2020-06-01から1ヶ月間の記事一覧

2020/6/30, Tue.

それゆえ、どんな記号学もシニフィアンとシニフィエという二つの辞項のあいだに関連を打ち立てていることを、忘れてはならないだろう。ここでいう関連は、次元の異なる諸対象に関わっているため、同等という関係ではなく、等価という関係のことである。ここ…

2020/6/29, Mon.

さまざまな神話の対象物のあいだに内容的な区別を立てようとしても、まったくの見当違いらしいことがわかる。なぜなら神話は言葉であり、言説に属するものは、すべてが神話になりうるからである。神話を定義するのは神話のメッセージの対象物ではなく、神話…

2020/6/28, Sun.

これは、プジャードにおいては、学問をすることは、奇妙にもやり過ぎがありえるという意味だ。どんな人間的な事柄も、精神的な事柄でさえも、数量としてしか存在しないので、それが過剰だと宣告するには、その厚みを普通人であるプジャード主義者の能力と比…

2020/6/27, Sat.

あらゆる神話的存在と同様に、知識人も或る一般的テーマ、或る実質の性質を持っている。それは空気[﹅2]、言い換えれば(それはほとんど科学的とは言えない同一性なのだが)、空虚[﹅2]のことである。優越した立場から知識人は俯瞰する。彼は現実に「ぴった…

2020/6/26, Fri.

(……)マルグリットは自分の疎外を認識している[﹅6]。すなわち、現実を疎外として見ている。けれども彼女はこの認識を、純然たる屈従の行動によって延長するのだ。例えば彼女は、主人たちが彼女に期待している人物を演じてみせたり、主人たちのあの同じ世界…

2020/6/25, Thu.

演劇の時間というものは、それが何であれ、つねに滑らかにつながっている。ミュージック・ホールの時間は、定義上、寸断されている。それは直接的な時間だ。そして、これこそがまさしくヴァラエティー[﹅7]の意味なのである。つまり、ミュージック・ホールの…

2020/6/24, Wed.

この人間の「条件」の神話は、きわめて古くからあるまやかしの操作に立脚している。その操作の本質はつねに、〈自然〉を〈歴史〉の奥底に位置づけることにある。どんな古典的ヒューマニズムでも、以下のことを原理的に前提している。すなわち、人間の歴史や…

2020/6/23, Tue.

(……)この芸術のなかにあるのは、細部による威嚇だ。これは明らかにリアリズムの対極にある。というのも、リアリズムは典型化を、つまり構造の現前を、ということは持続性の現前を前提しているからである。 この分析的な芸術は、とりわけ音楽にあっては失敗…

2020/6/22, Mon.

優れたバリトン歌手、ジェラール・スゼーにレッスンを授けるなどというのは、失礼極まりないことのように見えるが、わたしにはこの歌手がフォーレのいくつかの曲を録音しているレコードは、そこにブルジョワ芸術の主要なしるしが再発見される音楽的な神話の…

2020/6/21, Sun.

(……)マスコットの熊と滑稽なスパゲッティのあいだで、スタジオにいるわれらの民族学者たちは、形式の上でエキゾティックな東洋を公準として立てることに何の苦労もしないだろう。それは、実際には根底において西洋と似ている、少なくとも唯心的な西洋と似…

2020/6/20, Sat.

われわれに衝撃を与えるべく同展覧会[オルセー・ギャラリーの「ショッキングな写真」展]に集められた写真の大部分は、われわれになんの効果も与えない。なぜなら、まさしく写真家が作品の主題の形成において、あまりにも献身的に、われわれの代わりを務めて…

2020/6/19, Fri.

この芸術家の宣言には、本連載でよく出くわしたことのある、なじみの敵、つまり反知性主義の言語活動が認められる。その決まり文句はよく知られている。すなわち、行き過ぎた知性は害になる。哲学は役に立たない分けのわからぬ言葉だ。感情の、直観の、無邪…

2020/6/18, Thu.

ピエール・プジャード(一九二〇― )はフランスの政治家。中南部のロット県サン=セールに生まれ、書店・文具店を経営していたが、近代化に取り残された山岳地方の不満分子を広く糾合しつつ、一九五三年にUDCA(フランス商工業者擁護同盟)を結成し、大企業…

2020/6/17, Wed.

おそらくこれは一つの顔 - オブジェにちがいない。近年パリで再公開された『クリスチナ女王』では、化粧は仮面の雪のような厚みを持っている。それは描かれた顔ではなく、石膏でできた顔であり、線によってではなく、色の面によって守られている。崩れやすい…

2020/6/16, Tue.

まず何よりも、目的のないヒロイズムほど苛々させられるものはない。社会にとって、その美徳の諸形式[﹅2]を何の根拠もなしに展開し始めることは、ゆゆしき状況である。幼いビションの冒した危険(川の急流、猛獣、病気など)が現実のものだったとすれば、「…

2020/6/15, Mon.

