼえる、と言って不出馬を表明していたはず。
  • 風呂を洗うと陽射しが出てきていたので、タオルをベランダに出した。
  • やはりなぜか鼻水がほんのすこしだけ湧くが、からだの感覚はまとまっていて平常である。熱も36.8。
  • 夕刊には、Charlie Wattsの訃報があった。八〇歳。八〇歳までRolling Stonesをやったのだからすごい。
  • 「読みかえし」ノートをいくらか読み、だらだらしたり高校生の英語の予習をしたり。四時にいたっておにぎりをひとつ食った。それからきのうのことをすこしばかり記述。四時四五分から五時まで瞑想。
  • 出勤路へ。セミの声はまだだいぶのこっており、公営住宅脇の公園前をとおるときはそこの桜の木からジージーいう音が迫ってきたし、十字路周りの木立もざわざわした音響で埋められている。坂下ではまだ、涼しくもないけれど空気のうごきもあってさほど暑くないようにおもわれたのだが、坂をのぼればどうかなとおもいながら踏んでいくと、じっさいのぼりきるころには汗がべたついていた。坂のなかでは平ら道よりも空気がうごいて風らしくなり、とちゅうから涼しさが出てきたがそれは汗が湧いたからだろう。空は雲にまみれていてすきまにかぼそく覗く水色も希釈されているものの、坂を抜ければ太陽は駅のむこうの北西にあらわれていて、雲海に溶けひろがっているので陽射しはさほど甘くはないが、そのなかをホームに移動すると汗が盛り、先のほうで止まって立ち尽くしてからハンカチで首や額や頬や胸を拭かざるをえなかった。服の内では胸のほうは肌着が貼りついているのがわかり、背では汗の玉がいくつも皮膚をころがっていく。涼気が身に触れて抜けていくけれど、その涼しさはやはり大気のものというよりも汗の量の証左であろう。ハンカチを何度か顔のまわりにあてなければならない。正面先の丘からはセミの唱和がわきたち、スズメがどこからともなく、いろいろな方向からつぎつぎに渡ってきて線路のむこうの梅の木につどい、宙をすべっていく彼らの影が足もとの淡い日なたのなかにただの振動としてのみ映りこむ。
  • いま二時半過ぎ。すでにしあげてあった一九日を投稿し、二〇日に書抜きを足してそれも投稿、きょうのことも加筆。やはり瞑想をやると良い。からだがまとまって楽になるから、比較的だらだらしようという気が起こらなくなり、やりたいことにとりくみやすい。
  • (……)
  • (……)
  • (……)
  • 夕刊からは(朝刊だったかもしれないが)、福島原発の汚染水をトンネルみたいな地下通路を掘って沖合一キロあたりで海に放出の方針、という記事を読んだことしかおぼえていない。

2021/8/24, Tue.

 〈ふたり〉であって〈ひとつ〉ではありえないことこそが〈渇望〉をうみ、エロス的な関係に養分を提供しつづける。とすれば、性愛は所有を挫折させるだけでなく、殺人をもむしろ禁じている。他者としての「異邦人の顔の裸形は、寒さにふるえ、裸形を恥じる身体の裸形へと延長される」(73/102)。その他者の〈顔〉が、殺人を禁止する戒律をかたっているのである。(……)ひとがそれを所有し支配したいと欲望するのみならず、ひとがなによりそれを抹消したいと望むものもまた他者である。顔が殺人を禁じ、他方で暴力は必然的に〈顔〉にのみ向かうものであるとするならば、このふたつのことがらはどのようにして両立しうるのか。それが問われるべき論点であった。
 じっさいレヴィナスもまた説いているように、「〈他者〉が私が殺したいと意欲することができる、唯一の存在者」(216/300)なのではないか。あるいは、殺意はまさに〈対面〉においてこそ芽生えるのではないか。にもかかわらず、レヴィナスは他方では、「他者の目の、無防備なまったき裸形」(217/301)が、〈殺すなかれ〉という戒律をかたると主張(end109)する。(……)
 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、109~110; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一〇時五〇分の離床。瞑想おこなう。まあまあ。一五分ほど。今日の天気は曇りで、空は全面白く、雨が落ちてきてもおかしくなさそうな空気の色合いだが、あいかわらずかなり蒸し暑い。
  • 食事はケンタッキーフライドチキンや、昨晩食わなかった素麺。新聞からアフガニスタンの報。国際面に、タリバンと民主政権側(カルザイ前大統領や、アブドラ・アブドラという、国家評議会議長みたいな役職のひと)がタリバン主導の体制について協議しており、タリバン側は、民主政権側に権力の三割を配分する、と表明しているという。一定の譲歩はするようすだが、ただ、選挙が国家の命運を決める唯一の方法ではないともいっているというから、民主的なしくみにはならない見込み。先日から伝えられているとおり、おそらく過去の政権時と同様、最高評議会的なものでタリバン指導部が最終的な実権を握るかたちになるのではないか。ほか、ミャンマーのクーデター以来、国軍によって死んだ人間が一〇〇〇人を超えたと。多くはデモに積極的に参加している若い世代で、すくなくとも六五〇人ほどがデモの最中に殺されたといい、一〇〇人超が拷問によって殺されたと見られているらしい。国軍の弾圧や暴虐は変わらず苛烈で、さいきんだと、マスクをしていなかったひとがコロナウイルス対策を怠ったとして射殺された例もあるという。
  • きょうもまた起きたときから鼻水がちょっと出るようで、風呂を洗っているときなど、額もやや熱いような気がされて、微熱があるのか? コロナウイルスか? とおもったが、部屋にもどってから測ってみると36. 9度。けっこう高いようだが、ストレッチを習慣化してから体温が上がったらしく、このくらいが平熱になっているのでいつもどおりだ。
  • 帰路。職場を出たのは一〇時八分くらい。雨が降りはじめていたものの(八時かそのくらいからすでに降っていた)、大した嵩ではなかったのでこれなら傘を借りる必要はないなと取らずに出たものの、駅にはいって電車に乗り、瞑目のなかにしばらく待って(おなじならびの右方には若い女性ふたりがかけていたらしく、特有の声音ではなしていた)最寄り駅についたころには降りがけっこう増しており、これだったら借りるべきだったとおもわれるくらいだった。屋根の下にはいるまででもそこそこ濡れて、バッグなどかわいそうなかんじだ。それをベンチに置いて自販機でコーラを買い、すすめば階段で老人がひとり、杖と小さなキャリーケースをいっしょにもちながらのぼるのにあきらかに苦労しており(腕は長い蠟燭のように非常に細く、うしろから見るかぎりでは男性とも女性とも判別できかねるような老いのすがたで、片手で手すりをつかみ、もう片手で荷物をもちあげるのに難儀しながら、一段ずつゆっくりよたよたとのぼっている)、たいへんそうだったので、横にならぶと大丈夫ですかと声をかけ、もし良かったらお持ちしましょうかと問うてみたが、大丈夫ですとかえり(かぼそいが、声からすると男性のようだった)、ご親切に、とつづくのでへらへら笑いながら受け、あの、ぜんぜん持ちますけど、よろしいですか? とかさねてたずねればやはり大丈夫とのこたえがかえるので、じゃあ、すいません、がんばってください、と告げてさきにすすんだ。親切の押し売りをしたほうが良かったのかな、とおもわないでもないが、押し売りは得意ではない性分である。がんばってください、ではなくて、失礼します、とおさめたほうが良かったかもしれない、ともおもった。その後の帰路は雨に降られているのでさすがにいつもより足早になっててくてく行く。とはいえ木の間の坂で樹の下にはいっても葉がまだ水をさほど溜めていないようで増幅されて落ちてくる粒もなく、避難所になるほどだ。それでも平らな道を行けば髪の毛の吸収からあふれて額や側頭部を緩慢にながれおちる水滴もいくつかかんじられた。
  • この夜は労働後でも書き物に励み、二三日を書抜き以外はしあげ、きょうのこともいくらか書けた。よろしい。瞑想もきのうにつづき、一日四回やっている。出勤前と帰宅後にもやるのがやはり良さそう。
  • 往路は母親が送っていってくれるというのでその言に甘え、そのおかげで出発前に二三日の帰路のことをとちゅうまで書けた。道中、兄の鼻の手術のことを聞く。きのうだかおとといにもすでに聞いていたが。鼻の骨がもともと曲がっていたらしく、そのせいで鼻水が溜まったりいびきが起こったりしていたので金曜日に手術をしたということだった。いびきは鼻の骨だけでなく太っているせいもあるとおもうが。そこからながれて母親は、(……)ちゃんや(……)くんを動物園に連れていってヤギだかアルパカだか犬とかに触れさせているのが、噛みつかれたりしないかと怖くてしかたがないと漏らすので(ViberかLINEかにそういう映像があがっていたのだろう)、それは過保護だ、転んだり動物に噛まれるくらいの怪我はしておくものだろう、と言った。だいいちそういう母親じしんだって、こちらや兄がおさないころは山梨の父親の実家に行くとたびたびちかくのヤギがいる施設をおとずれて、われわれがヤギにトウモロコシなどをさしだして食わせるのを自由にやらせていたのだ。それで、そういうふうに心配するのはじぶんがじっさいに育てていなくて祖母の立場だからだろう、俺や兄貴を育てたときはあなただってそこまで心配しなかっただろう、いつもそばにいていっしょに過ごしていれば子どもが意外に頑丈だとかわかるからそんなに気にしないのではないか、と告げると、そうかもしれない、とわりと納得したようすだった。ほか、父親にはたらいてほしいといういつもの言がくりかえされる。このままで終わってほしくない、まだ六〇代だし、八〇歳くらいまで生きるとしてあと二〇年もあるのに、せっかく能力があってなんでもできるのにもったいない、と。(……)
  • 30: 「知られざる生産者であり、自分たちの関心事の詩人であり、機能主義的合理性の織りなすジャングルのなかで、黙々と口をとざして自分たちの小径を踏みわけてゆく消費者たちは、自分たち独自の表意的実践をとおして、F・デリニーの若き自閉症患者たちの描いたあの「航路」にも似た線を描いてゆく [註17] 。テクノクラシーによって書かれ、築きあげられた機能主義的空間を行き来しながら、かれら消費者たちの描いてゆく軌跡は、思いもかけぬ文をつくりだし、ところどころ判読不可能な「難文 [トラヴェルス] 」をつくりあげてゆく」(「概説」); (註17): Cf. Fernand Deligny, les Vagabonds efficaces, Maspero, 1970; Nous et l'innocent, Maspero, 1977; etc.
  • 37: 「ところが、事実はまったく逆で、読むという活動は、ことば無き沈黙の生産にそなわるありとあらゆる特徴をしめしている。その時ひとは、ページをよこぎって漂流し、旅をする目はおもむくままにテクストを変貌させ、ふとしたことば [モ] に誘われては、はたとある意味を思いうかべたり、なにか別の意味があるのではと思ってみたり、書かれた空間をところどころまたぎ越えては、つかの間の舞踏をおどる」(「概説」)
  • 39: 「日常会話のレトリックというのは、「パロールの状況」を転換させる実践であり、言葉をとおした生産であって、そこでは話し手どうしの位置の交差が、だれの所有するでもないオラルの織り目を織りあげてゆく。だれのものでもないひとつのコミュニケーションが創造されるのである」
  • 43~44: 「個人は、この広大な枠組みのなかにますます拘束されてゆき、しかも主体的なかかわりを失ってゆくいっぽうであり、そこからきりはなされていながら抜けでることもできず、個人に残されているのはただ、このシステムを相手どって狡智をめぐらし、なんらかの「業をやってのける [フェール・デ・ク] 」こと、エレクトロニクスと情報におおいつくされたメガロポリスのただなかで、いにしえの狩猟民や農耕民たちが身につけていた「術策 [アール] 」をみつけだすことである。社会組織の細分化のおかげで、今日、主体の問題は、まさに政治 [﹅2] にかかわる問題になっている。(……)既成のシステムをふたたび自分たちのものにしようとするこうしたやりかた、消費者たちのもろもろの創造は、破損してしまった社会性の治療 [﹅14] をめざしているのであり、再利用のテクニックをもちいているのであって、まさにそこに、日常的実践の手続きのすがたをうかがうことができる。こうした日常的な策略の政治学がつくりあげられなければならないのだ。フロイトの『文化への不満』がきりひらいているパースペクティヴにたつなら、この政治学はまた、外界をあやつること [マニピュレ] と自己を受容すること [ジュイール] [﹅19] との二つのあいだにある結びつき、微視的でさまざまな形をした無数のこの結びつきが今日いったいどのような(「民主的」)大衆像によって(end43)表わされうるかということを問うことでもある」(「概説」)
  • 50~51: 「《だれも [シャカン] 》(名の不在をあかす名)とよばれるこのアンチ・ヒーローは、したがってまた《だれでもない者 [ベルソンヌ] 》、Nemo であって、英語の Everyman が Nobody になり、ドイツ語の Jedermann が Niemand になるのとまったくおなじことである [註2] 。このアンチ・ヒーローは、いつでも別のだれかであり、自分だけの [プロープル] 〔固有の〕責任などありはしないし(end50)(「わたしのせいじゃない、他人 [ひと] のせいだ、運命なんだ」)、どこまでが自分のところと決められるような、これといった所有地があるわけでもない(死んでしまえばどんな差異も消えてしまう)。それでもなお、十六世紀のユマニスム文学 [「阿呆船」] の舞台のうえで、あいかわらず凡愚の民は笑いつづけている。万人のうえにのしかかり、だれも [﹅3] が自分だけは免れたいと思うねがいを無 [﹅] に帰してしまう運命のただなかで、だからこそこのアンチ・ヒーローは賢者でもあれば愚者でもあり、正気でもあれば狂気でもあるのだ」(「Ⅰ ごく普通の文化」; 第1章「ある共通の場/日常言語」); (註2): Robert Klein, la Forme et l'intelligible, Gallimard, 1970, p. 436-444. 次も参照せよ。Enrico Castelli-Gattinara, 《Quelques considérations sur le Niemand et... Personne》, in Folie et déraison à la Renaissance (colloque, Bruxelles, 1973), Bruxelles, 1977, p. 109-118.

