2020-05-01から1ヶ月間の記事一覧

2020/5/31, Sun.

忽[たちま]ち足の下で雲雀の声がし出した。谷を見下したが、どこで鳴いてるか影も形も見えぬ。ただ声だけが明らかに聞える。せっせと忙しく、絶間なく鳴いている。方幾里の空気が一面に蚤に刺されて居たたまれないような気がする。あの鳥の鳴く音には瞬時の…

2020/5/30, Sat.

世に住むこと二十年にして、住むに甲斐ある世と知った。二十五年にして明暗は表裏の如く、日のあたる所にはきっと影がさすと悟った。三十の今日はこう思うている。――喜びの深きとき憂[うれい]いよいよ深く、楽みの大いなるほど苦しみも大きい。これを切り放…

2020/5/29, Fri.

どこにもアイデンティティーを見出せない苦しみは、そのままカフカ自身の苦悩でもあった。彼は一九二一年一〇月二九日の日記で、両極に揺れ動く自分を次のように描写している。「孤独と人々との共存との間にある国境地帯を、僕はただ極めて稀にしか踏み越え…

2020/5/28, Thu.

(……)作家の「ペンは心臓につけた地震計の針にすぎない」(註9: Vgl. Janouch, Gustav : Gespräche mit Kafka, Frankfurt a. M. 1981. S. 62.(グスタフ・ヤノーホ『カフカとの対話』筑摩書房 一九六七年 六六頁))(……) (高橋行徳『開いた形式としての…

2020/5/27, Wed.

グレーゴル・ザムザは、カフカの読書体験から得られた名前であろう。ビンダーの研究によると、ヤーコプ・ヴァッサーマンのロマーン『若きレナーテ・フックスの物語』にグレーゴル・ザマッサ(Gregor Samassa)という人物が登場している。おそらくカフカは主…

2020/5/26, Tue.

(……)カフカの否定は表現だけに止まらず、物語の筋にまで及んでいる。ひとつの否定文として終るのではなく、さらに否定する文章がその後に次々と続いて、筋そのものを突き動かしているのである。カフカ文学において、否定は表現のレトリックではない。否定…

2020/5/25, Mon.

(……)グレーゴルの変身行為は、作者カフカの断罪を受けて、毒虫という奇怪で醜悪な唾棄すべき姿を晒すことになった。しかしこの否定は主人公の姿態だけに留まらない。事態はもっと深刻である。グレーゴルという主人公、つまり主語となるべき人物が常に否定…

2020/5/24, Sun.

カフカは自己の「現存在」追求の姿勢と、「所有、及び所属存在」追求の姿勢との対立に悩む。彼はこの苦悩を、自分の持ち場である文学世界へ持ち込む。つまりカフカは、自己の文学に対する姿勢、即ち彼にとって文学が是であるか(現存在)、あるいは否である…

2020/5/23, Sat.

フェリーツェ宛の手紙から浮び上がるカフカ像は、『判決』の主人公を強く連想させる。この作品では手紙が大きな位置を占めていた。ゲオルクは友人が帰郷しないで、ロシアに留まってくれることを願った。友人が身近にいる生活など、ゲオルクにはまったく考え…

2020/5/22, Fri.

(……)カフカが交際した相手の多くは、彼の故郷プラハ以外に住む女性であった。彼にとって女性との交際は文通が望ましい。相手と直接に顔を合わせては、恋愛の進展どころか会話すらもが難しかった。彼は自分の領域である文章世界で恋愛しなければならなかっ…

2020/5/21, Thu.

カフカは文学と結婚の両極間で揺れ動く。しかし彼はこの両者が並立する方策を見つけ出すことも、またどちらか一方を手放すこともできない。従ってカフカは結婚の決断を、いたずらに引き伸ばさざるをえなくなる。これがフェリーツェとの交際が五年間にも及ん…

2020/5/20, Wed.

カフカは『判決』を書くことで、フェリーツェと自分に降りかかるであろう将来の出来事を先取りするばかりか、その出来事の結末までをも暗示する。フェリーツェとの文通が軌道に乗ると、カフカは彼女への書簡でさっそく『判決』を話題にする。そして彼女に、…

2020/5/19, Tue.

主人公は読者の視線をも担うために、私的な性格を持ちえない。語り口は激越な口調を排し、自己の感情を押し殺した淡々とした表現で、いかにも公平無私のようにみえる。しかしこれこそが、文学のなかにカフカがこっそりと仕掛けた罠だったのである。ゲオルク…

2020/5/18, Mon.

なぜ、自然の掟に絶望したり、怒ったりしなければならなかっただろう? アンジョリーナは、母親の胎内でもう正道をはずれていたのだ。彼女が母親に似ていることこそ最も忌むべきことだった。したがって、彼女を非難すべきではなかったのだ。彼女自身が、遺伝…

2020/5/17, Sun.

(……)エミーリオには、うれしいことも、そして予期せぬことすらまったく起こらなかった。不幸もまた、遠くのほうから到来を予告し、接近しながら形をととのえていった。彼はじっくりとその顔を観察するだけの時間があり、両親の死や貧困といった不幸に遭遇…

2020/5/16, Sat.

