2022-03-01から1ヶ月間の記事一覧

2022/3/31, Thu.

一九三六年に新たなソ連憲法が制定される過程では、ソヴェト型民主主義への期待も高まった。この憲法の草案は一九三六年六月に新聞紙上に公表され、一二月までの約五カ月半にわたって全国各地で全人民討議がおこなわれた。こうした討議への参加者は、延べで…

2022/3/30, Wed.

中央集権的な指令経済は、工業化の初期段階においては、優先すべき分野と課題に大量の資源と労働力を集中して投入することによって、多くの成果を挙げることができた。このため一九二〇年代末から一九三〇年代後半にかけての第一次、第二次の五カ年計画は、…

2022/3/29, Tue.

集団化を強いられた農民の生産意欲は乏しく、トラクターなどの機械や肥料が不足していたこともあって、集団化された大規模経営のメリットは必ずしも発揮されず、収穫は減少した。しかし、コルホーズでの労働を厳しく義務づけ、コルホーズにおける収穫の横領…

2022/3/28, Mon.

[農業] 集団化に際しては、スターリンの唱えた「階級闘争激化論」(社会主義に向かって進めば進むほど階級闘争は激化し、階級敵に対する抑圧は強化されるとする主張)が、農民に対する抑圧を正当化する役割を果たした。穀物調達が進まないのも、自発的な集団…

2022/3/27, Sun.

[穀物供出の強制という] 非常措置は当然ながら多くの農民の反発と抵抗を招いた。一九二九年には一三〇〇を超える農民の蜂起が起こったという。これを抑え、穀物を供出させるため、一九二九年後半には各地で「全面的集団化」が始められた。 それまでも農民経…

2022/3/26, Sat.

十月革命から内戦に至る過程で、旧ロシア帝国領だったフィンランド、ポーランド、エストニア、ラトヴィア、リトアニアなどが独立し、また旧帝国領内各地にソヴェト共和国が樹立されていた。ソヴェト共和国のいくつかは自治共和国や自治州としてロシア社会主…

2022/3/25, Fri.

ソヴェト政権は、社会主義経済体制の前提となると考えられた生産手段の国有化を実現(end22)するため、一九一七~一九一八年に当初は個別に、ついで部門別に工業企業を国有化し、銀行の国有化も進めたが、資本家や職員らの強い反発を招き、経済と生産は混乱…

2022/3/24, Thu.

ソヴェト政権の生き残りを一層難しくしたのが、欧米諸国や日本がチェコスロヴァキア(end20)軍団の救出などを名目として反革命勢力を支援し、自ら干渉戦争さえおこなったことである。しかしこれもまたソヴェト政権が自ら招いたとも言える面があった。ドイツ…

2022/3/23, Wed.

ドイツは、東部戦線でのロシアとの戦いを終結させたいとは考えていたが、「平和に関する布告」の原則通りに無併合・無償金での講和に応ずる気はなく、領土の事実上の割譲を要求した。この条件でのドイツとの講和をめぐって、ソヴェト政権内では激しい対立が…

2022/3/22, Tue.

一九一四年夏に始まった第一次世界大戦は、短期間で終わるとの当初の楽観的な期待に反して長期化し、物的人的資源のすべてを注ぎ込まねばならない総力戦となった。このため第一次世界大戦はヨーロッパの全交戦諸国にとってかつて経験したことのない厳しい試…

2022/3/21, Mon.

バクチの運動としてのヴァイシュナヴァ派は、十一世紀、南インドに生まれたバラモンのラーマヌジャ(一〇一六―九一)の哲学によって、初めて知的裏づけを与えられ、ヒンドゥ教の有力な一派に発展するいとぐちを開いた。 それまでのバクチの教義は、アルワル…

2022/3/20, Sun.

まずはっきりさせておきたいことは、ガンジーの抱く「永遠の真実」という思想が、インドの下層社会の人びとに信じられている宗教思想、すなわち、行動を重んじ、私心のない献身と奉仕を重んずるバクチ(Bakti)の教義であるということである。知識を重んじた…

2022/3/19, Sat.

[ボーア戦争: ] 一八九九年から一九〇二年まで、南アフリカで、イギリス人とオランダ系移民のボーア人との間に戦われた戦争。イギリス側の指導者はセシル・ローズであり、ボーア人の指導者はクルーガー将軍であった。この戦争の原因は、豊富な金鉱が発見され…

2022/3/18, Fri.

[「カースト」について: ] 初めポルトガル語であったが、英語に取り入れられた言葉で、普通インドの四大社会集団(階級)ならびに無数の社会集団をさしていう。カーストにあたるサンスクリット語は二つある。一つはヴァルナ Varna で、インドの古代から存在…

2022/3/17, Thu.

南アフリカの人種差別政策は古く、ガンジーが南アフリカに来る八年前から、人種差別が法律になっていた。ことに、オランダ人農業移民の子孫ボーア人が作ったオレンジ自由国とトランスヴァール共和国で人種偏見がひどかった。(これら両国は、ボーア戦争に敗…

2022/3/16, Wed.

