2019-11-01から1ヶ月間の記事一覧

2019/11/30, Sat.

関係者の多くが、虐殺施設で私が監督しているときに、私に歩みより、自分たちの沈痛な気持、自分たちの印象を私にぶちまけ、私に慰めを求めた。彼らの腹蔵ない会話で、私は、くり返し、くり返し、こういう疑問を聞かされた。 いったい、われわれは、こんなこ…

2019/11/29, Fri.

その点では、特殊部隊の態度もまた、全く異様だった。彼らは、その作戦行動が終るときには、すすんでその虐殺を助けた何千というその同胞と同じ運命に、自分も見舞われるのだということを、もちろん十分に承知していた。にもかかわらず、彼らは熱心に協力し…

2019/11/28, Thu.

さて、ユダヤ人大量虐殺の開始される以前、一九四一年から四二年にかけて、ほとんど全強制収容所で、ロシアの政治将校と政治委員が清算された。秘密の総統布告にもとづき、すべての捕虜収容所でロシア人の政治将校と政治委員が、ゲシュタポ特別部隊の手で、…

2019/11/27, Wed.

さて、ヒムラーの意を体して、アウシュヴィッツは、古今未曾有の大虐殺機関とされた。一九四一年夏、アウシュヴィッツに大量虐殺用の場を整え、その虐殺を実行すべしとのヒムラーの命令が伝えられたとき、私は、その規模と行く末について、片鱗も思い浮かべ…

2019/11/26, Tue.

ところが、ザクセンハウゼンの聖書研究会のメンバー、とくにその中の二人は、これまで体験したどれをもしのぐほどだった。とくに狂信的なこの二人は、何かちょっとでも軍隊の匂いのするようなことは一切拒否した。彼らは、気をつけもしなければ、靴の踵をあ…

2019/11/25, Mon.

私たちが、同行の警官からきかされた話は、こうだった。このSS隊長は、ある元共産党員を逮捕して、収容所に移送する任務を与えられた。ところが彼は、件の人物を、すでにずっと前、保護観察勤務のころから良くしっていた。そして、この人物は、いつも、遵法…

2019/11/24, Sun.

(……)こうした関連からいうと、彼の投げかけた問題、つまり、彼が部隊の戦友愛のなかでつねに快く感じられたのはなぜか、という問いは特徴的である。一定の種類の内攻的な一匹狼性とはまさに一つの大衆的病患をあらわすものであること、彼の自伝で見うけら…

2019/11/23, Sat.

(……)ヘスが自伝の中でしばしば語っている彼の繊細な「内面生活」は、常にただ現実を埋め合わせる働き、いわば非人間的な手仕事の疲れを「知的・芸術愛好的」に癒す働きを果たしているにすぎないように思われる。そこには外に向けての作用や関連づけはない…

2019/11/22, Fri.

(……)ヘスの自伝が明らかにしているのは、大量虐殺の技術を発明し遂行したのは、荒廃し堕落した何らかの人間のくずなのではなく、野心的で、責任感が強く、権威を盲信する、すまし顔の小市民的な俗物たちだったということである。彼らは、無批判に服従する…

2019/11/21, Thu.

(……)強制収容所の監督官であるヒムラー、ハイドリヒ、あるいはアイケは、個々の指揮官や警備兵の収容者に対する横暴や虐待を、しばしば黙認し隠蔽した。時には意識的にそれを計算に入れ、テロをエスカレートさせた。しかし低劣な心情と衝動を伴ったそのよ…

2019/11/20, Wed.

しかし強制収容所のシステムおよび虐殺の狂気にまで上りつめたアウシュヴィッツの実践についての具体的かつ詳細な事実の描写という点に、ヘスの自伝の歴史的資料としての唯一の価値があるわけではない。少なくとも同じように重要だと思われるのは、ヘスの自…

2019/11/19, Tue.

クラカウでの取り調べの間に書かれた個々の文書と同様、ヘスの自伝もまた、取調官たちに自分のことを打ち明けたいという衝動に駆られて書かれたものである。この完璧なまでに職務に忠実なアウシュヴィッツの指揮官は、取り調べを受けるにあたっても、同様に…

2019/11/18, Mon.

ルドルフ・ヘスは、すでに歴史的な名前となったかの感がある。あのアウシュヴィッツ強制収容所の建設から、ガスによる大量虐殺の方法の開発、そしてその執行の任にあたった当の責任者であった(ナチスで総統代理を務め、戦後、ニュルンベルク裁判で終身刑に…

2019/11/17, Sun.

つまりアウシュヴィッツという殺人工場を管理運営していたのは普通の人々だったのだ。ここに考えるべき最大の問題がある。要するにひとたびナチの時代と同じ条件がそろえば、我々も同じ罪に加担する可能性があるということだ。人間を善人と悪人という二分法…

2019/11/16, Sat.

