2023-01-01から1ヶ月間の記事一覧
獣脂蠟燭 毛むくじゃらの指をした僧侶たちが 本を開いた――九月。 イアソンはいま 雪を 萌し始めた種に投げる。 手たちでできた首輪を 森がお前に与えた、だからお前は 死んだまま 綱を渡る。 ひとつのもっと暗い青を お前の髪が受ける、そしてぼくは 愛につ…
荒野の歌 花輪がひとつ アクラの地で 黒ずんだ木の葉で編まれた―― そこで ぼくは黒馬の首を廻らし そして死をめがけて剣を突き出した。 そして又ぼくは 木でできた皿からアクラの泉の灰を飲み そして 兜庇をおろして天の残骸に向かって進んだ。 なぜならば …
ハイネは晩年、「わたしは懐疑的な十八世紀の末に、たんにフランス人ばかりではなく、フランス精神も支配した町に生れた」と言っている。詩人が生れたライン河畔のデュッセルドルフ市はフランス革命軍に占領され、封建ドイツの古くさい制度が一応のぞかれて…
ふかい溜息 なんと不快な あたらしい信仰だ やつらが おれたちから神を奪えば 呪いだって無くなってしまう まったく とんでもないことだ(end255) おれたちには祈りなんかなくていい だけど 呪いはなくてはならぬ 敵にぶつかってゆくからには まったく とん…
港にて 無事に港に着いた男は 海も嵐も振り捨て いま やすらかにぬくぬくと腰をおろす ブレーメン市役所のりっぱな地下酒場で このぶどう酒杯 [レーマーグラス] に 世界がいかにも気持よく ほほえましくうつっている 波うつ小宇宙が かわききった心へ いとも…
神々よ ぼくは一度もあなたがたを愛したことはなかった なぜなら ギリシャ人はいまわしいからだ ローマ人さえぼくは憎しいのだ けれども いまぼくがこうして天上のあなたがたを 見捨てられた神々を 死んで夜さまよう影を 風にはらわれる淡い霧のような姿をな…
どうしようというんだろう どうしようというんだろう 目をこんなにくもらせて このわびしい涙は むかしから この目にまだのこっているのだ あかるくかがやくいろんな涙もあったが すっかりながれ去った なやみやよろこびといっしょに 夜と風とに消え去ったの…
ローレライ どうしてこんなに悲しいのか わたしはわけがわからない 遠いむかしの語りぐさ 胸からいつも離れない 風はつめたく暗くなり しずかに流れるライン河 しずむ夕陽にあかあかと 山のいただき照りはえて かなたの岩にえもいえぬ きれいな乙女が腰おろ…
ぼくは笑ってやる ぼくは笑ってやる 山羊面をしてぼくをじろじろ見ている あの野暮な間抜けどもを ぼくは笑ってやる 腹をすかして 陰険にぼくを嗅ぎまわり 口をあけて眺めている狐どもを ぼくは笑ってやる 高邁な精神界の審判者のつもりで いばっている博学…
ふたつの影 ふたつの影が荒々しく凄まじく 四つ足で滑るように 真夜中の暗い樅の茂みを 先へ先へと進んでゆく それは 父親のアッタ・トロルと 若いせがれの片耳君だ 森がほんのり明るいところ 血の石のそばに ふたりは止まった(end163) 「この石はな」とア…
洞穴のなか 洞穴のなかの子供らのかたわらに ふさぎこんであおむけに寝そべりながら アッタ・トロルは 物思わしげに 前脚をなめなめつぶやく 「ムンマよ ムンマ 黒い真珠よ おまえを世の荒波のなかで 手に入れたのに おれはまた 世の荒波におまえをなくして…
3 娘の墓場に一本の菩提樹が立っている 小鳥がそこに囀り 夕風がざわついている 木の下の青草のうえで 水車場の若者が恋人といっしょに坐る 風がしずかに気味わるく吹く 鳥が甘くかなしく歌う しゃべっていたふたりは急に口をつぐみ 泣いてしまったがなぜか…
この岩の上に この岩の上にわれらは建てよう あたらしい教会を 第三のあたらしい聖書の教会を 悩みはもう済んだ われらを長いあいだ惑わしていた 霊肉二元は亡 [ほろ] んだ おろかしい肉体の苛責は ついに終ってしまった 聞えないのか 暗い海の神の声が 無数…
娘が天国のよろこびを 娘が天国のよろこびを 声をふるわせて歌い 弾いているあいだに ぼくのトランクは プロシャの税関吏どもにしらべられた 何から何までかぎまわし シャツやズボンやハンカチまでいじりまわし やつらはレースや宝石をさがした それから発禁…
ものがなしい十一月 ものがなしい十一月だった 日ごとに空は暗くなり 風が木の葉をもぎとっていた そのころ ぼくはドイツへ向って旅立った 国境へ着いたとき ぼくは 胸が いちだんと激しく高鳴るのをおぼえた そればかりか おそらく目から涙が 落ちかかって…