日常的なものがかなり大規模に切断されることで、われわれは〈祝祭〉へと導かれる。ところで、増水はたんにいくつかの事物を選んで場所を移し変えただけではない。それは風景の体性感覚そのものを、先祖伝来の地平線の組織化をくつがえしたのだ。測地の習慣…

2020/6/14, Sun.

フランスのおもちゃは、大人の仕事の世界を文字どおり[﹅5]前触れしている。明らかにこのことは、子供が熟考するまえに、いつの世でも兵士や郵便夫やヴェスパといったものを生み出してきた自然というアリバイを作り上げることによって、子供にそうした仕事す…

2020/6/13, Sat.

こうした二重の出産の際、最初は男が不在のように見える。子供と小説はどちらも同様にひとりでやって来て、母親だけのものといった様子をしている。なにしろ同じ括弧のなかに記された作品と子供を、七十人分も眺めていると、もう少しのところで、これらはみ…

2020/6/12, Fri.

ついこのあいだ七十人の女流小説家を集めて一枚の写真に収めた『エル』誌を信じるなら、女流作家というのは一つの注目すべき動物種をなしている。小説と子供をまぜこぜに出産するのである。例えば、同誌に載っている紹介はこんな調子だ。ジャクリーヌ・ルノ…

2020/6/11, Thu.

シャルル・ド・フーコー神父(一八五八―一九一六)はフランスの修道士。リヨンに生まれ、二十歳のとき陸軍士官学校に学び、地理学や言語学を修め、一八八三年にはモロッコ探検をするなど、無神論者として貴族的な放蕩生活を送るが、三十歳のとき回心して隠棲…

2020/6/10, Wed.

聖フランチェスコ(一一八一―一二二六)は、「アッシジの聖フランチェスコ」として有名なイタリアの聖人・神秘思想家。富裕な呉服屋稼業を継ぎ、放縦な生活に耽ったが、一二〇六年に家族や財産を捨てて、敬虔な清貧の生活に入った。フランチェスコは深く自然…

2020/6/9, Tue.

例えば髪の切り方は、ほとんど短髪で、なんの気取りもないし、とりわけ形が決まっているわけでもない。きっとそれは芸術の、さらにはテクニックの、完全に抽象的なヘアスタイルを実現しようとしているに違いない。一種のヘアカットのゼロ度の状態と言ってよ…

2020/6/8, Mon.

このように明確な目的性が要請してるのは、プロレスがまさしく観客の期待通りになるということである。豊かな経験を積んだ人間であるレスラーたちは、自然に発生した闘いの挿話を、観客がその神話学の驚異的な偉大なテーマから作り出すイメージのほうへ、完…

2020/6/7, Sun.

この観衆は、プロレスをボクシングから区別するすべを、とてもよく心得ている。ボクシングが、卓越性の証明に基づいたジャンセニスム的なスポーツだということを分かっているのだ。ボクシングの試合は、結果に対して賭けをすることが可能だ。プロレスでは、…

2020/6/6, Sat.

石甃[いしだたみ]を行き尽くして左へ折れると庫裏へ出る。庫裏の前に大きな木蓮がある。殆んど一と抱もあろう。高さは庫裏の屋根を抜いている。見上げると頭の上は枝である。枝の上も、また枝である。そうして枝の重なり合った上が月である。普通、枝がああ…

2020/6/5, Fri.

二間余りを爪先上がりに登る。頭の上には大きな樹がかぶさって、身体が急に寒くなる。向う岸の暗い所に椿が咲いている。椿の葉は緑が深すぎて、昼見ても、日向で見ても、軽快な感じはない。ことにこの椿は岩角を、奥へ二、三間遠退いて、花がなければ、何が…

2020/6/4, Thu.

(……)こうやって、煦々[くく]たる春日[しゅんじつ]に脊中をあぶって、椽側に花の影と共に寐ころんでいるのが、天下の至楽である。考えれば外道に堕ちる。動くと危ない。出来るならば鼻から呼吸[いき]もしたくない。畳から根の生えた植物のようにじっとして…

2020/6/3, Wed.

(……)空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂[もた]れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾[と]くに通り過して、今は山と山の間を行くのだ…

2020/6/2, Tue.

(……)空があやしくなって来た。煮え切れない雲が、頭の上へ靠垂[もた]れ懸っていたと思ったが、いつのまにか、崩れ出して、四方はただ雲の海かと怪しまれる中から、しとしとと春の雨が降り出した。菜の花は疾[と]くに通り過して、今は山と山の間を行くのだ…

2020/6/1, Mon.

恋はうつくしかろ、孝もうつくしかろ、忠君愛国も結構だろう。しかし自身がその局に当れば利害の旋風[つむじ]に捲き込まれて、うつくしき事にも、結構な事にも、目は眩んでしまう。従ってどこに詩があるか自身には解しかねる。 これがわかるためには、わかる…