この反乱は、一般に「シポイの反乱」または「第一次反英独立戦争」といわれる。この反乱を機として、イギリスのインド支配は固まったが、一方、インド人の民族的自覚、独立意識が生まれ、今日の新インドの出現に道を開いた、インド近代史上の画期的な事件。…

2022/3/15, Tue.

インドの言語は、北方のインド基幹部の中央部で行なわれるインド・アーリア系言語と、南方の半島部で行なわれるドラヴィダ系言語に大別される。両系言語とも、多くの地方語にまた分かれている。ヒンディ語は、インド・アーリア系言語地域のほぼ中央部で行な…

2022/3/14, Mon.

ヒンドゥ教徒の聖典としては、まず『ヴェーダ』があげられる。これは讃歌、祈禱、犠牲の祭式、呪法、壮麗な自然詩の寄せ集めで、「知る」という意味の Vid から出た『ヴェーダ』は、古代に存在したいろいろの人間知識の結集である。その最古のものは、紀元前…

2022/3/13, Sun.

マハは「偉大」、トマは「魂」、すなわち聖人の意。ガンジーに、民衆から、この称号が初めて捧げられた正確な日付は不明である。この言葉は、インド古代の哲学書『ウパニシャッド』(「奥義書」と訳される。四五八ページ注21参照)に由来する。神を意味し、…

2022/3/12, Sat.

わたしの断食は、一つの重大な欠陥をまぬがれなかった。というのは、すでに前章で触れたように、わたしは紡績工場主たちと非常に親しい間がらだったし、断食が彼らの決断に影響を及ぼさないわけにはいかなかったからである。 サッティヤーグラハ運動者として…

2022/3/11, Fri.

行進は二日間で完了の予定であった。ある日の夕方、労働者たちに、翌日〔一九一三年十月二十八日のこと〕朝早く行進を起こすことが告げられた。そして、行進についての規律が読みあげられた。五、六千の人間の大群を統制することは、なまやさしいことではな…

2022/3/10, Thu.

婦人の投獄は、ニューキャッスル近郊の鉱山に働いていた労働者に、魔法のように作用した。彼らは道具を捨てて、つぎつぎと集団をなして町に入っていった。その知らせを受け取(end293)るとまもなく、わたしはフェニックスを出発して、ニューキャッスルに向…

2022/3/9, Wed.

犯罪を犯して刑務所に入れられるのは容易である。しかし、無実の罪で刑務所入りをするのはむずかしい。犯罪者は司直の手をのがれようとするから、警察は彼らを追及し逮捕する。しかし、自由意志で逮捕を求める者に対しては、彼らはどうにもしようがなくなる…

2022/3/8, Tue.

アジア人局の役人は、特定の指導者を逮捕しないでおくかぎり、運動の勢いをくじくことはとてもできない、と思うようになった。それで、指導者格の幾人かに対し、一九〇七年のクリスマスの週に治安判事のもとに出頭せよ、という通告を発した。通告を受けた者…

2022/3/7, Mon.

アジア人登録法は、一九〇七年三月二十一日、トランスヴァール議会の第一回本会議にかけられ、あらゆる審議段階を駆け足で通過してしまった。法令は発布され、一九〇七年七月一日から発効することになった。インド人は、七月三十一日までに、法律の定めたと…

2022/3/6, Sun.

ズールー族の「反乱」に関連した軍務から引き揚げてくると、わたしはフェニックスで友人たちと落ち合い、それからヨハネスバーグに着いた。ここで、わたしは、一九〇六年八月二十二日付のトランスヴァール政府広報に発表された法令案を読んで、身ぶるいがし…

2022/3/5, Sat.

わたしが十三歳という年で結婚したことを、ここに書いておかねばならぬことは、辛いことである。今日、わたしが面倒をみている同じ年ごろの若者たちを眺め、そして私自身の結婚のことに思い及ぶと、自分を哀れに思い、わたしと同じ目にあわないですんだ彼ら…

2022/3/4, Fri.

いささか時間を隔てるが、一九六六年に書かれた「実体のない影――或る数学入門書を読んで」というエッセイから、珍らしく詩人の役目について語られた次の箇所を引き、『詩への小路』と重ねて読みたいと思う。 語りがたいものを語るのが、詩人の役目である。し…

2022/3/3, Thu.

「ドゥイノの悲歌」は第一歌と第二歌とが一九一二年の一、二月に書かれ、引き続きその春にドゥイノの館で、第三歌やその他のエレギーの部分が書きはじめられた。十篇の完成は、第一次世界大戦を挟み、むろんドゥイノからも離れ、じつに一九二二年のことであ…

2022/3/2, Wed.

「私は外国文学者の畑から迷い出てきた小説書きである」と語りだしながら、ヨーロッパの言語と日本語という、大きな落差の中での仕事について、かつてこう語ったことがある。 「とにかく意味の通る日本語をめざすよりほかにないと考えた。しかし翻訳という作…