(……)足もとの街は死んだように静まりかえり、曖昧で神秘的な色がかなたに、海のように果てしなく広がっているだけだった。動きの止まったこの沈黙の世界で、街と海と丘が一体になったように見えた。まるで風変わりな芸術家がかたどって彩色したひとつの素…

2020/5/15, Fri.

暗くはあったが、カンポ・マルツィオの曲がり角で彼はすぐに彼女の姿を見分けることができた。動く影を見れば、それが彼女だとわかるほどになっていた。それは、振動もリズムも伴わない動きであり、やさしくなめらかに運ばれていくような歩き方だった。(………

2020/5/14, Thu.

連日傍聴席が超満員で、逐一報道された審理の最終四日目の三月一一日、バウアーは論告をおこなっている。彼は、事件にかんする報道が権威や権力に追従するドイツ人の目覚めるきっかけになることを願っていた。この裁判をつうじて国民に学習してほしかった。…

2020/5/13, Wed.

一九五一年一〇月の全国世論調査に「今世紀でドイツがもっともうまくいった時期はいつか」という項目がある。結果は「第三帝国」(四四%)、「帝政期」(四三%)、「ワイマル期」(七%)の順である。分析グループはこの理由を、ヒトラーの第三帝国時代と…

2020/5/12, Tue.

(……)一九四九年五月にボン基本法が、一〇月には民主共和国憲法が制定され、西ドイツはボンを暫定的な首都とし、東ドイツはベルリンを首都にして建国され、ドイツは分裂国家となった。そのベルリンも西と東に分断され、西ベルリンは実質的に西ドイツに準じ…

2020/5/11, Mon.

英米軍政部も反ナチ運動を否定する方針をとった。英米両国の最上層部は、戦時下にゲルデラーやモルトケたちのグループが停戦を求めて接触してきたことや、ヒトラー排除をめざす彼らの反ナチ運動の幅広さもよく知ってはいた。だがそれは伏せられた。あくまで…

2020/5/10, Sun.

ではこのような経済構想を、彼らはどのようにヨーロッパに敷衍しようとしたのだろう。繰り返すが、ヒトラードイツが自給自足経済の名のもとに他国を侵略・迫害しホロコーストをつづける事態に、彼らは深い贖罪感をいだいていた。それは「自分たちの世代だけ…

2020/5/9, Sat.

グループ内ではすでにグループの立ち上げのころから「経済秩序」の部会が討議をすすめていた。その中心を担ってきたのは、恐慌とニューディール政策をハーヴァード大学で研究してきたホルスト・フォン・アインズィーデル、財務省参事官カール・フォン・トロ…

2020/5/8, Fri.

すでに触れてきたが、ナチ政権は党シンパ「ドイツ的キリスト者」の「帝国協会」派を後押しし、福音派教会全体をナチ化しようとした。告白教会はそれに反対して結成された。それは信仰闘争として始まったが、ユダヤ系信徒を庇護する反人種闘争、教育界からの…

2020/5/7, Thu.

[ペーター・]ヨルクの妻マリオンは、事件直後ベルリンの自宅を接収されてしまい義姉のもとに仮寓していたが、夫の処刑の二日後にゲシュタポに逮捕され、家族囚としてベルリン・モアビットの拘置所に拘留された。だが他の妻たちは夫の逮捕後すぐ自分も拘留さ…

2020/5/6, Wed.

拷問され喉を潰された[アドルフ・]ライヒヴァインのばあい、公判でもフライスラーに「裏切り者」と一方的に罵倒され発言の機会も封じられた。彼は黙って毅然と立っていた。その彼が公判前の一〇月一六日、一一歳の長女レナーテに宛てた紙片がある。それには…

2020/5/5, Tue.

食糧券だけではない。印章を盗んだり偽造文書の作成、承認書や証明書の不正入手をするなどは、日常的な事柄になっていた。もともと救援活動は非合法の地下活動であるとはいっても、こうした行動を彼ら[ユダヤ人救援グループ《エミールおじさん》のメンバー]…

2020/5/4, Mon.

(……)ナチ政権発足時のドイツ総人口約六五〇〇万人に占めるドイツ・ユダヤ人(ユダヤ教徒ユダヤ人)は五〇万人、これに混血のユダヤ系ドイツ人七五万人を加えても二%に満たないマイノリティである。(……) (對馬達雄『ヒトラーに抵抗した人々 反ナチ市民…

2020/5/3, Sun.

公共土木事業の目玉はアウトバーン建設である。高速道路網の整備はワイマル期から着手されていたが、ヒトラーのそれはモータリゼーションを発展させ、軍事への転用も展望した重点施策であった。しかもこれには彼の強い思い入れと、大衆の歓心を買うねらいが…

2020/5/2, Sat.

(……)統計的には一九三三年から三六年までの「第一次四カ年計画」によって失業者が六〇一万人から一五五万人に四分の一近くまで減少したこと、一九三二年に最低水準であった国民総生産が三六年までに約五〇%上昇したこと、国民所得も四六%増大したことな…