2021/8/23, Mon.

 エロス的なものが「把持すること」「所有すること」を、あるいは「認識すること」を意味するならば、さきの設問にたいする答えは「しかり」である [註88] 。愛撫はつまり、必然的に挫折する。〈手〉がどれほどせわしなく、もどかしげに動きまわろうと、手はそれがもとめてやまないもの、他者の他性を〈手に入れる〉ことはない。愛撫は所有すること(end106)がない。愛撫とは、かえって所有の挫折そのものである。
 だが、そもそもレヴィナスにいわせれば「所有ほど〈エロス [﹅3] 〉とかけはなれているものはほかにない」(298/410 f.)エロス的な関係は「二元性から養分をえて」おり、「融合であり区別」である(302/418)からである。ひとはエロス的な関係、「性」の関係にあって「けっして《私のもの》となることなく、〈他なるもの〉でありつづけるものとの関係にはいる」(309/428)。性愛というエロス的な経験がしめしているのは、他者とはけっして所有されえないもののことであり、どのようにしても所有されえないものこそが〈他者〉であるということにほかならない。
 他者は「その裸形において不可触のものである」(intacte dans sa nudité)。「処女性の不断の再開」という、それ自体としては問題ぶくみのかたりようでレヴィナスが説きあかしていることがら(289/398)、あるいは解きあかそうとしていることの消息を、本章ではこの文脈でとらえかえしておくことができよう。《永遠に女性的なもの》(ibid.)とは、ふみにじりようのない、けっしてふみにじることのできない、他者の他性それ自体である。他者は、いまだ存在しないものへと撤退し、逃れてゆく。他者とはひとがそれに追いついてゆくことのできない、いわば〈処女性〉をそのつど明かすものであるがゆえに、所有されず、支配されえないものなのだ。

 (註88): E. Lévinas, Le temps et l'autre, p. 83.