おお 生活を おお 生活を享楽もせず おまえの生命を費やすな(end55) いのちに別条ないのなら 撃ちたい奴には撃たせてやれ 幸福がそばを通りかかったら すかさずどこでも摑まえろ 言っておくが おまえの小屋は谷に建て 山の上にはけっして建てるな (井上正…
遺言状 どうやら命も終りに近い 遺言状でも書いておこうか これでもおれはキリスト教徒 おれの敵にも遺産 [かたみ] をやろう 尊敬すべき徳望高い 敵の諸君に遺 [おく] ってやろう あらゆるおれの悪疾病毒 四百四病の長病 [ながわずらい] を 遺産 [かたみ] の…
世のならい どっさりありゃすぐにまた うんとどっさり殖えるだろ ちょっぴりしきゃ無えやつあ そのちょっぴりも奪 [と] られちゃう 無一文なら仕方がねえ 墓でも掘るさルンペンさん 生きてる権利があるなんざ なにかもってる奴だけさ (井上正蔵 [しょうぞう…
火刑 しぼんだ菫 よごれた捲毛 すっかり褪 [さ] めた空色リボン(end41) ちぎれかかったレターの紙片 とっくに忘れた心のがらくた みんな投げ込め 壁暖炉 [カミン] のなかへ 見ていてやるぞ 炎と燃えろ おれの不幸や幸福どもの 屑がおののき ぱちぱちいい出…
あのころのぼくはまだほんの子供だったけれど、船旅の気怠い雰囲気のなかで何日間も過ごしたすえに初めて〈高楼都市 [ハイシティ] 〉を目にしたときのことは――電気を孕んでピリピリする空気の、無数の松葉を軽く皮膚に突き立てたようなあの刺激的な感覚のこ…
その島は中央に山を擁している。火山だが、森に覆われ、あたりには猿やインコの声が響く。近寄りがたく見える山で、それこそなにが起きてもおかしくない気配を宿している。雲を戴く峰々が環状にとりまくのは湖だ。真っ青な湖と、峰々と、雲と。いかにも神秘…
青い空、青い水。やわらかい、あたたかい、青い。ふうわりと陽炎のベールをかぶったアクアマリン色の海。おだやかなサファイア色をした空が吐き出す、あたたかい息吹。あらゆるものがやわらかい、青い、あたたかい。上が、下が、あらゆるところが。わたしを…
白い土埃が円形の視野に侵入してきた。女性が、わたしの所有者になる人が、片足でトントン道を叩いて、ほっそりした靴の爪先で土埃を立てていた。わたしは靴全体が見える位置まで視線をずらし、たちまち心を奪われた。どんな贅沢を夢に見ても、これほど美し…
ときおり足をすべらせながら、わたしはぎこちなく氷の上を歩きつづけた。折れなかった大木が何本も霧のなかで不透明な噴水のように枝を広げていた。曇り水晶のような噴流ひとつひとつの中心に、黒い枝が糸のように通っている。木々は美しいと同時に恐ろしか…
吹雪で凍えたハト、六十二丁目とセントラルパーク西の交差点で 足がベンチに貼りついた状態で見つかる すでにあらゆる度合いの寒さを経験したつもりになっていたが、闇のなかをドレイク夫妻の家に向かう車のなかはまたいちだんと寒かった。長ズボンにムート…
華やかさどころか、スマラン一帯には色がなかった。色らしきものがあるのは海中ばかり。それも、(end71)ジャワ海特有の鮮やかな青ではない、トラ猫の目を思わせる薄く釉薬をかけたような不思議な緑で、泥の色を映した揺らめく黄が基調になっている。海岸線…
今いる部屋は独特のにおいがした。かすかな、とらえどころのないにおい。なんともいいようのない、それでいて鼻につくにおい。その顧みられない歳月と埃のにおいから逃れることはできなかった。いや、においというより、没個性的でわびしい挫折の空気か。こ…
父がひとり娘に幸福を意味するレティシアという名前をつけたとき、まさか不幸を招くつもりでいようとは、当のミス・レティには思いもよらないことだった。ともあれ本人は短縮形のほうが好きで、かつての家では誰もがそちらを使っていた。その呼びかたを聞か…
安心している暇はない。メアリはとっくに気づいていた――なにかおかしなことが起きている。悲鳴をあげるよりずっとよくないこと、口にするのも恐ろしいことが。なんなのかははっきりしない。わかるのは、それが何年も前、まだひとりで着替えができないくらい…
いつしかわたしは濃密な静寂に耳を澄ませていた。不気味なしじまのなかに、雷鳴がとどろく直前にも似た不穏な兆しがうかがえた。どこからもなんの音も聞こえなかった。通りに動くものの気配はまったくない。闇が集いはじめているのに、明かりのひとつもまだ…