2019-07-01から1ヶ月間の記事一覧
豊崎 (……)二番目に「永遠回帰」についての考え方なんですが、「永遠回帰」の背景にはやはり「神の死」があって、このことは、さっきの「ポリテイスムとパロディ」という論文のときから言ってることですが、「神の死」というのは人間のイダンチテの消滅を意…
清水 ところで、フーコーが死んでしまったいま、フーコーが我々に何を語りかけていたのかということになると、これは『思想』に載っていた「主体と権力」という論文にあった言葉なんですけど、「多分今日の標的は私たちが何者であるかを見出すことではなく、…
清水 ところで、フーコーの著作全体を見ると『言葉と物』はむしろ例外で、それ以外の本では一貫して「権力」ないし「主体」が問題になっていますね。『監獄の誕生』において、フーコーが挙げているパノプティコンが一番わかりやすい例なのだけど、囚人という…
渡辺 ボードリヤールでしたか、「古典主義の最後のディノザウルス」と評したけれど、フーコーはやはりフランス古典主義の「自我ハ憎ムベシ」なんですよ。たしかに「隔たり」といってもいい。たとえば、例の両性具有の話、『エルキュリーヌ・バルバン』を書い…
(……)伝統的な歴史研究においては、出来事は本質的に顕在するものであって、歴史家の使命は、その背後に隠された原因あるいは意味を探求することにあった。それに対して、たとえばショーニュの研究では、同時代人にも見え、直接知覚できる出来事の下に、い…
ところで、そのようなほとんど古典主義的な名文を動員しているものは、従来の〈見方〉を根本的に変更することを要求しているフーコーの〈視線〉である。フーコーは、哲学者の使命は「人が見ていながら見えていなかったものをはっきり見えるようにすること」…
ミシェル・フーコーについて語ることの困難さは、別の事情に基く。たとえば『狂気の歴史』にせよ『臨床医学の誕生』にせよ、あるいは『言葉と物』『監獄の誕生』そして最新の著作『性の歴史』にもせよ、そこで扱われているのは、西洋世界、特にフーコーが「…
舫われた二艘の舟として生きるきみの存在がわたしの浮力 (九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房、二〇一八年、66) 「たたむ」とは宗教であるTシャツも折りたたまれて偶像になる (81) あの人が朝食のパンにつけるバターがずっとなめらかでありますよう…
醤油入れの醤油は幽閉された夜一滴ずつ解放される朝 (九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房、二〇一八年、39) 気付いたり傷付いたりして秋ふかくスイートポテトの焦げ目美し (44) 紅茶葉から煙りのように色の出て湯に夕焼けが広がってゆく (46) 愛…
あくびした人から順に西方の浄土のような睡蓮になる (九螺ささら『ゆめのほとり鳥』書肆侃侃房、二〇一八年、8) 鳥避けのCD揺れる銀河色 四億年前の記憶のごとく (9) エレベーター昇りきるとき重力はとうめいになる シリウスが近い (14) 手袋を植えた…
あみださん ゆるしてくれ 人間はいつだって戦うんだ ただし ああ ああ 一人で戦うとコッケイで 大勢で戦うと悲しいだけだ (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、329; 「あみだのいる風景」; 「その他」) * 生きているときのあなたは どうでもよかった …
絵葉書よりもはるかに遠い 直撃弾よりはるかに近い 歴史よりも行方不明の わたし 嘔気こらえて走る姙婦より美しく はじめての夜の枕よりも固い わたし (誰もたたかないわたしの肩) (誰もにぎらないわたしのてのひら) 最終電車や めくれた暦 ひるまの地震…
わたしはわたしの水っぽい論理の力で 雲やフィルムや卵について説明できないが それでもわたしたちの弱さを理解していた わたしはそれをどうしても詩に書こうと思い 時間の経過を忘れ よろこばしさを忘れ 恋の恨みのように心のしこりを保ちつづけた あなたも…
どんなにあなたが絶望をかさねても どんなに尨大な希望がきらめいても 死んだ人は生き返らない 死んだ人は…… どんな小鳥が どんなトカゲや鳩が 廃墟にささやかな住居をつくっても どんな旗が俄かに高々とひるがえっても 死んだ人は生き返らない 死んだ人は………