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、106~107; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 一一時半起床。瞑想をできた。きのうおとといはたしかサボってしまったはずで、三日ぶりにできて良かった。やはり一日のはじめに心身を調律しなくては。なにもせず、人為的主体性を停止させるということを体感として理解しつつある。充分にそれを実現させることはむずかしいが、きょうはけっこううまくできた気がする。
  • 新聞からアフガニスタンの報。タリバン指導部は市民の安全を守らなければならないと下位に言い渡して融和姿勢を演出しているのだけれど、やはり実態はそれとは遠く、読売新聞の通信員が、空港周辺でタリバン戦闘員があつまった市民にお前らの乗る飛行機はないと言って追い散らしたりしている現場を目撃したと。北部では、つくった飯がまずいと言って調理人の女性に火をつけて殺したという事件も報告されているようだし、米国への協力者ではなかったひとの家にもそれを疑って問答無用で押し入ったり、そのほかにもいろいろの暴力行為が報告されているようすで、場所によっては女学校の閉鎖や女性の外出禁止もおこなわれていると。報道官は、イラン国営テレビの放送で、下位の人間が暴力行為におよんでいることを認めつつも、我々も人間だから過ちを犯すのはしかたがない、とひらきなおったといい、イスラーム法に照らしてそれは良いのか? とおもうのだけれど、いずれにせよ指導部も末端まで統制できていないし、おそらくはそもそも統制するつもりがないのだろう。カブール陥落とタリバンの実権掌握によって、米国がアフガニスタン政府に供与していたヘリとか弾薬とかもろもろの武装タリバンの手に渡ったという由々しき事態もつたえられており、そこからアル・カーイダにながれたり、あるいは中国に技術が流出したりするおそれもあって、米国は安全保障上のおおきなリスクに直面することになったと。
  • そのほか、横浜市長選で現職や自民党の支援候補を破って、立民ほか野党が支持した候補が当選したと。山中なんとかといったか、横浜市立大の教授だったひとで、四八歳とあったはず。コロナウイルスにまつわる市民の政府および自民党にたいする不満の受け皿になることに成功したと。IR誘致は撤回方針。自民党側は小此木なんとかいう元国家公安委員長を推していたのだが、政権への不支持が影響しておよばず、と。衆議院の任期満了を目前にひかえている菅政権にとっては痛手となったと。来月には自民党総裁選があり、菅では選挙をたたかえないという声がありながらもいまのところ明確に対抗馬として名乗りを上げているひとはたぶんいないのではないかとおもうが、一〇月二一日に衆議院は任期が終わるので、菅が総裁を継続して一〇月前半に解散か、コロナウイルスの状況によっては満了まで行くとの見通しのようだ。
  • (……)その後、(……)さんのブログを最新から三日分。(……)さんの父親の職場で感染者が出たらしく、家庭内感染の可能性がにわかに忍び寄ってきてやばそう。こちらのまわりでも、(……)は感染者が出て登校禁止になったというし、たしか金曜か土曜日の新聞で見たときには(……)は新規感染者が三七人で、これはたしかいままでで最多だったとおもう。(……)でも町内で感染が出たと聞いているし、だんだんこちらも包囲されているような雰囲気。すくなくとも(……)の生徒は塾に来るのも取りやめたほうが良いとおもうのだけれど、どうもそのあたり対応しそうにない。
  • 帰路のことを先に。退勤したのは一一時直前だった。徒歩を取る。非常に蒸し暑い。からだから水も抜けていたので、ひさしぶりに路上でものを飲む気になった。それで駅から裏にはいってまもなく、一世帯用アパートとでもいうような直方体の無愛想な外観の家のまえの自販機でWelch'sの葡萄ジュースを買い、片手はバッグで埋まっているのでキャップは腕時計とともに胸のポケットに入れ、冷たい液体をちびちびからだに取りこんで息をつきながらあるく。すぐに飲み終えて、空いたペットボトルを文化センターそばのべつの自販機のゴミ箱に捨てた。月がもう満月らしくまるまると太ってよく照っており、空には雲が蜘蛛の巣めいてほつれながら複雑にかかっているものの光量は抜群で、ひかりが隠れる間もあまりなく、雲のかたちも隙間の水色もあらわに見える。一日休みをはさんで回復したためか、遅くなったけれどからだの疲労感はそこまででなく、ただとにかく暑くはあった。風も裏道のあいだはほとんどない。ひろい空き地に接したところまで来れば空がひらけて満月の威容が行き渡っているのがふたたびあきらかで、ひかりはさざなみめいて遠くひろがり月から離れた東のほうまで雲の模様が浮き上がっているが、その映りはぼやけてあまりさだかならず、もこもことした白灰色の薄綿といった様相、しかしその立体感のなさで埋まって天頂も裾も大した段差がないのが、かえって空のひろさを昼間よりもまざまざと見せるようで、ずいぶんひろいなと見上げながら過ぎた。
  • 白猫がいたので道のまんなかでしゃがみこみ、しばらくのあいだ、寝転がった猫の腹や背や脚の付け根あたりなどを無心でやさしく撫でつづけるだけの主体となった。撫でられているあいだ猫はときおり両手両足をぐぐっと上下に伸ばして細長い姿態となったり、寝返りを打ったり、またその尻尾はゆるく曲がった先が地面についたままちょっと揺れたり、不規則に、ゆっくりとした動きで、母体からは独立した生命を持ってそれじたいで動いている蛇のように持ち上がりながらやわらかにうねったりする。猫に触れているときほどいつくしみというものをかんじることはないな、とおもった。ことばを発することなくしずかなのがとても良い。去って先をすすんだあと、ひるがえって人間というものの鬱陶しさがおもわれ、猫にくらべれば人間など、誰も彼も例外なくあさましい存在だとおもった。意味とちからを絶えず交換しあい互いをつかれさせ不快にすることなしには生きていくこともできない無能者のあつまりだ。うんざりである。来世は大気か樹木になりたい。
  • しばらくさすりたわむれてから立ち、たびたびふりかえりながらすすみはじめると、これははじめて見るものだがべつの黒い猫が一匹、脇の家から出てきて道をわたり、夜闇になかばまぎれながら一軒の車のそばにたたずんだ。白猫はすこしあるいてついてきていたので、このまますすめばたがいに気づいてなんらかの交感が生じるのではないか、と期待したものの、白いすがたはとちゅうの道端で止まってしまい、ちょっともどってさそうようにしてみてもそれいじょうすすんでこないようすだったので、あきらめてその場を立ち去った。
  • さいきんはまた夜でも暑い。裏通りにいるあいだは空気のながれもほとんどなかったようだが、街道に出れば、吹くというほどでなくともやわらかにひろく拡散するながれが正面からはろばろと寄せてきてそれなりに涼しい。とはいえ肌は全身汗にべたついており、ワイシャツと肌着の裏の布に触れられていないすきまで汗の玉が脇腹や背をくすぐったくころがっていくのがかんじられる。夜蟬のうめきはもはやなく、あたりの音響は秋めいており、見上げれば南の空をわたる月は、酸で溶けた衣服のようにぎざぎざの線をした雲の網の、牙のならんだ獣をおもわせてあぎと、とでも言いたくなるその間隙で、ひかりをいっぱいにひろげながら充実している。
  • 往路は電車で行ったのだけれど、行きのことはわすれたしまあ良いでしょう。出るまえに読んだ(……)さんのブログでは八月二〇日の記事で、「新型コロナ後遺症は「体内で目覚めた別のウイルスが原因」と示される」(https://nazology.net/archives/95025(https://nazology.net/archives/95025%EF%BC%89))という情報が紹介されており、元記事をまだ読んでいないのだけれど(……)さんが要点を引いていたのでそれをそのまま転載しておく。

新型コロナウイルスによるパンデミックが発生して以降、奇妙な症状が知られるようになってきました。
体内から新型コロナウイルスが消えて肺炎が収まったにもかかわらず、患者の30%が、頭に霧がかかったように思考が遮られてしまう「脳の霧」や極度の倦怠感、不眠症、頭痛、発疹、喉や腹部の痛みなどの後遺症が、数か月以上に渡って続くことがわかってきたのです。
そこで世界各地の医師たちは、この奇妙な後遺症の正体についてずっと調べを続けてきました。
最初に手掛かりを掴んだのは、武漢大学人民病院の医師でした。
この医師は、新型コロナウイルスにみられる肺炎以外の脳の霧や倦怠感、不眠症、頭痛、発疹などといった症状が、「EBウイルス」の感染症状に非常によく似ていると気付きました。
そして2020年の1月9日から2月29日にかけて、67人の入院患者に対して調査を行ったところ、55.2%の患者においてEBウイルスが活発に働いていることを発見します。
ただこの時点では、新型コロナウイルスEBウイルスが重複感染している場合が多いことを示したのみで、後遺症との関連性は不明でした。
ですが同様のEBウイルスの検出事例は、世界各地で起きていました。
イタリアでは、新型コロナウイルスに感染してICU入りした重症患者の95.2%でEBウイルスの再活性化を確認。
またフランスでもICU入りした重症患者の82%、オーストリアにおいても、ICU入りした重症患者の78%でEBウイルスの再活性化が確認されます。
これらの結果は、新型コロナウイルスによるパンデミックの陰で、EBウイルスによるパンデミックも起きており、人類は2種類のウイルスの連合軍と戦っていたことを示します。
しかしEBウイルスとは、いったいどんなウイルスなのでしょうか?

