2022-02-01から1ヶ月間の記事一覧

2022/2/28, Mon.

若い死者たちだけが、もはや時を知らぬ虚心とこの世の習いからの離脱という、死の始めの境にあって、少女の後を慕う。娘たちとは、少女は待ち受けて友達になる。身につけたものを娘たちにそっと教える。これら苦悩の真珠、この細糸で織りなしたのは忍従のヴ…

2022/2/27, Sun.

いつの日か、けわしい絶望の、その出口にまで至り、歓喜と賞賛を、うなずき迎える天使たちに向かって、歌い上げたいものだ。明快に叩く心の鍵の一弾も、弦が弛み、疑い、切れて、鳴り響かぬということがもはやあってはならない。願わくば、ほとばしる顔がわ…

2022/2/26, Sat.

清潔に寂れた教会は日曜日の郵便局に似ている、と詩の内にある。その郵便局もこの詩の百年足らず前までは都市の要所のひとつであり、鉄道以前の駅であり、あるいは日曜の暮れ方にも馬車が発着して、悲歎と苦悩、忍従と憤怒、憂愁と歓喜の、光景が繰りひろげ…

2022/2/25, Fri.

天使に向かってこの世界を賞賛しろ。言葉によっては語れぬ世界をではない。壮大なものを感じ取ったとしても、天使にたいしては誇れるものではない。万有にあっては、より繊細に感受する天使に較べれば、お前は新参者でしかない。単純なものを天使に示せ。世…

2022/2/24, Thu.

何故だ。もしも命の残りを月桂樹 [ダフネー] のように、ほかの緑よりはいくらか暗く繁り、葉の端端を風の笑みのように顫わせ、そのようにして過ごすこともなるものなら、何故、人として生きなくてはならないのか、そして運命を避けながら、運命を追い求める…

2022/2/23, Wed.

確かな天性に導かれて、われわれとは異った向きを取りわれわれに近づく動物に、もしも人間と同じ質の意識があるとすれば――。通り過ぎるその歩みによって、われわれをは(end215)っと振り向かせはした。しかし動物にあってはその存在は無限であり、摑めぬも…

2022/2/22, Tue.

あらゆる眼でもって、生き物はひらかれた前方を見ている。われわれ人間の眼だけがあたかも前方へ背を向け、しかも生き物のまわりに罠の檻となって降り、その出口をすっかり塞いでいるかのようだ。外に在るものを、われわれは動物のまなざしから知るばかりだ…

2022/2/21, Mon.

いずれ何処にも、友よ、世界は存在しなくなるだろう、内側においてのほかは。われわれの生は変転しながら過ぎて行く。つれて外側はいよいよ細くなり消えて行く。かつては一軒の持続する家屋のあったところに、今では人に考え出された造形ばかりが露呈して、…

2022/2/20, Sun.

いかにも、わたしは愛に生きた女性を呼んだ。しかし呼ばれて、ひとりだけが来るわけはない。貧しい墓の中から若い娘たちも来てそこに立つはずだ。呼んだからには、その声の届く先をどうして限ることができるだろうか。没した者たちはいまでもなおこの世を求…

2022/2/19, Sat.

求めであっては、もはや求めであってはならない、年長 [た] けて飛び立つ声よ、お前の叫びの自然は。それでもお前は鳥のように純粋に叫ぶのだろう。季節が、上昇する季節が鳥を揚げ、それがひよわな鳥であることも、ただひとつの心ばかりを晴朗な大気へ、穏…

2022/2/18, Fri.

見るがよい、われわれが愛するのは、花たちのように、わずか一年の内の限りのことではないのだ。われわれが愛する時、思いも寄らぬ深い年々の漿液が腕 [かいな] にまで昇る。おお、娘よ、心に留めるがよい。われわれがおのれの内に愛したものは、一人の者で…

2022/2/17, Thu.

愛する人のことを歌うのもよい。しかしすべての張本であるかの血統の河神を歌うのは、哀しいかな、また別のことなのだ。女はこれに遠くから触れて、わたしの恋人と見る。しかしその青年自身とて、おのれの欲求を支配する者について、何を知るだろうか。(end…

2022/2/16, Wed.

愛する者たちは、それだけの聡さがあるならば、夜気の渡る中であやしみあうことだろう。というのも、すべての物はわれわれにわれわれの実相を隠している様子に見える。見るがよい。樹木たちは存在する。われわれの住まう家々もなお存続する。われわれひとり…

2022/2/15, Tue.

あらゆる天使は恐ろしい。それであるのにわたしは、哀しいかな、御身たちを、人の命を奪いかねぬ霊鳥たちよ、その恐ろしさを知りながら、誉め歌った。天使のうちでも最も輝かしきラファエルが簡素な戸口に、旅人の姿にすこし身をやつして、もはや恐るべき姿…

2022/2/14, Mon.

