2021/6/18, Fri.

神が世界に浸透し、いっさいのものの原因となり、すべてのものは相互にはたらきかけあい、作用をおよぼしあう。そこからみちびかれる帰結は、よく知られた、ストアの決定論である。(end126) かれらは、この宇宙がひとつであり、あらゆる存在をみずからのう…

2021/6/17, Thu.

ストア学派の「対話法」は、「意味するもの」と「意味されるもの」の区別をふくんでいる(『列伝』第七巻六二節)。意味されるもののうち重要なものは、語や句、文の意味、「表示されるもの」(レクトン)である。現在の目から見て興味ぶかいことは、ストア…

2021/6/16, Wed.

遥かのちにヘーゲルは、「ミネルヴァの梟は夕暮れに飛びたつ」と語った。ギリシアの知恵の女神は、ローマではミネルヴァと名をかえる。ある時代の生を哲学が灰色の思考で描きとるとき、緑なす生自体はすでに過ぎ去っている、哲学とは一時代のおわりに、その…

2021/6/15, Tue.

現存するアリストテレスの著作の大部分は、リュケイオンにおける講義ノートであると考えられている。紀元前一世紀に講義録が再発見されたとき、それを編纂した当時のリュケイオンの学頭、アンドロニコスが、アリストテレス自身は「第一哲学」と呼んでいたも…

2021/6/14, Mon.

目的論的自然観はそれ自体、自然と人為(技術)をむすぶこころみである。アリストテレスにあって、問題は、もうひとつの局面であらわれる。制作とは区別される「行為」(プラクシス)の場面、つまりはたらきの目的をその外部(制作にとっての作品)にもつの…

2021/6/13, Sun.

可能態という存在の次元を承認して、それを現実態との相関関係においてとらえることで、他方では、自然の全体が生成の相のもとにあらわれ、また目的論的に統一された像をむすぶ。たとえば、河の流れはさまざまな土壌をはこび、それを河口に沈殿させる。潮流…

2021/6/12, Sat.

自然という語は、第一義的には「生長するものの生長」そのもののことをさす(『形而上学』第五巻第四章)。運動の原理としての自然は、アンティフォンの例に見るとおり、まずは素材であることである。けれども、木製の寝台から、ふたたび芽が出て、それがも…

2021/6/11, Fri.

まず、自然とはなんであるかが考えなおされなければならない。「自然によって」(ピュセイ)存在するものとそれ以外のものを区別し、前者の原理(アルケー)をあきらかにしなければならないはずである。アリストテレスは、つぎのように説いている。 存在する…

2021/6/10, Thu.

(……)「すべての人間は、生まれつき知ることを欲する。その証拠は、感覚への愛好である。感覚はその効用をぬきにして、すでに感覚することそれ自体のゆえに愛好されるからである」。『形而上学』の冒頭でアリストテレスはそう述べるけれども、だれより知る…

2021/6/9, Wed.

(……)いったい、いつから、その法が法となったかを、ひとびとが忘れはててしまうことによって、法はまさに法となる( [『法律』] 七九八b)。――法は、ふるまいを二分して、正しい行為と不法な行為との境界を設定する。法の創設は、切断する暴力である。もっ…

2021/6/8, Tue.

感覚に与えられているもののうちで、或るものと完全にひとしい他のものは、ひとつとして(end86)ありえない。また、感覚がとらえる世界にあっては、いっさいが移ろって変化してゆくかぎり、変わらないもの、みずからとひとしくありつづけるなにものもない。…

2021/6/7, Mon.

難問は、ソクラテスがさらに鋳なおすことで、一見して完全ないき止まりを示すものとなる。「人間は、じぶんが知っているものも、知らないものも、探究することができない。第一に、知っているものを探究することはありえない。知っているかぎり、探究する必…

2021/6/6, Sun.

イデアという語は、「見る」という意味の動詞、イデインに由来する。イデアとは、だから文字どおりには「見られるもの」であり、もののすがたやかたちのことである。だがプラトンの語るイデアは、目で見られるものではない。もののすがたや、かたちにかかわ…

2021/6/5, Sat.

私のほうが、この男よりは知恵がある(ソフォーテロス)。この男も私も、おそらく善美のことがらはなにも知らないらしいけれど、この男は知らないのになにか知っているように思っている。私は知らないので、そのとおり知らないと思っている。(『弁明』二一d…

2021/6/4, Fri.

ソフィストとは知者であった。ソフィストの知は、時代のなかで力とむすびつく。かれらの言論における卓越が、権力を生んだのである。ソフィストは、その意味で有能な人間であり、有用な人物であった。けれども、有用さそのものはいったいなんのためにあるの…

2021/6/3, Thu.