     *

EBウイルスは唾液に潜むウイルスであり、新型コロナウイルスと同じくエンベロープを持つ、ヘルペスウイルスの1種です。
また人類の成人の95%は既にEBウイルスに感染していることが知られています。
感染のほどんどは幼児期から思春期にかけて、両親や友達・恋人などの唾液を通じて行われますが、子供が感染しても症状は現れません。
一方、成人してからキスなどを介して感染した場合は、倦怠感や不眠症、頭痛、思考がはっきりしない脳の霧といった、新型コロナウイルスの後遺症とソックリの状態が、数か月以上にわたって続くことが知られています。
そのため古くからEBウイルスによる症状は「キス病」とも言われてきました。
ですがEBウイルスの恐ろしさは症状の長さや俗称の恥ずかしさだけではありません。
EBウイルスは活動レベルを落として潜伏状態に入ることで、生涯にわたって口や喉の粘膜に残存し続けることができるのです。
さらにEBウイルスには潜伏だけでなく「再活性化」するという特徴があります。
人体がストレスなどを感じると、低活動状態から目覚めて、体内で急激な感染拡大を引き起こすのです。
新型コロナウイルスが新しい体外からの脅威であるならば、EBウイルスは既にある体内からの脅威と言えるでしょう。
しかし何より問題なのは、この両者の感染場所と潜伏場所がかぶっていたことでした。

     *

これまでの研究で、新型コロナウイルスEBウイルスが人類を同時攻撃してきていることは示されていました。
しかし新型コロナウイルスの後遺症がEBウイルスによって引き起こされているかどうかという因果関係の詳しい調査は不十分でした。
そこで今回、World OrganizationのジェフリーE・ゴールド氏らは、新型コロナウイルスの後遺症に悩む人々とそうでない人々のEBウイルスの活性度の違いを改めて確かめてみました。
すると、後遺症に悩む66.7%の患者の体内においてEBウイルスが再活性化している一方で、後遺症がない患者の体内では、EBウイルスの再活性化している確率はわずか10%に過ぎませんでした。
また新型コロナウイルスの後遺症を頻度順に調べた結果、倦怠感58.6%、不眠症48.3%、頭痛44.8%、筋肉痛44.8%、錯乱と脳の霧41.4%、脱力感37.9%、発疹31.0%、咽頭炎24.1%、腹痛24.1%となり、この全てがEBウイルスの症状にもみられることが判明します。
この結果は、新型コロナウイルスの後遺症がEBウイルスの再活性化の結果であることを示します。
また研究者たちは、EBウイルスの再活性化が起きたのは、新型コロナウイルスの感染場所である口や喉が、EBウイルスの潜伏場所(口と喉)と被っていたことが大きな要因であると結論しました。
EBウイルスが潜伏する細胞に新型コロナウイルスが感染して増殖がはじまると、細胞内の環境が激変するだけでなく、やがて免疫細胞が感染した細胞を殺しに来ます。
そのため、潜伏状態を維持していたEBウイルスも、生き残りをかけて再活性化して増殖モードに移行する必要があったと推測されます。
過激な新参者のせいで古参の住民が苦労するということが、人間の細胞内でも起きていたのかもしれません。

     *

今回の研究により、新型コロナウイルスの後遺症が、既に体内に潜伏しているEBウイルスの再活性化によることが示されました。
EBウイルスの再活性化率は重症化率と緊密に関連しているだけでなく、後遺症の発症率とも関連していたのです。
また追加の分析では、後遺症の発症率は重症度よりもEBウイルスの再活性化率に影響を強く受けていることも示されます。
つまり新型コロナウイルスに感染し「無症状」で済んだとしても、EBウイルスが再活性化してしまった場合は、EBウイルス感染症状としての「後遺症」が発生する確率が上がります。
そして「無症状なのに後遺症に悩まされる」という不思議な現象が起こり得ます。
このややこしさは、重症化は新型コロナウイルスEBウイルスの合作で、後遺症はEBウイルスの単独犯になりがちという、組み合わせの複雑さにも起因します。
そこで気になってくるのが、場合によっては新型コロナウイルスよりも厄介になり得るEBウイルスも、ワクチンによってどうにかきるかどうかという部分です。

     *

EBウイルスはワクチンで予防したり再活性化を抑えることはできるのか?
答えは残念ながら、難しいと言わざるを得ないでしょう。
新参者の新型コロナウイルスと違って、EBウイルスは潜伏の達人です。
それに既に感染しているEBウイルスを、免疫が一生かけても排除できない時点で、免疫力に頼ったワクチンの効果は、現状では薄いと言わざるを得ません。
なにより、公の場で常に口元をマスクで隠すことはできても、私的な場での会食やキスを禁止することはできないからです。
人類が親子や友人と食卓を囲む習慣やキスの習慣を捨てない限り、EBウイルスを完全に滅ぼすことはできないでしょう。
見知らぬ外敵よりも、内情を知り尽くした身内に潜む敵のほうが厄介なのは、生物の世界でも同じなのかもしれません。

  • (……)
  • (……)
  • 帰宅後はいつもどおり一時間くらい休んだのでそれから飯を食って風呂を浴びると部屋にもどったころには二時になっていた。一九日の書抜きを済ませるくらいしかできず。書見は、プルーストを読み終わってつぎになにを読もうかなとまよっていたのだが、ミシェル・ド・セルトー/山田登世子訳『日常的実践のポイエティーク』(ちくま学芸文庫、二〇二一年/国文社、一九八七年)を読みだした。いちおう学問的範疇としては社会学のくくりにはいるのだろうか。セルトーじしんは歴史学や宗教学や神学などいろいろやっているようだし、この書も領域横断的なもののようだが。支配的な文化生産者(非常に大雑把には「エリート」や企業、学問共同体など)が押しつけシステム化する文化的・社会的体制に否応なしに巻きこまれ、とらわれてしまう無名の消費者たち(「大衆」)が、そこから逃れるのでもなく(そんなことは不可能である)、かといって完全に同化するのでもなく、無数の細部の組み換えや手持ちのさまざまな要素の組み合わせ(いわゆる「ブリコラージュ」)や、意味の再解釈や個人的なルールの開発などによっていかにして押しつけられた文化をひそかにじぶんのものとし(それは非 - 正統的な意味での生産者、いわば「モグリ」になるということではないか)、システムのなかでかくれながらうまくやっていくか(隠蔽者・寄生者・密猟者・(ことによると部分的には)収奪者として?)、そのささやかながら非常に多様な日常的実践の形態を記述し、かつそこからアンチ文化が生み出されていく(かもしれない?)その(転覆の?)動態を政治的意義の点から追って見定める、というようなはなしだとおもう。だからテーマとしては、政治的方面および権力論から見るに、フーコーの研究と重なり合う部分が大きいものなのではないか(とはいえセルトーじしんは、さいしょに置かれてある研究概略のなかで、フーコーの『監獄の誕生』の多大な意義をみとめながらも、それでもなお彼の研究は装置と規律生産の側にのみフォーカスしたものだった、というようなことを言っていた――だから、言ってみればこの本は、フーコーが『監獄の誕生』では記述しなかった側の視点からそれを補完するようなものなのかもしれない――つまり、権力機構とその作用のなかにとらわれ、規律を注入されて主体形成しながらかつがつ生きていくしかない、無名でふつうの無数の個人の側から――しかしまた、セルトーは、この研究の主題はそうした主体のあり方そのものではなく(だから彼らの実存や生なのではなく)、あくまで彼らが戦術的に駆使する日常的実践の「形態」なのだ、とも強調していた)。ときおり、学問的・科学的文章の領分をあきらかに逸脱したとおもわれる文学的表現が出現して、それがなかなか素敵な書きぶり(訳しぶり)になっている。
  • この日は瞑想を多くやった。起床時、出勤前、帰宅して休んだあと、就床前。やはり瞑想をやらないと駄目だし、一日のうちでおりにふれてやったほうがからだがまとまって良いという至極単純なことを再認識した。瞑想というか、停止してなにもせず休む時間ということだが。
  • 12: 「この二巻を編むにあたっては、いろいろな方々の協力をあおいだが、おかげでさまざまな研究がうまれ、何人かの足どりが交差することにもなった。広場での密議とでもいうべきか。とまれ、こうして交差しながら歩いてゆく道筋 [パルクール] が、けっしてひとつの閉域をつくることなく、この道筋をたどってゆくわれわれの足どりが、いつしか群衆のなかに紛れ、消えゆかんことを」(「はじめに」)
  • 18~19: 「拡張主義的で中央集権的な、合理化された生産、騒々しく、見世物的な生産にたいして、もうひとつの [﹅6] 生産が呼応している。(end18)「消費」と形容されている生産が。こちらのほうの生産は、さまざまな策略を弄しながら、あちこちに点在し、いたるところに紛れこんでいるけれども、ひっそりと声もたてず、なかば不可視のものである。なぜならそれは、固有の生産物によってみずからを表わさず、支配的な経済体制によって押しつけられたさまざまな製品をどう使いこなすか [﹅8] によっておのれを表わすからだ」(「概説」)
  • 21: 「つまり、インディオたちのやりかたにならって、使用者たちは、支配的文化のエコノミーのただなかで、そのエコノミーを相手に「ブリコラージュ」をおこない、その法則を、自分たちの利益にかない、自分たちだけの規則にしたがう法則に変えるべく、細々とした無数の変化をくわえているのではないか、ということだ」(「概説」)
  • 22~23: 「こうした「もののやりかた」は、幾千もの実践をつくりなしており、そうした実践をとおして使用者たちは社会文化的な生産の技術によって組織されている空間をふたたびわが(end22)ものにしようとするのである。それらが提起する問題は、フーコーがあつかった問題と似てもいるし、またその逆でもある。似ているというのは、数々のテクノクラシーの構造の内部に宿って繁殖し、日常性の「細部」にかかわる多数の「戦術」を駆使してその構造の働きかたをそらしてしまうような、なかば微生物にも似たもろもろの操作を明るみにだすことが問題だからである。また、逆だというのは、秩序の暴力がいかにして規律化のテクノロジーに変化してゆくかをあきらかにするのはもはや問題ではなく、さまざまな集団や個人が、これからも「監視」の編み目のなかにとらわれつづけながら、そこで発揮する創造性、そこここに散らばり、戦術的で、ブリコラージュにたけたその創造性がいったいいかなる隠密形態をとっているのか、それをほりおこすことが問題だからだ。消費者たちが発揮するこうした策略と手続きは、ついには反規律 [アンチ・ディシプリン] の網の目を形成してゆく [註5] 。それこそ、本書の主題である」(「概説」): (註5): こうした視点からみても、日常生活にかんするアンリ・ルフェーブルの研究は基本的文献である。

2021/8/22, Sun.