たしかに、この世にもはや住まわぬとは、不可思議なことだ。ようやく身についたかつかぬかの習慣を、もはや行なわぬとは。薔薇や何やら、もっぱら約束を語る物たちに、人間の未来にかかわる意味をもはや付与しないとは。かぎりなくおそれる両手で束ねてよう…

2022/2/13, Sun.

声がする。呼んでいる。聞け、私の心よ、かつて聖者たちが聞いた、せめてそのように。聖者たちは巨大な呼び声を耳にして地から跳ね起きた。しかしかの女人たちは、信じ難きあの者たちは、ひきつづき跪いたきり、耳にも留めずにいた。そのようにして、聞く者…

2022/2/12, Sat.

たしかに、春はお前をもとめた。幾多の星もお前に、その徴を感じ取ることを望んだ。過去から波が立って寄せる。ひらいた窓の下を通り過ぎると、弦の音がお前に寄り添う。すべて、何事かを託したのだ。しかし、お前はそれを果したか。そのつど、すべては恋人…

2022/2/11, Fri.

誰が、私が叫んだとしてもその声を、天使たちの諸天から聞くだろうか。かりに天使の一人が私をその胸にいきなり抱き取ったとしたら、私はその超えた存在の力を受けて息絶えることになるだろう。美しきものは恐ろしきものの発端にほかならず、ここまではまだ…

2022/2/10, Thu.

そのギィニョンの姿はと言えば骸骨の侏儒で、羽飾りのついたフェルト帽をかぶりブーツをはき、腋には毛のかわりに虫がうごめく、とあるので中世伝来の死神 Mort 像に近いが、Mort の丈が矮小だという話は聞いたことがない。この意地悪者に頭に来た詩人たち――…

2022/2/9, Wed.

さてこそ君らは薄暮を往き、同行 [とも] は夕映の微笑。君ら、沈み行く時代よ。すべてが黙契(end153)の内に同意された上は、君らは心乱さず、避けられぬ苦を負う。 おのれを挙げて捧げる者は享けることも寡く、ただ薔薇色の額を、ひたむき押して遠方を目指…

2022/2/8, Tue.

カサンドラーの予言が人に聞こえないのは、アポローン神の呪いによることだが、見者であるというところからも来るようである。もはや謎めいた言葉では語りますまい、とカサンドラーは長老たちに宣言しながら、いざ予言にかかれば、見者のエク・スタシスに取…

2022/2/7, Mon.

ところで、吉兆を告げる、畏れ慎しみ沈黙する、という意のエウ・フェーメオーには、吉兆に応えて歓呼するという意味もある。 オレステイア三部作の第一部は「アガメムノーン」、トロイヤ遠征隊の総大将でありアルゴスの王であるアガメムノーンが国に凱旋する…

2022/2/6, Sun.

エウ・フェーミアーという言葉が古代ギリシャ語にある。吉 [よ] き前兆を告げること、吉兆の告知、というほどの意味になる。ところがこの言葉が沈黙という意味にも使われる。畏れ慎んで黙ること、敬虔の沈黙である。 告知と沈黙と。予言者になるか占者になる…

2022/2/5, Sat.

現在の住居の近間にも雑木林がある。これは保全された林であり、囲い込まれてから六十年にはなる。雑木林の楢や櫟は本来、適時に間伐され薪炭の用に供される。つまり順々に燃やされるべきもので、斧が入らなくなると、ひょろりと長く伸びる。それが冬枯れの…

2022/2/4, Fri.

ironique et fatal とある。読む者の心の音鍵を、明晰で不吉な手際で打つ言葉である。fatal という言葉を、ここで会ったが百年目、というような方角へ取ったら、どうか。百年目の出会いが一度限りの邂逅ではなくて、永劫のごとき反復であったとは、すぐれて …

2022/2/3, Thu.

眼の内から悪意の光さえ差さなければ善男善女の喜捨の雨を降らせそうな相貌、か。胆汁に漬けられたような瞳、氷雨の冷たさをよけいにきつくさせるその目つき、か。雪の泥道に難渋するその足取りは、まるで地下の死者たちを古靴で踏みつけにするようで、世界…

2022/2/2, Wed.

五十歳で生涯を閉じた詩人の、四十四歳の作は、晩年の詩のうちに入るだろうか。あるいは老年の詩とも言えるのかもしれない。フリードリヒ・ヘッベルの一八五七年の詩に、「秋の歌」と題する詩がある。これも訳しくだす。 ――このような秋の日は見たこともない…

2022/2/1, Tue.

なおもふたつの光の粒のきらめくのを魂は眺める、ふたつの小さな星が見えるように、(end34)と。やがて光は揺らいで、消えかかる、あたかも一羽の蝶の翅のさやぎのように、と。 詩の結びはしかし老境の最果ての、その手前あたりに留まる。人は夕日の中を逍…