2020-04-01から1ヶ月間の記事一覧

2020/4/30, Thu.

しかしあなたは(というか人は誰も)、固有の自我というものを持たずして、固有の物語を作り出すことはできない。エンジンなしに車を作ることができないのと同じことだ。物理的実体のないところに影がないのと同じことだ。ところがあなたは今、誰か別の人間…

2020/4/29, Wed.

オウム真理教に帰依した人々の多くは、麻原が授与する「自律的パワープロセス」を獲得するために、自我という貴重な個人遺産を麻原彰晃という「精神銀行」の貸金庫に鍵ごと預けてしまっているように見える。忠実な信者たちは進んで自由を捨て、財産を捨て、…

2020/4/28, Tue.

雑誌『世界』九六年六月号に越智道雄氏が、アメリカの連続小包爆弾犯人、ユナボマーについて文章を書いておられて、その中にユナボマーが『ニューヨーク・タイムズ』に掲載させた長い論文の一部が引用されていた。それをそのままここに引用してみる。 「シス…

2020/4/27, Mon.

でも退院したあと、僕はほとんど眠れなくなってしまったんだ。三週間のあいだ、僕は夜眠ることをやめてしまった。というのは、眠りにつくのがすごく怖かったからだ。眠ると、必ず夢を見た。必ず見る。それもいつも同じ夢だ。誰かがやってきて、大きなハンマ…

2020/4/26, Sun.

というのは、たまたま地下鉄に乗っていたというだけで、不幸にして命を落とされたり被害を受けられた一般のお客様だっていらっしゃるんですよ。まだ苦しみの中に心を痛めている方もおられる。そんな方のことを思うと、いつまでも自分は被害者なんだというも…

2020/4/25, Sat.

(……)両眼に繃帯した人に向って、繃帯を通して眼をじっとこらすようにといくら元気づけたところで、その人はけっして何かを見ることはできませんからね。(……) (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』筑摩書房、一九六〇年、253; 『城』) 八時頃に…

2020/4/24, Fri.

(……)ところでまた田舎から来た男に対しても彼は思いちがいをしていたのだとされるのです。それというのも、彼は自分がこの男に対して従属的な立場にいながら、そのことを知らないでいるからです。彼がその男を自分に従属する者としてとり扱ったことは、多…

2020/4/23, Thu.

(……)本それ自体は不変であり、一方人々の意見は、往々にしてそれに対する絶望の表現でしかない(……) (辻瑆・原田義人訳『世界文學大系 58 カフカ』筑摩書房、一九六〇年、127; 『審判』) 一〇時五〇分に覚醒。六時間ほどで目覚めることができた。まばゆ…

2020/4/22, Wed.

「もう待ってやらないぞ」と笞刑吏は言い、笞を両手につかむと、それをフランツに打ちおろした。一方ヴィレムのほうは、隅っこにうずくまって、頭をそちらに向ける勇気もなく、こっそりと様子をうかがっていた。と、そのとき、フランツの発した悲鳴があがっ…

2020/4/21, Tue.

「検事のハステラーとは昵懇なんだが、電話してもよろしいでしょうね?」と彼は言った。 「いいですとも」と監督は言い、「ただそれにどんな意味があるのか、私にはわかりませんな。何か個人的な用件で彼と話をしなくちゃあならない、ということでしょうな」…

2020/4/20, Mon.

アメリカ軍によって解放された直後は、わたしたちはいくらでも食べることができました。アメリカ人は、我々に際限なく食べ物をくれたのです。(ところが皮肉なことに)その結果、数百人の仲間が、過食で死んでしまったのです。なんと食べ過ぎて死んでしまっ…

2020/4/19, Sun.

大戦後東西に分裂したヨーロッパでは、ナチズムによる被害に関して対応が分かれた。 いわゆる西側諸国の間では、ドイツの軍事的復活は牽制しながらも、一方で西ドイツ(ドイツ連邦共和国)の西側資本主義体制への復帰を促進するため、被害にあった西欧諸国や…

2020/4/18, Sat.

その瞬間から、……アウシュビッツの門をくぐったその瞬間から、わたしたちは人間でなくなりました。番号だけの存在、あるいはただの物体となってしまったのです。犬のほうが、よほど価値がありました。ドイツ人は、我々をいつでも射殺したり、絞首刑にしたり…

2020/4/17, Fri.

ナチスは占領した地域で、「ゲルマン系」と思われる子どもたちを拉致し、「厳密」な調査と検査をくりかえした。「ゲルマン系」と判定された子どもたちは、ドイツ国内に密かに送りだされ、ドイツ人の養子とされた。いわゆる「ゲルマン化」である。幼い頃に連…

2020/4/16, Thu.

どうして生き延びることができたか、ということですが、答えは簡単です。要するに、ただ運が良かったのです。こんなことがありました。マイダネクには、当初少年のグループがありました。その頃わたしは一三歳だったのです。ある日、ドイツ人が、年長の少年…

2020/4/15, Wed.