 ひとは他者の身体を愛撫するとき、身体の「なめらかさやぬくもり [註85] 」そのものをもとめているのだろうか。一見そのとおりであるようにみえる。ひとはたしかに、じぶんのものではない肌に宿った体温をもとめているのだ。とはいえ、他者の〈肌〉はときにざらついているし、私より体温のひくい身体をも私は愛撫する。ひとが愛撫することにおいて必要としているものは、だから、ぬくもり [﹅4] やすべらかさ [﹅5] そのものではない。あるいはすくなくともそれだけではない。だが、にもかかわらず、この〈手〉に感じられるのは他者の〈肌〉の一定の触感であり、特定の温度であり、規則ただしく、あるいはやや乱れて脈打つ鼓動であり拍動であるにすぎない。
 ということは、「愛撫されているものはほんとうは触れられていない」のである。愛撫とはそのかぎりでは、そこ [﹅2] にあるようでいて、そこ [﹅2] にはないもの、顕れているようで隠されているもの、現前しているようで非在のもの、あたえられているように見えて逃れ出てゆくもの、「溢れ出てゆくなにものか」をさがしもとめるこころみにほかならない [註86] 。それゆえに、「愛撫はさがしもとめ [﹅6] 、発掘する」(前出 [288/397] )。――とはいうものの、愛(end106)撫がさがしもとめる [﹅7] ものが発見されること、〈手〉にされることはけっしてない。愛撫が求めているものは、愛撫する〈手〉から絶えまなくこぼれ落ちてゆく。だから、愛撫はほんとうはなにも発掘 [﹅2] していない。つねにさがし、たえず掘りかえすだけである。愛撫は、そのゆえに、「不断に増大してゆく飢えのうちにある」。かくして、「愛撫はその到達点よりも遠くへとおもむき、存在するもののかなたをめざす」(同)ことになる。
 これは、愛撫の挫折であろうか。愛撫される〈肌〉は、触れたいと希求されているものと、じっさいに触れられるものとのあいだのずれ [﹅2] を、薄くほとんど透明な「隔たり」(écart)をふくんでいる [註87] 。他者の身体の表面を、その〈肌〉を愛撫することでひとが触れようとするものは他者そのもの、他者がまさに〈他者〉であることである。それはしかし「いまだ存在しない [﹅8] もの、けっして十分には未来となることがない未来、可能なものよりも遥かなもの」(285/392)として、愛撫する〈手〉からは滑りぬけてゆく。というより、すぐ〈手〉にはいる近さ [﹅2] にあるように見えて、けっして〈手〉のとどかない遠さ [﹅2] へと過ぎ去ってしまうのだ。

 (註85): E. Lévinas, Le temps et l'autre, p. 82.
 (註86): Ibid.
 (註87): Cf. E. Lévinas, Autrement qu'être, p. 143. (邦訳、一七一頁)

