2022-06-01から1ヶ月間の記事一覧

2022/6/30, Thu.

一九五六年、日本へ発つ直前にスナイダーはジャック・ケルアックを連れてハイキングをしている。サンフランシスコからまず海へ出て、二五七一フィートのタマルパイス山を横断してゴールデンゲート・ブリッジの反対側に下りてくる一晩がかりの行程だ。その道…

2022/6/29, Wed.

(……)また登山はしばしば帝国的な振舞いの純化した形態とも見なされた。そこでは実利的な見返りや戦うべき相手が存在しないにもかかわらず、スキルと英雄的美徳のすべてが投入される(高名なフランス人アルピニスト、リオネル・テレイがその自叙伝のタイト…

2022/6/28, Tue.

世界のいたるところで山は霊界に近づく場所として、この世とその向こう側の境界のように考えられてきた。山に聖性を付与している土地は多い。霊界は怖ろし気なものだが、山が邪悪(end223)とされることはほとんどない。ほとんど唯一、山を醜悪で地獄のよう…

2022/6/27, Mon.

ワーズワースの初期の詩作で優れているのは、なにかと出会うためのラディカルな徒歩行と、美学的な鑑識眼で景色をあじわうための遊歩がひとつに結びついていることだ。考えてみると、景勝と貧者という二つの題材はある種の緊張関係をはらんでいるはずだが、…

2022/6/26, Sun.

ワーズワースはいかにも彼らしく、街路を歩くことを通じてフランス革命を理解しようと試みた。「今昔の名声の的となったさまざまの名所」を訪ねて「バスチーユの瓦礫」からシャン・ド・マルス、そしてモンマルトルへ。その間には、ジョン・オズワルド大佐と…

2022/6/25, Sat.

「脚に一家言ある女性に聞く限り、彼の脚には全員が辛辣な評価を下していた」。ワーズワースについて語るトマス・ド・クインシーの言葉にいりまじる賞賛と敵意は、この詩人に続く世代の大方に共有されたものだった。 ひどい欠点があるわけでなし、たいていの…

2022/6/24, Fri.

この小説 [『高慢と偏見』] で特筆されるのは歩行に与えられている多様な役割だ。エリザベスはたとえば社交から逃れ、姉妹や求婚者と親密な言葉を交わすために歩く。そんな彼女の目を潤すのは、新旧の庭園の眺めや、北部やケンティッシュ郊外の手つかずの自…

2022/6/23, Thu.

ダーシー氏にとって、そして著者オースティンにとっても読者にとっても、こうしたひとり歩きはヒロインの自立を意味するものであり、家を中心とする世間やその住人をはなれて、自由にものを考えられる広大で寄る辺ない世界への道を示すものとなっている。歩…

2022/6/22, Wed.

今日の読者にとっては、絵のような眺め、あるいは景色のための観光といったものの存在は、風景を好むこととおなじようにそれほど特筆すべきものとは思われないかもしれない。しかし、そのすべては十八世紀に発明されたものなのだ。世に知られた詩人トマス・…

2022/6/21, Tue.

[プロイセンの旅人カール・] モリッツの旅でもうひとつ特筆すべきものに、湖水地方からそれほど遠くない、イングランド北部ダービーシャーのピーク地方にある有名な洞窟の訪問がある。重要なのはそこにはすでに案内人がいて、料金をとって見所を案内していた…

2022/6/20, Mon.

まさにその年、ゴシックの建築家サンダーソン・ミラーらとともにこの庭 [バッキンガムのストウ庭園] を歩いていたのが ”有能なる” 〔ケイパビリティ〕と称される庭師ランスロ・ブラウンだった。ブラウンは、簡素な水や草木の空間によって造園の革命を完成に…

2022/6/19, Sun.

自然化する庭園の傾向には別の要因もあった。おそらくもっとも重要だったのは風景式庭園がイギリスの独自性のあらわれとみなされたことだ。自然指向を強めるイギリス貴族たちは、自分たちとその社会をフランスの技巧性とは異なる自然なものとして提示してい…

2022/6/18, Sat.

彼らが急ぐ先には新しい家と、十九世紀の夜明けが待っていた。家とは湖畔の小村グラスミアにたつコテージのことだ。すでにおわかりかもしれないが、このふたりの健脚の持ち主は、ウィリアム・ワーズワースとその妹ドロシーにほかならない。北イングランド、…

2022/6/17, Fri.

多くの聖職者の参画、非暴力の実践、宗教的な救済と、ときとして殉教を語る言葉。そうしたものをともなった公民権運動にはおよそいかなる争議よりも色濃く、巡礼の精神と光景が刻印されている。おおまかにいえば黒人参政権を焦点とするこの運動は、まずそれ…

2022/6/16, Thu.

こうした新世代の巡礼すべてがおりなす歩行者の大河と、そのさまざまな水源を思いえがくとき、その源流にいるのは、半世紀を遡るころのひとりの女性だ。それは三月の雪解け水のようにささやかな一滴だ。一九五三年一月一日、ピース・ピルグリム〔「平和の巡…

2022/6/15, Wed.