ぼくの舌は危険である 大問題である このことはとても詩に書ききれませんが ほかのもろもろのコケやトゲにまじって イソギンチャクが一匹住みついたばかりに ぼくの舌は海にたとえられる 海はどんなものにでも そうですね 横線小切手にたとえることもできる…
夜よりもしめやかな昼間のなかで 夢よりもおぼろげな現のなかへ あれがくると 女の歌うたい きみの声がでなくなる ひよめきほどに頼りない喉や 風と髪とにいつも甘える耳 それら そっくりそのままで 女の歌うたい きみの声がでなくなる 海にむかって歌っては…
ごらん ぼくは溶けてゆく ノーチラス号の澪のように ぼくはひろがる (『岩田宏詩集成』書肆山田、二〇一四年、27; 「その夜の劇場の」; 『独裁』) * 気のくるった狂人のように純粋なもの 聖書とおなじに淫猥で とりかえしのつかぬほど太いもの 水晶よりも…
二人とも劇場の音と扉の外側 そこのソファーで息を殺したのだが ふるえる長針さえ短針にのしかかり ポイントから激しく尾灯がすさり それから襖や唐紙のなかで ぼくらがひそかにラジオを操る 荒れ果てて美しい女の声 ほら 約束は木の葉 足跡は絶望だよ (『…
小林 よく知られているように、坂本龍一さんは、東日本大震災で壊れたピアノを引き上げて、その壊れたピアノを、調律などしないでそのまま弾くということをやってますよね。西欧的な厳密な関係性の音楽をつくるのではなく、また、竹のなかを吹きすぎる息の音…
小林 やっぱり世界のなかに存在しているということですよね。世界内存在、あるいは世界に帰属している存在として。でも同時に、垂直に世界と向かいあってもいるんです。それが人間です。直立するというのは根源的なこと。この世界は、138億光年の広がりをも…
言葉をまず肉体のものにする。どもりは同じ繰りかえしをすることはできない。いつでも新しい燃料で言葉のロケットを発射しなければならない。月に当るか星へ飛ぶのか、そんなことは知らない。飛べばなんとかなるのである。ぼくらにはおなじように聴えても、…
一枚の鏡は壊れて、碎[くだ]かれた破片のひとつ一つに異なった貌[かお]が映しだされている。もはや、ただ一枚の鏡に自分の像を見ることはできない。そして、壊れた鏡はまた元のようにならない。(/)統合という理念、その全人的要請は、安全無害な中和状態…
そうであれば、21世紀に入ってすでに20年近い時間が経過し、しかもこの間に、人類の文化そのものが、グローバリゼーションであれ、情報革命であれ、また地球環境変化であれ、途方もない規模の大変化の時代へと突入してしまった現在において、問題は、――「ジ…
小林 となると、近代的な歴史観ってなにかと考えなくちゃいけなくなる。当然ながら、近代が歴史をもたらしたときの最大のポイントは国家だと思うんです。国家は前からあったろうって言われるかもしれないけれども、そうではなくて、近代においてはじめて国家…
この「反省」という「こころ」の構造、これは、人間であれば、すなわち(動物とは異なって)(自然)言語によって構造化された「こころ」という意味では、人間に普遍的な構造であるとも言えるのですが、しかし同時に、その構造を極限化し、他のあらゆる「こ…
(……)みずからの問いを練り上げていくなかで、丸山はなにを考えようとしたのでしょうか。文中にある「現実の事態に対する政治的決断[﹅5]」という言葉に注目してみましょう。カール・シュミットをよく読んでいた丸山ですから、例外状態における主権者の決断…
中島 (……)『荘子』のなかに渾沌の物語がありますね。北と南の帝王を歓待する神です。歓待してあげたお礼に7つの穴を空けられて、死ぬんです。ところがその渾沌にはもうひとつの話があって、『山海経[せんがいきょう]』(紀元前4~3世紀)というテクストに…
小林 「自由」に憧れるのは、自分の存在という拘束性を解消したいという人間的な欲望の究極です。人間にとっての最終的な目標はなにかと言えば、わたし流の考え方だけれど、ただひとつ、自分が存在していることの重みを解消することです。ただ、これはあとで…
小林 神仏習合の神というのは神道ですけれど、神道はなにかというと、簡単に言えば「土地」なんですよね。土地におわす神。それに対してどう儀礼を捧げるか。儀礼を通して土地の神と安全な関係を保つという、これが神道にみなぎっている原初的な考えだと思い…
しかも、「からだ」は、「世界」という視点に立って見るならば、日本文化の独自性がもっとも強く立ち現れてくる次元であることはまちがいない。柔道ひとつを取ってみても、これほど世界化した日本文化はないかもしれないと言うべきでしょうし、柔道ほどの世…