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、105~106; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • メモ: マーク・オーエンズ&ディーリア・オーエンズ『カラハリが呼んでいる』(早川書房)。「ネイチャー・ライティングの世界的名作」と。『ザリガニの鳴くところ』というのも「世界的ベストセラー」になっているらしい。ネイチャー・ライティングとか呼ばれるたぐいの文はやはりどうしても興味を惹かれる。
  • きょうは午後一時の起床になってしまった。これほど遅くなったのはひさしぶりだ。昨晩、午前二時か三時あたりから顔が痛くなりはじめて、床についたころにはそれがそこそこひどくなっていて寝入るのに苦しんだという事情がある。顔の痛みは頬というか鼻の横もしくは目の下あたりで皮膚か骨の内部に虫がはいりこんでうごめいているようなかんじの痛さで、どこに由来するものなのかもいまいちつかみづらく、鼻のようでもあるし歯痛のようでもあるし骨の問題のようでもある。それで後頭部とか頭蓋の側面とか鼻筋とかを揉んだりしていたのだけれど、けっきょく仰向けになってじっととまり、ヨガの死体のポーズか自律訓練法めいてうごかずにいるのがいちばん痛みがやわらぐようだったのでそのようにし、とまっているのにつかれると姿勢をくずし、ちょっと経つとまた仰向けで静止する、というふうにくりかえして、そのうちになんとか寝ついたようだった。きのう、鼻水がやたら出て、くしゃみもいつもより多く、体調がすこし乱れたわけだが、顔の痛みはその延長なのだろう。コロナウイルスの可能性もあるにはあるが、過去にも何度も経験していることで、おそらく鼻の奥に起因しているのだとおもう。季節の変わり目とか、あとは鼻毛を穴のなかまですべてきれいに切ったときに起こりがちなことで、鼻の粘膜に一時的に炎症が起こっているのだとおもう。鼻毛をきれいに切りすぎると埃とか空気中のもろもろの粒子とか花粉とかを毛がガードできずにそれらが奥までもろにとどくため、ふだん受けない刺激で容易に炎症が起こるのだとおもわれ、それに気づいてからは穴のなかまで鼻毛を切るのはやめた。今回なぜそれが起こったのか不明だが、夜間の気温が下がりつつあるところに窓を(網戸ではあるが)全開にしてねむったことか、それか先般の長雨の最中はつかわなかったエアコンをまたつかったので、埃とか黴のたぐいを吸ったということなのかもしれない。咳はないし、においや味がわからないということもなかったのでコロナウイルスではないだろう。午後九時現在だと体調はほぼ平常の感覚。五時ごろにアイロンかけをしたときにはまだ鼻水がほんのすこしだけなごり、またくしゃみも出たが、そこですでにからだは安定していた。
  • (……)
  • 新聞は書評欄に、中国共産党史の本二冊が紹介されてあった。選者は国分良成。筑摩選書と慶應義塾大学出版会のもので、前者がたしか『中国共産党、その百年』みたいな題で、後者はシンプルに『中国共産党の歴史』だったとおもう。著者はいずれもこの分野の第一人者的なひとらしいが、前者は独自の指摘や見地などもふくみつつコラムにも遊び心があってより著者の色が出ているようすで、たいして後者は実直な通史にこだわっていると。しかしいずれも良い仕事のようだ。選書は二〇〇〇円くらいで、後者も三〇〇〇円弱だったはず。こういうたぐいの本、というかつまり単行本の学術書が三〇〇〇円で出ていると、安いというかかなり良心的な値段だな、という感覚をもってしまう。
  • 書見はプルーストをすすめる。第三部「土地の名、――名 [﹅] 」はバルベックとかヴェネツィアとかフィレンツェにたいするあこがれからはなしがはじまって、じっさいにその土地をおとずれたことのない話者は伝聞でえた情報やじぶんの想像などからひきだされたさまざまなイメージや観念をその土地のなまえに付与してしまい、固有名詞のそれぞれがほかとはまったく異なった唯一個別の存在として話者のなかでふくらみ、現実のその街よりも現実的な(現実の街はとうぜん、ほかのさまざまの街と共通した要素をもちあわせており、比較可能なのだから)、言ってみれば観念的実在性みたいな性質をもってあこがれをかきたてる、みたいなはなしなのだけれど(ただ、話者が固有名詞にこめるイメージは伝聞情報のほかに、その名詞の発音の響きじたいによってひきだされることもしばしばあるようで、655~656の一段落ではその例が列挙されており、そのなかからさいしょのふたつを挙げておくなら、「たとえば、赤味をおびた高貴なレースをまとってあんなに背が高い、そしてその建物のいただきが最後のシラブルの古い黄金に照らされているバイユー Bayeux、そのアクサン・テギュが黒木の枠で、古びたガラス戸を菱形に仕切っているヴィトレ Vitré」というかんじなのだけれど、語の発音(の全体または一部)から視覚的イメージをひきだすというこの性質は第一部「コンブレー」でもすでに話者が見せていたもので、そこではまず、幻灯にあらわれたジュヌヴィエーヴ・ド・ブラバンの「ブラバン」は「金褐色のひびき」(17)といわれているし、また、ゲルマントの antes というシラブルは「オレンジ色の光」(288)を放射するものなのだった)、これはこの小説中、すくなくともこの第一巻をとおして何度もくりかえし方々にあらわれているテーマで、第一部では話者はゲルマント夫人にたいしてそのような観念的実在化をほどこしていたし、また初恋のあいてジルベルトにかんしてもそのような志向はあったはずだ(「メゼグリーズのほう」へでむいた散歩のとちゅうにはじめてジルベルトと遭遇して以来、おさない話者はその父親であるスワンの名(「ほとんど神話的なものになったスワンというその名」)を耳にしたいという欲望をつよく持ち、家族の口からその名を発音させようと目論むのだが(241~242)、ジルベルトおよびスワンの名にたいするフェティッシュな欲望と、家族にそれを口にさせようという画策は、パリはシャン=ゼリゼにてジルベルトと再会し恋心をつのらせたあとの第三部でそっくりそのまま反復されている(695~696))。また、第二部「スワンの恋」でも、話者のそれとすこしことなってはいるものの、嫉妬に狂ったスワンはおもいがけない道筋でオデット(の浮気)のことをおもいださせる語やなまえにかんして、「ひどい打撃をくら」ったように苦しんでいる(607~608)。第三部では序盤もしくは前半で、上述したもろもろの土地にたいするあこがれと観念的実在化の作用がかたられながら、そのあこがれによって興奮しすぎたために旅の出発を目前にした話者はたおれてしまい、医者から旅行の禁止を言い渡されて憧憬の土地にむかうことができず、パリに残ってフランソワーズに同行されながらシャン=ゼリゼで遊ぶほかない、という説話的展開が見られるのだが、そのシャン=ゼリゼで話者は初恋のジルベルトと出会ってその遊び仲間になるいっぽう、彼が家に帰ってからジルベルトについて想像しこころのなかにいだくイメージと日々シャン=ゼリゼで現実に目の前にするときの彼女の実像との差異もしくは乖離というテーマ(第一部でゲルマント夫人にたいしてすでに見られた心的作用で、もっともこの第三部のジルベルトにかんしては、前者とはちがって幻滅や失望は明確ではないが)がかたられるわけで(675~677)、だから第三部のなかばからは、物語としては話者のむくわれない恋やジルベルトとの関係がかたられつつも、固有名詞や観念と現実、という前半のテーマが引き継がれて考察される、という構成になっている。
  • 「自己満足」ということばの醜悪さ。ある活動をおこなうそのひとじしんがじぶんのおこないについて(誇らかにであれ自虐的にであれ)言うならばともかく、誰か他人の行為について、肯定的にであれ否定的にであれ、そのことばをつかって規定することに非常な傲慢と破廉恥をおぼえる。あたかも人間がなにかをするにあたって、その意味や意図やひろがりや感じ方として満足するか否かしかないかのような(ひとがなにかをするにあたって満足する/させることこそが目的であるかのような、かならず満足しなければ/させなければならないかのような)、理解の基準としてその行為が「自己満足」であるか否かしか存在しないかのような、そのすくいようもなく貧しい還元ぶりに嫌悪をかんじる。ほとんど「自己責任」とおなじくらいに腐った複合名詞だとおもう。主述に分解されていればまだしもゆるせるかもしれない。つまり、じぶんじしんで満足できればそれでいいってことでしょ、というようなかんじで、文のかたちになっていればすこしは醜悪さが減じるような気がしないでもない。しかし、「自己満足」という四文字に固定され名詞化されていると(タームもしくはワードになっていると)、もうそれだけで、その標語性にうんざりするような破廉恥さをおぼえる。
  • 675: 「われわれはやがて年をとり快楽の修養をつめば、私がジルベルトのことを思ったのとおなじようにして、ただ女を思うという快楽だけに甘んじるようになり、心のなかの女の映像が現実と一致しているかどうかを知ろうとして気をもむこともなくなるし、また女から愛されているかどうかをたしかめる必要なくただ女を愛しているという快楽だけに満足するようにもなるのだ、あるいはさらに、相手の女の心をもっと根強くわれわれに傾けさせるために、たとえば一輪のみごとな花を咲かせようとして多くのつぼみを犠牲にする日本の園芸家にならって、われわれは自分が相手の女に心を傾けていることをその相手にうちあける快楽をあきらめるようにもなる」
  • 675~676: 「しかし私がシャン=ゼリゼに着くときがきて――そして私の恋を、私から独立した、その(end675)生きた実物に照らしあわせて、必要な修正をほどこすことができるときがきて――いざジルベルト・スワンのまえに出てみると、そのジルベルトは、私の記憶が疲れてはっきり思いうかべられなくなった彼女の映像を、ふたたび鮮明にするために、その顔を見ることを私が期待していたジルベルトにちがいなく、きのうもいっしょにあそび、いましも盲目的な本能で、たとえば、歩行中、考えるひまもなく右足を左足のまえにふみだすあの本能にも似た盲目的な本能で、その姿を認めて私がこちらから合図をしたばかりのジルベルトにちがいはないのだが、さてそのまえに出てみると、たちまちこの少女と私の夢の対象の少女とは、二つの異なる存在であるかのように、すべてがはこんでゆくのであった。たとえば、前夜から、まるくて、光っている頬のなかの、燃える二つの目を記憶にもっていても、さてその場になると、ジルベルトの顔は、ちょうど私が記憶にもっていなかったようなあるもの、鼻の鋭いとがりなどをわざと私に強調して見せるのであり、その鼻は、ただちに他の顔立とむすびつき、自然科学で種を定義する場合の重要な特徴のようになって、彼女をとがり鼻という種族の少女に変えてしまうのであった」