マイダネクの規律は軍隊みたいでした。朝の四時か五時に起床させられ、なんだかわからない苦い液体を飲まされ、それから点呼に行かねばなりませんでした。点呼は非常につらいものでした。ドイツ人は、囚人が全員いることを確かめるため、何度も何度も数えな…

2020/4/14, Tue.

歩いて十分ほどの病院まで、その間の通院の時と同じく、車を拾って行った。翌日の午後には手術となり、これも開腹ではなく、まず順調に済んだようで夜に寝苦しいこともなく、朝には安静を解かれたが、なまじの足馴らしはやめにして、起きて立つことも必要の…

2020/4/13, Mon.

立ち停まると俄に夜になった。黒い雲が低く垂れて、細い雨が落ちてきた。それほどのぼった覚えもないのに、駅前の街の灯が足下の遠くに霞んで見える。もう片側を見あげれば、かなり建て込んでいたはずの高台が暗く繁る山に還り、木の間から灯がちらちらと顫…

2020/4/12, Sun.

腰をあげて表をのぞけば、日はもう隠れて、西の空は一条の赤光を低くに余して黒い雲に覆われていたが、上空には暮れながら淡い光が渡り、東寄りの空に白い月が掛かった。上弦よりは長けた月のようで、それにしても日没からまだ間もない時刻にあんなに高くま…

2020/4/11, Sat.

玉箒[たまははき]はまた魂箒、魂を寄せる道具でもあったという。それでもって胸のあたりを撫でて、散りかけた魂を集めて留める。鎮魂である。鎮魂と言えば今では死者の魂を鎮めることになるが、古くは生者の、遊離した魂を静めて、沈めて、身体に落着かせる…

2020/4/10, Fri.

(……)人並みの結婚をして子をつくりたい、と前から女に言われていた気もした。これには負ける。そばにいる女の、さすがに馴染んだ温みの伝わってくるのを感じては、このからだでほかの男を受け容れて子を宿すことになるのかと思っていた。やがて立ちあがっ…

2020/4/9, Thu.

しかしその年寄りの背に、まだ幼い子供の影が添ってくる。いくら食糧の足らぬ時代でも、子供にそんな居候のような思いはさせたことはないはずだ、とこれは亡き親に代わって言える。食膳に就く時には、銘々膳でなくても、子供も正坐させられた頃のことである…

2020/4/8, Wed.

(……)それから親の家を離れて、北陸の金沢の街で暮らすことになり、戦災を受けていない、経済成長にもまだ呑みこまれていない、その閑静さを日々にあやしんで過ごすうちに、初めの冬に大豪雪に見舞われた。来る日も来る日も雪は夜昼降りしきり、十日あまり…

2020/4/7, Tue.

やはり時計だった。机に寄って手探りにスタンドをつけ、正面の壁ぎわに置かれた小さな時計を取って、たまたま傍にあった分厚い文庫本の上に移すと、音はさっぱり止んだ。いまどきの軽便な時計だが、だいぶくたびれてきているので、秒針の運びが滑らかならず…

2020/4/6, Mon.

あれは四十のまだ手前のことだったか、晩秋のたそがれ時に都心のほうのさる旧庭園の、朽葉に埋められて、湧き水も尽きたようで濁った小池の、わずかにあいた水面に、雲間からのぞく十日ばかりの月の影が、天に見えるよりもくっきりと、澄み返って映っている…

2020/4/5, Sun.

鬼怒川の決壊したその前々日、台風が本州に近づいて東京でも雨の降りしきる中を、ちょうど三カ月に一度の検診の日にあたっていたので近間の病院に来てみれば、こんな日のことだから人はすくないだろうと踏んでいたところが院内は込みあって、例によって大多…

2020/4/4, Sat.

今から三十何年も前、四十代のなかばにかかる頃になる。六月の下旬の梅雨の盛りに、比叡山までわざわざ時鳥の声をたずねた。山に着いた夕暮れに雨霧の中をたどりながら山側へ谷川へ耳を澄ましたが、全山鳴きしきる鶯の声しか聞こえない。その鶯の声がときお…

2020/4/3, Fri.

立ち止まったとたんに、往来の賑わいには変わりもないのに、あたりが静まった。騒がしさはどうやら、足がのろくなるほどに先を急ごうとする自分の内から出たものらしい。おのずと立ち静まり、往来をつくづくと眺める姿になった。こんなふうに用もなく人を待…

2020/4/2, Thu.

寒気に祟られて花の匂うようなこともなく、落花の閑寂も繚乱も知らず、ただすがれて赤い花柄ばかりが目に立つようになり、やがて芽吹いた若葉も鮮やかならず、行く春を老年が惜しむにしても、味気なく思われたが、考えてみれば青年の頃には花の盛りを苦にし…

2020/4/1, Wed.

三月の末に花盛りの日和もあり、あるかなきか風に花のちらほらと散る日もあったが、四月に改まったその日から、昼には花曇りと見えたのが夜から冷えて、翌日にも寒気が残り、それからは花寒[はなざむ]と言うには肌寒い曇天が続いた。寒気のために花の持ちは…