(……)歩行は、身体を本来の限界へふたたび還元する。しなやかで、敏感で、脆弱なものへ。一方で、道具が身体を拡張するように歩行は世界へ延びてゆく。歩行の拡張が道をつくる。歩くために確保された場所はその追求のモニュメントであり、歩くことは世界の…

2022/6/14, Tue.

ルソーに似てキェルケゴールは雑種的であり、真正の哲学者というよりは哲学的文筆家だっ(end47)た。ふたりの著述はしばしば描写的、扇情的、あるいは個人的で、詩的な多義性を含み、伝統的に西洋哲学の主流となってきた緻密で明晰な議論とは鋭い対照をなし…

2022/6/13, Mon.

(……)成人後の生活でキェルケゴールが客を招くことはほとんどなく、実に生涯を通じて友人といえる者はほぼ存在しなかった。しかし知人は多い。姪のひとりによれば、コペンハーゲンの街は彼の「応接間」であり、そこを歩き回ることはキェルケゴールの日々の…

2022/6/12, Sun.

どきりとさせられたのはヘビだった。暗色の体に黄色っぽいストライプが走る、その模様からガーターヘビと呼ばれるヘビ。艶かしい小さな体を漣のようにくねらせて小径を横切り、草叢に消えた。慌てるというよりはむしろはっとさせられて、わたしの意識は一挙…

2022/6/11, Sat.

テクノロジーは効率性の名のもとに増殖し、生産に充てられる時間と場所を最大化し、その間隙の構造化されえぬ移動時間を最小化する。そうやって空き時間を根絶してゆく。多くの労働者にとって、新しい時間節約の技術は世界を加速させて生産性を向上させはし…

2022/6/10, Fri.

(……)あるいは、歩くことでしか得られない場所の感覚について。いま多くの人は、バラバラになった屋内空間、家、車、ジム、オフィス、店のなかで生きているけれど、徒歩ではすべてが連続的だ。歩く人は、内部空間に滞在するのと同じように空間の隙間にも滞…

2022/6/9, Thu.

最初に歩くことの歴史へとわたしを導いたのは核兵器だった。思考や連想のたどる道筋はいつだって思いがけない出来事に満ちている。一九八〇年代、わたしは反核活動家としてネバダ核実験場に対する春のデモに参加していた。ネバダ州南部、米国エネルギー省が…

2022/6/8, Wed.

歩くことの理想とは、精神と肉体と世界が対話をはじめ、三者の奏でる音が思いがけない和音を響かせるような、そういった調和の状態だ。歩くことで、わたしたちは自分の身体や世界の内にありながらも、それらに煩わされることから解放される。自らの思惟に埋…

2022/6/7, Tue.

(……)生産性指向の世のなかにあって、思考することはたいてい何もしないことと見なされているが、まったく何もしないのは案外難しい。人は何かをしている振りをすることがせいぜいで、何もしないことに最も近いのは歩くことだ。歩くことは意志のある行為で…

2022/6/6, Mon.

(……)このテーマで書くことの大きな喜びのひとつは、歩くことが限られた専門家ではなく無数のアマチュアの領分であることだ。誰もが歩き、驚くほど多くの人が歩くとはなにか考えをめぐらせ、その歴史はあらゆる分野に広がっている。だから知り合いの誰もが…

2022/6/5, Sun.

「(……)トコロデソレト(end704)同様ニ、肉体モ、肉体ニ対スル愛モ、卑猥デ浅マシク、肉体ハ自分自身ヲ恐レタリ恥ジタリシナガラ、ソノ表面ヲ赤クシタリ、青クシタリスル。シカシナガラ、肉体ハマタ大イニ賞讃ニ値シ、尊敬スベキモノ、有機生命ノ驚クベキ…

2022/6/4, Sat.

(……)これに対して、ペーテルスブルクのアントン・カルロヴィッチ・フェルゲの病床を訪ねたときは、ふたりとも気持のいい印象を与えられた。フェルゲ氏は、善良そうな房々とした上ひげ [﹅2] を生やし、やはりこれも善良そうに飛びだした喉仏をのぞかせてベ…

2022/6/3, Fri.

(……)原子というものはおそろしく微小で、非物質的な物、すなわちまだ物質ではないがすでに物質に似た物、つまりエネルギーの非常に微小な、早期の、中間的かたまりであって、まだとてもこれを物質と考えるわけにはいかない。それはむしろ物質的な物と非物…

2022/6/2, Thu.

若い大胆な研究者は、胎生学の本を鳩尾に当てて、有機体の成長を追求した。彼は、多数の精虫の中の一つだけが群を抜いて、尾の顫毛 [せんもう] 運動によって前進し、頭のさきを卵子の膠状被膜へぶつけ、卵膜の原形質が迎合するように膨らませている受胎丘へ…

2022/6/1, Wed.

きらめく谷を眼下に、毛革や毛糸によって貯えられている体温にぬくもって横になっているハンス・カストルプ青年の眼前には、生命のない天体の光に明るく照らされた寒夜、生命の姿が現われ浮び上がってきた。眼前の空間のどこかに、捉えるには遠すぎるが、し…