  • 654: 「『パルムの僧院』を読んでから、私のもっとも行きたい町の一つとなったパルムの名は、私には小ぢんまりした、なめらかな、モーヴ色をした、甘美なものとして思いうかべられていたから、私がむかえられるかもしれないパルマのどんな家の話が出ても、私には、なめらかな、小ぢんまりした、モーヴ色をした、甘美な住まいに落ちつくだろうと思ってたのしくなるのであった」: モーヴ色12・13
  • 678: 「またあるとき、古典劇の一つでラ・ベルマをききたいという欲望にいつもとりつかれていた私は、ベルゴットがラシーヌについて語っているもので、いま店には見つからない仮綴本を、ジルベルトがもっているかどうかをたずねたことがあった。彼女は表題をはっきり教えてほしいといった、そしてその夕方私は彼女に返事の速達を出したのであったが、そのとき、あんなにたびたび私のノートブックに書いたあのジルベルト・スワンの名をその封筒に書いたのであった。あくる日、彼女はその仮綴本をさがしてもらい、モーヴ色のほそい絹リボンでむすんで、白蠟で封をした包にしてもってきた」: モーヴ色14
  • 682: 「三時になれば、フランソワーズが校門まで私をむかえにきていて、それから私たちは、光でかざられ、群衆が雑踏している街路、バルコンが太陽によって家から切りはなされ、まるで金色の雲のようにもやもやして、家々のまえに浮かんでいる街路を通って、シャン=ゼリゼに向かって歩きだすのだ」
  • 683~684: 「ジルベルトがどちらのほうからくるかは、また多少おくれるかどうかは、けっして確実に知ることができないのであった、そしてこのように待ちこがれることが、ついにはシャン=ゼリゼの全区域と午後の全時間を、そのどの地点どの瞬間にもジルベルトの姿があらわれる可能性をもった広大な空間と時間とのひろがりのように思わせ、それらをいっそう感動的にしたのだが、そうした空間や時間だけでなく、またそこからあらわれる彼女の姿そのものをも感動的にしたのであった、というのも、そんな姿の背後に、私は、二時半ではなくて四時に、遊戯用のベレー帽のかわりに訪問用の帽子をかぶり、二つの(end683)ギニョルの小屋のあいだではなくて、「アンバサドゥール」のまえにいる彼女の姿が、私の心臓のまんなかに矢のように突きささることの理由が秘められているのを感じたからだし、また私は、シャン=ゼリゼにあらわれるジルベルトの姿の背後に、私が彼女のあとを追えない用向き、彼女を余儀なく外出させたり家にとどめたりする用向きのあれこれをさぐりあて、彼女の未知の生活の秘密にふれるからであった。おなじくまたその秘密にふれたのは、私がそのときぶっきらぼうなもの言いの少女の命令で、すぐ人とりあそびをしに走っていって、ジルベルトの姿を認めたときであった」
  • 684~685: 「彼とスワン夫人とは――ジルベルトはこの二人の娘としておなじ家で暮らしていて、彼女の勉強もあそびも友達との交際も、みんなこの両親次第であったのだから――私にとっては、ジルベルトと同様に、むしろ娘の上に君臨している全能の神としておそらくはジルベルト以上に、近づきにくい未知のもの、なやましい魅力なのであって、そうした未知の魅力の源泉(end684)はジルベルトのなかにあったにしても、それをジルベルト以上にもっていたのはその両親なのであった」
  • 686~687: 「彼はジルベルトに、一回だけ勝負をしてもよろしい、十五分だけ待ってあげようというのであった、そしてみんなとおなじように鉄の椅子に腰をかけ、フィリップ七世にたびたび握手されたその手で、椅子代を払って切符を受けとるのであった、一方私たちはいつもの芝生でゲームをはじめるのだが、追いたてられた鳩は、ハートの形をした、鳥の世界のリラの花のような、虹色の美しいからだをして、避難所にで(end686)も行くようにのがれてきて、あるものは石の大きな水盤におりたち、そのくちばしは水盤のふちにかくれながら、そのなかで木の実か種をあさっているように見え、そのようにして、木の実や種をゆたかに盛ってささげるような身ぶりを水盤にさせながら、そのささげ物の奉納先を水盤に指示しているように見えたし、あるものは彫像の頭上におりてきて、そこに七宝のかざりをかぶせ、そのかざりの多彩な複合色が古代作品の石材の単調さに変化をあたえているように見えるのであった、その頭かざりは、また女神につきもののあの象徴的な付属物のようであって、そのような付属物は女神を特別な形容で呼ぶいわれともなり、ちょうど人間にべつの呼び名をあたえるように、その女神に新しい神性を加えるものなのである」
  • 689: 「夕方になるといつも私はそんな手紙を想像してたのしみ、それを読んでいるような気になり、その文句を一つ一つ暗誦していた。突然私はどきりとして、それをやめるようになった。もしジルベルトから手紙をもらうことになるとすれば、やはりそんな手紙であるはずはないであろうということがわかってきたからであった、なぜなら、そんな手紙を現にいまつくりあげたのは、この私であったからだ。そして、そのときから、彼女に書き送ってもらいたいと思った言葉を自分の頭から遠ざけようとつとめるのであった、そうした言葉を自分で述べることによって、まさしくそれらを――もっともなつかしい、もっとも好ましい言葉を――可能な実現の場から排除してしまうことになりはしないかとおそれて。私の創案になる手紙が、たとえありそうもない暗合によって、ジルベルトのほうから私にあてた手紙に一致しようとも、そこに私は自分が書いた文章をすぐに見わけてしまって、私から生まれたのではない何物かを、現実の、新しい何物かを、受けとる印象を私はもたなかったであろうし、私の精神のそとにある幸福、私の意志から独立した幸福、恋によって実際にあたえられる幸福、そうした幸福を受けとる印象を私はもたなかったであろう」
  • 690~691: 「ベルゴットはといえば、この人によってまず私はジルベルトを見ない先から彼女を恋したのであった、そしていまも私が、このかぎりなく聡明な、(end690)ほとんど神のような老人を愛していたのは、何よりもジルベルトのためであった。ラシーヌについて書いた彼の文章を見るのとおなじたのしみで、私はこの本の、白蠟で大きな封印がおされ、モーヴ色のリボンの波にからまれて、彼女にはこばれてきた、その包紙をながめるのであった」: モーヴ色15
  • 695: 「私はパリの地図をいつも手近に置いていたが、そこにはスワン夫妻の住んでいる通がはっきり見わけられるので、私には宝ものがはいっているように思われた。そして、一つは快楽から、また一つは騎士道的な一種の忠誠心から、私は何につけてもその通の名を口にするので、私の恋の事情を母や祖母ほどよく知っていない父は、私にたずねるのであった」
  • 695~696: 「私はあらゆる事柄につけて家の人たちにスワンという名をいわせようと仕向けた、むろん、私は心でたえずその名をくりかえしてはいた、しかし、その名の快い音響がききたかったし、黙読では十分とは行かぬその名の音楽がききたかったのであった。それに、スワンというそ(end695)の名は、ずいぶん長いまえから知っていたのに、いまは私にとって、たとえば、よくつかわれる言葉についてある種の失語症患者に起こる現象のように、まったく新しい一つの名なのであった。それはいつも思考のまえにあらわれていながら、しかも思考はそれに慣れることができないのであった」
  • 703~704: 「ボワはまた、複雑で、さまざまな、そしてかこいでへだてられた、小さな社交場のよりあつまりであって――ヴァージニアの開墾地のように、幹の赤い木、アメリカ槲などが植わっている農園風の土地を、湖 [ラック] の岸のもみ林につづけたり、しなやかな毛皮につつまれた散歩の女がけもののような美しい目をして突然足早にとびだしてくる大樹林のつぎにもってきたりして――それは女たちの楽園 [﹅6] でもあった、そして――『アイネーイス』のなかの「天人花 [ミルトゥス] の道」のように――彼女たちのために全部一種類の木が植えられたアカシヤ [﹅4] の道には、有名な美人たち [﹅4] が足しげく訪れてくるのであった。あたかも、おっとせいが水にとびこむ岩のいただきが、おっとせいを見に行くことを知っている子供たちを遠くからよろこ(end703)びで夢中にさせるように、アカシヤ [﹅4] の道に着くよほど手前から、まずアカシヤの匂が、あたり一面に発散しながら、遠くから、強靭で柔軟なその植物の個性の、接近と特異性とを感じさせ、ついで私が近づいてゆくと、アカシヤの木々のいただきの葉むらが、軽くしなだれて、その親しみやすいエレガンスを、そのしゃれたカットを、その布の生地の上質の薄さを感じさせ、その葉むらの上には、羽をふるわせてうなっているめずらしい寄生虫の群体のように、無数の花が襲いかかっているのが目にとまり、ついには、アカシヤというその女性的な名までが、何か有閑婦人の甘美な魅力を思わせて、そうした匂、葉むら、名のかさなりが、社交的な快楽で、私の動悸をはげしくするのであった」
  • 706: 「そのヴィクトリアは、わざと高目につくられ、その「最新式」のぜいたくな装備を通して旧型にあてつけを送りながら、その座席の奥に、スワン夫人がくつろいで身を休めているのであり、彼女の髪はブロンドにいまは一房だけ灰色のものをまじえていたが、全体を花の、たいていはすみれの花の、ほそいバンドで締めて、そこから長いヴェールがさがり、手にはモーヴ色のパラソル、唇のほとりにはあいまいな微笑がたたえられ、その微笑のなかに、私は妃殿下の好意のようなものしか読みとらなかったが、そこには何よりもココットの媚がふくまれて(end706)いたのであって、彼女はそんな微笑を彼女に会釈する人々の上にやさしく傾けるのであった」: モーヴ色16
  • 707~708: 「そのうちに、はたして私は、歩行者の小道を私たちのほうに向かって歩いてくるスワン夫人(end707)の姿を認めるのであった。彼女はモーヴ色のドレスの裾を長くひきながら、ほかの婦人が身につけていない衣裳や豊富な装身具で、民衆が王妃かと想像するほどにかざりたて、ときどき視線をパラソルの柄に落としながら、通っている人々にはほとんど注意をはらわず、彼女の大事な仕事や目的は、自分が見られていることも、顔という顔が自分に向けられていることも考えないで、ただ運動することだけにあるとでもいうようだった」: モーヴ色17
  • 714: 「一筋の太陽の光がもっとも高い枝々を金色に染めだすと、それらの枝々は、樹林をすっぽり海底に沈めているエメラルド色の液体のような大気のなかから、ぬれたままきらきらとかがやいて浮かびあがってくるように見えた」
  • 717: 「もはやエレガンスというものがないこんにち、自分のなぐさめといえば、かつて知りあった女性たちを思いめぐらすことである。しかし、鳥籠か菜園で被われたような帽子をかぶったおそろしい女たちをながめている人々は、簡素なモーヴ色のカポート帽か、アイリスがたった一輪まっすぐにとびでている小さな帽子をかぶったスワン夫人を見たときの、あの美しい魅力を、どうして感じることができようか?」: モーヴ色18