『ソフィスト』のプラトンは、虚偽や誤謬が、「在るものども」(タ・オンタ)と反対のことがらを語るものであるから、現に誤謬と虚偽とがある [﹅2] 以上は、あらぬ [﹅3] もの、なんらかの意味で「非存在が存在する」、つまり無(メー・オン)がある [﹅2] …

2021/6/2, Wed.

デモクリトスについて現存する断片のほとんどは、じつは倫理にかかわる箴言あるいは断章である。「笑うひと」と呼ばれた、デモクリトスがもとめたものは、「快活さ」(エウテュミア)であったといわれるけれど、それはただの「快楽」(ヘドネー)ではない(…

2021/6/1, Tue.

アナクサゴラスもまた、エンペドクレスとおなじように、エレア学派の基本的な前提を受けいれたうえで、世界の多と動、多様性、ならびに生成と消滅という課題にとり組んでいたものと思われる。「生成と消滅について、ギリシア人たちは正しく考えていない。な…

2021/5/31, Mon.

カントはゼノンの論点の一部に真理をみとめている。カントによれば、世界は有限でも無限でもないからである。ものごとはすべて世界のうちに位置をもち、世界内部の場所に存在する。もし場所が世界のうちにあるとすれば、それは世界のどこかに存在することだ…

2021/5/30, Sun.

いま、ひとつの論理的なすじみちの可能性だけを考えてみる。なにかがある [﹅2] 。そのなにかがある [﹅2] と考えられている以上は、それは同時にあらぬ [﹅3] ものであることはできない。ほかならないそのものがある [﹅2] 。ほかでもない [﹅2] そのものが…

2021/5/29, Sat.

女神が告げるふたつの道の一方は、「ある [﹅2] とし、あらぬ [﹅3] ということはありえないとする道」であり、それが真理へとみちびく道である。もうひとつの道は「あらぬ [﹅3] とし、だんじてあらぬ [﹅3] とするべきであるとする道」になる。これは探究…

2021/5/28, Fri.

世界をめぐる経験はさまざまな文体によって語りだされ、経験にかかわる思考は多様な表現によって紡ぎだされる。ヘラクレイトスはたとえば、神託ふうの箴言で世界に現前するロゴスをかたどっていた。箴言、つまりアフォリズムはアポ・ホリスモスに由来し、ホ…

2021/5/27, Thu.

ヘラクレイトスとおなじ時代クセノファネスが、おなじ [﹅3] 、ひとつの [﹅4] ものについて語っていた。それはまず、ホメロスやヘシオドスにみとめられる、伝統的な神のイメージを批判することをつうじてである。「人間たちは神々が〔じぶんたちと同様に〕…

2021/5/26, Wed.

ロゴスとはつまり、相反するもの、対立するものの両立であり調和にほかならない。「生と死、覚醒と睡眠、若年と老年は、おなじひとつのものとして私たちのうちに宿っている。このものが転じて、かのものとなり、かのものが転じて、このものとなるからである…

2021/5/25, Tue.

たしかに、「きみはおなじ川に二度と足を踏みいれることはできないだろう」(同箇所 [『クラテュロス』四〇二 a] )。水は絶えず流れさるからだ。それだけではない。ひとは「一度も」おなじ川に足を踏みいれることができないはずである。いっさいは、ひたす…

2021/5/24, Mon.

数や図形には、独特なふしぎさがある。数えられるものは感覚によってもとらえられるが、数える数そのものを見ることはできない。じっさいに描かれた直角三角形は、つねに一定の辺と角の大きさを有する特定の三角形でしかないけれども、たとえばピタゴラスの…

2021/5/23, Sun.

輪廻を繰りかえすたましいは、身体という存在のしかたを超えたものでなければならない。身体には感覚が帰属するのだから、身体を超えて永続するたましいをみとめるかぎり、一般に感覚を超えたものが存在し、感覚を超えたものは、感覚以外のなにものかによっ…

2021/5/22, Sat.

たましいは神的で不死のものであり、罪のために身体に封じこまれている。身体(ソーマ)はたましいの墓場(セーマ)なのであって、たましいは、いまは「牡蠣のように」身体に縛りつけられ、輪廻のくびきのもとにある(プラトン『パイドロス』二五〇 c)。人…

2021/5/21, Fri.

アナクシマンドロスはまた、このアペイロンを「神的なもの」と呼んでいたとつたえられる。その間の消息に触れた、アリストテレスの説明には、哲学的にすこし興味ぶかいところがある。そのことばをふくむ前後を引用しておく。 だがまた、かれらのすべてがこの…

2021/5/20, Thu.

アペイロン(無限なもの)ということばを使用した、はじめての哲学者であるかもしれない、アナクシマンドロスは、タレスが見てとったものを、べつのことばで語りなおそうとしていたと考えることもできる。タレスが見ようとしていたのは、自然の移りゆきのす…