(……)時が隔たるにつれて、若者たちが私たちに、非常にしばしば、執拗に問いかけてくる問いがあった。それは私たちを「迫害したものたち」がだれだったのか、いかなる種類の人間だったのか、という問いだった。それは私たちの元獄吏やSSを指しているが、そ…

2019/11/15, Fri.

また予防的暴力の理論も受け入れ難い。暴力からは暴力しか生まれず、その振り子運動は時がたつにつれて、静まるどころか、大きくなる。事実、今日の暴力は、ヒトラーのドイツで優位を占めたものから枝分かれしたということが、多くの兆しから考えられるので…

2019/11/14, Thu.

ここで必然的に疑問が生まれる。それは疑問への疑問だ。私たちはどれだけ安全なのだろうか、世紀末と新たな千年紀に生きている私たちは。そして特に、私たちヨーロッパ人は。疑う余地はないのだが、次のようなことが言われている。つまり地球上の全人類の一…

2019/11/13, Wed.

(……)指導者は有能であるべきである。指導者は道徳的かつ身体的活力を備えている必要がある。しかし抑圧がある限度以上に達すると、その道徳的、身体的活力は損なわれてしまう。あらゆる真の反乱(ここでは下からの反乱のことを言っている。暴動[プチュ]や…

2019/11/12, Tue.

(……)ナチの宇宙の賤民にとっては(その中にはジプシーと、ソ連の戦争捕虜、民間人捕虜も含まれていた。彼らは人種的には、ユダヤ人よりも少しましとしか考えられていなかった)、物事はかなり違っていた。彼らにとって脱走は難しかったし、非常に危険であ…

2019/11/11, Mon.

この作業には、教養のあるものよりも、ないものの方が適していた。彼らは先に、「理解しようとするな」という、ラーゲルで学ぶべき第一の英知の言葉に順応した。その現場で理解しようと努めることは、無益な努力であった。それは他のラーゲルから来た多くの…

2019/11/10, Sun.

しかし特に、とりわけ言えることは、私は自分の仕事からある習慣を身につけていた。それは様々に判断でき、人間的、あるいは非人間的と、思い通りに定義できるのだが、偶然が自分の前に運んで来た人間たちに、決して無関心な態度を取らないという習慣である…

2019/11/9, Sat.

(……)ダッハウ、アウシュヴィッツ、ラーフェンスブリュック、その他の収容所で行われた医学的実験については、すでに多くが書かれている。その責任者の何人かは、全員が医者ではなく、しばしば臨時に代役を務めていたのだが、実際に処罰されたのだった(ヨ…

2019/11/8, Fri.

私は仲間の何人かが見せる奇妙な現象にしばしば気がついた(時には私自身もそうなった)。「良い仕事をする」という熱望は非常に深く心に根づいているので、自分の家族や味方の害になる敵の仕事さえも、「良くやってしまう」ように突き動かされるのだった。…

2019/11/7, Thu.

初期のラーゲルは、ヒトラーが権力を獲得した時期とほぼ同時期に作られたのだが、そこでは労働は迫害を目的にしていて、生産という観点からは、実質的には無意味だった。栄養状態の悪い人々を、シャベルで泥炭を掘ったり、石を割るのに送り出すのは、恐怖を…

2019/11/6, Wed.

最も無防備だったものの運命を語る決心をするには、自分自身に暴力を振るう必要がある(これは有益なのだろうか)。ここでもまた私は自分のものではない論理に従わなければならない。正統なナチにとって、ユダヤ人が全員殺されるべきなのは、明白で、自明で…

2019/11/5, Tue.

ラーゲルのすべての記録作者が一致して、何度も繰り返し書いている、その他の虐待や暴力があるが、私はそれらを全体で無益なものだと決めつけるのにはためらいを感じる。すべての収容所で一日に一、二回、点呼が行われたことが知られている。だがもちろんそ…

2019/11/4, Mon.

一九四五年二月に私が移送された列車は、フォッソリの中継収容所から出発した初めての列車だった(それ以前はローマやミラーノから出発していたが、それに関する情報は届いていなかった)。その直前にイタリアの公安部から収容所の運営権を取り上げたSSは、…

2019/11/3, Sun.

この章の題名は挑発的に響くか、腹立たしく思えるかもしれない。果たして有益な暴力など存在するのか。それは残念ながら存在する。死は、故意ではない、最も穏和なものであっても、暴力であるが、それは不幸なことに有益である。不死のものたちの世界は(ス…

2019/11/2, Sat.

ユダヤ人には、つまり不潔で、不純さをまき散らし、世界を破壊する、敵の代名詞であるユダヤ人には、最も貴重な意思疎通が、祖国との、家族との通信が禁じられていた。数多くある中で、いかなるものであれ、流刑を経験しているものは、この神経の糸が切られ…

2019/11/1, Fri.

そしてさらに広い、別の恥辱感がある。それは世界に対する恥辱感だ。ジョン・ダンが忘れられないような形で言った言葉がある。それは強制収容所についてや、そうでない場合に、数え切れないほど引用されたのだが、それは「いかなる人間も孤島ではない」、い…