2021/8/21, Sat.

 レヴィナスは、「愛」に「〈他者〉がその他性を保持しながら、欲求の対象としてあらわれる可能性」を、さらにはまた「〈他者〉を享受する可能性」をみとめている(285/392)。性愛はたしかに、身体の〈贈与〉をふくんでいるようにおもわれる。愛が「享受」であり(end102)うるのはまた、愛を表現しようとする「接触としての愛撫が感受性である」(288/396)からである(三・3)。愛撫の経験にあって、他者は一方では「他性」をたもち、他方では私の「享受」へと供されている。「その意味で、エロス的なものは、かくべつな曖昧さ [﹅3] なのである」(286/393)、とレヴィナスはいう。
 すこし具体的に見てみよう。愛撫とは感受性であると説いたのちに、レヴィナスはつぎのように分析をつづけている。

 愛撫とはなにも把持しないことであり、みずからの〈かたち〉から絶えず逃れて、未来へとおもむくもの――けっして十分に未来ではない未来へとおもむくもの――を懇望する。あたかもいまだ存在しない [﹅8] かのように、じぶんから溢れ出てゆくものを懇望するのである。愛撫はさがしもとめ [﹅6] 、発掘する。愛撫は開示の志向性ではない。愛撫はさがしもとめる志向性であり、見えないものへのあゆみなのである。ある意味では、愛撫は愛を表現する [﹅4] が、愛をかたりえないことに苦しんでいる。愛撫はこの表現そのものに飢えており、不断に増大してゆく飢えのうちにある。そのゆえに、愛撫はその到達点よりも遠くへとおもむき、存在するもののかなたをめざす(288/397)。

 (熊野純彦レヴィナス――移ろいゆくものへの視線』(岩波現代文庫、二〇一七年)、102~103; 第Ⅰ部 第四章「裸形の他者 ――〈肌〉の傷つきやすさと脆さについて――」)



  • 正午起床と遅くなってしまった。瞑想はサボる。食事はカレーがあったのだが、鍋のうえにフライパンのおおきな蓋が、とうぜん鍋の口には合わないのだけれどかぶせられていてなぜか気づけず(ふだんならにおいを感知するのだが、このときはまったくかんじなかった)、炒めたナスをおかずに米を食った。新聞はアフガニスタン情勢。タリバンは米国への協力者など、標的となる人物のブラックリストを作成していたらしい。国連の報告でそれがあきらかになったとか。だから、融和姿勢は見せかけで、各国の人員や外交官やいなくなったあとに標的を粛清しはじめるというシナリオもありうると。じっさいすでに現場では政府側の人間が処刑されたりという報告もあるようだし、この日の新聞にもまた、ドイツの放送局に属していたアフガニスタン国籍の記者の家族が殺されたとあった。標的はもちろんこの記者本人で、タリバンの戦闘員が一軒一軒まわってさがしていたという。そんななか、一九日は英保護領から独立して一〇二年目の独立記念日で、タリバンはカブールにはいって以降アフガニスタン国旗を撤去してタリバンの白い旗におきかえていたらしいのだけれど、首都カブールでは一九日の午後から国旗をかかげた抗議デモが起こり、東部でも同様のうごきがあって記念式典もおこなわれたらしい。とうぜん、それによってタリバンに殺される可能性はじゅうぶんにある。いっぽう、トルコからEUにかけての諸国は難民の流入を警戒している。英国はいちはやくボリス・ジョンソンが二万人の難民受け入れを表明し、英国はアフガニスタンを良い国にしようと努力し協力してきたすべてのひとにたいして恩義があると述べたというが、ほかの国はおおむね拒否か消極的な態度のようで、フランスのマクロンは難民の波から自国を守らなければならないと言い、ドイツのメルケルは二〇一五年のシリア難民のときの再来は避けざるをえないだろうから周辺国への支援を強化しなければならない、と言うにとどまり、トルコのエルドアンドナルド・トランプばりに難民を排除すると断言してイランとの国境地帯二〇〇キロにわたって壁を建設中で、すでに半分くらいは完成しているらしい。
  • ほか、『ペリリュー 楽園のゲルニカ』の作者である武田一義の談も載っていたので、あとで三時すぎにカレーを食ったときに読んだ。
  • あとはいつもどおり、「読みかえし」ノートとプルースト。ストレッチも念入りに。きょうは曇天なのだけれどなかなか蒸し暑く、また、昨晩窓をあけっぱなしのまま寝たからか(しかもさいきんはけっこう夜間の気温も低くなっているだろうし)、鼻水がやたら出た。書見のあいだに脚をマッサージしたりそのあとストレッチをしたりしてからだをあたためると改善。
  • 母親はきのう、二回目のワクチン接種をすませてきたが、一晩明けても熱は出なかったようだ。やはり腕は痛いらしいが。
  • きょうは職場で会議のために六時には出向かなくてはならない。いまもう四時。
  • いま、飛んで、二二日の午前二時直前。風呂のなかではあたまをめちゃくちゃ揉みまくった。頭蓋というのはなぜなのか、放っておくと気づかないうちにすごく凝り固まっている。耳のまわりから額やら後頭部やら頭頂やら、全体を念入りに指圧して、かなり軽く、楽になった。
  • 出勤まえにきのうの記事を記述できて良かった。母親は、五時ごろになって台所で会ったときは、微熱があった、三七. 二度だった、と言った。ふだんが三六度以下らしいので、これはたしかに熱が出ている。送っていこうかというのだが、微熱があるのに仕事を増やしては大変だし、とおもって電車で行くことに。
  • (……)
  • (……)
  • 652~653: 「しかしそれらの名が、それらの町にたいして私が抱いていた映像を永久に吸収するにいた(end652)ったのは、私のなかにあらわれるその映像をそれぞれの名に固有の法則にしたがって変貌させながらでしかなかった、その結果、それらの名は、ノルマンディまたはトスカナの町を、実際にそうであるよりもはるかに美しく、しかもまたはるかに異なったものにし、私の想像力のひとり勝手なよろこびをふくらませることによって、未来の旅の失望を大きくした。それらの土地の名は、私がこの地上のある種の場所からつくりあげる観念を高揚させながら、その場所をいっそう特殊な、したがっていっそう現実的なものにするのであった」
  • 653~654: 「町や風景や史蹟は、その名によって、それ自身だけがもつ名によって、人名と同様に固有な名によって指示されるために、さらに個性的な要素をどんなに多くふくむことであろう! 語は、われわれに事物の明瞭な、見慣れた、あるささやかな映像を思いうかべさせる、たとえば仕事台、鳥、蟻塚とはどんなものかという例を児童に示すために、校舎の壁にかけられている絵のようなものであって、同一種類のすべてのものの標準と見なされるような映像である。ところが、名は、人の、そしてまた町の――町もその名で呼ばれるために人物とおなじように個性的で独自なものだと思う習慣がわれわれにはついている――ある漠とした映像を思いうかべさせるのであって、この映像は、その名から、その名の音 [おん] の明朗または沈鬱なひびきから、色彩をみちびきだし、この色彩によって映像は、全紙が青ま(end653)たは赤の一色で描かれているポスターのように、それも手間をはぶくためや、装飾画家の気まぐれのために、空や海ばかりでなく、小舟も教会も通行人も、みんな青か赤の一色になっているあのポスターのように、一様に塗りつぶされるのである」
  • 658~659: 「そのまる一(end658)か月というもの――そのあいだ私は、いつあきることもないメロディーのように、フィレンツェヴェネチアやピサの映像を根気よくくりかえした、一方、それらの映像によって私のなかにかきたてられた欲望は、あたかもある人への恋のように、深く個性づけられた何物かを、それらの映像の痕跡として残していた――私はそれらの映像が、私から独立したある現実に対応していると信じることをやめなかったし、またそれらの映像も、まさに天国にはいろうとする初期キリスト教徒の胸にはぐくまれたとおなじような美しい希望を私に抱かせたのであった。だから、夢想によって丹念につくりあげられ、しかも感覚器官によって知覚されなかったもの――それだけにますます感覚器官にとっては魅惑的であり、感覚器官が知っているものとは異なるもの――そうしたものを、感覚器官でながめ、ふれようとすることの矛盾を私はすこしも気にかけず、それらの映像の現実を思いうかべることによって、一途に欲望を燃えたたせるのであった」
  • 660: 「春の太陽はもうヴェネチアの大運河 [﹅3] の波をくすんだコバルト色と高貴なエメラルド色に染め、その波はティツィアーノの絵のすそによせてはくだけながら、その絵と妍 [けん] を競っているだろう(……)」: 「妍を競う」: 多くの女性や花などが、美しさを比べ合う。「妍」は、女性の容貌などが、あでやかで美しいこと。
  • 663: 「シャン=ゼリゼに行くのは私には堪えられなかった。せめてベルゴットがその著書の一冊に、シャン=ゼリゼを描いていたのであったら、まず私の想像力のなかで「複写」がとられることからはじまったこれまでのすべてのもののように、なるほど私はシャン=ゼリゼを知りたいという欲望をもったことであろう。私の想像力がそれらのものに血をかよわせ、生き生きとさせ、人格をあたえ、そしてそれから私は現実のなかにそれらをふたたび見出したいと思ったであろう、しかしこの公園のなかのものは何一つ私の夢想にむすびつかないのであった」